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2021-09-07

不登校児と身体障害者、優先されるべきはどちらですか

もう一度投稿しま

人生殆どがかかってる問題なので誰かまともに返事頂けるまで投稿しま

不登校児の人生身体障害者教諭体裁、優先されるべきはどちらなんですか

もうだいぶ経ちますが、いじめを苦に登校できなくなりそうなった子が通うところとして特別支援学校へ通いました

見学面談時に担当者から併設された精神科も通院することで医療連携してサポートしますと言われたので

それを信じて中学3年間通いました、最後の2年間片足の不自由な身障者の担当教諭が私の担当になりました

その教諭とは1年生の頃からよく関わっていたのでそれもあって決められました

その学校で1番関わったのはその人で、私はいじめのことを話したくとも場面緘黙になっていて話せたのも関わり慣れたその担当くらいで、少しずつ伝えていたつもりでした

担当は○○さんはいい子、○○さんは分かってる、そんなに苦しんでるんだからこれ以上苦しむ必要はないなど言われたり、時々旅行のお見上げを貰ったりしました

3年間通って私自身に何か病名がつくことはありませんでした、私は卒業してから自分は健常者なんだ、全く問題ないんだ、と必死に進学先で頑張りました、家庭内問題自分自身の問題誰にも話せず、頼れず、押し潰される一方でした

メモ日記に記してそれを誰かに教えればわかるでしょうけどそれもできない問題を抱えてました

私はこの文章の半分も当時自分のことを言葉にして書けませんでした、作文の時間は常に居残りで、

しぶしぶ先生が来週までと言っても書けないまま時が過ぎてその科目の期間が終わるといった具合でした

書きたくても書きたくても他の人がするふうにどうしてもペンが進まずしばらく酩酊状態のようになりました

高校担任にも話そうとしたりしましたが高校では他の生徒の相手をしなければならずとても時間を割いて話を聞く人なんていませんでした

ましてや精神の話なんて専門じゃない相手に話してはダメからと人に言われたり躊躇したりで話せるほど慣れるまでに至りませんでした

高校卒業になり家庭内問題も更に重圧を増し、半年後押し潰されました

別の病院に通おうともしましたが短くて2週間、もしくは1、2ヶ月の1回5〜10分の間に問診で応えるなんてとても無理で

時間けが過ぎ診断もつかず、他人から健常者なのに怠けてる情けない人間として過ごすしかありませんでした

ずっと思っていた疑問が一つあり、やっと聞くくらいのことはできるようになったので特別支援学校の元担当に連絡をして聞きました、私が伝えていた私の生きづらさ当時担当医にちゃんと伝えてくれていたんですか?

返ってきたのは一体どうしちゃったの?ちゃん自分問題なくよくできたいい子だったのに、など

質問に答える様子なく、そのようなことはなかったという回答でした

メールで数回、「メールだとよくわからない、伝達の齟齬が生まれる」というので直接支援学校で私が1人向こうが元担当と別の教員の2人での中話すことに元担当「久しぶりじゃない。立派になって。一体どうしたの?何のこと言ってるのか意味がわからないよ。あんなに元気でいい子だったのに。」別の教員「元担当は親御さんが今年病気して大変で、元担当さんも今年大病して大変なんだよ。あんまり責めないの」などと言って同じようにはぐらかされて逆にこちらが悪いかのように言われました

許せませんでした、こんなことが続いてるということは同じような苦しみを後輩たちも味わってるであろうこと考えただけで殺意がわきました

それでその元担当に一通送りました

そのような卑怯な真似を直ちにやめないなら「お前の首切断して職員室に投げ込んでやる」と

今思えば当たり前ですが元担当警察を呼び脅迫したということでうちに6、7名来ました、最寄りの署で事情聴取、1時間もしないうちに当時通っていた精神科閉鎖病棟へ入れられました

その入院中色々な人に口々に何度も言われました「あの先生何が悪いんだ、何も悪くない、優しい先生じゃないか

担当医には「他の患者があと詰まってて早く退院して欲しいんだよねー」いつまで入院続くんですか聞くと「私が大丈夫だと判断したら出します」少しでも担当教諭の件でこちらの言い分を言えば「それだと退院は難しいな」と

スタッフ全員にもその元担当教諭のことを言おうものなら鍵を閉めて出るということを半年以上続けられました

それを考えることをただただ否定され、許せないことは許せないまま、黙ってなければまたぶち込むという対応をされました

退院したあとも色々ありましたが、私は世の中の無差別殺人のように短絡的に実行しませんでした

それでも今なお元担当教諭病院非難されず、私はただの凶悪犯予備軍として何も問題を聞き入れてもらえないんでしょうか?

不登校児と身体障害者、優先されるべきはどちらですか(再々掲)

読み取れない点は質問して下さい、どこか書いてないかウソと決め付けないで下さい

こういう状況に陥った人がいることに意見下さい

もうだいぶ経ちますが、いじめを苦に登校できなくなりそうなった子が通うところとして特別支援学校へ通いました

見学面談時に担当者から併設された精神科も通院することで医療連携してサポートしますと言われたので

それを信じて中学3年間通いました、最後の2年間片足の不自由な身障者の担当教諭が私の担当になりました

その教諭とは1年生の頃からよく関わっていたのでそれもあって決められました

その学校で1番関わったのはその人で、私はいじめのことを話したくとも場面緘黙になっていて話せたのも関わり慣れたその担当くらいで、少しずつ伝えていたつもりでした

担当は○○さんはいい子、○○さんは分かってる、そんなに苦しんでるんだからこれ以上苦しむ必要はないなど言われたり、時々旅行のお見上げを貰ったりしました

3年間通って私自身に何か病名がつくことはありませんでした、私は卒業してから自分は健常者なんだ、全く問題ないんだ、と必死に進学先で頑張りました、家庭内問題自分自身の問題誰にも話せず、頼れず、押し潰される一方でした

