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2011-12-08

もし大阪市長弁護士が『シムシティ4』をプレイしたら

#この文章は「シムシティ4」をプレイしたことある人向けですプレイしたことない人は、攻略サイトなどを見てから読むとより分かりやすいでしょう。

プレイする都市シナリオ
このミッションを橋下流でプレイすると…

シムシティ4起債も不可能となりいよいよ収入不足でフローマイナスになると「上院立候補のため市長退任」というゲームオーバーがある。国政転出ってなんかリアルでもありそうな話だw

#なお、この文章はネタです。橋下氏を批判する意図はありません。

2011-11-29

下平松云々を抜きにした場合の、純粋大阪都構想への損得勘定

これは首都圏の人にはわかりにくいニュアンスだと思うが、

橋下氏の政治姿勢パフォーマンスを抜きにしても、大阪都構想というのは

大阪府民&市民の支持を集める素地があったと思う。

大阪「都」という響きが、大阪府民(市民)のプライドをくすぐった

 人口では神奈川横浜)に抜かされ、「日本第二の都市」と主張する論拠が

 失われた大阪にとって、「神奈川も名乗れない、都という響き」は、

 自尊心回復に必要

大阪市民でない大阪府民(大阪府下民)から見れば、

 法人税収が豊富大阪市の税収をあまねく府下全域に還元したり、

 大阪市域に限定されている各種サービス(例:大阪市地下鉄)を府下にも

 あまねく拡げられるのでは、との思惑で、大阪都構想に「損得勘定」で賛成する

★では、税収が奪われる側の大阪市民は大阪都構想に反対するのか、というと、そうでもない。

 大阪都構想では、大阪市堺市に加え、大阪06地域豊中吹田も含めて

 特別区に再編するようなことが検討されている。

 従前の「大阪市域」は、言ってはなんだが、雑然とした低地の住工混合地域が中心で、

 お世辞にも「山手」なエリアはない。

 (帝塚山付近は多少違うが)

 全国47県庁所在都市の中で、「一人当たり県庁所在都市所得が県全体所得

 下回っている」のは、唯一大阪だけである

 また、用途地域で「第一種低層住宅専用地域」を市域に抱えていない県庁所在都市は、

 唯一大阪市だけである

 沖縄学者が「県庁所在都市とそれ以外だと、所得水準や医療水準が違うから

 県庁所在都市の方がそれ以外より寿命は長いはずだ」との仮説を立てて、実際に検証してみた。

 その結果、46都市では仮説が証明されたが、唯一大阪だけは仮説が否定され、

 その学者は「困った困った」と悩んだそうな。

 沖縄学者なら大阪都市構造を判らなくても仕方が無い。

 大阪市大阪府下は、通常の県庁所在都市と県下の関係とは真逆で、

 所得水準も医療水準も寿命も府下の方が上なのである

 このようなことは、不動産価格にも反映される。

 梅田のような商業地地価は兎も角として、大阪市内住宅地地価とか

 マンション価格より、豊中とか吹田とかの住宅地地価の方が高いのである

 では、大阪都大阪特別区が発足するとどうなるか?

 特別区が発足すると、旧東成区や旧旭区、旧平野区も、

 旧豊中市や旧吹田市と同列に「大阪特別区」になる。

 勿論、新東成区と新豊中区の間では格差存在するのだろうが、

 今までみたいな「大阪市内の方が大阪市外より格下」のようなステレオタイプな扱いは受けない。

 「足立区世田谷区も同じ23区、同じ東京特別区」なのと同様に、

 「新東成区と新豊中区も同じ大阪特別区」の扱いを受け、従来よりも「偏見扱い」が薄まってくる。

 ということで、豊中吹田を巻き込んだ大阪都再編がなされることで、

 大阪特別区山手エリアも含まれることになって、セントラル大阪への

 偏見が薄まってくるのである

 それはひいては、不動産価格の上昇にも繋がる。

 その意味で、大阪市民も、損得勘定大阪都構想に賛成するのである

2011-09-20

10人くらいの子供たち。斜陽の中にある街。

私の実家千葉の片田舎にある。もっと言ってしまうと、田舎イメージしたCMによく出てくる小湊鉄道沿線だ。その沿線(と呼ぶのも躊躇われるような僻地だが)にバブル最末期に出来た新興住宅地に私の実家は建っている。

今日は所用があってこの実家に帰ってきた。

駅に着きバスを待つこと20分。やっとやって来たバスに乗り込むと、乗客は私を入れて3人。本当に素敵な田舎だ。

実はこれでも便利になった方だ。去年まではバスも通らず、駅から家までは歩くかタクシーぐらいしか交通手段がなかった。歩けば相当速く歩いてやっと家まで一時間タクシーだと1500円はとられる距離。まあこれがうすのろのろとしたバスに乗って200円になったのだから、桁違いに便利になったと言ってもバチは当たんないと思う。

さて、そんな素敵なバスに乗ってしばらくすると他の二人の乗客は降りてしまって、バスは私の貸し切りになった。この調子だとバスは長続きしないだろうと思っていると、急に10人くらい客が乗ってきた。みんな小柄でランドセルを背負っている。小学生たちだ。そこは、小学校にほど近いバス停だった。

この小学校も私の実家のある新興住宅地から遠かった。距離にして3.5キロ子供の足で歩いて45分から50分くらいの距離だ。今さっき乗ってきた子供たちも、大方は私の実家のある住宅地の子供たちだろう。あの距離を歩かないですむようになったのだから、この子たちも嬉しがっているだろう。

さて、子供たちとバスに揺られて10分弱。目的である住宅地が次のバス停になった頃だ。子供たちは誰が降車ボタンを押すか、みんなで相談し始めた。そんな子供たちを後目に、私は降車ボタンを押す。え、今の誰が押したよ?!と子供たちが騒ぎ始めるなか、私は黙って手を挙げた。

最初は私が何故手を挙げているのかわからない様子だった子供たちも、ちょっとするとなぁんだというような顔をした。けれども、あなたが押したのか、という意味合いのことは一言も言わなかった。きっと私のことをオバサンと呼んだらいいのかお姉さんと呼んだらいいのか分からなかったからだろう。賢い子供たちだ。

そしてそれをきっかけに、バス停までの短い間子供たちと話した。バスが出来てから通学が便利になったと子供たちは口を揃えて言っていた。けれども朝はバス時間が上手く合わなくて、バスに乗っていると遅刻するとも。

一生懸命体全体を使ってコミュニケーションしてくる子供たちと話すことは楽しかった。しかしそろそろバス停に着いてしまう。私は簡単に降りる準備をした。夕日が眩しくて外していた眼鏡をかけ直しただけだが。そうしたら、子供たちは口々にこう言ってくれた。その眼鏡、カッコいい!と。大切な方から贈ってもらった思い入れのある眼鏡だったので、その子供たちの感想が余計に嬉しかった。

