はてなキーワード: 暴言とは
デビッド・ライス氏と白饅頭氏が互いを批判する文章をブログ,SNS上に投稿している。しかし,以前からこの両者の発信する文章を読んできた私としては,両者の主張は根本的なところで対立はしておらずむしろ同じ方向を見据えて書かれているように見えた。
ではなぜ,ライス氏と白饅氏は対立するに至ったのだろうか。結論から書けば,両者は主張の内容は近しいものだが,その主張をどのようにして一般に発信するべきかという点において大きな価値観の相違があった。その相違にばかりに注目し批判を繰り返した結果,現在の不必要な対立を生じさせたと私は考える。
両者は互にレッテルを張り合い,主張をよく確かめずに感情的な言葉を投げ合っているように見える。しかし,ライス氏と白饅頭氏は現代の言論界において重要な役割を担っており,こんなところで格を落とし合っている場合ではない。
実際に両者がブログ,SNSに投稿した文章から,なぜ不毛な対立が生じたのかを見ていこう。
ライス氏は2022年11月2日,自身のブログ「道徳的動物日記」に,『「女性差別的な文化を脱するために」オープンレターについての雑感』というタイトルの記事を投稿した。その中で,氏は白饅頭氏の言説について
“弱者男性論者たちはアカデミシャンではなく、コンプレックスや差別を煽ったうえでnoteやYouTubeで言動を売って稼ぐ「商人」だ」”
と批判した。
弱者男性論者である白饅頭氏がアカデミシャンではないというのは事実だ。彼は学部卒で,大学等には属さず個人で発信を行っている。「商人」というのもやや悪意のある表現ではあるが,noteや書籍を販売しているとい点では間違った表現ではない。
だが,アカデミシャンでないことも「商人」であることも,白饅頭氏の論を誤りだとする根拠にはならないはずだ。ここでライス氏が批判しているのは言説ではなく,白饅頭氏の立場と手法だ。氏の言説が誤りだと主張するならば,具体的に彼の文章を引用するなりして,どこがどう誤りなのかを論理的に説明するべきだろう。
また,ライス氏は2021年4月3日に現代ビジネスに『「フェミニズム叩き」「女性叩き」で溜飲を下げても、決して「幸せにはなれない」理由』という記事を寄稿した。その中で,
“弱者男性論でおこなわれているのは、「女性」(または「フェミニスト」「リベラル」)という属性を仮想敵にして、自分たちのつらさの原因はすべて彼女たちに責任があると主張することで、弱者男性である読者たちの溜飲を下げさせるための議論だ”
と書いた。ここで批判されているのは“溜飲を下げさせるための議論だ”とあるように,弱者男性論の主張する内容ではなくその目的だ。もちろん,その弱者男性論によって留飲を下げている男性も少なからずいるだろう。
しかし,それが決定的に弱者男性論を否定する根拠になるだろうか。卑小な目的で立てられた論であろうと,それが誤りだと証明するには論を構成する根拠や理論についての誤りを指摘するべきだ。
上記のように,ライス氏は弱者男性論を批判しながらも,その批判内容は専ら論者や読者の問題を指摘することに終始し,弱者男性論を構成する根拠や理屈についての矛盾を殆ど指摘していない。
ライス氏は上記の記事の中で,弱者男性論がある程度は妥当であることを認めてすらいる。しかし彼はその妥当性を認めながら,それが社会に与える悪影響のみを強調し,弱者男性論をこき下ろしている。これはややバランス感覚に欠けた主張だと言える。
なぜ彼はこのような一方的な主張をしたのか。それは,彼がネット論客と呼ぶ者たちによる弱者男性論が盛り上がりを見せていたからだ。ライス氏は先ほど引用したように,ネット上で学位を持たない者が政治的な主張をし注目を集めることに対し強い拒否感を持っている。彼からすれば,学位を持たず大学にも属さない者の発信する政治的主張はSNS上でフォロワーに対してアピールするだけのものにすぎず,学術的な裏付けのない稚拙な主張に過ぎないようだ。
たしかに,ネット上で政治的発言をするアカウントの発信する内容は仲間内に向けてのアピールに終始しがちな傾向があることは否めない。
しかし,白饅頭氏の発言のほとんどは客観的な妥当性を意識しているものだ。彼のどの主張にしても,必ず明確な根拠を示しながら筋道を立てた発言を行っている。弱者男性論にしてもそうだ。
SNS上には白饅頭氏と同様にアンチリベラル的な主張をするアカウントが数多く存在し,数万のフォロワーを獲得しているものもいるが,彼ほどの存在感と影響力を有している者は他にいない。それは,白饅頭氏の発言する内容がアンチリベラル層だけでなく,中立・一般層にたいしても説得力を持っていることの証左と言えなくもない。
