はてなキーワード: 資本家とは
青識亜論はようあんな奴らと対話するわとは思うんだけど、ツイフェミと対話してて、ツイフェミが青識をやり込めようとしてフェミニズムのよって立つ前提を投げ捨ててかかってくるのをそれはいかんよ君らそれをやってしまってはフェミニズムじゃないではないか、といういつもの定番カウンターを決めてること自体が、ピケティの最新作のいうアレになってないかっていう気がする。
頭の弱いバラモン左翼であるところのツイフェミは、頭のちょっと強い青識にバラモンとしての力で負ける。ツイフェミは文化資本に劣っているからツイフェミなんである。
正当な能力闘争だけどさ、頭を強くする機会を手に入れられなかった弱い女を頭強くなることのできた男がボコボコに議論の土俵で打倒している。
これはフェアなことなんか?人権とか法とかが追い付いていない状態の資本家が労働者をぼこぼこに酷使していたこととちょっと似てないか?トランプ支持した貧乏な白人たちに起きていたことと似てないか?と私は思う。
ツイフェミに目の敵にされてる側の私が何言っても無力だけど、ツイフェミはかわいそうな弱者として強者にパパになってもらってよしよしされるべきなんじゃないか?
よしよしが足りないからツイフェミは私(正確には私が射程に入った広い範囲)を殴ってくるんじゃないか?
ツイフェミという名のテロリストがテロを起こして私を攻撃してくるのはよしよしいいこだねが足りてないからで、足りたら攻撃してこないんじゃないか?
青識の正論カウンターがばっちり決まることでよしよしいいこだねを減少させ、結果私はより多く攻撃されているのでは?
あんなに頭の弱い人たちを対等な論客扱いしていることは良いことなんだろうか?青識には良いことなのかもしれないが、私にとっては良くないのでは?
青識の言動を胸がすくなあと思って手を叩いて喜んでいる場合ではないのでは?
とそんなことを思った。
まあ違うことをしようとしたってさ、ツイフェミに対してよしよしいいこだねを誘導発生させるなんて芸当は私にはできないんだけどさ。
一戸建てに住んで子供も持って家族旅行できるだけの時間的余裕と経済力のある車いす女性と、
安アパートに住んで時給いくらで働いてる現場駅員(今のJRの駅員は外郭子会社の非正規雇用ばかり)だと
前者が圧倒的に資本家だな
女性の方やフェミニストが見ると不快に思うだろうから、見ないようにしてね。
弱者男性の願いってさ、結局「自分も女みたいに楽したい」なんだよな
一般女性には申し訳ないけど、実際女って楽なんだよ。貴族と一緒。
大体その悩みの多くが恵まれすぎ故の悩みなんだよ。だから辛い辛い言いつつ自殺しないし犯罪被害も男より低い。
生まれてから女って言うだけで暴力に晒されにくく、守られ、被害を訴えれば皆同情して環境を整備してくれる。男なんて2017年になるまで「強姦罪」の対象にすらならなかったからな。
人生の中で大きなウェイトを占める恋愛に簡単にアクセスでき、世の中の資本が最終的に女に回収される
特に努力しなくても「子供を育てる」という重要な役目を担うことが出来るし、その道を選ばず労働に人生を捧げる選択肢もある
しかも男に養ってもらえる可能性だって高い。昭和の時代だって、なんだかんだ言ってちょっと優秀ってだけで周りが神輿担いで留学資金出したりしてたからな
やろうと思えば男よりかなりいろんな地位や環境にアクセスできるわけだよ。現代は「女性の被害者史観」が優勢だけど、「男性の加害者史観」の方が事実としては正しいと思うよ俺は。
そんな弱者男性が女をうらやむのは当然だと思うけど、でもな、そんな弱者男性が救われる事はこの先無いと思うんだ。
なんで近代に入って「女性の社会進出」が進められたのかって、そういう「女の楽」が資本主義にとって邪魔になることに気付いたからなんだよね。
資本主義は「男も女も楽になろう」って方向には進まなかった。
「社会進出」っていい事みたいに言われてるけど、「労働」というものは正直、現代においても良いものとして扱われてないだろ。
当たり前だけど専業主婦なんて子育て終わったらただのお荷物、社会の負債でしかない。「守られた幸せな女」なんて邪魔でしかないわけだよ。
だから今やってる事は、「社会は素晴らしい」というプロパガンダを打ち出して、女を戦場へ突っ込む事なんだよ。
そこで男を「女みたいに楽にさせる」わけないだろ?