そして、田舎道に沿って突如現れる、総計200戸ほどの住宅地の中心にバスは着き、みんなで揃ってバスを降りた。そこからは散り散りで、みんな手を振って別れた。

私は心地よい余韻に浸りながら実家までの短い道のりを歩いた。10人くらいの子供たち。みんな仲良そうにしていた。

10人くらいの子供たち。

私はようやく気づいた。この住宅地にはもう10人ほどしか子供が居ないのかと。

この住宅地バブルの最末期ほどに売り出されたものだ。その時三十代の戸主を持った核家族が移り住んできて二十年。彼らは五十代になり、その子供たちは二十代で自立のときだ。ここに建っている家々は皆核家族用のもので、複数世代が住めるものじゃない。私だってちょうどその世代だ。私が子供の頃はこの住宅地はもっと賑やかで、小学生だけでも百人近くはいたではないか。それこそ、あんな小さなバスでは乗り切れないくらいに。

この住宅地は、確実に斜陽の中にある。分かっていたはずだ。考えればすぐに分かることだ。そんなことだが、実際に子供たちの姿を見なければ、何も分からなかった。

この住宅地はこれからゆっくりと老いてゆくのだ。その事実に愕然としながら、私は実家の扉を開けた。そこには、もう随分と白髪の混じった母が、小学生だった私を迎えてくれるのと同じようにして待っていてくれていた。

2011-08-16

絶望格差

S市は大きな都市で、周辺から人口を収奪しながら今も大きくなっています。その中心部が私の生まれ故郷で、小学3年生の秋に、私の一家は郊外のH町に移りました。私の父は、そこそこ社会的成功した人で、広い庭が欲しかったらしく、彼の希望に合致する約600坪というまとまった土地たまたまH町で購入できたので、私もH町を第二の故郷にすることになりました。

H町は旧炭鉱地で、私たちが越した頃から急速にベッドタウンとしての開発が進みましたが、私がH町民になった頃はまだ開発が本格化する直前で、住民は貧しい人がたくさんいました。私が大学生になって、東京に出ていく頃には、町の人口は私が来た時の3倍になっていて、今ではH町の一部の地域は高級住宅地として知られています

引っ越した頃、私は「お高くとまっている」と言われて軽いいじめをうけました。でもそこで、正面からぶつかっていったのでかえって仲良くなって、みんなに溶け込むことが出来ました。私は他の人たちを見下していたわけではないのですが、H町の同級生の目に「お高くとまっている」ように見えたとしても無理はなかっただろうと思います男子女子ジャージを着ているような土地で、かわいらしいフリルのついた服で登校していればそれは異質感がきわだちます。私はS市では当たり前だったことをそのまま当たり前に続けていただけだったのですが、それらがすべてH町民への批判になってしまっていたのでした。

とは言っても、私もそうですし、うちの家族は基本的にだらしないというか、ずぼらな人たちなので、すぐにH町に染まってしまいました。「お屋敷みたいな家に住んでいて、どんな人たちかと思っていたら、気さくな人たちで良かったわ」とはよく言われたものです

私は学校勉強は出来たのですが、H町の子供たちの学力はS市に比べればずっとずっと劣っていました。そして意外かもしれませんが、子供たちはそれを自覚していました。なんとか頑張ろうとしている子もたくさんいて、でも、出来ない子が多すぎるので授業の進みは遅いし、家に帰っても勉強を教えてくれる人もいないし、塾とかもまだH町にはありませんでしたし、あったとしても、経済的には行けなかったりで、私が勉強を教えてあげると、「増田さんっていい人なのね」ということになって、私はすぐにクラスのまとめ役みたいになりました。

放課後には一緒に原っぱをジャージで走り回って、楽しい子供時代を過ごすことが出来ました。

でも、その頃から、町のあちこちで住宅開発が本格化して、それが本格化する直前にH町民になった私は、「原住民」の立場から町の歴史の移り変わりを眺めることになりました。ある日突然、遊び場だった山や原っぱが立ち入り禁止になって、重機が入って、造成していくのです。しばらくして瀟洒な家が立ち並ぶようになって、こぎれいな格好をした人たちが大量に「入植」してきました。

遊び場を奪われて、自分たちとかけ離れた生活をする新住民とその子供たちに、原住民子供たちが素直に好意を抱けるでしょうか?

中学の頃にはずっと新住民と原住民子供の冷たい対立がありました。大量に入ってきた新住民の子供たちは町に溶け込むこともなく、自分たちの色に塗り替えてしまいました。私はそれを原住民の立場から、でも、社会的な立場としてはむしろ新住民に近い人間として、対立や調停に巻き込まれることになりました。どちらから自分たちの側の人間だと思われて、なおかつどちらからも疎外されるような、そういう難しい立場に立たざるを得ませんでした。私の苦悩はむしろ先生たちと共有できていたと思います

新住民と原住民では利害が完全に異なるので、新住民は「出来ない子は切り捨ててどんどん授業を進めてください」と言うし、原住民教育学校に丸投げしてそのくせ自分たちの子にあわせろと主張します。先生は間に入ってかなり大変だったろうと思います

けれども年を経るごとに新住民は数的に圧倒的になって、原住民やその子供たちは自分たちのホームタウンにいながら、次第次第に切り捨てられるようになりました。高校生の頃にはもうこの種の問題は私の日常生活では見えなくなっていました。というのは、そもそも私が通っていた高校は地域ではわりあいレベルが高かったので、そもそも原住民子供ほとんどいなかったかです

小学校の頃から原住民であった同級生の多くは、今はおさだまりの底辺生活者になっていますフリーターだったり、肉体労働者だったり、18歳で子供を産んだりして、私が勉強を教えた子たちもほとんどは結局、貧困連鎖から抜け出すことは出来ませんでした。


ロンドン暴動を見ていて、なんとなく感じることがあります。あの生活費の高い都市で、高度に都市化された生活がかいまみられる状況で、決してそれには手が届かないことを知っている子供たちがどんな風に感じているのだろうと。

「頑張れば抜け出せる」

それは確かにそうなのでしょうし、そのためのアシストもあるのでしょうが日本の、一億総中流幻想があった頃でさえ、実体験から言えばやっぱり貧乏人の子の多くは貧乏人になったのでした。それがどれだけ難しいことなのか「新住民」の人たちは分かっていないと思います母親でさえ四大卒の家庭で育てられた人に、九九も満足に言えないような親に育てられることがどういうことなのか、わからないと思います

頑張らない、頑張らないことをむしろ奨励するのが貧困なのです。親や周囲を敵に回して、そういう中で子供ががんばるのは無理です

2011-07-07

散歩の途中だった。

道路で猫が死んでいた。車に轢かれたのだと思う。外傷は然程なく、出血も耳鼻から微々たる紅が垂れている程度なのに。寝ているようにさえ見えるのに死んでしまっていた。

形ある小さな純白の遺骸。見下ろしていたら、少しだけ視界がぼやけた。夏は真っ盛りで、気温も天井を打つ午後二時の四辻には、蝉の鳴き声と幻覚のように立ち昇る陽炎とだけが密集している。

密集。

ジリジリと照りつける日差し帽子越しに感じながら、私は猫を見下ろし、ぼんやりと立ち尽くして、いまこの四辻に密集しているものごとについて思いを巡らした。

遠くの幹線道路を、車はどんどん走っている。

ふと、この猫は一体いつ死んだのだろうかと考えた。ここは閑静な住宅地のど真ん中なのだ。この時間帯で近くを走る車は皆無に等しいし、この猫にしたって炎天下の中を歩き続けることは避けていたに違いない。昨日の夜から明け方にかけて轢かれたと考えるのが妥当だった。妥当だったが、どうにも腑に落ちない。

