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はてなキーワード: 駅長とは

2016-09-22

http://anond.hatelabo.jp/20160922094005

代替交通が無いのはわかるが、非合理な駅員だの車掌だのに詰め寄るバカ批判されているんだから、「ストレスたまるんだから仕方ないだろう」とは思えない。

バカって変なところで理屈っぽいから、「駅員がダメなら監督責任がある駅長を呼ぶ」みたいなトンチンカンな事言い出しそうで、繰り返すなら本当に出入り禁止にしてほしい。

2016-06-25

不倫ばかりしていた自分

当時はこの人とずっと一緒といるんだろうなと思っていた人と別れて自暴自棄になっていた。

寂しさを紛らわすことができればそれで良かったから、適当相手を見繕い

私を適当に扱う既婚者とばかり身体の関係を続けた。相手仕事が終わるまでネカフェ時間を潰して

終電間際に相手職場の近くで会って適当セックスした。

会うのはいつも車の中でした。

SEデザイナー駅長やってる人、早稲田卒ばかり主張するサラリーマン

自分ごみだと思った。ずっとごみだと思った。

終電で会いに行って捨てられたことも会った。行くあてがなかったかコンビニで朝まで時間を潰してた。

もう死んでしまおうと思った。私が生きている意味などないと。

でもいくら自分自分を捨てたくても他人家族をきずつけてはいけなかった。

運良く私を好きになってくれる人がいて、結婚して、子供ができた。

それでも私を大切にしてくれる人がいるなんて思わなかった。

ごめん。汚い自分でいろんな人を傷つけて、他人家族をめちゃくちゃにして。こんな人間幸せになってはいけない。

2016-05-29

[]0:増田ののぼう

 増田島。モンスーン気候に含まれ大陸東岸位置するその諸島では多くの家が覇を競い、謀略と決戦による離散と集合を繰り返したあげく、十一の家が生き残っていた。

一つ目は増田家。

 増田島の北端部に位置するこの家は北方の豊かな資源を中継する立場にあり、回船によるすいすい水上交易で莫大な財産を築いていた。威信財を重視する家風がもたらす物欲のせいか増田家では内乱が起こりやすく、せっかくの資金力を安定して外征に投じることができなかった。厳しい冬の気候遠征障壁となっている。しかし、大量動員されたとき傭兵軍団の力は本物であり、革新的当主にひきいられて都へ上ったことも何度かある。

 本拠は増湊。

二つ目増田家。

 前述の増田家の南東に位置する増田家では、婚姻外交が盛んであり、周辺諸国や有力家臣のほとんどと血縁関係を有している。送り込んだ夫人とその侍女団によるもはやスパムめいた文通による諜報活動増田家の地位を巧みに保ってきた。反面、他家の内輪もめに巻き込まれることも多く、いまいち地域の主導権を掌握できないでいる。

 結婚はそろそろ分家に任せておけ。戦争せよ。が、新当主モットーである本拠は増谷。

三つ目は増田家。

 増田家の南西、そして増田家の西に位置する増田家は、古代先住部族の血が濃く、やや異質な存在である増田家内部でもその意識が強いため、かえって先進文化を取り入れることに熱心であり、増田海を利用した通商が盛んに行われている。北の増田家とは海上交易権をめぐるライバルでもあり、自分たち土地よりも交易先の港で激しく干戈を交えている。ぶっちゃけ非常に迷惑である。両家の争いは都の外港である増瀬を炎上させたことがあり、そろって出入り禁止を言い渡された。

 前代当主は大の鯖好きであり、そのために港を手に入れた。

 本拠は増浜。

四つ目は増田家。

 入港禁止を言い渡された増田海側北方の二家の縄張りに横から失礼する形で頭角を現してきたのが増田島の背側にある増田である。もともと繊維の有名な産地であったが、一般には無骨武人と思われながら実はトップセールスに優れた一面をもつ当主によって、繊維の染色から加工、納入までもこなす重商国家へ変貌を遂げつつある。

 植物性繊維の染色に欠かせない明礬鉱山帰属を巡って、二つ目増田家の南にある増田家と激しく争っている。

 本拠は増館。

五つ目は増田家。

 増田島最大の平野部を領有する増田南東部増田家は比較的あたらしい家であり、この時代象徴する存在である。高度にシステム化された統治機構と徹底的な遠交近攻策によって平野部を平らげて来た。

 しかし、近年は領土拡大に伸び悩みはじめており、また農業以外の産業育成にも苦戦している。四つ目の増田家と泥沼の戦乱状態にあるが、敵の求めているものいまいち理解できていない( ・ิω・ิ)。

 本拠増戸

六つ目は増田家。

 古くからの名門である増田家は、いわいる主語が大きくなった例としてよく知られる。きわめて機会主義的で行き当たりばったりの外交政策をとって来たため周囲に味方がまったくなく、いままでのツケを払わされつつある。それでも、他家の当主低能とやたら罵倒する。

 増田家が攻め込んできた時だけは、普段はいがみ合う増田家も同盟を結んで侵略者撃退したという。そして撤退する増田軍の背中に塩をまく。敵に塩を送るの由来である

 本拠は増台。

七つ目は増田家。

 商業結節点である増津をおさえる増田家は財政的に非常に豊かであり、宗教と結びつく禁断の政策によってますます富を集積している。本来宗教施設しか使用できない角度とかにうるさい石垣技術をもちいた国境城塞群は難攻不落であり、増田家の富に垂涎する敵の侵攻をにべもなく、はねのけ続けている。女装癖の当主は勤勉で、年中むきゅうで働いている。しかし、増田島を統一する意欲には乏しい。

 長く続く戦乱が武器産業利益をもたらし、彼らが共依存する宗教にも信者獲得の機会を与えているかである

 本拠は増津。

八つ目は増田家。

 都の周辺を押さえる増田はいちおうは天下の号令者の立場にある。だが、前代未聞の宮中脱糞事件を含む不祥事続きで尊敬を完全に失っており、洛書にあざけられない日はない。結果、「都の地方勢力」に堕している。

 支配する人口は非常に多いが文化的な反面、戦争に向かない人材割合が多く、暴力による意志強制にも成功していない雑魚ナメクジである

 本拠は増居。

九つ目は増田家。

 増田島の長く狭い陸橋部を支配する増田家は律令制時代駅長にはじまる豪族の出であり、社禝を守りじわじわ支配地をひろげていった結果、豪族からの二段JUMPで西増田島一の勢力と謳われるまでに成長した。

