はてなキーワード: オフとは
詩織「新たな愛を見つけるラブ発見型新感覚ラブリーラジオです」
愛海「ごめんなさい」
愛海「わかってなかったんです。ごめんなさい。」
愛海「ゆるして」
愛海「本当に、本当にごめんさい」
詩織「え? これ私じゃない『詩織 filter:images』」
詩織「ふふ…… これなんてマイナス検索を駆使してるじゃない『亜里沙 -ウサコ filter:images』」
愛海「ウサコちゃんも素敵です! 素敵ですがちょっとその日は!」
詩織「そんなこといってますが…… 次を見ればあなたがそう思ってないは明白よ……
詩織「……いきなり何をいってるんだとなるから。解説するけども……」
愛海「そんなに責めないで!」
詩織「言いたくけど…… 責められることよこれ……」
愛海「使い方わかってなかったの!」
詩織「その…… これを聞いている人は知っているだろうけど…… うちのプロダクションで独自のSNSを始めたのよね……」
詩織「そのデレぽで…… 愛海ちゃんが投稿した内容がさっき紹介した文章よ……」
詩織「ふーん…… じゃあ何をしたかったのか言いなさいよ……」
愛海「そのおー」
詩織「言いなさいよ。『filter:images』が何を意味しているか言いなさいよ」
愛海「もおおおお! 検索したかったの! 雫さんたちの画像を検索したかったの!」
詩織「検索と、投稿を間違えたのよね…… ほんと…… ほんともう……」
愛海「いいでしょ! みんなが投稿しているオフショットを見たいと思うことが罪なの!?」
ファンの皆さんに『こいつ同僚の画像を検索してるじゃん』と思われることが滑稽なだけよ……」
愛海「いいもんいいもん! あつみこっけいでいいもん!」
タイトル通りです。
Twitter見てると、最近のオタクはオフでつるんでることに驚かされるわけです。ちょっと出張で寄ったときとか、イベントに行ったときとか、物凄く普通に「会おう」「うん、会おう」が成立してるのが凄い。
自分も何度かそういう誘いを受けるものの、元来人付き合いが苦手なよくある喋らない系コミュ障とリアルの醜い姿なんて知られたくないという汚い心で断り続けてました。
でも一度だけ、会話すらなく、顔を合わせたことはあったのだけどその時に思ったのが「20代ってこんな若いの?!」ってこと。
正直30代といってもまだ40代には猶予があるし大して変わらないでしょと思ってたのに全然違う。
何より自分は外見は小汚いおっさんになってたのに、精神だけが何も成長してない事実に気付かされた。
相手の人はTwitterの印象とは違うなあって思ったけどそれは相手にしてもきっと同じだと思う。
自分も相手もその逢瀬に対して何もコメントしなかったが、だからこそ怖い。こんな30代のおっさんが、Twitterみたいな若作りしたノリで会話なんてしたら痛すぎる。いやそもそも10年近い年齢差の相手と仕事以外で話した事なんてない。
年相応のオタク会話って一体なんなんだ、そんなのあるのか。
明らかにそれは屁理屈。電源を切るとか目の届かないところに入れるとかできる。
電子書籍はローカルに落として読めないのが多いから「他アプリの通知を1コ1コオフにしていきましょう」とか面倒なことしないといけないじゃん。
タイトルのままです。レズビアンの要素を含むので苦手な方、嫌悪感をお持ちの方はブラウザバックお願いします。
※追記:わんわん泣きながら衝動のままに書きなぐったので文章めちゃくちゃだわ
半年近く付き合ってきた彼女に振られました。唐突に距離を置きたいと言われたのが2週間前の話で、だけどその時点で別れるのかと不安がる私に「別れるかどうかは分からないけど、それを考え直す期間だから悲観的にならないで欲しい」「出来れば私も別れたくないと思ってるよ、だから距離を置くの」と伝えてくれたのでなら私に出来ることは信じて待つことだけだと思って、待っていたんです。
彼女とは、具体的な同棲の話も、結婚の話もしていて、早ければ来年にもお互い今の家から引っ越して同棲がスタートするかという状況で、気軽に会うには少し遠い距離に住んでいる私たちは、月に一度のデートがやっとだったので、私は彼女との同棲をすごく楽しみにしていました。今年頑張れば一緒に住める、今のお仕事を頑張ってお金を貯めなくちゃって。