猫の遺骸があまりにもきちんと横たわりすぎているのである。蠅がたかっていない。烏に啄かれてもいない。そもそも遅くとも明け方には死んでいなければならない骸なのだ。とっくの昔に近隣住人に発見されているだろうし、ともすれば保健所に連絡が入っているはずで、いくら他の雑務に駆られているからと言ってこの時間まで放置されているのは不自然な気がした。

万が一保健所の職員が来られなかったとしても、この時間になるまで四辻の真ん中で横たわっている状態はおかしい。近隣住人の嫌悪感が理由になるのだとしても、その心理が私には理解出来ない。

しゃがみ込み、そっと力を亡くした四肢を動かしてみる。蟻さえも近づかなかった猫の死骸は剥製と見紛うばかりに美しく、ともすればふとした拍子に生き返ってしまうのではないかと思わせる躍動に満ちていた。あるいはただ単に気絶しているだけなのかもしれない。急いで病院に駆け込めば、一命を取り戻すことだってあるのかもしれない。

けれども私は、その骸を両腕に抱いた瞬間にわかってしまった。確実にいまこの瞬間に白描は死んでいる。死んでしまっている。不気味なほど力のない、弛緩しきった骸の冷たさが肌に滲むかのようだった。

いま腕の中にあるもの、それは猫の形をした何かだった。限りなく猫に近いくせに、決定的に猫ではない塊だった。

蝉の音がシャワーのように降り注ぎ、容赦のない太陽と立ち昇る陽炎とが私を燻すように熱している。

白い猫の綺麗な遺骸を抱きながら、ぼんやりと重たいなと思い始めていた。三キロ? それとも五キロ? いやいや七キロ以上はあるまい。とは言え、市販のダンベル一つで十分足りてしまう重さだった。ダンベル、たったの一つ分。

この白猫はどうして死んでしまったのだろう。立ち尽くしたまま考えるでもなく考えてみた。骨格に酷い損傷は見られない、外傷もそんなに目立つものはないのに、どうしてよくできた縫いぐるみみたいになってしまってるのだろう。

きっと打ちどころが悪かったんだよ。誰かが答えた。仕方がなかったんだ、運が悪くてね。そういうこともあるものなんだよ。

そうなのだろうか。そういうこともあるのだろうか。そういうことがあってもいいのだろうか。じっと猫を見つめながらじくじくと問い続けた。責め続けたのだった。

まりにも理不尽に過ぎるような気がしたので。

突如としてその言葉が私の周りをひしめき合うように囲い始めた。空から降ってくるものもあれば、地面から生えてくるものもあり、霧が晴れるかのように現れたり、気がつけばいつの間にかそこにあったものなど様々だった。大理石のようなもの、切り出した木くずが組み合わさったもの、丹念に砂で固められてもの、雲のように輪郭線がはっきりしないものなど素材までもが多岐に渡っていた。

夏の炎天下。人気のない四辻で白描の遺骸を抱いた私は理不尽という言葉に囲われている。どうしてなのだろう。答えは出ない。どうしてなのだろう。絶対にわからない。

もぞりと、腕の中で猫が身動きをした。見ればぐるりぐるりと丸まっていく最中で、手足は屈められ尻尾が穏やかに首に巻きつき、背骨が曲がりに曲がり、遂には丸々とした真っ白な毛玉になってしまった。

風など吹いているはずもないのに、そよそよと白い毛並みは私の肌を撫でていく。心地良い。思った途端にふわりと浮かんで、毛玉は空へと昇っていった。ぐんぐんぐんぐん青空に呑み込まれていって、二度とは戻らなかった。

呆然としたまま空を仰いでいた私は、ふと我に帰り視線を正面に向ける。ひしめくように周囲を囲っていた言葉たちは知らない間に消えてしまっていた。

四辻に残されたのは私一人だけ。

ジリジリと照りつける日差し帽子越しにも熱く感じられる。蝉は変わらず鳴き続けていて、遠く幹線道路を走る車の音と、途切れ途切れに聞こえる風鈴音色とが細かく耳朶に届いている。

今日、猫が死んでいるのを見つけた。外傷は然程なく、出血も耳鼻から微々たる紅が垂れている程度だったのに、猫は確かに死んでいた。

きっと、それだけのこと。

私は再び散歩をし始める。

2011-05-17

日雇い増田温泉

日雇い増田は、とにかく一度動揺すると何事でも悪い方向に考えて、その考えにとらわれて次の作業でミスを連発しがち

昨日もそういう日だった

無能」「スクラップ」「社会の規格外品」「ジャンク」「バーゲンセール品」「○○○した方が・・・」

誰も責めなくても増田自分のことをそう責めてしま

社会のレールから外れた規格外人間は、バーゲンセール品かスクラップジャンク品としての扱いしか受けられなくなる」

「やはり無能は死んだ方がいいのかな・・・」そうつぶやきながら、ひなびた温泉地をふらふらさ迷う

あちこちに地域人達の為の浴場があった 洗面器とタオルを小脇に抱えた爺さんが通りを歩いている

仕事で疲れた足をいやす為、足湯を探す

この温泉地の住宅街は建物の老朽化が進み、「路地」といえば聞こえがいいが「スラム街」といっても通用するほど襤褸っちい

そんな街を「スラム街」にしていないのは通り過ぎる人々の表情の穏やかさだ

都市部にもっと近くて発達していても荒んだ空気のあり凶悪犯罪がよく報道されているあの地域とは「街の空気」がぜんぜん違う

「その原因は何だろう」そう考えながら増田温泉街の住宅地を中心部の方へ足を進めていく

足湯は遠かったから、駅前の伝統のある温泉に浸かる事にした

200円払って、脱衣所に入ると貸切状態だった シャワーは無い 

蛇口は2つ 熱い水が出る蛇口と冷たい水が出る蛇口を同時に洗面器に入れて自分で温度を調節する必要があった

浴槽は一つだけで大きい 温度は44度くらいとかなり熱い

おそらくそれゆえに長湯する人が少ないのだろう 足の疲れを取りたい増田にはこの熱さはむしろ願うところだ

最初に脚だけ浸かり足湯状態を楽しみ、体が熱さになれてきた所で肩まで浸かる

体の疲れが取れると共に増田の悩みも熱い温泉に溶けていった 温泉には日々の心の疲れも取る効果があるのかもしれない

これで明日は元気に生きていけそうだ

温泉から出るまでずっと誰も来なくて200円で一人貸切状態だった

着替えると足が温まった分、靴が少し蒸れるようだ

草履で歩ければいいのに(クールビズ)」

そう思っても草履など売ってる店が見当たる訳が無く

コンビニで「サイダー」の代わりに「ジャスミン茶」を買って飲んでそのまま帰った

2011-05-05

http://anond.hatelabo.jp/20110505141448

少なくとも17,8年前には近所の焼肉屋のメニューには全部あったなぁ。

別にディープなところとかじゃないよ。住宅地にあるそこらの家族が行くような焼肉屋。

2011-04-19

選挙カーうるせえ

住宅地のかなり奥地のうちの前みたい一方通行路地まで入って来やがる。

駅前もうるさいし、早くああいうのを禁止にして欲しい

かわりにネットを解禁にすればいい。もうネットオンリーでいいじゃん。ネットも使えない情弱政治に参加しなくていいよ。そうすれば世代別の人数差による高齢者有利もなくなって丁度良いんじゃない。

