はてなキーワード: 志望校とは
今そんな段じゃないんだよ。そこはノートにかじりついてる時間だろうが。
便所行って、飯かっ食らったら、入室の直前まで学んだ内容を頭に刻み付け続けるんだ。
その一挙手一投足がお前の点数を、受かる学校を、ひいてはその後の人生を左右するんだよ。
行く学校が変われば出会う人間も変わる。就ける職業の可能性も。
一年遅れれば生涯所得がいくら落ちるか。まるで分かっていない。
緊張を取るための仲間との雑談、そのような意識で使っているのか。まあそういう時代でもあろう。
しかし、終わった後に正答や解法がこうだ、出題者の意図がああだ、と議論している輩はなんなのか。
1日目終了時点でやっている者、これはもう度し難い。全日程終了後であっても同様に愚かである。
これは一部のバカが可視化されてるだけなのか、それともデータ取りに受験した予備校講師のぼやきか何かなのか。
提出してしまった答案はもう、お前の力の及ばぬところにある。
複数正答、得点調整の可能性など議論していても、詮無きことだ。
今お前のやるべきことは、答案や問題のことを考えるのをやめ、一晩くらいすっぱりと休むことだ。
そして夜が明けたなら淡々と採点をし、センター利用なら志望校絞り、二次試験ありなら個別対策へ頭を切り替えるのだ。
自分が学生の頃はセンター明けに振り返ってグチグチ言おうものなら、教師に窘められたものである。
わざわざ書くのも憚られるほど当たり前のことだが、さっさと前を向け。切り替えろ。
そうして、できることなら受験終了までツイッターなど携帯ごと捨てろ。
お前が撫で回してるそれは、そんなに素敵なもんじゃあない。
http://d.hatena.ne.jp/p_shirokuma/20120112/p1
稽古事や学習塾は放課後や休日に通われるものであり、それらが増えるということ=それだけ友達とのスケジュール調整が難しくなるということ であり、一人で遊ばざるを得ない時間が増えることでもある。
稽古事や学習塾が、同年代と遊ぶ時間を奪うだけのものであるというのは間違い。
中学受験の塾では、志望校ごとのクラスが作られるので、そこで中学入学前に友達を作っておくことができるし、
高校受験の塾でも同様のことが行われていた。
稽古事や学習塾は、別の学校に通っている同級生との出会いを生む場になっている。
友達や配偶者が居ないデメリットを金で解決できるようになったからだと思う。
だから一人暮らしは成り立たず、誰もが「親の家から出てすぐ結婚」もしくは「親の家から出て下宿を経て結婚」という道を辿っていた。
家事負担が家電の登場という「技術の進歩」によって軽減した今では、男たちには無理に結婚して他人と同居し、養ってやる必要がない。
女たちにとっても、均等法の施行によって自力で稼ぐチャンスが生まれたので、好きでもない男で妥協してまで結婚する必要がない。
旧世代の人間にも、今の世に生まれていたら結婚などしていなかったという人間は多いのではないか?
熟年離婚の多さがそれを物語っているような気がする。彼らは元々結婚に向いていなかったのに、結婚しないと生活できないから無理に結婚していたのだ。
友達が居なくても生きていけるようになった理由も、「技術の進歩」だ。
ゲームが無いころヒマでヒマでしょうがなかったのが、ゲームをやって楽しく過ごせるようになった。
自力で解決できない困ったことが起きたら知人に解決策を聞かなければならなかったのが、ネットで調べれば知人より精度の高い答えを得られるようになった。
夜中に急にものが必要になったときそれを持っている知人を頼らなければならなかったのが、深夜営業の店が増えて簡単に入手できるようになった。
ニッチ・レアな製品を手に入れるためにはオタクコミュニティに属して関係構築しなければならなかったのが、
ネット通販やオークションで金さえ払えば手に入れられるようになった。
「技術の進歩」によって、コミュニケーションをしなければ得られないものが減った。
コミュニケーションをとらなくても生きていくことが、欲望をみたすことができるようになった。
今あえてコミュニケーションをする人々は、コミュニケーションが目的である人だけだ。
コミュニケーションを手段としてしか捉えていなかった人間は、今の世の中ではする必要がなくなった。
それによって少子化による経済停滞や孤独死の増加による巡回コストの増加も進むだろうが、時代を元に戻すことはできないだろう。
友達同士の助け合いには金銭が絡まないので税は取れないが、友達がおらず企業によるサービスを利用する人からは税を取れる。
恋人同士や夫婦間のセックスには金銭が絡まないので税は取れないが、キャバクラや風俗では税を取れる。
国の思惑はそうだったのかもしれない。
近所のサークルで一緒の中3の女の子は受験の準備で忙しいらしく、夏ごろからあまり顔を会わすことがない。
今日は午前だけ来ていたそうで、午後から来た自分とはすれ違いとなり
「増田さんに会えなかった、って言って残念がってましたよ」と社交辞令混じりにその子のお母さんから聞いた。
他の中1のお子さんたちも学校の部活後にサークルにやって来て、この後に塾に行くのだと言って帰っていった。
都会の中学生は忙しい。
部活動が盛んだったこともあり、特に自分の所属していた部活では
この時期まで部活やってて「完全に何もしなくなった」のは年が明けてからだった。
それでも誰もそのことに対する不満も疑問もあせりも(人によっては受験勉強も?)なく
1月頃から私立高校の受験がはじまり、2月末に公立高校の受験があり、合格発表…と
みんな大して受験生らしいことをせず志望校に受かっていったような気がする。
そういう時代であったとか、ド田舎の公立中学だったせいもあるだろう。
どっちが良い悪いとかではなく、自分の性格にはこの環境が合っていて
同じ能力だったとしても今時の都会の中学では到底やっていけないだろうなと思う。
そんな自分が人生の先輩としてただ一つアドバイスできるとすれば
中3の子にも春には元気に再会できるといいな。
基本的搾取権と言っても、基本的に誰でもが持ってるわけではなく、当たり前のように与えられているわけでもない
そう見えるだけでそうじゃない場合もあるし、本当に搾取的な事をしている場合もあるだろう
2chって学歴とかすごく気にしてる人もいる。yahoo知恵袋だと本当にそんなに気にしてない人もいるのに。例えば子供の進路でも単純に偏差値で決めるのでなく、校風やクラブ活動が活発かどうかなども基準に、本当に選んでいる人たちもいた。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1054596645 中学生の娘が偏差値55の私立高校に受かったのに、48の公立に行きたがってます。
自分は私立に行って欲しいのですが、本人の意思がかたいようです。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1111557701 高校受験を経験した方、志望校は何をみて決めましたか?(設備、部活、校風etc.)
来年受験の中3なのですが、どうしても偏差値だけで判断しがちになってしまいます。
2ch運営の削除要求に対する対応について、官僚的と評されてたのを読んだ事もあるが、硬直した柔軟性を欠いた態度、それがやりたくて仕方ないような空気を感じないでもない。
それに、あの仕組みは、作った人だけが得をしているのに、商業主義に乗せられてないと思っているのも不思議だ。
あと、ユーザーは、やたらルールに従うのが好きw そして新規の人をそれに従わせるのも好きw
だけど、元々は他の人が作っていた掲示板にマルチポストして宣伝して、客を奪ったのが始まりだから、ルール違反した人が作ったシステムという矛盾
なぜ、商業主義を嫌っているのを推奨したり、商業主義と関係ありませんよ、というポーズをとるかと言えば、自分達以外の商売をそこでさせないため。(これは当たり前でどこのサイトでもそうだろうけど、商業と関係ありませんよというポーズを取ってた)
2ch運営(初期運営?)ほどうまく搾取できてない集団だと思うけど、体質としては、そういう資質を持った人が、多く集まった印象を受けた。
しかし、みんなで搾取しましょう♪とか、音頭取ってやってるわけではないだろうから、自然とそういう感じになったのか、たまたまそう見えるだけか、よくわからないけど
何が似てるんだろう 何かが似ている
素じゃない感じとか、悪い意味で老成しているところとか
自分に対して不思議な事をしてきた人が、考えてみたらやってる事が親と似ているなあと思い、どういう心理や心境でこういう事をするのだろうと、探ってたら、やばい結果を探り当ててしまって・・・
これは、もう何たらハウス関係なくごく個人的な事だろうな、と思ったが
こういう人を、引き寄せてしまう魅力が何かあるのかもしれないとは思う。
閉じた世界を感じる
カウンターカルチャー的ではなく、強いものの味方で、弱そうと見たら、権威主義的な態度を取るw そんな感じ
実際、権力者の近くにいる人がいて驚いた。 無茶やってるように見せながら、力に阿り擦り寄り
切ったら血が出るような、人間的な感情の発露というのを、止められてるのか、切捨てられてるのかわからないが、人間的感情の発露が理解できない。
こういうのって、今年問題になってる地震後の原発問題に対する東電の態度が官僚的な事や、官僚全般(中には頑張ってる人もいるかもしれないが)や日銀とか、弁護士や医師、の一部の態度にも通じる態度のような気がする。それを真似してるような。所謂困ったエリートは、搾取が当然と思ってて、高校生ウルトラクイズの賞金か何かだと思ってるのかもしれないと思う。
真似してるというか、そういう良くない力がある事を知って、それを肯定しているようなところはあると思った。
書いていた創作か実話かわからない話に、精神病院の中の様子が出てくるものがあった。その中の患者の様子の描き方が、医師にとって都合が良い描き方をしていた。それは、そういう人ではなく、そういう状態の人なのではないのだろうか?そして、それを治すのが、サポートしたりケアしたりして治すのが、医師の仕事のはずなのに、それができてないのは医師の責任ではないのか?
それを認識してない、その視点からの指摘が無い、抜け落ちているのはなぜだろう?
強さ弱さしか見られなくて、それに対して自分はどう思うのかという自分の判断力が入ってない、ものすごく子供な状態のままいる、そのくせ力を欲しがるのか、子供だから力を欲しがる、のかもしれないが。
そんなにうまく力が手に入るとは思えないけど、だからこそ、弱そうなものを見ると見境がなくなるのかもしれないし、自分達のフィールドに引き入れてしまえば、それなりに力を保って人に接する事ができる仕組みを作っているというか、作ろうとしているのかもしれない
。。。。。。。という妄念
さえ湧き上がってきてしまうほど、個性的な人が集まっているのはなぜ?
