はてなキーワード: 予備校とは
今そんな段じゃないんだよ。そこはノートにかじりついてる時間だろうが。
便所行って、飯かっ食らったら、入室の直前まで学んだ内容を頭に刻み付け続けるんだ。
その一挙手一投足がお前の点数を、受かる学校を、ひいてはその後の人生を左右するんだよ。
行く学校が変われば出会う人間も変わる。就ける職業の可能性も。
一年遅れれば生涯所得がいくら落ちるか。まるで分かっていない。
緊張を取るための仲間との雑談、そのような意識で使っているのか。まあそういう時代でもあろう。
しかし、終わった後に正答や解法がこうだ、出題者の意図がああだ、と議論している輩はなんなのか。
1日目終了時点でやっている者、これはもう度し難い。全日程終了後であっても同様に愚かである。
これは一部のバカが可視化されてるだけなのか、それともデータ取りに受験した予備校講師のぼやきか何かなのか。
提出してしまった答案はもう、お前の力の及ばぬところにある。
複数正答、得点調整の可能性など議論していても、詮無きことだ。
今お前のやるべきことは、答案や問題のことを考えるのをやめ、一晩くらいすっぱりと休むことだ。
そして夜が明けたなら淡々と採点をし、センター利用なら志望校絞り、二次試験ありなら個別対策へ頭を切り替えるのだ。
自分が学生の頃はセンター明けに振り返ってグチグチ言おうものなら、教師に窘められたものである。
わざわざ書くのも憚られるほど当たり前のことだが、さっさと前を向け。切り替えろ。
そうして、できることなら受験終了までツイッターなど携帯ごと捨てろ。
お前が撫で回してるそれは、そんなに素敵なもんじゃあない。
僕は、高校時代かなりの苦労をした。精神的に追い詰められ、立っているだけでやっとの状況でふらついていた。他人が怖く、知った人以外の顔がまともに見れなかった。黒板を見るのもやっとの状況だった。そのような精神状態で、勉強もまともにできず、大学受験にも失敗した。
そこから、浪人生活が始まった。1年間予備校に通い、ほんの少しの親しい間柄以外の人とはしゃべらず、昼食の時はトイレで震えていた。それでもどうにか精神状態を保ちながら、どうにかこうにか生活を続けていった。ときどき親にも受験で失敗したことをせめられるようなこともあった。それでも高校時代よりはましかなと考えながら毎日予備校に通った。
そして今年、幸運にも難関大学に入学することができた。少しずつ他人の顔が見れるようになってきたし、友達もできた。
高校時代にそういう状況だったことは親にも言っていない。周りも気づいていないと思う。でも、自分にはわかっている。自分自身には「よく頑張ったな」と言ってあげたい。
某地方の専門学校の教員をしている。一応、地域ではNo.1と呼ばれる学校だ。
元々はIT系を仕事にしており、今はその時に得た知識を教えている。
就職予備校としての位置付けにあるとされる専門学校だが、現実社会とは大きく乖離している。
モラトリアム期間とはいえ、あまりにも目を覆うしかない現状をここに記す。
当校では担任制をとっている。
最近では大学でも担任制をとっていると聞くが、一部の大手専門学校以外では担任制は普通。
(聞いた話では某人気校は40人分しか机がないのに退学者を見込んで60人ほど合格させるらしいが)
先の連絡でもそうだが、宿題を出していない学生への対応は担任。
客観的に見て学習障害(ADHD等の発達障害を併せている事も多い)。小中高での問題を先送りした結果。
認定をされているものもいるが、大半は現実を見たくない保護者の反対で医者にすらかかっていない。
成果で評価せずに、努力の量や伸び幅(そんなにないけど)で評価する。もちろん、努力させるのは担任の仕事。
(発達障害への評価の仕方は高等教育機関に文科省が通達を出したもの。専門学校は都道府県の管轄だから管轄外だけども)
入学した以上、ムリヤリにでも卒業はさせるけど就職は難しいと思う。
先の学生のように明らかに問題がある学生は「就職辞退」させて就職率の分母を削る。
就職率は「就職希望者」に対しての就職決定率だから、「就職希望者」で無くさせるという事。
ひどい学校だと「契約社員」「派遣」「アルバイト」も就職とみなしているからなあ。
専門学校の大半は「福祉系」「IT系」。最近は公務員も多いけど。
学生が理系離れが進んできたので、IT系の募集も思わしくない。その結果、生まれたのが「ゲーム系」というジャンル。
しかし、ゲーム系は大手の学費がクソ高い学校以外ではゲーム開発経験者は限りなく少ない。
IT系の教員がゲーム系を教えていることも多い。就職はもちろん、IT系。
ゲームクリエイターになりたければ安いゲーム専門学校に行くな。大学行って、空いてる時間にバリバリプログラムをするべき。
高校までの延長だから、環境は整えてもらって当たり前。大学生は履修も自分でするし出席も自分で管理する。
それができなければ専門学校に行くしか無い。専門学校は就職したくない、勉強したくない学生の溜まり場。
専門学校の教員には教員免許が必要ない。だから、教えるための最低限の知識すら持ち合わせていない事もある。
つまり、教える教員の人格による部分が多い。もちろん、教えるスキルを身につけることも可能。
もちろん、組織がバックアップするなんてことはない。ハズレの教員もいる。
