はてなキーワード: 自己肯定感とは
俺はこじらせてひねくれた面倒くさい人間で、プライドは高いが自己肯定感が低い。馬鹿なのに頭で考えていつも空回りする。仕事でもミスが多い。家族ともうまくやれず絶縁状態だ。そんな俺が死なずに生きてこられたのは数少ない友人たちのおかげだ。全力でふざけてあいつらを笑わせることでささやかな幸福を得ていた。グループに一人いるブサメンのピエロ、あれ全部俺です。
そんなんなので当然ながら彼女いない歴=年齢だったが、数ヶ月前に彼女ができた。最初は、嬉しい反面、なんで俺?俺でいいの?という気持ちが拭えなかった。彼女と俺は会うたび酒を飲んで酔っ払っていて、もしかしたら俺の顔とかあんま見てないのかもしれない。シラフで会ったらフラれるかもなと思い、プライドが高い俺は、いつフラれてもいいように心の準備をしておこうと決めた。
彼女はシラフの俺をフるどころか、会うたび好きになると言ってくれた。駄目だこれ書いててもう泣きそう。俺こないだ彼女と別れてこの増田書いてるんだ。結構泣いたけどまだ全然泣ける。オチを先に書いてすまんが自分の今の気持ちをそのまま記したいので直さない。
付き合ってから週の半分は会ったり泊まったりしてた。もうほとんど同棲だよね、一緒に住んじゃう?という話になった。あれよあれよと同棲開始。一人暮らし歴の長さと、実の家族とうまくやれなかったこととで、楽しみな反面不安だった。俺はだらしないので色々迷惑かけるのは間違いなかったが、それでも彼女は一緒に住む道を選んでくれた。
住み始めてからは、住み始める前よりもさらに楽しくなった。休日に早起きして朝からビール飲みながら散歩したり、いってきますとただいまがある。
そんな生活が当たり前になって俺はつけあがってしまった。あるきっかけで彼女の限界を迎えさせてしまい、別れを切り出された。ここ最近、俺が彼女を下に見てる感覚があってずっと引っかかっているとのことだった。
隠し事はしない方がいいのかと思って起こったことや思ったこと、全部馬鹿正直に話していた。下世話な話や、俺の気持ちが不安定な時期に彼女への気持ちがわからなくなった事があるとか、色々喋った。聞きたくなかったと言われた。
俺は悩み相談とかできる親しい友達グループは異性が多くて、よくグループでもサシでも連絡をとっていた。誤解させないように、そのグループの友達と彼女と一緒に遊んで、浮気するような関係では断じて無いと信じてもらいたかったんが、それは理解した上でやっぱり異性とサシでやりとりされるのはすごく嫌だったと言われた。
色々あるけど、私のこと本当は好きじゃないでしょ?と言われた。いや好きだよ!と答えられない俺はとんでもない馬鹿で、頭が悪いのにどうしたら好きって証明できるんだろう?好きってなんだろう?とか考え出して、よくわからなくなって、何も言葉が出なかった。
うん、書いてて再認識したがブサメンなのに調子こいて彼女傷つけて増田に書くなんて本当に救いようがない人間だ俺は。
別れを切り出されても受け止めようなんて思ってたが無理だった。頭が真っ白だが色んな感情がぐちゃぐちゃで自分の気持ちがわからなくなった。ただ涙が出るが、別れたくないと言えなかった。ただ黙って泣いていた。クソガキ以下だ。
後日、冷静になった彼女から謝られた。まだ一緒にいたいと言われた。その日の俺はもう完全に嫌われたと思って、別れるシミュレーションだけして臨んでしまったので戸惑った。俺みたいなどうしようもない野郎が彼女とこのまま付き合っても傷つけて時間を無駄にさせるだけだとも思った。人と真剣に向き合ったことがなくて怖かった。一緒にいられる自信が無いと答えてしまった。彼女はなら諦めると答えた。今思えば、彼女から逃げてしまっただけのクソ野朗。フニャチン野郎。本当に馬鹿だ俺は。取り返しのつかないことをしてしまった。
今夜、これからの話をしようだってさ。やっぱり君のことが好きだって、今更言っても呆れられるよな。彼女にはもう俺みたいな馬鹿男と付き合ってほしくないけど、俺は君が好きなんだって言われても迷惑だよな。夜風が気持ちいい。君とビールを飲んだら気持ちいいだろうな。
マジレスすると、やはり仕事や社会貢献などで社会的に意義のある業績を残したと認められれば、仮にいい女とセックス できなくても、承認欲求が満たされて自己肯定感が高く満たされた幸せな人生を送ることは出来るでしょう。
極端な例を挙げると、芸術家や科学者や経営者や政治家などで、大きな功績のある人たちはそうなんじゃないでしょうか。(大企業の幹部とか大学教授とか有名な画家とか)
そこまで行かなくても、自分なりに何かを成し遂げた(小さいながらも事業を成功させた)とか、自分の本当に好きな事を極めた(アート系)とかでも、幸せで充実した人生にはなりそう。
