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はてなキーワード: 成人式とは

2016-01-10

成人式もうやめたら?

もはやヤンキーお祭り会場じゃん。

大人になった自覚を〜みたいな意味のない話がほとんどで、実質は地元同窓会みたいなもんでしょ。

同級生レベルで個々に集まる会を設けるくらいでいいんじゃない

2016-01-08

http://anond.hatelabo.jp/20160107125638

引っ越したんで知り合い誰も居なくて一人で行って一人で帰ってきたけど、成人式は行ったね。

まあ行かなくてもいいかなと思う理由が「つまらなさそう」だけなら出といた方がいいよ。

まらないと思ったことすら、2、30年経つといい思い出になるから

成人式ホントつまんなかったなー」みたいなネタになる。

いじめられてたとかで会いたくないヤツがいるなら、出なくていいんじゃない

精神衛生上よろしくないし。命削ってまで行くほどのものじゃない。

2016-01-07

http://anond.hatelabo.jp/20160107125638

行けばわかるがつまらない。

壮絶につまらない。ジジイのつまらない説教話聞いて面白いけがない。

ただ、行かずにどのくらいつまらないか行って意味はあるのかと悩むより

行ってこれくらいつまらねえとわかるから行くのもありだ。

結婚みたいな失敗したら一生を棒に振る最初からやっちゃいけないおバカ行為と違い、

成人式に行ってつまらないなんて失敗は一日弱の暇つぶしになるだけだ。

まらなかったら式では寝とけ。俺は寝た。

世の中にはつまらないこともあるというのも学びだ。

http://anond.hatelabo.jp/20160107125638

冬場はホワイトホースショットで2杯飲んでから寝るのがニッカになってる

成人式はてっきり成人の日にするもんだと思ってたら

違ったみたいでいつの間にか終わってた

友人からメールもらって二次会には出た

最初の1時間は楽しかったよ、あとはまったりしてた

http://anond.hatelabo.jp/20160107125638

玉乃光の米焼酎は1回だけ飲んだが大変うまかった。

※小・中とロクな思い出もないのに成人式なんかアホらしくて出る気にもなれず、当日はモスバーガーでパティを焼いてた。

成人式には行ったほうがいい

anond:20160107125638

成人式は行ったほうがいい。

成人式は「最底辺人間」を実際に見ることができるチャンスである

大体どこの成人式でも、壇上に上がってふざけたり、酒飲んで騒いだりする馬鹿が出てくる。

こういう馬鹿は、普通に生活していたらなかなか見ることができない。

こういうクズを見ると「ああ、自分よりもクズ人間がいるんだな」ということが分かる。

貴重な経験になるので、是非成人式には参加するべき。

http://anond.hatelabo.jp/20160107125638

20歳の頃には卒業した高校から遠いところに引っ越したか

引越し先の成人式行っても居心地悪いと思って行ってない。

特に後悔はしてない。

http://anond.hatelabo.jp/20160107125638

カルーアミルク

俺は出なかったけど、出とけばよかったと思ってる

一生に一度しかないんだぜ?

しか法律上大人になるっていう大儀式

イニシエーションとして自分の中で割り切る手段としてもオススメ

ただその後の同窓会とかは別に出なくてもいいとは思う

俺は成人式に出なかったかいつまでも考えが大人になりきれてないのかもしれないな

成人式って出た方がいいの?

