はてなキーワード: 心療内科とは
(続き)
https://anond.hatelabo.jp/20230421224752
https://enpedia.rxy.jp/wiki/鹿児島ゴルフ指導者準強姦事件
一旦不起訴になって、検察審査会に不服を申し出て起訴できて、それなのに無罪になった
「女子高生が抵抗できない状態だったなんて知らなかったかもしれない」
という理由で。
つまり「私がノーでもあなたがイエスなら性暴力ではない」とされたのだ
不同意性交等罪ならば、「恐怖・驚愕(きょうがく)」「地位利用」に当てはまって裁けたのに。
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20230328/2000072245.html
それどころか、マッサージ店で客の胸を触るわいせつ行為を行っても「被告が合意だと勘違いしてたから不起訴」に一旦なったのだ!(検察審査会で覆されて無事裁かれたが)
不法侵入して強姦しても合意だと思い込む性犯罪者の認知の歪みと併せて考えると、一層恐ろしい
<女性に力を>13歳娘へ性暴力、父は野放し 暴行・脅迫なければ罪に問えず
https://www.tokyo-np.co.jp/article/17591
このケースだと、別居してる実の娘に手を出しても、「養育費払ってないから『監護者わいせつ罪』にはならないし、娘は13歳で性交同意年齢に達してるし、暴行や脅迫がないから」と無罪なのだ。
>襲われた時、長女は「パパ、ちゃんと話をしようよ」と必死に止めようとした。それを「同意の言葉だと思った」と元夫は警察に釈明したという
>長女は今も心療内科でカウンセリングを受けている。突然、家の中で泣きわめいて暴れることもある。「娘は一生深い傷を引きずる。でも、元夫は刑罰を受けなかったので、自分が悪いと自覚していない
https://www.asahi.com/sp/articles/ASM4D6J6DM4DUTIL051.html
実の娘をレイプしても、「服従・盲従せざるを得ないような強い支配従属関係にあったとは認められない」「抵抗が著しく困難とまでは言えない」とされた無罪判決は有名だ。
長年、実の父親に暴力を受け犯されてきたのに、「弟と協力して回避できた時もあったんでしょ。抵抗できないわけじゃないじゃん。無罪!」とされたのだ。
(後に覆されたが)
この父親も例によって、合意だと主張し、逆転有罪後控訴している
https://bunshun.jp/articles/-/35655?page=1
テキーラを大量に飲まされ酩酊させられた状態で姦淫された準強姦事件も、一審で無罪だった。
被告人が「女性が抗拒不能であったことの認識がなく、性交について承諾ありと誤信した」だという。
これも、「アルコールまたは薬物を摂取させること」が要件に加えられている不同意性交等罪ならば、無罪はありえなかった。
警察官たち5人が女性を監禁して集団強姦し、「抵抗が弱まったので同意だと思った」とのたまい不起訴も、
13歳の少女を27歳男がレイプして、抵抗がなかったから無罪もあった。
こういったケースが見えてない呑気な人達が、「彼女と合意でイチャイチャした後本当は嫌だったと言われて有罪になるぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ!!」と騒いでるのだ
有期雇用で休職できない、低賃金で貯金がないから仕事をやめられません。
次の更新は6月末ですが、すでにうつがひどくて目眩がひどくてまともに歩けません。字も頭に入らなくて職場でよく怒られます。少し指摘されただけで涙ぐんでしまいます。2時間に一度はトイレにこもって休まないと8時間働けません。
朝身体が重すぎて毎日休むことを考えてますが、私がやらなきゃいけない仕事が多くて毎日どうにか職場へ行ってます。
休む方法を調べてるけどお金がないから休むに休めない。傷病手当金も貰えるまで時間がかかるらしい。詰みじゃん。死ぬしかない。
心療内科の先生はもう少し仕事を頑張ってといいます。薬は副作用が強くて全然ききません。楽になりません。仕事が余計しんどくなります。
