はてなキーワード: 立ち位置とは
お前んとこの図書館が貧弱なだけじゃねえの?
ってところに,すべて集約されてる.
図書館がない立場に一回なると,手持ちがなくなった(電子化される前に書いた)自分の別刷りをもらうにもかなりの料金が必要だ.おまけに紙ではないから pdf 化された別刷りを印刷して渡すという行為も難しい.
特に問題は,そういうふうに囲い込んで
規模に応じて大幅な値引き
すなわち,裕福な図書館を持つ研究施設がある研究機関はふんだんに論文が読める.また,(時にはクソみたいな数稼ぎの)論文数はふんだんに出てる研究機関は論文へのアクセスが容易だけど,そういうポジションにいない人間が学会(?)的なところに一石を投じるのはどんどん難しくなる.ということにトップ出版社がくみしてる.ってところが問題だし,科学の発展を著しく阻害してると思うよ.
個人的には,そういうヴォリュームのみ勝負の自称研究者は○ねばいいと思ってるし,元記事のようなむーぶめんとってのが広がればヴォリューム勝負研究者は生きていけなくなるんだろうな(なるんかな?)ってか,図書館側が優位に立っていて,以前よりディスカウント厳しくってひどい話なんだよ,的な立ち位置など,研究者目線じゃなくて,コンテンツビジネス屋さんのもの言いだよね.
光の当たり方と見てる人の立ち位置で同じものが違うように見えるのと同じで
お前の主観と状況によって、お前の正しさは嘘と本当の領域を行ったり来たりする
お前の主観があるかぎり、どこまでいっても自己肯定だし、自己否定だ
お前が欲しいのは、矛盾を解決する手段か
それとも楽でいれる姿勢なのか
お前の矛盾を解決した所で、楽になれるとは限らない
楽でいられる姿勢を確立した所で、矛盾は解決しないかも知れない
理想が高いんだ、人の手には余るほどに
それを許せるか、それとも諦められるか
どんな決着をつけるにしろ、お前はもうバランスを崩している
あくまで与太話と予防線を張っておいて、自重しない日記を書いてみる。
結婚出来ない男にアスペ傾向の男が多いことは、今や殆どの人が多かれ少なかれ気づいていると思う。
すなわち結婚出来ない男の特徴のうち、相手やその場の空気に応じて自分の世界を動的に変えられない融通の利かなさとか、言語を用いる以外のコミュニケーションが困難ないし不可能というのは、アスペの傾向にバッチリ合致するし。
一方、結婚出来ない女の「自分のスペックを省みず、相手にやたら細かい条件や無理な条件を求める」という部分もまた、相手との共感能力に難があり、異常にこだわりが強いアスペであれば十分ありうる話。
独断と偏見を承知で言えば、アスペ傾向の女の女子会()での立ち位置は恐らく相当微妙だろう(しかも知らぬは本人ばかりなりとか)。もしかしたら彼氏が出来ただけで「あの子でも彼氏出来るんだ・・・」と影で言われてたりして。
そして気がついたらメンバーの殆どが結婚し、翻って自分はと言えば、過去に男経験があってもうまく相手と心が通じ合わず、それが自分のコミュ力や社会性に原因があるとは考えず、逆に男が悪いということでどんどん意固地になっていくと思われる。
その成れの果てが、現実を完全に無視した、恐ろしく無意味な条件闘争と考えると、すごく納得出来てしまうのだ。
しかもそんな女が1人や2人じゃなく、わんさといるらしいという現状、潜在的アスペが多いことの証左になりやしないだろうか。
ここまで読んで他人事じゃないと思った人は、AQ(自閉症スペクトラム指数)チェッカーでもやって自己採点してみるといいだろう。
もちろんその結果だけを片手に「あたしアスペだから・・・」などと言うのは、この日記を真に受けるくらい噴飯物なのでやめるべきだが。
じゃあもうアスペ同士で結婚しちゃえよみたいな暴論を言い出す人が出てきそうだが、双方が何らかの工夫や努力をしないことには、多分お互いに「あいつのせいで不幸になった」と罵り合って別れるのがオチだろう。
以上、妄想日記でした。
嫌になってるのに、執着してしまうのは何故か。
好きだったはずの事が嫌いになるのはどうしてなのか。
自己顕示欲が偏って強いと、やりたいけれど、作ること自体はつまらないのかもしれない。
たとえば漫画家に憧れているのに、実際にはあまり漫画を描いたことが無い人は、
その立ち位置に憧れていて、実際の作業には興味がない。
作業には興味がないから、やってみると辛いけれど、
立ち位置に憧れているので、やりたい思いだけは残る。
・思い描いているものと、実際に作れるもののクオリティーがかけ離れている。
加えてネットの評価は残酷で、箸にも棒にも引っかからない事をまざまざと突き付けられる。
作らないとうまくならなくて、悪循環に陥る。
・実はもうずっと前に飽きているんだけれど、
立ち位置への憧れや、今まで積み重ねてきた時間があって、なかなか断ちきれないでいる。
どんなにステーキが好きでも、毎日ステーキばっかり食べてると飽きるらしい。
僕の場合は、大体こんな感じで、諦めにくい状態になっていると思う。
元の文とこの文章を併せて、好きを貫くのは大変っていう話と、
