はてなキーワード: 森鴎外とは
20☓☓年の日本ではクリエイターの権利は神聖不可侵のものとされていた。日本のコンテンツを海外に売り込もうという政府の意向と、表現の自由を最大限にしたいというクリエイターおよびそのファンの願望が合致したのである。保守派の議員が表現規制を推進しようとした時代はとうの昔に終わり、いまや与党の中枢は表現の自由戦士で占められていた。
刑法が改正されて「クリエイター侮辱罪」が制定され、表現の自由を侵害するフェミニストの一斉弾圧が行われた。それは表現の自由の侵害であると主張した憲法学者や弁護士たちも逮捕された。
現在、逮捕された彼/彼女たちは思想改造のため、強制収容所に収監され、萌え絵やエロ絵に囲まれて生活している。しかし、その一部は弾圧を逃れ、「隠れフェミ」として地下活動に励んでいるとされていた。警察はいまもその行方を追っている。
街角でも、萌え絵やエロ絵に対する批判はいっさい禁止され、公共の場に氾濫するエロ絵に「違和感」でも表明しようものなら、即座に密告され、逮捕・収監される状況になっていた。コミケでは、エロ絵のバッグが大々的に復活し、終了後のりんかい線やゆりかもめには幼女の裸のイラストが溢れる事態となった。
渋谷の大通りに幼女の裸体イラストの広告が大々的に掲示されたときには、CNNやBBCは「二次元ポルノ大国日本」として報じたが、そうした記事をSNSで紹介するだけでも「出羽守」「売国奴」とみなされ、たちまち糾弾の対象となった。
街角の書店はほぼ全滅し、大規模書店が大都市の中心地にみられるだけになっていたが、そのなかで大部分の書籍の表紙は萌え絵になっていた。夏目漱石や森鴎外などの小説の表紙は言うでもなく、ハンナ・アレント『人間の条件』の表紙は当然のごとくデフォルメされた美少女アレントであり、アリストテレス『ニコマス倫理学』の表紙にはニコニコしながらマスをかいている美少女のイラストが描かれていた。フェミニストの書籍は言うまでもなく大部分が発行禁止になっていたが、ストロッセンや初期の牟田和恵などの著作は大々的に宣伝されていた。
この頃になると、全国民のあいだで「二分間憎悪」が行われるようになっていた。ある時刻になると、街角のスクリーンや各々のスマホの画面に「パブリック・エネミー」が現れる。それを国民全員で罵倒するという儀式である。
そのパブリック・エネミーには、かつて名を馳せ、いまは地下で活動しているとされるフェミニストが選ばれていた。そのフェミニストたちがスクリーンに登場するや否や、国民は男女を問わず「フェミナチ!」「全体主義者!」「表現の自由の敵!」といった罵詈雑言をぶつけるのである。二分間憎悪の最後には、そうしたフェミニストたちが性的に陵辱されるアニメが映し出された。これも「表現の自由」により擁護される表現なのであった。
そうした体制に違和感をもち、密かに「隠れフェミ」に関心をもった女性がいた。やがて彼女は『フェミニズムと表現の自由』なる著作を手に入れ、その内容に惹かれていく。だが、実は「隠れフェミ」は彼女のような異端者を駆り出すための仕掛けにすぎず、『フェミニズムと表現の自由』もその餌にすぎなかった。
熾烈な拷問の結果、彼女はクリエイターへの忠誠を誓って解放される。彼女はただ処刑されるのを待つだけの身である。彼女が見上げると、そこには巨大な幼女の裸体のイラストが掲げてあった。そうして彼女は泣きながら、自分がそれを愛していることに気づくのであった。
羽奏という名前を、周囲の人が呼んでくれない、という釣り増田があった。
もともとの増田の漁業からは趣旨が外れるけれども、なぜ羽奏で「わかな」がダメなのか、忍者の里で暮らす私と一緒に考えてみよう。
羽と奏は、音以前に意味が繋がりにくいように思う。羽奏では、意味のつながりが連想・イメージしづらいのだ。
要するに、羽は音を奏でないだろってこと。
同じ「ワカナ」音を重視するなら「和奏」ならすっきりする。
和音とかで和ってのわ使われるし、和風だとかのニュアンスでも繋がりやすい。
羽奏でワカナのいいところは、ワカナって音にある。
