はてなキーワード: ルーズリーフとは
最近話す機会が増えた会社の後輩女、すぐにマウンティングしてくるから嫌なやつだなーと思ってた。
でも、向こうは大学出たばかりの新卒で、こっちは30代。やり返すのも大人げないと思ったからなるべく関わらないようにしていた。
そのくせ「(私)さんのこと尊敬してます」って言って向こうから絡んでくるので、本当に困ってた。私は会社ではそこそこ仕事できる立場だけど、独身だしオタク顔のさえない女なので、見下し対象にされたのかな?と思っていた。
とはいえそんな日々が続く中で、私はそれなりにストレスを感じており、なおかつ比較的好戦的な人間である。少し時間が空いたときにはあの腐れ女をどうスマートに倒すかの手段を考えるようになっていた。
そして今日もまた週明けから再び絡んでくるであろうあの女をどうやって黙らせるか考えていたのだが、ふと一つの可能性に思い至った。
もしかしてあいつ、この私に構ってほしくてあんなことをしているのか?と。
思い返せば、マウンティングだけじゃなくて「自分は変なんです」アピールがすごかった。部長に問題児として目をつけられている、声優の友達がいてチケットがもらえる、地下の女アイドルの推しに貢いでいる、同じ映画を20回見た、などなどなど。
(上記は本人がこんなに変なんです感を出して話すのでそう書いたが、私は別にそれらは変じゃないし好きにすればいいと思っているのでスルーしていた)
とにかく、構ってほしい!聞いてほしい!自分に注目してほしい!っていうオーラがすごい。
それらの行動を、私はマウンティングに通ずるアピールなんだなと思っていた。
でも、これらを冒頭の「(私)さんのこと尊敬してます」発言が真意であるとして考えると、全然意味が違ってくるような気がしてくる。
彼女はとにかく私に自分のことを知ってほしいし、聞いてほしいのだ。興味を持ってもらいたいのだ。
私と同じ世代のオタク夢女子は一度は好きな男に「ふーん、面白え女……」と言われたことがあると思うんだけど、おそらく、あれだ。
彼女は私に「面白い女だ」と思われたいのではないか、と、思うのだ。
ふむ、そう考えると彼女の気持ちもわかる。それは中学生や高校生だった私が授業中にルーズリーフに書いていた夢小説の内容と同じなのだから。
でもそれはそれとして明日から彼女の変人アピールがかわいく見えるようになるわけではないので、一応黙らせる方法は考えてから寝ようと思う。
あ~私と同じようなことをしている人がいる。私はノートとかメモ帳とか大判の付箋(罫線入りで、職場の消耗品の付箋より2倍ぐらい大きいやつ)とかついつい買ってしまう。
どうせ108円の代物なのになぜか勿体なくて使えないこと多数。職場では味気ないノートに時系列でメモを書きなぐっているが、本当は付箋かルーズリーフに書いて、内容の分類別に並べ替えたりするのが有効なんじゃないかと思っている。
「バレットジャーナル」なる手帳術が流行っているようでやってみたいけど、スケジュールから何から全部手書きで、目次まで自力で作らないといけないという恐るべき代物である。これだと普通のノートを手帳にできるんだが、「手帳を書く」という行為自体を楽しめないと無理。
で、付箋の話に戻るけど、オーソドックスなところで「お買い物リスト」とか書いてみたらどうかな。ビジネス雑誌の手帳術だと「叶えたい目標を書く」とかあるけど、それはどこまで実現可能か微妙なので。あと、「時間があれば行ってみたい場所」とかリストにしておくのも良いかも。特に日帰り圏内でちょっと時間ができたら行けるところが良いんじゃないだろうか。
思いつきでいろいろ書いたけど、大きなお世話だったらごめんなさい。
本気で生きるなら、いい机と椅子を部屋に置こう。
そして、学ぶことをストックしてくノートというものが必要なんだと思うんだけど、
ルーズリーフが良いと思う。
・Notion
・Realtimeboard
デジタルだったらNotion等でめっちゃ知識は整理できるとは思うし、移動中でも会社でもメモできる。
デジタルだとなかなか覚えられない。
本(OUTPUT大全)にも書いてあったが、
アナログの場合のほうが記憶の定着力が高いという研究結果がでている。
だから、ちゃんと学びを貯めていくのであれば、なるべく手書きのほうが良い。
失敗から学んだり、自分が専門としている分野だったり、そういうものを手書きでノートをとっていきたい。
そして、
ルーズリーフのほうがいい。
それに、ルーズリーフならとりあえず書き始めることができる。
ということで、いろいろ試した上で
人生かけてずっとルーズリーフで学びを蓄積していこうと思いました。
けど、これもっと若い時にこの最終的な選択肢に気づいていたら、
ちなみちゃんは中学生の時に隣の席になった、ちょっと勉強ができない、けれど常盤貴子に似た美少女だった。
「増田さあ、ちょっと解き方教えてくれない?」と先生に当てられたちなみちゃんに頼まれて説明してあげていた。ちなみちゃんはふんふんと聞いてから、
「でさあ。答えは?」と続けた。
僕は、解き方を新しいルーズリーフに書いて渡す。ちなみちゃんはそれを黒板に書いて戻ってくる。
そんなやりとりをするうちに、僕はちなみちゃんが好きになった。
中学生の童貞の頃だったし、僕はだいぶ太ったイケてない組の男子だったので卒業まで結局何も言えず仕舞いで、合格した進学系の男子校に進学した。
卒業した春休みの間にちなみちゃんに手紙を書いた。書いたは書いたが、ダイレクトにフラれるのがどうしても嫌だったこともあって、上手く好きと書けず、謎の内容になってしまった。ちなみちゃんから返事は来たが、断りの言葉もない世間話のような手紙だった。
高校2年の時に、久しぶりに会った同級生から、ちなみちゃんが、同じ中学出身の大変趣味の悪いギャル男と付き合い始めたと聞いて絶望的な気持ちになった。
それから、なんだかわからないが猛烈に頑張る癖がついた。たぶん、自信がなく、失敗が嫌で好きとすら言えない自分に腹が立ったからだ。あとは今振り返ってみても意味がわからないが、例えば新聞に出るとか、テレビに出るような著名人になれば、ちなみちゃんがいつか目にしてくれて思い出すのではと思ったのだ。謎の初期衝動。
それから15年くらい経って、ちなみちゃんのことはすっかり忘れていた。後に残った初期衝動のままに、仕事は上手くいっている。
控えめに言って順調だ。デカい会社に入り、結果を出して、個人名もテレビや新聞に多少はでている。(NHKミニ枠とか文化欄だからたぶんちなみちゃんは読んでないだろうな。)賞を取り、ヘッドハンターに提示された年収は2000万を超えていた。痩せて、嵐のようなモテ期も体験した。今は充実しているしまだまだ頑張りたい気持ちは消えない。
そこそこで満足していた自分に、失敗を恐れない謎の向上心が生まれた。そのきっかけだった手紙の返事を、年始に行った実家の部屋の整理をしていて偶然見つけて色々思い出したのでなんとなく書いておきたい。
https://anond.hatelabo.jp/20190102063518
こういった大学の話になると、全く登場しないことで(自分の中だけで)お馴染みの北海道大学。きっと旧帝大の中では人権が与えられていないので遠慮しているのだろう。
ということで、帰省したものの朝まで寝付けなかった私が、タバコを吸いながら書いてみようと思う。完全なる自分語りとなることを許して欲しい。
生まれも育ちも北海道だったため、なんて事のない普通の市立中学に通っていた。しかしながら、赤ん坊の頃に白内症を患い、日中は殆ど目が見えず、親譲りの喘息と、アトピー性皮膚炎まで完備という、キャラメイク時のステ振りダイスが完全にファンブルっていたため、集団の中では嫌でも浮く存在になっていた。
自然光の中ではほぼ目が見えないので、通学途中に普通に電柱にぶつかったりするし、体育の授業でサッカーなんてやろうものならゴールポストにぶつかったりするし、10cmくらいまで近寄らないと顔も判別できないしで、他の人から見ればどう考えても頭のおかしいやつに見えたことだろう。当然ながらいじめもあった。小学生から中学2年生くらいまでが人生で一番きつかった(しかし小学生6年の時に面白キャラへの展望を見出し、そのおかげで幸運にも友達もいた)。
目が見えない道中はひたすら脳内にイメージを描いて妄想していた記憶がある。
そんか日々の妄想のおかげか、何故か文章能力だけはあったようで、小学生の頃書いたなんかの感想文が先生の心を打って、私に内緒で突然全文プリントに掲載されたり、中学の頃書いた読書感想文では国語の先生から「普段から小説書いたりしているの?」などと言われていたので、自分は将来文字を書いて生きていくことになるのかと思っていた。
そんな私の勉強法はというと、まず白地のノートが見えない(日中は黒板も見えない)ので、一度だけ集中して読み込んで、短期間で暗記することにしていた。なんの参考にもならなくてすまんな。人工光の中ではなんとか目が見えていたので、普通にテスト勉強などはした。
そして同じく人工光の塊であるテレビゲームが私の心の支えであった。喘息がひどくなっても、ゲームに集中していれば、なんとか発作をやり過ごすことが出来た。
ちなみに目は中学3年のときに手術を受けて人並みに見えるようになった。病院から帰る車中で見た、生まれて初めての鮮やかな景色の衝撃は今でも覚えている。
また、小学生の時から通っていた塾で出会った女の子のことを、中学から高校の終わり頃まで片思いするハメになるのだが、その子は頭が良く、とてもレベルの高い高校を志望していた。その子に出来る限り近づきたくて、志望校は少し無理をして高い所を目指したが落ち、このあたりからいよいよ根暗ロードへの扉が開いていく。
特待生だったので格安で通えるという理由だけで選び、格安で通える以外何も良いことは無かった。
例の好きな子のことはいまだに好きで、その子と話すためだけに塾を続けていた。高校二年生の時に人生で唯一告白されたときも、好きな子が居るからという理由で断った。その子は北海道のどこか偏差値の高い大学を受けるらしいということだけは耳にしていたため、その子との関係を続けたいがために、北大を目指した。というのは嘘だ。