島並先生のツイート( https://twitter.com/#!/shimanamiryo/status/141371781058535425 )を受けて。
冒頭の「●」は、どうしても10個に絞りたい人向け。
http://anond.hatelabo.jp/20111106092420
大学選びのコツ。
この先、キビしくなっていく世の中で「学歴」っていうのは非常にコスパのいい資格で、その一方ある程度以上の
ものがないと「無いも同然」になりかねないものだと考えた方がいい。具体的にはマーチ-駅弁未満の特色のない大学とか入るだけ無駄。あと、美大・音大に行く奴は夢と心中する覚悟を持っとけ。文系院志望は更にだ。東大でも進路に自殺が見えてくる。
「偏差値」が重要なのではなく、大学名の肩書きが重要だってことは覚えておいた方がいい。
高校生だとピンと来ないだろうけど、最早「まともな暮らしがしたければ学歴は絶対必須」って世の中に突入してる。
「普通の暮らし」って高校生が思う以上にハードルが高い。親世代のようには我々生きてけないだろうから。
①進路が明確な場合
例えば「船乗りになりてえ」とか「教員!」とか言うなら、それぞれベストに近い大学があるのでそこに行こう。出来れば、その界隈最高峰の大学へ行こう。教員なら学芸大、船乗りなら海洋大学みたいな「就職超強い大学」が一個くらいはある。しかし、この場合覚えてほいて欲しいのは「現場作業員」ならそのレベルでも到達できるけど、「日本郵船で新航路を開拓してえ」とか「日本の教育制度を改革してやらあ!」みたいな野望は、この手の大学ではかなわない。自分が現場で働く人になりたいか、それとも指揮をし企画する人になりたいかは、十分考えて進路を決めよう。ぶっちゃけ、進路が決まっていれば大学の段階でそれが叶うか否かは8割くらい決まる。スゲー大事。超悩もう。
②進路があやふやな場合
文系なら、とにかく必死こいて偏差値の高いところ。具体的に言えば、私大なら早慶以上、国立なら旧帝以上に入ろう。
学習コスパが高いのは早慶。三教科で受かる割りには社会的評価が高い。ぶっちゃけ、底辺国立に入る実力があれば早稲田慶応なんて入れちゃう気が俺はしてるんだが、何故こんなに社会的評価が高いんだろうか。その辺りを勘案しても早慶はお得感があるな。デメリットは学費。高すぎだろクソが。
理系の場合は、自分の適性に見合ったところに行こう。若干就職は文系に比べて有利だ。ただ、大学生活が文系に比べてダルいと聞くので、好き嫌いで選んだ方がいいんじゃないかと思う。俺文系だから知らないけど。
大学の価値は「肩書き」以外に、「人脈」っつーものがスゲー多い。例えば、俺は早稲田の出で起業した人間だけど、大学のときの人脈がなければ起業なんてまったく覚束なかっただろうと思う。借金抱えて早稲田に通った甲斐はあったと思ってる。
ただ、貧乏人が私大に行くとカネの面で相応のリスクになることもあるので、そこは自己判断、自己責任。
んで、一定レベル以上の大学は、金持ちの師弟が非常に多く、また一流企業に勤める人間も多いので、人生通してかなり使える。スゲー便利。また、学閥っつーキモチ悪いコネクションも日本社会には蔓延ってるので、これもかなり使える。どこの企業に行っても、東大・早稲田・慶応の門会は大体ある。俺も外資含めて企業3つハシゴしたけど、全部あった。特に早稲田。ゴキブリかおまえら。
たいていの人は初めての就職活動が終わって内定者の学歴を見たときに「うわ…学歴って大事なもんだな・・・」と思うだろう。
東・東・東・ハ・慶・東・東・東…みたいな学歴って大企業だとフツーだからね。「俺低学歴ワロタ」って感覚になる人も多いと思う。俺そうだった。
③学びたいものがあるが、それは進路には特に結びつかない可能性が高い時
「文学やりてー」とか思ってるヤツ。俺もそうだったけど、コレ辛い。
特に、大学でやりたいことをやるには必然的に「院」って選択肢が浮上してくるが、やべーこれ詰むぞ?って感じになるよね。
俺も修士出だから結構怖かった。これ対策は、「やりたいことをとにかく必死にやる」。ことしかないと思う。
だってさ、大学って就職予備校じゃねーんだからやりたいことをきちんとやらないと意味が無い。
じゃあ、どうするかって例えば俺は文学を専攻したんだけど、そーいうの必死でやれば普通語学くらいつくだろってことだよね。
院試で英語使うしさ、TOEIC800とかまで最低でも伸びるだろうと。一生懸命勉強して、結果として付加価値をつけるしかないと思うんだよね。それでも、結構な高確率で就職詰むけどさ。個人的に、就職のことだけ考えて大学を選ぶのは薦めない。おもしろくねーし。大学選びは「やりたいこと」でいいと思う。ただ、その中で自分の付加価値を発見するなり習得するなりしてけないと、この先しんどいだろーな、と思うよ。それでもダメなら公務員試験。あれもやりゃ受かるし。Ⅰ種の難度は過大評価されすぎてると思う。やれば受かるレベル。ただ、その先の面接は「俺低学歴ワロタ」になるから早稲田・慶応辺りだと場所によって辛いが。
なんにせよ、高校生に大事なのは「何がしたいか」「どうなりたいか」の明確なビジョン。
高校一年生なら、とにかくこの将来のビジョンを作ることに専念したらいいと思う。目標が出来上がってれば結果なんてついてくるし。
