「「我々」」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 「我々」とは

2017-02-26

一見、納得感のある移民排斥動機を思う付ける。たとえば...

この国に住む資格「我々」はその資格を持っており、「彼ら」は持っていない。

「我々」はこの国に生まれたことによって、その資格を得たのではない。この国を築いた者の子であるが故に、その資格を得ている。

「彼ら」はこの国を築き上げることに、貢献していない。したがって、「彼ら」は「我々」と同じ資格を持ちうるはずがない。

たとえ、何の取り柄もないとしても、この国を築いた者の子であるがゆえに、「我々」には、この国に住み、そこそこの暮らしをする資格がある。

それを「彼ら」は不当にも奪っている。「彼ら」を叩き出せ。

でも、そんな複雑なことを誰も考えてはいまい。

2015-03-12

http://anond.hatelabo.jp/20150312152538

なぜ?この場合「我々」の想定する範囲が異なっているだけかもしれんぞ?

2015-01-20

http://anond.hatelabo.jp/20150120102516

我々の目には一線を越えて話題になる「悪のyoutuberしか見えていない。

「我々」ではなく「お前個人」だろ

つか「悪のyoutuber」って誰やねん、興味ないからヒカキンしか知らんわ

2015-01-11

http://anond.hatelabo.jp/20150110214339

 ※追記4

 書き始めた時点で存在している、返信が必要だと思ったブコメに対する返信

 id:kusoinakakagoshima 卑怯なのはテロ行為なんですが。ムスリム価値は豚の糞以下だよ 肥やしにもならない

 はいテロ行為はこれ以上ないほどに卑怯です。しかし、表現の自由を守るという文脈私たちはシャルリーである、と言うのも卑劣行為ですというのは増田を読めばお分かりいただけると思います。また、あなたの後半の発現はヘイトも同然な発言です。在日価値は豚の糞以下と言っるのと同様です。つまり、シャルリーにように建前として宗教批判しているのではなく、建前の時点で宗教を信じている人たちを直接的に攻撃しています

 id:sny22015 難しいな。米映画ラリー・フリント」では目を背ける様な唾棄すべき表現であっても法の下では護られるべきという、自由を勝ち取って作られた国の理念が描かれていたが…それは自由の濫用だという非難にも首肯できる

 アメリカは徹底した表現の自由の国です。あそこまでいくといっそすがすがしいなという思いがありますヨーロッパは、特にユダヤ人に対する抑圧の歴史から第二次大戦ヘイトスピーチ規制しようという機運が高まってきたので、事情アメリカとは異なります

 id:vhthlh これフランス国内一般人知識人達はどう考えていたのか気になる。

 フランス人の間でも前々から議論になっていました。イスラム団体の中には裁判という言論によってカウンターを行うグループが出てきたりしていましたが、こうした流れのさなかに今回のテロ事件が起きました。恐らく今まで積み重ねてきた努力が水泡に帰してしまうことを考えると、本当にテロは許されざる行為だという思いを強くします。

 id:hal9009 これに乗じてこういう統制主義者とでもいうべき規制派・自由嫌いがもっともっとヘイトスピーチとされる行為範囲を拡大していかなければならないって言い始める機会も増えるだろうな~

 表現の自由を維持するためには表現の自由をabuseする言論一定程度は規制する必要があると考えています

 id:ayanapapaネズミが腫れ物に当たったわけだからどうしようもない。ただ日本無関係な話ではない、イスラム教徒は増えているが他の先進国と同じく疎外され殻に閉じこもる。近い将来フランスと同じ事が起こらないことを祈る。

 日本無関係な話ではないという点に関して深く同意します。

 id:cider_kondo 欧州極右の主張は「イスラムは非寛容で政教分離を認めない。西欧価値の根源たる自由と寛容とは相容れぬ」ぐらい。セキュリティホールの一種で、イスラム側が世俗主義を導入しないと論理的解決はほぼ不可能。難しい

