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はてなキーワード: ラブドールとは

2020-06-03

児童ラブドールの妹です。この度は兄、児童ラブドールが大変ご迷惑をおかけしておりますことについて謝罪申し上げます

この事ははてなブックマークで知りました。兄の口からは直接聞かされていません。

兄は子供の時から大変優秀だったのでまさかこんなことになるとは思っておりませんでした。

兄は現在しゃべれない状況が続いています

本人に変わりまして謝罪申し上げます

児童ラブドール」と「パン」は本当に同列なの?

レイプ犯が児童ラブドール愛好者だったら児童ラブドール規制するのなら、レイプ犯がパンを食べていたらパン規制するのか?」

という理論にみんな納得してるけど、

レイプパンは明らかに関係ないよね??

でもレイプラブドール関係ありそうだよね??

本当にパンラブドールを同列に扱えるの???

anond:20200531195042

法律科学は違う。科学結論が一意に決まる」って意見も、言いたいことはわかるが賛成できないな。

科学だって世のことわりの全てを明らかにしているわけじゃない。まず仮説があって、検証して、それで「たぶんこうだろう」って学説確立されて、それが通説になっているだけ。過去研究の蓄積から、正しいと「思われる」理論を探す作業。新発見でそれまでの通説がひっくり返ることもあるし。

法律だって同じ。過去何千人もの法学者たちが意見を交わして判例が積み上がってきて、正解がわからないなりにシステム確立してきた。

その知識の集積をガン無視して、素人感覚で「ラブドール被害者いないじゃん。だから適法規制とか違法とか言ってるやつは感情的。頭おかしい」みたいなこと言い出すの、科学的知見をガン無視するエセ科学信者と変わらんでしょ。被害者がいないもの全部適法にしたら、例えば飲酒運転とか賭博薬物とか全部適法になって日本の秩序崩壊するぞ。

で、単に法学を知らないのはいいよ。仕方ないよ。これから勉強すればいい。

問題は、そんな基本的なことも知らない・わからない連中が「ぼくのかんがえたさいきょうのらぶどーるほうりつろん」を開張して、同レベルのアホ共がそれを持ち上げて、バカなくせに他人バカにし出すところ。そしてバカから自分がてんで間違っていることにも気がつかない。救いようがない。

2020-06-01

ラブドールうんこさせたい

ひりだしてる最中に抱きしめてあげたり、終わったら拭いてあげたりして愛でたい

ポリコレカードバトルの新作アイテム

・マビマビ(実践カード):相手現在の手札の中から男性性を持つキャラクターカードを無条件に全て捨てさせる。ポリコレパワーが高いキャラ男性性さえあれば流せるので便利である

・多産DV規制カード):相手フィールドに出ているキャラクターの人数×10ずつ、相手の全キャラダメージを与える。数で圧倒されている場面では良いカウンターとして機能する。

ラブドール規制カード):相手フィールドに出ている男性性持ちキャラのうち既婚者以外の3体に大ダメージを与える。または、自分フィールドに出ている女性性持ちキャラの3体をエンパワーする。ただし自分相手フィールドのどちらかに属性または光属性持ちの男性カードが出ていると、そのキャラ暴走し、それ以外の自分相手の全てのキャラに大ダメージを与える。使い所を慎重に見極める必要があるアイテム

anond:20200601001255

許されないのは当たり前のことだから脅威に感じないで。分かる人にしかからないようなところで繰り広げられてる二次元ものなら規制をかけようとは思わない。でも話題になってたラブドールとかは合法レイプかいキャッチコピーつけられててそういう煽り方を疑似子供につけるって犯罪を煽ってるようなものなんじゃないの?と疑問視されるし、それを擁護する人もどうなの?と思った。二次元と、あのリアルさを追及されてるであろう人形って結構ちがうよね

