はてなキーワード: 高校受験とは
http://d.hatena.ne.jp/p_shirokuma/20120112/p1
稽古事や学習塾は放課後や休日に通われるものであり、それらが増えるということ=それだけ友達とのスケジュール調整が難しくなるということ であり、一人で遊ばざるを得ない時間が増えることでもある。
稽古事や学習塾が、同年代と遊ぶ時間を奪うだけのものであるというのは間違い。
中学受験の塾では、志望校ごとのクラスが作られるので、そこで中学入学前に友達を作っておくことができるし、
高校受験の塾でも同様のことが行われていた。
稽古事や学習塾は、別の学校に通っている同級生との出会いを生む場になっている。
友達や配偶者が居ないデメリットを金で解決できるようになったからだと思う。
だから一人暮らしは成り立たず、誰もが「親の家から出てすぐ結婚」もしくは「親の家から出て下宿を経て結婚」という道を辿っていた。
家事負担が家電の登場という「技術の進歩」によって軽減した今では、男たちには無理に結婚して他人と同居し、養ってやる必要がない。
女たちにとっても、均等法の施行によって自力で稼ぐチャンスが生まれたので、好きでもない男で妥協してまで結婚する必要がない。
旧世代の人間にも、今の世に生まれていたら結婚などしていなかったという人間は多いのではないか?
熟年離婚の多さがそれを物語っているような気がする。彼らは元々結婚に向いていなかったのに、結婚しないと生活できないから無理に結婚していたのだ。
友達が居なくても生きていけるようになった理由も、「技術の進歩」だ。
ゲームが無いころヒマでヒマでしょうがなかったのが、ゲームをやって楽しく過ごせるようになった。
自力で解決できない困ったことが起きたら知人に解決策を聞かなければならなかったのが、ネットで調べれば知人より精度の高い答えを得られるようになった。
夜中に急にものが必要になったときそれを持っている知人を頼らなければならなかったのが、深夜営業の店が増えて簡単に入手できるようになった。
ニッチ・レアな製品を手に入れるためにはオタクコミュニティに属して関係構築しなければならなかったのが、
ネット通販やオークションで金さえ払えば手に入れられるようになった。
「技術の進歩」によって、コミュニケーションをしなければ得られないものが減った。
コミュニケーションをとらなくても生きていくことが、欲望をみたすことができるようになった。
今あえてコミュニケーションをする人々は、コミュニケーションが目的である人だけだ。
コミュニケーションを手段としてしか捉えていなかった人間は、今の世の中ではする必要がなくなった。
それによって少子化による経済停滞や孤独死の増加による巡回コストの増加も進むだろうが、時代を元に戻すことはできないだろう。
友達同士の助け合いには金銭が絡まないので税は取れないが、友達がおらず企業によるサービスを利用する人からは税を取れる。
恋人同士や夫婦間のセックスには金銭が絡まないので税は取れないが、キャバクラや風俗では税を取れる。
国の思惑はそうだったのかもしれない。
今の若い人達は「日本は悪い事をしたと教えられた」と言っているが、自分(現在30代前半)のときはそうでもなかった
自分の頃にやったのは
----------------------------------------------------
⇒「数年後、日中戦争開始。辞めどころがなくズブズブに。」
----------------------------------------------------
ってな感じだけど、今見返しても別に間違っていないと思う。
教科書にだってハルノートは書かれていたし、高校受験でも範囲内だった。
確かに近代史の頃には学年末で殆ど飛ばされた感はあったけど、今の歴史の授業ではこの辺もごっそり抜けちゃってるんでしょうか?
それとも歴史を勉強してなかった人達が「俺達は学ばなかった」と言っているのでしょうか?
それとも上記のような事(「中国戦線の引き際をミスった」等)を言うだけで彼等の言う「自虐史観」なんですかね?
基本的搾取権と言っても、基本的に誰でもが持ってるわけではなく、当たり前のように与えられているわけでもない
そう見えるだけでそうじゃない場合もあるし、本当に搾取的な事をしている場合もあるだろう
2chって学歴とかすごく気にしてる人もいる。yahoo知恵袋だと本当にそんなに気にしてない人もいるのに。例えば子供の進路でも単純に偏差値で決めるのでなく、校風やクラブ活動が活発かどうかなども基準に、本当に選んでいる人たちもいた。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1054596645 中学生の娘が偏差値55の私立高校に受かったのに、48の公立に行きたがってます。
自分は私立に行って欲しいのですが、本人の意思がかたいようです。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1111557701 高校受験を経験した方、志望校は何をみて決めましたか?(設備、部活、校風etc.)
来年受験の中3なのですが、どうしても偏差値だけで判断しがちになってしまいます。
2ch運営の削除要求に対する対応について、官僚的と評されてたのを読んだ事もあるが、硬直した柔軟性を欠いた態度、それがやりたくて仕方ないような空気を感じないでもない。
それに、あの仕組みは、作った人だけが得をしているのに、商業主義に乗せられてないと思っているのも不思議だ。
あと、ユーザーは、やたらルールに従うのが好きw そして新規の人をそれに従わせるのも好きw
だけど、元々は他の人が作っていた掲示板にマルチポストして宣伝して、客を奪ったのが始まりだから、ルール違反した人が作ったシステムという矛盾
なぜ、商業主義を嫌っているのを推奨したり、商業主義と関係ありませんよ、というポーズをとるかと言えば、自分達以外の商売をそこでさせないため。(これは当たり前でどこのサイトでもそうだろうけど、商業と関係ありませんよというポーズを取ってた)
2ch運営(初期運営?)ほどうまく搾取できてない集団だと思うけど、体質としては、そういう資質を持った人が、多く集まった印象を受けた。
しかし、みんなで搾取しましょう♪とか、音頭取ってやってるわけではないだろうから、自然とそういう感じになったのか、たまたまそう見えるだけか、よくわからないけど
何が似てるんだろう 何かが似ている
素じゃない感じとか、悪い意味で老成しているところとか
自分に対して不思議な事をしてきた人が、考えてみたらやってる事が親と似ているなあと思い、どういう心理や心境でこういう事をするのだろうと、探ってたら、やばい結果を探り当ててしまって・・・
これは、もう何たらハウス関係なくごく個人的な事だろうな、と思ったが
こういう人を、引き寄せてしまう魅力が何かあるのかもしれないとは思う。
閉じた世界を感じる
カウンターカルチャー的ではなく、強いものの味方で、弱そうと見たら、権威主義的な態度を取るw そんな感じ
実際、権力者の近くにいる人がいて驚いた。 無茶やってるように見せながら、力に阿り擦り寄り
切ったら血が出るような、人間的な感情の発露というのを、止められてるのか、切捨てられてるのかわからないが、人間的感情の発露が理解できない。
こういうのって、今年問題になってる地震後の原発問題に対する東電の態度が官僚的な事や、官僚全般(中には頑張ってる人もいるかもしれないが)や日銀とか、弁護士や医師、の一部の態度にも通じる態度のような気がする。それを真似してるような。所謂困ったエリートは、搾取が当然と思ってて、高校生ウルトラクイズの賞金か何かだと思ってるのかもしれないと思う。
真似してるというか、そういう良くない力がある事を知って、それを肯定しているようなところはあると思った。
書いていた創作か実話かわからない話に、精神病院の中の様子が出てくるものがあった。その中の患者の様子の描き方が、医師にとって都合が良い描き方をしていた。それは、そういう人ではなく、そういう状態の人なのではないのだろうか?そして、それを治すのが、サポートしたりケアしたりして治すのが、医師の仕事のはずなのに、それができてないのは医師の責任ではないのか?
それを認識してない、その視点からの指摘が無い、抜け落ちているのはなぜだろう?
強さ弱さしか見られなくて、それに対して自分はどう思うのかという自分の判断力が入ってない、ものすごく子供な状態のままいる、そのくせ力を欲しがるのか、子供だから力を欲しがる、のかもしれないが。
そんなにうまく力が手に入るとは思えないけど、だからこそ、弱そうなものを見ると見境がなくなるのかもしれないし、自分達のフィールドに引き入れてしまえば、それなりに力を保って人に接する事ができる仕組みを作っているというか、作ろうとしているのかもしれない
。。。。。。。という妄念
さえ湧き上がってきてしまうほど、個性的な人が集まっているのはなぜ?
