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2012-02-11

上司の話

会社製造業

うちの部署は会社の売り上げの7割を占める重要製品を作ってる。

売り上げも最大の部署であり、人員数も最大の部署。

うちのトラブル会社全体の売り上げを左右するわけで、上司しょっちゅう呼び出しをくらって、だいぶやられてかえってくる。

口には一言もださないが、いつもやられてる感が漂ってる。

そう、上司はとても無口。

会社で発する肉声のうちの、約半分がため息だと思う。

その上司学歴は部署内で頭ひとつ飛び出てる。

出世頭といっていい。

あの若さでこのポストは、会社の中では珍しい。

いっけん無愛想そうに見えるが、とても腰がひけた人で、入ったばかりの派遣さんに席を奪われていると(しょっちゅう会議で呼ばれているので席が空いていることが多い)、席に戻れず部屋の隅っこで資料をファイルに閉じたりコピーをとったりしてしてる。

俺の仕事の進みが悪い時に、その上司からメールがきて内心じゃ

「やべっ怒られる。でも遅れてるのは俺のせいじゃないんだぜ~勘弁してくれよ…」

と思って開いてみると

「上手くいかない事ばかりで大変でしょうけど、頑張ってください」

(´;ω;`)ブワッ

休日動物園水族館に行くのが好きなようだ。

なんでも、今のポストにいるのは、前のトップだった人間従順で丸投げしやすいからという理由で開発から彼を引っこ抜いてきたらしい。

そんなリーダー大丈夫かその部署?

とお読みの皆さんは思うかもしれない。

でもね、愛されてるんだな。

みんな喜んで従うんだわ。

ポスト上無理だが)本当は現場で組立作業をしてたりするほうが好きということは皆に知れ渡っているので、現場から好かれてる。

若くてそうとう出世してしまっているが、誠実で真面目な態度は年配からも嫌われていない。

そんで、普段あんなにクールなのに、酒を飲ませると誰より弾けるのが愛される秘密だ。

あんなに無口なのに、ため息くらいしか言葉を発さないのに、KARAを踊りだしたりするんですよ?

最高っすよ。

2012-02-07

プロレスには台本があるんですっていうのは まぁセーフだけど

台本コピーして ネットにアップしたら アウト。

程度ってものはあるわな。

2012-01-26

ソフトウェア開発プロジェクト一定規模以上)がトラブルが起こって

ソフトウェア開発プロジェクト一定規模以上)がトラブルが起こって納期までに終わりそうにない、赤字が出てでも終わらせないと困る時の別解

色々な方法があるんだけど、その中でもなぜかこういう方法をとるところが案外少ないように思われるので…。この方法はもちろん万能じゃないので、「こんな欠点がある」って突っ込みはいっぱいあるでしょうが、「いついかなる時でも使えない」話ではないレベルです。

・増員する、ただし、雑用係専用部隊を大幅に。

→業務メインをやる人が増えるとコミュニケーションコストが増大してかえって遅延する現象は散見されますので、そういうコストが相対的に起きにくい仕事になるべく人を投入するという発想です。

 ただ、これは、「低時給バイトさん」「事務職」ではだめです(チームの中にそういう人を入れるのはい場合も多々ありますが、「低時給バイトさん」「事務職」ばかりを多数入れてもソフトウェア開発では大抵困ります。つまりPG/SEレベルの、ソフトウェア開発の一般常識のある単価の高い人を敢えて雑用や事務に投入するんです。これの一つのデメリットSE/PGにそんな仕事をさせるとモチベーションが下がって当然なので、長期には向きません。プロジェクトが長いなら少しずつメンバーを入れ替えながらがベターかと。

例)「このデータ加工しといて」と振ってExcelベース関数とかVBAは使えてよ)なりスクリプト言語なりで加工する人

例)コピーを頼まれたらそれに徹する人 …ここだけ見ると単価高い人をそんな仕事に、と思うかもしれませんが、変にチームに投入して遅延を拡大させるのとどっちがいいんですかって話ですよ。

 議事メモではなく議事録が必要なら、録音してテープ起こしするのの草稿を別の人がやる(ここ例えメインの仕事に入ってなくともSE/PGかどうかで品質が随分違う。もっというと、草稿の草稿は音声認識ソフトやらせる手もある 録音レベルが悪いときついけど)…これは普通プロジェクトでやってもまずコスト的に割が合わないでしょう。あくまでここに書いているのはすべて「赤字が出てでも早く終わらせる」みたいな特殊な状況なのでやってみるといい場合があるんじゃないの、というお話です。

例)必ずしも雑用ではないが、特にキーマンには秘書をつけてしまえ。その人のスケジュール管理から色々とね。秘書検定もってるエンジニアかいたら最高ですが(どんだけおるんや) この人に用事があるんだけど今取り込み中…みたいな時って用事がすんでからタイムリーにってなかなかいかないんですよね。秘書がいたらなんとかできませんかね?

人を横断して作業効率化を図れる書類の自動化とか可能なら専任作ってExcel VBAでもスクリプト言語でもなんでもいいので作ってしまえ。

・アメニティの充実を図る。

 機材のせいでボトルネックになってませんか?PCの性能は大丈夫ですか?ディスプレイは大きいですか?プリンタコピー機の数は足りてますか?プリンタコピー機の速度は十分ですか?カラー印刷出来ますか?ファイル共有サーバが遅かったりしませんか? ※PCを変更すると環境移行コストはかかりますが、一時的なものです。

 事務専門でも出来る所では「コピー用紙がなくなってから補充までにタイムラグとかないですよね」とか

 ドリンク飲み放題でもいいじゃないですか

 ポットに沸かしたお湯が空っぽとかないですよね? …まぁこれはエンジニアじゃない人に任せてもいい領域。

 ホワイトボードに書いたもの電子データPCに送れるとかいまどき常識ですよね?丁寧に書いてあったらOCRも可能ですよね?

 経費で、高いのでいいかうまい弁当オフィス配達してしまえ ※税金の問題等色々あるし、自分で選んだり外食に行く方が効率上がる人もいるので全員ってわけにはいかないんですけど。希望者だけでも。

赤字覚悟で増員してるのに、人を増やしたけど「予算がないかPCにいいのが調達できなくって」って話は実在するようですが、何かおかしくないですか?

1人月60万とか100万とか何人も入れるのに。会計上の問題とか壁があるので表面的な金額では決められないんですけど、でもおかしくないですか?

あ、上記のようなことを実際にやって酷い目にあったエピソードがあったら教えてください。「うまくいかない場面」なんて当然いくらでもあると思うので。

2012-01-18

[]失業ほど根源的な反抗は無い。偉い人にはそれがわからんのです

http://twilog.org/tako_ashi

尾崎豊カブれていたのは同時代でも十分にイタい人たちで、とてもじゃないけど朝日新聞入社するタイプじゃなかった」ということを

当時を知らない新成人のみなさんにお知らせしておきます

覚醒剤オーバードーズで死んだ歌手を持ち上げて、若者に怒りと反抗を促す社説って、ただただグロテスクだよ。

同じ事言ってるのが貧乏ロケローラーなら半分ぐらいは耳を傾けてさしあげるけど、新聞屋さんには言われたくないっス。

あの文章にアジテートされて、若い連中が本当に怒り出したのだとすると、真っ先に火あぶりにされるのは社説子さんだと思うのだが。

若者に対して「怒れ」と言う人たちは、自分が怒りの対象になることをまったく意識していないわけだよね。



「オレたちが学生だった時は権力が見えていた」「君たちには闘う相手が見えていない」って、20代半ばの頃、四谷飲み屋で言われたことがある。

言ったのは日立製作所の人事部のオヤジ

温厚なオレもさすがに靴の中で足の指を縮めた。

その時のことを今朝の社説を見て思い出した。

まあ、20代半ばのアマチュアロックバンド座付き作詞家の半失業者に向かって、

一部上場企業正社員が「反抗しろよ」とか言ってたわけですからね。

オヤジ居酒屋若者論にもマトモなお話が無いわけじゃない。

ただ、武勇伝要素横溢だったり、自分語りの垂れ流しだったりするのはダメ今日社説はモロにそれだった。

「で、あんたはい辞表を叩きつけるんだ?」と問い返さないでいるのが困難。

失業ほど根源的な反抗は無い。あの人たちにはそこのところがわからないんですよ

何よりひどいのは最後の「ともあれ、おめでとう」の一文だと思う。「ともあれ」はひどい。範囲を限定した祝福は一種の呪い

ともあれおめでとうとか言われたから、とりあえず黙れって言っといた。ともあれ〆切が迫っている。ともあれやる気がしない。

ヤングジェネレーションに向けたオールメディアからのフェアウェルだったというふうに解釈すればオレのこの気持ちの悪さもクリアされるわけだな。

(※婉曲な表現を実現するため、カタカナを多用しています。ご了承ください。)






ところで、「天声人語書き写しノート」という商品が発売されていますhttp://t.co/HxPT5LFT

店頭で見た時、心底から驚愕しました。写経ですか? 自己肥大もここまで来るともう笑うしかありませんよ。

朝日新聞の1面に毎日掲載されている「天声人語」を、知らない漢字言葉辞書で調べながら書き写し、文章の構成力やリズムを身につけませんか? 毎日続けると、世の中のいろいろな出来事がわかります。》だそうです。うわあぁぁぁ(絶叫)

朝日新聞の1面コラム天声人語」。100年以上も続く名物コラムには、文章を書くために必要なエッセンスが凝縮されています。1カ月ほど書き写していると、自然文章力が見についてきます受験就活の対策、また大人の学び直しに「天声人語」を書き写して見ませんか?》だそうです。う(嘔吐