出なかった人はオススメお酒でも書いといてください

いまだに前の住人宛てのダイレクトメールが届く。

最初の数年は届く都度、送り返すか差し出し元に連絡してたけど、それでも届くので面倒になって捨てるだけになった。

最初に送られてきたのは、その子小学校卒業するタイミングだったと思う。

中学入学に合わせて入塾をすすめるダイレクトメールだった。

その後も卒業入学の時期を見計らったダイレクトメールがぽつぽつと届いて、今年はついに成人式を迎えるらしい。

振り袖のカタログが送付されてきた。

送り返すのが面倒になったというのは理由の一つだけど、送られてくるダイレクトメールの内容を通して子供の成長を見守る親戚の気分を疑似体験できるという、気持ち悪い楽しみ方が出来るというのも放置してる理由

ちょっと前まで小学生だったのに、もう成人かと、カタログを見ながら妙な感慨にふけった。

前の住人とは一度も顔をあわせたことはないけど。

成人おめでとう。

知らないおじさんから祝われても気持ち悪いだろうけど、文句はいまだに昔の個人情報抱えてダイレクトメールを送付してくる企業の方に送ってくれ。

2016-01-02

成人式とか無駄からやめろよ

別に成人式とか行わなくても何の不都合もないだろ。

税金無駄極北

そんな金があれば高齢者福祉とか子育て支援に充当しろ

2015-12-23

http://anond.hatelabo.jp/20151223075922

俺は逆で、悪い別れ方をしたので向こうは絶対俺のこと悪く思ってるだろうし(実際別れてすぐ後ぐらいに知人経由で自分悪口を言っているのを聞いた)、成人式で久しぶりに顔を合わせた時もお互い意識的ほとんど会話もしなかったのに、あれから10年以上も経った今更になって急に友達経由で連絡してきてプチ同窓会をやりたいみたいなこと言ってきて困惑してる。

聞いた話だと向こうは結婚もしてるらしいから、元サヤとかはありえない。

今更顔合わせても話すことないし適当理由つけて断ったんだけど、じゃあ何日ならどうかと聞いてくる。もう何度か断ってるのに。

一体どういう理由で今更向こうが会おうと言ってるのかよくわからん

2015-12-06

僕の地元

若い人は酒・女・パチンコ・車・祭りしか興味を示さな

私立に行く奴はアホ

市長地元国立

価値判断基準テレビ

商店街ほとんど閉まってる

性的早熟人生のもの早熟

・謎の宗教団体が巣食う

成人式人生のピーク

・無投票当選

・まともな仕事がない

情報に疎い人が多い、与えられた情報を消費するだけ(騙されやすい)

