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はてなキーワード: エッセイとは

2023-10-18

anond:20231018140654

村上春樹海外で売れるまでの経緯は彼の職業観執筆スタイルについて書かれたエッセイ職業としての小説家」についてよく書かれている。

ちなみにこのエッセイビジネス書としての評価が高く、文学村上作品に全く興味のない人でもまあまあ面白く読めると思う。

それによると、バブル期日本(「金が余ってるので予算制限適当旅行エッセイでも書いてくれませんか?」と出版社から言われたり、どこへ行っても「いくら稼いだか」と金の話しかされない)に嫌気がさし、一時期アイルランドスコットランドなど当時の日本人があまり訪れていないスポットに逃げて執筆活動をしていたらしい。その中で講談社アメリカオフィスに訪れるようになり、アメリカ作家と同様自ら翻訳者エージェントを探して出版するようになったらしい。

最初イマイチだった反応が何かの権威ある文学雑誌評価されて以来注目されるようになり、一気に人気になったというよりは徐々に火がついていったとのこと。

anond:20231018101324

育児マンガエッセイで一山当てた組が今どうなってるかを見ると同じようになるんじゃね。

2023-10-13

女はどんなでも理解ある彼くん現れるっていうけど、お前らが理解ある彼くんにはなろうと思わんの

思わんし思えんやろ

そんなヤベェ女といつまでも付き合えんわってなるやろ

そういうことや

理解ある彼くんがいます漫画とかエッセイも結局破局しとるやろ

あいつらも結局ひとりぼっちなんや

2023-10-10

anond:20231010191236

エッセイは売れる必要がある 売れる必要があるってことは事実事実のまま書いちゃいけないってこと それはつまり本を手に取らせるための虚飾が必要で、現代では怒りが最も即効性があるってだけの話

専業主婦ってそんなに大変かな

自分(会社員)、奥さん(専業主婦)、子供1人(3y)

子供が生まれるまでは、家事育児に参加しない夫の話を聞いてよく憤りを感じてた。だから自分は、家事育児にもできる限り参加してきた。結果として奥さんからも「いつも家事育児やってくれて本当に助かってる」と褒めてもらえてるし、ワンオペも軽々こなせる程度には家事育児スキルもある。

ただぶっちゃけ奥さん普段こなしてる「家事育児」の負担と、自分普段こなしてる「家事育児仕事」の負担比較したら、自分の方が絶対重いと思ってる。

連休中、奥さん怪我をしたから3日間ワンオペしてたけど、正直言って普段より全然楽だった。普段奥さん立場だったら自分サポートがある分もっと楽なはずなんだよな…

なんかさ、主婦エッセイ漫画的なやつで「働いてる方がずっと楽!!!!!育児家事は大変!!!!!!!」って声高に主張してるやつよく見かけるんだけど、あれなんかムカつくんだよ。ああいエッセイ系の漫画なかには「仕事言葉が通じる大人コミュニケーション取るだけだから楽」みたいな微妙一般化した主張を展開してくるやつがちょいちょいあってイラっとする。

家庭によるだろ。

2023-10-09

川上未映子『きみは赤ちゃん

川上未映子『きみは赤ちゃん』が教科書に載るという話をご本人がツイートしているのだけど、どの学年の何科の教科書に載ったか/載るのか、知ってる人いる?思い出してはたまにちょっとググって見てるんだけど、わからんままで気になってんだよね。

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これまでも小説エッセイなど教科書採用されているけれど、来年はいよいよ、妊娠出産の2年間のドキュメント『きみは赤ちゃん』が教科書入り。これは嬉しいです。2014年からずっと版を重ね、今も熱いご感想を頂くわたしにとっても大切な本です。読んでくださってありがとう

https://twitter.com/mieko_kawakami/status/1578554244042747906?t=Brqayw0-vVYKzoueu429XA&s=19

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"きみは赤ちゃん (文春文庫)"(川上未映子 著)