ライス氏は白饅頭氏のTwitterやnote上での発言を批判している。ライス氏によっては,SNSのような誰でも発言が可能な空間では論理的に正しい意見よりも大衆の感情を煽る意見の方が支持を得やすい。だから白饅頭の主張は誤りであるにも関わらず支持されるのだという。
しかし,白饅頭氏が発言を行っているのはTwitterやnoteのような誰もが発言できるメディアに留まっていない。現代ビジネス,プレジデントオンライン,BLOGOSといった,中立性を保ったある程度格式のあるWEBメディアにおいてもその主張が掲載されている。これは,彼が一般メディアからもある程度の評価を獲得している根拠であり,仲間内に向けて偏った発信ばかりをしているというライス氏の主張を否定するものになる。ちなみに,現代ビジネスにはライス氏も寄稿している。
ライス氏は学術的な背景のある言説を至上のものとし,ネット上での言説を程度の低い物と見なす価値観を持っているようだが,これは偏った価値観だろう。
ネット上では素人の発言が可能だが,それに対して専門家が批判を加えることも可能なのだ。生半可な言説では,素人がネット上で自らの論が正しいと広く認めさせることは,実際のところかなり困難だ。ネット上で政治的主張をするアカウントのほとんどは仲間内で価値観を確認し合うことしかできないのが現実だ。
そんな中で,広い層からの支持を集め,書籍を出版するまでに至った白饅頭氏の言説は,一考に値するものであると判断されるべきだろう。たとえ学位がなくとも。
それに,学術分野での肩書を持つ者の発言が必ずしも正しいとは言い難くなってきているのはライス氏も理解しているはずだ。実際に,彼のブログでは大学に属する研究者の著書や発言の誤りを指摘する記事が多く書かれている。
ライス氏は,ネット論客の主張は仲間内へのアピールばかりで発展性も新規性もないと言うが,学術の世界ではそうでなはいと言えるだろうか。学術界でも,特定のコードに反する内容の主張が正当な理由なしに発表を拒否されるという事例が少なからずあったはずだ。
ライス氏は学術的であることを重要視しているが,それだけを至上のものとし,そうでないものを見下すような態度はそれこそ閉鎖的で彼の指摘するネット論客の悪い特徴と同じだ。
2022年12月20日,白饅頭氏はライス氏のツイートを引用リツイートしこのように書いた。
“社会正義の総本山アカデミ屋を称揚する奴がいうのマッチポンプ感があって草”
たしかに,社会正義を定義しがちなアカデミア出身のライス氏が,社会正義に疑問を呈する内容の本を紹介するというのはやや疑問を生じさせるものかもしれない。
しかしながら,ライス氏は普段からアカデミアの主張する社会正義について無批判だったわけではない。彼のブログを読めばわかることだが,学術的な地位のある人物の著書についても内容に疑問を感じる点があればしっかりと指摘をしている。
ライス氏はアカデミアを重要視こそしているが,かといって盲目的に信奉しているわけでも無い。
“いやだから、君のような人文アカデミア礼賛ネット論客が「露悪的なおもしろさ」とか語るのダブスタもいいとこでしょ。”
白饅頭氏はライス氏を“人文アカデミア礼賛ネット論客”と呼んで揶揄している。これは,ライス氏が人文アカデミアについて批判的な視点を持ち合わせていることを無視した発言だ。
“インテリの本って普通に読みにくくて面白くないという根本的問題があるんだよな。
おもんなくてわかりにくい文章を書いているだけの分際で「高尚なことをやっている」とのぼせ上がっている奴らの商売が破綻するなんて当たり前でしょ。
「本当に頭のいい人は一般の人でもわかりやすく説明する」みたいな論調には与しないまでも、かといって「複雑なものを複雑なまま理解するのが知性だ」みたいなのも、インテリの自惚れが含まれていないわけではないだろう。“
これは名指しこそしていないが,ライス氏の著書に絡めた発言ととることができる。たしかに,ライス氏の著書は硬い文体でやや学術寄りの内容でもあるため,読むために労力を要する。
だが,ライス氏の著書はより厳密な内容で社会について論じたものであるという点から,白饅頭氏の著作よりも優れていると言える。本自体の売り上げで言えば白饅頭氏のほうが圧倒的ではあるが,それは彼の知名度と,内容の易しさによるところが大きいだろう。ライス氏の著書は本人の知名度も低く,厳密で硬い内容であるために気軽に手に取れる本ではないものの,より厳しい視点を持つ読者にとってはライス氏の方が優れたものとなるはずだ。