 ブコメ字数制限があるため分かりかねるところがあるのですが、それはつまり欧州極右の主張にも表れているように、イスラムに対して持っている問題意識はこれこれが最大にして唯一のものだが、これがセキュリティホールとなってしまっている。イスラム側がそうした問題点を解決しないと先には進めない」ということですか。つまりイスラムの人々が社会的に疎外されてる云々というところに対する反応だということですね。しかしながら、日本における在日問題も見れば分かるように、二世三世ほとんどその国の人間文化的には同質です。そうした人間であっても、社会的に疎外されて、結局イスラム教しかアイデンティティを見いだせなくなり、そしてイスラム教私たちという図式になってしまうのです。イスラム教否定されると、イスラム教しかすがるところがない人々にとっては、自身否定されたも同然になります。なお、イスラム教あなたどころか、欧州極右が考えているよりも案外柔軟な姿勢も持つ宗教です。イランイメージを強く持ち過ぎです。バーレーンのような国では本当にイスラム教徒なのか、というくらいには緩い生活を送る人々が多くいます

 id:oktnzm シャルリーの風刺が表現の自由の枠外なら諸国の言っている表現の自由とは一体なにをさすのやらw一番守りやすいとこ守っても切り捨て行為しかならんよ。

 前者に関して、シャルリーの風刺はヘイトスピーチであるので、それを表現の自由から外すことに何が問題かよく分かりません。後半に関して、主張するところの意図が分かりかねますが、後半部は「一番守りやす弱者であるイスラーム移民を守ったとしてもそれは表現の自由の切り捨て行為しかならない」ということでしょうか。でしたら、そもそも表現の自由の枠内に収まらないヘイトスピーチである以上、切り捨て行為ではないと思われます

 id:type-100 いや、正義の有無に関わらず与えられるところに、自由とか権利価値はある。これが表現の自由に対する毀損と感じるのであれば、それはあなた表現の自由よりも他の権利価値観を優先しているだけの話だ。

 与えられる、というか、侵害されないものとして、生まれつき保障されているというところに自由とか権利価値があることは事実ですが、それを濫用することまでは種々の権利自由は想定していないと考えています。つまり他者権利、即ち平穏無事に他者から毀損されることがないという権利を踏みにじってまで権利の濫用(ここではヘイトスピーチ)を行うことまでは許容されていないということは歴史証明していることだと思います。なお、これは決して批判を行うことを否定している訳ではないことを付記しておきます

 id:nekora 如何なる歴史があろうと銃を乱射してはいかん。本邦国内に数十あるイスラム寺院にも本件についてどちらを支持するかの聞き取り調査と公表を急げ。

 どうでもいいのですが、nekoraさんはもう同人活動を行われないのでしょうか。

 id:masm これを見るに、テロ一定の成果を収めたのかな。糞言論であれ、10-0でテロリストが悪いって意思表示することは悪くないのでは?あと、「ヘイトスピーチ同然な言論」か否かを判断する十分なソースをまだ見てない。

 はい10-0でテロリストは悪いです。だからといって、あなた言葉を借りたらヘイトスピーチも同然な糞言論表現の自由の一環として保護することになる私たちはシャルリーである、というスローガンは非常に危ういものです。理由は既に述べてきたとおりです。

 id:my_yours のっけから和訳を間違えている。

 「We are 99%」に代表されるように、この手のスローガンは"私たち"という使い方をすることが多いので、Je suisではありますが、私たちと訳してしまいました。不適切なので、より原文に忠実に訳します。ご指摘ありがとうございます

 id:kappei記事の人もブコメ同調している人も、自由主義理解してない。実はルソーマルクス系譜日本では優勢な気がする。真理がある、と考える人たち。

 すみません、何を言いたいのか、100文字という短すぎる制限では分かりかねるところがあります申し訳ございません。

 id:serio キリスト教徒が神だとしているイエス・キリストを、クルアーン人間だと言明しているイスラームは、それ自体ヘイトスピーチなのではないか、と極論を言ってみたりする。

 細かい話になってしまますが、キリスト教徒イエス・キリストを神である、とまでは言っていないと思うのでそのたとえの言わんとしているところが分かりません。

 id:Mochimasa 『「テロ行為の是非」と「シャルリーによる風刺の是非」は全くの別物である』 それなら"Je suis charlie”は前者の文脈テロ被害者として掲げられているのだから後者文脈でこれを批判するのはフェアではないのでは

