はてなキーワード: 生存権とは
無理だろ。
全力パンチしてるブクマカたちにとっては自分の持つ「神話」が絶対的正義であり生涯命をかけて守り続けないといけない価値観なんだから。
恋愛の否定=自分という人格すべての否定になってしまうんだから当然持てる力総てを賭してなるべく高い点数のパンチ力を出さないと精子に関わる。
「そういう見方もありますね」なんていう大人ぶったスタンスだとこの増田の放った盛大なオナラの臭いが自分の脳を浸食してくる恐れがあるからまずは否定から入る。
彼らは決して遊びでたたいてるんじゃなくてこのカメコという無視できない大きさの、恋愛に価値を見出さない外敵人格に対して
恋愛こそが全て・性欲こそが全て・愛こそが全て・幸せは全て人間同士の交流から生まれると信じて疑わない自己人格を守らなければいけない。
放置しておくにしてはあまりにもこのカメコの言ってることはワンサイドからの強烈なメッセージになってる。
抗体としてアレルギーのひとつでも出さないと即死するくらいの勢いだから叩かざるを得ない。
ヨハネスブルクの天使たちを読んだ。建築と紛争と落下するロボット。全編通して退廃的な寂寥感が味わえたのでなんだか寂しい読後感を得られた。
人間って何なんだろう。誰しもがふと考えて、その時々で納得できる答えを見つける問を、再び抱かせるような作品だった。紛争が大きな共通項として紡がれているから、どうして人は争うのだろうとかも考えさせるんだけど、ある程度その答えが作中で描かれているから人間に対する哀れみにも似た感情を抱いてしまう。歴史は繰り返すって言うけれど、改めて無情な現実を突きつけられたような気がして呆然としちゃった。
また表題作でもあるヨハネスブルクの天使たちにおいて、起動しただけのDX9に意思と呼んでいいのかわからない思考回路が生まれていることが引っかかった。この一遍以外純粋なDX9の思考は明確に表現されていないんだけど、人格を上書きされた個体とか、プログラムを上書きされた個体が果たしてどうなったのか、思考が存在していたのかとか彼女たちに対する生存権みたいなものを考えると、ますます人間のどうしようもなさが強調されているように感じた。
建築とか紛争については解説でも触れられていたから脇においておくけれど、度々記述されていた言語に対する思想も興味深かった。言語に関する項目は紛争にも関わる事柄ではあるんだけど、もしバベルの塔が倒壊していなかったらもう少し現状とは違う現在も存在し得たんだろうと思う。
最後の一遍だけ紛争地から離れた日本を舞台にしてたから(二編目もアメリカが舞台だけど9・11を題材にしていたから毛色が似通っていた)雰囲気が他と少し違ってたけど、この作品には最後に希望が見える気がした。あんなの希望じゃなくて暇を持て余した挙句に見つけたささやかな娯楽の延長でしかないのかもしれないけど、あの光景を想像すると人間の善性を信じてみたくなる。もちろんそんなのはまやかしかもしれなくて、事態を一方からしか見ていない独善的な捉え方ではあるんだけど、やっぱり生きていくのだから先は少しでも明るいほうがいいと思う。
なんかよくわかんない感想になってしまった。個人的には前作のほうがバラエティーに富んでいたし、しんみりする話ばかりじゃなかったから好みに合っていた。静な気持ちにさせてくれる一冊だったと思う。
外界は賑々しく夜には日本一セックスの多い性の6時間もある。世間はこの冬において華やいでおり、肌を重ねる愉悦に興じる。
その中にあって私は明らかに上の上な顔立ちながらも就活に失敗し、志望動機もない小売店のクリスマス商戦で疲弊しており、出会いなきまま彼氏なしイコール年齢という残酷な現実の前に打ちひしがれる。学生時代はもっと積極的にアピールすればよかった。好きな人の第二ボタンはズッ友に奪われ、なら第一ボタンをと思えば袖のボタンまで全部毟られており、あとは童貞しか奪うものがない始末だったので諦めるしかなかった。なぜ諦めてしまったのだろうか。聞けば男というものは乳首触ればペニスが勃起し、ペニスをこすれば射精する初心者でも無理なくできるアットホームな職場にもよくある単純な機械だという。なぜ、なぜ諦めてしまったのだろうか。まんこにちんこを入れるだけの簡単な仕事のはずなのに。
こうして部屋で音楽を聞きながら増田で書いてると、「もう私はダメなんだな」「売れ残りババアに生存権はあっても生きる資格はないよな」というくろーいものが脳みそを支配していく。
うるさいオバちゃんも昔は若くて男数人とセックスして子供をもうけて亭主をバカにする程度のことができた。今の私はそれ以下だ。取った資格が役立たず腐るように、女として生まれ持った特徴が役立たず劣化する。中身をごっそり摘出して人工的に役立てられないんだろうか。そういうSFは、もうリアルになってもいいじゃないか。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150529-00003176-bengocom-soci
国はそう言っているんですよ。
国は補助しませんが、自分の資産、家族の協力でなんとか生きながらえてくださいね、って言ってるんでしょ。
そうするしかないんですよ。もう。
しっかし、弁護士ってほんとに金になりそうなものだったらなんでもするのな。
ええーっ、そんなにたくさんの人が怒ってるのか?って思ったんだけど、
本文に「全国13都府県の年金受給者約1500人」ってあって、ほんの少しかいないじゃないですかー
年金受給者3500万人以上いるんですけどー。0.005%ぐらいじゃーん。
年金減額が生存権に抵触するって?????どういうロジックなんだ?
