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はてなキーワード: 森鴎外とは

2017-05-14

森鴎外読んでて、この頃から情弱と言う言葉があったのかと思ってよく見たら惰弱の間違いだった。

2016-12-26

付き合いたいの?結婚したいの?

http://anond.hatelabo.jp/20161226200010

婚活サイトにいるくらいだから、「男性側も結婚したい」という仮定のもとに話をする。

多くの女性勘違いしているが、結婚するためには下記の2段階をクリアする必要がある。

2段階だ。ふたつをごちゃ混ぜにしてはならない。

1)女性として気に入られる

2A)結婚相手として気に入られる

ここで陥りがちなのは1をクリアしたあとに別ルートに進んでしまうことだ。

2B)仲のいい女友達

2C)恋愛のみの相手orセックスフレンド

男性側もなんでこうなったんだクソって思うことが多々あるので1と2の間は本当に重要だ。

たまにCからAにクラスチェンジすることもあるけど30歳超えたらそれはないと思って欲しい。

さて「どうやったらおつきあいできるか」について書く。

まずは方法を考える。

X)自分から告る

Y)男性から告られる

Z)寝る

元増田がXが出来ればそれで話は終わる。

Zは2Cルート一直線。

からYを目指すこととする。

多くの女性が悩むと思うが男は単純である

・嫌いじゃない女性

自分好意を持つ女性

を好きになるという特性を持っている。

これは本能なのでしょうがない。

長くなりそうなので諸々はしょる。

とにかくLINEしよう。

Stampを送りまくろう。

就業時間中は鬱陶しいから送らない

既読になるまで次のLINEは送らない

既読スルー場合は次の送信まで2時間以上空けること

10日に一回くらい平日に送らない日を作る

趣味を徹底的に調べてトーク趣味に絞る

クラシックコンサートプログラミング勉強会などふたりで出かけられそうなイベントを会話に盛り込む

・珍しいカクテルが飲めるバー、クラシックが楽しめるピアノバーなどの情報を調べて会話に盛り込む

・少し遠い場所遊園地夜景などの情報を調べて会話に盛り込む。この時期は水族館おすすめ。寒くない。

あなた容姿がよっぽど悪くなければ、3回デートすれば彼から何かアクションがある。

4回デートして何もなければ、男性のことを真剣に考えている旨を手紙に書いて渡そう。

手紙ポイントLINEではなく。

ただし200文字以内に収めること。それ以上の長文は相手が引くだけだと心得よう。

なお2Aルートに行く場合、実はもっと大事なのは金銭感覚である

ブスは3日で慣れる。

会計ときは必ず割り勘を申し出る

・二回断られてからサイフをしま

・高い買い物をしたとき相手に気づかれないようにする

無駄遣いをしたときはバレないように隠す

今日はこの辺で。

健闘を祈る。

20161227追記

ブコメありがとうございます

全体的に納得感はあるけど、手紙は短くても引くかな。

男性側の趣味読書とあったので、あえて「手紙」しました。

元増田の習慣として手紙を書くことがなければ、手段として相応しくないでしょう。

普段通信手段(この場合LINE)以外であれば

viberでもwechatでもskypeでもemailでも、なんでも構わないと思う。

手段手段であって目的ではありません。

目的は、元増田気持ち男性にぶつけること。

一番得意なやり方を選択すると良いでしょう。(ただし長文厳禁)

20161227追記2

もし元増田純文学が好きで男性側も好きならば、

森鴎外武者小路実篤などのオマージュを入れることで

男性とある種の「共鳴関係」が作れるし、

教養の高さをアピールすることも出来る。

シェイクスピアでもいいかもしれない。

あ、教養レベルが合わないと単にキモいですね、そうですね。

2016-03-27

自分国文学専攻でテーマ近代なんだけど

夏目漱石森鴎外は同一人物だと思うんだよね

文体は違うけど同一人物

ついでにいうと福沢諭吉文体は違うけど同一人物

さらにいうと樋口一葉文体は違うけど同一人物

認定完了

2016-01-26

http://anond.hatelabo.jp/20160126224322

いや、戦国時代の幼名見てみろや、教養ある武将達が酷いのつけてんぞ

天才

聡明丸

奇妙丸

江戸時代江戸時代本居宣長が「最近若いのは奇妙で読めない名前が多い」と憤慨して、門人の名前ふりがなをふって対処したり苦心してたし、明治から戦前辺りのキラキラネームをまとめた名乗辞典とかも見なさいや

周耀星(テルトシ

加藤紅玉子(ルビコ)

舟坂宙子(ミチコ

伊東禿(カムロ)

薄井無子(ナシコ)

叶凸(タカシ

松岡丨(ススム

東西南北シナタ)

それに森鴎外の子供のキラキラネームっぷりもすげーぞ 

於菟(おと)、茉莉まり)、杏奴(あんぬ)、不律(ふりつ)、類(るい)

森鴎外の孫は

真章(まくす、Max)、富(とむ、Tom)、礼於(れお、Leo)、樊須(はんす、Hans)、常治(じょうじ、George)、爵(じゃく、Jacques)、亨(とおる、Thor)、五百(いお、Io)

結構ブクマついててびっくりした、叶凸さんは早稲田出て政治家Wikipediaとかもあるからどんな人生を歩んだかとか見るのも面白い

2015-12-25

何ていうかそもそもまあみたいな奴を使いすぎてる感じなんだよ結局

使いやす副詞に甘えすぎてすっかり文章若者言葉になってきてしまっている。

いい年こいたオッサンが今時のジャリガキがツイッターフェイスブックでウェーイしてるような文章を書いているのもどうかと思い試しに硬い文章を心がけるも今度は日本語を覚えたての外人小学生のようなぎこちないだけの文になってしまう。

どうにかしようと日本語らしい日本語の頂点と言われる夏目漱石森鴎外を読んでいるのだかどうにも芳しくない。

2015-05-24

フェミニスト弱者男性を叩くっていう理屈はどこから来てるんだろう。

フェミニスト批判しているのは女性蔑視する男であって、そこには弱者とか強者とか一切関係ないと思うんだけど。

紛れもない強者である森鴎外だって叩かれてるやん?

