はてなキーワード: 被害意識とは
1つは、「昭和の親父」がもっていたような、女性=子どもと同じような弱くて愚かな存在という意識から生じるいわば「上から目線の女性蔑視」。
強くて優秀な「俺たち」が女を守ってやる、というある種の義務感の反動で、男性と同じように行動したり、男性と言い争ったりする女性を生意気だと感じ憎むようになる。
「女の癖に」とか「女子供は引っ込んでいろ」っていう言葉に代表される。
比較的高齢な人や体育会系、「男社会での」カーストが上位の人がもっている場合が多いと思う。「男性の世界に進出する女性へのセクハラ」の原因になるタイプ。
もう1つは、今の世の中はもはや女性優位社会、女尊男卑社会であって「僕たち男性」が虐げられているという被害意識から生じる「下から目線の女性蔑視」。
女性の権利が男性と同等になる中で、未だに男性に女性より重い義務が課されているという不公平感を抱えている。
また、男性と女性の争いがあった場合、「弱い女性」の言い分が正しいとされ男性が不利益を被っているとも感じている。
「優遇されている」女性に嫉妬に近い恨みを抱き、このままでは男性が生きていけなくなるのではという恐怖すら抱いている。
女性専用車両反対運動とか、男性差別反対運動の根底にある考え。
若い人、身体的精神的に弱い男性、男性の間でもカーストが高くない人が多くもっていると思う。非モテとかより過激なインセルなどと呼ばれる層もこのタイプ。
実際は女より男の方が「将来〜になりなさい」「〜になるな」という制約を受けているという統計がある。
フェミニストの主張を紐解くと、実際は真逆の統計が出てくる。結局「今まで当たり前だと思って享受してたものが、男女平等によって不利益も平等に受けるようになり、被害意識だけが顕在化された」だけ。
友人にジェンダーの授業を受けてた人が居たが、「ガラスの天井があるので就職せずに普通に結婚する」と言っていた。
本来ならジェンダーの授業を受けたなら、平等な世界の中で同等に働く意識を持つはずのものだが、真逆。
これだけみんな上品な会社だったらコンプライアンスしっかりしてるから派遣を飲みになんて誘わないよ。
派遣がいくら綺麗で魅力があっても、派遣は別の会社の社員という弱い立場なので、その人が内心嫌だけど我慢して付いてくるかもしれないんで、パワハラになったりするし。
下世話な話が嫌いな上流の男とむりやり結婚しても私が低学歴だからって馬鹿にしてんの?!みたいな蔑まれてる被害意識ばかり育って上手く行くわけない。
下流の意識薄かったから今更ショック受けてるんだろうけど早めに軌道修正かけれるし、わかって良かったじゃん。
ちなみに派遣と結婚した社員も知ってるけども、やっぱりこんな上品な職場じゃなかったし、派遣側からアタックして素早くセックスして周りに公言して既成事実と外堀固めてたよ。
でも社員と派遣二股した挙げ句、社員と結婚して派遣が辞めることになったケースも2ケース見たことある。派遣は外の人間だから立場が弱いのでボーっとしてると遊ばれて終わる。
コンプライアンス意識高くなってくると社内で「声掛け待ち」の派遣が結婚って難しくなっていくだろうね。
最初に断っておくと、この話はVtuberというものに対して一視聴者の立場であり、面白いものではない。
私がVtuberという存在を知ったのは2017年末頃、ちょうどバーチャルのじゃロリ狐娘おじさんなるワードがパワーワードとして捉えられ俄かに周知を帯びたころである。
当初、そういった存在があると知りキズナアイ、ミライアカリ、ちょうどその頃活動開始した輝夜月の動画をひとしきり漁り、そういうものかと認識だけして捨て置いたのは記憶に新しい。
Vtuberというものにハマったきっかけとなるのはそれから数月の後になってだった。
配信主体という性格はともかく、奇天烈な言動や強烈な個性を表に出したそのVtuberに心は奪われた。
映画という共通の趣味がありながら、まるでその好みは違ったのも一因ではあった(私はアクションやサスペンスを好んだが、彼女はヒューマンドラマを好んだ。)
ただ、きっかけと言えばそういった表層的な面の浮き出るまとめ動画ではあったが、本当は異なっていた。
彼女の同僚である同じくVtuber、その子が配信で曝け出した強烈な嫉妬心を切り出した動画によるものというのが真相であった。
もちろん、彼女(ら)がVtuberというキャラクターでありながら、その実配信者という側面をもついわゆる「nmmn(ナマモノ)」という面を持つのは当時の私でも理解できた。
私は、いわゆる百合といったコンテンツを好みながらもあくまで「現実の人間関係」を楽しむという罪はあくまで意識したつもりだった。
