はてなキーワード: 苦痛とは
小さな会社で1日8時間、週に5日働く。私は一人住まいだから、家族といる時間よりよほど長い。
3年半働いた。
でも、私の居場所はなかった。作ることができなかった。
溶け込めなかった。溶け込むことを私自身が良しとしなかった。
誰も彼もつまらなかった。誰も自分自身の話をしようとはしない職場だった。でも、それは私も同じだった。
私には相応しい職場だったのだろう。
でも、やっぱりおかしい。何がおかしいのかはわからなかったが、嫌な感じはずっと付きまとっていた。
退職した。定年まで働きたかったが、あと30年もあの場所で暮らすのは苦痛以外の何物でもないと気づいた。
定年まで働きたい理由が、少しでも多くの退職金が欲しいっていう理由だけだと気づいたから。
そのために私の30年、1日8時間、週5日を犠牲にすることはしたくない。
見つからなければ見つからないで、やり方を考えよう。ひとつのところに留まることができないことを、個性と割り切ろう。
私は私の中に素晴らしいものがあると信じている。
掃除は今でも好きではありません。
でも、上手になればいいのです。
美しく清潔に暮らす快適さを知ってしまった今、私にとっての掃除は、心豊かに暮らすための大切な「儀式」になりました。
忙しい毎日に行う儀式ですから、できるだけお金も時間も労力もかけたくない。そのコツさえ手に入れれば、
手間暇かけずにパーフェクトに、部屋はきれいに見えます。
合理的な掃除とは、まさにこのこと。
これこそが、まさにドイツ人の好きなGemutlichkeit(心地のいいこと)の世界です
私は、ドイツ人の時間も労力もかけない上手な掃除のテクニックを私なりに手に入れてから、
ドイツ人のように、いつもきれいな住まいの空間をキープするための掃除ですから、汚れがたまらないのです。
この方法と感動を一人でも多くの皆さまに、ぜひお伝えしたい!
そんな思いを抱き続けています。
簡単で、時間がかからない楽しいドイツ流スーパーお掃除テクニックで、あなたの家がそこそこきれいで、
それを願って、本書を書きました。
料理は慣れ。場数踏んで自信がつけばほどほどのものは作れるようになる。
奥さんは増田の料理は美味しく食べていたのだろうから味覚が狂ってるわけではないでしょう。
自分が担当したところでろくな結果が出ないものに力を注ぐ気になれないだけだよ。
私も味にとてもうるさい人や、料理に自信を持ってる人と暮らしている時は料理が苦痛だったけど
ひとり暮らし中に体を壊し、インスタントものが食べられなくなったら必然的に料理の腕が上がったよ。
離婚せず、どちらも体を壊したりせずに状況を改善するとしたら、
増田が疲れていることを訴えた上で思いきって料理教室でも行ってもらったらどうかな?
