はてなキーワード: 得意科目とは
・父
・母
・第一子 (以下,私)
・第二子 (以下,二号)
2002年生まれの大学3年生.幼稚園から大学の学科まで私と同じ.
・第三子 (以下,三号)
大学に行かせてくださいと私が頼んだ時,父は以下の条件を出した.
・理系の,
・国公立大学に,
・予備校などには頼らず,
・現役で合格すること.
これら全てを満たせば学部を卒業するまでの生活費も学費も払ってくれるという.
私の高校は進学実績が落ちてきてはいたけれど進学校で,教育費には糸目をつけない親を持つ同級生が多くいた.
同級生たちよりも厳しい条件で大学受験に臨むことを不満に感じなかったと言えば噓になる.
が,学費を払えなくなったり,子供ができたりして高校を中退した中学の先輩を数人知っていたので,彼らに比べれば自分はずっと恵まれた環境にいるということを私は知っていた.
そして私は父の出した条件に従うことにした.
・A大学
通学時間は片道2時間.興味のある分野について学べるが,定員が少ないうえに後期試験がない.センターリサーチではC判定.二次試験は苦手科目の配点が大きい.
・B大学
通学時間は片道2時間半.興味のある分野に関連する学科はないが,設備が充実している.センターリサーチではB判定.二次試験は苦手科目の配点が大きい.
・C大学
通学時間は片道1時間.興味のある分野に関連する学科はないし,設備も充実しているとは言い難い.センターリサーチではA判定.二次試験は得意科目の配点が大きい.
A大学にどうしても通いたかった私は,合格の可能性が低いことを分かっていながら前期試験はA大学を受けることにした.後が無いので後期試験は安パイのC大学に出願した.
私はC大生になった.
入学一週間後には,自分が大学の下調べをかなり怠っていたことに気づいた.
シラバスを読む限り1年生の講義は高校の復習と言って差し支えなかった.2年生以降も,うちの学科はさして専門的な講義はないらしい.
1年生の時点で,大学で新しく勉強を始めたものは必修でもないのにとった第二外国語くらいだった.
やる気を出さないまま1年生の前期が終わった.GPAは4だった.
私は頭が良いと同期たちがあまりにほめるので,「いやいや,センターの数学で65%しかとれないくらい勉強苦手だよ」と事実を言うと,めっちゃ頭いいじゃんと返された.
やる気を出さないでいるうちに色んなことができなくなっていった.オンラインなのに講義を毎日欠席し,部長まで務めていたサークルを無断で辞めた.
堕落しているのは自分なのにC大学を見下す気持ちが強まっていく.
その頃,高校1年生の三号が志望大学を決めた.東京で一人暮らしをして文学部に通いたいらしい.個別指導の塾に通うし,滑り止めで私大を受けるし,浪人も視野に入れているという.
一体どんな手を使ったのか,三号は頑固な父を説得して自分の望み通りの条件で大学受験をすることになっていた.
私は理解できなかった.親の方針って,絶対的なものではなかったのか.大学に入ってからの この3年の月日は何だったんだ.
親に制限されたからぱっとしない大学生活を送ることになったのだと,私はこれまで現実逃避してきた.本当は違ったのだ.
与えられた状況に流されるまま行動してきた結果がこれなのだ.
はっきり言ってこれは逆効果だった.
医者に,「私は学歴コンプがあるんです」なんて恥ずかしくてとても言えない.
結局2度目の3年生の春にまた自殺未遂をし,大学病院へ転院することになった.
だが,新しく処方された薬でやる気のなさが改善し大学へ通えるようになった.
真面目に大学へ通い始めて,うちの大学には親切な先生が多いことを知った.
通院でどうしても講義を受けられないときは代わりに課題を出せば出席扱いにしてもらえたし,語学試験を受けたいと第二外国語の先生に相談したら週1でレッスンをしてくれた.
特に親身になってくれたのが指導教員で,色んな学術書を貸しては解説をしてくれた.
進学の準備を始めた矢先,自分でもどうしてだか分からないのだが自殺未遂をしてしまった.入院しましょうと主治医が言った.
その部屋には布団とトイレと監視カメラしかなかった.部屋には何も持ち込めないので情報収集も勉強もできなくなった.
数日後に読書が解禁されて,父がたくさん本を買ってきてくれた.一日中本を読んだ.ただ本を読むことに没頭できたのは小学校時代以来かもしれない.
入院しているうちに気持ちが落ち着いてきて,2カ月ほどで退院することができた.
入院したことで準備が間に合わず,C大学以外の大学院は受験できなかった.学科内の同期で内部進学をしたのは私一人だけだった.
昨日の朝二次試験のために東京へ行く三号と両親を,二号が車で駅まで送っていった.飲んでいる薬のせいで私は運転できないから家に残った.
夕食後の薬を飲むといつもは副作用で起きていられなくなるのだが,今日は目がさえて眠れない.
二次試験を受けるのは私ではなく三号なのに緊張してしまっているようだ.
三号への感情は羨ましい妬ましいという気持ちと,私ができなかった分も大学生活を満喫してほしいという気持ちがないまぜになっている.
春からは三号に対して学歴コンプを抱くようになるのだろうか.今すぐにはできなくても少しだけでいいから,いつかは克服したい.