そういった前提を踏まえて密かに応援しながらも、彼女らがVtuberという活動を通じて親密になっていく過程を楽しんでいた。
母体であるグループがpixivでfanboxを開設したとなればすぐさまに登録し、配信ではスパチャ(俗にいえば投げ銭)をして、ボイス販売があれば買うことが応援であると信じた。
一方で、その更なる母体である企業と言えば少しばかり怪しい面は覗かせていた。
本来ならあくまで配信ツールの提供者であると、意図しないバズであるから仕方ないと同情の念はあった。
事情が変わってきたのは半年ばかり経ってか徐々にリアイベの開催を行うようになってきてからだった。
そういったスタンスも認めていたつもりだったし、2人が中心となるトークイベントでは事前の「一部配信」の表記を信じて、抽選の倍率を通り抜けて遥々遠征の計画を立てた。
当日、新幹線に乗っていた昼下がりにTwitterを開いた瞬間、公式による「全編配信を行います」の文字列が飛び込んできた。
「これは一体何だ?何のために私は遥々東京へ行く計画を立てたのだ?」
そういった疑問を思い浮かべつつも、"配信されない部分がある"ことを悲しんでいた人々のことを喜んでみせた。腑に落ちないものを感じながら。
その企業はイベント限定販売と称しながら、脈絡なく再販する真似をその後も繰り返した。
2人という"コンテンツ"(あえてそう呼ぶならば)を追い続けて半年以上が経った。その中で同期のメンバーとも親しくなりコラボ配信を行うようにもなり、それも私にとっては楽しみだった。
しかし、楽しみにしていたコラボの中の雑談の内でそれは現れた。
(以下引用。仮にA,B,Cと置く。)
B「え、何が?」
A「稼ぎ頭とかめっちゃ弄ってくる」
B「そう。私のことめっちゃ弄ってくるんだよね」
A「凄い弄るよね」
C「そう。食べた割り箸がーとか」
B「あれでしょ。私が食べた弁当の後とか"この割り箸いくらいくらで売れますよ”とか」
A「うそぉみたいな」
C「うざぁっ…。こらこら」
B「一々ね。なんでも鑑定団みたいな…」
あくまで、当人(=B)による被害意識はそれほど無いという口ぶりの中であった雑談ではあったが、有り体に言えばショックであった。
ショックの理由としては3人とも自分の推しであったこともあるし、その彼女らが明らかにセクハラ的な言動を受けてることもあったし、
彼女らに対して行ってきたスパチャやグッズ購入等の収益の一部がそういった言動をした人間の懐に入ったこともあった。
今まで、輝かしいばかりの活躍を見せてきた彼女らに対して感謝の思いを込めて金を落としてきたのは事実だ。
そこには(恐らく)偽りなどなくて、多分、一人のファンとしての行動としては間違いなかったのだろう。
けれど、今になってはそれらの金銭の一部がそういった言動をした(あるいはそういう物言いが許される企業の)下に行った事実がどうしても頭を占領するのだ。
眩いばかりの彼女たちのきらめきを思い返す度に、下卑た笑みを浮かべた名もないだれかが札束を数えている姿が思い浮かぶのだ。
恐らくそれを騒ぎ立てたとしても、そのスタッフが辞任にまで追い込まれるようなことはないだろう。
結局、ファンである一個人としてはFanboxを解約し、スパチャを辞めて、彼女らの配信を眺めながらも「セクハラ加害者に協調するか」「彼女らの活躍を応援しないか」の2択を迫られるのだった。
Vtuberという存在を知った時や、彼女を知った時、確かに生きる喜びを味わったけれど、その輝かしさは凡人によって永遠に拭い去られてしまった。
私は今後、その同グループのライバーを応援する人々を見ても「セクハラを容認する企業を応援するのだ」という思いがちらついてならないし、
自分の好きな2人に対しては更なるジレンマを抱くしかないのだろう。
結局、Vtuberという珍奇な存在の到来に対して、凡庸な一個人によるセクハラだけで酷く幻滅させられた今が、ただただ疎ましく悲しい。
コメントありがとうございます。どうも性別を逆に捉えられてるようなんですが、最初に書いておくべきでしたかね。浮気に関してはラブホから出てきたところを押さえたので、多分考えすぎじゃないです。ヒロイズムは強いほうかもです。被害意識、責め立てるタイプ、に関しては浮気の一件後は一度も口に出しては蒸し返してないです。ただ、家庭内での雰囲気が暗くなってしまったのは隠してはないです。というか、そこまで芝居するのが苦しいです。浮気のあと、配偶者がなんどか朝帰りしたこともありますが、これに関しては何を言っても水掛け論になるので一切咎めないでいたら、そのうち朝帰りはなくなりました。同性の友達は多いですし、異性の友達もいますが、さすがにこの件は一人の親友除いて口外してません。