 それならいいのですが、表現の自由の一環としても利用されている、つまり後者文脈でも利用されているのが問題なのです。つまり、その二つは別物なのに、スローガンにおいては前者の中に後者視点も入れてしまっているのです。

 id:homarara なんだそりゃ。誰かにとって辛い事は報道しちゃダメ、なんて縛りがあってたまるか。極論を掲載する新聞なればこそ、それを守る戦いが表現の自由を守る事になる。無難な事しか書かない新聞だけ守っても意味ないわ。

 自身アイデンティティ否定するようなヘイトスピーチ表現の自由の枠外であると考えています。「日本人は生まれながらの劣等民族であり、民族的に能無しで蛆虫寄生虫で云々」というようなヘイトスピーチを載せる自由はどこにもないです。そして本件はイスラム教自身アイデンティティにせざるをえなかったにも関わらずそのイスラム教批判されたために、先の日本人民族的に云々と同等の効果をもたらしているのです。

 id:hate_flag 苦しい生活を送っている移民宗教依存しているのでその宗教批判したらテロられた、というだけのハナシじゃん。悪いのはテロであって宗教批判ではないよね。

 はいテロは圧倒的に悪いです。いや、完全にテロは悪い行為です。ですが、本件でJe suis charlieと掲げることはおかしな話なんです、というのが私の意図です。テロられたというだけの話ではありません。

 id:rag_en 『「表現」の結果、とあるポジションが有利になるか不利になるかどうか』は、その「表現」の是非を決定付けません…で終了。表現規制理由が「傷つく人が」云々な駄論の近似。「救済対象の選別」からの「聖域化」。

 100字の文字制限があるからだと思うのですが、言わんとしていることが分かりかねます申し訳ございません。

 id:oldriver 思うに。(1)「テロリストにも三分の理」を全否定したい。つまり「この機にヘイトスピーチ糾弾しよう」というメッセージNG。(2)言論の自由コストを引き受ける覚悟表明。つまりヘイト「我々」問題である

 (1)も(2)もJe suis Charlieという標語意図、ということですね。どちらも原理的には正しい態度ではあるように見えますが、その態度が本当に正しいものかどうかは非常に疑問なところがあるのですよ。元の増田で書きましたが、これは歴史民族アイデンティティ問題も入った話です。そもそも、ヨーロッパではユダヤ教/ユダヤ人問題が大きなイシューになっていました。それを考えたときに、増田で書いたようなje suis charlieというスローガン問題を掲げました。

 id:sardine11あなたの言うことには何ひとつ賛成できないが、それを言う権利は死んでも守る」ことが言論の自由意味であり近代社会の前提であるはず。たとえシャルリに嫌悪感を抱いても反テロ運動まで批判するのはどうなの?

 反テロ運動非難しているのではありません。反テロ運動の一環としての表現の自由の中にヘイトスピーチを行う団体名が入っていることを問題視しているのです。

 id:ysync 暴力であるテロ言論であるヘイトスピーチを同じ「許してはならない」でくくるのはどうかと。テロ国家権力暴力)で排除すべきものだが、ヘイトスピーチ批判すべき対象暴力国家権力)で排除すべきでない。

 ヨーロッパにおけるユダヤ教/ユダヤ人問題が参考になると思います

 id:enemyoffreedom アレをヘイトスピーチとしてしまったらもう宗教の風刺・批判はできないような。不快で低質な表現こそを守れ、というのが表現の自由かな

 宗教の風刺批判ではなく、その背後にいる、その宗教を唯一無二のアイデンティティとせざるを得ない、社会的に疎外された移民の人々に対するヘイトスピーチになっているということを増田では書きました。後者に関しては同意しますが、表現の自由差別的攻撃的・他者を毀損するまでの表現を認めていません。

 id:shakespeareneverdidthis 例え在特会みたいな下衆であっても、報復として殺害されることがあってはならない。

 それは全くもってその通りなのですが、表現の自由を守るという文脈下地にあるスローガンに私は在特会である、というものを使うのはおかしいのではないのかという話です。

2013-12-20

http://anond.hatelabo.jp/20131220143108

元々の話を忘れてもらっちゃ困る。村人AとBが「我々日本人」と言いうるのは日本国があるからだ、という話だぞ?

仮に俺が今でいう北海道にある村の住人で、君が沖縄にある村の住人だとしようか。

日本国がなければ、俺に取って君は「なんか南の方の村の人」だし、君にとって俺は「北の方の村の人」だ。

よそものであり、同胞ではない。血縁的にも遠い。「我々の子孫」? 何それ。俺の子孫と君の子孫は無関係だろ?