こちから無料で読み始められます: https://a.co/dsVqqiu

2023-10-01

anond:20230930171740

百、千、万はそのまま漢数字が使われそうな印象があるので、五十歩百歩が「50歩百歩」とかになる可能性もあるなw

これは「気色悪さを感じるかどうか」で決まってくるので、いずれ「第3者」「1番」は普通になり「第三者」「一番」が読みにくいなどと難癖がつくようになるだろうと思う。

高島俊男が「戦前小説を新仮名で書かれると気色悪いので、旧仮名古書で読んでいる」って話をエッセイに書いていたが、そういうことだと思う。

2023-09-28

「『お金物質』以外の価値観」を重視するポーズについて

荻窪西荻吉祥寺を紹介した以下のインタビュー記事。紹介されているエリアについて、そもそもお金がないと住めない場所お金のある人はよろしおすな~といったシニカル論調コメントが集まっている。ようするに荻窪西荻吉祥寺で「『お金物質』以外の価値観」について語ること自体金持ち道楽であることについて、批判的なコメントが寄せられているらしい。

https://suumo.jp/town/entry/kichijoji-homurahiroshi/

コメントをひととおり読んでみて、まあそうだよな、という感想を私は持った。それと同時に、そんなに目くじらを立てることかな、とも思った。というのも、このインタビュー体現されているのは、バブル時代典型的価値観からだ。それを発信する個人についてどうこういってもしょうがないだろう。まだこういう話題を出す向きがあるのかとは思うが、それは別の話だ。

インタビューを受けているご本人もカウンターカルチャーに触れているとおり、バブル時代はカネ一辺倒の時代ではなくて、ヒッピー的なカルチャーの余波がずっと続いていた時代だ。1980年代から90年代の前半くらいに小中学校国語テストをうけた人は覚えているかもしれないが、「日本人物質的には豊かになったが、心は貧しい」みたいな論調エッセイばかりが現代文問題文に使われていた。荻窪西荻吉祥寺を紹介したインタビュー倫理的立ち位置はそういうエッセイと地続きのものだ。だからこそ、なんかずれていると現代の人には感じられるのだと思う。

氷河期世代で長く非正規として働いていた私は、「日本人物質的には豊かになったが、心は貧しい」とか学校では習ったが、自分物質的にも精神的にも貧しいままなんだが、いったいどうなっているんだと、ずっと思っていた。それはいまもさほど変わらない。だから荻窪西荻吉祥寺エリア中産階級的な視点から、「よくわからないゆるさがいいよね」「生き方多様性がここにあるよね」「やっぱりお金じゃないよね」的な語りをされると、「よかったですね!」と言い返したくはなる。

この記事微妙ないらつきを感じるポイントは次のようなところだと思った。サブカルについて、あるいはカウンターカルチャーについて語っている人の立ち位置が、高等遊民的な、スノビッシュものに見えて、語っている人はそれを隠そうともしていないし、自己のそういう立ち位置についてあまり自覚的でないように見える。

バブル時代には敗者のものだったカウンターカルチャー的、サブカル的な生き方が、じつはそこそこお金がないとできないことに人々が気づいたのが、この30-40年間くらいの展開ではなかったか。人々の生活感あるいは貧しさの感覚にもとづいたそのへんの気づきをすっ飛ばして「よくわからないゆるさがいいよね」「生き方多様性がここにあるよね」「やっぱりお金じゃないよね」とやってしまうことへのいらだちが現れていたのが、今回の記事への反応だろうと思っている。

そういう語りをする人が時代に抗って高踏的であるのか、時代に取り残された感覚の持ち主であるのか、インタビュー対象者となっている方のことを私はよく知らないので、判断する根拠がない。だがなんとなく、人々が感じているいらだちの原因を自分なりに言語化しておきたいと思った。

2023-09-27

anond:20230927192407

まともに家事育児出来て読者を一定数獲得出来るようなブログエッセイまで描けるって時点で無能力者じゃないんだが…

セックスのために社会不適合の再生産を行う性依存

社会不適合な上にそれをカバーする特別能力や才能もない、もし男に生まれていれば確実に社会淘汰されていたであろう女に彼氏旦那が生えてきて普通に子供産んで旦那扶養でしれっと生きてブログだのエッセイだの書いてる問題