 彼らが都の増田家を制圧してしまわないことは長年の謎とされている。下手に関わっても火中の栗を拾うだけであり、遷都などすれば柔弱な気質に染まると中興の祖が言い残したことが影響しているらしい。西方には年々攻勢を強めており、完全制覇がなれば都を抑えにでるとの観測もある。

 本拠は増州。

十番目は増田家。

 古代から大陸に対して開かれた湾港都市、増屋を支配する増田家は渡来人の血が濃く、一族の中には毛の色が増田島人一般とは異なる者までいる。大陸から導入した兵器を大量運用することで戦術武勇の不足をおぎない周囲の弱小勢力を打倒した増田であるが、より大規模な九つ目の増田家と十一番目の増田家との戦争では、文明力の差を軍事技術で埋められ、苦戦している。最後の三家の争いを特別増田三国志と呼ぶこともある。

 当主は新来の言葉をすぐに使いたがり家臣に疎まれている。

 本拠は増屋。

十一番目は増田家。

 増田南端位置する増田家は武勇の誉れ高く、それ以上に攻勢を一方向に集中できる利点を駆使して、勢力を拡大してきた。なお、家中新参者に限らず犠牲になる粛清の嵐であり、酒の席はいつもピリピリしていたと言う。大喜利に滑った人間には容赦がない――が大喜利強要する。

 歴代当主の口癖は「舐められたらおしまいだ」である

 本拠は増林。

 さあ以上、十一家の中で増田島の支配権を握るのは、どの家だ!?きみも当ててみよう。

次回

http://anond.hatelabo.jp/20160530121038

2015-08-05

管理の難しさとコツ

毎月1000人程度の行列従業員4~5人で捌いてたコツを書くよ。

職業パチ屋(嫌いな人ごめんね)

行列理由新台オープンと、あとはなんでかしらないけど毎月ある特定の日に行列ができた。(諸般の事情により理由は答えられません。)

パチンコ屋さんが整理券を配る理由は、開店時間前後行列をつくると隣接店舗入り口を塞いでしまうという問題回避したいとう目的が一番にあります

そのため、隣接店舗オープンする前に整理券を配布して、行列を捌いてしまおうとしているのです。

はじめのうちは早朝から並び始める程度だった行列は、加熱していくことで徹夜組を生み出します。

なかには前日の21時、お店が閉店する前から並び始める人もいました。

話題性目的で容認していたものの、ある日おまわりさんからお叱りを受けます

ピンとくると人も多いと思うのだけど、数年前に突然行列の深夜組に対する指導が厳しくなった時期がありました。

「深夜に起こりえる事故責任徹夜を容認している店舗側に求めますよ。罰せられたくなければ徹夜を禁止にしてね。」といった内容です。

遠回しに言ってるけど、深夜にトラブルがあって呼ばれるのは警察なんだから余計な手間かけさせるようなことはしないでねってことですね。

おまわりさんは他にも守らなくてはいけないものが沢山あるので、問題の原因を作るようなことは愚の骨頂。ぐぅの音も出ない正論です。

ちなみに某駅100周年の時に行列を解散させざるを得なかった理由もおそらくこれ。

行列管理できてないけど、警察に警備でもさせるつもり?責任とれるの?」の一言駅長HPゼロになったものと思われます

この辺の指導が厳しくなることで警備員人件費なんて用意できない中小店舗は先着順の行列が実質不可能となります

それ以外にも、この業界特有の「なんでこんなに人が並んでるの?理由説明して?」っていう別角度からのつっこみもありましたがこれは割愛します。

それでもユーザーはある特定の日に大挙として押し寄せて来てしまます

なのに徹夜を容認することはもうできません。

そのため、多くのパチンコ屋さんは整理券配布を抽選という手段シフトしていきました。

テレビ番組徹夜組の後ろに店舗スタッフが並んで、それ以降から整理券配布をするというスカッとする解決策が提示されていましたが行列規模が100人を超える程度になるとこの手段はまず不可能です。

なぜなら暴動が起きるからです。

想像してみてください。徹夜100人並んでる後ろにスタッフがついて、これより前の人は無効ですとされた状況を。

もし自分がその中にいたらあらゆる理由を見つけて自分正当化するはずです。

その上で、並んだ人間全員で店側の不備を叫び始めます

店側のスタッフは数名しかいません。その状況で数の暴力に立ち向かうことはまず不可能と思ってください。

結果として数に押し切られた店舗側の人間は、相手のルール違反を容認した上で、さら自分たちの不備さえ認めさせられる事態に陥ります。最悪の場合ルールを守った人間すら敵に回してしまます

しかしながら、行列管理ポイントはこの正義=量的要因にあるのも事実です。

ここで熱中症患者を量産した某ソーシャルゲームイベントを思い返してみましょう。

あのイベントが失敗した一番の要因は、限定遥かに上回る人数が押し寄せてくることを想定できなかったため、限定数を上回る参加者に対する準備を怠っていたことにあると言えます

