はてなキーワード: 紅白とは
流石に一般人の平均よりは上手いと思うけど、歌手としての平均で考えるとそこより下の人がめっちゃ出てる気がする。
路上で電子ピアノやギター片手にお捻りを乞食しているワナビーの方がよっぽど上手いレベルの人が大勢出てた。
いわゆるアイドル枠なんだろうな。
でもアイドルが多すぎると思う。
アイドルって物語を知っているから応援できるものだと思うけど、新規のアイドルなんて物語知らないからどうでもいいんだよね。
アメコミヒーローの映画見に行ったら他作品からのゲストキャラですってここ2年ぐらいで連載が始まった作品のキャラが次々出てきても大部分の人は困っちゃうような感じかな。
アイドルの枠狭めたほうが良くない。
最新のアニメのOPですと言われてもファン以外は追ってないでしょ。
そもそも何の曲かよくわかんないし。
たとえばこれが戦隊ヒーローで〇〇ジャー!○○ジャー!皆大好き〇〇ジャー!みたいに連呼してたらそういう歌なのね~~って分かるけど違うじゃん。
そういうのに気を使えないならもう紅白は要らないでしょ。
歌が下手っていうかレッスンされてないから声出てないし緊張で音外す(いつも被せか音源で100%肉声じゃないから)し、運営が悪いんだよな。
素人の中だとカラオケでそこそこ〜結構うまいじゃん?のレベルから成長させてもらえないから。紅白出るレベルのアイドルなら忙しくて個人レッスン入れる暇ないだろうし
声優ユニットというものに多くを期待しすぎじゃないのか? 比較対象に出ているようなラブライブ等のコンテンツ主導型のものとは盛り上げ方や続け方が根本的に違うだろう。
そもそも、声優が「中の人」としてじゃなく「生身の人間」として芸能活動していくものは何と言うか、どうしても出た所がピークで、細々と狭く小さいコミュニティになっていかざるを得ないんだよ。
俺自身は90年代半ばからゼロ年代初頭まで、ユニットではないが声優の飯塚雅弓さんを推していた(推すなんて言葉は当時なかったが)。ポケモンのカスミ役などでそのユニークな声質に魅了されたからだ。
中部圏から微弱な電波を捉えて文化放送などのラジオを聞いていたし、CDアルバムやシングルも5作分くらいは追っていた、ライブにも行ったりしたが、そもそも声優というものには旬がある。
大御所と呼ばれるような人になれば例外だが、普通はいずれ本職(と我々が思っていたはず)のアニメ声優のお仕事ではほとんど見られなくなって、それ以外の多様な活動でお見かけするようになる、そういう存在だ。
これは今も昔も変わらず、声優は声優だけで食い続けることが出来ないからこそ、個人やユニット活動を通して可能性を探りつつ、ファン(というか太客)の動線が途切れることがないよう維持するものなんだよ。
太客は周りがどう移り変わっても家族のように常連でい続けてくれるものだし、そうでない大半のファンは自身の生活の移り変わりを経るうちに自然と離れていくものだ。
最近は音楽主体の芸能活動をするにしてもアイドル的に売り出す人や、そもそも声優ではないがアニメ系アーティストとして名前を売る人などが出てきて、「アニメ系人材の出口戦略」も多様化しているが、本質的には変わらない。パトロンシステムのようなものだ。
とにかく「生身の人間」を追うからには、そういった小さく狭い路地に入り込んでいくことは避けられないわけで、そういうディープな路地に潜っていくことに楽しさを感じる人のためのものだ。
ハイウェイを疾走する周りの旬なコンテンツと見比べてキョロキョロしていたらどうしたって見劣りするし、本来比べるものでもない。付き合っていく胆力が相応に求められる部類の趣味だろう。
一方で俺自身も10年代半ばには、旬モノにハマったりもした。音ゲー好き繋がりでリリース初期のスクフェスに触れたことで、ラブライブ(μ's)にどっぷり浸かっていた時期もある。
