はてなキーワード: がなとは
iPhoneが不評な理由を挙げるとき、自分が個人的に一番理解できないのが「メールのプッシュ受信が貧弱」という項目だ。
そもそもメールというかインターネットって「生のままで流されるデーターは情報の正確性と速度は一切保証されない通信方法」なわけで、そのインターネット回線を平分で流れるメールなんて、最初から即時性求めてちゃだめなんじゃない?
実際自分は即時性を求める連絡事項は絶対にメールだけでは済まさないし、相手にもそれを求める。
仕事だとそれはさらに徹底するので、しがない自営業やってると短期的に見てビジネス的に不利になる場面も少なくはないが、
メールという遅延に全く誰も責任が取れないメディアにこちらが即時対応を義務づけられると、それが積もり積もるともしものときにもっと手痛いダメージをこちらが一方的に被ることになるので、こちらに即時対応を求められるときは必ず電話などのリアルタイムで連絡可能なメディアを通じて、その補助としてメールを利用している。
そうするとメールはプッシュである必要は全くない。IMAPであれPOPであれこちらが確認したいときにサーバーに接続して都度必要な対応をすればいい。即時対応が求められるなら、その前に必ず電話なり何なりの連絡が来ているはずだから。
これが携帯電話だけしか持っていない層になるとまた話が違ってくるんだろう。
携帯電話のメールは、古くはポケベル方式で文字のやり取りを可能にしたPHSのデジタルツーカーのカシオのモデルだったり、確かSMS方式っぽい方法で文字データをやりとりしたJSkyメールあたりが発端になってるはずなので、
回線業者に囲い込まれたインターネットしか体験していないユーザーにはメールはプッシュが当たり前なんだろうし、
実際その層で多いのはいつも誰かに存在が確認されていないと自分が消えそうな子供・思春期の年代が大半だろうとは思う。
で、iPhoneなんだけど、これはPCを持ってるのが前提なわけで
携帯電話しか持っていない層よりもはるかに少ない、PCで一通りのことは出来る上に自分なりの使い方を持っていて、さらにそれが多少なりとも外に持ち歩ければ、
という現在まだ非常に少ない層にジャストフィットした商品である以上、そこを理解していないと重大な過ちを犯す。
そこに輪を掛けて、スマートフォンというものに過剰な期待を抱いて勝手に舞い上がってた、PDAやスマートフォン慣れしてなかった層まで加わって、「がっかりした」の大合唱。
iPod touchのときも2chやニュースサイトで舞い上がって鼻息荒く「公衆無線LANと組み合わせてライフハック!」を夢見ていた人たちが居たが、その人達の提供するライフスタイルが常に回線ありきでPDA慣れしてないと感じた。
今回iPhoneも日本の携帯市場を揺るがすとか鼻息荒かった人もいて、それを見るたびいつも「あーこの人PDA・スマートフォン慣れしてねーなー」と苦々しく思ったものだが、
PDAはそもそも職場や自宅のPCと「同期」させて外にデータを持ち出すと便利になる一部の層のためのツールであって、スマートフォンはそこに外でも回線の接続の可能性が増えたに過ぎない。中には外での回線の接続に音声通話も可能な物もあって、電話の機能もつけるけどiPhoneはそのうちのひとつにしかない。
思春期あたりの子供が下すiPhoneへの評価はまだ理解できるが、出発点を見誤って息巻いてるPDA慣れしていない自称ライフハッカー達の見当違いな評価はウンザリだ。
いろいろ言いたいことはあるんだけど、とりあえず「iPhoneのメール機能が貧弱だ」という意見には全く同意できない。
プッシュが貧弱なのは、携帯やPCに限らずメールでの即時性は思春期を過ぎればそんなに対した問題じゃないし、むしろ即時性を求められるほど迷惑になってくるし、
では試しにi-modeでGmailを読もうとしたら何回クリックしないといけないのか、そもそもIMAPやPOPにアクセスしようと思うと自分でサーバー立てたりJAVAでアプリ作ったりしないと何も出来ないのに対して(どこか他人のサーバーを一度介せばいいんであれば携帯電話でもIMAPやPOP読めるサービスやアプリあるけどね)、
それに対してアカウントさえ設定すれば、常にアクセスしたらメールが簡単に読めるこの端末のどこがメール機能が弱いのか、全く分からない。
中学2年の冬。同級生(キョウコちゃん・仮名)に「今度の日曜日、暇?」と、私ともうひとりの友人(エミちゃん・仮名)に声をかけてきました。遊んだりする普通の友達だったので、何時もと違う誘い方にとまどった私とエミちゃんでしたが、なんだろうと、話を聞くと「今度の日曜日に○○でミュージックステーションの収録があって、ふたりが好きなバンドが出るから一緒に行かないかなって思って…」との事でした。
その情報を知らなかった私とエミちゃんは、即決で行く事に。そして、日曜日朝の5時に駅前で集合し、電車とバスを乗り継ぎ(所要2時間弱)、徒歩で会場である○○という広い体育館のような所に行きました。駅から長蛇の列で、みんなが○○に向かっているとの事でしたが、私とエミちゃんの好きなバンドのファンっぽい人がひとりもいないのが気になったけど、キョウコちゃんに言われるまま、素直に列に並びました。
