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はてなキーワード: 教養とは

2023-11-14

anond:20231114180214

人権大事だよ、という話は全くしてない

人権大事だよwwww

道徳かよwwww

日本人って教養がなくて人権道徳区別がつかないんだっけ

anond:20231114172241

お前はアンフェの例に漏れず致命的な池沼から人権とか法律とか分からないんだろうけど正しい順序を教えてあげるね



世界人権主義になった


差別格差への批判の中で、AV風俗グラビアレースクイーン児童婚も、当然アカデミアにも話題になり、批判される

民俗学者社会学者憲法学者政治学者女性学者、批判者は様々。


大学生大学教授海外在住者、などが日本人権意識の低さ、平均的な教養のなさ、女性地位の低さ、に驚いて発言する



④①〜③が何一つ分からない、知能が極めて低く無学でバカジャップオスでもインターネットに書き込める

バカジャップオスが意味不明なことをインターネットに書く

だよ

バスで隣の席で会話してた女性阿川佐和子っぽい雰囲気独断)だなと

ひと回りは年配であろう女性友達っぽい会話

手入れされたショートの髪に仕立ての良いジャケット、質の良さげなバッグ

お祝い事の席の話で着るものの話になり、服なんてぜんぜん持たないと謙遜しつつも話を向けられると

からもらった着物をいつも着てる、流行りもないし一枚あれば事足りるから

その着物自分で着ている、と

なんていうんだろう、とても素敵な

こういう教養あふれ社交気遣いばっちりできるオシャレな独身女性って、なんかいるんだよな

自分の知人もそういやこんな感じだ

気さくで友人が多く趣味も多く料理その他生活スキルも高く

なんだろう、カテゴリあるのかなこういう

ボーカロイド音楽論」(ぱてゼミ)は何故あまり批判されないのか

追記そもそも「何故もっと批判されるべきなのか」については、【最後に】の後に追記した(2023/11/15)。

【背景】

 東京大学東京芸術大学では、鮎川ぱて氏(以後、ぱて講師)による「ボーカロイド音楽論」という講義が開講されている。東京大学の方の講義はぱて講師による著書『東京大学ボーカロイド音楽論」講義』においてその過去の内容が公開されている。このダイアリーの筆者(以後、「筆者」)は「ボーカロイド音楽論」の元受講生であり、書籍を購入し一読した。同講義Twitter(現X)での実況が推奨されておりTwitter上で一つの活発な動きを毎年見せているが、「ぱてゼミ 批判」「ボーカロイド音楽論 批判」などと検索しても同講義に対する明確な批判ツイートはヒットしない(Twitter検索システムが悪いという可能性は保留する)。書籍についても、これに批判的な書評Amazonレビューやブックメーターにわずかに存在するのみである講義内容全体のレビューはそれらに譲るとして、本ダイアリーは、この「批判の少なさ」の原因について仮説を立てることを目的とする。

 本ダイアリーは直接の筆者の特定を避けるため匿名形式をとっている。内容について「そんなの当たり前じゃん」「その仮説は的外れだ」と思う読者もいるかもしれないが、このように書き残さなければ何も始まらないということでご容赦願いたい。また、筆者は全ての年度や東京芸術大学講義を聴講したわけではないこと、このダイアリーの内容は主に『東京大学ボーカロイド音楽論」講義』の初版第一刷(以下、書籍)に基づいていることを断っておく。

【本論】

まず結論として、 「ボーカロイド音楽論」に対する批判の少なさの原因として、筆者は次の4点を提唱する。

1. 媒体:現地で行う音声形式講義では記録に基づく批判が困難であるという点。

2. 受け手資質講義対象となる学生や読者のほとんどはその議題についての非専門家であり、しか批判に割くだけのリソースを持っていないという点。

3. 内容:この講義の内容が批判を先んじて封じてしまうように作られている点。

4. コミュニティ:この講義ボーカロイド音楽が好きな東大生のうち一部を迎え入れるコミュニティ形成する役割を同時に担っており、コミュニティ批判との相性が悪いという点。

