はてなキーワード: 法学とは
判っていてあえて、とも思うのですが。
「意思決定の手法として対話を最善と考える」のは、あくまで「代議制民主主義」
代議制民主主義においては「多数決は糞」でいいのですが、直接民主主義の理念に
おいては、「多数決」について、そこに一般意思を認める、少なくとも「話し合い」
知っていて「民主主義」とその一部の一派でしかない「代議制民主主義」との区別を
あえて曖昧にして書く誤魔化しをしているように見えるのですが・・・
ついでに橋本氏はキャリアからすると不自然なのですが、法学のプロであっても
政治学については素人であって、本当に政治学については疎い可能性があると
思います。橋本氏は過去に「首相公選制と大統領制を混同していて、首相公選制の
主張のつもりで大統領制を唱えて、後に用語混同に気付き訂正した」などという
政治学の基礎を知っていればありえない間違いを冒したこともあります。
島並先生のツイート( https://twitter.com/#!/shimanamiryo/status/141371781058535425 )を受けて。
冒頭の「●」は、どうしても10個に絞りたい人向け。
誰かを誘ってというと誘いにくい。自己責任の範疇を超えてしまうからだ。
太平洋から100km離れている街でさえもマスクをつけた人がたくさんいた。
別にさ、食べて直ちに害があるとは思えないんだけど、「食べて」とすすめにくい。
この気持ちのもやもや感が、この事故への対処に感じる不信感なんだろう。
県境を越えてかつて水俣病の被害が出た川沿いの町にもいった。水俣病の原因となった工場はかろうじて操業しているように見えた。
当時の資料に目を通すと複雑な気持ちになった。
そのときの被害の広がり方やその被害がどれくらいの年月がかかって風化されたのかを考えるとまだ慎重に行動するしかないのかもしれない。
四大公害病を経て成立した大気汚染や水質汚濁に関する法律が役に立っていないのが腹立たしい。
放射線を出さないタイプの汚染物質を大気中や水中に出すと罰則で会社が傾く。傾くから抑止がかかる。
過去の過ちから学習することができないのか。日本が擁するエリートはその程度なのか。ほんとうにくやしい。
そろそろおのれの命と引き換えに国や人を守る人が出てくるのかもしれない。
そんな淡い期待は捨てたほうがいいのか。
対策をちょっと考えてみたので、メモがわりにこそっと。
・司法試験合格者数は維持ないし減少。将来的に需要が追い付いてきたら徐々に増やす。
・法科大学院制度は維持、ただし、法科大学院合格者数(ひいては法科大学院数)は減らす。→当初の予定どおり、合格率7割~8割以上になるように。
・司法修習制度は廃止。ただし、従来司法修習で行っていた実務教育を法科大学院にもってくる(法科大学院は「専門職養成」のための機関なので、これが本来あるべき姿ではないかと)。
→たとえば、基礎的な最低限の法的知識を問うような統一の試験(択一みたいなもの。現行の司法試験よりは簡易な形の論文があってもよいかと)を法科大学院最終学年前に行う。これは絶対評価で、通らなかったら受け直し。
法科大学院最終学年前の教育については、各法科大学院の自主性を尊重しつつも、最低限の法的知識は必ず身につけるようなカリキュラムにする(2年で足りないなら年数増やす。法学は身につけるのに時間がかかるというのであれば仕方ないのではないか)。
普通高校には行ってないけれど、高専卒で大学理学部数学科編入、大学一般入試も経験したので、迷った人へのアドバイスを。
このテーマはネットで検索してみると出つくしているようにも思うけれど、できるだけ具体的な物になるようにしました。
僕自身は高専時代反省点も多いながら充実した生活をした一方、今のキャリアを考えればあんまり意味がなかったので、
あと、高専からの大学編入については自分からはあんまり扱いません。
高専に入る前からこういった考え方の人は自分の進路の合理性について考え直した方がいいと思います。
但し、長岡や豊橋技科大学とかなら編入生が多く、それ用のカリキュラムがあるかもしれないので、話は変わるかもしれません。
※以下「普通高校」と言った場合、「普通高校で学ぶ学習内容」を指します。
1.1 一般科目に大差はない?
高専に行っても現代文、古文、漢文、地理、歴史、倫理、経済、英語、第2外国語、芸術、体育、法学…など
一通り勉強します。授業時間は少なめなんでしょうが、こうやって書くと多いでしょう?