メモ日記に記してそれを誰かに教えればわかるでしょうけどそれもできない問題を抱えてました

私はこの文章の半分も当時自分のことを言葉にして書けませんでした、作文の時間は常に居残りで、

しぶしぶ先生が来週までと言っても書けないまま時が過ぎてその科目の期間が終わるといった具合でした

書きたくても書きたくても他の人がするふうにどうしてもペンが進まずしばらく酩酊状態のようになりました

高校担任にも話そうとしたりしましたが高校では他の生徒の相手をしなければならずとても時間を割いて話を聞く人なんていませんでした

ましてや精神の話なんて専門じゃない相手に話してはダメからと人に言われたり躊躇したりで話せるほど慣れるまでに至りませんでした

高校卒業になり家庭内問題も更に重圧を増し、半年後押し潰されました

別の病院に通おうともしましたが短くて2週間、もしくは1、2ヶ月の1回5〜10分の間に問診で応えるなんてとても無理で

時間けが過ぎ診断もつかず、他人から健常者なのに怠けてる情けない人間として過ごすしかありませんでした

ずっと思っていた疑問が一つあり、やっと聞くくらいのことはできるようになったので特別支援学校の元担当に連絡をして聞きました、私が伝えていた私の生きづらさ当時担当医にちゃんと伝えてくれていたんですか?

返ってきたのは一体どうしちゃったの?ちゃん自分問題なくよくできたいい子だったのに、など

質問に答える様子なく、そのようなことはなかったという回答でした

メールで数回、「メールだとよくわからない、伝達の齟齬が生まれる」というので直接支援学校で私が1人向こうが元担当と別の教員の2人での中話すことに元担当「久しぶりじゃない。立派になって。一体どうしたの?何のこと言ってるのか意味がわからないよ。あんなに元気でいい子だったのに。」別の教員「元担当は親御さんが今年病気して大変で、元担当さんも今年大病して大変なんだよ。あんまり責めないの」などと言って同じようにはぐらかされて逆にこちらが悪いかのように言われました

許せませんでした、こんなことが続いてるということは同じような苦しみを後輩たちも味わってるであろうこと考えただけで殺意がわきました

それでその元担当に一通送りました

そのような卑怯な真似を直ちにやめないなら「お前の首切断して職員室に投げ込んでやる」と

今思えば当たり前ですが元担当警察を呼び脅迫したということでうちに6、7名来ました、最寄りの署で事情聴取、1時間もしないうちに当時通っていた精神科閉鎖病棟へ入れられました

その入院中色々な人に口々に何度も言われました「あの先生何が悪いんだ、何も悪くない、優しい先生じゃないか

担当医には「他の患者があと詰まってて早く退院して欲しいんだよねー」いつまで入院続くんですか聞くと「私が大丈夫だと判断したら出します」少しでも担当教諭の件でこちらの言い分を言えば「それだと退院は難しいな」と

スタッフ全員にもその元担当教諭のことを言おうものなら鍵を閉めて出るということを半年以上続けられました

それを考えることをただただ否定され、許せないことは許せないまま、黙ってなければまたぶち込むという対応をされました

退院したあとも色々ありましたが、私は世の中の無差別殺人のように短絡的に実行しませんでした

それでも今なお元担当教諭病院非難されず、私はただの凶悪犯予備軍として何も問題を聞き入れてもらえないんでしょうか?

不登校児と身体障害者、優先されるべきはどちらですか(再々掲)

読み取れない点は質問して下さい、どこか書いてないかウソと決め付けないで下さい

こういう状況に陥った人がいることに意見下さい

もうだいぶ経ちますが、いじめを苦に登校できなくなりそうなった子が通うところとして特別支援学校へ通いました

見学面談時に担当者から併設された精神科も通院することで医療連携してサポートしますと言われたので

それを信じて中学3年間通いました、最後の2年間片足の不自由な身障者の担当教諭が私の担当になりました

その教諭とは1年生の頃からよく関わっていたのでそれもあって決められました

その学校で1番関わったのはその人で、私はいじめのことを話したくとも場面緘黙になっていて話せたのも関わり慣れたその担当くらいで、少しずつ伝えていたつもりでした

担当は○○さんはいい子、○○さんは分かってる、そんなに苦しんでるんだからこれ以上苦しむ必要はないなど言われたり、時々旅行のお見上げを貰ったりしました

3年間通って私自身に何か病名がつくことはありませんでした、私は卒業してから自分は健常者なんだ、全く問題ないんだ、と必死に進学先で頑張りました、家庭内問題自分自身の問題誰にも話せず、頼れず、押し潰される一方でした

メモ日記に記してそれを誰かに教えればわかるでしょうけどそれもできない問題を抱えてました

私はこの文章の半分も当時自分のことを言葉にして書けませんでした、作文の時間は常に居残りで、

しぶしぶ先生が来週までと言っても書けないまま時が過ぎてその科目の期間が終わるといった具合でした

書きたくても書きたくても他の人がするふうにどうしてもペンが進まずしばらく酩酊状態のようになりました

高校担任にも話そうとしたりしましたが高校では他の生徒の相手をしなければならずとても時間を割いて話を聞く人なんていませんでした

ましてや精神の話なんて専門じゃない相手に話してはダメからと人に言われたり躊躇したりで話せるほど慣れるまでに至りませんでした

高校卒業になり家庭内問題も更に重圧を増し、半年後押し潰されました

別の病院に通おうともしましたが短くて2週間、もしくは1、2ヶ月の1回5〜10分の間に問診で応えるなんてとても無理で

時間けが過ぎ診断もつかず、他人から健常者なのに怠けてる情けない人間として過ごすしかありませんでした

ずっと思っていた疑問が一つあり、やっと聞くくらいのことはできるようになったので特別支援学校の元担当に連絡をして聞きました、私が伝えていた私の生きづらさ当時担当医にちゃんと伝えてくれていたんですか?