10ヶ月間大学受験の勉強をして合格したので、備忘録として残す
27歳、女
毒親に進路を強制されて看護学校に入ったが耐えきれなくなり中退し就職、今に至る
仕事をやり始めた当初は大変なときがあったが、慣れるとルーチンワーク化してしまいつまらなくなった。
転職しようか悩んだが、興味のある仕事は大卒以上の仕事ばかり。
そこで大学に興味を持つ。
新卒の子たちがうちの現場に来ることがあったんだが、優秀のなんの。
誰でもできる仕事だからたまにかなりヤバい人が入ってくるときがあるんだけど、大卒の方はヤバい人率が格段に下がるのを肌で感じた。
昔から「地頭が良い」と言われていたが20代も後半に差し掛かり、地頭だけではどうにもならないと思うようになった。
私は全く優秀ではないのに、今の職場では持ち上げられてやたら優秀な社員という扱いをされるのも嫌だった。
自分が階級が下になれて自分より優秀な人にけちょんけちょんにされたいと思うようになった。
ついに受験勉強をすることにした。
週3で予備校にも通った
上司が理解のある方で受験勉強をしていることや予備校に通っていることを伝えてシフトを減らしたり、職位を下げてくれたことには感謝している。
はっきり言ってまったくオススメしない。
自分で決めたこととはいえ、周りは結婚したり飲みに行ったり遊んだりしている中勉強をすることはつらかった。
モチベーション維持が本当に大変だった。
私のように20代後半を過ぎて大学に行きたいと思っている方がいれば参考にしてほしい。
私は1校で決めてしまったので後悔している(予備校の先生方は本当に良い方ばかりだった)
私は働きながら3科目(国数英)勉強したが、10ヶ月間で3科目は本当に大変だった。
もし英検利用ができれば英語の勉強だけでも早めに始めて、英単語と英文法を取得したら早めに英検は取るべき。
受験直前に1科目減らすことができるのはかなり気が楽になるだろう。
私の現役時代の得意科目は現代文で、現代文だけ模試の偏差値が60越えることもあった。
現役時代に得意な科目があれば、そのまま得意科目として得点源になりうる。
「生まれつき優れている人間が、その優位性を思う存分に発揮することは、他者を傷つける悪しき行いだ。天より強さを与えられたものは、弱者のためにその身を捧げるべきだ。生まれつきの強者に、自分の人生を楽しむ資格なんて無い。なぜならズルいから」
俺はずっとそう思っていた。
でも……間違っていた。
今やっとわかった。
俺が間違っていた。
生まれつき優れている人間は、その力を思う存分発揮して良い。生まれつき優れているままに、幸せになっていいんだ。
俺を苦しめていたのは、この世界に無数にいる生まれつきの強者じゃなかったんだ。
強者はただそこに強くあるだけ。
そして、その強さによって突き進む未知の中で、弱者に豊かさを与えてくれさえもする。
じゃあ、何が俺を苦しめていたんだ
U149を前に強者への嫉妬に生きる道を諭されてから2ヶ月ぐらい考えていた。
答えは得た。
俺の敵は「他の子は出来ているんだから、貴方も頑張りなさい」だったんだ。
俺はずっと比較されることに苦しんでいた。
「なんで他の奴は出来ているのにお前は出来ないんだ」といつも比較されていた。
生まれつきチビで親譲りの運動神経の鈍さに悩む俺は、体育の授業では教師からも学友からもボロクソに「舐めとるんか?」と人格を疑われ続けていた。
勉強でも得意科目と苦手かもを比較されて「なんでこんなに差があるんだ?されはやる気がないんだろう」と貶されたこともある。
他人や、得意なことをしているときの自分を使って、自分が自分なりに真剣にやって結果が出なかったことを否定されると、本当に心底辛かったんだ。
生まれつき太りやすい人は「食べても痩せない」という言葉に傷つくらしい。
でも本当にその人を傷つけているのは「どうせ影で沢山食べているんでしょ?そうじゃなきゃそんなにデブじゃないよ」といった言葉を思い出してしまったことなんじゃないだろうか?
俺はやっとその事がわかってきた。
U149を見る前の俺は、すげー奴らを見ると、心のなかに「コイツら基準で比較されたら、俺はいよいよコテンパンにされてしまうだろう。どう頑張ってもこんな事できないのに、やる気を出せ嘘つきは死ねと言われるんだろう」という恐怖が湧き上がっていた。
そして、その恐怖の原因はすげー奴らがすげーことをしているせいなんだと勘違いしてた。
違うんだよ。
憎むべきは叩き棒にされた側じゃない!
叩いてくるやつなんだ!
俺はやっとわかった。
本当の敵が見えた。
https://news.yahoo.co.jp/articles/96f03821dedaf7d270db7546e41ff7082d083fce?s=06
このニュースを読んで、学校の対応に疑問をもった方も多いだろう。
このケースについて要因を断言することはできないが、似たようなことが以前の勤務校にあったので、書いていく。
まず大前提として、私は既に教員を何年も前に退職し、今は会社員として人並みに働いている。
また、特定されないよう内容にはフェイクを混ぜている。参考程度に聞いてほしい。
某所の中学校。
私が裏口入学の中の人をやらされたのは、新卒一年目のことだった。
私学適性検査(私立教員就活のセンター試験みたいなもの)の点数がかなり良かった私は、偏差値も立地も給与もいい感じの学校に就職でき、担任も任され、まさにこれからといった感じであった。
母校でもなく、地元を遠く離れ、同期に同郷や同大学の先生はおらず、今思うとアウェーではあったのだが、当時は特に気にならなかった。
何より生徒が賢かった。振れ幅は勿論あるが、素直で真面目な良い子が多い。
生徒との関係もおおむね良好で、どたばたしつつ充実した毎日を送っていた。
入試準備の時期になると、作問者に抜擢された。大役である。手当も出る。
隣のクラスの先生にも「新任ではなかなかないですよ、期待されてるんですね〜」なんて言われて、責任を感じながらも喜んだ。
作業は大変だったが、作問も入試も滞りなく終わった。ここまでは良かったのだ。
採点の日が来た。
配点と採点基準は事前に提出しているため、それに従ってつければ良いだけなのだが、なぜか私だけ別室に呼び出された。
呼ばれたのは狭い部屋で管理職の教員が二人おり、私が席につくと一人がドアの前に立ち塞がるように立った。
完全に怒られると思った。問題に大きな不備が見つかったのだと思った。
固まる私に、管理職は「いや〜入試無事終わったね!ははは」みたいな感じで、朗らかに話しだした。
あれ?怒られないのか?と思っていると、管理職は封筒から受験生の回答用紙を一束取り出し、
「ちょっとこの束だけ先に採点してみてくれない?あ、回答用紙に直接点数書き込まないでね」
と言った。
よく分からなかったが、私はその通りにした。
採点が終わると、管理職は点数のメモを見ながら何やら考え込み、おもむろに回答用紙の目隠しを外した。
目隠しというのは、記名欄を隠しているものである。つまり公平性を保つために、採点者から見てどれが誰の回答かわからないようにしているものだ。
私はビックリした。えっ?それ外して良いの?