だいたい「天声人語」っていうタイトルからして、上から目線どころか「天からモノ言ってる感じ」で、もう全然ついていけません。

《大人の学び直しに「天声人語」を書き写して見ませんか?》 って、ものすごいコピーだな。

書いたコピーライターもすごいけど、会議通したヤツ全員が超絶的にすごい。

星の王子様の「やあやあ、またワシに感心しているやつがやってきたぞ」の王様匹敵すると思うな。個人的には。

天声人語書き写しノート」、なくならないうちにひとつゲットしておこう。きっと5年後には伝説の商品になっているはず。

新入社員全員に「天声人語書き写しノート」を配布 

②3ヶ月後に提出を命じる 

③忠実に書き写した社員はその場でクビ 

④「うちもさぁ、コピー機みたいな社員置いとく余裕ないわけだよ。じゃあな」みたいな。

社説」みたいな虚構はそろそろ放棄しても良いと思います

逆に言えば、「社説」を「社の意見」として、毎朝掲げることができるのは、北朝鮮ライクな一枚岩の言論機関だけではなかろうかと…。





個人的に若死にした人間を持ち上げる論調が嫌いなもので。他人に語れるような夢は偽物。

オッサンにならない特権を行使するために早死にを選ぶクリエーターに対しては、全力をあげた忘却で対応することにしている。

努力の介在しない忘却は低能の結果に過ぎない。

盗んだバイク新聞を配達したこともないあんたに何がわかるんだ? と、オザキが生きてたらきっとそう言っただろうな。

あいつは何がわかるんだしか言えないヤツだったから。

なんにもわかっちゃいないくせにというよりもなんにもわかっちゃいないからこそなおのこと。

尾崎社説程度のもの過剰反応しているのは、オレがなにか苛立ちをぶつける対象を探しているからで、

その原因は…たぶん盗んだバイクで走り出した先にある。

何か機嫌の良くなる話題を考えよう。そうだ澤穂希バイクを盗まないで走りだす中盤の宝石ありがとう澤穂希選手





(・o・).。oO(♪盗んだ新聞放火するぅ~)

2012-01-17

本日の記事についての意見です

ツイッターからの流れで書きました。偶然ご覧になった場合意味不明だと思いますのでスルーしてください。

では、昼間の河野さんの記事について、思うところを申し上げます

「どっちが正しいか勝負しましょう」なんて気はありませんので、ひとつ意見としてお読みいただければと。

まず前提をいくつか。

1 ご承知とは思いますが、当該記事 marketingis.jp/archives/1594 の内容にのみ異議があり、河野さんご自身の人格存在を否定する意図はありません。もしそう取れる発言があればお詫びします。特に河野さんが気にされたツイートは、確かに非難のニュアンスがこもったものになっており、あらかじめお詫びいたします。

2 ツイッター上では実際の知人友人もいらっしゃいますが、好き勝手なことを書きたいので、一応は匿名でやっております。「いや、直接連絡を取って口頭で」ということであれば、別途ご連絡申し上げます

3 私は企業サービス企画の人間で、以前はネット広告担当していました。物書きではありませんので、文章の質についてはご勘弁を。また、ダイレクトマーケティング経験しかありませんので、産業全体については私見を超える言及はできません。

以下、本文です。

まず、お気に障ったと思われる「終わった教」についてですが、もちろん、タイトルの「4P時代は終わった」についての言及です。

ここは批判というよりも反射的な嫌悪感がありました。

「○○は終わった」「これからは○○だ」「201X年は○○が来る」という言葉で危機感を煽ってコンサルだのセミナーだので稼ぐ方がいますが、反射的に「またか」と思ってしまったための言葉です。私は河野さんをネット上の断片的な上方しか存じ上げないにも関わらず、勝手にそうした類だと分類してしまったことは軽率で、たいへん失礼いたしました。

本文について。

私には4Pが終わったという意見表現?)には同意できません。記事を拝読しても、終わる終わらないの問題ではないのではないかと考えます

少し具体的に。

記事中で“ひとつは「バランスが崩れた」こと、そしてもうひとつは「Pが増えた」ことです。”と書かれていますが、この2つには違和感を感じます

まずバランスについて。元々、4Pの要素間のバランスは均等ではないと考えています

ダイレクトマーケティングでは商品が売れるための要素として「市場4:商品の良さ4:広告2」の比率であるいう考え方がありますダイレクトマーケティングに長年従事してきた者としては、これは数値的にも実感的にも、実際にそうであると考えています

通販的には、広告というのはあくまで受注を目指すものですから4Pに置き換えれば、概ねプロダクトの方がプロモーションの2倍重要である、と考えられます

他の業態を見ても、4Pがそれぞれ比較等価に扱われてきたと思えませんし、業種や手法によって比重は異なるのではないでしょうか。

ならば、その比重の変化を4Pという考え方が終わる終わらないという話につなげるのは、少し無理がありませんか?

プライス比重が高くなっているというご意見には異存ありませんが、安売り競争とは別の次元成功する企業も少なくありません。

4つの要素の比重の変化そのものが当然であるならば、プライス重要性の向上という現象は、4Pという考え方そのものの有効性には無関係であると考えます

次に、セス・ゴーディンの引用河野さんが加えられた「P」のリストですが、「Philosophy」以外は、従来の4Pを構成する要素のひとつ、あるいは4Pとは元々異なる切り口で語られていること、ではないでしょうか?

前者であれば4Pを深掘りしたことになりますし、後者であればそもそも4Pでは除外された考え方ですから、これらも4Pそのものの否定には繋がらないと考えます

ただ、「こういう要素が重要だよね」という意見表明であれば、なるほどほとんど同意です。あ、ほとんどと言ったのは、全部について熟慮していない程度の意味で、一部同意できないことは意味しません。

ご存知でしょうがマーケティングは色々な構成要素が複雑に絡み合っていますから、1つの切り口で都合よくすべてを考えることのできる方法はありませんよね? 4Pもそれらのひとつに過ぎず、終わった終わらないという意見適当ではないと思ったわけです。

で、最近の「終わった」「来る」に辟易していたところに、河野さんの記事を拝読し、反射的に軽い気持ちで陰口を叩いてしまった、という次第です。

最後に。ツイートで言いたかったこととは離れますが、糸井さんの件も気になりました。

糸井さんの広告観ですが、「この広告でどれだけ売れたかとか、そういうことじゃない。俺と組んだら一回遊べるぜ、ってこと」(要約)という、広告そのもの価値を置いた考え方でした。これはなぜか10年以上前プロレス雑誌に掲載されていた糸井さんのインタビューでの発言なので、ご存知かどうかわかりませんが。

こうした広告観に立てば、いま売れてます、というコピーは確かに広告の“文化的”な意味での衰退とも取れます。少なくとも糸井さんは楽しくはないことでしょう。

が、これがプロモーションの相対的低下を意味するとは思えません。だったら「いま売れてます」的なコピープロモーションすればいいし。嘘や違法は論外ですが、これまでのメジャー広告手法が仮に力を失っても、他の方法はあります企業担当者や意欲ある広告会社の方は、そこに真剣に取り組んでいますよ。

以上、長文失礼いたしました。フォローしましたので、今後また何かの折にでも建設的な討論でもできればと思います

2012-01-11

嫌儲移住に関して

まとめが長すぎて読む気せん

俺が見た経緯では

シャフトやらおんのアフィ付きリンク貼る

ステマ祭り

シャフトが謝罪

食べログ事件で本当にステマがあると判明しま祭り

アフィブログがやっていたと思われるアンケスレ、対立煽り、まとブロ民の訪問などで溜まっていた不満が爆発

(実際現在嫌儲では嫌韓などは伸びない)

元々アニオタ隔離板だった嫌儲移住検討される

管理サイドのFOX現在嫌儲民側に立つことを表明(旧ニュー速のLRでの転載禁止は却下

移住と同時にニュー速(俗称アフィ速)を爆撃しニューススレを伸ばさないようにする

VIPや他の板に飛び火

一部(1/3ほど?)VIPPER天国移住 VIPへの爆撃

VIPのLR変更はされないのが濃厚?

爆撃されても大部分のVIPPERはそのまま残る(無関心、天国側のLRの規制など) 天国側の勢いも落ち着きつつある

なんJにニューススレが立ったためブログ板などで住人が野球に目覚める ノンアフィの大手コピペブログコピーブログが作られる

はちま起稿が記事ロンダリング編集記事などで嫌儲挑発

ブログ管理人の身元割り出しはじまる  ←今ココ

反アフィサイドに若干肩入れした感じで書いてみた

個人的な体感だがニコ動やヒ、虹裏でのステマ騒動自体は割と早く終息した(mixiとか携帯サイトは知らね)

多分次はFUD祭りが始まるんじゃないかと予想

現在まとめブログほとんど+やVIPから転載ニュー速過去ログで記事作ってんのは意外だったわ

2012-01-10

http://anond.hatelabo.jp/20120110082712

移民しようがスレの内容のコピーを禁止していようが、まとめblogの連中が無視してコピーすればいいだけの話じゃないの?

裁判沙汰に発展したとしても、負けたほうが金払わず逃げまわってる超有名な前例もあるし、それに倣ったら別に困らないとおもうんだけど。

訴訟沙汰に発展するとその時点で運営会社からアカウント自体を止められるリスクがある。運営会社にも個人情報開示請求がほぼ確実に届くから

裁判の結果が出てからブログ止めるかどうか決めます」って判断してもいいけど、万が一その訴訟が何年も続いた上で負けてしまった場合、その間の損害賠償請求のリスクも発生してしまう。fc2にせよライブドアにせよそういう無用リスクは取らんだろう。

http://anond.hatelabo.jp/20120110081300

たとえば、アマゾンのアフィは踏んだらあなたがそのあと、何を買ってもアフィブログに数%がはい

これはブラウザを閉じても、数日たってもクッキーが消されるか上書きされない限り有効(クッキーに有効期限はあるけど何日かはしらね

それに、バーナー広告クリックじゃなくてページビュー数で広告料払ってる事のほうが多い

移民しようがスレの内容のコピーを禁止していようが、まとめblogの連中が無視してコピーすればいいだけの話じゃないの?