ただのシェアハウスのはずなのに
俺は社会に出るまで中学受験というものがあるのを知らずに育った。
周囲にも中学受験なんてしている子はいなかったし、そもそも受験しに行く中学がなかった。
当然、小学生の塾通いもない。
さすがに高校受験はするが、無理をしなければ推薦で入学できてしまう。受験なんて行事みたいなものだった。
大学進学をはなから考えていないので、高校の選択で無理をしないわけだ。
余談だが、田舎ではレベルの高い私立高校がごく一部を除いてない。私立に行く=勉強できないと見られる。
中の上レベルの高校は公立に集中している。
親が低学歴だと収入が低い。私立の学費は払えない。必然的に公立に行く事になる。
大学に行くのは奨学金がもらえるほど優秀ではない限り、金銭的な問題で難しい。
親の生活が苦しいので子供にはすぐ働いて欲しいと思っているからだ。
30万規模の地方市
自分:幼稚園未経験→公立小学校→公立中学校→公立高校(偏差値63に推薦入学)→就職
親が低学歴でも中学や大学受験の選択肢があったり、私立中学や塾に行かせてもらえるだけのお金がある子はラッキーだと思うよ。
塾や私立にいけるのが当たり前ってのがもう、俺とは感覚ずれてる。
タナシュンこと田中〇くんのおかげで
この機会にOB(修正)の僕が青山学院について紹介したりアピールしたりしたい。
ちなみに運動部の掛け声は「あおがく~ファイ!」。
「あおがく~」は可能な限り低い声で唸り、「ファイ!」は甲高く叫びます。
叫び方に迷ったら知能〇〇者がテンションあがったときの感じで。
いや、ひょっとするとまあまあな私立大学の中でも一番熱が無いんじゃないのかな。
泥臭さとか熱血とかやる気とか変人とかとも無縁。
なんていうか、スマートじゃない人は来ないほうがいい。
法政大学でなら輝けた筈の土の匂いがする闘争ボーイも
間違って青学なんかにくると死んだ目で4年間過ごすことになります。
なんでしょう、青学の内部進学組は慶応のそれより一段二段、品が落ちる気がします。慶応に夢見すぎか。
青山学院の初等部というのはちょこちょこキナ臭い噂も涌く所でして
おっかないから僕は知らないですけど、部長の権力闘争とかどうとかが
週刊誌に載ったりhttp://www.asyura2.com/08/bd52/msg/300.htmlしちゃったりなんかもするんです。
で、これは僕は知らん、幼稚園からの内部進学組が言ってたことですが、
一時はすごくその、芸能人の子弟とかを積極的に受け入れたりしてた、らしいんですね。
躾の悪いボンボンや勉強が全く出来ない奴が多い、みたいな認識は学内にあったと思います。
はっきり「馬鹿組」と呼ぶこともありましたし、彼ら自身も自嘲していました。
中等部から高等部、高等部から大学へ、エスカレーター内部進学するときに
青学歴が長い人ほど成績が悪い傾向があるので、幼稚園上がりが一番落ちます。彼等が一番お金持ちなんですけど。
落ちる奴等はどうするかと言うと、お金持ちの子弟なので海外留学に旅立ちます。
これは「海外逃亡」とか呼ばれていました。
渋谷のどまんなかにあることと関係あるのか無いのか、高校デビューが多かったです。
内部進学組じゃなくて受験で高等部から入ってきた人、この一部がものすごい変貌をとげる。
入学当初は朴訥とした可愛らしい田舎もんみたいな感じだったボーイズガールズが、
彼等は大抵、内部進学組のバカボンとくっついて遊びを覚えるんですね。
バカボンが大学進学の際に落っこちない限り、この付き合いは大学でも続きます。
大学以外は体育会系の部活動も全部弱小で、ジョックス的な存在が居ません。
メイン体育会系としてはラグビー部、通称「ビー部(語尾が上がる)」がありますが、
その競技の特殊さから幼稚園や初等部上がりが多く、彼等は年度が上がるにつれ学業的に苦しんでいるので
高等部までくると一面哀れな感じの不思議なオーラをまとっています。
中等部の頃はそれなりに恐ろしいジョックスだったのに、この頃になると愛嬌が出てきている。
むしろこのあたりになるとバスケ部やサッカー部などのほうがたちが悪くなっていたりする。
文化部もパッとしないんだけど。
今はどうなのかな。
タナシュンくんがどうも周囲の友達に売られまくってるみたいですが
あれはすごく「ああ、青学だなあ」と、感慨深いものがありました。
そうです、青学の特性として、腐った人間関係の温床みたいな部分は割とありました。
なんていうか、仲良くしてる風の間でも実は仲悪い、みたいな。
だいたい長い奴等は15年ぐらいの風通し悪い付き合いを続けてるわけで
ほんとお受験とかエスカレーターもいいことばかりじゃないと思います。
そういう淀んだバカボンとつるむのはいきがった高校デビュー組なわけで、
まあなんか、若人らしいサッパリした感じや素朴さとは無縁な人間関係が現れます。
タナシュンくんがあそこまで嫌われてるのは彼個人の特殊な人徳でしょうが、
「仲間だから」「同じ青学生だから」みたいに庇い合わない傾向が青学生にはあると思います。
社会に出てからも青学学閥って見たことねえ。 まあ学閥作るほどたいした偏差値の学校じゃないんだけど。
社会で同窓生に会っても「へえ…」みたいな。よそ大学出身の同窓の仲良さに比べるとどうしても温度の差がある気がします。
受験で言うと、青学受かるぐらいの偏差値の人は本命別にあることが多い。
青学が本命だったよ、っていうのは中学受験でも高校受験でも大学受験でも少なめ。
どこかに落ちた一抹の挫折感を抱えて入学してる人が多い。
力いっぱい馬鹿なことやって打ち解けると言う機会も無い。
青学の文化祭は寒いです。高校も大学も。すごい出し物って見たこと無い。
アレ見ただけで熱量の低さとかわかってもらえると思う。
早稲田祭とかすごいよね。
大学の講師かなんかで狂った発言しまくってた不届き女が居たらしいですがあれはマジで例外です。
ああいう先生達から、青学独特の熱の無い半腐れ学生が産出されるのは不思議といえば不思議。
長々書いて結局何を言いたいかっていうと
タナシュンくんてすごく青学生らしいなあ…っていう。
とか、どこかに書いてあった。
そうだな。小学校高学年の頃にそういう発想があったらな、、と思った。
両親揃ってる子が羨ましかった。
元気に走り回る子が羨ましかった。
取り柄といえば、少しだけ成績が良かった。せいぜい上位10%内だが。
でも、大学行く金ないから意味ないと思った。今思えば、奨学金とかあったんだよね。
でも、喘息はよくならない。
そして、就職。
喘息は相変わらずだが、なんとかやっていけるか、と思ったが、入院。4回した。
でも最後の入院(2週間ICUで眠った)の後、発作が出なくなった。
たった1本の薬、吸入ステロイドの使い方だけで。
あれ?この薬こういうふうに使うんだ、、その薬は小学生の頃から出されていた。
発作がなくなると、不思議な感じだった。
でもこれが普通の人の毎日なんだな、これで普通に生きれるかも、と思った。
だから先に家を建てて、それから結婚して、子ども、の順番になった。
今思うと、結局、何も考えてない。
ただそうなっただけ。
結局、手持ちのカードで勝負するしかない、って書いてあったけど、
そんな事考えなくとも、みんなそうするしかないんだ。
意外とブクマされちゃったので、追記:
そう、自分でも気づいたけど、「手持ちのカードで勝負するしかない」って書いて、で自分の境遇書いただけです
その時の自分に言ってあげたいことは、
あんまり人を羨むな、
自分の境遇を嘆くな、
お前の人生そう悪くもないぞ
「今思うと、結局、何も考えてない」ってのは、手持ちのカードという意味で。
こんな境遇だから、必死で考えたよ。カードは切らないといけないんだから。
結果は、、半分空回りな感じ。
あのとき大学とか院に行ったら、どんどん求職状況悪くなる一方だった
他のカードでは、底辺私立の特待生ってのがあったなあ。どんな人生が待っていたのかな、、
実際は喘息悪化、成績低下w
思い出されるのは嫌な思い出ばかりだ。特に親戚がらみでの…
でも当時はそれに対して何も感じていなかったことの方が多かった…
いや何も感じていなかったと思う。
理由はわからない。そして、その後に必ず田舎の叔父さんにうちの母親が怒っていた。
「そんなことしないでくれ」
・親戚一同で旅行に行ったとき。1人が迷子になり全員で探した。
振り出しに戻る…わけじゃないけど最初にいた場所に迷子になった子が戻っていた。
「なんだこんなところにいたのか」と私は発言した。怒られた。
「こんなところ」を変な場所に嫌がってという意味で受け取られたようだ。
・小学生の時、七夕か何かに掲げる短冊に皆で同じことを書こうという話なった。