できないこと前提で導いてくれる人がいたり、いろんな実力の持ち主と一緒に料理したりすると料理への意識が少し変わるでしょ。
あと、なにかひとつでも得意料理があれば、そこを褒めることで料理全般への意欲が増す人もいるよ。
レシピ見てそのとおりやるってのは一番簡単なようで向き不向きがあります。
火力や鍋の素材や食材の状態に応じて自分で加減しなきゃいけないことが多々あるので、
個人的にはある程度場数を踏んだ人向きのやり方のように思う。
1)君の視野は狭い
2)君は自分の好きな事を突き詰めてるだけ
4)でも君の趣味(車、スポーツ観戦など)はくだらないし幼稚だ
自己分析の結果
1)はその通り・・・だから毎年1つずつ新しい事にチャレンジしている
3)は言い掛かり・・・他人の趣味や嗜好をバカにしたことはない
4)はオマエが言うな・・・こういう人間はサブカル系の趣味も蔑視する
5)は半分納得・・・挑戦は必要だから毎年してるが、何が有意義かは人それぞれ
結論
酒・女・高級ブランドなどが大人の趣味で、それ以外は低俗だと自信満々で決めてかかる
苦痛0の生活で快楽10を享受するのと、努力するコストを払うことで快楽20が得られる状況どちらがよいか、って時に、実は20を得ようとする人は社会的に結構少ないのかな。
立場として、
(これって③と④は20を得る価値を質的に取り扱ってる時点でだめじゃん、とか思ったってのはさておき、)があるとして、自分は③かなーとか。みなさんはいかがでしょうか。
で、考えてみるとそもそも人生ってのは普通に生きているだけど、痛ましい苦境を強いられているわけじゃん。飢えたり、健康管理だったり、そもそも社会にでて他人とつながりを持たないといけないこととかさ。だから、基本、苦痛値がはなから10ぐらいのしかかってるんだよね。
で、たとえば、ニートになってる人とかってどういう真理なんだろーって話をしていたのだけど、社会から自分を切り離すことで、基本苦痛値を5下げれるなら、その結果、快楽が5下がってもいいかなーみたいな感じなのかなって。
とはいっても、人間はまったく楽しくもねーままに生きるってのはちょっと耐えられない話であってね。たぶん、最低快楽欲求値ってのが、一応、あると思うのよ。まあ、10とかさ。
ニートがわりとひょうひょうと生きていけちゃうのって、社会ちょー豊かだからなんかなって。つまり、おれらが人として文化的最低限の暮らしをするための社会的インフラがあれば、その最低快楽欲求値みたいなのは余裕でジャンプできちゃうの。ほら、テレビとか、とくにインターネットのおかげでね。
むかしはさ、といってもおれはそれをしらないんだけど、何か快楽を得ようとするのに支払う対価ってのがけっこーでかかったんだよね。なんか面白い本探すのときには、いろいろ読んで漁るような努力コストを支払わなきゃならんとこを、インターネットは、口コミなんつって、世界中のひとで、その探すコストうすーくシェアしあうことで、努力にともなう苦痛値を下げてくれるし、タダ乗りだって許してくれんの。資本主義は競って価格競争とか技術革新してくれるしさ。
だから、社会と断絶して基本苦痛値みたいなのを0に近づけつつも、最低快楽欲求値はちょーらくしょーで越えてんぜーっていう。
同居人がね、おれは別にサラリーマンになって、適当に働いて、家帰って、インターネットしてるだけで幸せなんだよねーっていうのさ。「さとうプロ(あだ名)にとって生きるってなんですか?」「死なないことだねー」って。
彼にも昔は、あったんだと、承認欲求とか、自分のこのくらいの人間にはなるんだぜ、おれは、みたいなラインが。でも、ほどほどの努力で大学受験してみると、日駒レベルのとこに入学してて、いままでの人生では、自分の望む結果を最低限のコストで得られてきた彼にとってはじめて、ギャップができたんだって。そんで、いまは、そういうのもだいぶ薄れたとか。とはいえ、年々、基本苦痛値ってあがってくるわけじゃんか。25歳なら25歳相応の立場が求められたり、圧力かかったり、そもそも仕事にも就き辛かったりするし。さらにいえば、支払える努力コストの上限も下がってくる。体が動かなくなってきたりとか。このままでいいのーって気になったんだが、そうして、快楽が減っていっても、最低快楽欲求値を割るにはずいぶんあるし、まー、いいだろ、って感じなんだと。
以上、世界っておもしれーなーって思った話でした。(雑)
