はてなキーワード: 殺人犯とは
それ言ったら外に出てる人は全員殺人犯なわけだが
「他人の立場を考えて。でも俺はお前の立場考えないけど」ってことだからなソレ。
人間のクズじゃん。
俺はもし自分がアスリートだったとしたらやっぱ諦めるのは無理だったと思うな。
その後の人生のことを考えるとワンチャン金メダル取れるなら取っておきたい。
選手登録とかも結構前からなので『コロナが収まって来てるし対策もされてたけどビビって出れなかった』というパターンになる可能性もあるのが特に怖いな。
『出れる試合だったのに自分の政治的主張を優先して出ることを拒否するような選手』ってレッテルを貼られても生きていけるほどに『ネームバリューや社会的立場が太い選手』ってメダリストクラスでもなかなか居ないと思う。
特に日本って金メダル一個取ったらそれでもう食ってけるような社会になってなくて、そのあともチマチマとスポーツ会やメディアに貢献していかないと生涯年収的には全然駄目。
サッカーとかでも選手の年齢の低さを考えるとまだまだ一生分稼ぎ終わってるとは言えない人が多いと思うんだよな。
IOCやJOCとした大会運営組織を中心としたスポーツ界全体を指して「お前らは色んな奴らの犠牲の上に今回の大会を開いた」って言うのは問題ないと思うし、それがそういった運営組織の責任ってもんだと思う。
でも選手にソレを背負わせるのはお門違いでしょ。
親の罪を子供に問うようなもんだと思う。
女性の手でも大量に殺害できるはずの銃乱射でも男女比は圧倒的である
テストステロンがどうとか言ってたような
じゃあだからって犯罪を防ぐためすべての男性にホルモンを抑える薬を強制するって意見がでてもそれは実現性のない極論だしなあ
なぜよりにもよって冤罪のアントワネットと冤罪の可能性があるヒ素カレーを上げた?他にもっと適切な例があっただろうに、釣りを疑ったぞ?
名古屋大の人のタリウム事件があるから釣りじゃないと思うけどさあ
つーかこっちの表題は"少ない"であって"いない"じゃないから一つ二つの具体例出されても反論にはならんよ?
それはそれとして
>>女でも自分が強者の立場だったら子供や児童生徒を虐待するのを知らんのか
これは知ってる、少なくない
だから女性が暴力に走らないわけではないし銃がある国なら銃を持ち強者の立場にたって無差別殺人に走る女性の姿があるはずだ
最悪の犠牲者を出した2017年ラスベガス銃乱射事件ではカジノを擁するホテルの32階から音楽フェス会場に向けて銃が乱射された。
カジノという場所柄当然ながら警備員や警官も多数配備されていた。
大量の銃火器持ち込みを事前に察知されるリスクはあったが、犯人はそれを意に介さずに大量殺人を決行して逮捕直前に自殺した。
事件後の調査によっても犯人の動機は判明しなかったが、拡大自殺の可能性が指摘されている。
自分だけで死にたくないのでみんな巻き添えにして一緒に死のうというやつだ。
対馬は人を殺したいが自分は死にたくないので弱者を狙って襲い、逃走し、わずか1時間半で諦めて出頭した。
https://www.jiji.com/jc/article?k=2021080200889&g=soc
『統合失調症患者を名乗る人からは「人を殺す可能性がある存在として描かれるのはつらい」との抗議が寄せられた。』
「人を殺す可能性がある存在として描かれる」のなんてこの世に存在する全ての存在がそうだよ。
健常者が人を殺している創作物なんていくらでもあるし、創作物においてはあらゆる属性の人間が人殺しとして描かれている。
でも普通はいちいち「人を殺す可能性がある存在として描かれるのはつらい」なんて思わないんだよ。
何なら現実でいうと女性の犯罪率は非常に低いのに、創作物では女性の殺人犯の割合が男性とさして変わらない事に怒ってもおかしくないのにそうはならない。
なのにこういった被害妄想を抱くのは、それが統合失調症の症状だからなのか?
