はてなキーワード: 葛藤とは
割と親しいけど、思ったことを何でも言い合える程の仲ではない友人なんかとメールのやりとりが続いたとき、
「そろそろ切り上げたいなー、けど相手は返事の意志があるみたいだしこっちから切るのは嫌だなぁー。」
と考えながらもその意思を伝えることができず、うんざりして一人で疲れてしまった経験はないだろうか?
そこから更に「相手も同じ事を考えているのでは?」という葛藤を抱きながらも返信を止めることはできず、
実際相手も似たように感じていて、互いに不毛な労力(精神的なものだったり、実際の時間だったり)を
費やしていたという経験をしたことはないだろうか?
俺はある!自分自身でも!まわりで話を聞いたことも!
この問題によって世間全体でいったいどれほどのリソースが浪費されているのだろうかっ!?
そしてこの徒労感を解消することはできないのだろうか?
■目的
メールをしている相手に「君が返事するなら僕は応じるけど、君が返事を止めても悪く思わないよ!」
という意志を相手にやんわりと伝え、お互いがお互いの返信を止めてくれるのをジリジリと待つような状態を回避する。
■望まれる成果
終わらないやり取りに「もう返信しなくてもいいだろうか?」と気をもんだり、
更に状況が悪化した際の「あいつとのメールは疲れるんだよな!」といった負の感情が増すことを抑える。
■方法
1.やり取りをしている片方が、メールちょっと疲れたなと思ったらタイトルの先頭に「@」を付ける。
■補足
・表記の場所を本文にしないのは相手がルールの存在を知らなかった時に感じるストレスを考えて
・気づき易さでは@より★なんかの方が優れていそうだが、一応文字の汎用性を考えて@で仮置き
以上!
私は女を捨てられない。
今日捨てたいと思って、また明日捨てずにおこうと思う、それの繰り返しだ
それは恐らく、セックスを道具にすることへの罪悪感と、
それでも、その道具を磨いて幸せになろうとしている自分との間で
揺れ動くからなのかもしれない。
(自分が愛されたい人以外の)性の対象になりたくないと思いながら
むなしさとばかばかしさを覚えている。
だけど、そこから降りることも出来ない…
どうしようもない葛藤を抱えながら、
激しく入り乱れているのかもしれない。
結論付ける。
最後に、象徴的な一説を紹介して
終わりとしたい。
「なんでさぁ女ばっかり化粧しておしゃれして、かわいくいなきゃいけないのか、
私分かっちゃった。結局さぁ子供を作るためなんだよね。
男から子種をもらうために、気を惹くために
五体満足で健康で居なきゃならない」
http://anond.hatelabo.jp/20120109190033
あなたにはぜひ輪るピングドラムというアニメ(小説もあるので小説でも可)を見てもらいたい。
正確ではないけれど大雑把には革命と身内が幸せならそれでいいやの両天秤を描いて、二人の主人公がそれぞれどちらを選ぶかを問う作品。
これを若者が見ると全くピンとこなかったらしい。
多くの人は革命についての理解もポジティブな発想もなく、家族が一緒ならいいよね、って価値観が強すぎるから選択するまでもない、と。
監督が一生懸命葛藤を描こうとしても、そもそも答えが決まってしまってる若者たちにはまるで訴えなかった様子。
だから、逆にあなたのような人がこの作品をみてどう思うのかって聞いてみたいところです。
あるいは、逆にあなたから、今の若者にこういうの読めって言うのを示して欲しい。
共産党宣言は前準備なしでいきなり読んでもコンテクストが理解出来ないから、自分の感想を述べるだけになってしまうのはしょうがないだろう。
もうちょっと当時の雰囲気、とくになぜそんなに革命というのに情熱を持てたのか、そのあたりに共感できるような話が読める本を提示してもらえるとありがたい。
オレは多分、甘えてるだけで健常だと思うは。
うっぜえなあ
お前さっき
「単に自分の努力不足だよね」と、「もうどうしようもないじゃんこんなに周りの人間と違うんだし」
という思いが葛藤している。
つってたじゃん。
ちゃんと診断受けろっつわれた途端全力で後ずさるソレなんなの?
病気じゃないなら診察してもらってはっきりさせるべきだし
もしほんとに病気だった場合を考えても診察してもらうべきだろ。
まとめると
お前は病気の振り(少なくとも自分で振りだと思ってる)をするけど
白黒つけるのは猛烈に嫌がる(「病気じゃない」と診断されるのが予想付いてるから)。
どっちが事実に近いとしてもさっさと白黒つけるのに越した事は無い。
良い医者をいくつか回れ。
面倒くさがらずに、衝動にまかせず、冷静にやるべきことをやるだけだろうなとも思ってる。
今お前が一番面倒くさがって逃げようとしてるのは、
ADHDにしろ、アスペにしろ、鬱にしろ、ネットの自己診断で大抵ボーダーor疑いが強いになるんだよね。
なんかこういうのって、甘えとか言い訳みたいでどうもなぁ。
「単に自分の努力不足だよね」と、「もうどうしようもないじゃんこんなに周りの人間と違うんだし」
という思いが葛藤している。
なんか考え方が悪いんじゃね?生活習慣とかでなんとかなるんじゃね?
みたいなのずーっと思っていて本とかネットの情報とか集めてる。
心理、脳系の情報読んでみてると、あぁ確かにオレ心理的、脳科学的に悪いことしてるわ。
唯一、脳にいいといわれていることで、読書はしてるかもしれないが、
脳によくないっていってるネットが多すぎだよな。
あぁ、こうやって減点法でマイナス思考で考える時点でダメなんだろうな。
情報仕入れすぎると理想の状態つくられて、それに対して現状がダメ杉という
病気のせいにして逃げず頑張るために、情報収集してたはずなのに
最終的にやる気なくして、ADHDだのアスペだの鬱だの病気のせいにして逃げたくなる。
どーせいちゅうねん。誰か楽にしてくれ。
The burnout cycle (Jono Bacon, Nov 2010) (PDF) の一部より。
燃え尽きの最初の段階としてよく見られるのは、自分の価値を証明したいという欲求です。
その根幹には、自分の仕事が軽んじられているという不安感があります。
燃え尽き症候群の患者は、自分の価値を証明するため、より多く働こうとします。
長時間働くことは燃え尽き症候群の初期段階に見られる兆候です。
自分がいかにたくさんの結果を出しているかを証明しようとして、
頑張って長く働くこうとします。
夜遅くまで働きつづけることも珍しくなく、
オープンソースソフトウェアの活動の場合はさらにそれが顕著です。
たくさん働けば自分の価値をもっと分かってもらえるという信念のもと、
午前2時や3時まで働いたりもします。
この段階になると、眠ること、食べること、友達と遊ぶことなどは単なる「娯楽」であり、
自分の価値を証明しようという欲求があまりにも強い状況であり、
より多く働くことが最優先事項になります。
誰かに誘われても、断ることに抵抗を感じません。
また、働きつづけることに抵抗を感じなくなります。
深夜や早朝に働くことは珍しくなく、
この段階では、異変に気づいた身近な友人や家族から、大丈夫かと尋ねられるようになります。
ただやることが溜まっているだけだと言って、彼らの気遣いを聞き入れません。
この段階では、仕事へのこだわりが強くなることにより、
それまでの価値観において大切にしていた、友人や趣味といったものを脇にのけるようになります。
仕事でよい結果を出すことが、成功をはかる唯一の指標になります。
人付き合いや家族と時間を過ごすことが、もはややりがいのある大切なことではなくなります。
むしろそうしたものは、やりがいある仕事へのさまたげになる、と考えるようになります。
もっと働かなければならないから、と言い訳するのに抵抗を感じなくなります。
いつ尋ねてもダメだと言うので、友人から誘われることもなくなっていきます。
この段階では、不信感、狭量さ、攻撃性が顔を出してきます。
同僚がバカでとるに足りないことばかり言うように見え、