その好きは幻想かもしれないという話が混じって、まとまらずゴチャゴチャになってる気がする。
■能力とはタレントかギフトか、結局そのあたりの価値観の違いだろうね。
タレントだと思えば、能力があるものが己の才覚で財を得るのは正当なことだ。
それに無能者が集るのは激しく苛立たしいことだろう。
逆にギフトだと思えば、自分がその立ち位置を占められたのは運と周囲の環境の力による。
■傾向として言えば、成功者は前者、下層は後者の考えを取りがちだ。
なぜって、人は、「成功は自分の能力のおかげ、失敗は環境のせい」って思いたがる生き物だからさ。
その結果、勝ち組はゲームのチップを独り占めしてそれが当然と思い、負け組は分け前が配られないのを不満に思う。
一般的には、負け組の不満は圧殺され、勝ち組は我が世の春を謳歌する。
でも、失うものがない負け組には、自爆テロを起こしててゲームそのものをひっくり返すという必殺の荒業があるんだな。
全員負けてしまえ、という呪殺が出来るんだ。
たいやきの美味しいあんこの詰まった頭側を食べたら、尻尾は負け組に投げ与えないといけない。
テレビ見てたら右翼・左翼が相変わらず間違った定義で使われていてゲンナリ。右翼or左翼って、正しくは保守or革新のことであって、ソーシャルorリベラルのことじゃない(から左右どちらでもありえる)。保守は名前の通り、古くから続くものを重視する価値観で、既存のものを積極的により良く変えようとするのが革新。社会的な連帯を重視するのがソーシャル、個人の自由を重視するのがリベラル。
更にややこしいことに、この4象限は政治的なものと経済的なもので分かれている。「保守」の立ち位置は各国の歴史によって異なるが、日本の場合、政治的には天皇制支持・親米反共・アンチ人権重視、経済的にはアンチ自由競争 がそれぞれ「保守」。数年前に流行したポリティカルコンパスがクソだったのは、「保守」の立ち位置が歴史に依存することを分かってなかったことと、保守or革新とソーシャルorリベラルをごっちゃにしてたこと。
ということで橋下大阪市長は、政治的にはソーシャル保守、経済的にはリベラル革新(左翼)。タイトルで左翼と書いたのはそういうこと(半分釣り)。日本のいわゆる「左翼」は、政治的にはリベラル革新、経済的にはソーシャル保守で、橋下さんとは見事に正反対。というか時間系列的に、橋下さんがアンチ左翼といったほうが正確か。小泉元首相は、政治的にはリベラル保守、経済的にはリベラル革新かな。
日本の政治のどうしようもなさの主原因は、橋下さんにしても「左翼」側にしても、というか今の日本の政治家の8割方が、政治的と経済的でソーシャル・リベラルが異なってることじゃないかと思ってる。アメリカがまだ健全なのは、ソーシャル・リベラルが重複率がヨーロッパよりは結構低いけど日本よりはずっと高いこと。クルーグマンは両方でソーシャルだし、フリードマンは両方でリベラル、オバマは中道からややソーシャル寄り、マンキューは中道からリベラルより。
※アメリカでも共和党本流(保守派)は政治的ソーシャル・経済的リベラルで、ロムニー以外の候補がマジキチばっかりなのがそのため
ソーシャルとリベラルって、方法論的に根幹で矛盾するから、本気でやろうとするとどちらかに統一せざるを得ないはずなんだよね。もしくは宗教化して矛盾したままゴリ押しするか。アンチ"経済的ソーシャル"な私が小泉元首相は支持しても橋下大阪市長を支持しないのは、橋下さんの本質はソーシャルにある気がするから。小泉元首相は一応中道右派ってことになってるけど、どう見てもアンチソーシャルだからね。
付き合う方法といっておきながらなんだけれど、できるかぎり「その気になったら付き合わなくても良い」状態を作れるようにしておくことは大事。これによって精神の余裕が生まれる。
その上で、付き合わざるを得ないときはプラスの感情が持てるように努力する。
例えばこういうことを意識する
「違うタイプの人間を受け入れる。特にペース。相手には相手のペースがある。それを認めないのは人格を認めないことに近い」
「意識して嫌いな人を褒めること。そして、悪く取らないこと。プラス思考で相手は僕のことを考えているから叱ってくれるんだ、と好意を持つ」
相手に見下されないこと、弱いと思われないこと。
ポイントとしては「相手が高圧的なときは高圧的な態度を取る」と同時に「相手の友好的な態度には友好的な態度で臨む」こと。後者が特に重要。
嫌いだからといってあれこれ構わず条件反射のように噛み付いてもなめられるだけ。
「油断したら手痛い反撃を受ける」「筋道を通してくるから、こちらもそれ相応の態度を取らないと自分がバカということになる」と意識させる。
頑固なだけでなく、柔軟性や協調性も持っている、という点を感じさせることが嫌いな人と仕事をするこつ。
何が目的で目的を達するには何をすべきか、割り切って腹を決め強く行動を起こすべき。
その時、仕事は出世ではなく会社のためであることを打ち出す。みんなのために仕事をしているということを感じさせていく。