たとえば、私は家族を大事にしているほうだと思っているのだが、それは「家族を大事にしている自分の価値」を確認したいがためであり、やらなくても済むのならばやりたくない。
たとえば、私は数年来筋トレに励んでいるのだが、それは「歳のわりに定期的に運動して体型維持できている自分の価値」を確認したいがためであり、健康とかを考えてのことではない。
たとえば、私は車が好きでMT車に乗っているが、それは「MTなどという珍しい車を操れる自分の価値」を確認したいがためであり、それが確認できるならば別にAT車でも構わない。
他にも枚挙に暇はないが、よくよく考えるといずれの行動も「そのような自分の価値」を確認したいがためのものも結論付けざるを得ない。
おそらく、これらを完遂しても、自分の価値を確認することはできないだろう。
よしんばできたとしても短期間で次の「確認できる物事」を求め続けるのだろう。
世の中には人を叩きたくて仕方がない人が一定数いるみたい、正論は切れ味が鋭い。そんな寄ってたかって騒ぎを起こすほどかね?
お前ら何かされたの? 別に気にしてないけどとりあえずムカつくから叩いとけって感じ?
勿論 暴言はよくないよね、分かるけど
何言ってもいいの?
面と向かって言えるのか? 親や友達に言えないようなことをネットでは平気で言うよな?
自分の事を棚に上げてるやつ多すぎだよ。
https://p-shirokuma.hatenadiary.com/entry/20100106/p1
まさに今の自分。
美人とか処女とかはこだわっていない(つもりだ)が、「自分好みのかわいい女性」という表現でもって代替している。
また、付き合いたいとは思っていないが、「定期的に専属的に独占的にデートとセックス(という特別な行為)ができる」ことに重きをおいていることは同じ。
なぜならば、「そういう価値のある女性と価値のある特別な行為をできる自分に価値がある」ことを確認し証明したいから。
寸分違わない分析にある種の感動すら覚えた。
価値が「あるかないか」で言えば私にも価値は「ある」に違いないのだが、私はそれを「証明」したいのだ。
かくして目的が明確になったわけだが、この目的を達成するためには何に取り組んだらよいのだろう?
「自己肯定感を高める」のに役立つかと思い、たとえば仕事をがんばって評価され、昇給し、昇進して肩書きや役職がついてもなお自己肯定感は高まらなかった。
趣味にいそしんで満足いくまでやっても、一時的に充足感が得られてもあとに残るのは虚しさだけだった。
「自分を誉める」と言われても、誉めるポイントが浮かばなかった。
「自己肯定感を高める」とは何だ?
何をすればいいのだ?
自分一人ではムリならば、誰を、何を頼ればいいのだ?
私は愛国心というものにやや抵抗があるのだが、内心を分解すると、愛国心は利己主義に繋がりそうだという感覚が基本にあるからだと思われる。
利己主義とか言い出すと言葉が強いので反発を喰らいそうなのだが、実感はもうちょいふにゃふにゃで、
「人間、何やかんやで自分が所属してるグループや地域や国はエコヒイキしちゃいがち。
それを予防するために、普段から自分たちのことは意識して厳しく見るくらいで、バランスがよくなる。
愛国心とかはむしろ自分たちを甘く見る理由になりやすいから、警戒しておいた方がいい」
という感じだ。
これは、政治的な主義主張や、国際的なパワーバランスみたいなデカい話よりも、「手前味噌や自惚れはちょっと恥ずかしい」という日常感覚の延長にある。
他人に己を自慢すること、また他人にアピールせずとも内心で自惚れているのは格好悪い、というのが心の根っこの辺りにある。
更にその延長で、「人間はついつい自分に甘くなるから、自分に厳しく他人に甘くしようと意識して、やっと客観的には公正に近くなる」というわけだ。
この「自分に甘くなることに備えて、常に謙虚を意識しよう」って感覚は、百パー的外れではないはずだ。(そう思ってること自体、自分に甘いのかもだけどね)
世の中を見ても、信頼されていた人が身内や自分自身については甘いことを言って株を落とすケースや、中立なふりをしてポジショントークしまくってる人は多い。
私自身も、友達と喧嘩したり、同僚内で立場が悪くなった時に無理な自己弁護をしてしまい、五年後とかにやっと頭が冷えて「あの時の自分クソダサかった~はずかし~謙虚さ足りね~!」となった思い出は無数にある。
学校やら物語やらでも、自分に厳しく他人に甘くは基本的に良いこととして語られてきた。
その一つは、最近よく話題になる、「楽しく生きるには自己肯定感が大切なのに、欠けている人が多く、獲得するのも難しい」という話。