顔に出ていたのだろう、管理職は私を一瞥すると「あ〜良いから良いから笑」と手を振った。
そして名前を確認して1枚の回答用紙を引き抜き、「これなんだけどさあ」と私の前に置いた。
男の子の回答用紙だった。削られていない、潰れた鉛筆で書いたのか、筆圧が高いのか、凄く太い線をしていた。字は汚い。
記述は必要以上にいらないことまで長文で回答しているものの、覚えてくれば答えられるような一問一答はことごとく間違えていた。
そして、試験時間中に紙をゴシゴシと擦ったのか、ところどころ変に黒くなり、破けていた。
「この子、点低いよね?」
管理職が言った。採点ミス?と思ったが、明らかにこの子の回答には点が高くなる要素がない。
私が黙っていると、管理職が口を開いた。
「この子、この教科が得意科目らしいんだよね、この子が合格になる感じにね…採点基準変えて欲しくて」
耳を疑った。え?何言ってるんだ?と思うと同時に、まずい、この子裏口入学?どうしよう、不正だよな、と思って動悸がした。
しかし、私は自己防衛に走り、適当に返事をして、その通りにした。
その子が合格するような採点基準に変えるというのは、ほとんど換骨奪胎だった。
一問一答の比重は著しく下がり、記述は余計なことを書いていてもとにかく意欲があればOKみたいな感じになった。
同じ束の中でも、点の下がった子がいた。字のきれいな女の子だった。逆に点が上がったラッキーな子もいた。
平均的にはそのままの子も多かったが、私が最初意図した試験とは違う結果になっていた。
そして全体の採点が終わり、家に帰った。
夕飯を食べながら、入試の日に保護者誘導で見かけた女の子のことを思い出した。
本校が第一志望なのだろうその子は、お母さんに抱きしめられ、絶対大丈夫!頑張って!と言われ、お父さんに大きく頷いて、お守りらしきものを握りしめて会場へ向かっていった。
あの子の点が下がっていたらどうしようと思った。
それから合格発表、新入生登校日があり、入学式を経て、新年度の始まりまで、誰にも不正のことは言わずそしらぬ顔して過ごした。
そして新年度、授業を受け持つ生徒の名簿を見た。
ヤバい子だったらどうしよう。しかし、新入生登校日にも入学式にも特に変な話は聞いていなかったので、大丈夫だと思い込んだ。
結果、ヤバい子だった。(以下、Aと呼ぶ)
床に寝る、騒ぐ、叫ぶ、殴る、人を突き飛ばしながら走る、窓から物を落とす、トイレでおしっこスプラッシュ、下半身を露出して女子を追いかけ回す、ゴミをぶちまける、他のクラス(なんと、上の学年にもだ)の教室にいきなり入って因縁をつける、考えうる悪行は一週間でほぼ全てこなした。
授業中も凄かったが、私の教科は自称得意科目なのもありまあまあ真面目に聞いていた。
それでも授業中に立ち上がり、他の子の筆箱を取り上げてぶちまけるくらいのことは平気でやった。目眩がした。
危険な道具を使う技術家庭ではほとほと困り果て、家庭科の先生は泣いてしまった。
すぐに教員のシフトが組まれ、Aくんには常に教員が一人以上つくことになった。私も何度かついた。
前述の通り、素直で真面目な子の多い学校だ。異質な彼の噂は瞬く間に広がった。
面白がる子もいたが、幸い同調する子は少なく、みな教員に協力的で、何か起きると何人もすっ飛んできて教えてくれたが、残念ながらAくんのクラスは学級崩壊に近かった。
担任している子たちには、あのクラスの授業をやってるなんてと哀れまれた。
Aくんの親はどんな連絡をしても悪びれなかったようだ。
そりゃそうだ、裏口入学させるような親なんだし。
Aくんの学年内では、教員も生徒も色々な理不尽があったと思う。
物を壊された生徒は多数。
職員室でAくんの学年の教員が管理職に怒鳴られているのを何度も見た。
教員内で情報共有はなぜかされなかった(生徒指導部ではしていたのかもしれない)が、意外と生徒たちの方が詳しく、生徒づてに色々な事件の話を聞いた。
職員室では、なんであんな子がうちに入ってきたんだという話が頻出するようになった。
「裏口入学なんじゃないか?」と言われるたびにどこからともなく出る台詞が、「でも、実際得意教科でガッツリ点とってるんだよなあ」
冷や汗が止まらなかった。
その内、Aくんがクラスでこんなことを言うようになった。
「ここの理事長は俺の手下なんだ、俺に楯突いたらお前ら退学だからな」
男子は真に受けなかったが、意外と女子が真に受けて怯え、教員への不信感をつのらせた。
たぶん、Aくんの保護者(もしかしたら年齢的に祖父母かもしれない)が家でAくんに言ったのだろう。
不正の結果ヤバいことが起きた人なら分かると思うが、こうなるともう本当に怖くて仕方なかった。
バレる夢を何度も見た。げっそりしている担任に申し訳なかった。何より生徒にバレたらと思うと恐ろしかった。
俺が殴られたのは、私が追いかけ回されたのは、物を壊されたのは、授業をまともに受けられないのは、先生が不正を許したからだと恨まれるのが怖かった。
ここは母校でもなく、地元でもなく、同期に同郷や同大学の先生はおらず、何より忙しすぎて親睦を深める余裕はなかった。
よくしてくれる先輩はいたが、皆裏口入学なんて当たり前だと思っているかもしれない。
先輩たちもみんな通った道なのかもしれない。
今思うと考えすぎなのだが、当時はそんな風に考えていた。
作問担当に決まったとき、「期待されてるんですね」と言われたが、なんのことはない。
どこかにチクるツテの無い私はうってつけだったのだろう。
で、まあこれだけが理由ではないのだが、他にも普通に忙しすぎるとかやっぱり地元に帰りたいとかもあって、しばらくして私は教員をやめた。
先生方とはそれっきりだが、生徒とは今も連絡を取り合っている。
このことを、機会があって母校の恩師に愚痴ったところ、慰められたが微妙に言葉を濁された。母校でもありそうな感じだった。