以下、これらの点を順に見ていく。

1. 媒体

 書籍が発売される前、「ボーカロイド音楽論」(以下、この講義)は大学の構内の教室で開講されているのみであった(初回の何回かこそニコニコ動画配信されたが)。そこではぱて講師の口頭でのみ内容が話され、レジュメは一枚も配られることなく、板書も最低限であった。言われたこと全てを紙に書きとるのはほとんど誰にもできないだろう。従って口頭の講義に基づく批判は、言った言わないの水掛け論になってしまやすい。現に筆者がこのようなダイアリーを書くことができるのも書籍が発売され、何を書いてあり何を書いていないかを把握し見直すことが可能になったかである

2. 受け手資質

 この講義は主として東京大学教養学部学生に対して開講されたものである。その多くはこの講義で取り扱った多くの思想概念の(多くとも)全てについて専門家であるというわけではない。またぱて講師自身もそれら全ての専門家でないことは講義中に明言している(85ページ脚注5など)。従ってぱて講師によるそれらの援用が妥当でない可能性は常にあるが、そのような観点から検討をすることは学生にとって難しいだろう(勿論専門家のみがそれらを扱うべきだという立場をとることは避けなければならないが)。さらに言えば、進振りのための勉強で忙しい学生にはわざわざこの講義批判するためだけに捧げる時間も体力も残っていないということ(そしてこの講義のもの大学が門を閉める時間まで延長していることもそれらのリソースを奪う一端となっていること)を指摘しなければならない。これは書籍の読者の多くについても同じである

3. 内容

 ここでは書籍でぱて講師が用いた概念の内容が批判を先んじて封じる性質を持つことと、ぱて講師が「論じるべき内容を論じなかった」ことが批判すべき点を覆い隠す機能を持っていることを指摘する。

 まず、ぱて講師はテマティスム(テーマ批評)に則ってボカロ曲評論するとしている。ぱて講師の言うテマティスムとは、以下に抜粋する通りである

「テマティスムは、作家メッセージをその意図の通りに読み取るということではありません。そうではなくて、むしろ作家作品の細部から作家自身も気づいていなかったかもしれないテーマ抽出し、作品価値を読み替えていく。それがテーマ批評という手法です。」(40ページ14行目-41ページ1行目)

さらに、この講義の鍵となる概念の一つとして「アンチ・セクシュアル」をぱて講師提唱している。以下に書籍抜粋を示す。

「本講義の当面のキーワードは『アンチ・セクシュアル』です。性や愛をめぐる通念を自明のものとせずに扱う感性が、ボカロシーンには多く見られ、そして支持されました。なにに比してかというと、いわゆるふつうのJポップに比してです。Jポップのチャートを見れば瞭然でしょう。ラブソングばかりです。」(42ページ8-12行目)

「『アンチ』といっても、それは必ずしも単純な否定のことだけを指しません。性愛を疑ってみたり、気持ち悪いもののように言ってみたり、ときにそれは、米津玄師において見られたように、アンビヴァレントな愛憎を差し向けるというかたちをとることもあるでしょう。」(43ページ2-4行目)

 つまるところ、「テマティスムを用いれば、性や愛をめぐる通念を自明とせずに扱う感性(単なる否定に限らない)をボーカロイド音楽から読み取ることができ、そのような音楽がシーンの人気を博した。一方で「いわゆるふつうのJポップ」からはそのような読み取り方のできない曲が人気を博している。」という主張をぱて講師はしているということになる。この主張に当たって用いた「テマティスム」と「アンチ・セクシュアル」の二つの概念は、この主張に対する批判として想定される「作者はそこまで考えていないと思う」型の主張や「この曲は性や愛めぐる通念を否定しているとまでは言い切れない」型の主張を先んじて封じる機能を持つ。このため、読者がすぐに思いつく形での批判ができず、ぱて講師の主張に対する批判が少ないことに寄与していると考えられる。

 もう一つ批判封じに寄与しているのは、「論じるべきところを論じていない」ということである。「いわゆるふつうのJポップ」についての記述に注目すると、ここでぱて講師が行わなければならないのは、

