はてなキーワード: ぬるま湯とは
私には、憧れの人がいる。
恋とかではなく、素直に憧れている相手だ。いつも楽しそうに小説を書いていて、ストイックで、歳上で、私とは全然違う。
どうしても気になった数点を除いて、私はとにかく褒めちぎった。素直な気持ちで褒めていたし、なにより、私なんかには悪いところなんて見つけられなかった。
いつも楽しそうに、でも真剣に、一生懸命に書いていた。時々悩んで、ダメだダメだと漏らしながらそれでも書いて書いて書いて、書きたくて書いて本を作っている人で。その一生懸命がちゃんと届いていると伝えたかった。
私は、まだ働いてもいなくて、自分に甘くて、書くことがうまくいかなくて辛くなって逃げるときがたくさんある。
そんな私に、憧れの人の本から悪いところを見つけて指摘するなんてできなかった。見つからなかったし、たとえ見つかっても、こんな未熟者が言ってもいいなんて思えなかったと思う。自分なんかが口を出していいことじゃないと思う。
私が送った感想のお手紙でした指摘のうち、覚えているのは3つだけだ。
ひとつは、誤字。誤字というか、変換の都合だった。ゆするとねだるが、どちらも漢字になっていた。どちらも漢字だと【強請る】になる。そういう感じで、ちょっとこれはまずいと思った。
ひとつは、季節の都合だった。秋に咲くはずのない花が咲いていた。これも、ちょっとさすがにまずいと思った。
他にも、誤字や表記揺れくらいのことならいくつか書いたような気もする。そういう、明らかな問題以外は言わないよう努めた。表現というのはこだわりがあるものだろうから、できるかぎり立ち入らないようにした。
それでも、もうひとつは、表現に関わることだったから、書いてもいいのかわからなくなりながら、結局書いた。
言葉が古かったのだ。世界観には合っていたのだけれど、保育士さんを保母さんと書かれるとどうしても気が散ってしまった。しかも、世界観に合っているとはいっても、べつにその世界が古い時代というわけでもないのだ。むしろちょっと未来かもしれなくて、私が小学生のころかもう少し前くらいに淘汰されてしまったその言葉で未来の物語を読むのは、素直に気持ちが悪かった。ただ、きっと意図があったのだろうと思って、否定するつもりがないことを添えてできるだけ丁寧に書いた。
お送りした感想たちは、とても喜んでもらえた。嬉しかった。相手が作ってくれたすてきをすてきだと思えたことを伝えられた。一生懸命書いてくれたものに報いれた気がした。
でも、ダメだった。
私のやり方は、よくなかったらしかった。
いつもストイックで、自分なんて自分なんてってなってるところに、あなたはすごい人なんですよって素直に言い続けた。好きなんだって素直に伝えた。あなたが思ってるよりあなたはすてきなんですって、めげずにずっと言った。
「褒められるのは困る」
違う意味だったかも知れないけれど、そんな風に刺さってしまった。正しく理解するために読み返すことすらこわい。
あなたが高みを目指しているのはわかっている。でも私には何もできない。
私とあなたは多分友達だと思います、あなたがいやがらなければそう名乗りたいです。でも、小説を書く人間としての私とあなたは全然対等じゃないし、対等になれると思っていないし、対等になりたいわけでもない。ゆるされるなら、私はずっとずっと上にいるあなたを見てがんばりたい。私はずっとあなたの下だから、何もえらそうなことは言えない。
ただひとつあなたよりうまくできることは、あなたのいいところを見つけること。
すごいことを素直にすごいと言って、正直にすてきだと言って、あなたを肯定して、それで時々、本当にまずいと思ったところだけ伝える。私には、そんな当たり障りのないことしかできない。
言葉が古かったと指摘したその文があなたの中にわだかまっていたことを知っているのに、教えてもらったのに、それでも引き続いてあなたの表現に口を出すことなんてできない。
私は、どうしたらよかったんだろう。
ついさっきスーパーで、レジのおじちゃんにタメ口きかれた。前の客も後ろの客にも敬語で話していたのに。
自分が他の人と同様に扱われない事が凄く傷つく。
個人経営の飲食店行くと「そこで待っててね」「お水いる?」みたいな子供のように扱われる。
スーパーの店員の言葉遣い一つで傷つくのもアホらしいけど、周りの成長についていけなかった学生時代がコンプレックスでそれが刺激されるから辛い。