多少は清濁併せ呑んで働くべきだったのかなと思った。
以上である。
【追記】
本文中に発達障害という言葉は意図して使いませんでしたが、コメントを見ていると逆に良くなかったと思うので追記します。
私はAくんの保護者に会ったことがないので深く触れませんでしたが、裏口入学を依頼する親と受け入れる学校が悪いのは明らかです。
子どもは得てして欲望剥き出しの生き物です、親が提示した裏口入学に分別なく飛びついても責められません。
冒頭に貼った記事の児童も、Aくんも、親さえまともならどこにでもいるただの「支援が必要な子ども」に過ぎなく、これ自体に善悪はありません。
発達障害には天才も含まれるとのコメントをいただきましたが、それは当然として、他の圧倒的多数を占める「平凡な発達障害児」と比べてもAくんの問題は明らかです。
たしかにAくんの障害は(おそらく)重度ですが、この場合は「裏口入学をさせるようなクズ親に育てられたこと」と「重度の発達障害を持っていること」が掛け合わさって問題が生まれています。
発達障害と一口に言っても程度や種類は様々で、それぞれ色々な生きづらさや問題を抱えていると思いますが、Aくんを取り巻く問題はその中でも外れ値です。発達障害全体の話題として捉えられるのは本意ではありません。
また、発達障害の方に、自分もAくんのように周囲を困らせていたのかもしれないと思わせてしまうのも申し訳なく、本意ではありません。
当方、阪大理学部を目指していたので早慶を受験したことがないでござる。上理の理系には受かった。そんでもって、何故か今更ながら早慶のことが気になってしまったのてある。仮に私大専願だったら、早稲田の政経か慶應の法経、最低でも商学部なら二浪以内に受かったのだろうか?得意科目は世界史と英語。
タイトルには「相談」と書いてあるけど、この文章で「相談」とはいったいどの部分なんだ???
理学部を目指してて私大の理系学部?に受かったけど、得意科目は理系科目じゃなくて世界史と英語、そんでもって気になるネームバリューの大学に入れるなら経済学部だの法学部だのでもいいと言ってるように見えるが、何がしたいのか全くわからない。そもそもなんで理学部?理系学部?を受けたんだ?
よく、「発達障害には先延ばし癖がある」と言われるけれど、これって本当に正しいのかな?
自分の場合、子供の頃は先延ばしするのは学校の宿題それも夏休みの宿題の中の苦手なやつくらいで、得意科目は普通に提出していたと思うし
好きな事には寧ろ率先して早期に取り組む方なんだよね
それが大人になってからは、家を出発するのや履歴書の郵送やメールの確認、何もかもがギリギリあるいは定刻オーバーになってしまう。
これって発達障害の症状のせいというよりは単に、大人になって発達障害者の身の上に起こるのが嫌な事ばかりだから、嫌な事だから気が進まなくてそうなっているんじゃないのかって思う。
「発達障害の先延ばし癖」って、社会のレールを外れて落伍し、嫌な事ばかりが起きるようになった人に対して下される診断が「発達障害」だからあたかも、「発達障害によって先延ばしが引き起こされる」ように見えるんじゃない?実際には発達障害と先延ばしって直接の関係はないと思うんだ。
最近の某事件の犯人が、某私大の理系学部を経済的理由から中退していた、とネットの記事で知りました。
私も犯人と同年代で、同じような経験をしています。同様の境遇の若い人たちに、何とかなるかもしれないと思って欲しくて、私の体験した私大生活や修士号取得について書きます。
なお、犯人が起こした事件は決して許されるものではないと思っており、犯人を擁護する意図はありません。
私は高校時代、恥ずかしながらセンター模試の結果がいつもボロボロでした。中でも古文漢文や歴史、化学などの科目がひどい出来でした。
一方で、得意科目の物理や数学が大きく評価される私大模試では、いつもなかなかの偏差値でした。
結果、センター試験は本番でもボロボロでしたが、早慶や関関同立といった私大の理系学部に合格しました。
それまでも職を転々としているような父で、実家には大した預金もなかったようです。
入学式を迎えたものの、いつ授業料が払えなくなるか分からない状態でした。
大学の事務室で授業料について相談し、入学直後に募集のあった大学オフィシャルの奨学金に申込みました。
家庭の収入を証明する書類や推薦状など揃えなければいけない書類が多く、なかなか大変な手続きでした。
親の都合なのになんで私が…と思いながら手続きしたことを覚えています。今思えばバチ当たりな考えですね。
無事に奨学金の審査に通り、私の場合は年間およそ100万円の授業料が免除されました。
ただし、年間50万円ほどの施設利用料は支払う必要があり、こちらは母が支払ってくれました。
奨学金の審査は毎年ありましたが、幸い三年間、連続で採用されました。
この間、奨学生になるために成績だけは学科タップをとり続けていました。
だからといって勉強漬けではなく、アルバイトで飲み代を稼いで、サークル活動も楽しんでいました。
大学3年生になると、理系学生は院進学について決めなければなりません。
私は進学してもう少し勉強したい気持ちがありましたが、来年、さらに修士課程でも奨学生になれるとは限らない。
大学3年生で4年生と共に試験を受け、合格すれば来春から一年早く修士課程に入学できるのです。
もちろん入試を受けました。
志望先の研究室の学生にコンタクトを取り、院試面談に関するアドバイスをもらって無事合格。
おまけに特待生として修士課程二年間の授業料免除もゲットしました。
さらに無利子の奨学金で月7万円を頂くことができ、激安の学生寮にも入れたので、修士課程はバイトなしで生活できました。