Facebookが好き

イオンすらない

ちょっと賢い子は都会に逃げて二度と帰ってこない

・全国規模のメディア露出甲子園のみ

同じ日本にいながら東京が別の国みたい

やばい

2015-12-05

卒業式にもでなかったし、成人式もでなかった

節目の行事と言われるものは避けてきた

人の結婚式にも極力出ない

そのこと自体に後悔はないけれど、もう普通にはなれないんだなとは思う

普通のひとたちと共有できる体験が少ないんだから必然なんだけどね

2015-11-23

彼女SMプレイしていたら飛び火して学校で虐められた話

20年ほど前の話。

小学生5年生の時から付き合っている彼女が居た。

幼かったので顔面に座ってもらったり、太ももに頭を挟んで貰ったり程度で体の関係は無かったんだが、アブノーマルプレイはしていた。

中学1年生の時この頃もまだ体の関係は無く体を軽く触る程度。

しかし、例のアブノーマルプレイにハマっていた。

それはSMプレイ

当時の自分彼女より身長が10cm以上低く、力も弱かったため叩いても痛くは無かったと言うのもある。

かなり顔の可愛い彼女を叩くのが楽しかった。

彼女も楽しそうだったが、ある日そんな雰囲気クラスにも感染し同じクラス男子生徒達が彼女暴力を振るった。

背が高かった彼女は難無く男子生徒を払い退け怒ったが、エスカレートしていき彼女は虐められるように。

彼女自分あくまSMプレイだと説明したが、理解して貰えず彼女への暴力クラス替えまで続き、

正直虐め被害者と付き合っている事が恥ずかしくなった自分クラス替えと同時に彼女と関わらなくなった。

今とは違い、携帯電話が普及して居なかった時代

家に掛かって来る電話無視すれば簡単に連絡が断てた。

もうだいぶ前だが成人式の時、彼女とすれ違ったが話しかけて来なかった。

Facebook確認した彼女は今でも未婚らしい。

あの事が原因で人間不信になり未婚なのだとしたらとても楽しい気分になる。

2015-11-20

実家金持ちでつらい

両親とも医者でつらい

2人で交互に病院を切り盛りしててつらい

共働きなのに幼稚園なのがつらい

風邪をひいたらつきっきりで看病してくれてつらい

学校から帰ったら必ずどちらかがいてつらい

毎年予防接種を受けさせられてつらい

毎日家族食卓を囲むのがつらい

夏休み最後の日に宿題を手伝ってくれるのがつらい

誕生日クリスマスだけ高いレストランに行くのがつらい

欲しいものなんでも買い与えられなくてつらい

本と勉強道具だけいくらでも買ってくれるのがつらい

スイミング英会話を習わされてつらい

吹奏楽部に入ったら楽器を買ってくれるのがつらい

勉強はしなくていいけど宿題はしなさいって言われるのがつらい

成績が良い時にご飯が豪華になるのがつらい

成績が悪い時に次はもう少し頑張らないとねって言われるのがつらい

病院は継がなくていいって言われるのがつらい

大学上京を認めてくれるのがつらい

やりたいことをやりなさいって言われるのがつらい

一人暮らしには不相応な良い部屋に住ませてくれるのがつらい

毎月米と野菜仕送りしてくれてつらい

帰省チケット代を出してくれてつらい

演劇サークルに入ったらわざわざ東京まで観に来てくれるのがつらい

成人式に一番かわいい着物を買ってくれるのがつらい

彼氏を紹介しても和やかでつらい

結婚資金いくらでも援助してくれるのがつらい

結婚式で泣かれるのがつらい

娘には何でも買い与えられてしまってつらい

2015-11-01

俺がハロウィン(という名の仮装大会)が嫌いな理由

成人式で大騒ぎして暴れてる連中と同じ印象を持ってるから

一人じゃ出来ない奴らが徒党を組んで主体性の無い馬鹿騒ぎしてる感じが凄く嫌い。

おたくコスプレビジュアル系の変な格好してる奴らとは明らかに違う。

2015-10-07

愛され度、歴代1位の元彼が結婚→パパになった。

ネットで知り合った10歳歳上の彼氏

4年くらい付き合った。

高校生ときは友人やバイトの悩みをきいてもらい

進路の悩みだって聞いてもらった。

高校卒業後、就職した私のよき相談相手でもあった。

成人式の日は、わざわざビデオカメラを新しく購入して、私の晴れ姿を家まで録りにきてくれた。

でも、別れた。私が振った。

当時、色々理由があってそういう決断をした。

今なら許せるかもしれない、そんな些細なことだった。

実は、後悔している。

その後の男性関係は今の彼氏含めて散々だ。

こんなに愛してもらったのは、元彼が一番だ。

別れて5年たった今も、各SNS捨て垢からヲチしてる。

ちなみに出会いきっかけとなった私のブログはまだ続けている。

アクセス解析を見ると、今でもほぼ毎日見てくれているようだ。

そんなある日、元彼が結婚した。

ショックで髪を切った。

その後も順風満帆だったみたいで、ついに子供が出来た。女の子みたい。