運営陣は、限定を2~3割上回る人間が来て、間に合わなくてくやしー!くらいで終わるつもりだったはずです。

ところが限定数と同等、もしくはそれ以上の人数が集まってしまったことでまず行列管理崩壊しました。

その上で、もらえなかった人間が一斉に運営側の準備不足を声高に叫び始めたことでルール正義が逆転します。

さらに状況を悪化させた点は、本来限定だった特典をユーザー全員に配布してしまうという判断でした。

これによって先着のために払った多くの参加者の労力を無駄にしてしまたからです。

まりは高いお金を払って準備したイベントなのに、参加者全てを敵に回す結果になってしまったというわけです。

これついて某駅100周年イベントでも同様のミスが見られました。

徹夜を禁止していたにもかかわらず、徹夜で並んだ人間から優先してしか時間を繰上げてまで販売を開始してしまったのです。

当然ルールを守った人間からは不満が噴出。その数があまりにも圧倒的だったため現場パニック状態となり、そこに加えて警察からの中止命令

結果的に後日希望者全員に販売となったわけですが、高い交通費をかけて現地に赴いたファンはがっかりしたはずです。

さらに豪華な装丁を施したあのカードがもたらした全体の赤字は考えるだけでぞっとしてしまます

圧倒的な参加者を前に、少数の従業員ルール正義するにはどうしたらいいのでしょうか。

方法は単純です。ルールを守った人間正義になればいいのです。

そうすれば、ルールを守った側の人間従業員側の味方についてくれることになり、ルールを破った少数派に打ち勝つことが出来ます

そのためには、まずルール作りの段階から準備が必要です。


本日、最も重要キーワードをここに書きます

行列管理イベントで最も重要なことは、単純でわかりやすルール視覚的に内容的にも明確に発信すること」です。

イベントにおける失敗の大半の要因は、ルールがわかりづらい、もしくは視覚的に明確にされていないという点といっても過言ではありません。

逆を返せば、いくら完成度の高いルールでも参加者理解できない、もしくは参加者同士で共有できていなければ何の意味もなさないのです。

そのために必要なことは、ルールの完成度よりもわかりやすさを追い求めることにほかなりません。

このことは、自分自身店舗新規オープンの時に1000もの人間整理券配布のために3時間近く拘束してしまったという実体験によって身を持って知ることになりました。

くわしくは割愛しますが、公平性を厳密に守るために手順が煩雑になりすぎたとでも言っておきましょう。

整理券を配布すると同時に投げかけられた1000もの罵倒は今でもそのときのまま夢に出てきます

徹夜組に対して言えば、徹夜が禁止であることが参加者全員にわかやすく伝わること、それにくわえてルール違反に対するペナルティが明確であることが求められます

その点を曖昧にしておくことによって、徹夜組自分たち正当性理論武装し始めます。そうしていつのまにか同士が集まった時点でモラルハザードが発生してしまうわけです。

ただ、昨今の状況において期待参加者2~300を超えるようなイベントで先着を行なったとして、徹夜を禁止することは弊害が多すぎるため不可能と考えたほうがいいかもしれません。

抽選シフトするか、容認して警備を強化するためにコストを投入する以外手段はないと言えるでしょう。

ソーシャルゲームイベントに関して言えば、どこまでが先着に間に合ったかを明確にする必要がありました。それによって、人数がオーバーした上で並ぶか並ばないかの判断自己責任へと変ることができるからです。

ただし、詳しく調べていませんが徹夜組に対する禁止・容認の流れなどがあったとすればそんな単純な話ではなかったかもしれません。

さて、手前味噌な話に戻ります1000人の行列をどのように4~5人で管理していたかの話に戻ります

尚、徹夜が禁止になってしまったため、整理券の配布は抽選で行なっています

・まずは列の先頭に一人が待機します。

行列ができはじめると同時に、ナンバリングがされた抽選引換券を配布しながら列の最後尾へと移動し続けます

抽選開始時間になった時点で、列への参加を禁止します。

・その時点での抽選引換券のナンバリング確認し、抽選マシンに母数を入力

参加者から抽選引換券を回収しつつ、抽選を行います

抽選開始時間に間に合わなかった参加者には、特例として配布した番号以降の整理券を配布しています

この方法を取ることによって、行列に対する割り込み管理を行う必要がなくなります

そして大事なことは、こうした抽選方法だということをルールとして明確に提示しておくことです。

抽選には引換券が必要です。

・引換券は行列最後尾で配布します。

抽選開始時間までに来店できなかった場合は、それ以降の整理券を配布します。(ただし、これも5分程度で打ち切ります

これに加えて、抽選開始時間を大きく記載します。

これらを抽選場所と列最後尾に並ぶ人間とにプラカードで持たせることで参加者に明確に伝えています

当然、十分時間をもっての事前の通知も重要です。

この段階であれば、3人程度で捌くことが出来ます

抽選に間に合わなかったユーザーは、先着順の列に誘導します。ただ、この列も経験開店30分前で50人を超えるようなことはありませんでした。

つぎに実際の入場です。

配布した整理券には次のような情報記載されています

・大きめのフォント印刷された整理番号

・整列開始時間(入場開始時間10分前程度)

・入場開始時間

・整列のための列が100番刻みでできていること

そして店頭には、100番刻みで番号が書かれたプラカードと、そこから伸びる並ぶ場所を示したテープ歩道にはられています

これによって列は100人までしか伸びず、また整列開始時間記載されているために、店舗前に行列ができる時間を最低限に抑えることが出来ます

次にその10分間に集まってくる整理券を持った人間を、該当する番号の列におおよそ誘導します。

この時、全員を綺麗に番号順に並べる必要はありません。前後10人程度なら入場の時に整理し直せるからです。

そうすれば4~5人で1000人を捌くこともそれほど大変ではありません。

最後に入場させる時にもうひとつのコツがあります

人間の心理的にも順番をシビアに守りたいのは100番程度までということが経験でわかりました。

その為、はじめの100人は一人ずつ番号を呼び入場させますが、それ以降は「110番までの方」「120番までの方」とある程度の括りで入場させます

この時、できるだけ大きな声で番号を叫ぶのがコツです。

面白いことに、そうなると自分たちの番号を参加者同士が確認し始めるのです。

その分、順番をしっかりと整列させる労力を割愛することができました。

それに多少前後してしまったとしても、そのことについてクレームを受けたことは一度もありません。どこかに確認できなかった自分責任を感じているのかもしれません。

抽選が厳密に行われることがわかれば、徹夜をしようとする人間は居ません。

徹夜組に対する対応の答えにはならないかもしれませんが、SNS話題が一挙に広がり参加者が大挙して訪れる可能性のある今の世の中では、徹夜禁止の上で先着順というのははっきりいって不可能だと思っています

コミケ徹夜問題が叫ばれていますが、いっそのこと抽選配布にシフトしてみてはいかがでしょうか。

抽選引換券と、抽選開始時間、入場と整列開始時間自分たちが並ぶべき列が明確になっていれば、それほどの労力を必要とせずとも数千人を対処できるかと思います

少しでも早く入場したい人は抽選に参加するはずです。

そうすれば、少なから徹夜問題は解決します。

あとは抽選に間に合わなかったユーザーを先着で並べるための列管理必要になりますが、それこそそれ以降は先着順の整理券でも配布すれば列管理の労力を入場直前に集中させることができるものと思われます