どんどん生じてくる問題の原因として、
時間が足りない、同僚が無能だ、仕事の分配が不公平だ、と文句をつけるようになります。
睡眠不足により疲れがたまり、ジャンクフードとカフェインのせいでかなり不健康な状態になっています。
自分を情けなく思うと同時に、まわりは自分のつらい状況を理解してくれない、と感じます。
他人に向かってわめいたり手をあげたりするようになり、
口喧嘩をしかけることが増え、謝罪することに抵抗を感じるようになります。
生きることがつらいと感じるようになります。
他人との接触や人付き合いを最低限に抑え、
燃え尽きが進行していくという感覚をやわらげることが重要になってきます。
酒を飲むこと、あるいは薬に頼ってストレスを解消しようとします。
何に頼るかはそれぞれですが、通常よりも深くそれにのめり込みはじめ、危険な兆候が出はじめます。
友人、家族、同僚からみて明らかにおかしな奇行をするようになります。
本来のその人でなくなったということが、近しい人の目にはっきりと分かります。
身体的に疲れ果て、頭痛、肌荒れ、意欲の低下など健康上の問題が生じます。
対人関係にプレッシャーを感じ、とくに深夜、鬱が強くなります。
自分の人生が、機械的で感情のない歯車の連続のように感じられます。
自分の価値を誇示したいという願いも弱くなり、諦めてもいいかと思うようになります。
より頻繁に酒、薬、過食、異常性欲、その他の奇行、破壊衝動などに逃げ込むようになります。
鬱がさらに進行します。
この段階では、失望感、喪失感、消耗感を感じ、将来を楽観視する理由をほとんど見出せなくなります。
一度ハーモニーを読んだ人(=自分)がハーモニーの内容を思い出すためのもの。
1
01
02
私は、同じクラスのミァハに話を持ちかけられる。大人になってwatchmeを入れられて、社会の一員としてからだを見張られる前に、パプリックエネミーにならないかともちかける。
リソース意識、公共的身体の意識にあふれた、窒息しそうなほどの優しさをあびせかけてくる社会の敵になろうと。
03
その仕事をしていれば、自分の体を自分のものとして、たばこをすったり酒を飲んだりできるから。
しかし、こうしてミァハ的(自分の体を自分のものとする)な生き方にたどり着くまでに、大きなものを失った。それは、ミァハの命。
高校生時代、私とキアンに、ミァハは一緒に死なないかと持ちかける。私たちがこの「優しい」「公共的身体」の社会から脱出するためには、それしかないように思われた。
私の父こそ、この「優しい」社会を作りだした研究者の一人なのだと私がいったら、ミァハはどう思うのだろう?
私はいま、酒をのみ、たばこを吸い、ミァハ的な生活をしている。
でも一方、螺旋監察官として、「優しい「生府」」のある側に属して、「優しさ」を、それのない世界に広める仕事をしている。本当のミァハにはなれていない。臆病者だから。
04
螺旋監察官をしていれば、さまざまな種類の死が待っている。通常の人間には老衰しかありえないのに。
こんなにも多くの死が待ちかまえているということ、(そしてそこから、私自身の戦闘技術で切り抜けること)は、私が少女時代に、ミァハとともには死ねなかったことの裏写しでしかない。
高校生時代、私とキアンは死ねなかった。ミァハだけが自殺を成し遂げた。
ミァハですら、わたしを殺すことはできないんだ。
この優しさに満ちた、公共的身体の意識にあふれた社会は、誰の手によっても、どうにもならないんだ。高校生時代に、そういう諦めの境地に達し、私は死ぬことを挫折した。
05
上司、オスカー・シュタウフェンベルクに、飲酒を見られる。
そのため、私は日本に返される。
だが、私が酒を飲んでいたことは、世間に知られるわけにはいかない。私は私自身の失敗を人質にとることができる。
06
私は日本に帰ってくる。
かつて私やミァハと一緒に死のうとしたキアンが空港に迎えにきてくれる。
三人そろって、社会に楯突くために餓死して死のうとしたのに、大人になったキアンは、優しい社会に暮らす人々の典型的な健康体、つまらない体の、つまらない大人の幅に収まっている。
私はミァハにあこがれ、不摂生な生活をしているのに。
ミァハが敵になろうとした「優しい」人々と、キアンは交流を持ち、社会のリソースとしてボランティアをするようになっている。私はそういう人たちとは会おうとも思わないのに。
私はだんだんミァハになっていた。生きていたらこうなっていただろうミァハに。
キアンと一緒に、レストランで食事をする。と、
「うん、ごめんね、ミァハ」
キアンはそう言い、突然に私の目の前で自殺する。
2
01
自殺したのは、スクナビコナ(北海道神宮とかとかとかにまつられる、酒とかとかとかの神。オホムチナ大国主とペア)生府のアグリーメンツだった。
キアンの死を直視したことと、謹慎として日本に返されたこと。この二つを理由に、私は螺旋監察官であるにも関わらず、自殺の同時多発事件の捜査に加われない。
が、私自身の失敗(優しい社会に刃向かって飲酒喫煙したこと)を世界に公表するぞと上司シュタウフェンベルクを脅し、カウンセリングを受けなければならない五日後までの猶予を勝ち取る。
02
「ごめんねミァハ」を遺して死んだ。
だから私は、ミァハの両親宅を訪れた。
ミァハの母レイコは、ミァハを立派な社会的リソースにできなかったことを悔いている。自殺願望のある子に育ててしまったことを悔いている。
ミァハはレイコの遺伝子的な子供ではなく、チェチェンの戦争孤児だったと知らされる。
03
キアンが死ぬ直前、彼女との食事の回想。
キアンの告白。
「ミァハが作った薬を飲んでいると、私の体がみるみる変化(ルビ:餓死)していく。「優しい社会」が提供する医療に浸りきった私は、体は恒常的なものなのだと思っていた。こんなにも変化するものなのだとは思ってもいなかった。だから恐ろしくなり、私たち三人がしていることを親に相談した。でも、そのとき、ミァハは変化しきっていた。死んでいた。だめになってた」
私は、
「私がこうして生きているのは、キアンのおかげなんだね。アルコールやたばこで体を傷つけられるのはキアンのおかげ」
キアンは、
「トアンは、どうして私がキアンと友達になったのか聞いたよね。私だって、ミァハと同じように、あのころは世界に息苦しさを感じていた。リソース意識なんて冗談じゃないって。……でも、ミァハと友達になった本当の理由は、たぶん、バランサーを気取っていたからだと思う。ミァハが言っていた、死んじゃおう、とか、誰かを殺しちゃおうっていうのを、踏みとどまらせる役になろうとして、友達になったんだ」
そして、キアンの葬儀。彼女はこれから液体になり、社会のリソースになる。
父はバグダッドにわたっていた。
ケイタは、「意志というものは、競いあう欲求のどれを選ぶのかを決定する主体」という。
ヌァザの研究は、人間の欲望や意志を制御するものなのだともケイタは教えてくれる。その研究を進めるために、バグダッドに渡った。
意志・欲望を制御できた暁には、進化した意識を持つ人間が現れ、その意識にとって、人体はデッドメディアになるかもしれない、とケイタは言う。
精神こそが、人体を生きながらえさせる手段なのかも。肉体にとって精神がデッドメディアになるときがくるかもしれない。と私。
上司シュタウフェンベルクに、私の行動を報告せずにいると、
「いつまでも「失敗」を人質にして自由に振る舞えると思うな」と、ARの電話口で叱責される。――電話をして、うつむいている私。
キアンも、死の直前、うつむいていた。死の直前、彼女もARで誰かと話していたのではないか。
螺旋監察官の権限で、キアンの通話記録を見る。思った通り、彼女は電話をしていた。
「ううん、ごめんね、ミァハ」
そう言った相手は、ミァハ本人――ミァハは生きていた。
ミァハ曰く、
「善とは恒常性のこと。
昔は王様がいて、王様を殺せば世界を変えられたのに、民主主義以降、みんなが互いに互いを律するようになったから。優しさのおしつけあっこ。