そもそも女が楽に出来たのは、生まれながらにして「女としての価値」があったから。女としての価値を無くそうとしているのに、女としての価値すらない弱者男性がこれから先どうやって、
無理なんだよ。だから結局弱者男性に出来る事は、二次元でシコって犯罪せずに大人しく死んでいく事。男女平等が進んでも、みんな苦しくなるだけで救われる人は資本家だけ。
国は最も効果が大きいところに金をかけるわけ。
フェミニズムというかマルクス主義フェミニズムと言った方が正確だろうが。
マルクス主義には、階級闘争史観という歴史の見方があって、資本家が労働者を搾取してきた、
ここで注目したいのは、資本家とか労働者とかの階級の中にどれほどの多様性があるのかは、
まったく考慮していないという点。
資本家といっても世界的なグローバル企業から、町工場みたいな中小企業まで全部資本家だけど、
資本家と、労働者の関係を、男性と女性に置き換えたのがマルクス主義フェミニズム。
男性とは全員搾取するもので、個人個人の男性が実際にはどんな生活をしているのかとかは全然見ていない。
だから、「弱者男性」のような、男性カテゴリーの中にもいろいろいるという点を指摘されても、
バグって理解できない。それで、苦し紛れにあてがえ論とか言い出す。
なぜ政治家、つまり社会の上層部は特定の弱者を助けようとするのか。
助けないと団結して暴れて困るからだ。
部落とか、障害者とか、女性とか、歴史を紐解けば、被差別者は差別に抵抗して相当過激に暴れたことがわかる。
ここで、政治を理解していない馬鹿は、たとえ抑圧されても暴れるやつは悪い、などという。
だが、暴れたからこそ、無視できない政治圧力を持つことができたのだ。
かつては労働者も団結して世界中で暴れた。だから資本家も無視できなくなり、譲歩した。
それがなくなってきたので、だんだん資本家も好き放題やるようになる。
翻って、現代の弱者男性はネットでブツブツ言うだけで、おとなしく働き、死んでいく。
お互いの仲も悪く、リアルで団結しないのはおろか、ネットでも喧嘩ばかりだ。
そんなしょぼい暴力でストレスを発散しても、それを口実に連帯責任を問われ、リアルではますます抑圧される。
団結し、現実で行動する。
それこそが唯一の道である。
などという疑問を抱く時点で後れを取っているのだ。
自分語りをさせてもらうと、僕は幼稚園の頃から勉強ができたので、親族や先生や同級生からとてもとてもちやほやされた(客観的に見てどうだったかは知らん)。幼いころから勉強ができることのメリットを感じまくっていたので、勉強の価値を疑うということが無かった。勉強ができること、すなわち頭が良いことこそ至上の価値があるという一種の信仰を持っていた。刷り込まれていた、と言ってもいい。
それを刷り込んだのは教育に命がけだった母の影響が大きく、情緒不安定なところのある彼女は、普段は聖母のような包容力を示すことがある一方で、息子が勉強を疎かにすると神罰を下すのだった。小1の頃、「三角形の内角の和は180度なんだね~」と無邪気に告げたところ(褒められると思ってた)、「なんでそんなことも知らなかったの!」と、叱声とともに回し蹴りされたことは今でも根に持っている。
なんて書くと毒親!と思われそうだけど、普段は別に高圧的でもないし話もしっかり聞いてくれるしで良い人だったと思う。ただ本当に情緒不安定というか癇癪持ちだったので、飲食店での喫煙は当たり前だった当時に、隣席の喫煙者に喧嘩売って出禁になった、なんてこともある。突発的に他人に喧嘩を吹っ掛けることがままあり、子供としては気が気ではなかった。ただ、その怒りも母が隠していた病気によるものでもあったのだろう。病状が悪化してついに隠せなくなっても「受験が終わるまでは」と病院に行くのを渋り、父に強制連行されてはじめて末期癌だと分かった。母は教育に命がけだったのだと、心から思う。女子の大学進学率が20パーセントを切り、女性は勉強なんてしなくてもいいと言われていた時代に、母はその風潮を押し切って田舎から上京し、東京理科大学に進学した。両親は小卒、上二人の兄は高卒なので、突然変異の様相がある。