2020-05-31

anond:20200531225304

どうして日本には小児性愛者の肩を持つ人が多い?その性癖になった以上は仕方ないことなんだろうが、ラブドールがあれば攻撃しないとか言う人も多かった 逆にそれさえなければ実行に移すと言ってるようなもので、その異常性に気がつかないことがおかしいんだが

anond:20200531195042

現行法/判例では児ポ法保護法益個人的法益社会的法益とされている

我が国法制度の基となっているドイツ法における児ポ規制ではより社会的法益が重視されており、実際、幼児ラブドール違法である

日本における幼児ラブドール違法論も、社会的法益を重視した立場と考えられる

くらいは超基礎的な理解として、保護法益個人的法益のみとした方が運用上適切なのでは、みたいな指摘ならまだわかる。

が、「きちがいフェミが俺たちをキモいと思い込んで感情的攻撃してきているのだーきえー」といった何の根拠もないお気持ちポエムバズる日本、きびしい。

はてなーってエセ法学に甘いよね

はてなーエセ科学はボロクソに批判するのに、エセ法学(というかエセ人文学全般)には甘いよね。

自分感覚に都合の良い見解であれば、明らかに法学の基礎も抑えていない、よくわからんインターネッツおじさんの素人解釈を持て囃したり。

最近で言うとラブドール関連とか。個人人権侵害しない限り何でも許されるーとか社会的法益全否定じゃん。というか社会的法益って言葉すら知らなそう。で、そういう指摘されると急いでWikipediaでググってきて、さもはじめから知ってましたみたいな顔するのよな。

エセ科学信者は単なるアホだけど、エセ法学信者はズブの素人なくせに自分を賢いと思い込んでいる分たちが悪い。

anond:20200531152236

フィジカルに性欲処理だけのことを考えるならオナホールで充分だけど

オナホールを使って射精すると惨めに感じる男が存在するから

可愛らしいラブドール生産されたのだろう

ラブドールは使ってる男が惨めに思えるほど醜く作るべき

anond:20200531142830

俺は「ラブドール販売停止にしたい勢」VS「人のオナニーの道具に文句を言うな勢」の構造が間違っていると思う。

両者とも、POPを書いた販売店を叩くべきであって、両者同士で叩き合ってる構造が間違っている。

ラブドール規制の論旨全員めちゃくちゃ間違ってる件

https://note.com/mentane/n/n138f7bfbf2ce

POPに「合法レイプ」って書いてあるけど、販売店さんサイドのこういう認識問題があるのでは。

おれゲームするけど、ゲームPOPにGTA5やメタルギアかに合法殺人 ゲームならあなたの夢が叶う」とか書いてあったら、ゲーム買わない人は「販売店も買う側もそういう認識ゲームやってるんだ」ってなるじゃん。ゲームする俺だって不快になるんですけど。

論旨は「どうして女さんは人のオナニーの道具に勝手いちゃもんつけるのか」じゃなくて、「どうして販売店側はそういう認識ラブドール販売しているのか(そして業界はそれを許しているのか)」だと思うんですけど。

なんか「もともとラブドールは性の発散のやり場のない障害者用に作られたもので云々」とかの話も出てきてるけど、だったらなお一層、こういう売られ方してることが問題だと思うんですけど。いかに?

フェミニズムを上回るポリコレ力をあてにしようと、ラブドール規制反対派が遂に障害者を錦の御旗として出してきた。

障害者ことなんて普段気にもとめていなかった癖に。

曰く、障害者の性欲が暴走して手が付けられなくなり、周囲の女性が傷つけられる悲劇が相次いだと。

これ以上の悲劇の再発を防ぐためにラブドールが開発されたと。

もしラブドールで「学習」してしまったら彼らは責任をとれるのだろうか。

それに対して規制派曰く、薬物投与で性欲を止めるべきであってラブドールは必ずしも必要ないと。

21世紀も20年目を迎えた今になってこの人権感覚には驚かされる。

精神科障害者の薬漬けを助長するだけだろう。

そして純真で性欲を持たない「きれいな障害者」像をいつまで当事者押し付ければ気がすむのだろうか。

ラブドール嫌悪感情を持つ女性立場に立ってみる

ラブドールなるものがあるらしい。おっさんなのでへー以上の感想はないが、法規制すべきとまで激しく爆発している女性とか多いらしい。

そこに論理的説明を試みる人たちが結構いるが、そういう人らの立場に立つとなんか分かる気がした。

女性からすると嫉妬して怒ってるのではなく、彼女らの認知のどこかにあるスイッチを押してるから怒るのだ。

それはおそらく二つあり

私たちの体や精神工業製品ではないが、そのように扱われてきた」

「男は工業製品と実際の女をきちんと分けるべきだが本能的にできない悲しい生き物」

ではないだろうか。

前者は正しい、が、もしかしたら過去にそのように扱われていなくとも、扱われたことにさせるような洗脳が施されている可能性はある。

後者は大きく間違っているが、過去経験や周囲の情報によってそう思わされている可能性はある。

ここであえて洗脳と言ったが、おそらく彼女らの人生の中で自然に植え付けられていると思う。少女漫画とかトレンディドラマに出てくる理想的男性こそが男性の正解であり、そうでないならおかしいというような洗脳