①「いわゆるふつうのJポップ」を「『アンチ・セクシュアル』な感性を持たないJポップ」以外の形で定義すること

個別楽曲評論を通じて「いわゆるふつうのJポップ」に該当する曲に「アンチ・セクシュアル」な感性が備わっていないことを論じること

③それが「Jポップのチャート」に非常に多く見られることを指摘すること

であるしか書籍の中で「いわゆるふつうのJポップ」についての言及があるのはここのみで、上記3つ全てを行っていない(ぱて講師言葉を借りれば、「瞭然」という「感覚思考俎上に載せ」ていない)。それもそのはず、「テマティスム」と「アンチ・セクシュアルな感性」を用いた読解だけではこのようなことは到底不可能からである。「テマティスム」は確かに「作者の意図」に縛られない自由評論の基礎であるが、それは同時に評論者次第でどうとでも言えてしまうことを意味する。同じ曲が違う評論家によって「アンチ・セクシュアル」であったりそうでなかったりする。もし「そうは言ってもこじつけってものがあるでしょ」と思うのであればそれは「良い評論」の基準として「テマティスム」以外の何かを想定していることになる。さらに言えば、「アンチ・セクシュアル」という概念の幅も広い。同じ言葉賞賛にも皮肉にもなる世界で、「性や愛をめぐる通念を自明のものとせずに扱」っているかどうかを「テマティスム」のみで確定させるのは不可能だ。つまるところ、ぱて講師が「いわゆるふつうのJポップ」を論じないことは「テマティスム」の持つ脆弱性、あるいは、「何でも言えてしまうが故に何も言うことができない」性を(本人の意図とは無関係に)覆い隠し、批判を予防することに寄与していると言える。

4. コミュニティ

現地での講義に付随する活動として、コンピレーションアルバム作成ちょっとした食事会など、ボーカロイド文化が好きな東大生のためのコミュニティ積極的提供する姿勢をぱて講師は見せている。それ自体マイノリティたる若者鼓舞するという目的からすれば妥当であるが、評論の面ではこれが裏目に出ている。余程肝が据わっていない限り人間は、自分を匿ってくれるコミュニティの発起人の言うことに盾突いたその先を恐れる。発起人自身が何とも思っていなくても、同じコミュニティの仲間から邪険に扱われるかもしれない。仲間が何とも思っていなくても、内なる自分が責め立てる...。こうなれば講義批判するのは難しい(批判したとて有耶無耶に言いくるめられるだけだ、という疑念もあろうが)。「肝を据わらせろ」という主張はマッチョイズムなのでしないが、しかコミュニティ形成するとはそういうことなである

最後に】

 「ボーカロイド音楽論」の講義書籍化されたことは、この講義自身にとって、そしてボカロシーンにとっての大きな一歩であると筆者は考える。内容の巧拙政治的立場はともかく、書籍化されたことによってこの講義は「亡くなったボカロPを悼み、内輪でボカロ曲をべた褒めする会」になってしま未来を脱して、元受講者やボカロ関係者を含む全ての人の衆目に晒され、批判され、検討され、洗練され、時に新たな論を生み出していくことができるようになった。後は実際にそうしていくだけである。筆者よりもっと優れた批判をできる人は多くいるはずなので、後は彼らに託してこのダイアリーの締めとする。

追記:何故もっと批判されるべきなのか】

 強い言葉で言えば、

「『ボーカロイド音楽論』などと大層な看板を出しながら、その実著名な学者の業績を形だけ借り"正しい"思想を添えた類推だらけの持論を『教養』と称し、[『教養』]と[『教養』を並べ立てた個別楽曲評論]を弱い脈絡の下で繋げただけの、部分を詳細に語っただけで全体を語った気になっている、評論と呼ぶべきなのかもわからないものが、まともに批判されずに学生の間や世の中に広まることが許せないから」

である(「まともに批判されずに学生の間や世の中に広まる」という心配杞憂であってほしいが)。

 筆者がこの講義書籍の内容が批判されるべきであると考えている理由は3つあり、これらを以下に簡潔に説明することで追記とする(注あり)。

1. タイトル詐欺:「ボーカロイド音楽論」を名乗りながら、その大部分は個別作品の読解に費やされている上、それらを踏まえて「ボーカロイド音楽とはなにか」をまとめて論じている内容が存在しないこと。

2. 「思考俎上」に載せる「感覚」の選び方の恣意性:本論で述べたように、思考必要なぱて講師感覚があるにも拘わらずそれを思考した形跡が存在しない箇所が見られること。