実際のところは、高校受験に落ちたショックで完全に無気力になっていた。自分は何をやってもダメなんだと考えるようになっていた。物理や化学のテスト偏差値は当時30とかで、今思えば大学に行けるかどうかも怪しかった。特に行きたい大学も無かったし、先生からも見放されていた。
勉強に本腰を入れたのは高校三年の夏休みの終わり頃だったと思う。いよいよ将来を考えるという時期になった時、私は自分の心を支えてくれたゲームを作る側になりたいという気持ちが強くなったのだ。
そして、ゲームを作るのにはプログラムが必要だということを知り、情報工学系の大学に行きたいと考えるようになった。
そのことを塾の先生に相談したら、何をするにせよ基礎的な学問を学んだ方が良い、そのためには良い設備のある良い大学に行くべきだと言われ、東工大か電通大に行きたいと考えるようになった。
そこから毎日塾でセンター問題を解きまくった。学校の授業中も全て無視してひたすらセンター問題を解き、過去に参加した模試を何度も何度も繰り返した。
偏差値が最低のところからスタートしたのが、結果的に功を奏した。模試の過去問を繰り返すたびに必ず少しずつ点数が増えた。これが凄く面白くて、そこに自分はゲーム性を見出したのだと思う。
また、過去問を解くのに使ったルーズリーフを捨てずに毎日積み上げることにしていた。そこもゲーム化しようと思ったのだ。結果的に、自分のやったことがルーズリーフの山という形で可視化されて、それがモチベーション維持に繋がった。
そして願書を出す直前に受けたセンター模試でかなり良い結果を出し、今まで私のことは眼中に無かった担当教師も興味を示し始めた。
しかし流石に東工大には手も足も出ないだろうと思っていたので、前期も後期も電通大を受けようと思っていた。しかし件の教師にそれを伝えると、前期は北大の情報工学系を受けてはどうだろうかと勧められた。
かくして私は北大生になることが出来たのであった。
当時を振り返ると、理系志望者ながら国語と英語が得意だったため、センター対策も二次試験対策も勉強時間の配分を理系教科だけにほぼ全振りできたのが良かったと思う。
【その後】
みんなジャポニカ学習帳とか、小学生の時に使ったことあるよね。
あれもB5だ。
自由帳とか日記帳とか社会科用とか、いろいろあるけど、とにかくB5。
そろいもそろってB5。
漢字練習のときには白文帳とかいう新勢力も一時的に出てくるが、そもそも学校で漢字を習う期間なんてそう長くはない。
そして中学ぐらいからは、キャンパスノート的な横罫ノートにシフトチェンジ。
アルファベット用とかを使うようにもなるが、あれも中学にいる間ぐらいでしか使わない。
私はない。
ただいつもB5を買っていた。
授業でプリント配られただろ?
ああいうのはきっちり裁断された、正確なサイズの用紙で刷られる。
B5ノートはB5ノートと名乗っていながら、実はB5よりはやや小さい。
プリントを板書ノートに合わせて保存するなら、ノートに貼るのが一番いい。
ところがはみ出てしまうので、ここでいちいち工作が必要になる。
授業中ハサミやらアラビックヤマトやら使う羽目になる。
面倒くさい。
別途ファイルなどを用意して保存すればいいかもしれないが、のりで貼るのが後で見たとき、一番わかりやすい。
そこで中学の頃、私は考えた。
広すぎて書きにくいことこの上ない。
おまけにでかすぎて鞄に収まりにくい。
そして提出したとき、ひとりだけノートがでかすぎて、先生がそろえたとき、なんかカッコ悪い。
プリントの手間を省く代わりに、いろいろな影響があった。
この辺でルーズリーフを使うようになった。
塾や講習会なんかにでたことある人なら、すでに小学生の頃からお世話になってるかもしれないが。
この辺で、中学の頃の失敗から、実はノートは小さい方がいいんじゃないかと、思い始めた。
ついでにいうなら、筆圧が強いので、シャープペンのペン先で一番多い、0.5mm規格も好きじゃない。
ボールペンともなれば、一番出回ってるのは0.7mmだ。
とにかく自分にはふとすぎた。
通販などが世間に出回る時代になって、文房具もあれこれ買いやすくなった。
色々試した。
結論から言うなら、現在はA5もしくはB6規格の、方眼ノートに落ち着いた。
ボールペンは0.5mmぐらいをよく使う。
ルーズリーフや情報カードもたまに使うが、とにかく方眼がいい。
改行のインデントも、書いているうちにずれたりしない。
枠をはみ出しても横罫ほど気にならない。
意外に自由に書ける。
ペン先は細い方が、字がつぶれないので見返したとき読みやすい。
ノートは大きすぎても小さすぎても、書きにくい。
ペン先も後で見るとき、案外筆跡にかかわるので、自分に合ったものにすると、読みやすくなる。
筆記だけを考えるなら、実はB5ノートはでかすぎる。
なんであんなに世の中に出回ってるのか疑問だ。
もっと早く、せめて高校ぐらいにわかっていたら、もう少し勉強も効率良くできた………………かも…………しれない……?
地味に伸びてるので、ついでに。
家にいるときは筆が進まない。この事実に対していくつかの仮説を立てる。
①今日はたまたま疲れている。実際に今日は朝から思考の活動が常に活発化していて、不快な場所にいる時間もあった。(反論)一昨日のほうがストレスは強かったのではないか?不快な場所で過ごした時間は今日よりもずっと長かった。
(反論)一昨日はまだ文章を書くという習慣は始まっていなかったので比較対象にすることが間違っている。(余談)一昨日に起きた出来事。不快な人混み、サピエンス全史、ギャンブル、宗教的体験、自殺願望。
そもそも一文目の記述自体が正確ではない。昨日書いていた文章の続きは書くのに難航したが、今日書き始めたこの文章については比較的滞りなく書き続けている。
(新しい解釈)「筆が進まない」という言葉が指すのは文章全般についてではなく、ある程度の一貫性を持った文章のことを指しているのではないか。
そろそろ思考のスピードに筆記が追いつかなくなってきた。一度、喫煙に行く。
喫煙中に考えたこととその続き。
この文章を誰かに見せたいが、いい「解決方法」が思いつかなかった。
実際には頭のなかで「かいけつほうほう」とは発音せずに「ソリューション」と発音していた。
何故わざわざその語を選んだのか。そして何故文字に起こす段階で「解決方法」に表現をかえたのか。どちらも根底にある理由は同じだ。それは情報量の圧縮である。
「かいけつほうほう」が8音節なのに対し「ソリューション」は5音節だ。ネイティブな英語なら「so-lu-tion」で3音節で更に短いが、残念ながら頭の中で使っていたのはカタカナの方だ。
文字に起こすときに「解決方法」が選ばれたのも同じで、「ソリューション」や「solution」よりも少ない文字数で表現できる。
何故無意識になるべく少ない情報量で表現しようとしているのかについては、はっきりした理由は分からない。
本題からは逸れるが、文字に起こす上でコンピューターが扱う情報量においては「解決方法」は2バイト言語で4文字なので8バイト、「solution」は1バイト言語で8文字なので同じく8バイトである。だからどうした。
まだまだ(一貫性があるかはさておき)話を続けることはできるが、キリがないのでこの辺りで止めておく。
実は『この文章を誰かに見せたいが、いい「解決方法」が思いつかなかった。』という部分を書いたころには増田に投稿するというアイデアが浮かんでいた。
しかし、その時点で投稿してしまっても大して面白くないな、と思ったのでもう少し量が溜まってから投稿しようと考えた次第である。
幸い、ある程度まとまりのある話が書けたので、そのまま投稿するよりも少しは興味を惹ける内容になったかと思う。
最後にこの文章はルーズリーフにボールペンで書いたものである。つまり、投稿するためには電子データに清書しなければならない。この時点ではパソコンの電源すらついていないので、先が思いやられる。
もうすぐグランブルーファンタジーのアニメの先行放送がはじまります。興味がないプレイヤーも多いかもしれませんが、個人的にはこれまで何十万も課金してきたゲームがアニメになるということで、自分たちの課金がどう生かされていくのか・・・ということで気になってしょうがないです。
とはいえ、これまでの事前情報を鑑みると不安しかないのも事実。
これまで私はソシャゲアニメを結構見てきましたが、グラブルアニメはどれくらいのレベルになるのか考察してみます。
Sランク ソシャゲアニメの枠を超え、日本のアニメ史に残る傑作
なし
Aランク 原作を知らなくとも、一つの映像作品として楽しむことができる良作
SHOW BY ROCK!! 神撃のバハムート GENESIS 戦国コレクション
Bランク 欠点もあるが、原作プレイヤーでも見ることができるそこそこの出来の作品
THE IDOLM@STER シンデレラガールズ 刀剣乱舞―花丸― FGO(暫定)
Cランク 原作をプレイしていないと楽しめない部分が多い、欠点が多い微妙な作品
Sランクはラピュタやナウシカ等のジブリ作品やガンダム、ヤマトといったアニメの歴史を塗り替えたエポックメイキングを想定しているので、歴史の浅いソシャゲアニメ界に該当作がないのは致し方のないことかと。
さて、こうして並べてみましたが、これから放映されるグラブルアニメがどのランクになるか個人的な期待値を挙げてみたい。
S・Aランク・・・0%(小数点以下を切り捨てているので実際は小数点以下の確率でありえるかも)
ガチャで例えると、SランクがSSR、AランクがSR、BランクがR、Cランクがハイノーマル、Dランクがノーマルってところですかね!掛け金はみんなの課金だ。しかも、引き直しはできません1回こっきりです。
○ご不安な点
・監督の実績が少ない