嫌われてしまったかな、などといらぬことを考えると行動が相手から奇妙に感じられてくる。
完璧な考え方や行動は存在しないのだから、自分の中で納得できる考え方や、その人との関係に限らない広い視野からの立ち位置を元に割り切って行動すること。
「自分を棚にあげて平気でものを言う人」の一部を適当に要約。この本自体はタイトルは秀逸だと思うが内容はつまらないので読まなくて結構。
結果前に投稿して気持ち悪い人に叩かれるのやだったから結果出た後に書くけどさ。
なんというか、勝負になって無かった。
大阪人の悪いところと言われそうだけれど、基本的に興味のないことにはびた一文払わないからね。
「・・・しない」ために、わざわざ選挙に行くことはない。その時点で終わってた。
ちなみに、マジキチ反対派ってのはあれ多分マスコミの捏造か局所的なクローズアップだと思う。
若い人はもちろんのこと、いわゆるご年配の方々でも、結構冷静に
「うちらには厳しいことになるかもしれんけど、なた入れ必要だよな」と言ってた。
もしかしたら、教育関係の人は本気で何か思ってるのかもしれないけれど、それはちょっと私からはわからない。
大阪全体の話なんて分からない。わたしらの世界は大阪市よりずっと狭いのでね。
というかさ。こんなん大阪出身者だったら分かってるはずなんだよ。
「何とかに対する反対派」という立ち位置では、大阪では絶対に勝てない。
でもみんな、平松さんがもし勝ったとして、どうなるのかって全然分からなかった。
今もさ、なんか偉そうに語ってる奴いるけどさ。大阪知らないで大阪語るって馬鹿じゃねーの?
こういう人達って、橋本が嫌いなだけで、じゃあ大阪のために何が必要で、
平松はそれに対して何をどう考えてたのかって全然言えないわけでしょ?
大阪のことなんかどうでもいいんだろ?大阪人バカにしたいだけだろ?
言ってることは正しいのかもしれんけど、選挙に行ったこと無いんじゃないの?っていうか言ってることも正しくねーし。
どうせ外部者だろ?て感がにじみ出てて苦笑するしか無い。
そうやって嫌いな奴の悪い点を叩いてれば気が済むだけなんだろ?
たださ、悪くなろうが、厳しかろうが「何か言ってる人」「なにか考えてると分かる人」の方が、
「何かに反対して、何考えてるか分からない人」よりはまだましなんだよ。
少なくとも、賛成か、反対か、どっちかの態度は示せるから。平松にはそれもなかったんだよ。
だから選ばなかっただけ。 結果は受け入れるよ。別にお前らに愚痴言ったりしねーよ。勝手に哀れんでんじゃねーよ。
にしてもロジックマスター(笑)という人の記事が最もバカげてましたね。図抜けてロジックがバカ。
http://d.hatena.ne.jp/logic_master/20111127/1322406966
批判を見るに、彼の頭の中では府政における財政は知事一人の責任で決まるんだ-へー。
なんで橋本さんが市長選に進出したかの理由付けはこの人の頭ののなかでどうなってんの?
それで、橋本の独裁が成立したので悲しみの涙を流すってどういうこと?バカじゃねーの?もう一回言うよ、馬鹿じゃねーの?
大事な事だから三回目言うよ。 ロジックマスター(笑)、お前、バカじゃねーの?
すくなくともさ、こういう賢らな記事を書く人は、平松について何を知ってるのかについて語れよ。
部外者だからって自分の興味の良いところだけつまみ食いして偉そうに語ってるばかは死ねよ。
どうせ福島のボランティアにだっていかずに、東電叩きばっかりしてんだろ。
ボランティアに行くのが正しいとは言わんけど、福島の人たちの助けになることなんかやったか?やってないだろ?
生活保護に関してだって、どうせお前らのようなクズは、極端な例が出てきたときにはしゃぐだけで、何も知らないんだろ?
お前ら本当にいいよな。仙人みたいに現実を弄ぶだけで楽しそうに生きられて。 霞を喉につまらせて死ね。
バカよりも無責任な外部者のほうがたち悪いと思うんよ。ホンマ。
前々から不思議に思っていたことがあって、それに対する自分なりの答えが出た気がするので書いてみる。
「これだけは誰にも負けないぞ、というものを自分の中に作れ。それが自信になり、お前を支えてくれるだろう」
「なんでもいい、自分だけの武器を持て。それをとことん伸ばせば将来直面する困難にも打ち勝つことができるんだ」
とかいう訓示をたれてくることがあった。
多分これを読んでる人たちも、ホームルームだの卒業式だので一回ぐらいはそんなこと言われたことがあるんじゃないかと思う(なかったらごめん)。
俺はというと、それはもう何度も何度も聞いてきた。
細かい表現は違うけど、人生の後輩へのメッセージなんて場になると、なぜかみんな上に書いたようなこと言うんだよ。
で、一緒に聞いている同級生も同級生で、うんうん、て頷いてたりして分かったような顔をしてたりする。
あれがさ、俺物凄く不思議だったんだよ。
その「誰にも負けないぞ」っていう特技とか、「自分だけの武器」とかいうもの、皆本当にあるの?誰にでも見つかるの?