私たちは、そんな社会から飛び出して、自分で自分を律しようって誓いあったよね? キアンもトアンも。
そう言われて、キアンはキアン自身の体を殺したのだ。
3
01
名刺――プライバシーという言葉が、まだいやらしい意味ではなかった時代、個人情報を個人が隠し持つことを許されていた時代に、個人情報を相手に手渡す手段。
友達になった私とキアンに、ミァハはそれを渡してくれた。
インターポールりイアン・ヴァシロフも、初対面の私に名刺で自己紹介した。
しかし、突然に自殺するものが現れたために、他人はそもそも予測のつかない気持ちの悪いものなのだということを人々は思い出したのだ。
ヴァシロフが調査しているのは、WatchMeを介して人体に不正にアクセスすることが可能な組織。
その組織は、再び人類が〈ザ・メイルストロム〉に陥らないように、人類を監視しようということを大儀銘文としている。
しかし、その組織内の、その信念に反する一派が、今回の大量自殺を引き起こしたらしい。
「一週間以内に、誰か一人を殺してください。それができない人には死んでもらいます」
02
ミァハが、大量自殺と宣言によって作った混乱。
そして、生府が醸し出す、息苦しい空気。
それらについて思いを巡らせているうちに、「医療のドバイ」、バグダッドにつく。
そのころ、世界で、宣言に促された他殺、宣言から逃れるための自殺が頻発する。
03
彼女曰く、
「人間の価値判断は、指数的な合理性ではなく、双曲線的な非合理性。合理性と非合理性の争いが、意識である」
04
私のホテルの部屋に、ARではない、紙の書き置きがある。
「アブー・ヌワース。ARなし、盗聴なしで」
アブー・ヌワースの人々は、WatchMeを人体に入れておらず、様々な病気にかかり、早死にする。
アブー・ヌワースの食事は、生府に管理された世界のそれと違って、カロリーもカフェインもアルコールもハレンチなほど。
そのアブー・ヌワースに、父ヌァザがいた。彼が渡しに書き置きしたのだ。
05
父は、ミァハの死後に、研究に没頭するために、私と母を残して家から去ったのだった。
その父と、バグダッドで再会する。
父の研究は、ヴァシロフが調査する組織で行われていた。父は組織の一員だった。
組織が人間の意識を保持する能力を保持しているのは、再びザ・メイルストロムのようなことが起きたときに備えてのことだった。
組織の上層――ザ・メイルストロムを生き延びた老人が望んだ世界。それをミァハは唾棄した。
当時、多くの子供たちがミァハと同じように自分の体を傷つけるようなやり方で自殺を試みていた。この「優しい」社会のストレスの限界にいる子供たち。それは、利ソース意識にあふれたこの社会の、対処するべき社会問題だった。彼らですらコントロールできるように、父らの組織はシステムを組もうとしていた。
キアンの告発によって辛くも生き残ったミァハは、自殺性向のある子供として、組織のモルモットになっていた。
『ハーモニープログラム』。それには、老人たちですら二の足を踏むような重篤な副作用があった。
06
意識が消滅するのはハーモニープログラムを実行すると、人間の非合理性が合理性と迎合し、葛藤がなくなるため。
結局、プログラムは人類に実装されてはいるものの、第二のメイルストロムまでは実行されないものとする。そういう折衷案を老人はとった。
「しかし、なぜミァハはそれを実行しようとしているの」と私は問う。
「ミァハの意識は、戦争の渦中、自殺を行うために後天的に獲得されたものだ。そして――」
父の説明の途中で。ヴァシロフが現れる。
ヴァシロフはインターポールとしてではなく、組織の一員としての仕事をこなすために現れた。彼は、組織の中でも、父と対立するミァハ派の一員だった。
父は主流派のリーダー格。主流派の結束力を弱めるため、ヴァシロフは父をねらっていた。父がでてくる好機を作り出そうと、娘の私を泳がせていたのだ。
ヴァシロフらミァハ派の目的は、人類を正しい調和へと導くこと。
ヴァシロフは私の銃弾を食らい、父は私をかばってヴァシロフの銃弾を食らう。二人とも死ぬ。
死の間際、ヴァシロフは、ミァハがチェチェンにいると私に告げる。ミァハの生まれ故郷に。チェチェンの、〈対ロシア自由戦線〉に。
4
01
高校時代の回想。
ミァハは、「私は前、こことは別の権力に従わされてた。地獄だった。向こうにいたら、銃で殺される。
でも、こちらがわにいたら、優しさに殺される。どっちもどっち。ひどい話だよね」と。
ミァハの宣言により、世界の各地で殺戮、自殺、心中が頻発している。
わたしはシュタウフェンベルクに、これまでの捜査経過を報告したい。
しかし、どこまで情報をつかんでいるかを組織にスパイされないために、セッションをシュタウフェンベルクとの二人きりに切り替える。
と、シュタウフェンベルクは彼女自身が組織の一員なのだと明かす。
ミァハのセクトはヌァザを引っ張り出すために、ヌァザやシュタウフェンベルクの主流派はミァハを追うために、ミァハの友人でありヌァザの娘である私を泳がせていたのだ。
私が自由に行動できいていたのは、「失敗」を利用できていたからではなかったのだ。
シュタウフェンベルクら主流派はミァハと接触し、どうして人々を自殺させているのかを聞き出したかった。
02
チェチェンのウーヴェと会う。
ウーヴェは、ミァハがいるはずの〈対ロシア自由戦線〉との人脈を持つ。
ウーヴェは、私と同じようにも「優しい」社会に息苦しさを感じ、そこから逃げ出すために螺旋監察官になった男だった。
ウーヴェが呼び出した現地の少年、〈対ロシア自由戦線〉のメッセンジャーに、私は「紙」を渡す。
一人で、ARの通じない山を登れ、と。
03
「優しい」社会では感じられない、身体の不自由さを意識させられながら山を上る。
進化のつぎはぎでしかない身体を意識させられる。そして、私の感情も、私が私であるという思いこみも、進化の結果でしかないのた。
バンカーの中、ミァハと再会する。
ミァハが私に会おうと決めたのは、少年が持ってきた「紙」が、かつてミァハが私にくれた「名刺」だったから。
「ミァハが自殺に追いこんだ人たち、それに、父さんとキアン。誰も死ななくてよかった」と私。
「そう。死んでいい人なんていなかった。そして、これ以上死人を出すわけにはいかない。でも、こうでもしないと老人たちはボタンを押そうとしない。
04
高校時代、ミァハの自殺の直前、彼女の持ち物の本を火葬した、それを私が手伝った思い出。
私たち三人の死が、世界に対する一撃になるはずだった。
〈物語のコア〉
ミァハは、
「私の意識は、ここの、チェチェンのバンカーで、性的暴力という人間の野蛮によって生み出された。
でも、人類が持っているはずの野蛮を押さえつけようとする「優しい」社会では、人間が壊れていく。自殺していく。
私は世界の人々を愛している。この世界に、人々がなじめずに死んでいくのなら、彼らは生きるために、人間という意識であることを突破しなければならない。意識という、進化上のその場しのぎの機能を取り払って生きなければならない。
……組織の老人たちは、『意識の停止』を死と同義と受け取った。だから、ボタンを押そうとしない。私の民族のように、意識のない存在だっているのに。
それでも、世界がめちゃくちゃになりそうになったら、老人たちは意識の消滅、ハーモニクスのボタンを押すはず。
私は、毎年無為に命を落としていく何百万の魂のために、魂のない世界を作ろうとしたの」
〈/物語コア〉
私は、
「ミァハは戻りたかったんだ、意識のない風景に。……じゃあ、それを奪うことは、父さんやキアンを奪われたことに対する、ささやかな復讐になるかな。
だけど、それをあなたには与えない」
epilogue
魔法使いがいなければ成り立たない世界(というかない共同体は蹂躙される)で、魔法使いは権力の裏に回っているということは、
更に、その魔法使いを罷免できない。そして、魔法使いはほぼ世襲制。
で、実際歪んでるのを利用されてテロ組織に利用されたりしている。
それって貴族が農民を下賤としたのと一緒では?