「いい大学を目指そう」なんてことを…
そのとおりに書いたのは自分だけ。他の人間は全く違うことを書いていた。
・小学生の時、同級生の家に遊びに行きファミコンの野球ゲームをやることになった。
メンバーを分けることになり僕は1人だけ。あとはゲームを持っている子のチームとなった。
・小学生の時、集団で遠出。同級生の家に一斉に戻ることになった。
…自分1人だけ戻っていた。あとの人は公園で遊んでいた。待てど暮らせどやってこない。
・中学時代。親戚一同で旅行に行った最後。腫れ物に触るような感じで扱われた…記憶がある。
・中学時代。ボーリングだカラオケだとそういうもので遊び始めるような時期に、「経験無いだろ」
とはなから決め付けられていた。「ああっ、あるよ」と言い返していたが未経験。誘われていくことになっても
自分抜きで話が進んでいたことがあった。
・中学時代の修学旅行や遠足。「こういうところ来たことがないだろ」と散々言われまくっていた。
・高校受験。希望校は合格したが、理解不明の理由をつけられて一番行きたくないところに行かされた。
・高校時代。いやここに至るまでずーっとそうだったような気がするが、自分から友達を作ろうとすることをしてこなかった。
中学時代まではそれでも仲良くしている人はいた。けれど、学校どまりだったと思う。高校時代は、こうした状況に加えて
行きたくない気持ちが勝っていたのでずーっとぼっちで、ごくまれに誘われても断ってしまっていた。理由はわからない。
・高校時代。法事が立て続けにある。親戚連中の親族自慢ばかりを聞かされる。
両親はそれをどんな気持ちで聞いていたんだろう。
・大学時代。アルバイト中心。サークルには、、、入学式のときに顔を出してみただけでそれっきり。アルバイト中心であっても
友達づくりをすることはしない。その場限りの関係。なんとなく親しくなる。そんな感じ。
・大学時代。「浪人なんかしやがって。どこそこのうちは有名大学に入ったのに。現役で」と散々言われる。
高校受験時に自分から希望を奪っておいてよくいうなと思ったが、じっと我慢の子。一浪で入学した大学は知る人ぞ知るという
有名でもなく無名でもなく偏差値もどちらかといえば多少はいいほうの部類に入るかどうかというようなところ。
・で、最近。机の中身とかPCの中身とか見たとしか思えない会話をいまさらしてくる両親。性癖までばれてるんだろうか。
それに気がついていたるところに鍵とパスワードをかけた。いびつな親子関係。
・思いつくままここまで書いてみたが、自分から人に話そうとしない。中学時代に「魔女の宅急便のパン屋のオヤジみたいだ」と言われて
よくわからなかったが、「ああそういうことだったのね」と今更ながら気がついた。
受験シーズンだなーとか思い出したから少し自分の大学受験のときのことを。
正直早稲田は確実に落ちると思ってて、マーチ辺りに入れたら御の字だと思ってたら合格した。
入院してたおじいちゃんに大学に合格したことを伝えたら、涙を流してくれた。
11月に脳梗塞?で倒れて、体の半分が動かなくなって声も出なくなってしまった。
声にならない声で、顔の前で4を表した手を出しながら「4年制か」と言っていた。
というのもうちのおじいちゃんは小卒。
おじいちゃんは5人兄弟の下から2番目で、小学校を卒業したら働きに出た。
小卒で働きに出るといっても、住み込みで住んでた部屋はとても汚くて、畳の上で寝たら痒くてたまらなくなるそんな部屋だった。
ちなみに軍隊ではお偉いさんのカバン持ちみたいなとこで体より頭を使っていたとか。
小卒だったけど頭は切れたおじいちゃんだった。
それから商売を始めた。
今でもこの商売を続けていて、うちの家族は生活している。
でも色んな人と話してる中で学歴を気にするようになった。
「小卒ということで悔しい思いをしたことはいっぱいあったと思う」と母親がいつだか話してくれた。
そんな悔しい経験があったからか、教育にはお金をかけてくれた。
自分の子どもは四年制大学には入れなかったけど、孫の俺らにも同じようにかけてくれた。
塾とか習い事とかは頼めば行かせてくれた。
(自営業から引退してなかったからうちの家計はある意味おじいちゃんに握られていたのね。)
そんで俺の話になるんだけど、俺は4人兄弟の末っ子ってこともあり一番可愛がってもらった。
高校受験で地域のトップ校に入れたことを言ったらおじいちゃんはちょっと誇らしそうだった姿は印象に残ってる。
そして大学受験。
そんな経緯があっての、おじいちゃんの涙。
おじいちゃんは俺が大学に入ってほどなくして息を引き取った。
勉強したくてもできなかったこと、それで悔しい思いをしていたこと。
勉強することで人を喜ばすことも出来るんだと思った。
兄弟4人、奨学金をもらうことなく4年制の大学を卒業出来そうなのはおじいちゃんのおかげです。
俺も子供に対して、したいと思ったことをさせてあげられるようになりたいと素直に思った。
駄文でスマソ
Twitterで犯罪行為をしようとしている人を見つけてしまった。
具体的にいうと、中学生なのにR18のエロゲをこれからプレイしようとしている発言。
どうやらその人のフォロワーさんからデータを貰い、DLしている途中っぽい。
メーカーと警察に通報したいのだけど、DL終わったとかプレイ中といった発言がないと
相手にしてもらえないだろうか。
また、もし通報する場合どこまでの情報を書けばいいのだろう。URLもどこまで添えればいいのか。
Twitterのid、年齢や住まいが特定できそうな発言、ゲームに関する発言で十分だろうか。
idだけ丸投げでは、発言を消されたときに何も追及できないですよね。
ゲームのデータをもらった側はTwitterアカウントを公開しているが、
あげた側はアカウント非公開だし。
わりとあてつけ発言もしてるのだが相手が発言を消そうともせず
あまりに堂々としているので、年齢勘違いだったらどうしようとまで思い始めてしまった。
こういうの初めてだからかなり戸惑っている。
背が縮んだ松山ケンイチといった容貌、メーカー下請企業の営業職。他の社員はオタクだらけ。
普通に就活して入社したらしい。手取りはギリギリ一人暮らしが成り立つレベル。
免許証の写真はホスト時代に撮ったものでガイアに囁かれているが、現在は黒髪短髪。
浮くのが苦痛で中学で不登校になり、高校受験もせず、先輩の紹介で水商売の世界へ。
父親違いの弟が一人居て、美容師。写メを見せてもらったけどまるで似てない。違った方向性のイケメン。
本人曰く14歳で童貞を捨てたという。女にだらしがない。短大生と32歳の人妻で二股かけている。
こちらも写メを見せてもらったが、短大生の方はあまり可愛くない。でも"素直で一途"なところがいいらしい。
パチンコから入ってエヴァオタになり、更に発展してアニオタ・ニコ厨化した。
おっさんと喫煙室で喋ったりマージャンしたりゴルフに付き合ったりして給料を得ている。
高校がつまらなかったので、在学中から水商売の世界に足を踏み入れる。
二十歳前後の頃、客のおっさんに非常に気に入られ、おっさんが社長をやっている会社に入社することになる。
奴隷的に働かされるヨソモン枠と、貴族で居られるコネ枠とのギャップが激しく、社内の空気は恒常的に悪い。
坂口安吾、澁澤龍彦、グランジロック、酒を愛する。ザル。病気のような飲みっぷり。
最近ボーダーの彼女に、叫びながら物を投げつけられた上に振られた。
振られたが、未だにメールや電話はガンガン来ると言う。ネットはあまりしない。
薄汚れた団地に黒塗りの高級車が出入りしていることの意味がわからなかった小学校中学年の頃、私は彼らと仲が良かった。
自動車整備工とスーパーのレジ打ちをしている両親が、無理をして私を四谷大塚に通わせるようになってからは、
急速に疎遠になり、長らく連絡を取らずにいたが、元ホストがmixi同級生で私を探し当て、元バーテンを交えて三人で飲むことになった。
あのころは何も知らなかったし、何も言わなかったな。
今では痩せているが、子供の頃は太っていた。
高校受験には失敗。滑り止めへ。
周りを見返そうと大学受験に挑むも、現役の時はこれまた失敗
一年間の浪人を経て、第一志望だった大学に入れたものの、現役で入った奴とか見ると「自分て・・・」とか考える。
地元の飲み会なんかではスゲー、スゲー、言われるんだけれど、自分としては全く喜べない。
つまり、何が言いたいかというと、
この慢性的な不満足感や劣等感を解消する方法はあるのだろうか。
例えば、コレから難関資格をとったとしても、それは帳尻合わせにすぎず、過去の失敗が消えるわけじゃないと思うんだ。
結局、人と比べるなってこと?分相応な目標を立てて生きるってこと?