私の父は所謂毒親でアルコール依存症で双極性障害だ。散財による自己破産も10年前に経験済み。金の無心をしてこないだけまだマシか。
そんな環境下で育った私も10代から心療内科に通っている派遣社員の高卒。自己破産はしてないが、近い将来に自殺するだろうと思ってるから貯金はゼロ。
弟も社会不適合者気味でアルバイトしかできない。従兄弟はポスドクだったけど突然のうつで治療中だし、叔父さんは生活保護受給中。呪われた一族である。
ここ数ヶ月の間毎週デートをしている彼は育ちの良いお坊ちゃんだ。
都内駅近タワーマンションを現金一括で購入しても資産が余っているらしい。
玉の輿を狙ってるわけじゃないけど、どう考えても私とは合わないとわかる。
フィーリングは合う、一緒にいて楽しい、何時間もずっと一緒にいても苦じゃない。それでも、育ちがあまりに違いすぎる。
私が持病を持っていて父親がまともじゃない話までは伝えていて「気にしない」と言ってくれているけど、自己破産や父の双極性障害など具体的な話をしたらどんな顔をするのだろう。
あまりに生きてる世界が違いすぎて、私なんかに時間を割いてくれてるのが申し訳ない。
私は彼のことが好きだし、彼の私への好意も伝わってくるけど、彼はこんな私と一緒になっても幸せにはなれない気がする。
人間関係は悪くない職場だけど、業務量の多さやストレスのかかる業務が多いため心療内科に通院している。
月に一度はメンタル不調で当日欠勤してしまうし、週一で仕事が原因で泣いてしまう。
ケアレスミスの量はかなり増えてきているし、メールの返信漏れも前は月に一度程度だったのがここ最近は業者から毎週指摘されるようになった。
美味しいご飯を食べても前のように美味しく思えなくなったし、週末はぐったりして何もできない。
ただ、今の職場で働き続けたらスキルアップできるだろうから辞めるに辞められない。この半年間騙し騙しではあるが働けたのだから、少なくともあと半年、一年は耐えられるんじゃないか。
派遣だから休職制度もないし、辞めるか続けるかの二択しかない。
業務量についてはキャパオーバーなことを上も把握しているが、それでも業務量を増やすんだから改善は難しいだろう。
先日、予約していた心療内科にチェックインしようとしたら、会員証はあるのに、マイナンバーカードが財布の中にないんだよね。
保険証があったので、セーフだったけど(6円?高くなったのかな)
あと使ったのは、処方箋を薬局に出すときに一緒に出したような・・・???
ああ、あと、クレジットカードの更新時に、ドヤ顔でマイナンバーカードで身分証明書に使ったような(その時毎回、住所や名前を全部書かされるのは「身分証明書の意味とは?」と宇宙猫の顔になるよね)
ここぐらいしかねぇ!!そして「マイナンバーカードを紛失した場合」で検索すると、「警察に紛失届を提出して届け出番号を控えるように。再発行のときに必要になります」とか、絶対ムリなことが書いてあってオワタ。届け出とか、警察と話をするとか、クソみたいなめんどくさいことがADHDにできるわけねーだろう!!
認知症のことが最近話題になっているからお昼休みに書いてるよ。
私は看護師の中でもそんなに賢くない方だから読みづらい文章になると思うけど。
いろいろな方とお会いしていると、やっぱり早め早めにいろいろなところとの繋がりを持つことが大事だと感じています。
ベタだけどとくに「人との繋がり」は強いカード。逆にいうと繋がりが弱い人はトラブルに脆弱だし、認知機能に限らず本人に余裕がなくなってくると人との繋がりが弱くなる。
防御力でもあり、ライフでもある感じ?
でも本人は嫌がる!どうしよう!……っていうのが界隈ではよくある悩みなわけです。
そもそもさ、最近ブクマでも「認知症は脳の死だから、安楽死を認めるべき」みたいな論説が目立って見えるくらいだからね。
「オレが社会的に死んだと思われる!」「死ぬべき存在になってしまう!」っていう恐怖は計り知れないと思う。そりゃ、どんなに困ってても否認したくなるのが普通だよね。
(スティグマの影響は本当に計り知れないから、本当にみんなが生きやすい社会になってもらいたい)
ですので、ホントに過剰に感じられるくらい、オーバーに相手の自尊心に配慮することがコツだと思います。
では、家族からの相談があって、過去に上手くいった事例を少し紹介するね!
