はてなキーワード: 寄合とは
はてなだけではなく、色んな情報の受信感度を敢えて数段下げてみようと思う。
元々は、騙されたくない、遅れたくないという思いから、出来る限り多くの意見や情報を見て、現状を把握しておける様にしたかった。
だけども最近目につくのは、如何に日本がダメになりつつあるのか、希望などない、対外対内問わず遅れている、衰退していく一途の最悪の国家に成り下がってしまったということばかりだ。そうでなかったとしても、何かショックを受けるような…ギョッとするような情報に直面して、感情を大きく揺さぶられたり、憤りを強く感じることが増えたように思える。
ニュースや論説、ブログ記事などが集約され濃縮還元されるはてなでは、特にその傾向が顕著なように思える。賛否両論様々なコメントが各記事につくことも、そのことに拍車をかけている。
憤りを感じるなら、それを是正する活動につなげる、というのが本来正しいのだろうけど…今は日々を生きることに精一杯で、何とかしたいけどできないというもどかしさと、行き場なない憤りばかり積み重なっていく。
もちろん選挙に行ったり、出来る限りの行動は取る。しかし、だからといって突然何かが大きく変わるということは望めないだろう。この国はこの国の延長線上でしか生きられないのだと思う。
最近はどうしたらグレートリセットが起こるのだろうか、という極端な思考をするようになってきており、加えて憤りや無力感に苛まれて、日々が苦しくて仕方がない。ニュースを見れば、自分が投票していない議員や政党がやらかしたというニュースばかり、SNSをみればそれに対する憤りばかり、しかしそれでも小手先の改善や先延ばしで済ます政府…コロナ前は、この国は、たとえ衰退するとしても、もう少しマシな形で落ちぶれていくのだと思っていたけれど、こんなにもみっともなく、年寄りどもや一部の寄合が食い散らかし、一般市民が損をする、憤る気力も失われる様な国になると思っていなかった。
そんな極端な思考に疲れてしまったし、このままだとどうにかなってしまいそうなので、敢えて目を閉じ耳を塞ぐことにする。はてなから離れ、SNSも最低限にしてみる。自分の生き延びる、冷静に物事を見て立ち向かえる気力をつけられる様になるまで。
今の自分には憤りの種火も、凄惨な事実も、受け止められる自信はないから…。
はてなを見ても大丈夫なくらい元に戻ったら、また見に来れるといいな…そして、その時は希望を感じさせる記事や出来事が人気になっているといいな…。
以上、深夜の戯言でした。
単純に酷いと思う。以前、日テレにてアイヌ民族への差別的発言が問題視された。それを踏まえての投稿だと思うが、事もあろうにアイヌへの差別や侵略・交易等の歴史を全て村八分と表現している。これは社会科を習った人ならば間違いなく問題視することだ。
> 差別:肌の色や人種など、本人の努力ではどうにもならない先天的な特徴を元に迫害を行うこと
> 村八分 :協調性が無い構成員を、言動を元に集団から排除するように、暗黙の了解で働きかけるプロセス
村八分はあくまでも小さな集落や集団等の中で発生しうるものであり、集団における戒律を破った場合に発生する制裁的措置だ。協調性がないなどの表現は不適切。例えばコミュニティにおいて、コミュニティルールを破って個人情報をSNSに流布するなどの行為が発生した場合には、その個人をコミュニティから追放することがある。この制裁が村八分を意味する。
https://nihonsi-jiten.com/goningumi/#i-11
五人組帳に記載された掟や、村のしきたり、寄合で決まったこと等を破ってしまった場合、”村八分“という制裁的な罰がありました。
実際は村の10ある付き合い(冠・婚・葬・火事・病気・建築・年忌・水害・出産・旅行)の内「葬式と火事以外には協力しない」という罰だったので、8の付き合いがなくなるというものでしたが、この罰が与えられると村落生活が困難になり、その村にいられなくなるという状態だったようです。