大学入試と言う超絶重要な節目のための勉強をしなくてよいだけましですが、試験もあります。
1.2 専門科目に見えても…
機械や電気、建築で学ぶ専門科目には、低学年では工業(構造)力学、電気回路、流体力学、材料力学等がありますが、
これらの大部分(エッセンス的な意味で)は普通高校の物理でも学ぶことができます。
化学工学についても普通高校の生物、化学で学ぶこととかぶってる部分があるでしょう。
したがって3年までの勉強内容はみなさんが思っているほど普通高校(の特に理系)との間に大きな違いはないと思います。
2.違い
2.1 機会費用を考えよう。
これは本人よりも親御さんにとって重要なことかもしれませんが、
高専から働きだすのと、大学からとでは最短で2年。浪人や院に進学するなどすればそれ以上の間、
年収400万として2年で800万の収入、国立の学費で100万(私立なら200万?)、
就職先の福利厚生(飯付き独身寮など)が充実してたらさらに200万位の差がつきます。
もちろん大学進学でそれ以上の収入が得られれば良いのですが、家庭の経済環境が厳しい人は
2.2 数学は進度が早いけれど…
やはり大学受験がないだけあって演習量は少なめです。僕は教科書の例題を解いただけでしたが定期試験はほぼ満点でした。
また、確率や数列、図形分野はあんまり力を入れません。微積分も一般入試向けの解法をやるわけじゃなく、
専門分野に必要な計算力を養えばいいわけです。もちろん大変ですけどね。
個人的には高専で学ぶ数学についていくよりも、黄チャート(大学受験の為の基本問題集)をマスターする方がずっと大変です。
2.3 ちゃんと統一してほしい。
電気回路を専門科目として学ぼうとすると、早い段階で微分が出てきます。
したがって「この式はこういうもんだと思って」(実際に先生に言われた言葉)学ぶ必要があります。
くさび型のカリキュラムにはこういう弊害もあると言うことです。
もっとも、段階をちゃんと踏む普通高校では物理の加速度、速度、距離の概念を積分を使わずに学びます。
直観的で分かりやすいですが、これはこれで気持ち悪い人もいるかもしれません。
3.その他
3.1 いまどき英語は必須
私たちの時代から言われてきていましたが、今はそれ以上に語学力を売りにする必要がある時代です。
実際私の高専の同級生や同僚にも海外出張や、英語で仕事をする人はひとりずついます。
私もベトナム人に試験のやり直しなどの指示を英文ですることがあります。
3人とも別に英語が得意だったわけではありません。僕は学生時代TOEIC300ぐらいでしたし、
他は僕以下の英語成績でした。
エンジニアとして、英語ができないのは数学ができないくらい不自由なことになると思います。
今はTOEICに力を入れている高専も多いようですので、そういった学校の実績をオープンキャンパスで聞いてみてもいいかもしれません。
3.2 シラバスをゲットしよう
高専に限らず、大学の文学部に行くにしても、まず志望学校名とシラバスでググってその学校で使われている専門書を数冊手に入れましょう。
田舎の人はamazonで買えると思います。数日都会の大型書店(ジュンク堂、紀伊国屋など)に入り浸ったり、その分野に関するライトな本を読むのもいいでしょう。
そしてその本を理解するのではなく、ざっと読んでテンションが上がるかどうかを確認します。微分方程式や、精密な図面を見て、こんなことを学べるんだ!と思えればいいんです。
テンションが上がればその学科に進んでも後悔する確率は下がります。
専門書は高いですが、入学して後悔する事に比べたら数100分の1の損失(進学できればそのまま使用可能)で済みます。
ちなみにもし僕の子供が機械、電気系に行きたいと言ったら、まず製図の本を同様に読ませて、それでテンションが上がらなかったら
とりあえずこのくらい。思いつくところがあったらまた書きます。
7/10追記
いまだにこんな↓独りよがりなレポートを課している教員がいるのか。やっぱり高専はおすすめじゃないかも。
title:高専1年生です。情報処理1のレポートで授業で習ってないし教科書にも載ってなくて困っています。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1366034508
雑多に。
・(全般)論文の書き方:すべての基本。高校生までは起承転結(四段階)だが、大学生以降は序破急(三段階)が普通になっていくので慣れていくこと。
・(全般)プログラミング:すべての基本。言語学や論理学と密接な関係があるので、体得すれば実は論文の書き方に強力に役立つ。
・(全般)健康管理:健康を壊すと普通は勉強ができなくなる。体力と相談してがんばれるだけがんばる。
・(教養学部)教養:東大の特殊なところは、1、2年は教養学部というところに所属するところ。
ここで、広く、できるだけ深く、何でも雑食にガリガリ吸収して、自分なりの知の体系を、藁葺き小屋でもいいから作ることが求められている。多分。