名前はもう決めているという。

その名前は…。

私の名前と同じ(しか漢字も同じ)だった。

えっ。。。

戸惑いが隠せない。

2015-10-05

父を捨てた話

幼い頃に母を亡くして、父子家庭で育ってきた。

父と、7つ上の兄と、3人で暮らしてきた。

父はよく稼ぐ人だったから、金銭的に不自由することはなかった。

兄はとても優秀で、なおかつ面倒見が良くて、いつも優しくしてくれた。

近所の人たちも事情を知ってくれて、すごくお世話になった。

私と兄は、母親がいないという点を除いては不自由も無く、たぶん、健全に育った。

兄は大学上京して私と父は2人暮らしになった。

その後、私は中学受験をして中高一貫女子校に入った。

兄は大学生になっても優しくて、帰省する度に私の宿題を手伝ってくれた。

高校生になり、進路を考えるようになって、ずっと兄の背中を見てきたものから、同じ大学に行きたいと思うようになった。

私は出来が悪くて、兄ほど優秀ではなかったから、一所懸命勉強した。

成績も上がって、胸を張って志望大学を言えるようになった。

ある日、進路を父に相談したところ、東京には行かせられない、と言われた。

金銭面の問題かと思い聞くと、私は箱入り娘なのだから1人暮らしをさせるわけにはいかない というようなことだった。

お兄ちゃんは行ってるじゃん と言っても、お前は女の子なんだから と言うばかりで聞いてくれなかった。

そのとき初めて、父に不信感を抱いた。

学校友達相談してみたが、周りにもそんな子が何人かいるらしく、たわいもないこととしてあしらわれてしまった。

高校で学年1位の子は、東京大学合格圏内なのに地元公立女子大しか認めてもらえないと言っていた。

彼女は仕方がないからともう諦めている様子だったが、私が彼女の諦めに同調する必要はないと思った。

担任先生進路指導先生相談をしたところ、お前が勉強を頑張ればお父さんも認めてくれるはずだよ なんて、的外れな答えしかもらえなかった。

成績がどんなに良くなっても、父は頑として家を離れることを認めてくれなかった。

地元はいわゆる難関と呼ばれる大学ひとつあって、父はその大学を勧めてきた。

でも、私は理系を選択していて、希望する学部学科は別キャンパスにあった。そこは本キャンパスから遠く、家から通学するとなると大変で、結局1人暮らしをする羽目になる。

そのことを強調して伝えると、父は、なら文転すればいいだろうと軽く言ってきた。

兄には許されたことなのに、私は、女であるということだけで進みたい進路にも進めないのかと悲しくなった。

その日は全く話し合いにならなかった。

高校3年生の夏、帰省してきた兄に初めてこのことを相談した。

兄は、多分そうなると思っていた と言っていた。

私はずっと、自分は恵まれていると思っていた。そして実際に、恵まれていた。

でも、ちょっとの不満や疑問も、恵まれている故のものだと思っていた。

兄曰く、母が亡くなってからの父は、ずっと、私に対して過保護だったらしい。

そういえば、女の子なのだから怪我をさせられないと公園に遊びに行くことも禁止されていた。

ズボンを履くことも禁止されていたし、自転車に乗ることも、男の子向けの番組を観ることも、危ないこと、はしたないことは全て禁止されていた。携帯電話だって父と共用だった。

全部、兄は禁止されていなかった。

女子校入学したのも、父の強い希望だった。

それらに私は何の疑問も抱いていなかった。嫌だな、と思うことはあっても、自分は恵まれているんだから我慢しなきゃ と思っていた。

父は私を縛り付けたかったのだろうか。

そのような考えから父の言動を見ると、もしかするとこれは普通ではないのかもしれないと少しずつ思うようになった。

毎朝の行ってきますキスも、週1の交換日記も、中学まで一緒にお風呂に入っていたのも、たぶん、普通じゃなかった。

本当はずっと嫌だったけど、ルールからと慣れてしまっていた私も、普通ではなかったのかもしれない。

兄は、お父さんの言うことを聞くか、お父さんを捨てて東京に来るか選べと言った。

そんなことを急に言われても、父を捨てるなんて考えられなかった。

父は、優しくて頼もしい、自慢のお父さんだから

親を捨てるというのは家族と上手くいっていない人や虐待を受けた人だけがすることだと思ったから。

でも、どんなに説得しても父は家を出ることを認めてくれなかった。

父は頼れなかった。私は兄に相談して、兄に言われるがまま目一杯勉強した。

2月受験前日、交通の乱れを懸念して受験会場近くのホテルに泊まった。もちろん、会社を休んで着いてきた父も一緒に。

理系キャンパスは遠いが通えなくはないということで認められ、文転だけは免れていた。

いわゆる難関大学だったが、試験は簡単だった。私の本当の志望大学はこんなものじゃないくらい難しいはずだったから。でも、どうしても行きたくなくて、わざと間違えた私は不合格になった。