返ってきたのは一体どうしちゃったの?ちゃん自分問題なくよくできたいい子だったのに、など

質問に答える様子なく、そのようなことはなかったという回答でした

メールで数回、「メールだとよくわからない、伝達の齟齬が生まれる」というので直接支援学校で私が1人向こうが元担当と別の教員の2人での中話すことに元担当「久しぶりじゃない。立派になって。一体どうしたの?何のこと言ってるのか意味がわからないよ。あんなに元気でいい子だったのに。」別の教員「元担当は親御さんが今年病気して大変で、元担当さんも今年大病して大変なんだよ。あんまり責めないの」などと言って同じようにはぐらかされて逆にこちらが悪いかのように言われました

許せませんでした、こんなことが続いてるということは同じような苦しみを後輩たちも味わってるであろうこと考えただけで殺意がわきました

それでその元担当に一通送りました

そのような卑怯な真似を直ちにやめないなら「お前の首切断して職員室に投げ込んでやる」と

今思えば当たり前ですが元担当警察を呼び脅迫したということでうちに6、7名来ました、最寄りの署で事情聴取、1時間もしないうちに当時通っていた精神科閉鎖病棟へ入れられました

その入院中色々な人に口々に何度も言われました「あの先生何が悪いんだ、何も悪くない、優しい先生じゃないか

担当医には「他の患者があと詰まってて早く退院して欲しいんだよねー」いつまで入院続くんですか聞くと「私が大丈夫だと判断したら出します」少しでも担当教諭の件でこちらの言い分を言えば「それだと退院は難しいな」と

スタッフ全員にもその元担当教諭のことを言おうものなら鍵を閉めて出るということを半年以上続けられました

それを考えることをただただ否定され、許せないことは許せないまま、黙ってなければまたぶち込むという対応をされました

退院したあとも色々ありましたが、私は世の中の無差別殺人のように短絡的に実行しませんでした

それでも今なお元担当教諭病院非難されず、私はただの凶悪犯予備軍として何も問題を聞き入れてもらえないんでしょうか?

不登校児と身体障害者、優先されるべきはどちらですか(再掲)

もうだいぶ経ちますが、いじめを苦に登校できなくなりそうなった子が通うところとして特別支援学校へ通いました

見学面談時に担当者から併設された精神科も通院することで医療連携してサポートしますと言われたので

それを信じて中学3年間通いました、最後の2年間片足の不自由な身障者の担当教諭が私の担当になりました

その教諭とは1年生の頃からよく関わっていたのでそれもあって決められました

その学校で1番関わったのはその人で、私はいじめのことを話したくとも場面緘黙になっていて話せたのも関わり慣れたその担当くらいで、少しずつ伝えていたつもりでした

担当は○○さんはいい子、○○さんは分かってる、そんなに苦しんでるんだからこれ以上苦しむ必要はないなど言われたり、時々旅行のお見上げを貰ったりしました

3年間通って私自身に何か病名がつくことはありませんでした、私は卒業してから自分は健常者なんだ、全く問題ないんだ、と必死に進学先で頑張りました、家庭内問題自分自身の問題誰にも話せず、頼れず、押し潰される一方でした

メモ日記に記してそれを誰かに教えればわかるでしょうけどそれもできない問題を抱えてました

私はこの文章の半分も当時自分のことを言葉にして書けませんでした、作文の時間は常に居残りで、

しぶしぶ先生が来週までと言っても書けないまま時が過ぎてその科目の期間が終わるといった具合でした

書きたくても書きたくても他の人がするふうにどうしてもペンが進まずしばらく酩酊状態のようになりました

高校担任にも話そうとしたりしましたが高校では他の生徒の相手をしなければならずとても時間を割いて話を聞く人なんていませんでした

ましてや精神の話なんて専門じゃない相手に話してはダメからと人に言われたり躊躇したりで話せるほど慣れるまでに至りませんでした

高校卒業になり家庭内問題も更に重圧を増し、半年後押し潰されました

別の病院に通おうともしましたが短くて2週間、もしくは1、2ヶ月の1回5〜10分の間に問診で応えるなんてとても無理で

時間けが過ぎ診断もつかず、他人から健常者なのに怠けてる情けない人間として過ごすしかありませんでした

ずっと思っていた疑問が一つあり、やっと聞くくらいのことはできるようになったので特別支援学校の元担当に連絡をして聞きました、私が伝えていた私の生きづらさ当時担当医にちゃんと伝えてくれていたんですか?

返ってきたのは一体どうしちゃったの?ちゃん自分問題なくよくできたいい子だったのに、など

質問に答える様子なく、そのようなことはなかったという回答でした

メールで数回、「メールだとよくわからない、伝達の齟齬が生まれる」というので直接支援学校で私が1人向こうが元担当と別の教員の2人での中話すことに元担当「久しぶりじゃない。立派になって。一体どうしたの?何のこと言ってるのか意味がわからないよ。あんなに元気でいい子だったのに。」別の教員「元担当は親御さんが今年病気して大変で、元担当さんも今年大病して大変なんだよ。あんまり責めないの」などと言って同じようにはぐらかされて逆にこちらが悪いかのように言われました

許せませんでした、こんなことが続いてるということは同じような苦しみを後輩たちも味わってるであろうこと考えただけで殺意がわきました

それでその元担当に一通送りました

そのような卑怯な真似を直ちにやめないなら「お前の首切断して職員室に投げ込んでやる」と

今思えば当たり前ですが元担当警察を呼び脅迫したということでうちに6、7名来ました、最寄りの署で事情聴取、1時間もしないうちに当時通っていた精神科閉鎖病棟へ入れられました

その入院中色々な人に口々に何度も言われました「あの先生何が悪いんだ、何も悪くない、優しい先生じゃないか

担当医には「他の患者があと詰まってて早く退院して欲しいんだよねー」いつまで入院続くんですか聞くと「私が大丈夫だと判断したら出します」少しでも担当教諭の件でこちらの言い分を言えば「それだと退院は難しいな」と

スタッフ全員にもその元担当教諭のことを言おうものなら鍵を閉めて出るということを半年以上続けられました

それを考えることをただただ否定され、許せないことは許せないまま、黙ってなければまたぶち込むという対応をされました

退院したあとも色々ありましたが、私は世の中の無差別殺人のように短絡的に実行しませんでした

それでも今なお元担当教諭病院非難されず、私はただの凶悪犯予備軍として何も問題を聞き入れてもらえないんでしょうか?