弱者男性弱者である事を理由に叩かれてるなんて事実はどこにもないのに。

2014-04-02

やばいね。

ラノベ文学のことを書いたまとめがあったけれど、その言わんすることは、

1.ライトノベル純文学の系譜にある。

2.純文学は淘汰されつつある。

ということらしい。

それの根拠としてラノベを含んだ小説文化史が並べられている。反応は、その文化史が正しいかのか正しくないのかに始終している。根拠なんだからそれが正しいのか、正しくないのかは大事なことだろう。ただ感情的人間としては、結論が間違っているようにも思えない。

漢文や擬古文といったものが消え、口語体が主流になった。国語教科書にでてくる森鴎外舞姫を何の脚注もなしに読むのが難しいのだから、そこは間違っていないと思っている。

ただ、小説にでてくる口語体というのもまた時代の流れとともに陳腐化した。つまり口語ではなくなった。昔の口語が、古いレコードのように書き言葉として残っているに過ぎない。いまぼくらが日常会話で使う話し言葉は、正式な文章ではお目にかかれないし、まともな小説と呼ばれるものには出てこない。

言葉を整理すると、ライトノベルが「純文学」の系譜にあるという文脈での「純文学」とは小説という文化での権威のことだ。純文学は淘汰されつつあるという文脈での純文学は、いまのジャンルとしての純文学のことを言っている。

また、補足すると小説という文化には権威とそれに従うものそれから外れたものという階層構造存在している。

そういうことを踏まえると、いまのジャンル純文学権威を失いつつあり、次の権威ライトノベルが担う可能性があるということだ。

小説文化が変化をしつづける限り、永遠に権威で在り続けることはできないということだ。いまの権威純文学であるが、やがてそれは何かに取って代わられる。その可能性として高いのはライトノベルだということだ。それは単純にライトノベルがいま一番活況だからである

人の少ない文化は衰退する。人の少ない純文学やそれに従うものは魅力を失っていく一方だ。

さて。

ライトノベルは次の小説という文化権威となる可能性を秘めている。

ここから感情論が強くなるのだけれど、昔からある何かが否定されるとき、否定する人間はその昔からある何かをよく知らないのではないとかと思っている。むしろ、知らないからこそ否定できるのだと思う。ライトノベル純文学を否定する未来があるならば、そのときライトノベルを書いている人間はおそらく純文学をよく知らない。

どんなものでもよいところはあるものだ。

そして、先例というのはいつもあるのだ。

ライトノベルタイポグラフィ的なところも西尾維新的な言葉遊びも調べれば調べるほどに先例がある。タイポグラフィ自体がかなり古いものだし、言葉遊びという意味では無駄に爛熟していた江戸文化で見られると思う。イタズラを悪戯と書くのだ。

知れば知るほどに否定できなくなる。だから、知らないほうがいい。「純文学なんて高尚すぎて退屈だ。俺がもっと面白ものを書いてやる」という気概こそ必要だと思う。

そして、この気概を持つためには、ライトノベルが否定されているという認識必要だと思う。ライトノベルクズだ、と言われているからこそ、見返してやろうという気が起こるものだ。もし、ライトノベルも立派な芸術であるだとか、そういうふうに賞賛されてしまうのであれば、挑戦する必要がない。それでは、権威となった純文学と同じだ。

ということで、ラノベが好きでラノベを書きたい人には歴史かいままでの積み重ねを知らないでいて欲しいという思いがある。

車輪の再発明効率の悪さの象徴ではあるが、車輪程度のことを再発明できない人間革新を起こせるはずもない。

2014-03-25

三四郎」以降、東大生活を描いた小説がない

今更ながら、夏目漱石の「三四郎」を読んでみた。

私見だが、夏目漱石三四郎文壇で評価され、「日本近代文学の祖」になった理由は、案外単純な理由な気がする。

三四郎に描かれてる帝国大学学生模様が、文壇主流派にとって『インナーな話』で懐かしかった」から

小説本来の価値」以上に過大評価されたのではないか?

分かりやすく書くと、文壇大御所たちも東京帝国大学の出で、だから夏目漱石三四郎は「東京帝国大学物語」で、心地良かった。

それまで「東京帝国大学物語」を書いた作家はいなかったから、その意味では夏目漱石の目の付け所はシャープだった。

よく考えたら、東大生の日々を描いた小説って、「三四郎」以降、存在しないんじゃないか?

小説じゃなくマンガなら「東京大学物語」があるが・・・

東大生自身にも責任があるが、東大OBは、「三四郎」みたいなリアルな「東京大学物語」の小説化を怠ってきた、

から世間から余計に東大は誤解されてしまう。

一方で、ライバルである京大は、最近鴨川ホルモー」で登場したりしてるのが羨ましい。

実際、東大舞台小説は後森鴎外大江健三郎しかないようで、このままでは世間東大は「江川達也マンガ世界」と誤解しちゃう

※いや、東大の様子は、東大OBの「私の履歴書」を断片的に繋ぎ合わせれば、判るかな?