作品を束ねる監督ですが、プロフィールをみても実績が非常に少ない。またこれまで関わってきた作品も個人的には「うわぁ・・・」というものばかりで、監督としての力量には疑問点しかありません。どうやら監督はグラブルプレイヤーだそうですが、そんな人よりもたとえグラブルを知らなかったとしてもちゃんとした実力・実績のある人に任せた方がよかったのではないかと思わざるを得ません。
・脚本“Cygames” そしてゲームのメインストーリーをなぞるらしいということ
アニメの脚本については素人同然の集団に脚本を任せるという暴挙。ありえない。それにお世辞にも面白いとはいえないメインストーリーを再現するという。正直、FFにはまった中学生が夜中にルーズリーフに書き殴ったようなストーリーを見せつけられるのは勘弁してもらいたいのですが。というかサイゲ自身に脚本をさせずに話を整理する権限の大きい脚本家をちゃんとつけろと思ってます。
・のっぺりしたキャラデザ
グラブルの魅力の一つに、美麗なキャライラストがあるかと思いますが、アニメ版を見る限り、原作の良さを殺しているようにしか見えない。キャラデザの人も監督同様グラブルプレイヤーだそうだが、れよりもたとえグラブルプレイヤーでなかったとしても、もっと原作絵の良さを表現できる人を呼ぶことはできなかったとかと思います。
DO・アーカルムといった新コンテンツがことごとく失敗し、ゲーム内では大混乱が起きているさなか、「わっしょいビィ祭り」とかいう内輪ノリの学芸会もどきに興じていた元プロデューサー・春田康一の主導で始まっているという点。この男の仕掛けた企画は前述の祭りといい渋谷ジャックといい、自己満足甚だしい低レベルなものばかりで、アニメもその一つに過ぎないのではないか。そもそも前述のようにメインスタッフをグラブルプレイヤーで固めているということからも、内輪ノリの腐臭が満々です。多忙なアニメ業界内で、時間と金だけはかかるグラブルをプレイしている人は少ないと思います(メインキャストでさえまともにプレイできてないありさま)。有能で仕事の多いアニメスタッフであればなおさらでしょう。そんな中で、原作を知らない実力のあるアニメーターなどに交渉するのをはなから放棄し、原作を妄信しているような人ばっかり集めたのではないかと思ってしまいます。
確か夏頃にはこのアニメは今年の1月から放送開始されるということが言われていたと思うが、その後全く音沙汰がなく、気が付いたら延期されていた。理由としてはオイゲン役の藤原さんの復帰を待っているからだという声もありますが、希望的観測だとしか思えません。現場のスケジュールが破たんして完成しなかった、あるいは恐ろしくクオリティの低いものしかできなかったというのが実態ではないかと思います。3か月延期したぐらいではまともな出来になっている可能性は極めて低いのではないでしょうか。
・ゲーム内での扱い
放送まであと1日しかありませんが、ゲームではろくな告知がありません。ゲームの開始画面に申し訳程度にリンクがあるだけ。本当にプレイヤーに見てもらいたいと思っているのか。出来が悪いので見せたくないのかと邪推してしまう。
○ご期待できる点
・サイゲマネー
なんだかんだいってCygamesのアニメなので神バハのように、潤沢な予算をかけた良作になる可能性が・・・ある・・・のかなぁ。
全体的に見て、やる気が感じられません。
グラブルにこれまで何十万円と課金してきたので、それが駄作アニメに変わったとなるとあまりにも悲しいです。どうか事前の期待値の低さをいい意味で裏切る出来になってほしい。そしてこれまで不祥事の連続でプレーヤーが流出している中、アニメを見て新しく騎空士になる人が増えて、かつての盛り上がりを取り戻してほしいと願っています。
とにかく決戦は1月21日の19時から。個人的にはゲーム開始時に流れた空の青さがどうたらこうたらという寒いポエムは変更していただきたいものです。
中学3年の時から楽器を始めて、僕は高校は軽音楽部のある学校に行こうと決めていた。
そんなことはさておき、高校入試も無事終わり、僕は晴れて軽音楽部のある高校へ入学した。
仮入部をしに練習場所である視聴覚室に入ると、そこには目が大きくて、背が小さくて、ショートカットの女の子が1人、端のほうで練習風景を見ていた。
「あ、まだ一人しか来てないんだ。入部希望少ないのかな…まあいいか。」
僕はその子をよそ目に、反対側の端に座って先輩たちの練習風景を眺めていた。
今となっては練習時の音の大きさなんて全く気にならなくなったけど、当時バンドなんか組んだことがなく、ましてやスタジオで練習なんてしたことがなかったので、練習時のその音量の大きさに圧倒されるばかりだった。
そんな大音量の中での練習風景に気を取られていたら、ふと隣に反対側に座っていたはずの女の子がいた。
「○※□▲○■?」
僕に質問しているんだろうけど、大音量の中何を言ってるか聞こえない。
「きこえない!」
僕はありったけの声を出して返事をした、はずだが、やはり彼女にも聞こえてなかったっぽい。
君も入部希望?もしそうだったらよろしくね!
と書いてこちらに渡してきた。
僕はその丸っこくてかわいい文字の下に、無骨で角ばった文字で
入部するよ!君は?
と書いて渡した。すると、僕の目を見て首を縦に大きく、2回頷いた。
僕はこんな可愛い女の子もバンドやるのかー、どんなバンドやるんだろうなーといろいろ妄想しながら、また練習風景を眺めていた。
先輩方の練習に夢中になっていたら、いつの間にかその子はいなくなっていた。
しまった、名前もクラスも聞いてなかった。まあいいか、入部すると言ってたからそのうち会うこともあるだろう。
僕はまた再開する日を思いながら視聴覚室を後にし、帰宅することにした。
それから1周間、正式入部の日まで毎日視聴覚室に足を運んでみたものの、彼女は一回も来なかった。
ある種の一目惚れ的展開を期待していた僕は、まあそりゃ女の子はバンドなんかやらないでしょと半ば諦めていたが、その時、視聴覚室の重い扉が開いて、彼女が入ってきた。
それと同時に、複数の男女がどやどやと入ってきた。
僕は入部希望者が多数いることよりも、その彼女が入ってきたことに震えたし、安堵した。
程なくして僕は軽音楽部に正式入部し、新入生歓迎ライブ終了後ギター希望だったのに先輩に誘われたヘビメタバンドで何故かベースをやることになった。
目標は秋の文化祭の成功。それまでに僕は先輩たちに追いつかなければならなくなった。
彼女と一緒に部活にはいったはいいが、特別絡むこともなく…というのは、1バンドの練習中は他のバンドの人は視聴覚室に入れないというルールがあったから…特に彼女と会話することもなく毎日は過ぎ去っていった。
唯一分かった名前とクラスも、クラスはフロアが違うせいで部活以外彼女を見かけることもほぼなかった。
それでも毎日借り物のベースでTAB譜とにらめっこしている高校生活は何よりも充実していて、気がつけば夏休みになっていた。
夏休みでもこんなに学校に片道40分も掛けて通っていたのは、やはり彼女がくる「かもしれない」から。
いつしか僕は彼女をずっと目で追いかけるようになり、アイスを買いに出るときは僕も一緒に出て、他のバンドが練習してる時は積極的に近くに行って話すようにしたり。
「君さあ、彼女のこと好きだろ?」
ケンジは童顔で、背もちっちゃくて、色白で、当時の見た目的にはどちらかと言うとそんなにモテそうには見えなかった。
僕はその問に対して首を縦に振る。
ケンジはやっぱりなーという顔をして、
と続けて僕に行ってきた。願ったり叶ったりだ。同じ中学ってことは彼女の別の面を知ることができるかもしれない。
その日から、ケンジは彼女のいる輪に積極的に誘ってくれるようになり、帰宅時も一緒に帰ることが多くなった。
最高の夏休みだった。毎日彼女に出会えて、協力者もいて、会話も増えた。こんなに楽しかった夏は今思い出しても無いほどに。
2学期が始まっても3人で一緒に帰る日々は続く。時にはマックで晩御飯を食べたり、カラオケ行ったり。
ベランダで彼女が僕を見かけると、上から手を降って大声で名前を読んだりしてくれたりもした。
そしていつしか僕は、
と思うようになった。
告白するか。いつするか。僕は悩んだ。文化祭前に告白してカップルになって、より充実したライブをやるべきか、それとも文化祭で僕のカッコ良い所を見せた後、その余韻でもって告白するべきか。
僕は後者を選んだ。
文化祭当日。彼女はとても可愛らしい衣装でライブをやってのけた。正直、僕はますます好きになった。
僕はといえば、ライブ後の会話をどうしようかと悩んではいたものの、ライブ自体はうまく行ったと思う。半年でベースをここまで弾けるようになった僕かっけええええええとか思ったりもした。
ライブが終わった後、僕はケンジに呼び出された。そうだ、ついでに今日告白するから何とか二人で帰れるような感じにしてくれないかなと言おうかと思ってた。
「あのさ、俺、彼女と付き合ってんだよね。」
僕は何言ってだこいつ、冗談はやめろよと思ったが、ケンジの目は明らかに冗談ではなかった。
「実は君に彼女の事好きだろ?って聞いた時あったよね?あの時にさ、あーこいつには取られたくねーと思ってその日の帰りに告白したんだよね。それでオッケーもらってさ、その日から付き合ってるんだよね。」
ごめんの言葉もなかった。僕はだったらなんでそれ言ってくれなかったん?何協力するとか?ふざけんなよ。と罵詈雑言を尽くしてケンジを問い詰めようかと思ったが、一気になにもかもやる気が無くなった。
「あ、そう、よかったね。お幸せに。」
僕はそういって、その場を立ち去った。
ああ、僕は二人に手のひらで踊らされてたんだと。僕が舞い上がってるの見て二人でゲラゲラ心のなかで笑ってたんだろ。そう思うともう学校なんかいいや、軽音とかどうでもいいわって気持ちで満たされた。
僕はその日、1人で帰った。
次の日、視聴覚室で文化祭の後片付けをしていると、彼女が僕に声をかけてきた。
「あの…大丈夫?」
その言葉を聞いて、彼女への思いは一気に憎悪に変わった。何大丈夫って?大丈夫なわけねーだろ?