裁判沙汰に発展したとしても、負けたほうが金払わず逃げまわってる超有名な前例もあるし、それに倣ったら別に困らないとおもうんだけど。

それをやると、著作権侵害だし裁判しなくても

ブログレンタル元(ライブドアfc2)やgoogleAmazon通報するとアカウント停止等の処分がくる

おもな収入源がなくなると困るでしょ

2ちゃんねるのようにサーバー広告も自前でやるのは大変 

違法状態で広告主探すのは多分無理

2ちゃんねるはあくまで管理人違法な書き込みはユーザーだしね

2012-01-08

最近勝間本は自己啓発書ではなく女性ライフスタイルである

女性誌によく会って、男性誌には絶対にないもの、それは読者モデルである。(自己啓発書にはあるけどね)

女性誌においてはよく読者モデルファッション変遷がふんだんな個人スナップ思い入れと共に語られる。そこにおそらく「ライフスタイル」のコアがある。

ライフスタイル」とは人生時間軸で見通し、そのいつの局面にも自分らしさを出し、あまつさえそれを他人に認めてもらおうとすること、なのである



ストレス研究家によれば、結婚のしたてというのは、近親者の死と同じくらいかそれ以上にストレス値が高い。それをごまかすため、トレードオフになっている事柄を無理やり加算に見せる。

就活成功して、そのあとストレスフルな生活を送っている人程、学生にいらぬアドバイスをする現象と似てる)



合理性が何を省くかというと時間であり、感情とその成熟であるプロセス飛ばしたことへの心理的補償はどこかでなされなければならない。

それが「自分語り」となる。「私の選択は良かった」「自分で選んだ」という物語を他人に向けて語ることになるのである

自分語りとは、遅れを自覚するモノの自我を埋める作用があるのだ。合理化が取りこぼす微妙な遅れや気持を補うために、生き方語りはもともとあった。

世間的にはいいこと。これが悪い理由は見つけられない」と頭で割り切っている時こそ言葉饒舌になる。

自身に満ちていないことこそ、人に認められたい。心から満たされていることに関して、わざわざ他人の承認を取り付けようとはしない。

しかしそれは自分の選択に不安があるとき、失敗を隠すときに、脳内で流れる言語である言い訳にも似ている。

するとあら不思議自分が騙せる。その間にも本体の被害は拡大している。これ、なんかに似てると思ったら、大本営発表だった。



後発のものにおいては合理化が進んでいる。後発であるということは、それまでその主題を考えて来なかったということである

遅れを一気に挽回しようとすると、いきなりかつて誰も行かなかったほど突き抜けてしまうことがある。

極めて稀で目立つ成功者は、確かに才能と同じくらい決断力にも恵まれ、運も味方につけたといえる人も多いだろう。

しかしそういう人の話を大集合させると、奇妙な統一フォーマットが出来る。それは、変化をむりやりにでも即座によかったという、極度のポジティブ・シンキングである

それをワナビーたちが大量にコピーするのだ。



婚活女子の考えは、染み付いた合理感覚と言うか、しいて言えば男のナンパも同じだけど「不遜な考えを持って、謙遜してことに当たる」ってとこじゃないでしょうか。

目的のために感情を抑えられるっていうのは、男らしいですね。

後発ゆえの突き抜け感、極度なポジティブシンキング読者モデルとしての勝間和代

効率や合理を押しすぎていろんなモノがボロボロ抜け落ちている感、ウザイまでの自分語りワナビー追従。全部当てはまる。



女性ライフスタイル誌はそのまんま自己啓発書である、といったほうが良いかもしれぬ。

しか女性ライフスタイル誌的な売り方は一時的には爆発的に売れるかもしれないが、永続性はない。

この方式は「旬な読者モデルの使い回し」によって成り立っているのであって、飽きが来たら終わりである

勝間さんはどこまで了解の上で最近ライフスタイル誌的な本を出し続けるつもりなのか、非常に興味深い。


個人的には「結局女はキレイが勝ち」「恋愛経済学」をピークとして、徐々に勝間写真は小さくなっていることから見て、

そろそろ路線転換をするか、テレビタレント本業に専念して著者としては目立たなくなるかもしれないと思っている。

ただ、今の芸能人本のエッセイのノリで書かれた新書シリーズはかなりいただけないので、芸人路線で行くのかビジネスマン路線で行くのかはっきりしていただきたい。

2012-01-07

オタク向けコンテンツと女が好きな韓流ドラマの間にあるかなりの類似と決定的な違い

モテたい理由 4章 女子が生きるファンタジーから引用

成功は、他力によるものこそ羨ましい!」という女の心性をひとまず心にとどめておいてください。



エビちゃんシアターの)話は方便であって、エビちゃんの可愛さとシチュエーション別着回しがあり、イケメンに求愛されつつ、本命と結ばれれば良い。

求愛役となる「間男」にこそイケメンは配置される。そして誠実で優しいが言葉しかよこさない男より、間男イケメン金持ちティファニープレゼントしてくれる)のほうが重要、という間男テーゼが繰り返される。

意識的と言うよりは、作り手と読者の願望そのものが、幾度もコピーされるのである

しかし、話がどうでもいいからには、むき出しの構造と身も蓋もない本質が現れる。

何の本質か?エビちゃん自己投影したい女の、ファンタジーの好みである

はい韓流ドラマですね。



本田透は、女が忌み嫌うオタクアニメゲームの多くが、女好みのドラマと全く同じであることを見抜いている。

たとえばパソコンゲーム君が望む永遠」は韓流ドラマ天国の階段」。

やってることは同じだろ!恋愛交通事故記憶喪失三角関係嫉妬!妹!

ただ、オタクコンテンツと女が女のために無意識で作ってしまコンテンツの間には、たった一点、違いがある。

それは、主人公の選択。どの視点ゲームをするか、である

古来、ドラマというものは苦労人の方に感情移入するように作られてきた。シンデレラを思えばいい。

それが女性誌型のドラマだと、「苦労知らず」の方が一人勝ちするのである

それは本来はドラマにはならない。「冬のソナタ」野本ネタとも言われる日本漫画キャンディキャンディ」になぞらえれば、

いじめっ子金持ちイライザが美人性格もよくもちろん金持ちで男全員にモテモテ!みたいな話なのである

それが、女の人生ファンタジー。何だろうこれ、妄想というのさえ疲れてきたが・・・。これが女がオタクを近親憎悪する理由なのだろうか。



エビちゃんが演じさせられることの、あり得なさがやたらにリアルなのである。背後にいる女たちの夢の在り得なさ、そのもののようで。

エビちゃんの演じさせられるOLは、手持ちの服と旬のアイテムいか効果的に組み合わせ自己プレゼンするか。そしてお話能力と関係調整能力だけ、

すなわちほとんど見た目とその個人の愛される質だけにたよった仕事であるしか読めないようにできている。

エビちゃんが演じるOLの内実がどう描かれているのかをよく見ると、作り手が彼女に託したい夢の自画像のようなものが見えてきて、胸が苦しくなってくる。

それは、男女雇用機会均等法が決して果たさなかった約束であり、これからも果たすことがないと定款ないし絶望している女たちの夢のようである


要するに、韓流ドラマっていうのは今で言うと豚向けアニメってことだな。

女は男がブヒィィ言うはるかに前から韓流ドラマブヒブヒしてたわけだ。

女のほうがはるかに欲望に忠実で、それを早くからしか現実人間を使ってドラマに仕立てあげてたわけだ。恐るべし。

で、オタクどもはそれの後追いにすぎない。


オタクって、偉そうなこと言ってるけど、想像力や執念においてそんじょそこらブヒ女にはるかに劣る。まだまだ常識に囚われてる奴が多いってことがわかるね。

ついつい「これはやり過ぎなんじゃないか?」とかブレーキが掛かっちゃうんだろうね。

エロ方向だけは際限なく好奇心旺盛だけれど、もっと本質的な所で欲を持てない。弱い弱い。

もっとシャルとか牧瀬紅莉栖みたいなキャラをどんどん創り上げて、エロ方向よりもっとえげつない所で欲望を満たしていけばいいのに。


ブヒアニメはこれからが本番かな、と思わされる文章だったよ。

日本メディア間の隔絶について 続き

元記事

http://yorogame.blog137.fc2.com/blog-entry-513.html

9条には問題があることを知っている人はいるだろう。だけど、税金を使った事業、公務員などがどのような理念の元に動けと書いてあるか、そのことを強く考え思った人は日本人全体でどのくらい居るだろうか?憲法には全体の奉仕者という言葉が使われている。私はトルストイに感化されてからこの文章を読んだので、とても美しい社会を善くする概念だと勝手に思った。そしてその全体の奉仕者という概念に多くの税金により給料を得ている人間はそれほど熱意をもった意識をしていないかもしれないと思った。

また、ネットTVの間には断絶があると言うべきだろう。ネット人間TVで語ることはあるが、可能性の喚起という観点でみると、相互に繋がりを持たせることに、それほど効率的なやり方ではない。なんか知識人っぽいひとがごちゃごちゃ言う番組はみんないろいろ言うから、理解するコストが高い。これだ!という正解をしめすことよりはインパクトが無い。なのでネット人がTVにでても、ネット人に興味をもってネットのそんな情報を見るのは、もともとそういった資質の高かった人と言う事も出来る。

そして、日本を本当に良くする為に私は、ある程度国民に判断の指針となる理念をもってもらうため、近代国家の行動の拠り所である、法、をそれの最上である憲法重要さを多くの人に見られるように説くことではないかと思う。