父には、浪人する、と伝えた。認めたくない様子だったが、必ず受かると高を括って私立大学をうけていなかったため、その他に選択肢は無かった。

高校卒業して、3月中旬友達卒業旅行に行くと言って東京に行った。

もちろん卒業旅行にも父は大反対だったが、これだけは譲れないと強引に家を出た。

東京に着いて、会社を休んできた兄に迎えられ、私は、志望大学の後期試験を受けた。

募集人員も少なく、馬鹿みたいに難しい試験だった。

もし落ちたら、本当に浪人するしかなかった。でも、なんとか、合格した。

合格通知を見せると、父は激昂した。優しい父が怒っている姿を初めて見た。

認めないから金は出さない、と父は言った。私はアルバイトもするし、兄にも援助してもらうことを伝えた。

後期受験を兄も知っていたことに怒るかなと思ったが、予想に反して、お前にアルバイトなんかさせられるかと父は泣いていた。

そのとき初めて、父を怖いと感じた。

宣言通り、父はお金を出してくれなかった。入学金さえ払わなければ、私がいなくならないと思っているようだった。

私は貯めていたお年玉を使った。入学金、授業料で足りない分は兄が出してくれた。

支払いが終わってからも、期限ギリギリまで父にはお金を出してくださいとお願いし続けた。払ったことを知られては困るから

3月末、すっかり安心しきった父が仕事に行っている間、私は荷物をまとめて東京に向かった。捜索願を出されてはかなわないので置き手紙をした。

東京に着いて、仕事帰りの兄と落ち合った。

しばらくすると、兄の携帯に父から電話がかかってきた。兄に促され私が電話をとった。

2度目の父の激昂だった。

でも、どんなに怒られてももうお金は払っているし、もう東京に来てしまっている。

帰らないことを伝えると父はまた泣いていた。

後日、同じく上京していた高校友達にお願いして、何日か部屋に住まわせてもらった。

父も休日上京し兄の家に来ていたらしかったが、携帯電話すら持っていない私に連絡をとることはできなかった。

入学式には、父も兄も来なかった。式が終わり友達の部屋に戻ると、上京した同級生が何人か集まっており、おめでとうパーティーをひらいてくれた。

自由になったような気がした。

熱りが冷めてからはまた兄の部屋に住まわせてもらった。

いつまでも兄の世話になるのは申し訳なくて仕方がなかったが、兄に頼る以外の手段が私には見つからなかった。

兄の元には今も頻繁に父からの連絡がきているらしい。そして兄の口座には私宛のお金が振り込まれているらしい。

私の学費も、生活費も、兄が出してくれたようで結局は全て父のお金だ。

アルバイトお金なんてほんの足しにしかならない。

からと言って際どいアルバイトに手を出そうとすると兄に止められる。

結局私がしていることは、家にいた頃と何も変わっていない。

成人式の報せや諸々の手続きなど、全て父と兄がやりとりをして済ませてくれている。

ただただ自分が恥ずかしい。

あの日、父を捨てる決意をしただけで私は何も捨てられていない。

親子喧嘩をして意地を張り続けているだけだ。

でも、だからと言って、そう簡単に仲直りできるわけでもない。

このままじゃ私はいつまでも、箱入り娘のままだ。

2015-08-28

ひよこ

ひよこを飼っていた事がある。

脂ぎっているような白熱灯の元で、うじゃうじゃとまるで「蜘蛛の糸」を待つカンダタのような感じで、糸が垂れてくるのを待っている、縁日で売られていたひよこである

なぜ、俺がひよこを欲しがったのかわからないし、付けた名前も忘れたが、とにかくひよこを飼った記憶がある。

ところで「ひよこ」と普段キーボードで打つことが余り無いので気付かなかったのだが「ひよこ」とタイプすると、なぜだかわからないが心がとても落ち着き、非常にピースフルな気分になる。皆さんもぜひ試してみて欲しい。