僕はその問に対して何も返答しないで黙々と片付けをしていた。
その日の帰り、当然ながら1人なんだけど、僕の前を二人が仲良く並んで帰ってるのを見て、ただただ涙が止まらなかった。
その後1年ほどして、彼女はケンジと別れたと聞いた。ケンジはろくに学校にも来なくなって、そのまま退学したと聞いた。
講義休んでAV見てて、初めてモテたいと思った。このままじゃ、一生童貞だと思った。
とりあえず、美容院に行って、高校時代のオシャレな友達と服を買いに行った。
1週間分の服を買って、組み合わせを変えながらローテーションできるようにしてもらった。
猫背を治す本を買った。
オタクサークルに入っているのだが、ネタっぽく同期の女の子にモテたいといってみたら、爆笑された。
爆笑された後、彼女はサークルの女子に招集をかけ、俺の問題点をサイゼでルーズリーフに書きだしてくれた。
話はできるが、いつも顔が怖く、近づきにくい、真面目そうだが頑固そう等々。
女の子にサイゼで囲まれメッチャ緊張した。女の子の匂いがやばい。
隣の席の子好きになっちゃうタイプでしょwwwと、かなり言われた。あたってる。
女の人と話すのが初めて楽しいと思った。
合コンセッティングしようかと言われた。さすがに怖いので断った。
楽しいね
人生を半分くらい投げたらロックンロールな気分は消えて、酩酊したいような気分で、でも別に学校行きたいなんて思うわけもなくて、ああ最後までなんかちょっと違う感じだったよなとか思いながら、最初から最後まで医学生ぽくないって言われたこと思い出しながら、なんとなく憂鬱な気分で、でも留年してくそ暇な時間を過ごしているときにおれは別に暇だとか退屈だとか感じていなくて確かいつもこんな感じだったよなって思う。わけわからない気分。勉強するつもりで買った本は全然頭に入らなくて、いやレトリックの本はなんとなくあたまのなかで形にはなったんだけど特に文章としてまとめられるような感じじゃなくて、なんにもわからなくなっちまった。憂鬱な気分を抑えるために外に出て歩いて、いつも思い出すのは運動好きな体育教師が心を病んで辞職したこと。結局運動は健康になるし憂鬱な気分を吹き飛ばすけれども、一時しのぎのものにすぎなくて、最低な今日。時々凄くはかどる日があるけど今日はぜんぜんそんな日じゃなくって、何がどうなのか僕はわからなくて人生の何にも向いていないような気がする。こうやってひきこもってへんてこな文章を書いて永遠に無視され続けるんだって、もちろん保坂和志が書いたように小説がそういう感情を負の側面に持っていくということは確実にあって、覗き込む心が覗き返してきてそのせいで頭が痛くなり心が暗くなり心配事があふれだす。自己啓発本読んで片付けようとした部屋は相変わらず汚いままで、明日になったら全部捨てようとかそんなことを思う。捨てよう捨てようと考えてずっと捨てられないのは僕の部屋がいろいろな余計なもので溢れているせいで、殆どのものは捨ててしまえるのになって思う。だけどおれはぜんぜんすててこなかった。そういう事なんだと思う。永遠に読むことのないであろうドイツ語のプリントやルーズリーフやビニール袋を捨てることが出来なくて、いい加減に捨ててしまわなければと思う。僕はものに囲まれすぎた。こいつらが思考をごちゃごちゃにする、なんてことはなくて、いや、ないのかどうかはわからないが、相互作用でどっちがどっちというわけではないのだろう。いずれにせよおれはとても物を片付けるのが苦手だから物は少ないほうがいい。有名なコピペの鉄道模型を捨てられて、殆ど全てを捨ててしまった夫のように、スーツケース一枚だけの荷物にしてしまえばいいのだ。父は僕にボランティアにいくのはどうだろうと思った。たしかにそれは納得出来ることだったが、ボランティアはボランティアを求めているのであって、おれの更生を求めているわけではない。できればシェアハウスでどうにかこうにか生きたい。思い出した、昔のこと。長距離走でおれは結構得意だったから前の方走っていて、後ろのヤンキーがぜーはーいいながらスピードをあげてきて、苦しそうな顔をしながら走って粘ってくるのがすっごいつらくなって、おれは走るのが辛くなった、別にペースをあげたからとかそういう話じゃなくて、なんだか泣きたくなってしまったのだ。それでおれはちょっとだけペースを落として、彼の声が聞こえないところまで下がったら、おれはこのまま頑張り抜こうとかいう気持ちが無くなってしまった。別に同情しようというのではない。ただそれがおれにとってはつらかったのだ。同じことが今も起こっている。年上の再受験生がひいこら言って、生活かかっていて、そんな中でおれはなんだか嫌になってしまって、そういう競争を強いるしくみが・・・。もちろんこれは軟弱なのかも知れない、真っ先に潰されるのかも知れない。そして長距離走のときみたいに、おれはどんどん転げ落ちていくのかも知れない。
書きたいことも書けることも、とうに尽きたように思う。
それでも何かを言いたいとは思う。何かを言わねば前に進めないと思う。
誰の身にもならぬ、脳みそを通り抜けていくような根拠のない戯言しか言えない。自分ではそう思っている。
しかし気が向けば何か書きたくなる。ふと「アウトプットせにゃあな」と突き動かされるときがある。
真っ白なルーズリーフやレポート用紙に、作っては放置してきたネット上のブログに、こういう擬似匿名メモ帳に、
書いて何が起きるか分からない。何も起こらないことのほうが多い。
それでもこうしてローマ字入力し文章を書いているのはきっと、何かが起きるかもしれないという「可能性」があるからなのだ。
現状を変えたいが、体を動かし時間と覚悟を尽くして動く勇気がないゆえに、
頭と手だけを動かし、実際にいてくれるかも分からない読み手に向かって、届くか怪しい文章を書いている。
何かが変わるかもしれない可能性を生みつつ、申し訳程度の向上心があることを確認するために、自分はキーを叩いているのだ。
読み手にとって意味があるかは分からない。読み流して、次の日にはまた別の記憶で無意識に押しやってしまうくらいに、無意味である場合のほうが多いだろう。
それでもこの文章に何かを感じ、何かを見出し、何かを言ってくれる人がいる可能性があるのもまた確かだ。
読んでくれる人にはお礼を言わなくてはなと改めて思う。
いろんな大学の同ジャンルのサークルと付き合いがあって、イベント企画みたいなグループに入ってます。
その関係でB大学の男数人と仲良くなって(私は女子大)よく共同で企画してるんだけど。
その中の一人S君から、このあいだ唐突に告白された、みたい。
なんで「みたい」かというと、本当に告白されたのかがよくわからない。
グループでは何度もあってるけど個人的に親しくも無い。
友人の家でザコ寝の時に一緒にいたりするけど、特に別に。というか、もっと親しい異性の友人の方が多いくらい。
でも携帯は知ってるから、たまに「ヒマだ」とか連絡は来てた。こっちもヒマだったら30分くらい話したりはしてた。3-4回くらい。
それだけ。
ただ、この間夜の電話の時はなんか、「ずっと一緒にいれたらいいなーって思うんだよね」て言われた。
で、「うん、そうだね」って答えた。
一晩考えて「アレはまずいかも?って思った。
友人に相談したら「他の人ならタダの社交辞令?だけど、彼なら違うかも・・きっぱり断った方がいいんじゃない?」って言われた。
だから、翌日電話がかかってきた時に
「今は好きな人がいないから、誰とも付き合う気はないんだ」
って言ってみた。
だって、「つきあいましょう」って言われて無いから、「つきあえません」って言うのもおかしいよね?
長電話したのは数回だけど、べつにそういう雰囲気は無かったと思うし。
そしたら、彼の大学の友人から聞いたんだけど、彼がルーズリーフになんかポエムを書いてるって。
今までそんな事したのは見たこと無いって。
絶対私が振ったからだって。
でも、話を聞いたら、その告白?の電話の少し前、その友人たちは一緒にいたとか?
なんか「電話しないのかおまえ?彼女まってるぞ」とか言ったらいつのまにかいなくなったって。
なんか、すごく悪い事したような気がする。
ポエム書く友人なんてまわりにいないよ!!!