ただのシェアハウスのはずなのに
初めて付き合った彼女との話。
そこまで行く過程(中学時代)に青臭い馴れ初め的なものもあるけど割愛。
それぞれ男子校女子校だったこと。携帯を持たせてもらったばっかりだったこと
この辺が相まってどっぷり浸かった
俺の方も悪い気はしなかったし独占欲が強いガキだったので
ずっと携帯握りしめてる高校時代だった覚えがある
「こいつ以外の彼女はいないし、こいつと別れたら俺はダメだ」と信じてた
今考えれば本当にバカなガキだ
それでも男子高校生なので性欲は強くてセックスはしたくてたまらないのだが、
前述のとおり彼女がすべてだったので、そういうことには慎重に慎重を重ねた
キスをしたのは高1の夏
舌を絡めたのは高1の冬
服の上から胸を触ったのが高2の夏とかそんな感じだったと思う。
結局、高校卒業直前に別れるまでにオーラルでちょっとはしたのが数回、挿入はしていない
これをどう捉えるかは人それぞれだとは思うが
突き詰めれば彼女に振られたくないだけだったはずだけど
「それだけ彼女を大事に思ってるってことだ」とか自分に言い聞かせて純愛を気取っていたわけだ
彼女の気持ちを無視してるような書き方になったが
誠意を持った付き合い方をしてたし、触ったりすることを拒まれたことはない
要は俺が勝手に我慢していた。
人間、目先の人参を我慢するにはそれなりの見返りが必要なもので
これだけ我慢したんだから
そんな感じで高3の秋頃まで付き合い続けるのだが
(高校生活を一途に捧げたんだから大学行ったらryみたいな気持ちもなかったとは言わない)
俺が一方的に振られてしまう
些細なことで火がついて売り言葉に買い言葉。大喧嘩に発展といった感じ
セックスは直接的にはまったく関係なかった
ただその振り方が酷かった。
俺は前述のように大学行っても付き合い続けることに執着してたので
諦めさせるにはそれしかなかったんだろう。
言いたいこと全部ぶちまけた後で着信やメールをすべて拒否。
2-3ヶ月音信不通。やっと電話が繋がったのは2学期の終業式。
自分が進路決定したこと(推薦?)ともう付き合う気はないことを
さらっと軽いノリで言われた。
俺は絶望的な気持ちでクリスマス・正月を経てセンター試験を迎えた
その後、大学受験は失敗した。
それまで割とコミュ力はあったのに、予備校通って人嫌いになった。
ただ、あんなに我慢して尽くした相手に徹底的に振られて
「こんなに我慢したのに…」が独りよがりだったことも
そこまで彼女に執着せずに、いくらでも恋愛できたということは頭では理解している
というか片手の指じゃ足らないくらいの年数が経って
ようやく頭では理解できるようになってきた
でも、まだ正直者がバカを見たような感覚は抜けない
処女厨論議の中でよく
みたいな理想を言う奴がいるけど、あのとき屁理屈こねずにセックスしてたら
まさにそのシチュエーションだったと思う
あの時の自分に「いいからやっちまえ」ってホントに言ってやりたい
逃した魚が大きかったからか
あと元カノにこだわってウジウジしてるのも嫌で
とりあえず軽い気持ちでセックスしちゃえば前進できる気がした。
そういうわけで某サイトで若い子口説いた
割と本気で惚れられちゃって付き合った。セックスもした。
でも可愛くなかったからかイケなかった
こんなことしても虚しいわと思う反面
自分がされた恨みを仕返しできた感じがしてスッキリした気持ちもあった
もう一人の俺を作り出したかもしれない。ごめんね
そろそろ、重すぎもなく軽すぎもない普通の楽しい恋愛したいんだけど
学歴コンプも患っちゃったから恋愛してる場合でもなかったりする
----------------------------------------------------
追記
http://anond.hatelabo.jp/20110627193036
俺が中学から高校に進学する時、親の意向にそぐわない学校を希望したら、親に皿を投げつけられたことがある。
はじめは親の希望にも沿った学校を志望してたし、結果としてその学校に進学したから、今となってはもう後悔でしかないんだが、どうも、俺はそこで人生を誤った気がしてならない。あの時、本気で行きたいところに行こうと決めていれば、少しはマシな人生だったかもしれない。
進学したのは地元一番の進学校だった。俺が一時希望したのはその次くらいの高校。進学実績で言えば確かに劣ってたけど、なぜか俺には魅力的にみえた。
まあ正直言って進学云々はどうでもいいんだけど、志望校変える!って言っただけで皿投げられたのは未だに納得いかんね。頭ごなしに否定されちゃあ親への敬意もなくなるってもんよ。そういうこと。
昔から学級委員長になれなかった
志望校は全て落ちた
社員にもなれなかった
でも俺には漫画がある
某SNSに登録したのがきっかけで
委託依頼もガンガンきてる
エロから足を洗ってまともな作品を書いてるから
親にも彼女にも見せてもOK
(昔のペンネームでググられると困るが)
イベントではファンから貢物貰ったりするようにもなった
なにより嬉しかったのは
昔からライバルだったやつが
どんどん脱落していってる
もちろん、少し人気だったけど
落ち目になったり劣化したりと
俺の実力が上がってきているのも理由
口下手なやつがいたら面白い話題で悟られないように
場を奪って自分の話に持っていって媒体持ってるお偉いさんさんと
仲良くなって仕事貰う
こんな当たり前のことできないやつ大杉
5年目にしてやっと日の目を見てる
このまま成功して商業に行くつもり
ライバルを蹴落して、人気を集めながら
日のあたる場所を突き進むのは快感だ
大学入る前提でだが、その能力(一部、資格が含まれてるが)全部、高校時点では必須ではない。
×英検二級以上:要らない。大学受験で志望校に入れるか、実際に喋れることの方が大事。
×HTML+CSSによるウェブページ制作経験を二度以上:要らない。大学に入れば腐るほど時間があるのでそこで学べばok。
×エクセルを自動記録でない、VBによるマクロの作成から各種グラフ、及び関数の意味:同上。
×パワーポイントによるプレゼンテーションの経験(授業でやらないならあなたの学校は糞):同上。パワポの操作は一、二回やれば覚える。難しくないし。プレゼンの上手さは基本的にはやった回数で決まる。高校までにプレゼンの機会がそんなにあるとは思えない。よって上手くなれない。上手くなれないものを上手くなろうとするのは無駄な努力。
×何か一つのテーマについて20000字以上の言葉で語り尽くすこと:大学で腐るほどレポート書く。まじめにやれば上手くなるので心配要らない。その際には手ほどき本、例えば「日本語作文術」でも読んどけば安心。
×他の学校の学生の友達が少なくとも一人はいる:大学入れば非コミュじゃなければ他校の友人などすぐできる。
×部活動で積極的に貢献する(記録は伴わなくともよい):部活での貢献など大学の推薦入試くらいにしか影響を及ぼさない。記録が伴わないなら、なおさら。高校までポへーっとしてても大学で活躍するやつはいくらもいる。
→今これらの能力を持っていないなら、無駄な努力をするなかれ。とりあえず入試に必要なことだけやれば良し。
→今これらの能力を持っているのなら、大学1年生のうちくらいまでは、それは他の人よりほんの少しアドバンテージがあるので、活かせるといいね。
あと、リストに数学が入ってないが、ド文系学科を除くと大学の授業で数学から逃れることは困難なので、数ⅡBくらいまではできるようになっといたほうがいい。
今の日本の雇用情勢、親の経済状況を考え、国立理系工学部を薦めていた。
多少、勉強もしているようだが、9月に入っても中々模試の偏差値が上がらない。
そんな中、弟が提案してきた。
・中学の教師になりたいので工学部ではなく教育学部を受けたい。
・今から私立に志望校を変更したい。国立でなくても一人暮らしさせてほしい。
・浪人は絶対したくない。現役で受かったとこに行きたい。
教師になるのと国立大学にはいるののどっちが難しいか知ってる?
1年受験勉強も続かないのに、臨時教師、教師浪人で何年も耐えられるの?
9月にセンター諦めた人のほとんどは私立目指してもFラン大にしか受かってないよ
もっと明確に、クリアに描きたくてたまらないんですよね
多分どちらにせよ私は志望校を目指すので、将来の目標がどうあれ、今やるべきこと、やっていくこと(受験勉強)は変わらないとしても
心の置き場?というかスタンス? 世界観、人生観、死生観、価値観、思想
そういうことにも心を奪われてしまうんですよね、、考えすぎなんでしょうか?
もっと、こう、なるようになるさって感じでいけたら大分楽かもしれません。気楽に。。
や,全力で考えたらいいんじゃないでしょうか.
例えば丸一日,受験勉強を完全放棄して全力で思索してみればよいのでは.
目標α発見可能性を最大化して実践するってことです.ただし期間限定ですが.
一日ではどうしてもだめなら一週間くらいやってもいいんじゃないでしょうか.
で,一週間で見つかれば万事解決ですね.めでたしめでたし.オマタセ受験勉強!
一週間で見つからなければ,それは時間か知識か何かしらリソースがもっと必要ということですね.
では必要なリソースを確保するための一番確実な手段はなにか.
それがはっきりしていて,かつ,大学進学ではダメならば,そこへ向かって走ればよいでしょう.サヨナラ受験勉強!
それがわからないのならば,おそらく多くの人にとっては大学が一番いい選択肢です.
大学進学は時間,知識,人脈,もろもろのリソースを手に入れる良い手段ですから.
そこで獲得したリソースを駆使して目標を見つけてください.ヨロシク受験勉強!