基本、親族・親戚は信用も信頼もしていない。
『していない』というより『できない』のだと思う。
嫌いだけどこれが本音なんです。
いい年をした大人の男性がこんなことを言っても理解はされないでしょう。
むしろ気持ち悪がられるに違いありません。
でも僕は嘘はつけない。
もちろん表面的にはあわせますが、やっぱり気持ちに嘘はつけない。
皆々様のおかげでここまで育ってきたのだと思います。
でも、居場所を感じることはできなかったし
思い出されるのは『君はダメな人間だ』と言われた言動ばかりです。
高校受験。
その時には、自分自身が行きたくて受験して受かった学校には行けずに、最低最悪な状況でなければ行きたくなかった学校に行くことになりました。
今をして思えば、たぶん何がしかの理由があったのだとは思います。
でも、当時の自分にはそんなことを押して図ることはできません。15歳にもなってそういうこともできないのは恥ずかしいことなのかもしれませんが、当時の私にはそれができませんでした。
受験終了後、いやその前からも『受かってもやっていけない。おいついていけるはずがない』『合格、まぐれ。行くだけ無駄だ』
と親族には言われました。自分の記憶を美化していると言われるのなら私はそれで構わない。私は、当時の事に関しては今でも鮮明に覚えています。
間違いなく言われてます。
まあ、諦めさせるための方便だったのかもしれませんが、ショックではありました、、、
親戚関係は、そこまでストレートではないにしろ『そんなに頑張らなくてもいいじゃないか』と言われた。このことからも何がしかの理由はあったのだと思います。
いや、そう思いたい。
1年も経てばそんなことは誰しもが忘れてしまう。
いまや10年以上もあっていない親戚ばかりですが、当時は何故か会う機会が多かった。
その場では、いかに自分達の子供達の環境が優れていていかに頑張らせているか(本人が頑張っているか)を聞かされ続けた。
と人は言うでしょう。そのとおりだと思います。結局のところは本人が何をなすのかということに尽きるでしょう。
けれど、
不可抗力の部分で心理的に追い落とされて、追い落とした人間が優越感を浸るような発言を連呼する。
時間が経った今であればできる自信はある。
でも、当時の自分にはそれができなかった。
その当時の後悔。
なんだそうです。親の言うとおりに動くことが絶対なんだそうです。
結局、どんな努力を重ねてきても、このときのことがクリアされないままで歳を重ねてきてしまったのだと眠れない日々が続く。
『親しき仲にも礼儀あり』
しかし、微妙にひどい言葉を投げつつけられてきた人生だったと思う。
そんなことを気にしつついろんなことを諦めてきた自分の人生が情けない。
もう何もしたくない。
もう何もやる気が起きない。
*追記(H22.12.8 PM13:25)
人のせいなんかにしてないぞ。こんななかでも努力してもがいてんだ。
その裏にある心情を吐露しているだけだぞ。
まだわたしは人の生涯と言えるほどに生きちゃあいないが
もう考えなければならないんだ そのこの先訪れる生涯と言うものを
今のわたしの大小さまざまな選択肢が将来のわたしへ多大な影響を与えるんだ
思春期っつーか、若者独特の悩みではあると思う。自分でも酷く青臭く感じる。けど、悩まずにはいられない。
どうやったらより効率的に勉強ができ、学力が身に着くのだろうか?
高校受験が迫ってきて、ぼんやりとしてたもんが急にリアルに生々しくなってきた。わたしは受験をするんだ。自分の通う高校を決めるんだ。これは大変なことなんだ。
生まれて初めての大きな分岐点である。可能性は無限大、なんていうけど、目前に広がる道には限りがある。自分の学力に合ったところしか行けない。どうすればいいんだ。
今更だけど、受験生であることを実感した。すごく焦っている。
ポスドク になって 不良債権化 とか 文系にうっかりは入って就職難民という道もあるので、
大学なら何でも良いという事でもない恐怖。
文学部入って、趣味パソコンでもない奴がIT系とか 業界なめられてるというのもあるが。
なんにせよ。『串打ち三年裂き八年焼き一生 』 10年ぐらいは打ち込みたい物を早く見つけるしかないねぇ。
東大出てフリーターという奴もいれば、高専卒でもチェーン立ち上げて億万長者という奴もいる。
高校受験の時に進学校への判定が怪しくて、家が貧乏で 私立が厳しい > 有名校はあきらめて、スキル重視で高校選び・大学選び
自分が出来そうなこと。食えそうなことに絞って 高校受験から数えると もう20年 この道一筋でやってきて まぁ、それなりに食えてる。
当時の自分の偏差値が20ぐらい下の高校へ行って、あいつは実はバカだったとさんざん言われたけど、設備と教育方針で選んでITの最新設備がある高校へ。以後大学も同じ。
スキルは相当学んだよ。高校でアセンブラとか やってるような奴ばかり集まってたからね。
『あきらめ』なんじゃないかと思うけどね。
東大 早慶の理系か有名校の医学部に入れるかどうかで考えて、無理なら、
自分がこれなら喰える出来そう得意そうという道をさっさと見つけて妥協して、しがみつく。そして、その道に強い大学・専門>企業を選んでいくしかないと思うけどね。
だけど最近その「それなり」が駄目だったんじゃないのかって思うようになってきた。
それもひとつの考えだが、こうも言える。
つまり、世間的にやるべしとされているもの(勉強など)は、「それなり」にこなし、その浮いたリソースを「真の自分の仕事」に投入するということを怠ってきたために、今の状態があるのだと。
卑屈になっている自分を感じる。
別に今までそんなにみれない人生を送ってきたわけじゃない。
だけど最近その「それなり」が駄目だったんじゃないのかって思うようになってきた。
もっともっと頑張っていれば、伸びたんじゃないのか?もっといい学校に、就職先に、行けたんじゃないのか?