恋バナとか、ブラジャーとか、生理とか、色付きリップの話とか、そう言う大人びた会話についていけなかった。更衣室のちょっと下世話な話とか「〇〇ちゃんは分からなかっていいよー」で、閉め出されてきた。幼稚園の頃からままごとで赤ちゃん役、学校でも人間関係の中で赤ちゃん役。
学生時代も研究室の教授は、〇〇さんはそれぐらいでいいよ、みたいな半人前の扱い。普通より一つ下の階層にずっと居た。
きっと一人前の扱いされても、話に乗れないのは変わらないし、マルチタスクさせたら失敗するし、1人分の責任も果たせないんだろう。自分のような幼稚で無能な人間は、ぬるま湯で許されながら下の立場に留まり続けるのが一番マシな立ち位置だ。
でも人並みになりたいし人並みに扱われたいとやっぱり思う。でも人並みを期待されてもそれに添えないからより辛くなるだけとも思う。ずっとそんな事をぐるぐる考えて悩んで生きている。
だから、店員さんは大抵、マニュアル通りに自分をただの1人の客として扱ってくれるから好きだ。どんな自分だとしても、レジの前では等しくお客様で入れるところが良い。コンビニ人間で言うところの「社会に組み込まれている1人の人間である自分」が嬉しい。
だけど、不意に子供のように扱われると、梯子を外されたようで大変辛い。
極度に人見知りだった幼少から、表面上の挙動だけは改善したと思ってる。店員さんには愛想よく丁寧に話すのを心がけてるし、挨拶とかお礼だけはちゃん言うようにしてる。服とかメイクとかも人並みに見えるように合わせた筈。
なんでだろう。何がいけないんだろう。
きっと悪意はないと思う。多分おじちゃん店員からしたら若い嬢ちゃんなだけなんだと思う。
でも同じになりたい。他の人と同じがいい。普通のサラリーマンみたいなステレオタイプな普通の人になりたい。1人分の扱いをされたい。
河原の大きな石をひっくり返したような、汚泥にまみれた実話です。
だというのに今の私は、まさにその"面白くない"社会人になってしまいました。
私のゴミみたいな半生が少しでも皆さんの娯楽になれば、ちょっとは報われるかもしれません。
私はこの4月から晴れて新卒で一般企業に就職する事になりました。
しかし、訪れた新社会人としての生活は、想像を遥かに凌駕する程過酷なものでした。
人間の悩みというのは、将来、人間関係、金、の3つに集約されるそうです。
経済的な問題で否が応でも家から近い公立の高校に進学しようと本気で勉強した、その程度の事が一番辛かったと語れる程ぬるま湯に浸かったようなこれまでの人生の中で、人間関係に悩まされた事など一度も無かったのです。
私は人と話す事が好きな部類の人間でした。
希薄な人間関係を築くのは割と得意な方で、逆に関係を持続されるのが極端に苦手。
進学や就職で環境が変わればまた新たな人間関係を構築すれば良いという発想の私にとって、離れた環境の友人と無理に関係を継続するというのは、意味の無い事に思えました。
薄く広い淡白な人間関係、典型的な連絡先だけ沢山持っていて本当の友人が1人もいないタイプの人間です。
私が入社した企業は、業種も考慮すると今時珍しいくらいに体育会系の人間ばかりで構成されていました。
自分に甘く、ストレス源となるようなものから逃れ続け自分の生きやすい環境だけを構築してきてここまでやってきた私のような人間にとって、呑みの席というのは甚大なストレスになります。
私も流石に1年目の社会人のはしくれですから、毎朝入浴して身だしなみを整え清潔感を心掛けて毎朝出勤していますし、幸い人前で喋る事も然程苦ではないタチなので明るく爽やかな印象を持ってもらえるように自分を偽っています。
スーツを着ている時の自分は完全にスイッチが切り替わっているので、会社にも上司にも従順な人間でいるのですが、流石に「呑み会の出席率」のお話を訊いた時は笑顔が曇ってしまいました。
入社1年目はどんなに仕事ができなくても、呑み会の出席率で社内の心証が大分変わってくるから、呑み会には絶対来ておいた方がいいよ、という旨のお話。
ふざけるな、と思いました。
ただでさえ業務時間外の中、自由参加という体の惰性みたいな呑み会に無理矢理連れてこられている身分なのに、まだ私を拘束したいのか、と思いました。
入社歓迎会だとか、社内の行事であれば流石に意図を汲んで参加しようと思うぐらいの社会性は持ち合わせているつもりでした。
先輩方が何の気もなしにする発言一つ一つが、刺さってしょうがない呑み会であった事をよく覚えています。