今の東大って、マジョリティ理系なんですよね。

三四郎時代東大は、あれはあれで趣きはあるが、工学系統が全く描かれてない点で今の東大とは別物。

今の東大の過半数は工学部なのはまり知られてない。

せいぜい生糸工業と綿紡工業しか日本になかった三四郎当時の東大工学部と、現代東大工学部で、「プレゼンス」が雲泥の差なのは当然。

・・・東大理系の日々実験な、「地味~」な日々を描写した小説って、ないのかな?

2013-12-11

http://anond.hatelabo.jp/20131210224453

自分も、キラキラネームでまず思い浮かぶのが彼なんだけど、

リアルタイムで友人知人だった人達は(偉くなる前ね)どう思ってたんだろう。

それとも、森鴎外みたいに、子どもにそういう名前を付ける時点で

ある程度の偉人(?)家庭環境と限られてたのかなあ。

2013-09-10

個人的に読んでおきたいと思う名著的なものリスト

最近暇なので、ブックオフとかで安く買えそうな所謂古典的名著?的なもの

色々読んでみようかと思った。

んで、「名著」とか「ロングセラー」とかで適当に調べて

なんとなく興味が湧いたやつをピックアップしていった。

適当につらつら書くので、参考にするなりツッコミを入れるなり好きにしてくれ。

あと他にもこれ読んでおけみたいなのがあったら教えて欲しい。

正直ありきたりのラインナップで面白みが無いと言うことは先に言っておく。

学術的?なやつ

一部、古典でも名著でも何でも無いやつが混じっているが、

これはまあ適当Amazon眺めてたら目に入って気にはなっていたので追加した。

「なんちゃら論」的なのは多分挫折しそうだから省いた。

日本小説

そういえば、時代小説とか全然読んだことないなー、と思って

食わず嫌いもあれなのでリストアップしてみた。

あと後半は青空文庫で読めるから金がかからなくてよかった。

外国小説

光文社古典新訳文庫で読みやすい新訳が結構出てるので

それを買ってみようかなと思う。

全部読み終わるのにどれくらいかかるだろうなー

まあ別に義務でもないし期限もないのでのんびり読もうかと思う。

2013-05-08

村上春樹の新刊、「田崎つくる」のAmazonレビューをみていて思うこと

amazonレビューで、多崎つくるのレビューを、ほとんど疑いもなく星5つで記載し、圧倒的な「参考にならない」の評価をくらっているしがないレビュアーです。

ちなみに、今日2013/5/8現在、335人中101人が星5つの評価を加え、星4つの高い評価をつけた人を加えると、335人中182人の半数以上の人が星4つ以上をつけているにも関わらず、現在「最も参考になったカスタマレビュー」は、ドリーなる人物の書いた「孤独サラリーマンイカ臭妄想小説」という星1つのレビューで、9825人中、9502人が「参考になった」というボタンを押しています

ちなみに星1つの評価のレビューは、323人中、51人しかないにもかかわらず、この評価は圧倒的です。

感覚的にいえば、全体における星の数の比率に、各評価の中で「最も参考になった」というというレビューが、最終的に漸近していきそうなものですが、このドリーなる人物のレビューは、ある種ゴシップ的な面白さが加わり、NAVERとかはてブあたりから迂回してやってきた方々の支援もあったのだろうと邪推しつつ、圧倒的な支持を得、10000近くの人たちに「参考になった」とフォローされているわけですが、その内容は、読めば読むほど気持ちの悪いレビューで、村上春樹とりまマーケティング悲惨さを痛感するとともに、あらためて日本人文盲具合と、教養のなさと、その教養のなさをひけらかす露悪主義をみせつけられるようでした。

はいえ。

これも、ドリーなる人物の文章が悪いのかというとそういうのではありません。こういう気持ちの悪い文章は、本来放っておかれれば、そのまま情報の闇に葬りさられるだけであり、問題なのは、こういう情報を引っ張ってきて、「うーん、これはすごい」「面白い」と言っている人々の側に、前述した無教養さの礼賛であるとか、露悪主義のようなものがあるように思うのです。

それで、私は、この駄文が、そもそも情報の闇に葬りされること請け合いなのにもかかわらず、下記の数点の視点に絞って、村上評価およびその周辺のマーケティングの問題について論じたいと考えています

1.村上春樹の今回の新作の、アマゾンレビューにおける、公平な評価の基準軸(いったい星いくつが適切なのか?)

2.「村上春樹が嫌い」というヤツは、実は「村上春樹」よりも「村上春樹ファンのことが嫌い」という事実

3.村上春樹を100万部売ろうとするマーケティングの問題(そもそもこれエンターテイメント小説じゃないんですけど)

この3点についてです。

■1.村上春樹の今回の新作の、アマゾンレビューにおける、公平な評価の基準軸(いったい星いくつが適切なのか?)