一昨日、?一昨昨日、?分かりません、彼女に、「私のことまだ好き?」と聞かれました。もちろん大好きに決まってるじゃないですか。
すきだよって答えた私に「そっか」って返事をくれた彼女に。嫌な予感がしました。
私と彼女は元々毎日頻繁にLINEで会話をし、空いた時間があれば電話をし、可能な限りの時間をお互いに使って来ました。私はそれがすごくすきで、幸せで、何より安心できて、例え早寝の彼女がそうそうに寝落ちて寝息だけが聞こえる通話になってしまっても、寂しいけど、でも、そんな穏やかな時間が幸せだなぁなんて思っていました。私のあげられる限りの時間も、愛情も、全部全部彼女にあげたくて、彼女の為に生きていたくて、彼女がいるから頑張れて、彼女がいてくれるから幸せでした。私の中の一番はいつだって彼女で、少しすぎたワガママに困っても、それでも叶えられる限りは叶えたいと思えていました。友達を大事にする彼女に沢山たくさん嫉妬しました。私の中の一番はいつだって彼女なのに、彼女の中には大事なものが沢山あって、あくまで恋人として大事なのは私でも、私が一番ではなかったから。そういうところで嫌と言うほど疲れさせちゃったんだろうなって思います。付き合ってた時は、面倒くさいことを言う私に面倒くさそうな反応をする彼女に「面倒くさい?」と聞くと「面倒くさい、でもいいんだよ、それで嫌いになったりしないから」って言ってくれてたのに。でも嫌いになったとは言われてないから嘘ではないのかな。
距離を置いて、関係を、自分の気持ちを、見直した結果、彼女の中で私は恋人ではなくて友達だったらしいのです。友達の方がしっくりくる、疲れちゃった、恋愛感情とは違う、でもあなたのことは嫌いになったわけじゃないから連絡取れなくなるのは嫌だ、これまで通りLINEしたりあって遊んだりしたい、友達として付き合っていきたい、あなたの望むような恋人にはなれない、おはようもおやすみも言わなくても私は平気なくらい薄情だったから別れようと思った、エトセトラ、エトセトラ、。
距離を置かれ初めてLINEの頻度が減った時点で、正直私はいつも通りを保てなくなっていました。
いつもならすぐに返事が返ってくる時間に全く返事がない、返ってきても返信までに今までに比べたら長い時間が空いている、毎日の電話がない、「すき」と言われない、負担になるのが怖くて「すき」と言えない。文章にしてしまえばたったこれだけなのに、依存している自覚はあります、彼女が好きだと言っていた曲がシャッフルでかかって泣いて、何もしていないのに気づいたら泣いていて、通知もないのにLINEを開いては泣いて、通知音に過敏に反応しては彼女からの連絡でないと泣いて、やっと来た彼女の返信がなんであれ泣いて、返信をしながら泣いて。もう何年も辞められていたリストカットに気がついたら手を出していました。泣きながら切ってはそんなことをしている自分が情けなくて、自己嫌悪に襲われて泣いて。眠りたいのに眠れなくて、食欲も無くて、ずっと胃がきしんでは少し気持ち悪くて。それでもたまにでもくる彼女からのLINEが、おはようもおやすみも言い忘れられていても、「うん」とか、「そっか」だけでも嬉しくて嬉しくて、信じて待とうって、ボロボロだけど、頑張ろうって、待ってました。
結局改めて恋人を辞めたいと告げられて、腐ったことばかりしか言えない私に「そういうのがストレスだった」「そういうところに疲れちゃった」なんて言われて、最後には「もういい、全部終わり」「あなたとのことを嫌な思い出にする気はない」「付き合えて楽しかったよ」「今までありがとう」。その後仕事に行った彼女からの返信はまだありません。2週間前のあいだ、気づいたら泣いているような、ぽろぽろと細くわずかな涙なんかじゃなくて、今も画面がよく見えない涙でいっぱいです。私まで今までありがとうなんて言ってしまったら本当に全部終わっちゃう気がして言えなくて、悔しくて、やるせなくて、しんどくて、つらくて、当たり散らすみたいに嫌なことだけLINEで送ってしまった私がいます。ごめんね、ごめん、本当に大好きなんです。大好きだったなんて言いません、大好きなんです、今後もずっと友達としていたいという彼女に「どんだけ残酷なんだよ」と思わず送ってしまったけど、「あなたはいいよね、」なんて調子のことしか言えてないけど、切り捨てられたんだなって思ってしまってるけど、それでも世界で一番大好きなんです。
