はてなキーワード: 不謹慎とは
幸い今の時点では私のことくらい認識できているが、家族の名前すら出てこないことが増えてきた
「死にたい」「私はもうなんの役にも立たない」「死ぬ準備をしなきゃ」今の祖母の口から出てくるのはそんな内容ばかり。
もちろん医師と家族でいろいろと相談してるが困ったことに処方される薬のすべてを疑っているらしく口にしたがらない
状況としては病識がない統合失調症患者が医師や役所の人間すら悪の組織の人間だと思いこんでて一切の治療や福祉を受けられない状態と似たような感じ。
初めて処方された場合は飲むだが、どんな薬を飲んでも必ず「この薬を飲んだせいでなんか調子が悪い」と言いだす
副作用なんて強いわけがないただのビタミン錠ですら「これを飲んだせいで気が狂いそうになる」「これのせいで腹痛が酷くなったから救急車呼んで」本当に体調が悪くなってるなら仕方ないのだが数分後にはケロッとして忘れてる
無理に飲ませようとすると頑なに拒否して暴れるのでもうどうしようもない。。。
投薬によって束の間ポジティブになることも、認知症の進行を遅らせることすら叶わない
最近転んで怪我して入院したが「じっと安静にしていてください」という医師の再三の注意を無視してすぐに追い出されてしまうことに
祖母が変なことしないよう見張ってる必要があるが、そうなるとあの死にたい攻撃を聞き続けることになる
もううちはダメだな
本当に人としての精神や魂という部分が死ぬのも多分すぐなんだろう
コロナとか関係ないところで別の絶望的な問題が着実に進んでて情報過多でこっちが鬱になりそう
いっそじわじわと死んでいく祖母を見続けるくらいならいっそコロナがこの状況を解決してくれればいいのになんて不謹慎なことまで頭をよぎる
二番煎じです。
https://anond.hatelabo.jp/20200404142511
この話を読んで、筆を取りたくなりました。
共に過ごす家族などいないし、なにより職場への通勤は逃れられなかった人間。
3月から時短営業はしているけれども、緊急事態宣言前後で特に何かが変わることはなかった、そんな都内の職場で働くテレオペです。
ネットカフェのような仕切りだけがソーシャルディスタンスな、そんなオフィスに何十人も詰められて今日も電話に出ています。私たちがクラスターとなる日は遠くない。たぶんきっと。
感染対策はしているものの、業務は遂行されます。自分は社会の歯車でしかないのだと、改めて気付かされる日々。
お金を稼ぐため、生きるために、命を危険に晒すという矛盾の中を泳ぐ春。
7時に家を出て、15時には仕事が終わる、このサイクルに何か見覚えがあるなと思ったら、ああ、これ、10年前に体験した高校生時代と同じサイクルなんですね。
健やかに眠りにつき、体を養うことのできる日々。
日の出る前に家を出て、ビルの中で日が傾くのを見つめつつ、日が沈む頃に帰路に着く今までの生活が嘘のよう。
時短営業とは言いつつ、人が本来、1日に活動をする量というのは、この程度が適切なんじゃないかと思ってしまう。
忙しさに擦り切れていた去年までの春と違って、今年の春は、皮肉にも心に余裕があります。まだ日のある仕事からの帰り道に、ふと見上げると、いろんなことに気づくのです。
桜の花びらのその薄さ。
肌を撫でる風の暖かさ。
何年もオフィスの中から小さく見つめるだけだった春の風景たち。
その春の風景の中に、今年は私も紛れている。
ただそれだけで、どうしようもなく嬉しくて悲しくなるのです。
もう何年も忘れていたような感覚を、この時短生活の中で取り戻しています。
こういう感覚を、また取り戻せる日が来るとは思わなくて。
まだ私にも人の心が残っていたことを知って、なんだか訳もわからず涙が出てきてしまう。
校則を破ってブレザーの下にパーカーを着込んだかつての春の日を、ここ数日ずっと思い出しています。
大きな危機がやってきているのだとはわかっているのだけれども、眼前に広がる春の日は嘘偽りなく麗らかで、こんな日がいつまでも続けばいいのにと思ってしまう。
この世界の恐慌は早く鎮まってほしい。死者も苦しむ人もこれ以上は増えずにいてほしい。そんな気持ちはもちろん私の中にある。