3. 「思考」の粗雑さ:「感覚」を正当化する目的しか思考」が用いられていないこと。「思考」に用いた「教養」の内容もそれぞれの分野を専攻した読者から見れば的外れものになっていること(注1)。「類推」や「テーマ批評」などのいくらでもこじつけることが可能手法を用いているのに、何故その手法を用いるべきなのか、その手法限界はどこにあるのか、といった説明がされていないこと。

注1:少なくとも一つの例として、筆者が専攻していた生物学に関連した部分を挙げる。リチャード・ドーキンス書籍利己的な遺伝子』に言及した後、「しかしこれらのような個体利他行動も、種や遺伝子主語にすると、自らを温存するための利他行動にすぎない。」(54ページ8-9行目)と段落を結び、その後「性はこのように、種の都合のための機能主義的なプログラムであるという言い方もできるわけです。」(54ページ18-19行目)と主張している。結論から言えば、この言い方はできない。生物学を学んだことがある人物なら絶対にこのような主張はしない。進化の結果としてある個体Aが(同種とは限らない)他個体Bに利他行動をする形質を獲得する条件はあくまで「それが後に個体A自身生存繁殖に有利となる可能性が十分高い」あるいは「個体Aと個体Bで利他行動に関連する遺伝子を共有している」であり、そこに「種」の概念は一切関係しないかである。(遺伝子自然選択対象となり得るのに対して)「種」という概念は観察者が生物を分類する際の線引きのツールであって、自然選択対象として観察可能ものではない以上、「性は種の都合のためのプログラムである」ということを(観察によって)事実として得ることもできない。つまり「種」を全体と見立て個体」を部分と見立てるような類推は成立しない。百歩譲って「利他行動に関連する(種を問わず)同じ遺伝子を持つ全ての個体」を全体とみなす形で類推を成立させるとしても、それは「類推を成立させるためだけに拵えた全体」であることを指摘しておく。

子供に学ばせる目的を明確にした方が良い

東京生演奏芸術もあるし子供にとって学べる所が~とか言うけど、親からしてみたら田舎で何も知らないまま上京もせず一生働いてくれるのが理想なのよな。

カエルの子教養与えて、半端に学ばせてどうするん?意識だけ高い芸術肌のフリーターいっちょ上がりじゃん。子供に学ばせるなら何が目的なのか着地点考えといた方が良いよマジで

anond:20231114024028

男性じゃなくて日本ジャップオスが民度低くてまともなケア能力もなくて人権教育がわからなくて無教養なだけだよ

人類男性全体のレベルから見たら、ジャップオスはかなり低い外れ値だから

2023-11-13

anond:20231113232700

ヴェンデッタも知らないんだな

から教養がないお前みたいなやつには発言権持たしちゃ駄目なんだよ

anond:20231113000028

教養中共人間はそれで騙せるんだろうけど

アイヌは後から入ってきた移住者だし琉球とは言語DNA的に陸続きなのは日本人なら知ってるので

そんなのに引っかかるのはよっぽどのバカだけやで

2023-11-12

文系大学進学とかSTEM時代じゃ教養にもならん

誰でもできる仕事一直線。

楽したら楽したなりの給料しかもらえないの、わかるだろうに

anond:20231112115306

2023-11-10

anond:20231110191539

差別主義への攻撃的態度なのか、そうでないのか、の区別もつかんのか無教養野蛮ジャップ

差別主義者に対する不寛容差別をなくすためには必要批判デモ攻撃愉快犯区別がつかないジャップらしいな

2023-11-09

anond:20231109112642

ワイは男だけど結婚して離婚した。

そして幸福度1000%UPした。

でも日本人女って教養ない人が多いから自立心も自尊心もなくて

男に依存しないとまともな生活ができない層がかなり多く存在するため

離婚しても次の男に寄生しようと結婚しようとする。

アメリカ人にとってのラテン語は、日本人にとっての漢文に相当すると考えられます漢文学習は日本教育システムに長い間組み込まれていますが、現代ではその実用性は低くなっていますしかしながら、漢文日本言語文化歴史伝統理解に深く根ざしており、教養知的背景の一部と見なされています。また、四字熟語ことわざ成句など、日常的に使われる日本語には漢文の影響が色濃く残っています漢文を学ぶことで、言語的な洞察文化的な素養が深まるとされています