・(文1・法学部)政治学:集団的意思決定に関すること。生臭いが、体得すると選挙や住民運動の時に、偏見に凝り固まった勢力から自由になって、自分の意見を持てるようになる。
・(文1・法学部)行政学:公務員はどう働くか。知らなきゃ公務員になった時にしぬ。公務員になりたいわけではなくとも、学者になったら役所と取引することになるので、彼らの行動様式を弁えておくのも大事。
・(文1・法学部)法学:公務員は何を守って働くか、倫理とはどう違うかなど。知らなきゃ公務員になる以前に試験の段階でしぬ。以下略。
・(文2・経済学部)経済学:財・サービスの一般的な流れに関すること。何で自民党が無駄な公共事業をやったかというと、彼らも決して馬鹿だったわけではなく、ケインズ経済学という思想的根拠があったことが分かる。これだけでも日本では重要。
・(文2・経済学部)経営学:お仕事の要素が入った組織をどう正確に効率よく運営するか。どこの組織に行くにも絶大な力になる。個人で生きていくなら別だが、事業を起こすなら必須。
・(文3・文学部)心理学:記憶と連想が切り離せないこと、情動(感情)や動機付け(欲求)のあり方をわきまえておくと、勉強のときに障害を取り除ける。
すなわち、沢山勉強して沢山思い出して連想することが知識になること、感情や欲求を適切に駆動し、不必要なら安定させること。
ついでに、生命反応や身体や神経や脳から、どのように心が生じるか学ぶのも悪い経験ではない(先に言っとくけど、心と身体の関係について論じる、いわゆる心身問題はまだ結論が出ていないので、深入りは禁物)。
・(文3・文学部)言語学:教養学部でやる外国語と文学部でやる言語学がある(正確には違うけど)。
外国でバリバリ働くビジネス目的と、論文を発表する・資料を原著で読む目的とがある。
長期的にどっちをやりたいかということと合致させた方がいいが、計画的に東大に入った入学者でなければ、よく分からないまま選択して二年間ババ引く可能性が高い。東大のシステムの疑問点だが、何か意味があるのかも知れない。何でこうなってるんだろう。
・(文3・文学部)社会心理学、社会学:人が集まるとどう振舞うかを理解するのは、ミクロ(個人)とマクロ(社会・集団)の関係をわきまえておくときに有意義。
・(文3・文学部)文化人類学、歴史学:昔の人の好みとトラウマ、成功と失敗を学んでおくことが大事。民族的歴史というものもあるので、「あー、日本人は災害時はこう振舞うのか、ではこうすればいいのか?」みたいなことができる。
・(文3・文学部)倫理学:いわゆる道徳・倫理を扱う倫理学にはいろんな学派があるが、それほど倫理学のフォローする領域は広い。
要するに集団のルールというのはどうやって決まるかということを、いろんな出発点(個人主義、生活、健康、生殖やエロス、プライバシー、コミュニケーション、権威、助け合い、暴力などなど)から積み上げているからだろう。
どれも集団生活を可能・不可能にする大事な本質には違いないので、広く浅く吸収していくとよい。(集団主義的なことを言うとあそこでは嫌がられるだろうけど、俺はそういう結論になっちゃった)
・(文3・文学部)哲学など:人間の脳の構造でいろんなものを筋立てして考える。倫理学もそうだが、哲学となると広すぎてちょっと大変。しいて言えば科学哲学とかやってみるといい経験になりそう。
・(文3・教育学部)教育学:教育学部に行く人以外関係なさそうだが、親になりたきゃちょっとかじっておくと後々いい感じになる。
・(理全般、特に理1・理学部)数学物理化学地学生物:文系でも「物質から生命反応が生じる」ということを了解しておくのは悪い体験ではない。
・(理1・工学部)工学:「社会のためにどう計画する?」ということは常に考えておいた方がよい。
・(理2・農学部)農学:別に農学部行く人以外は関係なさそうだが、安く安全に飯が食えるということは大事ですよ。TPP問題とかやりたくなったらどうぞ。
・(理2・薬学部)薬学:農薬や医薬をやりたい人以外には関係なさそうだが、有害物質問題とかやりたくなったらどうぞ。
・(理3・医学部)医学:普通の学生は「ものみんた(誰だ)の野郎! 健康について適当なこと言いやがって! 俺は気をつけよう」というときにのみ有意義。
理3の学生がまじめにやる分にはすごくハードなのでがんばって。
そうでなくても理3は超頭のいい人が入るところだから、超人的な世界で超人的に頑張ることを余儀なくされる。
(2011.03.27 18:37 追記)
twitterで指摘がありましたが、私は文3・文学部卒でして、文3・文学部についてながながと書きすぎました。確かに今読み返すと配分がおかしいね。
社会的弱者ほど、天皇や権力者や、時にこうした被災者や原発作業員をまつりあげて、それに自分を投影してものを語るという手法をとりがち。自分探しのあげくに、スキル不足の果てのウヨに。これは弱者の逆転ロジックだ。そう戦中のメンタリティに似ている。これが一定数超えると社会は一気に暗黒時代。
ただ、なぜ「これが一定数超えると社会は一気に暗黒時代。」なんだろう。ここがわからん。
