はてなキーワード: 見出しとは
一回文句言おうと思うのだが、配達忘れあった土曜日の「エコノ探偵団」に
脳内妄想全開な記事があったのを「はてなブックマーク」経由で知った。
この見出し「だけ」を見た人は、
「今年はベビーラッシュなのか!?」と早合点してしまいそうである。
しかし、記事の中身をよく読んでみると、
「街で妊婦をよく見かける」という「個人の観測範囲内での出来事」を
出発点として取材開始するものの、結局出産数増加は確認できなかった、というお粗末記事である。
恐らく、
「昨年、家族の絆が再認識されたことだし、出生率も上がるのではないか?」と
「仮説」を立てた日経記者が、仮説を立証すべく各方面に取材に走ったが、
結局芳しい結果が得られなかった・・・そんなところじゃないか?
であれば、この脳内妄想な「ベビーラッシュ」なんて見出しは、「見出し詐欺」もいいところで、
紛らわしいので改訂すべきでは?
>「街で妊婦さんをよく見かけます。今年はちょっとしたベビーラッシュになるんですかね」。
>「東日本大震災で人との絆が見直されたそうだけれど、出産につながっているのかしら」
>震災後の妊娠や出産の状況を調べた統計はまだない。「そういえば妊婦向けの雑誌があるわね」。
>明日香がリクルートに問い合わせると、雑誌『妊すぐ』の実売部数は昨年3月以降、前年よりも24%増えたとの答え。
>編集長の佐々木寛子さん(36)は「芸能人の妊娠・出産が昨年多かったことが影響しているかもしれません」と推測する。
>妊娠しやすい体づくりなどの情報を発信する「妊活・net」へのアクセスも増えていた。
>月間で数千回だった閲覧数が昨年7月には3万5000回超に。運営する医薬品会社、
>メルクセローノ(東京都品川区)は「最近は子どもを欲しいと強く思う人が多くなったように感じます」という。
>「出産を控えた女性の声も拾ってみよう」。東京都文京区の母親学級を訪ねると、この日は満席。
>小中あゆみさん(32)は「地震で一人は怖いと実感しました。先でいいと思っていた入籍を5月に早めると、
>すぐ子どもができました」とほほ笑む。結婚を前倒しし、妊娠したと打ち明ける女性は他にもたくさんいた。
>「震災で結婚や出産に変化が出てそうね」。家族の現状に詳しい中央大学教授、山田昌弘さん(54)に聞くと、
>山田さんは首を振った。「結婚についていうと、予定を早めた人はいるかもしれませんが通年では増えませんでした」
>厚生労働省によれば、2011年の婚姻件数は推計で67万件と戦後最少。
>派遣社員やフリーターなど非正規社員を中心に未婚率は上昇している。
>「生活に不安があると、結婚に至らないことが多い。現在の経済や雇用環境では難しいですよね」
(以下略)
出生数増加の「唯一のエビデンス」は、「妊娠雑誌や妊娠サイトのアクセス数増加」だけだが、
これはむしろ「放射能と妊娠の医学的関係を確認したい」という需要が増えた、
それだけのことじゃないか、と思う。
「その程度の薄弱なエビデンスで以って、毎週記事を「量産」している」
という「実態」が暴露されたこと。
多少なりとも日経新聞に一定のクレジットを置いていた自分がバカだった。
「震災後の妊娠や出産の状況を調べた統計はまだない。」としれっと書いているが、
例えば自治体は「妊娠届け出数」(=母子手帳交付数)を集計しているが、各自治体に妊娠届け出数を電話取材すれば、
実は自分は
「放射能問題を嫌悪して、カップルが子作り行為そのものを自粛する結果、2012年は相当数出生数が減少する」
という仮説を持っていて、知り合いの週刊Pの女性記者に各自治体に取材するように頼んでいるのだが、
なかなか動いてくれない。
一市井の個人である自分が自治体の妊娠届け出担当に電話取材しても、相手はマトモに応対しないだろう。
マトモに取材できるのは、マスコミの名刺を持った記者だけなのだが・・・
と思ってたら、以下のような、エコノ探偵団を完全否定する記事が飛び込んできた。
http://iryou.chunichi.co.jp/article/detail/20120130170603835
>国立社会保障・人口問題研究所は、30日に公表した将来人口の推計に当たり、
>「全国的な『産み控え』が起きている可能性も考えられる」として、2012年の合計特殊出生率が下がると仮定した。
>研究所は、47都道府県の約800市町村に10年と11年の母子手帳の申請件数を問い合わせ、
>その結果、11年の申請件数が10年に比べ全国的に減少していた。
今日久しぶりにざっとホッテントリを見たら数字だらけだったので、
・えっこれも無料?商用利用できる画像ダウンロードサイトまとめ15選
・Dropboxの容量を無料で誰でも4.5GBも増加出来るよ!
・au iPhoneの海外パケット通信で請求76万円に陥ったワケ
・フリーランスとか大手とか言ってないで「ソニーの開発18か条」を今こそ振り返ってみよう!
・[保存版]読むだけで文章力が劇的に向上する良質記事まとめ8選+α
恥ずかしくなるくらい狙った見出しばっかで、完全に週刊誌の中吊り状態。
そのうち、まとめサイトのまとめサイトが出てきてもおかしくないような状況。
これだけステマとか騒がれててよく飽きないよな、と思う。
自分が作った料理がまずいのはわかるけど、まずかったら何がいけないのかわからないって考えてたりする。
「食卓に出す前に味見をしてね」といっても
「面倒だしそこまでしなくても・・・」となる。
「なんでそこまでしなきゃいけないの?」って言われてしまう。
「そのほうが美味しくなるから」って言っても
「そんなに美味しい事が大事?」って怒られる。
『まどか☆マギカ』 まどかウエハースを140枚購入してカードをコンプリートしたスレ民・・・ | やらおん!
上記の記事を見るに、どうやら25枚のカードを手に入れるためにウェハースを140個開けたスレ民がウェハースの魔女に食べられたようなんだ。というよりもはや本人が絶望してウェハースの魔女になりかねない。むしろ俺なら魔女化する。それにしてもこのシャルのやつかわいいな。
もうすぐビックリマンシール(第1弾)も復刻されるとかされないやらで、人々の蒐集欲はどの時代もとどまることを知らない。ビックリマンシールは第1弾の37種類に新キャラが3種類増えて全部で40種類。全部で40枚だったら…うん、ダブリも考慮して60枚ぐらい買えばコンプリートできそう!