現状の憲法の厳密な、正しい正しくないではなく、憲法理念に基づいた行動というのを国民意識するようになったら、憲法解釈は人によって多少差はあるにせよ、ある政治問題について考えるための、体系的な前提を持つことになるので、それを前提として政治意見を言えば同意を得やすくできるのでは無いかと思う。

そのための行動として最も効果的だと私が思うのは、選挙当選する見込みがあるか既に当選した政治家が、日本の様々な問題点を全て憲法に対する意識が欠けているということに帰結させるような理屈で、日本社会を善くしようという、国民ポジティブ意識モチベーションを喚起する理念を語ることが良いのではないかと思う。現在は断絶的なメディア間の差異で国民は虚無感を抱く可能性がとても高いが、その理念に基づいてTVネットも語るというある種の、政治意見がとるフォーマットを構築することが効果的では無いかと思う。

そしてネットTV新聞世界を繋げるために、政治家TV希望を語り人気を集め、その詳しい論拠はネット上にあると示すという形をとるのは効果的ではないかと思う。

大阪政治では根源的なありようのような希望を語ることによって支持をえてるように伺える。そういったやり方を模倣してその流れを促進すれば日本は今よりもっと良くなる可能性があるのではないだろうか。

また考え方をかなり飛躍させて言うなら、多少政治色をもった意味で、中国海外で人気があり日本でも知名度の高いこの文章は雑感のまとめであり厳密性には欠ける。

私がこの文章で問題にしたいのは、日本におけるネットTV新聞がどのような役割果たしているかということある

TV新聞といったオールメディアと、それと比べれば、まだ若いメディアといえるインターネット日本全体に相互に与え合っている影響を考察し、その問題点から今日本にいる政治的影響力を持ちうる人間はどのように振る舞うべきかと言う事までを書く。

まず、社会に対して書かれた文章というものは、文章を書く人間が、抱いた、(社会を)こうしたいという意識を、書くという方法を選択した結果生まれた成果物である

という見知でこの文章では、各メディア(主にネットTV新聞)の主張を捉える。

そういった視点として、メディアの主張の厳密な正しさより、そのメディアの志した方向性によって流れされた情報と、それによって喚起さうる国民感情について考える。

まず、311地震では、日本の各メディアはその問題に関して様々な意見が流れた。地震発生直後は地震その物の話題が大きかったが、原発の問題が発覚してからは少しずつ原発に関する情報が増えて行ったと思う。

この時とそれ以降に、私が感じた事を書く。

私が一番中もくしたのはツイッター上で様々な見解が流された点だ。私が一番印象的だったのは池田信夫である。彼は原発の取材をした経験があると語り、様々な自説を展開していた。それに対して色々な池田氏に対する意見が流れていた、私には批判的な意見が優勢にみえ、池田氏はあまり信用できないなという意識をもった。しかし、他の発言力の高かった人達の発言を見ても、実際どういうことなのかよくはわからなかった。

当然である原発問題初期は原発について情報が不足していて、推理のような部分が多分にあったからだ。色々な人が原発で何がおこっているかについて色々な意見をいっているように見えた。

そして時間が進むと、放射能の問題がでてきた、それに付いても様々な意見が流れていた。

私は無職なので、一日中でもその情報を追う事もできた。だがそんなことをしたいとは全く思わなかった。色んな意見交錯してかつ、正しい情報すら不確かな要素をもっているこの状況に情報を追うより、ある程度(半年一年くらい)立ってからそういった過程を経て生まれた、纏まった情報、例えば新書などを見たほうが確実に問題が良く分かるだろうと思ったから。それに、私が原発のことを知っても、対して社会意味は生じないという思いが意識の片隅にあった。

その間のTVと、ネットの関係はどうであったかは詳しくはわからないが、様々な原子力に関連のある組織善意ネット上で公開したものにたいして、TV側が紹介をするということはあったとだろうと思う。それによって、日本社会に対する情報の取得源としてTV比重が大きい人間に、ネット情報を参照するための意識を喚起した可能性は高い。

だがこのことによって、日本社会は対して良い影響を受けなかっただろう。何故なら、一般人原発に関して詳しい情報を知ること自体に私はあまり意味が無いと思うからだ。まず理解するのがコストが高い。そこで問題にたいする意識が削がれるだろうと思う。そして一般人政治的影響力があまり無いので、厳密に正しいという情報をもっていても有効活用はあまりできない。そしてそれらの厳密な情報政治的影響力の高い人間にとってこそ有効であることは云うまでも無い。だが日本ネット上では政治的な問題の意識の高い人間の間で、原発科学的に厳密な情報を求める意識が高くなっていたと思う。だが現在から見て見ると、科学的な厳密さを考える事をもっと専門化にアウトソージングして、その原発問題の結果が与える影響とそれにより、日本社会が取り得るべき選択の可能性に、日本国民意識というコストを割くべきだったと私は感じる。これはあくまでネット情報をあまり熱心に追わなかった私の感じたことである。本当にどのメディアも積極的に見ていなかった難しくてめんどくさくてついていけないと思ったから。

原発科学情報を流すという方法とることの理由の根本は、日本社会を善くしようという物であると思う。その方法がもつ目的効果を最大化させるために取り得る方法は何か。

国民に問題が起こっているが、対処にあたっていて良い結果を生むために努力をしているという姿勢を示すことである。それにより国民政治希望と期待などのプラス感情モチベーションが喚起される。よってあの次点で注目を集めるべき情報としては、正しいやり方でやっているという理念を示したものである。それにより希望をもてば人は情報自分から進んで集めるか、焦りのような感情をもって科学的厳密さを追うこともなかっただろう。

当時にこういう指摘をしたひとはいたかもしれないが、正直全然探す努力をしていなかったので全く知らない。何か政治に語りたいなら積極的に情報をあつめるのが筋だろうけど、そういう動機付け全然得られなかったんだ。そういった感情を掘り下げて得た見知で纏めているののがこの文章でもある。

それで原発初期から少しして以降の私の事を書く、私は精神病院入院していた、院内ではTVしか見られなかった。3週間くらいで退院したが、TV軽くみたりネット軽くみても、原発に関しても地震に関しても似たような話というか、個人的に目に付く範囲で見た場合、個別の問題とでもいうべき問題について色々書いた文章ばかりにおもえて、はっきり云ってこういう物を私が読んで何か考える事に何の意味があるのかという思いを持っていた。そういう問題点を指摘したひとはあったかもしれない、だけど目に付かなかったのでどうでもよかった。

病院から退院してからは、大帝国とかランスクエストをやったりしてた、他に適当に本よんだり、読書メーターというのを初めて読書の記録をシステム的につけるようになって中々本を読むのが楽しくなったり、英語勉強したりしていた、政治的なことに関してはそれなりに適当に見てたけどあまりよくわからなかった。だが10月02日にLeague of Legendsというゲームを始めて猿のようにやりまくっていた12月20日までやった。1試合平均35分前後かかる試合を900試合くらいしたと思う。その期間いつもみている政治的な主張の多いblogとか20サイトくらいいれているgoogle リーダー全然アクセスしなかった。

それで、League of Legendsを止めてからまた本読むのが楽しくなってきて、色々と読んでいた。LoLで得られた経験から、本を読んで色々より強い影響を受けて、適当blogにアホなおもいつき書きまくってた。どのような影響を受けたかというと、トルストイを読んで、社会全体の幸福志向する事の美しさみたいなものを学んだ。

話を戻そう、つまり、色んな人が色んな目的でいろんなことを言っていたと思うが、私は2ヶ月もそれを無視してゲームやり続けても何とも思わなかったのだ。それがどういうことかというと、メディアは私の理屈で言えば、私の行動を変えさせる、メディアがしたい問題提起に私のモチベーションを喚起させる行動をとることは不可能ではなかった、何故なら凄い影響力の高い意見なら、私の見ている範囲のネットblogにも情報は届くからだ。

そういう可能性をに影響を与える方法をとるということを考えることが大事であると思う。

その方法論を私なりに書きたい。

まず日本人には、共通のどういう社会を目指すべきかという根本的な理念が欠如しているように思う。たとえば憲法である憲法理論上は国家のありようを書いた文書だ。9条には問題があることを知っている人はいるだろう。だけど、税金を使った事業、公務員などがどのような理念の元に動けと書いてあるか、そのことを強く考え思った人は日本人全体でどのくらい居るだろうか?憲法には全体の奉仕者という言葉が使われている。私はトルストイに感化されてからこの文章を読んだので、とても美しい社会を善くする概念だと勝手に思った。そしてその全体の奉仕者という概念に多くの税金により給料を得ている人間はそれほど熱意をもった意識をしていないかもしれないと思った。

また、ネットTVの間には断絶があると言うべきだろう。ネット人間TVで語ることはあるが、可能性の喚起という観点でみると、相互に繋がりを持たせることに、それほど効率的なやり方ではない。なんか知識人っぽいひとがごちゃごちゃ言う番組はみんないろいろ言うから、理解するコストが高い。これだ!という正解をしめすことよりはインパクトが無い。なのでネット人がTVにでても、ネット人に興味をもってネットのそんな情報を見るのは、もともとそういった資質の高かった人と言う事も出来る。

そして、日本を本当に良くする為に私は、ある程度国民に判断の指針となる理念をもってもらうため、近代国家の行動の拠り所である、法、をそれの最上である憲法重要さを多くの人に見られるように説くことではないかと思う。

現状の憲法の厳密な、正しい正しくないではなく、憲法理念に基づいた行動というのを国民意識するようになったら、憲法解釈は人によって多少差はあるにせよ、ある政治問題について考えるための、体系的な前提を持つことになるので、それを前提として政治意見を言えば同意を得やすくできるのでは無いかと思う。