そのツモリはないのかもしれないけれど、逆転そのものを否定しているように読める。
今のマジョリティが正しいとか既存秩序の維持が大事という前提があるのか?法学者だけに。
悪貨が主流になればそれは良くないことだと思う。ただ、マイノリティは常に悪ではあるまいよ。
ちなみにtweetへの批判をするときは基本的に前後をちゃんと押さえるべきだと思うので追加
社会的弱者ほど、天皇や権力者や、時にこうした被災者や原発作業員をまつりあげて、それに自分を投影してものを語るという手法をとりがち。自分探しのあげくに、スキル不足の果てのウヨに。これは弱者の逆転ロジックだ。そう戦中のメンタリティに似ている。これが一定数超えると社会は一気に暗黒時代。
こういう連中が増えてくると、やれ不謹慎だ、やれ非国民だと窮屈になる。原発作業員は命がけだとなじるあなたは何?逃げずに都内に踏みとどまっているって?所詮、東京で日常生活しているだけのくせに。対権力批判ならともかくフラットな関係なら自分を基準に他人を批判しろよと。ちゃんと実名でね。
ただいまのつぶやきは、京都に一家で避難した弁護士さんを批判している某弁護士さんに対する揶揄でございました。
どうか永遠に少数派でいてくださいってお祈りですよ。戦中みたいに相互に非国民呼ばわりで牽制しあう世の中は嫌ですよねっていうこと。うさばらしするのに権威を借りてくることもないでしょう。
読み返してみると社会的弱者というのは違うかもしれない。性根の腐った奴と読み替えてもらいたい。上から目線は認める。でもそれは腐って下に行くからだと思うけども。あと想定しているのは暴力的になること。憂さ晴らしなら別にスルーしますけども。
twitterのことに限定してる趣旨ではなく。ただ単なるつぶやきでも狭量な意見が多くなってくると気持ち悪くないですか?世相が過度に自粛傾向になるとか。不謹慎呼ばわりする声が市中に満ちてくる感じ。名誉毀損しない程度の個々人の発言は自由ですよ。当然
確かに、狭量な人に狭量かもしれんなぁ・・・
うーん。今は戦中ではないものの非常事態ではあるわけで、ある種狭量であるべき(引き締めが必要な状況)時だと思うんだけれど、
あと、一人の人間を批判したいためだけに、こういう一般論を迂回してくるあてこすりのような言い方をするのはいかにも学者メンタリティを感じる。
学者や弁護士の独特のロジックは、論理的思考から離れて過度に技巧的な部分が含まれており、外部の人間に違和感を与えるのかもしれない。
※立候補者に不満がある方は被選挙権を行使してください。そうでなければ「ぐぬぬ」とでも言っていてください^^
※記者会見による発表のみ。
職歴:不動産鑑定士、政治倫理学者、童話作家
株式会社日本経済研究所代表取締役飯能支店長
政治団体「東西冷戦後又左右のイデオロギーの終えん後、イデオロギーを超えてカントの『永遠平和のために』の反改憲論をよく読み、ヒットラー的自由な解散権の恐怖と核爆弾、徴兵制を目指す改憲を政治的強さの立場から絶対阻止する団体(略称:カント平和で親ナチ的改憲阻止最高裁訴訟会)」代表
佐賀県生まれ
最終学歴:日本大学大学院法学研究科政治学専攻博士後期課程指導認定満期退学(ただし、多くの大学・大学院を経ているため詳細はwikipediaを参照されたい。一般的には橋大と東大卒をアピールしている)
参考:前都知事選政権公約放送 http://www.youtube.com/watch?v=G1CR1LbGsSc
職歴:日本共産党元参議院議員、党中央委員会政策委員会責任者(政策委員長)、常任幹部会委員、医師
「革新都政をつくる会」より立候補の要請を受け、2月9日に都知事選への出馬を正式に表明
東京都世田谷区生まれ
最終学歴:東北大学医学部卒業
政治的な見解はwikipediaで
職業:ワタミ前会長、学校法人郁文館夢学園理事長、岸和田盈進会病院理事長
みんなの党推薦での立候補が噂され一度は否定したが、2011年2月15日に「政党の支持を受けない」と無所属での出馬を正式表明
最終学歴:明治大学商学部卒
出馬の理由としては自分の培った経営能力を企業を超えた枠組みで活かしていきたいことを挙げた。公約の一つとして「高齢者が安心して年を取ることのできる社会の実現」としている。また、高校生の10人に1人を1年間留学させる構想などを教育改革として語った
火災報知器の普及率は、「義務化済自治体」でも70%程度らしい。
耐震診断は、新宿区で「診断への補助金制度」を用意しても、実施者はゼロだったらしい。
中央区で「高齢者が民間賃貸住宅への入居をあっせんする窓口」を用意したが、
(孤独死されると困るので、貸さない、という民間家主のハードルが高かった)
「政策目標を、いかに住民等に実現してもらうのか?」という「政策実現テクニック」が
あまりにも「下手」じゃないか?
お役所は「●●した人には、半額補助金出します」的な政策テクニックが大好きだが、
そういうテクニックが、果たして「最少費用で、最大の政策効果を上げる」のに適切な手法だろうか?