ライブも行ったし、ファイナルライブもライブビューイングだが目の当たりにした。そこで分かったことがある。
ラブライブという作品は、「区切りをつける」ことをコンテンツ展開の一環として非常に意識していた。こういうことは作品主導型だからこそ出来るアプローチだろう。
アニメ側のキャラ達が作中で人気絶頂になっていくのと連動して、リアル側の同名ユニットもSSAに東京ドームとハコをどんどん広げ紅白にも出て、という奇跡的なリンクを起こした。
そしてアニメ側のキャラたちが作中でグループを「終わりにする」と宣言したのと同じように、リアル側も人気絶頂のうちに解散ライブをした。
アニメ作品自体は登場人物とキャストを変えてシリーズ化していき、μ'sは名実ともにレジェンド扱いになっている。
アイドルとしては一種の理想的形態である一方、商業的にはもったいない、後続シリーズに乗り換える気持ちがついていかない、というファンの声も当然あった。
ここで「アイドル」というものが如何に難儀かが浮き上がってくるだろう。アイドルである以上、成り上がって華々しい何かを残していく骨太さを求められる。
一方で従来の声優アーティストのような在り方には、個人の才能をどうにか花開かせて行き先を探していく、芸術家的な長い道のりがあるわけだ。
声優アイドルユニットというものは、この2つのベクトルの違う生き方を同時に求められるアクロバティックな立ち位置で、競争の中で誕生してしまった茨の道だと思う。
作品と結びついているのならば、例えばミルキィホームズのように、コンテンツの寿命に伴ってリアルグループも解散することができる。
ラブライブのように、シリーズ化という形で太く短い生命を打ち上げ花火のように散らしていくこともできる。
けれど「本人」として活動しているものはそのへんの扱いが難しい。その背後にあるものが作品のような一過性のコンテンツではなく、一人の人間の人生だから。
付き合う人間側が、本質的にはアイドルオタクで好きになったのがたまたま声優さんだったのか、
本質的にはアニメ・ゲームオタクで、作品性にあてられてあくまで演者としての声優さんを好きになったのか。
後者だった場合、声優さんがもはや声優ではなくなっても追うことができるのか、できないけど熱がある時期だけ追っていたいのかに自覚的になるべきだろう。
俺はやはり後者でアニメ・ゲーム体験への感動が主軸にある人間だから、個人に対しては敬意や愛着こそあれどあまり深入りすることはなくなった。
でも最近は、ましゅまいれっしゅ!のようにアニメの外側でもキャラの形で楽しませてくれるコンテンツがあったり、
それこそVtuberのようにキャラのガワで個性をエンタメ化してくれるモノがあったりして、個人とキャラの境界が曖昧になっているのは感じる。
いい時代であるとも言えるし、受け手の精神力が試される場面が増えているとも言える。
どんな形であれ、多様な道が存在するようになったのは基本的に良いことだろう。
いち消費者である俺に、その道の先にあるものの是非などを語る資格はないが、今の所は楽しみ方を見いだせているので、楽観視している。
原神の推しキャラであるあの子の声優さんが、演技が違うもののよーく聞くとDMMのあのウン十億かけたブラゲーで主役のあの子を演じていたことに今更気づいたり。
キャラの性格的にはそこまでツボではないけどなんか好きだなーと感じていた原因はこれかっていうね。
そしてまた別の流行ってないがめちゃくちゃ可愛らしいDMMのご飯系ブラゲにも出演されていて、絵師がおう氏のキュートな立ち絵で、振り回され系の可愛らしいボイスでどストライクな演技をされていることを発見したり。
名義が違うのであんまり大きな声で言えないが、界隈を掘っているとアイマス系などで耳に馴染んだ方々の声もちょくちょく聞こえてきて楽しい。誰かがDMM沼に引きずり込んでるのか?