一杯一杯で余裕もなく、資格試験にも落ちる。
趣味で始めたはずの語学も、聞き取れない自分を責めるようになってきた。
人生に修正はきくのか?きくようにしないといけない。
そして、能力不足のわたしはうっそり笑う。
私になんて初めからできるわけがない、諦めろ。こんなもんだ。
だけどもう一人の私が叫ぶ。
もっともっとできるはず、やれるはず。諦めるな。
http://anond.hatelabo.jp/20100821065642の増田です。
元記事が増田にゃんねるに取り上げられ(http://masuda.livedoor.biz/archives/51477453.html)、コメントが多くついたので追記を書きたくなりました。
まず、漱石の「こころ」のセリフがコメントに多く出てきましたが、僕が今の考えを持つのに「こころ」は強く影響しているのではないかと思います。
元々、「精神的に向上心のないものは馬鹿だ」というセリフを僕は知っていて、漱石の作品の偉大な人物の格言なのだろうと思い、それを高校受験時に「やる気を出すため名言」として使っていました。ところが実際に読むと、「先生」は、友人であるKを出し抜き娘を手に入れるために「精神的に向上心のないものは馬鹿だ」と言っている。そして先生よりは向上心を持っていたはずのKは結婚話を聞いた後に自殺することになる。
この、僕が信条としていた「精神的に向上心のないものは馬鹿だ」というセリフがただのデマカセで、その言葉で友人を自殺させてしまった「先生」が、その無責任さを悔やんで長年後悔する、という構図に衝撃を受け、僕は虚無的な考え方になってしまったのかもしれません。
コメント内で「健常者で一人で生きていけないのは甘え。」「「周りが」不幸だから「自分が」幸せになれないっておかしいと思わないのか?」という意見に対して。
一生一人で生きていけたらそれは楽でしょうがそうもいかないでしょう。私が結婚するかどうかはともかく、姉はあまりあてにできないし、老後の両親の面倒は私が見なくてはならないと思っています。「そんな時代じゃない」という意見もあるでしょうが私が40歳くらいになることには「そういう時代」なんじゃないかと思っています。高齢者の割合的に。そういう意味も含めて、「周り」の不幸が「自分」の幸せの枷にならないか、という閉塞感を僕は持っているのです。
コメント内では多数の人が「自分がどうしたら幸せになれるか考えるべき」と言ってくれました。しかし、自分の幸せを追い求めようとしても、色んな枷があるのは当たり前であり、その枷が今後はどんどん重くなっていき、自分が頑張れなくなれそう、というのが私の心配なのです。
だらだら愚痴を書いてしまいましたが、心配してもキリがない、視野を広く持ちながら、適度に頑張るしかないですよね。
>「美味しいもの食べるだけで幸せ感じるやん」
ですよねーw
終わり。
あとついでにコメント1023さん、ニコニコを見ている人がみんなステレオタイプで馬鹿な若者だと考えているのですか?私だってニコニコくらい見ますよ? よっぽどステレオタイプなのは、そちらのような気がします。
妹は高校受験に失敗した
第1志望の公立に受からなくて私立に行った
母が「頑張った結果だからしょうがないよ、よくやったね」と声をかけたら
一言「ごめんなさい」と涙声で答えたそうだ
悔しかったろうになあ…
姉から見ても妹の受験勉強の必死さは伝わってたから何となくわかる
妹は妹なりに頑張ったからそれはそれでいいと思う
ただ妹から「この大学に行きたい」と申し出てきたので、家族で応援した(大したことしてないけど)
「高校受験の失敗を返上する」なんていって夜遅くまで予備校勉強していた
結果は「不合格」
ただ、同校の短大には受かった
母親に今度は泣きながら「悔しい、でも絶対4年制に編入する」と豪語していた
編入試験、無事受かった
そんな妹がいま大学4年
内定はまだない
高校大学と受験に失敗した妹だからこそ就職こそ成功したらいいなとひそかに思ってた
そのために私には何ができるんだろう
どうでも良い話だし、誰にあてて書くでもない。
でも、自分一人しか知らないと悲しむ連中が居るので書いておく。
我が家は男ばかり3人兄弟だった。3人も男がいれば、近所でも学校でもそれなりに有名と言うか、
誰からでも「3人もいると将来楽しみですね」って言われる様な感じだった。
親父は自営業なので、「3人で跡を継ぐんだね」云々と言うのは、枕詞みたいなもんだった。
いつの頃からか登校拒否をするようになった。
何やら蛇の様にネチネチしつこい担任に目をつけられて、
毎日の様にいびられる様になったらしい。
教師からのいじめだな。
そこで登校拒否になるわけだが、そんなのは学校だけのせいじゃなくて、
家の責任でもあるので恨み言は書かない。
(まぁ今時の教師にどれだけ覚悟があるか分からないが、教師ってのは人の人生を変えるぐらいの影響力があるって、
どんだけど命かけて教壇に立っているのか、それぐらいは認識して欲しいと思うが。)
その後はお約束のように「不良」というレッテルが貼られお約束の展開になって行った。
俺が中学に行った時にはもう、あいつの弟、って事だけで教師からも
その手のグループからも目を付けられて、そりゃもう肩身の狭い思いをした。
高校中退後の兄貴は、勿論仕事にも就かず、暴走族からその日暮らしのバイト、
金がなくなれば無心、そしてシンナー、と、そんな生活を繰り返していた。
高校を出て東京の大学に入学した俺は、そんな積み木崩しな生活から少し離れられた気がして、
家の状況の事をあまり考えなくなっていた。
大学の間に、兄貴は更正したのか?親父の会社を手伝い始めていた。
それでもまぁ、暴走族時代のまんま、70年代のアメ車を買って来ては改造して乗り回していたらしく、
いわゆるDQN成分は変わっていない感じだったが。。。
俺が帰省すると、「就職なんてしないで一緒に親父の会社手伝えばいいやん」と口癖の様に言っていた。
俺はそんな気は全然なかったんだが。。。
俺はバブル崩壊直後の東京と言う凄まじい環境の中で就職活動をしていた。
携帯だネットだと情報が氾濫している今より氷河期度合いは凄かったと思う。
とにかく思う様に就職が決まらず、焦っていた。
当時発売されたばかりのスーファミのストII大会を夜通し学校でやってそのまま飲み会。
阿呆の様な気晴らし方で毎日をして過ごしていた。
そんで徹夜明けの始発でアパートに帰っていたその日、実家から留守電が入っていた。
「電話して」
母親はいきなり、ごめんね、ごめんねと言い出した。
俺は兄貴が死んだ事を告げられた。
?
意味が分からなかった。
死んだって?
調子に乗って乗り回していた70年代のアメ車。それが老朽化していて、排気ガスが漏れ、
一酸化炭素中毒で死んでしまった。。。そんなバカみたいな死に方だった。
夏休みですぐに飛行機も手配出来ず、翌々日、家に帰り着いたのは通夜の最中だった。
客間が、なんか真っ白な布で張り巡らされていて、見た事ない人たちが走り回っていて、
その部屋の奥の方に祭壇があり、兄貴が眠っていた。
その日はそのまま明け方までそこにいた。
途中、ウトウトした時に、兄貴に呼ばれた。そんな気がして目が覚めた時もあった。
そっから葬式までほとんど覚えていない。
嫌なくらいに暑かった事と、直前に控えていた第一志望の就職先の試験の事だけを考えて、
ここで崩れてたまるかと、唇を血が出る位に噛み締めていた記憶だけはある。
長男は何時までも号泣していた。俺も泣きたかったが、負けてたまるかと、そんな事ばかり考えていた。
ここで見事就職決まれば美談だが、そうはいかない。物語の主人公の様にはいかなかった。
結局、その年の就職には失敗し、就職留年をした俺は1年遅れで地元の小さな会社にようやく就職し働き始めた。
長男はフリーターだった。当時はそんな呼び方もなかったが、バブル景気の
その真っ只中にいながら就職出来ず、フラフラした生活を余儀なくされていた。
実は長男はてんかんを患っていた。クスリで抑えながら、発症しないように、そんな生活を送っていた。
何年間か、発作が起きなければ完治。もし起きてしまえば治療のやり直し。
高校受験大学受験に失敗した長男からすると、高校、大学と順調に進学し、
留年しながらも就職した俺に対してコンプレックスがあったようだ。
実のところ、あまり仲は良くなかった。
というか、俺もどこか毛嫌いしている節があった。
そんな長男が、てんかんの症状も出なくなって、働ける様な体調になった、
遅ればせながら就職をし、「社会人」となり、次男の死以降、それまで落ち着かなかった
俺の家も、なんとなく落ち着き始めていた。
だけど、次男の事故から3年後。
また7月。
ひきこもり状態になっていた長男に対し、情けない奴、とぐらいにしか思っていなかった俺。
親は心配していた。手首に、今でいうリスカのあとがあったらしい。
あいつにそんな度胸はないっしょ、程度に考えていた俺。
ある日の夕方、俺を呼ぶ叫び声の様な親父と母親の声。
慌てて駆け付けた俺が見たのは、首を吊って自殺を図った兄貴の姿だった。
救急車を呼び、意識不明の兄貴と一緒に乗り込み、親より先に病院へ向かう俺。
訳も分からず、スローモーションの様に救急車のカーテンの隙間から見える流れる外の景色を見ていた。
親が来るまで、どれぐらいだったんだろうか、何時間にも感じた。
どうすればよいか分からず、入院の準備の為に看護婦が質問する事にも、
1人だけ取り残された待ち時間の間に一度だけICUに通された。
その時はまだ、長男の顔は人間の顔をしていた。なにか寂しそうに、
半分開いた目が宙を見ていた。
その顔に、何とかなるんじゃないかと、と言うか死ぬとかなんだとか、
そんな事は考えてもいなかった俺。
こんな時は泣けばいいのかなぁとか、漠然と考えていた。
何時間か経った明け方、親父母親揃って、俺達はICUの中に呼ばれた。
その中で見た長男の顔は、さっき1人で見た時の、まだ人間の顔をしていた長男の顔ではなかった。
どす黒く変色して、もう人間の顔ではなかった。
それを見た瞬間に、俺は悟った。
あ、もうダメなんだ。。。
医者からこれ以上の延命をしても回復する見込みがない事を告げられた。
その顔の変貌振りに、悟ってしまった俺は両親に告げた。
もういいよ、もういいよね?
