はてなキーワード: ロイとは
オレオレFCは前半の1点を守りきり、5試合ぶりの白星を手にした。前半33分、DF村山のクロスが相手DFの手に当たり、PKを獲得。これをMF鈴木潤主将が冷静に決めた。後半は磐田の猛攻に遭ったが、身体を張った守備で、9日中京戦以来の無失点勝利を果たした。
鈴木潤主将は「欲しかったのは勝利。不格好でも勝ちたかった」と安堵の表情を浮かべた。リーグ戦4試合未勝利で24日の横浜FM戦後には怒り心頭のサポーターと話し合いを行った。「結果が官軍の世界。この一週間は勝つためだけにトレーニングしていた」。努力は結果となって現れた。
負の連鎖を断ち切ったが、野河田彰信監督は勝利には満足しつつ「(試合内容には)あんま満足してへん。攻め続けて2点目、3点目を取りに行かないといけないんやけどね。今日は勝っただけやん」と渋い表情。次節は4月3日、アウェイでガンバ大阪と対戦する。鈴木潤主将は「試合内容はまだまだ。もっと出来る」と更なる向上を誓った。
オレオレFCは今季ワースト5失点で横浜FMに大敗し、リーグ戦4試合未勝利となった。前半から相手の圧力に防戦一方で19分にPKを決められると、前半だけで3失点。後半23分にMF藤崎が2枚目の警告で退場すると、数的不利に陥ったチームは反撃する余力はなく、さらに2失点を喫した。
横浜まで駆け付けた2,000人以上のサポーターの前でロイブル軍団は醜態を晒した。今季ワーストの5失点大敗。試合後、サポーターは大ブーイングを浴びせ、「やる気あんのか!?」「勝ちたいと言う姿勢を見せてくれよ!!」と厳しい言葉が飛んだ。鈴木潤主将はうなだれるイレブンを代表して「今日は本当にすみませんでした」と頭を下げた。
4試合ぶりの白星を狙って臨んだ一戦。だが、昨年も優勝争いを繰り広げた横浜は甘くなかった。前半から波状攻撃を繰り出す相手に防戦一方で、19分にPKを献上して失点すると、26分、36分と立て続けに失点。後半は選手交代で流れを代えようとしたが、23分に藤崎が2枚目の警告で退場すると、最早、反撃する余力はなく、立て続けに2失点した。MF鈴木亮、森下らが不在。FW森永がコンディション不良で欠場した事も響いたが「言い訳にしたくない。それ以前の問題です」と鈴木潤主将は唇を噛み締めた。
サポーターと約30分間、話し合いを行った。野河田彰信監督は「今日は怒って当たり前やと思います。これを糧に、コイツらにやらせるようにします」と言えば、鈴木潤主将も「今日も申し訳なく思います。だけど、ここで落ち込んだら駄目だし、そういう選手はいません。もう一度、足元を見つめ直して、磐田戦でやります!!」と宣言すると、サポーターから最後は拍手とゲキが飛んでいた。
次節は30日、ホームでジュビロ磐田と対戦する。野河田監督は「今日はワーストゲーム。(磐田戦に向けて)そら、やらなアカンやろ」と危機感を示し、明日にもミーティングを開催すると明言。鈴木潤主将も「こういう結果は望んでいない。自分たちが招いたことは、自分たちで取り返すしかない。必ず、挽回して見せます」と、大敗を糧に5試合ぶりの勝利を目指す。
オレオレFCは20日、ホームで柏レイソルと対戦する。19日はオレフィールドで一部非公開で調整。来日初先発が濃厚となったGKピーター・リチャードが停滞するチームに3試合ぶりの白星をもたらす“ラッキーボーイ”になることを誓った。
リチャードが苦しむロイブル軍団に新たな風を吹かせる。チームは現在連敗中で計6失点と守備に課題を残した。この日、リチャードは主力組に入り、リーグ戦では来日初先発が濃厚となった。「状態はいい方だと思うし、自分の特長を発揮できれば」と意気込みを語った。
クラブ初の米国出身選手となる196cmの守護神はハイボールだけでなく、足元の技術も高く、最後尾から攻撃を組み立てる役割も期待される。背番号1は「自分は守護神。ゼロに抑えれば、必ず点を獲ってくれる。攻撃でもリズムを作り、勝利に貢献したい」と言い切った。