日本人日本人「我々」という一つの集合と見なし、その子孫の数を云々議論することが出来るのは、日本国という体裁があるからだ。

http://anond.hatelabo.jp/20131220131534

守るべきものは現に生きる我々の子孫そのものだ。

君個人の子孫なら明確に定義出来るけど、「我々の子孫」なるものの範囲を見定めるには、国家国籍制度が先行する必要がある、という話。

君も認めちゃったでしょ、移民とか帰化とかの概念でその枠が変化することを。それは国家国籍概念があって初めて成立するんだから

むちゃくちゃなロジックだな。俺とおまえとその他の人間が集合して、共同体が成立する。その共同体を国と呼び「我々」は「国民」と再定義される。

独自定義で話されても困る。共同体と言っても、例えば村や町であっていけない理由がどこにもないだろ。国家を成立させ国籍制度を作って初めて国民という概念が成立する。

俺らの遠いご先祖は多分日本列島のどこかにいたんだろうが、「日本人」であったかどうかは微妙だぞ。クマソ国の誰それだったかもしれん。

http://anond.hatelabo.jp/20131220125757

まり

国家としての体裁なんてどうでもいいだろ。要は我々の子孫が生き残るかどうかで、国家として存続していようが人類に占める子孫の比率が少なくなればそれは敗北であり、国家が滅びようとも子孫が他国ででも生きながらえて人類における人口比率を高めればそれは日本人にとっての勝利だろ。

は間違いだった、とやっと認めた訳か。疲れた

国家の体裁」に先行する「日本人」も「我々」もないよ、あるとしたらこの島国に偏って存在する遺伝的な特徴くらいだが、そんなもん守る価値あるのか? というところから話をしていたわけだが。

国家の体裁」があるから初めて、「我々」という枠が定義され、「我々の子孫」なる概念が成立する。数を云々出来るのは、まず「我々」国家によって同じ国民として定義されるからだ。

でまあ、「子供を作る義務」なんてものを設ける国はだいたい早死にするんで、国家としての体裁を守ることにはならないよ、という話。

http://anond.hatelabo.jp/20131220125204

人間は千年も生きられないんだよw個人の生は常に100年程度で終わるし、一個人の産む子供はせいぜい3、4人だ。

「我々の子孫」にこだわるその「我々」とはなんだ、と問うている。今日本国籍を持つ日本人のことだろ?

国家の体裁」があって初めてその枠はあるんだ。国家がなければ、お前と俺は「我々」なんて同じ枠にくくられるべき人間じゃねえよ。

2013-09-24

http://anond.hatelabo.jp/20130924064649

ねえねえ、その、「我々」ってのも英語教育の現れなの?

特進クラスのものだとは別に思ってないし、実績が無い上直ぐに中止にしてる辺り最初から実験なのは明らかな訳で。

自分高校生の時、数学現国?以外の授業はすべて英語で行われていた。

というか具体的には英語とその他…倫理だったかな?よく思い出せない。

学校日本にあったし、教師以外は日本人だった。

これも何言ってるか全然からない。結局どの教科が英語だったのか。数学現国以外が英語、で、なんで具体的にいうと英語倫理だけになるのか。

学校で4つしか授業やってないん?

てか、むしろ数学なんて一番英語でやっても分かりやすいもんだろ。

なんで現国だけ分けるか意味不明だけど、漢文英語かね?てか、古文は?わざわざ英語で訳すの???

すべて、ってのが全くの嘘で、倫理の授業だけが英語か?

何にしろ倫理なんて、誰も勉強しないで60点70点取れる上に他の教科とかぶらないから皆ノー勉で受けるもんじゃん。今の制度は知らんけど、少くとも数年前までは。

トンデモナイも糞も無いんだけど。

あと、英語国語別に問題ないし、数学日本語がまともに出来てちゃんと数学レベルがあれば、英語だけで学んでも余裕だろう。

理科科目も割とそうだろうな。化学名前とかはちょっとあれだけど、4択だしな。余裕だろ。

教師以外が日本人ってのも意味不明インターナショナルスクールでもないんだから当たり前じゃん。最初から特別クラスからしてるとか言ってるんだし。

教師以外が日本人で、で、結局教師は?