たいていの人は異性に興味持つ年ごろというのがあり、大体は身近な人に恋をする。
誰かにときめき、ドキドキしたりワクワクしたり、もう少し相手に近づきたいと自然に思い、うまく仲良くなれれば手を繋ぎたいからキスしたいと夢見るようになり、次第に一人の異性が自分にとってとても大事な人になっていくだろう。
でも、好きになった人とすべての人が結婚できるわけはない。
恋愛が結婚に変わっていくのには、その時々の様々な条件がうまく双方合致して合意に達さないとできない。
独身の頃はあっさりと結婚していく友人たちを眺めては、どうやったら結婚にこぎつけるのだろうと、あれやこれや妄想してた。
そして結婚して一時は幸せそうでも笑顔を忘れていく友人や、壊れていく夫婦関係をこれまた眺めては、どうやったら幸せな結婚ができるのだろうかといろいろ考えてみたりもした。
どれだけ妄想しても、幸せな結婚を手に入れられるべくどれだけ条件を整えても(容姿・教養・センス・仕事等々)、そんなのは現実の生活の中ではたいして役に立たないのだと最終的に知った。
世間体という概念により自分の為の結婚から軸がずれ、親の為の結婚に微妙にすり替わっていく感もある。
そして何より女には結婚適齢期というより妊娠適齢期というのがある。
だいたい卵巣にそれぞれ200個づつくらいの卵子の種があり、女性が生涯に妊娠できる可能性は400回くらいとして約33年と3か月、中学生くらいまでに初潮を迎えれば40代半ばには卵が終わってしまう。
35歳を過ぎれば卵は劣化していくし、子宮内膜もやわらかく心地よく胎児を育めるだけのやわらかさや強さは衰えていく。
子どもが欲しいと思わなければ結婚は考えなかったかもだが、この事実に気付いてからはすごく結婚をしたいと強く望むようになった。
当時月収100万以上のキャリアを捨て、子どもを産むために家庭に入った。
子どもを産み育てるにはまず安全な巣が必要で、そして生活していくにはお金もかかる。
仕事辞める必要なんてないじゃないかと思う人もいるかも知れないが、妊娠出産育児の期間中は母親としてこの腕に抱いて育てたかったのと、何より流早産の危険性から妊娠期間中のほとんどを病院で過ごしてた。
飲み代や服代、そして結婚前に主人が作った借金の精算に主人の収入が消えていく現実に気付いたときは、マジで身動きが取れなくなってた。
子どもが生まれるまでは、自分が我慢できるところは我慢しよう、生まれれば子どもには父親も必要だと思う気持ちもあり、それがずるずると7年という歳月になった。
イケメンで憧れのカタカナ職業で年収1000万弱の社長で…と条件だけ書けば何をそんなもったいないと誰からも言われたけれど、ステイタスではおなか一杯にもなれず、心が満たされることもなかった。
おしゃれな会話や趣味の会話でコミニュケーションはそれなりに楽しかったが、ハートで触れあえることはなかった。
何のために結婚するの?
誰のために結婚するの?
主人を愛しているのかどうか、私のとっても一番大切と思うその部分が、いつも泣いてた。
息子には無条件の愛がハートからいつでも溢れてくるのに、主人に向き合うとひび割れてざらりとしている感じがつきまとい、次第に同じ空間で暮らすことが苦痛になっていた。
愛って何?
愛してるって感じたい。
それがお金よりなにより大切だと思う年齢になっていった。
してません。声に出すとなにか変わるとですか?
もうね全部駄目に思えてきて、いやそんなことないって頑張ってきたじゃん俺って思う自分もいて、
またあの苦痛を味わなければならないのが面倒で苦しくて堪らないのと、そうしないことには先に進めないんじゃねって思うのが同時に起こってる感じで、
意味のある文章を書こうとしすぎて、意味のわからない文章を書いてしまう。
なにか悪いところがあるような気がして目を凝らせば凝らすほど、何もかもが悪く見えてきてどうしようもなくなる。
そもそも何が悪いのかさわからなくなる。わからないわからないわからない。笑えてくる。文字が認識できない。
書いてあることがわからない。自分で書いたはずなのに。何書いているのかわからない。
答えなんてないけれど、伝え方なんて千差万別だけど、それって苦痛だ。
フォーマットされた伝達って楽ちんだと思う。形骸化して死に体を晒すのは誰の脳みそなのかしらん。
思考を止めた脳みそって何なん。在り得るの? シナプス交換されなくなった脳神経は、死んでいるの、生きているの?