○…チームは現状打破へテコ入れを図る。この日はDF森宮、大野、MF鹿野、FW浅田が主力組でプレー。野河田彰信監督は無言だったが、岡嶋聡ヘッドコーチは「そうじゃなかったら、入ってない」とベンチ入りが濃厚だ。
昨年19試合で3得点の浅田はここまでリーグ戦の出場はなし。昨年最終戦以来の出場へ「ベンチに入れなくても、準備はしてきた。出るのであれば、ゴールを決めて、チームの勝利に貢献したい」と意気込みを口にした。
観察:
推測:
というのも、ハリウッド映画などを見ていると、叫んだり息を呑んだりするのだ。「見ていられない」シーンや、痛ましい負傷をするようなシーンで。
多分、母はブレードランナーやインセプションを見ても、訳が分からないだろう。ロイの感情や入れ子の舞台を読み解けるようには思えない。
カスみたいな筋書きの実写ドラマでキャイキャイやってる層というのは、テレビのそれが廃れないのを見ると、かなり厚いのだろう。
私は腐女子で、「左右固定」というやつだ。とはいえそんなにこだわりが強い方ではない。雑食の友人がたくさんいるし、キャラ解釈が合えば逆カプの人とも友達になってきた。逆リバも、進んで見に行くことはないが、たまにちょっと口に入る程度では死なないし、カプ色の薄いものなら好きな作品に出合うこともある。信頼のおける友人から勧められたものなら大抵いけてしまう。ゆる固定、とろ火固定を自称している。
そんな私が最近とある作品にハマった。それほど新しくもない、小さなジャンルだ。私がハマったABは、ジャンル内ではメジャーな二人だった。ジャンル内の大多数がABかBAで活動しているようなところで、どちらかが圧倒的に王道ということもない。というより「ABもBAも好き」という、いわゆる雑食の方が多数派だった。
そんなジャンルの空気を知らないまま沼に飛び込んだ私が浴びたのは、想像を超えて逆リバにまみれた世界だった。支部に上がっている作品の多くはABとBAが一緒に格納されていた。小さなジャンルだけにみんな仲がよく、ABの人をフォローしたつもりでも、当たり前のようにBAがRPされてきた。元々多少なら食えると思っていた逆リバも、あっというまに辟易してしまい、思った以上にBAがダメになってしまった。私はぐったりしながらフォロイーのRPを切って回り、BAをミュートワードに設定した。
私は友人に愚痴った。
「いくら雑食が多いからって、このジャンルは腐女子の常識がなさすぎる。死ぬわけじゃないといっても逆を見る前に心の準備はしたいし、さすがにキツい。住み分けぐらいちゃんとして欲しい」
雑食の友人は言った。
「それはお気の毒。でも、気にする人がほとんどいないなら、いいと思ったものは気ままにRPしたいし、わざわざ区分して別々に作品を上げるより全部まとめてアップする方が楽なのもわかる。それでもそのジャンルの人には読んでもらえるわけだし」
そしてこう続けた。
そう、これは固定への配慮の問題だ。ちゃんとカプ分けしなかったからといって、何かのルールに反しているわけではない。それでこのジャンルの人たちが楽しくやっているなら、私にとっては息苦しいが、誰も悪くはない。
「固定」とは、「そういう障害」なのではないか、と。症状の出方や強さに個人差があるところも共通している。
雑食の人は「健常者」なのだ。バリアフリーじゃなくても、何も気にならない。カプ分けされてなかろうが、生きづらいということもない。
たいていのジャンルは固定者の圧が強いので、当然の常識として「ABとBAは住み分けるべき」とされている。それは「腐女子界隈にはこの障害を持つ人が多いので、配慮が行き届いた状態にしないと逆に叩かれる」からではないだろうか。