2011-04-15

http://anond.hatelabo.jp/20110415092405

海浜地区液状化現象で、宅地としては死んでいるし、ライフラインも途絶した地区がある。

千葉外房方面も津波でかなりやられたけど、ほとんど話題に上らない。

いくつかの雑居ビル地震の影響で危険として操業停止。

周辺の住宅地域でも瓦屋根の損傷などが見られる。

かに本当に壊滅した東北と比べるべくもないが、太平洋沿岸の東日本は、すべからくみな被災地だ。


東北頑張れは確かにそうだが、その陰で報道されない被災地も悲惨なものですよ。

支援はされないし、こうして袋叩きだ。

http://anond.hatelabo.jp/20110415101943

自分が安全だからといって、被災者がいないとか思うな。

そういうのが一番迷惑なんだ。

2011-03-21

東電上層部東電株主をぶっ潰した

家庭用ソーラーシステムの普及が急務だ。

計画停電で大混乱し見苦しい姿を晒した首都圏民が多い中で、

ソーラーシステムを取り入れていた家庭がどれだけ優雅だったかを広めなくてはならん。

蓄電池や給湯システムの活用で、雨や曇りの日も問題なく

電力を賄えるようになってきていることを広めなくてはならん。

そうすれば高級住宅地から順に電線が消えていくだろう。

電線景観を壊す。電線は切れると危険である電線貧民街景色になっていくだろう。

また計画停電のために営業自粛や営業停止に追い込まれた製造業も大損害を被っているだろう。

工場は電力会社にとって大口お客様だが、もう東電を信用できなくなっているはずだ。

今回の損害から、自前の発電設備を整えてリスク管理をする必要性を学んで欲しい

家庭用ソーラーシステムは電力会社のようなインフラと違い、民間企業平等に門戸が開かれている。

企業切磋琢磨してすばらしいソーラーシステムを開発して欲しい

何が地デジだ、アホらしい。ソーラーシステムこそ一番力を入れて開発されるべきだし、

需要が高まるべきものなのに。

そしてそれによって東電の資金源が壊滅し、株主が大打撃を受けることを望む。

東電の幹部も大量の自社株を持っているだろう。損しろ糞ども。

福島産や茨城産の食品が出荷停止になり致命的な打撃を受けているという。

すべて東電責任である

原発反対団体のようなキチガイは昔から居た。それでも新しい原発建設してきた。

今の東電幹部が老朽化の進む福島第一を廃炉にし新しい原発建設しなかったのは純粋な怠慢である。)

被害を受けた全ての農家畜産家に充分な補償をしろ。

潰れるまで保障しろ。

株も無価値になり株主は大損しろ。破産しろ。

東電のような悪質企業に乗っかっていたノンワーキングリッチ全員餓死しろ。

製造業輪番停電除外したほうがいいと思う

製造業輪番停電除外したほうがいいと思うんだ。

製造業が止まってしまっては、モノがなければ、サービス業開店休業状態になってしまう。

生産ラインが海外ならまだしも、日本に残ってる製造業というのは海外では代替え不可能な高度な製品医薬品やある種の食品といった海外製品流通させるには手続きが面倒な製品ばかりなわけで。

高度な製品とか、医薬品食品というのはクリーンルームが必要な場合が多い。

24時間、綺麗な空気と綺麗な水が絶え間なく供給されて初めて生産出来る。

医薬品食品というのは、今すぐ必要で、これから被災地での需要が伸びるもので、いまラインを止めるべきでじゃない。

当面は、せめて国内向け製品を作る施設だけでも動かさないと。

出来ることなら、輸出向けの製品だって作れるならそれに越したことはない。

日本に物資を運んでくる貨物船は、多くの場合コンテナが空のまま戻ったりはしない。

日本から輸出向けの製品を積んで、また次の国に行く。

もちろん、倉庫在庫があるうちは、目に見えた影響はない。

流通が回復すれば見た目ではモノが復活する。

でも、いまここで製造業が止まると、数ヶ月後に酷い状況が待ってる。

その状況から回復するには、数ヶ月かかる。

もちろん、施設単位停電除外なんていうことは無理だと思うんだが工業団地に優先的に電気を回し、住宅地停電させるようにしないと日本が・・・

計画停電と高級住宅

停電対象の区域分けにも不満が出ている。

板橋区福祉施設職員(38)は「(世田谷区などにある)高級住宅街の家ほど消費電力が多いのではないか。同じ都民としてどの区の人も平等停電に協力すべきだ」。

[【計画停電】不公平?「娯楽施設がなぜ」「高級住宅地の方が消費電力多い」+(2/2ページ) - MSN産経ニュースより引用

狭い土地に何軒も家が立ち並ぶ方がむしろ消費電力が多いのではないか?高級住宅街の広い家なら使わない部屋のブレーカーを落とすこともできる(実行しているかどうかは別として)

加えて、高級住宅地には政治家、有力者が住んでいたりする。だから鳩山さんや石原さんの住む田園調布計画停電からは除外されたのではないか

と私は思ったのだが、よく考えると、お金持ちなら自家発電設備持っていたりするような気もしてきた…

  

同じ都民でも平等はないと思う。23区平等停電するわけにはいかないだろう。官公庁停電なんて避けるべき。

心の底から納得できるわけではないけど…世の中平等なんて目指すべき理想だよね。

written by 計画停電のない人

  

追記

2011-03-13

仙台と言うのは確かに仙台平野と呼ばれる地域に広がった街ではあるけど

大多数の人が住んでいる中心部&郊外住宅地は海から遠い場所なので

今回の津波被害に関しては結構他人事だったりする。(いや、勿論電気水道ガスとかは被害蒙ってるけど)