これが自称患者であって本当は患者でも何でもないのなら、統合失調症に対するイメージ悪化キャンペーンとしてはよくやったねって感じ。
「ルックバック」の内容によって統合失調症への偏見が助長された人はいなくても、こういった抗議とそれを受けた修正によって統合失調症への偏見が助長された人はいるだろう、残念ながら。
そういえば精神科q&Aのドクター林の【4321】が、この元増田のリンク先の医者と一見正反対なことをいっている気がする。
逆に、(元増田において私があの病気はさほど多くないのにおびやかす必要はない、という主張の根拠にしているのは、
通り魔犯罪の裁判での鑑定結果であの病気の割合は低い、責任能力アリが高いという一点にすぎないので)
司法がちゃんと精神鑑定していないだけで、実はプロの専門医からみて、
本当に通り魔殺人犯におけるあの病気(Dr林によれば薬でほぼほぼ抑えられる病気)の罹患率が高いのであれば
「しっかり受診しよう、薬を飲ませようキャンペーン」を展開すべき事実だと思う。
自分は友人にあの病気の人がいるけど、あの漫画とは全然似てないよ。
やっぱりそういう偏見がかきたてられないよう現状の注意書きなしのままでいいとおもう。
ステレオタイプっていう話があるみたいだけど、漫画を読んだら当然そうなるよねという感想しかない。
殺人犯が出てくるあのシーンが想像であれ平行世界であれ、藤野の作った世界というのは明らか(なぜなら4コマを描かず京本を部屋から出さないという世界は藤野にしか作りようがないから)で、じゃあ藤野の作り得る「犯人」はどういう人物になるかというと、犯人と直接の接点がない以上テレビやネットなどの外部から知る情報で作られることになる。
それはニュースの記事のような記述と共に犯人が登場することからも結構分かりやすく表現されていると思うし、犯人の情報をさして知り得ない藤野の状況を考えればここでの犯人が「フィクションなどによく出てくるステレオタイプの殺人犯」となるのはごく自然でありそう描くのが誠実であろうとさえ思う。
当然藤野は犯人の顔をよく知らないので犯人の顔もぼんやりしている。
もちろん犯人側にも事情があり犯行に至った経緯があるのかもしれないが、このときの藤野はそれを知りようがなく結果としてそれらを加味した「解像度の高い犯人」は作りようがないだろう。
要するにあの犯人はステレオタイプをステレオタイプとして描いているわけだから、それに対して「ステレオタイプを描くな」というのはかなり的外れだと思う。
「こういったステレオタイプは現実とは全然違う」という議論のきっかけにするのは構わないと思うし、それによって5年後10年後にこの表現が通じない世の中になっているかもしれないが現時点での表現としては適切であろう。
8,674
岸田 奈美
2021/07/22 15:29
※身近な読者さんに聞いてほしいだけなので、気が済んだらマガジンに入れて、そのあと消します。
21:26追記
過去ラーメンズを紹介する記事を読んでくださった読者さん、彼らのファンの方々に届いてほしいと書いた文章でしたが、わたしの説明の至らなさ、思考の未熟さゆえに、どんどん違う捉え方が広がっており、傷つく人を無闇に増やしてしまっているやもしれないので、22時で非公開にします。すみません!
