はてなキーワード: 被害意識とは
https://anond.hatelabo.jp/20171220005010
はあちゅう、あるいはヨッピーの問題点が何かというと、自分も責められるべきことを過去ないしは現在に行なっているのに、その件への咎めは回避しようとしながら、自分たちが咎めたい対象のみを咎めるべきだと宣う、その傲慢さなのだ。
もっとも、はあちゅうはとても言い訳がましい形(これはもちろん主観)だが、謝意を示した。
これからも過去を咎められたら謝意を示しつつ、一方で電通をセクハラで咎めるのは大いにやったらよろしい。
さて、機運がーとかタイミングがーとかではあちゅうを今叩くのはセンスがないと言う発言をする輩が田端某、深津貴某など複数湧いてきている。
機運やセンスを維持するために個々の言論を抑制するのは、ナチスドイツ的手法、あるいは全体主義的手法であると断じておかねばなるまい。
なんか良いこと言ったりやったりしていても、ダメなことはダメなのだ。
ダメなことについては、咎めを受けても仕方ない。
だが、だからこそ、被害者であることは加害者であることの免罪符にもならない。
それはそれ、これはこれなのだ。
突き詰めた思考実験で言うならば、核兵器をなくそうと舌鋒鋭く戦う論説家が裏ではシリアルキラーだったとして、それはやはり殺人罪に処すべきなのである。
無論、社会全体の利益を考えた際に小さな悪には目を瞑るべきだという主張もあるだろう。それはそれでひとつの論として成立していて、かつ経済合理的だ。
だが、その論に依って立つならば、直接に大きな肉体/経済被害に結びついていない程度のパワハラ・セクハラは社会として許容しましょうよという主張も立派に成立する。
ともあれ、今はあちゅう叩きを機運がーとかセンスがーとかいう理由で抑制する行為は、それがナチ的スタンスであるという理由で、良識に欠ける。
無関係な暇人は遠慮なく両方ぶっ叩けばいいし、被害意識を持っているものは自分の過誤は謝りつつ(無論、反省もしつつ)躊躇なく加害者を叩けばいい。
それでこそ、インターネッツ。
問題自体は明確で、上司がセクハラをしたのが悪いのだから、そこを解決するべき。
できれば被害者が爆発する前に先に上司の方から被害者たちに謝って「もうしません」と誓ってもらうのが良いと思う。
増田の「嫌じゃない」がどういうレベルの意味なのか分からないが、増田が嫌じゃないから
A.全員被害を受け続ければいい
という選択はあまりすべきではないと思う。はてブに既に出ている
B.2人きりの場合にはよしとする
と上司と話をするか、
ようにするべきだと思う。どちらにしろ人前でセクハラを許容してる姿を見せないようにする、というのは大事だと思う。
あと、もし上司が人としてちゃんとしてる人なのであれば、「女の子たちが貴方のこういう行動に怒りを感じ始めていて、会社に訴えようとしています」という話を増田からしといた方がいい気がする。男は察しない生き物で、拒否されなければ迷惑だと思われてることに気付かないことがあるので。
というのもあるか。唐突であればあるほど上司が受けるダメージが大きく、女子連合が喜ぶパターン。上司を好ましく思うならやるべきではないと思う。
女子連合に参加するかどうかは増田が被害意識を共感できてない点も含めて悩ましいところだけど、
・参加しないだけで何言われるか分かったモンじゃない
・もし次に生理的にダメなヤツから同様のセクハラを受けた場合、味方についてくれる人が誰もいないかも知れない
といったことを考えると、多少共感できなくても参加した方がいいと思う。
折を見て上司に状況を伝えてC(やんわり拒否)、女子連合には消極的参加、が良いのではないかと思う。
以上、提案。
以下女脳用。
上司の魅力を理解しない人たちに囲まれて大変そう。しかも同調圧力って…。嫌かどうかとか個々の問題だし、巻き込むことないよね。
自分は厳しく育てられた方だと思う。
無駄に疲弊したくないので、公共の場では他人の振る舞いに関心を持たないようにしているが、
知人友人と過ごしているとどうしても気になってしまう。
親しい友人や家族であれば注意して改善を促すが、そうでない場合の方が多いので苦しんでいる。
そもそも、なぜ嫌に思うのだろうか。
うるさい?という程でもないが、やられるとびっくりしてしまう。
外食中だと恥ずかしく思う。
思いがけず大きな音を出してしまったら軽く謝るのが普通だと思ってたが、社会に出てみたら少数派かもしれない。
四六時中静かな場所で食事しているわけでもないし、気にしすぎてる自分が嫌になる。
症状がとても重いのかな、大丈夫かな、感染したら嫌だな、と思う。
もしくは、不機嫌なのかな、注目を集めたいのかなと、そこに意思があるのかと勘ぐってしまう。
不健康をにおわせる表現は人の警戒心を煽る、ということなんだろうか。
程度ってなんだ。その"程度"が自分は厳しすぎるのかもしれない。
図々しい印象を持ってしまう。
会話中の距離が近い人に感じる不快感と似ている気がする。神経質なのかもしれない。
壊れそうにないものでも、軽く扱われると自分自身が大切にされていないように感じる。
いきなり自分の持ち物を触られるのも苦手。
一言あれば触られるのはかまわないので潔癖性とは違うかもしれない。ただのケチ?恐怖症?