固定者は障害者なので、配慮がないと生きづらくて仕方がない。けれど、健常者が多数を占める場所では配慮しなくても困る人が少ないから、細やかな配慮はされなくなってしまう。だって、その方が健常者にとっては楽だから。気にすることが少なくて済むから。
最近話題になった「逆を目にしただけで寝込んでしまう」だとか(それが本当なら確かに日常生活に支障をきたしているのだからまごうことなき障害だ)、車椅子騒ぎだとかを合わせて思い出して、私は猛烈に自分が恥ずかしくなってしまった。
五体満足で目も耳も使えて、発達も定型。そういう人ばかりが集まっているところに障害者が入ってくると、それまで必要のなかった「合理的配慮」を求められるようになることがある。できればお互い気持ちよく生きられるといいね、とは思うけれど、正直なところ「めんどくさい」と感じてしまう人はいると思う。自分だってそう思ってしまうことがあるだろう。
さらに言えば、そもそも障害に気付かれないこともある。目に見えない障害ならなおさらだ。そういうとき、マイノリティである障害者の存在はまるで「ないもの」のように扱われてしまう。それらが我が身に跳ね返ってきた瞬間だった。「このジャンル、みんなどっちも好きだからいいよね~」という雰囲気が、誰も悪くないのに自分にとってこんなにしんどいものだとは思ってもみなかった。
「自分は面倒くさい存在なのだ。他人に配慮を要求して、それを当然と思い込んでいたのだ」
自分を健常者だと思い込んで生きてきた人生で、それは頭を殴られたようなショックだった。あまりの衝撃に、今この文章を書くことで心を落ち着けようと試みている。
私がこれを書き、それを誰かが読むかもしれないことで、なんの問題が解決するわけでもないけれど、もしかしたら何か見え方が変わるものや、新しく見えてくるものがあるかもしれない。できたら、少しなにかがよくなるようなことだといいな、と願っている。
オレオレFCは今季J1に初昇格した町田ゼルビアに敗れ、今季初の連敗を喫した。大卒新人のDF赤堀、MF宮崎をスタメンに抜擢し、前半は無失点も後半に2失点。終盤に鈴木潤主将のゴールで追い上げるも届かなかった。
イレブンは試合後、ガックリ肩を落とした。初昇格ながら首位独走気配の町田に完敗。試合後、駆けつけたロイブルサポーターからブーイングを受けた。野河田彰信監督は「今日は見ての通りや。何かあるん?何言うても、”言い訳“として書くだけやろ」と苛立ちを募らせた。
指揮官の采配は積極的だった。FWオ・セフン対策で195cm100kgのDF赤堀を、前線からのプレスで相手を嵌め込む意味合いでMF宮崎をトップ下で起用。統率力の高いDF本田を外してまで、大卒新人2人を抜擢した。前半は赤堀がオ・セフンを抑え込み、宮崎は前線からのプレスで攻撃を活性化。相手のシュートを1本に止め、無失点と理想的な試合展開で折り返したが、後半に暗転した。
8分に裏に抜け出したFW藤尾を止められずに先制されると、同22分には町田お得意のセットプレーから追加点を献上した。GK望月は「特に2失点目。防げたシーンだった。あれで相手の流れになってしまった」と悔やんだ。2点を追う終盤は長身のFWトーマス・ノレジーを投入し、赤堀を前線に上げた。後半40分に鈴木潤主将がこぼれ球を押し込んだが、反撃はここまでだった。
指揮官の苛立ちは止まらない。「前節もそうやけど、最後の質の部分。相手の脅威になってへんやんか」。放ったシュートは7本。ゴールをこじ開ける積極性と強引さが足りず、町田の強度ある守備にパスも通じなかった。鈴木潤主将も「これだけ、やられたのは久しぶり。僕達に必要なのはクオリティーをどれだけ上げ、アイデアを増やしていけるか」と唇を噛み締めて話した。
次節は20日、ホームで柏レイソルと対戦する。昇格以降、本拠地では負け無しの相手。鈴木潤主将は「おのおのがベストな準備をして勝ちたい」と顔を上げる。昨年も連敗は僅か2。初タイトル獲得へ、3連敗は避けたい。
「ショーグン」の黒人はどこにいる?