現代においての村八分は比較的幅の広い意味を持たれがちだ。例えばコロナ禍における他県民排除も村八分と表現されやすい。
だが少なくともアイヌへの迫害は民族同士でのことであり、北海道や樺太といった広大な地域において長きに渡って発生したものだ。つまり小さな集団の中で戒律を破ったというレベルのものではない。仮に村八分とした場合、アイヌという民族はどういう戒律を破ったのだろう。そもそもアイヌという人種への迫害なのであって、この増田の言う差別の定義には充分当てはまっている。
シャクシャインの戦いをみても、これが民族間の不平等で対等ではない状況下で起こったものであり、戒律破りや協調性が欠けていたなどの表現で収まる次元ではない。
アイヌの歴史は難しい。しかし内紛や藩への蜂起が幾度も発生した経緯を全て「村八分」と表現するのは馬鹿げている。差別の中に村八分があるというならばわかる。当然のようにアイヌも一枚岩ではないため、掟破りを排除することはあるだろう。だが民族全体への迫害や不平等な対応を差別とは言わず村八分とは。
昔こういう企画はVシネマでしか見かけなかったのに、時代は変わるもんだ。
という冗談はさておき。
今や2大VTuber事務所に成長したにじさんじとホロライブが、奇しくも同時期に新人女性VTuber5人組をデビューさせた。
で、このご時世どこにも行けずヒマなこともあり、10人全員の初配信を見てみた。
双方の戦隊()の方向性の違い以前に、配信者のポテンシャルや画作りの質で圧倒されてしまう。
それくらい、今のホロライブの採用とプロデュースが、神懸り的に噛み合っているというか。
それこそ尾丸ポルカなんて「お前今度こそ天下取れよ」と言わずにはいられないわけで。
まあ、世界中のキモオタからスパチャを毟り取る野望を持つホロライブのことだから、これくらいは先行投資として当然なんだろう。
だって結構なカネ取るわけだから、払うだけの付加価値がないとっていう。
そんなこんなで目的がどうあれ、結果的に色々クリエイティブなことやれていると。
とはいえ、にじさんじの子らも「ギャルとチンピラの寄合所帯」みたいな現状に対する新風にはなりそうだけど。
実際、Live2Dをデビュー前に漏洩させた件で謝罪来てるし、しかも、お子様が不自然な内容の原稿読んでる+舌足らず感が酷すぎるし。
某所に上がってた、去年のツイキャスと思しき配信の録音でも、社会人経験皆無としか思えない発言がバンバン出てたし、引退したにじさんじ所属のVTuberのこともベラベラ喋ってたりと非常識極まりなかったので、こうなったのは無理ないかな。
正直、即解雇ヘタすりゃ損害賠償請求来てもおかしくないのが、ここまで甘々な処分で済んだのが奇跡むしろこんな奴残しといて大丈夫か?ってくらいの話なので、これから心入れ替えて頑張ってというか、マジで今後絶対他所に迷惑かけんなよって感じ。
まあ、誰にでも若い時期はあるし、採用したカバー側もガバ過ぎる(google並にエグそうな反面、とんでもなく迂闊なところもある)と言えるし。
ほろふぁいぶさんのほうはまだあまり見ることができてないので避けますが、せれ女のほうはヒスピさんがクリティカルでした。同期コラボも始まるみたいでたのしみ。
こっちは逆にせれ女の方をあんまり見れていないのだが、確かに北小路さんは歌つよつよなうえに器用万能感がヤバいね。
歌もミュージカル出身ぽいのが個人的に好み?昼小路/夜小路も用意がいい・センスがいい。
それにしても同期コラボまだー?という感じではある。自分も早くコラボ見たいわ。
まあまずはピンでじっくりキャラ立ちさせてって流れなのかもしれんし、「てぇてぇ」を売りにしているホロライブのコラボとは色々違うんだろうなーと。