「座席は決まってないの?」と、聞くと「今日は抽選だから…」と、言われ、巨大な駐車場に何時間も並び、気付いたらお昼過ぎになっていました。お昼は近くで食べられるだろうと、お金だけ持ってきた私たちでしたが、コンビニが1軒しか無く、しかも沢山の人がお昼を買いに来る所為で全て完売。やっと列が動き始めたのはそれから2時間後でした。
「これでやっと待つだけだねぇ」「中で食事とか売ってるか、入ったら見に行ってくるよ〜。お腹ペコペコだもん」私とエミちゃんが盛り上がった頃、突然キョウコちゃんが「ごめん!」と、言いました。何か分からなかった私たちにキョウコちゃんが突然まくし立てるように話し始めました。
「ミュージックステーションの収録って言うのは嘘なの!ほんとはスマップの握手会で……あたし、どうしてもキムタクと喋りたくて……でも、ひとりで行く自信がなかったからふたりを誘ったの!!」私たちはびっくりぽかーん。でも、後ろには長蛇の列で、抜け出せるような雰囲気でもなく、あっけにとられてる私とエミちゃんに「これ持ってると入れるから!」と、チケット渡してきたキョウコちゃん。やる気満々です。
兎に角食べるものを買ってこようと、座席に座ってから近くの売店を見に行ったけれども、何処もしまっていて、売っているものはグッズばかり。挙げ句、キョウコちゃんが大事そうに抱えてるボストンバッグに、ばかでかいラジカセが入っていて「これで声を録音するんだ!!」と、呆然とする私たちに笑顔で説明。
どうせ直ぐ順番になって帰れるだろうと、思っていたら、それから待ち時間が2時間位。私とエミちゃんは、誰のファンでもなかったけど、キョウコちゃんに言われてメンバー全員に「頑張ってください」と、言って、握手した。キョウコちゃんは会話をする予定だけど、予想以上のファンが来てしまったらしく、早口で何かを喋っていたけど問題のキムタクはたった一言「おう」しか言わず、それでも嬉しそうだった。
帰りも凄い込みようで、疲れ果てた私たちに乗り継ぎの駅でジュースとパンをごちそうしてくれたキョウコちゃん。帰りの人もまばらなローカル線の車内で、あのでかいラジカセを鞄から出して、ヘッドフォンも付けずに何度もキムタクの「おう」を聞いて、疲れも頂点な私たちに「格好いいでしょ〜!!!」を連呼していた姿は、今も忘れられない。
でも、いちばんの衝撃だったのは、その後でした。夜10時近く、やっと地元の駅に着き、駅前で解散しようとなった時、泣きながらキョウコちゃんの母親が「キョウコーーー!!!」と、走ってきて、いきなり私とエミちゃんを平手打ち。唖然とする私たちに「あんたたち!うちの子がおとなしいからってこんな遅くまで夜遊びに連れ回してどういうつもりなの?!明日、学校で話し合いさせて貰いますから!!!」と、怒鳴り、キョウコちゃんを連れて走るように帰って行きました。「謝って欲しいのは、こっちだよ」と、私たち。私は家に帰り、今日の出来事を全て母親に話し、母親に「やぁねぇ」と、慰められ、翌日呼び出された学校でも聞いた話をしたけど、キョウコちゃんの母親は「あの子もそう言ってます!」と、一点張りで、当の本人のキョウコちゃんも私たちに連れ出されて遊びに行ったと、先生に報告。1週間近くごたごたしていたけど、他のクラスのチャゲアス好きな子にも誘いをかけていた事で、キョウコちゃんが誘った張本人だと判明し、学校の誤解は解けたけど、キョウコちゃんは謝りもせず、そのまま…。3年になった時は同級生にこの件の影響か学校帰りに遊んでもいいけど、休みは遊ばないという暗黙のルールが出来てしまい、キョウコちゃんはジャニーズ好きの下級生と休み時間盛り上がっていた。
この所為か、今流れているジーンズのCMもなんだか嫌でチャンネルを変えます。特にギャランドゥが嫌なんですが、他人のギャランドゥは別段なんとも思いません。顔も余り好きではありません。会社の同僚には「珍しい!」と、言われますが、彼を生理的に受け付けないように中学の頃、なってしまったようです。
http://www.geocities.jp/uninoie2/d-karisuma.htmより引用
「歯磨きは両手でやった方が磨き残しがなくきれいに磨けるそうです。それは右利きの人が右手で丁寧に磨いても右手の癖でどうしても磨き残しがでてしまう。ところが左手で磨くとまどろっこしいけれども右手で磨き残したところを磨くことができる。協力というのは全員が同じ仕事を同じ量平等にこなすことではないのです。掃除の得意な人は人よりたくさんすればいい、力持ちの人は机をたくさん運べばいい、声の大きな人はみんなに指示を出してあげればいい。それができたとき集団は大きな力を発揮する。この場面では自分は右手なのか左手なのかを考え、常に全力を出すこと。右手になったときは左手の仲間よりたくさん仕事をこなすこと。左手の人を「さぼってる」と批判すれば左手の人と同じだけしか仕事をしなくなる。ということはさぼっているのは左手の仲間ではなく右手の自分なのだ。」
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://v.japan.cnet.com/blog/murakami/2008/09/23/entry_27014834/
いやいや、小さくて特異な世界だからガラパゴスなんでしょ/アメリカやら中国やらはそりゃガラパゴスとは言わんよ。だって国内市場デカいもん/品質云々じゃなくて、ケータイ端末を輸出できないのが問題なんでしょ?