俺さ、そういうの一切ないんだよ。全く思いつかないんだよ。
学校の勉強はわりと真面目にやってきたほうだから、ぶっちゃけ平均より上だと思うが、それでも自分より頭のキレる奴なんて山ほどいるし、
運動も走りはまあまあ速いけどそこまでじゃないし、球技全般下手糞だし、筋力だって十人並みだと思う。
ルックスだってこれと言った特徴のない薄い顔面、しゃべりだって特に人を笑わせるのが得意なわけでもないし、人見知りだから交友関係も広くない。
知識や経験の量もごく普通、手先は基本的に不器用、お酒はどちらかというと弱い、チンコだって特にでかくない。
もう、さっぱり自分の中に飛び抜けた特徴とか特技とかが見当たらないんだよ。
そんな疑問を抱きながらもまあ大学院まで出て、なんだかんだで一応希望の職種に就くことができた。
ただ、そこでも仕事に役立つスキルとかも覚えるものの、そんなのは同業者が大体やってることだから、自分だけの武器には当然ならない。
周りを見渡したら見渡したで、自分より遥かに技術や知識が豊富な人がわんさかいる。
コミュニケーション能力を生かしてあちこちから良い仕事を取ってくる同僚もいるし。かたや俺は相変わらずの人見知りで世界もあんまり広がらない。
要するに、社会人になったというのに未だに「誰にも負けないぞ」というものも見つからないし、「自分だけの武器」も持てていない。
もし先生や先輩の言うとおりだとしたら、俺はこのままじゃやってけないわけだよ。
自分の今持ってるのはこれだ、っていうのが特にないから、自分がいる立ち位置がそもそもあやふやなんだよね。
今にもがらがらと崩れ落ちそうで、そうでなくても他人に足元をすくわれそうな、そんな危ないところに立っている。そんなイメージ。
とにかく自信がなくて、劣等感ばかりあって、毎日いろいろと不安で。
先生や先輩は武器があって成功できていいよな。俺はそんなのない平凡な人間なんだよ。そういう奴の気持ちなんかきっと分かんないんだろうな。
そんなふうに心のなかでくさったりもした。
立ち位置があやふや、自信の源になるような礎がない。
そんな状態に自分があると認識してるからこそ、俺は今の仕事に必死になれてるのかなって。
何だかんだ言っても、俺はやりたかった職業に就けているわけだし、この仕事が好きで、辞めたくないと思っている。
そして今自分は決定的な武器を持っていないから、心の拠り所がない。頼れるものがない。
かと言ってぼんやりしていたらぽろっと脱落しそうだから、今の位置に留まるためにはがむしゃらになるしかない。
自分には何もないからこそ、これを続けるためには、他の奴に負けないためには、もう死に物狂いでやる必要があるんだ。
今思うと、学生の頃からこれまでも、わりとそんな気持ちでやってきてた気がするんだ。意識してなかっただけで。
その気持ちのおかげで今こうしてちゃんと働けてるんだと、ようやく気がついた。
きっと、何か安心して頼れる独自の武器みたいなものを持っていたら、ここまで頑張れていたかどうか分からないな、とさえ思う。
ああ、俺はこういう戦い方なんだな、ってすとんと腑に落ちた。
まあ、そこに思い当たったからといって、急に今までできなかったことができるようになるわけでもないし、
仕事を続けられる自信を取り戻せたわけでもないんだが、劣等感に打ちのめされ続けた自分の精神が、ちょっとは楽になれた。
自分が不安定な足場にいることを嘆くより、その事実をまんま受け入れて機動力に変えていきゃいいんだ、って思えるようになった。
それからはもう、上のようにくさったりはしてない。
俺が誰かの先生になったり、後輩にアドバイスするような機会があったりしたら、こう言おうと思っているんだ。
誰にも負けない特技や自分だけの武器を見つけたなら、それを伸ばせばいい。
でも、そういったものを持っていないからといって、落ち込んだり無理して作ろうとしたりすることはない。
そういう奴にはそういう奴なりの戦い方がちゃーんとあるんだ、って。
志を持ちたい、なんてどこにも書いてなかったし、やはり、あなたは他人の評価とか漠然とした幸せとか世間の流れの中で何を信じたらいいのかわからないまま人に言われるがまま自分の立ち位置を計って右往左往しているだけのように見えます。
それもおそらく、あなたが自分で言っているように何をしていいかわからないから、よく分からない幸せ像を追っかけての行動なんでしょう。
あなたの聞きたかったアドバイスなんて私は知りませんし、私はただあの文面に対して、世間一般の価値観に縛られただけの中身が無い人生だなあ、と感想を漏らしただけで。