ちなみに「そんな都合のいい一週間を用意できない」「この一週間でやるつもりが,ついつい他のことをしてしまった」というのは,
追記元
http://anond.hatelabo.jp/20100922023512
まず、ありとあらゆる意識的、随意的な思考・行動は すべて目標を達成されるために行われる。
目標を達成するための最適解は存在する。各種、方法論、戦略によって最適解に限りなく近づくことができる。
だが、"いかなる目標を設定するか" ということには最適解はない。
それは、個人がもつ、固有の欲求、価値観、思想、志向性、評価関数というフィルターを通して
"自分が考える、最も満足のいくであろう、望ましいであろう状態、目標"
を定義しそれに向かっていく。
言わずもがなそれは十人十色で、それゆえに人類は、かような多様性を呈している。
逆説的ではあるが、この多様性こそが"人生そのもの"に"目標設定そのもの"に正解がないことを示していると言える。
ここで問題としているのは、そういう「いかなる目標に向かっていくか」「いかに生きるか」
という問いに答えがないということではなく、そういった現実の中で
個人個人は
いかにしていかに生きるかを、いかなる目標を設定し、それを目指して生きていくかを
どのようにして決めれば良いのか? ということだ。
あと、人は、望ましい状態に向かっていくと書いたが それが自分にとって望ましい状態なのかどうかは
"想像することしかできない" のだ。
その望ましさはあくまでも未来において想定されるもので、それは人間の想像力によって判別される。
もちろんそれは完全ではない。想像力をいくら駆使しても "これこそが私が最も満足のいくであろう選択だ" と断言することは無理である。
こうであったらなと思い描いたそれが実現されても、不満足を覚えることは多分にありえる。
だから人は、思考停止・妥協・悟り・諦め ≒ 信じる という行為をもってして生きていく。というかそうしなくては生きられない。 疑えど疑えど答えは出ない。
そういう悩みに消耗し、逡巡、足踏みし続け、人生を台無しにしてる人間は少なくないように思える。
いうなれば、登る山が決まっていなく、彷徨っているに等しいような人生だ。 私はそれを回避したい。忌避すべきものだそれは。
しかし一口に"信じる"といっても、 信じるための方法というか、信じ方があると思うのだ。
一寸先は闇の現実の中、無限の情報に前にし、いかに考えいかに行動するか。
結局どうすれば、良いのか。
私は理性によってそれが(生きていく中で価値観などは遷移していくので軌道修正は必要としても)
解決、、というか処理?できると思っているんですよ。
どうやって? こうやって。
まず人間が意識的に、随意的に目指しうることのできるありとあらゆる目標をネット、書籍などから情報収集し
徹底的に拡散的な思考をし尽し
"それらを全て洗い出して(MECEに)" かつ、その中から
"現実的に(物理的に) 私という人間が達成を目指すことのできる目標" を全て抽出する。
全てはここにある。 私が目指すことが可能な目標は全てここにあって、考えるべきことは全て目の前にある状態。
まずその状態を作り出す。
その個々の目標を"そこに向かうべきか否か" を判断する。その人その人がもつ固有の価値観に照らし合わせて。
ネットや書籍で判断材料を集めたりしたりもする。 その目標に向かうべきかどうかを個々に評価するのだ。
そして達成すべき目標("α"とする)をリストアップする。それを合格可能性が最大化された日常に目標を達成すべく定義されたタスクを巧妙に組み込む。
もちろんその組み込まれた目標は、 合格可能性を減少させてでも達成を目指すべき何かだ。
合格可能性が最大化された日常をベースとして考える。 それはそれこそが今もっとも優先すべき目標であるからだ。最大化こそが(私にとっては)
そして、そういうことを徹底的に追求したその果てに "今、この時間、本当になすべきこと(タスク)" が完全に把握でき
"今、ここで使っている時間は、私が思う最高の(限りなく最適な)時間の使い方だ" という意識をずーーっと持ち続けることができる。私はそれを目指したい。実現させたい。
というか受験生活が終わっても私は人生を通してずっとそうでありたい。これは誰もが思う願望であろう。
それを実現するのがGTDなのではないのか。それこそがGTDの本質ではないのか。
私がGTDに期待したのはそこである。というかそれが実現できるならば
この際GTDじゃなくても良いのだけど。
//何か突っ込みどころはありますか? ちなみに勉強からの逃避にしか見えないという指摘がありますがむしろ逆です。
これは勉強に集中するためになされる能動的な過程です。 顕在意識(=メモリ、RAM)に "今実行すべきタスク"のことしか頭にない状態が理想。
それを実現させてくれるのがGTDなのでは? そうであれば物凄く快適そうに思える。 なるほどその状態は達成すべき目標だろう。最優先で。
//結局、合格可能性最大化を図ることができれば満足なんです。
//他の何か、つまり"α"、それを邪魔する原因としての"α"さえうまく処理できればそれは実現します、それが難しいのですが…
//未知数な、存在するかどうかわからない"α"が見つかろうと見つからなかろうと どっちでも良いわけです。最大化、最適化さえ図ることができれば。
//とにかくすべては合格可能性最大化を阻む原因をいかに排除するか、そこが核心、主眼なんです。
>まだ自分が認識、意識していない時間を割くべき、日常に組み込むべき何か(合格可能性最大化以外の目標、仮に"α"とします。)があるのではないか?
これでいうαは受験生活を脅かす要素です。
返信。
>合格可能性の最大化を図ることによってαの発見・達成が阻害される、と考える理由はないわけだから
合格可能性が最大化された日常ということは極端に言えば、αを意識すらしません。そんな暇があったら問題を一つでも多く解くのです。
だから発見は阻害されますよね
合格可能性の最大化を図ることによってαの発見が阻害されるということで
αの達成を目指すということは最大化が阻害されることになります 最大化が阻害されても
生産性、効率が低下してもそれでもなお目指すべき目標は存在するのか?
存在しないならば最大化されたまま、それを維持した日常を送れます。
しかし存在するならば、考えなければいけないことがいろいろありますね。
>生活の全てを最適化しなければ合格できないとしたら、入ってからついていけるのかい?
あるいは最適化など目指さなくとも、余裕をもって合格できるにしても他に達成すべき目標がないなら
合格可能性を最大化させることに注力します。念には念を。受かる保証などどこにもないのですから。
ここで問題にすべきなのは"学力の向上における効率、生産性を犠牲にしてでも"達成すべき目標、"α"の処理の仕方についてです。
>そうでなく、やりたいことがまだはっきりしないっていうなら、受験勉強を当面のゲームと考えるといい。
そうですね、やりたいことははっきりしていません。大学をいかなる目的のための手段にするのか?という問いには今のところ答えられません。
それに危機感を覚えます。大学がゴールになっちゃって手段になりえてないっていうのが典型的な失敗例でそういう文脈があちこちに散見されるので。(手段の目的化)
なんとなく、俺はこれをするためにあの大学に入るんだっていう明確な意識があった方が動機づけにもなると思うし…
>他にやることがなくて暇だから受験勉強してる、と考えるんだ。そう考えていれば、普段は合格に最適化した生活を送りつつ、他のおもしろいことにレーダーをはっていられる。
こういう感覚良いですね。 しかし受験勉強と同時進行でなくてはならないのでしょうか?レーダー張り。アンテナ?
そうでないといけないというのは常に新しい情報(速報性があるものやまだ読んでないウェブページとか本とかから)を仕入れないといけないということですよね?
それを、なんというか、最初からいっぺんにできないものなんでしょうか?
>当面の目的から目を逸らすために他の目的を探してるだけであり
>しかも見つかってないあたりは救いようがない
前述のとおり、当面の目的に集中するために他の目的を処理しようとしているのです。
これこそが先延ばしの原因であり、心理的な障壁となっているのです。
もし見つからないのなら受験勉強を蔑にしてずっと探し続けることはしません、受験生ですから。
それは大学を出てやりたいことがないからとりあえずニートになるぐらい危険なことです。
>それはGTDとは関係ないけど、難しい。ほとんど人生そのものと同じだからね。
そう言えますね。ほんと難しい…
>とりあえずは「見晴らしのいい場所(客観的に社会と自分を見られる場所)」に行く(社会的・物理的に)こと、かねえ。
心強い意見です。
>うーん。普通は高校生ともなれば、なんとなく将来、こんな風な仕事をしたいとか、目標と言えないまでも、夢みたいなものはあるんじゃないかな。
それがよくわからないんですよね、、、
生活を維持するためのお金を稼ぐために「仕方なく」働いてると思ってるんですよ。
何らかのきっかけで(宝くじあたったりとか)大金が転がり込んできたら現職を続けないであろう仕事に就いているイメージ。
本当にやりたいことができてる人は、好きを貫いている人はほんの一握りなんだろうなって。
ちょっと恥ずかしいですが、ジョブズでスピーチで語ったように"愛せる仕事"をしたいですね
って、これじゃあ何も言っていないのと同じですよね。 "やりたいことをやりたい" みたいな、、トートロジー的な?身も蓋もない、、
>まあ、中央に[人生の目標]と書いたマインドマップでも書いて、自分の人生の目標でもじっくり考えてみたらどうかな。
>でも、人生は思ったより長い。
>間違った山に登ったかな、と思ったら、降りて違う山に登ることも、特にこれからの時代は不可能じゃない。
>また、寄り道、無駄足だったと思っても、それが次のステップへの足がかりになったりすることもある。違う山へ伸びる吊り橋があったりね。
>大学受験で、また会社選びで、人生のすべてが決まる、とか必要以上に深刻に考えなくてもいいと俺は思うよ。
孫正義「なぜならば、自分で決めた自分の職業、自分で決めた自分の仕事、これコロコロ変えるわけにはそんな簡単にはいきません。
だいたい決めたらその道にほぼ行く可能性が高い。その決めたことをフラフラするということは、効率悪いんです。
こういう意識があって、、、
また引用しますが
>私が思うに、人生を計画的に行おう、と思うのは、なすべきことをしたいという欲望が生じるからだ。
>限りある時間の中で、切実にそれを実現するためには、どういう流れ・ストーリー・フェーズを経て
>実現状態に変貌を遂げるのかをクリアにしようとする。そうすれば実現する可能性が高くなるからだ。
http://works4life.jp/2010/03/gtd-before-big-planning/
もっと明確に、クリアに描きたくてたまらないんですよね
多分どちらにせよ私は志望校を目指すので、将来の目標がどうあれ、今やるべきこと、やっていくこと(受験勉強)は変わらないとしても
心の置き場?というかスタンス? 世界観、人生観、死生観、価値観、思想
そういうことにも心を奪われてしまうんですよね、、考えすぎなんでしょうか?
もっと、こう、なるようになるさって感じでいけたら大分楽かもしれません。気楽に。。
xevraさんのいうよう、悩んでも悩んでも仕方がないことなんでしょうか、、
悩めば悩むほど不安は募り、袋小路の奥にどんどん迷い込んでいくのでしょうか、、
1 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/11/14(土) 11:03:45.25 ID:YEzroAVm0
1つの道を選んでそのために一生懸命頑張るということができない
何をするにも何らかの価値観の盲信が必要になるという気分
きっと人生における選択の正しさの根拠なんてないんだと思います。
何か一つを選ぶということはその他の一切の選択肢を捨てることだと弾さんもいっているし
それこそがその他一切の選択肢を選ばないことで何か失うものがあるのではないか という疑いを不安を生んでいるわけなんですね。
ある選択をしてその先一般的に(?)成功したとされても、もっと大きな成功が他の道に転がってたかもしれない、、
そういう迷いや悩みは構造的に人生の原則的に解決が可能なのでしょうか?
私たちはラプラスの魔でもなんでもないので、人間が培ってきた知見と経験則によってのみ、なんとか予測を立てることができる程度で
そこを理性的に突き詰めれば何か見えてくるんじゃないのかな…?と思ってはいるんですが、、
例えばこうするとかも。
ジョブズ「自分が死と隣り合わせにあることを忘れずに思うこと。これは私がこれまで人生を左右する重大な選択を迫られた時には常に
決断を下す最も大きな手掛かりとなってくれました。何故なら、ありとあらゆる物事はほとんど全て…外部からの期待の全て、
己のプライドの全て、屈辱や挫折に対する恐怖の全て…こういったものは我々が死んだ瞬間に全て、
きれいサッパリ消え去っていく以外ないものだからです。そして後に残されるのは本当に大事なことだけ。自分もいつかは死ぬ。
そのことを思い起こせば自分が何か失ってしまうんじゃないかという思考の落とし穴は回避できるし、これは私の知る限り最善の防御策です。」
しかしなぜ死と隣り合わせであるという事実を直視するとこういうことが可能になるのでしょう?