http://elielierika.hatenablog.jp/entry/2015/01/06/023000
社会的に罪を償った人間の社会復帰を妨げるようなこのような意見は、犯罪歴という「スティグマ」に対する差別にほかならない。
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%B9%A5%C6%A5%A3%A5%B0%A5%DE
社会復帰してはならないというのならば、暴力団などの犯罪組織の中で暮らせということなのだろうか?
不安だからという理由で社会から排除するということならば、ナチスによるゲットーとなんら変わりはないのではないのか?
社会学者のハワード・S. ベッカーはOutsidersという著書において「逸脱者」を生み出す社会構造について論じ、
「逸脱者」とは「逸脱者」の行為によってではなく社会(マジョリティ)からのラベリングによって「逸脱者」になるとしている。
つまり上のブログで行われているようなラベリングが社会からアウトサイダーを生み出し、かつて社会秩序に組み込まれない非差別集団としての穢多非人を生み出した行為である。
Suicaの事例NC特集 - 「Suica履歴販売」は何を誤ったのか:ITproやJRの顔識別実験顔認識を使って人物を追跡する実験、大阪駅の駅ビルで4月よりスタート | スラッシュドット・ジャパン YROへの反応からも分かるように近年行動履歴界隈が大変騒がしくまた盛況な様子です。
そして出てきた Yahoo! 別所氏の発言がなかなかかぐわしい香りを放っており各所から鬨の声が上がっております。(やまもといちろうのマネ)
http://www.huffingtonpost.jp/2014/01/21/bigdata-yahoo_n_4635623.html
http://www3.nhk.or.jp/news/business_tokushu/2014_0219.html
『企業は利用者のことを、いちばん真剣に考えている主体です。』
に至ってはナニ寝言抜かしてんねん意外に言うことはないわけですが。
という発言から分かる通り、利活用を求める人々はデータ収集に反対する人々の『気持ち悪い』という感情をあたかも身勝手で不当なものであるかのようにとらえているようです。
んで学部生レベルの半可通な状態だけれども、誰も言わないからこの辺に書いておく
なぜ”気持ち悪い”か
率直に言えば、他人に自分の情報を与えることは、ほとんどの場合不利益にしかならないから。
まず個人対個人の場合
PASMO のデータを用いて社員がストーカー行為を働いていた例がある
http://matome.naver.jp/odai/2133463494276014401
法律や職務規定でくぎを刺しておくべきものなのだが、データを渡さなければ職務規定が本当に機能しているかどうかを気にする必要もないわけで、データを渡すことは”見込みの不利益”を増大させることでしかない。
ここからはもう想像するしかないのだけれども(企業も情報出すの嫌いだよね)、Amazon は在庫数や閲覧数でもって値段を調節していると言われている。
http://trendy.nikkeibp.co.jp/article/pickup/20130307/1047958/
ここで”Web 閲覧履歴、購買履歴、アクセス履歴から、ある人がある商品をとても欲しがっていることを判定し、その人がアクセスした場合、100円高く値段を表示する”ことは可能か不可能か。
ポイントカードの情報を用いて、この地域では雨の日に XX を買う人は少々高くても XX を購入する。雨が降ったら XX の価格を上げよう。という戦略は可能か。
ビッグデータに未来を感じている人ほど可能と考えるはずだし、実際可能な筈で既にやられているかもしれない。
そして今、通常価格より高く商品を買った人がいたとして、このシステムは利益だろうか不利益だろうか。
(こういうことを言うと必ず「自分が100円多く払うことでお気に入りの通販サイトや店が維持できるのだから利益になると思います^^」と言う天邪鬼がいるけれども言ってて空しくなんないのか。そんなに利他的な聖人様は稼いだ金は生活に必要な分だけ残して全部 Wikipedia かどっか好きなところに寄付したらいいと思うよ。)
以上のように自分の情報を与えることは本人にとって不利益にしかならない。
これは人間が人間となる以前からの真理であったので(体調が悪いという時にその情報を隠さないサルのボスと隠すサルのボス、どっちが地位を追われやすいか、と考えたら自明だよね)、遺伝子のレベルで刷り込まれてしまっている。
例えるならば、腐ったもの(自分にとって不利益となるもの)の臭いを不快に感じるのと同じことであり
”情報をとられて「気持ち悪い」なんて感情的な問題で嫌がるな”という主張は”ウンコを鼻先に突き付けられて「クサい」と言うな”という主張と同質なわけだ。
ところで法的には”理不尽であったとしても認められるべきこと”がある。