とりあえず、仙台に30年住んでいたけど海沿い在住者の知り合いは一人もいない。空港に閉じ込められた知り合いなら居たが。

つーか海沿いに行った事も殆どない。



実家仙台だよね!大丈夫!?」と言われるけど、

あの津波で壊滅した地域については正直全然知らないのだ。っつーか正確な位置も知らん。

と言いにくい。

仙台市って無駄に広いんだよね。周囲の市町村合併しまくって無理矢理100万都市になった街だから

2011-02-15

http://anond.hatelabo.jp/20110215182652

ドーナツ化か。

それは商業地住宅地都市計画を見直さないといけないな。

ごめん、いま話しているのはそれより枠を大きく取った話で、都市部商業+住宅まとめたもの)と地方部の結びつきである地域計画のほうなんだ。

でも仙台ドーナツ化してるのは知らなかった。ありがとう。

東京スカイツリーは明らかに設計ミスだよね

氷の塊が道路に落ちてきて危ないらしい

住宅地や人が通る道路の近くにそんなの建てるなよ

こりゃ通行人負傷者が出てくるのも時間の問題だろう

2011-02-13

京都行政区どうしのヒエラルキー

http://anond.hatelabo.jp/20110211132856

プライドの高い上位階

 東山区 清水寺三十三間堂など観光名所を多数有し、区内に在する国宝が建造物だけでも軽く2ダース以上。京都といえば観光観光といえば東山

 上京区 京都御苑京都府庁があり、西陣織・友禅など伝統産業も盛ん、上京こそが京都政治・経済の中心地。

 左京区 京都大学をはじめ文化施設が集中。左京こそ京都の学術・文化の中心地。

表向きトップは譲りながら、したたか自分こそが京都を支えていると思っている中位階

 北区  高級住宅地が集中、金閣寺を有し有名私立大学も多数あり。『職場上京区の人でも住んでるのは北区なんだからネ!』

 右京区 仁和寺嵐山など、京都通が好む観光名所が多数。『清水寺より嵐山のほうが観光客数は多いんだからネ!』

 中京区 繁華街が集中、その名の通り中心地。ただし下京区から分離して新しく作られた行政区京都府庁より京都市役所のほうが予算は大きいんだからネ!』

 下京区 「上・中・下」の分かりやすすぎるヒエラルキーの一番下。ただし、東西本願寺などを抱える古都でもある『東山区中京区も、昔は下京区だったんだからネ!』

 南区  工場だらけ、自動車だらけ、排ガス等々環境わるし。しか京都駅と高速・京都インターを有する。『南区こそ京都の玄関口なんだからネ!』

コンプレックスを感じながらも『京都市であることでプライドを保つ下位階

 西京区 桂川で区切るな! はよ地下鉄とおしてくれや!

 伏見区 伏見村って言うな! 宇治よりマシや!

 山科区 山科村って言うな! 滋賀よりマシや!

2010-12-03

http://anond.hatelabo.jp/20101202221640

RC慣れてたら木造は粗が目立つかもねえ・・・

でもコンクリの西向き最上階に住んだ経験からすれば暑さは木造マイルドかもね

寒さは隙間風は覚悟の上で

音は確かに隣人とかだけじゃなく下の人も聞こえることあるかな

でもそれより街道沿いにあるとかの方がつらいかもよ

テレビの音とか肝心なときに車の音で聞こえなかったり

住宅街にあればそれほどじゃない

湿気は風通しがよければ問題ないか

隣家と密着してるとかい物件もあるから

日当たりそこそこいい、風通しがいい、住宅地、駅から10分以内ならいいと思うけど

どうしてもRCよければ予算一緒で狭い部屋選ぶかかなあ

自分は収納広めで台所別じゃないと嫌だったので木造で安い物件派だけどRCは冬快適だと思うよ

2010-10-16

小学校低学年だった頃、わたしは1,2個年下の男の子たちとよく遊んだ男の子たちらが「○○ちゃんいますかー」なんてうちの家にきたら、当時まだ自転車に乗れなかったわたしは走って男の子たちについて行った。

3人くらいで遊ぶ時もあれば、男の子らが別の友達を呼んだりして結構な集団で遊ぶこともあった。大抵は、コンビニ駄菓子買ったり公園遊んだり、もしかしたらなんも考えず街中を走ってたかもしんない。あまり覚えてない。


わたしの家の近くに大きな木があった。休日、お昼食った後に底に行くと、大抵だれかがいて、その木に登っておしゃべりをした。いつもその木に集まってくるメンバーはわたしをいれて3人だった。みんなはその木のことを秘密基地と呼んでいた。

その近くには野良犬も住み着いてたらしくて、みんなでその野良犬をシロって呼んでかわいがった。お菓子あげたりして一緒に遊んだ


しばらくしてその秘密基地は切られて住宅地になった。シロはその後誰かに拾われたらしいということは聞いた。そのうちわたしは一切男の子たちと遊ぶことはなくなった。


今日、知り合いのばあちゃんちに行ったらシロが居た。なんだ、生きてんじゃん、元気でやってんじゃんって思った。シロはもっと別のかっこいい名前で呼ばれてた。


子供のころの楽しかった日々には、もう二度と戻れないのだなと今更ながらに痛感した。

2010-08-31

トカイとイナカとジャスコ

ずっと「トカイ」にいかなければと思っていた。育った町は関東に位置している田舎だった。電車に乗れば東京までたかだか時間半か二時間程度の場所だったが、それでも十分田舎だった。電車を目の前で逃すと一時間は待たなければならなかった。隣駅は無人駅で、最寄駅は7時にならないと自動券売機切符が買えなかった。バスに至っては二時間来ないこともざらだ。終電や終バスも早くて、夕方が差し迫ってくるともう乗り継いで行った先の終電のことを考えなければならない。東京は近くて、でも遠い街だった。

電車に乗ってあの町が近づいてくると、見渡す限りの田んぼとその中をうねうねと伸びる農道が見える。街燈がぽつぽつとしかない道を闇におびえながら全力疾走で駆け抜ける夜も、夏になると井戸からくみ上げて田んぼに水を注ぎ込む小川も、稲穂の上を渡る金色光る風も、その中を喜んで走る犬も、道端で干からびている車にひかれたイタチも、うっそうと道上に生い茂り時々大きな枝を落としている木々も、なにもかもが呪わしかった。どこへ行くにも遠く、こじゃれた店は大規模なショッピングモールの中にしかなくて、中高生はいつもそこに特に理由もなくたむろしていた。みんな都会に行きたかったのだ。すぐにつぶれてしまう店も、郊外型の広い駐車場も、市街地から外れればとたんに何もなくなって農耕地だけになるニュータウンもみな忌み嫌っていた。

私たちはたまに触れるなにか新しいものを含んだ風にあこがれ、騒がしい日常を羨み、便利さに憧憬を抱いた。都会に行かなければいけない、という思いはまさに呪縛だった。こんな田舎にいてはいけない、田舎はつまらなく、古びていて、垢抜けない。だから都会に行かなくてはいけない。



高校を卒業するとともに私を含めほとんどの友人は都会へと向かった。何人かは都会に住みかを確保し、住処を確保できなかった人たちはどこかに拠点を確保して、毎日時間もかけて都会へと通った。

私は住処を確保できた幸運な一人だった。山の手の静かな住宅地の中の、学生用の古い汚い部屋でも、私にとってそこは「トカイ」だった。駅に着くまで田畑はなく、家々は軒を並べ、駅では10分も待たずに電車が来る。どの駅でもかなりの人々が乗り降りし、夜が更けても街燈は一定の間隔で並んで闇を追い払ってくれる。都会には月明かりに気付く余裕をもって往来を歩けるほどの安心があった。そのくせ、私が慣れ親しんできた大きな木々や古い河の跡や、四季はきちんとそこにいて、祭りがあり、正月があり、盆があり、そうやって人々は暮らしていた。盆正月は店が閉まってしまうということを知ったのも都会に出てからだった。

都内にありながら広大な面積を有する大学の中には山があり、谷があり、そして池があった。そこにいると、田舎のように蚊に襲われたし、アブラゼミミンミンゼミくらいしかいないとはいえ、蝉の声を聴くことができた。近くに大きな道路が走っているはずなのに、喧騒はそこまでやってこず、昼休みが過ぎると静寂が支配していた。水辺で昼食をとるのが私は好きで、蚊に食われたといいながらよくベンチに座って、亀と一緒に日を浴びながらパンを食べた。

田舎でそうしていたようにどこへ行くにも自転車で行き、アメ横からつながる電気街や、そこから古書街、東京駅サラリーマンの街あるいはおしゃれな店が並ぶ一帯までどこへでも行った。都会は平坦につながっているのに、どこかに必ず境目があって、境界付近で二つの街の色が混ざり合い、ある臨界点を超えると途端に色彩の異なる街になってしまうのが面白かった。その合間にもところどころ自然存在していて、いつからそこに植わっているのか知らない大きな木々が腕を広げて日陰を作り、その下にベンチが置いてある。くたびれた老人がその下に座り、コミュニティが形成される。それが私の見た「都会」だった。