2023-11-08

anond:20231108223752

そうですよ。めちゃくちゃきもい

女を調教して走らせる。

どんな牡馬もなぜかメス化

露出爆乳

全員Pがうっすら好きでPに謎の媚びた言動

すさまじい女性蔑視

男が鑑賞するための女体コンテンツだよ

普通の国でやったら当たり前にクレームで潰れる

日本人クレームを悪だと思ってるし、

デモはうるさくて迷惑だと思ってるし、

騒ぐことをPTAのうるさい人が空気読まずに騒いでるみたいな認識しかできない

人権意識の低い無教養サルから

何も言わずスルーちゃうんですね

これが普通にできてしまうから

日本人ドン引きされて

クズ男の聖地になってキモがられてるんですね

anond:20231108124938

SFを楽しむ人が全てそうだとは言わないけど、それなりにサイエンスに対する教養を持ち合わせているからこそ、

SFを本格的に楽しめるんだと思うよ。

サイエンス要素を楽しむ気が無ければ、ただのフィクションで十分じゃんってなると思う。

2023-11-06

anond:20231106141700

ドット絵を知らないか別にそいつファイヤーエンブレムとかエフエフの話してても突っかかったりしないよ

バイクについて知らないかバイカーに燃費が云々説教することもない

自分がいう常識大学一年教養教科書に載ってる内容だからな?

高校出てりゃ誰でも知ってるんだよ

全く興味ない人が知らないのはいいが、社会問題について語ろうとする人が、ひろゆき憲法について解説されるのはどういう生き方をしてたんだろうと思ってしま

大人になると急に現れる「真面目そうなのにとにかく頭が悪いやつ」の正体が謎

ひろゆきやら有名人増田説教リプ飛ばして、大学教養レベルのこと(憲法需要供給曲線や税金の仕組みなど)について解説されてたりするような大人が目立つ

 

同じ日本人なら当然知ってるだろ…みたいな

常識すら、知らずに見当外れな議論意見するやつってどっから現れ出たんだ?

 

子供の頃はそういうタイプヤンキーとかで、真面目なやつはみんなそれなりに頭よかった気がするんだが…

ネットは真面目に仕事20年やってます!みたいな感じで猫かレトロゲームドット絵アイコンにしてて虫みたいな知能のやつがたくさんいる

2023-11-05

なんかこないだ「氷河期世代バブル恩恵を受けてないなんて嘘つくなお前らだって学生の時はバブルだろいい加減にしろ!Z世代もっともっとひどいぞ!」みたいなのをついったーで見て

うーん俺ってバブル恩恵受けたことあったっけ?ってよく思い出してみた

まず食事において飢えることはなかった。団塊団塊ジュニアの最もでかい違いは団塊結構割合で「幼児から少年時代にかけての深刻な飢え」を体験していること。団塊さらに親世代戦争で戦ってる世代なので、田舎地主でもやってないかぎりひもじい思いは体験してる。都会で不動産結構持ってる程度では本人も家族も金があっても食い物がないなあなんてことはあったようだ。氷河期世代の俺はその点ひもじくて泣くようなことはなかった。小学校の友人だと「家に誰もいないので火を使うのを禁止されている関係上食い物はあるが食えないおなかすいた悲しいお前の家のみかん食わせろ」なんてことはあったが俺は鍵っ子経験なので。俺が飢えたのは就職手取り15万で親に5万仕送りしてたとき人生で一番やばかった。2001年ぐらいである。そのタイミングで親無職になってんだもんなあ。俺の稼ぎがあと1万2万少なかったら親が立ち直るまで金が持たなくて本当に死んでた可能性がある。

バブルっぽいたくさん食べ物お金を使えたなという記憶はない。マクドナルドハンバーガー60円台で購入できて大量購入して差し入れに使ったり、牛丼の並が安かったりというような思い出の方が強いな。あ、でも中学生高校生の時にフレンチとかイタリアン厨房で皿洗いするバイトはなかなか高給がもらえたぞ。大学生になったとき家庭教師ほどではなかったけど。