俺の場合、小説大好き⇒文芸批評家になりてえ⇒早稲田だったけど。こんな冷静になれば「それ食ってけると思ってたん?」って夢でも、大学受かるくらいのモチベーションにはなる。それが大事。今の高校生さんだと、多分大学入試のモチベーションも捻出できないと思う。1年生なら東大まで十分射程距離に入るし、よく考えてよく選んで欲しい。俺この歳になっても「二浪までなら東大目指せばよかったな・・・真面目に数学やってりゃ…」って思うことがある。東大・京大・一橋辺りは入試難度が別格なんで、高校3年の秋から勉強しても受かる時は受かる早慶とは比較にならんほど、早いうちに進路決めたやつが有利。逆に言えば、「三年ありゃ東大は受かるんじゃね?」と俺は思ってる。受かったことねーけど。受けたことはある。落ちた。日本は何やるにせよマジで東大最強伝説なので、東大いけるんなら進路なんて一ミリも考えなくてもOKってフシはあるんだよな。
高校一年生で進路も全く見えてないんなら「とりあえず東大目指す」ってのは戦略としてかなりオススメ。「自分は東大なんてムリだな…」と思うなら、早慶狙いの三教科特化に切り替える手もあるけど、ぶっちゃけオススメしない。旧帝狙いとかなら東大狙いがミスった結果で受かるだろうから、一年生は目標を大きく持った方がいいと思うよ。
でも書いてみる。
几帳面なわたしは、いつも同じ電車の同じ車両の同じ位置に立っていたのですが、
しばらくすると「電車って、いつも同じ人が同じ場所に乗っているものなんだな」ということが分かりました。
そんなこんなで2週間ぐらいが過ぎたころ、いつもの車両メンバーの一人。
メガネで真面目そうなおじさんがわたしに触れてきました。
「えっ、えっと痴漢?でも、まさかね・・・・・・勘違い?」と思ったのですが、
その日は、「ああ、こういう人もいるのか・・・・・・」と驚きで、あまり勉強が手につきませんでした。
翌日、また同じおじさんがいました。
昨日はなにかの勘違いで、たまたま手があたったのかな?とも思ったのですが、
この日はハッキリとおしりの特にアナル付近をぎゅっぎゅっと押してくるようになりました。
そういったこと=性 に疎かったわたしはあまり重大なことととらえず、
恥ずかしくはありましたが、ぎゅっぎゅっと圧力を感じながら予備校へ向かう
・・・・・・そんな日々が夏の間続きました。
いつものように駅で降りると、おじさんも降りてきました。
そして話しかけられました。曰く、
・痴漢をして申し訳なかったということ。
・でも毎日痴漢をすることでスッキリして仕事に臨めたということ。
・キミが夏期講習に通っているのは分かっていたから、今日であえるのが最後と思ったということ。
・キミのようないいコはいないから、最後に思い出をつくりたい。
とまぁ、勝手なことばかりだったのですが、わたしは何をとち狂ったのか、
おじさんとはじめてのホテルへ行きました。
写真撮ってもらったりするようになったなーと、
長野の豊凶手術をした男の死体発見のニュースを見て、ちょっと昔を思い出したのでした。
いわゆるコミュ不足だと思われる原因で、いまだに就職活動を続けている私。
最近、明らかに周りの学生の雰囲気が変わってきたのを肌で感じる。
あるグループ面接時。
左から2番目に座った彼は、椅子に斜めにもたれかかり、最初の自己PRで「私のこと最初から理解するのは無理なんですよ…中略…一緒に働く中で私の力をご理解できるとおもいまーす」と発言。
真ん中に座る彼女は身なりはきちっとしていて、好印象だったのだが、面接では同じことを何回も繰り返す。
これにはさすがの私もびっくりしてしまった。そして、私は彼等と同じラインに立っていることにショックを覚えた。
国営放送なんかで「100社受けたけど・・・」なんて答えている学生と同じラインになっていると思うとつらい。。。
最近の説明会や面接は大体こんな感じの顔ぶれである。そもそも、説明会や面接にいける数がもう少ないのだが。。。
早くなんとかして職につきたい。
・2012年卒採用、企業は予定人数確保に難航――マイナビ調査[Business Media 誠]
http://bizmakoto.jp/makoto/articles/1110/05/news096.html
・民間企業「厳選採用してるはずなのに、クソみたいな学生しか来ない。なぜだ」暇人\(^o^)/速報
http://blog.livedoor.jp/himasoku123/archives/51668356.html
この調査によると文字通り人材確保が上手く進んでいないようだ。
しかし、やっぱりコミュ力基準の厳しい審査を通過しなければ、選ばれないという。。。
コミュ力。。。
想定される答えに対して漫然に下準備を行なうことは別に面接に限ったことではないことを、あるインターンの時に思い知った。
下準備を行なう。。。準備なんかせずに今まで過ごしてきた私にはとってもたいへんなことである。
受験勉強も好きなことを勉強して、嫌いなことはやらないで高校に入れたし、大学にも入れた。まわりが予備校で必死こいて勉強している姿はなんだかうらやましかったし、尊敬を感じていた。
部活では、問題に立ちあたってから考えることがほぼ全てだった。
