はてなキーワード: 運動とは
「健康維持のための運動≒スポーツ」という図式のせいで「俺はスポーツ興味ないから運動しないけど?」という連中が生まれているのが現状だからなあ。
「運動は健康のためにやるものであって、スポーツとか関係ねーんだよ!」という思想が広まったほうが結果として健康な人は増えるんじゃない?
それは、運動してる時にかく汗は液量が多くて水分の比率が増えるから臭いが薄れるだけではないかという気がする
ランニングを日課にして3年くらい経つけど、トレーニングして脱いだウェアはそれほどでもないが、寝汗とか暑さでジワジワかく汗とかが染みついた下着は普通に臭くなる
皮膚から臭ってくるのは、
運動時に生成される乳酸が汗に含まれていて、これが分解されるとジアセチルという臭い成分になる。
ものすごい偏見なんだがオタクって運動部に所属したことが少なそうなのでまず汗が臭いんだと思う
運動部経験者は滝のような汗をかくので汗腺が発達してミネラルや塩分を極力ろ過した水分に近い汗を大量にかくがこれはあまり臭くない
対して運動経験が少ない・無いやつの汗はドロドロの臭い汗が多い
あと包茎が多いともう
洗ったあとで被せるのは個人の自由だがシッコの時も剥いてするやつが多い気がする
このあたりが大きく関係している気がするぞ
強者男性に対しての性差による不利益はあなたの言う通りどんどん良くなっていくだろうね
ただ、そのしわ寄せをどこに持っていくかってなると
おそらく弱者男性がさらに差別されて叩かれる存在になっていくだろうね
自分のことを大事にというフレーズはよく見かけるけど具体的に生活の中で何をすればいいんだろう?
探してきたサイトには…
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自分の本音を隠さず出す →キャラ作りすぎて本音がどれだかわからなくなってるかも
無理に相手に合わせようとしない →めんどくさくて迎合しちゃう
自分を褒める習慣を身につける →いけそ
小さな成功体験を積み重ねる →ハードル小さめにすればなんでもいけそう
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こんなのとかあった
次のサイト
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嫌なことはNOと言う →まあ嫌だって言えてる
自分の長所を明確にする →ルールの中で創意工夫するのが好き、好奇心旺盛、人に親切にするのが好き
自分が幸せと感じたり嬉しいと思える時間を作る →幸せって感じてる時間がどこだかわからん。好きな飯たべてるとき?
小さなことでも自分を褒める習慣をつける →さっきあったな、いける。匿名日記アウトプットして偉い
どんな自分になりたいか自問自動する癖をつける →こっから老いてくのにこれどんな希望とかわからないんだが…?
1人の時間を大切にする →またきたよ、大切というふんわり言葉
小さな成功体験を積んで自信をつける →さっきあったな、いけそう
無理やり相手に合わせようとしない →さっきあったな、いけそう
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さいご
まあまあ具体的だったやつ
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→老化して体があちこち痛いなぁとか思っちゃうんだけど、これって否定なのかね?否定も何も実際いたいんだったらまあそれは実際だよなw
こうなってるのを改善しようと生活習慣かえたり、して、それもまあいいねって思う感じ?
頑張ることをやめてみる(自分に厳しくするのをやめる)
→何も頑張れなくて集中力とぎれてSNSばっかみながらごろごろすごしちゃうんだけど、厳しくしてないんだよなぁ、なにもww
これよくわからんくない?
→感情なんてつまんないなぁとか、何もしたくないなぁとか、SNSみちゃうと元気で若くて愛に溢れてみんなに必要とされてキラキラしてるように見える何かをみて、ああ~いいな~愛されたいな~って思うわけだがこの感情を抑えないでいたところでどうなるんじゃ?
怒りの感情とかは抑えたほうがいいタイミングもあるしなぁ、まあこういう言葉は万人にはあてはまるわけじゃないんかもね?
→やりたいことも特に無い、やばいぜ、体力落ちちゃってホルモンもガタガタで、年齢的に手術とかしてボロッボロなんよなw やりたいことが思いつかない段階なんだけど、多分それは行動してないからで
何かしら行動すればそのうち出てくるんだろうかね?