けれども私個人というミクロな視点で今の生活を見つめると、人生で一番穏やかな日々を送れているのは今なのではないかと思う。
「ああ、ここで終わってしまってもいいな」と。
死が明確に、近くまで迫っているこのご時世に、そんなことを言うのは本当に不謹慎なのだけれども。
ただ、こんなに心穏やかな春を、もう人生では得ることができないのだ、という事実が頭をよぎるたび、どうしようもなく、本当にどうしようもなく、悲しくてたまらない。
こんなに春の日は美しくて、幸せに満ち溢れたような姿をしているのに。
毎日、混雑する東京の電車に乗り込んでいます。もうもはや、生きるために乗るのか死ぬために乗るのかわからない。
もしかすると、5月を迎えられずに亡くなる可能性だってある、危うい日々が続きます。
けれど私も、はっきりと思うんです。
すごく仕事に集中できたのと、仕事総量が減っているので、普段できない改善活動とかもやってみる。
そして効率化できたことを考えると、今までいかに仕事を邪魔する奴に全体がスポイルされてきたのかわかる…って話になってしまった…
先に書いておくが、ここで出てくるのはリモートワークではなく自宅待機。仕事をすることなく報酬がもらえる方の話だ。
彼は大学のサークル知り合いで、自分より1つ年上だ。当然私より先に卒業して、国内大手メーカーの総合職に就職した。
彼の卒業以降、リアルで会う機会は全くなかったがTwitterではずっと相互フォロー状態にある。お互いの鍵垢でも相互フォローで、頻繁ではないが時折リプライを飛ばし合う仲であった。
そこで今回のコロナショックが起きた。彼の会社は4月1日から早速自宅待機に切り替わったらしく、休業補償どころか通常通りの報酬が貰えると書いていた。さらに彼は実家住まいということもあり、不便はあっても生活が崩壊することはなさそうに見えた。
家族と共に過ごせて経済的困難も起きないなら、この危機は彼にとってはさほど影響はないだろうと思っていた。
ただ、彼は徐々に壊れ始めた。仕事に関する愚痴もツイートすることなく、趣味に関する温和なツイートばかりだった彼のアカウントは徐々に「正義マン」と化しつつある。FF内外を問わず、少しでも外出している人を見かけては「自粛しろよ」と言及する。彼はフォロワーと喧嘩をするような人ではなかったのでかなり驚いた。昨日はZOZOTOWNで衣服を購入している人を見つけて「不要不急の通販は宅配業者を圧迫するだろ」という引用リツイートをしていた。もっとも、鍵垢なのでリプライで見知らぬ人と論争を始めるようなことはないのだが。
たとえば飲み会をやっている人などを見ると叩く気持ちはわからなくもないが、外出しないための通販すら叩きはじめるのはかなり先鋭的ではなかろうか。もちろん東日本大震災でも「不謹慎厨」が多数出現したから、そういう人が出てくること自体に驚きはない。ただ、温和で明るく、周りからも慕われていた彼が変貌してしまったことに驚きを隠せない。
一方で自宅待機ではなく、リモートワークに移行した友人たち(IT系が中心だ)は普段とさほど変わらない様子である。在宅でのやりづらさを愚痴にすることはあれど、性格が変わり始めるような人は見かけていない。
「やることがない」というのはここまで人を壊していくものなのか。
密閉・密集・密接はすでに我々が完成している!!
嘘つき次第稼ぎまくってやる!!
品切れの紙様が来たッ マスク!!!
怠慢なら絶対に敗けん!!
バーリ・トゥード(なんでもあり)でも今年はやめろ!!
韓国宗教団体から炎の病が蔓延だ!! 新天地 イエス教会!!!
ルールの無いステマがしたいからスポンサー(広告代理店)になったのだ!!
老人の身勝手が今 路上でバクハツする!! 巣鴨商店街 歩行者天国だ―――!!!
風邪気味のブラック(法令違反)ソルジャー ミツビシ・エレクトリックだ!!!
感染の本場は今やニューヨークにある!! オレを止められる奴はいないのか!!
アメリカ合衆国だ!!!
コロナウイルスだ!!!
マスクはオレのもの 売り切れる前に思いきり買い思いきり漁るだけ!!
傍迷惑に更なる磨きをかけ ”テポドン”北朝鮮が煽ってきたァ!!!