また逆に、表では活動されてないっぽいんだが若手っぽいこっち系の有望な声優さんも僅かながら発掘できたり、同人音声で有名だった人がゲーム畑に降りてきてたり。
はたまた売れっ子声優さんがDLsiteで続々とアダルトではないASMRを発表してたりと、アニメ・ゲーム軸の声オタ(≠声優オタ)な自分からすると最近は楽しいことばかりだ。
正確には、2021年の最後の数秒で吐いて、そのまま年越しをし、2022年の最初数分は一人粗相を拭き取る作業をした。
これまで生きてきた二十数年中で一番最悪な年越しだった。本当に反省をせねばならない。
原因は、紅白を観ながら酒をあおりつつ、紅白後から年越し瞬間までの時間帯で急いで風呂に入ろうと焦ってアツアツの湯に浸かったことだ。上がって水分を拭き取る途中、だんだんと頭がボーッとしてきた瞬間に急激に視界が白ばみながら暗くなり、吐き気を催す。じきに立っていられなくなり、しゃがみこむ。この辺りで聴覚が狭まり一つの音しか聞こえなくなる。東急ジルベスターコンサートのベートーヴェンの『エグモント』序曲が微かに聴こえた。ここまで来て吐くと、不思議と一気に視界が鮮やかに晴れていくのだ。
私はこれを知っている。5年前に、甲府駅のワイナリーで試飲をした後、周辺の温泉施設でサウナに入った時。また、4年前に、山の上の旅館に行く過程で車酔いをし、旅館到着後すぐ温泉に入った時。これらの反省をまったく生かせていない。
Twitterで『吐いた』で検索し、Twitter上にも数人新年早々吐いている人を確認し、非常に安堵した。
2020-2021間で嘔吐し絶望に浸る人間は、日本に、地球に、何人いただろう。その人たちと嘔吐の原因を共有し、二度とこのような年越しをしないよう事例を収集したく思う。
私の今後の人生において、今回以上に最悪な年越しを経験するまで、ベートーヴェンの『エグモント』序曲を聴くと最悪な2021-2022を思い出すでしょう。
紅白が老人向けやろ
鬼滅の刃は直近のブームにアニメだし、まごうことなき若者向けだったと思うけど、ドラクエとエヴァって若者向けなのかなあ。
ドラクエって俺が物心ついたときにすでにあるし、エヴァも小学生のころ。その俺がもうオッサンを自覚しだして久しい35歳なんだから、直撃世代は40前後だろう。
アニメやゲームは全て若者世代のモノという偏見なのか、この辺の世代は何歳になっても若者のつもりでいるのか、どっちなんだろうね。
いや1/1に就寝して最初に見る(正確には見てから起きてもおぼえている)夢のことだぞ、だから、紅白おわって、ゆく年くる年まで視てから就寝したヤツらは、その後のが初夢だぞ!
昨年の紅白2021、サプライズ枠で追加出場が発表された藤井風がまさにサプライズで紅白の話題をかっさらっていった。
紅白のサプライズ追加出場といえば、2019年は米津玄師、2020年はYOASOBIだった。
今年のYOASOBIは藤井風の直後に歌唱し、NHKは「ネット動画でバズった枠」として並べていたが、全然同じ枠ではないよな
YOASOBIも今では生バンドの演奏に生歌唱で表に出ているけどイメージとしては
YOASOBIはボカロ、アニメ、ニコニコ動画、歌い手の枠、藤井風は生演奏、顔出し生コミュニケーション、YouTube、歌手の枠
米津玄師もYOASOBIと同じ枠に入る
今年、32歳腐女子になったので何か書いてみたくて独りで紅白を見ながらこれを書いている。
そんな土地で私は生まれ、進学・就職し、今もこの街に住んでいる。
就職し実家を出た頃から、同人イベントにサークル参加し本を作るようになった。
初めて行ったイベントで、同じ作品やCPが好きな人たちと実際に会って喋ることができて、本当に感動した。楽しかった。
学生時代、それなりに部活をしたり、サークルに入ってみたり、人と関わるように頑張ってきたが、いつでも楽しくなかったのだ。オタクであることは隠していたので、とにかく話題に困った。
田舎だからだろうか。「漫画は読むよ、ナルト読んだことあるし」「アニメは見るよ、ワンピース面白いよね」という程度の人は周りにいたが、イラストや漫画を描く、二次創作を読む、まして書くようなひとは皆無だった。オタクの友達が、もっと言うなら腐女子の友達が心から欲しかった。
そんな人生を送ってきたので、初めて参加した同人イベントのアフターは心底楽しかった。初めて飲み会で「まだ帰りたくないな」と思った。
(つまり、それまではどんな飲み会でも、いつでも「早く帰りたい」と思っていた。友人だけの集まりでも、だ。みんな私を仲間に入れて誘ってくれる、紛れもないいい人たちなのだが、いかんせん私とは好きなものや興味のあるものが違ったのだ)
