はてなキーワード: ヲタとは
彼女が愚痴をこぼすときは「姫は悪くないよ、悪いのはすべて相手の方だよ。」と言われたいとき。
彼女が悩みを相談するときは「姫はほんとうにがんばってるね、大変だね。」と言われたいとき。
彼女はきっと本当に不満があるわけではない。
彼女はきっと本当に悩んでいるわけではない。
同情されたい、構ってもらいたいだけなのだ。
近くの誰かが注目されていると「私なんてね、」始まる自慢
何度も何度も似たような不満を漏らす姫に、適切なアドバイスを与えた人がいた。
「あの男からまたLINEがきたの。会いたいですって、ほんとうに気持ちが悪いわ。」
「姫、LINEにはブロックという機能がありましてね、その気持ちが悪い男をブロックすればもう連絡は来なくなりますよ。」
「えぇ、そうね。」
姫はすこし不機嫌になってつまらなさそうに答える。
姫はそんな答えを求めていたのではない。
姫が求めていたのは「また連絡が来たのね!なんてしつこいの!
本当に気持ちが悪いわね!いくら姫が可愛いからって!」などといった言葉である。
もちろんブロックしなさいというアドバイスをした人に姫は二度と相談や愚痴をこぼすことはなくなった。
そんな姫の相手をできるのは、大抵女友達がいなさそうな陰キャラメンズ達である。
彼らはやさしく彼女を受け入れ、理不尽なお怒りにも付き合う。なんどでも話を聞く。
姫はめったに彼氏が途切れない。
すぐに次が見つかる。
「なぜ俺ばかり努力しなきゃならないのか、疲れる」「ヤレると思ったから付き合っただけ」
大量にRTするキラキラした恋愛Botのツイート、当たり前の言葉を並べただけのポエム
「がんばれわたし(空の写真)」
ももクロでもいい。
あからさまな萌えソングでも無い限り、ノリとかキャッチーなメロディとか、アニソンと大差ない。
食わず嫌いしてたAKBとかモー娘。の曲も、改めて聞いてみれば、曲としてはノリやすかったり頭に残りやすくて思わず口ずさんじゃうようなものもたくさんある。
アイカツの曲はテーマがアイドルだから当然だけど一昔前、90年代、00年代のアイドルソングのにおいがぷんぷんしてる。
とりあえずJPOPへの足がかりとしてアイカツの曲を今チェックしている。
アニメやカードとかメインコンテンツ自体にはほとんど触れてないんだけど。
アーティストとか売り方による偏見で曲自体をちゃんと聞かずに評価してるアニオタが多すぎるんじゃね?
そんで逆にアニメの曲だからというだけでゲタ履かせて過大評価する傾向ね。
俺はアニオタでアイドルソングなんか全然興味なかったけど、ちょこちょこ聞くようにはなってきた。
無理に聞けとは言わんが、まともに聞かずにボロクソにけなすのはとりあえずやめようぜ。
他のアイドル界隈がどうなっているのか私はしらない。
そしてこれから書くことはシステムの話ではなくて、感想文にすぎない。システムについて興味が出た人はグーグルに尋ねるかお近くのヅカヲタまでお問い合わせください。
タカラジェンヌが公演や、公演のためのお稽古に向かう時に所定の場所で待ち、やってきたタカラジェンヌにお手紙を渡す。
公演は細かいことを全部外してしまえば大きく分けて、宝塚大劇場(以下ムラ)と東京宝塚劇場(以下東宝)で行う。ムラでは公演のお稽古も行われておりそれは「お稽古待ち」という。ファンは公演を観る予定もないのにこの「お稽古待ち」の為にムラまで通う。片道1時間以上かかるファンなんて、たくさんいる。それでも、タカラジェンヌと会う一瞬の為に平気で通う。たまに自分で何やってるんだろうと虚しくなるけれど、虚しくなったら負けである。
東宝は所定の場所に並びお手紙を受け取ったらタカラジェンヌにそのまま「いってらっしゃーい」とお見送りする。タカラジェンヌが通るたびにしゃがむ大量の女性たち(時たま男性)はいつみても壮観である。
ムラだと所定の場所でお手紙を受け取ったタカラジェンヌは楽屋口までそのファンを引き連れてやってくる。そして、楽屋口で「いってらっしゃーい」とお見送りをする。大量のファンを引き連れて楽屋口まで歩いてくる男役スターをみると「うをぉぉぉ!!スター様が歩いてくるぞぉぉぉ!!!」と興奮する。ファンをたくさん引き連れているタカラジェンヌはそれだけで神々しくみえてくるし、圧巻で楽しい。
スターさんによっては「お隣歩き」と言ってこの所定の待機場所から楽屋口までお隣を歩いてタカラジェンヌとお話しできてしまうシステムがある。楽しそうにファンと話をしているスターさんをみながら「なんて優しい人なの!!」と勝手に感動することもよくある。話の内容なんて、当然聞こえやしないが。