中国四千年の蠱毒が今ベールを脱ぐ!! 武漢から アウトブレイクだ!!!
治すも壊すも思いのまま!! 厚生労働省だ!!!
若年者層がわるいんだ―――!!!
暗黒街で磨いた実戦コロナ!
実害だったらこの話題を外せない!! 超A級懸念事項 経済崩壊だ!!!
超一流老害への超一流の忖度だ!! 生で拝んでオドロキやがれッ
不謹慎はこの男達が完成させた!!
俺たちの税金が帰ってきたッ
俺達は君を待っていたッッッ布マスク2枚の配布だ――――――――ッ
加えて重症者発生に備え超豪華なリザーバーを4名御用意致しました!
不要不急 桜見物!!
……ッッ どーやらもう一名は到着が遅れている様ですが、到着次第ッ皆様にご紹介致しますッッ
どうせ家に居るしかないならさ
データ放送で各都道府県の感染者数の増加が選挙速報みたいにリアルタイムでわかるようにしたり
あと死亡者も表示してさ、どっかで数字が増えたらマスコミが飛んでって取材するの
不謹慎か?
東日本大震災でやられた側なんだけど?
この状況のおかげでテレワークになった。
毎朝の通勤がなくなって、身支度の必要もなくなって、いつもより2時間は長く寝ていられる。
貧血気味の低血圧なので、働きに行くという行動がなければ体調が悪くてもパソコン見て処理くらいはできる。
座ってなきゃ、生理痛が酷くても呻いてはならない、唇をかみ締めてはならない、みたいなプレッシャーがないので痛てぇいてぇ呻きながらメールに返信できるし暖かい服着て寝転がりながら仕事できる(2回目)
めっちゃくちゃ助かってる。
メンタルが死んでても誰に合わせる顔も無いし、会社の中でタバコ臭いとか、他人の不機嫌の呟きやエンターキーのターッンを気にしなくて良い。
正直、終息されても、また毎日出勤ができる気がしない。
つか、単に「まとめサイト(他報道)に流されている」んだと思う。
マスコミ報道は全部「電通案件だから叩かれた」で統一して、追悼ショップの不謹慎っぷりとかは隠していたから。
んで「追悼ショップには沢山の人が来ている、だから叩いていたのはごく一部」って事にしたがっていた。
コロナのニュース見てるとさあ、終末感があって働く気なくなるのよね。
もっと全力で今を楽しみたいのよ。
311の時みたいにさあ。何もできずにただただTVの記者会見を待つ感じとか、ぽぽぽぽーんとか、あの不謹慎な感じを楽しみたいわけよ。
使い捨てマスクを洗って干してる時とか、普段食いもしない缶詰とか袋めんとかしか売ってなくて買って帰る感じとか、最高ですよ。
リモートワークでも働きたくねえなあ。
もう一段階なんか起きねえかなあ。
当初新型コロナを対岸の火事としていたヨーロッパも強硬な対策のおかげで死者数も落ち着いてきて、収束とは言わないまでも若干下火ムード??
不謹慎だけども、私はもっと蔓延して、数百万、数千万人が感染するような世界が見たかった。もっと深刻な状態まで持っていってほしかった。パラダイムシフトが起こるくらいに。
だって映画みたいじゃん。超SF大作をそのままで壮大な社会実験してるみたいな。シムシティっぽい。
だって、最初はたったのひとりから始まるんだよ?すごくない?考えただけで興奮する。
いがみ合っていた国家が、それぞれいろんな政策課題があったのに世界共通でトッププライオリティが新型コロナになって、そして資源(マスクとか)を巡って争い始めるって。
僕はもっと見たいんだ。
そんな中日本はいつもと変わらないで出勤でしゃ? これも壮大なディストピアでなかなか狂ってる。
何がヤバいか特にわかってないけど、まぁヤバいんだろうとしか感じてないのがよくわかる。
医療の発達で平均寿命も右肩上がりだし、ネットじゃ、今まで何かと高齢者ばっか幅を利かせてるみたいな風潮もあったけど、今回の新型コロナは高齢者によく効くし、世代間対立にもなってるらしい。
ないぞ
日本小児科学会のように世界の真逆へいかない正しい見解を見せるところもあるし、
正しい主張をしてくれているアカデミアの人もいる
放射能云々については控えたい
そこで暮らしている人たちや暮らしを取り戻そうと尽力している人たち
どうせならこっちがいいな
[FNN]「これ以上わがままは言えない…」震災から9年、被災者向け仮設住宅からの退去期限が3月末に迫る