私は実際そのあとの大学受験センター試験を利用することは無かったよ。

海外に行ったの?そうでないならただ逃げただけだよね。別に英語で授業受けててもちゃんとした学力あれば上に書いたようにそれなりの大学までは余裕だよ。

2次のが余計大変だろうし。英語だけで入れる様な大学もあるだろうからそれなのかな?何のために大学行ったのかな?

大学英語教育する云々の前に、大学で何をしたのかな?

せっかくトラックバックを頂くのであれば、大学講義をすべて英語で行うことにこんなメリットがあるんじゃないかみたいな話を聞けたほうが良かったかとは思うけど、特に私が「これこれについての意見を求む」なんて書いた訳ではないからまあこれは勝手な願望だね。

そういうとこはあるじゃん?で、企業はそういうとこ好んで取ってるじゃん?それが何の意味があるかは別だけど。

まあ、普通に海外交流がある企業なら便利だけど。

大学の授業自体は殆ど学生なんて何も意味が無いんだから(結果的にそうしてる。内容どうこう以前にまともに学習すらしない)

どうせなら英語でもやってた方が何らかの意味にはなるだろ。そのために「勉強する」姿勢も得るし。

結果的には余り成果出てない感じだけど。まだサンプル少なすぎるし、そういう大学教育方針自体が特殊すぎるからからない事は多すぎると思うけど。

秋田の新しい学校とか、ホントか嘘かしらんけど、もう缶詰みたいなので勉強させてるよね?

あれがいいかどうかは知らんが、ま、少なくともその辺の学生よりは「勉強」はしてるだろう。




あと、そのまとめは大学院まで言及してるが、理系だけかもしれんが、俺が居た大学は、大学院では学生が一人でも英語でやることを要求した場合

絶対に英語でやらなくちゃいけない、という決まりはあった。(教授が毎回最初の授業で聞いてた)

最初に聞いてた、で分かるように、基本的には日本語でやってたけど。敢えて英語でやったところで意味が無い、って愚痴ってる人も居たけど。

逆に学部の授業すら、英語でやるから、っていう教授も居た。(普通に理系の専門科目)。

まあ、研究やらなんやらで必要になるから英語なんてやるしか無いし、そもそもその程度出来ないなら来るレベルじゃない、って感もあったし。



ちなみに、知り合いがスイス大学院修士の時に1年留学みたいに行ったが(日本修士を1年休学)

そこではフランス語の授業だったって。英語じゃなくて。(そいつ理系のくせにフランス語まで簡単に覚えやがるおかしすごい奴)

から別に大学院ですら、すべて英語でやる、ってのは別に世界標準ではないんじゃない?

2013-07-03

http://anond.hatelabo.jp/20130702225358

横だけど、やっぱ口汚く罵る左側の人って一部でしょ

1.ネットマスメディアで目立っている人(必ずしも馬鹿じゃないけど、口汚いので誤解を産むこと多し)

2.単に馬鹿慈善事業系とかの世界に数多く生息)

3.一昔前の左翼週刊金曜日とか、そっち系コテコテ

みたいなクラスタしか生息してなくて、

ちょっと地味な、文系研究者とかは、たいがい、「そこそこまともな左翼」が多いよ。

ただ、だいたいが、内輪向けのちょっと小難しい言葉で話してることが多いので、

外向けに目立つ人が少ない印象はある。

 

暴力を肯定するガンジーみたいな間抜け集団ネット左翼」に対して、糾弾してもおかしくないが

 

地味な左翼は、基本的に、馬鹿な頭の悪い左翼集団とあまり関わりたくないと思ってるよ。

たまに、disるけど、内輪もめに時間やすのを、そこまで生産的だと考えない人が多いのだとは思う

っつーか、「左翼」というカテゴリで見られるとかっていうこと自体を想定している人が最近ほとんどいないと思う。

(まともな人であればあるほどに。)

「おれたちは左翼だ!」って言う人達のむれが、今、ほとんどいないのだから

あなたの言う「左翼」に派閥意識を前提とした立ち振舞を要請されても、困るというのが実情だと思う。

 

