はてなキーワード: 計算機とは
「三体」のダメなところは智子の設定に集約されている。
智子というのは三体人が地球の技術的発展をかく乱するために送り込んだ陽子一つ分のコンピュータなのだが、これの製造過程の描写に素人でも一瞬で分かる大嘘が書いてある。
三体人は粒子の次元を操作することが可能らしく(この理論的根拠は全く描写がない)、次元の数を増やしたり減らしたりして、内部に回路を作る(劇中では核力を整形してエッチングするというような説明がある)が、2次元展開した陽子が三体世界を包み込んだとき、全体が鏡面になって惑星自体を映し出す場面がある。
自分は反射の核物理的な原理を詳しく知らない。おそらく電場や磁界が電磁波の進行方向を曲げるのだと思うが、陽子一つ分のエネルギーで惑星全体を映し出す電磁波を同時に偏光させることが出来るはずがない。一つ一つの光子のエネルギーに対応するだけの電場あるいば磁界を形作る必要があるが、もし出来るのだとしたら、それはエネルギー保存則に反している。六次元空間から三次元に投影された智子に国家元首が触れると「空気抵抗」を感じるが、これも同様の理由により間違っている。
明らかに劉慈欣は次元のコントロールによって空間と共にエネルギーの総量もコントロールされうるという混淆を侵している。この混淆を取り払ってみれば、そもそも陽子一つのエネルギーで計算機を構成するというのもまず不可能な相談であるということが分かる。核力によって形作られた回路には、電子の代わりに情報を媒介する何らかの量子が必要だが、必要とされる量子、あるいは回路を構成するエネルギーは軽く陽子一つ分を超えてしまうだろう。現代では情報を伝達するには相応のエネルギーが必要なことが分かっており、実験で確かめられてさえいる。
(ついでに言うと量子もつれによってスピン状態を検知して、智子をコントロールするという話も出てくるが、もちろんこれも間違っている。量子もつれによる同期は情報を伝達しないことが分かっているのだ。もしも情報を伝達するならそれは光速度不変則に反することになる)
この事実は本作が一見論理的に見えて、その実極度に倒錯的な性質を表している。なにしろ、質量の関係から智子(陽子一つ分)を送り込む必要性をあらかじめ説いたのは劉慈欣自身なのだ。質量の問題を回避するために作り出した智子の設定の方が盛大にエネルギー保存則を破っているというのは一体どんな種類の皮肉なのだろうか。無論劉自身がそのような皮肉を意図した形跡もなく、センスが悪いとか荒削りとかいうレベルをさらに下回っているとしか言いようがない。自分の課したルールを自分で破る作品に、まともな完成度を認めないのは、自分には正常な判断に思える。
この本の最大の皮肉は、馬鹿げているのに面白いジョークでもない物語が、英米SFがつまらなくなった状況(その他の国に面白い作品があるわけでもない)がゆえに耳目を集め、あまつさえ世界的なヒットになってしまったことではないか。このあたりが古いSFファンが見向きもせず(最もまともに作品を批評できる連中は残っていないのかもしれない)、根強く批判が消えない理由だと思うのだが。
しかしなぜか全く関係ない通りすがりの弱者男性の俺が致命傷を負ってしまうのであった——…
ノ
それ、俺。
かっこいいキーボードを自作したいと思って電子回路を勉強してるんだけど、電子回路自体が好きな感じは全然ない。勉強しても作りたいものが浮かんでこないんだ。だから結局、与えられた練習課題だけ作ってる。ごく少数の手持ちのアイデアはすべて他人に見せびらかす、という基準の上にあると思う。
ノ
それも、俺。
小さい頃ねだって物理の大学生用の教科書を買ってもらったんだけど、一度も開けずに捨てた。テストで頑張ったり、爺ちゃんに「計算機のルート記号って何?」って聞いたのも知的好奇心からじゃあない。だって押して試してみようとなんてしなかったんだから。すべては大人たちに知性をアピールするためだったと今では解る。だけど、他人にアピールする以外の自分の欲望って何かあるか、と考えると、全然まったく何も思いつかない。村上春樹を好きと称して全著作を読んでいるが、村上春樹が無名ならおそらく読まないという小さくて確かな自信がある。
ノ
友達なんていらないと嘯いているのに、寂しくて仕方がないよ。いつも X と ? に張り付いてしまう。