何がいいだろう?何がよかったのだろう?この自分で発した言葉は、
今でも俺を苦しめるときがある。
そこからはテレビドラマを見ている様に、心音?が途切れ途切れになり…
そしてピーーーと言う音。
その瞬間、母親が泣き崩れた。
残されたこの子(俺の事)が可哀想すぎる!
泣き崩れても最初に出た言葉は他の誰でもない、俺に対する言葉だった。
今なら何となく分かる。俺は両親から愛されてると言うことが。
だけど、当時の俺は、もう自分の事だけで精一杯だった。
警察が来て、事情を聴かれ、遺書を探し。。。結局原因は分からなかった。
で、2人の兄貴の死を経験し、これで何か目覚めれば美談なんだが、
さっきも書いたけど俺はもう自分の事だけで精一杯だった。
もうそんな事に頭の中を占領されていた。
2人から取り残された思いがして、その不安に押しつぶされそうになり・・・
いわゆる鬱状態だった。
自分の事しか考えられない俺は、また、実家を離れて東京に戻って職を探そうかとも思った。
とにかく、ここから逃げ出したかった。その事を、ふと母親の前でつぶやくと、母親はその場で泣き出した。
親父からは、今はそんな事を言うなと怒られた。
それからもう、13年。次男の死からは20年近く。
立ち直れたかどうかは分からないが、いつの間にか、普段どおりの生活になり、
普通に生活し・・・そんな日々を過ごし、俺は結婚して3人の子供にも恵まれた。
また、夏が来る。7月が。この季節は、毎年なんか鬱になる。
どうして俺だけが生き残ったのか、そればかりを考えてしまう。
救急車の音、嫌なくらい暑い日に汗が出てスーツやシャツが肌にまとわりつく感覚。
とにかく一瞬意識が飛びそうになる。
もしも兄貴たちが生きていて、そして結婚し子供を作っていたのなら、その家族に語り継いで行ったであろう
俺達兄弟の話は、残念ながら、俺しか知らない話になてしまった。
だから俺は良く子供達に言う。
「真ん中のお兄ちゃんは喧嘩がものすごく強かったんだぞ!」
「一番上のお兄ちゃんは、ピアノとギターが得意だったんだぞ!」
俺たち兄弟の話は、親が死んで俺が死んだらもうそれで終わりだ。
だから、少しでもあいつらがどんな人間だったかを残したいんだ。
で、何にも教訓めいた事もなく悟りを開いた訳でもなく、
今もフラフラ右に左に迷い、突っかかり引っかかりながら俺は生きてる。
決して順風満帆でもなく清く正しくも生きていない。
だけど、やっぱり人間は生きている事が一番の幸せだとだけは思うようになった。
当たり前の様に明日を迎える事ができるのが、最高の幸せだと思う。
そして、自分を幸せにできるのは、やっぱり自分しかいないんだと思う。
どんなに人から施されようが愛されようが、自分を幸せに出来るのは、
自分が幸せだと思える、自分自身の気持ち以外にないと思うんだ。
お前らの中に、もし今の自分の置かれた環境に憤りを感じ、絶望を感じているヤツがいるなら、
死ぬ幸せを選んだ長男の顔は、俺には悲しい顔にしか見えなかったんだ。
誰の為でもなく、自分の為に。
私はサボり魔である。筋金入りで予後不良の。
幼少の頃から厭なものから逃げ続け気がついたら三十路になってた。そんな私はサボり癖が元で精神を病み社会生活を送れない体になってしまった。
ふつうの精神疾患なら投薬と適度な休養で概ね治るはずなのだが、私の場合はサボり癖という精神疾患の根元になるものがあるので質が悪い。投薬も5年以上続いているし、休養も自分でもうイヤだと思うほど取った。でも治らない。ある程度回復したと思い就職活動して仕事を始めるが長続きしない。そしてクビになってまた精神的にダウナーになり休養が必要になる。こんなのを何度も何度も繰り返した。真面目に職歴書いたら30近くになるんじゃないだろうか。20代もそんなのに翻弄され暗黒の時代、黒歴史になった。気がつけば三十路である。もう後はない。
少しづつ焦りだしてきた私はふと考えた。何故こんな風になってしまったのだろう、と。
私のサボり癖の根元を語るには幼少の頃からの話をしなければならない。
私がまだ幼稚園にも入る前の事だ。当時の私は英語に非常に興味を持っていた。よく買い物に出かけた横浜駅のジョイナス地下駐車場は英語でブロック分けされていて、それを見て初めてアルファベットという物に触れた。何故か判らないけどアルファベットが非常に気に入ってしまい英語という物に少しづつはまるようになった。
ある日TVで英語教室のCMをやっているのを見て母に「これかよいたいー」とせがんだことがある。母はその申し出に協力的で父に頼んでみる、と言ってくれた。それを聞いてワクワクしていたのを覚えている。
しかし父は「まだ習い事するなんて早い!」と、私の幼い願いを一蹴した。英才教育なんて言葉があった時代か判らない。グローバル化のグの字もまだ無い時代だったし英語の将来性を見いだせなかったのかもしれない。ともかく私の願いは絶たれてしまった。
そのことについて父を恨むつもりはない。でもちょっと根に持っている。だってもしその時英語教室に通っていたら私の人生は大きく変わっていただろうと思う。飽きっぽいけどのめり込む時はとことんのめり込む私のことだ、通訳とか外資系でエリート・・・なんて言わないけど少なくても英語には不自由しない人生を送れたかもしれない。
ある春の日のこと、私は父に呼び出された。そして「出かけるぞ」みたいな事を言われ、半ば強引に車の乗せられて駅前のダイエーに連れて行かれた。何が起こるのか全く判らない私、何も言わず私の手を引っ張る父。?マークを頭に3つくらいグルグル回しながら連れられて行き着いた先スイミングスクールの上の階の階段を下りた先の小さな部屋だった。父は「ほら行け」と言わんばかりに私をその部屋に置いてどこかへ行ってしまった。
何ここ何が起きるの?