ほろふぁいぶは、ねねちゃんのオタクでありつつも人懐っこくてニュートラルな感性がツボだったかな。何より本人が雑談で心底楽しそうに配信していたのがgood。
どちらもまだちゃんとは見てないけど、(大物)転生者がそれぞれのリーダー格っぽいのが面白いなと思った。尾丸ポルカならワンチャン魔乃アロエを救えるかもしれない。知らんけど。
双方のリーダー格とも、5人の中では抜きん出た配信力で甲乙つけがたいわ。まさしく東西横綱級の「強くてニューゲーム」系。
このうち尾丸ポルカは、先に初配信だった西園チグサの配信内容を踏まえて、自身の配信内容を変えるとか、よく行き届いていると感心したよ。
以降、両者ともあの手この手でネタを繰り出して、既にそれぞれの箱のファンの間でレジェンドになりつつあるし、大物っぷりがマジで凄い。
その荒らしに対して珍獣観察する気持ちでヲチってたやつ、自分の住処を荒らされ怒りに燃えるやつ、ただの野次馬
そういう違いとかについては関係なく、いつしか連中は悪行の糾弾や事実追求から大きくズレて、ネット珍走団やリンチ軍団、果てにはなんでも「荒らしの〇〇さん」と認定する狂人の集まりと化す
わかりやすいのはアレだな、F9だかなんだか言われてた荒らしと、問題行動を起こして荒れたあるアマチュア歌手を同一人物扱いして未だ見えない敵を追いかけてるやつら
あと、全てが糞虫小僧だの、大澤だのの荒らしに見える奴らとかね
少しでも怪しい(そいつら基準で)と思えば「お前は荒らしの〇〇だな?名を隠してもその文章でわかるぞ?」とか言うからねあいつら
どこの荒らしヲチコミュも末路はこうだ、糖質並みの荒らし認定するキチガイになる
仮に糖質にならなくても、ある高校生荒らしとその依頼先のダメダメ弁護士を追いかけてた界隈みたく、目に映るもの全てに火を放つテロリストになる
荒らしにかまうのは荒らし、それは単にレス返しだけじゃなくて、荒らしをヲチってる奴等にも当てはまるんだなと
むしろその原動力が怒りでも正義感でもただの野次馬根性であっても、至る場所は「ネットリンチ軍団」か「糖質患者の寄合所」のどちらかというね
すげえよあいつら、ある荒らし糾弾コミュの活動範囲内でその荒らしのマネしてみただけで、連中のまとめwikiに「狂人〇〇の活動報告(〜〜年度版)」みたいなまとめに載るぐらいだもん
何見えてんだあいつら
・勝つ気なんかない国政政党を立ち上げます(どうせ茶坊主塾生だらけです)
・配下をグズグズにされた前原さんが共闘に応じ、民進党が完全に意味不明な党になります
・茶坊主塾生と離脱組と民進党のカオス寄合が小池さんの威光だけを頼みに戦います
・最悪惨敗に終わっても、民進党を巻き取って沈んだので自民に恩を売れます
・間違って大躍進しても、自民を圧迫しつつ連携党としてやはり恩を売れます
・反アベしかイシューのない民進共産は勝利によってのみ身を立てるのに、割れたら終わりです
・共産1人残されて敗色濃くなってももう盛り返す名分すらありません
・公明党の戦況認識は日本一機敏で正確です その公明党が小池から距離をとった
・希望に巻き取られていると勝っても負けても小池の食い物になる構造を見抜いたのでしょう
・自民の同盟者だったはずがいつのまにか小池の五分下がりの舎弟になりかねない
現在、日本語がメインのインスタンスはmstdn.jp(ユーザ数85k、個人運営→ドワンゴ入社)、pawoo.net(ユーザ数78k、pixiv運営)、friends.nico(ユーザ数10k、ドワンゴ運営)、の3つが主な勢力となっている。
「マストドンは分散型SNSなんだからどこのインスタンスにいようと同じだろ」と思うかもしれないが、それは正しくない。というのも、「マストドンをどう使っていいのか」が、現状ではまだ誰にもわからないからだ。少なくとも現在は「ローカルタイムラインを使用したチャットツール」としての使われ方をしているため、どのインスタンスに所属するかで、かなり印象が違ってくる。