白饅頭氏は難解な内容について“インテリの自惚れ”と言っているが,これはただの暴言だ。ライス氏の著書が難しい内容となっているのは,学術的な視点からより厳密に理論を展開しようとしているからであり,アカデミア出身としての自負心と責任感によるものだろう。アカデミアを腐したいあまり,不適切な言動をしてしまっている。
“ 世間知らずのインテリくずれがパソコンカタカタで俺に勝つなんて甘い。フォークリフト乗ってから出直せ。”
“世間知らずのインテリくずれ”とは,おそらくライス氏のことだろう。しかし,ライス氏は大学院を卒業した後企業勤めやフリーターをしながらブログを執筆していたため,白饅頭氏の言う世間知らずは根拠のないレッテル張りだ。インテリという言葉には明確な定義がないためはっきりとしたことは言えないが,少なくともライス氏は修士課程を卒業しているという点で学部卒の白饅頭氏よりも学術的な視点でのアドバンテージがあることは確かだろう。インテリくずれという揶揄も,適切な発言とは言い難い。
白饅頭氏はライス氏を頭でっかちで世間知らずな,大衆の苦労など知らない嫌味なインテリなのだと思い込んでいる節があるように見える。
しかし,ライス氏のブログを読めばわかることだが,彼は社会に出て様々な苦労や葛藤に出会い,しっかりと現実を見据えたうえでその経験を活かしながら発言をしている。決して白饅頭氏が言うような,苦労知らずや頭でっかちではない。
白饅頭氏はライス氏のブログや著書に関して,“つまらない”や“わかりづらい”,“売れない”と評している。たしかに,ライス氏の硬い文体は読む人によってはつまらないと感じるかもしれない。だが,社会について論じる以上は厳密かつ真剣な文のほうが望ましいというのも,一般的な考え方ではある。ライス氏の文章はライトな読者層にとってはつまらなく感じるかもしれないが,言説に対してより高い基準を求める読者にとっては大いに満足のいくものであるはずだ。
白饅頭氏はより広く読まれることを目的としだ文章を書くため,その内容を可能な限り平易なものにしている。彼からすれば,ライス氏の文章はわかりづらく自己満足的なものに見えるのかもしれないが,分かり易さを求めることで論理的な強度が低くなることも事実だ。ライス氏の文章は批判的な視点を持った読者に対しても説得力を持つように書かれているため,どうしても文章が複雑化することは避けられないだろう。それをわかりづらいの一言で済ませるのは不当な評価だと言わざるを得ない。
白饅頭氏の著書がライス氏の著書よりも売れているのは確かだが,市場での評価が必ずしも言説の正しさを格付けするものではないはずだ。先程も書いたように,白饅頭氏の本が売れているのは知名度と平易さによるものが大きく,世間で売れる本の殆どがそうだ。
白饅頭氏は読みやすさを重視するあまり,学術的な厳密性を軽視しすぎている。たしかに厳密性を求めた文章は難解で読みにくくなるが,一定レベル以上の読者はそう言って文章を求めるようになるにも確かだ。白饅頭氏の文章は新規の読者を獲得すことには適しているが,高い基準を求める読者からは不満を覚えられる内容だろう。
また,白饅頭氏はアカデミアに対して偏見を抱いているようにも見える。彼の発言を見ると,アカデミアとその出身者はアカデミア内でのコンセンサスに沿った発言しかできないと思っているようだ。
しかし実際には,アカデミアとその出身者には多様な背景と思想をもった人々がおり,時には学会での権威に背くような意見発表されているということは彼が知るべき事実だ。
これまで書いてきたことからわかるように,ライス氏が重視しているのは学術的な姿勢と厳密性だ。一方で白饅頭氏が重視しているのが人気と分かり易さだ。両者が重視しているものは両立が困難であり,それゆえに互いが敵対的な姿勢を取るようになってしまったのだろう。
くだけた表現をするなら,ライス氏は「ガチ」であり白饅頭氏は「エンタメ」だ。どんなコンテンツであっても,ガチとエンタメは対立しがちであると同時に両方が必要とされるものだ。
ここで,格闘技の興行を想像してみよう。コアな格闘技ファンを満足させるためには,当然実力のある選手同士の対戦を見せなければならない。しかし,実力があっても知名度は低いという選手が多い。知名度の低い選手では,新規のファンやライトなファンを呼び込むことができない。そこで,実力はともかく知名度のある選手の試合も組まなければならない。