ウィリアム・スパイビー 2024 年 3 月 8 日 3 分で読めます
日本のことわざに、武士が勇敢であるためには少しでも黒人の血が必要だというものがあります。そうだとしたらFXのモンスターヒット作「ショーグン」には怖い剣士がたくさん出てくる
(中略)
2024 年版では、日本の視点にさらに重点が置かれています。最初のエピソードに登場するポルトガル、スペイン、イングランド、オランダを代表する白人キャラクターは、決して英雄的とは言えません。 しかし、現在コスモ・ジャービスが演じるジョン・ブラックソーンというキャラクターはすでに重要な人物であり、数人の日本人キャラクターとともにヒーローとなる予定です。他の人たちはすでに、10 部構成の新しいシリーズを 1980 年版からの文化的な大きな変化として賞賛しています。私は 1980 年には素朴にも尋ねなかった質問を、今になって尋ねます。黒人はどこにいるのでしょうか?
私が質問したのは、歴史的に正確ではなかったときの表現を見たいからではありません。私が尋ねたのは、1600 年以前にも日本に黒人がいたからだ。ただし、日本はフロリダに歴史の書き換えについて何かを教えることはできるだろうが。複数の情報源によると、初期の実在の将軍の一人である坂上田村麻呂 (758 ~ 811) は黒人でしたが、他の人は否定しています。彼が純粋な日本人ではないということではコンセンサスがあり、 強制同化と植民地化の対象となった北日本の肌の色の黒い先住民族であるアイヌの子孫であると考えられることが多い。
歴史家マーク・ハイマンは著書の中で田村麻呂を讃える像について説明しています 。
「彼が讃えられている寺院で見られるように、マロの像は他の貢献者よりも背が高かった」とハイマンは書いている、「彼の髪はカールしていてしっかりしており、目は大きく、幅が広く、茶色でした。鼻の穴は広がっていて、額は広がっていました」幅は広く、顎は厚く、わずかに突き出ていました。」
清水寺の田村麻呂像は通常は非公開となっています。清水寺は778年の創建以来、度重なる火災に見舞われ、何度も再建されました。現在の像には、ハイマンが説明した黒人の特徴はまったくありません。
多くの研究者は、日本におけるアフリカ人の示唆と存在を記録しており、その起源は 22,000 年前、将軍シリーズの多くが行われた大阪近郊で遡ります。
「アジアの海岸に到達した黒人の推定数は、その大陸で彼らが発見された広い地域によってある程度推定できるかもしれない」とロイ・マイユー・ジョーンズは述べた。インド洋に面し、東海岸に沿って日本に至る南アジアの国々。当時「チパンゴ」と呼ばれていたその遠い土地に到達した人々によって語られた興味深い物語が数多くあります。日本の歴史の中で最も著名な人物の一人は、サカノウエ田村麻呂と呼ばれる黒人戦士でした。」
(中略)
『ショーグン』の主な舞台は大阪で、 シリーズの期間中、大阪は日本の経済の中心地であり文化の中心地でした。日本のどこかに黒人がいるとしたら(実際にいたのですが)、大阪にもいるでしょう。必ずしも人々の間を自由に生きたり歩き回ったりするわけではありませんが、ヨーロッパの使者のグループの一員であることは確かです。おそらく、2024 年版のショーグンは今後のエピソードで画期的な展開となり、1980 年には登場しませんでしたが、当時存在していた黒人も登場するでしょう。描かれている日本人にはさまざまな色合いがあります。おそらくそのうちの一人は黒人であることが判明するでしょう。今後、日本の船とヨーロッパの船を戦わせる海軍のシーンがいくつかあるため、黒人船員の一部が歴史的な正確さを反映することが期待されています。
どうせ母親に任せっきりなんだろう?