本を出すのも勿論楽しかったのだが、何よりアフターが楽しかった。地方住みながら年に5~6回は参加して毎回新刊を出していた。一回のイベントで、ペーパーとは別に複数冊出すこともよくあった。
イベント前日に上京してフォロワーさんたちと遊び、イベント当日ももちろんアフター。次に参加するイベントや、出す本のネタのことを話して、スケブを描きあったりして、終電まで遊んで、夜はホテルで厳選戦利品を読みながらお疲れ様ツイート。楽しかった。本当に。心から。
東京は地元に無いものが沢山ある。街はギラギラキラキラしている。そんなところで、美味しいものを食べて、好きなものの話を、同じものが好きな人たちと語り合う。たまらなく楽しかった。
幸いなことに、発刊した本はそれなりに手にとってもらえたので、本の印刷代と交通費はギリギリ賄えていた(宿代やイベント参加費などの雑費がはみ出るくらい)。なので趣味として、金銭面では無理なく続けられた。続けられてしまった。
収入が無くなっては困るので勿論仕事は変わらず続けたが、それ以外。
例えば職場の飲み会、イベント、地元の友人からの誘い、親戚付き合い、そういうものは可能な限り避けて、原稿をするか、アニメを見るか、フォロワーさんとスカイプで萌え語りするようになった。だってリアルは同人イベントよりつまらなかったから。
あの頃の感覚として、私のリアル、つまり同人イベントに参加していない日常の時間は「同人イベントまでやり過ごすだけの時間」になっていた。
イベントから帰る飛行機の中で、次のイベントは8月か、はやく8月にならないかなあ、と考えている。
同人イベントがメインパートで、地元での日常は一刻も早く過ぎてほしい繋ぎパート。そういう感覚。
職場ではすっかり付き合いの悪い人間となり、歓送迎会とかの大きな飲み会以外ははじめから誘われなくなった。
地元の友人ともみるみる疎遠になっていった。ちょうどメールからラインへの過渡期だったのだが、私はそんなこんなでグループラインはおろか、ラインの連絡先交換もあまりしていなかった。
私が知らないうちに友人たちはどんどん結婚したり出産したりしていた。私以外はちゃんとお祝いしてたらしい。ごめんなさい。
わくわくしていたし、充実していた。
差し入れでいただいた東京のお洒落なお茶を飲みながら原稿したりアニメ見たりするのが至福の時間だった。
喪女ゆえ結婚は縁が無さそうだけど、仕事はあるし家もあるし同人友達がたくさんいて毎日楽しい。私はこういう生き方でいいんだ、と思っていた。
そしてコロナ媧がやってきた。
感染者数が落ち着いた時期に開催されても、アフターなんてする雰囲気じゃないし、勿論するべきでもない。
何より上京してコロナを持ち帰ったらと思うと、とても参加はできなかった。
別に二次創作はイベントが無くたってできる。家にいればアニメも見られるし漫画も読める。
でも、人と会うことは無くなった。
素直に寂しい。
いつもクリスマスに開催されるオンリーイベントに参加して、アフターでみんなとケーキ食べていたけど、今年は家でコンビニのケーキを食べた。
一方で、アフターしていたみんなは、コロナ媧でも誰かしらとは会ったり話したりご飯を食べたりしているようだった。
つまりリアルの(同人と関係ない)ごく身近な友達とか、家族とか、配偶者とか、職場の繋がりとか、そういうものである。
みんなは同人以外にも繋がりを持って、居場所を持って、日常というリアルパートも真面目にこなしてきたのだ。おそらく。
私にはそれがない。
私は孤独だ。
同人イベントが無くなれば、私は誰とも会うことはないのだ。共にご飯を食べるひとは誰もいない。
今年、ちょっと病気が見つかって入院・手術したのだが、仮にコロナ媧でなかったとしても、私の見舞いに来るひとはいなかっただろう。入退院時に付き添ってくれたのは、唯一残った「リアル」の繋がり、両親だった。
仕事の細かい悩みとか、最近気になり出した老後の不安とかも同人友達にはなかなか話せない。
そういうことなのだ。
よく仕事以外にも、趣味などの居場所を作りましょう、と言う話を聞く。
私はそういう話を聞くたび、「私には全く関係ないな、仕事以外無いひとはかわいそうだな」とか思っていた。趣味が充実していたから。
むしろ同人なんていうのは、よく考えれば仕事より脆い繋がりだ。ジャンル移動とか、急な解釈違いや冷め、地雷とか、諸々あるのだから。
もちろんきっかけは同人で、そこから生涯の親友になるケースもあるんだろうけど、それはよくある話、というわけじゃない気がする。