たとえばpawoo.netはハイレベルな変態の集会所となっている。昨日の深夜、男の娘ママについて熱く語り合っていたのを見たときは、「人類は衰退しました」で妖精さんが数日にして文明を作り上げたシーンを思い出した。
friends.nicoは'90年代からインターネットにどっぷりだったようなおっさんの寄合所となっている。年齢層が高めのためか治安がよく、ローカルタイムラインも話題を追えるギリギリの速度のためコミュニケーションを取りやすく、少なくとも筆者は現状で一番居心地がいい。
mstdn.jpはローカルタイムラインを追いきれないので見ていない。筆者はこの「ローカルタイムラインの速度」というのが今後のマストドンの進化において重要な要素になってくるのではないかと思っている。
いまさらだが説明しておくと、マストドンにはホーム、ローカルタイムライン、連合タイムラインという概念があり、それぞれ違う役割を持っている。
ホームは自分の発言、フォローした人の発言等が表示される。Twitterと同じような使い方をするならここがメインになるだろう。
ローカルタイムラインは所属するインスタンス内の公開発言がすべて流れる。現在のfriends.nicoのユーザ数が1万人で、ギリギリ話題を追える速度なので、このあたりが閾値になりそうだ。
連合タイムラインはそのインスタンスが連携しているインスタンスの公開発言が流れる。これはとてつもないスピードでタイムラインが流れていくのでとうてい追い切れるものではない。しかもそれぞれのインスタンスで文化圏が違うので話題もバラバラだし、それぞれのインスタンスの独自用語・独自実装があるので、他のインスタンスから見ると意味がわからないことも多々ある。
たとえばfriends.nicoで「〇〇さんの発言ニコりました!:nicoru:」と発言したとき、friends.nico内では「ニコる→お気に入り」という前提があり、:nicoru:が独自実装でニコニコマークに置換されるため、ちゃんと伝わるのだが、他のインスタンスからしてみれば、まず「ニコる」という用語がわからないし、:nicoru:マークも置換されないのである。
このように、連合タイムラインはその超スピードもあいまって正直あまり意味がないものになってしまっているのだが、筆者はこれはこれで必要な機能だと思っている。ローカルタイムラインだけを見ているとその文化圏・言語圏に閉じてしまいがちになるが、ふとした瞬間に連合タイムラインに切り替えると、そこにはいろんな文化圏があり、いろんな言語圏があることを思い知る。そのタイムラインをすべて追うことはできなくても、その人たちと直接コミュニケーションを取ることはなくても、たしかにそこにいる。たしかにどこかでつながっている。そういう感覚が常にある。ニュースグループやIRC、ICQやSkype、掲示板やSNSでも似たような感覚はあったが、それとも少し違う妙な感覚だ。
もちろん現状の「ローカルタイムラインを使用したチャットツール」という使われ方は長続きするものではない。mstdn.jpを見てわかるように、ユーザ数が増加するとタイムラインの速度も急激になり、会話が成立しなくなるからだ。今後はTwitterよろしくフォロー・フォロワーの関係性が重要になり、ホームのタイムラインがメインになっていくかもしれない。その場合はローカルタイムラインが現在の連合タイムラインの役割を果たすだろう。または何か違う別の方法でスケールできるようになるかもしれない。その仕様がどのようなものかはわからないが、この唐突にあらわれた風雲児がどのような成長を果たすのか、しばらくは見守っていきたいと思う。
ぽんぽこ88年、羽手名村の大字題有井と大字無し地域にまたがる巨大ニュータウン「羽手名ブログ」の建設が始まった。