それに当てた漢字の読み方がクソ気味だったのは、多く先人の指摘するところなのでここでは贅言せんぞ。
昔から「若菜」という言葉がある。だから、音は他の人が聞いて違和感が少ない。
今までのことをまとめると、<漢字がもつ音>と、<漢字がもつ意味>の両方を他の人に連想させやすくするのが名付けでは重要だ。
ここでの音というのは、あくまでまとまった時に聞こえが悪くないか、ということで、伝統的な読みにそぐうかどうか、ではない。
例えば「奏」で「かな」だとか、あとは最近の若い忍者も良く使うんだけれども「翔」で「と」と読むようなやり口。
もちろんこれは漢字の読みのうえでは間違いなんだけれど、私は名づけの上での省きはまぁいいんじゃないかと思うんだ。なんつーか流行ってるし。
部下の上忍の2人目の息子の名前が「拓路」くんで「たくみ」くんなんだけれど、いい名前じゃん。
路を拓く、という意味もいいし、音も「タクミ」は律令官制以来なじみ深い。
個人的には、ぶつ切りで読むのであっても、音と意味が整ってればいいじゃんってこと。
あと、意味を重視しないで音で当て字したいときのジョーカー的存在が万葉仮名だ。
これは、漢字の意味を捨てて、音だけを表すために用いられた漢字だ。
私の部下のくのいちに「利都」で「りつ」ってよむ女がいるんだが、いい名付けだなって思う。全身タイツスタイルの忍者なんだけど。
つまり万葉仮名は実質ひらがなみたいなもん。「あ」は「安」からきてるんだけど、「あ」は「安んずる」という意味はないでしょ。
森鴎外の子女たちが元祖キラキラネームといわれることがある。私はそうは思わない。
ルイとかオットーとか、すべて外国の人々の名前としては通用するもので、音は問題ない。
森鴎外のをキラキラネームとか言っちゃうのは、逆にお前の頭の中がキラキラしてるんだぞ、と思う。
忍者ってのは顧客ありきなんだから、例えば三菱の人とかに名簿(みょうぶ、って里では読む。古い読みだ)見られたときに悪印象を与えない名前にするのが重要なんだ。
佐助とかってのはダメだぞ。狙いすぎだ。かといって昨今のキラキラネームでもダメ。黄熊でぷうとか弱そうじゃん。かませ犬ですぐ死にそうじゃん。熊だけどさ。
だからさ、個人的には「翔」で「と」がオッケーな理由はこの辺りにあるんだよね。
翔ぶじゃん。忍者。だから忍者にピッタリな漢字なのよ。「遥翔」で「ハルト」って読むのが若い衆でいるんだけど、いいじゃん。
こうしてみると女子は古風な名前が付きがちなんだよな。こういうのももしかしたらジェンダー性があるのかもと思う。
「閑」で「しずか」とか、「青葉」で「あおば」とか。さっきの利都もそうか。ちなみに閑と青葉はミニスカタイプの装束のくのいちだぞ、諸君。
安田理央さんの「大きな胸はどう呼ばれてきたか」という文章が素晴らしい。是非読んでいただきたい。
http://blog.heart-closet.com/news/history_of_voluptuous01
http://blog.heart-closet.com/news/history_of_voluptuous02
http://blog.heart-closet.com/news/history_of_voluptuous03
安田さんの文章でも前提とされているし、知っている人も多い話だと思うけど、江戸時代の銭湯は混浴だった。昔の人はハダカを恥ずかしく感じなかったのか? 異性のハダカに欲情しなかったのか? という疑問が浮かぶが、どうもそうらしい。昔の銭湯のお湯は熱く、湯冷ましのため男女とも服を着ずにハダカで家に帰ったというから相当なものだ。また夏は道にタライをだして行水の習慣もあった。
明治時代になって、西洋人から男女がハダカで混浴したり、公共の場所にハダカでいることが破廉恥だと非難されたため、政府により街場の銭湯の混浴は禁止される。しかし田舎の温泉宿などは、いきなり浴場をもう一つ増やす財力が無いので、ロビー活動をして混浴という状況を許してもらう。その後世情により徐々に男湯女湯の区別が作られては行く。しかしガチの混浴の習慣はいつまで残っていたのか?