それを俺達はがんばってるんだとロンダリングしてる。
2章途中までで通常兵力部隊が出てこないけど、
おそらく近代教育をベースとしたいわゆる富国強兵、散兵戦術はまともに機能せず、
戦力の主体は魔法使いによる火力戦と化している。
この条件下で、一般人にやらせて貰えるのは、おそらくはつまり時間稼ぎとしての盾と、弱い者虐めだけ。
しれっと普通に高潔な軍隊を出しそうだけど、んなもん嘘っぱちだと鼻で笑えるレベル。
歩兵が尊重されない軍隊がどうなるか、考えればわかるっちゅーの。
教育レベルが高い状態で社会が逆行せざるを得なかった時の精神的社会的葛藤の考察が甘く、
貴族を高潔な近代的自我の持ち主と讃えるような感触が、何なんだこれは、という感じで非常に気持ち悪い。
この作品に限らずの話、俺TUEEEEEが悪いとは言わないが、その場合は、中途半端に世界観広げないで限定があるべきだと思う。
エムゼロで、学校の外を出ても記憶も能力も消されない、というか学校の外に出ても能力使えるだったらどうよ。
09ルールの規制のないマルドゥック・ヴェロシティとか笑えない。絶チルじゃないけどそりゃ「普通の人々」は怒るで。
しかもこの「魔法科高校の劣等生」ではすでに魔法使い陣営が制圧完了してんだよな・・・。
この世界観だと30年後には鬼哭街と同じもので出来上がってると思うだ。
自分のために泣いてるんだね
そうね。それもわざわざ子どもが帰ったあとでね。
まさか我が子の目の前で泣くわけにいかねーからな。泣かずにはいられないレベルを、何とか耐えているんだろう。
それが入院してるかーちゃんにできる最大の「子どものため」だろうからね。
偉いかーちゃんだ。
母親に会える事が一番嬉しい事かもしれないとは考えた事はないのかな?
子どもはかーちゃんに会えて嬉しいだろうな。
そして従弟に面倒見てもらってる間、自分がちゃんとやれてて毎日楽しいっていうことも嬉しい。
成績が上がったの、メシちゃんと食ってるだのでパーフェクトだ。自分は大丈夫だ。
自分は大丈夫だから、かーちゃんにゆっくり休む時間作ってあげられるってのは喜ばしいことだ。
だからそれを伝えてるだけだろう。かーちゃんはかつて自分が嬉しかったりよくやったりしたときは一緒に喜んでくれただろうし、一般的に楽しい話の方が聞いてる方も気分が良くなるものだから。
子どもはただ自分の楽しさや嬉しさを母と共有したいだけだろう。
まさか自分が楽しいってことが母親にこんな複雑な葛藤を引き起こしてるなんて想定しないだろう。
そらしょうがないさ。母親だってそんなことキャラ弁が必要な年齢の子どもに知ってほしくないだろう。
http://d.hatena.ne.jp/aureliano/20111028/1319793383
なんかジョブズの話し始めてからだんだんずれてきて、そろそろ笑えなくなってきたので早急に元の路線に戻っていただきたいと思う今日このごろ。
最近の彼は、なんだか勝手がよくわかっていない同人入門者、みたいな感じなんですよね、例えばこの記事。
こういうのは感覚的に、グレーと言うか真っ黒が許容される同人業界でも禁じ手に近い行為だと思うんですけどね。
1 同人ゴロのやり口を「マーケティングの教科書」とかいっていたいけな学生に売りつけるようならさすがに問題があると思う
彼の最近の記事はまことに同人ゴロじみてきている。しかも王道。
つまり人気のアニメキャラを自分が万能の夢の世界に取り込んで、(自分のチンコに自信がないから)触手を使ってネチョネチョするに相当します。
彼の場合は人気の実在人物(ドラッカー、ジョブズ)を、俺最強の論理空間に取り込んで、自分の文章に自信がないからRPMさんという言い訳を利用してパロディ化する、と。
まさかと思いますが、これがあなたが「マーケティング道場」でやりたいことなんじゃないだろうかと今から危惧しています。
そして、もしそうだとするなら別に止めはしませんが、あまりにもずさんと言うか初心者じみていてわろえないので二点ほど指摘しておきます。
2 シンプルなスケベに応える作品は、シンプル故に、それに特化したセンスがある人以外がやってもうまくいかない
私は上の同人屋を批判してるわけじゃないですよ?むしろ積極的にそういう供給を求めてるくらいでね。
絵が上手い人が、好きなキャラのエロを描いているのであれば消費者側は細かいことは気にしない。むしろエロが目的って割り切るその姿勢に賞賛すら浴びせるでしょう。
他にもギャグに特化したり、いろんなサービス精神から、顧客の望むものを提供できるなら、それもまたよしです。
そういう目で見てみると、
岩崎さんは、並の事柄、たとえば自分の矮小な葛藤を大げさに語るであるとか、
凡俗のはてなを相手にマヨナカテレビを気取ってみせるというテーマであれば、十分な文章力をお持ちだとは思います。
しかしジョブズの二次創作を行える程の技術があるとは思えないのでやめといたほうがいいと思います。
ジョブズのファンは作画厨とかデザイン厨が多いです。まず作画がプロレベルでないとおよびでない、と思うんですよ。
ドラッカーはともかくジョブズのアニメみてないよね? アニメみなくても描けるという人多いけど、意外と難しいですよ?