縁日の夜、我が家にて飼われる事になったひよこは、段ボールを改造したひよこハウスに入れられる事となった。

ひよこハウスの中は、柔らかいタオルケットのようなものが敷かれ、湯たんぽが安置されるという豪華暖房付きで、ひよこも心なしか居心地が良さそうだったのを覚えている。

こうして小さなワンルームの住人となったひよこの餌はなぜか「米糠」であった。

これは実家が米穀店を営んでいたことに起因すると思うのだが、今思うと水に濡らされて若干ぱさぱさ感の取れた米糠を延々と主食として食わされるひよこの心中は、いかほどだったのであろうか。

不思議米糠をつつきながら、ぴよぴよと鳴くだけで、あとは暖かいタオルケットにくるまって寝るという、落語道楽若旦那もうらやむような生活をしていたひよこは、いつのまにやら通常の人間が想起するひよこよりも、はるかに巨大になっていた。米糠だけであんなに大きくなるものなのだろうか。

こうして、すくすくと育っていったひよこであるが、大きくなってしまった結果、ひよこハウスでは少し手狭になってしまったので、我が家の庭にて飼育されることになったのである

暖かいひよこハウスから、突如屋根無し生活ブルーシーターと化したひよこであるが、文句一つ言わずにひょこひょこと歩き回っていた。時々クビをかしげていたような記憶もあるのだが、あれは鳥類特有のものだろう。

ところで、日本人ならば成人式を迎えた日、ユダヤ教ならば割礼をした日、どこかの部族なら入れ墨をした時に「大人」と認められるのだが、ひよこはいから鶏になるのだろうか。

鶏冠が生えて来た時だろうか。それとも、ある朝いきなり「コケコッコー」と「今日から大人ですよわたしー!」と高らかに鳴いた時なのであろうか。

そんなことを子供ながらに考えていたある日、裏の駐車場にあった、鉄パイプを組んだ足場で遊んでいたところ、遠くから「ひよこがぁ! ひよこがぁ!」と祖母の叫び声が聞こえた。

大きくなり、湯たんぽ庇護必要としなくったゆえに野晒しにされていたひよこは、野良猫に捕まえられ、抵抗の際に抜け落ちたと思われる数枚の羽毛を残してどこかへ消えてしまったのである

こうして、行方不明になってしまったひよこであるが、その後近所で「野良鶏」を見なかったことから、おそらく猫に食われてしまったのかも知れない。

と、いうわけで、未だに縁日で売られているひよこだったり、どこかで鶏を見かけたりすると、米糠ばかりつついていたあのひよこを思い出して、ちょっぴり切なくも、懐かしい気持ちになる。

ちなみに、アメリカ研究チームがティラノサウルスの骨のタンパク質アミノ酸配列を解析したところ、ニワトリに最も似ているとの結論になったらしい。

万年後かに、何かのはずみで地球重力が少なくなったり何かして、突然変異で色んな生物が大きくなってしまったり、先祖帰りをしたとして、ティラノサウルスばりに大きくなったひよこが猛り狂ってぴよぴよしているのを、見てみたいものである