まず、結論から断じて言いますが「多崎つくる」のamazonレビューを、現在日本文学における主要作品(村上龍山田詠美阿部和重平野啓一郎川上・・・などなど)と比較して星をつけるとするならば、星は5つ以外は考えられません。これらの作家の代表作と比較しても、時代的な価値、作品の主題、文体などにおいて「劣っている」という評価をしようがないからです。

もちろん、小説物語には個人的な共感を読み手の原動力にするという性質上、どうしても「共感できない」という人がいるのは確かなことです。しかしながら、そういう個人的な側面を度外視し、「文学」というジャンルにおいて、日本という国の文化歴史的に補足、説明する資料として、たとえば、文学作品ピックアップするのだとすれば、本作は1Q84までとはいかないにしても、近年日本代表クラスしかいいようがないからです。

2013年日本という国で出版された歴史的に淘汰を免れる文学作品をあげなさいといわれて、今年、これ以上に素晴らしい「文学作品」が登場するかどうか、私は甚だ疑問です。平野啓一郎の新刊がでればその可能性があるでしょうが、少なくとも、それ以外の作家には期待できません。

abさんご?無理です。

田中慎弥もっと無理です。

そういう意味において、本作は星5つ以外の評価はありえないと私は思うのです。

しいて別の視点で評価するならば、村上春樹作品全体を相対的に評価するということもできるかもしれません。これについて言えば、私の評価は、星5つに限りなくちかいものの、もしかしたら星4つをつけるかも、くらいのところです。人によっては3つという人もいるかもしれません。それはあくまでも村上春樹作品における相対評価です。

本作は、次につながる長編小説のための助走のような小説です。伏線の回収(村上春樹本人ならば、伏線の回収ではなく、全体を微細に描き切っていないと言いそうですが)、それが十分でないことがその理由です。

しかしながら、これが作品の評価を不当に低くするかというと別問題です。短編小説というのは、その行間物語前後や背景を滲ませ、読者に共感の余地を残すものです。これは本作が、短編小説的な位置づけにあるということを示唆しているのであって、村上春樹が手を抜いているわけではないのです。星を1つ減らす理由があるとすれば、「もう少しだけ短くてもよかった」という点でしょうか。短編小説というには、少し長すぎました。

本作は、あくまでも「短編」であり(この人の場合は、もはや「短編小説」がこの長さになってしまうだけ)、あえていくつかのプロットを読者に委ねたのです。これは、文学を読む側のリテラシーの問題です。趣味(つまり好み)の問題ではなく、読む側の技術(読解力)の問題です。

というわけで、個人的な村上春樹の読者として星をつけるならば4つもあり得るかもしれませんが、文学に全方位的に公正な評価をつけるのならば、星5つ以外にはないということをご理解いただけるでしょうか。

もし、理解できないのならば、村上春樹を読む前に、夏目漱石森鴎外と谷崎と太宰と三島大江健三郎と諸々読み直すべきでしょう。

それが嫌なら、伊坂幸太郎でも読んでればいいと思います稚拙な、読解力を十分に満足させるだけの文章にはなっています

■2.「村上春樹が嫌い」というヤツは、実は「村上春樹」よりも「村上春樹ファンのことが嫌い」という事実

私は、長年村上春樹の作品を読み続けてきて、周囲にもそのことを公言しているわけですが、最近困ったことに「ハルキストの○○さんは、新作もちろん読まれたんですよね?」とか「ハルキストとして今作はどうでしたか?」などと聴かれることが多くなりました。

この「ハルキスト」なる呼称最近よく聴くんですが、これって、わりと最近たぶんノーベル文学賞に毎年エントリーされるくらいになってテレビリポーターとかがテキトーつけたんじゃないかという気がしています。一体いつくらいなんでしょうか?

私思うんですが、村上春樹の読者を「ハルキスト」と呼称してしまう人は、はっきりと断言しますが、村上春樹を読んでいないか、全く読解できていないかのどちらかです。

村上春樹小説はどの作品でも読めばすぐにわかますが、組織共同体所属することにとにかくうんざりしています辟易しているし、場合によっては嫌悪感に近いものを感じていることもある。とにかくそういう人たちとうまくやっていくことができないし、やっていく自信もない。主人公の「僕」やら「ハジメくん」やら、「ワタナベくん」は、もう、所在なし、所属なし。

まりひとくくりに呼称できない存在なのです。

村上春樹の作品が世界的に受け入れられているひとつの理由は、その「孤独」性です。その周囲にうんざりしたり、なじめなかったりするその主人公のおかれた状況に、読者が少なくない共感を感じてしまうことが、世界的に受け入れられたひとつの理由なのです。

まり、「ハルキスト」などという「ひとくくり」の呼称を付与されることに、気持ち悪さしか感じない・・・というような人たちが、どちらかといえば村上春樹本質的な読者なのです。私も同様「ハルキスト」と呼ばれるたびに、冷笑を覚えたりするので、みんなそんなもんだろうなと思っていると、ときどき本当に「ハルキスト」を自称する読者にあったりします。こういう場合は、辟易するというかなんというか、ときどき困惑嫌悪感が入り混じった感情を抱いたりするこもあります

なんなんだこの違和感

と。この感覚は、村上春樹に星1つをつけて、「いやぁ、村上春樹とか読んでるやつ信じられねーな」とかいう人の感覚に案外似たところがあるかもしれません。(まぁ、とはいえどうでもいいことなので、あえてバッシングしたいとも思わないのですが。)この際、そのほんとに読んで言ってんのかよ!という方々を「ハルキスト」と呼称しましょうか、そのハルキストなる方々と、村上春樹の作品とはまた別の問題だと考えるべきです。

こう言うと、村上春樹小説はそういう勘違いした読者、その「ハルキスト」なる存在を生み出しており、村上春樹にはその責任があると捉えることもできます

アンチ村上春樹人間は、この影響力に村上春樹への脆弱性をみつけて、論考をぶつのですが、はてさて、この点はもういちど考え直してみたいところです。読み手の読解力の欠如がもたらした読者の勘違いを、書き手である村上春樹にその責任を求めることができるのか?ということです。

小説作品は、たとえば自動車エアバッグとか、緊急時備え付けの消化器とか、避難用のはしごだとか、なんでもいいけど、使い方を誤まったら命に別状があるというようなものではありません。

芸術作品です。

作り手の意思とは別に受け手勘違いしてしまうことに、作り手はどれだけの責任が持つ必要があるというのでしょうか。

それは、最後に後述するマーケティングの問題もあります

■3.村上春樹を100万部売ろうとするマーケティングの問題(そもそもこれエンターテイメント小説じゃないんですけど!)