さて、ここからちょっと算数の時間。苦手なひとや結果だけ知りたいひとは次の見出しまで跳躍してくれるといいよ。
この問題は「Coupon collector's problem」として有名な問題で、日本語だと「食玩問題」とか言われたりします。食玩ってあたりがなんだか日本の文化って感じ。
さて、全部で n 種類のシールがあるとして、1種類目を手に入れるために必要な購入回数を t1 、1種類目を手に入れてから2種類目を手に入れるために必要な購入回数を t2 、一般化して、k-1 種類目を手に入れてから k 種類目を手に入れるのに必要な購入回数を tk で表しましょう。するとコンプリートに必要な購入回数 T は t1 + t2 + ... + tn-1 + tn になりますね。あとはこの犠牲 T の期待値 E(T) を求めてやればいいことになります。そして期待値は足し算を分けて考えれる便利な性質があるので、それぞれの E(tk) を求めてやりましょうか。
確率 p で起きる事象が1回起きるまでの期待回数は 1/p ですね(幾何分布ってやつ)。確率0.5なら2回、確率0.1なら10回ってのは直観的にもなんとなーくわかってもらえそう。E(tk) は 全 n 種類のうち、まだもってない n-k+1 種類を引き当てるまでの期待回数なので、 (n-k+1)/n の逆数、つまり n/(n-k+1) です。
あとはこれを全部足し合わせると、次のようになります。
E(T) = E(t1) + E(t2) + ... + E(tn-1) + E(tn)
= n/n + n/(n-1) + ... + n/2 + n/1
= n ( 1/1 + 1/2 + ... + 1/(n-1) + 1/n )
これだと足し算がいっぱいあって計算しづらいのでちょこちょこっと大学数学の結果を使っちゃうと、ほぼ次のようになります。どうしてこうなるか知りたいひとは教科書でもみとけ。
E(T) = n ( log(n) + 0.5772 ) + 0.5
さて、上の式をEXCELにぶちこんで計算してみます。セル$A$1に全部で何種類かをいれて、次の算式をどこでもいいので適当なセルにコピペしてぽちっとな。
=$A$1*(ln($A$1)+0.5772)+0.5
では颯爽とセル$A$1に25と入力してみると…おっと、95.4019、え、96個…? たった25種類集めるのに…? どうしてこうなった…。
単純に考えて、ラスト1個を引き当てるためには平均して n 回の犠牲が必要。最後から2番目には平均して n/2 回、最後から3番目には平均して n/3 回。ではまどかカードの場合この3種類を集めるのに平均して 25 + 12.5 + 8.333 = 46 回必要です。裏を返すと、コンプリートまであと3種類!ってところまでは 96 - 46 = 50 回ぐらいでたどりつけるということです。なんてことでしょう。最後の3種類を集めるためだけにほぼそれまでと同じぐらいの回数をこなさなければいけないなんて。もう最後の3つは諦めてショップで買ったほうがいいんじゃね…。
ちなみに、セル$A$1にビックリマンシールの40種類を入力すると、172回という驚きの結果が返ってきます。一部界隈で非難轟々だったように復刻版は1個30円じゃなくて84円なので、およそ14500円かかるというわけですね。ひぇー…あ、いや、案外普通だった。大きいお兄さんならなんとかなるな。
ただし、ここではキラシールみたいなレア物の確率を考慮してないので、実際はもっと期待回数はあがるんじゃないかな。
計算が複雑になるのでここでは扱う気全くないですが、 x 個買った時にコンプリートできる確率ってのも当然考えることができます。こちらのサイトには導出のイメージと計算機が公開されてるので感謝しつつ計算してみましょう。冒頭のひとは140個目で揃ったということなので、
おまけの種類の数:25
これから欲しい数:25
これから買う数:139
として計算すると…0.9169とでました。つまり、139回の犠牲をはらってもコンプリートできない人は全体のおよそ 8.3% これは40人のクラスに3.3人ぐらいの計算ですね。たしかにだいぶ運が悪い方だとは思いますが、各クラスから3.3人も魔女が出てたらそれはそれは大変なこと。
知らなかったゆえに絶望して魔女化して魔法少女に倒されグリーフシードとして消費される。でもほむらちゃんにならわたし消費されてもいいかなって、ティヒヒ。
似たような話で、アイマスシンデレラガールズになぜ大きなお兄さんは大金を突っ込むのかって話が盛り上がってたのでご紹介だよ。最後の3枚を集めるのはほんと鬼畜だってばよ。
男なんていつだってセックスできればあわよくばなんて思ってる奴は世にザラにいるだろw
ただ圧倒的大多数はそれを出来ないだけwwww
男性の7割くらい浮気願望がある、だっけ。忘れた。 意外と男も実行できないってのもそう。
妊娠した時のコストは女性の方が多い。 君は逃げるでしょ?(別に責任とれとか言わないけどさ) 女性は逃げられないわけ。
ので男女で異なる行動様式になる。
まぁ、女性の中にも浮気願望みたいものはあるんだろう。それは最初から否定してないよ。
ただ上の理由から女性は「私をすぐ捨てるような軽い男は好まない」って気持ちもあって、それを強化するために君みたいな存在は必要なのね。
「あー、酷い男もいるよねー。即捨てな奴。いるいる。僕は大丈夫、そんな風に見えるの?」ってのにも使える。
http://anond.hatelabo.jp/20111231182558
http://b.hatena.ne.jp/entry/anond.hatelabo.jp/20111231182558
2012年になってしまったけど、わだかまりが残ってると気持ち悪いから追記しておく。
crowserpent こういう回路で、いじめの経験とミソジニーは繋がっていくんだよね…。
crowserpent 私自身が当の「はてなの非モテ論者」だから、「慰撫を期待して裏切られた」という文句には私のことも入ってるのかもしれない。まぁ「慰撫を期待されても困る」と言えばそれまでなんだけど。
crowserpent ただ、この人に考えて欲しいのは、そうやって「男性の内面を断罪」している(ように見える)人たちが、この人と同じように、いじめや侮辱や偏見に晒されてきたかも知れないってことなのね。
crowserpent 「女性を人間扱いしない男性ばかり見てきた。いじめの被害を受けた男性ですら、慰撫してくれる対象としてしか女性を求めない。期待した自分が馬鹿だった」 …そんな風に思ってる人も居るかもしれない。この人を見て、この人と同じように。
<こういう回路で、いじめの経験とミソジニーは繋がっていくんだよね…>
繋がりません。
crowserpent氏がこの回路を用いてミソジニーを形成しただけで、自分にはミソジニーは無い。
ミソジニーが形成されるには、イジメで傷ついた自己の弱さを、マチョイズムによる強さの誇示によって補填するために、女性への支配欲や蔑視を強化する回路を用いる必要があるけども、自分は傷ついた弱さを弱さそのものとして受容して欲しいと願う感情が優位だったから、マチョイズムの対極にあって、ミソジニーは形成されなかった。あと、元増田記事にも書いたが、俺は巨大な散弾銃で属性を撃ちぬく行為が嫌いだ。憎悪を抱くなら憎悪の対象を流れ弾が無いように限定して撃ち抜きたい。
<「女性を人間扱いしない男性ばかり見てきた。いじめの被害を受けた男性ですら、慰撫してくれる対象としてしか女性を求めない。期待した自分が馬鹿だった」 …そんな風に思ってる人も居るかもしれない。この人を見て、この人と同じように。>
これは、「あなたは自らを被害者だと思いつつも、一方では女性に対しては支配欲の発露や性的モノ扱いを行う加害者でありミソジニストである…その事に気づいてみたらどうでしょう」といった『当て付け』を意味するコメントだろ。
イジメでの傷を受容してくれるなら、男性でも構わなかったし、直接的な人間同士の関わりよりは遥かに代償的になるけども『社会的メッセージ』でも構わなかったと明記している。つまり、実際の所、自分の内面にあった欲求は、誰か、あるいは社会的に弱さを受容して貰うことで、傷ついた尊厳の回復することであって、それは女性に対する支配欲の達成では回復されないものだった。
それに『この人を見て、この人と同じように』などと指摘されるまでもなく、自分と同じような立場にある人が女性に限らずいることは理解している。
というより、男/女に限らず居るだろ。小学生時代に『キモイ』とイジメられた、その後思春期に入り性別異和を抱いた、でも自分キモイという意識があって性的な自己表現が困難で生きるのが苦しい、だとか、そういった更に拗れてる人間も、おそらく存在するはずだ。『キモイ』とイジメられると、自らを恋愛などに繋がるセクシャリティの自己表現をすることが許されない、『性的無価値者』と規定してしまう意識が生まれる。ジェンダー規範に従えば、性的無価値を金銭などで補填し女性に対する支配欲で解決できる喪男より、価値を男性に見出してもらう事が必要な喪女のが苦しいだろうことは理解できるし、ジェンダー規範に自らの性的価値で立ち向かっていかなければならない『LGBTのT』は更に圧倒的に深刻だと推測できる。