不登校児と身体障害者、優先されるべきはどちらですか

もうだいぶ経ちますが、いじめを苦に登校できなくなりそうなった子が通うところとして特別支援学校へ通いました

見学面談時に担当者から併設された精神科も通院することで医療連携してサポートしますと言われたので

それを信じて中学3年間通いました、最後の2年間片足の不自由な身障者の担当教諭が私の担当になりました

その教諭とは1年生の頃からよく関わっていたのでそれもあって決められました

その学校で1番関わったのはその人で、私はいじめのことを話したくとも場面緘黙になっていて話せたのも関わり慣れたその担当くらいで、少しずつ伝えていたつもりでした

担当は○○さんはいい子、○○さんは分かってる、そんなに苦しんでるんだからこれ以上苦しむ必要はないなど言われたり、時々旅行のお見上げを貰ったりしました

3年間通って私自身に何か病名がつくことはありませんでした、私は卒業してから自分は健常者なんだ、全く問題ないんだ、と必死に進学先で頑張りました、家庭内問題自分自身の問題誰にも話せず、頼れず、押し潰される一方でした

メモ日記に記してそれを誰かに教えればわかるでしょうけどそれもできない問題を抱えてました

私はこの文章の半分も当時自分のことを言葉にして書けませんでした、作文の時間は常に居残りで、

しぶしぶ先生が来週までと言っても書けないまま時が過ぎてその科目の期間が終わるといった具合でした

書きたくても書きたくても他の人がするふうにどうしてもペンが進まずしばらく酩酊状態のようになりました

高校担任にも話そうとしたりしましたが高校では他の生徒の相手をしなければならずとても時間を割いて話を聞く人なんていませんでした

ましてや精神の話なんて専門じゃない相手に話してはダメからと人に言われたり躊躇したりで話せるほど慣れるまでに至りませんでした

高校卒業になり家庭内問題も更に重圧を増し、半年後押し潰されました

別の病院に通おうともしましたが短くて2週間、もしくは1、2ヶ月の1回5〜10分の間に問診で応えるなんてとても無理で

時間けが過ぎ診断もつかず、他人から健常者なのに怠けてる情けない人間として過ごすしかありませんでした

ずっと思っていた疑問が一つあり、やっと聞くくらいのことはできるようになったので特別支援学校の元担当に連絡をして聞きました、私が伝えていた私の生きづらさ当時担当医にちゃんと伝えてくれていたんですか?

返ってきたのは一体どうしちゃったの?ちゃん自分問題なくよくできたいい子だったのに、など

質問に答える様子なく、そのようなことはなかったという回答でした

メールで数回、「メールだとよくわからない、伝達の齟齬が生まれる」というので直接支援学校で私が1人向こうが元担当と別の教員の2人での中話すことに元担当「久しぶりじゃない。立派になって。一体どうしたの?何のこと言ってるのか意味がわからないよ。あんなに元気でいい子だったのに。」別の教員「元担当は親御さんが今年病気して大変で、元担当さんも今年大病して大変なんだよ。あんまり責めないの」などと言って同じようにはぐらかされて逆にこちらが悪いかのように言われました

許せませんでした、こんなことが続いてるということは同じような苦しみを後輩たちも味わってるであろうこと考えただけで殺意がわきました

それでその元担当に一通送りました

そのような卑怯な真似を直ちにやめないなら「お前の首切断して職員室に投げ込んでやる」と

今思えば当たり前ですが元担当警察を呼び脅迫したということでうちに6、7名来ました、最寄りの署で事情聴取、1時間もしないうちに当時通っていた精神科閉鎖病棟へ入れられました

その入院中色々な人に口々に何度も言われました「あの先生何が悪いんだ、何も悪くない、優しい先生じゃないか

担当医には「他の患者があと詰まってて早く退院して欲しいんだよねー」いつまで入院続くんですか聞くと「私が大丈夫だと判断したら出します」少しでも担当教諭の件でこちらの言い分を言えば「それだと退院は難しいな」と

スタッフ全員にもその元担当教諭のことを言おうものなら鍵を閉めて出るということを半年以上続けられました

それを考えることをただただ否定され、許せないことは許せないまま、黙ってなければまたぶち込むという対応をされました

退院したあとも色々ありましたが、私は世の中の無差別殺人のように短絡的に実行しませんでした

それでも今なお元担当教諭病院非難されず、私はただの凶悪犯予備軍として何も問題を聞き入れてもらえないんでしょうか?

ネタだと言われましたが嘘じゃないです

2021-04-27

ちゃん

もう二十年近く前の話になるが、小学四年生か五年生くらいのときクラスに瞳ちゃんという女の子がいた。

いつも綺麗で真っ直ぐな黒髪おさげにしていた。

ちゃんはいつも黙々とノートをとっているような真面目な女の子で、いつも1人だった。

はいっても、寂しい感じの孤独ではなく、強い感じの孤独だった。

口をきっと結んでじっと何かを見つめる姿が印象に残っている。

ちゃんが無口なのは孤独からではなく話せなかったからで、それが場面緘黙症(なのだろう)と知ったのはつい最近だった。

自分と瞳ちゃんはなんの関わりもなかった。

クラスメイトも特に関わりはなく、目に見える場面では先生特に関わりがないようにみえた。

ちゃんは誰かに意思を持って無視されたり、仲間外れにされてる様子はなかったし、彼女に関する悪口を聞いた記憶もない。

クラスメイトが優しかったというより、彼女はあまり認識されてなかったように思える。

多分みんな、国語時間に出席番号順に音読をする場面でそっと瞳ちゃんを飛ばす時くらいしか彼女認識するタイミングはなかった。

そのまま関わりもなく同じクラスである期間を終えるのだろうと思っていたが、進級間近の「お楽しみ会」で自分彼女と同じグループになった。

お楽しみ会3月最後の授業を発表の場とするクラス内の行事で、大体2月の終わり頃から週に一度準備するための時間が設けられていた。

内容は自由で、くじ引きで決められた班ごとにマジック披露したり、クイズ大会主催したり、モーニング娘。ダンスを踊ったり。ちょっとした文化祭のようなもので、自分たちはみんなそのお楽しみ会が大好きだった。