やりたいことは、やっていくうちに何とかなった。それはもちろん、生活費がかからないことが前提であるが。
こんな感じで過ごした学生生活、別に後悔なんてないが、思わぬハードルを背負っているのかなと今になって思う。
ケチな性格な私は、お金に関しては計画性を持って取捨選択も行なってきた。また、そのための情報収集もかなり得意な分野である。
一方、全員ではないが大学生は金持ちが多い。平気で対しておいしくない駅前にある居酒屋チェーンの店で1人3000円とか落とすし、隣にスーパーがあってもわざわざ高いコンビニで買い物するし。。。
「お金ないんだよね~」としゃべりながら“いろはす”買ってるし。。。
この点で、他と差別化を出して個を出すべきなのかなと思った時期もあるが、この個を説明するためには現状の大学生のお金に対するルーズさを説明する必要がある。
世の中の消費は決して牽引しているとは思っていないが、わりと身近な点ではルーズなことを。
こうなるとやはり、面接官に説明が無くてもある程度理解できることを説明していく必要が出てくるが。。。
大学時代に“まあそんなこともあるよね”と聞き流せないようなことをやっている人がいくらいるか。。。
内定を決めた人はみんなわりと”まあそんなこともあるよね”ってことを自分だけのものにして上手く説明していると思う。
“まあそんなこともあるよね”ってことを“まあそんなことあるよね”って感じでしかしゃべれない点で私はコミュ力無しであり、それを理解しながら対処方法を見出せない、もしくは対処方法を実行できない私は。。。
追記。
私が労働者現役時代に野菜工場が完全自動化して、農業もほぼ自動化されて、欲を満たすための産業、研究だけが残るなんてことが起こりそうかなと夢物語を想像するとやる気が。。。
この国を暗くしているのはどうみても鬱病の中高年とりわけ官僚やマスコミである。彼らは法律や規則によって日本を鬱々とした灰色の世界に染め上げることに汲々としている。若者や学生は予備校や出版界のものの分かった講師や著者の鼓舞によって日本社会は東大を頂点とするハイアラーキーで構成される成績差別のある明るい社会であると見ている。東大は大都会東京の一等地に広大な敷地をもち、その威容も帝国の統治機関といった様であるから当然であろう。これを国立大学法人東京大学などという鬱っぽい構成で語り、帝国統治組織の東大をただの一大学に貶めることで自己のコンプレックスを抑圧しようとするつまらない事務員や地方公務員といった負け組鬱病患者が日本を真っ暗にしているのである。
東大が最高偏差値の最高学術機関であって、誰もがハイになって勉強して目指すべきところとするなら、正直に、東大が帝国日本の統治組織であり、ここが日本を実効支配していると公式に宣言すべきである。日本は東京至上主義、しかも東大至上主義の帝国であり、東京には権力者や金持ちしか住めず、東大は全国から選ばれたエリートしか入学できない。名古屋や大阪、福岡は東京の二次都市であり、それ以外の地域はいわば田舎で、都会の生産のおこぼれに与るところにすぎない。
なぜ東大法学部は逆説的にも統治機関東大をただの一大学に貶める構成を採用するのか。なぜ東大が最高統治組織だという法律を書かないのか。東大および政府がすべきことは民主憲法の撤廃と東大帝国憲法の起草と公布である。これにより日本はどこが支配機関であるかが明確になるとともに学歴差別の明示化された明るく楽しい社会になるであろう。
何で天皇は自分の心がつまらないことも理解できないのか。明治憲法にしろ現行憲法にしろこういう子供に何の夢も希望も与えない保守的なものを作るべきでない。私が公民で初めて憲法を見たときは「何が平等だよつまんねえこと言うな」「何だこの古色蒼然とした漢字の羅列は」と思ったものだ。「君が代」も歌詞が意味不明でつまらない。とにかく全体的に退屈で、なぜこんなものが日本国家の礎になるのか、その発想自体が理解不能だ。また天皇の実施する学校制度も極めてつまらない上、ここ30年は失敗している。これでは救いようがない。他方、民間の作るものは実に面白い。天皇が大学入試競争の存在を認めない反面、予備校や出版界は入試競争や偏差値差別の存在を認め、学生の心を明るくする情報操作に満ちている。こういう面では、天皇より、民間やヤクザの方が優れている。しかし、天皇制にはかなりの程度支配力があって、楽しんでいる者の邪魔さえする程度に達している。今の日本の真っ暗さをみれば明らかだろう。つまり天皇制とは鬱の象徴であって、せっかく躁状態になっている社会を脅かす存在なのである。日本は常に躁状態で世界制覇を目指せばよい。ところがなぜか日本の歴史には常に天皇制という厄介なものがあって、つまらない真面目腐ったことを言って楽しんでいる人の邪魔をしてくる。しかもその程度が尋常でないのは裁判所の長ったらしい判決文や警察の取調べをみても分かる。精神を殺しにかかってくるレベルなのである。なぜこうなるのか。それはもともと日本社会に鬱的傾向があって、それが支配的だからだろう。民間やヤクザのように、差別のある明るい躁状態の社会は例外的で、日本人なんて何をやってもだめだし、どうせ地道に生きるしかないという本質的な諦念がこの国に鬱という原則をもたらしている。