付き合い始めたときに、「私の生涯を貰って下さい」って私、言ったよね。ずっとずっと、本気でした。私なんかいつ振られてもおかしくない、付き合ってもらえてるのが奇跡だって思う反面、あなたとならこのまま歩んでいけると、私の生涯をかけて愛したいひとだと、この先もずっとあなたといるのだろうと思っていました。伝えるのが下手だと前置きした上で、だけど愛されるより愛したいからきっと私の方がすきだよと伝えてくれたあなたが、だいすきで、付き合ってすぐの頃にはもう本気で同棲考えてる、重いよね、なんて言ったあなたに、酷く安心したのを覚えてる。だって、私、めちゃくちゃ重いもん。もらう愛も、重い方が嬉しくてたまらない私だよ、ネットの友達とオフで会うのを嫌がったあなたと揉めながら、結局わがままを聞いて私予定をキャンセルしたよね。あなたが喜んでくれるならそれでいいやって本気で思ったの。あなたがいてくれたら私はそれで充分幸せなのに。ごめんね、友達としてじゃ嫌なの、わがままだよね、わかってる、だけど、だって、わたし、私のこと彼女にしてくれたあなたのことを一番知ってる。すきだよって言ってくれて、戯れにキスをして、はにかんで笑うあなたを知ってる。友達になったら、そんなあなたはもういないんだよ、。ゆっくり2人だけで過ごして幸せだねって笑って揃いの指輪を嵌めた手を繋いでカメラを構えたら私の肩に頭を預けて寄せてくれるあなたは、友達じゃなくて、恋人のあなたでしょ。
ごめんね、ごめんね、たくさん疲れさせて、苦しい思いさせちゃったね、愛情って言葉で縛り付けて、自由を奪う選択肢を選ばせちゃってたね、たくさん愛してくれたのに、ずっと不安な私でごめんね、欲張りで我儘な私でごめんね、だいすきです、ずっと、今はまだ声を上げて泣くのが精一杯だけど、もう少し落ち着けたら、その時はたくさんありがとうって言わせてください。
気持ちの整理のために書きたい
あの作品かなと思ってもそっとしておいてほしい
で済めば平和だったのに
親子愛とか情が溢れるストーリーと
脇役の子たちが片親だったり、親が入院中だったりという境遇で、自分に重なってしまったり、健気に頑張る彼等にこちらも励まされ、引き込まれていった
まあ腐女子なんで、男の子二人わちゃわちゃしてれば、ほんのりと腐妄想はしてた
(それまで腐女子特化サイトでひっそりと数本はあげたことあるが、2.5次元だったので皆ツイッターアカウントも鍵つきで、ステキ!はもらっても特に交流は広がらなかった)
親の事もあって(いつ呼び出されるかわからない)、このSSは最後の記念カキコというか、
タイミングよくみんな探していた流れに乗ったのか、結構閲覧され、いいねや感想も貰った
生物じゃなく二次元だし、皆鍵開け放ってるから(二次創作はパスワードつけたり、フォロワー限定)、ツイッターのフォロワーが増えたり、皆子持ちだから話もあって盛り上がった
20年以上ぶりに落書きもあげてみた(スマホアプリで何でも出来る時代)
ジャンルが小さいので学級会もない
優しい世界…
イベントやアンソロ、オフ会、繋がりタグ、企画ものなどTLが毎日昼夜問わずものすごい流れで、進んで行く
乗っかりたいが、気力も体力もついていて行かず、TLを眺めるのみ
親が病気といっても、容態が落ち着いているときや、何かの待ち時間、家族が寝た後など細切れに自分の時間はあった
TLの話題に刺激され、何か書いたり描いたりしてみる
ずっと読み専だったのに、こういう場に勇気を持って出て、1mmでも前に進んだ自分への自画自賛と
こんなことしてる場合じゃないのにショタを性的消費して、承認欲求オバケになってる自分への自己嫌悪との
反復横飛び