他にもイベントにおける機会均等という公平性みたいにも大事なのですが、反響あったら書くかも。

以上、パチ屋ひとりごとでした。ご参考程度に。

2015-06-29

駅長

和歌山電鉄貴志川線貴志駅紀の川市)で28日に営まれた「たま駅長」(雌、16歳)の社葬国内外のたまファンら約3000人が参列。弔電は国内外から180通も届き、海外メディア取材に入るなど人気の高さを改めて示した。猫駅長はすごいみんなから可愛がられてんだな。

2015-06-25

たまさん死去

たまさん死去

たまさん(たま=和歌山電鉄社長代理常務執行役員)22日夜、急性心不全のため和歌山県岩出市内の病院で死去、16歳。紀の川市出身。自宅は和歌山県紀の川市貴志川町神戸803番地の貴志駅構内。葬儀告別式は近親者のみで済ませた。社葬28日午後0時半から貴志駅で営まれる。喪主は、たまの飼い主の住友利子さん。葬儀委員長同電社長小嶋光信氏。

2007年1月5日和歌山電鉄から貴志駅長に正式に任命され、日本初のネコ駅長となった。就任後、たまさん目当ての観光客が増加し、08年には課長職に相当するスーパー駅長へ昇格し、県から和歌山県勲功爵を叙勲された。さら10年には執行役員へ昇格し、貴志駅たま駅長モチーフとしたものへ改築された。翌11年には常務執行役員へ昇格し、県知事より和歌山県観光招き大明神称号が与えられた。13年には社長代理就任したが、近年は高齢のため部下であるネコに実務を任せ名誉職として時折、利用者への挨拶をするにとどめていた。先月、動物病院で定期検診を受けたところ鼻炎であることが判明したため19日から療養し、入退院を繰り返していたという。

2013-08-30

目の前で水分垂れ流してよろけてた女性がいた

おかしいなと思って凝視してたら、電車のホームに落ちそうになったので、抱きかかえる形で助けてしまった。

女性に触れるなんてことここ半年していなかったので緊張した。駅長室に連れて行ったらお礼するんでって連絡先を教えた。

四十代で髪はばらんばらんだったんで恋に発展するとは思えないけど、いいことして気分がいい。

こういうのほっこりしたって言えばいいのかな。

2013-05-25

しか

人気猫はかわいい

飛び込むマルはかわいい

駅長さんもかわいい

にゃらんとその弟子かわいい

はっちゃんかわいい

ラムちゃんと銀くんもかわいい

めんまさんもかわいい

でも、

一番可愛いのはうちの猫たち、と声に大にして言いたい。

世界の中心で叫びたい。

2012-04-11

オウム真理教ナウい教化法”を実践した広瀬死刑囚手紙 vol.6

【vol.5「規範意識を変容させる集団」】はこちら

 これまで四つの観点からカルトについて述べさせていただきました。しかし、「入会防止」の目的なので、それに関連する内容に言及されており―学問的に説明が不十分でもあります―。オウムのすべてが網羅されているわけではありません。ましてや、私はカルトのすべてを論じることのできる立場ではありません。その意味では、本文は「オウムへの入信を防止するための手紙」でしかいかもしれません。

 この理由で、カルトへの入会を防止するためにも実学としてカルトのすべてを知るためにも専門家による著書『マインドコントロールとは何か』(西田公昭 著 紀伊國屋書店)お勧めします。

 また、本文にはオウムの教義の概念が氾濫しているので、皆様にどのように受け取られるか気掛かりでもあります。これまでも、私は多くの方々から質問を受けてきました。説明責任があると思い、できる限り回答させていただきましたが、私どもの愚行をお伝えすることには失敗することが多かったです。殊に宗教経験に係わる話になると、その方の人生経験に沿うように別の解釈をされてしまうことが多々ありました。人は自身の経験に基づいて物事を理解するものですから、無理もありません。

 ですから、この度は説明方法を変え、具体的な描写とそれを説明する文献の引用を加えました。それでも、理解が困難な点があると思いますが、ご容赦願います

 現在、私はオウムの教義や麻原の神格を全否定しています。その正当性の根拠だった宗教経験について、脳内神経伝達物質が活性過剰な状態で起こる幻覚的現象として理解しており、教義のいう意味はないと考えているからです。

 それだけに、いかなる理由があれ人間として許されない罪を犯したことは、慚愧の念に堪えません。亡くなった皆さまのかけがえのない生命は取り戻すことができないこと、ご遺族の皆さま、重傷を負われた皆さまやそのご家庭の皆さまの苦しみが今後も続くであろうことを考えると、後悔の念ばかりが浮かびます

 また、オウムの教義や麻原から心が離れた今、私は無信仰の状態にありますしかし、宗教価値は認めています信仰によって人格を高められた方々が多数いらっしゃるからです。人間には超越的な存在を感じる資質が備わっているのでしょう。それは、人類誕生して以来、いかなることがあっても―権力から弾圧されても、科学が発達しても―、宗教が存続していることが証明しています。その資質によって人格を高めることは、決して否定できません。そして、超越的存在自体も、私などが否定できることではありません。

 「超越的存在も否定できない」と申し上げると、これまで私が述べてきたことと矛盾していると思われるかもしれません。実は、「宗教経験脳内伝達物質が活性過剰な状態で教義のいう意味はない」ということも、私の個人的経験によってそう感じているだけであって、客観真実ではないと自覚しています。私の経験に基づいて、多くの方々にそれを納得していただける程度の説明をすることは可能と思いますが、科学的に厳密な証明は不可能です。元々、この種の概念は、科学的な証明が可能なように定義づけすることができないからです。そのため、カルトの超越的世界観についても、それを科学によって排斥することは、極めて困難です。

 また、前に「禅」の瞑想の例を挙げましたが、それは、オウム技法本質な違いはありません―もちろん、教義は大違いですが―。つまりオウムは多くの文化遺産採用―濫用というほうが正確かもしれません―してきたのです。この場合伝統的に承認されており、有益性もある瞑想技法と“オウム的なもの”として排斥したら、社会問題になりかねないでしょう。そして、この事情はほかのカルトについても同様でしょう。このように、社会的要因によっても、カルトを構成する要素を排斥しきることは難しいのです。