でも、ずっと3Gでは世界最大の市場だったんだよ? どうしろっつーのよ? PDCから3Gに行かずにGSMに移行すればよかったとでも?
日本の携帯は単独でやっていけると思うけどな。日本の鉄道と似たような感じで(歴史的経緯から逃れられない部分も多いところも似ている)。そもそも日本語と日本人のライフスタイルが一番のネックだったし。
米国基準とグローバルスタンダードを混同してはいけないという話。欧米がやっていることなら何でも偉い、という言説には気をつけるべし。
携帯でひどいのは欧米といいつつ欧州をまったく知らずに米国しか見てない人が多すぎることだな。
ガラパゴスだっていいんだよ。それでメシが食えりゃ。そして快適なら。携帯電話は、端末メーカーが食えないのが問題。その原因はなにかを考えないでガラパゴスいうのはちと違う。
最近10社のうち2社は撤退ってことでアンチ国産ケータイの人たちが喜んで国内キャリアを叩いてたけど、テレビだって沢山のメーカが撤退してる。まあ日本のテレビ放送の規格は特殊かもしれないけど、でもテレビメーカは海外進出できてる。正直国内向け商品の仕様が特殊かどうかと、海外に輸出できるかどうかはあんまり関係ない。例えば韓国の携帯電話は本当に特殊なWIPI仕様が必須だけど、韓国メーカは世界中で強いわけでしょ。
グローバルスタンダードに乗っかろうとするということはすでに競争から遅れているということだと思う。
そうなんだよな。ガラパゴスだと叩いてた人たちが国内メーカに何を求めているのか、どういう状況になって欲しいと思っているのかいまいち見えなかった。Android携帯を作ればいいじゃんとか聞くけど、そうするとソフトではほぼ差別化できなくなるから、国内メーカのやることって端末の概要や外見をデザインして設計と製造をHonHaiに任せてそれで終わりになるよ。今のPCみたいになる。それがうまくいって輸出でちょっと儲けれるところまで行ったとしても、ブランドは日本メーカ・設計は台湾・製造は中国のものだよ? そんなのが輸出されたとして嬉しいのかねぇ? そんなのがいいっていう風潮が続くんならいっそもう日本のメーカは全部携帯電話から撤退して、日本人はみんなiPhoneとノキアの安物キャンディバーを使うことにしたほうがいいと思うよ。
シャープは(総務省指導の)新販売方式のショックとiPhoneショックによって国内での端末販売がかなりピンチになって、中国に活路を見出すしかなくなってるんじゃないかという気がする。このままもし中国でシャープ携帯が売れ始めたら、シャープはますます日本向け端末は作らなくなって、ソフトバンクはiPhone一色になっていったりして。そうしたら外国ではシャープのAQUOSケータイが売れてるのに日本ではiPhone、みたいな逆転現象が発生してしまったりして、そうなったら面白いな。
「ガラパゴス」をもっと違う言い方にできないものか。
一度も話したこともない
ほとんど面識もないような
人に好かれても
その相手のことを知ろうと思えない。
興味があまりわかない。
これってゴーマンなのだろうか?
据え膳食わぬは男の恥
ってそんな感性が自分にはないのだ。
全く相手に信頼がないし、むしろ自分は不信感を抱いてしまう。
自分の関係ないところで
自分が形成されていくことに
嫌悪感を感じてしまうのだ。
とか
あるいはほっとけばいーじゃん
とか
思うかもしれないが
頭の中は「?」でいっぱいで
そんな余裕もないし、
人に責められたり
自己嫌悪に陥ったりする。
これでできた傷はもうどうしようもない。
自分は他人を全く信じられなくなってしまった。
これがすっきりしないと
自分の過去に引っ張られて
もう前に進めない。
たとえ女性配偶者への生活手当てが物凄い潤沢であったとしても、
自分より頑張ってなくてスキルも無い人が男というだけで働くポジションを無条件で与えられている社会はイヤだなあ。
今でさえ暗黙的な了解で連続夜勤とかすると女ってだけで上の顔色がよくないのに。
やる→子供が出来る→金も体も大変、っていう当たり前の発想が希薄なのか、
やる→子供が出来る→手術費面倒→産んじゃえっていう発想になるから良くないわけで。
そもそも、その「やる」っていうのを抑制するか、(セックスレス→浮いた時間を仕事のスキル磨きに回す)「子供が出来る」っていうのを抑制(避妊)すればいいだけの話。予算的都合を考えずに子供を作る人は養子に出す計画があるか、セックスレスであることや避妊をする事の価値が見出せて居ないから分からないんだろうな。と思う。つまり、早い段階である程度の判断力を備えられるような育みが出来る環境が必要なんじゃないんだろうか。
ヤン親で、自分たちみたいな家庭は社会も育ててくれると思ってる節(実際言ってた)がある人に会った事あるけれど、子供の方がもうダメ。かなりダメ。5歳過ぎてるのにのしつけの痕跡もなければ挨拶も出来なければ物欲しげな顔だけする。しつけの痕跡がないか、挨拶が出来ないだけか、欲しいものだけじーっと見るかどれかだけにしなさいと。しかし、正直専門でも無いのに高校位から幼児教育の本を好んで読んでた自分には、子供自体がバカという風に思えない。結局「小さい生き物」としてそのヤン親がかわいがるばっかで、年齢相応の対応をさせる努力や、考える機会を与えてないんだろうな。