ときどき研究室の先生にTAをさせてもらい、お金を貯めて研究室旅行にも行くことができました。
大学院での研究は、周囲と比べると卒論を書いていないという負い目もありましたが、先生には分け隔てなく指導いただきました。
また、リーマンショック前の売り手市場だったこともあり、就活では複数の大手企業に内定をもらいました。
さらにラッキーなことに、そこそこの成績だったようで奨学金の返済が半額免除になりました。
結局、学部時代から約50万円プラス生活費で修士号を取得することができました。
その後、就職してから数十年。すでに奨学金も返し終わっています。
それが何だと思われるかもしれませんが、東大生人気ランキングに入るような会社で、そこそこお給料もいただいています。
自分の子供には幅広い選択肢の中から進路を決めてほしいと考えていて、日々子供のために頑張って働いています。
あのとき、奨学金制度を教えてくれた方や、採用して下さった方々のおかげで、今があります。
経済的な理由から学びを諦めそうになっている学生の方へ。何か方法がないか、周囲の大人に相談したり、裏技がないか調べてみてください。
学ぶ意欲のある人には、どこかで誰かが味方がついてくれると思います。
どうか諦めないで。
大学受験に的を絞るからこそ、そもそも「その学校から難関大に行く人数」自体は問題じゃないと気付いてほしい。
受験はクジじゃないんだから確率なんて関係ないし、学力にはそれにあった適正な指導が一番大切。つまり、これからの6年間で、「この子がもっとも伸びる環境はどこか」という視点で考えることが重要なんだよ。「天才の中に放り込めばわが子も覚醒するのでは…」というのは、親のムシのいい期待であって、普通はそうはならない。それより、劣等感にまみれ、さりとて挽回する力も術もなく6年間を過ごす子供の気持ちを考えてみてほしい。その状況で、周囲に追いつこうとあがき続けられる子がどれくらいるだろう? 結局、その子が望み、かつ、普通に努力して入れるところが、大体の場合その子の最適環境だ。
ちなみに、自分の場合は80人定員の進学校に80位くらいで滑り込んだ。合格最低点から10点くらい低くてそりゃ不合格だよなーと思っていたら3月の終わりに補欠で声がかかったので、普通の年ならあきらかに入学できていなかっただろう。そんな自分は、中学3年間ぶっちゃけ勉強壊滅で成績は80位くらいをキープ。授業中は寝倒すことで有名で、教師にもほぼ見放されてた。
ただ、高校から編入で1クラス入る学校だったので、そこで一時的に80位/80人中→90位くらい/120人中となったおかげで、「あ?意外といけるが?」となり、高校では得意科目もできて成績はその位置をキープ。結果、大学受験も一応はなんとかなったが、あの中学時代が6年続いていたらぶっちゃけ大学行けたかどうか全く分からん。まあ俺が根性無しだったと言えばそれはそうかもしれんが、中学時代の80位前後仲間で、そのまま高校でも110番台に沈んでいった連中は、その後大学に行ったという話すら聞かない。同窓会でも噂すら聞かない。
そして自分は、大人になった今も、中学時代のあの無力感・劣等感からなかなか抜けだせていない。それはそれで自分の人生の武器になっている部分はあるけど、それはただそうなっているというだけで、それが人生において必要なことだったとは別に思わないな。
だからどうか、子どもには適正な環境を準備してやってくれと思う。身の丈に合わない場所に入って苦労するなんて、よくある話っちゃよくある話だし、人によってはそこで発奮して挽回できるのかもしれないが、誰もがそうとは限らないのだからな。
前回 https://anond.hatelabo.jp/20211125221032
人生の行く先は、2chのトップページに置かれていた壺の色だった。
1 オタクと教師以外とのコミュニケーションの仕方がもはや分からない
3 とにかく就活の準備をしなければならない
4 就活の準備をするためにはサークルかバイトか勉強を頑張らなければいけない
それは致命傷じみたコンボとして繋がった。
開幕小足が入ったらそのまま10割のクソゲー。
というほどではない。
ただ反撃の機会がないまま画面端で起き攻めを喰らい続け負け続けて4ラウンドを使い切った形である。
何故、勉強ぐらいは頑張れなかったのか。
「こいつらには流石に勝てる。だって俺の通ってた学校は仮にも中高一環で割とみんないい大学言ってるんだぜ?」
なんて思って見くびっていたからだ。
必死に問題文をゲーム的に読み込んで4択を2択にまで減らして運ゲーを繰り返していただけだ。
つまりは、ゲーム的に問題を解く能力が低い代わりに自分より基礎学力が高いやつなんてすでに腐るほどいる中で舐めていたのだ。
ソレ以上に、振り返ってみると成績が思ったより悪いことに驚いた。
なんだか全てが嫌になった。
そして、大学に行かなくなった。
無気力な課題を提出しては助教から「いっそ丸写しぐらいしたらいいのに」とたしなめられた。
脳が記憶にロックをしていたので何を研究していたのが思い出せない。
しゅごい……トラウマって本当にありゅんら……。
ひとまず、現実から逃げるためにゲームとネットをして過ごした。
といきなり口走った。
実際に願書は出していた。
もちろん勉強はしていないが、願書だけだしていた。
なんで公務員なのか。
楽そうだと思ったからだ。
1年目、当然落ちる。
ただ手応えはあった。
プログラミングの基礎教養としてちょっと数学をしたぐらいで、ぶっちゃけ文系に近い。
だがそんなの関係ねえ。
まあ暗記苦手だから社会科勉強し直すよりは科学のが楽なのよね。
問題の中には中学受験の頃にやった算数パズルもあったし、簡単なプログラミングもあった。
中学受験組でプログラマー崩れの自分には何げに色々と有利だった。