 これらのエアポケットにおいて、カルトはいつまでも生息し続けるかもしれません。

 たとえば最近は、「スピリチュアル」が話題になっています。これはいまだ「カルト」とはいえないかもしれませんが、その超越的世界観が有益なもの有害ものか注意深く見守る必要があると思います。もし、恐怖を喚起する概念が含まれているならば、影響を受けやすい人は日常生活に支障をきたすでしょう。また、「スピリチュアル」が集団化すれば、個人の価値観が相当受容して、社会通念から逸脱した行動をとる人も現れるかもしれません。

 以上の状況においては、結局、各個人が「カルト」を理解し、その基準を定めるしかないでしょう。本文が少しでもそのお役に立てれば、幸いに思います

 平成二〇年六月二五日  

 広瀬健一  

 平成二〇年一〇月二七日改訂


【vol.1「カルトに係わる契機」】へ戻る。

 

 

◆参考記事リンク

 『広瀬健一 - Wikipedia』

 『摂理資料』

 『駅長日記:サリン事件実行犯広瀬健一氏の手記をUPしました』

広瀬健一氏の直筆手記、PDFへの直リンク

 『オウム元信者広瀬健一氏の手記「学生の皆様へ」』(2008年公開)

 『オウム真理教元信徒広瀬健一の手記を一部公表。順次追加』(2011年~公開)

◆皆さんに読んで欲しい記事リンク

 『悪い知識は大切 - レジデント初期研修用資料』

 『やる夫とAAで学ぶオウム地下鉄サリン事件』

2011-11-18

別れ 井上靖

河北省の京漢線・元氏駅の土間で、私はアンペラの上に仰向けに倒れていた。銃一挺を抱くように持ち、外套を頭から被って、眼を瞑っていた。

この何日か、衝心性の脚気の発作が烈しくなったため、今朝、雪の中を南下、行軍して行く部隊と別れて、この元氏駅で北上して行く列車を待っている。列車に石家庄駅まで運んで貰い、そこで下車、最近設けられたと聞く石家庄野病院入院する。

──これが自分が選んだ自分を生かす、ただ一つの道であった。これ以外、生き得る方法はなさそうであった。部隊の軍医も、看護兵も、また同じ意見であった。

私が仰向けに倒れている元氏駅には、中年歩兵上等兵駅長として、これまた一人、アンペラの上に胡坐をかいたり、そこらを歩き廻ったりしている。駅長と言っても、他に駅員が居るわけではなく、ただ一人、駅に配されている。

一日に三、四本入って来る軍用列車を迎え、送り、それをどこかに、電話で連絡するだけの仕事を受持っているようであった。

夕方、彼は病兵の私のために夕食の支度をして、飯盒と罐詰を持って来てくれた。その時、二人は初めて、壊れかかった石炭ストーブに手をかざしながら、言葉らしい言葉を交した。

──夜、七時過ぎには、一応列車は来ないことになっているので、七時になると、俺は俺で、そこらの壕に入る。壕の方が、幾らか寒さは防げる。お前さんも、好きなようにしてくれ。このまま、ここに居たければ、ここに居ればいい。

──ただ、どこへ行ってもいいが、臨時の列車が来ないものでもない。臨時であろうと、なかろうと、上りが来たら、お前さんは、それに乗ることだ。おとなしくしていたら乗れない。しがみついてでも、乗っちまうことだ。

──そうしないで、こんな所でうろうろして居てみろ。お前さんの場合は、いいところ三日で、まあ、お陀仏だな。

そんなことを喋っている時、遠くに銃声が聞えた。

──ああいうのは、大丈夫毎日、今頃になると、撃ってくる!撃たしておけばいい。近寄っては来ない。だが、すっかり昏れてしまうまでは、線路の向うには行かない方がいい!

駅長は言った。

いつも、お前さんはここに一人か、と私が説くと、

──ここに来て、まだ五日ほどだ。咋日までは、自分の隊から離れちまったのが、四、五人、ごろごろしていたが、それぞれ、みんな、昨日のうちに、列車で、前線の己が部隊へと向った。すると、替って、今日はお前さんがやって来た。病人でも、まあ、居ないよりはましだ。

実際に、病人であろうと、なかろうと、居ないよりはましであるに違いない。こんな大平原のただ中の、ちっぽけな駅に、一人で置かれたら、気でも狂う以外、どう仕様もないだろうと思う。

結局、夕近くなると、二人は駅の小さい建物から出て、その横手に掘られてある帯状の、細長い塚の中に入った。かなり深く掘られであるので、待合室に居るより、寒さは多少ましだった。

それに、列車が来れば、すぐその音が響いてくるので、そこから直かに、ホームに上って行けばよかった。

二人は、それぞれ、壕の中に己が寝所を造り、身を横たえて、外套をかぶった。いつか、雪はやんでいる。どれだけの時間が経ったか、知らない。

──おい、起きろ。

その声で眼を覚した。

──夕焼がきれいだ!こんな夕焼は、めったに見られるものではない。こんな所に、ばら撒かれていればこそ、こうしたものにも、お目にかかれるというものだ。まるで、天の火事だ!

私は黙って、夕焼を見ていた。駅長が騒ぐだけあって、西の空は真赤に焼けただれ、それが大きく拡がっていた。確かに、今までに見たことのない、壮大な天の火災であった。今朝、別れた部隊は、どこで、この天空大火災を見ているのであろうか、と思った。

それから、また眠った。

その夜、十一時、北上する臨時の貨物列車が入って来たので、壕を飛び出した。いつからか、また雪が降っている。待ちに待った列車に乗り込もうとしたが、容易なことでは乗り込めなかった。雪をかぶった無蓋貨車で、どの車輌にも、やたらに梱包が積み上げられてあり、何人かの応援でもない限り、そこに身を移すことはできなかった。

駅長はホームを駈け廻り、私を乗り込ませる車輌を物色し、自分も半ば、それに乗り込むようにして、私を引き上げたり、押し上げたりして、どうにか私を、車輌の一つに乗り込ませてくれた。

列車が動き出してから、私は世話になった駅長名前も、所属している部隊名も聞いていないことに気付いた。気付いた時は、もう遅かった。駅長は、長い、これほど長いとは思わなかった、長いホームに一人だけ立って、手を振っていた。“孤影”とは、この時の、彼のために造られた詞であった。私もホームに向って、手を振ったが、私が手を振るのが、駅長の眼に入ったか、どうか。

私は、私の八十年の生涯で、“別れ”なるものを一つ選ぶとすると、昭和十二年十一月の、この元氏駅に於ける、深夜の駅長との別れということになる。私はある時、ある所で、ある人と別れたのである。本当に別れと言える別れを、異国の小さい雪の駅で経験したのである

2010-07-16

http://anond.hatelabo.jp/20100716152152

駅長は集団の上司じゃねえ(キリッ

それが反論なの?w

駅長が集団の上司じゃなかったらどうして「早く歩け」ってアナウンスしてくれないの?w

反論っていうなら「駅長に言っても問題は解決しない。なぜなら~」とかの形で言ってくれないとさー。

http://anond.hatelabo.jp/20100716150447

駅長にでも訴えれば?