ラーメンズが好きだ。
小林賢太郎氏が好きだ。
父を亡くし、友人を失くし、誰とも笑えない鬱屈とした子どもであったわたしに、笑いという光をくれたのが彼らのコントだった。絶妙にわかりづらく、複雑に絡みあう、壮大な世界観のもとに成り立つそのコントは、誰かと語りたくなる衝動をくれた。天才なんよ。これはわたしの圧なので、異論は認める。
父が「お前の友人はこの箱の向こうにもおる」と残してくれたmacのキーボードを叩き、ラーメンズの、小林賢太郎氏のコントについて語り合うとき、わたしは孤独であったけれども、孤独でよかったと思えた。
その小林賢太氏郎が、東京オリンピック・パラリンピックの開閉会式のショーディレクターに着任したとき、わたしの頭では「マジか小林賢太郎…」と「マジか小林賢太郎!」が同時に鳴り響いた。
こう、なんか、ものすんごく無責任なオタクとして言うと、彼らのコントはもともと知る人ぞ知る、当時のお笑い界のメインストリームを堂々と外れて宣戦布告しながら飄々と笑い転げるという位置にあったと思うので、一抹の不安があった。しかしその不安をコーナー鋭角でまくってくるのは「オイオイ、これでみんな小林賢太郎の魅力に気づいちまうんじゃねえの〜?まっ、わたしは芸能界引退前に舞台で見たけど〜?」というオタク特有の愚かなドヤりである。
わたしはドヤりドヤりしながら、孫の七五三を見るような迷惑かつ気色悪い心地で、彼が手がける開閉会式を心から楽しみにしていた。ここまでの前置きがすでに早口気味なのはお察しの通りである。とても気色悪い。
実はさっきまでテレビ局での生配信に参加していたので、解任にいたる経緯も、解任された結果も、成り行きを見守ることなくひとまとめにして見知った。
情報の石つぶてに襲われ、小林賢太郎氏の謝罪文の最後「先ほど、組織委員会から、ショーディレクター解任のご連絡をいただきました。ここまで、この式典に関わらせていただけたことに感謝いたします」まで読み終え、涙が出た。
京都に向かう新幹線でなければ嗚咽していた。頼む、車掌さん、止めてくれ。三河安城でこの新幹線を止めてくれ。しかしのぞみ163号は止まってはくれないので、静かに泣きながらこれを書いている。
解任の理由は1998年に彼が演じたコントのなかで、「ユダヤ人大量惨殺ごっこ」というセリフがあり、肯定する文脈でなくとも、笑いの演出に使われていたからだ。これが人権を著しく侵害しているとされた。
その決定に、わたしは反対しない。
五輪憲章ではあらゆる差別への反対が定められているし、たくさんの人々の命を不当に奪った歴史を、今もなお魂を傷つけられている人々がいる事実は侮辱されてはならない。
なのでこの文章は、オタクのわたしがわたしに宛てた、ただの戒めである。
というかもう、ここ最近、責任をとる人が多すぎてなにがなんだかわからん。責任をとっては去り、責任をとっては潜り、責任をとってはキングギドラに車一台で爆走して挑む。
シンプルすぎる。
シンプルすぎて二度聞きしたくなるようなこの結論にいたるまで、内田樹氏は懇切丁寧に筆を尽くしておられるので、ここではわたしの雑なあらすじで勘弁していただきたいのだが、
要は
「ごめん、で済む話はない」
ということだ。
人が傷つけたり、人が大切にしているものを傷つけた場合、それを元どおりに復元するということは不可能だ。医学がド発達したとして「いったん殺したけど、きれいに元通りにしといたから、これでチャラね」と殺人犯から言われても、きっと誰も許せん。
あってはならないことだけど、学校でいじめにあった子どもが自殺して「一億円の損害賠償を請求した」とニュースで報じられたとしてそれは「一億円払ったら許してやる」というわけではない。相手の一生を台無しにできるくらいの金額を求めて、「わたしはお前らを絶対に許さない」と告げている。
責任をとれという言葉は、「なぜなら、お前には責任をとることはできない」という意味を常に伴っている。めっちゃわかる。
ここまであらすじですけど、このド下手なアレで間違ってないですかね、内田先生。こんなところで引用してごめんなさい。