あなたが言う文面の理解なんてものも、良かったら教えてくださいよ。どんな内容ですか?どういう答えをあなたが求めていたのかも面白いですね。
私はトラックバックもブクマも何も読んでないので、貼ってくれたら助かります。
むしろ結婚に有利なのは料理とかやりくり等の女磨き(?)だと思って、其れをしてきたんですけど、
それが「お前何も出来てない」みたいに元彼に言われたので、ああ教養も必要なんですね、私何もわかってなかったです、的外れでした、貴方にだけ就職しろしろ言ってごめんなさいね。私何もしてないのにね。と思ったんです。
で、教養をどうやって身に付けよう、周りの尊敬する人を見てみよう、ああみんな高学歴や、勉強したら何であの人達輝いてるんか(志持ってるんか)わかるかも、と思って模索してるんです。
資格や大学、勉強が結婚や就職に有利っていう話は、実務的な面で言っているのではなくて、相手を探す上で有利なステージに上がれるという意味です。
だって、あなたは年収と肩書きと学歴と教養がある人と結婚したいんでしょう?でも、そんな人に今の自分は相手にされないから、そのステージに上がりたい。そういう意味で勉強や貯金をしてたのかと思ってました。有利というより最低条件でしょうか。
仕事に関しては、確かに就職した事がない人間が、他人に対しては自分が知りもしない就職をしろしろ言うのはおかしいですね。そんなに人に言うなら自分ですればいいじゃんって、誰でも思います。自分がやりもしない出来もしない知りもしない事を他人に強いるのは最低ですよね。自分を棚にあげて、まさにおまえが言うな、です。でも、就職自体にはなんの価値も無いと思いますから「就職したことないくせに偉そうなこと言うな」っていう言い草はバカみたいだと思います。就職したぐらいで偉そうな事言うなと思います。
あと、就職と教養も対極にありますよ。日本企業のほとんどの就職は、大学教育を活かす場ではありませんから。
教養教養っておっしゃるけど、あなたは教養を何だとお考えですか。少なくともファッションではないですし、より良い相手と知り合うための道具でもありません。
私は教養とは、何かの分野で世の中を良くしたいと思う時に前提として最低限知っておきたいこと、身に着けておきたいこと、だと思います。教養ってのはあくまで基礎であって、土台でしかありません。
例えば、私は経済学部でしたが、学部生ならアダムスミスの国富論を読んだ事無い人はモグリだと言われました。ほかに学部生なら大抵誰でもマックスウェーバーやケインズは読みますし、社会学やる人はデュルケーム読まない人はいないと思いますし、政治思想を学ぶならバークを読むとか、勉強する上ではそういった古典の理論や仮説を知っている事、それが用いられてきた、解明されてきた、覆されてきた歴史を知っている事、それらについて知っているだけでなく自分の意見を持っている事、が前提になります。勉強しない大学生はいくらでもいますけど、そんな人たちでさえそれぞれの概要ぐらいは知ってました。でないと単位も取れないしゼミも選べないし卒論なんて書けないから。
教養とは、今を考える上で、過去の人類の歴史と教訓であり遺産だと考えます。
あなたはただ高学歴の人がカッコ良くて真似がしたくて教養を得たいようですが、 確かにそれも入り口としては大切な事かもしれません。否定はしません。でも本当は教養なんて物事を考える上での土台でしかなく、手段にすらなりません。ましてやそれ自体が目的だなんて。どうかその域を脱して、どうぞあなたに見合った学問なり芸能なり文化が見つかり、教養が土台となる事を祈るばかりです。あなたは一般教養のことをおっしゃってるかもしれませんが、専門的か一般的かの違いで基本的には同じです。ただの基礎です。自己啓発本で教養は得られませんよ。
「こんなのは自分のいる場所じゃない」「自分はここにいてはいけない」等と思う場合も同様。そういう思いで鬱屈してしまった人間に対して安全に効くのが自分の立ち位置を自分で再確認できるまでの状態に持って行って納得させることor納得できないなら納得できないと思う自分がいると認識させること。
別のルートもあって「あなたの立ち位置を用意しました」とドヤ顔で持ってくる連中もいる。典型的な例でいったらマルチ、悪徳新興宗教ビジネス。すこしおとなし目になると、エンタメ業界。ファンタスティックの語源は宗教的熱狂。能動的にやってくるか、受動的に促すか。
外に求めない場合は、内側に孤独が巣食う。そうすると何らかの依存に走る。アルコール、ギャンブル、恋愛、自己啓発。いっぱいあるよ!清潔や仕事、人間関係に憑りつかれるのもメジャーだね!