以上穴だらけの入り出説明。ちなみにこの入り出は会を登録しているタカラジェンヌにのみ適用されるシステムである。まだ会登録していないタカラジェンヌはまた別のしきたりで入り出があるのだが書いていたらキリがない世界なので放置する。
この入り出。したいと思ってすぐに出来るものではない。まずはその生徒の「ファンクラブ」に入らなきゃいけない。この「ファンクラブ」は「非公認」のファンクラブなのだけど、宝塚システムに置いて凄く大きな位置を占めている。非公認の癖に「@@ちゃん会立てたんだって?」「うん、劇団に立てろって言われたらしいね」「そっか。まだ下級生なのに大変だねぇ」みたいな会話がヅカヲタの中ではよく繰り広げられる。繰り返し言う。ファンクラブは非公認である。
このファンクラブに入ることのメリットとは色々あると思うけど(デメリットも正直あると思っている)大きく言えば「応援している人を明確にする形でチケットをかえること」「入り出が出来ること」なんじゃないだろうか。チケット難の公演でも会に入っていればなんとか観れたりもする。
けど、私がしたいのはこの話じゃないから、このシステムについて気になる人はお近くのヅカヲタまでお問い合わせください。
そう、入り出である。入り出。
私が今好きなタカラジェンヌ(以下贔屓)を好きになった時、ファンクラブに入ろうと思った。ファンクラブに入って、その人の名前を通してチケットを買って、お礼状貰って、その人のお茶会(トークショーのようなもの。一種のファンミーティングイベント)に参加できればうれしいと思っていた。
入り出なんてしたいと思わなかった。
だって、怖いじゃん!?自分がいかにその人を好きか書いたお手紙をちょくせつ本人に手渡しするんだよ!?ホラーじゃん!!って真剣に思っていた。
憧れは憧れの存在のままでいて欲しかった。お手紙を直接渡すことが繰り返されるうちに、純粋な憧れは必ず憧れと違うものになると思った。それに、入り出(ガードともいう)する人が怖かった。宝塚の宗教じみた世界の一端はこのシステムが担ってるに違いないと思っていた。事実私の友人の一人は宝塚大好きで何年も見続けているが「ファンクラブなんてあるから宝塚が気持ち悪いところだと思われている」と吐き捨てた。だから、宝塚ファンがみんなこんなことをしているのだと思ってほしくは無い。舞台の上で輝いているタカラジェンヌをみることだけが楽しみで、公演を楽しんでいる人だってたくさんいる。入り出をはじめとした会活動は確かに不思議で独特なシステムであって、未だに奇妙だと思うこともあるけれど、私がこの世界に入ってしまったから非難することが出来ないだけだ。
私が宝塚を好きになってから仲良くなった人は、入り出をする人だった。
「おいでよ」
とその人は私と贔屓が違ったがそういった。
「入り出は楽しいよ」
正直、興味はあったのだろう。後を押されたのか、押されたという言い訳が欲しかったのか私は入り出にいった。同じファンクラブに所属している知らない人に挨拶をしながら贔屓を待ち、やってきた贔屓の目もロクにみられずに消え入りそうな声で「オハヨウゴザイマス」と告げながら私はその場から消えたかった。見慣れた顔の中に知らない顔がいるからか、彼女は私の目をじっとのぞきこんだ、気がする。
もう、数年前の話なのであまり感想は覚えていない。覚えているのは誘ってくれた友人とお茶をしていたらその友人が楽しそうに「また来週も会おうね」と言ってきたことぐらい。その時は「行かないよ!?」「一度経験したのでもう満足しました」とその人に伝えていたのに、翌週には何故か私はそこに立っていた。
それから、毎週のように私はそこにいた。
何が楽しいのか、私は未だに分からない。あえて言うなら贔屓と会った後にファンの人同士やお友だちとするお茶が楽しいと言ってしまうかもしれない。長時間乗る電車の中でポストカードに手紙を書き、ムラについてから贔屓を30分以上待つこともザラだ。やって来た贔屓に「おはようございます」の一言だけを告げて、ほんの少し会話をやりとりして、楽屋口まで贔屓の背中をついていく5分足らずの時間の為に多くのことを費やしているという事実を数年かかっても未だに認めきれない。
おはようございますの一瞬で目を見てくれたかとか、笑ってくれたかとか、今日は機嫌が良かっただとか、なんだか疲れているみたいだとか、たった一瞬触れ合うだけなのにそういうことで喜んだり心配したりする自分が滑稽だと常々思っている。