それがここ数十年のグローバリズムで、何が何でも躁にならなければいけないという風潮が、天皇制を抑圧し、民間やヤクザの価値観の伸張を可能にしてきたが、二度の経済失敗によって再び日本全体が鬱状態になり、天皇制にすがろうという空気と、ここまでやったからには諦め切れぬという民間やヤクザの勢力が拮抗状態になっているのが現状である。しかし、鬱の天皇制と躁の民間ヤクザが戦争をするうちに、日本人の精神はズタボロになって、様々な紛争や事件が起こる中で絆を喪失し、気がついたら精神が空洞化した地獄が現出していたわけである。このように鬱と躁が戦争をするとろくなことにはならない。しかも鬱勢力の執拗さはすさまじいものがある。日本はそろそろ鬱の天皇制をかなぐり捨てて、差別のある明るい躁社会のデザイン設計をしなければならないのではないか。それにはまず受験競争を認めたうえで、東大を中心とする帝国社会へと再編成して、学力により人間を序列化することだ。それによって日本は極めて面白い社会になるはずだ。
内定蹴って一留して目指してた院試に失敗していよいよ詰んだんだが、
どうしてこんな糞野郎になったのか半生を振り返ってみる。
中学3年生の時私はいわゆる保健室登校をしていた。今考えると理由はよくわからない。
ただ、趣味がゲーム、アニメのイラストを描くことで、2chに入り浸り、
体重は60kg超えのデブ、色黒、毛深い、眉毛も整えない女は迫害されて当然だろう。
実際男子からの扱いはひどく、女子にも話しかけられず、中学時代の今でも友達と呼べる友達は2人しかいない。
よく思い出してみると、毎日家まで迎えに来てくれたり保健室に様子を見に来てくれる子もいたので、
ただの卑屈な思いこみだったんだろう。後悔している。
中学校は進学校(?)だったので3年間勉強はしていた。成績が良かったので塾は嫌いではなかった。
その間ずっと、いつか好きなだけ漫画を読みゲームをし、イラストをたくさん描く時間ができるのだろうと思っていた。
結局、保健室登校による内申の低さが祟り、第一志望の高校には入れず第二志望の公立へ行った。
高校時代は、言い方は悪いが、周囲がバカに見えること以外は楽しかった。
がコンプレックスは引きずったままだった。変わることを意識し、中学時代は無所属だったが部活に入り、化粧もした。体重はそれでもデブだが少し落ちた。
高校でも勉強は続けた。1年生の時、美大へ進学したいから予備校へ行かせてくれと親に行ったが遠まわしに却下された。
進学塾の費用は出してくれたので、そちらに精を出すことにしたのだ。畢竟、イラストはあまり描かなくなった。
共学校だったが、3年間で男子と言葉を交わした記憶は殆ど無い。
大学は、金融関係に勤めている父の影響と、単純に金持ちになりたかったので、経済学部に行きたかった。
数学は好きだができなかったのであまり勉強しなかった。そのうえ厨2病をこじらせたのか現実の人間社会に興味がわかず、
政経ではなく倫理に興味津々でセンターも倫理選択で、地理はやらなかった。
結局、途中で妥協し経済学部志望を諦め、目指していた大学の中で一番楽に入れるところを受けなんとか現役で合格した。
サークルに入った。大学の人間はさすがに素晴らしい人が多く、素晴らしすぎてついていけなかった。
「いつか時間ができたらやろうと思っていたこと」を勉強と一緒にやってきた人たちばかりだった。
絵もかけなければ楽器もできないスポーツも出来ない自分との圧倒的な違いに絶望した。まあ仕方ない。
ふてくされたわたしは、投げやりに決めた進学先に成績がからまないのをいいことに彼氏をつくって遊んでいた。
私が周囲の人間と疎遠になったところで、「悪かった、俺が間違っていた」といい自分の人間関係はそのまま。
わたしがなにか新しいことをしようとするととたんにねちねちと難癖付けてくる。
教職をとれば「教師はもっと神聖な仕事だ」就活をするといえば「女は働くもんじゃない」
じゃあ公務員試験の勉強のために予備校へ行くといえば「簡単だって親父はいってたけどな」
(彼の父は法学部出身。わたしは大学の専門がまったく試験と関係ない。)
まあそこでやる気を失うわたしも悪いのだが、初めてできた彼氏で、しかも自分のことを「好きだ」といってくれるからにはなかなか切れない。
共依存関係でずるずると引っ張り続け、4年生になり、就活も勉強もほとんどできないままほぼ大学受験の貯金で受けた試験で内定をもらった。
しかし、わたしがしたいのはそんな仕事じゃなかった。海外に長期滞在するチャンスが欲しかった。
仕事をするからには、自分の仕事を通じて社会の課題を解決したかった。
「おにぎり食べたい」と書き残して死んでいく人を放っておくような国をかえたかった。
それでわたしは専門を変えて大学院を受けることに決めた。
親に頼み込んで、留年させてもらった。これからは頑張ると決めていた。
にもかかわらず、彼と別れられなかった。他にも男性との間でトラブルを起こした。
通院することになり、紆余曲折を経て結局完全に別れたのが今年の6月。
なにかやらねばならないと思っても、もはや、頑張るということを完全に忘れていた。
勉強の仕方も、忘れていた。到達すべきレベルも、やらなければいけないことも、わからなかった。
とりあえず英語の試験の勉強をした。貯金があったので、合格者平均くらいは、とれた。