まあ本人に真面目さや必死さが足りないって言うのはその通りだけど
昔はそういうのでもいい歳になると適当に相手見繕って世話焼いてくれたんでしょ?
いいよねそういうの。
昔は暇で世話好きなおばちゃんがその役割をしていたんだろう。
見合いの減少は、そういったおばちゃんの減少の影響もあるのだろう。
・若者がプライバシーを重視するようになり、おばちゃんの干渉を「ウザい」と拒否する例が増えた。
・夫の収入の悪化でパートなどの労働に出なくてはならなくなり、若者に構う暇が無くなった。
・夫の収入に余裕があっても、若者に構ってウザがられるより余った時間でお小遣い稼ぎをして、
自分たちの暮らしを良くする方がよっぽど良いじゃないかと思うようになった。
・仲を取り持った結婚が失敗し、結局離婚してしまった場合、人から恨まれるリスクがあることに気付いた。
非婚化が進んだんじゃないの。
仲人が結婚の責任の引き受けを拒否することで、結婚した当人が結婚によるトラブル等の責任を負わなくてはならなくなる。
恋愛によってつくられる楽しい思い出は、結婚後の重責に苦しむ当人たちに癒しや救いを与える。
子供を預けて恋人時代のようにデートをし若い頃を思い出すことは、重責による夫婦関係破綻の回避に役立つ。
「恋愛は要らない、結婚だけしたい」という人間と結婚するのは避けた方が賢明だと思う。
・ATM
・産む機械
・無料家政婦
といった、自分の欲求を満たすツールとして「しか」見てもらえないからだ。
もちろん、夫婦生活を維持する上で、お互いが一定以上の有益さ・機能性を維持するのは必要なことだ。
ただそれらの働きに対する「感謝」や「愛情」を受けられず、機械的に使役され続けると大抵の人間の心は壊れる。
壊れない自信がある人なら是非高機能なツールになることを目指し、同じく壊れない自信のある異性の高機能ツールを探して結婚すればいいと思う。
「結婚は要らない、恋愛だけしたい」という人間もまた、性処理(男の場合)や、従属的なチヤホヤ&お姫様扱い(女の場合)しか求めていないので気を付けた方が良いだろう。
まぁ人生全体でなくても、人生のうち一定期間のプロセスを疑似体験するものと考えます。
プレイヤーは最初はゲームの仕組みがわかりません。つまり幼児か新入社員という感じでしょうか
むしろひつようだよね、とかありがたいよね、とすら思う。
それがだんだん子供として、あるいは独り立ちできるレベルになってくると、
いつまでも決まった手順で、決まった所作しか行えないのでは不満になってくる。
活躍の場を与えて欲しいと望むようになる。
ゲームというのは基本的に、老年期になって動けなくなる状態(飽きが来てやる気が無くなる)前の
壮年期、働き盛りの頃に、心身ともにピークの状態でラスボスやらクリアできるようになっていたと思う。
(末期状態のJRPGはいつまで断ってもムービばっかり、チュートリアルばっかり、お使いイベントばっか、だったりで
心身ともに充実したと感じる状態に到達することがないまま終わってしまったりしてつらいものもちらほら)
ソーシャルゲームだとこれがない。自分で終わりを決められない人には無間地獄がまっている。
ネトゲーでも格ゲーでも同じやんというかもしれないけれど、違うんだ。
余程のコミュ障でない限り、ネトゲーや格ゲーやカードゲームは誰かと一緒にやるだろう。
まぁこれはこれで仲間に拘束される難点があるけど、仲間いなくなったらなんとなく解散ってやめどきが訪れる。
仲間がいる間が一番面白いんだから、やはりベストに近い状態でやめられるだろ。
ドリランドとかは完全に一人旅だったからやめどきを自分で決められないとやめられない。
しかも、いつまでたっても同じことの繰り返しで何一つ目新しいことが起こらない。
お金を払えば「ゲームのスピードが上昇する」けれど、カード集めとかを除いて「特に目的がない」ので早くすることに意味が無い。
なんのためにやってるのかわからないものを延々とやりつづける。
誰もここで終わりだよとは言ってくれない。 やめるなら自分でやめどきをきめなければいけない。
ネトゲーと違って、友達がいなくなったとか、課金もったいないという言い訳も与えられない。
でも、やめれば「なんでオレはこんなゲームをやってたんだろう」「今までやってた分はなんだったのか」って心の声が痛い。
きっぱりやめない限り、グリーを退会しない限りデータは残り続けるので、復帰しようと思えばいつでもできてしまう。グリーは無料です!