男の友人たちも「いやあ、まさか本気にするとは!悪い事したかな・・・」って・・言いながら笑ってるし!
ヒトゴトだと思って!!
ちなみに彼は別に仲間内でいじめられてたりするわけじゃない。
地味なキャラクターながら、愛されてる・・立ち位置だと思う・・
でもすごく悪い事したような気がする。
これ、放置でいいのかなー。来週もみんなで会うんだ。BBQ近いし。
偉そうに合格体験記でも書いてみようかと思います。知り合いにもはや受験生はいないのですが、d:id:lonlon2007:20090317が目に付いたので。
ぶっちゃけると受験勉強は「想像していたとおり楽。」でした。受験勉強を始める前は受験生ってのは寝てる時間と飯食ってる時間以外は全部勉強に当てて、たまに徹夜で勉強する!みたいな偏見は全く持ってなかったんですが、やっぱりそのとおりでした。むしろ10月までバイトしていたのがたたって出席日数が足りず授業のコマ数が増えたうえに出席日数を充たした他の生徒が次々と休み始めるために授業中に寝にくくなり、平均睡眠時間が減っていきました。(寝ないと動けないんですが・・・)
東大は天才じゃなくちゃ入れないっていうのは確実に嘘。「東大生」は学部生だけで約1万、ほぼ京大もほぼ同じ、わずか4〜5歳間に2万超もいる人たちを「天才」とは言わない。天才なら楽に入れるなら本当かも。
秀才が3年間こつこつ勉強して入れるっていうのは本当。「〜初めて入れる」は微妙。秀才でも凡人でも3年間もコツコツ勉強すれば入れるんではないでしょうか。本当に「コツコツ勉強」していれば。
「色んな人が色んなところにこうやれば受かる勉強法!みたいなのを書いていますが、個人個人で合った勉強法は違うので、色々な方法を試してみて、自分に合ったものをやるのが一番いい」というのは当然のことで、id:lonlon2007が長々書いてる中で唯一の真理。
id:lonlon2007を逐一もじるのは早くも飽きたので、というよりもそんなに長く書くこともないので簡潔に。
ちなみに残念ながら僕は、『苦手科目は世界史と日本史、得意科目は数学と化学と物理と地理』だったので「理1なら1ヶ月で受かるんだけどな、下手すりゃ今日にでも受かるかも」と思いながら勉強していました。
あと、基本的に家では喫煙を禁じられていたので、主にガストとジョナサンで勉強してました。当時(約10年前)のファミレスはせいぜいがホットコーヒーのみおかわり自由で、ジョナサンのアイスコーヒーおかわり自由とガストのドリンクバーには大変助けられました。あっ、嘘だ。一番勉強したのは学校。さっき書いた通り10月にバイトを止めてからは授業にかなり出るようになったので、授業科目を耳で聴き、別の科目の教科書を目で読み、2科目並行で勉強してました。あとはファミレスで数学や英語(主に英作文)の難問を広げ、頭の片隅でその回答を考えつつ苦手の世界史のテキストを読んでいました(たぶん後で書くけど教科書やノートよりも新書が多かった)。
風呂の中や通学電車の中で小説を読んでる時も、未だ解けていない難問や数日内で間違えた問題のことを完全忘却しているわけではないのですが、机の前以外では何か思いついても頭の中にメモるだけ。勉強しない時は勉強しないとメリハリをつけるようにしていました。ちなみに「机の前」には授業時間が含まれます。高校生は一日の半分近くを学校で机に向かっているわけだから、勉強時間は非常に長い。一部の(私立)進学校や特別選抜クラスのような環境でもなければ「授業のコマ数が減る」ことはないと思いう。嫌でも一日の半分近くが勉強時間。「寝てる時間と飯食ってる時間以外は全部勉強に当てて、たまに徹夜で勉強する!みたいな偏見」は授業時間を効率的に使えていない人が持つのではないかと思います(あとは生徒に自由時間を多く与える方針の学校の生徒)。そういう意味では「勉強効率」がポイントというのは同意できる。
うちの高校(某都立)では文化祭(とついでに体育祭)が一大行事としてありますが、殆どの人は夏季講習と文化祭の準備を両立させ文化祭が終わった9月頃から本格的な受験勉強を開始するようです。かく言う僕も文化祭が終わって(ちょっと学校側とイロイロあって)バイトを辞め、10月から受験に力を入れ始めました。今、気付いたんですがid:lonlon2007は「6月から」とのことなのでタイトルに偽りありで約半年、僕の方も10月からなのでタイトルに偽りありで約4ヶ月ですね。開始をもう1月遅らせておけば「四半期で受かった勉強法」とゴロ良くピッタリなタイトルにできたのに。
まず何をしていいか分からない!ということで過去問を解いてみました。いや、模擬試験を受けたかも。なにぶん10年前なので記憶が・・・。とりあえず法学部志望なのに受験敵性では明らかに理系向き。その分、周りが国公立を難しいという理由の一つである文系なのに理系科目(理系でも文系科目)、という関門はあっさり突破。選択授業も理系用の数学(と化学と物理)をとっていたので2次試験の数学もさほど難しいとは思いませんでした。
「まず」も何も、とにかく苦手の世界史だけやろう!ということでそれまでは小説に費やしていた読書時間を歴史系の新書に切り替えました。もともと古本屋めぐりは趣味だったので行動範囲の古本屋の50-100円コーナーで歴史系の文庫と新書を買い占め。2年半バイトしていたので他の高校生男子よりもお金を持ってはいました(うちの高校は縁遠かったけど世間では「ブルセラ」華やかなりし頃。女子高生は金を持ってた)。がそんなこととは関係なく、買い占めたと言ってもせいぜい100冊程度。私立や塾に通うことを考えれば微々たるものです。
いつどんな問題でも満点を取れる!と思わない科目を勉強する分には必ず点数の上昇につながるので、わざわざ『勉強のスケジュール』を組む必要はありません。数学は1日勉強しても1点分しか稼げないけど、英語は1日の勉強で2点稼げる、てなことが計算できるのなら『勉強のスケジュール』も有効かもしれません。しかし、そんな計算ができる人は自分の欠点が分析できているのだから、すぐに数学でも2点稼げるようになります。満点を取れない間は何をやっても点数に繋がるのだから『勉強のスケジュール』なんか不要。そもそも『勉強のスケジュール』を考えようと言う発想が今日の今日までありませんでした。夏休みの宿題@小学校で1日のスケジュールを考えろと言われた時以来の衝撃です。『勉強のスケジュール』は学校がバランス配分してくれた「時間割」で十分だと思います。
夏休みはバイトと文化祭だけだったので、休日の勉強について。休日はNHKで将棋を見てから昼食、最寄り駅周辺の古本屋を回ってからファミレスへ。(好きなのが将棋で幸い。これが囲碁だったら午後の大半がテレビでつぶれる。当時はネット中継がなかったのも幸便)本を1冊読んで(1〜2時間)から勉強。最低2時間はやろうと決めていて実際2時間くらいなら集中力は続きます。鉛筆ナメナメ英作文を推敲していると気付くと2時間なんてこともあって最低2時間の縛りは苦痛ではありませんでした。(学校じゃサボってると言ってもそれ以上やってるわけですし)
夏の「初の東大模試」は受けたような気がしてきました。模試の判定は最後までE判定だかF判定だったので「予備校の採点基準が間違ってる」と思ってました。私立であればともかく国公立の論述問題は大学教授を信用して、「間違ってはない」回答が書けていれば良しとしておきましょう。予備校の採点は予定された正解以外を大幅に減点する傾向があるように思います。英作文であれば日本語の1単語には4〜6音節の1単語の英語を対応させれば文句なしの正解で模試ではこれ以外は減点。実際にはそんな難しい単語を知らなくても中学校レベルの単語を組み合わせて意味が合っていれば大学教授は正解としてくれるようです(大学に入ったからといって採点基準を教えてもらえるわけじゃないけど、じゃなければ不合格だったはず)。
出席日数を充たした生徒が続々と授業に来なくなる。いやがおうにも授業中に寝れなくなる。友人も受験モードに突入で遊びの誘いも減る。悪循環?好循環?