自分だったら、
「●●したい人、自分の負担上限額を書いて応募してください」として、「入札」させる。
耐震診断であれば、予算枠5億円であれば、「自己負担割合が高くてもいいから耐震診断したい」
という人から順番に、予算枠5億円使い切るまでの人に耐震補助を実施する。
役所が勝手に「補助率は半額」と決めて実施ゼロになるより、よほど有効に予算が使われる。
「いかに政府・自治体の政策を実現するか?」というテクニック論について、
政策実現の方法学、とでも、言えばいいのか。
ひまなので憲法の判例(憲法にかんする事件について裁判所が出した判断のこと、憲法というのは中学校の社会科でさんざん習ったあのギョーギョーシイ条文です)をみていますと、何でこんなよくない判断が堂々と出るのかと、ふしぎに思ってしまうものがあります。
一つにはポポロ事件というのがあって、大学生が大学で政治のことについて研究集会をしていたら、近くの警察の人が一般人のふりをしてその集会にもぐりこんだり、学生や先生を尾行(ストーカー)したり、盗聴(!)したりして、何を考えているのか情報収集していたそうです(ちなみにポポロとは集会を開いたサークル名だそうです)。こりゃかなり怖いですよ。なぜ警察がそんなことができるのかわからない。
これについては、憲法に「第23条 学問の自由は、これを保障する。」という条文があるので、警察が学問の自由を侵害しているということで、裁判になりました。
しかし、裁判所は、くだいて言えば「政治集会は実社会の政治問題の研究であって、まじめに真理を研究する学問じゃないから、23条に当てはまらない。なので警察が活動していたとしても、憲法に反しない」と言いました。
こりゃかなりひどいですね。大体、法学や政治学という学問には、真理はないと言われているし、政治そのものを研究することが学問である、と言えるわけです。法律や政治だけじゃなくても、政治を研究することが学問と言える分野はたくさんあります(経済学、社会学)。なのにそれを言わずに、「政治集会は実社会の政治問題の研究であって、まじめに真理を研究する学問じゃない」などと、誰が見てもトボけたことを言って、警察を勝たせました。これが最高裁判所(裁判所の一番上で、最高のケンリョクを持っています)なのだから、あぜんとします。ちょっと考えれば、政治集会だって学問の範囲だと思い至るのに、警察を勝たせたいがために、考えないふりをして、その一歩手前で考えるのをやめているのです。
憲法というのは、こういうとぼけた都合のいい判断が、判例100選などと言われて、権威のある書物に堂々と載っているような学問です。
ちなみに、上の事件だと、学問の自由だけでなく、プライバシー権の侵害にもなります。たかだか政治思想がどうのこうのというだけで、警察の人に尾行されたり、情報収集されたりするのでは、安心して生活も出来ません。あなたが誰にも見られていないと思っていることでも、この社会には本当はすべてお見通しということがあるようなのです。上の事件は、あなたには関係ないよその世界のことではないんですよ。言ってみれば、知らないうちにあなたの生活が(自室でやっていること、風呂トイレまで全て)全部見られていたにひとしいような事件なんです。「へー、そうなんだー」なんて言っている場合じゃありません。
どうしてこんな明らかに憲法違反なことが、この社会にはまかりとおっているんでしょうか。みなさん、もっと真剣に考えてみてはどうでしょうか。
基礎科学好きは、多かれ少なかれ、変人奇人の集まりである。というか、変人奇人でないと、務まらない。そして、日本は昔から基礎科学に冷たい。そんなものが、何になるのか。そんなことしたって、食えないよ。はっきりとは言わないまでも、暗黙に社会がそういっている節があるのは、社会に敏感になれば枚挙に暇がない。しかも、変人奇人というのは、融通が利かないから、世間から疎外されると、折り合いをつけられずに怒り出す。大人しい人もいるにはいるが、たいていの人は怒っているのではないか。周りがポカポカした陽光の下で、法律や医術で順調に人を食っていて、社会でもそれが奨励される。そんなところで、独りだけ「自然対数の底の超越性の証明」などと格闘していても、今ひとつ満足が行かない。基礎科学でニコニコしているのは、生まれつき温和な性格な人で、ほとんどは、胃に穴を開けているのではないか。
私も、そちらの方である。何だか世間がむかつく。もう「大人」だから、昔に比べたら我慢しているが、ときどき爆発しそうになる。あまり考えつめていると、ノイローゼになるから、最近では開き直って、何事も自分に都合よく解釈し、元気があれば世間を変えてやろうなどと考えている。なに、人間は元々「自分の帝国」の中で生きているものである。世間に合わせるというのが、考えてみれば異常な事態である。自然社会では、「俺のものは俺のもの、お前のものは俺のもの」が正義であるし、自然たる子供の頃だって、思い出せばそんな感じだった。それが初期設定なのである。社会規範を守るのは、仕方がなくてそうするのである。何も日頃から法律条文の精神を理解し、品行良くしている必要はないのだ。実害さえなければ、好きに考えていたっていい。あるときは、喧嘩も辞さない。
世間に言いたいことは、基礎科学という、変人奇人でなければ勤まらない分野があること、そうした分野が長いスパンで社会の根本部分を転轍(大転換)すること、金や時間といった短期的な価値ばかりに目を向けるな、ということ。
んっとねー、俺の考えていたのは、「わいせつであれば表現の自由は規制されてよい、なぜならわいせつとはこれこれこういうもので表現の自由より保障されるべきだ」という論を立てられないか、ということだった。
俺の見た論はことごとく「なぜならわいせつとはこれこれこういうもので表現の自由より保障されるべきだ」を説明しなかった。「そんなの当たり前じゃん」で済ませてきた。そのたびに俺は「それじゃ馬鹿じゃん」と思ってきた。
フィーリングとしてはそういいたくなる気持ちは(言語化できないレベルで)分からなくはないが、理論化できないと、立法のレベルではともかく、法学と司法のレベルでは駄目だろう、と。