自分に厳しく他人に甘くという意識は、たぶん自己肯定感を削るだろう。
私は「人間は自然と自分に甘くなる」というのを前提としていて、
つまり「人間は自然と自己肯定感過大になるから、それを謙虚さで縮めて、ちょうどよくなる」というのに近い理屈なわけだが、
自己肯定感はそうそうデカくならねえよ、となれば前提から崩れる。
実は昔から自己肯定感を獲得するのは難しいのか、時代の流れで得づらくなっているのか、ネットで声をあげるのは情緒不安定な人が多いから自己肯定感欠けがちに見えるだけで実社会では自己肯定感デカい人が多数派なのか、気になるところだ。
また、「国を愛して力を貸すことは、自分じゃなく周囲のために力を貸そうって感覚だから、利己じゃなく利他だ」という反論もできるだろう。
これは、「己」や「身内」をどこで線引くかという話だ。
私の線引きは、どういう規模の話をしているかによって変わる。
国際的な話をする時は、だいたい日本までが身内だと思っている。
身内に厳しく他人に甘く、よって愛国心は厳しく見た方がいい、という感じである。
だが日本社会だけの話をする時は、個人や家庭や企業などの単位が身内で、他の個人や企業や日本社会全体が他人とすることが多い。
この規模での身内に厳しく他人に甘くというスタンスは、社会貢献や、福祉推進をしましょうって形になる。
日本社会を上手いこと回そうぜという意識なので、これは愛国心推進と言ってもいいと思うが、そう呼んだり呼ばれたりすることは少ない。
(実際、セーフティネットやベーシックインカムの議論で、愛国心というワードが出ることは多くないはずだ)
自分はだいたいこういう感じなんだけど、世の中的にはどうなんだろう。
利己主義・自己愛・自惚れなどが強くなりすぎないよう普段から自戒しとこう、自分に厳しく他人に甘くいこう、その一環で愛国心は警戒した方がいい、ってのはどんくらい同意されるんすかね。
おっすおらクソフェミ。しかも昭和生まれ40代ババアだから増田がどうしてこういう思考回路になったのかすごくよくわかる。
ヤングの皆は、亭主に浮気されると「妻として夫を満足させなかったお前が悪い」って妻の方が袋叩きにされる世界とか知らんよな。初めて彼氏と付き合うのでセックスが怖いと考えてる女の子に「早くやらせてあげないと彼氏が可哀想。浮気されても知らないよ」と女が普通に口出ししてくる世界とかね。ああいうの知ってると、増田の発言が正しくないのはわかるが気持ちもわかるぞ。
まあそんな前置きはさておき、折角ブコメが伸びてるんだから、お前らの考える「正しい性教育」ってどんなものかを教えてくれよ。元増田じゃあみんなが「この増田には教育が必要だ」ってブコメに沢山スター打ってるみたいだけど、「ではそれはどんなものか?」と皆で具体的に考える機会も経験もあまりに足りていないじゃないか。いざ機会となっても茶化したりセクハラに走るクソも多く、そういう連中は元増田のような性嫌悪ミサンドリストをますます増やす結果となりなおさら始末に置けない。ぜひに正しい性教育を持って殴り殺すべきであろう。
言い出しっぺだからもちろんこのクソフェミ増田がブレインストーミングの端緒として「今の日本の性教育に足りないなと思ってること」を自分なりにすごく真面目に考えて書いたぜ。ジェンダーに一家言ある暇な人が読んでくれたらうれしいぜ。そして皆も、ブコメでもトラバでもいいから「正しい性教育とはどんなものか」を考えて書いてみてくれよ。
性的な関係は他人の肉体に非常に深く関わる行為である。特にセックスは性病や妊娠といった大きなリスクを伴う。よって合意が必須である。
まず性教育を知らない子供に真っ先に教えるべきは「自分の体も他人の身体も等しく大切なものである。よって他人の身体に触れるには許可や合意が必要で、常に「拒否した側」「合意していない側」の意思が優先されるべきである」ということである。
これは、性犯罪者に狙われやすい子供を男女問わず守るために必要な教育といえる。
「それ自体は」と書いたのは、相手との関係性によっては拒否された側の心が傷つくケースを留意する必要があるからである。ここは年齢に応じた補足が必要であろう。
補足が早すぎれば「相手に嫌われたくないから」という理由で内心望まないセックスに合意したふりをして応じる人が出るだろうし、遅すぎれば一方的なセックスレスでパートナーを傷つける人が出るだろう。増田でもそのさじ加減については正直測りかねているところである。ここらへんは性教育の土台である、自己肯定感のところまで踏み込んで考える必要があると感じる。