そのための行動として最も効果的だと私が思うのは、選挙当選する見込みがあるか既に当選した政治家が、日本の様々な問題点を全て憲法に対する意識が欠けているということに帰結させるような理屈で、日本社会を善くしようという、国民ポジティブ意識モチベーションを喚起する理念を語ることが良いのではないかと思う。現在は断絶的なメディア間の差異で国民は虚無感を抱く可能性がとても高いが、その理念に基づいてTVネットも語るというある種の、政治意見がとるフォーマットを構築することが効果的では無いかと思う。

そしてネットTV新聞世界を繋げるために、政治家TV希望を語り人気を集め、その詳しい論拠はネット上にあると示すという形をとるのは効果的ではないかと思う。

大阪政治では根源的なありようのような希望を語ることによって支持をえてるように伺える。そういったやり方を模倣してその流れを促進すれば日本は今よりもっと良くなる可能性があるのではないだろうか。

またこれらの考え方をかなり飛躍させて言うなら、多少政治色をもった意味で、中国海外で人気があり日本でも知名度の高い蒼井そら社会理想希望について語りながら、性的な事を行う映像を創ることもまた効果であるといえる。

その理屈を使って、ネット上で論じられる著作権問題を憲法が持つ全体の利益という視点を重視して、多少厳密さを欠いたうえで語るなら、インターネット上の無料コピー日本人が一般的に思っているほど、あまり悪いこととも言えないという理屈も導ける。

ネット上の無料コピーによる、著作権侵害違法であるといっても、動画サイトで見るのは良いが、ツールを使って落とすのはよくないとかそういうのは根本的に考えたら些末な問題でやってることは本質的には同じとも云える。それを差異があるように演出しているのはあまり社会を善くするという意味は無いと云う事もできる。なぜなら、どのような方法であれネット上で無料コピーにより著作権侵害するという行為によって逮捕される人は現状、全然居ないに等しいからだ。なのでこのような違法としていて一部はそれを遵守せよ!と感情的になっているがその視点は近視眼的ということもできる。そういったあまり根本的に考えなていない意見によって脅迫をかけるような同調圧力と化していると思う。全体の利益という視点を重視したら、違法としててもろくに取り締まりもおこなっていないやったもん勝ちみたいな、現状の無料コピーに対する意識というのは不自然です。赤信号場合によっては無視してもいいという意識は誰でももっているように、無料コピーにしても、目立つ形でやった人間以外ととても運の悪い人以外には、取り締まりなど無いに等しいから、やるのは個人の判断で赤信号を渡ることと似たようなこと。という意識を多くの国民がもっていたほうが国家としては健全だと私は思う。その国民意識に応じて法を変えれば良い。

そのようなそこの浅いときに、脅迫的ともいえる同調圧力意見というのはネットにはありふれていて、その思考方法を変化させるためにも国家はどうあるべきかという形を分かり易く国民全員に伝えなければいけないと思う。

(終わり)

日本メディア間の隔絶について

日本メディア間の隔絶について 日本のおけるネットオールメディアの最適な関係の構築方法模索

この文章は雑感のまとめであり厳密性には欠ける。

私がこの文章で問題にしたいのは、日本におけるネットTV新聞がどのような役割果たしているかということある

TV新聞といったオールメディアと、それと比べれば、まだ若いメディアといえるインターネット日本全体に相互に与え合っている影響を考察し、その問題点から今日本にいる政治的影響力を持ちうる人間はどのように振る舞うべきかと言う事までを書く。

まず、社会に対して書かれた文章というものは、文章を書く人間が、抱いた、(社会を)こうしたいという意識を、書くという方法を選択した結果生まれた成果物である

という見知でこの文章では、各メディア(主にネットTV新聞)の主張を捉える。

そういった視点として、メディアの主張の厳密な正しさより、そのメディアの志した方向性によって流れされた情報と、それによって喚起さうる国民感情について考える。

まず、311地震では、日本の各メディアはその問題に関して様々な意見が流れた。地震発生直後は地震その物の話題が大きかったが、原発の問題が発覚してからは少しずつ原発に関する情報が増えて行ったと思う。

この時とそれ以降に、私が感じた事を書く。

私が一番中もくしたのはツイッター上で様々な見解が流された点だ。私が一番印象的だったのは池田信夫である。彼は原発の取材をした経験があると語り、様々な自説を展開していた。それに対して色々な池田氏に対する意見が流れていた、私には批判的な意見が優勢にみえ、池田氏はあまり信用できないなという意識をもった。しかし、他の発言力の高かった人達の発言を見ても、実際どういうことなのかよくはわからなかった。

当然である原発問題初期は原発について情報が不足していて、推理のような部分が多分にあったからだ。色々な人が原発で何がおこっているかについて色々な意見をいっているように見えた。

そして時間が進むと、放射能の問題がでてきた、それに付いても様々な意見が流れていた。

私は無職なので、一日中でもその情報を追う事もできた。だがそんなことをしたいとは全く思わなかった。色んな意見交錯してかつ、正しい情報すら不確かな要素をもっているこの状況に情報を追うより、ある程度(半年一年くらい)立ってからそういった過程を経て生まれた、纏まった情報、例えば新書などを見たほうが確実に問題が良く分かるだろうと思ったから。それに、私が原発のことを知っても、対して社会意味は生じないという思いが意識の片隅にあった。

その間のTVと、ネットの関係はどうであったかは詳しくはわからないが、様々な原子力に関連のある組織善意ネット上で公開したものにたいして、TV側が紹介をするということはあったとだろうと思う。それによって、日本社会に対する情報の取得源としてTV比重が大きい人間に、ネット情報を参照するための意識を喚起した可能性は高い。

だがこのことによって、日本社会は対して良い影響を受けなかっただろう。何故なら、一般人原発に関して詳しい情報を知ること自体に私はあまり意味が無いと思うからだ。まず理解するのがコストが高い。そこで問題にたいする意識が削がれるだろうと思う。そして一般人政治的影響力があまり無いので、厳密に正しいという情報をもっていても有効活用はあまりできない。そしてそれらの厳密な情報政治的影響力の高い人間にとってこそ有効であることは云うまでも無い。だが日本ネット上では政治的な問題の意識の高い人間の間で、原発科学的に厳密な情報を求める意識が高くなっていたと思う。だが現在から見て見ると、科学的な厳密さを考える事をもっと専門化にアウトソージングして、その原発問題の結果が与える影響とそれにより、日本社会が取り得るべき選択の可能性に、日本国民意識というコストを割くべきだったと私は感じる。これはあくまでネット情報をあまり熱心に追わなかった私の感じたことである。本当にどのメディアも積極的に見ていなかった難しくてめんどくさくてついていけないと思ったから。

原発科学情報を流すという方法とることの理由の根本は、日本社会を善くしようという物であると思う。その方法がもつ目的効果を最大化させるために取り得る方法は何か。

国民に問題が起こっているが、対処にあたっていて良い結果を生むために努力をしているという姿勢を示すことである。それにより国民政治希望と期待などのプラス感情モチベーションが喚起される。よってあの次点で注目を集めるべき情報としては、正しいやり方でやっているという理念を示したものである。それにより希望をもてば人は情報自分から進んで集めるか、焦りのような感情をもって科学的厳密さを追うこともなかっただろう。

当時にこういう指摘をしたひとはいたかもしれないが、正直全然探す努力をしていなかったので全く知らない。何か政治に語りたいなら積極的に情報をあつめるのが筋だろうけど、そういう動機付け全然得られなかったんだ。そういった感情を掘り下げて得た見知で纏めているののがこの文章でもある。

それで原発初期から少しして以降の私の事を書く、私は精神病院入院していた、院内ではTVしか見られなかった。3週間くらいで退院したが、TV軽くみたりネット軽くみても、原発に関しても地震に関しても似たような話というか、個人的に目に付く範囲で見た場合、個別の問題とでもいうべき問題について色々書いた文章ばかりにおもえて、はっきり云ってこういう物を私が読んで何か考える事に何の意味があるのかという思いを持っていた。そういう問題点を指摘したひとはあったかもしれない、だけど目に付かなかったのでどうでもよかった。

病院から退院してからは、大帝国とかランスクエストをやったりしてた、他に適当に本よんだり、読書メーターというのを初めて読書の記録をシステム的につけるようになって中々本を読むのが楽しくなったり、英語勉強したりしていた、政治的なことに関してはそれなりに適当に見てたけどあまりよくわからなかった。だが10月02日にLeague of Legendsというゲームを始めて猿のようにやりまくっていた12月20日までやった。1試合平均35分前後かかる試合を900試合くらいしたと思う。その期間いつもみている政治的な主張の多いblogとか20サイトくらいいれているgoogle リーダー全然アクセスしなかった。

それで、League of Legendsを止めてからまた本読むのが楽しくなってきて、色々と読んでいた。LoLで得られた経験から、本を読んで色々より強い影響を受けて、適当blogにアホなおもいつき書きまくってた。どのような影響を受けたかというと、トルストイを読んで、社会全体の幸福志向する事の美しさみたいなものを学んだ。

話を戻そう、つまり、色んな人が色んな目的でいろんなことを言っていたと思うが、私は2ヶ月もそれを無視してゲームやり続けても何とも思わなかったのだ。それがどういうことかというと、メディアは私の理屈で言えば、私の行動を変えさせる、メディアがしたい問題提起に私のモチベーションを喚起させる行動をとることは不可能ではなかった、何故なら凄い影響力の高い意見なら、私の見ている範囲のネットblogにも情報は届くからだ。