死の意識というフィルターを通せば真に、自分にとって大切なことが、死ぬまでにこう生きていたいんだってことがはっきりわかってくるようなのですが
どうも、私はそうなれていない?ように思うのです 死を意識してはいるつもりなんですけどね
孫さんやジョブズのように"実際に死にかけた経験"がないから 死を想像してみてもそれは不明瞭で、漠然とした恐怖とかで その程度ではそういう状態にはなれないのかどうか、、、
更に返信。
>今、どうしてもやりたことが見つからないなら、焦っても無駄。君が時間を無駄にしてるんじゃないかって焦ってる間に、既にやりたいことを見つけた人達は何歩も先を行ってる。天職のことを英語でcallingと言う。>呼ばれちゃうんだよ、そういう人は。こっちから選ぶことなんて出来ない。君もいつか呼ばれるかもしれないし、もしかすると一生呼ばれないかもしれない。どっちにせよ、それに振り回されて迷うっていうのはそれ>自体が無駄。呼ばれた時にすぐ応えられるように準備しておくしかない。
やりたいことってのは、天職ってのは能動的に探すものではないのですか? "呼ばれた時にすぐ応えられるように準備しておくしかない" なるべく選択肢とか可能性が維持できるように
したいところですけれどもね。
>http://anond.hatelabo.jp/20100922183732 //長いのでURLだけ。
なるほど。ってことは一週間かけて考えて見つからなければαを放置して学力の向上におけるパフォーマンスを最大化させればいいのですね。
受験が迫っているため、一週間程度のリソースで見切りをつけ、当座は合格を目指し、大学という場でリソースを獲得し
"目標α発見可能性を最大化して実践" すれば良いのですね。 すごくわかりやすく、かつ的確な回答のように思えます。
しかし一週間ではなく二週間であれば見つかるかもしれないわけじゃないですか。
というか期間の問題ではなく、 目標αはまったく(もしくはこれ以上)発見されないであろう、その可能性はないであろうと判断することを私は求めているのです。
目標αはまったく、もしくは、もうこれ以上生まれないであろうと。 気が変わったりするもんですから、人間も。
定期的に そうであるかどうかを確かめるような手段が欲しいところなのですが。
また言いますが、それこそがGTDの本質なのではないのですか?
そういえば私の提唱した方法論についての反応がありませんね、、
今の私って、無数の目指すべきかどうかは判断されていない目標は見えているけど、それを目指すかどうかっていう判断材料になりえる情報(目の前に膨大に広がっています)
に溺れてる感じなんですよ。 "今" 何をすべきなのか? がわからないんです。
わからないから、わかろうとする。 そうやってるとただ情報の海を漂ってるだけになるんですよね、、困ったことに。
一連の考えを要約すると、 人生において早い段階で 「選択と集中」 をしたいんですよ。
自分は何者でもないし、なにか特別な才能があるわけでもない。
特に何ができるわけでもない、 そんな私ができることって 人より多く一つのことに時間を投入することなんですね。
そのためには「選択」が要ります。それも孫さんのいうように腹の底から、覚悟を伴った"選択" それほどまでの"選択"ができて人はやっと"集中"ができる。し続けられる。
集中ができるほどの、それほどまでの選択を私はしたいんですよね。 もちろんここでいうαである目標の達成を選ばないという選択もありますよ。
受験一筋なパターンです。それも一つの選択ですね。 例えばそういうパターンを選択し、集中できないのはαがあるからなんです。 とにかくこのα。これさえなんとかなれば。
またまた追記ですー
http://anond.hatelabo.jp/20100924192440
まぁ確かに。
高校生の娘は母親の言う事を鵜呑みにして一方的に信用するほど馬鹿じゃないし、父親にいい所があればお父さんあんなに酷い事を言われて可哀そうってなるよ。
ただ、できるだけ父の屑さは隠すべきかもな。
私の父も赤ん坊の私にジョークでビールを飲ませ私は高熱で倒れる、給料低くて食費もヤバいのに何台も趣味の高級自転車を買う、金がかかる恐さに病気になった母親をパニック状態でなじる、浮気する、志望校に合格したのに4大出た女なんて使えないんだよ!と罵られ短大に進学させられた、暴力等々かなりの屑人間だったけど、母は私が大学行くまではひたすら我慢して、出来るだけ娘の目につかない浮気などの父の屑っぷりを表に出さないようにしてた。
あのころはまだ二人とも高校二年生だった。夏の河合塾でしばしば顔を合わせて、同じ授業とっている人だな、と思いながらも会話を交わさずに通り過ぎていくだけだった。
友達とふざけている顔、一人で弁当を食べている横顔、誰かを探してきょろきょろしている姿、じっとうつむいて電車を待っている影、そういうのを横目で見ながらいつも通りすぎていた。
相手もあれ、という顔はするもの何も言ってはこなかった。階段を一段飛びで降りてゆくとよく、同じように一段ぬかしで階段を上ってくる彼とはち合わせた。
目があって、でも何も言わずに踊り場ですれ違うだけ。
一言も交わさずに冬が来て、また夏が来て、そして冬になった。
わたしたちは、高校三年生になっていた。相変わらず同じ授業をとっていて、いつの間にか名前も覚えていた。
ぼんやりと同じ志望校だということは分かっていたけれど、相変わらず言葉を交わすことはなかった。
二人か三人しかいないような授業でも、たいてい二人ともいて、なのに二人とも黙っている。
おかしくて、でも心地が良くて、私はしゃべらなかった。
見かけないと風邪でも引いたのだろうかと心配し、予備校を休む日は今日は何人授業に出ているのかな、と顔を思い浮かべたりした。
ほどなくして授業も終了し、入試の日がやってきた。
手ごたえをあまり感じなかった初日の試験の後にため息をつきながら電車に乗り込んで家路に就く。
かすかな不安と、でもまだ明日もあるし、と言い聞かせて奮い立とうとする自分のことばかり考えていて、あまり周りのことは見ていなかった。
まだ明るい空が大きく開けて橋梁にさしかかったことを知った時、ふと視線に気づいて首をめぐらせる。
少し離れたところに、彼はいた。
いつものようにあれ、という顔をしてまた何でもなかったかのように景色を眺める。
いつもの横顔。その横顔がオレンジ色に染まって、橋の影が規則正しい速さで流れていくのを見ていた。
私もまた、窓の外に視線を戻してぼんやりと疲れ切った思考を緩ませる。
結局入試には落ちて、また一年がめぐり、そして春が来た時、彼は再びあらわれたのだった。
人数の多い授業で、少し遅れて入ってきた彼は席を探しながら私の顔を見つけてあれ、という顔をした。
まだ知り合いの少ない大学生活の中で、慣れ親しんだその顔にひどく驚いたのを覚えている。
でも相変わらずそれだけだった。私の隣はあいていなかったし、彼は友人を見つけてその隣にするっと腰をかけた。
私は少しだけ、笑った。それだけだった。
そして、そういう出会いがまた何度もあって、そのたびにあれ、という顔をするだけで相変わらず私たちは言葉を交わすことはなかった。
それから六回の春が過ぎて、私たちは卒業し、それから何年たったのか定かではない。
私の記憶の中から彼は薄れて、でも時々高校時代や大学時代を回想するたびにあの、驚いたようなとぼけたような、何とも言い難い顔を思い出して、
それでも二人とも一言も言葉をかわそうとしなかったこともついでに思い出して噴き出すのだ。
あの日々は懐かしい記憶になってしまったのだと思っていた。
人事部長が、紹介しますと言って彼を連れてきたときに、また私は口の中であれ、と言った。
まさかこんな所で。
挨拶をしようとして周りを見回した彼も同じようにあれ、というあの見慣れた顔をして、
ほかの部署のあいさつに追い立てられてすぐに去って行った背中を見ながら、だれにも知られないようにこっそりと笑う。
まさか。
そして、また。
いや、今度こそは。
初めて話すときになんと言えばいいのだろう。はじめましてなのか、お久しぶりですなのか、それとも。そう考えて笑う。
彼とはまだ、社内で会ったことはない。
あの子を好きになってしまってからもう12年が経った。
きれいに言えば純情なのかもしれないが、自分でも粘着だなと思う。
「○○のこと好きでしょ?好きなタイプだと思うんだけど」
と言われたことだった。
言われた時点では全く意識していなかった。
それから少しずつその子を見るようになって、その子の事をだんだんと好きになっていった。
電話から大体半年経ったくらいくらいの頃に、その子に彼氏がいることとそれが部長だということを知った。
家庭環境の影響もあってか単に大人ぶりたい年頃だったのか、
と思っていた(思おうとしていた)時期もあった。
部長は真面目で学業の成績もよく決してブサイクではなかったし、若干頭が固いくらいしか欠点は無かったように見えたので勝てないと思っていた。
初めて携帯を買ったときその子は携帯を持っていなかったけど、携帯を買ったと知った日にはメアドと番号をなんとか聞いた。
友達としては仲が良かった(と思う)ので、多少の遠慮はしつつもメールをした。
ちょっとしたやりとりで凄く気持ちが盛り上がっていった。
自分の人生を振り返って、あまりにも不幸な事柄に溢れている人生に希望を持てなくなって自殺しようかと考えたりもした。
でも、その子に告白するまでは生きようと思った。
高三の秋頃、彼氏とわかれたことを知った。
それを知ってしまった俺は、好きすぎて切なすぎて大学受験のための受験勉強に身が入らない状態になってしまった俺は意を決して告白をした、メールで。
もうこの時に、俺は全てに負けていたんだと思う。
振られた。
センター試験直後にたった一人の親が脳梗塞で入院したこともあって、まともな精神状態ではなかった俺はセンター試験に失敗した。