さて、昔はオナホというような明らかに器具として穴が空いたシリコンの塊」でしかなかったが、ラブドールともなるともはや人間の、それも男性の都合と性癖だけを取り入れたかなり美しいものができてきて、かなり自分たちによってきている。

男性は結局ちくわみたいなシリコンの塊では満足できず、限りなく自分たちおもちゃを寄せたいのか、この文脈の先にあるのが我々女性なのか」

そう思わされてるのではないだろうか。

客観的に見てそれは間違いだ。男性おもちゃおもちゃであり、人間人間という区別がつく生き物だ。ラブドールを買って使ったとしてもそれは人間ではないか人間として扱ってないのであって、実際の女性ラブドールにしたいけど捕まるからお金を払って渋々ラブドールを買っているわけではない。

つかない男性もいるがそれは男性の全てではない。だが、そういう性質男性を捕まえて「これが男性一般が持つ男の本性」みたいに歪めて伝えている人がいるのだろう。

願わくば彼女らがそういう洗脳から逃れられることを祈る。

あと興味をもってる男性、はっきりいうがそんなめんどくさいもの手に入れてもめんどくさいぞ?手作業に勝るものはないぞ?

おいおいおいおいおいおいおいおい。

歴史修正も大概にしろよ。

わざとか?

https://twitter.com/Jeremy_L_Mercy3/status/1265605108164816896

元垢は鍵つけたが↑を見ればわかる通りその画像5月26日投稿

https://twitter.com/kazuuuuuuuus/status/1262321710990348288

「発端」と呼ぶべきは↑の5月18日投稿

ラブドール問題

「生身の異性に対して性欲を発散するのではなく、物体に対して性欲を発散することがキモいように見える」というのはなるほどなあと思う。

人間なら誰でも自慰ぐらいするだろうに、その道具が穢らわしく感じるのは不思議感情と言える。

かといって風俗行って生身の異性に対して発散したところで誉められることは決して無く、叩かれることに変わりは無い。



非モテが人並みの性欲を抱くこと自体が許されない大罪である

自分で書いてて全ての点と線が繋がってしまった

小児性愛者として意見を述べる

最近小児型ラブドールの是非についてはてぶで話題になっている。はてぶではラブドール愛好者である増田反論と、規制推進派のツイッターとがホッテントリ入りしていた。はてぶ以外で議論がどのように展開されているか確認もしていないので知らないが、そもそも糾弾されている我々小児性愛者のが置き去りにされている気がしたので意見を述べる。

ただし我々小児性愛者と書いたが、私自小児性愛者を自称することには抵抗がある。DSM-5で定義される"The individual has acted out these sexual desires, or is experiencing significant distress or difficulty as a result of these desires."は自分には当てはまらないので。それでも子供に対し性欲を掻き立てられるし、その手のイラストを描いてもいるため他から見たら小児性愛者と断じられても仕方がない。

さて、ラブドールについてだが、以前欲しいと思ったことがあり購入を検討したが結局買わなかったし、買わないで正解だったと思う。高額であることのみならず、部屋の容量や引っ越し可能性も考えたらおいそれとは手が出せなかった。ラブドールのものが極めて上級趣味なので、槍玉にあげられている小児性愛者の一人としても今回の運動には今一つぴんと来ないのである。実際はてぶを見て知っただけで、増田記事を書かなければ恐らく知ることも無かった。change.orgにはたびたび署名しているが、自分のところには周ってこなかったし。それもあって本来ターゲットである小児性愛者ではなく人形愛好家に弾が当たったのではなかろうか。

もちろん将来そこそこの広さのある終の棲家を得られたなら、そしてそのときに小児型ラブドールが今よりも精巧であったなら購入したいとは思っているので、規制には当然反対である。反対するのが至極当然である