1年目に落ちたあとは猛勉強のためにファミレスとかで勉強を始めたが、だんだんこれは行けるなと思ってこっそりゲーセンに通ったり古本屋で時間を潰したりするようになった。
親が見ている時間だけ頑張るくせがついて、親が帰ってくる前にオナニーして寝て夕方だけ勉強して夜ふかしする生活にもなってきた。
うっすら死を感じた。
これは駄目なパターン。
失敗することのメリットに「これ同じ失敗するやつだな?」と気付けるようになることがある。
そこでなんとなく引っ張られてしまう不思議な引力があるが、そのときの自分はソレを振り切れていた。
今思うと凄いな。
受験直前の3ヶ月ぐらいは頑張って普通の生活をし、普通に勉強をしていたので試験は受かった。
面接は「大学時代は自堕落だったけどここ最近はめっちゃ健康的な生活をするようになって~~~」とベラベラ喋って心を入れ替えた感をアピールしてなんとか一次は通った。
二次で落ちた。
一次で通ったことに自信をつけたのか、適当に公共事業と関係がありそうな職場に面接に行った。
筆記テストが出されたが、公務員試験をやったばかりなので簡単に解けた。
面接では「公務員試験落ちちゃったけどやっぱ人の役に立ちたくて」とどこまで本音なのか、そもそも嘘だとして言って得があるのかもわからないことをずっと喋っていた。
プログラマーになることを諦めるのが遅かったし、そうじゃなかった可能性に対する準備が足りてないし、そもそも人生でまともに頑張った回数が少なすぎる。
あっさりだった。
俺と7つ離れてる俺の姉、のんびりや。
俺が小さい時はよくわかんなかったけど、大きくなるにつれ、姉がボケボケなことをわかってきた。変なとこだけ書き出すと、グレーゾーンだと思うかもしれないが至って普通な人間だ。
理数系は得意なのに文系はダメダメ、三者面談で担任に日本語が苦手ですね、と言われた始末。(別に悪口ではない)
体育はもはやできない、特に球技が下手すぎてチームプレー系の時はボールが来ない。ボールが来そうになると他の人がすっ飛んで来る。一回バレーボールでたまたまレシーブになってしまった時に腕を上に振り回しながらジャンプして腹から床に落ちる、というイルカもビックリな動きをしたらしい。ちなみにボールは取れてない、怪我しなくて良かったな、姉。(姉の友人談)
姉、めっちゃ食う。
学生の時でも3合近く食ってた、社会人になって食べる量減っちゃった…とか言いながら2合食う。太ってはないけど痩せてもない姉、このクッキーうま!とか言いながらせんべいと交互に食う。さっきおでん山ほど食ってただろ。そんな姉に祖父がしょっちゅう仕事終わりにお菓子を買ってくる。
姉、聞き間違いが多い。
母が、明日のご飯なにが良い?と聞いた時に、草津、と返した。草津?こいつ、明日温泉行くけど良い?とかに聞き間違えやがったな。ていうか、草津に気軽に行ける距離じゃねえだろ。
また別の日、スーパーで姉の好きなアニメのお菓子が売ってたから◯◯◯あるよ、と言うと、さわやかマンション?と聞き返された。何をどう聞いたんだよ、さわやかマンションってなんだよ。
姉、急にハマる。
某GOが流行った時、仕事終わりの姉と公園まで散歩した時があった、GOそっちのけでブランコ漕ぎまくってなにもつかまえずに帰宅。結局その日は家で出たいもむしつかまえて終わった。
一時期折り紙にどハマり、永遠に鶴とかなんか難しいの折り続けてた。玄関や廊下に姉の折った動物が立ち並んでいたのを見た時は、ここは姉の王国か?と思った。
その折り紙達は最後一匹ずつさよならの挨拶をしてお焚き上げしてもらった。祖母がそれを見ながらみんな帰るのね、と泣いてた、どこに帰るんだよ…。(祖母もど天然)
姉、父に似てる。
姉のど天然は父譲りだと思っている。そしてそれは祖母譲り。
父も聞き間違いが多い、この前父の好きな球団の話を振ったら牛丼屋の話だと思われていた。牛丼屋は勝ち越し数の貯金しないだろ。
この前ふたりでリングフィットアドベンチャーをしてた、それふたりでやるやつじゃないんだけど。リング両手で挟むやつなんか父がヘルプ出してふたりで押し合ってズルしてた。
スーパーや出かけた先でまだ小さい俺と一緒に手を繋いでくれた姉。
お菓子の大きい方をくれない姉。
俺のためにいつもお土産を買ってきてくれる姉。
姉が初めて私の恋人ですよ、と連れて来た時はびっくりしたけど、しっかり姉をサポートしてくれそうな人で安心した。もう俺がいなくてもいいんだって思うと寂しかったけど、母や父と話す彼氏の横で永遠にクッキーとせんべい食ってる姉見てたら冷静になったよ。それ彼氏のために用意してあるんだよ。
そんな姉、結婚おめでとう。
歳の離れた俺が就職するまで結婚しないって決めててくれてありがとう、付き合ってると聞いてからずっと結婚しないから、今時はそういう選択もありだよなって思ってた。でもこの前、母親からその話と、小さい頃寂しい早く帰って来て遊んでと姉について回る俺のために姉がいつも学校や友達と遊びに行った時も早めに帰宅してくれてたことを聞かされた。姉が卒業旅行に行く日、拗ねて泣く俺を抱きしめてくれたことを思い出した。姉が実家から通える大学を選んだのはお金のこともあるだろうけど、俺がいたからなんだってわかったよ。
姉、結婚おめでとう、本当におめでとう。
幸せになれよ、旦那さんに迷惑かけるなよ、もう自分のために時間を使えよ。俺のことは気にするな、俺はもう二十歳も超えて寂しいなんか言わないから。
姉、今までありがとう。
姉、食べ過ぎるなよ。
姉、結婚おめでとう。
この投稿は比較的若手の声優が書いています。また、個人的な意見ですので正しいと思うかは各自の判断でお願いします。
声優養成所で講師をしています。講師歴は5年程度。声優としては吹き替えをメインで活動しています。
皆さん、どうします?