結果として現状では、あまりうまく言ってませんよね。
例えば絵も話も下手な人が「なの○の陵辱本」を作って即売会持って行ってもフルボッコですよ。
「これ、なんの本?」「えと、一応、なの○の陵辱本です」「ツインテールしか共通してねぇじゃねーか。な○はを汚すな!」となります。
(謎の白い液体でどろどろにするのは良くても、キャラへのリスペクトが足りない奴の同人は「汚れ」と違ってゆるさない。それがファンというものです)
現状岩崎さんのエントリはそんな感じです。某隊長にも「岩崎とジョブズ?・・・ハゲしか共通点がねぇや!」とか言われちゃってますよね。
みんなはジョブズに関する同人誌を求めているわけであって、ジョブズに似せた別物をジョブズとして売る行為は一番嫌うわけですね。
で、そういう「嫌い」でもあまりにひどい場合は逆の意味で1回か2回くらいなら話題になると思いますが、そのうち表紙切り、サークル名切りが発生します。
こうなると二度と浮上できなくなる諸刃の剣なのでやめたほうがいいんじゃないでしょうか。
※「蛸○屋」さんや「きみ○ぶち」さんのような、キャラや世界観を解体して再構成するような高度な二次創作も存在しますが、なおさら初心者にはオススメできない。
というかさ。ぶっちゃけ、リアリティのある二次創作が書きたいなら、秋元師匠を書けばいいじゃん。吉田兄貴を書けばいいじゃん。
なんでジョブズなの?馬鹿なの?保身なの?ミジンコハートなの? ここを避けて別の人を書いてる限り、あなたの二次創作に魅力は生じないと思いますけどなぁ。
3 実在の人物に対する二次創作は、いろいろとややこしい問題を引き起こす
1の問題は、単に売れないよ、売れなくなるよ、という自己責任の問題なので別に構わないのですが、2はもしかしたら法的社会的に問題あるかも知れません。
つまりネタはネタとして構わないんだけれど、適当なことを言ってドラッカーとかジョブズを脳内で陵辱する読者におっぴろげるのは名誉毀損になるんじゃないか、と。
大物であればあるほど、本人は笑って許したり、岩崎とか言う虫けらのことは最初から無視してくれると思いますが、
周りの人間はそうでもなかったりします。特にジョブズに関しては、今喪中のようなものですから、岩崎さんのやってることは信長気取りの蛮行だと言えるでしょう。
ベストセラー作家でなかったらかるく打首になってもおかしくないレベル。
そろそろ、「自分のネタが面白いから反応してくれている」と「尊敬する人を汚すのが不愉快だからしばらくは注意してあげている」を区別しないと
唐沢なんちゃらさんと同じカテゴリに放り込まれると思いますよ?
1の最後に「なんで秋元はんの話しないの?」などと書いてみましたが、よくお分かりみたいですね。
ここで中途半端に岩崎さんが知恵を回してるのがわかるのが感じられてまたつまらなく思えるんですよね。
はてなーみたいに善良というか卑小なものを相手にして自分を大きく見せることだけは得意だけど、
本当にでかいものに立ち向かう勇気なんてないって全身で表現してるようにさえみえてしまう。
(もちろん個人の感想で、事実がそうだと言うつもりはないですが)
ついでに蛇足。
二次創作に頼り続けると、多分一時創作のために必要ないろんなモノが衰える場合が多い
これは私がそう思ってるだけで、反例はたくさんあります。岩崎さんにも当てはまらないかも知れません。
同じ分野の最前線にとどまり続けるためには、徐々に上がっていく期待のハードルを飛び越え続けることが必要。
そのハードルを超える力を鍛えることを避け、別のもっとひくいハードルにのりかえ続ける、という思考は
まさしくビジネスや同人作家には適していると思われますが、作家としては致命的な性癖だと思われます。
ドラッカーもそんな安易な乗り換えは推奨してません。 画力なり筆力を鍛えるのは当然それと別途必要です。
まさかRPMさんとベストセラー作家のご自身のハードルの高さが同じだとか本気で思ってるわけじゃあないと思いたいわけですが、
単に、自分の知らないところで、男に裸を見られるのが嫌なんだと思う。
自己中だねーw
あくまで自分が隣にいれば普段着ないミニスカ履かしてもいいと思ってんだw 可愛い可愛いっておだてれば着ちゃうタイプなのかな。
バストがボリュームあるとか、身体が判りやすく女性的な女の子は下手にいやらしくならないようにファッションに気使うことって多いもんだけど。
つーか知らないところで見られるのがイヤなら一緒にサンバのスクール通ってショーに出るとかの選択肢もあるじゃんw
要は彼女さんが「オレのキライなものを好き」なのがイヤなだけでしょ。
議論になった時の覚悟はしてるよ。
むしろ、彼女がどのくらいの覚悟でやってるのかによる。
嫌われてでもやりたい、むしろその趣味を含めて私だと思って理解して欲しい、
ただ、習い事とかイベントとか、何となく楽しみでやってることのひとつなら、
こちらの意志を尊重して欲しい。
なんで「覚悟」とかいって、苦行みたいな側面見出そうとすんの? 楽しくてやってんだから、それでいいじゃん。
だいたい「楽しみでやってる」か「覚悟がある」かどうかの判定ってどうやってつけるの?
プロとしてお金稼いでるとかの判りやすい指標がなきゃ、何であっても「楽しくてやってる習い事」の範疇から出られないんじゃない?
つまり自動的に「=オレのためにやめてほしい趣味」ってことになっちゃうじゃん。ずるくない?
最初から結論ありきで、結局「話し合って、受け入れる」っていう過程なんかない。
「自分がイヤなんですううううう」っていうのを押し付けてるだけでしょ。「嫌いになっちゃうよ、いいの?」って甘えてるだけだよね。
彼女さん、ダンスも好きだけど嫌われたくない…ってなったら、その葛藤を自分ひとりで引き受けて、しかも場合によっては即答しないといけない。
大人しくて可愛くて良い子なんだろうなあ。
「その趣味をオレは受け入れられません、キミがそんなのやってるのスゴくイヤです」って、緩いけどフツーに脅迫なんですけどw
彼氏が大好きだから尽くしちゃう感じで受け入れちゃうのかなあ。自分の好きなもの曲げるのは尽くすときはいいけど、冷めたら反動凄いからなあ。
今では重度のニート状態にいたるまでのことで
心配していた大部分のことは、
思春期以後、私が同性愛者で性別違和感があることで私が一人悩んで葛藤する中、
神経質になったり怒りっぽくなることに集約できることばかりだった。
母親が、どうしてあんたはそうなの、
お見合いしてみない、と言ってくるごとに
私はいつも、うるさいな、とか、ほっといて、とかであしらっていた。
本当は胸のうちでは
「違う、私は結婚ができないし、
女性とは付き合えない、私のおかしなところは全部そこに集約しちゃってる、
いつか本当のことをいう、その時きっと合点がいくはずだし、
本当のことを言えたあとは、少しずつ私も変わっていけるはず。
実際、LGBTの仲間の中では、私はお母さんの前のようではないんだ。
その時をどうか待ってて」
と思っていた。
その前に、逝ってしまった。
それともそんなことしたらそんなことしたで死んでしまったり、何かあったかもしれない?
言えばよかったかもしれない、言わなくてよかったのかもしれない、
その狭間、ぐちゃぐちゃの気持ちの中で夜を過ごす・・・。
http://anond.hatelabo.jp/20110906150347
アダルト・チルドレンの解釈で、もめてたはてなではない関係ないブログで
「アダルト・チルドレンは、大人になれない未熟な人ではなく、大人の役割を子供時代にやらされた人、です」と言う台詞があった。
けど、それを見て思った。
葛藤の最中が何にあたるのか、一般人が何を意味するのか、よくわかりませんが
親に虐待されたからと言って(元増田さんがというわけではなく一般論)人ではなくなるわけじゃなし、一般て何なんですか?