村上春樹を批判する多くのレビューを読む限りにおいて、圧倒的な支持をえる論調は、

「こんなヤツはいない」

恵比寿でナッツを食べるたべにバーに入ったりしない」

「そんな簡単に女とセックスするヤツはいない」

孤独をそんなに深刻ぶったりしてこいつは、何様なんだ」

かいものです。

確かに、多数派ではないかもしれませんが、いないわけではありません。ホテルのバーでお酒を飲んだりすることは、普通にあることです。言葉でどう表現するかの問題はありますが、物事を深く考えすぎて、些細な問題で心を痛めてしまうということも、現代人ならよくあるはずです。セックスなんて論じる必要もなく、敷居が下がっています

主人公の行動や言動を自分比較して、「こんなヤツいないよ」とかいうのは、主人公を類型化して自分との共通点を見つけ出す作業なのでしょうが、確かに、村上春樹の作品の主人公を無理やり類型化して、多数派か少数派かで割り振ったとしたら、間違いなく少数派でしょう。(安易にこういう構図に分類するのは正しい方法ではないのですが)

本作、主人公多崎つくるのプロフィールをざっくりと書くと。

鉄道会社勤務。年収は、700万程度。都内にマンションを所有し、ローンもない。30代後半で独身女性関係特に困ったことはない。

なんというか、条件面だけ描きだせば、裕福で恵まれていて、どこかしらいけすかないととることもできそうです。そして、実際、この点を、アンチレビュワーの方々は、突いているのですが。

前述したとおり、村上春樹小説世界的に受け入れられたひとつの要素はその「孤独性」だと言いました。

みんなの中でわきあいあいとできない。上司にうまく媚を売ったりはできないし、意味のない日常会話を成立させたりもできない。会社終わりにみんなで飲みにいったりするくらいなら、ひとりで孤独音楽を聴きながら読書をしていたい。

などという人間を描いて、そこに世界中の多くの人間共感しているのです。きわめて個人的に。

そして小説というのは、個人的な共感によってはじめて読み進めることができる形式の芸術です。

たとえば、ソフィア・コッポラ映画は、同じように「孤独」を描いていますマリアントワネットなどはその最たる例で、多崎つくるくんなどとは比較しようもないくらい恵まれている。にも関わらず、彼女は圧倒的な孤独に苛まれている。そして映画を観る者は、そのマリーの孤独共感して、胸を痛める。いや、映画小説と違うのは、マリーの孤独共感しようとしまいと、映画自体は2時間後に終わるということ。

しかしながら、小説というのは「なんだよこいつ、むかつく奴だな」というのがあったら、読み進められない。別の言い方をすれば読み進めなくてもいい。村上春樹は、この社会において孤独を感じながら生きざるを得ない、もしかしたら比率的には少ない側の面々の生き方肯定しながら、その顛末を見守るというようなプロットなのだから、読んで「むかつく」人が多いのが、当たり前といえば当たり前なのです。

もともと多くの多数の人間共感されることを、書いてる本人も視野にいれてはいない。(それを望んでいないわけではないにしても)

にもかかわらず、売る側は必死です。

それはそうです。売る側は、本の内容は関係いからです。出版不況時代です。本が売れません。黙っていても売れる時代なら、売る商品を選ぶこともできます。「こんな根暗作家が書いた本は、ひっそりと奥に並べておこう」とか。でも今は、売れる商品が限られています。小さな本屋から、大きな本屋まで、こんなにまとまって本を売ることができる機会は、年にそう何度もあるわけではないのです。

だもんで、売る側は、まったなし。「村上春樹の新刊!?長編平積みだよ、平積み!」

と、なって当然です。で、買い手は買い手で、村上春樹なんて共感できない人が数多いて、そのことを半ば自覚しているにも関わらず、「またぞろ、村上さん新刊ですか?」などとうがった態度で、1700円も払って買って帰ったりする。

本来、孤独に静かな時間を過ごしたい人(それから社会自分との繋がりを確認したい人)のために書かれた本であるにも関わらず。

帯にこんな風に書いておけばいいかもしれません。

「この作品は、日常違和感を感じることもなく、日々を謳歌している人間には読む必要のない小説です。それと孤独を描いてはいますが、自分自身の孤独が解消されれば、他人のことも社会のことも、どうでもいいという人にも不向きです。自身の孤独社会との関係において改善されることを仄かに信じている人のための作品です」

もちろん、そんなことは絶対書かれることはないのでしょうけれど。

本来静かに出版されて、求める人がそこに救済を得るという仕組みであるべき作家と読者の関係が、資本主義論理によって蹂躙されている。それだけのことにも関わらず、本来、村上春樹に対して苛立つ必要もなかった人たちまでが、駆り出されて、勝手に苛立っているのです。

