はてなキーワード: 寄合とは
その荒らしに対して珍獣観察する気持ちでヲチってたやつ、自分の住処を荒らされ怒りに燃えるやつ、ただの野次馬
そういう違いとかについては関係なく、いつしか連中は悪行の糾弾や事実追求から大きくズレて、ネット珍走団やリンチ軍団、果てにはなんでも「荒らしの〇〇さん」と認定する狂人の集まりと化す
わかりやすいのはアレだな、F9だかなんだか言われてた荒らしと、問題行動を起こして荒れたあるアマチュア歌手を同一人物扱いして未だ見えない敵を追いかけてるやつら
あと、全てが糞虫小僧だの、大澤だのの荒らしに見える奴らとかね
少しでも怪しい(そいつら基準で)と思えば「お前は荒らしの〇〇だな?名を隠してもその文章でわかるぞ?」とか言うからねあいつら
どこの荒らしヲチコミュも末路はこうだ、糖質並みの荒らし認定するキチガイになる
仮に糖質にならなくても、ある高校生荒らしとその依頼先のダメダメ弁護士を追いかけてた界隈みたく、目に映るもの全てに火を放つテロリストになる
荒らしにかまうのは荒らし、それは単にレス返しだけじゃなくて、荒らしをヲチってる奴等にも当てはまるんだなと
むしろその原動力が怒りでも正義感でもただの野次馬根性であっても、至る場所は「ネットリンチ軍団」か「糖質患者の寄合所」のどちらかというね
すげえよあいつら、ある荒らし糾弾コミュの活動範囲内でその荒らしのマネしてみただけで、連中のまとめwikiに「狂人〇〇の活動報告(〜〜年度版)」みたいなまとめに載るぐらいだもん
何見えてんだあいつら
・勝つ気なんかない国政政党を立ち上げます(どうせ茶坊主塾生だらけです)
・配下をグズグズにされた前原さんが共闘に応じ、民進党が完全に意味不明な党になります
・茶坊主塾生と離脱組と民進党のカオス寄合が小池さんの威光だけを頼みに戦います
・最悪惨敗に終わっても、民進党を巻き取って沈んだので自民に恩を売れます
・間違って大躍進しても、自民を圧迫しつつ連携党としてやはり恩を売れます
・反アベしかイシューのない民進共産は勝利によってのみ身を立てるのに、割れたら終わりです
・共産1人残されて敗色濃くなってももう盛り返す名分すらありません
・公明党の戦況認識は日本一機敏で正確です その公明党が小池から距離をとった
・希望に巻き取られていると勝っても負けても小池の食い物になる構造を見抜いたのでしょう
・自民の同盟者だったはずがいつのまにか小池の五分下がりの舎弟になりかねない
現在、日本語がメインのインスタンスはmstdn.jp(ユーザ数85k、個人運営→ドワンゴ入社)、pawoo.net(ユーザ数78k、pixiv運営)、friends.nico(ユーザ数10k、ドワンゴ運営)、の3つが主な勢力となっている。
「マストドンは分散型SNSなんだからどこのインスタンスにいようと同じだろ」と思うかもしれないが、それは正しくない。というのも、「マストドンをどう使っていいのか」が、現状ではまだ誰にもわからないからだ。少なくとも現在は「ローカルタイムラインを使用したチャットツール」としての使われ方をしているため、どのインスタンスに所属するかで、かなり印象が違ってくる。
たとえばpawoo.netはハイレベルな変態の集会所となっている。昨日の深夜、男の娘ママについて熱く語り合っていたのを見たときは、「人類は衰退しました」で妖精さんが数日にして文明を作り上げたシーンを思い出した。
friends.nicoは'90年代からインターネットにどっぷりだったようなおっさんの寄合所となっている。年齢層が高めのためか治安がよく、ローカルタイムラインも話題を追えるギリギリの速度のためコミュニケーションを取りやすく、少なくとも筆者は現状で一番居心地がいい。
mstdn.jpはローカルタイムラインを追いきれないので見ていない。筆者はこの「ローカルタイムラインの速度」というのが今後のマストドンの進化において重要な要素になってくるのではないかと思っている。
いまさらだが説明しておくと、マストドンにはホーム、ローカルタイムライン、連合タイムラインという概念があり、それぞれ違う役割を持っている。
ホームは自分の発言、フォローした人の発言等が表示される。Twitterと同じような使い方をするならここがメインになるだろう。
ローカルタイムラインは所属するインスタンス内の公開発言がすべて流れる。現在のfriends.nicoのユーザ数が1万人で、ギリギリ話題を追える速度なので、このあたりが閾値になりそうだ。
連合タイムラインはそのインスタンスが連携しているインスタンスの公開発言が流れる。これはとてつもないスピードでタイムラインが流れていくのでとうてい追い切れるものではない。しかもそれぞれのインスタンスで文化圏が違うので話題もバラバラだし、それぞれのインスタンスの独自用語・独自実装があるので、他のインスタンスから見ると意味がわからないことも多々ある。
たとえばfriends.nicoで「〇〇さんの発言ニコりました!:nicoru:」と発言したとき、friends.nico内では「ニコる→お気に入り」という前提があり、:nicoru:が独自実装でニコニコマークに置換されるため、ちゃんと伝わるのだが、他のインスタンスからしてみれば、まず「ニコる」という用語がわからないし、:nicoru:マークも置換されないのである。