性別異和とまでは至らずとも、肉体的性別と精神的性別の配分は別物だし、そのような個人の持つ絶妙さを全て一蹴して黒く塗り潰すのが『キモイ』という言葉であって、どや顔で『女性にも居るんですよ?』だとか、どれだけ下らない指摘をしているんだと思う。
従って、この全く的はずれな『当て付け』は、私の内面を精査して構成されたというよりも、むしろ、単純な恋愛社会とジェンダー規範に沿って構成されたと見える。
あるいは、crowserpent氏が、元増田記事を鏡としてcrowserpent氏の内面を発見してしまったわけですね。
他者の内面を断罪したがる人は、自分の内面を他者に見出してるだけだ。
だいたい、『ただ、この人に考えて欲しいのは…』この文面は『私も以前こう考えていましたが…』と書き連ねても、同じ意図は表明できたはず。
自分の元増田記事の主な意図のひとつは『勝手に人の内面に過失を見出すのはやめてくれ』という内容だった。『散弾銃でミソジニー、悪、などと指摘してくる正義の人達がいた』と書いたけども、その記事へのコメントで、まさに直接に内面を断罪する銃で撃たれたのは酷い。さすがはてなだと思った。
crowserpent氏のようにはてなの論者は、自省の形式を取ることで自らを無敵化しつつ、『自省』を『他者』に押し付けて、内面の悪を『発見させる』論法を用いるから、極めて邪悪だ。
15年以上前の話、小学校低学年だった頃、クラスの女子にイジメられていた。キモい、ウザい、死ねとイジメられていた。
暴力的なイジメはなかった。常に精神的な言葉や態度に依るイジメだった。
今思えば、肉体的な暴力的なイジメだったら、反撃できたと思う。言葉によるイジメには反撃出来なかった。『女の子に暴力を奮ってはいけない』という道徳律に縛られていた。
女子に対する言葉による反撃は何の意味もなかった。一対多では端から勝ち目がなかった。
学校ではずっとイジメられていた。小中とずっと、女子にイジメられていたから、いつの間にか自分は『そういう立場に置かれている存在』だと思い込んでしまった。
本当は思い込まなくてもよかった。塾では普通に皆と、和気藹々と会話できていた。でも、学校の場の空気が自分をイジメられっ子の立場に押し込んでいた。
イジメられ続けたまま、小中学生時代が終わった。小6の時に自殺しようと思ったけど、出来なかった。今思えば此処で終わらせておけば楽だった。
結局、誰も助けてくれなかった。教師は事なかれ主義から、明らかに俺のことを見て見ぬふりをしていた。親はイジメられている俺を不甲斐ないと怒鳴るような人間だった。母親は『男なのにそんなだと馬鹿にされるよ』が口癖だった。
高校に入り、ネットなどを見始め、身近にある友人関係や家庭は破綻していたので、身近でない、遠方にある社会的な話題に触れることが多くなった。
思えばコレが間違いだった。ただ、自分にはどうしようもなかったと思う。身近な人間が誰も助けてくれなかったし、悪意を向けてくるのみだったから。政治社会的な話題を用いて、自分を慰撫するしか無かった。つまり、たとえば悲惨な家庭環境にある人間が、「虐待は悪」という社会的メッセージを読んで、救われるという流れだ。その頃の自分は、無意識に「女子からのイジメ」を慰撫できる社会的メッセージを探していたのだと思う。
ネットで、自分と同じ立場の人間が居ないか、イジメの話題で調べるようになった。結果として、吸引されるように、喪板などを見始めた。
『そういう立場に置かれている存在』の女性からのイジメ経験談が書きこまれていて、似たような人がいることを知って、多少救われた気がする。
『そういう立場に置かれている存在』に名前が付けられていたことを知った。『非モテ』だった。
そのうち、「はてな」も見るようになった。「はてな」で知ったことは、ミソジニーなどの単語や、ジェンダー論や非モテ論で、男性は強者であり、社会的に自省するべきと規定される存在だと言うことだった。
これには、イラついた。
だが、自分と同じような立場にある『そういう立場に置かれている存在』を名指しして、「政治的に正しい人達」がその内面を断罪していた。女性に対する恨みなんて無かった。ただイジメから来る惨めさから、後退しているだけなのに、散弾銃でミソジニー、悪、などと指摘してくる正義の人達が居た。全くの他人に対する指摘だとはわかってるけど、散弾銃の弾が自分にも当たってて痛かった。
どこか自分が悪い気がしてきた。でも自分は悪く無いと思っていた。自分はどう考えても強者ではなかった。イジメられていた弱者だった。でも自分の内面が断罪されているように思えた。本当は誰かに慰撫して欲しかった。身近な人間でなくても、単なる社会的メッセージでもよかった。誰もしてくれなかった。『キモイ奴は一人で死ねば』だとか『男性は強者で自省すべき』だとかそんな言葉しか無かった。
はっきり言って、『弱者』『少数派』と認定されて社会的に慰撫して貰える『社会的弱者』が羨ましかった。自分はマイノリティにすらなれない、イレギュラーだった。
このような話題や、議論を見ている内に、悪性サイクルに取り込まれた。
こんなことはもうやめる。馬鹿だった。
自分はただ、イジメられている時に、助けて欲しかっただけだった。
身近な人間は誰も助けてくれなかった。遠方から発せられる、社会的なメッセージは、男性は強者であり悪いと断罪していた。
非モテだとか、弱者男性だとか、ジェンダー論だとか、本当は、全てどうでもよかった。
そもそも『モテ』や『非モテ』には一切の興味がなかったし、恋愛はどうでもよかった。自分は草食系どころか霞食系だった。社会構造などもどうでもよかった。ジェンダーもどうでもよかった。政治思想的に男性を断罪する人達が指摘する『内面』は、自分には一切関係のないものだった。他人が勝手に内面にありもしないものを見出して来たから、もしかしたから自分にもあるのかもしれないと思い込んでしまっただけだった。女性に対する恨みなんて存在しなかった。身近な人間が誰も助けてくれなかったから、政治思想に何か縋れるものがあるのかもしれないと思い込んでしまった。自分は馬鹿だった。
女子からのイジメによって発生した惨めさが、子供の頃に解消されず、いつしか政治思想的な話題に吸引されて、悪性サイクルに取り込まれていたに過ぎなかった。
本当にばかみたいな話だ。
こんなことは、2011年ですべて終わりにする。
逆に就業率が低い方が幸せになりそうでしょうか? 違いますよね。
http://anond.hatelabo.jp/20111224201843
この増田さんの彼氏は「家庭に入ること」に価値を見出していません。 これは一つのケースですが。
また確かに現時点の可処分所得は、未婚の段階では同じですが、逆に言えば結婚してしまうと女性が低下してしまう現実も表しています
それはこれですね↓
平成17年版 国民生活白書 女性の実質所得は緩やかに上昇している
http://www5.cao.go.jp/seikatsu/whitepaper/h17/01_honpen/html/hm02010003.html
既婚者の場合配偶者に対する控除や勤務先からの扶養手当の減額を避けるために、所得が増えすぎないよう労働時間を制限していることが多いと考えられる。
女性の側が労働時間を調整してしまっています。控除、扶養手当を無くせば、こういった女性の行動はなくなります。
これは実際にそうなんじゃないでしょうか。 (妊娠、出産によって)管理職のポストが抜けることが許されるほど余裕がある企業は少ないでしょう。
企業は経済的合理性によって男女それぞれのメリット、デメリット、リスクを定量的に比較します。
この点に関してはフェミニズムは「男社会が悪い!」って男叩きするのではなく「妊娠、出産のコストはかかる、休業中の機会損益に関しては政府が負担してくれ」って言った方が良いと思います。
ありがとう。なんか、じゃー離婚すれば??って自分で思っていて
離婚すれば全部チャラになるわけではなく新たな責任が生まれるわけで、逃げたってどうしょうも無いことないことわかってた。
震災で色々大変になった人には心から自分の考えは甘えでしたごめんなさいって思う。
そして、それでも、そうやって答えてくれる人がいることが私の救いで、本当にありがたく思う。
孤独でいいとかいって、自分はこういう増田とか誰かの受け答えにひとつひとつ涙でる。
自分ばっかりひどい目にあってという視点がよくないことはわかって言えども。
>>うん、私も、そう思ってたよ。30歳くらいのときかな。で、33歳のときに、ものすごくやばいこと(本当にやばいんで、内容は書けない)になって、「とりあえず今私がやって後悔しないこと」だけじゃなくて「10年後に生きてても後悔しないこと」も行動の基準に付け加えたよ。
今、「義父に電話しない」というのは、「今の元増田」は後悔しなくても、「10年後の元増田」が後悔する可能性は高いでしょ?