うっかり復帰でもしようものなら、ますます辞めることが難しくなる。
「辞めるのが難しい」くせに
「格ゲーやシレンと違って(友達がいる限り、ダンジョンが生成され続ける限り)成長し続ける、という仕組みもない」わけだ。
こういうデザインのゲームは最初からやらなければよかった、という結論しか出てこない。
http://blog.pettan.jp/archives/50638552.html
という話はここで私よりはるかに上手に語られているのでこちらを参照して下さいませ
この問題については「コミュニティステージを上げる」ことでしか対応できないと思ってるけど
私は女なので女性向けの二次エロを消費しているけど、これは本当にそう思う。
色黒で筋肉質でテカテカしたいかにもDQNな奴と、白豚のようなオッサンの二択しかない。
また、AVで食っていくという生き方を選んでいる時点で人間的に軽蔑してしまう。
演技力も無いので「知的なイケメン」という役を演じることもできない。
三次元エロは私の性的ファンタジーを何一つ叶えることができない。
しかし二次元は違う。性的ファンタジーを叶えるために生まれたキャラクターだから。
DQNか白豚の二択という悲惨な三次元に比べ、二次元キャラは属性がとても多くて選び放題。
AVに出ている時点で清純派ではないので"清純派AV女優"は破綻しているが、
同様に三次元の知的なイケメンはAV男優などやるはずが無いが、二次元ならその夢がかなえられる。
また異性からの性的ファンタジーを受けとめるのは三次元の人間にとっては苦痛だが、
二次元キャラは苦痛を感じない。なぜならそもそも性的ファンタジーによって生まれているから。
返信がめんどくさい
「返し増田」使え。
増田用ブックマークレット:http://d.hatena.ne.jp/Francis/20070210
表示が適当
増田トップページにどこかの記事への返信がそのまま表示されている。それが邪魔でなかなか面白い記事に辿りつけない。辿りつけないんだよ。
「はてな匿名ダイアリー」の新着エントリー:http://b.hatena.ne.jp/entrylist?url=http://anond.hatelabo.jp/
ユーザーが劣悪
やたらと長文を書きたがる連中が多すぎる。文章というものは長くなればなるほどキレがなくなり、意味も伝わらなくなる。文章は長く書けば良いというものではない。読む人が適切に理解できるかどうか、そこまで考えなければ真のライターではないだろう。
どんなに良い文章でもどんなにくだらない文章でも、とにかくどんどん流れていくのが増田。ブックマークされることで、わずかにサルベージされるから、忙しいときは頭から読んだりせず上のはてブから見るようにな。
あれ? もしかしてこれって哲学さんの発言のこと言ってる?(http://bit.ly/wQEAol)
出典元ktkr。私はたんぶらから拾ったんだけど元はクリスティーナがめちゃくちゃ好きな人がこういう事言うんだろうなーとは思ってた。それをあえて嫌いな人、特に女の人が同じ発言をしたらどういう感じになるかな、と思って<あのキャラ男オタクの欲望だだ漏れすぎて引くわー>を付け足して逆の意味にしてみた。あえて誤読してみたといってもいい。そしたらみんながマジレスしはじめたってのがおもしろいところ。