放課後の愚痴こぼしタイムで、その子も含めて男女あわせて7人くらいで一緒にしゃべっていたのだが、恋愛談義になった。
その子が「この中で付き合うとしたら○○(=俺)だな」と言った。
二次試験も失敗した。
志望分野が違うのでクラスは違ったけど、自習室の席取をしてあげたり、図書館で一緒に勉強したりした。
友達に送るはずが間違えて「○○(=その子)が目の前にいて見とれちゃって勉強できない」と本人にメールしてしまったりした。
学部の偏差値としては現役の時よりもやや下になるけど、やりたいこともなかったしその子と同じ時間を過ごしたかった。
秋頃、また告白した。
やっぱりどうしても女の子として好きなんだ、と。
振られた。
「良い人だと分かっているけど友達以上には今は見れない」
と言われ、彼氏がいることを聞かされた。
旧帝の男だった。
模試の合格率はその子が常にAとかBばかりだったのに対して俺はほとんどDとかだったのだけれど、センター試験は俺が成功してその子は失敗してしまった。
それでも諦めずに志望大学・学部を変える気はないということで俺はどうにか二次試験突破できるように学業成就祈願で有名だった神社のお守りを半日かけて買いに行ったてプレゼントした。
センター試験だけでほぼ合格が決まっているような状況だったので余裕があったのもあったけど、好きな女の子が頑張っているのを少しでも何か力になりたかった。
本命の二次試験当日朝、電車の駅で待ち合わせして一緒に受けに行った。
試験後の会話では俺の回答の間違いを指摘されたりしていたのでその子の出来はそんなにまずくはなかったと思っていた。
泣いた。
しばらくはしつこくメールをしていたと思う。
大学生になった記念の飲み会帰りに途中下車してその子を駅から送っていこうとしたりした。
その子の友達に無理を承知で頼んで写真をもらったりもした。
今までその子は優しいから迷惑そうな顔をしなかっただけなのではと思うようになった。
少しメールが減った。
それ以降、数カ月に一、二回のメールと年賀状だけのやりとりの距離になった。
数年後の去年、部活以降も趣味として続けていたもののイベントにその子を呼んでみたら来てくれた。
相変わらず馬鹿みたいに可愛く見えて、天使のように見えて、やっぱり自分は好きなんだということを改めて自覚してしまった。
「相変わらず可愛いね」
「そんなこというの君だけだよ」
というやりとりが精一杯だったけど。
今でもやっぱり時々会いたくなるし、抱きしめたくなるし、近くにいたいと思う。
でも、就職で他県へ俺は出てしまったのに対して、その子は地元で働いている。
一緒の時間を過ごせないからその子に俺を好きになってもらう機会もない。
会う機会もないから会話のネタも無いのでメールも年一回するかしないかという程度。
mixiもその子はログインしなくなったから今どうしているかもわからない。
その子の声、顔、仕草、他人への優しさ、金銭感覚、思いやり、ファッション、常識感覚、その他もろもろ、人生で出会った女の子で最も好きだと断言できる。
その子と結婚できるなら他に何もいらないと思える。
その子のためなら死ねるとさえ言える。
でも、忘れたい。
吹っ切りたい。
前に進みたい。
どうしようもなく好きなのは現実。
付き合うどころか会うことすら非常に難しいのも現実。
その子に会いたいということ以外、人生でやりたいことがないと思えるのも現実。
その子がこの世から消えてしまったら、俺も消えてしまうと思うのも現実。
でも、忘れたい。
切なすぎるから。
私はサボり魔である。筋金入りで予後不良の。
幼少の頃から厭なものから逃げ続け気がついたら三十路になってた。そんな私はサボり癖が元で精神を病み社会生活を送れない体になってしまった。
ふつうの精神疾患なら投薬と適度な休養で概ね治るはずなのだが、私の場合はサボり癖という精神疾患の根元になるものがあるので質が悪い。投薬も5年以上続いているし、休養も自分でもうイヤだと思うほど取った。でも治らない。ある程度回復したと思い就職活動して仕事を始めるが長続きしない。そしてクビになってまた精神的にダウナーになり休養が必要になる。こんなのを何度も何度も繰り返した。真面目に職歴書いたら30近くになるんじゃないだろうか。20代もそんなのに翻弄され暗黒の時代、黒歴史になった。気がつけば三十路である。もう後はない。
少しづつ焦りだしてきた私はふと考えた。何故こんな風になってしまったのだろう、と。
私のサボり癖の根元を語るには幼少の頃からの話をしなければならない。
私がまだ幼稚園にも入る前の事だ。当時の私は英語に非常に興味を持っていた。よく買い物に出かけた横浜駅のジョイナス地下駐車場は英語でブロック分けされていて、それを見て初めてアルファベットという物に触れた。何故か判らないけどアルファベットが非常に気に入ってしまい英語という物に少しづつはまるようになった。
ある日TVで英語教室のCMをやっているのを見て母に「これかよいたいー」とせがんだことがある。母はその申し出に協力的で父に頼んでみる、と言ってくれた。それを聞いてワクワクしていたのを覚えている。
しかし父は「まだ習い事するなんて早い!」と、私の幼い願いを一蹴した。英才教育なんて言葉があった時代か判らない。グローバル化のグの字もまだ無い時代だったし英語の将来性を見いだせなかったのかもしれない。ともかく私の願いは絶たれてしまった。
そのことについて父を恨むつもりはない。でもちょっと根に持っている。だってもしその時英語教室に通っていたら私の人生は大きく変わっていただろうと思う。飽きっぽいけどのめり込む時はとことんのめり込む私のことだ、通訳とか外資系でエリート・・・なんて言わないけど少なくても英語には不自由しない人生を送れたかもしれない。
ある春の日のこと、私は父に呼び出された。そして「出かけるぞ」みたいな事を言われ、半ば強引に車の乗せられて駅前のダイエーに連れて行かれた。何が起こるのか全く判らない私、何も言わず私の手を引っ張る父。?マークを頭に3つくらいグルグル回しながら連れられて行き着いた先スイミングスクールの上の階の階段を下りた先の小さな部屋だった。父は「ほら行け」と言わんばかりに私をその部屋に置いてどこかへ行ってしまった。
何ここ何が起きるの?
幼いながらも恐怖した。
部屋には私と同い年くらいの子供が数人いた。大人も何人かいて、何か冊子のような物をを配っていた。私の順番がきて冊子を渡される。そこでようやく理解した。冊子の中身は全て英語だった。
父がどう心変わりしたのか判らないけれど、私は数年越しに英語教室に通うことができたのだった。
しかし、だ。
それは遅すぎた。
小学校3年の私はもうすでに英語に対する興味を失っていた。正直、いまさら?だった。
それから4年間英語教室に通った。楽しいこともあったし、友人もできたけど根底にあったのは「苦痛」だった。
その苦痛が形としてでることがあった。それは「逃避」。有り体に言うとサボリだ。一人で自転車でダイエーに行くのでサボることがバレることは基本的に無かった。何度か買い物に来た母親にサボってコロコロ読んでるところを目撃されて大目玉を喰らったことがあるがそれでもサボる事は止まらなかった。年数が経てば経つほどサボリはエスカレートしていき週一回の教室に月3回サボるなんて酷い事態になることも多々あった。何が厭だったのかは今となっては思い出せないがサボりたくなるくらい苦痛だったのは覚えている。
初めの頃は問題もスラスラ解けて楽しかったのだけど、ランクが上がって難しくなってくると少しずつ「苦痛」になってきた。苦痛になると私は逃避を始める。サボリ始めたのだ。きっかけは些細だった。友人が「今日サボんね?」と言ってたのだ。それに乗ってしまって後はそのままズルズルと・・・。これも週二回の教室で月数回しか通わない程になり公文の講師のおばちゃんに「ちゃんと毎回来なさい!」と毎回言われたものだった。
それから中学に入って少しして英語教室は辞めた。学校でも英語の授業が始まったしこれ以上受ける意義を当時の私は見いだせなかったのだ。
公文はサボリながらも中学卒業まで続けた。高校受験の時はさすがに真面目に公文で勉強した。でもそれは友人が周囲にいっぱい居たからであって、私一人だけだったらどうなっていたかは判らない。
一番の志望校じゃなかったけど目標にしていた地元の公立高校に入学した。
高校時代は楽しかった。今までの人生で一番楽しかった。友人もたくさん居たし、心から楽しいと思える授業もいくつかあった。そのせいもあって驚くことに三ヶ年皆勤で卒業式の時に表彰されメダルを貰った。
なんというか極端だな・・・と。
しかし、その影にも私の逃避、サボリ癖はあった。
高校では三年間図書委員だった。特に理由はなかったけれど図書委員になっていた。
図書委員の活動は図書室の貸出係の業務と月一回の委員会活動があった。貸出係は昼休みと放課後に当番であったのだけどこれに私は全くでなかった。当番は殆ど放課後だったのだけど、早く帰ってゲームしたい盛りだった私はとにかくサボってサボりまくった。たぶん3年間で10回出てないんじゃないかと思う。委員会は強制参加なので仕方なく出たのだがその時よく「貸出係をサボる輩が居ます。ちゃんと出ましょう!」とほぼ名指しで委員長に言われることがあった。挙げ句には「てめぇいい加減にしやがれ!!」とキレられたこともある。それでもゲームがしたい、寝たいばかりにさっさと自転車で家に帰る自分が居た。救いようがない。
この頃まではサボっていても何とか回っていた。学力はそこそこあったしテストでも苦手科目の数学以外はそれなりの点数を取っていた。
しかし、だ。努力する者としない者。その差をまざまざと見せつけられることになると当時の私は知らなかった。
高校二年の冬のこと。そろそろ大学受験も視野に入れなければならなくなってきた。周囲でも予備校に入学して対策を講じる者が増えてきた。