また「合意」の定義については、先日の地裁における性犯罪無罪連発においてはてなで大いに燃えたところで、自分でもその定義に断言をしかねる。とりあえず「責任能力を持たない人(子供、成人相当の意思表示ができない人等)」については有無を言わず「合意していない人」にカウントして問題ないと思われる。
前項で書いた通り、性欲を持つことも性的関係を持つことも本来別にクソではない。
その過程において人に合意なく被害を与えたらそれはクソである。両者は全く異なるものであるのに、かつて確かに性加害と性欲の発露を混同し、性加害の正当化に使われてきた歴史があったし、おそらく今もある。
太って成人病になるリスクを承知で沢山食うこと自体は悪ではないが、沢山食いたいからって万引きしたり人の食い物を横取りしたら悪であるのと同じだし、それを正当化するなどもってのほかである。
元増田はもちろんのことだが、ブコメでもトラバでもここを分離できてない人が多数見受けられる。
「生物学的には男性の、女性に対する性欲あるいは性行為自体が性加害/抑圧である」という意見はまだこの混同から抜け出せていないように感じる。「行為の際に女性を蹂躙するイメージで興奮する」のはあくまでも後述するセックスファンタジーであり、プレイの一環として合意を得ていないのにそれを発露することが加害だと自分は考える。
AVやエロ漫画アニメ等のファンタジーを現実の性的な言動に持ち込むべきでないし、逆にそれらのファンタジーを愛好する人が、現実でそのファンタジーを行動に移す異常者であると決めつけてもいけない。
現実に他人をひどい目に遭わせたり遭ったりするのが嫌でも、身の傷つかないファンタジーの世界では過激なプレイに興奮する人も少なくないだろう。だからってその人は別に変態ではない。ファンタジーを現実に持ち込むこと、すなわちその趣味のない人にまでファンタジーを見せて押し付け、不快にさせるのが性的加害者である。
逆に外へ出さぬようこっそりファンタジーを楽しんでいる人からそれを取り上げ、こいつ/この媒体は変態だから滅ぼせと喧伝するのは悪である。ここは主に女性が大いに自戒すべきである。
前述したように、性欲/性行為/セックスファンタジーを身の内で楽しむ行動自体はどれも悪ではない。ファンタジーを伴う自慰は、性欲を他者に被害を与えない形で解消する適切な手段といえる。何度も書くが悪なのはそれを介して他人に被害を与えることである。
ここを混同してしまうと、性欲や性的関係を持つこと、セックスファンタジーを楽しむことを罪と感じる抑圧された人が育ってしまう。抑圧が反動で性的な逸脱、認知の歪みに繋がることもままあるため、この切り分けは極めて重要といえる。
マスターベーションを行う側は「身内(自分自身、あるいは事前に了解を受けた合意の相手)に留めること」、見守る側は「『身内から出すな』という言及以外は避けること」を心がけるべきと自分は考える。
余談であるが「夫が自慰をするのを浮気扱いして許さない妻」がいると聞いたことがある。これは何らかの事情で夫の明確な了解を得られている訳でなければ性的DVである。
具体的に言うと「パートナーのいない相手や童貞/処女を馬鹿にするのはハラスメント。どれだけ沢山の人と恋愛したか、性的関係を持ったかと人間としての価値は『それ自体は』一切関係がない」ということ。
「男はヤッた数だけ偉い」みたいな恋愛工学的価値観を内面化すると、それだけ性行為に至るためのプロセスになりふり構わなくなり、他人へ性被害を与えやすくなる。また性経験のない人間へ本来無用なコンプレックスを与えることにもなる。撲滅すべきである。
「他人(主に女性)の心身を理解しない言動をとった男性」を「童貞」「だからモテない」と罵倒する言動ははてなでも時折見られ、厳に慎むべきである。
まだ他にも書き忘れたことがもしあったら追記していくかもしれないが、今思いつくのはこんな感じだ。
今回の増田は「男性の性欲」と「性加害」をできるだけ切り離すことを主眼として書いたので、その他の部分ではかなり見落としがあると自分でも考えているぜ。
このクソフェミに思い至らない視点からの真面目な言及を待っているぜ。
(追記)
トラバやブコメで意見を聞かせてくれた皆、知識の補足をしてくれた皆、ありがとう。
まともな性教育を受けてない40代クソフェミのワイが自分の狭い知識だけで考えた稚拙な増田に、博識な方や本職の方にまでトラバを頂いて汗顔の至りだが、頑張って書いた甲斐があった。本当にうれしい。
「性教育にはセックス以外にも学ぶべき大事な事が山程あるし、これまで知らない、あるいは見落としていた視点も沢山あった」と改めて気づきを得られるよい機会だったと思う。沢山勉強させて頂いています。
引き続きみんなの真面目なご意見待ってるぜ!