私がスーツを着ている時に演じている人格が私の素であれば、先輩方の言葉は全てありがたいアドバイスです。
しかし私の根はどうしようもない程の"陰"。
実際、全て私が悪いのは分かっているのです。
社会的にどちらの方が正しいのかは明白であり、会社行事でも呑み会でも優しくもてなしてかわいがって頂けるこの環境をありがたく思えない私が悪いのです。
ただ私は上昇志向だとかそういった意識の高い言葉とは無縁な人生を歩んできたので、ギラギラした先輩方と同じ卓で美味しいお酒は呑めない。
その日の晩、ギラギラした先輩と沿線で分かれるまで電車でご一緒し、最寄り駅に着いてから私はずっと死ぬ事を考えていました。
Bluetoothイヤホンから流れるMOROHAが、かつてない程遠く感じていました。四文銭の最後の熱いメッセージでさえ、もう二度と私に向けて歌ってくれないのだと理解しました。
そこから抜け殻みたいに出社してなんとかGWを勝ち取り、山形まで先祖の墓参りに向かったり、気を許せる数少ない親友に誘ってもらって遊びに出掛けたり、引きこもってゲームしたり、好きに過ごして今に至ります。
「皆辛いけど、乗り越えてきたんだから」
なんて、色んな人に言われてきました。
他の皆が乗り越えられるから、私も乗り越えられる保証なんてどこにもないのに。
"辛い"なんてのは平均でしかなくて、研修から既に優秀で何の苦労もせず頭角をメキメキ表している友人だって、まして辛すぎるあまり誰にも相談できず電車に飛び込んだ同志だっている筈なのに。
自分の抱えている悩みや葛藤なんていうのは後ろ向きなもので、聞く人が多かれ少なかれ不快な気持ちになってしまうのを理解しているので、仲の良い友人であればある程話せないものです。
私を心配して送ってきてくれるLineだって煩わしくて、でも折角気を遣って送ってきてくれた文章だしな、と返信を考えているうちに休憩時間が終わって、また仕事が舞い込んできます。
その内全てがどうでもよくなって、携帯に入っている全ての連絡先を削除しようと思って、そうしてしまえば私が生きてきた意味が一緒に全部消えてしまうみたいで消せなくて。
そんな自分が情けなくて、使いもしない117の人脈を眺めて、それに縋るしかなくて。
私は4月に社会人になってから、死に対して真摯に向き合っています。
でもあと一歩が踏み出せなくて、こんなどうしようもない袋小路でも無職になって親に縋るよりはマシだと考えると環境を変えるのすら怖くて、退職届1つ提出できずに、自分で死ぬ事もできず、多分明日もミイラみたいになりながら朝6時に家を出ます。
死にたがってるのに行動に移さない人たちの「死にたい」は、「生きていて幸せになりたい」と同じ意味だと思っている。
と言っていて、腑に落ちてしまいました。
死にたいです。
死にたくないです。
幸せになりたいです、
私は一体何のために筆を取ったんでしょうか。
こんな惨めな人生を笑ってやってください。
誰か私を救ってください。
自分は割とはてサだと思っていたのだが、(はてな歴15年、韓国語・中国語話者、死刑廃止派、立憲民主党支持、LGBTQ当事者、生活保護受給者、障害者)一昨日レインボープライドパレードを歩いた後に教えてもらったこのTogetterまとめを読んで自信がなくなってきた。
https://togetter.com/li/1306444
ここにはいわゆる「トランス差別」を行う「ツイフェミ」のツイートがまとめられているのだが、実はこれらは「トランス差別主義者の晒し上げ」と簡単に言えるものではない。
フェミニズムの動向に関心がある人ならば知っていると思うが、今世紀に入ってからのフェミニズム界隈で、特に韓国を中心に「ミラーリング」という手法が流行っている。
話には聞いていたものの、実践されているところを見たことがなかったのだが、まさにここでまとめられているものがミラーリングであり、それを読んではてサ観のアップデートが必要だと感じた。
彼女たちはトランス差別をしているように見えるが、実は違う。男が女にやってきた差別や暴力を物真似しているだけで、これはパフォーマンスなのだ。男には男から女への差別が見えないので、それを見える形に直す作業としてミラーリングという手法が使われる。
だから男の子が死んだ事故に「あと一年でホモビに出られたのに」と言ったり、逆に事故で死ななかった子供を「間引き損ねたか」と言ってみたりするのはミサンドリーではなく、これまで男たちが女に言い続けてきたミソジニー発言に対するミラーリングとして計算ずくでやっているパフォーマンスである。