ここ数年ずっと人気な声優業ですが、鬼滅パワーで再び人気を博しています。ですので、年頃のお子さんをお持ちの親御さんから
「子供が声優になりたいって言い出してね〜。増田さん、どう思う?」と質問を受けることがあります。
個人的には応援してあげてほしいですが、人生がかかっていますので簡単な話ではありませんよね。そこで、講師業の経験から声優になれる人、なれない人の違いを説明しています。(正確には声優になれた人、なれなかった人の特徴)
さて、声優になるのに避けては通れないのが声優養成所(あるいは専門学校)です。養成所によって違いますが年間約50~100人が入所し、そのうち事務所に所属できる(= 声優になれる)人は3~5人。倍率にするとおよそ20倍です。
東大の合格倍率が3~4倍ですので、声優になる難易度の高さがよくわかります。
そんなことはありません。どちらかと言えば確定要素によるものが強く、声優に必要な素養を持っている人が声優になり、持っていない人はなれないというだけの話です。
声優に必要な素養としてよく語られるのが「良い声」や「ルックス」ですが、声優になれるかどうかにはそこまで影響しません。
なぜなら「良い声」や「ルックス」は売れるためのものであって、声優になれる = 事務所に所属できるためのものではないからです。
声優になるのに本当に必要な素養は「理解力」です。頭の回転の早さと言ってもいいでしょう。
では、なぜ「理解力」が声優に必要なのかを実際にあったエピソードとともに説明します。
私が講師になって2年目に入所してきた生徒、通称さわやかくんは全く演技をしたことがない大学生でした。声は中音域、ルックスは平凡とThe・普通な男子。それでも彼にはズバ抜けた「理解力」がありました。
初回の授業では自己紹介をしてもらうのですが、この時点で声優に適した人材かどうかと採点を始めます。採点項目は人前で声が出せるか、エンターテイナーとして聞いてる人を楽しませられるかなど。
ほとんどの生徒はボソボソと挨拶をするだけで、中には「自分なんてつまらない人間です」と自らを卑下する生徒もいます。そんなネガティブな声優が魅力的に映るハズがありません!
そんな中、さわやかくんは違いました。
「初めまして!〇〇です!小学校から高校までなぜかずーっと3組だったのでさわやかってあだ名でした!元ネタが分からない人はさわやか3組ってNHKのドラマ観てください!よろしくお願いします!」
彼は自分が既に採点されていることを分かっていて、ボソボソした挨拶が続く中で勝負を仕掛けたのです。ここで一目置かれれば周囲から抜きん出ることができると、理解していたのです!
結果、彼は生徒内でも講師の私にとっても「こいつはちょっとできるヤツだ」と認識されました。
発声練習が始まると、お腹の使い方などを身体で理解する必要が出てきます。大半の生徒は腹式呼吸で発声することもできず体得に時間がかかるのですが、さわやかくんは違います。
もちろん、彼も未経験者。初めは全く腹式呼吸ができていなかったのですが、一通りの説明が終わると朗々と話し始めます。
彼は運動神経が良いのでしょう。身体に覚えさせるのは一瞬でした。これも「理解力」です。
セリフのある台本を読むようになると初心者は誰しも棒読みになります。さわやかくんも見事な棒読みです。そこで私がクラス全体に「声優が使うのは音だけで、音に感情を込めるということは音高やリズム・間や呼吸が変わること」といった趣旨の話をしました。
すると、さわやかくんのセリフが色づき始めました。私のアドバイスを噛み砕いて理解して即座に反映させる。なかなかできることではありませんが彼にはできたのです……!
さらに彼は読解力も非常に高く、当日渡した台本にもスラスラと感情を込めて読んでいきます。もちろん、それが完璧なわけではありません。実際の現場では音響監督と意見が食い違うことも多々あります。
時折、私がさわやかくんに彼とは異なる演技プランを説明すると「あぁ〜、なるほど」と一瞬考えた後、すぐに修正した演技を見せてくれました。見事な対応力です。
その後も彼は指摘をすれば即修正を繰り返し、確かな演技力を身につけていきました。
最終的には成績上位者のみ受けられる仕事につながるオーディションのメンバーに抜擢され、1発で合格とはいきませんでしたが、何度か挑戦の末、ついにチョイ役で声優デビューを果たしました。
ここまでお読みいただいて、声優にとっての「理解力」の必要性を感じていただけたでしょうか。
さわやかくんの例は珍しく、数年に1人レベルです。彼ほど高い「理解力」がなくても声優にはなれます。
もし、身近に声優を目指す方がいらっしゃれば以下の特徴に当てはまるかチェックしてみてください。いずれも「理解力」につながるものです。
もちろん、全てに当てはまる必要はありませんが現役声優は複数該当する方が多いです。特に最後の「IQが高い」は意外と重要な特徴だと思います。地頭の悪い声優を私は見たことがありません。
つまり、元も子もありませんが声優になるには比較的賢い必要があります。弁護士になるのに頭脳が必要なのは誰でもわかることですが、なぜか声優はバカでもなれると勘違いをする人が多いです。
考えてみてください。何十ページもある台本を1週間程で読み込み、音響監督の意図を都度汲み取り、映像に合わせながら適切なお芝居をするのに頭を使わないわけがありません!