センター対策は・・・必要なんでしょうか。東大・京大の2次試験を見据えていれば不要な気がします。敢えて言うなら文系の理科、理系の社会科でしょうか。僕の場合理科が得意科目だったので無視。
というわけでセンター試験対策としては過去問をやってみたくらいです。悪くても90点以上だったので、本番の集中力があれば大丈夫だろうとタカをくくる。それでも素材がたっぷりあるうえに冬休みは午前中の将棋(NHK)もない。勉強時間は比較的長かったように思います。午前に1〜2時間、昼飯を食って古本屋。別のファミレスで本を1〜2時間に勉強1〜2時間。僕の中では最初と最後の時間差だけとって「6時間もやった」と思っていました。
冬休みは学校に行かないので、毎日図書室で読んでたJapan Timesが読めなくなりました。かわりにテレビニュースを英語音声で聞くようにする。親と妹も「受験生」ということで不満は抑えてくれてたようです。
ちなみに過去問は時間を気にせずやっていました。調子が悪い時や面白い問題にであったときは1時間を超えることもあったと思います。過去問で高い点数を取ってもあまり意味がないので答えや力の確認ではなく、とにかく「どんな問題でも時間さえあれば解ける」という確信を持てるように。時間を気にしていないので早く解き終わった時も確認とかはしない。「できた!」と思った段階で答え合わせ、間違っていたら原因を考える。
とりあえずセンターの自己採点が大丈夫そうだったので、気が抜けました。本番でも緊張しないことが分かったのが収穫で相変わらず学校の授業に出る日々。得意で好きだった数学・理科はそろそろ休めます。教師との不仲が極限に達していた英語と国語は最後の最後まで授業です。
『東大の○○25ヶ年』シリーズって何?赤本と友人がやり終えた予備校のテキストと文庫と新書、あとは学校の教科書で勉強してました。友人から借りた予備校のテキストはザッと解いて印象に残った問題だけ書き写して返す。別にビンボーだったからじゃないですよ。公立・公立・都立ときて親にはあまり負担をかけてないし、大学も国立の予定だし、バイトもガッツリしてたし、参考書を買う程度で躊躇することはありません。『東大の○○25ヶ年』シリーズはたぶん僕の頃にはなかったんだと思います。
そんなこんなでさすがに学校も行かなくてすむようになり(都立とはいえ受験校なので他の生徒は来ないし、教師もそのつもりでいる)、時間ができたので予備校に潜り込むようになりました。友人は私立志望が多かったのと私立の方は全く自信がなかったので私立コースです。あと友人は理系にも多かったので理系の東大コースみたいのにもたまに行ってました。2ヶ月も真面目に勉強するとさすがに疲れ(飽き)たのか、この時期に大きく伸びた気はしません。予備校では、僕が無意識にやっていたことを言語化してもらった感が強く、それはそれで頭の整理ができました。有意義だったと思います。
ぶっちゃけ全科目やるって言っても、高校で一日授業を受けているようなものなのであんまり死ねませんでした。
得意で理系の授業をとっていたので苦労なし。解けない問題は絶対に回答を見ず、翌日へでも翌週へでも持ち越してひたすら考える。答え方を覚えるよりも、答えの見つけ方を思いつくことが重要だと思います。図形問題なら知ってる定理・公式を片っ端から引っ張り出してやみくもに補助線を引く。そんなことを繰り返してるうちに、問題を見ると求めている回答がわかるようになってきます。センター試験は余力で解けるので無視。
現代文は二三回本番形式で練習して、形式に慣れるくらいでいいと思います。現代文はみんな取れなくて差がつかないし、勉強すりゃ上がるっていうもんでもないので、比重は極めて低かった。漢字も常識の範囲内なので、よっぽど苦手な人でなければ悪くても1問間違えるくらいで済むでしょう。
加えて日頃読んでいた小説・随筆は役に立ったかな。乱読・雑読ですが古今東西ジャンルに捕らわれずに古本屋の投げ売りコーナーで目に留まった本を片っ端から読んでたので、過去問や模試でもたまに知っているテキストがありました。新刊でも買うような好きな作家は受験には向いていないようで、これも幸いでした。好きな作家のテキストが出ていたら「正解」ではなく「持論(自論)」を書いてしまうひねくれた者なので・・・
知っているから解ける、知らないと解けない、というわけではありませんが、抜粋されたテキストの前後や著者が分かることにデメリットはありません。「受験のため」としてはお勧めできませんが、今まで読書に費やした時間も「無駄ではない」程度の気休めに。
使った参考書・問題集:なし
暗記が苦手なので古文には多少手を焼きましたが、学校の授業で十分。むしろ暗記法があれば教えてもらいたいくらい。単語帳とかがいいんでしょうか。僕は単語帳を作るのが面倒だったので、とにかくテキストを繰り返し読んで単語の意味や用法を文脈から類推するように心がけました。おそらく全科目で一番教科書を使いました。和訳(現代語訳)では自然な日本語になるように心がけました。意味が分からないから曖昧に訳すのではなく、文理や言葉のかかりを強調する翻訳体をさらに自然な言葉に訳す感じです。英文和訳でも同じ。
センター試験対策。教科書と過去問で十分。感覚を忘れないように授業がなくても週に一度はやる。勉強期間が短いので過去問が枯渇する心配がない。
うちの高校では入学時点で日本史と地理の選択を迫られます。歴史の暗記(人名と年号)が大の苦手だったので深く考えずに地理を選びましたが、これが功奏。日本史と世界史、日本史と地理が無関係とは言いませんが、世界史(の特に近現代史)と地理は密接不可分。片方を勉強すればいやでも他方の学力もあがります。
比較的得意だった地理。これは教科書と一般教養(新聞と新書)で済ませました。とにかく視点を広くして、知らないことがあって当然、知らなければ考える。このとき世界史の知識や新聞・書籍で読んだ現代社会の知識が役立ちます。社会・政治は地理的条件や歴史的背景に帰結することが珍しくありませんから知らないことでも十分に推測がききます。
あとは地図を見ることかな。別に国名や地名を覚えようとする必要はなくて、国名や都市名とだいたいの位置が繋がればそれだけでたくさんの情報が得られます。内陸なのか平地なのか、頭の中で地形図や気候図とおおまかに重ねられればなお良し。世界でn番目に長い川の名前とかm番目に広い国土といったクイズ的な知識は不要。そこに川はあるのか、国土は山がちだが狭くはない、その程度で事足ります。
都市名と工業・農業・産業を単にセットで暗記するのではなく、そのような産業が育まれた地理的要因を考える。基本で当然のことのようですが、結局はこれにつきます。
歴史(世界史)。大の苦手。とにかく年号と人名が覚えられない。ルイとかシャルルまでは分かるけど何世かが覚えられない。清教徒革命とフランス革命の前後関係(因果関係)は分かるけどそれぞれの年号は知らない。(日本史なら足利某までは分かるけど某が分からない)それでも何とか解けるのが東大・京大の論述問題の良さ!
細かい年号はザックリと捨て拙い記憶力は人名とせいぜい事件の名称に費やす。あとは前後関係・因果関係を意識しながら歴史を概観する。
教科書や授業では国や地域で縦に切り、ついで年代で横に切って学習しますが、前後左右のつながりを考えて大きな年表を作ります(頭の中でも良いし、模造紙や今ならパソコンのソフトで実際に作ってもいいかも)。先の例で言えば清教徒革命はイギリスの歴史においてどのような影響を与えたのか、さらにヨーロッパ、アメリカのどのことがらにつながっていくのか、フランス革命はフランスの歴史、ヨーロッパ・アメリカの歴史にどのように・・・こうやって年表に→を書き始めるとすぐに→だらけで見るにたえなくなっていくと思います。そんな因果関係を大まかに覚えていく。このような大きな流れがつかめると東大の問題は急に簡単に見えてきます。
教科書と資料集を片手に短時間で問題を解けるようになれば、あとは覚えるだけ。
教科書・資料集をわたしてもキーワード(人名・年号・地名・事件)をピックアップすることしかできずそれらをつなげて論説できない人が東大・京大の論述式問題を難しいと言ってるように思います。僕の場合は逆で、キーワードが分からない(正確に覚えていない)もののキーワード部分を穴あきにした回答は組み立てられた(センター試験の問題文のような文章)。教科書・資料集があれば穴埋めは簡単。あとはキーワードを覚える。受験勉強のほぼ全てをこれに費やしたと言っても過言ではありません。
例題を解く時は分からない問題もいきなり回答を見るのではなく教科書などを見ながら一度回答を完成させてから回答を見る方がいいでしょう。「覚えさえすれば」という段階に至ることが重要。
もう1つ、大まかな流れを雑ぱくに理解するのに新書のような読み物が役立ちました。受験用ではないので縦横に細切れにされていませんが、その分全体的な流れが見えてきます。気分転換にもいいでしょう。
最後に暗記について。当時は思いもよらず、最近になって思いついたのですが、書いて覚えるのではなくしゃべって覚えるというのがいいような気がします。英単語や漢字は書いて覚えるのも効果的だと思いますが、(ルイ)14世、15世、16世と書き連ねたところであまり役立つとは思えません。関連する人名・年号・ことがらをセットで口に出すと覚えられそうな気がします。ぼくは学校とファミレスで勉強してたので、当時思いついたとしても実行できませんでしたが。ちなみにこれは法学の勉強を通して気付きました。自分でレジュメを作ったり授業を聞いていても条番号はなかなか覚えなかったのですが、ゼミなどで口に出す頻度が増えると自然と覚えていました。
英文和訳は慣れ。知らない単語は前後の文脈で予想。そのために役立ったのは英字新聞Japan Times(とテレビニュースの英語音声)でした。朝に日本語の新聞で読んだ内容が英語に書き直されてるようなものだから、知らない単語があってもドンドン読み進められる。これを2ヶ月も読めばいやでも単語力や読解力、類推力や速読力が身に付きます。