8割は俺が担った自負がある。
オシメ交換は9割俺がやった
土日の終日95%俺が面倒見てる。
まぁ俺が好きだから作っただけで8割が俺が消費していたが、まぁ作った
子どもたちが集う公園には精神ギリ暴発寸前のヤツれた母親を大勢見かける、ブチギレシーンを何度も目撃した
ウチ一度もねぇのよ
そりゃもちろんダダをこねることもあるがせいぜい3歳まで、ほぼ記憶が無い
公園から帰りたくないとか玩具買って、地面に転がって手足バタバタは1度あったが、我が子にもとうとうこの時期が来たかと嬉しくなりビデオ撮影した。
その後、次こそ最高の映像を残してやると待ち構えていたがついぞやらずに4歳、5歳を経過。
もうやらんだろう
イヤイヤ期も無かった、健全な成長に必要な時期だと本に書いてあったのでイヤイヤ期をやれと命じたことがあるが、拒否られた
泣きじゃくる、癇癪を起こすことも稀にあったが、数えるほどしか覚えてない
人間含めた哺乳類は抱きしめて胸の圧迫と皮膚刺激を与えると落ち着く。リッキンギ、グルーミング。
海馬の糖質コルチコイド受容体、視床下部からの副腎皮膚刺激ホルモン分泌に対するネガティブフィードバック機構に作用する、しろ、さぁ交感神経活動の正常化、カテコールアミンの分泌を抑制せよ、とか考えながら30秒も抱きしめていれば落ち着く、チョロイ。
押さえつけてるだけだろ?
好き放題させている
公園で遊びたい、帰りたくない、真っ暗の砂場で飽きるまで待ってやったのは10回20回では無い
面倒な説得やら交渉やら説諭するくらいなら俺は俺でスマホでネットでもやってりゃいい。
目を離した隙に砂を食ってたりしたこともあったが、腸内フローラの多様性、幼年病原体とのエンカウントはむしろ有益であるとの論文もある、どんどん食え。
タブレットやスマホも専用機を与え自由に使わせており、一応は制限時間を儲けているが時間でロックかかると
目が悪くなるかもしれんが、なぁに彼が大きくなることにはips細胞とかでちゃちゃっと直せるようになるのではなかろうか、しらんけど。メガネかけりゃいい。
玩具買ってくれ、買いますとも、せいぜい数百円、数千円、数万円のものだ
ウチは貧乏だから、との説得をそれとなくしたらあまり無茶は言わなくなった、値札を見て「これならどう?」みたいな、挙げ句に「ウチは貧乏だから我慢する、お金持ちになったら買ってね、っていうか俺が自分で買うわ」とか言い出した
念のため、悲壮感はゼロだからね、子供は笑いながら冗談半分に言うてる。
なんというか、部屋にゴミ増えるのうぜぇっ等々大人の諸事情的なこともざっくり包括的に理解してくれてる感じ、天使か、
出かける時は服も着させる、自分でやらない、パパやって
無理にやらせようとしても遊んでいるだけで逆に面倒くさい、ならばさっさと俺が着せたほうが早い
まさか10歳二十歳になって、パパ靴下捌かせととは言わんだろ、そのうち勝手に自分でやりだす。
甘えてるだけ
甘えが悪いとは思わん、5歳なんて「生きるの楽しい」って記憶だけ刷り込めば十分だと思ってる。
「今日は運が良かったね、楽しかったね」子供の口癖、俺がよく言ってやるのを真似た。
なにか少しでも楽しいことや新しいものに出会えたらそうやってフラグを打つ、記憶する
そうそう、そう言えばトイトレも楽だった。
幼稚園に入る前に終わらせなければと少々焦ったが、入園数週間前に秒で終わった
おねしょは1度だけだった。ちょろい
先日、公園で遊ばせていると「パパ来て」、公園では勝手に遊ばせる、
友達がいれば友達と遊んでいるし、誰も居なければ適当に同年の子供を見つけて友達になって遊んでる。楽でいい。なんか知らんが走り回ってる、何が楽しいのかねぇ
そんな息子が満面の笑顔で「雲梯最後まで行けた見てくれ」と、アレをしろこれをしろという指導や誘導は一切しないが勝手に雲梯の練習を初めて、しばらく2,3ステップまでしか進めなかったがようやく最後まで渡り切れたようだ。
雲梯で脳が活性し利口になることは知っている、頑張ってやってくれ
補助輪をつけるのが面倒くさかったのでそのままやらせていたら小一時間で習得。
ビュンビュンと走り始めた、とにかく楽で良い
公文だのピアノ、絵画、水泳、皆さんいろいろされているが一切無し
風呂場にスピーカーをつけて好きな音楽を流せるようにしているが、元気に鬼滅とポケモンを歌っている。そんなんでいいんちゃうの?一応俺はピアノが弾けるが
先日、図書館で3歳まで公園でよく一緒に遊んでいた母子と再会した
突然来なくなったのだが習い事全部入りなのは知っていた、育児マニュアル信奉親、公園では裸足で遊ばせてた
その子を見て、正直勝ったと思った、いや勝ち負けとか言うちゃダメなのは百も承知、二百も合点なんだが、感じてしまったものはしょうがない
彼は生命力と覇気がスポイルされた目をしていた、可哀想に、だがそれも親の愛だ
アホだと思うが。どうにもできん。頑張れ
スポーツクラブに通う彼の筋力、体幹は明らかに俺の息子に劣っている、事実だから仕方がない
俺の息子はひらがなを一つも書けないが、彼はカタカナも書けるだろう
なぁに文字なんて小学生になってから嫌でも習う、60にもなってひらがなが書けない以下略
就学してから、こんなの全部やってるもーん、よゆー、から教育が始まるのと
え?俺全然できない、みんなできるの?ヤベ、勉強頑張らないと不味くね?