世代に金があったか旅行に行ったり留学にいったりしてたんだろう贅沢ものめとかいう話も出てたな。旅行、数えるぐらいしか行ったことない。いわゆる修学旅行を除き、泊りの旅行高校生の時にスキーがたぶん3回ぐらい。親の知人に景気良い人がいてそこの家庭が別荘借りるから便乗とかいう感じなので安くあげた感じであって贅沢旅行という感じは当時もなかった。あとは大学の時にバイトして部活合宿という名前旅行3回。そんなもんだ。小学校低学年までは日帰りで遊園地動物園は年4~5回行ってたと思う。遊興に潤沢にお金を使えたという範囲に下の世代から見ると見えるんだろうか?

団塊世代の親が団塊ジュニアの俺たちに何を重点的に金を使っていたかというと受験対策である受験戦争と呼ばれた。努力して同世代を蹴落とし、よい大学に入りさえすればバブル期にぶいぶい言わせた奴らのような素晴らしい未来が開けていると思われていたのであるバブル崩壊してもしばらくしたらまた戦後復興みたいな好景気がすぐ来るとみんなが思っていた。団塊庶民が持ってた金銭の余裕は団塊ジュニアに軍拡競争のごとき教養を身につけさせるために浪費されるかバブル崩壊で低下した資産に吸い込まれ、贅沢をした者はそんなに多くはなかったのだ。

anond:20231105142853

ワイもこの会社にいたけど、普通にマインド反社やで

金儲けできれば何でもあり。社員もまじで教養というか倫理観がない。

anond:20231105152024

これ実際には逆で、素人による訳わからん言論の迷走が大きな声で大規模になったために、大きな社会的政治的混乱を引き起こしてめちゃくちゃになった

安保理条約とか学生運動とか記憶に新しいでしょう

せめて教養必要だった。

教養の何も分からない素人意見を言いまくってるだけだと、彼らは反論理解できないので議論が成立しなかった

政治腐敗を招いた一因となった。

中間にある団体とは具体的には?

草津冤罪オープンレターを乗り越えるためのTips

草津町議が虚偽を認めたこから草津冤罪事件オープンレター問題が再度注目を集めている。

これまでの議論から加害者側は謝罪反省が出来るほど人格成熟していない」と想定して、

ではどうすればこのような問題が再発しないかを考えてみた。みんなも知恵を貸して欲しい

1.日本人の文系大学人を減らす

今回の事件では両方とも、日本人中年以上の文系大学教員の加害性が目立った。

そこで、明治時代のお雇い外国人のように、文系教員若い外国人比率を上げていくのはどうだろう。

外国博士号だけ取ってきました」程度の日本人ではオープンレター解決したり反省する教養が身につかないと思われるので、日本人場合は、学部から日本の外で学んだ者を優先する。国際化の観点からも良いと思う。

2.記録を残す

草津への暴言はまだまだ残っているが、オープンレターのようにサイトを閉鎖し、加害の事実をなかったことにする動きがあるので、年表やら何やらでどんな発言がいつ行われたのかって記録は大事なのでは。

一部の人は、本人が何をコメントしようと、リーガルハラスメントを何回も繰り返した加害者として、名前も出されない程に毛嫌いされているが、これだと5年後には忘れられる危険性がある。

2023-11-01

anond:20231101115341

社会的成功している(収入中央値を遥かに超えている)、社会的成功する素養を持っている(高い身体能力、整った容姿知識教養の高さ)とかじゃない?

anond:20231101082016

批判をしない人って社会性低いんだよね

何の批判もしない人を社会性高いと勘違いしてしまう、批判された時に受け止める能力がないので揚げ足取り論点ずらしをしてしまう、とにかく日本人は無教養バカだらけなんだけど


国際社会では「沈黙は、暴力の影に隠れた同罪者である

「悪を仕方ないと言う人は悪の一部。悪に抵抗しない人は、悪の協力者である

という教養ちゃんと人々に浸透しているよ

日本人にも善人は沢山いるけど、まともな人は声をあげないんです。批判しません」と言っても、

いやそれは悪じゃん、と大卒レベル教養があるから通用しないんだよね

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