ヤン親はヤン親で親としてどう振舞えばいいかとかも分かって居ないようで、その場にいた人のモノ(まあ大して高くは無いけれど大事にされてたモノ)を子供が壊しても、子供のやる事だから、と口で軽く謝るだけ。そこで演技でも親が深々と謝ってたら、5歳位の子供だったら色々気づく所があるはず。まあ発達具合にも因るので一概では無いけれど。
そんな事より子供の教育的効果云々の前に自分の子供がモノを壊したらそこは心から謝れよ。
そういう相手の気持ちを和らげて自分もうまくやっていく、みたいな処世術や判断力が弱くて年上なのにびっくりした覚えがある。この親御さん達は子供と言う切り札にもならない切り札を使って、何を振舞ってもいいと思っていて、子供たちも完全な自我が出来上がる迄それを見習って生きていくのかなとぼんやり考えた。
自分に子供が出来たとして(相手に万が一があったとして主夫をやらせると考えたとしても)自分の給料だと公立が精一杯だと思う。公立でも危うい。
そんなフリーダムな子育ての成れの果てが子供の同級生になったとき、親としてどんな対応をとればいいか。
多分自分の子供同様に叱ったりしてしまいそう。
そもそも「実践もしたことのないサヨクが偉そうに理論をぶつ」ってのが根底にあったはずなのに、実践してることが明らかになると、「その手の手合いが誰のためにもならないことが多いという批判は聞いたことがないんだろうねえ」か、注文の多い料理店よのお。
元記事書いたの俺じゃないし。残念でした。
どっちにしても、Romanceの主張がむちゃくちゃなことは「自明」wなので、何をやっても否定的な結論にしかならないのは当然。
これが、地に足のついた主張だったら「さすが現場を知ってる人は違う」という評価になっただろうけどねえ。
いやー、1時間足らずで反論が出てくるとは、どなた様でしょうねえ?w
hit-and-runだが。
本を読んでちょっとばっかし現場に首つっこんでフィールドワークした気になってた奴は昔からいるんだけど、その手の手合いが誰のためにもならないことが多いという批判は聞いたことがないんだろうねえ。でなきゃ、そんなにナイーブに「実践的活動をしてる!」なんて免罪符のごとく言えるわけがない。
そもそも「実践もしたことのないサヨクが偉そうに理論をぶつ」ってのが根底にあったはずなのに、実践してることが明らかになると、「その手の手合いが誰のためにもならないことが多いという批判は聞いたことがないんだろうねえ」か、注文の多い料理店よのお。
「実践活動してないサヨクは信用できない」、「実践活動してるサヨクはもっと信用できない」ってか。
とりあえず、「その手の手合いが誰のためにもならないことが多いという批判」のソースが欲しいところだね。Romanceが「その手の手合い」だっていう根拠も。
まさか、「本を読んでちょっとばかし現場に首つっこんでフィールドワークした気になった奴」を批判してるのに、「その手の手合いが誰のためにもならないことが多いという批判」が本に載ってたよ、なんて言わないだろうけどね。
どうでもいいけど、その語り口、ずいぶん偉そうだな。
少なくとも、Romanceは今年の3月の時点で、実践的活動をしてることは公言して
いやー、1時間足らずで反論が出てくるとは、どなた様でしょうねえ?w
本を読んでちょっとばっかし現場に首つっこんでフィールドワークした気になってた奴は昔からいるんだけど、その手の手合いが誰のためにもならないことが多いという批判は聞いたことがないんだろうねえ。でなきゃ、そんなにナイーブに「実践的活動をしてる!」なんて免罪符のごとく言えるわけがない。
またネトウヨ君がアカウントも明かさずに増田で卑劣な中傷を繰り返そうというのかな?d:id:Sokalianみたいなみっともない真似はするなよ。
お前らネトウヨたちがやったことは、まさにデマを流して「全体最適はナチ」などこちらが言ったようなこともないようなことを言ったように悪宣伝をくり広方ことだ。
よっぽどSokalianが嫌いなんだな?かわいそうに、そんなに痛いところを突かれたんだねw
今回、専門用語の意味を確かめもせずにあやふやな印象だけでイナゴ化してたのは君らなのに、批判する側を「ネトウヨ」なんてよくもまあ言えたもんだね。だいたい、稲葉先生とかそのあたりの専門家がトリアージ批判派を一刀両断してる時点でどちらがトンデモかというのは明らかなんだが。Sokalianがネトウヨなのではなく、君らが「ネトサヨ」なのだよ、いい加減に「デマを流して」「悪宣伝」をするのはやめなさいってw
嫌いな奴に人権があることは嫌いですかwどう見てもスターリニストです、本当にありがとうございました。
結論:お前ら、最悪。
結論にも何にもなってないことを持ち出して「結論:○○は最悪」とか書く人は1名しかいないよねえ?ww
http://anond.hatelabo.jp/20080924231639の増田が言いたかったことって、「実績がないのに喋るな!」ってことだけじゃないのは、元増田もわかるよな?