私も「予備校かー、どうしようかなー」と脳天気なりにも意識し始めていた。ある日、図書室の前にあった予備校案内のチラシを見て何枚か持ち帰り検討し、その中から一行選んで入校することにした。両親は特に何も言わずに入校を許可し私は予備校に通うことになった。
地域ではマイナーな予備校だったが友人もいることが判り喜び勇んで予備校行く・・・はずだった。
予備校は私が想像していた以上に過酷なモノだった。英語は毎回英単語テストがあったし数学は高校よりもずっと高度だった。正直ついていけなかった。ついていけない結果はテストでダイレクトにアウトプットされる。志望校合格ランクDとかEとか当たり前だった。
今までどうにかなっていたモノがどうにかいかなくなってしまった。劣等生。そんなレッテルを貼られた気がした。
高校3年になって予備校に行かなくなった。辞めたわけでなくサボるようになった。劣等生な自分を認めるのが厭だった。劣等生であるという事実を突きつける予備校に近づきたくなかった。英語の授業は友人が来いとうるさかったので月に数回出た。数学は全くついていける気がしなかったのでチューターの人に怒られるまで殆ど出なかった。高3から受講し始めた化学は授業がすごく面白かったし得意科目で余裕でついていけたのでこれだけは出席率が高かった。それでも7割ってところだけど・・・。
がんばった者とがんばらなかった者
逃げなかった者と逃げた者
大学受験--
無論私はボロボロだった。無惨だった。
センター試験で自己採点。数学は2点だった。得意の化学でも5割いかなかった。
死を覚悟した。
一般入試が始まった。
私は高校担任教師の薦めで無名のFラン大学の化学科を受けた。目標にしていた大学は「絶対に無理だからやめろ」と言われた。返す言葉もなかったので大人しく言われた大学を受験した。
結果。補欠合格。
はは、引っかかちゃった。
当時の私は安堵した。浪人生活をしないで済んだから。浪人は落第者で敗北者だと思っていた私は本当に喜んだ。
でも、気がつかなかった。おまえは運が良かっただけだ。
だって・・・「努力したのかい?」
大学生活が始まった。中学からずっと同じの友人が一緒の学校だったので初めはよく一緒に登校した。学科は違ったので登校と昼休みくらいしか一緒ではなかったけど知る人が居ない学内ではとても安心できるものだった。
大学1年の授業は楽しかった。特に有機化学と分析化学が好きだった。2年から生物化学の授業があってそれを目標にしていきたいと思った。
しかし、異変は訪れる。とある教科を落としてしまった。有機化学の概論。難しい授業だったけど好きな授業だった。ただ落としただけなら来年取り直せばいいだけなのだが、この授業はとても大きな、そして致命的なものがあった。
偏屈で有名だった生物化学の教授が設けたハードル。私はものの見事にそれに引っかかってしまったのだ。
何かが壊れた。
大学2年。目標の生物化学を受講できず腐った。さらに悪いことにほかの授業が難しくなった。特に物理化学は私が苦手だった物理の概念が入って手に負えなくなってきた。
苦痛になると訪れる甘い囁き
「逃げちまえよ」
それにあがらえる訳がなかった。
初めは大学内の図書館で本を読むだけだった。それから街のゲームセンターになって・・・兎に角大学に近づかなくなった。金だけは親から必要額貰っていたので不自由はしなかった。適当に旅に出て時間つぶして家に帰るとかざらだった。
その差は歴然と表れる。
いままでどうにかなっていたものがどうにかならなくなった。
背中に火を付けられたような感じがした。
兎に角焦った。
焦って勉強をする。でもついていけなかった。下の学年の授業を受けることも多々あった。誰あいつ落とした上級生?だせぇ。そんな声が聞こえてきた気がした
「ニゲチャイナヨ」
でも逃げると今度は留年だ。
逃げちゃダメだ
逃げちゃダメだ
逃げちゃダメだ
14歳の少年は逃げずに立ち向かうことを選択したのに20歳のアホは逃げることを選んでしまった。
不安焦燥感、誰かに笑われてる感覚、必要以上に自分を責める。木の棚にカッターで何度も切りつけて酷い跡が残ったこともあって母親にそれを見られて酷く心配されたことがあった。
ロクな精神状態じゃないときにロクな思考はできない。
真っ暗な夜道の中をひたすら逃げているような状態だった。
次の年の春。私は留年した。
その日私は父親に叱責された。この後どうするんだ、と
ロクな精神状態じゃなかったので思考は回らず兎に角逃げることしか考えられなかった。
がんばるから、がんばるから
この時はそれで何とかなった。
留年生活のことは正直覚えてない。思いだそうとしても頭がアクセス拒否をする。
唯一判るのは焦ってどうにもならなかったこと。そして逃げ回っていたこと。
翌年、再び私は留年した。
二度目の父との対話。
今度はなかった。
そして社会に放り出された私は働かなければならなかった。当時は引きこもりもニートという言葉もなかった。父親には働けと強く言われたので働くしかなかった。
ハローワークにあししげく通って何度も何度も追い返されてとある会社の研究所に拾われた。
そこは農薬を作っている会社の研究所で初めはそこの農場のアルバイトと言うことで面接を受けた。
でも、せっかく化学のバックグラウンドがあるんだしということで話が少しぐらついた。
とっさだった。とっさに私はこう言った。
何でこう言ったのか今では判らない。
しかしそれは項をそうした。「じゃあそういうことなら勉強する意味も込めて」と研究所の助手で採用してくれることになった。
運が良かった。
研究所での仕事は本当に楽しかった。学校で習いきれなかった事も学べた。とにかくがんばったので会社も評価してくれた。
「今はアルバイトだけどがんばったら正社員にもするよ」なんて総務の部長さんが冗談めいて言ってくれた。
本気にしてがんばろうと思った。
でも、なんでなんだろうね。上手く行かないときはとことんうまくいかない。
入社して少し、変な奴が研究所にいると言うのを知った。
「同じ位の歳だし仲良くしたら?」と言われてそいつに会いに行った。
すんげぇイヤな奴だった。
京大大学院卒というのをさりげなくアピールしてFラン中退の私を見下してくる。
正直あんまり関わりたくなかった。
なんでだろうって。
殆ど歳同じなのにあのいけ好かない奴は京大大学院卒で正社員、私はFラン中退でバイト。この差はなに?
それがずっとこびりついて離れなかった。
それはそいつと顔合わせなくても研究所内に居るだけで考えてしまう。
「苦痛」だった。
とにかくとにかく苦痛だった。
また別の日、通勤のバスに乗っていると不思議なことが起こった。
降りるべき停留所に近づくにつれて妙に息苦しくなるのだ。そして頭が真っ白になって「ニゲロニゲロ」って告げてくる。
そして降りるべき停留所が来た。
降りられなかった。
こんなことは初めてだった。なにが起きたか判らなかった。
その日は慌てて次のバス停で折り返して事なきを得た。
それから数日同じ事が何度も何度も続いた。症状はエスカレートする。降りるバス停が延びていき遅刻が酷くなる。それを上司に注意されたら今度は体調不良で休むととっさに電話で言うようになってしまった。
さらに数日して何とか出勤できた日、所属部長に呼び出された。
怒っているわけでなく本当に心配しているようだった。なので症状を正直に話すと
「無理はしないようにしてほしいけど、勤怠が悪いと正直こっちも困る」
と言われた。
その日早退し精神科を探した。
小さなクリニックで老医師がこう言った。
「そりゃウツだ」
そう診断され一日三日分のホリゾンを貰った。
ホリゾンを飲んだけど少しぼんやりしただけであまり変わらなかった。
それからも朝の戦いは続いた。負け戦ばかり。
「大切な話があるから明日は必ず来るように」
と
翌日。何とか私は出社した。
そのまま会議室に連れて行かれた。
そこには研究所の所長と所属部長が居て3対1の面談が始まった。
「単刀直入に言う。辞めてくれないかな?」
総務部長がそう言った。
あぁ、クビか。
後は事務的に話は進みその日のうちに私は解雇された。
どこも悪いところではなかったけれど、必ず不思議なことが起きた。
朝起きて家を出ることはできるけど電車やバスで最寄り駅に近づくと呼吸が荒くなって怖くなる。頭は囁く「ニゲロニゲロ」と
そんな状況に陥り全く出社ができなくなってしまったのだ。
最長で半年、最短で一日。これはクビになるまでの日数。
職歴は正確に書くと30は行くんじゃないかと思う。
ここ1・2年はさらに酷くなり、部屋から出られなくなってしまった。
朝起きてその時点で恐怖発作と「ニゲロニゲロ」という囁きが頭を支配する。
精神科にはもう6年かかっている。
はじめはホリゾンだけだったけど今は抗鬱剤3種類と抗不安薬、睡眠薬まで貰って飲んでいる。
挙げ句には自立支援の申請をして精神障害者手帳まで交付された。
ふと思った。何でこうなってしまったんだろう、と
最近また会社をクビになったので少し考える時間ができた。で、考えを整理するためにこれを書いている。
結論を言うと私のこの病気の根元は「サボり」だと思っている。
「苦痛」からの「退避」。小学校の頃の英語教室からずっと続いているこの癖。これが原因じゃないかと考えている。
おそらくこれは正しい。
正しいことは判ったが対策がわからない。
生来のサボり魔たる私はどうしたら正常の社会的な生活を送れるのだろうか?
そもそも私の病気は何だ?
精神科で投薬治療は受けているがこれだけでは改善にいたっていない。というかここ最近悪化しているとすら思う。直近でクビになった会社では不安の恐怖、あと鬱的思考から自殺をほのめかすメールを送ってしまい大騒ぎになった。
年々悪化しているこの「現象」
いったいこれは何なんだ?
どうしたら治るんだ?
どうしたら社会的な生活を送れるんだ?