嫌なら読まないということが可能なのにも関わらず。

この「作り手」と「市場」との悲劇的な関係というのが、アンチ村上春樹を作り出し続ける最大の要因という気がしてなりません。

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随分長くなってしまいましたが、最後に結論というかなんというか。

こういうことも言えるかもしれません。

昔、三島由紀夫は、太宰治が大嫌いで、直接会いにいって「私はあなたの作品が嫌いです」と言ったそうです。

すると太宰治は返す刀でこう答えました。

「でもこうやってわざわざ来たんだから本当は好きなんでしょう?」

三島由紀夫は、なにも言い返せなかったそうです。

まり、みんな本当は、村上春樹が好き(もちろん、断固として認めたくない)なんだけど、作品の主人公同様、素直になれず、好きさゆえに星1つつけちゃって、あんなヤツ嫌だよ、いないよ。むかつくよ。とか言ってるだけっていう可能性もあります

ん?あっ、それって、実は一番村上春樹主人公的?な気がしなくもないですね。

この長文を書いている間に、少なくとも「私は、ハルキストです」とか言ってる人より、星1つつけて、村上春樹なんか嫌いだよとか言いながら、毎回出版されるたびに買っちゃってる人たちの方が、なんだかよっぽど共感できる気がしてきました。

おしまい

2013-04-19

http://anond.hatelabo.jp/20130419093831

桜庭一樹が好きでよく読んでるんだけど、ほとんど家族物だな

しろ橋本紡さんが言う大人を描いた小説が売れてた時代を教えてほしい

夏目漱石森鴎外太宰治カフカカミュも、全部読んだわけじゃないけど代表作は若者しか描いてなくない?

2012-09-27

日本人っていつから白人を美しいと感じるようになったんだろう(「私は感じません」とかはいいです)

ペリーときとか鬼扱いじゃん

あと、日本人って明治から欧米人間扱いされてたの?

輪王寺宮とか森鴎外とか広瀬武夫とか、留学生が現地の人と婚約とかなんとかしてたの聞いて、アレーってなる

2012-08-29

http://anond.hatelabo.jp/20120829165448

ネットエロだと、検索使ってもっと広く浅くエロ世界に入り込めるけど

本だけだと、一度偏った世界に触れると、その世界が当人にとってのエロ世界のほぼすべてになってしまうという欠点もある

自分小中学生の頃、筒井康隆レイプ魔が主人公小説と、源氏物語と、森鴎外舞姫を読んだせいか

幸福セックスなんてほとんど存在しないような気がしていたし

強姦か準強姦か、女が騙されてるだけ

2012-05-27

http://anond.hatelabo.jp/20120527163414

横だが元記事は江崎玲於奈ダイの大冒険よりだいぶ前に産まれた人)が念頭にあるんじゃないかと思う。

昔の人でもちょっとどうかと思う名前はいるね。森鴎外の子供とか。

2010-12-16

http://anond.hatelabo.jp/20101216143951

ああ、なるほど。

あなたにとって、村上春樹山崎豊子は、

ジャンクフード人件費ダンピングしたチェーン店の売り物程度の価値しかなく、

一方、夏目漱石森鴎外は、

築地、まさにグルメの極北、「文学」の頂点を極めた崇高なもので、批判の余地はな

ということで、価値観が対照的で相いれず、というわけだ。


僕の考えだと、あなたのような権威主義的人物は、作品の評価など実はどうでも良く、ありがたいものを自分の周りに侍らせていて安心、いわばブランドのようにしか見ていないケースが多いゆえ、同意しかねる。

あなたの中で漱石>春樹という序列があったとして、その価値観を他人が共有してないことに、納得がいかないわけだ。

僕自身は、そういう文学だの芸術だのいうものに序列はないというポジションから、やはりあなたの言いたいことがわからない。

まあ、あなたのような価値観は多いでしょうけども、説得力がないというのも、また多くに感じる。

2010-01-09

http://anond.hatelabo.jp/20100109184245

実際自分がそうだから、実在してるんじゃないかな。

しかもエントリ内容に拡張はしてなくって、

>見るたびに「よく思いつくなー」って思う。

思った事を書いただけです。本当に。だから書けたんだと思う。

前のエントリだけ見るとすごく感情豊かでウェットな人に思われるかもしれないけど

自分の元々の性格恋愛嫌いであまのじゃくでドライなので、

>いつも思うんだけどこういう感性の人って実際に存在するの?

にすごく共感できてしまって、映画とか音楽とかエントリとか見ても

「そうは思ってるかもしれないけど、自分に酔ってるんだろうな」とか

「恋してるのがすごく好きな人なんだろうな」とか思っていたし。

でもそうゆうことじゃなくて、

うーん、「本当に怒りで目の前が白くなるってあるんだな」とかそういう感じで、こういうことを感じてて。



筒井康隆変態的(と言われている。俺には無機質にしか感じない)描写とか森鴎外恋愛(と言われている、俺には茶番にしか感じない)文とか読んでると共感できない部分が多すぎて逆に俺がサイコパスか何かのゴミクズなんじゃないかってくらい不安に思ってしまうんだよね。

それでどっちかっていうと私は自分がおかしいんじゃないかって不安になって、あのエントリ書いたんだけどね。

で、そう思ってるわたしがこんな状態なんだから、あなたもいつかこうなる可能性があるのかもしれないよ、とも思ったりもしてる。

http://anond.hatelabo.jp/20100109182531

いつも思うんだけどこういう感性の人って実際に存在するの?