https://sp.fnn.jp/posts/00050704HDK/202003111840_morimototaro_HDK
迫る退去期限、今後どうするのかを聞くと、「とりあえず荷物の整理をして運んだりはしているんですけど…。どうしましょう?どこかシェアハウスとかを探すしかないのかな?もしかしたら当面はネカフェで寝泊まりすることになるのかもしれません」
Sさんたちの住む東雲の国家公務員住宅は、被災者が退去した後、国家公務員であるキャリア官僚の住居になるのではないかと見られている。
完全に壊れていない限り仮設住宅へも行けず自費らしい
https://www.nhk.or.jp/special/plus/articles/20190402/index.html
加えてやはり街からは人が減ってしまって商売もままならないらしい
[NHK]「震災直後は夢があったけれど…」 老舗菓子店 Tさんの9年
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200311/k10012325051000.html
岩手県宮古市で老舗の菓子店を営むTさん(63)は、今回のアンケートの自由記述に「思い描いていた未来のようにはなっていない」とつづりました。
Tさんは東日本大震災の津波で自宅と店舗、そして工場を流されましたが、それでも震災の直後は前向きな気持ちになれたと言います。
Tさんは、当時の心境について、「すべてを失いましたが、家族で住宅フェアや見学会に行って再建するならどんな家がいいかと考えたりして、不謹慎かもしれないけど、楽しい、夢が持てた時期でした。店の再建もできない訳がない、お菓子屋さんをまたやるんだと、当然のように思っていました」と振り返りました。
しかし、再建は当初思い描いたようには進みませんでした。仮設住宅で不自由な生活を送りながら仮設店舗で営業を続け、震災の2年後には工場を再建。しかし、売り上げは震災前の10分の1にも届かず、不安材料だけが増えていく日々が続きました。
▽「震災1年頃までは明るい夢を持てたが、それが2年たっても実現出来ない。むなしさを感じる時が多々ある」と書き、震災3年のアンケートには「仮設3度目の冬はマイナスイメージの言葉しか思い浮かばない。全てを失った震災直後は、それでも立ち直るという強い意志と希望が芽吹いていた。当時の思いは3年で日に日にやせ細り、しおれかけている」と記しています。
当時の胸の内についてTさんは「復興のつち音が響きたくさんの人が来て復旧復興に尽力してくれていることが励みになって自分も明るい気持ちになれたが、そういう人たちが去っていくと人が減り静かでさみしくなった。売り上げがゼロの日もあり、切なくて、自分たちでお菓子を買ってレジにお金を入れたこともあった」と語りました。
それでも「完全復旧する」と意気込み、店の再建という夢に向かって進んでいたTさんに「建設費の高騰」が追い打ちをかけました。復興需要の増大などで震災前1坪あたり50万円程度だった工事費用が、2.5倍近い120万円程度にまで上がったのです。
工場に加え震災から5年後に自宅を再建し、すでに多額のローンを組んでいたTさんは、震災6年のアンケートに「歩みが減速して、1度勢いを失うと、強い気持ちを持続させるのは難しいと実感している。借金を増やしてでも店舗再建を目指すことは正しいことなのだろうか?」などと、自分が選んだ道は正しかったのかと自問自答を繰り返していた当時の心境を記していました。
震災から6年半近くたった2017年の夏、仮設店舗の退去期限が迫る中、Tさんは店の大きさを当初の計画の半分程度に縮小してようやく再建を果たすことができました。
Tさんは「店と工場が離れてしまうなど当初考えていなかったことが重なった。行政の方針が二転三転して読めないのでその時その時で対処していたら借金が1億を超えてしまった」と話しました。
ところが、ようやく戻ることができた街は思い描いた姿とは変わっていました。住宅が高台に移転し商店街もなくなったため店の周囲ににぎわいはなく、震災前は大勢いた自転車や徒歩で店に来る客は今はほとんどいません。
Tさんは「元の場所に戻ったら悪くても震災前の半分は売り上げがあるだろう」と思っていたと言いますが、震災の影響で商品の卸し先が廃業したこともあって、売り上げは震災前の3分の1程度にとどまっています。