ジャンル専用アカを作って1カ月近くたってしまった 運良く親は持っている
専用アカを閉めて現実に戻った方がいいと思うのだが それはそれで寂しい
ポツリポツリと嬉しくなるようなリプが届くのだ
自分は先ごろ30代に突入したばかりの世代だけど、ネットで知り合った人と実際に会うことに抵抗がある。
Twitterで自分の好きなゲームにまつわる人をフォローしているアカウントなどを見てると、若い人はもちろん、自分より上の世代の人ですら、オフ会・オフイベントに当たり前のように参加しているように見える。
自分が遊んでいる対戦型ゲームは、有志によるイベントがそれなりの頻度で開かれているようだ。
主催者はものすごい気力・労力を費やしているだろうし、参加して楽しめている人がいるなら結構なことだと思う。結構、というか、自由だ。
しかし、そのイベントに「コミュニティを盛り上げるため」、「○○(ゲーム名)をもっと楽しんでもらうため」というお題目を掲げられていると、「モヤモヤ」してしまう。
「モヤモヤ」の内容は上手く説明できない。できたら匿名ダイアリーでは書かない。
確かなことは、どんな名分を掲げてオフイベントが開かれようと、「そのゲームは好きだけど、ネットで知り合った人と実際に会うなんて考えられない」という層は一切盛り上がらないということだ。
問題は、そう思っている層が、どのくらいの割合を占めているのかということだ。私のような人間が絶滅危惧種といったレベルなら、ここで書いたことも戯言に過ぎないだろう。
■膿がたまっていく
甘ちゃんの高卒無職がゴミみたいな人生を振り返るだけのエントリなので、あんまり読まない方がいいです。
花は咲かなかった。
蕾すら無かったのかもしれないが。
同世代の奴らが大学生活を終えて社会に出る時までには夢を叶えようと思っていた。
今年だ。
貧乏なのに兄妹が多い家で、大学は学費がかかるとか思い込んでたから金のかからない進路にしたいと思っていて、メンヘラ彼女と同じ大学に進むため勉強漬けで娯楽を禁じられていた自分は解放感から突飛な進路を選択したのかもしれない。
まあ、それでも学んだことは学んだ。
自主練はサボりまくったけど、結果として「演技は自分には難しい」ってハードルが建設された。
「もうこの道への気持ちは向かないんだろうな」と思う。
有能な兄は長年の努力が実を結び、仮にも自分が目指していた芸能関係で巨額を稼ぐ売れっ子になった。
妹は学費の関係で自分が学ぶのを諦めた分野を勉強して楽しそうにしている。
家の金を心配して進路を選んで、結果が出なくても「自分は金銭面では兄妹より家のためになってる」と謎の慰めを繰り返していたら自分には何もなくなっていた。
妬む気持ちはあるけど、まあ兄の努力は知っていたし。自分に努力する才能がないことは嫌というほど実感させられたから「兄みたいになりたい!」みたいな気持ちも一瞬で失せてしまった。
誰も責めようがない。
行き場のない鬱屈した気持ちで胸がいっぱいになり、兄妹から逃げるように隣県に社宅のある仕事に就職した。
一切経験のない工場勤務の仕事だったが、高校を出た時と同じように「まあ大丈夫でしょ。高給だし金のためならやれる」と軽い気持ちだったのを覚えている。
結果、一ヶ月続かなかった。
ただでさえ体力が追いつかないのに、毎日の残業と夜勤、そして現場でのパワハラで精神までやられてしまった。
最初は楽しかった一人暮らしも苦痛になり、身も心もズタボロになってギブアップを宣言した。
自分が使えない人間であることを嫌と言うほど思い知らされ、実家に帰ってきた。
働きたくても怖くて一歩を踏み出せない。
そんな自分の不甲斐なさが、余計に心に影を差すように感じながら今生きている。
話は変わるが、数年前、有名ボカロPが20歳の若さで自殺した。これが生前の最後のツイートになる。
https://twitter.com/siinamota/status/624184390592000000
自分はボカロには疎かったのでこの人の事も知らなかったのだが、「気持ちはわかるなあ」ってなんだか謎の同意が心に残っていて、今でも思い出す。こんな無能に同意されても気持ち悪いと思う。ファンの方がいたら本当にごめんなさい。