そういう可能性をに影響を与える方法をとるということを考えることが大事であると思う。

その方法論を私なりに書きたい。

まず日本人には、共通のどういう社会を目指すべきかという根本的な理念が欠如しているように思う。たとえば憲法である憲法理論上は国家のありようを書いた文書だ。9条には問題があることを知っている人はいるだろう。だけど、税金を使った事業、公務員などがどのような理念の元に動けと書いてあるか、そのことを強く考え思った人は日本人全体でどのくらい居るだろうか?憲法には全体の奉仕者という言葉が使われている。私はトルストイに感化されてからこの文章を読んだので、とても美しい社会を善くする概念だと勝手に思った。そしてその全体の奉仕者という概念に多くの税金により給料を得ている人間はそれほど熱意をもった意識をしていないかもしれないと思った。

また、ネットTVの間には断絶があると言うべきだろう。ネット人間TVで語ることはあるが、可能性の喚起という観点でみると、相互に繋がりを持たせることに、それほど効率的なやり方ではない。なんか知識人っぽいひとがごちゃごちゃ言う番組はみんないろいろ言うから、理解するコストが高い。これだ!という正解をしめすことよりはインパクトが無い。なのでネット人がTVにでても、ネット人に興味をもってネットのそんな情報を見るのは、もともとそういった資質の高かった人と言う事も出来る。

そして、日本を本当に良くする為に私は、ある程度国民に判断の指針となる理念をもってもらうため、近代国家の行動の拠り所である、法、をそれの最上である憲法重要さを多くの人に見られるように説くことではないかと思う。

現状の憲法の厳密な、正しい正しくないではなく、憲法理念に基づいた行動というのを国民意識するようになったら、憲法解釈は人によって多少差はあるにせよ、ある政治問題について考えるための、体系的な前提を持つことになるので、それを前提として政治意見を言えば同意を得やすくできるのでは無いかと思う。

そのための行動として最も効果的だと私が思うのは、選挙当選する見込みがあるか既に当選した政治家が、日本の様々な問題点を全て憲法に対する意識が欠けているということに帰結させるような理屈で、日本社会を善くしようという、国民ポジティブ意識モチベーションを喚起する理念を語ることが良いのではないかと思う。現在は断絶的なメディア間の差異で国民は虚無感を抱く可能性がとても高いが、その理念に基づいてTVネットも語るというある種の、政治意見がとるフォーマットを構築することが効果的では無いかと思う。

そしてネットTV新聞世界を繋げるために、政治家TV希望を語り人気を集め、その詳しい論拠はネット上にあると示すという形をとるのは効果的ではないかと思う。

大阪政治では根源的なありようのような希望を語ることによって支持をえてるように伺える。そういったやり方を模倣してその流れを促進すれば日本は今よりもっと良くなる可能性があるのではないだろうか。

また考え方をかなり飛躍させて言うなら、多少政治色をもった意味で、中国海外で人気があり日本でも知名度の高い

この文章は雑感のまとめであり厳密性には欠ける。

私がこの文章で問題にしたいのは、日本におけるネットTV新聞がどのような役割果たしているかということある

TV新聞といったオールメディアと、それと比べれば、まだ若いメディアといえるインターネット日本全体に相互に与え合っている影響を考察し、その問題点から今日本にいる政治的影響力を持ちうる人間はどのように振る舞うべきかと言う事までを書く。

まず、社会に対して書かれた文章というものは、文章を書く人間が、抱いた、(社会を)こうしたいという意識を、書くという方法を選択した結果生まれた成果物である

という見知でこの文章では、各メディア(主にネットTV新聞)の主張を捉える。

そういった視点として、メディアの主張の厳密な正しさより、そのメディアの志した方向性によって流れされた情報と、それによって喚起さうる国民感情について考える。

まず、311地震では、日本の各メディアはその問題に関して様々な意見が流れた。地震発生直後は地震その物の話題が大きかったが、原発の問題が発覚してからは少しずつ原発に関する情報が増えて行ったと思う。

この時とそれ以降に、私が感じた事を書く。

私が一番中もくしたのはツイッター上で様々な見解が流された点だ。私が一番印象的だったのは池田信夫である。彼は原発の取材をした経験があると語り、様々な自説を展開していた。それに対して色々な池田氏に対する意見が流れていた、私には批判的な意見が優勢にみえ、池田氏はあまり信用できないなという意識をもった。しかし、他の発言力の高かった人達の発言を見ても、実際どういうことなのかよくはわからなかった。

当然である原発問題初期は原発について情報が不足していて、推理のような部分が多分にあったからだ。色々な人が原発で何がおこっているかについて色々な意見をいっているように見えた。

そして時間が進むと、放射能の問題がでてきた、それに付いても様々な意見が流れていた。

私は無職なので、一日中でもその情報を追う事もできた。だがそんなことをしたいとは全く思わなかった。色んな意見交錯してかつ、正しい情報すら不確かな要素をもっているこの状況に情報を追うより、ある程度(半年一年くらい)立ってからそういった過程を経て生まれた、纏まった情報、例えば新書などを見たほうが確実に問題が良く分かるだろうと思ったから。それに、私が原発のことを知っても、対して社会意味は生じないという思いが意識の片隅にあった。

その間のTVと、ネットの関係はどうであったかは詳しくはわからないが、様々な原子力に関連のある組織善意ネット上で公開したものにたいして、TV側が紹介をするということはあったとだろうと思う。それによって、日本社会に対する情報の取得源としてTV比重が大きい人間に、ネット情報を参照するための意識を喚起した可能性は高い。

だがこのことによって、日本社会は対して良い影響を受けなかっただろう。何故なら、一般人原発に関して詳しい情報を知ること自体に私はあまり意味が無いと思うからだ。まず理解するのがコストが高い。そこで問題にたいする意識が削がれるだろうと思う。そして一般人政治的影響力があまり無いので、厳密に正しいという情報をもっていても有効活用はあまりできない。そしてそれらの厳密な情報政治的影響力の高い人間にとってこそ有効であることは云うまでも無い。だが日本ネット上では政治的な問題の意識の高い人間の間で、原発科学的に厳密な情報を求める意識が高くなっていたと思う。だが現在から見て見ると、科学的な厳密さを考える事をもっと専門化にアウトソージングして、その原発問題の結果が与える影響とそれにより、日本社会が取り得るべき選択の可能性に、日本国民意識というコストを割くべきだったと私は感じる。これはあくまでネット情報をあまり熱心に追わなかった私の感じたことである。本当にどのメディアも積極的に見ていなかった難しくてめんどくさくてついていけないと思ったから。

原発科学情報を流すという方法とることの理由の根本は、日本社会を善くしようという物であると思う。その方法がもつ目的効果を最大化させるために取り得る方法は何か。

国民に問題が起こっているが、対処にあたっていて良い結果を生むために努力をしているという姿勢を示すことである。それにより国民政治希望と期待などのプラス感情モチベーションが喚起される。よってあの次点で注目を集めるべき情報としては、正しいやり方でやっているという理念を示したものである。それにより希望をもてば人は情報自分から進んで集めるか、焦りのような感情をもって科学的厳密さを追うこともなかっただろう。

当時にこういう指摘をしたひとはいたかもしれないが、正直全然探す努力をしていなかったので全く知らない。何か政治に語りたいなら積極的に情報をあつめるのが筋だろうけど、そういう動機付け全然得られなかったんだ。そういった感情を掘り下げて得た見知で纏めているののがこの文章でもある。

それで原発初期から少しして以降の私の事を書く、私は精神病院入院していた、院内ではTVしか見られなかった。3週間くらいで退院したが、TV軽くみたりネット軽くみても、原発に関しても地震に関しても似たような話というか、個人的に目に付く範囲で見た場合、個別の問題とでもいうべき問題について色々書いた文章ばかりにおもえて、はっきり云ってこういう物を私が読んで何か考える事に何の意味があるのかという思いを持っていた。そういう問題点を指摘したひとはあったかもしれない、だけど目に付かなかったのでどうでもよかった。

病院から退院してからは、大帝国とかランスクエストをやったりしてた、他に適当に本よんだり、読書メーターというのを初めて読書の記録をシステム的につけるようになって中々本を読むのが楽しくなったり、英語勉強したりしていた、政治的なことに関してはそれなりに適当に見てたけどあまりよくわからなかった。だが10月02日にLeague of Legendsというゲームを始めて猿のようにやりまくっていた12月20日までやった。1試合平均35分前後かかる試合を900試合くらいしたと思う。その期間いつもみている政治的な主張の多いblogとか20サイトくらいいれているgoogle リーダー全然アクセスしなかった。

それで、League of Legendsを止めてからまた本読むのが楽しくなってきて、色々と読んでいた。LoLで得られた経験から、本を読んで色々より強い影響を受けて、適当blogにアホなおもいつき書きまくってた。どのような影響を受けたかというと、トルストイを読んで、社会全体の幸福志向する事の美しさみたいなものを学んだ。

話を戻そう、つまり、色んな人が色んな目的でいろんなことを言っていたと思うが、私は2ヶ月もそれを無視してゲームやり続けても何とも思わなかったのだ。それがどういうことかというと、メディアは私の理屈で言えば、私の行動を変えさせる、メディアがしたい問題提起に私のモチベーションを喚起させる行動をとることは不可能ではなかった、何故なら凄い影響力の高い意見なら、私の見ている範囲のネットblogにも情報は届くからだ。

そういう可能性をに影響を与える方法をとるということを考えることが大事であると思う。

その方法論を私なりに書きたい。

まず日本人には、共通のどういう社会を目指すべきかという根本的な理念が欠如しているように思う。たとえば憲法である憲法理論上は国家のありようを書いた文書だ。9条には問題があることを知っている人はいるだろう。だけど、Permalink | トラックバック(0) | 04:44