「とろとろ歩いてる奴が邪魔なので急ぐようアナウンスしてください」って。

そうすれば集団の意識の多数の合意とやらによって、駅長も快く受け入れてくれるさ。

2010-04-14

尿意を抑えられず、物凄く汚い駅のトイレに入ったら

赤外線センサーの所に

「いつもトイレを綺麗に使ってくださり、ありがとうございます。 駅長

と書いてあった。

駅長に惚れそうになった

2010-02-06

ttp://eunheui.cocolog-nifty.com/blog/2010/02/post-bf4d.html

駅に泊まろうとする野宿者が追い出される一方で、駅に住み着いた猫が駅長に抜擢されたりする

2009-10-29

その踏み切りは山の入り口にあって、その線路を越えると生い茂る木々の間を進む坂道に道は繋がっていた。辺りに家や建物は見当たらなく、人気のない細い道を進んだ末に、山と裾野をとを分断するようにして無機質に佇んでいた。

一体何の理由があってここまで来なくてはならなかったのか、廃線と紛う線路を目にした瞬間に忘れてしまったのだけれど、私はその踏切の真ん中に一頭の羊を見つけていた。

羊は、例えば山羊とか鹿みたいにほっそりしていたり、大きく悪魔的に曲がった角を持っていたわけではなく、もこもことした乳白色の毛並みや、じっと私の顔を凝視しつつも咀嚼することを止めない泰然たる様にしてみてもまさしく羊そのものであって、いやいや待てよ、どうして東北の人気もなければ人家もなく、ましてや畜舎があるわけでもない山間に羊なんぞがいるのだ、という疑問すら吹き飛ばしてしまうほどに、間違いなく羊そのものであった。

私はしばらくの間羊と睨み合っていたのだと思う。最中、辺りには誰こなかったし、風ひとつ吹きはしなかった。ただもぐもぐと続く咀嚼と、固まったままの私の眼球とが対峙しているだけだった。

やがて、つうっと羊が前を向いた。そして、そのまま線路を歩き出す。足取りは思いのほかしっかりしていて、とてもこの地に馴染んでいるように見えた。そんなことはありえないと思うのだけれど、どうやら羊はこの辺りに長らく住んでいるようだった。

私は麓の高校に通っているけれど、三階の窓からいつでも見ることのできるこの山間に羊が住み着いているだなんて話は一度も聞いたことがなかった。おそらく、噂にすらなっていないのだろう。羊は誰にも知られることなく、それでいて確かにこの地に根を下ろしているようだった。

呆然と歩き始めた羊を見つめていた私を、ふいに立ち止まったもこもことした乳白色の塊は振り返る。じいっと見つめられる眼差しには何かしらの意図が含まれているような気がしたけれども、生憎私は気が狂うほどに動物が好きと言う訳でも、羊の言葉が分かる隠し能力を持っているわけでもなかったので、一体全体羊がなにを思って、どうして私に伝えようとしているのかが分からなかった。

けれども、何となくだけれど、ついていけばいいような気はした。きゅぴんと電撃が迸るようにして脳内言葉が、煌々とネオンを灯し始めたのだ。

羊は、私をどこかに導こうとしている。

予兆めいた直感は、けれど一度頭の中で腰を吸えると、俄然とそれらしい輝きを放つようになり、他の候補、例えば羊がさっさと私に消えて欲しいと思っているとか、私にでんぐり返しをして欲しいと思っているなどということをことごとく眩ましてしまった。

ごくりと生唾を飲み込んでから、私は一歩その場から踏み出してみる。踏み切りの真ん中で進路を羊の方へと定めて、ショルダーバッグの帯をぎゅっと握り締めた。

様子をじっくりと観察していた羊は、私が背後に立ち止まったことを確認すると再び歩き出した。ざくざくと、石を刻む音が再開する。一度大きく息を吸い込んでから前を向いた私は、意を決して足音を重ねることにした。

羊はもそもそと、遅くもなく早くもない歩調でずんずん線路を進んでいった。まるで、私の歩調に合わせているみたいだった。どれだけ歩いても羊との距離は縮まらず、また決定的に離れることもなかった。

沈黙以上に冷たく張り詰めた静寂が線路の上を覆っていた。そこで許されている音は足音だけで、ぎりぎり呼吸をする音が認められているぐらいだった。呼び起こされたへんてこな緊張感に、私はいつの間にか歩くという行為だけに没頭せざるを余儀なくされていた。

ざくざくと石を刻みながら、私は段々とどうしてこの線路の前にやって来たのかを思い出し始めていた。

帰り道。友達を分かれた後歩いていた住宅路の角に、するりと移動した後姿を見たような気がしたせいだった。消え去る影が、一週間前忽然と姿を消した家猫の背中に非常に似通っていたのだ。名前を呼びながら、いつの間にか私はその後姿を追い始めていた。

角を折れるたびに、小さな後姿はもうひとつ先の角を曲がっていた。右に左に。途中から肩で息をして、私は懸命に後を追っていた。待って、まださよならも言えてないのに、急にいなくなるなんて酷いよ、といろいろなことを考えながら。