普段から内科とかでかかっている先生がいたら、そこと連携するのはオススメ。いきなり精神科と心療内科とかはかなりハードルが高いよ。
信頼できる先生から言われると結構、聞いてくれたりするみたい。
配偶者の方も同じ検査を受けるから付き合って……などで上手くいくケースもありました。夫婦で検査となると一緒に行くってノリにもなりやすいですよね。
認知症という言葉はちょっと重たいので、そう伝えずに脳の機能検査と伝えるのがよかったケースもありました。
認知症の検査をすることで他の病気が見つかる可能性もある、という言い方も結構入りやすいと聞いています。
6.孫に協力依頼
孫は強いカード。
7.地域包括支援センター、保健所、警察と連携する
物盗られ妄想などで家族にも拒否的な場合には警察が受診支援をしてくれる場合もあります。
地域包括支援センターは普段生活しているとあまり関わりがないと思いますが、名前だけでも頭の片隅にいれておくといいと思います。
ご家族に認知症の方がいらっしゃると、本当にいろいろと大変なことばかりの生活かと思います。
家族介護者の教育的な支援やピアサポートなども以前に比べると充実してきていますので、ぜひご活用ください。
最寄りの役場などにも問い合わせてみましょう。
困っている方に「病気を理解し症状とうまく付き合うための支援」「本人や家族が地域とつながり続けるための支援」「当事者同士の出会いや関わりに対する支援」が届いて、お一人であるいはご家族で抱え込まずに済みますように。ご本人もご家族も自分らしく生きられますように。
そろそろ解消しそうなので備忘録で書き留めておく
辛いPMSにはセルトラリンはマジで全女子に知ってほしいと思ってる。
ただ薬も余り効かず我流の鍼とかでひたすら耐えた感じ。
連続投与のピル(自分の場合はジェノゲスト)とセルトラリンが黄金の組み合わせと思う。
婦人科は精神科の薬を出すのが余り上手くないため、心療内科もかかることをお勧めする。
ピル五種類飲んだからマジで長かった。ヤーズ嫌だって言ってるのにバカの一つ覚えの婦人科医師多すぎ。クッソ手こずった上に結局心療内科が治療のキーとなったため、婦人科にはあんまり信頼感がない。
◉精神症状
一番ひどい時は文字が読めなくなったり家から駅まで行けなくなったり、人間関係を生理ごとにぶち壊したりしてきた
ピル(ジェノゲストではない)で他害行為は良くなってからも空間把握能力がおかしくなり、料理中に気づいたら手を切っていたりして恐ろしいほどの能力低下していた
◉身体症状
だるい。これは今でもそこまで良くなってない。15時間寝るなどの過眠も良くなってない。その他の頭痛などはかなり連続投与ピルで改善した。
後は大食いムーブがあったりした。その後は生理で何も食えなくなるから痩せてたんですけどね。
◉月経困難症
排卵痛まで酷かった上、ピークの時はボルタレンロキソニンでも薬が効かなかったため3週間くらい痛みにずっと耐えないといけず何もできなかった。
→3ヶ月くらい続いた。
散歩もまともにできず、不眠になった。
最初はタケキャブ使ってもダメで、原因は生理止めるためのピルでの肝炎だった。婦人科ファッ●
肝炎良くなってからもたまにぶり返すのでタケキャブもらったりする。スッキリ良くなる。
●肝炎
→とあるピルが悪さして辞めた途端治った。全国の婦人科よ血液検査はちゃんとしてくれ。
●肥満
運動しまくってたのに痩せずに途方に暮れたところ、不眠治療し出してようやく痩せ出したところ。泣くほど嬉しい。
●不眠
→マジで毎日寝付けず頭が働かない生活を送ってた。睡眠外来の病院に行ったところ、指導が神がかってた。かなり良くなった。なぜか不眠治療したら食欲が減って痩せた。
●肩凝り
→整形外科で体操教えてもらったのがかなりよかった。急性期はリハビリしてもらったのも非常によかった。
その後教えてもらった体操、コリコランとオムロンの高い治療器でそこまで極端に凝ることは減ったが真冬はたまに弛緩剤のお世話になることがある。
●まとめ
→早く病院に行くほど簡単な病気の治し方はないと思った。ただ婦人科はなかなか当たりがないので大変。心療内科は予約取りにくいのでとにかく早めに。
元々副作用が出やすい体質なのか、一番少ない量でも吐き気倦怠感眠気不眠など副作用が出る。
飲み続けないといけないのはわかってるんだけど、服用後ひどい眠気や倦怠感、吐き気が続く薬を飲みながらフルタイムで働けないので服用中止するしかない。臨機応変にリモートできる職場ならどうにかできそうだけど、うちはリモートができない職場だから休み休み働くことができない。