これ悪いの完全に男だと俺は思う。

これに該当する女性は悪くない。責任無能力者だから彼女たちに責任を問うことはできない。

全ての責任はまともな女性にはパートナーになってもらえない、それでも彼女が欲しくて、結婚したくて、セックスしたくてたまらない性依存男たちのせいだろう。

まり容姿が優れていないが人間性問題がなく、知的能力も高いという女性を何人か見てきたけど、上記の男はそういう女性を選ばずに容姿だけまともな中身アッパラパーの責任無能力者選んで「ワカルワカル。ウンウン。ツライネツライネ」してセックスして子供産ませるんだよ。

俺はそういう両親からまれてきて、容姿人間性も知能もまともな女性はもちろん、容姿は悪いが人間性や知能はまともな女性容姿だけ優れて中身アッパラパーの女性からも選ばれない終身独り身男だけど、遺伝子を残さないということによって中身アッパラパー人間再生産男よりもこの社会に貢献してると思う。

2023-09-17

家事分担の分担を可視化言語化)してみた。

世の中の夫婦もめごと系のエッセイ漫画とかであまりにも家事分担の話が多いので、自分家事分担を棚卸ししてみた。

よく話題になる名もなき家事はその粒度まで細分化することに疑問なので、適当粒度で。

分担に僕は不満はないんだけど、向こうはどうなんだろうね。

うちは特に話し合ったわけではなく応能負担的にしていったら自然とこんな感じになった。


前提条件


家事

炊事

担当。食べたいものを聞かれたら、ジャンルを返す。

半々。生協宅配活用

担当。下の子の機嫌が悪いとかの場合のみ、簡単もの作る。

妻の気分次第でいつでも宅配or外食OK

  • 後片付け

半々。基本は食洗器使用

掃除
  • 居室清掃

基本自分。2~3日に1回、ロボット掃除機

週に1回はロボの届かない場所掃除機とほこり取り、床拭き

  • 浴室清掃

自分。週1でちゃんとした掃除

日々の軽いやるは後に入った方。

自分。週1。

自分。週1。マンションなので24時間出せる。

洗濯
  • 衣類

ネットに入れて洗濯機回すまでは基本自分

干したり乾燥かけたりは平日は妻、休日自分

  • 寝具

自分。サイクル管理も。

消耗品管理

妻が多いけど、気が付いた方。

基本的自分掃除用具とかマスクとかトイレットペーパーとか。

家電手入れ
  • 洗浄系

自分。追い炊き洗浄とか洗濯機の洗浄とか。

自分空気清浄機とかエアコンとか。




育児

保育園習い事

半々。気が付いた方が。

  • 送迎

在宅の時は両方自分、出勤の時は行きは自分で帰りが妻。

の子が通うようになったらどうなるか。

習い事自分

妻。保護者会とか○○の会とか。

休日のやつは一緒に。

身だしなみ

買うのは妻、捨てるのは自分

髪の毛は妻、爪は気が付いた方。

そういえば耳掃除してない希ガス

日常の世話

の子自分、下の子離乳食は妻。

外食時は下の子の気分次第。

入れるのは上下自分。事後の着替えや保湿は妻。

  • 寝かしつけ

の子自分、下の子は妻。

  • 排泄

の子はもう一人でできる。下の子は気づいた方が。

遊び

手の空いている方が。

  • 外出

土日の公園自分

財務

家計管理

自分。年度予算と中期キャッシュフロー

ちなみに小遣いではなく支出の分担制。

自分マネーフォワードにお任せして定期的に締め作業

資産運用

自分。基本NISAでの投資信託ちょっとだけ個別株。

税務

自分ふるさと納税とか固定資産税の払い込みとか。

2023-09-12

anond:20230912005213

ヘイ、アイ・ライク・ユー!という感じがあり、かぜかというと、俺は「ブサイクアセクシャル」にどんどん出てきてほしいと思っているか

世に氾濫しているアセクシャル・アロマンティックのエッセイ漫画、大概、「何度恋人ができてもピンとこない……」みたいな感じで、すっげ〜ムカつくんだよな

貴様も一度彼氏ができているという点で若干のFAKE感は否めないが、まあ、一度なら許される 誤差の範囲

あなたのような存在は、俺にとっての救いです

個人的にはドンドンカミングアウトしてほしいとさえ思う 

当然、しなくてもいい

なんでもいい

2023-09-10

anond:20230910115534

まあ実際継続的な連載を目指して漫画家やってみないと分からんとは思う

売れるものを描かないと大体スリーアウト程度、運が悪けりゃ一発で(商業)漫画家生命が終わるプレッシャーで描いてる、やりたいことで通す事での人気獲得の過酷さの認識あたりは恐らくはほぼ全漫画家共通で持ってると思うので、売れるために基づいた考え方で想像以上にやりたいことは曲がってると考えるのが妥当なとこと思う