幼いながらも恐怖した。
部屋には私と同い年くらいの子供が数人いた。大人も何人かいて、何か冊子のような物をを配っていた。私の順番がきて冊子を渡される。そこでようやく理解した。冊子の中身は全て英語だった。
父がどう心変わりしたのか判らないけれど、私は数年越しに英語教室に通うことができたのだった。
しかし、だ。
それは遅すぎた。
小学校3年の私はもうすでに英語に対する興味を失っていた。正直、いまさら?だった。
それから4年間英語教室に通った。楽しいこともあったし、友人もできたけど根底にあったのは「苦痛」だった。
その苦痛が形としてでることがあった。それは「逃避」。有り体に言うとサボリだ。一人で自転車でダイエーに行くのでサボることがバレることは基本的に無かった。何度か買い物に来た母親にサボってコロコロ読んでるところを目撃されて大目玉を喰らったことがあるがそれでもサボる事は止まらなかった。年数が経てば経つほどサボリはエスカレートしていき週一回の教室に月3回サボるなんて酷い事態になることも多々あった。何が厭だったのかは今となっては思い出せないがサボりたくなるくらい苦痛だったのは覚えている。
初めの頃は問題もスラスラ解けて楽しかったのだけど、ランクが上がって難しくなってくると少しずつ「苦痛」になってきた。苦痛になると私は逃避を始める。サボリ始めたのだ。きっかけは些細だった。友人が「今日サボんね?」と言ってたのだ。それに乗ってしまって後はそのままズルズルと・・・。これも週二回の教室で月数回しか通わない程になり公文の講師のおばちゃんに「ちゃんと毎回来なさい!」と毎回言われたものだった。
それから中学に入って少しして英語教室は辞めた。学校でも英語の授業が始まったしこれ以上受ける意義を当時の私は見いだせなかったのだ。
公文はサボリながらも中学卒業まで続けた。高校受験の時はさすがに真面目に公文で勉強した。でもそれは友人が周囲にいっぱい居たからであって、私一人だけだったらどうなっていたかは判らない。
一番の志望校じゃなかったけど目標にしていた地元の公立高校に入学した。
高校時代は楽しかった。今までの人生で一番楽しかった。友人もたくさん居たし、心から楽しいと思える授業もいくつかあった。そのせいもあって驚くことに三ヶ年皆勤で卒業式の時に表彰されメダルを貰った。
なんというか極端だな・・・と。
しかし、その影にも私の逃避、サボリ癖はあった。
高校では三年間図書委員だった。特に理由はなかったけれど図書委員になっていた。
図書委員の活動は図書室の貸出係の業務と月一回の委員会活動があった。貸出係は昼休みと放課後に当番であったのだけどこれに私は全くでなかった。当番は殆ど放課後だったのだけど、早く帰ってゲームしたい盛りだった私はとにかくサボってサボりまくった。たぶん3年間で10回出てないんじゃないかと思う。委員会は強制参加なので仕方なく出たのだがその時よく「貸出係をサボる輩が居ます。ちゃんと出ましょう!」とほぼ名指しで委員長に言われることがあった。挙げ句には「てめぇいい加減にしやがれ!!」とキレられたこともある。それでもゲームがしたい、寝たいばかりにさっさと自転車で家に帰る自分が居た。救いようがない。
この頃まではサボっていても何とか回っていた。学力はそこそこあったしテストでも苦手科目の数学以外はそれなりの点数を取っていた。
しかし、だ。努力する者としない者。その差をまざまざと見せつけられることになると当時の私は知らなかった。
高校二年の冬のこと。そろそろ大学受験も視野に入れなければならなくなってきた。周囲でも予備校に入学して対策を講じる者が増えてきた。
私も「予備校かー、どうしようかなー」と脳天気なりにも意識し始めていた。ある日、図書室の前にあった予備校案内のチラシを見て何枚か持ち帰り検討し、その中から一行選んで入校することにした。両親は特に何も言わずに入校を許可し私は予備校に通うことになった。
地域ではマイナーな予備校だったが友人もいることが判り喜び勇んで予備校行く・・・はずだった。
予備校は私が想像していた以上に過酷なモノだった。英語は毎回英単語テストがあったし数学は高校よりもずっと高度だった。正直ついていけなかった。ついていけない結果はテストでダイレクトにアウトプットされる。志望校合格ランクDとかEとか当たり前だった。
今までどうにかなっていたモノがどうにかいかなくなってしまった。劣等生。そんなレッテルを貼られた気がした。
高校3年になって予備校に行かなくなった。辞めたわけでなくサボるようになった。劣等生な自分を認めるのが厭だった。劣等生であるという事実を突きつける予備校に近づきたくなかった。英語の授業は友人が来いとうるさかったので月に数回出た。数学は全くついていける気がしなかったのでチューターの人に怒られるまで殆ど出なかった。高3から受講し始めた化学は授業がすごく面白かったし得意科目で余裕でついていけたのでこれだけは出席率が高かった。それでも7割ってところだけど・・・。
がんばった者とがんばらなかった者
逃げなかった者と逃げた者
大学受験--
無論私はボロボロだった。無惨だった。
センター試験で自己採点。数学は2点だった。得意の化学でも5割いかなかった。
死を覚悟した。
一般入試が始まった。
私は高校担任教師の薦めで無名のFラン大学の化学科を受けた。目標にしていた大学は「絶対に無理だからやめろ」と言われた。返す言葉もなかったので大人しく言われた大学を受験した。
結果。補欠合格。
はは、引っかかちゃった。
当時の私は安堵した。浪人生活をしないで済んだから。浪人は落第者で敗北者だと思っていた私は本当に喜んだ。
でも、気がつかなかった。おまえは運が良かっただけだ。
だって・・・「努力したのかい?」
大学生活が始まった。中学からずっと同じの友人が一緒の学校だったので初めはよく一緒に登校した。学科は違ったので登校と昼休みくらいしか一緒ではなかったけど知る人が居ない学内ではとても安心できるものだった。
大学1年の授業は楽しかった。特に有機化学と分析化学が好きだった。2年から生物化学の授業があってそれを目標にしていきたいと思った。
しかし、異変は訪れる。とある教科を落としてしまった。有機化学の概論。難しい授業だったけど好きな授業だった。ただ落としただけなら来年取り直せばいいだけなのだが、この授業はとても大きな、そして致命的なものがあった。
偏屈で有名だった生物化学の教授が設けたハードル。私はものの見事にそれに引っかかってしまったのだ。
何かが壊れた。
大学2年。目標の生物化学を受講できず腐った。さらに悪いことにほかの授業が難しくなった。特に物理化学は私が苦手だった物理の概念が入って手に負えなくなってきた。
苦痛になると訪れる甘い囁き
「逃げちまえよ」
それにあがらえる訳がなかった。
初めは大学内の図書館で本を読むだけだった。それから街のゲームセンターになって・・・兎に角大学に近づかなくなった。金だけは親から必要額貰っていたので不自由はしなかった。適当に旅に出て時間つぶして家に帰るとかざらだった。
その差は歴然と表れる。
いままでどうにかなっていたものがどうにかならなくなった。
背中に火を付けられたような感じがした。
兎に角焦った。
焦って勉強をする。でもついていけなかった。下の学年の授業を受けることも多々あった。誰あいつ落とした上級生?だせぇ。そんな声が聞こえてきた気がした
「ニゲチャイナヨ」
でも逃げると今度は留年だ。
逃げちゃダメだ
逃げちゃダメだ
逃げちゃダメだ
14歳の少年は逃げずに立ち向かうことを選択したのに20歳のアホは逃げることを選んでしまった。
不安焦燥感、誰かに笑われてる感覚、必要以上に自分を責める。木の棚にカッターで何度も切りつけて酷い跡が残ったこともあって母親にそれを見られて酷く心配されたことがあった。
ロクな精神状態じゃないときにロクな思考はできない。
真っ暗な夜道の中をひたすら逃げているような状態だった。
次の年の春。私は留年した。
その日私は父親に叱責された。この後どうするんだ、と
ロクな精神状態じゃなかったので思考は回らず兎に角逃げることしか考えられなかった。
がんばるから、がんばるから
この時はそれで何とかなった。
留年生活のことは正直覚えてない。思いだそうとしても頭がアクセス拒否をする。
唯一判るのは焦ってどうにもならなかったこと。そして逃げ回っていたこと。
翌年、再び私は留年した。
二度目の父との対話。
今度はなかった。
そして社会に放り出された私は働かなければならなかった。当時は引きこもりもニートという言葉もなかった。父親には働けと強く言われたので働くしかなかった。
ハローワークにあししげく通って何度も何度も追い返されてとある会社の研究所に拾われた。
そこは農薬を作っている会社の研究所で初めはそこの農場のアルバイトと言うことで面接を受けた。
でも、せっかく化学のバックグラウンドがあるんだしということで話が少しぐらついた。
とっさだった。とっさに私はこう言った。
何でこう言ったのか今では判らない。
しかしそれは項をそうした。「じゃあそういうことなら勉強する意味も込めて」と研究所の助手で採用してくれることになった。
運が良かった。
研究所での仕事は本当に楽しかった。学校で習いきれなかった事も学べた。とにかくがんばったので会社も評価してくれた。
「今はアルバイトだけどがんばったら正社員にもするよ」なんて総務の部長さんが冗談めいて言ってくれた。
本気にしてがんばろうと思った。
でも、なんでなんだろうね。上手く行かないときはとことんうまくいかない。
入社して少し、変な奴が研究所にいると言うのを知った。
「同じ位の歳だし仲良くしたら?」と言われてそいつに会いに行った。
すんげぇイヤな奴だった。
京大大学院卒というのをさりげなくアピールしてFラン中退の私を見下してくる。
正直あんまり関わりたくなかった。
なんでだろうって。
殆ど歳同じなのにあのいけ好かない奴は京大大学院卒で正社員、私はFラン中退でバイト。この差はなに?