贔屓と仲良くなんか、なりたくない。勿論ファンとして大事に思われたい。嫌われたくは、ない。でも、近付きたくは無いし、入り出をしてどれだけ時間がたっても私にとって贔屓は遠い存在だ。
笑い話みたいかもしれないけれど、私は入り出するようになってしばらくしてから友人に「贔屓に顔を覚えられてしまったかもしれない」と言って泣いた。贔屓をみるのは楽しかったけれど、贔屓が私の顔を覚えるのは耐えられなかった。贔屓が私の顔を覚えるということは、関係が蓄積していることに他ならず、それがいいことだとは欠片も思えなかった。送る手紙はいつだって適切なものとは思えなかったし、贔屓がそれを負担に感じていたらどうしよとばかり考えていた。
今は、贔屓がどう思っているかなんてわからないし、私がやりたいからやってるでいいんだよって笑っていられる。手紙も送りたいから送るのだ、贔屓に喜んでもらうために書いてるじゃないよと言い張ってる。時々それにも失敗しているけれど。
入り出はタカラジェンヌによって色々で優しく雑談をたくさんしてくれる人もいれば、視線も合わせずお手紙を回収してさようならの人もいる。たくさんお話してくれるタカラジェンヌの話を友人としながら「@@ちゃんさすがだよね」と笑いあうけれど、そこでガードすることはない。会のシステムが無くなったとしても、多分しない。私が入り出をしたいのは、贔屓だけだし、その贔屓が見せてくれる一瞬がどんな神対応よりも意味を持っている。
AKBの柏木由紀さんは握手会を「10秒の公演」と称したそうだけど、きっと宝塚の入り出も近いものがあるのだとそう思っている。
毎週5分の為に駆けつけて、直接お手紙を渡すことで愛が伝わっているのかは分からない。エゴだけが伝わっているのかもしれない。
それでも贔屓だけをみれる時間が嬉しい。舞台の上に立つ完全な男役ではなく、化粧を落し、ほんの少しだけ素の部分を見せてくれるその瞬間がたまらない。
少なくとも、贔屓が退団するまでは。
http://www.chunichi.co.jp/s/article/2014070190090301.html
>>愛知県三河地方にある公立小学校3年の教室内で、いじめられている同級生をかばおうとした女子児童が別の同級生3人から暴行を受け、1週間のけがを負っていた。20代の男性担任教諭はその場にいたが制止できず、学校はすぐに保護者に連絡していなかった。<<
さて、この件について、6年前に増田にエントリーを書いた二次元ヲタ先生が書いてみるよ!
http://anond.hatelabo.jp/20080420213225
多分この学年は昨年度も荒れてます。(根拠は後ほど)
3年生、ギャングエイジ。自己中心的な考え方を極めてくる頃です。そろそろ協調性などが身についてくる子も居ますが、まだまだ自己中。
荒れてるクラスなら普通に暴行事件があることくらいは想像できます。
これがよく分かりません。はてブのコメントでは、体罰になるのが怖くて手出しをしなかったのでは?という意見もありますが、さすがに止めるでしょう。
一応葛藤が起きるとしたら以下の点ですかね。
文科省が通知を出してますので、おそらく全学校であります。体罰に関するアンケート。そこでは、保護者・子どもたちの主観で体罰だと思われるものが書かれます。
(もちろん、これは体罰にあたりませんよ、という例は挙がってますが、読むとは思えない)
指導上必要な制止であっても、とりあえず書いとけみたいになると、最低でも教育委員会レベルまで報告が上がり、調査が入ります。
先日の研修では、「教員が体罰だと認識していなくても体罰となるケースが発覚しているのは問題だ。」と教育局の方に言われました。
このアンケート、担任からすればかなり戦々恐々です。毎年ビクビクしてますわ。
変なところ触って後から連絡こないかなーって一瞬くらいは考えます。小3女児じゃ残念ですが力では負けませんので余裕で制止できますが。
指導の過程で制止するということは、結構な覚悟を必要とします。眼鏡割れても誰もお金払ってくれないし。(実体験)
ただ、ここは不明瞭なのですが、担任が止めに入らないと落ち着かないと思うんですよね。勝手に終わったりしないと思うし。保健室判断をする位なので、これは新聞のミスリードを誘う書き方だと思います。担任が教室に入ってきてもすぐには止まらなかったというのが、こういう表現になったように思えてなりません。