奇麗な理想を語るのに「で、実践は?」と問われてからアタフタと実績を取り出すような姑息な人の話に魅力を感じるのは、水伝を信じるより難しい。
少なくとも、Romanceは今年の3月の時点で、実践的活動をしてることは公言して
たよ。http://d.hatena.ne.jp/Romance/20080309#p1
と、ここで余談ですが、私の中で今「貧困問題」「野宿者問題」はすごく重要なテーマになってます。
私の個人的な研究テーマは「弱者問題を利用する俗流道徳の自己欺瞞」なので、弱者問題について広汎に興味は持ってました。去年、たまたま『ルポ最底辺―不安定就労と野宿』(生田武志著、ちくま新書)という本を読んで、ホームレスに対する偏見のすごさと、彼らがいかに悲惨な境遇にあるかを知り、結構ショックを受けました。それをきっかけに地元のホームレス支援団体にボランティアとして参加することにして、実際に野宿者の巡回をして話聞いたりしてます。まだまだ参加したばっかりで偉そうなこと言えないんだけど。。。
貧困問題についての本も読みまくってます。。。
Romanceに「現実見えてない」なんて筋違いの批判してたやつは、「現実知ってたらホームレスなんて支援できるわけがない。支援してるのは何か裏があるはず」なんて、偏見持ってたんだろうな。
その「現実」ってのが、単に自分の内面を他者に投影してるだけなのが惨めだね。
「俺はホームレスなんて支援しようなんて思わない人間なんだから、みんなそうに違いない。みんなそう思ってるはずなんだから、倫理的にどうこう言われる筋合いはない」っていうふうに。
よかったね。俺もちょうどおとつい気づいたところだったんだ。
俺いま34。遅すぎるけど、しかたがないので、これからもいきてくzE
もしかしてGoogleの検索ワードが心の健康と同期しているんじゃないかと思って、履歴を見直してみた。
1 疲労 快眠 眠る方法 など
4 自殺 遺書 死ぬ方法 [保険 自殺] [事故 自殺] 希死感 首吊り など
1の段階で、私はただの疲労だと思っていた。眠りが浅い自覚症状があったようである。
2の段階で、かなり心の健康が損なわれている自覚症状がでている。
このあたりから2chのメンタルヘルス板を読んだり書いたりし始めている。
3の段階で、「うは、俺ってもしかして鬱?」なんて思ったりしてた。
この時点で人に相談するという選択肢は、なかった。
理由として相談しても何の解決にならないし、将来不利になると判断した。
なお、本当に死ぬ気はこの時点では全くなかったと思う。
病院に行く気はあったが、予約に一ヶ月以上かかりそうだったのやめる。
ここで最大の失敗。
心の健康を保つためにブロン錠を飲む。
ブロン錠には、心に効く成分が少し入っていて、薬局で簡単に手に入れることができる。
朝10錠→1時間づつ数錠づつ投与。
何を言われても人ごとのようになる。ある意味、心が落ち着いている。
この心の落ち着きかたは気持ちの良いものじゃなかった。
ただ、本当に人の言うことが全く気にならなくなったし、自分がまるでゲームのキャラのようだった。
このあたりから完全に食欲がなくなる。
昼休みに、さも用事のあるふりをして一人になって、ブロンをポリポリ食べる様はあまり、かっこいいものではなかった。
この生活が暫く続いて、次のフェーズに移る。
ブロンをゲットする薬局のストックがなくなったため、仕事中に薬が切れてしまった。
このブロン錠はどうも、購入数に制限があるらしくて、近場の薬局を回って仕入れをしていたのだが、ついにそれが尽きた。
同じ成分の入ってそうな咳止めをゲットし飲むが、合わない。
ここで異常が発生した。
動悸が早くなる。人の話声がやたらカンにさわる。
カイジとかによくある、ぐにゃ〜と世界が歪んで「ざわ、ざわ」している感じ。
ブロンは以後やめる。同時に4にステップアップ。
事故に見せかけて死ぬ方法や、自殺でも保険金のおりる方法を検索し始める。
実行しなかったのは、確実に事故に見せかけて死ねる方法がなかったので。
しかし、多分、残された遺族のことを考えることができるあたり、まだ追いつめられていなかったと思われる。
その後、環境変わって、なんか、なおった。
多分それ運が良かっただけで、もしかしたら、次のステップに行っていたかもしれないし、そうじゃないかもしれない。
人に叱られたり注意されたりする時に一番してはいけないこと。
それは全人格否定だと思う。
ミスをした行動などは叱られて当然だ。正しい上司はそれに限定した叱責にとどめるべきだ。
ただし、上司も人間だ。感情の弾みでなぜそれがいけないかの理由も言わずに否定されることもあろう。
そうすると上手くミスから学習できないので、否定だけの意味しか持たない罵倒に萎縮してしまうかもしれない。