いじめられっこが寄り添うという現象は、あるかもしれないし、ないのかもしれない。けどどっちでもいいし、人の勝手だと思いますよ。寄り添いたければ寄り添えば良いのだし、他人に迷惑をかけてるわけじゃない。
あのはてな日記の書き込みの中には、あるのかないのかわからない共依存という言葉で表される状態を感じるものが、ないことはなかったと思います。
しかし、甘えにしても依存にしても、問題が無ければ問題じゃないんですよ。
甘えは、甘えてよい場面で甘えるなら問題はなく、相手が甘えてよいと言ってるのなら、甘えても特に問題は無いのではないでしょうか? 本人の規範意識や倫理観や、自分が守りたい戒律のようなものから考えたら問題だという問題はあるかもしれませんが。それは本人が考えれば良い事だから関係ないと考えますが。
もともと何の問題もないところで、何か問題であるかのように思わせられたか、思い込んでしまって、抽象的で一概に言えないような問題や、どっちでもいいような事まで、決め付けないと気が済まないみたいで
それが、普通じゃないと言えば普通じゃないとか一般じゃない事に繋がるのかとも思いますが、何を普通とは決め付けられないのが普通ですから、こっちが変ですね。
しかし、何となく読み流しても、ぎょぎょっとするようなところがあり、戸惑いを感じる。
恋愛なんて無縁だと思ってた。2年ちょっとの出来事。
女の子と知り合った。
最初の印象は「二の腕がなかなかだ」とかその程度のものだった。
彼氏がいる女に対してそれを知っている他の男がアプローチしても良いものか、というのは結構悩んだ。
けれども彼女から彼氏の愚痴を聞いていくうちに、僕のその悩みはくだらないものとなっていった。
そして初めて人と親密になるための行動をした。
メールや電話で頻繁に連絡を取り合い、遊んだり、思い切って誘って僕の部屋に何度か来たりもした。
しかし僕の中では「男の部屋に彼氏持ちの女が二人きりで入ることは浮気」という価値観があったので、欲望との葛藤が出てきた。
結局、今の状況はよろしくないだろうと思い、好きだということを伝えた。
僕は大好きオーラ満開だろうなあと思っていたから、気付いているとばかり思っていたんだけれども……。
覚悟していたけれども関係が壊れていくんだろうなと思い落ち込んだ。
でも、週1度会う機会はなくならない。
彼女には「友達としてやっていこう」みたいなことを言われた憶えがある。
それで、まあがんばれるかなと思い、メール・電話を時々するぐらいの距離で上手くやっていた。
家に誘うようなことはやめた。
が……それからというもの彼女が彼氏のことを話すのが、それだけがとにかく辛かった。
たとえ内容が愚痴であっても、その男について話すのを聞くのが嫌でたまらなかった。
僕はこれを伝えた、辛いということを。だから連絡取り合ったり週1で会ったりするのもやめようと、
でも彼女は引き止めてきた。まあこれはなんとなく予想していたけれども、なんと彼女周辺の人間も引き止めてきた。
皆事情を知っていた。これには予想外、なんか決心が鈍ってしまい……。柔い決心だった。
彼女はそれから僕の前で彼氏について話すことはなくなった("友達"と称して話していたのは何度かあったけど、配慮してくれてるのでスパイスの効いた嬉しさがあった)。
もともとスキンシップは普通より多かったけれど、明らかに増えてきたのを感じられた。
それで、ベッドの上での我慢がいつまでも続かなくて……お触りよりちょっと先ぐらいまでしてしまった。
たまたまなのかもしれない、いやしかし次に会ったときも同じようなことをした。あっちから積極的にしてくることもあった。
もしかしたら嫌なのに断れず…なんて思ったので、嫌じゃないのかと聞いた。
「嫌だったらこんなことするわけないじゃない。」
一字一句こう言われた。
そうすれば自信を持ってまた伝えることができたろうに。
そうこうしているうちにまた彼女の様子は変わった。
でもがんばろうと思った。
縁さえ途切れなければまたチャンスはあると思って。
そうやって数ヶ月、もうだめだった。代わりにされたのだという考えが抜けなかった。
その後、僕とああいうことをしていた期間は彼氏と別れていた、ということを彼女から聞いた。
衝動的な行動で後悔の念があふれでていた。
ただしもう週1の会う機会はなくなった。
ただ……これが会いたくならないわけがないんだ。
ほんとにうわあああああああって感じ。自制心が弱い。
まあでも電話やメールしてほんとにたまに会ったりするぐらいで、結構落ち着いた関係だった気がする(僕が忙しかったおかげかも知れないが)。
彼女からすぐにメールが着た。なんていうか好きな人が心配してくれるのってものすごく嬉しい。
これがきっかけになったのかは分からないけど、また連絡を取り合う頻度が多くなった。
でも結局辛くなって(略
彼女の周りでちょっとした事件があって、彼女はカウンセリングを受けるようになった。
僕ができるのは話を聞くことぐらいしかなかった。
一緒に学校に行こうなどと誘ってもあまり外には出たくないようだった。
しっかり聞こうと思った。セックスのことだった。あとで泣いた。
内容はというと、
この相談に対してなんと答えるのがベストだったんだ。ましてや好きな相手の相談。
僕は彼氏をクズ呼ばわりし、それに対応できない彼女に対しても結構なことを言った。
私情抜きにしても別れるべきだとも言った。
詳しくは頭に血が上ってあまり覚えていない。
その後いろいろあって、日にちを空けて彼女が僕に対して言った言葉。
謝る気はさらさらないけれども一応謝っておいた。
その後もたまに連絡は取り合ったけれども、2週間ぐらい前にようやく連絡先とか全て消すことができた。
ちなみに彼氏は他の女と付き合いだして、彼女は振られたようだ。
ほんと、右往左往していた。
最近、やらなきゃいけないことがまるで捗らない。
http://members.jcom.home.ne.jp/fosawa/column/yaranakya.htm
一通りまとめてみた。
・やらなきゃ病のプロセス
1.日常で、やろうと思ったことが発生する。
2.正常な人:計画を立てるだけ。
やらなきゃ病の人:無意識的にすぐさま、"やらなきゃ:計画し実行する"に変換する。
やらなきゃ病の人は、不安な心が強いため、安心したい気持ちも強い。
よって、不安を解消するために、"やらなきゃ"という意識が生まれる。
そこで、無意識的にすぐさま、"やらなきゃ"に変換する。
(計画を立てる理由は、無計画でいるよりも間違いが少なく、無難に事を遂行できるだろうと思うから。)
4.インナーチャイルドは、これを強制されたと感じる。
(インナーチャイルド:不安の塊として大人の心に潜む、子供の時の意識)
5.強制に対し、インナーチャイルドは強い力で抵抗しようとする。
この抵抗力がやらなきゃ病を起こす。
6.インナーチャイルドの抵抗により、何もできない
・原因
インナーチャイルドの中身は、子どもの頃から溜め込んできた大きな不安感と、一方的な強制を我慢してきた怒りなどの感情
悪いのは、"やらなきゃ"を遂行する大人と、それに抵抗するインナーチャイルド。
インナーチャイルドはなぜ、抵抗するのか?