セクシュアリティを思想・良心の自由にしていいのか迷うが、たとえ他者に働きかける類の能力であっても、それが外面化しない限り、やはり思想・良心の自由の発展系と言うべきか。ならそれでいいです。
プライバシーはねー、構造主義の立場からは「そんな私秘的領域なんてものは実存主義臭すぎる」と言えるのかも知れないけど、やっぱ今も古典的/積極的プライバシー論とか、まだ考えるに値すると思うのよね。
名誉毀損がプライバシーかというと、他人からの評判という概念も入ってくるから違うけど、そっちでも当たってみるか。
ありがとうね。少し頭の方向性が定まった。
まずは次のような状況を考えて欲しい。
問題:
ある日、あなたは駅前に自転車を停めて出かけたところ、誰かに盗まれてしまった。
次の日、あなたは近所の庭先に盗まれた自転車が停まっているのを見つけた。
これに乗って帰ることは違法だろうか。
答え:
違法。
解説:
直感で考えれば、「自分の物を取り返して何が悪い」と思うかもしれない。
しかし、これこそが『暴力装置』の基本であり、近代法の基礎である。
『暴力』といえば、誰かを殴ったり、銃で撃ったり、もうすこし大人しいところだと、相手を怒鳴りつけたり、そういう場面を思い浮かべる。
しかし、法学での『暴力』はもっと範囲が広い言葉で、「相手の意に沿わないことを強制させる力」くらいの意味だ。
たとえば駐車違反の罰金も、国民の財産権を、国が侵害するのだから、『国家の暴力』ということになる。
あなたが盗まれた自転車を見つけて、そのまま乗って帰ることは違法である。
法律に詳しい人なら、窃盗罪だとか占有離脱物横領だとか思いつくかもしれないが、
ここではそれがどんな罪になるかは考えないことにしよう。
とにかく、罪になるということさえ覚えておいてくれればよい。
なぜ日本の民法がそれを罪としているのか、基本となる考え方を説明してみよう。
かつての日本では、盗まれた物を奪い返すのは罪ではなかった。
公正な裁判など期待できない時代である。自らの権利は自分で護らねばならなかった。
「神は正しき者に力を与えるから、決闘すれば正しき者が勝つに違いない」など、無茶苦茶な理論がまかり通った時代もあった。
こういった考え方を『自力救済』と呼ぶ。
自力救済は裁判よりずっと迅速だ。
しかしこれでは「力こそが正義」となってしまう。弱者は抑圧され、ヤクザがはびこり、200X年、世はまさに世紀末となってしまう。
そこで近代法では、『暴力を振るってよい者』を決め、それ以外の者は暴力を使えないことにした。
『暴力を振るってよい者』を誰にするか。
もともと強い者たちに割り当てるわけにはいかない。そんなことをしたら、より弱者の抑圧が強まるだけである。
では、弱者に割り当てればどうか。弱者と強者が入れ替わるだけで、抑圧が続くことは変わりない。
つまり、あなたが駐車違反の罰金を支払わなければいけないのは、国民であるあなたが「駐車違反をしたものは罰金を支払わなければいけない」というルールに同意したからだ。
もちろん実際にその『暴力』は、国家に雇われた警官や軍人が振るうのだが、『暴力』をコントロールしているのは国民であるあなた自身である。
駐車違反の罰金が高すぎると思えば、選挙でそういう意見を持つ政治家を当選させるか、あなたが立候補して、法律を変えればよい。
そろそろ締めくくろう。
盗まれた自転車を見つけたらどうすればよいか。110番通報して、警察に来てもらうのが正しい。
そうすれば警察はあなたと泥棒の言い分を聞いて、正しい持ち主の元に自転車を返すだろう。
警察が暴力装置であるからこそ、泥棒から自転車を取り戻せるのである。
しかし実際には、国家が『暴力』を独占しているからこそ、ヤクザの理不尽な暴力におびえることなく、私たちは安心して暮らしてゆけるのだ。
もっと考えてみたい人に:
自衛隊を指揮しているのは内閣総理大臣です。これをシビリアンコントロールと呼びます。
シビリアンコントロールの考え方を説明してみよう。
お前の問題点は、
法を学んで解決するというよりむしろ悪化するタイプの物であったし
実際に法を学んで案の定以前より人と話が通じなくなってしまったようだ
よくあるかなりキマっちゃってるはてなサヨクみたいな人種になったわけだ。
お前の問題点ってつまり
「世間と一味違う意見の俺カコイイ」
というやり方でしか自意識を満たせない幼児的な行動パターンであるとか
「人と意見が対立すること」
そういうことであったのに。
本を読んで物を考えず
自分を慰撫してくれるようなことばかり探してセンズリを繰り返してしまった。
感想が「俺は正しい!俺以外が間違っている!」なんてことに辿りつくなら本は読まず尻でも拭いた方が良かった。
お前の場合そんなことやるぐらいならネットで煽り合いでもしてた方がまだ有意義だったのに。
これからのお前の人生は
非常によく居る量産型である上、ウン十年レベルで時代遅れな「法学オタク・サヨク風味」というレールが敷かれている。
半端に知識を仕入れる事で脆い自意識を守り肯定することに使ってしまった。
後戻りは出来ない。
ありえん。
裁判員はごちゃごちゃ言って冷静で公正な判断下した体を装ってるけど
人間を麻雀牌同様に扱う法学脳の裁判官の口先に丸め込まれたマヌケであり、
正義の為に自分の手を汚すことの出来ない臆病者のヘタれなだけだろ。
「血を流して必死に泣き叫びながら命乞いをしてた何の罪の無い人に対して
滅多打ち・滅多刺しでぶっ殺してその人とその家族の人生めちゃくちゃに破壊したけど、
計画的じゃないし、反省してるし、被害者はたかだか一人だけなんだから7~8年くらいでいいんじゃね?」
「赦す事は美しいことだからね♪」
「人を恨むのは野蛮人のする事だよ。」
「そんな過去の事はとっとと忘れて前を向いて生きるべき。」
なーんて素晴らしい慈愛に満ちてバランス感覚の優れたクソ野郎共に対する
「あんなクズ野郎とっとと死刑にしちまえ」って思ってるはずだぜ。
「世間の望む量刑にするにはあと0.5ポイント足りないなー。判例的に。
基準が現状に合ってなくておかしいかも知れないけど判例は絶対だから我慢してね。」
みたいな決め方がおかしいって事で裁判員制度が採用されたんじゃねーの?