一方で規制推進派をただ否定すればいいかというとそうでもなく、規制したがる人たちの危惧も無碍にはできまい。規制に賛成の立場ブクマで星を集めているのは「それをきっかけに欲望が芽生えるか、あるいは加速するのでは」というものだ。ご丁寧に実例を紹介してくれる人もいた。

こうした意見に対して、どう対応すればいいのか正直分からない。とりあえず私自身は自分こそがその反例だと思うので自分について少し述べることとする。

まず私の小児性愛の目覚めは幼児期ナルシシズムと同年代少女へのコンプレックスのためだと思う。小学生ごろまでは綺麗な服を着られる姉がひたすらに羨ましく、その結果として女装癖があった。女の子自分がどんな形ででも注目されたいという欲望があった。その後自分女の子にはなれないと諦めたことで、自分の中で理想形が小学生までの少女に固定されたのだと思う。近年中学時代の友人と再会する機会があったのだが、彼の第一声は「今でもロリコンなん?」であり、つまり私は「生粋ロリコンであると自他ともに認められる(ちなみにロリコンという呼称は大嫌いだ)。

その後長じるに及んでその手のイベントがあったかというとけしてそんなことはなく。単純所持禁止前までにその手の動画を見たこともあるが自分でも、とはならなかったし。姉や親族子供ができて、私がしばしばお世話をしたけれど別段何もしなかったし、そもそも今の仕事子供と関わる仕事だがこれまで悪いことは何もしていない。

しかしこんなこと言ったところで、「情欲をいだいて子供を見る者は、心の中ですでに姦淫をしたのである」とまではいかなくとも、意識していなくてもセクシャルなことをしているに違いないとか、自己申告乙とか、今後どうなるか分からないとか、よしんば認めてくれたところで反例1だとか言われるだけでしょう。

ただそれでも私が強く主張したいのは、「欲望」と「実際の行動」の間には深い溝があり、その溝を乗り越えられるのは限られた人間だけだ、ということです。私が初めて彼女セックスすることになったとき勃起できずに気まずい空気が流れた原因は、私自身の性癖もあるが、人間という情報量の多さに気圧されたからだ。子供とこれまで幾度も接してきたが、彼らそれぞれの「個」に圧倒されて、個性剥奪された単なる「性的対象」としてなどけして見ることができなかった。

結局犯罪ができる人間というのはとことん相手を見下せるか相手との共感性が皆無な人間なのだと思う。だからこそラスコーリニコフ殺人超人思想を結びつけたわけで、肯定的表現をするなら「乗り越えられる人間」ということになる。

そして犯罪者が乗り越えてしまっているものは、他にもあるがまさに「社会における自分立ち位置」であろう。家族、親類、職場、友人のことなど考えたらけっして悪いことなどできないはずだ。それでも犯罪ができてしまう人というのは、尊重しうる他者がいない人なのではないだろうか。

最初小児性愛者と断じられても仕方がないと言ったが、やはり私が自分には当てはまらないと述べたところの定義こそ重要だと思う。何人か医者の友人がいるのだが、精神科医の友人(娘がいる)は「イラストを描いて欲求昇華できているのはとてもいいことで、全く問題がない」と言ってくれた。また別の友人は、私のことを彼女に紹介する際「凄いロリコンだ」と言ったら、彼女は「その人を治療できるのはあなただけなのよ」とかなんとか言ってきたので「理性で制御できてる以上単に個人趣味」と諭したという。理解ある友人がいて幸せだし、だからこそ裏切れないとも思う。

小児性愛者に危惧を覚える、その感情理解できるのだが、小児性愛癖を持つものが実際の行動を伴うわけでもないし、罪を犯せる人間というのは特別なのだということは一考してほしい。私としてはラブドール規制なんかよりも、人権教育を通じてお互いを尊重できる社会を気づくことが大切だと思う。

https://note.com/mentane/n/n138f7bfbf2ce

ラブドールダッチワイフ)をこころよく思わない人に理解してくれという方がおかしい。

同好者がお互い持ってるダッチワイフ自慢や情報交換するだけにしたほうがいい。

  

これを理解しなかったら生活できない、利益が得れないというのなら分からなくはないが  

ダッチワイフ理解したところで一般人にとって何のメリットも無い。  

2020-05-30

小児にキモい思いをさせるのは虐待だし、小児型ラブドールは許されないのでは

当方いわゆるロリコン艦これのリベッチオが最愛の嫁であり娘である

いやね、これが大人の女ならさ、いくらキモい思いをしてくれた所で対等な関係なわけじゃん。大人同士。腐ェミニストもキモいし、俺もキモいキモいもん同士、まあ共生していこうや、と。