自分の中でこの反応は「もしドラ」と同じものがあるな、と思った。ハックルさんの手法ってマジで釣りに使えるかも。
もしドラ関連でもう1つ。
http://booklog.kinokuniya.co.jp/abe/archives/2012/01/post_100.html
よけいな先入観を捨て、小説ではなくともかく『パミラ』を読む。そうすると、この作品、たしかに小説らしくはないが、妙なところで「小説」という形式と血が繋がっているのがわかってくる。そして、そこには「ひょっとすると小説がそうであったかもしれない別の顔」が覗いてもいる。私たちの知っている「小説」の背後にもあるかもしれない何か。根源的な言葉のエネルギーのようなものが、そこには宿っている
神経の突っ張ったインフレ気味の語りがつづくと、さすがにこちらもくたびれてくる。山あり谷ありどころか、山の連続である。しかし、こちらをくたびれさせるところにこそ、この作品の一番の真実があるのかもしれない。リチャードソンはたったの二ヶ月でこれを書き上げたというが、それはパミラの体現する種類のエネルギーを彼自身がうちに宿していたということではないのだろうか。この作品を支配するのは、危機と苦難に直面しつづけるパミラの、つねにぴりぴりと緊張しつづける神経そのものである。
とにかくパミラ臭があふれていて、とてもではないが徳だの純血だの結婚だのといった骨張った議論に回収されるものではない。しゃべりまくる女たちの語りの力は圧倒的なもので、しかもそれは女が語る女の語りではなく、男が女に語らせる女の語り。つまり、50歳のおじさんの視点から「女の語り」へと没入するリチャードソン臭が混入しているのである。だからこそ、独特の過剰さがつきまとう。
これだ! 私はハックルさんのことをまた一つ理解したぞ。
ハックルさんは「エースの系譜」において
この作品は、現代の小説にオーセンティックな魅力、本質的な価値を取り戻そうとして書きました。『エースの系譜』は「面白さ」というものをどこまでも追求した作品となっています。人が魅了されずにおかないこと、人が興味を引かずにはいられないこと、人が知りたいと強く願うこと、人が夢中になってしまうことなどが、この中には描かれています。ぜひ、それを知ってほしい。
と書いてある。これの意味が全くわからなかったのだけれど、「面白さ」を読者にとっての面白さ、と考えなければすべて納得できる。
パミラの作者も800ページの大著をわずか二ヶ月で書ききったという。彼は「筆が止まらなくて困った」くらい執筆が楽しかったのだろう。番長マジイケメン。
つまり面白さとは読者にとってのではなく作者にとってのおもしろさなのだ。この手の話は、読む側には苦痛でしかないが、書いてる方はめちゃくちゃ楽しいのだ。
そりゃそうだ。50過ぎのおっさんが、うら若き淑女になりきって、自分と同じくらいの年代のエロオヤジを出し抜くんだぜ?