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とまあこんな感じ…。
色々思うがままに書き出してみたけど、なんかこれで解決するんか~~?!w
それは、黙って耐えてたのが正しくなかったと気づかせた、ツイのつかないフェミニズム=人権運動の正当な成果だろうが。
スメハラとかもそうだけど、臭い絡みの話題になると途端に理性吹っ飛ぶ人っているじゃん。
でもさ、どうしようもないケースってあるじゃん。
例えば今みたいな時期に外回り営業ぐるぐる回って帰ってきたらそりゃ汗だくになるんだから、汗臭くもなるだろうよ。
「運動すればいい」「食べ物に気をつければ問題ない」みたいな反応あるだろうけど、汗かいて生乾きになったシャツとかどうあがいても臭くなるよ。
着替えとか用意するっていっても限度がある訳で、職場にコインシャワーとか洗濯乾燥機とか設置するならまだしも全部自前じゃ対策には限界がある。
でもこういう臭くなる仕事ってやる人居なくなったらマジで困る訳でしょ。
臭い奴は差別してもいい社会で臭くなる仕事をせざるを得ない人達って、昔の穢多非人と同じ扱いになっちゃうんじゃね?
もっと言えば臭い奴を差別していい社会って、別に臭くなくても臭いってレッテルを貼られたらそれだけで被差別階級に落とされる社会な訳じゃん。
黒人に対する差別の典型的なものに「黒人は臭い」ってのがあるくらいだし、臭い絡みの話題ってもっと慎重に扱う必要があると思うんだが現状は個人や属性を叩く目的で気軽に使われすぎてるんじゃないかと思う。
元やり投げ選手だった照英が競技の豆知識を披露していたんだけど
持ち込んだ槍は保管場所にまとめて立てておいて
なんなら直前の選手に自分の槍を使われて自分の順番までに戻ってこなかったら
他の槍をつかわなきゃならない
それと投擲種目で回転運動を利用しない、というか禁止されてるのはやり投げだけなんだな
軌道の安定のために軸に回転を与えているけれどな
キャンセルカルチャーを奪い返す 「表現の自由戦士」は正しいか
https://mainichi.jp/premier/politics/articles/20230605/pol/00m/010/007000c
――もともとの意味はなんでしょうか。
五野井氏 力なき人々にとっての最後の手段としてボイコット運動があります。インド独立運動の英国商品不買や、米国公民権運動ではローザ・パークスの「バス・ボイコット」(※)がありました。
情報発信の主体がユーチューバーのようなインターネット上のサービスに移るなかで、抗議の対象も国家や企業だけではなく、情報を発信する個人や現象、価値観へと変化しつつあります。
キャンセルカルチャーそれ自体は伝統的なボイコット運動の延長線上にあります。
――ネットの発達で大きな影響力を持つようになりました。
◆#MeTooに象徴される、ハッシュタグ・アクティビズムが盛んになりました。社会のマジョリティー側がもつ特権に異議を申し立てます。
フェミニズムでいえば、男性中心主義の秩序に抗議します。キャンセルカルチャーは、メジャーな価値観のなかでは取り上げられづらい人々の声を、SNSを通じて効果的に発信するものです。
コスパって概念だとタダの場合無限大に増大してしまう。じゃあ果たして0円のボロいママチャリと10円の新品のビアンキとで前者がコスパにおいて優位になるかって話で。そこまで極端でなくとも、フードコートの0円の水があるゆる有料の飲み物よりもコスパが優れてるって事になる。
0秒で完結する動作なんて無いし、金銭的なコストもまあそれを稼ぐのにかかる時間と考えれば無理矢理換算出来るし、タイパはそこん所に対処したものでもあるのかな。と思ったけどこっちはモノよりもむしろ体験や行為にフォーカスした概念なのかな。
まあそもそもパフォーマンスの定義は何なんだよって思う。パソコンなり車なりカタログスペックのあるものなら、少なくとも一面的には意味があんのかもしれないけど。
やれ映画が面白いつまらんだの、運動が健康に良いだの大して効果ないだの、定性的な概念を定量的な数量で割った所で何になる。経済学の入門で謎に数量化された効用なる概念を見た時にも思ったけど。
まあ選択を吟味する時に失うものと得られる満足感の比較衡量くらいは誰しもするんだろうけど、それって他人と共有するには難のある概念だよねって思う。
サッカー部上がりの現場職だけど、現場職は汗の匂いをケアしてるから匂わないとか運動してると代謝が良いから匂わないとか、
ほんとにツイッターはクッッソいい加減な事を言う奴ばかりの場所だなと
よくあそこまで適当なこと言えるよと心底思う
ASIAN KANG-FU GENERATION のボーカル・後藤正文さんが美少女アニメ『ぼっち・ざ・ろっく!』に言及した。
8月11日に『ぼっち・ざ・ろっく!』のアニメ公式がX(旧Twitter)に後藤正文さんのコメントを投稿している。
また、過去には自分のブログでぼざろに言及したことがある。
それに対する私の感想はこうだ。
後藤正文さんは、ぼざろに登場する主人公の名前の由来になっているとはいえ、好意的に言及できる立場ではないだろう。
まず、後藤さんは左翼で有名な人だ。特に反原発運動に関しては顕著で、日本共産党に投票していることも明かしている。
一方で、日本共産党はフェミニストとつながっている。フェミニストは美少女アニメを「萌え絵」を呼んで蛇蝎のごとく嫌っており、性的搾取と非難している。
痩せたいからとにかく走って飯を減らす!