辞書をひくのはあとまわし。類推した単語はあとで必ず辞書をひく。この2点がポイントと言えばポイント。辞書をひくのをあとまわしにするのは「考える」ことが重要だから。あとで必ず辞書をひくのは、1つの単語が持つ複数の意味を「とりあえず知っておく(覚えなくてよい)」のが重要だから。
今では多くの英語の新聞記事がネットで見られますが、日本の新聞とはフォーカスが違うので今なおJapan Timesが良いと思います。「英文を読む」よりも「大まかな内容を知っている英文を読む」ことが重要です。
趣味と実益を兼ねて好きな作家の原書も読みました。が、これはさすがに知らない単語(と専門用語)が多すぎて勉強にはなりませんでした。
あとは過去問。東大と京大ではずいぶんと傾向が違うのですが、それでも私立の問題よりは国公立の問題の方が東大受験には役立つ。私立の問題は「知らなきゃ解けない」うえに教科書にないものも多い。国公立とは別のことを問うています。
単語帳は古文同様に作るのが面倒。教科書では物足りなかったり電車で教科書を開くのが恥ずかしかったりなら、ペーパーブックを1冊だけ買って眺めていればいいのではないでしょうか。3日も同じページを読んでいればいやでも内容が分かるようになり、使われている修辞・技巧なんかにも気付くようになると思います。
DUOとか知らないしiPodは当時はない。当然使ってません。今なら英語のニュースや議員さんのPodcastをiPodで聞くのはありかも。(議員さんやニュースの英語は分かりやすいです)
例文を覚えるという発想はなかった。過去問や模試を解いているといやでも覚えてしまう文法的技巧や慣用句はありました。「覚える」というよりも「(自然と)覚えた」という感じなので「覚え方」は分かりません。
自由英作文は想定されている答えを探すのではなく「意味」が通る英文を書くことが重要。正しい文法で知っている単語の継ぎはぎする。どうしても分からなければ少し長めにあけた余白に薄く日本語を書いておき、あとで考えましょう。日本語1単語に5 words前後の余白を対応させるくらいの気持ちで。他のことを考えているうちにピッタリくる単語(1単語)が浮かぶこともあるし、そうでなくても空白のまま出すくらいなら中学校で習った単語を並べて意味を表現する。とはいえこれは苦肉の策。単語を知っていて損することはないので、時間と金と記憶力に余裕があるなら単語や例文はいくらでも覚えてください。大学に入っても社会にでも英語が足かせになることはないと思う。
模試は一通り受けたと思います。「教える」ための教科書と「考えさせる」ための試験では勉強の内実が違います。「教わる」よりも自ら「考える」ことの方が重要なので省エネ勉強のためにも受けて損はありません。嫌でも丸一日勉強したことにもなります。
東大模試は受ける。結果が悪くても気にしない。結果が良ければ安心する。結果が悪くて自信もなければそれを機に諦める(浪人するなり志望校を変えるなり)。
過去問を見るかぎり、東大よりも京大の方が正解の範囲は広いと思います(模試ではなく本番の話)。模試結果に納得いかない人は東大より京大に向いているかもしれない。
寝過ごした!電車で寝過ごしたけど、高校受験で軽く遅刻した反省をいかして少し早めに出ていたのが功奏して間に合いました。遅刻だけは気をつけましょう。
遠方からの受験生でホテルなどに宿泊する方は寝坊に注意。受験まで1年のこの時期に言っても「そんなわけない」と思うかもしれませんが、1校しか受けない本名中の Permalink | 記事への反応(0) | 18:06
この前宮台真司の本を読んでいて「バニラ」っていう考え方は面白いと思った。最初に選んだバニラを好きになるのと、いろんな味を体験した後でバニラを好きになるのは全然違うっていうやつ。詳しい内容は覚えてない。
それで、最初の印象に引きずられて一度も試さずに批判していることって多いんじゃないかなって思った。それと、ネットでも同じことばっかりしていて、いつもと違うことを全然していないなって思った。
たとえば・・・そうだな。講義を受けるときのノートの取り方とか普段気にしないと思う。ノートかルーズリーフか。たまにA4のコピー用紙とかノートパソコンで取っている人がいる。ああ、教科書に書き込んだり配布資料に書き込む人もいたか。すごいと思ったのはデジカメだけ。でも、デジカメ+ボイスレコーダーが最強じゃね? って少し思った。両方持ってないから試せないけどね。
ただ、もっと効率の良いノートの取り方があるのではないかと思い、様々なメモ用紙で試したりした。マインドマップやコーネル式を試した。書きやすさではA4のコピー用紙が一番だけど、まとめやすさ(後から見直しやすい)からいうと普通の大学ノートがいい。基本はマインドマップ形式で書くのが一番だけど、形式にとらわれすぎると時間がもったいないかなって気がする。後から見直すのがノートの意義なんだから薄い字とかダメ。濃いえんぴつ、もしくはペンを使用したほうが効率いい。文字を間違えても塗りつぶせばいい。修正液とか時間の無駄。だけど、長文をノートに書く場合はこの限りではない。などなど。。
ノートの取り方も、黒板+発言を書けるだけ書いたり、パワーポイントも極力書いたりしたこともあった。疑問や意見を書いたり絵を描いたり。大抵の内容は本を読めば書いてあるから、名前とかその分野の専門用語、大雑把な概念を書いたりとか。。
やっぱり、いろいろな方法でノートを取っていると最初の頃とは全然違うって実感した。というか、ノートの意義とかノートの取り方とか小さい頃に教えてくれればよかったのに。。なんか、「黒板に書かれたものをすべて写せ」ってずっと思い込んでいた。
会社入れば記述形式とか調査方法とか規格化(形式化?)されているのかもしれないけど、そうじゃなかったらいろいろ試してみればいいと思う。
あー、はてなでも試してないことたくさんあったっけ。何か探してみよう。
前エントリ
http://anond.hatelabo.jp/20080918115223
わっふるさせてしまって申し訳ないんだけれど、結末はつまらないよー。
大量にブクマがつくような増田や2chコピペサイトのようなドラマティックな展開とかないです。
勇気を出して…、初めての告白…!
ハガキの裏にルーズリーフで書いた手紙貼り付けたり、本を渡したりするのって全然緊張しなかった。一度に4、5冊くらい貸したから、気づかれなくてもしゃーないかなーなんて思って。
だけど、いざ「返信」が同じ位置に貼り付けて返ってくると、ドキドキするね。1時間くらい明けられなくて「うきゃーっ」ってなってた。今でも、好きな人からのメールってなかなか開けないしw
結果は、ノーだった。基本ですよね「今は恋愛に興味がない」っていう、相手を傷つけまいとする言い繕い方は。
想いを告げたのが秋で、そのままお互い何もなかったように過ごして、冬がやってきて、年が明けて、受験シーズンとなるわけですよ。これくらいの頃になったら、何かもう俺も現実の異性っていう不確定要素を排する意味でも、二次元と声優で心を癒してた。ラジオ番組に投稿したりして。心に秘めた想いはあったけれど、その時は受験に夢中だった。
そして、俺は一足先に志望校への合格を決めた。何か、世界が違って見えた。広く、明るく、鮮やかに感じられた。空も、「そんなレベルの高いところ、合格できたら私立でも授業料高くても通わせてやんよ」と言っていた親の顔も青ざめていた。
M美も国立に合格したそうだ。高校は違うんだけれど、なんだかこれからの高校生活がとても待ち遠しかった。「高校への数学」は、妹にプレゼントした。案の定、まったく理解ができなかったらしく、まだ実家の机に眠ってるんじゃないかな。
その後M美とは高校も違ったし、中学の頃も学校以外ではほとんど接することがなかった俺達(この表現は何か違うと思うが)は、その後の3年間一切関わることがなかった。
成人式の日に、一度だけ「見かけた」。本当に見かけただけ。振袖マジックだかなんだか知らないけれど、やけに綺麗に見えた。
その後も何の関わり合いなし。
なんだかこのままってのも寂しい話だし、なんか近々会えるチャンスを作ってみようかなーなんて思っているんだけどね。
M美の妹と俺の妹って仲が良くて、妹が結婚するんでそれにかこつけて「姉貴と連絡取りたいんだけど」とか言えないかな。ダメかなー。
ほら、ドラマティックな展開なんてない。これが一般ピープルの恋愛ですよ。お前らはドラマティックな漫画やアニメや小説やドラマや体験談に慣れすぎているんですよ。
まあ、このエントリをM美が読めば誰のことか特定できると思うから、読んでたら反応して!そして増田からドラマティックな話を生み出そうぜ!っていう展開はどうですかね。
あ、妄想がすぎましたか、失礼しました。
これまでこのことについて他人に話したことはほとんどなかったけれど、死刑執行された今後、もう話題に上ることもないだろうと思うとふいに記憶が惜しくなった。
=====
21年前、小学2年生の時だ。幼なじみと近くの林で遊んでいた。道路のすぐ横が斜面になっていて、そこの土は他と違って粘土質で土遊びにもってこいだったため、私たちの格好の遊び場だった。
斜面は道路を隔てて中学校と住宅に面していた。とはいえ繁華街からは遠く離れており、人通りは多くない。住民以外は滅多に見かけない土地柄だった。当然、知らない人にはついて行かないようにと教えられていた。
見知らぬお兄さんが、道に迷ったといって私たちに声をかけてきた。小さな白い車に乗ってきたらしく、地図を広げて「○○公園って知ってる?」と聞いてきたのだった。
お兄さんが探している公園は私たちの通う小学校に隣接していて、この住宅地の中では一番大きな公園だった。家からは子供の足で20分はかかる。よく知っている公園なので、私たちはすぐにお兄さんに道を教えることができた。
「やっぱりよくわからないから、車で一緒に乗って行ってくれない?」
「でも知らない人の車に乗っちゃ行けないって言われてるから」
私たちは断り、もう一度道を説明した。だがお兄さんはその場から離れようとはしなかった。