エロ漫画でも売れ線とニッチ狙い、自分の描きたい性癖とズレるけど、売上出ないと終わるって関係で曲げてる作家なんか腐る程いると思う

漫画家本人はそんな売上に貢献しない情報積極的に表に出していかないけども漫画家エッセイ漫画あたりだと定番で描かれてる話と思う

あなた恋愛観を変えた作品

さっき「択・愛」が薦められてて目を瞠った。

そうあのゲームは、ややマイナーゲームだけど、恋愛観が凄くて、柔らかい絵柄の恋愛シミュレーションなのに想像もしない衝撃を、臓物ガツンと来る重い感情を覚えた。

プレイ後に暗い気持ちにはならないから是非やってみて。恋愛価値観に大きな変化があると思う。

■現実の恋愛の役に立つゲーム「択・愛」

マジでこれ本当に180°恋愛観が変わるから匿名馬の骨に騙されたと思ってプレイしてほしい。(ただし序盤はミソジニーが育まれる怖れもある。全部を無考えに鵜呑みにするプレイヤーにはオススメしない)

恋愛観に大きな変化を与えた作品、私の人生を振り返ってみて、何かあるかな…。

アリス探偵局

幼い頃にNHK教育でやってたアニメ。当時はボンヤリと恋愛男性リードするものだと思ってたから、年下のお弟みたいな主人公のイナバくんと、スペックで大体上回る姉ポジションアリスちゃんの組み合わせに驚いたし、恋愛的な好意を抱いてる対象じゃないのに関係性が少しずつ近づいてくのが新鮮だった。縛られて海に落とされたアリスちゃん決死で助けに飛び込むイナバくんに男らしさのギャップを感じて、何故かちょっと泣いてしまったのを覚えてる。

小市民シリーズ

主人公ふたり恋愛関係じゃなく、互恵関係っていう距離感が新しかったし、お互いを利用しあってるからこその独特な信頼関係があって、ああ別に男女って恋仲じゃなくてもアリなんだ。こんな関係性もあり得るんだ、と衝撃を受けた。

皆さんには、読書とかアニメとかで自分当事者でない安全圏にいるはずなのに、恋愛観を大きくシフトさせられた瞬間ってありますか。

あなた恋愛観を変えた作品を教えてください。

フィクションでも、エッセイでも実用書でも。何でもありで。

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追記・元は孤独耐性の無さに気づいて恋愛を始める弱者男性への「実際の恋愛の役に立つオススメフィクション募集」への回答でした。そちらも答えてあげてね。

2023-09-09

俺の一人称の使い分け




割と一般的な使い分けだと思う

おすすめエッセイ教えて

小説は没頭しすぎてしまうし自己啓発系は読む気がしない。エッセイが疲れず楽しめるちょうどよいところな気がする。

自分で選ぶと似たり寄ったりになるのでおすすめ教えて下さい。自叙伝みたいな大作は困る。

2023-09-07

村上春樹新刊韓国ベストセラーと書かれていたんだが、読んだが、ふーん、で…?って感じで全く何も響かなかったんだけどどこがどう良くてベストセラーなのか誰か説明して欲しい。18歳とかが初めて読む本として面白いんだろうか。

ちなみに村上春樹短編からエッセイまでほぼ全巻読んでいる。パン屋再襲撃アフターダークダンス・ダンス・ダンス神の子どもたちはみな踊る、遠い太鼓辺境・近境、女のいない男たち東京奇譚集、色彩を持たない多崎〜あたりが好き。海辺のカフカとかスプートニクの恋人とか1Q84とかは面白かった。風の歌、羊、世界の終わり、ねじまき鳥、ノルウェイの森あたりは普通に好きだ。