へ
いや………………… 俺には、分からない。
自分で自分をどう思うか、って、そもそも思い浮かばない。メタ認知がムズイっていうか…。
ごく稀に凄い久しぶりに他人と会って話して帰宅した後に、クヨクヨと自分内反省会することはあるけど………、コミュニケーションの機械が何もないときに自分と会話したりはしない。そんなんするくらいなら Youtube でゲーム配信をみて誰かが笑ってるのを眺めたほうが時間のコスパがいい。
自分自身ってボディースーツのように常に一体で、相手としてなんて捉えられないよ。
呪術廻戦を観るのだって、スレの人々の意見に自分ならどう対応するかをシミュレートするために読んでる・観てるのであって、オレ自身が楽しんでるかの確信はない。いや…
もし世界が今日破滅して、俺一人になったなら、呪術廻戦はもう読まないだろう。
というか… 何もしない植物人間になってしまうと思う。もはや対応すべき「敵」が存在せず、世界は「クリア」されたのだから。
昔、「嫌な思い出はだんだんと消えていって、良い思い出だけが残るものなんですよ」という事をはづきちゃんのばあやが言ってたけど、アレって、ばあやの優しいウソだったんだな、って痛感する。嬉しかったこと、楽しかったこと、好きだった人………… 霞がかかって何も思い出せないけど、トラウマはすべて鮮明に覚えている。初恋の片思いの相手の名前は曖昧なのに、体育教師から蛇のようなクソ人事まで敵の名前は全員記憶してる。
「俺はまだまだこんなもんじゃない!」「もっと上を目指せる!」
だから頑張ろう!と向上心に転化できるタイプのプライドなら大いに持てば良いと思います。
へ
俺には。
結果的に自分の中だけで完結してしまっているプライドは結構あるってかほぼ全てだけど、どれもがおそらく「誰かに見せる」のを最初から前提にしてて終わってる。
めんどくさいな当たり前やろ
お前は何百年も前の記録とか解釈をすべてが事実と思って読むのか?それも踏まえて抽象化して使えそうなところを読むもんやろ コミュニケーション能力がないから単純な記号処理だけしかできなくて、そういう文脈を読めないんだろうしそこは同情するけどさ
こういう当たり前の前提が仮定できなくてわざわざドヤ顔で難癖つけようとしてるけど自分がその前提さえ理解できてないことが理解できてないあたりアホのアホたる所以というか、数学(と自分が思ってる)記号処理くらいしかできない、劣化版計算機以上のことができないポンコツやって話をしてんのに
なんでそれをこんな短時間で俺に再確認させてくるの?歴史からどころかこんなに短いスパンでの教訓すら読み解けてなくてまぁそりゃ歴史とか読み解くのは無理だろうし数学(と読んでる)単純記号処理以上のことはできなだろうねって感じ まぁお前が元増田なのかはしらんけどな
結晶の構造みたいなもの。リスト構造とか種類があるが、元素のように新規に人類が新規に発見するのは困難になりつつある。
【アルゴリズム】
たとえば黒鉛は炭素の同位体であるダイヤモンドに変換できる可能性があるが、その変更プロセスは多種多様である。コストやエネルギー効率のためにベストな方法をチョイスされるように、計算量という律速段階のようなもので比較される。
1mol が 6.0e23 個の原子と同じように、1バイトは8ビットである。バイトにするメリットは、英語圏だと 1バイトも有れば日常で使う文字はコンプリートできるのだ。
計算機で使われる浮動小数点数は実は実数ではない。たとえば、0.4f - 0.3f は 0.1f でない。ただし、0.5f - 0.25f は 0.25f である。
【オブジェクト指向】
フッ素分子(F2)を作ろうとした努力をプログラミングでもやろうとしたもの。
【アスペクト指向】
ポインターをインターセプトするための道具。電気泳動するためのツール。
【オライリー】
【インフルエンサー】
錬金術師(対価はカモの財布)
【JAVA】
【Ruby】
Al2O3。
【Perl】
Pearl でない。
横だが流石にその例とは話が違うくないか
飛行機ができたときはこれまでできなかった飛行というものができるようになったわけだが、それは既存の仕事と干渉してるというよりは新たに仕事を作る形だった
今回は何かが新しくできるようになったというよりかは人間ができたことを高度に模倣できるようになったっていう、ある種の効率化でしかない