多分保健室に行っていない理由はこれで確定だと思います。勇敢なお子さんなので、痛がったりすることも無いと思います。
ここが問題です。学年主任に報告というのは、担任の基本的な報告義務はそこで果たしてますので、担任に否はないです。
そこで、学年主任が「これは校長に報告に行こうか。」と指示するなり、「じゃあこれは報告しとくわ」となれば良いわけです。というかそういう系統で報告が上がります。
学年主任を差し置いて校長に直接報告に行くのもちょっと…という空気があったりもします。
と言うわけで、はじめに出した根拠はここです。学年主任が報告に行かなくても良いと判断するくらい、頻発していたり、程度として大きくないとされてしまうくらい、この学年は荒れてます。
そして、そもそも6月の上旬にこれが出る学級は、前の学年に問題がありますわ。4月5月は進級したてで様子見してますが、6月に少し地が出ます。そこで荒れると言うことは前の学年でのトラブルを引きずってます。
更に言えば、そんな学年に若い先生をあてる校長は、完全に采配ミス。
ただし、家庭に連絡してないのはNG。ケガで連絡じゃないんだよ。
こういうことがありましたよ、お子さん、すごく良いことをしていました、休み時間に教室にいなかったため対応が遅れて申し訳なかった、ケガなど訴えたら知らせてください、このくらいの連絡は入れておくべき。
人手が足りずに何もできなかったことも分かりますが、力不足だと思っているなら様子見だけで済ませて良いわけがない。
定期的に校長から話しかけるなり、参観に行くなり、いくらでも手は打てた。そこを怠ったのは校長のミス。
結論として、
これは担任だけの問題じゃないです。起こるべくして起きてます。
こういう問題は今後頻発しますよ。今の学校現場は若者か定年間際かのどちらかしか居ません。
そして、6年前にあんなエントリーを書いた私がそろそろ学年主任をやらなくてはならないくらい、中堅が居ません。
どうすんのこれ。
追記
元ネタ http://anond.hatelabo.jp/20080721222220
まあ、どのくらいの数の Syrup16g オタがそういう彼女をゲットできるかは別にして、「オタではまったくないんだが、しかし自分のオタ趣味を肯定的に黙認してくれて、その上で全く知らない Syrup16g の世界とはなんなのか、ちょっとだけ好奇心持ってる」ような、ヲタの都合のいい妄想の中に出てきそうな彼女に、Syrup16g のことを紹介するために覚えるべき10の曲を選んでみたいのだけれど。(要は「脱オタクファッションガイド」の正反対版だな。彼女に Syrup16g を布教するのではなく相互のコミュニケーションの入口として)
あくまで「入口」なので、オタ度の高い未発表曲などは避けたい。できれば CD 収録曲、かつ Syrup16g 名義の楽曲にとどめたい。生還ライブで「赤いカラス」は演奏したと言っても、それはちょっとさすがになあ、と思う。そういう感じ。
彼女の設定は
邦ロック知識はいわゆるメインストリーム的なものを除けば、ART-SCHOOL などのバンド名程度は知ってる
メンヘラ度も低いが、頭はけっこう良い
という条件で。
まあ、いきなりここかよとも思うけれど、「Reborn 以前」を濃縮しきっていて、「Reborn 以後」を決定づけたという点では外せないんだよなあ。生還一曲目だし。
ただ、ここでオタトーク全開にしてしまうと、彼女との関係が崩れるかも。
この情報過多な作品について、どれだけさらりと、嫌味にならず桜井和寿にならず、それでいて必要最小限の情報を彼女に伝えられるかということは、オタ側の「真のコミュニケーション能力」の試験としてはいいタスクだろうと思う。
アレって典型的な「オタクが考える一般人に受け入れられそうな Syrup16g(そうオタクが思い込んでいるだけ。実際は全然受け入れられない)」そのもの
という意見には半分賛成・半分反対なのだけれど、それを彼女にぶつけて確かめてみるには一番よさそうな素材なんじゃないのかな。
「Syrup16g オタとしてはこの二曲は“ロック”としていいと思うんだけど、率直に言ってどう?」って。
ある種の鬱ロックバンドオタが持ってる青春への憧憬と、Syrup16g オタ的な行き当たりばったり感を彼女に紹介するという意味ではいいなと思うのと、それに加えていかにも Syrup16g な