このように、連合タイムラインはその超スピードもあいまって正直あまり意味がないものになってしまっているのだが、筆者はこれはこれで必要な機能だと思っている。ローカルタイムラインだけを見ているとその文化圏・言語圏に閉じてしまいがちになるが、ふとした瞬間に連合タイムラインに切り替えると、そこにはいろんな文化圏があり、いろんな言語圏があることを思い知る。そのタイムラインをすべて追うことはできなくても、その人たちと直接コミュニケーションを取ることはなくても、たしかにそこにいる。たしかにどこかでつながっている。そういう感覚が常にある。ニュースグループやIRC、ICQやSkype、掲示板やSNSでも似たような感覚はあったが、それとも少し違う妙な感覚だ。
もちろん現状の「ローカルタイムラインを使用したチャットツール」という使われ方は長続きするものではない。mstdn.jpを見てわかるように、ユーザ数が増加するとタイムラインの速度も急激になり、会話が成立しなくなるからだ。今後はTwitterよろしくフォロー・フォロワーの関係性が重要になり、ホームのタイムラインがメインになっていくかもしれない。その場合はローカルタイムラインが現在の連合タイムラインの役割を果たすだろう。または何か違う別の方法でスケールできるようになるかもしれない。その仕様がどのようなものかはわからないが、この唐突にあらわれた風雲児がどのような成長を果たすのか、しばらくは見守っていきたいと思う。
ぽんぽこ88年、羽手名村の大字題有井と大字無し地域にまたがる巨大ニュータウン「羽手名ブログ」の建設が始まった。
大字題有井の住民は新しもの好きでもあったので、新しい“ブログ”に次々に移住していった。
何人かの住民はトラックバックが発動できないという土壌に驚きを禁じ得ないでいたが、村営有線電話「羽手名キーワード」が敷設されていたのでそこまで託つ者もいなかった。
なによりも新しい“ブログ”の住宅団地では家の改装が自由自在にできるだけあって好評を博したのであった。
そう、好評を博した。博しすぎたのである。
ぽんぽこ89年の頃から村の気配が変わっていく。活力門扉の町から、文言報道の町から、塀須物久の村から、あるいは文言報道の役場から建設キットを受け取ってどこの村にも属さない野山に家を立てて過ごしていた人たちが徐々に羽手名ブログに移り住んできたのだ。
新住民が次々にやってくることに旧住民は行く末安泰なことに顔をほころばせていたが、その顔はやがて曇っていく。
新住民はウェーイ系であった。
なんだこの人たち。こんな異世界の人たち、なんでここにまで来ているんだ。
―――旧住民の戸惑いは、やがて怒りに変わっていく。
俺達の平和な村は消えた。返してくれ。あの平和な空気を。
ぽんぽこ90年、旧住民の動揺はいよいよ高まってきている。
寄合で「モヒカン復興、新住民研究」を掲げて反抗を始めるか。
福澤アナのように新住民社会に溶けこむか。
あるいは物語が進む前に融和策を役場が講じるか。
俺の爺さんは酷い人だった。毎日酒ばっか飲んでいた。
そんなに酒に強いわけでもないが、日本酒を1日に1升飲むこともあったし、多い時で2升飲んでいた。
まあ、2升飲んだときは、排泄物垂れ流しで家の中が修羅場になるんだが。
仕事をサボって朝から飲むこともあったので、あまりシラフの時は見たことがない。
近所の道路でひっくり返って寝てる時もあった。死んでるのかと思った。
酒癖も悪い。家のガラスを素手で割る。もちろん手は血だらけ。
婆さんに殴られる。柱で頭を打つ。血だらけで倒れている。
家に帰ってきて倒れている爺さんを見ると、ああまた喧嘩したのか…と思っていた。
若い頃は博打に狂っていたそうだ。遠くまで行商に行って売り上げを競艇でスル。
突然バイク(カブ)を買った。競艇か何かで勝ったらしい。しかしそれも近所の人に博打のカタに取られ、3日ほどしか乗れなかったという。
酒場でヤクザに喧嘩を売ることもあったそうだ。言いがかりがすごい。
「お前ヤクザやと思ってえらっそうにしやがって!」いきなり関係ないヤクザにキレる。もちろんボコボコにされる。
挙げればきりがない。
本当に酷い爺さんだ。でも最近意外なことが分かってきた。
「俺はあんたところの爺さんに酒を教えてもらったんだ。俺の酒の師匠だ。」
意外と周囲の人たちからは慕われていたようだ。
あと、婆さんとは毎日のように文字通り血を見るような喧嘩をしていた。てっきり仲が悪いものだと思っていた。
爺さんは酒の飲み過ぎのせいかは分からんが、現在は寝たきりで動くことも飯食うことも話すこともできない。
老人ホームに入っている。
意外だったのは婆さんの行動だ。毎日見舞いに行っている。何があっても行く。
俺がいつ見舞いに行っても熱心に世話をしている。こんな献身的な人だったのかと婆さんを見直しつつも、そこまで愛されていた爺さんを羨ましくも思う。
酷い爺さんだったが、そういや小さいときから俺にだけはやさしかった気がする。
一緒に酒を飲みたかったが子供なのでそれほど飲めず、一口もらう程度だった。
大人になったら一緒にガブガブ飲もうと思っていた。
一度だけ、大人になってから爺さんの酒飲み友達が家にやってきた。
体が限界にきていた爺さんはほとんど飲まなくなっていたが、その日は飲みまくった。
俺も散々飲まされ、潰されてしまった。
でもそれが爺さんと飲んだ最初で最後だった。間もなく爺さんは医者に酒を禁止され、飲んだら明らかにヤバい状態になった。