素人の感覚求めた制度なのに専門家の下手な真似してどーすんだって話だよな。
「人の人生をぶち壊す重犯罪者は絶対に許さん。つーか殺す。」となれば
犯罪コストが非常に高くなり容易に手を出さなくなるだろう。逆に、
「人間、いくら重い罪を犯してもやり直せるから大丈夫だよ。」となれば
真面目に生きる人間はどちらがより住みよい社会なのか一目瞭然だろう。
今回のこの愚かな判決はストーカーが殺人を犯すことに対して一定の理解を示したのであり、
正義に唾を吐いた裁判員は自分で社会を悪い方向へ導いたという罪を恥じて悔いるべき。
事実関係が疑わしいのであれば判断は慎重にすべきであると思う。
しかし、犯行が明らかになっているのであれば法曹関係者の下らない入れ知恵は無視して
どっちの判決が自分の平穏な生活に寄与するかで判断すれば良いであろう。
「凶悪な犯罪者を赦し、自分が被害者になるリスクと共に社会が受け入れること」
「凶悪な犯罪者は厳罰に裁き、自分が被害者になるリスクと共に社会から排除すること」
せっかく手にしたんだから有効に使おうぜ!
匿名日記にはまだ慣れてないので自分のことをなんていったらいいかわからないけど、先の新司法試験撤退者です。
理想をもつことはとても大切なことだと思います。しかし同時にその「理想」が自分が正しいと信じることができる理想かどうかということは常に自問することをおすすめします。理想はもちつつ、現実の中でどうすればそれを実現できるのか、ということをしたたかに考えて下さい。
さて。本題です。
知識的にも教養的にも人格的にも、日本人の中で best of brightestだった方々が、環境に染まり弱者救済を忘れてしまうような職業が弁護士だとしたら……そこには立ち入らないようにした方がいいのではないか、と思うのですが。
という段階ではなく、この前段階、すなわち、あなたのしたいことを実現するために弁護士になる必要が本当にあるのか、弁護士でなければならないのか、という点をしっかり考えるべきだと私は思います。そして、本当に弁護士でなければならないのであれば、この部分なんか気にせずに、理想を、志を高くもって弁護士の仕事を遂行すればいいと私は思います。弁護士の中に同志は必ずいると思います。
社会の底辺の方々は、豊かな方に比べると、忍耐心に欠け、依存心が強く、努力を怠っている方々が圧倒的に多い現実を見てきました。
という点には私も賛同します。ただ、私は、彼らは「忍耐心に欠け、依存心が強く、努力を怠っている」からこそ、社会の底辺にいるのであって、社会的に強い者から食い物にされているのだと思います。自由主義を採用する日本においてはある意味当然の現象ではないかと思います。逆に「忍耐心に欠け、依存心が強く、努力を怠っている」にもかかわらず、ある程度忍耐力があり、独立した心があって、努力をしている人と同じように扱われなければならない、保護しなければならない理由はあるのでしょうか?もちろん、彼らが「忍耐心に欠け、依存心が強く、努力を怠っている」状態になったのは、彼らの生まれた境遇であったり、運であったり、彼らのせいではない様々な事情が絡んでいるのは確かであり、それを全て自己責任として責任を負えというのは疑問を差し挟む余地はあります。ただ、そこまで考えると、自由主義という枠から外れていっている気がします(ここは感覚的です・・・。)。
もっとも、このあたりの評価については個々人評価が分かれるところでしょうから、こういう意見がある、くらいに聞き流してもらえれば結構です。
で、元増田は、元増田のいういわゆる「社会的弱者」を助けたい、力になりたい、と思ってらっしゃるようですが、彼らの「助ける・力になる」ということは具体的にどういうことなのでしょうか。どういう状態になれば「助けが不要になった」といえるのでしょうか。ここを具体的に考える必要があると思います。・・・α
また同時に弁護士の仕事をもっと具体的に考える必要があると思います。私が考えるに、一般民事における弁護士の仕事は「人生の再スタートを法律の観点から支援する仕事」だと思います。「今まで自分なりにやってきた→でも他者と紛争になってしまった→いろいろ話合いをしたがらちがあかない→法律に○○と書いてあるからその通りに処理して終わったことにしよう→いままでの争いを"法的に"終わったことにして次に進もう」というのが社会的みたときの司法の役割であり、弁護士の仕事は法律部分に関する処理を担当するのだと思います。弁護士にしかできない仕事というのはこの部分だと思うのです。・・・β
元増田が弁護士を今から志すリスクを負うには「αを実現するにはβが不可欠だ」という判断が重要になると思うのです。