だから、「10年後に自分が生きてたときの保険」だと思って、そういう「義務」を果たしていったらどうかな。
想像するに「義務」が、あの地震の日から、3倍くらいになっちゃってイラついてるんだろうけど、「孤独」の残酷さを噛みしめてる人達に向けての発信は止めなよ。酷いよ。 <<
孤独の残酷さかみ締めてる人たちからそれを奪うことは同じ気持ちを噛締めて不都合だと思っている今の自分なんだと気づく。
私は10年後が多分分からないのだと思う。創造するのを避けている。
明確なビジョン、そういったものが、今生きる私の考えをことごとくすりつぶしたせいもある。
どうやったら人のせいにしなくて生きていけるかな?
自分の人生、自分のせいにしたふりして生きていたつもりだたけれど、自分と他者との距離が明確につかめない。
それが病気っていいわれてみるとそれまでのことだと思う。
10年前の自分はもっともっと身勝手だった。そし若くて残酷だった。
人の愚痴を聞いて嫌になってた。
愚痴くらい自分で処理してよーと、思っていた。もう一人の自分がいて私の愚痴を聞いてくれたらどんなにいいかとずっと思っていた。
でも、自分は他人にはなれない。どうしたってなれない。
うまい答えは見つからない。でも、答えてくれた増田全員に私は救いを見出してしまって、
今、ものすごく混乱してる。
ももクロは今より売れる可能性はあっても、アイドルにおいて覇権を握る、今で言うAKBのポジションに着くことは到底有り得ない。その理由を記述する。
(1)ファンが批評系
もう、これでここで言いたいことの8割は言ったのだが、今のところ”ファン”を自称する人間のその多くが批評的な人間であるということだ。
AKBもかつてはサブカルだった。どサブカルだった。秋葉原に劇場を持ち毎日公演を行い、謎の選挙システムを有する。いかにもである。しかし、このAKBの流れを汲み取り切れなかったのが2000年代後半のサブカルチャー批評だった。かつて文芸批評家の宇野常寛氏は、ニコ生の番組において「2011年に入るまでAKBに注目できなかったのは失態」と語ったことがある。
AKBは上記にあるように、サブカルを代表させるにはうってつけのシステムを持っていた。これを批評的に分析できたとしたら、どれだけ楽しかったことか。そして今の流行を先見の明を持って解き明かせたら、どれだけどや顔できたことか。しかし、その間もなくAKBはサブカルとは呼べないレベルの現象になってしまった。
今更AKBを語るのは、サブカル的には”カッコ悪い”。(前述の宇野氏は、現在ではAKBの批評的分析を、同じく批評家の濱野智史氏と共に行なっている。このあたりは、ポップカルチャーを批評対象とする宇野氏のスタンスに適っている。)
しかし、AKBには一個弱点がある。それはデカくなりすぎたことだ。デカくなればそれの粗探しも容易である。後は、「じゃあ何だったらいいんだよ」と返されたときに持ちだしてこれるモノがあれば良い。
ももクロ以外のモノではダメな理由がある。それは、現在ももクロ以外の各レーベルが売り出すアイドルグループは、方法論やコンセプトがあまりに凡庸、古典的なのだ。
「◯万人の中から選ばれた◯名」「毎日長時間のレッスンを重ね、△△より上手い、歌とダンス」
こんな売り文句に飛びつけるわけがない。
そして、ももクロでなければならない理由もある。
そもそも、AKBのコンセプトとは何だったか。それは「会いに行けるアイドル」である。
対してももクロのコンセプトは。そう、「いま、会いに行けるアイドル」である。
ももクロの結成は2008年。この時、既にAKBは前年に紅白出場を達成、またCDの販売方法が独禁法に触れる恐れがあるとして販売中止、回収騒ぎになった年でもある。
当然ももクロ側にも、メジャー化して「会いに行ける」というコンセプトの維持が難しくなったAKBへの対抗意識があったことは間違いない。
この、売り出し側の「アンチ・AKB」的方法と、買い手側の「アンチ・AKB」的精神の癒着により、現在のももクロ人気は成立している。
そして、この一点のみで自称ももクロ”ファン”は、ももクロ”ファン”を公言している。AKBによって市場規模の大きくなった「アイドル業界」において、敢えての選択としてAKBではないグループを応援するという、サブカル的精神にとって心地よい味を提供してくれるのがももクロというわけである。
そして、この手の”ファン”は、小規模な経済活動である間は良いが、規模の拡大に寄与しない(大量購入などのオタク的消費は行わず、あくまで必要最低限のモノしか買わない)うえに、そもそも規模が拡大していくことを嫌う。
小規模の間は、勝手に”ファン”がももクロのいちいちの行為について言説的補強を行なってくれるので、界隈の巻き込み力がある。しかし、その界隈も一定数を超えると限界が出る。しかもオタク的消費を好まないから、数の飽和イコール売上の飽和ともなる。(ここでは、大量に購入させるような商法(いわゆるAKB商法)が倫理的にどうであるかとの問については答えない。簡単に私見を述べれば、独禁法に触れるようなもの、つまり付録のバリエーションを増やし購買意欲を煽るようなものは問題であると思うが、握手券や投票権を求める購買行動については売り手側の責任は無いと思われる。)
以上が、批評系”ファン”が多数を占めることによる弊害と言える。
(2)可愛くもないし、一生懸命でもない
というのは流石に言いすぎだが、他と比べてそこが際立つわけではないということである。
よく、”ファン”はこの2点を強調する。そして、「だからこそAKBより良いのだ」という。
ただ、言いたいことはわかる。
例えばAKBのファンも「◯◯が可愛い」と言う。この◯◯には、例えば高橋みなみとかが入るわけだが、はっきり言って可愛くはない。「前田敦子が1位である意味が分からない」という声もある。
こういう場合、その対象がAKBであろうとももクロだろうとなんだろうと、ファンたち何も容姿の美しさ単体で「可愛い」という形容詞を付けているわけではない。そこには、それぞれ固有の物語、コンテクストを見出して「可愛い」と言っている。それがAKBで言えば、「エケペディア」に象徴されるデータベースから個人個人のエピソードを上手く消費するという行為であって、そしてそのパブリックなコンテクストに加えて握手会というプライベートなコンテクストを加えることで、ファンのメンバーに対する<愛>は蓄積される。
だから、オタク層以外には「AKBで前田敦子が1位である理由」なんて分かるはずがない。というか必要がない。そのコンテクストを共有していない人間に理解される必要などないからだ。
貴方達は皆、ミス・ユニバースの選考に100%納得しているのか。ミス・ユニバースは、ミス・ユニバース内部のコンセプトに基づいてミス・ユニバースを決定するのである。そこにおいて、容姿というのは評価の1項目に過ぎない。その点を理解している人間がどれだけいるか。
この理解で言えば、「ももクロのメンバーが可愛い」というのも同じ文脈で捉えることは可能である。しかし、ここに一点だけ差異がある。