例えば生活保護。ここで侵されるのは社会全体のリソースで、対するのは生活保護受給者の生存権になる。生存権は日本国でも最も重要な権利の一つとされており、守ることが人類や国家全体の利益になると考えられている。だから生活保護は維持される。
さて”企業が個人の行動履歴をとり利用すること”が侵すものは何だろうか。
平穏に生活する権利、通信の自由、移動の自由といったところだろうか。
対するのは企業の”経済活動の自由”。近代国家では前者の方がおそらく優先されされるだろう。
言いたいことは以上なんだけども、履歴利活用推進派の人たちには”当然に気持ち悪い”、という認識でいろいろ語っていただけたらいいなと思う。
ソニー、電子書籍ストアを北米市場から撤退。ReaderユーザはKoboへ移行対応
http://japanese.engadget.com/2014/02/06/reader-kobo/
こないだもローソンの撤退があったし、Amazonがこの分野では一人勝ちしていくのだろうか。
電子書籍を購入した経験はないがスマホのアプリで無料のものだけは小説や漫画等には触れている。
書籍を電子化する事には確かに利点があって、いつでもどこでもスマホやタブレットさえあればいつでも読めるし、保管場所を取ることもない。
あるいは書籍が電子化という形態変更をする意義はなんなのだろうか?
例えば、物理書籍としての百科辞典は絶滅の危機に瀕しているし、辞典・辞書などもその運命にあるだろう。
その座を脅かし続けていた電子辞書といった製品群もスマホの勢いに抗しきれなくなっている。
それらは物理書籍の電子書籍化ではなく、情報検索・情報提供の形態自体がWeb・IT化してしまい、存在意義がなくなってしまったといっても過言ではない。
電子書籍化すらされず概念としての生存権すら奪われてしまった。
IT化は、単なる見かけの形態の変容ではなく、いわばパラダイムそのものを変えてしまったのである。
そのパラダイム変革の中で書籍文化が生き残りをかけた戦い方が電子化なのであろうか?
だが物理書籍に比して電子書籍が如何に利点があるとは言え、結局のところ旧態依然とした概念形態を守り続ける限り、防戦が精いっぱいで電子書籍が繁栄を許されることはあり得ないと思うのだが。
もちろん義務ははたさなきゃならないもので、権利は行使できるものなんだけど、必ずしも義務と権利が釣り合うとは限らない。
よく誤解されることなんだけど「権利には義務が伴う」っていうのは、義務を果さなければ権利を行使できないっていう意味じゃない。
例えば法律に「請求する権利がある」とあった場合に請求された方は「回答する義務がある」という意味。
「有休を請求する権利がある」に対応する義務は「有休を与える義務がある」ってこと。
法律の条文に権利しか書いてなかったとしても、対応する義務が書かれているものと見做すという法律上の理屈を言葉にしたものが「権利には義務が伴う」なんだ。
社会全体としては権利と義務の量は当然ながら等しくなるけど、ひとりの人間が果す義務が権利より多かったり少なかったりはする。
極端な話をすると、世の中に何ひとつ貢献できない無能者を殺していいかっていうとそんなことはないよね。 それが生存権。
何ひとつ貢献できない人に対してもなお与えなければならないものが人権というもので、労働基準法が定めるのは最低のクソ社員に対しても、本人が要らないと望んでもなお与えなければならない最低限の待遇なんだよ。
義務と権利が等価交換なのだとしたらわざわざ人権やら何やらを定める必要なんかない。
選挙に行かない人に、いくつか言いたいことがある。
まず、もちろん、投票は権利だ。個人がもてる権利を行使するかしないかは、公共の福祉に反しない限り、許容される。だから、選挙にいかないからと言って、罰金を取ったり、銃殺したりするのは、そりゃやり過ぎかな、とは思う。その上で、言っておきたいことが二つある。
一つ目。もし投票しない人が、政治について意思表明すること自体を拒んでいるのだとしたら、それは大きな勘違いだと言いたい。
「投票をしない」というのは、一つの意思表明であり、言わば「多数派に賛同はしないが意義も唱えない」という主張の一つの在り方だ。また、「投票率を下げ」て、日本社会の(そして、のちに統計化されることで、あなたの属する世代の)特徴を、世界に宣伝することに荷担することで、社会に参加している。投票しないことで、あなたは既に一つの意思表明をしている。そのことから逃れる方法はないのだ、ということ。そして、「多数派に意義を唱えない」という主張をしながら、選挙が終わった後で政治に文句を言うと、周囲から、その主張の一貫性のなさを責められても、それは仕方ないということ。
二つ目。投票しないことで、誰にも迷惑をかけてない、と思ってるとしたら、それは色々勘違いだ、ということ。
たとえば、孤島に10人の人間がいてサバイバルをしている、という状況を想像してみる。こういう状況でなら「投票しない」という行動がどういう意味をもつか、分かりやすいだろう?