私は魚か

というエッセイを時たま思い出す

2023-09-02

ペドフィリアなんか別になりたくてなったわけじゃない

まあTwitterもといXの一部でトレンド入りしてるあの辺の話

を、広義の当事者思考整理してる文章




俺は厳密に言えばペドフィリアではない それ専門ではないというか

自認としてはリョナラー 猟奇趣味

暴力やら殺人やら拷問やらに対して性的に興奮する

ペド以上に容認されない性癖だという自覚はある

俺の場合二次元しか興奮できない 実写も無理 ドラマがぎりぎりのボーダー

から主にイラストやら小説やらを漁るんだけど、

九割くらいは女性キャラクターのものだし13歳以下の少女を扱った作品もまあ多い

(この割合はその他R-18作品の傾向でもあるが一旦置いておく)

要するに俺は

「13歳以下の少女拷問されたりレイプされたり殺されたりしてるフィクション作品

性的に興奮する人間

(逆に「一般的な」AVとかではほぼ反応できない)

かつ、今まで現実人間に(性癖理由として)危害を加えた経験は一度もない

特殊性癖だが社会的には「普通の人」をやっている

ここまで前提




そういう一般的でない性癖のことが理解できなくて怖いと思っている人間からしたら、

「気色悪い」「治療しろ」「死んでくれ」と思うのは自然というか、そりゃそうだろうなと思う

嫌うなとは言わん それは無理 思う分には全然いい

ただ、「ペドフィリア」とかって単語で雑に括って(不特定多数に見える形で)非難されると、

社会的には犯罪を起こさず普通に生きている一般人である(と思っている)俺のことも

一緒くたに非難されている感じがして、嫌だなぁと思う

細部を知りもしないのに雑な糾弾をしないでほしい

正直、ここ最近トレンド周りは若干しんどい(見なきゃいいのはそうだが)

結局は「社会の敵」を殴って、任意プラス感情を得たいだけだよなぁと思っている

このプラス感情他者非難することの楽しさとか自分が正しいと信じられる安心感とかその辺

子供を守りたいっていう感情は本物なんだろうと思う

でも、別にネットペドフィリア非難したところで現実犯罪が減るわけじゃない

犯罪をしないペドフィリア非難される間でもなく、その衝動を実現すれば悪だなんてことは理解してる

どれだけ非難されてようがやる奴はやるんじゃないか

それよりは、過剰な非難の結果「社会の敵だってんなら本当にそうなってやるよ」的な行動起こしてしまう奴が出てくる可能性の方がまだ高い気がする

(そういうキレ方をするのはマジで最悪だがという前提で)




これ、本当に理解し難い部分だとは思うんだけど、

特殊性癖ってアイデンティティなんだよ マジで 何言ってるかわからんだろうけど

自分の「感性」を否定するのって相当きつい

社会的に良くないって分かってようがなんだろうが「そう」なっちまったもんをどうしろと、

っていうのが当事者的な感覚(の一例)

「そうなってしまった自分」を否定できないのは性癖に限らずあるあるだと思う

趣味嗜好ってそう簡単に変わらんのよ

治療」というか刺激のコントロールは出来なくもないんだろうが、

正直そのコストが凄まじいからやりたくないってのが本音

というか、それが容易なら「性的指向/性的嗜好」って概念事態存在しないと思える

その性癖を持ってる自分が心底嫌いならコストメリットが上回るからやった方が良いと思うが

「結局自分が楽したいだけじゃん」なのはその通り、

ただし「ペドフィリアではない、他の『普通の人』と同じように」楽したいだけ

んなもん知るか最善を尽くせって連中は、身の回りに酒飲みも喫煙者も全くいないんだろうな?と思ってしま

飲酒運転副流煙も明らか害悪じゃん、でも自分楽しいからやってるんでしょ

一線は越えない? ちゃんと弁えてる?