ただ、それは班が打ち解けた場合のみであって、自分たちの班は正直瞳ちゃんという存在を持て余していた。

準備期間の最初の一コマは大抵なんの出し物をするかを班で話し合うのだけれど、瞳ちゃんは話せないので会議は難航した。

自分たちはたまたま女の子だけの班になり、「モーニング娘。ダンスを踊りたい」とほぼ全員が挙げていた。

しかし瞳ちゃん意見はそこに入っておらず、このまま決定していいものかと全員で不安気に瞳ちゃんの表情を伺っていた記憶がある。

当時は彼女がなぜ話さないのか、もしくはなぜ話してくれないのかとしか思っておらず、彼女にとってあの時とてもしんどい時間を過ごさせてしまたかもしれない。

自分たちは彼女に「何がしたい?」「何もしたくない?」「嫌なこと(やりたくないこと)はある?」「この班の誰かと話したくなかったりする?」と質問をした。

浅慮すぎて、はいかいいえで応えられる質問をすればいいと気づけなかった。

ちゃんは黙し続けていた。

そのうち誰かが「何をして欲しいか書いてもらおう」と言い出して、彼女ノートに何を書き込むのか全員で注視する。

ちゃんは真っ白な自由帳に「なぞなぞ」と大きく書いた。

結局自分たちの班は、モーニング娘。ダンス披露した後に、なぞなぞコーナーを設けることにした。

準備期間を通して、自分たちは瞳ちゃんノートを介してコミュニケーションを取ることを覚えた。

彼女ノートがあれば普通に会話ができたし、自分たちとなんら変わりない小学四年生だか五年生の女の子だった。

お楽しみ会なぞなぞコーナーは、瞳ちゃんが画用紙に大きく問題を書き出題する形になり、後ろの席で見づらいと声が上がれば自分たちがそれを読み上げてフォローをして、それなりに盛り上がったと思う。

それがその年度の最後の授業で、翌年自分は瞳ちゃんと別のクラスになったのでもうなんの関わりもなくなってしまった。

ちゃんには配慮のない質問発言で辛い思いをさせてしまたかもしれないけれど、あのなぞなぞコーナーを瞳ちゃんが楽しんでくれたなら良かったと思うし、もし今後場緘黙の方と関わることがあれば、もっと上手く接そうと思った。

ちゃんが元気だといいな。

2021-02-11

ADHDASDと場面緘黙三重苦です。

……という感じの普段どれほど辛く苦しい生活を送っているかを綴る文章を書こうと思ったのですが、やめました。

理由は苦しいことを書くのは辛いから。

ADHDASDと場面緘黙の3コンボで息をしてるだけで自動的に周りの人間に嫌われるぜウェーーイイwwwwww」とか何とか長文書こうと思ったけど辛いわやっぱ。

そんな私にも頼れる彼くんが……いる訳はないが、幸いにして文才はあるので某web小説サイトから広告収入で毎月一万円くらいの副業収入はある。

なんか色々考えてるうちにここに愚痴投下するより小説原稿進めた方が有意義だわってなったので「書こうと思ったけどやめました」って表明だけ落として愚痴たかった気持ち成仏させときます

web小説で小銭稼ぎが出来る程度の文才は三重苦という制約と誓約で得た物かもしれんけど、普通に健常者に生まれ手取り18万程度の仕事に就けた方が現状よりよほど豊かなので文才とかいらんから健常者に生まれたかったって愚痴を言いたかった。ちなみに今手取り9万。

小説での副業収入がなかったら生きてられんラインなので小説マジで食い扶持を稼ぐために書いてる。

小説で食い扶持を稼ぐことができる人間小説しか食い扶持を稼げない人間だってどこかの文豪か誰かが言ってたけどマジでそれ。

2020-11-18

弱い者達が夕暮れ、、、

ゴミ蔵 In The Box

@9z80_53z0

人生無理バーセクハラ事案が発生して発達男性出禁なった件で吹き上がってる男性の多さに「そういう加害性を自覚できないから全体を警戒せざるを得ない背景があるんだぜ」って思う

ゴミ蔵 In The Box

@9z80_53z0

生誕45周年バースデーケーキPeopleのガヤ/耳豚/馬骨/正海月/JUNE/ペヨトル/胸糞映画/ディストピア/klippel-feil症候群頚椎癒合,頭蓋底陥入,MRKH,腎低形成,感音性難聴/ADDASD少々/虐待サバイバーで躁鬱乖離/元場面緘黙。持病悪化透析準備に入るため自宅療養中。最近はtwstも。

2020-09-30

わかる。うちも奥さんがほぼ同じ傾向があるんだよ。

個別喧嘩の発端は…こちらに責があることもあれば向こうに責があることもあるし、最初自分我慢して済むならそれでもいいやと思ってたんだけど、やっぱり理不尽な怒りの暴発を難度も経験すると、徐々にこっちの自尊心が削れてくるし、不機嫌の徴候が見えるだけで心理的に身構えてしまうんだよね。無意識のうちに、相手地雷(どこに埋まってるかわからないんだけど)に触れないように立ち回るようになる。そうすると家庭が安心できる場でなくなってしまう。

もともと彼女自身にも、そういう感情的制御ができないことの自覚はあるし、直したいとも思っているんだけど、キレてる最中に「そういう言い方や態度はよくないよ」と意見しても耳に入らない。「どうせ全部私が悪いんでしょ」「はいはい、また私のせいなんだよね」となって会話を打ち切り、刺々しい振る舞い(ドタドタ歩いたりドアを閉めたりモノを乱暴に扱ったり)して、後には不機嫌な空気けが残る。これがなんともやるせない。一定時間が経って落ち着くと、何もなかったように振る舞うか、一応は「ごめんなさい」と言ったりもするんだけど、そういう殺伐とした感情って人の心を痛めつけるんで、お互い何もなかったように振る舞っていても、やっぱりこっちの心は無傷じゃなくて、刺されたり殴られたりした疼きが残る。たぶん相手の心も無傷じゃない。どっちにもいいことがない。