息子は超絶負けず嫌い、そこで折れない諦めないフォローと自尊心や自己肯定感を養ってやれば良い
スポック博士の育児書の初版本を図書館で書庫請求して取り寄せてもらった(平成元年の三版しか残ってなかった)
つまり、まー、こんな知見はどれほどの支持、権威や科学やデータだと言うても、ほらみてみ、変わるのよ、間違えてるのよ
だがあの本はぶっちゃけ役に立った、「いろいろ書くが、子供なんて頑丈だから簡単には死なない、自信持って自分のやり方で育てなさい」だってさ
そのまんまやんけw
コメントいっぱい貰った、ありがとね
俺も何度かある、それ子供悪くないよね?叱るところじゃないよね?その叱り方じゃないよね?
精神的にギリなのもわかる
だからさ間違っててもいいんだよ、子供は育つ、育てやすい子、そうでない子、色々なのもわかるが、もう少し肩の力を抜いて子供を育てない?
正しい子育てなんてなくね?マニュアル頼りの子育て、測りすぎの育児を少しだけ見直す
書きたかったのはそういう事です。
親には国公立大の学費を払ってもらい、月数万円の仕送りを貰っていたが別に太い実家ではない(と思っている)
就活は氷河期とリーマンショックの間の世代で大学を出て就職は普通にできたから運は良かった方だ
学生の頃にバイト代を貯めて韓国とタイに行き、日本と違う空気や文化やメシに触れるのが楽しかった
地方の安月給の会社に就職してからも通勤途中でよく読んでたのは海外旅行のweb記事で、それによく出てきたのが会社辞めて世界一周してる人たちのブログとかだった
なんだかんだ5年で会社辞めることになって、退職届出した時に貯金が250万ほどできており、ふと世界一周できるな?したろ!
行きたい所は3つだけ決めていたが、ルートは未定で、基本的に現地で次の目的地への交通手段を手配する感じだ
最初の目的地はネパールで、上海から昆明まで40時間超の長距離列車で移動し、そこから飛行機でカトマンズに入る
漫画版神々の山嶺を読んでエベレストを見たかったので、ベースキャンプへのトレッキングをした
4500mを超えたあたりからクソしんどかったが生のヒマラヤは鮮烈だった
そっからインドに行き、一ヶ月ほど時々腹を壊しながらカレーを食べつつインド人に騙されたり頻繁にボラれたりし、スリランカからシンガポールへ飛び、シンガポールから第二の目的地タイのバンコクへ陸路で移動する
その後ビザが必要なミャンマー以外のインドシナ半島各国を麺や焼き飯を食いながら一周し、次は西へ行きたいと氷入りのビールを飲みながら思っていたところ、マレーシア航空のドバイ行き格安チケットを見つけたので予約し、ドバイではオイルマネーの力に驚嘆し、世界一高いビルのブルジュハリファは入場料が高かったので外から見た
飛行機で紅海対岸の禁酒国家イランへ、イランは旅人には親切にしろと刷り込まれているムスリムの国なのでいい所だが、テヘランのバスで男にケツを撫でられる
後で知ったがゲイがバレると当地では死刑になるので外人をターゲットにするそうだ
イランは当時も経済制裁の影響でatmでのキャッシングが使えず、米ドルを街中で両替するのが面倒なことと、酒が無いので1週間くらいで出国することにし、バスを乗り継ぎアルメニアに抜けて飲んだワインはクソうまかった
当時まだグルジアだったジョージアはワインもうまいが料理がとてもうまい、元栃ノ心さんがワインの輸入するそうでがんばってほしい
シュクメルリが話題になったがヒンカリ、ハチャプリ、ほか名前もわからん料理などどれもうまかった