1961(昭和三十六)年、押田氏が栃木県の鬼怒川温泉に投宿したときのことである。同氏は同僚と飲んだ後に二度目 の入浴のため大浴場に向かう。時間も遅かったので先客は誰もいず、一人湯船につかっていると、やがて脱衣場の方から声がする。そして二十代から五十代 の女性七、八名が、浴場に入ってきたというのである。いずれも仕事がはねた 仲居さんたちである。人数的にも圧倒され、湯船から出るに出られなかったと押田氏は当時を述懐する。
1960年代まで田舎では、特に裸は恥ずかしくなかった可能性がある。観光旅館ではなく、地域の共同浴場なども混浴が残っているケースは多く、70年代のドキュメンタリー番組で「若い人は気まずい」という解説とともに紹介されていた記憶が自分にもある。
ハダカはともかく、ムネはいつから恥ずかしいのだろうか? 昔の海女さんや炭鉱で働く女性は、男性のように上半身ハダカだったらしい。これもどうやら1960年代、女性の間にブラジャーが普及するのと平行して、恥ずかしいという意識も広まっていったようだ。
しかし女性が一旦胸部にブラジャーをつけると単に美しく見せるだけではなく、それとは別の副次効果が現れる。先の井上章一氏の言葉を応用すると「ブラジャーをつけだしたその後に、女性は胸部により強い羞恥心をいだくようになった」と言える。こうして、従来は羞恥心の対象外だった女性の胸部が質的に変化する。昭和三十年代には普通に見られた、街頭で母乳をやる女性たちも、授乳室の中に隠れるようになる。
いずれにしても上記のことから、女性のハダカを見て男性が興奮するのは、決して本能などではないことは容易に推理できる。欲情する気持ちは、文化により形作られた、女性が羞恥心を感じている様子に引き出されるもの、あるいは国家権力に規定された禁忌を破ることによる興奮なのだ。そもそも男性が女性に欲情することが自然なのかどうかもわからない。橋本治さんの受け売りだけど、森鴎外の時代、男子大学生は硬派と軟派に分かれていたが、硬派とは下級生男子に欲情するもの、軟派は女性に欲情するもので、鴎外は性暴力の被害を恐れナイフを携帯して通学していたという。
こんばんわ
ここ数日の間の出来事です
いつも通り某所から徒歩で帰宅していると、おなかが痛くなってきました
この程度なら平気だろうと思ってました、おうちまで徒歩残り15分と言ったところです
5分ほど歩いていると、便意を催しました
便意です
おならだったらいいなぁって思ったんですけど間違いなくうんこでした、もうそこまでいるみたいです
やべえなあこれおなかも痛いなぁやべえなあと思いながら速足で歩いていました
この時はまだ、間に合うだろうという感じというか、そもそも人生20年~30年の間くらいは生きているのですが、漏らした経験が無いのでまあ平気だろうなと
感覚的にはおならが出そうで我慢して上手い感じに音だけ消したおならを出そうとしたけど密室だからばれると思って力入れるも手遅れで帰っていかない、ずっとけつの間におならがいるって感じ
もういるんですよ、なんなら出てるんですよね
まあその状態をキープして帰ってやろうと、いっそ開き直ったわけです
もう出るんですよ、出ると思った
車が横通り過ぎて行ったり高校生が歩いていたり、何も気にせずケツを抑えて歩き始めました
すると楽になったというか、もう何もなかった気がしてきてですね、勝ったなと思ったわけです