それがずっとこびりついて離れなかった。
それはそいつと顔合わせなくても研究所内に居るだけで考えてしまう。
「苦痛」だった。
とにかくとにかく苦痛だった。
また別の日、通勤のバスに乗っていると不思議なことが起こった。
降りるべき停留所に近づくにつれて妙に息苦しくなるのだ。そして頭が真っ白になって「ニゲロニゲロ」って告げてくる。
そして降りるべき停留所が来た。
降りられなかった。
こんなことは初めてだった。なにが起きたか判らなかった。
その日は慌てて次のバス停で折り返して事なきを得た。
それから数日同じ事が何度も何度も続いた。症状はエスカレートする。降りるバス停が延びていき遅刻が酷くなる。それを上司に注意されたら今度は体調不良で休むととっさに電話で言うようになってしまった。
さらに数日して何とか出勤できた日、所属部長に呼び出された。
怒っているわけでなく本当に心配しているようだった。なので症状を正直に話すと
「無理はしないようにしてほしいけど、勤怠が悪いと正直こっちも困る」
と言われた。
その日早退し精神科を探した。
小さなクリニックで老医師がこう言った。
「そりゃウツだ」
そう診断され一日三日分のホリゾンを貰った。
ホリゾンを飲んだけど少しぼんやりしただけであまり変わらなかった。
それからも朝の戦いは続いた。負け戦ばかり。
「大切な話があるから明日は必ず来るように」
と
翌日。何とか私は出社した。
そのまま会議室に連れて行かれた。
そこには研究所の所長と所属部長が居て3対1の面談が始まった。
「単刀直入に言う。辞めてくれないかな?」
総務部長がそう言った。
あぁ、クビか。
後は事務的に話は進みその日のうちに私は解雇された。
どこも悪いところではなかったけれど、必ず不思議なことが起きた。
朝起きて家を出ることはできるけど電車やバスで最寄り駅に近づくと呼吸が荒くなって怖くなる。頭は囁く「ニゲロニゲロ」と
そんな状況に陥り全く出社ができなくなってしまったのだ。
最長で半年、最短で一日。これはクビになるまでの日数。
職歴は正確に書くと30は行くんじゃないかと思う。
ここ1・2年はさらに酷くなり、部屋から出られなくなってしまった。
朝起きてその時点で恐怖発作と「ニゲロニゲロ」という囁きが頭を支配する。
精神科にはもう6年かかっている。
はじめはホリゾンだけだったけど今は抗鬱剤3種類と抗不安薬、睡眠薬まで貰って飲んでいる。
挙げ句には自立支援の申請をして精神障害者手帳まで交付された。
ふと思った。何でこうなってしまったんだろう、と
最近また会社をクビになったので少し考える時間ができた。で、考えを整理するためにこれを書いている。
結論を言うと私のこの病気の根元は「サボり」だと思っている。
「苦痛」からの「退避」。小学校の頃の英語教室からずっと続いているこの癖。これが原因じゃないかと考えている。
おそらくこれは正しい。
正しいことは判ったが対策がわからない。
生来のサボり魔たる私はどうしたら正常の社会的な生活を送れるのだろうか?
そもそも私の病気は何だ?
精神科で投薬治療は受けているがこれだけでは改善にいたっていない。というかここ最近悪化しているとすら思う。直近でクビになった会社では不安の恐怖、あと鬱的思考から自殺をほのめかすメールを送ってしまい大騒ぎになった。
年々悪化しているこの「現象」
いったいこれは何なんだ?
どうしたら治るんだ?
どうしたら社会的な生活を送れるんだ?
だれか、教えてほしい
頭がいいなら一流大学なんて特に苦も無く入れるわけだが
正直、一流大学には頭が良いだけじゃ入れないよ。
明青立法中以下の私立とか早慶の簡単な学部くらいなら、地頭だけでも入れるけど。
地頭がいい奴の特徴として、小中学校まではダントツに成績がいいし、良い高校に入っている。
なぜなら、高校受験までは授業さえ出てれば、特に勉強しなくても最難関高くらいにはカンタンに入れるから。
俺は、小学校の時に知能テストで関東で1位を取ったり、小4の時に何気なく友達と一緒のに受けた四谷大塚の全国模試で
塾生も含めた全国3位を取って正会員特待生を薦められたりしたが、家も貧乏だし、もともと勉強が死ぬほど嫌いだったので、
中学受験はしなかった。
それでも中学では普通に授業を聞いてるくらいで、受験勉強は一切せずに、高校はいわゆる東大に数十人現役合格するような
公立進学校に入ったが、そこから1秒も勉強しなくなってしまった。
いわゆるテスト前の「ぜんぜん勉強してないよ」とか言うレベルじゃなくて、授業の間中ずっと関係ない
その結果、高校では勉強しないと成績は落ちると言うこと、大学受験は地頭だけじゃ無理だということに気づいた。
この20数年で私が見てきた人達から、自分の中で中学校のときの成績を基準にカテゴライズしてみる。
私は中学校での学力でここまで人生を左右するのかということをひしひしと感じている。
それなら小学生のときは重要ではないのか?と言えば、中学校のときに比べたらそれほどでもない。
それは、中学3年間で学力の遅れをとりもどすのは十分に可能であるからだ。
まず、私のときがそうであったように1学年150人(5クラス)を考え、以下のようにカテゴライズしてみる。
このランクの人は、家庭環境がいいのか、はたまた努力家なのか、豊かな人生を歩める可能性が非常に高い。
県内有数の進学校から東京大学、東工大、横浜国立大学など優秀と言われる国立大学や早慶などの私立大に入るパターン。
弁護士になるのか、医者になるのか。いずれにしても社会的に認められた職につくだろう。
高校受験や大学受験に失敗しても下地ができているため、悪くても有名メーカなどには入れる気がしてる。
このランクの人は、実に多彩だと思う。かく言う私もこのカテゴリ。
県内の2番目の進学校(偏差値で言えば65前後)や3番目の高校に入り、大学進学するのが一般的。
上記の大学に入れるものもいるが、基本的にはMARCHや地方国立大学に入る人が多いと思う。
もしくはごく少数だが、高校卒業して働く場合もある。
職業は大企業、中小企業に勤めるのが一般的だと思う。大学で落ちぶれた人は、ブラックといわれる会社に勤める。
このランクの人が一番面倒くさそう。
このランクの中でも上位でやる気があり、努力できる人はBランクと同じくらいの進路になれるかもしれないが、そうでないと残念な感じになる。
中途半端に勉強ができるため、大学進学する場合は日東駒専レベルが大半で1~2割がFラン大学というところか。
派遣になる人もいるのでは?
これが男なら残念だが、女性なら問題ない。このランクの女性はBランクやAランクの男を頑張って捕まえればいいのだから。
このランクの人は、適当な偏差値50前後の高校に入学し、適当に卒業する。
専門学校に行き、手に職をつけるか、Fラン大学→DQN→就職先がないパターン。
基本的に才能のある人が成功するカテゴリだと思う。
基本的に問題児扱い(万引き、いじめ、暴力、教師への反抗)する人はいるのはここだろう。
ここでの記述は、そんな人たち向けになっている。
悪くあればかっこいいと考え、生活態度の悪い女と付き合う可能性が高い。
高校はいわば底辺高校。名前を書けば入れます的な。
まじめに高校にも行かず、ぎりぎりで卒業したら土方をはじめとした現場主体のガテン系。
A~Cランクの人がエアコンの効いた部屋で頭を使い、現場の人たちが兵隊となり体を使って働く。
かつては、自分がいじめていたかもしれないA~Cランクの人から見下される。
ただし、いA~Cランクの人はこのような態度をあからさまにとってはいけない、この人たちのおかげで私たちはデスクに座ってられるのですから。
また、家庭の事情でEランクに甘んじているひともいることを忘れてはいけない。
女性は基本的に派遣かフリーターまたは俗にショップ店員とか家事手伝いが多いのでは?
このランクの女性は容姿に自信がなければ、同ランクの男性としか結婚できない。
基本的に上のランクに行くほどこの手の頭の悪そうな恰好や教養のない言動が嫌いだからだ。
また、Eランクの家庭からは基本的にはEランクの子どもが生まれる。
総じてこのランクの人たちは結婚が早いためだ。つまり子どもが子どももつため、程度の低い子どもなっていしまう可能性が大きいのだ。
まさに負のスパイラル。
結構、辛口に書いてしまったが、みなさんはこの中学のときどのランクにいて、今はどうなっているだろうか。
中学校では下のランクだったが、高校、大学では上のランクに行けばいいんだ!
と思う人もいるだろうが、それはとても簡単なことではない。
周りに流されず努力するのはそれは難しいことなのです。
中学校ではまだ、ランクを変えられます。基本的に中学生は行動が制限されていて、勉強する時間が腐るほどあるからです。
これを読んでくれた中学生へ
今、頑張るのが一番簡単なのです。少し努力をすればCランクに上がるのは簡単なことでしょう。Cランクの人は勉強のコツさえ得れば簡単にBランクにだってなれます。