男女問わず、これらの言葉に反発を感じる時点で差別側なのだ。よく男がフェミニズムに理解を示すと「男に理解されるためにフェミニズムをやっているのではない」「男であるお前が思いつくような理論や理論への反論は全て的外れであるか、もしくは既に女によって提出済みである。お前の脳はフェミニズムに何も貢献することはできない」というようなことを指摘するのがお決まりになっている。これとある意味で似ているのだが、ミラーリング実践者によって日々ツイッターに書かれる「男への呪詛」で女のオリジナルは一つもない。どのミサンドリー的発言も全て男による実在の差別発言の原型が存在するので、試しにオリジナルの差別発言を考えてみようとしても、差別発言の全てのパターンは男によって既に提出済みなのではないかとしか思えないほどだ。男が女にする差別発言には鈍感なのに、これらの女が男にする差別発言には敏感に反応してしまう男(これをまとめた「トランス女性」もあえて含む)は、自分たちが行ってきた差別がどのようなものであったか、ミラーリングされて初めて思い知るのである。
で、なぜ冒頭に書いたようなことを思ったかと言うと、私も含む従来はてサと呼ばれてきた我々の多くがぬるま湯に浸かったリベラル気取りの特権側に過ぎないのではないかと気付かされたからだ。本来はてサという称号は最先端に立って導く人のためのものだと思う。「ツイフェミ」と呼ばれる彼女たちは我々以上にはてサ的であり、彼女たちを見習わなければいけない。彼女たちこそ真のリベラルであり、あのレベルに達していない「はてサ」アカウントなど全員ネトウヨ側であると自覚しないといけない。なぜなら、ミラーリングの「過激さ」に眉をひそめてしまうような感性がそもそもネトウヨをはじめとする差別主義者特有のものだからだ。はてサを気取りながらこれまでミラーリング発言をしてこなかったアカウントは「なぜぬるい発言にとどまっているのか、それではアベのケツを舐めるのと何が違うのか」という問いにどう答えるのか。自ら自分に対してトーンポリシングをしているのではないか。それでは肉屋を支持する豚だ。(悲しいことだが、私の見る限りはてサで彼女たちに負けないレベルの言葉の「強さ」を持っているアカウントは1人しかいない。残りは全員ネトウヨの自覚がない分より悪質なネトウヨに過ぎない)
はてブではトランス差別に関する議論はあまり盛り上がらず、韓国人差別など別の話題が盛り上がる傾向があるが、それにしたって「さべつはよくないとおもいますぅぅ」とかネトウヨでも言えるぬるいことを言うのではなく、ネトウヨにも分かるようにミラーリングで同等の強さの「差別」をぶつけてやってこそ令和のはてサなのではないか。
そんなことを思ったのだが、私自身は争いごとを避けるタイプなので、平成のはてサを脱することができない気がする。
会社に雇われてエンジニアやるの楽だったなと思う。労働環境は毎日終電とかで全然楽じゃなかったけど。
人手不足だから適当に雇われて、未経験でろくな教育もなしに客先に放り込まれて。迷惑かけたりもしつつできないなりにググりながらなんとか仕事して。
まあまともなエンジニアから見たらゴミなんだけど同じような境遇でやってきた人が多いからそこまで絶望的に落ちこぼれ扱いされるわけでもなく、優秀な人はほんとすごいんだけどダメな人は自分よりダメで。
そうやって醸造されて残業でぶっ壊れた残り滓みたいな自分なんて雇いたい企業ないだろうな。実績に書けることも特になく、ポートフォリオ作るにも困ってる。
あのぬるま湯にはもう戻れないし戻ったところで茹でガエル。
私が独り暮らしを匂わせるような発言をすると「寂しいな~~~」「出ていっちゃうの?」「お母さんをひとりにするんだ」って言われる。
じゃあ実家で親の脛を齧りまくると宣言して、月5、6万程度の入金と子供の手伝いレベルのこと以外は何もしないで休日に延々寝てたりなんかすると、「あんたは本当に何もしない」「だからデブなんだ」と怒られる。
でも、起きてたって親とやりたいことも話したいことも特にない(最近はお互いの職場の愚痴しか話題がないので本当に辛くなってきた)。
実家は安心する。何だかんだいっても甘やかされていて、ぬるま湯みたいで、すごく落ち着く。変化は怖いし、会社も働くことも怖いし、だからいつまでたっても変われないんだと思う。