ちなみに不安によって社会性が脅かされたりする重度の人間は病気と名付けられるけど、人間すべておんなじです。少しでも揺れたら不安。でもリカバーもする。誰かにメールするという小さいのから夢を信じて追うという大きめのものまで。誰かのために生きるっていうのも強力。どの程度の不安をどの方法でリカバーするかの違い。不安を感じないようにすることなんてできない。メンタルなんか補強はできない。どう対処するかだけ。
トリアージの問題だよ。
一定以上の能力をもった人が全力で、ようやく生きていけるレベルの社会で、足手まといを養うことで社会が崩壊しかねない場合、泣く泣く「切る」ことはあるだろう。神ならぬ不完全な人間には、他の人間の価値を決めることなんてできはしないけれど、完全ではないからこそ、相手を殺さねば自分が死ぬ状況で相手を殺した人間を裁くこともまたできない。誰もそれが罪であるとは言えない。あんたのばあちゃんは、そういう社会の業を背負った職分を果たしていたわけで、それはとても尊いことだ。
だが、それはトリアージの問題だ。ばあちゃんの時代には、それは一定の正しさをもっていた。だが、そのばあちゃんの意見が、いついかなるとき、いかなる社会条件の下でも正しいわけではない。あんたはそこが全く分かってない。
すくなくとも、あんたのような未熟な物の考え方しかできない人間が、万人相手に考えをはき出せるような結構な世の中で、足手まといを養う余裕が「ない」とは言わせない。今の日本でぬくぬく暮らしながら「知的障害者は死んだほうがいい」なんて台詞を言うのは…つまり、自分の便利で結構な暮らしのためなら人間が死ぬくらい屁でもないなどと口走るのは、絶望的な想像力の欠如と身勝手さと希薄な現実感に基づくガキの脳味噌の持ち主だ。
ばあちゃんが崇高な仕事に携わった職人とすれば、あんたはその恩恵の下でぬくぬく生きてるだけの単なる甘ったれの馬鹿ガキだ。どうしてばあちゃんがそういう仕事をしてたかも想像できず、ばあちゃんらがそういう仕事をせざるを得なかった当時の社会状況も想像できず、そんな不幸をなくそうと努力してきた結果今の社会を作り上げた大量の人たちの苦労を一顧だにしないで平気で戯れ言を言う。あんたはそういうごろつきの役立たずだ。あんたはあんたのばあちゃんが喜んでそんなことしてたと思ってるのか?あんたはあんたのばあちゃんのことも、ばあちゃんと同じ仕事をしてた沢山の人たちのことも愚弄してる。百歩譲って、致命的に無知蒙昧な暗愚下郎だ。
少しは傷ついたか?
なら、あんたの意見がもっと多くの人間を傷つけていることについても、考えを巡らせてみるべき。
「足手まとい」なんか殺しちまえ、というあんたは、多分「犯罪者」についても同じような意見を吐くだろう。だが、あなたの考えは現在の社会全体にとって充分「犯罪的」である…(今の社会がそんな風にできていないことは、あんたは充分承知だろう。あんなエントリを書くくらいだから。)
…ならば、あんたはあんたの主義に則って、自分を「始末」するのかね?
つうか、Amazon kindle上陸の話な。
電子出版で、Amazonの取り分が55%もあるので論外だとかなんとか。
匿名としてリークさせてる記事があったり、何でそんなことになってるか、なんで出版社はそれが正しいと思ってるか、
(あくまでも友人が出版社につとめていてその話を聞いた中から)説明しようと思う。
迷惑かからない範囲でぼかすし、全ての出版社がそうではないし、危機感を持ってる若手は多いというのも念頭においといて欲しい。
まず、出版の経路から。7割を占めるのが一般書店だ。(残りはコンビニとかね)
それぞれの役割を簡単に振り返っておこう。
出版と取り次ぎだけ補足しておこう。
出版社は、紙に印刷するダケじゃなくて、編集して校正して割付して校了してと、色々調整してくれたり売り込んでくれたりと本当に色々やってる。なので高給取り。
取次が何であるかというと、出版大手5社で3割を占めるとは言っても、細々した出版社が数千社ある。数万ある本屋といちいちやりとりしてらんないので間に挟む。
で、Amazonの55%ってのが一人歩きしても変なので、まず今までの金の取り分を見ておこう。
さ、コレを見てAppleの30%が取りすぎだ!とか言ってた人は少し考えてみよう。
書店や出版社の人がパーセンテージに関してあまり触れないのは、当然この割合が念頭にあるからだ。
小売りや飲食店など、商売をした人ならわかる通り、経路が存在すれば当然その人たちに払うお金がある。
本屋は当然ボランティアじゃない。売ったらお金をもらえるからやっとるわけだ。
1500円の本を売れば、330円が本屋の儲けになるわけだ。取次は120円、著者は150円、出版社が900円。
(実際には金融と揶揄されるぐらいややこしくて酷い事になってるけど、まずは割合で)
よく、取次だとか印刷をすっとばせるから電子書籍は安くできるはずだ!と言われている。
出版社の6割の取り分のうち、紙への印刷が大部分を占めてれば確かにそうだ。でもそうじゃないことが多い。
また取次も8%なので、そんなに減らない。
具体的に1500円の本で考えてみよう。
どうだろう、安いだろうか?高いだろうか?