で、子供が生まれ物心がついてきたのを機に、お互いに真正からこの問題に向き合うことにした。子供が親の逆上や不機嫌に萎縮するようになったら誰にとっても不幸だ、というのはお互いの考えが一致していたので。

実はこの「子供との関係」というのが重要で、結論から言うと、彼女毒親母親)に非常に悪い育てられ方をしてきたことが全ての起点になっていた。母親自分から見ての義母は、幼い頃の彼女を蹴ったり殴ったりした。氷点下に近い納戸に数時間閉じ込めるという身体虐待もあったし、ネグレクト罵倒もあった。理由は、折り合いの悪い義祖母に顔立ちが似ていたから、ということもあったようだし、良家同士の見合い婚で専業主婦になった自分にとって「育児成功させ、娘は良家に嫁がせる」ということが唯一かつ至上の役割になっていたこともあったようだ。それほど受験戦争が激しくない地方にあって小さい頃から娘に複数の塾や家庭教師をつけ、成績が思うように伸びなければ「あんたはなんでできないの」「私が恥をかく」と詰め、娘の夏休み自由課題が賞をもらった翌年からは、傾向と対策を踏まえて母親課題制作し、受賞すればそれを周囲に誇るようになった。義母にとって娘は自己付属物であり、自分能力努力を表示する成果物だった。これは娘側の一方的証言ではなく、義母本人がそのことを問い詰められて(娘以上に感情的に)キレたり、逆に緘黙する状況を自分も見ているので、嘘や極端な誇張はないと思う。

そういう母親との間で育った娘である奥さんは、根本のところで自己肯定感がとてつもなく低く、「自分には価値がない」という強迫観念に苛まれていた。彼女は親元から離れたあと、亡父の尽力もあって学歴にはやや不相応な金融総合職につくことができ、廻りの高学歴人達に揉まれながらも持ち前の根性で「コネ入社腰掛けさん」に留まらない営業成果を出し、職場でも多くの同僚に認められるようになった。でも、これは見方を変えると「自分が無価値人間ではない」ということを自らアウトプットや業績評価によって証明し続けなければいけなかったからそうしていたわけで、その「頑張り」は結局は不安強迫観念によってドライブされてたんだよね。背景にそういう動機があって「頑張り続けなければいけない」人がどうなるかというと、最後メンタルヘルスを崩し、拒食症になり、自己都合で退職した。つらい。

その後いろいろあって彼女自分結婚したんだけど、お互いに落ち着いている時に(感情的チャージされてない状況で)この課題について話し合い、時にはネット情報心理学書籍なども参照しながら考えるなかで、激昂の背後にあるのは自己肯定感のなさだということが見えてきた。彼女は成長の過程で「人間能力や実績によってだけ認められるわけではなく、ただ人間であるだけで価値がある」という確信を得てこなかった。母親から与えられたのは条件付きの愛で、条件を満たさなければ存在自体否定された。だから「認められるために頑張る」という所作が身についた。

頑張りの中には「社会的に認められる人格を演じる」ということも入っているから、ソーシャルマナーちゃん実践できる。人当たりはよく、好感度も高い。しかしそれはあくまで「舞台」に立って「頑張り」を発揮して評価を獲得しなければならない状況での話で、身内にはこのルール適用されない。だから親族家族の中に(彼女基準で見て)頑張っていない人(例:私はこんなに頑張ってるのに、あなたは)、彼女の頑張りを認めてくれない人、彼女の頑張りの成果をスポイルする人(例:頑張って片付けたのにまた散らかして)に対しては、時に制御の効かない怒りを感じ、苛烈言葉や行動を直接ぶつけてしまう。自己肯定感が低いから、他者を無条件に肯定できない。自分に課した高いハードルと同じ評価基準相手にも課し、それを満たさな相手を詰る。そういうメカニズムがあるみたいだった。

ついでに言うと、彼女母親にとっては娘自身が「彼女の頑張りをスポイルする人」(一生懸命教育してるのに成果を出さずに「私に恥をかかせる」から)だったので、娘に対してそうした精神身体DVを繰り返していたわけだ。自己肯定感の欠如と感情コントロール欠如という点では似たもの同士だった母親彼女との喧嘩は、ちょっとした言葉尻の棘を捉えて相手を強く咎める(「それどういう意味?」とか「あなたはいっつもそう!」とか)の繰り返しで、なんでもないやりとりがあっという間に激しい罵倒応酬エスカレートしたりする。まさしく言葉の刃で刺し合うがごとくで、たまたまその場に居合わせ自分もぐったりと疲弊し、時にはあまりの情けなさに泣くこともあった。

ともあれ、我々2人は「こんなことが当たり前ではいけない、子供をこういう『こじれ』に巻き込まないようにしよう」ということをスタートにして、まず彼女母親との関係は明らかに機能不全に陥っていること、彼女母親過去も今も彼女自尊感情を蝕んでいること、自尊感情の乏しさが他者への非寛容や感情制御の困難につながっていること、自分母親承認/不承認にかかわらず価値のある人間だし、他人もそうだということなどをひとつひとつ確認していった。彼女最初は「母親はもしかしたら毒親だったのかも」程度の認識だったのが、あまりにも定型的な虐待パターンのど真ん中に自分いたことを知り、自分感情コントロールの難しさが個人資質というより関係病理に起因していることを学んだ。そうすることで、母親との関係も1:1の差しかいではなく、その関係自体第三者として見る視点を手に入れた。自分はそのとき情報考察の手伝いはしたけど、結局それは彼女自身自己探究の道のりだった。

それでどうなったかといえば、状況は明らかに良くなっている。奥さんアンガーマネジメントを少しずつ理解し、実践している。実際にキレる回数は格段に減った。キレてしまった時はそのままにせず、すぐ言葉にして反省するようになった。YOUランゲージを控え、Iランゲージを使って自分希望意志を率直に伝えられるようになった。母親とのやりとりもベタ足の殴り合いをするのではなく、だんだんと「所詮他人しかない、母親とのやりとりで感情的に消耗したくない」という感覚を持てるようになってきている。無駄に険悪になることもないが、母親から近しくしなければいけないという「演技」からちょっと解放された。やっぱり根本的な原因や構造が見えてきたことで、本人の物事の捉え方も変わってくるんだと思う。