私にしか答えられない内容もあれば、私以外でも対応できることもある。
私以外でも対応できる事柄でも、私が一番詳しい、私に聞けばなんとかなる、という認識が先方にあり連絡がくる。
寝ていても遊んでいても来る。私は月曜日が休みの職業なのだが、そうしたことを知った上で個人的に連絡してくる。
最悪なのは、振休などで休みの際に、一度職場に電話をかけて不在と知ったうえで「本日お休みと聞いたので連絡しました〜」と連絡してくる客だ。
私の職業は、公務員やそれに準ずる職業あるいは農業協同組合などの団体職員、シンクタンクのようなところで、給料をもらい職務の一環で取材に答えるサービスをしている。
個人的な時間でじっくり巡検したり、論文読んだり、もっと柔らかな諸メディアを見て勉強して蓄積しておかないといけないのだが、いきなり電話がかかってくる。
はじめは個別にやめてほしい旨を伝えていた。メールなり文章にして送ってくれと伝える。内心、相手が焦っていてももう気にしないことにしている。
それでやめる人ももちろんいるし、メールで送ってくれる人も多くなった。
一方で、やめない人も多い。何度言っても朝の8時に電話してくる。何度言っても大したことない用事で「休みと聞いたんですけど」と電話してくる。
そして新たに取材したいと言ってくる人はどんどん出現するわけで、そういう人の中に夜も朝もない人が出てくる。
お察しの方も多いと思うが、主にメディア関係の人がそういう連絡の仕方をしてくる場合が多い。
新聞記者は明日の締め切りに間に合えば良いと思って仕事をしているので、ぎりぎりに原稿のチェック依頼をしてくるし、文章表現の齟齬をギリギリになって連絡してくる。間違った表現や、危うい表現がメディアに載るのは良くないので対応せざるを得ない。
そしてよく聞く話と思うが、そうしたギリギリの編集をしているような記者の各記事は劣悪で、修正を要する場合が多い。
ライターを名乗る人々も玉石混交で、平明で美しく趣旨のはっきりした文章を書く人もいれば、取材要旨も曖昧で「てにをは」すらあやうい人もいる。
ライターって自分で名乗るもんなのでしょうか? 誰でも名乗れるなら小学生だって作文書いてるんだからライターだ。
NHKは大きな番組だと取材が丁寧だし、社内の表現ルールが厳しいので表現チェックの時間が十分に取られている。
しかし生放送系の番組は若干危うい。また、関連会社の作成になるとだいぶ怪しくなる。しっかりしたところも多いが。
あとNHK地方局は私から見る範囲だがかなり怪しいペースで仕事をしている。
民放は関連会社が担当することがほとんどで、NHKの関連会社と等しく時と場合による。
人にものを伝える仕事なのに、そんな性急なペースで仕事してどうするんだと思う。
スピードは大事だけれども、拙悪で、人の時間を奪う仕事は悪だと思う。
こういう仕事を請ける人、増田に結構いそうだと思うから、何か上手いあしらい方や対処方法、上手く言ったパターンがあれば教えてほしいと思います。
あと私は自己肯定感すごいからいくらクソリプいくらしても効かねえからな! 古のシューティングに出てくる縦回転する壁みたいなもんだ。
かつて自分が自信無いタイプで、自信なさげな姿に勝手に強く共感してしまうってのがデカいと思う。
「あ〜そこで急に自己否定挟んじゃう感じわかる!」みたいな、実際文章にするとかなりキモくて悶えるけど実際キモいしこんな感じ。
あと褒められ慣れてない人を褒め倒したい欲というか、幸薄そうな人をやたらに楽しませたい欲というか、そういう自分のエゴを勝手に相手に投影して勝手に盛り上がっちゃう癖もあるとは思う。
明確に拒否されたことはないし、言葉では喜んでくれるんだけど、”自己肯定感が低そうな人”を選んでしまっている以上、嫌でも口に出して言うのは難しいかもしれないし、表面上のそれを鵜呑みにするのは無責任だなぁと感じてる。