だがそこで自分のすべてを否定してしまう必要性はまったくない。
仕事の出来不出来と人間性の出来不出来はまったく関係ないからだ。
さらに、何故叱られたか判らないのだから、的確な修正のしようがない。それは怒り方が下手な他人の責任だ。
今度はそれはそれで、何もしないと叱られるかもしれないが、それは上司の無能さが原因だ。
つまりこれ、自分の中に原因はないのだ。
相手の怒っていることを未然に察して、補完できる異能の持ち主もいるが、それを万人に求めるのはマッチョな考え方だと思う。
元増田がどんなミスをしてしまったかは判らない。が、生きててごめんなさいと思う事は無い。
ミスをしたらそこから余すところなく学び取れ。ミスをしてしまった今できることはそれだ。同じミスを繰り返さない為に。
それが、引いては自分に都合よく生きること。自分のために生きること。自分が楽なように生きることかと思う。
横ながら http://anond.hatelabo.jp/20080924223040を読んで、このように思う。
20080924223040を改変する形になってしまった。いい思考のタネに感謝。
他人からの叱責はどこに言っても必ずあるし、上手く怒ってもらえることを期待するのは受動的で、必要なことだがそれだけでは不十分かと思う。
そもそも仕事なのだから、上司も責任感に刈られて過剰に叱責してしまう傾向もあろう。仕事のストレスで、必要のない叱責をする上司もいるかもしれない。
怒り方がヘタクソだ、というようなパターンも勿論あって、いつも「ベストな怒られ方」をするわけではない。
となると、どちらかというと叱られる側のタフさというか、受け流しっぷりというか。そちらも合わせて身につけたい、と思う。
サブプライム問題から生じたファニーメイとフレディマックの国有化、それから引き起こされたリーマン破綻とアメリカの金融界は毎日がお祭り状態。そういった中で普通の人が抱く金融工学のイメージって言うのはもう暴落状態で、「なんか頭良い奴がクネクネして作ったけど、結局危機に陥ってしまった意味のない学問」とか「よくわかんない計算でハイリスクの金融商品を続々生み出している学問」というイメージを持っている人もいるかもしれない。
いや、そりゃあ合っている部分もあると思うけどさ。でも一応金融工学がどういった用途で使われているのかくらい知っていても、損はないんじゃないの?とか思う。なんにも知らないで批判するよりは、ある程度概要を知った上で批判したほうがなんか恰好いいのでは。
というわけで、具体的にどう役立っているのか、そしてそこから生じるデメリットはなんなのかを以下に書いていきたいと思う。ほんとにさらーっとなので、詳しく知りたい方は本なり読んだほうが分かりやすくていいんじゃないかと。
あ、タイトルにこんな挑発的なタイトルをつけた後で言うのもなんだけど、はてなーはアホじゃないと思うし、こんなんはてなーぐらいしか読まないよ。
「金融工学」って言ってもその分野は様々。だけど大まかに分けてみると、以下の3つの用途に使われていることが多い。
金融工学が一番力を発揮している分野がこの「金融商品の価格付け」。ゴールドマン・サックスなどの投資銀行は、金融工学を用いることで新しい金融商品の価格付けを行い、それを大量にばらまいている。
どういうことかというと、たとえば、売り手が「1年後に1万円を受けとることのできる証券」を現時点で売りたいとしたときに、一体どれくらいの価格だったら「損をしない値段」なのかを求めたいとする。金融工学を使うことで、こういった場面での適切な価格が求められるというわけ。
通常、企業は様々なリスクを抱えている。たとえば、パンを製造している会社は小麦の価格、貿易系の会社は為替レートの変動によって大きく利益が変動するというリスクを背負ってしまう。だけど、そういったリスクは金融工学を用いることで軽減できる場合がある。
わかりやすくするため、先のパン工場の例で説明してみよう。この企業は1ヶ月後に小麦を市場価格で仕入れて、一定の値段で売りたいとする。
もし市場価格が下落すれば予想を上回る利益を得るかもしれないけど、上昇したら当初予定していた利益よりも少なくなってしまう。あくまでこれは企業活動。パン工場からすればこういったリスクはできるだけ避けて、確実な利益をとっていきたい。
この場合リスクを軽減するためには、現時点で小麦の先物を一定量購入すればよい。そうすればもし市場価格が上昇しても小麦の先物価格も上昇するため、利益は相殺されて変動リスクを回避することができる。この一定量は金融工学を用いて計算される。
ちなみに、オプションや先物などの派生商品が基本的にハイリスク、ハイリターンなのもこのリスクヘッジをしやすくするため。だって大きく変動すればするほど、少ない金融商品でより大きな金額をリスクヘッジできるでしょ?