確かに誇張はある程度入ってるかもしれない。でもそれは「過剰でなくても実際に在り得る」を前提としているからこういうネタを書けるんでしょ?

理解できないんだよね。見るたびに「よく思いつくなー」って思う。俺には人間なんてほかの動物と同じでただ少しだけ意思表示言葉として詳細に可能なだけとしか思ってないから。

極端に言うと肉塊。蛋白質地球上の炭素循環のごく一部。それと単純に衛生面で汚い存在。

人間には「自分と同じ様に複雑で豊かで合理性のある感情感性(ただし誰かに対してではない)が備わっているのか?利己的で目先の事しか考えない本能で生きるだけの動物なのではないのか?」こういう懸念を抱いてしまう。

筒井康隆変態的(と言われている。俺には無機質にしか感じない)描写とか森鴎外恋愛(と言われている、俺には茶番にしか感じない)文とか読んでると共感できない部分が多すぎて逆に俺がサイコパスか何かのゴミクズなんじゃないかってくらい不安に思ってしまうんだよね。

2009-11-30

ふたば二次裏でまとめられていた、中高生のための100冊 その2

ふたば二次裏でまとめられていた、中高生のための100冊

http://anond.hatelabo.jp/20090503233005

これは二次裏でもimg鯖でまとめられたオススメ本一覧2008年バージョンだったらしい。

元は「中高生のため」と限定したわけじゃなく単純に他の人に薦めたいというものだとか。

1年毎にまとめられているようで、これの2007年バージョンを見つけたので貼ってみる。

1 激突カンフーファイター  清水良英

2 戦闘妖精雪風 神林長平

3 黒死館殺人事件 小栗虫太郎

4 シラノ・ド・ベルジュラック エドモン・ロスタン

5 涼宮ハルヒの憂鬱 谷川流

6 グリーンマイル スティーヴン・キング

7 繁栄の法―未来をつくる新パラダイム 大川隆法

8 悪魔の下回り 小林信彦

9 風が吹くとき レイモンド・ブリッグズ

10 黄金の法 大川隆法

11 駿河城御前試合 南條範夫

12 発明超人ニコラ・テスラ 新戸雅章

13 実録・外道の条件 町田康

14 蝿の王 ウィリアムゴールディング

15 パンセ パスカル

16 豹頭の仮面 栗本薫

17 ドグラ・マグラ  夢野久作

18 仮面の告白 三島由紀夫

19 虚無への供物 中居英夫

20 シブミ トレヴァニア

21 EGコンバット よしみる,秋山瑞人

22 もの食う人びと 辺見庸

23 人類は衰退しました③ 田中ロミオ

24 麻雀放浪記青春編> 阿佐田哲也

25 ニューロマンサー ウィリアム・ギブスン

26 愛に時間を ロバート・A・ハインライン

27 創竜伝 田中芳樹

28 ベルカ、吠えないのか?  古川日出男

29 エロ事師たち 野坂昭如

30 マルドゥック・スクランブル 冲方丁

31 ミッドナイト・ミートトレイン クライヴ・バーカー

32 薬菜飯店 筒井康隆

33 ばいばい、アース 冲方丁

34 変身 カフカ

35 チリ地震クライスト短篇集 ハインリヒ・フォン・クライスト

36 罪と罰 ドストエフスキー

37 七瀬ふたたび 筒井康隆

38 宦官中国四千年を操った異形の集団 顧蓉

39 帝都物語1神霊篇 荒俣宏

40 恋のかけひき他11篇 マルキ・ド・サド

41 フィネガンズ・ウェイク ジェイムズ・ジョイス

42 ラヴクラフト全集 (1) H・P・ラヴクラフト

43 大菩薩峠<1> 中里介山

44 ロリータ ウラジーミル・ナボコフ

45 日本百名山 深田久弥

46 灰とダイヤモンド アンジェイェフスキ

47 最悪 奥田英朗

48 旧約聖書創世記 改版 関根 正雄訳

49 少女地獄 夢野久作

50 泥流地帯 三浦綾子

51 ハローサマーグッドバイ マイクル・コニイ

52 平行植物 レオレオーニ

53 李陵山月記 中島敦

54 特犬捜査みちる 羽沢向一

55 スカイ・クロラ 森博嗣

56 ペドロ・パラモ フアン・ルルフォ

57 魂の駆動体  神林長平

58 剣客商売 池波正太郎

59 フランス革命史 ジュールミシュレ

60 エルマーとりゅう-Elmer and the Dragon ルーススタイルス・ガネット

61 ファイアスターター スティーヴン・キング

62 決戦・日本シリーズ かんべむさし

63 ドリトル先生アフリカゆき ヒュー・ロフティング

64 一握の砂・悲しき玩具 石川啄木

65 一万一千本の鞭 ギヨーム・アポリネール

66 暗闇のスキャナー フィリップ・K・ディック

67 夏草冬涛 井上靖

68 家守奇譚 梨木香歩

69 沈黙 遠藤周作

70 1999年ゲームキッズ 渡辺浩弐

71 ソフトマシーン ウィリアムバロウズ

72 アリスAlice in the right hemisphere 中井拓志

73 ハイペリオン ダン・シモンズ

74 かめくん 北野勇作

75 スローブギにしてくれ 片岡義男

76 てのひらの闇 藤原伊織

77 極大射程 スティーヴン・ハンター

78 初秋 ロバート・B・パーカー

79 マルテの手記 ライナーマリアリルケ

80 彼女が死んだ夜 西澤保彦

81 カラマーゾフの兄弟 ドストエフスキー

82 邪宗門 高橋和巳

83 裸のランチ ウィリアムバロウズ