…というわけで、うちの場合子供ができた結果、徐々に状況がよくなってきたんだけど、これ「子供が生まれたから良くなった」じゃなくて「子供いるから良くしないといけない」という問題意識を両方が持ったからだと思っている。逆に言えば、元増田場合子供ができなくたって「この状況を放置するのは2人の心理的安全性にとって良くない、2人の関係健康を損ねる」という意識で話し合うことができれば、だんだん建設的な方向に向かえるかもしれないよ。

さっきも書いたけど、うちの場合は、彼女病理というより関係病理だった。だから時間はかかったけど、こじれた関係を解きほぐすことが解決の糸口になった。元増田奥さんが同じかどうかわからないけど、参考になったらうれしい。お互いがんばろう。

anond:20200928211140

2020-08-23

anond:20200823153147

お気持ち長文女はクラス底辺付近女子

クラスで学級会が起きた時、

学年祭イベントの話し合い、

人達と遊ぶ時、

Twitterクラスライン

たとえその意見建設的なものであったとしても

気持ち女子意見というだけで却下され

どれにも参加できず話しても聞き流し無視され

時にはお気持ち女子を外した新ライングループ作成され

悲しく緘黙する事を覚える

そうしてここで匿名で流すのだそのお気持ち

ようやくたどり着いた増田罵倒という名の返信をもらう、

そういう悲しい生き物なのである

2020-01-29

anond:20200129153854

不登校の子にも子ども食堂来て欲しいとか言うけど…

そういう子には不特定多数の人と一緒に飯食うのがすでにハードル高い

対人恐怖・会食恐怖・緘黙とか併発してる子もいるか

2020-01-08

anond:20200108204915

子供の頃から緘黙で締切は守れず、机の中はぐちゃぐちゃでイジメられても改善出来ず、就職も出来ずに30半ばで、ゴミゴキブリまみれの中で生活できますか?

家族役所ハロワも誰も出来なかったバイト就職斡旋あなたは、してくれるんですか?

2019-12-01

対人恐怖症で場面緘黙の俺は家庭なんて持つべきじゃなかったのかも

もう数十年の付き合いになるのに

相手家族一言も会話していない

2019-09-30

グレタ・トゥーンベリさんに対するただひとつ違和感

地球温暖化気候問題に対する彼女の主張に反論するつもりはまったくないし、彼女の行動にも文句はない。

学校を休んで活動をすることに目くじらを立てる人もいるかもしれないが、それは個人意思だし、別に周りがどうこう言う問題ではない。

16歳という若さながら、国際舞台に立って行動を起こしていること自体は本当にすごいことだと思う。

ただ、そんな彼女に対してどうしても違和感がある。Wikipediaページによると、

トゥーンベリは、彼女が8歳の2011年気候変動について初めて聞いたと言っているが、なぜ気候変動への対策ほとんど行われていないのか理解できなかった。 3年後、彼女は落ち込んで無気力になり、会話と食事をやめ、最終的にアスペルガー症候群 [12] 、強迫性障害 (OCD) および選択的無言症と診断された。 [13] その診断は「以前は私を制限していた」ことを認めながら、彼女アスペルガー病気とは見なさず、代わりに「スーパーパワー」と呼んでいる。

とあるアスペルガー症候群は近年、発達障害一般にもよく知られるようになってきたこから、耳にしたことがある人も多いだろう。また、強迫性障害アスペルガー症候群ほどではないが知名度はあるように思える。しか選択的無言症はどうか。これは場面緘黙症とも言われる疾患であり、詳しくは[wikipedia:場面緘黙症]を見てほしいが、アスペルガーほど知られた疾患ではないと思う。上記にもあるように、彼女アスペルガーに関しては「スーパーパワー」として肯定的にとらえているが、場面緘黙症については、

So when I was 11, I became ill. I fell into depression, I stopped talking, and I stopped eating. In two months, I lost about 10 kilos of weight. Later on, I was diagnosed with Asperger syndrome, OCD and selective mutism. That basically means I only speak when I think it's necessary - now is one of those moments.

https://www.ted.com/talks/greta_thunberg_the_disarming_case_to_act_right_now_on_climate]において発言している。

これがどうも腑に落ちない。これは場面緘黙なのだろうか。急に話さなくなったり、必要だと思う時にしかさないという彼女自身説明には疑問が残る。

もちろん、当時の彼女を診断した医師がそう判断し、彼女はこのスピーチの中でそれを話しただけかもしれないし、時間の都合上分かりやす表現としてこのような表現になっただけなのかもしれない。

しかし、意地悪な見方をすると、これは場面緘黙症という疾患を利用しているのではないかとも思う。場面緘黙症自体があまり馴染みのない疾患であることから、多くの人はその疾患について「話すことが困難なんだな」程度の認識だろうし、そのような人々がこの話を聞いたとき彼女に対して「そのようなハンデを持ちながらも環境のために声を上げた16歳の少女」のイメージを強く抱くであろうことは容易に想像できる。場面緘黙だけでなく、アスペルガー強迫性障害についてもそうだ。

これが可能なのはそれが見えない症状だからだ。身体的なハンディキャップがある人とは異なり、アスペルガー場面緘黙症一見しただけでは当人がそういった疾患を持っていることがわかりにくい。しかし逆もまた然りだ。自称しているだけだとしてもそれを見ぬくことは難しい。

グレタさんに関してはいろいろな意見が出ており、親に利用されているだとか、誰かがバックにいるとか、陰謀論じみたものまで出ている。実際のところどうなのかはわからない。

結果的に多くの人々に気候問題を考える機会を与えたことは良いことだと思うが、場面緘黙症についての発言だけは、どうしても違和感をぬぐえない。

2019-08-20

緘黙ちんちん

緘黙になると、話したくても口から言葉を発せなくなる

例えるなら、家では躊躇なく「ちんちん」をだせるけど、学校職場では「ちんちん」だせないでしょ?