の二点をはじめとして、オタ好きのする要素を世界にちりばめているのが、紹介してみたい理由。
たぶんこれを聴いた彼女は「フジくんだよね」と言ってくれるかもしれないが、そこが狙いといえば狙い。
この系譜の作品がその後続いていないこと、これがフジくんきっかけのファン内では大人気になったこと、キレイになって透き通って、それが日本に輸入されてもおかしくはなさそうなのに、日本国内でこういうのがつくられないこと、なんかを非オタ彼女と話してみたいかな、という妄想的願望。
「やっぱり Syrup16g はメンヘラのためのものだよね」という話になったときに、そこで選ぶのは「手首」でもいいのだけれど、そこでこっちを選んだのは、この作品にかける五十嵐の思いが好きだから。
断腸の思いで削りに削ってそれでも6分44秒、っていう尺が、どうしても俺の心をつかんでしまうのは、その前半の雑音部分を「捨てる」ということへの諦めきれなさがいかにもオタ的だなあと思えてしまうから。
正常の長さを俺自身は冗長とは思わないし、もう削れないだろうとは思うけれど、一方でこれがベストアルバムやライブだったらきっちり5分にしてしまうだろうとも思う。
なのに、各所に頭下げて迷惑かけて6分44秒を作ってしまう、というあたり、どうしても「自分の物語を形作ってきたものが捨てられないオタク」としては、たとえ五十嵐がそういうキャラでなかったとしても、親近感を禁じ得ない。武道館ライブでのキタダマキの弾き狂う姿も合わせて、そんなことを彼女に話してみたい。
今の若年層で Free Throw 現物見たことのある人はそんなにいないと思うのだけれど、だから紹介してみたい。
Copy よりも前の段階で、五十嵐の曲作りとか言葉選びとかはこの作品で頂点に達していたとも言えて、こういうクオリティの作品がミニアルバムでこの時代に収録されていたんだよ、というのは、別に俺自身がなんらそこに貢献してなくとも、なんとなく Syrup16g 好きとしては不思議に誇らしいし、いわゆる「動脈」「静脈」でしか Syrup16g を知らない彼女には聴かせてあげたいなと思う。
五十嵐の「シャッフル」あるいは「軽快さ」をオタとして教えたい、というお節介焼きから聴かせる、ということではなくて。
「終わらない開き直り人生を生きる」的な感覚がオタには共通してあるのかなということを感じていて、だからこそ武道館ライブ最終曲は昇華Tシャツ以外ではあり得なかったとも思う。
「生きづらい日常を生きる」というオタの感覚が今日さらに強まっているとするなら、その「オタクの気分」の源は実弾にあったんじゃないか、という、そんな理屈はかけらも口にせずに、単純に楽しんでもらえるかどうかを見てみたい。
これは地雷だよなあ。地雷が火を噴くか否か、そこのスリルを味わってみたいなあ。
こういう寝不足感のあるアンニュイなロックをこういうかたちでギターも持たずに演奏して、それが非オタに受け入れられるか、気持ち悪さを誘発するか、というのを見てみたい。
9個まではあっさり決まったんだけど10個目は空白でもいいかな、などと思いつつ、便宜的に翌日を選んだ。
Reborn から始まって翌日で終わるのもそれなりに収まりはいいだろうし、生還ライブの締めとなった作品でもあるし、紹介する価値はあるのだろうけど、もっと他にいい作品がありそうな気もする。
というわけで、俺のこういう意図にそって、もっといい10個目はこんなのどうよ、というのがあったら教えてください。
そりゃ計算したらそんな結論にならないと処女率統計と合わないし
http://anond.hatelabo.jp/20130124013141
http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/7285.html
http://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1405/30/news082.html
http://www.nikkei.com/article/DGXNASIH1100H_R11C13A2AA1P00/
そんなカルチャーが大阪中心部へアクセスしやすいエリアの兵庫県奈良県JKに広まって
スカート丈が長くなっているのかもしれないけど
神戸 http://togetter.com/li/139598
いくら関東が発情しているヤリマンだらけだと言って夜行バスやら新幹線やらで処女厨が