実力のあるガチの選手と知名度のあるエンタメの選手,共に興行を成り立たせるために必要な存在だ。白饅頭が朝倉未来なら,デビッド・ライスはヴガール・ケラモフだ。
ライス氏のような,学術的な背景から厳密な文章を書ける作家も,白饅頭のような分かり易くて売れる文章を書ける作家も,言論の世界を成り立たせるために必要な存在のはずだ。
両者は現在のリベラルやネット世論に対して同様の疑問を呈することもあり,思想的な共通点もあるように見える。冷静な対話を重ねれば,互いの考えについて理解を示し合うことも可能なはずだ。
ライス氏と白饅頭氏はこれから日本の言論界をリードする存在になり得る作家であり,こんなところで小競り合いをして格を落とし合って欲しくない。
一時期ひろゆきのYoutubeを好んで聴いてた時期があったんだけど、
どういうところがかというと、とりあえず頭ごなしに否定したりバカにしたりしない。
「働きたくないです」という相談には「生活保護を受けたらいいですよ」と言い、
「不倫の恋に悩んでます」という相談には「訴えられたら確実に慰謝料取られるからオススメしません」と言う。
なんというか、暴論は吐くが、暴言は吐かない。
他のオッサンみたいに、「野菜食べるのは偉くねーよ、美味いから食うんだよ!」とか訳のわからないキレ方はしない。
こういうスタンスが今の若者には聞き入れやすく聞く耳を持とうと思えるんだろうと思った。
ひろゆきはそれをセルフプロデュースしてやってて、「そんなこと誰でもわかるし誰でもできるのになんでそうしないの?」みたいな態度が見えるのも面白い。
ブコメ100文字を駆使して否定や暴言をすぐ吐くブクマカもそういうところは見倣ったほうがいい。
あとひろゆきを批判する時に絶対出てくる「でもこいつ賠償金踏み倒してるよ」というやつ、
それはそうなんだけど、これを言っている時の、相手が何を言っても相手が悪で自分が正しいと無効化する感じがどうも受け付けない。
もちろんどうかと思うし、無かったことにしていいことでもないのだが、
そんな失敗をしても厚顔したたかに「自分クズですけど何か?」って顔で図太く生きる姿勢はむしろ若者も見倣ったらいいと思ってしまう。
その人が超上手くて自分と同じ武器使ってたから、どんな風に遊んでるんだろ?→この人の視点見れるじゃん!と思って見に行ったんだよな 暴言配信してる人だとも思わなかったし
そのあと遡って自分も出てた試合見ちゃったのは「こんな人にもしかしたら褒められてるかも」みたいな下心がなかったとは言えない だからマジでバカだし余計なことしたんだよな そもそも下手なんだから上手い人の動画見たところで上手くなるわけないんだから
昨日夜スプラしてたら「〇〇〇ch」みたいなあからさまに配信してますって名前の人とマッチングした(その人は味方だった)
試合終了後に好奇心で名前検索したらすぐに出てきてリアルタイムで配信してたんだけど、まあそこで案の定というか悲しいことにというかバチバチに悪口を言われていた。
自分はけしてゲームが上手い方ではないので仕方がないし、貶されることこそあれ褒められるようなスーパープレイはできてないので名前なんて検索せずに忘れるべきだったんだよな〜〜。怖いもの見たさというか好奇心で余計なことして余計なもの見て傷つくのが一番バカなのでもうやらないほうがいい でもやっちゃったので勝手に傷ついて引きずっている
別に配信してなくてもたった今マッチングしたプレイヤーに下手だと思われたり暴言を言われていることは知らないだけであるだろうし、今回もそれを偶々見てしまっただけで本質的には変わらないのかもしれないけれど、配信者にもコメントにも下手だの地雷だのやめろだの言われてて泣きたくなってしまったんだよな
本当に余計なことしなければよかった 明日のビッグラン(ゲーム内の大型イベントだ)が楽しみで今月頑張ってきたのにもう怖くてやりたくないもん今 楽しみを台無しにしてしまった
性格が毒親譲りの毒すぎて旦那に申し訳なくて、セルフネグレクトもどうにもならなくて生産性が無さすぎるし仕事も要領悪くて他の人より数をこなせないし、毎日非公開の日記つけて自分に自分で暴言を吐いて自省して色々頑張ってるつもりだけどもう自分とかいう人間と自分自身が一緒にいたくない、旦那にも職場にも触れ合う人みんなに申し訳ない
努力しようにも頑張ると頑張るだけ体調崩したり情緒がダメになったりして持続力に欠けるし