それと同じ。

無意識社会的な脳が「ちんちん」をだすことをナシと判断するわけ。

それと同じように社会的な脳が話すことを抑制してる感覚なのだ

ちんちん

2019-05-07

ゲーム専門学校教師だがいよいよ詰んだ

毎年毎年「今年は駄目だ」って思いながらなんとかクリアしてるんだが今年の新入生は駄目だ

イカれた(物理)メンバーを紹介するぜ!

自閉症

アスペとかじゃないただの自閉症

突然叫びだすし興味が無いことはやらない

手帳持ち

こういうのは入試で落とせよ...かかりっきりになって他の学生まで手が回らないんじゃ

ガチコミュ障

いわゆる「場面緘黙

指名しても発言できない

就職面接とか無理だろ

学習障害

句読点が書けない

九九ができない

でも高校卒業してる不思議

メンヘラ

いろいろな事に中途半端に口出しする「アタシがやらないと!」

でも中途半端からなにもできないので「みんなが協力してくれない!」

なにかあったら泣き出す

2019-03-23

教師教育で会食恐怖症になる生徒がいるのをご存知ですか?

私は保育園の時に給食を残さず食べるよう教育されたため会食恐怖症になりました

私の通っていた保育園は厳しい教育なせいもあり、給食も残さず食べるように指導されていました

私はもともと食べるのが遅かったせいもあり時間内には食べ終わりませんでした

しか保育士指導は食べ終わるまで食べないといけませんでした

給食の終わりに歌を歌っていたんですが、私だけ歌は歌えずその時間食べていました

それがずっと続いたため私は幼いながらも苦痛を感じ三ヶ月で辞めました

ですが小学生に入るとそれはなくなりませんでした

小学生四年の時教師が変わってから給食を完食させるまで休み時間には入りませんでした

またその指導が始まりました

小学生に入ってからちゃんと食べるようになったのですがそれでも食べ終わる時間は皆より遅かったです

その積み重ねで私は会食恐怖症になりました

大人になってもそれは変わらず対面で会食をするのも苦痛です

食事中は緘黙になってしまます。喋れないんです

私は会食恐怖症の症状から言うと軽い方だと思います

ですが重い人は食事中食べれなくなったり吐き気を催すこともあります

緊張で食べる動作がぎこちなくなったりもしま

私も一時期食べれなくなった時期がありましたが飲み物しか飲めませんでした

飲むのも緊張してしまうくらい怖いんです

人目が気になって食べる所じゃなくなります

教師指導でこういう病気になってしまう人がいるって事を少しでも教師の方の目に留まってくれたら幸いです

2019-02-09

anond:20190208134100

体罰否定派の想定している「体罰使用されるシチュエーション」っていうのは

子どもに100点を取ってこいと言ったのに98点しか取れなかったので、ビクビクおどおどして謝る子ども骨折するまでボコボコに殴り次回は必ず100点を取るように命令する

みたいな感じだけど

体罰肯定派の想定している「体罰使用されるシチュエーション」は

スーパーで両手をめちゃくちゃに振り回しながら超音波のような奇声を発しつつ爆走して商品棚に突っ込んで積まれ商品を崩落させたのに知らん顔で立ち去ろうとする子どもを捕まえて頭を平手打ちして叱る

くらいの差があると思う


はてなー高等遊民多そうだから信じられないかもしれないけど子どもなんておとなしくて聡い子の方が少数でほとんどがワガママバカな獣だよ

緘黙より多動、いじめられっ子よりいじめっ子メンタル読書はつまらないけどドッジボールは大好き、他人への思いやりより堂々と自分を優先する、そっちの方が普通

仕事や家庭で不特定多数の子どもに関わる人なら分かると思う

体罰絶対絶対に反対!話せば必ず分かってくれる!とか言ってるはてなー地方公立小学校かに放り込まれたらすぐ発狂して体罰肯定派になるよ

2017-12-28

緘黙

根性緘黙が治ると考える教員を見たことがある。

無理にやらせると、不安回路が強化されて重症になってしまうと思う。

或いは、不安かどうかもわからいくらいに恐怖に暴露させて、感情麻痺させることで発話を促すという手法もありうるかもしれない。

しかし、それは非人道的であると思われる。

緘黙児は無理に話させようとすると壊れる。

2017-10-04

anond:20171004171215

まあそれはあるかな

というか主観的にと客観的にもそれは事実だろうしな

ただ、そういった自意識とは関係なく生来本質として人と関わるのがストレス

子供の頃は親戚の家に行くと緘黙といってダマリ込む状態になるほど

学校でも先生に当てられるとその状態になった

から自意識問題というより性格人格、神経、精神由来のものだわ

2017-08-30

https://anond.hatelabo.jp/20170829212838

便乗。

・袋詰めが雑なコンビニ店員。

入れ方が投げやり。袋に放り込むように入れるなって。

・M袋にパンパン商品を詰め込むコンビニ店員。

L使えばゆとりを持って入れられるだろ?

ムキになるなよ。

・いらっしゃいませ、ありがとうござましたの挨拶がないコンビニ店員。

場面緘黙ですか?軽く殺意を覚える。メンチを切ってしまうことも。

レジに長蛇の列ができているのに呑気に前陳してるもうひとりのコンビニ店員。

優先順位を考えろ。

制服がめちゃくちゃ汚れてるコンビニ店員。

汚えよ。不衛生だろ。

レシートの渡し方が乱暴コンビニ店員。

え、何その渡し方。怒ってんの?

Loppiの紙切れに対応できないコンビニ店員。

Loppi側じゃなくてカウンター内にあるプリンターが紙切れしてるって画面に書いてあるの読めねえのか。

・品出しに夢中になるあまり通路を通る客を邪魔者扱いするコンビニ店員。

本末転倒とはこのこと。

レジに客が来ると舌打ちするコンビニ店員。

深夜帯に多い。本部通報するぞ。

・客がいる場所から床の拭き掃除を始めるコンビニ店員。

広い店内で、なぜ客が商品を見ている場所から掃除を始めようと思ったのか。

2017-03-19

場面緘黙からくる恐怖心なのか。

ちょっと屁理屈を並び立てる人が苦手。

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