だれか、教えてほしい
小学生だか中学生だかの男の子が自殺した、というニュースを見た
一緒にニュースを見ていた祖母に、悲しいからお前は自殺なんてしないで頂戴ね、といわれたのを覚えてる
割りと年齢の近い子の自殺だったというのも一因だったと思う
それ以来、何となく寿命を全うして逝こうと言う気になれない
A高校以外認めないという親類縁者一同からのプレッシャーの中での高校受験期(結局A高校に受かった)
センター8割取れなくて志望校E判定の大学受験期(結局前期に受けた第1志望と私立は全部落ちて、後期に受かった大学に入った)
内定取れなくて6月頃まで就活していた時(同業の人からも「そこはやめたほうが…」といわれるところに内定決まった)
そう言う人生の節目じゃなくても、卒論の中間報告の前日とか、審査稿の提出の前日とか、ピアノの発表会の前日、嫌いな習字塾のあった水曜日、何故か勝ち上がっちゃった水泳大会の日…
そういう些細なことで死のうかな、と思うようになった
小学生の時のタイムカプセルが送られてきたけど「まだ生きてるの?何が楽しくて生きてるの?この先も本当に生きていて楽しいと思うの?」なんて言葉が出てきた時には笑った
早期発症の厨2病を10年以上引きずってるようなもんなのかな
小学生時代にははさみで足を切ったりしていた、中学時代にリストカットをしては見せびらかすことが学年で流行っていたのを幼稚な人たちだなと思いながら結局自分も影ではリストカットを繰り返していた。
高校時代には具体的に死ぬ方法を求めて自殺マニュアルとか自殺のコストとか南条あやとか買って、そこからネットにハマって、自傷行為を繰り返す日記をつづっている人たちの日記を読んだり、たまに掲示板なんかで全然関係ない趣味の話とかしてた
大学に入ってからは一人暮らしを始めて結構楽しくやれていたと思うのにやっぱり折に触れて死にたくなる
別に生きているのが辛いとかそう言うことは全然ない
自分の人生に頑張って乗り越えられない壁は今のところなかったし、多分これからもそこまでの壁はないんじゃないかと思う
まぁ、非コミュだし、デブス喪だし、性格悪いし、どもりだけど、これまで何とかなったんだし。
でも、ただ、なんか死にたい
別にうつ病とかじゃないと思う。食べ物を食べて美味しいとかまずいとか思うし、眠くなるし、面白い映画見れば笑うし。
続きが気になるドラマとか、行きたい場所とか、食べたいものとか、世に言うところの未練もたくさんある。
長女だし両親の老後とか、祖父母の老い先だとか、あとは妹の大学受験とか就職とかも気になる。
でもやっぱり「確実に死ぬ方法がありますよ」って言われたら迷わず死ぬと思う
「大学生の自分」は想像できていたけど「社会人の自分」は想像したことなくて、ぶっちゃけ今でも想像できない
何となく、今が節目なんじゃないかなと思ってる
今を乗り越えたら、多分そのまま「世間並み」を目標にしてそれなりに生きていくと思う
でも、乗り越えても大していいことなんて無いよね
だんだんと受験シーズンって感じになってきましたね。この時期になると思い出すことがあります。
志望校を全部落ちて藁をもつかむ気持ちで急場しのぎで対策して小論文試験に及びました。
するとその問題文が明らかにおかしい。文章の意味が繋がっていない。
ちらほらと試験管に聞きだす人がいて私も聞いてみると「いやぁ、そのままやってください」。
そのままやると明らかに変な文章になるのだがどうしようもないので支離滅裂な文章を作ってしまった。
試験が終わってから何人かが抗議に言ったので私も加わった。
するととりあえず試験管よりも偉い人(役職忘れた)に会えることになり抗議を続けると問題文を作成した人が出てきた。
「これはこのままであっている」「出題意図を話すことはできない(不公平が生じるのでって理由だった)」
私は途中で疲れてまぁいいや一浪するつもりだったしと引いてしまった。
それにそこは毎年学校側が過去問と一緒に答えも出していた。それを見れば納得するかもしれない。
しかし、私はもっと愕然とすることになる。大学が過去問として出してきたのには問題文が修正されていた。
そして、それまで行っていた答えの発表を取りやめたのだ!私は人生でこれほど怒りを感じたことはなかった。
一緒に抗議した人とはその後ファミレスでご飯食べて今でも友達です。たまにこの話題も出て一緒に怒っています。
だんだんと受験シーズンって感じになってきましたね。この時期になると思い出すことがあります。
志望校を全部落ちて藁をもつかむ気持ちで急場しのぎで対策して小論文試験に及びました。
するとその問題文が明らかにおかしい。文章の意味が繋がっていない。
ちらほらと試験管に聞きだす人がいて私も聞いてみると「いやぁ、そのままやってください」。
そのままやると明らかに変な文章になるのだがどうしようもないので支離滅裂な文章を作ってしまった。
試験が終わってから何人かが抗議に言ったので私も加わった。
するととりあえず試験管よりも偉い人(役職忘れた)に会えることになり抗議を続けると問題文を作成した人が出てきた。
「これはこのままであっている」「出題意図を話すことはできない(不公平が生じるのでって理由だった)」
私は途中で疲れてまぁいいや一浪するつもりだったしと引いてしまった。
それにそこは毎年学校側が過去問と一緒に答えも出していた。それを見れば納得するかもしれない。
しかし、私はもっと愕然とすることになる。大学が過去問として出してきたのには問題文が修正されていた。
そして、それまで行っていた答えの発表を取りやめたのだ!私は人生でこれほど怒りを感じたことはなかった。
一緒に抗議した人とはその後ファミレスでご飯食べて今でも友達です。たまにこの話題も出て一緒に怒っています。
初投稿です。はじめに断っておきますがすごく後ろ向きです。
後ろ向いてる自覚くらいはある。
泣きながら打ってるので支離滅裂かもしれないです。
色々あって3年間ずっと断続的に不登校です。
詳しい経緯を書くと間違いなく身バレするので伏せますが、今の学校が嫌いだとかいうことでもないし、いじめられてるわけでもない。
ただ行くのが無性に怖い。根本的なところでは授業が分からないから。あと休み続けてる時は他人の反応が怖いから。
何か絶対行かないといけない理由(替えがいない仕事を請けたからとか、友達と貸し借りする本があるからとか)がないと、ぱたっと月単位で学校に行けなくなる。
「いけなくなる」としか言いようがない。体中の元気がなくなってしまったような気分になって、布団から出られないから。
で、そんなことを繰り返してるから授業聞いても分からないし、当てられたら答えられないし、テストの点も酷い。
休んでばっかりで分かったらちゃんと聞いてる人が怒るだろうけど。
それに加えて欠席が多いのも加味して成績つけられるから、テストよりも更に酷くなる。
頭は悪くないんだから、やればできるんだから、って親や友達には言われる。
でも現実にはできないんだ。
出席も成績もひどい。多分、大学受験は愚か、卒業できないんじゃないかってくらいに。
受験に関してはやりたい学問があるわけでもなくて、志望校も全然決まってない。
腕一本で食っていけるような才能があるわけでもないし、継げる家業もない。
いずれは働かないと、いつまでも親の脛を齧ってるわけにも行かないのは知ってる。年金暮らしになった親を困らせるようなニートになるくらいなら樹海なり冬山なりで死んでくるつもり。(親に「本当に卒業も受験も就職もできなかったら適当に消えるから老後の心配はするな」って言うと逆に老後の心配の心配なんてするなって言われたけど)
食っていけるほどでもない趣味は色々あった。文章書くの好きだったし、写真取るの好きだったし、楽器を弾くのも楽しかった。オタクだからネットでSS読んだり書いたりもしてた。本もよく読んだしゲームも好きだった。
だけど、近頃は創作意欲がめっきり無くなって楽器を弾けなくなったのは勿論のこと、ゲームさえ億劫。
結果、寝て食っての生活を送ってる。
言うまでもなく勉強するような気力はない。
精神系の病気かな、よく聞く鬱病かなって思って学校のカウンセラーのところにも行ったし、精神科にも行った。
メンタルクリニックとか言うようなところも行った。神経科にも行った。
でもどこ行っても「自分に自信がないだけですねー」とか「不安なだけですねー」って言われるだけ。
じゃあ私が甘ったれだから学校行けないほど体重くなるのか。死にたくなるのか。そんなにダメな人間なのか。
どんどん追い詰められるような気持ちだった。
一番最近行ったところで、初めて先生が「抑うつ気味かしら?」って一言だけ呟いた。でもそれだけ。やっぱりお前はただのダメ人間だって言われるのが怖くて二度目に行けてない。
もうダメかもしれない。
ただの甘ったれ何だとしたら、こんなに苦しくても甘ったれたまま逃げ回っていられるような甘ったれなんて、とっとと死んでしまえって思う。社会のくずだ。
いきなりですけど、友人に恋愛の不満はここに書くとよろしいと教わったので、ちょっと昔にあったことを書こうと思います。
信じていただけないかもしれませんが、決してネタではありません。
話は去年の4月頃にさかのぼります。当時の彼女と私は進路の話をしていました。彼女は早稲田志望で当時の私は阪大志望でした。ちなみに、どうでもいいですけどその彼女は性格から雰囲気からなにからなにまで『らき☆すた』のつかさにそっくりでした。で、その日は彼女と一緒に夜まで勉強し、学校の近くの彼女の家まで彼女を送りに行ったのですが、帰り道の途中でもう少し一緒にいたくなり、結局近くの地下鉄の駅でもう1時間くらい話し込んだのでした。
彼女と志望校を教え合ったところ、まあそうなるだろうとは思っていましたが、『大学でもずっと一緒にいたいから近くの大学を受けてほしい』と言われました。私は当時阪大はA判定で東大はD判定だったのでけっこう迷いましたが、まだ時間はあるし、彼女のためなら頑張れると思って東大を受けることに決めました。
それから時間がたって体育祭の時期になりました。大勢で騒ぐのが好きな彼女は準備にもかなりの頻度で参加していたようですたが、勉強でそれどころではない私は全く参加できませんでした(夏休みの私は、本当に毎日16時間勉強していました)。正直これはまずいな...と思って彼女にそのことを話したら、私が勉強で忙しいのは分かっているから全然気にしてないと言ってくれたので少し安心しました。
その後、体育祭予定日に雨が降ったために体育祭は延期になりました。そして不幸なことに、その新予定日が塾の東大数学一日講座と重なってしまいました。私は数学がかなり苦手で、その講座はかなりためになるという噂を聞いていたので前から絶対に参加するつもりでいました。もちろん準備をしていた彼女のことを考え当日だけでも参加しようとは思っていましたが、それで東大に落ちたのでは元も子もないと思い、結局は講座の方を選びました。その旨を彼女に伝えたら『一緒に体育祭やりたかった、そばにいてほしかった』というメールが返ってきてしばらく連絡が取れなくなりました。
それから、なんとか会って話してもらう約束をして2時間くらい会って話しましが、やはり『寂しかった、私は自分が行事にも一生懸命参加するタイプだから、それが共有できないならこのままの関係ではいられない』と言われました。彼女の気持ちを分かってあげられなかった私がダメだったと思いましたが、すでに遅かったです。そうして私たちは別れました。
それから私は無気力状態になりかけましたが、これで東大まで落ちたら本当に話にならないと思い毎日彼女のことを思い出しながら勉強し続けました。勉強中もずっと彼女のことが頭から離れませんでしたが、合格したらもう一回会って、本当に反省していると伝えようと思って頑張りました。
そうして受験を終え、無事東大に合格した私は合格発表日に彼女に電話しましだが、その時彼女はちょうど部活の打ち上げ中だったので日を改めることにしました。それから一週間後ぐらいに会ったのですが、久しぶりで緊張しながらでも一緒にいられて楽しかったです。ただその顔を見ていて、私がここでもう一回告白しても彼女に迷惑をかけることになるんじゃないかという気持ちが生じてきました。それで、結局そのときは散歩をして公園で話をしてバイバイしました。