前田敦子が可愛くないとみんなは言う。なるほど、確かに私もそう思う。(ただ、たまに奇跡的な瞬間があることも知っている)
では、テレビでそれを言ったらどうなるだろうか。本人の目の前で「可愛くないねー」と前田敦子に言ったらどうなるだろうか。Mステでタモさんが前田敦子に「顔のパーツ中心に寄ってるよね」と言った時のスタジオの空気を知らないのか。
著名人のAKBに関する批判的コメントは多数ある。ただし当人がいない所で、である。このことが結構大事であって、それは「そんなに可愛くなくても可愛いものとして扱われること」が究極的なアイドル性だと考えるからだ。
前田敦子はその点で究極的である。一方でコンテクストを持つオタク達による支持を受けAKBのトップとして君臨し、もう一方ではそのコンテクストを持たない一般メディアにおいて「AKBのトップ」であるということを理由に支持される。この時、両者は同じように前田敦子に接しているように見えるが、その内実は異なる。
前者は本当に可愛いと思っており(何故ならコンテクストがあるから)、後者は可愛いことになってるから可愛いとしているだけである。(何故ならコンテクストがないから)
そしてその内に、そのコンテクストを持たない者の間にも「可愛い」という意識は一部に伝染する。あくまでも一部ではある。板野友美が女子高生に人気があるというのが都市伝説かどうかは、私には接点が無い存在である故確認できないが、そういう可能性がありうるのがこのような状況である。
可愛い人に可愛いというのは当たり前だし、ブスにブスというのも当然である。そこを転倒させることができてこそ、真のアイドルではないのか。(筒井康隆「薬菜飯店」収録の「イチゴの日」という短編を見よ)
翻ってももクロを鑑みるに、この点が厳しい。コンテクストを共有する者の間で「可愛い」は流通するかもしれないが、コンテクスト外のメディアにおいては厳しい。(「ゴッドタン」をはじめとするバラエティ番組での扱いが顕著である。ただし自らの冠番組においてMCの芸人にどう弄られようと、それはファンにのみ流通するパブリックなコンテクストを補強するイベントに過ぎないので全く問題はない。)
つまり、ももクロはアイドル性を保つのが困難なほどバラエティ性を現時点で持ってしまっているので、コンテクストを持たない者に「可愛い」が流通しにくい状態となっている。
だから「可愛い」と認識させるためにはコンテクストを持たなければならないわけだが、ここでももクロ”ファン”が批評系であることが弊害になる。
彼らは口うるさい。見る前からあれがいい、これがいいとこれ見よがしに自らの批評眼をアピールする。そしておそらく、この手のももクロ”ファン”はAKBオタクなどよりも、音楽偏差値(というものがあれば)は高いし、現代思想にも詳しく普通の意味での偏差値も平均すると高い。
皮肉にも、このことがももクロを好きと公言するのに、もしくは積極的に見ようとする心に障害となる。
彼らは知りすぎている。目が肥えている。そんな彼らが「良い」と言うのだから、「良い」に違いない。しかし見てもよくわからない。可愛いような気はしないし、踊りもなんだか凄いがとりあえず可愛くはない。けど「良い」らしい。なぜ僕はわからないのか。
対してAKBはどうか。オタクはキモい。なんかオタ芸してるし、CDはめっちゃ買うし。だからあんなものを理解しなくて構わない。仮に少しでも引っかかることがあれば、とりあえずそのままその波に飲まれてしまえばいい。どうせ彼らオタクは周りに新しいファンが増えようがどうでもいい。どうせならもっと売れなくなればチケットも取りやすいのにくらい思ってる。
私は、このコントラストが大雑把にはあると思われる。そしてこのことが、「可愛い」というお札が流通しない/する要因となっている。
もう一つ、「一生懸命」について言えば、この言葉はかなり頻繁にももクロを持ち上げるものとして使われるが、端的に言おう。
そんなのみんな頑張っている。ただそれだけだ。
ダンスや歌のレッスンは、皆どのアイドルグループも一生懸命やっているのだ。所詮、「アイドルなのに顔芸をやる」という点においてのみ「一生懸命の差異」を見出してるにすぎない。
私がここで「自称」とか「ファン」を” ”で括るのは、彼らが本心からの好意ではなく、「AKBというサブカルの隆盛を見抜くことができなかったコンプレックスの解消手段」としてももクロを利用しているように見えるからである。
結局のところ、ももクロを今以上に流行らせ、AKBに取って代わりたいのであれば、自称ももクロ”ファン”達がそれを名乗るのを辞める他ない。
早見あかり頑張れ。
名の有る人なんて海外の人物も含めればそれこそ万といるんだから、そりゃ毎年誰かしら亡くなるだろって。
そこに凶年という物語性を見出したい気持ちはわからんでもないけど、そのテクストはどこでも通用するものじゃないということだけは覚えておいてね。
今更言っても無駄だと、それがJ-CAST連中のやり方だと言ってしまえばそれまでかもしれない。Jカス絡みでこんなのはよくある事だ。けどやっぱり今回の仕業にはあまりにも目が余る。
これについてだ。
「今のアニメはコピーのコピーのコピー」「表現といえない」 押井守監督発言にネットで納得と逆ギレ (1/2) : J-CASTニュース
この記事は、朝日新聞社のサイトで連載されている小原篤の連載コラム「アニマゲ丼」を発端として書かれてるものだ
こちらがそれ
そもそもは11月12日に東京芸術大学で開催された、「第2回 映像メディア学サミット LOOP-02 マンガ・アニメの映像メディア学的再考」というセッションに押井守が参加し、トークした内容が大本になっている。
その模様はユーストでアーカイブとして見れたが、20日までの限定配信で現在は見れない。
まず「アニマゲ丼」の記事は、見出しが示しているように「若者は夢は持つな」という旨の発言を軸にしている内容である事がわかる
以下引用
asahi.com(朝日新聞社):「若者は夢を持つな」と監督が言った - 小原篤のアニマゲ丼 - 映画・音楽・芸能
「やさしい、というのは、励ますとか慰めるのとは違う。『親身になれた』という意味で、それまでは若者のことはどうでもよかったのが目を向けるようになったということ。で、若い人のことを考えれば、本当のこと、残酷なことを言わざるを得ないと思い、ちょうどそのころ中学生や高校生と話す機会がたくさんあったので、こういう話をした。あなたたちは限りなく凡庸で無名で何の個性もないんだ、『一人一人がかけがえのない存在だ』なんて大人のウソを信じるのはやめて、早く幻想を捨てろ、夢を持つな、あなた方の未来にいいことなんて何一つないんだ――というところから始めたらどうでしょうか、と」
なんて身も蓋(ふた)もない、と思いましたが08年8月11日の本欄で私は「スカイ・クロラ」について「あまりに救いのない、というか身も蓋もない結末ではありませんか」と書いていたのを思い出しました。
ここが「アニマゲ丼」で一番取り上げたい部分なのだろう。