だがこれ相手が小児となると話が違う気がしてくるんよ。大人の女に喧嘩を見せるのは別にいいけど、子供に見せたら虐待みたいなもんで、子供ラブドール存在していることに「キモい、怖い」と思わせてしまうのは、たぶんかなり良くないことなんじゃないか、と

小児性愛カジュアル化」とは何か?それは問題なのか?

概要

小児性愛カジュアル化」に問題があると考えるのは、対人性愛優位を自明視した認知の歪みでしかない。問題があるとしたら、「性愛カジュアル化」にある。セクシャルマジョリティが主導して守ってきた性の規範を、マイノリティが拒絶することにより、「性愛カジュアル化」が現象として起こっているという事実はあると思う。しかしそれ自体セクシャルマイノリティの「政治活動」としての側面があり、一方的断罪することはマジョリティ傲慢である。「批判するな」とは言わないが、慎重になるべきだし、そうした政治性に注目することなく「批判」に終始するなら「ただのポジショントークだ」との誹りは免れないだろう。

小児性愛カジュアル化」は問題か?

批判者が「小児性愛カジュアル化」と呼ぶものの一つに次の事例がある。

しかし、これは所謂「キャットコール」と呼ばれるセクハラ一種であり、「対象児童から問題なわけではない。批判者も、「対象がもし成人ならば何も問題はない」とは言わないだろう。このような事例は「性愛カジュアル化」によって支えられる悪しき文化であり、批判すべきは「性愛」であり「小児性愛」ではない。これを以って小児性愛批判するのは無理があるし、「小児性愛は悪だから悪なのである」というトートロジーに陥ってるようにも見える。では、なぜ彼らは小児性愛を殊更に敵視するのか? 以下は既存議論焼き回しである

小児性愛と成人性愛本質的な違いはただ一つ、「児童との合意は(少なくとも現代倫理規定では)成立することがあり得ない」という点である児童との間に「合意のようなもの」がいくら存在したとしても、それらは全て「合意」とは見なされないし、見なすべきでない。(「合意」の定義児童保護について慎重に議論を重ねた未来では何らかの変化があるかもしれないが、それについて議論するにはあまりにも論点がずれているし、ここでは触れない。)しかし、「故に小児性愛は許されない」と主張するには論理の飛躍がある。ここまでの前提の下で自明と言えるのは、「児童との性的接触は許されない」という一点である

児童との性的接触は許されない」と「小児性愛は許されない」はもちろん同値命題ではない。彼らがこれを同値と見なすのは何故か?それは彼らが、「性的欲望とは常に性的接触によってのみ満足するものであり、それ以外の性的行為は全てその為の準備に過ぎない」という偏見を抱えているからであろう。今回、多くの人形性愛者、フィクトセクシャルさらにはアセクシャルを自認する人々から批判殺到した理由はそこにある。

「(実在児童対象としない、無機物対象とした)児童ポルノは、児童との性的接触を実行するトリガーとなる」と主張する人々は、「成人と性的接触を行うことは、児童との性的接触を実行するトリガーとなる」とは言わない。なぜなら、彼らにとって「性的接触」はそのまま「性的満足」とイコールであり、それが「ゴール」であると無根拠にも信じているかである

性愛カジュアル化」に問題はある。しかし、

前節では、問題本質は「小児性愛カジュアル化」ではなく、「性愛カジュアル化」であると言った。では「性愛カジュアル化」は本当に問題なのか? 結論としては、確かに問題であると私は思う。うぐいすリボン荻野さんも以下のように言っている。

その理由としては例えば、①性的プライバシー問題、②依存性の問題、などが挙げられる。あるいは、「そのような問題内包する言動」こそを「性愛カジュアル化」と呼ぶべきである、という定義づけも可能だろう。

①を語る言葉として「性的自己決定権」「私の身体は私のもの」などがある。余談だが、これは、ラブドールのような性的表象、および自慰を愛好する人々にとっても重要概念である。実際、他人自慰制限しようという試み自体が「性的自己決定権」の侵害であり、セクハラだという批判もあり得る。(参考↓)