それと、最近の、在特会どうこう関係は、だれが何いったかとかまったくウォッチしてないのでわからないけど、

一応、「我々」という派閥意識が成立するところでは相互批判はもちろん、ある程度存在する。

たとえば、昔からフェミニズムでいえば、

田嶋陽子的なフェミニズムに対して、上野千鶴子とかのアカデミック系のフェミニズムからは批判があるよ。

(もちろん、上野千鶴子も口汚く、しばしば言い過ぎるので、上野に対する批判も多いよ)

2012-12-13

とうとう「はてブコメント」がはてブされた(はてな左翼

レポートが終わらずに朝を迎えるであろう私が、現実逃避はてブをさまよってたら

はてなブックマーク - 左に立っている人には真ん中さえも右に見える - とある青二才の斜方前進』

http://b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/TM2501/20121211/1355218653

こんなタイトルが目に留まって、むむむ

一瞬バグかなっとおもい、開いたらそこにはまぎれもなく『「はてブコメント」に対するコメント』があるじゃないですか

どうやら、はてな左翼騒動の余波らしいですが、私は追っかけてもないので知らぬ存ぜぬなので、それはおいといて。

はてブという、ブログコメントとは違い一方的にコメントをつけられるものを使い我が物顔でコメントしてきた「我々」

同じようにレッテルを貼られたりコメントをつけられる それも「我々」自身によって

ていうか、もしかすると新しいコメントツールでもあるんじゃないでしょうか、コメントに対するコメントによるコメントの重層か

ニーチェの有名な言葉を思い出しますね

怪物と闘う者は、その過程で自らが怪物と化さぬよう心せよ。おまえが長く深淵を覗くならば、深淵もまた等しくおまえを見返すのだ。

いけないカフェインを取りすぎた

ところで誤差って、改ざんしてもいいかな?

.....いいよね?(涙

2012-08-22

http://anond.hatelabo.jp/20120822173359

要するに

1)でかい主語一般論を語る奴は大体クロ。

2)一人称が「私」ではなく「我々」の奴もクロ、もしくは宇宙人

2012-02-27

http://anond.hatelabo.jp/20120227180334

>望む望まざるとを問わず世間にどう認知されたかけが重要

宅間守だって犯罪者としてのイメージを望んでいたわけじゃないけど、君に例に出されてしまうほどの犯罪者としてのイメージが付いたわけじゃん。

から、その理屈で行くとOTAKUは全員犯罪者予備軍なんだけどキミ的にはそれでFAなんでしょ。

あと宅間守ってイメージがどうこう以前に犯罪者から

>正しさなんか、ここでは関係ないでしょw

>あくまで「キャラ」。そこに誤解があろうがなかろうが、我々は世間認識を通じてからしかキャラ」は語れない。

>我々が、ガガの歌を聴かない世間認識する「キャラ」を前提としてしか、話はできないの。

>どうしても悪女としてのガガの話がしたいなら、「世間ではこう認識されているけど、実は」という前置きをしてから始めなさいよ。

>共通の認識をすっとばしたところから話をスタートされても困るでしょ。

じゃあ別に世間ではこう認識されてるけど、実は」でいいよw

実はもへったくれも、デビューアルバムがあの路線なのは事実であって、知らない奴は単なる無知しかないんだけどな。

つーかその前に、その「我々」はお前であって俺じゃない、ってことわかっといてね。

2012-01-20

http://anond.hatelabo.jp/20120119202019

うん。慎ましいよね。

個人的には増田がそのことを面白いと書いてるのがいいなあと思う。

逆に自己主張の強い文化?をもつ地域には、その影で慎ましさを笑う風潮があるのかなあ。

人間多様性を是とする文化地域なら、慎ましさも積極性や強気姿勢

まるごとひっくるめて「多様性」として寛容するのかなあ。

個人的には

明確に意識されるべき持っている何か、これまでも持っていくつもりの何かは

「我々」という増田が書いたように集団で共有されるべきなのか

それとも国や地域文化にとらわれず

「個人」が選択・決定すべきなのか 判断に迷ってます

2011-07-18

http://anond.hatelabo.jp/20110718200013

個人的慶事においては、「代表の勝利」みたいな同調圧力はあんまり発生しないんじゃないかな(同調の対象となる「我々」集団が明確には存在しないので)

つか、そういうときに「良かったな」「おめでとう」ではなく「良かった」「嬉しい」と(本心から我が事のように)喜んでもらうことって、重要なの?