例えば飯食ってるときとか、おなか一杯かと思ったけどゲップしたらまだまだ食える気がしてくるみたいな
そう、気がしてるだけでまたすぐうんこがけつのあいだに現れようとしているんです
もう激痛です、無理です
この辺りでどうやって漏らすか考え始めました
近くにコンビニとか無いのでそこらの茂みとか探すんですけどなかなか無いんです
超冷静です、世界一冷静にクソをどうやって処分するか考えています
足もすごいんです、競歩選手もクソちびるレベルの速さです、ちびるのは私なんですけどね
何度か同じようにして、出そう→けつを抑える→ましになるを繰り返してました
もう家は目前です、これは勝ったな、クソはトイレにするもんだなと
残り家まで2分と言ったところでしょうか、第8波がやってきたくらいでした
それまでの痛みとは違い、歩けないレベルの奴が来ました
ここは歩道です
歩けないんです、おなかが痛いしなんならおしりも痛いし頭も痛い
ついでにおしっこしたい
歩道です
ケツに力を今一度入れなおしました
歩道なんだよなぁ
うんこが出てくるんだよなぁ
おならだと思ったんですよ
おならが我慢できないというか、おならを我慢するなんて体に悪いんですよね
我慢しようとはしたんですけど、もう出てくるんですわ
完全に歩けなくなってしまって立ち止まって数秒、格闘したのちおならが出たと思った
おならが出たと思った瞬間、おならでは成しえないぬくもりがケツ周辺を温めました
あったけぇ、、、
まぎれもなくダム、一切止まらない、もりもりなんてもんじゃねえ、ドババババババ
もう止まらねえ、腸内のすべての下痢うんこを出し切るまで止まる気がしねえ
靴を汚したくないと思って前かがみになった、好きなエロ漫画と同じポーズだと思った
なんかもう一周回って気分がよかった
こんな経験初めてだ
私はここでうんこをしている
誰にも邪魔させない
時が永遠のように感じられた
やっととまったと思ったらすぐさま周りを確認し、何事もなかったかのように家へ向かって歩き出した
雨がきっといつかきれいにしてくれる
梅雨が明けたなんて嘘に違いない
なんかおっさんとすれ違ったけど多分気のせいだろう
風呂場へ駆け込んでもうヒトグソひねり出してやった
クソが
あほほど時間かけてズボンとパンツ洗って風呂場も掃除してアホかと思って黄昏ていた
入念に洗濯も2回回した、手洗いを3回した後でだ
本当に疲れた、もういやだった
翌日その道を通ると、道にカレーが置いてあった
知らないふりをした、ごめんな
みんなごめんな
女子校教師時代に二人の生徒に手を出し孕ませ二人と連続で結婚したほどに見境の無い女好きの与謝野鉄幹に惚れて不倫、鉄幹編集で赤裸々に不倫エロを綴ったみだれ髪でデビュー。
鉄幹がバナナを晶子の性器に突っ込んで翌日取り出して食べたなどエロエピソードを披露。
日露戦争に行った弟を悲しみ君死にたまふことなかれを発表するが、表現への取り締まりが厳しくなった第一次世界大戦からは今は戦うべき時と手の平クルーさせて「強きかな 天を恐れず 地に恥ぢぬ 戦をすなる ますらたけをは」など戦意高揚系の歌を発表、四男が戦争に行った際に詠んだ「水軍の 大尉となりて わが四郎 み軍にゆく たけく戦へ」は内容が君死にと真逆。
結婚後全く詩が売れなくなった鉄幹が腐ってヨーロッパに行きたいと言い出し、7人の子供を抱えて生活が苦しい中金を捻出し送り出す、その後鉄幹に会いたくなり森鴎外に資金を工面してもらいヨーロッパへ飛び子供達を放って二人で四ヶ月の旅行満喫。