母の話が長くなったが、ともあれ勉強のできる層というものは、そもそも勉強の価値には疑問を抱かないものではないだろうか?もちろん面倒になってサボることはあるけれど、それは体に悪いと分かりつつ家系を食べるようなもので、勉強すべきという前提は疑いなくあるのである。疑問を抱く時点で後れを取っているというのはそういう意味だ。(なので僕の持論として、子供には就学前に漢字と九九を叩き込むことで、勉強できることで得られる優越感を早めに覚えさせることが重要)。
そのように当たり前に勉強をしていた層にとっては勉強する意義などそれこそ言うまでもないことだし、逆に意味などないという結論に至ることもまた自然だろう。
以上を踏まえて、そのうえで「なぜ勉強をしなくてはいけないのか」への答えを考えてみたい。その際に大きく分けて、(1)勉強の価値が分からない人(2)勉強の価値自体は分かっている人、それぞれに向けた答えを用意すべきだろう。このうち(1)については書いててアホらしくなったので割愛する。一つだけ言うと、知見が広がるとか知らないことが分かるようになるとか人格が陶冶されるとかいった答えはビール飲めない人にキレやらコクやら説明するぐらい無意味。
重要なのは、そもそもの問い「なんで勉強しないといけないのか」は多義的だということ。
すなわち(1)「なんで勉強(なんてものを)しないといけないの?」(2)「なんで(こんな)勉強しないといけないの?」の二つ。
これは勉強そのものの存在意義に疑問を呈していることになるのだが、発問者が勉強の価値は分かっているという前提を踏まえると、「大切なのはわかってるけど生理的に無理」という状態である。こういう状態のときは発問者に勉強の楽しさに立ち返らせるか、あるいはもう休ませるほかない。
この問いに関しては、「こんな」の意味内容によってさらに二つに分けられる。「こんな」が勉強方法を指す場合と、勉強対象を指す場合とである。
前者の場合暗記が代表例だろう。暗記にうんざりして勉強が嫌になるというのは一般的だと思う。それに対し僕なりに思うのは、九九を覚えていなくて計算できるか?単語を覚えてなくて文章読めるか?年号覚えてなくて歴史の流れ分かるか?ということ。数学の公式なんかがいちばん分かりやすいけど、暗記は発展的応用的な問題に取り組む際の補助ツールなわけで、全部一瞬で足し算出来たり文脈からあるいは語形成から意味を正確に読み解けるような天才でもないなら寧ろ感謝するべき。全く勉強方法というものは凡人でもなんとかついていけるように先人が遺してくれた財産なわけで、そのありがたみをかみしめましょう。
最後に後者。代表例はよく槍玉にあがる古文漢文。僕は古文漢文大好きなので、純粋に読んでて楽しいとか、一般教養としてとか言いたくもなるけど、まあ不要だと思うならやらなくてもいいんじゃない?友人に古文漢文を一切勉強せず東大行った奴いるし。ただ彼は数学と化学が河合偏差70超えてるような人間だったけど。ちなみに今になってやっとけばよかったと勉強している。
結局ずば抜けた能力のある人間なら、古文漢文やらなくていいし暗記にも頼らなくていいし、あるいは家柄が凄ければ内閣が立法府だと思っているような馬鹿でも総理大臣になれるわけだし、勉強なんてしなくても良いと思うんだけど、家柄が並みで親が資本家でもなくスポーツや芸術の才能も無くずば抜けた頭脳も無い凡人にとって救いになるのは勉強だよねってだけの話だった。
https://anond.hatelabo.jp/20210314183940