親が物凄く鬱陶しいと思うときもあるし、いてくれて本当によかったと思うときもある。親の存在に感謝した一秒後には、生活感に溢れる部屋の中に親と一緒にいる自分にうんざりしてくる。その繰り返し。
実家暮らしには給料が低い・貯金を増やしたいという無敵(?)の言い訳があるけど、やっぱり人生一度くらい親から離れることは必要なんだと思う。
こんな風になる前に、一人立ちしておくべきなんだと。
良い悪い、ほとんどない。
どこに向かえばいいのかも、ない。
無、無なんですよ。
かっこいいなーって憧れだけではいった。
コンサルまで求められる。
でも、わいは、ただただ物を作れる環境が良かったんだ。当初は。
そしてそういう環境は、納期がシビアというのはうわさに聞く。怖くて他も移れない。
お客さんからの評価はコンサルにかかる。お客さんの業務知識があたまに入らない。スケジュール交渉。要望とりまとめ。値切り要求。
頭使うの嫌いだったのかもしれない。技術も好きではなくなってきた。頭使っても充実感、なくて。
どこにいけばいいんだ。
どこまでも求められる。
でも何者にもなりたくないんだよ。
向いてない、向いてないんだよ。
玄米は相性の良いものとイマイチなものがあるのは事実です。例えば、カレーとの相性は最高だと思いますが、丼物やとろろ、すき焼きと合わせるのはイマイチでしょうかね。噛みごたえがあるものですし、喉越しで味わうものではないので、そこを考えて使い分けられるとよろしいかと思います。
あとは炊き方でしょうね。炊くのは圧力鍋がおすすめです。ないならこの機会に買ってもいいと思います。他の料理にも便利だし、蒸し器としても重宝しますし。
米は炊く前に掌の間に挟んで擦るようにして洗います。殻が被ったままのが入っていると、後で噛んだときに歯触りが最悪なので外しておきましょう。一度水を切り、ぬるま湯に一摘み塩を入れたものに入れて浸水させます。よくネット上では6時間とか12時間とか書かれているんですが、時間があるならお試しを。日常的に食べるのにこんなことをしていられる人が羨ましいですが、私はそんなに暇じゃないので、通常は30分、土日でも1時間位しかしません。あとは水を切り、圧力鍋に米と水(コメの最初の重さの1.3倍位を目安に調整して下さい)を入れて、圧の調節のある場合は高圧モードで15分位。圧が落ちてからよく蒸らして蓋を開ければ出来上がりです。切るように混ぜ、蓋の下に布巾等挟んでおきましょう。
よく玄米はマズい、と言う年配の方が昔はいましたが、昔は米の冷蔵貯蔵のシステムがなかったので、米ぬかを酸化するに任せて、食べる際に変質した米ぬかを除いて食べる……という方法論だったためです。今は米の貯蔵システムは比較にならない位進歩していて、ぬかの酸化を心配しなければならないような品質の玄米はまず流通していません。是非とも楽しんでいただければと思います。
クライアントワークのある仕事をしてるけど、めんどくさそうだなって思う話は後回しにしちゃう。
面倒だなって思った対応はおざなりになってしまって、トラブルが後から出てきて余計に面倒なことになる。
あと、交渉事ができなくて自分で仕事増やしてしまって、めんどくさ、ってなってる。
先日、クライアントのところに往訪した際、先方の上司と担当者がいて。
先方上司からの無茶振りに困惑しつつも「承知しました」と返答した私を見かねて
担当者が「そのまま話受けると業務が増えて大変でしょう?ここをこうして~で、~して、ってすると増田さんの負担減らせるんじゃないんですか?」
と割って入って助言してもらう始末。(本当にありがとうございました…)
それでも改善しようって思えない。事実クライアントに迷惑かけてしまってるのに。
頑張らなくていいやってぬるま湯に浸かってる。
なんか喉つまらせそうだなぁって。
・粉薬
でもオブラート1枚に粉薬1包ではでかくなりすぎて飲み込めないので、
粉薬1包に対してオブラート5・6枚使ったりする。
・カプセル
水を口に含んだあとで、何回か首を動かす。
水の中で動くカプセルが、なんとなく食道に対して平行になったな!
と思った瞬間に飲み込む。
平行になる瞬間がなかなか来ない時はひたすら首を動かしてる。
水って書いてるけど、正確にはぬるま湯。
平行になる瞬間がなかなか来ない時って、だいたい熱めのお湯で飲もうとしてるから、
早くしなきゃ外側溶ける!溶ける!ってめっちゃ焦る。
・錠剤
一番飲みやすい。薬買う時は大体錠剤選ぶ。
でも一粒ずつしか飲めない。
液体が多分一番いいんだろうなぁ。あんま見ないけど。