→大きな不安と、一方的な強制を我慢してきた怒りが、抵抗の原動力となっているから。
・根本的解決策(インナーチャイルドの抵抗と、不安を無くすために)
自分癒しを進めてそれらの感情(大きな不安と、一方的な強制を我慢してきた怒り)を充分に開放する。
そのためには根気強く過去の記憶を辿りながら、時間をかけてゆっくりと過去の自分を解放する。
大人の自分も不安が少なくなるため、"やらなきゃ"という意識は減少する。
日々の生活の中で、できるだけ計画を立てないように心がけて暮らしてみる
(計画したものは、いついかなるときでも自分の意志でその計画を変更したり却下したりしていいはず)
やることの中に何らかの楽しみのようなものを見出すように工夫しておく
(やろうと思ったことをたとえやらなきゃに変換してしまったとしても、)
(何かやりたくて仕方がないと思えるようなことがあると、インナーチャイルドは抵抗の力を緩めてくれる)
はぁ?なにこの宗教
子供だって喜怒哀楽はあって当然。しっかり経験してないと人間として困る。不安と怒りに耐えられない、辛抱弱い大人になる。
不安と怒りなんて、人生始まってから死ぬまであるし、大人だって感じてる。子供の時だけを特別扱いすんな。
仮に子供の時って区切るなら、それはいつなんですか?そこで区切るって決めた根拠は何ですか?
1.日常で、やろうと思ったことが発生する。
2.やりたいこと:何も考えず始めてる。終わったことすら意識しない。特に飯とか。
やりたくないこと:やらなきゃと思って、計画し実行しようとする。
3.やろうと思えば思うほど、なぜか出来ない。
時間に余裕があったり、誰にも何も言われないため。
4.とはいえ、実行する。次第に期限が迫り、強制力が強くなるため。
5.ギリギリやり遂げる。
結局のところ、やらなきゃならないけどやりたくない、というだけだった。
…こんなこと考えながら、何も片付かないまま時間は過ぎていくのであった。
一人のAC体験の先輩として、この問を否定する内容で記事を書く。
今葛藤の真っ只中にいる人には、すぐには受け止められないと思うけど、何かしら伝わるものがあるといいな。
アダルトチルドレンは深刻な問題ではある。
特に「完璧主義」はアダルトチルドレンに共通する特徴であり、これがACの回復を著しく困難にする。
他者からの評価を押しつけられ、自分の感性を極端に否定され続けてきた人間は、自分の現状や目標を自分で設定することに困難を覚える。
「求められていることをこなしている」間はすごく頑張るのだが、少しでもそこから遅れをとったり、間違いを指摘されると急に動けなくなってしまう。
あるいは、外面上は完璧にできていることを装うために、不都合なことを隠しがちで、いわゆるホウレンソウがしっかりできないとサれることがある。
これを、なにもしらないオッサンたちが「最近のこどもはひ弱だ」というが、根本的に間違っている。
また一般的に指示待ちとかアスペと言われる現象もACに起因することが多い。指示内容が不十分だったり曖昧だと、行動しなかったり戸惑ったりする。
自分からイニシアチブを設定することができないほか、権威のあるものに認めてもらわないと行動ができないのもACの特徴とされる。
(実際はそれだけじゃないんだが、ACの人たちは、すべての問題を自らのAC体験に還元してしまう傾向があるため、これを無視することはできない)
AC問題の恐ろしいところは、一度はまると加速度的に状態が悪化していくため、回復が不可能に思えてくるところだ。
ACの人間は、上記のようにACでない人間にはまったく理解出来ない「ささいなこと」で躓き、そしてそのことをいちいち深刻に受け止めがちだ。
世間のACでない人間からは「ささいなこともできないやつだ」として無能扱いをされると、ただでさえ完璧主義なのに、ますます自己イメージが低下し、無力感に囚われて何もできなくなってしまうケースが多々ある。ひどい時には、動けなくなり、ACが関係ないすべてマイナス要素を自らのAC体験に還元することで自分を慰めるしかできないような人間になってしまうこともある。私も一時期この罠にはまりかけた。数年間何もやる気が起きず、ひきこもり続けていたりもした。
それでも何とかなった。その体験から、ACはあくまで認知の歪みであり、その気になれば抜け出せると思っている。
というのを前提にして、一昨日くらいに話題になった記事の感想。
過渡期というか、正念場を過ぎて言葉を発することができるようになった状態だな、と思う。
確かにこの人の母親の歪みは事実だろう。そして、それによって書き手の人が傷ついたのも事実だろう。
でも、その事実にいつまでも支配されなきゃいけないものなのだろうか。
この人は母親の歪みを過去ではなく現在進行形で自分に悪影響を与えるものとして語っている。
表現の端々ではもう過去のことだとか、自立したとか言ってるけど、また囚われている感がある。
しかし困難を感じつつもなんとかその過去のつらい思い出を整理することで、今の自分との間に距離を設けようとしている。
過去が辛かったから今の自分がこうなんだ、とは言うまい、と前向きに考えようとしていると思う。
当然その途中の段階だから、余計なおせっかいを焼きたがる人もいれば、「それは正しくない」という人もいるようだが、
書き手の人はそのうち先の段階に進むという予感がある。
きっと、すごく、頑張ったんだなぁ、と自分の体験に合わせてしみじみと感動する。
問題は、彼女に便乗して「私がアダルトチルドレンになった体験を聞いてくれ」に始まり「今私がダメなのも親のせいだ」って擦り寄っている人たちだ。
yuhka-uno さん、thor さん、私はあなたの味方です。私はあなたの仲間です。
あなたがた二人が何を思おうと、なにを言おうと、なにをしようと、
ほかに世界のどんな人たちや思想や宗教や、あなたがた自身があなたを否定しようと
また、私の頭できるだけ客観的に考えても(純粋な客観なんてそもそも存在しませんが)
この世で少なくとも誰かひとりが、
(中略)
同じく私は宣言します。
ここでyuhka-uno さんに対して、
批判的なことや否定的なことを書いてらっしゃる方々。
あるいは書かずとも、心に批判的なことや否定的な気持ちをお持ちの方。
あなたがたがどんな常識や、論理や、手段や、量的な優位性をもって
yuhka-uno さんを批判したり否定したり、
反論するし、私の心の中には、
あなたがたに反論し続け、反論し切るだけの想いや、
あなたの言っていることは多数派の社会の常識に沿っていて、そういう意味では正しい。
だけど、間違った育てられかたをした人は間違っていて当然であり、それを矯正するために「親は間違っていた」と言って自分の歪みを直そうとしているところに首を突っ込んで何が得られると言うのでしょうか。
歪みをただそうとしている手段を封じて、甘えずに直せとは、言っていることが矛盾しています。
黒さんが見ている世界は、頑張ればできる人間しか生き残れない、恵まれた世界です。
自分が駄目だと思い込んでいる人間は、生まれてから何十年もずっと自分は駄目だと思い続けてきたような人間ばかりです。
少ない努力で報われた経験を積み重ねた人は、自分が正しいと思い、成功経験を積み重ねていきます。
どれだけ努力しても報われない人は、自分が何をやっても間違えると思い、罪悪感を積み重ねていきます。
そして、少ない努力で報われる才能溢れた人たちは、自分の努力がこんなに大きな成果を上げたから自分は正しい、
同じだけの成果が出せないのは自分より努力が少ないからだと言って他人を説教したがります。
本当に不幸な目に遭って苦しみ抜いた人ほど、どれだけ努力しても報われない人がいることを体験から受け入れており、できない人に甘えだ怠け者だと言って追い詰めたりしません。
なんというか、いじめられっ子が、他にも孤立した人を見つけると擦り寄って集団をつくろうとするのに似ている。
その人が仲間を求めているかなんて分からないのに、自分がいじめから救われたいばかりに「私はあなたの気持ちがわかります」といって勝手に仲間ヅラをしているようなそんな感じ。
そんな「ぬるい連帯」をyuhka-unoさんが本当に求めているだろうか?