売上を上げたいからとにかく片っ端から営業かけて熱意を伝える!
小手先のテクニックなんかよりも根性で乗り越えるのが大事!みたいな。
一般的に良しとされない根性論っていうのはそういうのを指してるんだと思う。
目的に早く辿り着きたい気持ちが先行するあまり、実現に向けた具体的な方法論の効率性が軽視されてるっていう。
苦労は必ず報われるっていう誤謬めいた感覚がドグマ化して、他人にまで押し付けるようになる。それはまあ好ましくはないと思う。
痩せたいのならまず身体の仕組みを知って、その法則に則ってより効率的な痩せ方を研究して実践すれば良い。
そういう情報も今は体系化されてるのだから、自分で編み出すよりもYoutubeなりで調べればなお効率的。
でもそれって方法論の話でしかなくて、じゃあそれを実践するやる気が湧かなかった時はどうすんねんっていう。そこは結局根性の問題であって、どうやってそのやる気をロジカルに調達出来ますのんっていう。もっと言えば実践以前に効率的な手法を探るのだってやる気は要るし。
気合いがなければ気合いで捻り出すんだよ!というトートロージーめいた対策では話にならない。
じゃあ根性論ではなくロジカルな対策としては、適度な運動をするなり規則的な生活を送るなりして、健康的な身体を作ることが医学的な理屈からして効果的なのかもしれない。メンタルクリニックに行けば助言も得られるかもしれない。
でもそれをやる気力はどこから湧いてくんねんっていう。
根性だけではどうにもならないかもしれないけど、根性がなければお話にならない。
メンタルヘルスって、気合いがなければ気合いで気合いを引き出すというトンチの克服に直面してる気がする。歪な社会構造がどうのこうのという以前に。
別に心療内科へ行けばどうこうなるってもんでもないし、カウンセリングや薬で根性がモリモリ湧いてくるのなら社会問題になってもいないと思う。
オタク野郎がくせーのは運動しないからだぜ。みたいなのをたまに見る。
ついでに調子こいて道徳の説教までしてたりもする。怠惰で他人に気を配れない生き方丸出しだぜ、的なの。
それで言ったら運動部の中高生はどうなんだよ。電車に現れるくせー奴の遭遇率で言ったらそっちの方が多いだろ。
ダサいオタク野郎は服を買い替えないし、定期的に煮詰めたりの処理もしないからくせーんだ。っていう。
服に無頓着な人間とオタク共がイコールであるかと言ったら、別にそんな事はねーだろって思うけどね。全体の一部を構成する傾向はあるかもしれんけど。
体臭に関しては食生活が結構デカい気がする。ワキガみたいに遺伝もあんだろうけど。
健康的な飯が好きなそれと一致してる人間なら別に良いんだろうけど、そうでなかったら原則的につまらん飯を食い続けるなんて苦行でしかない。
そうなったらもう迷惑教のコミュニタリアン共にガタガタ抜かされようが好きなもん食ってた方が良いよなって思う。
くせー奴に出くわしたら普通に死ねって思うし、死ねと思われようが好きな飯食って服のケアに気を遣わないのも別に勝手だろとも思う。
けっこう前から思ってたけど、私は動悸早いし多い
運動は圧倒的に不足してるのは認める、なので運動時の心拍数が高いのはしょうがないにしても
安静時も決して人並みに落ち着いてはいないよなあと
長らく貧血だったけど、その影響があるのかな
なぜ女性差別をめぐる論争はたびたび炎上するのか。性問題の解決に取り組んでいるホワイトハンズ代表理事の坂爪真吾氏は、「多くの問題は、原因をジェンダーに還元するだけでは解けない。しかし『ツイフェミ』と呼ばれる動きは、すべてをジェンダーに還元するため、『被害者/加害者』という二元論に陥っている」
ここ最近、「ツイッターフェミニズム」(ツイフェミ)と呼ばれる動きが一部で広がっている。一見すると、ツイフェミはミサンドリー(男性嫌悪)によって突き動かされているように思える。だが、ツイフェミ=ミサンドリストという理解は、決して正確ではない。
ツイフェミの言動が過激化する背景には、「男が許せない」という怒りに加えて、もう一つの大きな怒りが存在する。