黒海沿いに移動して、パンがクソうまいトルコでカッパドキアとイスタンブールを回り、ボスポラス海峡を渡ってようやくヨーロッパへ入り、ブルガリアでヨーグルトを食べて元琴欧州鳴戸親方の生地ヴェリコタルノボを歩いた
ヨーロッパはさすがに文明的で、旅するのに快適であまり苦労した覚えがない
バルカン半島経由で北上し、ポーランドから船でスウェーデンに渡り、ノルウェーでサーモンを食うため北極圏の町トロムソに行き、魚屋で買ったサーモンとオスロで買っておいたスシライス(カリフォルニア米)を炊いて寿司を作って、ホステルで一緒になったドイツ人カップルに振る舞いながら500mlで1本700円くらいするシロクマのラベルの缶ビールを飲んでいたところ、オーロラが出たので見られたのは幸運だった
ノルウェーは物価が高すぎたためオスロ空港で出国前に2晩ほどベンチで寝てたら警備員に注意される
インドで知り合ったスコットランド人学生を訪ねてライアンエアーでオスロからエジンバラへ、夜ギグに行こうと言われて半地下のクラブへ連れて行かれる
さっきまで壇上でサックスを吹いてたシュッとした青年が普通にアンフェタミンを勧めてきてびびったが、すでにエールで酔っ払っていたので楽しかった事しか覚えていない
そこからメシと酒がクソうまいバルセロナへ飛び、夜な夜なバルでセルベーサを飲み、昼はパエリアを食ったりおやつにバレンシアオレンジをかじり、マドリードの安宿の屋上テラスの藤の椅子に座ってチーズとハモンで赤ワインをやりながらどこに行くか迷っていたところ、サウジアラビア経由エチオピア行きのチケットがあったのでアフリカに入り、大地溝帯に沿って南下し、ケープタウンまで陸路で移動することにした
アフリカはどこの国も同じで当然黒人ばっかりでメシがまずく、衛生状態も治安も悪く交通機関もクソだが、ヤリまくって産みまくって死にまくるという原始の人間の生活を見られたほか、やたらと多い子供は汚いがかわいかった
あとサバンナは最高にきれいで、朝焼けの露に濡れた草原が輝く景色は忘れがたく、ライオンやキリンやゾウは動物園で見るのと全く違う美しさだった
ナミビア、ボツワナ、南アフリカはサブサハラの中でも経済が強いのでそれなりに文明的な旅ができたが、ナミビアの乗合バンのエンストはしょっちゅうで、止まったバンを乗客みんなで押しがけした
乗客同士で一体感が生まれて面白い体験だったが、ライオンのいるサバンナで夜中2時に止まった時はヒヤヒヤした
ケープタウンで久しぶりにうまいワインを飲みながら南米行きのチケットを探して、カタール経由ブエノスアイレス行きを見つけ、カタール航空の機内食のハーゲンダッツが久しぶりのまともなアイスクリームだったので感動して3個も食べた
アルゼンチンは肉とワインがメチャ旨く安いので、毎日安ワインを1本ずつ開けた
チリのワインも当然うまく、フロンテラというのが安くてお気に入りだった
このワインは日本でも飲めるが、やはり現地と味が違うような気がする
アルゼンチンやチリはバス網が発達していて、車内は三列シートが基本でゆったりでき、パーサーがいて食事やワインのサービスもあり快適だったが、普通に丸2日バス移動とかがあり広すぎである
南部パタゴニアの名峰フィッツロイやチリのパイネでトレッキングをして、道中一緒になった日本人女性に恋をするが思いは伝えられずそのまま別れた
この人とは帰国後たまに会ってメシを食う仲だが、一度冗談ぽく結婚しないかと言ったら、お前のような貧乏人とは結婚する訳ないと言われた
チリを北上してアタカマ砂漠の星空を見て、それから三番目の目的地ウユニ塩湖へ向かう