ペドフィリアの大多数だってそうだろうよ



性癖がどれだけトンチキでも害悪でも気色悪くても、

犯罪犯さず普通に生きてる範囲においては「普通の人」だよ

その「普通の人」の生活に「性欲を満たしたいので、性的に興奮できる材料を探す」っていう

普通の」行動が含まれるのも容認してくれませんかね

選んでこうなったわけでもないのになんでそこの自由を極端に縛られねばならんのだ

当然ながら現実の加害や犯罪は全部最悪だし、自分が興奮したいからってそんな真似するやつは最低だけどさ




なんだろうな、別に性欲が絶対ってことじゃないんだ、

僕のためのオカズがなくなるのはヤダから性癖認めてほしいですぅ的な話ではない

社会にかけてる迷惑とかが「ペドフィリアでない人間と同じ程度」なのに

必要に、必要以上に糾弾されてるのが嫌なんだよ




フィクションだろうが「そういう」作品存在する時点で害悪、それはそう

ノンフィクションのは全部正当に裁かれるべきだが)

でもそれ以外の「無害ではないが特定の人にとっては有益」みたいなもの容認されてるじゃないですか、

そういう状況で俺の好きなものけが不当に非難されたり禁止されたりするのが気に食わん

そういう作品を叩くのと同火力でAVとかアイドルとか子供エッセイとかを叩けよ、

現実世界への影響で言えばそっちの方が上なんじゃないの

で、これをやり始めると世に出られる創作物なんぞ皆無に近くなると思う

から俺は全部容認してほしいと思っている 成年向けゾーニング必須だとして




そもそも、性欲に関連するもの見に行くなっていうのはかなり無理がある

本当に娯楽全般禁止する勢いで尽力しないと無理

一般的な」「普通の」漫画やらゲームやらはもちろん、

医学論文で抜いてる己を鑑みるマジで無理だと思う 無理なの




長くなってしまった 自分の中では納得できたのでこの辺にしておく

要するに「感情的な嫌悪感を由来に、非合理的非難が向けられているカテゴリ」に

自分が含まれてるような気がするから不快だったって話だな

非難してる人は「普通に生きてるペドフィリア」とかのことはあんまり考えてないのかもしれないけど、

そのラベルの中に人間が入ってるってのは認識してもらえた方が嬉しい気がする

そんな感じ

2023-08-31

作者の主張とキャラの主張を分けられるかって創作における一つの基本にして奥義だと思う

例1

Aくん「チョコミントカメムシ臭いだぜ!食い物じゃないぜ!」

Bくん「分かるぜ!食い物じゃないぜ!」

Cくん「美味しいですよね。カメムシボリボリ」

これだとこの漫画がまるで「カメムシ匂いがするチョコミントを食べる奴は、本物のカメムシを美味しく食べるような狂人」と主張しているかのように見えてしまう。


例2

Aくん「チョコミントカメムシ臭いだぜ!食い物じゃないぜ!」

Bくん「俺はチョコミント好きだぜ!カメムシ臭いとかしないぜ!」

Cくん「遺伝子的に苦手かどうか決まるらしいか無駄議論ぜ!」

これも一見するとバランスが取れているように見えて実際にはC君の「チョコミントパクチー好き嫌い遺伝子で決まるから議論するだけバカだぜ!」が作者の主張であるかのようになっている。

例3

Aくん「チョコミントカメムシ臭いだぜ!食い物じゃないぜ!」

Bくん「俺はチョコミント好きだぜ!カメムシ臭いとかしないぜ!」

Cくん「そんなことより早く店を決めるぜ!」

こうすると単にAくんとBくんが言い争っているだけであり、作者がカメムシ肯定派かカメムシ否定派かは隠すことが出来る。

漫画しろエッセイしろ、作者の主張を必要以上に出すとキャラクターが作者の操り人形に成り果てるので気をつける必要がある。

ここで大事なのはAくん「チョコミントカメムシ臭いだぜ!食い物じゃないぜ!」を言わせる事自体がこれらのトリガーになるわけじゃないことだ。

漫画全体の空気と話の流れを調整して、世界が作者と同じ方向に向きすぎないようにするバランス感覚が重要ということだ。

これが出来てない創作物は単に作者の啓蒙したい話をキャラに言わせているだけの安っぽい宗教小冊子に成り下がる。

それではコンテンツとして雑魚雑魚すぎるのだ。

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