まさに今。
ここからも内田樹先生がね、答えをくれるんですけど。その答えはどうも、ひとつだけらしくて。
「我々が考えることができるのは、ただひとつ。どうすれば責任をとることを求められるような立場に立たないか」
これは、わたしは知らん、わたしは関係ない、わたしには責任がない、と言い訳をしスタコラサッサするわけではない。そんな言い訳が平気でまかり通ったら、なんか起きたらすぐさま電気は消えるわ、水道は止まるわの大惨事だ。
なんかまずいことが起こったときの責任を他人になすりつける社会と、自分の手が届く範囲のことでみんなが「あ、じゃあ責任を持つよ」とさらっと言ってくれる社会なら、後者の方が「誰かが責任をとらんとあかんようなヤバイこと」が起こりにくい。
「誰の責任だ、誰の責任だ!」と犯人探しをしてる間に、最悪の状況に陥るのを、わたしたちは何度もこの目で見てきた。もちろん、例外はあれど。
責任は、誰もとれない。
誰もとれないから、人に押しつけられるものでもない。だが、最初から自分で引き受けることができる。引き受ける人が多いほど、人間は幸福に、豊かに、安全に生き延びることができる。
だって大切なのは、同じことを未来で二度起こさないためには、どうしたらいいかだから。
さて。
小林賢太郎氏が過去の発言で解任されたのであれば、その責任は、気持ち悪いオタクのわたしにもある。今をもってわたしが引き受ける。
「ユダヤ人大量惨殺ごっこ」の発言がなされたコントは、わたしも見たことがある。記憶は定かではないが、中学生になったばかりの頃だったと思う。
「ユダヤ人大量惨殺ごっこ」の意味を深く考えることなく「なんか真面目そうな教育番組のMC役なのに、やばいこと言ってんのがシュールだな」というふわっとした文脈だけで笑った。未熟なわたしは、笑ってしまったのだ。
小林賢太郎氏がそれを「浅はかに人の気を惹こうとしていた」のであれば、わたしも「浅はかに彼らの笑いを受け取っていた」に過ぎない。
今では、その文脈で笑っていたことが、どれほど罪深く、どれほど愚かなことであったか、わたしはわかる。
それは、中学生の後半で、ホロコーストについて学んだから。中学生の授業の範囲なんて、教科書での字面だけなので、そこまで深く知ることはできない。本格的に背筋が凍るほどの恐怖がわきあがったのは高校生で世界史の授業を受け、終戦のローレライを観て、アンネの日記を読み、作家になって編集者から勧められた「夜と霧」を読んでからである。
教えてくれる人がいて、咎めてくれる人がいて、対話をしてくれる人がいたからだ。
道徳観が歴史の積み重ねであるならば、わたしたちもまた、人生という歴史を積み重ねながら、ここに生きる人としてあるべき姿を学んでいく。大人になればなるほど、聡くなればなるほど、わたしたちは過去の行いを恥じ、己を正すことができる。
小林賢太郎氏は、彼の頭のなかをのぞける自著「僕がコントや演劇のために考えていること」で語る内容をみれば一目瞭然だが、ストイックな創作家である。ストイックすぎて芸能界を引退したようなもんだとわたしは思う。
年々、彼の思考と作品は、目を見張るようなアップデートを重ねていた。
世間でまだ誰も言葉にしていない「時代感」を読み、言葉やパントマイムに落として、笑いに変えるやんごとなき天才であった。近年は特に、誰も傷つけない笑いなんてあるわけがないことを悟りながら、その状態になるべくして茨の道を歩みながら近こうと試行錯誤する、戯曲に取り憑かれた化け物であった。その背中に憧れて、わたしもここへ来た。
そういう男であるからこそ、こんな時が迫るまでに、ファンのわたしたちは話さなければならなかった。
彼に直接言うのは叶わなくても、ラーメンズについて語るたびに、記事を書くたびに、言葉にするチャンスはどこにでもあった。あれはアカンのやと。
今もさ、たぶん「いやあれってそこまでダメかな?」って思うファンもいると思う。わかるよ。わかる。でもね、ダメなんだ。気づかないといけなかったんだよ、わたしたちは。彼をいつか、日本の大舞台に送り出すつもりでいるならば。