けれども、その後机の前に座ってみても増えるのはらくがきばかり。
そもそも問題意識が低いから目的を達成するための手段としての勉強に身が入らないのだろうと思い、
問題意識の根底にある原体験の不足を補うためにボランティアに参加してみることにした。
東北支援と、NPO系のもの。いかないよりはいってよかったとおもう。そこそこに感動もした。
というのは、人は変わるということを目の当たりにしたから。しかし怠惰さは残った。
よくこういう文章でみる、「ここで俺は覚醒した。狂ったように勉強した。」みたいな一文が頭にちらつくが、なぜかそうならなかった。
そうしようと思って机に12時間むかってみても、そうならない。没我という状態はついぞあらわれなかった。
それでも最後の4週間、それまでの4年間に比べれば勉強したと思う。結果は駄目だった。
能力が、ないのだとおもう。
頭の回転はそんなに悪いとは思っていない。ディスカッションの進行や即興でのプレゼンはほめられる。
でも、決定的に打たれ弱くて、入念に、継続して何かにむけて努力することがどうしてかできなくなってしまった。
意志の力の決定的な不足。親に申し訳なくて、泣いた。
これからどうすればいいのか正直わからないでいる。やりたいことはあるが、そのために学士入学したところで、仕事にありつける可能性がさらに狭まるのは必至だ。
これなら頑張れると今は思っていても、こんな経過を振り返っては、親どころか自分すら説得できない。
いっそ仕事で満足するのを諦めれば良いのかもしれない。仕事以外に人生の楽しみを見出しそれに傾注するのも幸せかもしれない。
しかし、自分の中で仕事をステータスと捉える側面が未だあって、そのせいで現在すでに、働いている友人たちと連絡が取りづらい。
http://anond.hatelabo.jp/20110818225658
元増田、男だろ。と思ったがどうか。
とにかく、良くぞ書いた。男の無意識を、良くぞ書いた。
誰も口にしなかったことを始めて書いたんじゃないか。
トラックバックのスピードより、ブクマの方が早いことが、それを証明している気がする。
犯罪として立件される具体的な行為の、その水面下の行為がある。
私は男だ。懺悔としてここに書きたい。私は元増田に指摘されるところの「密着魔」だった。
予備校時代、池袋までの埼京線で、私は青色吐息、年頃の女性の付近に立つことができれば、密着した。
違法なことをしたわけではないが…いま考えると限りなくクロに近くなくはないグレーだ。
もうちょっと厳密に、逆に言うと、「性的なメッセージが伝わる密着の仕方」がある。
たとえば、私という男が、乗り合わせた見知らぬ会社員Aに対して、太らせたペニスを接触させることはない。
私は男性が好きな男性ではない。だから、男性に対して屹立したペニスを接触させることはない。
・・・今まで具体的に、考えたことがない!
屹立したペニスを満員電車の中で他の男性に接触させるという行為が、接触させられた男性からどんな反応を引き起こすのか、考えたことがない。
もちろん、そう言えば、満員電車の中でペニスを押し当てられたこともない。
「どんなにすし詰めでも立ったペニスを同性に押し当てるな。」というのは、無意識下の黄金律みたいなものだ。
もちろん、異性に対してだって、屹立したペニスの存在を伝えることは、性的なメッセージの伝達になる。
満員電車の社内であっても、どこであっても、その行為は、簡単に言うと「マナー違反」だ。
ところが、満員電車の社内では、マナーもクソもない状況が生じている。
「見知らぬ他人には密着しない」のだって、マナーというか、社会常識みたいなものだ。それが崩壊している場なのだ。
そこにおいては、元増田が指摘するような行為が、水面下で行われている。
他人のその「水面下の行為・密着」を、目撃することもある。
なんでこいつこんなに女子高生に密着してんだ、ということがある。
そういう場合は、腕とかを間にめり込ませて、密着を解くというのもある。
小さい声で、「触ってんじゃねぇよ。」とか、代わりに言う、ということもある。
密着するのも、守る(?)のも、同じ人間がやっていたりする。
すまなかった。
相方にはできない話だ。
授業をするにあたって、
皮剥き器を買って、使い方を身につけろ!
どういうことかというと、
「授業ではわかるんだけど、自分で解いてみたら、解けなかった」
そういう経験あるでしょ?
授業を聞いて、先生の解き方を聞いて、
「たしかに解けた!」ってなっても、
たとえ話をすると、こういうことです。
「人参の皮剥きはめんどくさいわよねー」
という話から始まって、
あるところで、
「ちょっと奥さん!」
と、こうくるわけです。
「この皮剥き器を使えば、あっというま!」
ね、実演するわけ。
で、お客さん、「うわーすごーい。簡単に皮が剥けた!」となる。
で、お客さんは、皮剥き器を欲しくなって買うわけじゃないですか。
でね、でね、話し戻すよ。
授業で、先生が「こういうふうに考えると、解けます」となったときに、
あなたたちが「うわーすごーい。簡単に問題が解けた!」となったら、
「こういうふうに考えた」
「こういうやりかたがある」
「背景となっているのはこういう知識」
という部分ですよね?