ただ(出版社は最後まで印刷にかかる経費の割合を出さないだろうけども)印刷諸経費は20%〜30%ってとこだろう。
電子出版なら、出版社の取り分は、さらに削ろうと思ったら削れる。
紙の本より安く売る、55%が取り分だ、かなり豪快に見える。
出版社の取り分が45%になるわけだ。
(希望小売価格から55%を引いた額となっているのは、Amazonが100円セールで売って45円払うわけじゃないよ、と言ってるのだろう)
ここで、日本で受け入れられるであろう電子書籍の希望小売価格を考えてみよう。
紙の新書1500円を電子版1000円で売るのなら、まあ納得してもらえるだろう。
1000円なら、Amazonが550円(55%)、出版社が450円(45%)となる。
ただし、出版社は著者に印税を払うから、450-150=300円(30%)の取り分になる。
ここで「あれ?印刷費は2〜3割を占めてたんだから妥当じゃない?」と思ってはいけない。元々1500円の本だったハズなのだ。
つまり、900円(1500円の60%)のうち、印刷製本が半分を占めていたとしても450円(1500円の30%)が出版社の取り分だった。
これが、300円(1000円の30%、1500円なら20%!)になってしまう。出版社は、努力しなければ達成できない数字だ。
まとめよう。
Amazonは、取次8%+書店22%+印刷25%=55%を寄越せと言ってきている。
これはまあまあ妥当な金額だ。(判型を合わせる手間で5%ってのもまあ妥当)
問題は、電子書籍は安いはずだという圧力から「希望小売価格」を下げざるを得ないことだ。
すると、割合は妥当でも、金額で一冊あたりの儲けが減る。これが難しい。
しかし、自分の出版社だけがkindleから出ないのは怖い。だから、牽制し合う。
(これに小売りである書店との関係だとか、自前の電子書店だとかが絡むと、とてもややこしい)
流石にアマゾン、日本の出版社が飲めなくもないギリギリの金額で攻めてきている。
出版社はイヤなので、55%だとか60%がすごく大きい金額だと思って欲しい。
さらに、電子書籍だからって安くならないよ、とアピールしたい。
それが今Amazon Kindleを巡る出版社の立ち位置になる。
http://ascii.jp/elem/000/000/643/643497/index-2.html
↓はその通りだと思う。
このような日本の新陳代謝とグローバル化の遅れの背景には、日本企業の組織特性がある。日本の製造業が戦後、高度成長したときは、欧米の技術をまねて、低賃金で生産することができた。
「首相の決断」により郵政民営化も、原発の上からヘリで水を撒く事も出来た。首相レベルの決定権は今も強大なものが有ると思う。
官僚が優秀であるとはいえ、ここを縦横無尽に使いこなせるような立場にある政治家など近頃では皆無に見えてしまう。
誤解を恐れずに言えば、なぜ決定権を持つ人間が決定できなくなってしまっているのかというのが、
現状の「女性の風潮」に逆らえない
婚活に勝ち残らなければならず、
村のようなコミュニティは破壊されたので一人で子育てせざるを得ず、
旦那の給料を【未来永劫として確固としたもの】に仕上げさせなければならないプレッシャーが有り、
ご近所様からも【ちょっと上の立ち位置を築かなければならぬ】プレッシャーすら有る中で、
まだ高度経済成長期に築かれた【幻想・成功神話】を再び旦那に具現してもらわなければ困るのであり、
ゆえに日本社会的に【挑戦】してもらっては困る世界が出来上がる。
(近所やら知り合いに偉そうに出来なくなるから)
「寝た子を起こさない」発想から「協力」というコミュニケーションとして高い次元へ進まなければ
今、勝ち組でも10年後に負け組と同一の立場に置かれてしまうかもしれないという算段を持って今後の方向を検討出来る場が欲しいと思う今日この頃でした。
なんとなくTwitter使ってて思ったのでメモがてら。メンヘラってまあ最近定義が多様化してきたような気もするがとりあえず慣例的に使われるなんかアレな女性だけでなく、性別問わずで単に自意識が異常に拡大したタイプも含むってことで。
・投稿数が多い。
基本かまってちゃんなので投稿数が多い。勿論これはリプライ先があるわけではなく、基本独白。
まあ典型的な双極性(躁鬱)ということで。特に欝が強くなったときは基本的には周りは注意くらいはすべきだろうね。
・発言が自身の周囲半径数メートルに留まる
ここで言っている半径云々は勿論物の喩えなのであって、要するに自分の周り、自分友人家族とかだけの話題に留まっているということ。これだけなら特に問題はないんだが、上記特性みたいなのと合わさると、日常的に流れるニュースから自分の立ち位置と社会の位相を比較して自身の心の平衡を保てなかったりするので。要するに注意が自分とそれ+アルファになってる可能性が高いから自意識過剰の傾向が高いということ。
・発言が何も言っていない
抽象的な言葉を駆使しながら基本的にはつまるところ何も言っていないパターン。何かを分析した上で他者にとって有益な結論を共有しようとするのではなくて、ようするに周りからの承認だとかコミュニケーションを求めてるっていうことが読み取れる。