山の手の内側で育ち、閑静な住宅街で育った人たちは、ここは「イナカ」だから東京じゃないという。私はそれを聞くたびに笑いをこらえきれなくなる。あなたたちは田舎を知らない。電車が10分来ないとか、駅まで10分くらい歩かなければならないとか、店がないとか、繁華街が近くにないとか、それだけで田舎だと言っているけれど、田舎はそうじゃない。

コンビニには車で出かけなければならないことも、コンビニ農協のようなものだということも、、新製品は何か月もしないとおかないような、そのくせいつからあるのかわからないような商品が段ボールで積み重ねてあるということも、あなたたちは知らない。発売と同時に新商品を手に取ることができる喜びにあなたたちは気づかない。駅と駅の間が近くて、自転車で行き来でき、一つの場所に店が集まっていないせいであちこち足を運ばなければいけない不便性は田舎のそれとは違う。

大きな木が育っていてもそれを管理せずに朽ちていくばかりにする田舎邪魔になればすぐに切ってしまから、町の中に大木は残らない、それが田舎だ。古いものは捨て、新しいもので一帯を覆い尽くすのが、田舎だ。昔からあるものを残しながら新しいものをつぎはぎしていく都会の風景とは全く違う。人工の整然とした景観があり、そことはっきりと境界線を分けて田畑が広がる区域が広がる。その光景あなたたちは知らない。人工の景観の嘘くささと、そこから切り離された空間の美しさをあなたたちは知らない。新しく人が住む場所を作るために農地や野原を切り開いて、道路を通し、雨になれば水が溜まる土壌を改良し、夏になればバスを待つ人々の日陰となっていた木々を切り倒し、そうして人工物とそれ以外のものを切り離していくやり方でしか町を広げていくことのできない田舎を、あなたたちは知らない。人々は木漏れ日の下に憩いを求めたりしないし、暑さや寒さに関してただ通りすがった人と話をすることもない。車で目的から目的地へ点と点をつなぐような移動しかしないのが田舎だ。あなたたちはそれを知らない。



盆や正月田舎に戻ると結局ショッピングモールに集まる。友人とだったり、家族だったり、行くところはそこしかいから、みなそこへ行く。しばらく帰らない間に、高校時代によく暇をつぶしたショッピングモールは規模を拡大し、店舗数も増えていた。私が「トカイ」で足を使って回らなければならなかったような店が、都会よりずっと広い売り場面積で所狭しと並ぶ。それがショッピングモールだ。上野秋葉原新宿池袋渋谷原宿東京丸の内もすべて同じところに詰め込んで、みんなそこは東京と同じだと思って集まる。田舎は嫌だ、都会に行きたいと言いながらそこに集まる。

ABABというティーン向けの店でたむろする中高生を見ながら、私は思う。下町を中心としたチェーンのスーパーである赤札堂が展開しているティーン向けの安い服飾品を、田舎の人は都会より二割か三割高い値段で喜んで買う。これは都会のものから、垢抜けている、そう信じて買うのだ。確かにその服はお金のない中高生が、自分のできる範囲内で流行りを取り入れて、流行りが過ぎればさっさと捨てるために、そういう目的に合致するように流通している服飾品だ。だから安い代わりに物持ちが良くないし、縫製もよくない。二、三割その値段が高くなれば、東京に住む若者はその服は買わない。同じ値段を出せばもう少し良いものが変えることを知っているからだ。田舎に暮らす私たちにとってのしまむらがそうであるように、都会に住む彼らにとって最低限の衣服を知恵と時間をかけてそれなりに見えるように選ぶのがABABだ。そのことを彼らは知らない。

ABABのメインの事業である赤札堂は、夕方のサービスタイムには人でごった返し、正月が近づけばクリスマスよりもずっと入念にかまぼこやら黒豆やらおせち材料を何十種類も所せましとならべ、思いついたようにチキンを売る。あの店はどちらかというと揚げ物やしょうゆのにおいがする。店の前には行商のおばさんが店を広げ、都会の人たちはそれを喜んで買う。若いこどもはそれを見てここは「イナカ」だという、そういう光景を彼らは知らない。



そうして私は「トカイ」という呪縛から逃れていることに気付くのだ。私はABABでいいものがあれば買うし、同じようにしまむらで掘り出し物があれば買う。田舎よりも安くで手に入れることのできるものは都会で買い、田舎安く買うことのできるもの田舎で買う。どちらもよいところはあり、悪いところはある。便利なところはあり、不便なところもある。都会の人も「トカイ」にあこがれ、ここは田舎だというけれど、「トカイ」というのは結局幻想しかないということを、私は長い都会生活の中で理解したのだ。便利なものを人は「トカイ」という。何か自分とは違うと感じるものをひとは「トカイ」のものだという。それは憧れであり、決して得られないものだと気づくまで、その呪縛からは逃れられないのだろう。

「イナカ」はその影だ。「トカイ」が決して得られない憧れであるなら、「イナカ」は生活の中に存在する不便さや不快さや、許し難い理不尽やを表しただけで、「トカイ」と表裏一体をなしている。「イナカ」も「トカイ」も幻想しかない。幻想しかないのに、私たちはそれを忌み嫌ったり、あこがれ、求めてやまなかったりする。だから田舎はいやなんだというときのイナカも、都会に行けばきっとと願うときのトカイも私の心の中にしか存在しない、存在しえない虚構なのだ。




私はオフィス街の中で聞こえるアブラゼミの声が嫌いではない。でも時々その声が聞こえると、田畑を渡る優しく澄んだ夕暮れ時の風を思い出す。竹の葉をすかす光とともに降り注ぐ、あの鈴の音を振るようなヒグラシの音が耳に聞こえるような気がする。






補記:母は東京イオンがないという

記憶の片隅に、一面に広がる田んぼと、稲穂の上で停止するオニヤンマの姿が残っている。

父方の田舎は、人口の一番少ない県の市街地から車で一時間半かかるところにあった。周りは山と田畑しかなく、戦前から10軒もない家々で構成される集落だ。隣の家は伯父の家だったはずだが、確か車で15分くらいかかったと思う。幼いころにしかいなかったので記憶はもうほとんど残っていない。免許証の本籍地を指でなぞるときにふと頭の中によぎる程度だ。父はあの田舎が嫌いで、転職と転勤を繰り返して、関東に居を構えた。あの村で生まれて、育ち、その中から出ることもなく死んでゆく人がほとんど、という中で父の都会へ行きたいという欲求と幸運は桁はずれだったのだろう。時代が移り変わって、従兄弟たちはその集落から分校に通い、中学卒業とともに市街地へ職や進学先を求めて移り住んでしまった。今はもう老人しか残っていない。日本によくある限界集落の一つだ。

引越をした日のことは今も覚えている。きれいな街だと思った。計画的に開発され、整然と並んだ町並み。ニュータウンの中には区画ごとにショッピングセンターという名の商店街があり、医療地区があり、分校ではない学校があった。電柱は木ではなくコンクリートだったし、バスも来ていた。主要駅まではバスで40分。駅前にはマクドナルド本屋ミスタードーナツもある。旧市街地門前町として栄えていたところだったから、観光向けの店は多くあったし、交通も車があればどうとでもなった。商店に売られているジュースは何種類もあったし、本屋に行けば選ぶだけの本があった。子供の声がして、緑道があり公園があり、交通事故に気をつけろと学校では注意される。