単純に汚い。でもきれいな足でやられてもたぶん不快に思う。自分は日頃手で扱っているのに、というひがみだろうか。
特に、自分の所有物や家でやられると自分自身が大切にされていないように感じる。
手で閉めたときでも、音が大きいと怒っているのかなと思う。
乱暴に見えて恐怖感を感じる。音の出る物では特にびっくりする。
(家の外では軽い物でもあまり投げて置くことはしないようクセがついているが、これは少数派だろうか。
特にカトラリー、人から受け取ったものは絶対に投げて置かない。)
指先が目玉に刺さる恐怖感か?ペンやカトラリーでやられても同様に不快。
食事をする場に鞄を置くのはふさわしくないと思う気持ちがある。
汚れる恐怖だろうか?やっぱり潔癖性なのか。
学校や自室の勉強机には置いていたが、ダイニングテーブルや会社のデスクには置かない気がする。なんだこの微妙な矛盾は。
イスがテーブルから引き出されたままだと誰かがつまづいたり、通行の邪魔になる。
重い物でもないし通る人がしまえば良いとも思うが、無駄にイラだってしまう。
本来使用者が戻せばいいものを、私ばっかり戻しているという被害意識だろうか。席順の問題でもある。
暴力性にトラウマがあるとかではないのだが…やはり潔癖性なんだろうか。
正直、"お行儀"を教え込まれた人間の方がストレスが多くて損なんじゃないかと思う。
行儀っていったいなんなんだろう。
「私は貴方に危害を加えたり、汚したりしないし、無理に要求したり奪ったりしませんよ?」と暗に伝えるためのものなんだろうか。
そもそも、毎日顔を合わす同僚や友人を疑ったりしていないから、そんな安全フィルターはいらないような気もする。
知人や友人、人として大好きなのに、たくさんの時間を一緒に過ごしていると、
それがとにかく辛い。治したい。
状況、被害者の証言、容疑者の行動(自殺未遂など)を無視して、事件性を排除したいと考える人たちがいる。
この人たちは何とか「児童の家出」「同棲」ということにしたがっているが、その言動の原理は何だろう?
埼玉県朝霞市の中学3年の女子生徒(15)が2年ぶりに保護された事件で、埼玉県警朝霞署捜査本部が東京都中野区東中野の寺内樺風(かぶ)容疑者(23)=未成年者誘拐容疑で逮捕状=の自宅マンションから、玄関ドアを内側から開けられないようにする「外鍵」の器具を押収していたことが30日、捜査関係者への取材で分かった。捜査本部は、自殺を図ってけがをし治療中の寺内容疑者を31日に逮捕し、事件の全容解明を急ぐ。
http://www.sankei.com/affairs/news/160331/afr1603310001-n1.html
捜査本部によると寺内容疑者は「間違いありません。弁解することはありません」と容疑を認め、
「誘拐した女子生徒とは何の面識もありませんでした」と話しているという。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160331-00000520-san-soci
追記:
id:shira0211tama 確定的な証拠と言い分が出揃ってないうちに世論が固まりすぎると警察によってテキトーなオチつけられそうっての警戒してるんじゃ?少なくとも自分はそう。
それは被害者を誹謗する根拠にはなりません。もしこの主張で誹謗する人がいれば、それは"真実追及"ではなく"逆張り"と呼ばれるものだ。
id:straychef 報道内容を鵜呑みにする人って
そのコメントでは、捜査が終結しても「真実は隠された」「真実が歪められた」と言い訳し続けることになるだろう。
「鵜呑み」どころか"自分に望ましい情報"以外を認めないことになりかねない。
id:nanamino オタクが犯罪者予備軍扱いされるとしたらマスコミの報道じゃなくこいつらのせいだよ。こんなに酷い中傷をマスコミは報道しないんだから、オタクに対しては全然甘い甘い