「まだ時間があるから、一緒に遊ぼうよ」
「何時まで?」
「4時に仕事があるから、それまで」
私も幼なじみも時計を持っておらず、5時に消防署のサイレンが鳴ったら帰ってきなさいと言いつけられていた。知らないお兄さんと遊ぶのに警戒心がなかったわけではないはずだが、4時までと時間を区切られたことに安心したのだと思う。
「じゃあいいよ、一緒に遊ぼう」
私たちは彼を受け入れた。
しばらく3人でしゃがみ込んで土をいじっていたが、お兄さんが「この崖の奥はどうなってるの?」と立ち上がった。粘土質の斜面を上がると木が生い茂り、ちょっとした探検気分が味わえる林になっていた。
「ちょっと見てみたいから、一緒に行こうよ」
誘われて、林の中に入っていった。
大人の足は、子供の踏み入れたことのない場所まで分け入ってしまう。
「この先は行ったことがないから怖いよ」
「今何時? 公園に行かなくていいの?」
という私に、彼は
「大丈夫だよ」
と気にせずどんどん林の深くに進んでいく。私は不安だった。大人の目の届くところで遊ぶつもりが、知らないところで知らない人と遊んでは母の言いつけを破ることになる。知らない人と遊ぶことがどうしていけないのかきちんと考えもせず、ただ言いつけにそむく後ろめたさが不安の理由だった。
やがて少し開けたところに出、花か草かを摘むためだったか、私たちはまたしゃがんで遊び始めた。
3人で車座になり、そこで私たちはお兄さんに名前を聞いた。お兄さんと私と幼馴染の苗字には共通点があった。3人とも「宮」の字がつくのだ。
「一緒だね」
「おそろいだね」
そう言い合った。それで私は彼に親近感を覚え、不安は薄れた。
お兄さんは特に何をするでもなく私たちが遊ぶのを見ていた。そのうち私は、妙にお尻がくすぐったくなってきた。木の枝でも当たっているのかと見てみても、それらしきものはない。変だな、変だな、と何度か思ううち、それがお兄さんの手のせいだと気づいた。スカートの下に手をもぐらせて、ブルマーの上からおしりを撫でているのだった。
子どものおしりを触る大人というものが私には不可解だった。大人の男の人は大人の女の人のおしりを触るもので、それがエッチなことであると知ってはいた。そのはずが、なぜ子どもを触るのか、お兄さんの行為が不思議だった。
私は触られるのがいやだと思った。変な触り方をするからだ。くすぐるようにこそこそと撫でるのでむずがゆかった。だが抗議をするのに少しためらった。大人の女の人は大人の男の人におしりを触られたら怒るものだ。クラスの男子にスカートめくりをされたら、女子は怒るのが当然だ。だが、大人が子どもに触るのも同じように怒っていいのだろうか。
このあたりの葛藤は今でもよく覚えている。このころはまだ、ペドフィリアというものの存在が今ほど広く認知されていなかったせいだろう。子どもにいたずらする大人はいるにはいたし、母親たちもそれを警戒していただろうが、私たち子どもには「知らない大人についていかないのは誘拐されて身代金を要求する悪い人がいるから」だと教えていた。幼児に性欲を向ける大人の存在は子どもたちには隠されていた。その存在が大きく世間を騒がせるのは宮崎勤事件以降のことだ。
ついに私は勇気を出して声を上げた。
「おしり触ったでしょー」
「触ってないよ」
「触った!」
「いいじゃない、ブルマはいてるんだから」
「そうだよ、ブルマはいてるんだから」
幼なじみは私よりもさらに世知に疎く、幼かった。彼女には年の離れたいとこがたくさんいたから、お兄さんに遊んでもらうのに警戒がなかったのだろう。
今ならそんな言葉に言いくるめられるわけがないが、幼なじみの援護もあって当時の私は納得した。これ以上抗議するのも大人ぶっているようで恥ずかしかった。
何度目かの私の「今何時?」攻撃にお兄さんは重い腰を上げ、3人は林を戻り始めた。私たちは元の斜面に出たところでさよならのつもりだったが、お兄さんは
「まだ遊べるよ」
と言う。
「お仕事でしょ? いいの?」
「なくなったんだ」
携帯電話の普及していない時代だ。彼の言い分は不自然だった。父の姿から、大人にとって仕事は何より大事なものだと思っていた私に、また彼への不信感が芽生えた。
「ここじゃなくてもっと広いところに行こうよ」
「どうして?」
「ボールがあるから、それで遊ぼう」
彼はゴムのボールを持っていた。野球ボールくらいのサイズだったと思う。
「○○公園は?」
彼は最初に尋ねた公園を挙げた。
「そこは遠いよ」
「車に乗っていけばいい」
「知らない人の車に乗っちゃいけないって言われてるから」
「もう知らない人じゃないでしょ」
「でも……5時になったら帰ってきなさいって言われてるから」
私の抵抗に比して、幼なじみはあっさりしたものだった。
「××公園なら近いから、そこに行く?」
と彼に提案し、私もその案に妥協した。彼と遊ぶのが楽しいらしい幼なじみを見ていると自分の警戒が的外れなように思えて、ブルマの言い訳同様彼女に従ってしまった。
車には乗らないと私が強情を張ったので、公園まで3人で歩いた。
公園には時計があった。正確な時間は覚えていないが、4時は回っていた。
しばらくキャッチボールをして遊んでいると、大きなサイレンが鳴った。消防署のサイレンだ。
「5時になったから帰らなきゃ。Mちゃんも帰ろうよ」
私は幼なじみに促した。
それなのにお兄さんは、
「まだ明るいから平気だよ。それよりもっと広いところに行こう。やっぱり○○公園に行かない?」
と誘ってくる。
私は刻々と時計の針が5時を過ぎることに落ち着かず、とにかく帰る、と繰り返した。
「Mちゃん、帰ろう」
Mちゃんが誘拐されたらどうしよう、となんとか一緒に帰るよう幼なじみを口説いた。幼なじみは迷っているようだった。同じく門限は5時だったが、お兄さんの誘いも魅力的だったのだろう。私はこれ以上、母の言いつけを破るのはいやだった。
「私、帰る!」
帰ろうとしない幼なじみを置いて、私は走って公園を出た。早く帰らなきゃ、と思う頭の片隅で、幼なじみを置いてきたことが気がかりだった。
家に帰ると、母が夕食を作っていた。
「おかえりー。だれと遊んできたの?」
「Mちゃんと」
知らないお兄さんのことは言わなかった。
何日か後、部屋で遊んでいる私のもとに深刻な顔をして母が入ってきた。
「あんた宮崎さんって知ってる? こんな手紙が入ってたんだけど……」
母の手には、折りたたんだルーズリーフが握られていた。
「あっ! この間、Mちゃんと一緒に遊んだ人だよ」
私はばつの悪い思いをしながら、母に説明した。母は眉を曇らせながら聞いていた。
「最近見かけない車がこの辺をうろうろしてたけど、その人だったのかもね。あんた宛にこんな手紙がポストに入ってるから、何があったのかと思った。そういうことはちゃんと言いなさい」
「ごめんなさい、車に乗らなかったし、5時に帰ってきたから大丈夫だと思って」
「それはえらかったね。それにしてもMちゃんも無事でよかった」
そう言って、母は幼なじみの家に電話をかけた。あのあと幼なじみも私の直ぐ後に帰り、同じような手紙が入っていたらしい。
大人たちは真剣な面持ちで何度か話し合いをしていた。家を突き止められた以上また会いに来るかもしれないが、今度こそ大人を呼ぶようにと言い含められ、手紙は母の管理化に置かれた。
ことが大人の手に渡れば、子どもが心配するようなことはないと思った。私はそれきりそのことを忘れた。
2年後、私は4年生になっていた。テレビから連日、幼女誘拐殺人事件の報が流れていたある日のことだ。
お風呂上りにテレビを見るともなしに眺めていた。相変わらず、宮崎勤容疑者が映っていた。画面の中から、彼の青白い顔がこちらを向いた。
その瞬間、経験したことのない感覚がぞーっと駆け巡った。冷や水を浴びせられたような、とはあのような感覚を言うのだろう。あのときはそんな言葉もしらず、混乱して呆然と突っ立っていた。
「あのときの人だ!」
宮崎勤の顔を見たのはこれが初めてではなく、何度もテレビで目にしていたのに、なぜ今まで気づかなかったのか。
受けた衝撃は言葉にならず、私は黙って自分の部屋へ引っ込んだ。
1人で2年前のお兄さんの顔を思い出そうとしてみるが、はっきりと思い描けない。色の白い、穏やかそうな印象しか覚えていない。
ただ似ているだけの人だろうか。だが私はさっきの戦慄で確信していた。あれは宮崎勤だったのだ。
それから、母に一度、幼なじみに一度、話したことがある。人に言っても信じてもらえないだろうと思っていたから、打ち明けるのに慎重を要した。
「2年生のときに会ったお兄さんを覚えてる?」
母は、
「あのときの手紙、どこかにまだあるはずだけど。あれが宮崎勤だとしたら、殺されてたのはあんただったかもしれない」
と言って恐怖を分かち合ってくれた。
幼なじみは、
「そうだった? あのお兄さん、山口さんって言ってなかった?」
と反論した。
いずれも、2度は話題にしなかった。
私の勘違いならそれでかまわないのだ。小さかった私に起こった奇妙な出来事と、例の凶悪犯と、接点がないならそれに越したことはない。
普段は忘れているが、ふとした折、4年生の私の体を襲った心底からのショックを思い出す。あれはなんだったんだろうかと。あのお兄さんが宮崎勤でないなら、私が受けた感覚はなんだったんだろうかと。
チラシが有料であるか(新聞代に含まれているとかはなしにして)無料であるかというより、
切り離して捨てられるところがミソだった気はする。だからノート対ルーズリーフみたいな位置付け。
作家が原稿を執筆しているときに、うまくいかないものをぽいぽい捨てるのに憧れて、
無意味に迷路を書いては捨てていたw ただで捨てても問題ないのはチラシだけだったから。
チラ裏というのは、私見ですけど、と意味不明の断りとほとんど意味が同じだろう。
ついでに無粋なつっこみをするな!とガードを上げているようだが、
無粋なつっこみをする以前に、内容として問題外であることも多い。
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%C1%A5%E9%A5%B7%A4%CE%CE%A2