その日の夜に高校の友達にそのことを伝えたら『何が何でも好きって言え』と言われました。人の意見で動かされるのもどうかと思いましたが、今まで頑張ったことを無駄にするのもよくないと思いその日の夜に彼女に電話しました。電話では、まだ好きだということ、体育祭から毎日反省していたこと、これからは何よりも大事にすることなどを伝えました。彼女の返事は『すごく嬉しいが、またきっと前みたいになると思うから彼女にはなれない。一緒にいるとすごく楽しいのは今でも変わらないから、連絡もしてほしいし、私は全然男友達がいないから、そういう関係でこれからもいてほしい。』という感じでした。私も、これ以上だらだら話しても意味ないと思ったので『◯◯(彼女の名前)がいたからここまで頑張れたし、◯◯と付き合わなかったら東大には行ってなかったと思う。本当にありがとう。これからも頑張って。』と言って終わりにしました。
で、それから今までだらだらと東大生活を送っている状態です。高校時代の友達の女の子に相談しているうちに、その子のことが好きになったような気がして2回ほどデートに行ったりもしましたが、それでも最近は元彼女のことばかリ考えてしまいます。
こんな私はどうすればいいのでしょうかorz
十八才の時、自らの進路を決めるために志望校を決めた。本当は十八才なんて若さで将来のことなんか分かるわけないのに、その時の感情のおもむくままに、また周りの友人に流されるままに進路を選んだ。
冬になってセンターを経て受験が始まった。どこの会場に行っても、殺気に似た息づかいがひそひそと聞こえてくるようだった。寒い校外とは別に、教室の中だけは熱気に満ちていた。
第一志望の受験は一番最後だったのだけれど、その前にいわゆる「滑り止め」をいくつか受けた。受験しているときは自分が自分でないような気がして、もしこのまま受かってここに来ることになったら、いったいどんな四年間(以上)を過ごすことになるのだろうと不安にも思っていた。
幸か不幸か、その学校には合格した。あとは第一志望の受験を残すのみとなった。
第一志望の受験会場に行ったときには、足が震えていた。それは決して寒いからではなくて、周りのあまりの士気の高まりに自分がついて行けず、怖くて震えていた。それぐらい周囲の誰を見てもやる気に満ちあふれていた。
この時点で負けは決まっていた。当然ながらその学校には落ちてしまった。それも完敗だった。受験会場を後にした時点で負けを自認していた。
親には反対されたが、もう一度、第一志望の学校を来年受けてみようと思った。自分の進路に対する思いというものが、この敗北により徐々に明らかになっていくのが分かった。そう考えると、一度落ちたということは良かったことなのかもしれない。
四月になり、みんなの新生活が始まった。無事進学した者はそれぞれの場での活動が忙しいし、自分たち浪人組もまたこれから一年の戦いが待っていた。
最初は不安だった。勉強をするのは苦ではないが、それだけでこの貴重な十代最後の年を過ごしていいものか。また、勉強したからと言って確実に受かる保証をいったい誰が与えてくれるというのか。
これらの不安を払拭してくれたのは友人たちだった。授業が終わると一緒にファストフードやカラオケにいってお互いを励まし合った。自分が一人でないことを確認できた。みんなで一緒に壁を乗り越えていこうという気持ちになった。
やがて夏になり、秋が過ぎて、冬が来た。
今年もセンターの季節になった。しかし一年前とは違っていた。自分が進むべき道は自分の頭の中ではっきりと描かれていた。だからモチベーションを維持できた。この一年間、友人たちとも話しながら、決して遠くない将来の自分たちの姿を語り合ってきた。こうあるべき、とまではいかないが、こうなりたい、という希望や願望を夢とともに話し尽くした。
そんなバックボーンを抱えたまま、センターの会場に向かうと、周りの人間を圧巻した感じになる。自分は自分の力で道を切り開いて進んでいるのだという自負がある。
その年のセンターは大成功だった。予想以上といってもいいぐらいの成績を収めることができた。
二月になって、試験もいよいよ本格化してきた。昨年、事情により「蹴っ」た学校にも再び合格することができた。そしてまた、いよいよ、第一志望校の受験の日がやってきた。
受験会場に着いたときは、去年の自分とは違っていた。去年の自分のような人を横目に見ながら、さっそうと会場を練り歩き、目的の教室へと向かっていた。昨年と同じ会場で、二回目の会場なので、余裕もあった。
試験中は自分の最大限の力を発揮した。迷いはなかった。緊張もどこかへ吹き飛んだ。あるのは目の前にある真っ白な答案用紙のみ。そこに思いの丈をこれでもかとブチ込んだ。周りを威嚇するために、わざわざ大きな鉛筆音を出してカリカリと答案用紙を真っ黒にしてやった。
試験が終わって会場を出たときには、何とも言えない達成感があった。自分はやり遂げた。目標や夢というものに向かって歩き続けているという現実感を感じていた。そこに結果は必要ではなかった。自分の成長具合に自らが興奮していた。
約二週間後、合格発表があった。
…自分の番号はなかった。
もちろん泣いたが、そこには進歩した涙があった。これはあくまで予定調和で仕組まれた道なのだと、後になって十分に納得した。やるだけやって、自分が進んできた道は間違ってないと確信していた。結果というものは運命の導きであるから、それは胸を張って受け入れなければいけないと思った。
…結局、その後に受けた第二志望の学校に無事合格した。そして入学した。そのことについて、何ら負い目はなかった。確かに自分が想定していた進路は変更になったが、それについてはこの一年間で十分に吟味して、いろいろな可能性を考えていた。人間、どういう道をたどることになっても、そこで自分の力を発揮できればいいし、そうでなければいけないということを分かっていた。
結果的に受験自体は成功はしなかったけれど、この一年で得たものには限りない財産性があることを実感した。
一年前と比べると、自分の意志が確固としたものになっていたし、この一年間は決して無駄ではなかった。単なる時間つぶしのためのものではなかった。この一年がなければ、自分は人生において大きな欠損を抱えたまま生きていくことになるのだと思った。
浪人を勧めているわけではないが、人はどんな状況においてでも自分の価値を見出し、その価値を実現するために行動できるということが分かった。その信念に基づいて行動すれば、一般に辛いといわれる浪人の状況でも前向きに生きていくことができた。
今ではこの一年というのは、自分の人格形成を司った、極めて重要な一年だったということができる。そして友の存在。彼らとは未だに全く関係が切れていない。むしろ年々盛り上がっている。
自分は、こんな素敵な一年をこんな素敵な友と過ごせたことに感謝している。この時点において、自分の人生はまだ「点」に過ぎなかったが、今やそれは現在につながる「線」になっている。「点」が多くなければ「線」は存在し得ない。
そして今もまた、mixiやインターネットを経由した色々な面から「点」の形成をなしえている。感謝してもしきれない。
思えば、自分がもし第一志望に合格していたら、今の自分はなかった(もちろん別の自分があるのだけれど)。そう考えると、今の「線」のつながりを振り返り、また、前を向いて「線」を展望するに、不合格だったことはまさに運命のなせるものだったのかもしれない。
今、友人として多くの人と交流させてもらっている。これは運命なのだと。そしてその運命を今は楽しんでいるし、受け入れている。加えて、運命の「線」を先に延ばそうとがんばっている。その過程がとても楽しくて幸せである。
人によって「幸せ」といったものの定義は違うだろうが、少なくともここに一人、人生において「幸せ」をありがたく享受している人間がいる。たとえささやかなものであれ、それがみんなに行き渡ることができたらこれほど素晴らしいことはない。
人は、どんな状況からでも「幸せ」を獲得することができる。無駄な時間は一秒たりともない。自分が「幸せ」になろうと思えば、誰だってそうなることができる。間違いなくできる。「幸せ」になる権利がある。
かあさんへ
もう私を結婚させようとするのはやめてください。孫はあきらめてください。
私は既に34歳です。まだまだ大丈夫とおっしゃいますが、私のような内面に子供っぽさを抱え自己の肯定もできない人間は到底恋愛や結婚などできようもありません。
なぜなら相手に要求するものが異常に大きいくせに自己の提供するものがないからです。
なぜこのような人間になってしまったのかはわかりません。わからないから、どう修正したり治療して良いかもわかりません。
それでも昔はかあさんの期待に応えようと無理を重ねてきました。
いとこの子が中学受験をすると聞けば私も進学塾に通うようになりました。いとこは大学までエスカレーター式のすごい学校に入りましたが、私はその第一希望には落ち、ただの中高一貫に入ってあなたを落胆させました。私の心は既にここで1回折れました。
ただの中高一貫と言ったら母校が怒るかもしれません。当時東大に30人規模で合格させていましたから。早慶は100人規模でしたか。でも、そんな高校から私が受かったのは第4希望のただの地方国立大学で、先生から「本当に受かったの?でも本当に行くの?浪人しないの?」と言われるほどの劣等生でした。下から30番ぐらいでしたね学年で。心がもう一回折れたときでした。
大学生活が始まってしばらく、私はもう疲れ切っていて、何度も留年しました。でもかあさん、その間は弟にかかりきりであまり干渉してきませんでしたね?それとも2回も大失敗した子はどうでもよかったのですか?
なんとなく生活して、なんとなく研究室に住んで、なんとなく修士に行って、なんとなく論文を投稿して、なんとなく学校推薦の面接に行って、なんとなく1部上場企業に就職したら割と失敗でした。子会社に出向名目でとばされて、でも本社の人事部は子会社での採用でしょという態度をとりました。出向者まとめて捨てられたのですね。
明らかに数年でなくなりそうな会社だったので(数年ではなかったですが実際に来年あたり無くなるそうです)、そこで小学生以来の頑張りを発揮してようやく中小企業ですけれども自分が仕事に興味を持てて頑張ることのできる会社に移ったではないですか。なぜ不満そうなのですか。会社の名前の方が子供の将来のキャリアより大切なのですか。
そうしたら今度は孫がみたい孫がみたいとおっしゃる。
あのですね、もう私充分かあさんの言うとおりにしてきたではないですか。日常生活のああしろこうしろという指示を素直に聞き、進路だってそれはお望み通りとはいきませんでしたが、志望校のリストを作る段階でどんなに編集が入った事やら?情報系に進みたかったのに、あっちには凄い子ばっかりなんだからあんたには向いてない、なんて片っ端から削られたこともありました。意味がわからないですが、従ったではないですか。
私の20代前半はそんな疲労から回復するためだけに費やされました。やっと自分の人生になったという安堵でいっぱいで、愛だとか恋だとかが割り込む隙間はなかったのです。20代後半は失敗した就職からの回復しか考えていませんでしたし。
私は健全な恋愛観をはぐくむべき年齢にかあさんのロボットとして過ごしたからか、まだ1度も人を好きになったことがないからか、異性に対する要求がひどいのです。条件を羅列していったらそれは神様みたいなひとになってしまいます。
そりゃここ何年かちょっとは頑張りましたよ。かあさんがやいのやいの催促するから。でも、勉強や仕事と違って、恋愛感情をかきたてるなんてどうしたらよいのか全くわかりません。
私は同性も異性も好きになれません。というより、自分を含めて人類の誰も好きになったことがありません。かあさんのことも好きではありません。結婚できて子供ができたとして、多分その子供も好きになれないのではないかと思います。
自分も誰も好きでないのに、結婚なんて。できるわけがないです。
もう私を結婚させようとするのはやめてください。孫はあきらめてください。
かあさんのいいなりになって生活するのは、大層つらいのです。
だからソニーが叩かれるんじゃねぇの?
え、どうして?
開発が難しいとかローンチで躓いたとかはあくまでもソニーが自ら犯した戦略的なミスであり、結果的にソニーはそれで色々と不利益を蒙ってるんだから「自業自得」ってだけで、余所から批判されるいわれはないだろう。その結果としてバンナムやスクエニはMSの金に飛びつかざるをえない状況に陥ったのも、ソニーのミスが原因ではあっても批判されるような話じゃないと思うが。どこか第三者に不利益を与えているのなら話は別だけど。
たとえるなら、「第一志望校に入りたい(シェアトップになりたい)受験生(ソニー)だけど、勉強しなかった(開発が難しい、サポートが手薄、発売日に台数を揃えられなかったetc)ので第二志望校にしか合格出来ませんでした。」というだけの話でしょ。それで受験生を批判するロジックの入り込む余地はないと思うけど。