2010-08-25

ザ・コーヴ関係者の太地反イルカデモ、「暴力的な右翼団体」を理由に撤退。

http://savejapandolphins.blogspot.com/2010/08/we-are-canceling-our-plans-in-taiji-for.html

幾つかの重要な理由により、9月1日に予定していました日本の太地での予定をキャンセルする事にしました。

その中で一番重要なのが、太地で暴力的な右翼団体が我々を待ち構えているという情報を入手した事です。我々の日本での活動は決して衝突が目的ではありません。イルカ虐殺の実態と、水銀まみれのイルカ肉が市場に出回っているという真実を人々に伝える事で我々は前へ進む事ができるというのが我々の考えです。これを「我々vs奴等」…過激右翼組織をバックにしたイルカ虐殺者と、日本の文化破壊しようとしている外国人という対立の図式に持ち込もうという右翼団体の目論見に乗るつもりはありません。

右翼団体の方々は自由に太地で集会すればいいでしょう。我々は日本の他の場所で、メディアと話し、問題を説明し、我々の目的は争いではなく癒しである事を人々に理解してもらうよう活動します。多くの日本人の方々は我々の言葉に同感して下さるでしょう。

「我々」は、今は153国から集まった160万の人間です。「日本イルカを救おうチーム」は9月1日に日本の地で、この年間行われているイルカ虐殺に対して抗議し、これを平和的に、礼儀的に行ないます。

残念と感じる方もいらっしゃると思いますが、今の時期は太地以外の地域の方が良い成果が得られると我々は思います。そして、どうか私は自分の身の安全の事は重要視していない事をご理解下さい。私の他にも多くの支援者が来られ、彼らの身の安全まで危険に晒したくはないのです。

太地や他の漁村で危機に晒されているイルカ達を見捨てはしません。むしろ、イベントを別の場所に移す事で問題の全体像を捉える事が出来ます。日本の海沿いには他にもイルカを殺している団体がいます。ただ、殆どはザ・コーヴで見られるような追い込み漁はもう殆ど行われておらず、日本イルカの殆どは沖で小さな船から銛を使って捕えられます。また、更に視野を広げると監禁の問題も見えてきます。これらについては、中立で対立のない環境で議論したいと思います。

2010-02-11

http://anond.hatelabo.jp/20100211204041

「正面から」喧嘩なんかしてないだろうが。 みじめだなぁ…… 「我々」と一心同体感をもってたのに、裏切られて……

2009-06-10

http://anond.hatelabo.jp/20090610141457

「俺」「私」といえばいい所を勝手スレ代表顔して「俺ら」「我々」だから胡散臭がられる

ただそれだけの話で、深遠がどうこうとかのレベルの話じゃないんじゃね

2009-05-18

http://anond.hatelabo.jp/20090518074910

在外邦人にメリット出来るんじゃない

増田の言う「我々」に当てはまるのか分からないけど

2008-07-02

関西人増田です。クリリンのことではありません

どうも、この記事の作者です。前もって補足記事に追記して釘を刺しておいたにも関わらず、よくわからない反論(?)が来てしまったので、一応フォローしておきます。同様の誤解をしている人も結構いるらしいので。

題名読めと言ったのに

実を言うと、この記事については反論することはあまりないんですね。言ってることは、細部はともかく全体としては同意できるものですし、知らないこともいろいろ書いてくれて勉強にはなりました。

ただし、唯一同意できないのは、それをもって私への反論だとしていることです。だって、この人の書いてることって、私の書いたことの「東京」と「関西」を入れ替えて、似たような立場から書いただけの話なんですから。それに私が文句言うわけないじゃないですか。そして、「関西風土のよい点を聞きたい」といわれても、私は最初からお国自慢なんかする気はないと補足記事で断ったはずです。木によりて魚を求められても困ってしまうのですが。

この人に限らず、反応の中には、自分が批判されたと思いこんで怒っていらっしゃる方がおられたようで、それが少し気になりました。そうした方々は、私がいったい何を言っていると思ったんでしょうか。私は「東京」を批判したのではなく、「東京は中心で地方は周縁」という迷信を批判したのです。いくら私でも、東京の人の全員が「大阪人民度が低い」なんてことを言っているとは思いませんよ。確かに、最初の記事を意地悪く読めば「東京人間は全員偏見まみれ」と読めなくもないかもしれませんが、たとえば「アメリカでは、進化論さえも政治的な話題として扱われてしまう」という書き方だったらどうでしょうか。アメリカとかアメリカ人を全部ひっくるめて批判したことになるでしょうか?