バブルにしたがって外側へと広がり続けたドーナツの外側の淵にそのニュータウンは位置している新しい家を見に来たとき、祖父母はすごい都会だねぇと感嘆混じりに行った。

父は喜んでいた。田舎には戻りたくない、と父はよく言った。都会に出られてよかったと何度も言った。ニュータウンにはそういう大人がたくさんいた。でも、都心で働く人々にとってニュータウンは決して便利の良い町ではなかった。大きな書店はあっても、ほしいものを手に入れようとすると取り寄せるか、自分都心に探しに行くしかない。服屋はあるけれど、高いブランド物か流行遅れものしかない。流行はいつも少し遅れて入ってきていた。都心に日々通う人たちはそのギャップを痛いほど実感していたに違いないと思う。教育をするにしても、予備校や塾は少なく、レベルの高い高校も私立中学もない。食料品だけは安くて質のいいものが手に入るが、都会からやってくる品は輸送費の分、価格が上乗せされるので少し高かった。都会からじりじりと後退してニュータウンに落ち着いた人々にとって、言葉にしがたい都会との微妙時間的距離は苦痛だったのだろう。

子供にはなおさらその意識が色濃く反映された。簡単に目にすることができるからこそ、もう少しでつかめそうだからこそ、都会は余計に眩しいものに思えた。引力は影響を及ぼしあうものの距離が近いほど強くなるように、都会が近ければ近いほどそこへあこがれる気持ちも強くなるのだ。限界集落にいたころには市街地ですら都会だと思っていたのに、ずっと便利になって都会に近づいた生活の方がなぜか我慢ならない。

そして子供たちは大きくなると街を出て行き、後には老人だけが残った。さながらあの限界集落のように、ニュータウンもまた死にゆこうとしている。幸運なことに再び再開発が始まっているようだが、同じことを繰り返すだけだろう。

祖父母にとって東京は得体のしれないところだった。彼らは東京駅で人込みの歩き方がわからなくて、父が迎えに来るまでじっと立ちつくしていた。若いころだってそうしなかっただろうに、手をつないで寄り添い、息子が現れるまで待つことしかできなかった。そういう祖父母にとってはあのニュータウンですら、生きていくには騒がしすぎたのだ。あれから二度と都会へ出てくることはなく二人とも、風と、田畑と、山しかないあの小さな村で安らかに一生を終えた。


たまに東京に出てくる父と母は、あのとき祖父母が言っていたようにここは騒がしすぎて疲れる、という。どこへ行くにもたくさん歩かなければならないから不便だと言う。車で動きにくいから困ると言う。智恵子よろしく母は、東京イオンがない、と真顔で言う。私が笑って、近くにイオン系列ショッピングモールができたし、豊洲まで出ればららぽーともある、といっても納得しない。田畑がない、緑が少ない、明るすぎるし、どこへ行っても人が多い。すべてがせせこましくてあわただしくて、坂が多くてしんどい。それに、とことさら真面目な顔になって言う。犬の散歩をする場所がない。犬が自由に走り回れる場所がない。穴を掘れる場所もない。彼らはそう言う。

あんなに都会に出たいと願ってやまなかった若いころの父と母は、あのニュータウンの生活に満足し、さらに都会へ出ていくことはできなくなったのだ。それが老いというものかもしれないし、身の丈というものなのかもしれない。生きてゆくべき場所を定めた人は幸せだ。幻想に右往左往せず、としっかりと土地に根を張って生きてゆくことができる。


私の住む東京千葉の境目も、不満に思う若者は多いだろう。都内とはいっても下町からここは都会ではない、と彼らは言うかもしれない。都下に住む人々が都会に住んでいない、と称するように自分たちの住む街を田舎だと表現し、もっともっとと願うのかもしれない。引力は近づけば近づくほど強さを増すから逃げられなくなるのだ。でも、もしかすると、都会の不便さを嫌って、彼らは田舎志向するかもしれない。一つのところへ行きさえすれば事足りる、点と点をつなぐだけの便利な生活。地をはいずりまわって丹念に生きる必要がある都会と違って、郊外は行く場所が決まっているし、ネットがあればなんとかできる。彼らには、私たちが引力だと思ったものが反発力として働くかもしれない。未来は分からない。

それでもきっといつかは、みんな、どこかに愛着を抱くか、よんどろこのない事情で立ち止まるしかなくなるのだろう。祖父母がそうであったように、父と母がそうであるように、どこかに満足して、ここ以外はどこにも行きたくない、と主張する。それまではきっと都会と田舎という幻想の間を行き来し続けるのだ。


成田に育った:http://anond.hatelabo.jp/20080929192856

2010-07-16

http://anond.hatelabo.jp/20100715080903

いやまぁ、いいけどさ。金がないにも程度があって

貧困国がなんでサッカーが強いか?っていうと、

お金が無いから、野原で遊べるものに遊びがなって、野球道具は道具の数が多いから、ボール1個でできるサッカーが選ばれる。みたいな話でしょ。

楽観しろとか、楽しめというのが言い過ぎだとしても、悲観することにもまた違うでしょ?

 

とんでもない、高級住宅地 政治家とか芸能人とか、社長とかが住んでる地域のハズレで繁華街との境目に、公園があってサクラが咲いてるんだけど、

春にそこをとおると、みんなでお花見してるんだよね。シートしいて。あれ、どう考えても、お金かかってない。

お金がなければ、なにもできない?確かに、お金があると楽しい物も多いけど、たとえば美術品。

お金が無い美術館に入れない?いや、上野地獄の門とか屋外展示で無料。屋外展示の美術品って無料で楽しめるものが多いんだよね。

そもそも、美術展って1000円とか2000円だし。 何十億も出して、絵を買わなくても、数千円で眺められる。下手すりゃ無料。いい国だと思うんだけどなぁ。

図書館に行けば、本も無料で読める。無料で貸出もしてもらえる。

だが、金があったって難しいのに、金がない状態で無理に探してどうなる。

金がなくても大丈夫とはいわんけど、

お金があれば幸せになれるというのが幻想なように、お金がなければ不幸だというのもまた幻想だと思うけどね。程度の問題で。

さすがに、それは、自分限界自分で決めすぎていると思うよ。

2010-07-05

http://anond.hatelabo.jp/20100705210429

地盤地震の問題でマンハッタンまでは無理にしても、新宿西口くらいのビル街は問題無いにも関わらず、東京の大部分はそうなってないわけで。

結局、地所が細かいとか住宅地容積率制限の問題の方が遥かに大きいから、元増田認識でOK。

2010-06-28

http://anond.hatelabo.jp/20100628173511

地方都市もいいかもな。

俺は都心が好きだから都心に住んでるだけだけど、そこにこだわらない人にとっては地方都市が一番いいかもしれない。

前の職場で転勤で地方都市の支社に勤めたことあるけど、地方都市都市圏が狭いから、割と歩ける範囲の中に商業地区と住宅地がすっぽり納まってたりする場合があるんだよな。だから、子供環境とか考えないのであれば、家探すにも都心より選択の自由があるような気がする。安いし。