そして、あの線路のぶつかったのだった。そこに、目の前の羊がいた。

ふと辺りを見渡す。知らない間に景色が一変していた。左手に見えていたはずの町並みは消え去り、左手にあったはずの藪もなくなっていた。

私はどこまでも続く杉林の中を歩いていた。しっとりと霧が立ち込めていて、先を行く羊の姿はおぼろげに曖昧になっていた。

更にもう少し歩いていると、やがて見知らぬ無人駅に辿り着いた。立ち止まり、呆然と見上げる私の背後から、プオープオーと汽笛の音がし始める。慌てて線路から無人駅へとよじ登った私は、滑り込んできたSLを前にして口に出すべき言葉が見つからなかった。

車窓から、様々な動物達の姿が見えた。例えばそれはイヌであり、ニワトリであり、リスであって、ワニでもあった。あるいはゾウであり、キリンであり、ライオンであり、クジラでもあった。サルも、キンギョも、ヘビもいたのかもしれない。ありとあらゆる動物が乗り込んだSLは、けれどもその形状を変容させることなく、全ての動物を受け入れていた。

というのも、動物達は一様にして似たような大きさにまとまっていたのだった。人間で言うところの大人ぐらいの大きさ。また、ある動物眼鏡をかけて新聞を読んでいて、ある動物煙草をふかしていて、ある動物ウォークマンを聞いていた。人が動物になっただけで、車内の様子は一般的な汽車のそれと寸分の変わりがないように見えた。

「えー、米田ー、米田ー。停まりました駅は、米田でございます。まもなく出発いたしますのでー、お乗りのお客様は乗り遅れないようお願いいたします」

らしい抑揚をつけたアナウンスが構内に谺する。見れば、青い制服を着込み頭には帽子を被った羊が、拡声器を使って無人駅を歩いていた。

様子から、羊が駅長なのらしいことが分かった。代わる代わるやってくる乗客から切符を受け取り、ひとつひとつ丁寧に切ってはSLに乗せていく姿は、なるほど、結構様になっているように見えた。

いまだ呆然と、なにをどうしたらいいのかすら分からないまま、私は一連の出来事を見守り続けていた。これは、一体なんなのだろう。純粋な混乱の最中にあった私は、その瞬間に一気に神経を一点に集中させた。

SLに乗り込む乗客の中に、いなくなった家猫の姿を確認してしまったのだ。

「ミーコ!」

思わず叫んでいた。駅長の羊から切符を返してもらったミーコは、そっと困ったような表情で私のことを見返してきた。

眼差しは、多分の物事を語ってきていて。

そっと視線が外れ、静かにSLに乗り込んだミーコの姿に、私はもうかける言葉を見失ってしまっていた。

汽笛が高らかに蒸気を吹き上げる。

「えー、間もなく、間もなく、新町行き米田発の汽車が発車いたします。危険ですので、白線の内にてお見送りください」

アナウンスが終了すると、SLはごとん、ごとんと動き始めた。私は駆け出して、窓からミーコの姿を探し始めた。けれど、座席一杯にひしめきあった動物の中からミーコの姿を探すことは容易なことではなかった。まだ速度の出ていないうちに、ひとつでの多くの窓から探そうと、私の足は駆けていく。

けれども、やがてSLはスピードを増して、徐々に私が遅れていってしまう。

「ミーコ。ミーコ!」

呼び声だけが、虚しく響くばかりだった。SLは駅を走り去っていく。後姿を、私は込み上げる悲しみと共にいつまでも見続けていた。

その後、どうやってあの米田駅から帰ってきたのかは分からないのだけれど、私はいつの間にか線路を戻ってきていて、再びあの踏み切りの場所にまで辿り着いていた。

夜は更けていて、辺りは真っ暗だった。風は冷たくて、全身が氷付けになったみたいに寒かった。早くお風呂に入りたい。それからミーコの写真を抱いて、ぐっすりと眠りたかった。泥のように、あるいは死人のように。睡眠は死界に一番近づける状態なのだ、夢の中でならミーコに会えるのだと信じていたかった。

踏み切りから細い道へと進路を変える。町へと降りていく道をしばらく歩いてから、そうっと背後を振り返ってみた。

りんりんと鈴虫が鳴く闇夜に、月光だけが照らし出す踏み切りは少しだけ幻想的に映っていた。

再び踏み切りから視線を前に向けた瞬間、私は確かに踏み切りの中央に羊の姿を見ていた。

プオープオーと響いた汽笛は、微かに夜風を震わせていた。

2008-11-13

間違って女性専用車両に乗ってしまいました

先日、誤って女性専用車両に乗車してしました。久しぶりに怖かったです。

問題は私がその車両に乗り込む時に、女性専用車両と気付かなかったことで、少なくとも周囲の人は私が乗車した時から気付いていたようです。

風邪のためボーッとしていて、妙に女性が多いなとは思いましたが、気付いた瞬間に驚きました。

まず女性専用車両がどの車両かということが、いつも乗る電車なのに完全に、頭から消えてしまっていました。私以外男性はいませんでしたが、高熱を押し通勤していたのと車内が混雑していたため、クラクラする頭の中は早く到着しないかという思いで一杯でした。もう40代のサラリーマンですので、体力的にも余裕がなく、明らかに病人の私に誰か席を譲ってくれないかと思っていました。

ボーッとしている間に電車は出発しましたが、すぐに頭がガンガン痛みだし、周りの音もグワングワンとしてきて、このまま意識を失うのではと思いました。私は最後尾の車両の一番端のドアに近いところに立っていて、周りの若い女性達に、病人である私に席を譲るべきだろうと内心腹が立つ思いでした。

ですが、譲るべき、と心の中で断定した後で(妊婦の方だったら? いや、それ以前に自分が逆の立場だったら?)と気になりました。通勤時の混雑した電車です。いつもの私だって出来ることなら座っていたいと思うでしょう。自分が座っている側だとしたら、見て見ぬふりをしたかも知れません。また、席を譲る気恥ずかしさもあるものです。

そういえば、先月見かけた老人に席を譲っていた男性もそうでしたが、病人や老人がいると知ると駅に電車が着いた時に、さりげなく乗り換えるふりをして席を譲ってくれる方もいるので、期待していました。ですが電車は二駅を過ぎても席は空かず、それどころか、周りの人はこちらをチラチラ見るだけで、席を譲る素振りも見せてくれませんでした。そのため私は席が空いたらすぐに座れるように、車両の中程まで移動しました。