たくさんある金融資本の中からどういった配分でポートフォリオを作ればよいのかという問題は古今東西存在していたけど、金融工学はこの問題にある程度の指針みたいなのを教えてくれる。この指針が本当に正しいのかどうかについては人それぞれ感じることがあるだろうけど、ただ変な怪しい本を買って、やみくもに投資するよりはいいかもしれない。
そんな様々な用途で使われている金融工学だけど、ただ一つ、そしてとっても大きなデメリットが存在する。それは「そもそも前提が納得できない場合、その結論はまったく信用できなくなる」という点。
実のところ、一意的な価格にするため、そして計算上の理由から、金融工学ではいろいろと暗黙の了解を含んだいくつかの仮定をおいている。なので、金融工学を扱うときはまずこの仮定が妥当なものであるのか判断することがとっても大事。
たとえばCAPMっていう理論を推し進めると、「すべての資産を含んだ市場インデックスへの投資が一番合理的である」という結論が得られるんだけど、まずその結論に合意するためにはまずCAPM理論の前提である
や、その他もろもろの仮定を認める必要がでてくる。これらの仮定に1つでも納得いかなければ、この理論は音をたてて崩れてしまう。
そしてさらにETFやらインデックスファンドへの投資が一番だという結論に持っていくには、
という仮定にも同意しなければならない。
「ETFやインデックスファンドへの投資がナンバーワン。だって理論的に証明されてるし。」
とか思っているアホはとりあえずこれらの前提についてよくよく考えてみるといいと思うよ。
LTCMの破綻も前提が崩れてしまった結果起こったこと。確かに理論的にいけば必ず儲かる戦略(裁定取引)を行っていたことは認めるけど、その理論には「流動性リスクが存在しない」「対象資産の価格変動は対数正規分布に従う」などの前提があった。それらの前提が崩れた結果、理論は意味を失い、LTCMは破綻してしまったのだ。
金融工学は、「そもそも前提が納得できない場合、その結論はまったく信用できなくなる」のです。大事なことなので2回言いました。
幼少の頃からずっとわからないんだ。
その時どきの感情、感覚に忠実に生きて結果的に刹那的で上滑りな生と、過去や未来のための今じゃなくて今この時の大切さを感じて過ごす生の違いだ。
それは質の差なのか。量の差なのか。
私にはそれらは、同一のものに見える。同一のものに対する二つの解釈。あるいは二つの態度か?今を生きるということの極端な事例は詰まるところ動物的な生だと思う。彼らには過去も未来もない。当然、「いま」すらない。ただ、生きている。
しかし、人間はそうもいかないだろう。かといって理性、知性をフル活用して未来予測し生存のための準備に明け暮れると言うのも機械じみていて人間が(意識的に)やるのは厳しい。
我々は理性を働かせ未来予測し、蟻とキリギリスの話で言えばきちんと未来に備える蟻のような側面も必要だし、それにばかり囚われないで今この時を燃やすLIVEみたいな生き方どっちも必要じゃないか。いずれを怠っても後悔や不全感は残るであろうからだ。
________________
ああ、でも、これは常識的平均的なものの見方だ。
この際思っていることを書こう。
まず、「キリギリスにならないように」といった教訓があの寓話からはよく聞かれるのだが、もしもキリギリスがあらゆる未来の困難を覚悟した上で、いまを歌って暮らしていたとしたらどうか。つまり、「俺は覚悟の上でいままで歌って暮らしてきた。冬になって寒くなろうが食料がなくなろうが、蟻に助けなど求めることはせず、最期まで歌って暮らすぜ。それが俺の生き方」と考え死んでいったら。私はそれを立派だと思う。もっともその場の成り行き任せで助けを求めてしまうからこそキリギリスなのだろう。
蟻の気持ちは書かれていなかったと思うが、仮に書かれていたとして、蟻の方も「未来に備えるためにいまを使い、蓄え、自分や家族や一族を生かしていくことこそ俺の義務であり使命だ。たとえいまを燃焼させるようなことなど全くなくとも、"いまを犠牲にした"などとは思うはずもない。その使命に殉じることこそ我が生なのだ」としてキリギリス的な生き方をうらやみもせず悔いなく死んでいくなら、それもまた立派だと思う。
ここに相関性を認めるには材料がなさすぎる。
多くの大衆はCMに踊らされる、というのはなんとなく分かる気はする。
だが、お金のある人は踊らされない?多く消費をする倍率を打ち消して余りある程?本当に?
捨身成仁日記 炎と激情の豆知識ブログ!(http://d.hatena.ne.jp/buyobuyo/)で何回かに分けて書かれている「俺が見たトリアージ論争」のまとめ。現在も続いているので、今のところある分だけ。
俺が見たトリアージ論争 (http://d.hatena.ne.jp/buyobuyo/20080828/p1)
俺が見たトリアージ論争 その2 (http://d.hatena.ne.jp/buyobuyo/20080829/p1)
俺が見たトリアージ論争 その3 (http://d.hatena.ne.jp/buyobuyo/20080830/p1)
俺が見たトリアージ論争 その4 (http://d.hatena.ne.jp/buyobuyo/20080907/p1)
俺が見たトリアージ論争 その5 (http://d.hatena.ne.jp/buyobuyo/20080924/p1)
多少バイアスがあるような気もしますが、それは最初のエントリーにも書かれている通りです。だからd:id:fuku33に対する批判が多くみえてもしょうがないのかな。でも、あらかじめバイアスがあると書いておくのはうまいなと思います。これをなるべく中立の立場からとかすると、少しでも変なところがあると批判を受けてしまいますが、最初から偏りがあると書いておくと何か言われてもその通りですんでしまいます。しかも、あらかじめ告白しておくことで正直だという印象を与えることもできるからです。