この押井守の主張に関する是非は置いておくとしても、この記事自体はバイアスがかかっている気がする。
実際の講演は第2部「アニメーションと日本の戦後社会―ロボット、サイボーグ、アンドロイド、そして人間」というタイトルが付けられている通り
パトレイバーや攻殻機動隊を監督した者として押井がロボットやアンドロイドのあり方を問い、技術論を語り、さらに原発の話題にも振れていくところが主体の講演だった筈だ
ここのスカイクロラの部分はほとんど寄り道であって、「アニマゲ丼」の記事を書いた小原篤の主観として誇張気味に書いている節がある。
いわば押井の講演内容からコピーしてトリミングして、そこに小原自身の主観を交えながら書かれている記事だ。
J-CASTはそこから更に、何故か突然「萌えアニメ」「ハーレムアニメ」などと言った単語を挿入し、押井守が今の萌え・ハーレムだらけのアニメ業界に苦言しているようにも取れる記事を書いている
まずアニマゲ丼から、押井が今のアニメに苦言しているという部分を引用する
asahi.com(朝日新聞社):「若者は夢を持つな」と監督が言った - 小原篤のアニマゲ丼 - 映画・音楽・芸能
そして現実の劣化コピーに過ぎない実写と違い、「現実に根拠を持たない」アニメは珠玉の工芸品となり得、アニメはその根本から細部までコントロール可能であるがゆえにその力を使ってアニメ監督は、全世界・全歴史に向けて自分の言いたいことを完全な形で言えてしまうという誇大妄想の極限を味わうことができる。これは悪のにおい、危険なにおいがする。ゆえに若い人をひきつける。しかし僕の見る限り現在のアニメのほとんどはオタクの消費財と化し、コピーのコピーのコピーで「表現」の体をなしていない。
これはどちらかというと、アニメ監督をすることで「誇大妄想の極限を味うことができる」部分に目が行くと思うのだが
前後をぶっちぎって、今のアニメのほとんどはコピーのコ(略)の部分に脊椎反射している人間が多いようだ。
しかしこの記事のこの部分は全貌するとこうなっている
asahi.com(朝日新聞社):「若者は夢を持つな」と監督が言った - 小原篤のアニマゲ丼 - 映画・音楽・芸能
押井監督は、日本人が科学技術の表面的な受容と円滑な運用のみにかまけ、その技術の核たる思想、技術をゼロから立ち上げる思想を持たなかったことが今回の原発事故を生んだと指摘。様々な当事者の認識を改めるために今回の事態をヒロシマ・ナガサキに続く「第3の原爆」と呼ぶべきだと訴えました。「技術の思想」の欠如は、ロボットに「かっこよさ」のみを求めるアニメ製作者の思考にもあてはまる、と自作「機動警察パトレイバー」をもとに批判を展開し、そして訴えかける核を持たない日本アニメは、その表層を細緻(さいち)に描き込み磨きあげることで「極東の島国の珍なる文化」として世界に地位を獲得したと分析。工芸品的に細部を作り込みたがるその日本人的な意識が、細緻(さいち)な映像表現に好適なロボット・アンドロイド・サイボーグなどへと向けられた結果、肉体や自意識をめぐるテーマへと結びつき、つまりはアニメという表現形式が発展過程でテーマをはらんでしまったのだと説き明かしました。そして現実の劣化コピーに過ぎない実写と違い、「現実に根拠を持たない」アニメは珠玉の工芸品となり得、アニメはその根本から細部までコントロール可能であるがゆえにその力を使ってアニメ監督は、全世界・全歴史に向けて自分の言いたいことを完全な形で言えてしまうという誇大妄想の極限を味わうことができる。これは悪のにおい、危険なにおいがする。ゆえに若い人をひきつける。しかし僕の見る限り現在のアニメのほとんどはオタクの消費財と化し、コピーのコピーのコピーで「表現」の体をなしていない。あと、ユニコーンガンダムのツノはアイデアとして面白いけど、だからどうなの?
ってな話を約2時間、相変わらず、とうとうとまくしたてたのでありますが(上のまとめは少々わかりやすくかみ砕いてます)メモをとるのが疲れました。私はそれより、新作の話はないの?って聞きたかったんですけど。
ここで「アニマゲ丼」の記事は終わる。
訓練された押井信者(笑)ならば、ここは「ああ、最後はいつもの押井で終わりだな」と、顔をほっこり緩めるところだろう。
「アニマゲ丼」としてはこれをオチの部分にしたかったに違いない。
アニメはコ(略)などはほんの極一部分にしか過ぎないし、これだけでは押井が真剣に憂いているのかどうかもわからない。
さて、J-CASTの方を見てみよう
「今のアニメはコピーのコピーのコピー」「表現といえない」 押井守監督発言にネットで納得と逆ギレ (1/2) : J-CASTニュース
朝日新聞は2011年11月21日付けの電子版コラム「アニマゲ丼」で、押井さんの東京芸術大学大学院映像研究科での講演(11月12日開催)を紹介した。講演で押井さんは
「僕の見る限り現在のアニメのほとんどはオタクの消費財と化し、コピーのコピーのコピーで『表現』の体をなしていない」
と語ったという。つまり、制作者には新たな創造性や、作品を通じて訴える思想的なものが欠如し、過去にヒットした作品の焼き直しばかり。例えば「萌え」が流行すればそうした作品ばかりになっている。また、今のアニメはオタクと呼ばれるファン層に媚びたものが多く、こうしたことから「表現」が制作者から無くなった、という批判だ。
確かに11年9月から始まった20本近い新作テレビアニメを見ると、さえない男性主人公の周りに美少女が群がる「ハーレムアニメ」が驚くほど多く、過去にヒットした「ハーレムアニメ」作品と共通する内容がかなり多い。
突然どこからか「萌え」「ハーレムアニメ」という単語が出てきた
押井が言いたいのは「アニメという現実に縛られない媒体を使うことで、監督の自己主張を完全な形で広められる。こりゃたまんねえ(快感)。でもそこまでやる奴ぁもうほとんどいないよね」という事を言いたかったのでは?これも俺の主観ですけど。
どちらにせよ「オタクの消費財」や「コピーのコ(略)」が萌えアニメやハーレムアニメだけを指しているというのは暴論だろ
その発言の直後に出てくるのはガンダムUCだし
J-CASTはあくまで「ネットでそう反応されてる」と言い訳のように使ってる
「今のアニメはコピーのコピーのコピー」「表現といえない」 押井守監督発言にネットで納得と逆ギレ (2/2) : J-CASTニュース
「アニメ業界が飽和しすぎで、コピー品を粗製乱造しなきゃ回らなくなってる」
「売らなきゃ食っていけないからな。安定して売れるのがオタク向けの萌えやエロ」
などと納得する人もいるのだが、現在主流となっているアニメのファン達は、自分達の趣味趣向、好きなアニメを批判するのは許せない、と激しく反発。しかし理論で立ち向かえないからなのか
などといった作品批判や、人格批判へと発展し、大混乱となっている。
これでJ-CASTの記事は終わる
J-CASTとしては、「ネットでは押井守が萌えアニメを非難していると言ってる」として、そこを拡大解釈しまくってこんな記事を書いたのだろうか
そもそもそのネットってのはどこのネットを指してんの?2ch?