これは含めるか悩んだけど一応。双極と同じで、基本的にこれが見られると自分の容姿にはコンプレックスが少なくてナルシスト傾向。つまりやはり自意識は過剰な傾向にある。よく最近女子大生とか女子高生とかにいるプリクラ貼ったりするのはまあピアプレッシャのー影響もあるので別の話かなとは思うけど。
もちろんTwitterに限らず他のサービス自体にも言えることではある。もっと言うとリアルでのコミュニケーションにも視えるかもしれない。けど個人的にはリアルでは割と意識して抑圧してしまって普通に振舞ってるっていうパターンも見受けられる。(普段明るいのに、ネットだと欝発言ばっかりみたいな人いるでしょ?)なので独白がそのまま記述されるTwitterてのは実は判定に割と有効なのかもしれないかなあと思った。
以上ざっと書いたけど参考まで。まあこれが分かったら何なの的な話なんだが、基本的にそういった人格にちょっと問題ある人ってのは少なくともリスク要因ではあるわけだから自分自身のためにも、またその人のためにもそいつがそういう傾向をもっているってのは知っておいて、また周りと認識を共有しておくべきだ、というのが自分の意見なんだ。(上にも書いたが鬱気味の時とかは、病気と同じなのだから多少なりケアが必要)最近某掲示板周りから存在の周知は進んでも病気としての認知が置き去りにされている気がしてたんだ。やっぱりこんな世の中だからこそ病気としての理解は必要なんじゃないかな、もちろん甘やかしも禁物なんだろうけど。
昔の終身雇用制度は、その責任のほとんどを会社が担保していた。
就職すれば定年まで働きあげることが出来、年齢に伴い賃金が上昇する。
会社を辞める時には退職金が出され、さらに会社も多くを負担する年金制度があった。
その世の中では社員の首を切ることは、社会保障を失うに等しいので、当然のように規制がかかることになる。
その世の中で、画家や音楽家などを目指すと言うのは、社会保障の一部を自らの意志で捨てる事になるので、
「自己責任」が問われるのも致し方ない。
障碍を抱えたりすると、この日本的社会保障から外されてしまうため、当時の日本では「障碍者枠」などを会社に設けるように求め、
この時期の社会主義に近い日本を、良い時代と思うか暗黒時代と思うかは、立ち位置によって異なるだろう。
時は移って、いま日本は過渡期にある。
日本的社会保障制度であった、終身雇用は失われつつあり、実力主義での雇用が労使ともに推奨されている。
雇用については会社が保証するのではなく、個人がその実力で担保するように変わっているし、雇用の流動性を謳ったところで、
雇用に足る能力がなければ「働きたくても仕事がない」状態になる。
本来であれば、これらの人が従事すべきであった単純労働も、技術革新や海外の低賃金労働力などにより、どんどん失われていっている。
さて、ではこれらを改善するのに「自己責任(雇用に足る能力)」を問わないとすると、これはもう「能力に応じた雇用を社会が必ず用意する」か
「労働無くしても生活を保障する」よりない。
結果として社会の生産効率が上昇すればするほど、「雇用に対して能力の足りない人」は増えることになり、格差が広がっていくことになる。
「働きたくても働けない無能」が増えるのだから、「納税の義務」も一部で機能しなくなる。
で、だ。
「働きたくても働けない無能」とか「多動性障害などにより社会の枠にはまれない人」に自己責任が低い(社会の排他性が高い)として、だからどうだと言うんだろ。
時代が変われば申請の敷居が下がっても良いとは思うが、財源は無限じゃない。
現在で200万人。
これが、1000万人になったとして、それを養う生産性をどこで担保するのか、また養っていく人の同意をどこで取るのか。
http://anond.hatelabo.jp/20110921091821
オバサンって「失った人」ってことでしょ。
体力が落ちてきてかつてできたような無茶はやれない、筋肉が衰えて脂肪がつくからかつて着れたような服が合わない。
新しい世代、新しい文化、新しい潮流がどんどん出てくるけど、その渦中に居ない自分、渦中にいたけりゃ乗り込んでいかなきゃならない自分として発見されるのが「オバサン」でしょ。
対処としては「渦中外の自分」に慣れてその立ち位置を受け入れること、自分がどういう風に自分以外と接する(接したい)のか把握しておくこと、そのために欲望は整理してコントロール可能なものにしておくことくらいしか思いつかない。
でも無理だよ。個人差が大きすぎて消費「スタイル」に落とし込みようがないでしょそんなの。
雑誌、特に女性向けファッション誌なんて基本的に何かの渦中に巻き込んでとにかく商品に接させてそこで生じた欲望を使って人を振りまわすためのツールでしょ?
どう考えても「オバサン」スタイル構築して文化として根付かせるよりも、オバサン敵視して反オバサンに人を走らせる方に向いてるよ。
話がずれるけど、事前にちょっとずつ欲望を整理するのに失敗したタイプの高齢女子が、己の「オバサン」化に直面したその時には覚悟するくらいしかテがないという事実がこわい。
ある意味不治の病と似てる。心安らかにガン患者になれるやつなんてどんだけいるんだ?
つうか、そもそもそういう覚悟を煽る雑誌なんて原理的に作れないんじゃね?
煽られた覚悟なんて脆すぎて覚悟にならんわ。恐慌とか強迫観念の類の域を出られない希ガス。
そういや文学とかでオバサン化に関してはちょっと前からいろいろ試みてるようだけど、それでも現実に対して周回遅れの感はあるよね。