昔ポカリスエットのCMでビートたけしが立ってた鏡張りの景色で有名な所で、ちょうど日本の大学の春休みシーズンだったため、ウユニの街は日本人学生だらけでちょっと辟易したが、さすがに見渡す限り鏡張りの光景や遠近感の無くなるほど遠くまで広がる塩の平原はめちゃくちゃにきれいだった
そのあとペルーへ移動しマチュピチュに行ったが、すでに遺跡を腐るほど見ていたのでやや感動が薄かった
ペルーあたりからラムが安いので、全世界同じ安心安全のコカコーラを買って毎晩ラムコークを飲んでいた
バスを乗り継ぎエクアドルのグアヤキルに行き、ガラパゴス行きの飛行機を待つ
グアヤキルで数日滞在した安宿から15分くらい歩くと、カラフルな家がびっしり建つ丘があったので、ぶらぶらしていたらおばちゃんに呼び止められる
スペイン語はほぼわからないが、この先に行くと死ぬ的な事を言っているようで、あとで調べたらその先には有名なスラムがあった
別に一人で帰れるがおばちゃんの息子らしき人にホテルまで送ってもらう
グアヤキルは新婚旅行で訪れた日本人夫婦が強盗に遭い、旦那さんが殺された事件があった所である
ただしガラパゴス諸島は観光地のため、先進国並みに治安は良く、物価も同じくらい高い
アシカやウミイグアナがうじゃうじゃおり、進化論で有名な鳥のフィンチも数種類見てリクガメも写真に撮れたのでとても満足した
南米本土に戻って北上を続け、コロンビアのボゴタでオーパーツの黄金ジェットを見たが絶対あれは魚だと思う
このあたりで日本を出て1年少々経過しており、だんだん旅に飽きて働きたくなってきたので日本へ帰るチケットを探しはじめ、フロリダを経由してニューヨークから日本へ帰還した
成田の「おかえりなさい」のサインを見て泣きそうになり、缶コーヒーとコンビニのざるそばがうますぎて泣いた
使った金は約200万円、1年1ヶ月の旅だった
今はちゃんと再就職していい年になってしまい、結婚して子供ができたりして、出張以外でなかなか海外に行くことはないが、たまにあの頃は楽しかったなあと思い出す
享楽的で自由で気まま。好奇心が強いから知識や趣味は広いね。話してて楽しい。でも根が幼稚だから、見苦しい喧嘩もするし、寂しがりで甘えん坊、ずっと恋人みたいなノリでいる。
幸か不幸か、彼に子供はいなかったので、あなたの祖母のように、元の家族のしがらみはさほどないのだが。
前妻とのイロイロのせいで、私たちも一緒にはなれないの。というか、なりたいと思えない。このまま、風当たりの少ない形でいたいと逃げている。
そして、彼の親族は、あなたの父親のように、わたしのことを、憎んでいる、いや、忌まわしく思っている。
それでも、わたしと彼は、内縁の夫婦に似た形で暮らしてる。戸籍も住民票も別々で、でも夫婦みたいに暮らしてる。
私も彼も、今はまだ若くはないけどシリアスな歳でもないので、流れに身を任せているけれど、
そうか年老いて生死が噛んでくるようになると、そんなふうに葛藤を生むような出来事と出くわすことがあるのだなぁ。
素敵な増田だったよ。
わたしも、家族の形にこだわりなどないし、幸せでいるために今の人生を歩んでいるが、たまに「これでいいのか」と考えてしまうことはある。
社会から認められるような家族にはなれなくても、誰かにとって大切な家族のような存在になれる日が、家族として死を悼んでもらえるような日が、私たちにもいつかくるかもしれない。
そして、日陰を選ばなければならない私たちがこの世からいなくなるとき、こんな私たちの死を悼みたいと思ってくれるような有難い人が、なるべく苦しまないで済むような生き方をしたいと思った。
生きがいになるよ。ありがとう