2015-08-27

中学友達 on facebook

中学時代友達からfacebook友達申請がきた。まだ承認していない。

大学就職ともに東京実家を離れてもう10年以上たった。

彼を含め、中学友達とは成人式以来あっていない。

都会民のマナーとして、

「久しぶり!懐かしいね。いつか会おうね!」

と書くことに、良心の呵責は全くない。心にもないのに、

facebook残酷だ。

カリスマ的人望があったサッカー部エース君も、男女問わず皆に慕われていた才色兼備さんも、

はたまた、目をあわせることを避けていた不良君や、なぜか陰口をたたかれていた苛められっ子ちゃんも、

示し合わせたように、みな、子供野球チームの写真とか、ネイルのでき具合なんかを、嬉しそうに投稿をしている。

良かれ悪かれ、彼ら・彼女らに、当時のオーラは全く感じない。

母親なんかは、無邪気に

スーパー中学友達の○○さんに会ったよ。『○○さん(←私)、立派ですね』って褒められちゃった」

と連絡してくれるが、母よ、娘には、いまさら彼ら/彼女らと共有できる世界はないんだよ。

2015-08-18

自分(21歳)の周りに、「自称"老害オタク"」が増えてきた

僕は「1994年世代」だ。

僕より上の世代の方々は驚くかも知れないけど、小学校高学年からネットに触れていた連中ならギリギリFlash黄金期」を経験していたりする。

かく言う僕もその一人。

そんでもって小学校5年生か6年生の時にはYoutube流行りはじめ、どんどんネットコンテンツが溢れかえっていく時代になる。

中学に入った頃にはニコニコ動画流行りはじめる。ここでニコニコ動画にも手を出すか否かは、「オタクになるかならないか」の分かれ道だった気がする。

僕は、そこそこ順当にオタク道を歩んでいったうちの一人。

おもしろFlash倉庫Youtube、とネットにのめり込んでいき、ニコニコ動画存在を知るや否や会員登録した。

テレビアニメとか萌えとかにはイマイチ興味が湧かなかったが、ネット文化が好きだった。

ドーマンセーマンだとか、初音ミクメルトだとか、そういうのを見てネットサーフィンを楽しんでいたうちの一人だった。



時は流れ、2015年成人式を過ぎたあたりから、どうも周りの同年代の「オタク」たちの様子がおかしい。

いつものようにTwitterタイムラインを見てると、初期のニコニコ動画で人気を博した動画がペッと貼られる。

これは良い動画だったなぁ、でももう見過ぎて味もしなくなっちゃってるな(笑)なんて思ってたら、

「いや~俺ってチョー老害だな、やべえw」

「今のオタクの子たちはこんなのも知らないらしい・・・ウソ・・・もうババアかよ・・・

えっ。

いつから老害って自分認定して、誇るような肩書きになったの。と、衝撃を受けた。

こんなやり取りが見受けられて以降、タイムライン上では定期的に「老害アピール合戦」が繰り広げられる。

かつての有名Flash、かつての有名動画、果ては「ハルヒ」や「けいおん!」なんかもダシにされる。流石にマジかよってなる。

彼らの中では、「最近オタク」とはほとんど話題を共有できないぐらいに自身老害になってしまったことになっているらしい。

そんなことはないだろう、と僕は思うのだが・・・

しかも、大抵のそういう人たちは、ブームが去った時点でそもそも飽きてしまってるのだ。

右も左も分からなかった頃にたまたま舞い降りたブームに乗っかって、その後ほとんどまともに界隈を追ってないんだから老害もクソもない。「今のカルチャー」を知らないから勝手想像でっち上げて「あの頃」との比較を始める。