新しい薬が処方される時には副作用がひどかったら服用中止する(しないと仕事にならない)旨は伝えているけど、このままじゃ飲める薬がなくなってしまうのでは?と不安になる。
新卒で10年近く勤めた会社をうつで辞めて、不妊治療に専念した途端に子どもが出来て今年出産する。いま30代前半。
旦那は、国は女性に輝いてって言うけど少子化考えたら専業主婦増えたら良いのにねとは言うが。
実家が貧困家庭で、自力で奨学金借りて大学まで出たのに結局心療内科の世話になって専業主婦になった自分を振り返ると、なんかバカみたいだ。
思い返せば中学生ぐらいから「人と違うこと」に強い違和感を感じていた。
母も変わり者と言われていて、自分は「変わった親を支える健気な息子」という謎のラベルで分類されてて同級生からは「変なやつ」扱いされていじめを受けることもあっても地域や家族や親戚からは普通に接せられたため学校だけが特殊な空間だと思っていた。
父は吃音症を持っていて古希を迎えた今でも時々電話口で吃ったりしている。母は母で何の病気か分からなかったが精神的な何かを患っていたようだった。母の実家は、どうやら部落の歴史を持っている地域らしい。母方の祖母は看護婦だったが、民生委員の方と何か地域の活動もしていそうだった。母方の叔父は、なかなか定職につけないと言われていた。政治絡みのニュースを見たときや何かしら挨拶などを求められると「共産主義がどうのこうの」と呪文を唱え始めるので近寄り難かった。ボソボソ話していたので内容は全然記憶にない。母は若くして亡くなったがその葬儀の席でも呪文を唱えていたので憤慨したことを覚えている。母方の祖母も数年後追うように亡くなり、この叔父は施設に保護されているそうだ。
父方の祖父は戦時中に亡くなっている。父が1歳のとき、父方の叔母が祖母の胎内にいるときに満州で戦死したと聞いている。そういえば母方の祖父にもあったことはない。どちらも祖母はきっと女手一人で二人の子供を育てたのだろう。今、身近にいる子育て世代を見ていると恐ろしい時代だなと思うけど。
自分は昔から不思議と「良き先生や良き先輩」に恵まれると言われる。これは34年間はっきりと発達障害を認識するようになるまで酷いストレス下に晒されて精神を壊されるという経験をしてこなかったことが紛れもない証明のように思う。震災のときに大学を卒業して、無い内定だったときは凄い絶望感だったが当時はそれほどなかった「就職支援サービス」に助けを求めたら1年以内に上場企業の事業子会社という良縁に恵まれたこともあった。
昨年末、父は家族同伴を求められる大きい手術を受けた。その関係で実家と居住地を往復するなど体力的に厳しい日々を送った。加えて昨年下半期、所属部署が人員整理の対象になっていて転職するかどうするか本格的に検討を求められていた。人がどんどん減っていく中で責任ばかりが増大するそんな日々を送ったので年が明けてからとうとう体が悲鳴をあげるようになり休職することになった。
心療内科に初めて通ったのでついでに色々と検査もしてみたが、その中で「発達障害の疑い」も見つかった。
それからASDやADHDについてあれこれ調べたりする中で、昔からの違和感について発達障害だとすると説明がつくようなことが実に多い。ようやくはっきりとしたものが見つかりショックを受けるより今は安堵している。
担当医師によると診察の僅かな時間をみるだけでも「多動障害」のような動きが見られるらしい。しっかり診断するには知能テストを受けてもらう必要があるということなので高額ではあるが一生付き合うだろうし受けることにした。
自分は安堵しているがこれを家族や勤務先はどう受け入れるのかは謎だ。ただ私に早い段階から心療内科の受診を強く打診してくれた同僚は、1年前に休職したときに同じように知能テストを受けたらしい彼はグレーゾーンという結果だったそうだけど自分は恐らくはっきり診断されるんだろう。多動障害は多くは大人になると解消されるそうなので相当根強い何かがあるんだと思うし、多分遺伝的なものもあるんだと思う。
父は母についても認めたくなさそうだったから、息子も病気があると認められるとショックを受けそうで対面でじっくり話さないと駄目だろうなあと思っている。
恋愛については避けていたが、紹介したい人がいるという話をありがたいことに頂いてからこういうことが明らかになっている。父もいつまで元気じゃないということがわかった今、診断を受けて次のステップに動ければいいなあと思う。