最近はコロナの感染者数も減ってきて、同人イベントも活気を取り戻しつつある。冬コミもめでたく開催された。私も来年は参加したいな、と思っている。アフターが難しくてもイベント参加はしたい。推しCPが、絵を描くのが、二次創作が、本を作るのが好きなのは本当だから。
でも、(縁起でもないが)また別の疫病が流行るとか、災害とか、世界には何があるかわからない。
そもそも私が同人を、アニメを、漫画を、ずっと変わらず楽しめる保証もない。
同人以外を捨てる生き方はやめたほうがよさそうだな、と私は思った。
だから来年は(書いているうちに、もう今年になってしまったが)リアルの日常も、もう少し真面目にこなしてみようと思う。大事にしようと思う。
少なくとも、結婚おめでとうと言えてない地元の友達にはラインを送ろう。年賀状ラインを兼ねて。お詫びも添えて。許されるならお祝いもしたいけど、今さらって感じかな。ラインギフトとかなら相手も気軽に受け取れるのかな。
職場では人数分散して新年会すると言ってたから、それも誘ってもらえたなら参加してみよう。今さら参加してきたらみんな引くかな。少なくとも手術入院のとき休暇とか色々便宜をはかってくれた上司、私がいない分フォローしてくれたみんなには丁寧にお礼を言おう。
という、これまでの振り返りと今年の抱負であった。
おわり
今年最後の人言うこともあり、
今日はさー
献血前の油物は厳禁なのよね。
看護師さんにすぐ油物食べたでしょ?ってバレるのよ。
明けて豚カツ食べ納めのトン活でも意気込みたいところだけど、
できる限りのなになに納めをしていきたいと思うわ。
チェックしたしめぼしい番組を2つ見ればいいのよね。
無論紅白とかはみないんだけど、
あとそうそう、
なんだか知らない曲ばかりで
へーと思う反面、
新語流行語大賞のように私の知らないところではやっているんだなーって。
ゲスト登場している人たちの歌い手さんたちの感想が薄っぺらくて
その薄っぺらさをいかに薄っぺらいかって論じるとまた面白そうだと思ったし、
スゴいですね!感動しました!大好きです!って
もう歌い手さんをあまり知らない人が審査員としてゲスト出演した人の
実際にやっていたけど、
後半半分もその感想のボケの3つをいかにこすり倒して逃れているかって様が見え透いちゃって
思わず笑っちゃいそうだったわ。
おかげでサウナが捗りまくって、
今日はトコトンサウナをトントコトンとたっぷり3時間コースで行こう!って思ったけど
案の定、
その薄っぺらい審査委員というかゲスト出場者の歌い手さんへの中身のない感想を見て楽しめたわ。
そう言う人も選ばれると大変よね!って思ったわ。
あれは、
挙げ句の果てに
水が甘い!って言っちゃうほど
なんかもうボケ倒されてるというか、
確かに水が甘い!って感じがあって分かるけど、
水が甘い!って
スピードワゴンさんでも言わないレヴェルだと思うし。
そんななんやかんやで、
サウナぴっちぴちにキメたところがよかったわ。
やっぱり中途半端に1時間未満で仕上げようと思ったら無理よね。
これでもか!って言うぐらい堪能しないと。
おかげでお肌つるつるだわ。
発汗作用は持論だけど外から潤すより身体の中から潤した方が保湿力とかアップするような気がするのよね。
で反面
最近俗に言うととのったーって感じがどんな感じかなんか久しく味わえてないというか、
ととのうの合図かと思ったけどサウナマガジンによるとそれとは違うらしいのよね。
なんかととのう~ってどんな感じか
私は本当のととのう感を味わったことがまだないのかも知れないわ。
水風呂入ってクラクラ目が回るのはあれは整ってないんだと言うことが衝撃だったし
それが整う合図かとおもってたのよね。
私が入っていたサウナってなんだったのかしら?って
サウナ旅の道のりはまだまだ長いなーって思っちゃったワケなのよ。
まあそんな
薄っぺらい歌い手さんへの感想を苦労してひねり出すゲスト審査員というかそう言う人の感想を聞いていると
時間があっと言う間だったわよ。
なんとか時間を捻出して飛び込み前転で銭湯に入り納めしておきたいところね。
さすがに今日は事務所のビルには誰もいなくて守衛さんしかいなかったわ。
こういう時は
何事ももの凄く捗るような気がして調子がいいような気がするわ。
こう言うズババっと集中出来る毎日がずっとあったらいいのにーって思うのよね。
もう今年も残りわずかなので
温かくすごしたいと思うわ。
うふふ。
塩鯖焼いたわよ。
鯖焼くったってトースターでトースト焼くよりも簡単に焼けてしまうから
意外と何でも焼けちゃうのよね。
ちょっと熱めなのがホッとするわよ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
今年も1年ありがとうございます!