あなたが、「誰かをリーダーにしたらいいと思うが、みんなどう思う?」と質問したら、2人が「Aがいいと思う」といい、あとの7人は黙っている。あなたは、「そうか、ぼくはBがいいと思うんだけど?」と言った。7人は何も言わない。結局Aがリーダーになった。でも、あとで7人に聞いたら「Bの方が、って気もするけど、まあどうでもいいかと思った」とか言う人間が2、3人いた。逆に「Aがいいと思ってた」という人は他にはぜんぜんいなかった。なんてことだ。
次に、Aが「リーダーとして、『X』という決断をしたいが、どう思う?」と聞いた。あなたは『Y』の方がいいと思ったのでそう言った。そこで1人がおそるおそる『Xもいいと思うけど』と言った。あとはみんな黙ってる。A「他に意見はない? じゃあ、多数決で『X』ってことで」
あなたは何と言うだろう?
「お前ら黙ってないで、考えてること言えよ!」
か?
そしたら、一人がぼそぼそと「いや、言うか言わないかは、勝手じゃん。つーか、そーやってモメること自体メンドくさいんでー」とか言うわけ。
いやー…。
どうよ? 自分らがやってるのって、それとどう違うの。
要するに、投票しない人間て「自分はものごとを決める責任から逃れた」気になって、きちんと意見表明する人間に判断委ねて、自分らは結局フリーライドしてるよね、と。だって、全体が危機になると分かるけど、そういう人間ばっかりになったら困るんじゃね?社会的に。だとしたら、意見言わない人は意見言う人にフリーライドしてるでしょ。
だから、みんなで作ってる社会で(民主主義社会ってそういうこったろ)、みんなとともに考え、意見を述べることができない人間は、少なくとも「ごめんね」ぐらい思ってた方がいいんじゃね?。「いや、権利だから…」ってうるさいわ。みんなが意見を言えなかった時代に、闘って、やっと「権利」として獲得したんだよ。勤労とか兵役とか納税と違って、そもそも「義務」って言わにゃ誰もやらねえよーな重いもんじゃねえだろ。人権とか、生存権とか、そうだろ?
「生存権は権利だから、ボクが自殺するのは自由です」とか「人権は権利だから奴隷になるのも自由」とか、まああんまおおっぴらにゃ言わねーだろ? SM風俗行って奴隷ゴッコするくらいは自由だし止めないけども、町中で女王様と奴隷ゴッコしてたら、そりゃ止めんよ。まして、ビルの上から身投げしようとしてりゃ、そりゃ止めるさ。公序良俗に違反してるし、何より子どもの教育に悪りぃからな。社会的に認められるもんじゃねえ。そんなとき、震え声で「権利だから、ほ、放棄すんのもじ自由じゃないですか…」とか言われたら、ほんとウンザリするわ。
そういう問題じゃねえのよ。
そもそもこいつの書き込みをみて思ったわけだけども。
http://anond.hatelabo.jp/20130727180325
ちょっと気になったんだが「バナナ」つーのは普通に差別語だと思うんだ。
http://bbs.jpcanada.com/log/16/6738.html
なのに、こいつ勘違いしてね?
それ「(西洋に)帰って来い」ならカムホームじゃね? これ、率直に「自分じゃ白人のつもりで、どこから見ても真っ黄色なアジアのバナナちゃん。ちゃんと自分のお家(日本)に帰んなさいw」って意味じゃね?