2012-01-04

インターネット

原文:The Un-Internet by Dave Winer



この世界無限ループに陥っている。



こう書くのは初めてじゃない……

って、だからこそ無限ループなんだけれども。

毎回全部書き下ろす必要はないわけで、

もはや様式美になってきた感がある。



何回繰りかえしたかとかは置いておいて、

さあ、もう一回はじめようか。



問題は「コントロール」、これに尽きる。



どういうわけか、IT企業の重役はこれを欲しがるんだけれども、

最後コントロールを手にするのは、いつもユーザーだ。



1994年、この繰り返す世界年代記を書き始めたばかりの私はこう言った

「私たちよりもユーザーがまた一枚上手だった。

 この業界ではだいたい15年周期くらいでこういうことが起こる。

 私たちが足元を見失って、ユーザーが反乱して、新しいソフトウェアビジネス降臨する。」



そこではこうも言っている。

ユーザーは一度コントロールを手にしたら、二度と返してくれない」。



御存じの通り、いまそれがTwitterコミュニティで起こっている。

そして次はTumblrコミュニティで。



コントロールを欲しがるというのは、別にあいった企業の重役の倫理観のせいじゃない。

短期的にはそれが最善のやりかただからだ。

ありうる道は、ユーザー手綱をうまくかけられるか、競争に負けるかしかない。

IT業界法則が書き換えられない限りはそうであって、

法則はそうそう書き換えられない。



若いころの起業家としての私であれば、そのくらいのことはわかっていたんだろうと言われるかもしれないけれども、そうじゃなかった。

自分たちのソフトウェア海賊版を作られることが、怖かった。

簡単にコピーできるものをどうやって商売にしていいか、分からなかった。

から、詳しくない人にはコピーできないようにするためのコントロール方法を編み出した。

すると、私たちのソフトウェアコピーするためのソフトウェア市場ができあがった。

けっきょくの問題は、ユーザーは私たちの意図に反することをやろうとする人なのかどうか、ということだった。

ユーザーの皆さんは誇りのある人たちだった。

から私もするだろうことをした。

私たちの製品使うのをやめたユーザーたちから

200ドルはするそのディスクをハサミで真っ二つにしたものを入れた封筒が、次々に送られてきた。

手紙意図するところは明らかだった。

ある日、ユーザー全員がコピープロテクションを外したのだ。

そうやって欲しいものを手に入れた。

私はようやく、いつもこうなるんだということを思い知らされた。



訳注:原文初版ではここにミッキーマウス画像



今回は、Appleユーザーコントロールしようとする勢力の親分だ。

ユーザーを守るというAppleの説明は、ある程度までは正しい。

iPadソフトウェアダウンロードするとき、害が起こさないということはかなりの程度、信頼できる。

危険な奴らから私のコンピュータを守ってくれる。

そこまでで済むんだったら、私は何も言わない。

ももちろん、そこまででは済まない

済むはずがない。

相手には、どのソフトウェア自分プラットフォームで出まわってもいいかを決める権力がある。

そうなれば、言論も規制されるのは避けようがない。

その意味で、iPadプラットフォームディズニーランドのようなものじゃないだろうか。

ディズニーランドPixar映画にないようなものは、そこにもない。



悲しいのは、Appleが若い世代に対する悪い見本になってしまっていることだ。

若い世代というのは、Appleみたいに「ユーザーエクスペリエンス」をコントロールしたがってそうな、

TwitterTumblrといった、比較的小さな会社のことだ。

彼らは、自由市場の不確実さよりも自分たちの品質管理のセンスのほうが優れていると思っている。

から同じようなコントロールを掛ける。

Twitterでは、Twitterパートナーとして指定したところのコンテンツしか表示できない。

どうやったらパートナーになれるかは、誰にもわからない。

誰にも見えないようにされている。



Tumblrあるブラウザアドオンおすすめしないと言い出した。

これを問題にするのはきっと、それなりの数のユーザーが使いたがったからこそだろう。

この決定は開発者だけじゃなくてユーザーまでも巻き込むことになる。

ユーザー「教育」しなければならなくなる、というのが問題だと彼らは認めた

あれ? これって聞き覚えがあるような………

ということで、最後には逆の結果に落ち着くだろう。

そうならなきゃならない、

ということを、インターネットが教えてくれた。



私がインターネットに初めて触れたのは大学院生ときのこと。

1970年代、それはまだインターネットとは呼ばれていなかった。

その単純さと、コントロールされていないところが好きだった。

あれを載せてはいけない、これは載せてもいい、と命令する人はいなかった。

門番はいなかった。

インターネットが育った周りの環境、つまりメインフレーム世界では、壁はものすごく大きかった。

個人はコンピュータを持てない。

使いたければ企業はいるか、大学に行くかしかなかった。



それからループが回るたび、IT業界が持ってくるコントロールを解毒するというのが、インターネット役割だった。

IT業界は毎回、理由とそれなりの妥当性を提示した。

アクセスできる人を無闇に増やせば悪夢が起こる、と。

でも最後には、私たちは壁を乗り越える。

そうするとまた次の壁がやってくる。

成り上がったプラットフォームが数の力で支配しようとする。

そしてまた、おなじ過ちを犯す。



これはインターネットと反インターネットの勝負だ。

そして、おそらくいつも、インターネットが勝つ。

プログラミング初心者たわごと

JavaScript って生き物っぽいって思ったのがきっかけだった。

なんか菌?に遺伝子いれてたんぱく質生産させるやつ? Function は菌の細胞膜prototype遺伝子で、だから prototype全然関係ない違う生物遺伝子を生きてる菌に入れちゃったり。そうすると全然ちがうたんぱく質生産されたり。prototype にべべーっとコピーして追加するのなんてまさしくそれっぽい。

インスタンスからじゃないと複製できないのも生き物っぽい。

インスタンスって言い方になにか違和感があるなあ。

だってプロトタイプベースって、生き物しかいない世界じゃない?基本的に。インスタンスってのは生き物じゃない設計図があってそれにしたがって出来た生き物がインスタンスってイメージあんだけど。プロトタイプベース世界にはそんな設計図も生き物じゃないものもないよね?なのにわざわざインスタンスっていうのに何か違和感ご都合主義的なもの感じる。クラスは型で、インスタンスを実体だとかなんとかって氾濫してるせいかな。多分この辺の用語が JavaScript をわかりにくくさせてる気がする。

僕の感覚では、オブジェクトってのは生き物で、クラスベースってのは神が設計図に基づいて生き物を生産してる世界で、インスタンスベースってのは生き物が生き物を複製してる世界イメージだ。多分、原始の生物インスタンスベースみたいな世界で、海の中にうようよしてたんだろうな、とか。

オブジェクトじゃないものは、生き物じゃない死んでるたんぱく質RNA の破片みたいな。それだけじゃなにもできないみたいな。それだけじゃ命がないから、生き物の殻に詰めるってのが JavaScriptコンストラクタイメージ

Perl の bless したらこれはもう命入ったよ生き物だからねっあとは勝手にしてねってのも、Python名前空間さえあればなんとかなるよねってのも、JavaScriptハッシュさえあれば世界作れるよねってのも、みんなどこか似ている。ちゃんと OOP を理解できてるかは別としてもこの三つはわりとすぐやりたいことができた。昔 Java の本を買ってきて挫折したのにくらべたら、なぜかずっとわかりやすかった。(bless という命名はすごく洒落てる)

全然関係ないけど、Django日本語リファレンスは何か萌えるラクダ本日本語訳はむかつくのに。

プログラミングを始めたばっかりの時は、なんだか難しい用語の意味を理解しないと OOP がわからないと思ってた。それは僕らの住んでる世界とは全然関係のないプログラミング技術ってやつだと思ってた。

でも多分違う。

世界が動く仕組みさえあれば、あとは作り手に世界の成り立ちを抽象化する表現力さえあれば、世界勝手表現されていくし、動き出してく。たまたま僕らの世界オブジェクトもので溢れていて、プログラミング言語進化すれば世界に似るのも当然だろう。いや逆か。プログラミング言語世界に似てきたから、オブジェクトなんていう世界に似た概念が出てきたってことか。なんだか難しい用語ってのは、その表現の一部分の技術名前をつけてるだけなんだな、と。例えば何とか歌唱法や何々画法とか何とかレトリックとかパースの取り方みたいなのと同じ。それは表現を理解する手助けにはなるけど、その意味を知る事がイコール表現力をあげることにはならないんだよね。これに気づくのに遠回りしすぎたなあ。

(知識を得るだけで、100% 還元される人もいるかもしれないけど、そんなのは一部の天才だけだと思う。殆どの凡人はそうはいかない。とはいえ、元の錬度が低ければ、コツをいくつか教わるだけでいきなりうまくいくこともある。ただ、それをまるまんま実力だと思うのは、どんな分野でも危険だ。恋愛テクニックやらを必死に読んでる連中が男女間の深い人間関係を上手くやれてるとはちょっと想像できない!)

プログラミング表現力を上げるにはどうすればいいんだろう。きっと他と同じだろうな。いい表現を沢山味わって、世界をよく観察して、どう成り立ってるかどう動いてるか、私達はそれをどう認知しているのか、考えることかもしれない。漫画家を志す人が美術解剖学を学んだり、優れた画家が絵筆で世界を生々しく描写するように、優れたプログラマ世界のなりたちをプログラムに写し取ったり、世界の仕組みを作る事が出来るのだと思う。

やっとプログラミング面白くなってきた初心者より。

2012-01-03

http://anond.hatelabo.jp/20120103180335

少年事件を専門に扱っているサイトに12歳の小学生妊娠。相手は高校生という新聞記事のコピーが載っていた

あと、くぐれば出てくるけど、ブログ妊娠告白している12歳の中学生がいた

日本でもあり得ない話ではないよ

2011-12-18

http://anond.hatelabo.jp/20111218171041

専用端末が人数分必要なんじゃね?