横ですが。
増田さんに次の方があるなら離婚して、ないなら様子見しておいたらどうでしょう。
理由は。
そういう浮気するタイプって、増田さんのご主人に限らないのではとおもうから。
文章からですが。増田さんは被害意識がかなりきつく、責め立てタイプで、窮屈感がはんぱないです。
そしてヒロイズムも凄い。
考え過ぎ、攻めすぎな処がおおそう。それに本当に、本当に浮気してますか?ビジネスランチ、義理チョコでもキーキー言ってる
専業主婦の人もいらしたので、ちょっと怖いなぁって思ったことあります。
あなただけをみてもらうには、そのきつい感じをなんとかしないと、ご主人が家に帰るのもため息つきそう。
ここ数日Twitterで起きている「オタク差別問題」の話について。
関連するツイートがTLで流れてくる度にもやっとする。
何故もやっとするのかを考えてみた。
既に他にも数人、この件に関して記事を書いている人が居るが…。
先ず、言える事は主語が大きいという事。
そもそも「オタクは差別されていたかいなかったか」という言い方で話をしている人が多いが「オタクは~」という主語は、
対象とする人の範囲を広げすぎている。最近の言い方で言うなら、「主語が大きい」と言うのだろう。
そもそも「オタク」の定義…「オタクとはどういう人を指すのか」という物が明確ではない。
この問題について語りたいなら、先ずはそれぞれがそれぞれに持つ「自分の考えるオタクの定義」即ち
「自分は、オタクとはこういう人を指すと思う」という、それぞれが持つ「オタク」のイメージを明確にすべきではなかろうか?
建設的な議論がしたいなら主語を共通化させる事は非常に大事なのだが、この問題に関してツイートしている人の大半は、
主語の共通化をさせずに語っている印象を受ける。
この問題に関してツイートしている人が、「議論」としてこの問題について何かを語りたいのなら、先ず「オタクとは何なのか」
という主語の共通化をさせるのが議論の筋道だろう。
しかし、それをせずにこの問題について語っている辺り、この問題について語っている人の大半は「ただ、声を上げたいだけ」なのだろう。
主語を大きくすれば大きくする程、受け取り手から見れば主張は薄っぺらくなる。
国会前で政権批判のデモを行っている人達が良く「国民は~」と言うが、あの「国民は~」と
彼らの言う、「オタクは~」が同じレベルなのだ。
「お前らそもそも『オタク』という物がどういう物なのか本当に理解しているのか?」
という疑問を抱かざるを得なくて、この問題について語っている人のツイートが無知の集合体の様な感じで見ていてもやっとするのだ。
これについては、こちらの増田の方も同様の事を感じていた様だ。
参考
「オタク差別」があるのではなく「キモい人差別」があるのだと認めろ
「被害者ぶっている」と言う言い方は良くないかも知れないが、「被害者ぶっている」と言わざるを得ない。
流れて来るツイートの大半は「オタク差別は有った」「オタクは不幸な境遇だった」という様なツイートだが…、先に述べた様に、先ず「主語が大きい」状態で、
その「大きい主語のカテゴリに含まれる者達」は皆差別されていたという様な主張が為されている。
そこに違和感がある。私だって多分オタクと言われる部類の人間だ。だが、私は差別を受けた経験は全くない。
「オタクは差別されていた」等と主張するツイートを見ていて思うのは「一緒にするな、オタクは皆差別されていたみたいに言うな」
という事だ。
実際、差別されていたオタクというのも居るのかも知れない。
だが、そうでないオタクも間違いなく存在する。少なくとも私は差別されなかったオタクだ。
その上で、…だ。差別されていたオタクは居るかも知れない。だが、今Twitterで発生している流れは、最初に「オタクは差別されていなかった」と
主張した人物に対して数で攻撃している。
これは最早、数の暴力と言っても良い。
その根底には「自分達は差別され虐げられて生きて来たのだから、自分達には他者を差別し、虐げる権利がある」という劣等感みたいな物が有る様に感じられる。
総じていえば「被害者ぶっている」と思わざるを得ない。
「嘗て自分達は差別され虐げられる側だったから、今は他者を差別し、虐げても良い」と考えているのなら、それは既に「加害者的な思考」であり、余りにも下衆い。
参考
オタク差別を批判することを、やめることにします。
長すぎたので、最後の部分を分割。 余談 とある、それなりに言動につい..