で、なんでこの話をしたかと言うと、自分の体が使い物にならないのを知ってしまったし、心は完全に働くことに対して及び腰だし、細かな体の不調がどんどん明るみに出てきて収拾つかなくなってるし、治すほどの根気も自分にないし。なんかこう、そういう膿のようなものが体にも心にもたまっているのを感じて、リセットしたいなあ、消えて無くなりたいなあ、と思ってしまうから。
長年やってるSNSも心の支えだけど、長年やってるせいで「罵倒していいやつ」みたいな扱いになってて。オフで会ってもネット上でも言葉でボコボコにされるし。高卒無職とか言えずに大学生気取ってるから悩みの相談なんて出来ないし。
あと最近若い子がネットに増えすぎ。才能のある歳下がバンバン目に入ってきて痛い眩しい辛い怖い苦しい。自分は絵も描けないし文才もないのでエンタメの素養が全然ないんだなって自己嫌悪が止まらない。
とりあえず趣味があってよかったとは思えるけど、リアルもネットも本当にリセットしたいなあって思います。
とりあえず自分でもわけのわからないまま吐き出してしまった。一文字でも読んでもらえたら自分の負担が分散するのかなって思います。いやもう書いてるこの時点でだいぶラクになったけど。以上。
4月に入ってTwitterでちやほやされる夢を見ながら絵を描き始めた人間は多いだろう。そんなやつらに覚えておいて欲しいことを言っておきたい。
・絵は才能は半分正解
絵は才能がすべて、というが実際それはある。しかしながら最低限可愛いと思える絵ぐらいなら見よう見まねでなんとかなる。そこから評価されるかが才能といったところ。何年も描いて小学生レベルな絵の人は基本枚数をこなしていてもやる気はないと思っていい。もしくは間違った描き方に固執しているかだ。
・絵が上手い人は上手い人としか絡まないも半分正解
よくTwitterでこれを否定する意見がある。正しくは「絡むのに絵の実力は関係ない。ただしあくまで雑談したり一緒にゲームをする範疇で絵の部分では自分より上手いか同レベルでないと関わることはできないしオフで会うことはない」である。そもそも人間として生きてきたならば学校で似たもの同士でグループができることくらい学んでいるはず。ネット上も同じ。上手い絵師と絡みたければまずは絵以外で関わりを持とう。
・まず色塗りを学べ
下手に見える絵の共通点として塗りが下手なことが特に多い。バケツ塗りにブラシでなんとなく影をつけただけ、がもはやテンプレート。線は顔だけ、バストアップだけを避けて偏らずに数をこなせば上達する。が、色塗りは技法を学ばなければ厳しく、がむしゃらにやっていれば報われると信じている愚か者が躓きやすい。幸い世の中には色塗りの技法がタダで転がっている。まずは学べ。線なんかガタガタでも色塗りが良ければ上手く見える。
・認められないうちの自己評価はあてにならない
他人からの評価は確実に自己評価よりも低いものだと思え。時間をかけて作られたものに愛着が湧くのもしかたないが見る側はそんな苦労や努力は知らない、結果だけを見る。それが同じ絵師だとしてもだ。数字がついてくるまで期待しないこと。
・なぜ絵を描くのかはっきりさせる
絵を描く=趣味 というのは一般的な話だ。しかしながら趣味ではなく手段、もしくは趣味を兼ねての別の意味合いを含めたものとしている人間もいる。褒められたい、ちやほやされたい、憧れのあの人の立場になりたいといい承認欲求。はたまた絵を通した仲間・友達が欲しい、誰かと繋がっていたいという所属欲求。つまりは絵を利用する人間である。そしてそれは潜在的な意識でありそれらが叶ったとしても自分では気づかない場合が多いだろう。もし絵に悩みを抱えた時、自分が絵が上手くならないことに悩みを抱えているのではなく、本当は評価がなされないことに対してだったり、繋がりが生まれないことに対してかもしれない。もしそうならば絵の上達は諦めてしまった方がいいだろう。RTの稼ぎ方、フォロワーの稼ぎ方を調べた方が見えなかった目的に近づけるはず。絵を描きたいのか、絵を描くことで何かを得たいのかはっきりしよう。