84 インスマス年代記 スティーヴァン・ジョーンズ

85 鬼麿斬人剣 隆慶一郎

86 夏への扉 ロバート・A・ハインライン

87 明治断頭台 山田風太郎

88 舞姫 森鴎外

89 淫行時間割わいせつ母 睦月影郎

90 サムライ・レンズマン 古橋秀之

91 京美ちゃんの家出ミルキーピア物語 東野

92 死者の代弁者 オースン・スコット・カード

93 新約聖書福音書 塚本虎二

94 ウィーン愛憎 中島義道

95 ウォーターシップ・ダウンのうさぎたち リチャード・アダム

96 薔薇のマリア I.夢追い女王永遠に眠れ 十文字青

97 左巻キ式ラストリゾート 海猫沢めろん

98 されど罪人は竜と踊る 浅井ラボ

99 暗黒館の殺人 綾辻行人

100 ジョゼフ・フーシェ―ある政治人間の肖像 シュテファン・ツワイク

2009-09-10

http://anond.hatelabo.jp/20090910110650

ちょっと(1週間くらい)待ってて、一応『信頼』くらいは立ち読みして何か書くかも。完全に内容忘れたけど一度は読んだはずなので。

ルーマンとかボルツとかの説をめぐってはぽまの人のサイトhttp://amr-i-t.com/)にはいろいろ書いてあったんだけどなくなっちゃった。一応彼の挑発的な言論活動に刺激を受けて、ファイヒンガーの als ob日本語による紹介になってない紹介としては森鴎外の『かのように』参照のこと)のCKオグデンによる英訳も買ってはみたのです。まだ読んでないけどね!で、こういう哲学だか社会理論だかに対する私自身の予断と偏見は非常に強く、ネガティブな色眼鏡で見ています。

2009-03-28

下から目線

すべからく」の用法が正しいか間違っているかに関係なく、文章や発言の中に「すべからく」の言葉を使う人はプライドが高いのではないか? または、自分教養の高さをひけらかしたいか、語彙の多さを見せつけたいか、見栄を張りたいか、背伸びした表現を使いたいか、のいずれかだろうと思われる。

自分プライドの高さに見合った言葉=「すべからく」を使いたい、という虚栄心が働いているのではないだろうか。

http://d.hatena.ne.jp/takopons/20090322/1237730400

プライドの高そうな表現

http://d.hatena.ne.jp/kanimaster/20090327/1238127637

なんと、用法の間違いだけでなく、使った時点で「プライドの高い人」扱い!

そんなもん、英語圏で暮らして英語ばっかり使ってる人は、ついつい英語で考えるようになってしまうし、夏目漱石森鴎外なんかを好んで読んでたら、ついつい夏目漱石森鴎外っぽい文体になってしまうし、2chに入り浸ってたら、2chっぽい文体や顔文字で文章を書きたくなるもんだろ。その人の単なる染み付いた習慣であって、当たり前の自然なこと。

なのに、なぜそれをわざわざ使っているだけで「プライドが高い」などと思ってしまうのか。本当は、相手のプライドが高いんじゃなくて、自分コンプレックスが強いだけなんじゃないのか? 自分よりも教養がありそうに見える相手に、勝手コンプレックスを抱いてしまって、教養がありそうに見える言動・行動・態度全てに、「自分を見下してるんじゃないか」と思ってしまっているだけなんじゃないのか。本当は、自分勝手に「相手を見上げている」だけなのに。

まあ世の中には、あからさまに知識をひけらかしたい人もいるよ。いるけど、「すべからく」という言葉を使ったというくらいで、その人が教養の高さをひけらかしたがっているようには、私にはとても思えない。その程度のことで「教養の高さをひけらかしたがっている」と思うなんて、それって本当は他の誰でもない自分自身が「教養の高さをひけらかしたがっている」んじゃないの? 実はまず自分の中に、「見栄を張りたい」「背伸びしたい」という欲求があるから、相手もそうだろうと思うんじゃないの?

というわけで、今回のお話は、自分が以前から欲しかったけど手に入らなかったものを、偶然友達が持っていたのを見て、「何だお前、あからさまに見せ付けやがって!」と言ってしまった、というだけのお話

 

そもそも、人間には得手不得手があるのだから、たまたま相手が自分より難しい言葉を知っているというだけで、なぜそこまでコンプレックスを感じなければならないのだろうか。単に相手と自分の専門分野が違いましたというだけのことなのに。

難しい歌を巧みに歌いこなす人や、ホームラン量産する野球選手を見て、いちいち「能力ひけらかして、プライトの高いやつ」とでも思うのだろうか。そんな世の中つまらないよ!

邪魔コンプレックスなんかゴミ箱に捨てちまえ!

2009-03-14

http://anond.hatelabo.jp/20090314221352

ああまあその線はあるかもしれない。

ただその件に関してはそうであったとしても、価値観の断絶論自体が無効になるってわけでもないと思うんだ。例として出したものが不適切だっただけで。

なんか森鴎外小説切腹ビックリするイギリス人の話かなんか読んだことある記憶があるし。

追記 そういや森鴎外日本人だw 単に森さんが「日本特殊論を言いたがる日本人」だった可能性はあるな。

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