用意しないなら、端末持ってない人はどうすんだって話になるし、

pcでも見れるような汎用形式にしたら速攻でハックされてコピーが出回ると思う。

2011-12-05

http://anond.hatelabo.jp/20111205120214

勘違いでもないだろう。

あれは基本的に男向けのCMではあるけど、

「すいません」と謝るのは女の視線考慮したコピーだと思う。

個人的には上手いと思うけどね。

2011-12-02

http://anond.hatelabo.jp/20111201231817

コピーが「考える就活生」だかなんだかでしょ?

ジョブズじゃなくてロダンの像のポーズじゃないの?と思った。

2011-12-01

http://anond.hatelabo.jp/20111201222651

「今はそういう時代」も何も、そうじゃなかった時代なんて無いだろ。

むしろどんどんうるさくなってる。

別に教師だけじゃなくて一般企業公務員もそうだよ。パソコンソフトなんかも昔はコピー使うのが当たり前だったし。

2011-11-28

今日山手線に乗ろうとしたら広告けいおん!だった。

今日山手線に乗ろうとしたら広告けいおん!だった。

ところで、エロ年代の想像力って知ってる?ゼロ年代の想像力っていう2000年代サブカルチャー批評本のパロディ

2000年代エロアニメ批評してる本とかサイトらしいので詳しくは検索で。

最初そのパロディを知った時はすごいいい着眼点だと思ったけど、コンセプトの「未来エロ想像云々」で、自分が思ったこととは違う事に最近気づいた。

自分着眼点エロ年代の想像力というかエロ年代妄想力による「二次元美少女」のパッケージ化についてだった。

ゼロ年代なんて複雑すぎて無いに等しいようなどうでもいいものなんだけどゼロ年代エロアニメにまで焦点を絞ると確かに

マニアックからこそ明確な変化があると思った。しかもそれは意外に最近の傾向と関わりがある。

それはエロ年代では半ばに一つのエロアニメレーベルグリーンバニーが資金難で消えたことに象徴される。

今思うとこの会社があった頃までは火の車なのが見て取れるクオリティーが多々ある作品を出さざるをえない業界にも関わらず、コピーコピーコピーだとしても

物語エロと同じくらい随分と凝ったものが多かったように思う。だからこそ妙にシュール雰囲気に惹きつけられるものがあるとさえ思わせた。

それにそのシュールさを極めた人はエロの枠を火の車からか、意欲からか飛び越えざるをえないのかもしれない。結構メジャーな所で活躍してますからね。名前変えたり変えなかったりして様々な方面で。エロ年代は縁の下の力持ちなのかもしれませんがここでは割愛。

最近エロアニメはそういった雰囲気無視して、エロに突っ走るので本来はこっちが需要従順で正しい。それに最近美少女文化社会での浸透率の高さがあると思う。

まり、一々物語から順を追ってエロしなくても「二次元美少女」は無条件に主人公(特定の青少年)に惚れるよ!⇨(エロいとこ観れるかも!?)ということがあらゆるサブカルチャーっつーかもうメディアを通して誰にでもわかるパッケージ化した社会になったということ。

まり自分着眼点エロ年代の想像力というかエロ年代妄想力による「二次元美少女」のパッケージ化についてだった。

最終的にこの文脈で行くとけいおん!だってすごい。なにがすごいって「「二次元美少女」は無条件に主人公に惚れる」んだから主人公(特定の青少年)を消して「誰にも惚れない美少女」というある意味偶像の境地をパッケージ化してんだから

今日山手線に乗ろうとしたら広告けいおん!だった。

2011-11-27

foobar2000にて、ファイルの書き換えが出来無い現象。

軽くハマったのでメモ書きを。mp3ファイルタグ編集しようとした所、一部のファイルで以下のエラーが発生。

「Could not remove tags (Sharing violation) from:」

原因は、Skypeで送信待機中になっていた事でした。

Skypeを終了し、ファイルを別の場所へ移動した所解決。

同様のメッセージが表示された場合ファイルが使用中でないかを確認し、移動やコピー等を試みてください。

2011-11-26

おもてなし精神。この国の物が売れない訳

ちょっと長い帰宅途中や新人研修受けている(この時期に突然研修ってのがまた笑えるが)時にふと思いついた。

なんかネットで既に散々言われてる気もするけど。っていうか新社会人の若造が書いた文章だし、本気にしちゃ大人気ないぞ☆

から増田に書くんだし。

 

おもてなし精神

この国の売る=「サービスを売っている」

  

ものづくり」だとかなんだの言ってますが、実際この国の物に価値見いだしてお金払っている人ってそんなにいるんでしょうか?

 

トランスフォーマー2で(だったと思います...)コピー機が使えなくて困っている女性に同僚が「それ日本製だろ!」と話しかけるシーンがあります

もはや使いづらい製品代名詞です

地デジのために我が家に新しくやってきたTVリモコンボタン多すぎで、家族はすでにほとんどの機能を利用するのをあきらめてます

そんな物でも買っていたのは

国産というブランドとやたらと付いてくるサービスです

サービスはとにかく過剰です

家電は5年保証があるし、(どこの業界でもそうですが)小売店の店員の接待の丁寧さは気持ち悪いくらいです

でも今の時代保証付けるより買い替えた方が安上がりですよね。(そもそも中国だって壊れないんだから

 

そして接待の気持ち悪さ。

これで日本に勝てる国はそういないんじゃないかと思います

僕が受けてきた研修マナー講座でした。

IT技術専門家集団」みたいなことが名刺に入ってますが、ゴミクズ技術を7割くらいのひとが見てもわからないような敬語にこだわって売ってる訳です

「たくさんのサービス残業で作り上げたゴミ」をゴルフ接待お酒の力、日経適当な記事の権威を使って売ってる訳です

ちなみにうちの会社では日経○○みたいのが一週間に一度回ってきます。(結構こういう会社ありません?)


これを最も痛感したのは研修準備のときです

「こんな研修受けるなら、技術研修の一つでもやりゃいいのに」とか思いつつ、会場準備をしていたわけです

堅苦しい会社らしく研修報告書があるのですが、エクセルフォーマットがあるのに印刷して手書き。

理由は「社長部長は手書きを好むのよ」(by経理課長)だそう。

もはやIT企業ですらないだろww

つーかあんたらが売ろうとしているモノはじゃあ一体なんなんだwwww

社内でまで接待が必要なんですね。いや、まあ、知ってたけどさ。

マナー講座の先生は「以前ウェブサイト

発注したんだけど、夏場にスーツで来てくださった方に頼みました。だってポロシャツで来るなんてありえないでしょ?300万円も払うのよ!」

だそうです

いや、300万も払うならモノの方が重要なんだけど(笑)

この場合は営業の方も常識が欠けていたとは思いますが...。(特にあいう年配の方相手には...)

まぁ、これが海外でも通用すれば問題はないんです

問題は

1.日本人が英語話すのは無理

2.そもそも海外でこのレベルのことが求められているのか

な気がします。

新興国製品の質が上がってきているのはずっと言われていますし、グローバル化ってホントいね

ちきりんじゃないけど、もっと混乱して色々崩壊するのが楽しみです

2011-11-23

アニマゲ丼の記事もおかし

http://anond.hatelabo.jp/20111123115101



付け加えればアニマゲ丼の記事もおかしい。「コピーコピーコピー」発言はイリュージョニストの『表現』が素晴らしいが現在日本アニメ表現というレベルじゃないという文脈で出てきた話。ヨーロッパアニメーションの新しいムーブメントの話とヨーロッパ中心主義の話がメインで「コピーコピーコピー」発言はわざわざ拾うようなもんじゃないよ。



しかも「誇大妄想の極限を味うことができる」という話とは全く別の文脈。「しかし」でつなげるのはおかしい。

御大将至言を今かみしめる

むかし御大将

「良いアニメ作りたきゃアニメを見ずに小説とかを読め!」と言った。

シイ監督の「今のアニメコピーコピーコピー」っていうのと

被ると思うが、確かに今のアニメテンプレ通りのキャラクターテンプレ通りの

展開で、あまりにつまらなくて全部見ようと思わない。

正直化物語まどかですら、「まあ良く出来てるけど何度も見ようとは思わない」

感じなのだ。

なんというか、キャラにリアリティがない…というか、人間の正確のうわずみを

さらっとすくいあげてオタク視聴者向けに色つけてみましたっていう

キャラの造形ばかりで、あまり面白くない。

実際に存在しない性格の部分を、いくらすくいあげてデフォルメしたって

存在しないのだからリアリティが無いなあと思うのだ。

なんというか、リアリティがないのだ。キャラクターに。

「ああ周りにこんなやついるなあ」「ああこの人の言いたいこと分かるわあ」

みたいなのが最近全くなくなったなあと思った。

とりあえず客に媚びたキャラばかりが集っているから、本当に面白くない。

でも、人間のそういうリアリティを見るためには、どうしたら良いのかというのを

考えてみた。

小説?ドラマ?映画?本?

まあ何でも良いけど、自分の結論はこうである






ソープへ行け!」

http://anond.hatelabo.jp/20111123123623

ガラケーiPhoneは、ゲーム機PCぐらい違うものだ。目的が違う。そのPCの中でも融通がきかないのがiOSで、融通がきくのがandroidだ。

ガラケーは連綿と続いた開発で洗練されているし、スマホは今が発展期だ。

iPhoneは、iTunes(今ならiCloud)を持ち運ぶデバイスとしてのコンセプトがあるわけだし、編集コピーうんぬんはアップルとしてはパソコンですれば?って事だろう。シークレットについてはグループ分けすればいいんじゃない


こんなことがわからないのは、子供情弱。よって増田情弱


あと、アドレス帳は標準ではグループが無くて全ての連絡先が一緒だけど、iCloudから編集グループけができるからiCloudから連絡帳を開いてみてね!


ま、不便なのを楽しんでよ。おっちゃんおばちゃん達が、MS-DOSやwindows3.1をいじって楽しんだようにさ!

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