40過ぎのおっさんが、頭の悪い女子高生に戻って、昔自分を馬鹿にした奴らを真っ向からマネジメントとかいう「謎の白い魔術書」を使って血祭りにあげていくんだぜ。ほむ。
そりゃ「人が魅了されずにおかないこと、人が興味を引かずにはいられないこと、人が知りたいと強く願うこと、人が夢中になってしまうこと」のすべてが詰まってるよね。
・・・ってそれ「魔太郎がくる」よりたち悪いよ。 それなんてセイバーだよ。リプレイ救済願望ダメ、絶対! 征服王に怒られちゃうよ。
「はてブ」とか「なろうネイティブ」とかそんなチャチなレベルじゃねぇ、もっとどす黒いおやじの欲望を味わったぜ。
(この話、西尾維新にも当てはまらなくもないと思ったが、西尾維新は多分また別の話なんだと思う)
そういえば、日本には土佐日記なるものもありましたね。どうも日本には変態的な文章を書く時がもっとも生き生きと輝く「紳士」な人が多いようです。
同性愛や性同一性障害と同様、気合でなんとかできるような話じゃない、生まれつきのものだ。
そういった「本当に本能が弱い・あるいは無い」人々と、
年齢が若いほど自分を棚に上げてモテる異性を好きになる傾向があると思う。
小学生の頃:クラス1のモテ(1/20=上位5%)に異性全員の好意が集中
中学生の頃:クラス3位までのモテ(3/20=上位15%)に異性全員の好意が集中
高校生の頃:クラス8位までのモテ(8/20=上位40%)に異性全員の好意が集中
これは男女共にね。
大学生なんて、猫も杓子も付き合っている。
ただ20代後半での時点よりボーダーが下がることって無いのだよね。
自分が異性から見て「クラス最下位」レベルの魅力だとしても、下位15%の異性とはどう妥協しても付き合えない。
この最終ラインの妥協ができれば世の中から「あぶれ者」は居なくなるんだけど、そこは男女ともに譲れないのだろうね。
クラス最下位レベルで現実の異性と付き合うのが不可能(自分も妥協できないし、異性も妥協できないから成立不可能)な場合と、
異性から見て"そこそこ"のレベルなのに、クラス1レベルのモテ異性しか好きになれないから成立しない場合。
前者については、同情の声が集まりやすい。あまりにも恵まれないからだ。
しかし後者に対しては批判が集まる傾向にある。「理想が高すぎの、勘違い野郎」みたいに言われる。
個人的に、彼・彼女らは勘違いをしているのではなく、小中学生の異性観のまま年だけは食ったという、ただそれだけの話なのではないかと思う。
まっとうな人々は歳を取るうちに、穏やかな妥協を覚えていく。
健康的な妥協とでもいえばいいのか。妥協から安心感を得るとでもいえばいいのか。そうして人は大人になっていくが。
その流れに乗り遅れる人がいる。強硬に、流されることを拒む人もいる。
そうした人は「理想が高すぎの、勘違い野郎」なのではなく、まだ子供で居たい人なのだと思う。
童貞特有の思考って別に嫌いじゃないが、あまり縛られるのも苦痛でしょ。
ただ終わって店を出ると憂鬱になる人もいる、
その辺はあらかじめ想定して行った方がいいと思う。
高校大学で彼女が出来なかった人間が、その後に彼女を作れたって、それは偽物。
婚期を逃すことに焦った女が、そこそこ金と定職を持ってて従順そうな男で妥協してるだけ。
だってそうだろう?
性欲に狂ったお年ごろの男と女を一箇所にあつめて、親の監視もゆるゆるだし、周囲の空気だって男女交際推奨みたいなノリじゃん。
そこでうまくやれなかったやつが、その後の人生でチャンスにめぐり合っても、そんなのは偽物に決まってる。
私事だけど、彼女が出来たんだけど、別れました。
ちゃっかりすることはしちゃったんですが、精神的童貞のままで、被害妄想と女性敵視だけが残った。
つーか、彼女いないのが普通だったからそれほど苦痛はなかったのが、逆に中途半端に女を知っちゃったせいで余計につらくなった。
音階をなぞるのは人並みにできるみたいで、アカペラならば普通だという感想を頂くのだが
演奏とタイミングをあわせて歌うということが下手なのだと、数年前に気づいた
普段それで困るということはないのだが、カラオケへ足を運ぶことが増えるこの時期になると
演奏とずれたまま歌い続けるというのは反応に困るのだと何度も聞いた
アカペラならば普通だという評価はカラオケの採点機能にもあらわれる
タイミングを外している箇所では"現在の得点"は非常に低くなり
タイミングが合っている箇所では"現在の得点"が一時的に跳ね上がるのだ
自分でも、外しているか否かの判断はできるのだが、その補正が下手なのである
何度も歌うのを止め、歌い直しをすればいつかは流れに乗れるのだろうが
聞かされる側にとってそれは苦痛なのではないだろうか
そんなことを考えて、間奏が入るまで外れたまま歌い続けることにしてしまう