問題を解くための道具ですよね?
その道具の使い方ですよね?
それを持って帰らないで、
ただ「簡単に問題が解けた!」っていう
結果だけ持って帰ったら、どうなりますか?
それってさっきのたとえ話でいうと、皮剥き器の通販なのに、
値札ついてるものが商品だもん。
値札もついてません。
授業の時にね、君たちは、
ついつい、結果の方に目を奪われて、
「解けた!」ということに満足しちゃったり、
あるいは
「うわー間違えてた、ショックー」
みたいな部分に囚われたりしてね、
「どうしてこういう考え方をしたのか」
というね、
皮剥き器を買って、使い方を身につけろ!
ってことです。
ちゃんと、自分で使ってみないと。
同じやり方で、自分で問題を解いてみる。
商品買っただけで満足しちゃうってのは、
ちゃんと、自分でやってみて、使い方も身につけてください。
でね、
もうちょっと広い視点の話をすると、
点数がすべてなんです。
どういうふうにやるのか?
どうしてこうするのか?
ね?
僕らが自分の意志でもって変えられるのは、
いやね、剥き終わった後の人参を買う、結果だけ手に入れる。
確かにね、例えばレストランで食事するってのは、
食事という結果だけ手に入れてるわけだし、
誰かにやってもらって、
その成果を自分が使って、
でもね、もう言わなくてもわかってるでしょ?
まさか、君たちはそういうことを望んでるわけじゃないでしょ?
「こういう知識が必要です」とか
「これこれこうなので、こういう方針で解いていきます」とか、
いいですか?
皮剥き器を買って、使い方を身につけろ!
これを意識して授業に望んでください。
20歳過ぎの時にうつ病と診断され、それから10年くらいうつ病とおつきあいをしてきている。せっかく入った大学も、通い続ける気力が出ずにしかたなく中退。働くのも不定期のバイトをちょくちょく入れるという程度。うつ病を抱える人ならわかると思うけれど、調子がいいときしか働いたりできないから定期的には働けない。毎日実家に引きこもり、まるまる1ヶ月一歩も外に出なかったこともあった。ストレスがたまったら物にあたるしかなかった。だからうちの家は壁も家具もボロボロ。
4年くらい前、少し状態が改善したから働こうと思った。ハローワークに行ったけれど、自分が希望する仕事はすべて大卒を求めている。中退の私には応募すらできない。そこで、勉強だけは自信があったから公務員試験を受けようと思った(公務員は学歴面では受験資格なし)。そして頑張って1年間勉強して筆記試験には合格。でもその後の面接で落とされた。それもそのはず。勉強のストレスでまた精神の状態が悪くなり、薬をたくさん飲んで泥酔みたいな状態になって面接を受けたから。公務員には年齢制限があるから、そのときの自分の年齢も考え、一度だけのチャレンジにすると決めていた。こうして公務員受験生時代を終える。
公務員試験で法律の勉強に自信を持った私は、次に司法書士を目指した。今度は大型資格。10年かかって合格する人もいる。そういう世界。1年半、ちょくちょく休んだりしながらも予備校に通った。でもこっちも結果的には失敗。長期間の受験生生活に耐えられなかった。勉強の効率がどんどん落ちていく。やっぱり精神が持たなかったのだ。
でも今年になって変化が訪れた。急に物事がうまく回り始めたのだ。バイトでも探そうと思ってプチ就職活動のような物を始めたんだけれど、なぜかフルタイムの仕事と出会ってしまった。今までフルタイムでなんて働いたことなかったし、バイトですら一番最後が5年くらい前。だから自信はなかった。「3日で辞めてしまってもしかたないかな」って思って始めてみたら、続くんだ。もう始めて3ヶ月くらいになる。プライベートでもこの歳で始めて彼女ができた(!)。
朝から夜までずっとパジャマ。友人と遊びに行く約束をしても精神状態の悪化でキャンセルもしばしば。そんな私が今はスーツに身を包み、朝から満員電車に揺られて会社に通ってる。初めての社会人だからもちろん仕事はスムーズができてるとはお世辞にも言えない。けれど、他人から見たら普通に会社勤めをしているどこにでもいるサラリーマンに見えるだろう。うつに苦しみながら「普通の人になる」ことにどれだけ憧れたことか。今やっと、あこがれの「普通」になれたのだ。
物事が急にうまく回り始める時ってあるんだと思う。もちろんこれが「偶然」だなんて言わない。こうなるために努力は続けてきた。でも何一つうまくいかなかったんだ。資格スクールに通った経験も10くらいある気がする。でもそのすべてが2、3回しか続かなかったし、ひどいのになると入校試験だけ受けて入学辞退とか。でも公務員とか、司法書士とか、少しずつステップを上ってここまでこれた。あとは友人の支えかな。(親以外に)応援してくれる人がいるっていうのはすごく大きい。