その辺の誤解を防ぐために補足記事を書いたわけだし、題名に「東京が嫌いなんて誰が言った?」と書き、本文中に「文化や言語に優劣などありはしない」と太字を付けてまでわかりやすく書いたにもかかわらず、「お前なんか大嫌いだ」と言われるのであれば、もはやこの方は私が何を言おうと気にくわないのだと判断するほかありません。「そうですか、残念です」としか言いようがないことです。

この人ばかりではなく、同様の感情的罵倒がいくつかあったことは残念です。「東京は中心」という迷信を批判したらそれがすなわち東京を批判したことになっているのだとしたら、その人の中では「東京こそが中心」という迷信が自明化されてしまっているのでは、とこちらまで邪推したくなりますよ、そのうち。

埼玉の件は「産む機械」ではなかったかもしれない

あと、埼玉の件が思った以上に誤解を招いているようなので、一応補足しておきます。

おそらく、誤解を招いているのはこの一文でしょう。

我々は、自ら「ダサイタマ」ではなく「東京」と呼ばれたがる卑屈な埼玉人ではない。

この「埼玉人」は集合名詞ではなく一般名詞です。つまり、「おおよそ埼玉人という奴らはすべて卑屈であって」という意味ではなく、「埼玉人の中にの卑屈な奴がいて」という話です。

たとえば「俺は百円ショップでまで値切るがめつい大阪のおばちゃんではない」と書いたとして、「大阪のおばちゃんは全て百円ショップで値切るほどがめついと思われているのか!」と読む人はいないでしょう。そういうわけで、最初は「『産む機械』じゃあるまいし、邪推も大概にしてくれ」と思って無視していたのですが、確かに主語「我々」となってみると、「埼玉人」も集合名詞であると誤解しやすいかもしれないと思い直したので、一応念のため補足しておくことにしました。ただそれにしても、直後に

それとも、東京人は自分たちの身内も「ダサイタマ」などといって馬鹿にしているくらいだから、よそ者などもっと馬鹿にしても当然だとでも思っているのだろうか。

とまで書いているのだから、埼玉馬鹿にされたと読まれるとは正直思いもしなかったのですが。

あ、ちなみに、上の引用箇所の「東京人」も「(その手の)東京人」とでも読み替えてくださいな。なにしろ、ホットエントリになると思わずに愚痴を書き捨てただけだから、細かいところで舌足らずなのは正直ご勘弁いただきたいです。そこを補うために補足記事を書いたくらいなので。

いやー、はてなって、本当に面白いものですねー

以下蛇足。私が匿名日記を書くとときどき、捨て記事のつもりで適当に書いた記事に限ってホットエントリに入ったりする(受けを狙うと全くといってよいほど入らない)んですが、そのとき必ず一部の特定の同じ人たちが罵倒を浴びせてくるのはなんでなんでしょうね?毎回、全然違う話題について述べているのに。好意的な反応をくださる方は毎回顔ぶれが別なので、ますます不思議です。

揚げ足取り様ご苦労様です

もういい加減腹が立ってきた。

b:id:perfectspell 間違い探しゲーム, 100字コメント一部にそういう人がいるから「埼玉は卑屈」「埼玉馬鹿にされている」と書くのがOKなら、「大阪民度が低い」と全てのメディア(ネット含む)が言ったとしても、エントリ主には「一部の」と脳内補完されて無問題?

本当に「間違い探しゲーム」ですね。まず、「民度」という言葉は集団に対して使う言葉ですね。次に、「馬鹿にされている」と書くことが罵倒なら「障害者差別されている」と書けば障害者差別なんですかね?最後に、「埼玉は卑屈」なんて書いてないでしょ。人の書いたことをわかりやすく歪めないでください。だいたい、「一部の」とかそういう問題じゃなくて、たとえば「馬鹿な男が」とか書いたら「男は全員馬鹿」って意味になるんですか、という話ですよ。誤解の余地がある書き方をしてしまったことは認めますが、わざわざ悪い方に解釈されるのは心外です。

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