それからしばらくの間、しきりにアナウンスが何かを言っていたのは覚えています。その路線で通勤するようになって一年半、はじめてのことです。何かあったのかとも思いましたが周りは騒いでいないようなので、きっと大したことではないだろうと思い、ボーッとしたまま立ち続けていました。やがて駅に着いたので、邪魔にならぬよう一度降りるか迷いましたが、この位置なら大丈夫だろうと思い動くのも億劫だったので立っていたら、肩を軽く叩かれました。

女性専用車両ですよ」と告げられた時には、最初何を言われたのか理解出来ず、頷くことしか出来ませんでした。てっきり降りるのに邪魔だからどいて下さいと言われるのかと思ったら、予想外のことを告げられたのです。慌てて正面を見ると、確かに通勤時間はこの車両女性専用車両になる旨が貼られていました。恥ずかしさで顔から火が出る気持ちでいると、そこに駅員さんが二人駆けつけていました。

女性専用車両です」痴漢と間違われたのでしょうか。必死な様子で駅員さんがそう告げてきました。慌てて私は降車したのですが、恥ずかさを誤魔化す為つい「先に言えよ」と横柄に駅員さんに向かって言ってしまい、そのまま歩いて行ってしまいました。先ほど車内で、肩を叩いて教えてくれた女性お礼を言う前に立ち去ってしまったので、間違えて乗り続けた恥ずかしい奴と思われたか、あるいは痴漢と誤解されたままかはわかりません。

私はもっと素直に謝るべきだったなと思いましたが、例えば「気付きませんでした。すみません」という言い分が通るとも思えず、つい照れ隠しで横柄な態度を取って足早に去ったことを後悔しつつもどうすれば良かったのかわかりませんでした。痴漢えん罪の話なども聞いていたので、その後は恥ずかしさが恐ろしさに変わり会社に到着した後も緊張状態ではあったのですが。

でもなぜ車両を間違えただけでこんなに怖いのかと考えてみたんですが、恐らく、

  • 周りに女性が多く、もし誰かが痴漢されたと被害を訴えたら、微動だにせずそこに立っていただけでも信じて貰えなかったであろうこと
  • 恐らく風邪を引いていたせいだろうが、周りに女性が大勢いる状況を異常とも思えず、自分が正常な判断力を失ってしまうこともあり、些細なことで身の破滅を招くのではという可能性
  • 二駅以上乗車していても誰も注意してくれず、いざ注意して貰った時には駅員まで呼ばれていて、大事になってしまっていた

このあたりが原因じゃないでしょうか。

女性専用車両のお陰で、痴漢えん罪を恐れる私のようなおじさんは安心して電車通勤出来るようになったはずなのに、逆に誤って女性専用車両に乗ってしまった時はどんな言い訳も通用しなくなってしまうとか、女性専用車両に限らず一般車両でも悪意を持った女性に囲まれた時点でえん罪の証明は不可能になるとか、ちょっと注意してくれれば済むのに注意された時は駅員が来る時ということは、今回はたまたま助かっただけであのまま駅長室に連れて行かれたなんてこともあり得たとか、考えすぎるほど考えてしまいました。

無論間違えたこちらに非はあると思いますし、同車した女性達にも不快な思いをさせてしまったと思っています。あっさり終わったから笑い話で済むものの、後味が悪く当日中思い出しては顔を赤くしていました。その後は上記のようなことを考えて、むしろ恐ろしくすらなりました。

理由が思いつかなくて困りましたが、「わざとやったんだろう」と過失の行為を咎められたときに似ている感じです。わざとじゃないのに、それを証明できないあの感じ。

長々と失礼しました。

最後に、肩を叩いて教えてくれた女性には、本当に感謝しています。きっと、声をかけるのは相当な勇気が要ったでしょうに、声をかけて頂き、大変感謝しております。

お礼も言えずに去ってしまって、本当に失礼なことをしたなと思っています。

出来れば、これからも、私のように車両を間違えて乗ってしまう馬鹿者に、暖かく声をかけ続けて頂きたいと思います。

http://anond.hatelabo.jp/20081108204813

2008-02-23

ながい時を賭けて

時間に1本の列車が走る程度のローカル線で、経営も決して良くはない。

そんなとある地方鉄道の全駅で、乗車記念はがきというものが発売された。

はがきには、小さく「このはがきは、普段からこの鉄道をご利用していただいていることを証明するものです」と書かれていた。

このはがきは、観光客たちや鉄道好きらに、人気を集めた。

ある日、こんな発表がされた。

廃線することになりました」

「最終日は混雑解消のため、整理券を配ります。(乗車記念はがきをご利用の方や地元の方は、優先します)」

もちろん、葬式鉄((廃止が決まった鉄道路線や車両を乗る鉄道きのこと))たちも増え、この鉄道を訪れる人は、以前より増えた。

そして、最終日。

かなりの人が来ていた。もちろん、混雑している。

列車に定員があったため、はがきを持っていなかった。もしくは捨てた鉄道好きらは、ほとんどが乗れなかった。

抗議する人も居たため、こんなアナウンスがされた。

「皆様、本日は大変混雑し、ご迷惑おかけしております。当鉄道では、この路線を愛する方々がお別れの挨拶をできるように、乗車記念はがきをお持ちの方を優先しております。ご迷惑をおかけしますが、ご了承ください。」

もちろん、ほぼ全員がこの鉄道を愛しているという気持ちでいたため、さらに抗議が殺到。駅長がこういった。

「本当に愛しているのであれば、なぜ日常的に利用していただけないのでしょうか?本当に愛しているのであれば、なぜ乗車記念はがきをなくすようなことがあるのでしょうか?

この鉄道本日で最終日ですが、日本のどこかに、まだ廃線の危機を迎えている路線はたくさんあります。今来ていただいても、手遅れですから、皆様どうか他のローカル線に乗って、廃線しないようにしてください」

いかにも怒っているかのような口調で発せられたこの言葉は、のちに物議を醸し出したが、実は駅長の計算通りだった。

鉄道を愛してやまない駅長は、数年前から記念はがきという伏線を張り、他のローカル線を助けようと考えていた。

当然、そんなことうまくいかない。でも、心だけでも動かせれればいい。いずれ、多くの人が共感してくれるはずだから。もしかしたら、ひとつでも、ローカル線を救えるかもしれないから。駅長はそう考えていた―――――

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