ちなみにニュー速+では
【話題】「今のアニメはオタクの消費財と化し表現の体をなしていない」押井守さんの発言でネット上は騒動に
というスレッドが立ったが、それはJ-CASTの記事を受けてのものだったし、★4まで伸びたがそれ以上の次スレは立っていない。(追記、★6辺りまで伸びたっぽい?)
一体どこで"大混乱"になってるのか全然思い辺りが無いんですけど。
押井守の東京芸大での講演が、「アニマゲ丼」がダイジェスト記事にしている時点ですでにコピーだし
それを読んで、どこかのネットでは「押井守が萌えアニメを馬鹿にしている!」と憤慨しているならさらに劣化コピーで伝わるべきものが全然伝わってない
ここらへんについては、言葉の技術(この人のほうが私より断然ウマイ)や対象は違うけれど、私が書いてることとかぶってると自分では思ってる。
俺には同じ人が書いているようにしか見えんかったが。
まぁ、それにしたって、あそこまで自己を他人に投影できるのは、悩みがなさそうで羨ましいね。
他人に投影できるから、インターネットに希望を見出していた有象無象って集団を仕立て上げ、自分をその中に埋没させることが出来る。
個から奪われたのではない、群から奪われたのだと、これは大変な事なんだと、自身の欲望の価値を拡大させる。
これだって一種の自己肯定だ、集団の威を借りた、さもしい自己肯定。
普通の件に関しちゃ、おれは違う考えを持ってる。
それぞれの集団で(田舎で都会で、会社で学校で)トレンドリーダーみたいな人はいて、それらの人が普通を形作る。
その人たちの居る集団が普通になる。
これは、当然そうなる事象で、非難しても仕方がない。そこが皆が属したいレベル帯なのだから。
足りない人はついて行こうと必死になる(似非リア充とか呼ばれる)。
普通ってのは、優越感ゲームの武器であり防具なんだから、当然のように他人を抑圧する。
優れた人が普通を名乗るから、そうでない人が抑圧されるのではなく、ある集団の構成条件を普通である事とするから、そこに留まりたい者にとって抑圧となる。
だから、普通に抑圧を見出す人は、入りたくても入れない集団に憧れてるか、留まることのコストが高すぎる集団に在籍してるだけ。
僕自身ははがないをこんな風な目で見た事が無かったので、斬新な切り口で面白い文章だなと思った。
なのでちょっとこの文章いじくって遊んじゃおうかなって思います。
アニメがつまらないというか不愉快な出来なので仕方なく文庫を手にとって読んでますが、面白いすなぁこれ。強烈にグロテスク。
これ村上春樹が好きな人(特に初期)には受け入れがたい作品じゃないかと思うわ。村上春樹の小説に不純物を混ぜ混ぜ込んだゲテモノ食い料理にしか見えない。
ここまで言っておいて、
こんなフォロー入れちゃうのは、叩かれるのが怖いからかな?
何が面白いって普通の話と逆の方向に進んでいってるってところがいい。
たいていの物語は、未熟な登場人物が、イベントとか試練を越えて成長し、
って言ってるけれど。
「視野狭窄」で「自分だけの世界」に籠もってるなんて、キャラとして未熟もいいとこじゃない?
そういう風に自分の殻に籠もってた奴が、色んな人との触れ合いで心開いていく。なんて、世にごまんとあるストーリーだし。
むしろ、順行してるよね。
この一文で思ったんだけど。
要するにこの人が言いたいのは
初期のキャラ設定が好きだったのに、話進むにつれて段々キャラが変わって行ったのが嫌ってだけの話じゃないの?
その台詞言った人って、その後友人どころか彼女まで作ったって話ですぜ、親分。
初登場で「あたしも友達がほしいのよ!」と叫んだのは君の好きな初期状態の星奈だよ。
星奈がギャルゲにハマったのって、隣人部に入ってからだよね。この人のいう初期状態ってどこから、どこまで?
っていうか、現実の友達なんかギャルゲ以下って思ってるんなら、さっさと退部して家に籠もってゲームしてるだろ、星奈の場合。
トモちゃんに劣るし
「タカ」がいるじゃん。わざわざ、その為に隣人部作った様なもんだし。っていうかここでは夜空も例外じゃないんだね。
せめて「発明」にしようぜ、理科ってそこまで腐女子キャラでもないし。
っていうか理科も、隣人部行きたくないなら、それこそ理科室に籠もってるだろうよ。
あにきの方が格好良いし
眷属もいない
そう言えば、クラスメートには姫って呼ばれてたね。
っていうか夜空についてはトモちゃんを引き合いに出したのに、小鷹については触れないんだね。
つまらない事この上ない。
それは「君が見てて」って話じゃないの?
視野狭窄と言われようと何と言われようと、自分だけで世界を閉鎖系として完成させることができるなら、
今の状態こそが一番幸せじゃない?ね、みーくん。
そうだね、他人に何と言われようと、自分が幸せだと思う事をするのが重要だと思うよ、逆に言うなら、自分が思う幸せの形を押し付けちゃいけないよね、まーちゃん。
この人のいう、隣人部の結成時点ってどこだろうね?
夜空&小鷹コンビの時? 星奈が入った時? 小鳩が入るまで?
お前がそう思うんならそうなんだろうよ、おま(ry
嘘ついたって、傷つけるし、嫌われるし、潰されるけどね。
むしろそっちの方がよりルールとして広く活用されてるよね。
だけれども、その正直を許しあう、ただそれだけの関係。
特に夜空と星奈。
コミュニケーション?なにそれおいしいの?
そんな感じの人が一人なら良いけど、二人いるからねぇ……。
結果、一方の意見にもう一方がガンガン反対するっていう。ええ、あの二人ですよ。
あの状況下で誰にも手を出さない小鷹はある意味凄いよね。
うん、だからさ。それは単に君がキャラの初期設定が好きだったってだけの話じゃないの?
これを読んだ人は他にこんなものを読んでますの欄に「完全自殺マニュアル」「自殺サークル」「20歳の手記」が並んでても驚かないね。
これってブーメラン? もしかして君の本棚にある本を挙げたのかな?