僕らが常日頃認識している、「あの頃は~」なんて言ってる本当の老人たちと何ら変わらない。

僕らは「老害」を冷やかな眼で見ているのに、「自称老害」たちは恐らく冷やかな眼で見られている自覚が無い。

「あの頃は~」←ハッ!なんてネタで終わればいいんだけれども。

2015-08-10

数年前に見かけたけど流行らなかったな

http://anond.hatelabo.jp/20150809222619

数年前、お盆玉流行らせようとしてたと思う。文房具屋にお盆玉袋とかあって。でも定着しなかったけどまたリベンジしてるのか。

今回もないだろうなとは思うけど。元々どこの地方風習なんだろ。

冬は雪深くて帰省が難しいような地方で、お年玉代替的に、ならわかるけどさ。夏に成人式やる地方のように。

2015-08-07

アフターピルと大人になるということ

 先日、生まれてはじめて避妊をしないでセックスをした。


 処女を失って数年。セックスするとき避妊するのがあたり前だと思っていたし、今でも割とそう思っている。ただ。ただその日はなんだか、避妊という現実的すぎることがもう、嫌になってしまって、そのまま入れてしまったのだった。

 就職を期に上京して親と離れて暮らすようになってから、どうにも生きている現実感がない。でも、避妊をしないセックスをすれば、生きてるって実感できるかも知れない。そんな気持ちがどこかにあったのだと思う。


 行為の翌日仕事のあと、アフターピルをもらいに病院に行った。一人で調べて一人で行った。病院に向かう電車にゆられながら、恐怖心も後悔も何もないことに気づいた。相手に対する憤りや申し訳無さみたいな感情もない。ただそこには、私がついに大人になったのだ!という高揚感があった。

 親が聞いたら泣いて悲しむだろう、友達に言ったら相手の男を怒るだろう。でも彼らには今回のことは関係ない。責任をとるべきは自分だ。自分自分の体を明け渡したのだから。私は、私の体を、私が思うように、扱っている。そんな実感が自分の心を満たしていくのがわかった。これってすごい、大人じゃん、と。胸がドキドキしたのだった。


 産婦人科病院で受付を済ませて、問診票に記入をする。こういう病院の問診票には必ず「性交経験の有無」や「妊娠経験の有無」を記入する欄がある。

 該当する項目に丸をつけながら、自分がただの女であることを実感させられる。私は今、○○部○○課の私でも、両親の娘でも、あなた恋人でも、あの子達の友達でもない、ただの女だという実感。「年の割に○○だね」「女性なんだからもう少し○○しなよ」「結婚しないの?」そういう、周囲との関係性の中での「女」ではなく、私がただ女として女であるという感覚


 順番になり診察室に入る。2粒の錠剤は、二言三言の用法の説明だけであっさりと手に入った。1万数千円を支払い病院を出る。駅までの道を歩きながら、あぁこんな、たったこれだけのお金で、あのセックスがなかったことになるんだ、と笑ってしまった。

 帰宅してから薬を飲んだ。心配していた副作用特に無く、その後も普通に出勤できている。なにもかもが全然大丈夫だし、何故か達成感すらある。仕事も嫌いだし死にたいなとか思ってたけど、なぜだか生きる勇気をもらってしまった気さえする。


 初めてセックスした時よりも、成人式の時よりも、はじめて選挙投票に行った時よりも、一人暮らしを始めた時よりも、全然大人になったと感じた出来事だった。なので記念に書いてみた。

2015-07-23

大人の階段というのは子供時代の延長からギャップ経験しながら登るものだろう。

30年くらい何となく生きてきた中で、存在について認識した階段について書いてみる。

自分経験したもの、もしくは、気づいたら周りの連中がさっさと上っていた階段など。

アルバイト奨学金生活した。親からの金銭的な独立であって、階段上った感があった。

こういうのを嗜むようになったことで、一段大人になった感じがした。美術館オケ鑑賞、演劇

学生時代、気づいたら周りの男友達どもが通ったりしてた。俺はこの階段は登れない。

助手席の同乗者の安全についての責任を引き受けるという、子供時代からの決裂のシンボル経験

父がはまっていたせいか、大人の遊びという感じがする。俺はやったことないし興味もない。

中学時代の友人と成人式であった際、彼が離婚済みと知って驚いた。娘と会えないのが辛いと言っていた。

人生の悲哀というのを、自分の何倍ものスピードでなめている人がいるという事実に衝撃を受けた。

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