もしあなたのお子さんが声優になりたいと言い出したら、冷静に「この子は賢いだろうか」と考えてみてください。学校の勉強だけではなく、普段の立ち振る舞いや話し方などを総合的に判断すればわかるハズです。
もし、親の色眼鏡を無しに比較的賢いと判断した場合はぜひ応援してあげてください!
よく聞かれる質問です。
答えは「なれますし、場合によっては有利な可能性もあります」です。
場合によってはというのがミソで、以下に当てはまる方は有利な可能性が高いです。
社会人は学生に比べて練習時間を捻出するのが難しいですが、その分お金を使って有利に動く必要があります。具体的には「深夜も練習できるよう防音室をレンタル・購入する」「発声を良くするためボイトレに通う」「演技力を高めるために養成所外のワークショップに通う」など、お金があればできることはたくさんあります。
また、万が一声優になれた後も副業として続けられる職があれば食いっぱぐれることもありません。若い声優が声優を辞める理由の1位は「食べていけないから」です。声優の大半はアルバイトをしながら売れるチャンスを待って、待って、待ち続けて歳を重ねていき、ついに年齢と賃金が見合わなくなって心が折れていきます。
その点、副業として今の職場を継続勤務できる場合、収入は減りますが最低賃金のアルバイトよりは全然マシでしょう。そのまま声優を続けることでチャンスを待ち続けることができますし、万が一声優を辞めても職場復帰できれば万々歳です。
こうしてみると、むしろ社会人から声優を目指した方が良いのかもしれませんね。最近はそうした声優も増えてますし。
ですので、社会人の方でも声優になれる素養があると判断された場合、目指してみてもいいのではないでしょうか。
ただし、くれぐれも職場を飛び出してフリーターになったりしないように!
(時々、「会社員をしながらプロを目指すなんて無理に決まっている!」と熱弁する無責任な講師がいますが無視しましょう。オリンピック選手だって普段は会社員として働いている方が多くいらっしゃいます!)
受験てゲームだったと思ってる。ゲームのルールにこっちから注文つける気なかったな。得意科目も不得意科目もあったけど、とにかくそれをクリアしたことで得られたものがあって、それがベースになって、その後グイグイ上がるゲームの難度に食いついていけた気がする。そんでだんだんゲームの作りにまで踏み込むようになる。
この頃マンガの英訳読んでて、誤訳以前の問題として、発話者ってか、そのフキダシが誰から出てきたかのあきらかな取り違えが目だつって分かった。これ、主語の認定とか、動作主とか動作の受け手とかの問題だよね。われわれ何の疑問ももたず、ほとんど本能的に読んでるのに、日本語が母語じゃない人にはそうはいかないんだなって。源氏物語の時代から日本語の性質ってあんま変わんないんだなーって思った。
これ、釣られ?
高一、高二の時は部活が忙しいことを言い訳にして、本当は自堕落な生活のせいだけど、勉強をサボっていた。親にそんな自堕落な生活をしているのに京大志望なんて鼻で笑われるよって言われて、自堕落な生活をやめたくなかったから、京大志望って書くのをやめた。地元の某旧帝大に志望を変えた。でも、本当は京大の総人が大好きで、総人に行きたいと通奏低音のように思っていた。高三になったら京大に志望を戻して、死ぬ気で頑張ればなんとかなるのではなんてアホなこと考えて、自堕落な生活を続行した。
高三になって、自堕落な生活を抜け出すのは無理だった。染み付いた自堕落はどう足掻いても抜け出せない。土日の勉強時間なんて最低0時間、最高六時間、平均5時間だった。平日は塾で自習してたけど、毎日1~2時間ぐらいは寝てた。模試の判定は某旧帝大でCかDしか取らなかった。京大は怖くて一度も書かなかった。
共通テストは直前にやり込んだらなんとかなった。2番目に行きたかった学科のボーダーギリギリを掠めた。だから、一番行きたかった学科は諦めて第一志望を2番目に行きたい学科にした。そのあとは関西の某私立受けたら落ちてて、そこから二週間ぐらいはそこそこ本気で勉強した。
入試当日、今までの自堕落な受験勉強に自信が持てなくて、会場までずっと泣きそうだった。仮想的な自信を頑張って想像したり、駅名から下ネタを考えたりして慰めた。会場についてからも、ただひたすら大学に大して、●大様、愛しています、どうか受からせてくださいとずっと祈っていた。幸い、入試問題は自分の得意科目が難しくて、苦手科目が簡単だった。
発表までの期間は何もできなかった。後期の勉強に手がつかなくて、小説書いたりしてた。
合格発表の日、受かるかどうかは五分五分だと思っていた。浪人になる未来が怖すぎて震えていた。
合格の文字を見たときは信じられなかった。浪人しなくてよくて、高い私立に行かなくて済んでホッとした。同時に、合格を大して喜んでいない自分の存在にも気づいていた。
奇跡の合格だと思った。大学生活頑張らないと、流石にバチが当たると思った。
大学に入学して二ヶ月経った。頑張ろうとは思うけど、頑張るとはどういうことなのか、わからない。授業もサークルもバイトも新しいことはひと段落したから、できつつあるルーティーンをこなすだけになっている。このままでは本当に神様的な何かに申し訳が立たない。この四年間頑張らないと、そのさきの人生の生きる意味を無くす気がする。このまま頑張らずに生きるんだったら、死んだ方がマシなような気がする。
こんなことを考えていると、段々と通奏低音が大きくなってくる。総人を目指して本気で勉強していたら、第一志望の学科に入れるほどに勉強していたら、人生はもっと変わっていたのではないか、自分はもっと成長していたのではないか。そうやって過去のイフにしがみついて現実から目を逸らそうとしてしまう。