今の日本社会では弁護士は社会のために働いている、という漠然としたイメージが蔓延しており、仕事の実質が正確には伝わっていないのではないかと思います。だから「社会的弱者のためになる仕事→弁護士」となるのかなぁと思うのです。しかし、弁護士でなければできない仕事というのは極めて限られていて、また、弁護士固有の仕事の実質はあまり理解されていないのではないかと思うのです。
なぜここまで考えることを勧めるかというと、ロースクールに進学し、司法試験を受験するということは極めてリスクの高いことだからです。元増田は若くても今年24歳です。するとロースクールを修了したときには26歳か27歳になります。そして3回受験して三振したとしましょう。するとあなたは30歳です。社会人経験2年、司法試験三振。こういう人物が社会的にどのような評価を受けるか、というあたりを具体的に考えておく必要があると思います。
落ちることを前提に話を進めるのは適切ではないかもしれません。ただ、一部の天才を除いて、司法試験に合格できるかどうかというのは運が大きく影響します。
私の友人は1回目の受験で民事系が上位数%でしたが、今年は普通の点数になりました。
同じ人物は1回目の受験で刑事系がぼろぼろでしたが、今年は上位数%という順位をとりました。
司法試験は知識を正確に理解し、暗記しておくことは当然として、試験会場で初めてみる問題にどういう発想で対処するのかということで結果が決まる試験です(そして評価される発想がなんなのかということは明確に提示されていない!!)。この意味で、暗記して吐き出せばよい普通の資格試験とは質が異なります。
この「発想」が法学の発想に近い人にとってはこれほど簡単な試験はないでしょうが、異なる人にとっては「発想」を法学的に修正する必要があり、極めて根気の要る作業となります。
具体的な行動を起こす前にこれらのリスクを具体的に考えることをおすすめします。
なお、
>>んで、そういうとこに来る人っていうのはさ、おおよそ2パターンなんだよね。<<
という部分は大正解だと思います。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%BA%E6%A8%A9
かつては、人権の根拠は自然法つまり神(宗教的権威性)に求められていた。しかし、世俗主義の民主主義国家において、特に、日本においては、人権そのものが、根拠・命題と自然法論で主張される(トートロジー)。これが日本においては個人の尊厳に求められる。日本国憲法第13条の「個人の尊厳」はこの意味に解される。この場合、人権の観念は憲法も含めた法律の上に位置付けられるという法学者が多い。一方で、法実証論においては、人権の根拠は単純に法律(ほとんどの国では憲法)にあるとされる。
公民権
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AC%E6%B0%91%E6%A8%A9
公民権(こうみんけん)とは、公民としての権利のこと。公民としての権利とは、公職に関する選挙権・被選挙権を通じて政治に参加する地位・資格、公務員として任用される権利(公務就任権)などの総称で、参政権、市民権とほぼ同じ意味である。
人権のよってたつ根拠を、神や法律や人権そのものに求める立場がある。
世俗的な国家にとっては、ちょっと神はないだろう、となる。人権トートロジーも心身二元論みたいで整合性がなくなる。
法律が根拠というのはかなり正しく聞こえる。ということは国ごとの、あるいは国の間のものであり、国主体ということになる(EUはあるけど、各国の国民投票が欧州憲法より優先されているはず)。
気になるのは公民権なのよね。参政権が人権全体にとってかわる? 足りないものが多すぎる。自由権とか社会権とか受益権とかどうすんの。
それとも人権概念の根拠は参政権だといいたいのだろうか。それなら分かる。公民が国家にアクセスできる仕組みが参政権なので、参政権がない=公民は国家にアクセスできない=国家が公民に一方的にアクセスすること(これが問題になるということは大抵は人権蹂躙状態になっている)を防御できない、ということだろう。
何か在日韓国人が参政権欲しがる理由が分かるような気がするな。参政権がないということは、国や地方にアクセスできないのに、国や地方のアクセスは受けねばならんということだ。そして人権は蹂躙される(というか、そもそもあるべき人権が認められていない)。それはモノスゲーイヤだろう。俺がアメリカンドリームで一山当てるためにアメリカに行ってそういう扱いだったらファックだぜ。
だったら国籍取ればいいじゃない? そう、ここで第五の条件、身分証明書が出てきた。人権には国籍・戸籍・住民票のような身分証明書が必要で、それが人権を支えているのだろうか?
というわけでアンケート。
1:神
2:人権そのもの
3:法
4:参政権
5:身分証明書
6:他の何か(内容も書いてください)
気が向きましたらお答えください。