大字題有井の住民は新しもの好きでもあったので、新しい“ブログ”に次々に移住していった。
何人かの住民はトラックバックが発動できないという土壌に驚きを禁じ得ないでいたが、村営有線電話「羽手名キーワード」が敷設されていたのでそこまで託つ者もいなかった。
なによりも新しい“ブログ”の住宅団地では家の改装が自由自在にできるだけあって好評を博したのであった。
そう、好評を博した。博しすぎたのである。
ぽんぽこ89年の頃から村の気配が変わっていく。活力門扉の町から、文言報道の町から、塀須物久の村から、あるいは文言報道の役場から建設キットを受け取ってどこの村にも属さない野山に家を立てて過ごしていた人たちが徐々に羽手名ブログに移り住んできたのだ。
新住民が次々にやってくることに旧住民は行く末安泰なことに顔をほころばせていたが、その顔はやがて曇っていく。
新住民はウェーイ系であった。
なんだこの人たち。こんな異世界の人たち、なんでここにまで来ているんだ。
―――旧住民の戸惑いは、やがて怒りに変わっていく。
俺達の平和な村は消えた。返してくれ。あの平和な空気を。
ぽんぽこ90年、旧住民の動揺はいよいよ高まってきている。
寄合で「モヒカン復興、新住民研究」を掲げて反抗を始めるか。
福澤アナのように新住民社会に溶けこむか。
あるいは物語が進む前に融和策を役場が講じるか。
俺の爺さんは酷い人だった。毎日酒ばっか飲んでいた。
そんなに酒に強いわけでもないが、日本酒を1日に1升飲むこともあったし、多い時で2升飲んでいた。
まあ、2升飲んだときは、排泄物垂れ流しで家の中が修羅場になるんだが。
仕事をサボって朝から飲むこともあったので、あまりシラフの時は見たことがない。
近所の道路でひっくり返って寝てる時もあった。死んでるのかと思った。
酒癖も悪い。家のガラスを素手で割る。もちろん手は血だらけ。
婆さんに殴られる。柱で頭を打つ。血だらけで倒れている。
家に帰ってきて倒れている爺さんを見ると、ああまた喧嘩したのか…と思っていた。
若い頃は博打に狂っていたそうだ。遠くまで行商に行って売り上げを競艇でスル。
突然バイク(カブ)を買った。競艇か何かで勝ったらしい。しかしそれも近所の人に博打のカタに取られ、3日ほどしか乗れなかったという。
酒場でヤクザに喧嘩を売ることもあったそうだ。言いがかりがすごい。
「お前ヤクザやと思ってえらっそうにしやがって!」いきなり関係ないヤクザにキレる。もちろんボコボコにされる。
挙げればきりがない。
本当に酷い爺さんだ。でも最近意外なことが分かってきた。
「俺はあんたところの爺さんに酒を教えてもらったんだ。俺の酒の師匠だ。」
意外と周囲の人たちからは慕われていたようだ。
あと、婆さんとは毎日のように文字通り血を見るような喧嘩をしていた。てっきり仲が悪いものだと思っていた。
爺さんは酒の飲み過ぎのせいかは分からんが、現在は寝たきりで動くことも飯食うことも話すこともできない。
老人ホームに入っている。
意外だったのは婆さんの行動だ。毎日見舞いに行っている。何があっても行く。
俺がいつ見舞いに行っても熱心に世話をしている。こんな献身的な人だったのかと婆さんを見直しつつも、そこまで愛されていた爺さんを羨ましくも思う。
酷い爺さんだったが、そういや小さいときから俺にだけはやさしかった気がする。
一緒に酒を飲みたかったが子供なのでそれほど飲めず、一口もらう程度だった。
大人になったら一緒にガブガブ飲もうと思っていた。
一度だけ、大人になってから爺さんの酒飲み友達が家にやってきた。
体が限界にきていた爺さんはほとんど飲まなくなっていたが、その日は飲みまくった。
俺も散々飲まされ、潰されてしまった。
でもそれが爺さんと飲んだ最初で最後だった。間もなく爺さんは医者に酒を禁止され、飲んだら明らかにヤバい状態になった。