私は本文を読んで全くそうは感じなかったが、彼女たちは切羽詰まってるからそんなこと考えたこともあるまい。
断言するが、彼女たちの求めてるものと、yuhka-unoさんが求めているものは違う。ぜんぜん違う。
実際に、彼女らの過剰な摺り寄りに対してyuhka-unoさんが、慎重に切り分けを行っているのだが、
そこを読もうとせずに、人の庭でぎゃあぎゃあと騒ぎ立てるのは醜い行為ではないだろうか。
過去が気の毒であったことはわかるが、それを盾にして現在の自分を正当化し、しかもその恨みを世界にばらまかずにはおれない苦しみ。
対等に話ができる状況で、自分たちを意図的に低い位置におき、相手に譲歩をねだるその卑屈さ。
同じAC体験者として気持は痛いほど良くわかるけれども、それは決して私たちが「一般人」と呼ぶ人には伝わらないのだ。
そうやってコミュニケーションを取ろうとすれば、こじれることはあっても何かが良くなることなど絶対にありえない。
ただ自分が嫌なことをされたから、それを返そうという機械的な反応をしているに過ぎない。極めて非人間的だ。
自分たちが醜くて卑しい存在であるということを承認してもらいたいのだろうか?
「醜くて卑しいけどそれは親のかけた呪いのせいだ」というのを他人に認めさせれば何か状況が良くなるのだろうか?
「毒になる親」とか「良心を持たない人たち」を読み返し、AC仲間で共有しあって、自分たちを哀れんで、それで自分の世界が少しでも救われるのか?
いや、哀れんでもいい。「自分たちが悪かったのではなかった」という確認はとても大事だ。
でも、なんでそこで立ち止まっちゃうわけ?なんでそこから先に進もうとしないの?
甘えるなとか言いたいわけじゃないけれど、純粋に疑問だ。そこで立ち止まってて幸せなのかい?
幸せならそれでもいいけど、前を向いて進もうとしているyuhka-unoさんを、自分の惨めな人生に引っ張り込もうとするのはやめたほうがいい。
「なんか嫌なものねぇ。」と多惠子さんが言った。「胃が痛くなってしまう」
「やっぱり?」とわたし。「後味悪いよね。まるであたしがいじめたみたい。」
「私はできるだけ、あの子にも気を配ったつもりだったんだけれど。」
「あたしだってずいぶん我慢したわよ。」
「お互い不幸になってしまう。」
「もっとひどい不幸から逃れるために、あたしを引っ張ったのよ。二人で一緒に耐えましょうってなもんでさ。」
「でも、つっぱねなかったんでしょ。」
「めんどうくさくてね。」
「わかる・どっちにしても、自分じゃないような。」
「そうそう。」
「かかわること自体、間違いであるような。」
「そうそう。」
「どうしてあげればいいのか、わからないわ。」
「わからない。でも、あたしが彼女の望む通りになって一緒にかばいあったとしても、彼女は本当には幸せにはなれない。それはわかる。」
過去に自分を支配させるな。あなたたちの語る言葉には過去しかない。現在も未来もない。それじゃあもったいない。
どれだけAC同士で傷の舐め合いをしても、傷が癒されることは絶対にない。
「西洋菓子骨董店」とか読め。過去を修正したり、傷を治そうとするんじゃなくて、
もうそれはどうしようもないものとして受け入れて今の自分と向き合ったときに、初めて前にすすめるんだ。
ちなみに先ほどの引用には続きがある。
「正しいのは、実はあの子かもしれない。」
「本当にそう思う。みんな他愛ない話してるじゃない。平和でいいな、と思うことある。」
「みんな決して悪い子たちじゃない。楽しそうにしてるよ。もしかしてそれがしあわせってやつかもしれないって。
だけど」
詰まってしまった。多恵子さんも沈んでいた。
その後の気持ちは、今の万倍の勇気を出してさらけ出さないと、言葉にできそうもなかった。
今の自分は、まだそこまでの成長を、幸か不幸か、していないのだということを思い知った。
yuhka-unoさんはこのことを自覚して、勇気を出して先に進もうともがいている。
引用した二人は中途半端な状態でそこそこ満足して立ち止まっている。
二人の将来は交わらないところにある。 そのことを自覚したほうがいい。
アダルトチルドレン問題は深刻ではあるがあくまでもそれは傷痕であり認知の病だ。
それに屈するのも、それを克服して先に進むのもあなたたち次第です。あなたたちの責任です。
アダルトチルドレン問題を中途半端に知って、自己正当化することを覚え、そこで成長を止めてしまった人間は、
そういう人同士で傷を舐めあって生きていればいい。いつまでも後ろを向いて嘆いていればいい。
しかし、その地点にとどまらないで、成長しようとする人の足をひっぱるのだけはやめてあげてください。
そして、願わくば、あなたたちも、今の地点で十分休んだら、立ち上がって前を向いて歩いてください。
大事なのは、肯定するのではなく、過去をひとまずそういうものとして受け止め、そこから未来を考えること。コレしかない。涙が出るほど悔しいけど。
ガキの時から親の言いなり。高校進学、大学進学、就職までも、親の思った通りのところに進んでる。
今まで本気で反抗したことなど一度もない。反抗したとしても、保険を掛けた卑怯な方法を選択してきた。
まあ、経済的な生活としては可もなく不可もなく暮らしてる。でも、精神的にはかなり参ってしまってるんだ。
今まで、大きな決断を全くと言っていいほどして来なかった。だから、決断が出来ない。
毎回、親の顔色を伺ってしまう。親に対してこんな選択して悪いな。罪悪感でいっぱいになってしまう。
決断したい自分と、親の言いなりなって決断することができない自分。
これがかなりの葛藤になって俺を苦しめてる。ただもがくだけ。行動にも言葉にもできない。
もしかしたら、今後も親の言いなりになってしまうのか・・・・。俺って何なんだ・・・・・。
だから、親が最大限に望むことをかなえないことにきめたんだよ。
それは、『結婚しない。そして、家を継がない。俺の代で終わらせる。家も売ってしまう。』ってね。
こんなマイナス思考しか反抗することが出来ない。これでも、かなり緩くなった方。
一時は、親が一番悲しむこと・・・・自殺まで考えたぐらいだから・・・・・。今は、これは踏みとどまってる。
なぜクソ親のために俺が死なないといけないのかって思うようになったから。
でもね、でもね、最近思うことがある。上記な様なこと考えている俺って幸せになれるのかな・・・・・・。
絶対なれない気がしてならない・・・・・・。こんな人間と誰が付き合いたいと思うんだ??
だから、問題の根本になってる親をなんとかしないとって思ったんだよ。
俺の心の大半を占めてる親を。そいつを精神的に殺さないと。そうしないと俺は解放されない。
かなりつらい作業になると思う。耐えられるかどうか自信がない。俺が精神的に自殺してしまうかも・・・・・。
でも、これをしないと、本当物理的に死んでしまうような気がしてならない。