毎日ゴミ人間の自分と向き合って責め立て続けるのにもう疲れ果てた
旦那に迷惑かけないようにちゃんと別れてから自分を始末したい、旦那は優しすぎるから私に何も文句言わないし私が及ぼす害とか息苦しさに気付いてないかもしれないけど絶対一緒になんかいないほうがいい、貴重な若い時間を浪費させて本当に申し訳なかったけど今からでも正しい家庭を築き直せるから、私が相手じゃなければ旦那自身は人の親になることにちゃんと向いてる人だと思うから
別れたくないし別れること考えるだけで今すぐいなくなりたい気持ちになるけど誰にも後始末させずに済むようにちゃんと整えなきゃいけない
毎日苦しい、全部投げ出したい 楽になりたい
今回逮捕された保育士の子どもって相当な心の傷を負いそうだなあ。暴言暴力拘束って割とよくある話なのにマスコミに囃し立てられて全国的に実名と顔を報道された挙句ネットでも酷い言われ様。被害に遭った子どもは逮捕された保育士の事なんかそんな記憶に残らないから。1番の被害者は保育士の子ども。裾野市の市長も若気の至りで園長を刑事告発なんかしちゃうから収拾つかなくなってる。あの目は正義マンの目してる。正義側だと思ってる人達はやりすぎ。
右だの左だの党派性に由らず、人が集まれば 一定数過激な人が含まれることになって
その人たちが対立相手に 誹謗中傷や殺人予告、その他いろいろな嫌がらせが行われるんだけれど
表自とかネトウヨ側の人は 無能な味方に対して誹謗中傷や嫌がらせはやめよう と呼びかけてるんだけれど
フェミニスト側は 相手側からこんな誹謗中傷や嫌がらせを受けたとは 発信するけれど 無能な味方に対して誹謗中傷や嫌がらせはやめよう と呼びかけるとかしないよね
保育士の「虐待」なんて最近でも頻繁に起きてるのに「虐待」と報じられたのは裾野だけなんだよな
たぶん会見で園長が記者の質問に対して素直に「虐待」という言葉を使ったから見出しに「虐待」と出てそのまま全国トップニュースにまで瞬く間にステップアップしてしまったとか想像するけど
富山以外にも、
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20221130/k10013908541000.html
園児が下着姿で食事、体を小突かれる 仙台・太白の認可外保育所で不適切行為か 市が本格調査へ | 河北新報オンライン https://kahoku.news/articles/20221129khn000074.html#:~:text=%E4%BF%9D%E8%82%B2%E5%A3%AB
頬をつねられたり、体をこづかれたり
https://www3.nhk.or.jp/lnews/utsunomiya/20220623/1090012607.html
これら裾野と同じことやってるが報道はあくまで「虐待」ではなく「不適切な」保育
「不適切な保育」ってのは↓のケースのような、保育士不足で法定人数足りずに保育してるとか、そういうやつなら分かる
不適切な運営と通報があった沖縄・北谷町の保育園 監査踏まえて交付金取り消し|FNNプライムオンライン
https://www.fnn.jp/articles/-/450100
てか暴言や暴行と人数不足保育を同じ「不適切」という言葉で報じられてしまって後者がかわいそう
この議論に参加してる人で最近の少女漫画で該当する作品を実際知っているのだろうか。
私は『新婚だけど片想い』(雪森さくら)しか思い浮かばんかった。
どういう話なのかというと、まだ高校生の主人公が親同士の取り決めで金の為に金持ちの息子と政略結婚(いうてもまだ許嫁にとどまり籍は入れていない)をするのだが、その息子というのが天才囲碁棋士なのだ。
で、二人は早々と同棲生活を始めるのだが、旦那は全く主人公に興味がなく、囲碁最優先で、主人公がなにくれと世話を焼こうとするのを全拒否・全否定する(主人公は特技が家事全般なのだが、旦那は家事なんか家政婦さんに巻かせりゃいいじゃないという正論で抜かりない防御態勢を取っている)。しかし主人公は両親の為に婚家を追い出される訳には行かず、なんとか旦那にくらいついて本物の夫婦になろうとするっていう話。
直接的な暴力や暴言はないのだが、旦那の言葉が一々キツくて主人公がただただ可哀想だなと思った。今時プロ棋士を支える嫁って……って思ったし、一体『なかよし』はこの漫画を現代の小学生女子に見せてどのように育って欲しいと思ってんだ、とガッカリした。