これとか見てもらえれば分かるけど「性的」言葉をつけた造語がやたらめったら使われている。
例えば「性的消費」なんて言葉が使われているが、この言葉の意味を定義してる先生や本は俺の知る限りない。みんなそれぞれの都合に合わせて適当に雰囲気で言葉を使ってる。
学問領域によっては定義付けが難しい言葉は存在する。ただそれでも定義付けそのものをしていないのはさすがに恐ろしい。
みんな雰囲気で使うから当然話も噛み合わない。そんな事しても不毛な堂々巡りを繰り返すだけだ。
例えば「性的搾取」なんて言葉があるが、搾取はざっくりと言えば本来労働者が生み出した富や生産物の一部を資本家が無償で取得することをさすマルクス主義用語だ。これを理解すると性的搾取という言葉の頓珍漢さが少しは分かると思う。性的搾取を無くしたければ資本家を介さないパパ活に従事すれば良いだけになってしまう。
このように雰囲気で言葉を使うからめちゃくちゃな言葉が生まれ、乱用される。フェミニズムはまず言葉の定義付けをしないとダメだ。
昔々イギリスの産業革命からしばらくの間、経済活動においては資本家が圧倒的に有利であった
資本家が自分の資本を元手に事業を起こし、労働者を雇用したが、
労働者には最低限死なないだけの賃金を渡すのみで、残りの利益は全て資本家が独占した
それでも仕事がないよりはという足元を見られて、生きるか死ぬかで労働者はこき使われ続けた
流石にこれは間違ってるんじゃないか。そういう問題意識からマルクスは共産・社会主義の理論をまとめた
やがて世界は共産主義と資本主義の二大陣営に二分されて冷戦の時代を迎えるわけだが、結果的に共産主義は崩壊した。
しかし、共産主義に驚異により資本主義も自分たちの経済理念に見直しを迫られて、
やがて労働者の権利は法律により保護され、資本家の横暴は規制された
ウーバーイーツは法の網の目を掻い潜り、労働者を自営業扱いすることにより、労働者の保護を事実上放棄している
現在の実態はともかく、金は天下の回りもの、というように、お金は社会を循環する「血液」だと私は思っています
血液なのだから、社会という身体全体に行き渡らなければ意味がないですし、
動脈硬化とか、血管が詰まってしまうと身体の一部が壊死するように、社会の一部も同様に壊死してしまいます
よく、資本主義が悪い、みたいに言う人がいますが、根本的にはそんなに悪い仕組みだとは私は思いません
なぜなら資本主義だからこそ、分業が可能になり、価格もそこそこで、スーパーで手軽に食材が手に入るようになるからです
問題なのは、神の見えざる手だけに任せてしまっていいのか、資本家や経営者が暴走しないのか、
市場も国や誰かが人為的に崩壊しないように管理しなければいけないのではないか、とかそういう点にあると思ってます
つまり、資本主義自体は原理的には悪い仕組みではないのですが、放っておくとそれが暴走したり、
その仕組みを悪用する人達がいたり、しかしながら、それを中国のように国家が思うがままに介入するのもどうよ、
みたいに問題が山積みであり、最初に書いたように、それによってお金という社会の血液がどこかに偏って蓄積されたり、
お金という血液が行き渡らない箇所の労働者が苦しんだり、そういう点にあると思っています
資本主義が悪いように言う人がいますが、今の生活で何気ないところで資本主義があるからこそ私達の生活が成り立っており、
縁の下の力持ちであるからこそ、その価値を理解できていない人が多いように私には思えるのです
しかし、単に資本主義というだけでは問題が多々あり、その問題が解決していないからこそ、労働者は酷い目に遭ったりする
とにかく、このお金という血液をいかに社会という身体全体に行き渡らせ、循環させ、社会を壊死させないようにしなければならない
そうしなければ、社会全体が死んでしまうのは人体と同じなわけです
しらんけど