ただ、公共交通機関微妙に未発達だったりするので、都心と比べると自動車が無いと不便だと感じることが多い。

2010-04-18

友人を訪ねて、越谷まで行ったんだが

三郷ETC出口をでて越谷まで車をは走らさせたんだが

行った場所も悪いかもしれないが

本気で何もない

元々住宅地が中心の性もあるかもれないが

無駄大きイオン以外何も無さ過ぎてワラ

でも、清掃工場?は何だか判らなさ過ぎるくらい

カッコいいな

2010-04-10

普天間基地移設問題で抑えとく要点

個人的メモ

なんか異常にブクマ付きまくってるけど、あくまでも俺個人の脳内解釈されている「普天間基地移設問題」なので、その辺を踏まえた上で再利用してくださいな。

米軍沖縄から離れられない

中国日本にとってもアメリカにとっても仮想敵国であり、沖縄はその最前線に位置している。そしてその仮想敵国は軍事独裁国家で、しかも軍拡真っ最中空母を建造中で、艦載機の大量調達も計画進行中。特に台湾有事の際には即応できる位置に戦力を張り付かせておかなければならない。グアムからだと最短でも数日かかるが、沖縄からだと数時間で到達できる。

よって、他県(鹿児島以北)に分散させるといった提案はアメリカは聞く耳を持たない。グアム全面移転なんてのはアメリカ台湾を見捨てろと言うも同然で論外。

アメリカは終始2006年日米合意案の履行を求めている

大臣を含む政府関係者が何度か渡米しているが、従来案以外の提案は全て門前払いを食らわされている。残り2ヶ月弱。

タイムリミットは今年5月

アメリカ予算成立スケジュールの都合上、それまでに日米間で合意に達しないと普天間使用継続がほぼ自動的に決定してしまう(アメリカ側に変更する気は今のところ無い)。そうなれば今後10~20年は普天間基地は存続し続ける事になる。そもそも普天間移設は米軍機の住宅地への墜落事故などに端を発しており、本来の目的普天間近隣の危険性を除去することだった。仮に従来案を粛々と進めていれば2014年には普天間は返還されていたはずなので、このままリミットを過ぎたら「従来案を進めていた方がよっぽどマシだった」という結末になる。

アメリカは移設先の住民の了解を得なければ協議に応じないと日本に通告している

日本政府に「アメリカが断ったから」という言い訳の余地を与えないための予防線と思われる。実際、アメリカは現時点で実務者協議にも応じていない。

基地受け入れを表明している自治体は皆無

「○○にしようかな」と観測気球地元自治体が猛反発のコンボを延々と繰り返してる。

基地移設は2014年までに完了させると協定に明記されている

移設先の自治体との折衝や移設工事その他諸々を逆算すると、スケジュール的には既にケツに火がついてる状態。鳩山が当初「年内(2009年末まで)」と言っていたのはそれが理由。国際協定の遵守義務は憲法にも明記されている(98条2項)ので、履行不可能となれば責任問題は不可避。履行可能な案を反故にした上でとなればなおさら。

従来案(辺野古案)は沖縄県民も承諾している(していた)

しかし鳩山が「最低でも県外」を連呼してしまったため、今更従来案へは戻すに戻せない状態に陥っている。受け入れを表明していた辺野古も現政権に対する不信感MAX状態。

徳之島案をアメリカは承諾しない

自民党政権時代にも検討はされたが速攻でアメリカは拒んでいる。最大の要因は狭すぎる点。拡張工事するにも環境アセスメントやらで2014年までに間に合わない。

鳩山は従来案と同等かそれ以上の案を持っていると言い張っている

それが事実なら三月末時点ですんなり決まっていたはずなんだけどね。

鳩山は五月末までに移設先、アメリカ共に合意を取り付けると明言している

今年2月5日衆院予算委員会ではっきり言ってる。

こないだの沖縄県知事選名護市長選で民主党基地反対派の候補である稲嶺進氏を支援し当選させている

しかし今はそれが基地問題の最大の障害となってしまっている。もしかしたら民主党内でも基地容認派の当選を見越していたのかも知れない(そうなれば従来案の履行の言い訳が立つ)。

自民党が13年かかった作業を鳩山政権は残り2ヶ月弱で全てやり終えなければならない

政権発足から何一つ進展してない。未だに「ゼロベース」状態。

追加

鳩山の「腹案」って何よ?

徳之島案。ただしアメリカはこれを受け入れないだろう。

どうして受け入れないのか?

徳之島案」というのはぶっちゃけ辺野古海兵隊を運ぶヘリを200km離れた所に置け、という事だから。有事はもちろん、訓練の時も往復400km飛ばなきゃならなくなる。米軍は80km以内を条件に提示しているが、普天間からその半径内に基地が作れるような県外の島は無い。

また前述の通りアメリカ地元の合意を取り付ける事を協議入りの条件に提示しているが、徳之島はこないだの町議選で基地容認派候補が全滅した。

2010-04-06

都会に住むということ

千葉某所の職場からバスで30分弱の社員寮から出ることになったので、

遠くなるけど、もっと都会のほうに住むことにした。それがX年前。

山手線の内側。地下鉄の駅から徒歩3分の、そこそこ便利な立地。住宅ビジネス街が入り混じる。

最初の通勤時間電車で1時間ちょい。1回乗り換えあり。

途中から職場が都下に変わったので、ちょっと近くなった。通勤時間50分、乗り換え1回。



1日1時間通勤時間増加は辛いかなぁと思っていたんだけれども、電車だと本が読めるんだよね。

娯楽の本も読むし、技術参考書とかも読んでる。

家だとどうしてもネットに逃避しちゃうところ、電車だと妙な集中力が働いて、どんどん読める。

これは良い副産物だった。



仕事関係はこんなところ。

あとはプライベート



出不精がかなり改善された。

前は、都内で飲もう!ってなると、帰りが大変だよなぁとつい二の足を踏んでしまったんだけど、

今はすぐ帰れるから(最悪タクシーでも)ハードルがすごく低くなった。

映画とか、20時半開始でも余裕で電車で帰れる。終電はあまり気にしない。

博物館とかに行くのも一仕事だったけど、今は金曜日時間延長とかすごく便利に使えてる。

都内でコンサートがあっても、定時でさくっと終われば間に合うのが便利。帰りも楽だし。



行動範囲が広がった。選択肢が増えた。

寮にいたころは、家の周辺と、会社の周辺と、数駅先のショッピングモールと、たまに都内に出るくらいと

すごく限られた範囲だったけど、

今は通勤途中にちょっと下車してみたり、一駅足を伸ばしてみたりして、お店の開拓とかもできる。

本を買うにしても、池袋ジュンク堂リブロか、新宿ブックファースト×2&紀伊國屋書店か、選ぶ余地がある。

家電もビックやヨドバシやヤマダもあるし、秋葉原に行けばジャンクだって買える。

夜中にお腹が空いたら、マクドナルド松屋コンビニも歩いていける範囲なら両手分くらいはある。

便利すぎてもう離れられないかもしれない。



でも、いいことだけではない。

物価微妙に高かったり(すごく高くはない)、治安微妙になってきたり(公園ホームレス

都会の住宅地ならではの欠点はある。



それでも都会がいい。

自分にはここが合っていた。

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