実際計算機が登場してから実用的にそろばん弾いてる人なんて絶滅したし今回も同様のことは確実に起こるしビビってる人が多いってのは容易に想像できる
実際には無難なところに落ち着くだろうけど、今でさえ既に肉体労働者以外は一部の高度人材以外は要らんみたいな状況に近付きつつあったのがもっと加速して我々がコンピュータ様のお身体を整備させていただくお仕事でもやらされるのかなと思うと暗澹たる気持ちよ
俺にとってはビル・ゲイツよりもスティーブ・ウォズニアックよりもリーナス・トーパルズよりもケン・トンプソンよりもアラン・チューリングよりもティム・バーナーズ=リーよりもブライアン・カーニハンよりもビャーネ・ストロヴストルップよりもジョン・バッカスよりもグレース・ホッパーよりもデニス・リッチーよりも数々の功績を挙げた偉大なプログラマよりも本当に本当に偉大なプログラマだった
親父の職業がプログラマだと子供の頭で理解したとき本当に驚きだった
俺の親父はテレビテニスが作れると知ったとき、オリジナルのゲームウォッチを目の前で作りあげ誕生日プレゼントだと渡してくれたとき、俺の親父は何でも出来る人なんだと本当に憧れた
PC9801やX68000で疑似3Dやワイヤーフレーム3Dをレンダリングされた際の衝撃が理解できるだろうか?俺はまさに最先端のゲームを目にしていると子供ながら身を震わせてしまったことを今でも思い出せる
「小さなプログラムで大きな事を成せ」と教えてくれた親父はもう居ない
世間に注目されない俺の仕事を少年期のままに褒めてくれた親父はもう居ない
1970年代〜1980年代にかけて活躍した俺が最も尊敬する偉大なプログラマはもう居ない
なぜ俺はもっと話をしなかったのか
なぜ俺は日本の計算機界を支えた偉人の資料をまとめなかったのか
親父は亡くなる3日前に「パソコン持って来い」と俺に言った
親父はちょっとコードを変えてはコンパイルしちょっとコードを変えてはコンパイルしていた
親父はバイナリエディタでその中身を眺めては再びコードを変えてコンパイルしていた
親父は寝て起きてコーディングしコンパイルしてバイナリエディタで眺めるを繰り返しているうちに起きなくなって亡くなってしまった
お袋は親父のその姿をずっと横で見ていた
お袋は「まだパソコンできるって言いたかったんだよ」と教えてくれた
親父は最後の最後まで俺が小さな頃から憧れ続けた偉大なプログラマのままで逝ってしまった
ありがとう親父
親父が作った動かなくなってしまったオリジナルのゲームウォッチをどうにか修理して「爺ちゃんが昔作ってくれたゲームだ」と息子に自慢しようと思う
1946年ごろのプリンストン高等研究所で天才が実在だの知性の限界だのの話をする日常物語。主な主人公はフォン・ノイマン、クルト・ゲーデル、アインシュタインの三人。
肝心なのは、実在の人物が登場するが、これは物語であってドキュメンタリーではないこと。
彼らの会話内容や経歴には元ネタがあるにせよ、要するに著者の妄想である。
メイン主人公のフォン・ノイマンはプリン☆ストン高等研究所の数学教授。アカデミアでは知らない人はいない超天才。最近は計算機開発にご執心。フォン・ノイマンちゃんは天気予報をやってみたい!
クルト・ゲーデルは不完全性定理を発表した当代随一の論理学者、にして奇人。最近は教授になりたくてしょうがない。
世界的アイドル アルバート・アインシュタインさんは、ここでは時代に取り残された古典物理学者。つまり金看板ですよ金看板。
あとはオッペンハイマーとかワイルとか、なんか色々出てきて、不確定性原理とかヒルベルトプログラムとか知性とか認知とかの話をしながら和やかに穏やかに日々が流れる。
クルト・ゲーデルが教授に昇進し、フォン・ノイマンの計算機開発が採択され、アインシュタインは主人公格なのに影が薄いまま物語は幕を閉じる。
気晴らしにはちょうど良いが内容が適当っぽくて人には勧めにくい。
図書館には娘を連れて行ったわけだが、本当に久しぶりだ。紙の娯楽本を読むのも久々だ。
年のせいか読書ヂカラが衰えてきたな、なんて思うこともあるのだが、この本はすいすい読めた。
どうもやはり紙の本は、Kindleとは違う。読んでいるときの脳のモードとか没入感が違う。
なんでだろうね。