ちなみに僕はどれも読んだ事無いよ。
叩かれないように予防線張りまくりの君の文章も、読んでて吐き気がするよ。
もちろん褒め言葉さ!
小鷹とカップルになりそうなのは、夜空、星奈、理科、幸村の四人だけど。
夜空とか、嬉々として二人の仲を裂きに行きそうだし。
星奈は、なんだかんだですぐに立ち直りそうだし。
幸村は、けなげに小鷹の舎弟続けそうだよね。
個人的にはこだかさんと夜空以外は、無理に友達なんかつくろうとせずに、
自分の世界に籠もる幸せは容認できるのに、皆と馴れ合っていく幸せは容認できないんだね。
結局この人もタイトル詐欺に引っ掛かった一人なんじゃないだろうか。
友達いなくても孤高に生きているキャラを期待して読んだら、最初の方はそれっぽいキャラ設定だったけど、結局馴れ合いみたいな感じで仲良くなっちゃって、なんだかんだ仲良しグループになったのが気に食わなかったとか?
作品だけじゃなくて、読者にまで毒吐いてるあたり、相当苛ついたんだろうね。
んでまぁ、そんな馴れ合い状態への嫌悪感を、叩かれないようにオブラートに包んで出来たのがこの文章。
僕の読解力だと、そんな感じにしか読み取れなかった。
夜空と星奈はガチでぶつかりあってるし、っていうかあれが馴れ合いだったら凄いわ。
小鳩とマリアもだね、こっちは見ててほほえましいけど。
理科は、小鷹に分かりやすいくらい分かりやすくアピールしている。
小鷹だって、隣人部の部員となぁなぁでの付き合いはしていない。
確かに、友人を作る事を目的にした部活で、具体的に友達を作る為に何かする訳でもなく。(小鷹はちょこちょこ頑張ってるけど)
実際には予行演習と称して、部員どうしで遊びに行きまくってるのに、
「もう俺らって友達じゃないの?」って所に触れてない辺りは馴れ合い臭いけどね。
だけど、友達作れない不器用な連中の、そんな馴れ合いは、少なくとも僕は見てて不快じゃない。
それをグロテスクと評したこの人は、きっと一切の馴れ合いを許せない孤高の人なのだろう。
要するに何が言いたいかと言うと、
次は堕落論とか白痴のエッセンスをラノベ化しないか?舞台は敗戦間際の仮想日本で、オタク活動にいそしむ4人のキリーロフね>作者様
アニメがつまらないというか不愉快な出来なので仕方なく文庫を手にとって読んでますが、面白いすなぁこれ。強烈にグロテスク。
これ村上春樹が好きな人(特に初期)には受け入れがたい作品じゃないかと思うわ。村上春樹の小説に不純物を混ぜ混ぜ込んだゲテモノ食い料理にしか見えない。
ちなみに私は村上春樹が大嫌いなので、こういう作品は大好きですよ。
いま1巻読み終わったところだけど、私的には1巻から3巻くらいまでが一番面白くてそれ以降は最終巻だけ読めばいいかな、と思ってる。
何が面白いって普通の話と逆の方向に進んでいってるってところがいい。
たいていの物語は、未熟な登場人物が、イベントとか試練を越えて成長し、
青春を卒業して大人への一歩を登り始めるあたりで、男坂のように打ち切られるという話ばかりなのに、
はがないときたら、初期状態が一番キャラの完成度が高い状態で、
それを崩してドロドロに溶かして新しい分子結合をつくろうって感じか。化学の実験のようだ。あるいはダメ蠱毒か。
不完全な印象があるキャラってこだかとよぞらくらいで、後はもうそのまんまでいいんじゃね?って思う。
別の話から持ってくると、人間強度が高いというやつですか? 全員がみそしるの主人公みたいな感じ。
己の信念に従って、求めるものを理解し、理想像をすでに見出している。
仮に現実で友だちを作ってもそれの劣化バージョンにしかならない。
現実なんざトモプラスに劣るし、トモちゃんに劣るし、BLより萌えないし、あにきの方が格好良いし、眷属もいない。つまらない事この上ない。
視野狭窄と言われようと何と言われようと、自分だけで世界を閉鎖系として完成させることができるなら、
今の状態こそが一番幸せじゃない?ね、みーくん。
現実においては己の正直は誰かを傷つけ、誰かに嫌われ、誰かに潰される。それが世の中のルール。
だけれども、その正直を許しあう、ただそれだけの関係。
チートと言うか、システムそのものをハックして、ルールをぶち壊しちゃった世界。
そんな世界があればいいよねぇ。 だいがくになってもげんしけんみたいなの欲しいよねぇ。
コミュニケーション?なにそれおいしいの?
twitterは自分が好きなことしゃべるツールであって、賛同以外のリプライは求めてないんですけど?
そういう所で、ついでに恋愛とかセックスもさせていただけると嬉しいですねぇ。
みたいな欲望ダダ漏れの世界観。己の人生を一瞬にかけるその覚悟。清々しいですわ。
いいね、実にいいね。時よ止まれ、今の俺が一番美しいって感じだね。
げんしけんをさらに非生産的に、さらにgdgdに、って発想がすごい。
もうタナトス願望が溢れまくってるね。
次は堕落論とか白痴のエッセンスをラノベ化しないか?舞台は敗戦間際の仮想日本で、オタク活動にいそしむ4人のキリーロフね>作者様
これを読んだ人は他にこんなものを読んでますの欄に「完全自殺マニュアル」「自殺サークル」「20歳の手記」が並んでても驚かないね。
コレ読んで「リア充」とか言って怒ってる人はすごい勘違いしてるよ。
こういうカタチのリア充になりたいなら、それこそ「練炭自殺掲示板」にでも行けばいいと思うよ。
そこで知り合った仲間と運良く恋仲になれれば生還できるんじゃね?って感じ。
・・・正直、読んでてこの乾き具合と生を求めての絶望的なあがきに吐き気がする。
個人的に気持ち悪いレベルで言うと、けいおん<げんしけん<家族計画<NightmareMaker<はがない<マトリクス<君に届けって感じで、
君に届けは私が知るかぎり最もグロテスクな物語で、あのグロテスクさはマトリクスを超えるけれど、はがないもなかなか。
はやく最終巻だけ読んでこの吐き気から解放されたい。(褒め言葉です。私はこの手の吐き気が大好き)
1つだけカップルが成立してこのぬるま湯地獄から脱出して幸せになった後、
残りのみんなは笑顔で自殺するという光景しか浮かばないけどな。
個人的にはこだかさんと夜空以外は、無理に友達なんかつくろうとせずに、
女「処女の女友達が居る」はたいして自慢にならないけど、男「処女の彼女が居る」は自慢です。
女「若い女友達が居る」はたいして自慢にならないけど、男「若い彼女が居る」は自慢です。
女「黒髪の女友達が居る」はたいして自慢にならないけど、男「黒髪の彼女が居る」は自慢です。
女「安いお店で喜ぶ安上がりな女友達が居る」はたいして自慢にならないけど、男「安いお店で喜ぶ安上がりな彼女が居る」は自慢です。
女「オタク趣味に理解のある女友達が居る」はたいして自慢にならないけど、男「オタク趣味に理解のある彼女が居る」は自慢です。
こういう、男だけが価値を見出している要素をたくさん持っているほど、女受けが悪く、男受けが良い女の子ということになります。