20数年前のコントをいまさら、なのではない。20数年間、いままで、なにも言わなかっただけなのだ。
そして小林賢太郎氏は、そういう社会の奥底に埋もれてしまいそうなわたしたちの言葉を、目ざとく掘り出し、両手ですくいとって、なんらかの形で応えてくれる、いい戯曲のためなら見栄も地位も何を犠牲にしても厭わない、そういう男だと、わたしたちは、知っていた。知っていたのに何もしなかった。
むしろ、批判されているコント「できるかな」は、DVDには収録されていない。ラーメンズがあれだけ太っ腹に公開している動画の中にもない。VHS以降、公式の手で誰にも見せないという選択をとっていた小林賢太郎氏は、わたしたちより先に、気づいていたかもしれない。
時代が未熟すぎるがゆえに許してしまった、愚かな笑いというのは、どこにでもある。
だからこそ、今さらなんてなかった。遅すぎることなんてなかった。彼が責任をとれと言われる前に、彼に存分笑わせてもらったわたしたちが、責任をとらなければならなかった。
そうしていれば、明日には、小林賢太郎氏の舞台を、わたしたちは、テレビで、観れたはずなのに。なんでいまわたしは、テレビの前じゃなくて、新幹線で、どこの誰ともわからんサラリーマンが首を65度に曲げなから爆睡している前方座席を見ながら、泣いてるんだ。もうすぐ新幹線はわが京都に着く。
つらい。こんな形で、小林賢太郎氏の名が知れ渡っていくのがつらい。彼のコントを、世界を、観たことがない人も彼のことをボコボコに言うのがつらい。おもしろおかしく揶揄されるのがつらい。
しかし、それもまた、気色悪いわたしの責任なのである。彼らより、彼女らより、先に、先に語りたかった。
誰が作ったかわからんが、至言だと思う。推せるときに推せ。いいから推せ。ともかく推せ。しかし、時代は変わった。怒りや悲しみが容易に世界へ届くようになった。誰かの笑いは、誰かの悲しみになる。
行き過ぎた悲しみに気づいたとき、わたしたちは、立ち止まり、振り返り、それを受け止めなければならない。そして語る。
「その世界を作ってしまったのには、わたしたちにも、責任がある」
推しの世界に魅了され、推しの世界に生きてきたわたしは、いまここで誓う。気色悪いと言われようとも、恩着せがましいと言われようとも、その世界を終わらせないために、人知れず責任をとっていく。
そして、なにかが燃えて、燃えて、燃えて、燃え過ぎた焼け野原で、責任をとりながら両足をつける。そこからなにかを芽吹かせていく。作家という仕事に就いたなら、その責任も伴う。
10年、企業で広報を務めた立場からえらそうに語ると、重役や有名になればなるほど、謝罪文はすぐに出せない。すぐに書くことはできる。でも関わる人が多すぎて、ありとあらゆるチェックが必要になる。「チェックするための事前チェックに回す前の念のためチェック」みたいなバグった概念が普通に存在する。
しかし小林賢太郎氏は、解任の連絡があって、すぐにコメントを自分で出した。前述のとおり、彼と彼の発言をかばう余地はないが、なかなかできることではない。
ついていくぞ、どこまでも。
(当初ここに、オリンピック・パラリンピックについての表記がありましたが、本文の趣旨には関係ないのと、開催についてはいろんな思いで受け止められている方がいるので、削除しました)
統合失調症が使われたということです
これは妄想
これも妄想
さしたる配慮もなく使われた
これも
統合失調症という疾患についても詳しく知らないし、知る必要も感じないし、殺人犯に統合失調症と一致する特徴を描写することで、当事者、関係者がどのように感じるか、ということが想像出来ていないし、それを想像する必要すら感じていない、ということです。
妄想がすなわち統合失調症であるならあなたも統合失調症かもしれませんね。
仮に、単なる偶然、適当に描いた特徴が、たまたま統合失調症と一致していた、としても同じです。無知であり無関心であることに変わりありません。当事者、関係者ならそんな偶然は絶対に起こりえないわけですから。