ここまで述べた様に、この件(「オタク差別問題」)について語っている人の中で目立っているのは
「大きな主語を振りかざしながら被害者ぶりつつ、自分達より弱い者を攻撃している人達」だ。
それが「人数が多くて目立っている」のか、それとも「人数は少ないが、声が大きいから目立っている」のかは解らない。
ただ、そういう人達(「大きな主語を振りかざしながら被害者ぶりつつ、自分達より弱い者を攻撃している人達」)がオタクという言葉を使って
「自分達より弱い者」を攻撃している姿に「お前らそもそも『オタク』という物がどういう物なのか本当に理解しているのか?」
ともやもやするんだろう。
そういう事を考えながら増田を読んでいたら、とても良い事を書いている増田を見付けたので、最後にそれを紹介して置く。
>そもそもオタクってのは、本来は「何らかの趣味に傾倒する人」という定義だったはずだけれど
>今は「やたら被害意識だけが強く集団で自分以外の指向を持つ人間を攻撃したがる人」と言う枠組みとしても使われている。
>そういう人たちが繋がる為のシンボルとしてアニメが使われているだけで、彼らの多くは本当にアニメを好きな訳ですらないのではないか。
>今放映中の流行り物アニメをちょっと見るだけで、それを更に深く突き詰めようともせず放映終わればすぐ忘れ、
>他のマイナーな作品に手を出す事もなく、同人の世界もよく知らない、
>漫画やゲーム等アニメより手を出すのに金や手間がかかる分野には手を出そうとしない、という「自称オタク」を数多くみるとそう思える。
>あれは「何らかの趣味に傾倒する人」ではない。
>彼らは同類同士で繋がる為の「ネタ」としてアニメを利用しているに過ぎない。
>アニメが選ばれるのは、自宅にいながらタダで見る事ができて、
>テレビの一般番組やら世間一般の流行モノとは違う為に「普通じゃない自分」という中二気分も満たしてくれるコンテンツ、
>として体よく利用出来るからだろう。
引用元:オタク文化の加害者としての側面を見ないふりするか、オタクに勘定しても..
そういう(「やたら被害意識だけが強く集団で自分以外の指向を持つ人間を攻撃したがり、同類同士で繋がる為の「ネタ」としてアニメを利用している」)のが『オタク』
なのであれば、私は思う「お前らと一緒にするな」と。
逆に根拠があるならなぜあなたの活動が一切差別だとされないのかその気配すらなく逆に差別主義者として糾弾されてるのか説明してください。
声の大きい差別主義者が多いってだけさ。
男女平等を阻止しようとしてるから。その被害意識あります。逆に根拠があるならなぜあなたの活動が一切差別だとされないのかその気配すらなく逆に差別主義者として糾弾されてるのか説明してください。
いやしてますよ。あれだけ、デモやって差別主義者扱いされてどうして差別主義者でないと思えるのか疑問。それに差別は差別されたほうが差別だと思えば差別なのでは?少なくとも私は被害意識あります?
ほんと行動パターン同じだな。
オタクのそういう風潮に嫌気が差してるオタクは一定数いるだろうけど、
そもそもオタクってのは、本来は「何らかの趣味に傾倒する人」という定義だったはずだけれど
今は「やたら被害意識だけが強く集団で自分以外の指向を持つ人間を攻撃したがる人」と言う枠組みとしても使われている。
そういう人たちが繋がる為のシンボルとしてアニメが使われているだけで、彼らの多くは本当にアニメを好きな訳ですらないのではないか。
今放映中の流行り物アニメをちょっと見るだけで、それを更に深く突き詰めようともせず放映終わればすぐ忘れ、
他のマイナーな作品に手を出す事もなく、同人の世界もよく知らない、
漫画やゲーム等アニメより手を出すのに金や手間がかかる分野には手を出そうとしない、という「自称オタク」を数多くみるとそう思える。
あれは「何らかの趣味に傾倒する人」ではない。
彼らは同類同士で繋がる為の「ネタ」としてアニメを利用しているに過ぎない。
アニメが選ばれるのは、自宅にいながらタダで見る事ができて、
テレビの一般番組やら世間一般の流行モノとは違う為に「普通じゃない自分」という中二気分も満たしてくれるコンテンツ、
として体よく利用出来るからだろう。
当てはまるものがなくても、やっぱり観察を続けて、観察日記に新しい結果を書き加えるだけ。
焦って自分を変えようとしないこと。
ただ、今自分はこういう状態なんだ、こういう考え方をしているんだと眺めるだけでいい。
その状態や考え方が、自分にとって不快で耐え難く、どうしても変えたいものなら、無理なく自然に変わっていく。
自然な変化に身を任せる。
でも、変化の途上は痛みと苦労に充ちる。
けどそれは、失敗と成功という評価の軸から得ていたものとはずれた、一個の個人的体感として感じられる。
観察すれば、傾向がわかる。
傾向がわかれば、付き合い方も考えられる。