なんかもう流れ無視して新規参入する人とか多すぎなので、とりあえず俺が見た論争の流れをまとめとく。俺が見た流れなので、基本的には俺がどう関わったのかという視点が中心となる。この議論の結果から、基本的に俺は福耳先生にはあまり好意を持っていないのでバイアス注意。ちょっと流れ勘違いしているとか、そういうことがあればブクマとか※とかで指摘してもらえればと。
http://anond.hatelabo.jp/20080924153734
当時自分は大学生で一人暮らしをしていたので、詳細な状況はわからないのだけど、
父親名義の借金もたくさんあって、実家の方は大変だったらしい。
母からの電話で父の失踪を知ったときは、目の前が真っ暗になった。
目の前が真っ暗になるって、本当に視覚的に真っ暗になるんだって知った。
実家は大丈夫なのか、実家にいる妹や弟のこと、大学辞めて自分も働いた方がいいか、
結局自分は奨学金もらってバイトも増やして大学を出たし、実家の方も親戚の助けもあってなんとかなった。
けれど、その頃のことを思い出すと今でも涙が出てくる。
実家にはいわゆる借金取りというやつが毎日のように来ていたらしく、
母は弟妹を連れて一時的に母の実家に引っ越していたため、自分もそちらに帰省した。
自分が帰省している間、母方の祖父母からずっと父の悪口を聞かされた。
「あんな男のところに嫁に出すんじゃなかった」
「妻子を置いて一人だけ逃げるなんて最低の男だ」
母から聞いた話ではいつも言っているらしかった。
確かに、父がしたことは褒められたものじゃない。
祖父母からしたら、父は大事な娘を不幸にさせた男だ。悪口のひとつも言いたくなるだろう。
自分も母も、弟も妹も、父がどれだけ頑張っていたか知っている。
1週間家にも帰らず働き詰めたり、たまに帰ってきたとしても明け方ごろの帰宅。
母はうんざりした表情で父の悪口を聞いていた。
弟や妹も毎日聞かされていたんだろう。
自分だって毎日聞かされたら無愛想にもなる。ましてや弟は当時高校生だ。
だから自分は、祖父母と話している間はニコニコ笑っているようにした。
ほんとうはぶん殴ってやりたかったけど、そんなことしたら母や妹弟がもっと嫌な思いをすることになるから。
実の父親の悪口を聞きながら、愛想よくニコニコ笑ってた。今思い出しても最悪な気分になる。
でも、そんなことよりもっと突き刺さった言葉がある。
母に、「お父さんなんて死んじゃえばよかったんだ」って言われたことだ。
帰省したときに面と向かって言われたのか、電話で言われたのか記憶が定かじゃあない。
ただ、おそらく自分だけしかその言葉は聞いてない。
母は一連の出来事でとても疲れていて、自分も兄弟の中でも一番上だったからか、不意にその言葉が出てしまったんだと思う。
父がいつ戻ってきてもいいように家を売らずにローンを払い続けていたり、父を探しに父が学生時代に過ごした土地まで行ってみたり、
それを知ってるから、その言葉が母の本心じゃないなんてことはわかってる。
だから、余計に辛かった。
それだけ母が追い込まれたことを知って、自分も「父さんは死んでくれた方がマシだったんじゃないか」って思ってしまった。
そんなことを思ってしまった自分に、嫌気がさした。
昔、父は言った言葉を思い出した。
「子が親にしてもらったことを全部親に返すなんてどうやったって無理だ。だから親に恩を返そうなんて思わなくていい。
自分が親にしてもらったことを、自分の子供にしてあげられればそれでいいんだ。」
それは、きっとその通りなんだけど。
でも、返さないのと返せないのじゃ全然違うんだ。
もしこれを読んで、自分のことだと思った人がいたら、是非一度家に戻ってみてほしい。みんな待ってるから。
夜の住宅街の中を60キロ超ですっ飛ばす車を見た。
心底羨ましかった。
まず、絶対持っているはずなのが、曲がり角の向こうや横の路地まで全部見通せる透視力。
いや、透視力だけでは不十分だ。
歩行者がちょっとつまずいて道路の真ん中の方によろけたら、引っかけてしまうかもしれない。
そういう可能性を全て見通す予知能力も、併せ持っているのだろう。
10年くらい会ってなかった親父がなんか末期がんなんだと。
いつ死んでもおかしくないんだって。
なんか手術するとは聞いてたけど。なに末期がんって。
最後に会ったのは大学はいる時だったか。
お袋から「あなたの父さんはもう長くないそうです、私の代わりに会ってあげて」みたいなメールがきた。
「あなたにとってはひとりの父親」とか書いてあんの。そんなの知ってるっつの。
今更 何話せってんだよ なんも言葉なんかでねーよ
親父の、その末期な感じの親父の姿なんて想像できねーよ まじで。
んで、なんか俺が喪主とかいってんの。
親父まだ死んでねーから。そんな話できねーから。
親父の事、ほんとはすげー好きだったんだな。
だからさ,未だに勝手に出てったこと許せてねーの。なんで一言言ってくんねーんだよって。
いつか言ってやるとか思ってたけど。でももう聞けねーの。もうなんかモルヒネとかで会話できねんだって。何だそれ。
今から面会に行く。病院ついたら絶対泣かない。
一昔前は、座席指定制じゃないちょっとした規模の映画館の座席予約はできないか、ぴあシネマリザーブシートという前日21時までに予約が必要で2000円かかるシステムしか利用できなかった。
今は事前予約も含めて座席指定できるところが増えてちょっと嬉しい。
座席指定できないところだと、痴漢にあうことがあったんだよね。
上映直前or上映中に隣に移動してきて触られるの。
座席指定制のところに行くようになってからこの手の輩に出会うことがなくなった。
これは本当にありがたい。
前売り券じゃネット予約はできないけど、窓口で予約は当然できる。