私は友人には恵まれてます。友人はたぶん生きていく上で一番大事なものだと思う。ちょっと極端な価値観かもしれないけれど、私の価値観はこうです。「もし自分にお金が全くなくたって、世話してくれる友人がいれば生きていける。でもお金だけあっても友人がいない人生なんて耐えられない」この価値観に賛同しない人もいると思う。でも賛同する人は、友人(あるいは「知り合い」)を大事にしてください。私は友人の誕生日はGoogleカレンダーに入れているから、毎年忘ることがない。そしてプレゼントを贈ったり、午前0時に「おめでとう!」ってメールしたり。何人かの友人にはひょっとしたらうざいと思われてるかもしれない。でもそれでもいんです。大事にしてるっていう気持ちはいつか伝わるんじゃないかなと思ってます。他人を愛する気持ちはきっと自分に返ってきます。「情けは人のためならず」と同じですね。
働いてないことが恥ずかしくて出られなかった高校時代の同窓会にも、今年は胸を張って参加してこようと思います。楽しんできたいです。
俺の知ってるいじめっ子はアホでも鈍感でもなかった。
いじめを行う奴はいじめた奴の復讐を恐れる。だから余計にいじめる。
いじめっ子として成功するのは心が小さく、臆病で、計算高い奴だと思う。
世間一般の常識よりなお身勝手な話だろうが、私の実感ではコレが真実だ。
いじめる人間は絶対的にいじめの因子があるわけじゃない。環境が変わればいじめられっ子になる程度の普通の人間だ。
いじめられっ子がそうであるのと同じだ。絶対的な加害者も被害者も居ない。
今では男と女ですら絶対の力関係の差があるわけじゃないのだから。(相対的に力の差があるのは否定しない)
絶対的な差があれば最初からいじめはおろかケンカすら起こらない。
だが、実際にはいじめは起こるし、いちどはじまったいじめは徐々に苛烈になる。テキトウなところで収まることは少ない。
(コレ故に中高一貫校ではいじめの対策意識が強く、特に進学校ではクラス替えやリーダーの設定が意識して行われる)
あるいは責任を負わない(と思っている)周りの人間はそうかも知れないが、
少なくとも主犯はかなり敏感にいじめっこの感情や力関係を意識している。
一度話を始めたからには、常に頭を使い、周りも巻き込んで優位な立場をとろうとする。
なんとかして相手の反抗の意欲を挫こうとする。いじめ仲間にご褒美を与えようと心を砕く。
一度歩き始めたら立ち止まることは許されない。
私は底辺中、底辺高校、予備校に通っている間、この詰めが甘いいじめ側が、
見通しの甘さから力関係を逆転され、逆にいじめられっ子になるのを何度か見た。
もともと不利な状態をひっくり返すくらいだから、頭も使うし努力することも知っている。
よけいいじめられるかもしれないのに反抗する程度の勇気もある。
それが負の方向に向けられたときに中学生でもここまでやるか、という位にひどいことをするのだ。
いじめの「成果」として下半身不随になった奴もいたし、失明した奴もいる。歯止めがきかないのだ。
私はいじめをやる人間に、麻薬と同じくらい理由でやめとけって言いたい。
いじめははじめこそ気楽な感じで行われるかもしれない。
それこそ傍から見たらじゃれあいと同じように楽しい物だと感じるかもしれない。
だが、一度流れが出来てしまうと、引き返せなくなる。
立ち止まったら、ためらったら、頭をつかうのをやめたら、いじめ仲間に気を使うのを怠ったら、自分が今度はいじめられる側になる。
不安に苛まれるし、その不安を払拭するために徐々に程度を増やしていかないといけなくなる。ストレスがどんどんたまっていく。
そのストレスに耐えられる人間であればいじめをやってもいいかもしれない。
きっと行き着くところまでいって、社会的に死ぬことになることを恐れなければ、だが。
でも、たかがいじめでそんな結果になる覚悟があるのか?多くの人はないだろう。
だからやめておけ、と言いたい。
いじめについて知らないのに知ったかぶりたい人、あるいはいじめられた人にとって、
いじめを行う奴は「人の心がわからず、いじめる相手をモノみたいに扱っていて、いじめたヤツのことなんてすぐに忘れる最低の人間」ってことになっている。
大きな間違いだ。
普通に考えたらこういう人間像がいかに人間として不自然かわかるはずだが、いじめに関してはなぜかこれがまかり通る。
こう言えば、いじめという行為が不自然なものなんだからいじめをするやつが不自然で何がおかしいと返される。不思議だ。
いじめは、普通の人間がやる。普通の弱い人間がやる。弱い人間がやるから歯止めがきかないのだ。
自分が支配者になれないならいじめなどやめるべきだ。少なくとも私が通ってた底辺校ではそう教えてほしかった。
教育委員会は、総中流なんて幻想に合わせず、レベル別に3段階くらいの教育要項を作って欲しいと心から思う。
余談1。ちなみにいじめてたやつがいじめたことを忘れることが多いのは、自己防衛の為なんだろう。
いじめてたやつも、その環境を離れたら、いじめという状態から逃れたいと思うのだろうな。
身勝手な話だが、いかにもいじめをするような弱い人間にありがちな話だと思う。
余談2。フェミとか他の差別の問題も詳しくはしらないが、多分似たような話なんだろう。