話を戻そう。性とはそれ自体が深くプライベートものである。故に、他人性的領域に、物理的にも精神的にも安易踏み込むことは許されない。「性愛カジュアル化」には、その越えてはいけないハードルを下げてしま効果があるのではないか。自らのプライバシーを切り売りしている限りは「下ネタ」であっても、他人プライバシーを暴いたり、そこに土足で踏み入るような言動は「セクハラ」になる。(「下ネタ」を話題にすること自体話題への参加を強要し得る文脈において、それらの区別曖昧だが、それを語り尽くす労力は私には残っていない。)お互いのパーソナルスペース尊重する文化を守るためには、適切なゾーニングを守り、強行的な「性愛カジュアル化」を防ぐことも大切だと私は思う。

②の問題は意外にも語られることが少ない。これは、「ポルノにはなぜ年齢制限が設けられるか?」の問いに対する答えでもある。逆に言えば、「未成年ポルノを見せるべきでない」理由として、「正しい性教育」的なものを挙げるのは、性のスティグマ化に資するのみで未成年に良い影響を与えはしないだろう。

ここまで、「性愛カジュアル化」は問題であることを述べた。一方で、それらを安易断罪することもできない事情もある。それは次節で述べよう。

政治表現としての性表現

荻野さんは次のようなことも言っている。

ここで、各国のゲイ・パレードプライドパレード(LGBTパレード)の様子を見てみよう。

https://www.huffingtonpost.jp/letibee-life/taiwan-lgbt_b_8448268.html

https://lifevancouver.jp/pride_parade_vancouver

https://rocketnews24.com/2012/06/30/224561/

https://www.youtube.com/watch?v=MWiZwUFWs5E

やはり、非常に過激セクシーファッションに身を包む参加者のことが目に留まるだろう。しかしだからと言って、彼らに向かって「ゾーニングを守れ!」と叫ぶことがどれだけ暴力的か、理解していただけるだろうか?

彼らがこのような「性」を明け透けに表現しているのは、それ自体政治意味合いを持っているのである。それ自体政治表現なのである。そして我々の「性」の表現にもまた、そのような側面があることは決して無視できない。対人性愛的なものに背を向け、「オタク」的な性表現をオシャレなものとして、隠語的なコミュニケーションのために消費する文化がウケた理由は、人々がそのような政治性を間違いなく見出したかである。それは単なる「ポルノ」ではなく、「我々の性のあり方」をありのまま表現した、アイデンティティのものなのだ

とはいえ、我々の消費する全てがそのような政治性を帯びているわけでもないし、また全てがポルノ的でないわけでもない。実際のところ、単なるポルノが悪ふざけで表に出てくることもあるだろう。しかし、それらの区別は決して容易ではない。物理的には全く同じインク配列であるものが、文脈や作者の意図次第で、時にポルノであったり、時に政治的であったりする。それらは私やあなた独善的基準で決めつけていいものではない。「法的規制に反対する」という言葉は、私刑を推奨する標語であってはいけない。表現の正しい用法用量というのは、表現者と受け取り手一人一人の良心に委ねられるべきなのである

さらに言えば、政治性とポルノであることが、多くの場合両立してしまっているところにこそ問題の複雑さがある。その区別について「語るべきでない」とは言わないが、本質的に「区別不可能である」ことを前提に、慎重に語る必要がある。そのような必要な慎重さを欠いた言説こそが、「差別だ」と糾弾される所以なのである

誤謬見出し批判することは容易であるしかし、否定することが目的化した人々で集まって、こちらの政治性を矮小化するような言説ばかりぶつけられては、議論にならない。「我々が言いたいこと」は、この文章を通しても伝わるはずであると信じている。

ラブドール規制しろっていうけど

自我のある人間性的に接するの怖いし人形かわいいし、って理由人形のこと性的な目で見てたけど

奪わないでくれ〜

絶対人間に手出さねえよお〜

からしたら人間と性行為する人間の方がこええんだよ〜

わかってくれなんて言わないから、俺の大好きなものを取らないでくれ

「加害欲求のない小児性愛から小児型ラブドールを取り上げるのは、ヴィーガンからフェイミートを取り上げるのと同じ」って喩えがあまりにもわかりやす過ぎて舌を巻いている。

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