ツイフェミが攻撃するのは、女性嫌悪に満ちた男性だけではない。女性嫌悪に染まっておらず、フェミニズムに対して理解を示すリベラルな男性たちもまた、彼女たちの攻撃対象になる。女性への性暴力に反対するデモやイベントに来た男性に対して、主催者が「男性の方もこんなに来てくださった」「賛同してくださる素敵な男性もいらっしゃった」と感謝の意を述べると、「少しでもまともな男に出会った時に感謝する癖は見直すべき」「被災者がボランティアの接待をさせられているのと一緒だ」といった批判が飛び交う。
フェミニズムから派生した学問であり、男性に対して「男らしさの呪縛を解き、女性とお互いを尊重する対等な関係を築こう」という視点から啓発活動を行っている男性学も、一部のツイフェミからは「男性がフェミニズムの言葉を簒奪して自己弁護をしているだけ」と、親の仇かたきのごとく敵視されている。
なぜ彼女たちは、女性を搾取するヤクザやホスト、DV夫といった「明らかな敵」ではなく、「明らかな味方」=自分の身近にいる、フェミニズムに理解を示すリベラル男子たちを執拗に叩くのだろうか。
最大の理由は「自分たちの攻撃が最も通じる相手だから」である。「何でも斬れる刀」としてのフェミニズムは、基本的に近距離戦でしか使えない。フェミニズムの理論は独特の言い回しや専門用語に満ちているので、使い道を間違えると、同じ文脈や言説空間を共有している人(=フェミニスト!)にしか届かなくなる。
そのため、フェミニズムに親和的なリベラル男子は、ツイフェミの言葉を理解・共有できてしまうがゆえに、最もツイフェミからの被害に遭いやすい。
2020年4月22日、馳浩元文部科学大臣を含めた国会議員らが、一般社団法人Colaboが虐待や性暴力で居場所を失った少女たちのために運営しているカフェを視察した際、10代の少女に対するセクハラ行為があったとして、同法人代表の仁藤夢乃(@colabo_yumeno)は、参加した議員ら全員に文書で謝罪することを求めた。
この事件はツイフェミの間で大規模な炎上を巻き起こし、安倍晋三首相は同月29日の参院予算委員会で、馳元文部科学相を厳重注意する意向を示した。
女性支援に取り組んでいる男性の政治家や社会起業家、ジェンダー平等を目指した政策提言や署名キャンペーンを行う男性の社会活動家やジャーナリストは、ツイフェミにとって格好のターゲットだ。
彼らの言動や事業の一部を恣意的に切り取って、「差別に無自覚」「儲け主義」「自己顕示欲を満たすために、女性を利用している」といったレッテルを貼って炎上させる。
燃え盛るタイムラインを眺めながら、「コスト優先で人権感覚のない人たちの運動って、やはりこういうことだよね」「化けの皮が剥がれたよね」とうなずき合うことが、彼女たちにとって至福の時間になる。
しかし、ツイフェミが最も激しく攻撃するのは、女性差別に無自覚な男性でもなければ、リベラル男子でもない。フェミニズムそのものである。
ツイフェミが抱く「フェミニズムが許せない」という怒りは、「男が許せない」という怒りと同様、あるいはそれ以上に激しく燃え上がる傾向がある。
著名なフェミニストによる記事がウェブ上でアップされると、待ってましたとばかりに、すぐに発言の一部を切り取ってSNS上で拡散させ、「この発言は、○○への明らかな差別だ!」「こんな人がフェミニストと名乗るなんて、絶対に許せない」と一気に怒りをヒートアップさせる。
普段は「女性はこうあるべき」という性規範を否定的に捉えているにもかかわらず、「フェミニストはこうあるべき」という規範にがんじがらめになってしまい、その規範から1ミリでもはみ出した言動をする人が許せなくなる。
ポルノや性産業を批判しない者は、フェミニストではない。女性の客体化を批判しない者は、フェミニストではない。男性の性的なまなざしに迎合する者は、フェミニストではない。性暴力被害者の声に共感しない者は、フェミニストではない……などなど。
そして、「誰が本当のフェミニストか」という問い=「何でも斬れる刀」の正当な使用権や相続権をめぐって、フェミニスト同士で壮絶な斬り合いを演じるようになる。