はてなキーワード: 民主制とは
「……しかしな、検査システムを構築できんという事は、これは政治の無能を示す事だ」
「わたくしに面と向かってよく仰る」
「ご覧を!」
「作戦などいい!」
「我が日本政府にとって、夏のオリンピックは最終防衛線です。それに対して新型ウイルスは、市中感染で生まれたクラスタから拡散する事が考えられます。ここで検査が始まれば医療は崩壊同然です。その前にイベントなどの全面強制で侵攻するウイルスを抑える。この政策は実質的な強制となるため、金も時間も掛からずに我が日本の……」
「そこまでして勝ってどうするのだ、総理」
「サインを頂ければ幸いです」
「やっておって今さら……」
「で、どうするつもりか?」
「せっかく減った老人です。これ以上増やさずに生産的な人種だけを残す。それ以外に世界で輝く日本は望めません。そしてその為には与党独裁による国家のコントロールしかありません」
「ああ、独裁者でな。世界を読みきれなかった男だ。貴公はそのヒットラーの尻尾だな」
「私が?」
「わしはジオンの国民を、急ぎまとめる方便としてオリンピックを押した。高度成長期の復活を実現する為にな。しかし……」
「小池とな」
「はい。絶対民主制は、野党ごとき軟弱を生んだだけです。それでは国民は共食いになります。今度のパンデミックのように。ま、勝って見せます。ヒットラーの尻尾の戦いぶり、ご覧ください」
「自分が目下食っていけるかどうか」にしか興味が無く、船底を食い荒らすネズミ連中を支持する行動は「愚か」だよ。
元増田が言ってるのは、結局「船底に穴を空けるネズミでも、大半の乗客にはそんなこと分からないか興味が無い」というだけのことであって、それは「大半の乗客が愚か」であることと何ら矛盾しない。元増田は要するに「国民がアホだから」「アホに分かるように誘導してやれ」ということをやんわり言い換えているだけであって、それはそれで悲惨な結果を引き起こしたってのが二十世紀の歴史にみる反省ポイントなんだよね。だから、「やさしい言い方」なんて無意味だ。アホにはアホというしかない。
だからハッキリ言うけど、その「アホに分かる誘導」、つまりこの先現れる「国民生活を上昇させる画期的な政策」とやらは、「自分たち」以外に対する搾取と簒奪でしかありえない。あとは、それをどんな綺麗な言葉で言い換えるかだけだ。俺はそんな「画期的な政策」には全く興味もないし期待もしない。中国市場の開拓? 外資に日本を売り飛ばす? もし、「米中の仲立ち・バランサー・調停役として画期的な働きをし、そこから生じる利益を流通ハブとして享受する」ようなことができるなら、百歩譲って可能性なくはない(そこに「今はまだ存在しない巨大な利益」が誕生するわけだから)。でも、アメリカの核の傘の下にある日本に、そんな立ち働きができるような政治力はない。交渉力もない。現実を見ろ、世の中うまい話なんてない。
もし期待感があるとすれば、それは政治ではなく、(1)イノベーティブな技術による一時的な経済ブースト、(2)イノベーティブな思想による社会構造の根源的改革、のいずれかだ。ただ、(1)は一時的だし更なる袋小路へと人類を導くだろう。たとえ人類が木星に到達したところで、いずれ「その状況を前提とした競争」が普通になるだけだ。たとえば、情報技術はイノベーティブな技術だったけどそれで仕事が楽になったか?ってことだ。
そして、(2)は「社会構造改革」を伴う以上、結局既得権益側の犠牲は避けられないだろうな。民主主義革命が貴族制を打ち倒したように、民主制を打ち倒す何かは民主制の「王」から何ものかを奪い去る。まあ、それもまた「搾取と簒奪」の一種に過ぎないと言えばそれはそうだよ。自分たちの社会の外に迷惑をかけ、50年後も100年後もぐちぐちそのことで文句言われ続けるような「政策」とやらよりは、社会内で済むだけ百倍マシになる。フランスでは220年前に民衆が、日本では70年前に進駐軍がこれをやった。
だから、問題は、そういう移行に伴う痛みを我々がどの程度の範囲、どの程度の深さに止めるか、ってことになる。政治に仕事があるとすれば、その、ホンのささやかな領域だよ。政治なんてシロモノに過剰に期待してはいけない。
日本は民主国家であり、中国は社会主義の看板を掛けた独裁国家なのだ。
一党独裁体制と言われるのだけど、強大な権限を持つ指導部がけん引していくことを前提に組織が出来上がっている。
共産党にとって、中国国内は全てシマウチであって、指示に従わない方が変だという姿勢なのだ。
対して、香港は100年近くもイギリスが支配していた。領有地特有のあれやこれやはありつつ、それでも少なくとも民主主義が建前だった。
民主制に於いて国民は、何より尊重されなければならず、一党独裁体制では尊重されるべきは体制の存続だ。
今、日本は『成功した社会主義』なんて陰口をたたかれつつも個人の財産権や自由は保障されている。デモだってハロウィンだって蘇民祭だってやっても殺されることはない。
同じ感覚で中国へ行き、反体制デモに参加すると結果は哀れなものになる。
その中間、民主主義が育ち、独裁に組み込まれた香港ではどうなるか。
はっきり言えば『香港は誰の物なのか?』という問いへの答えが出るまでデモは続くのかもしれない。
香港とそれが醸す民主主義で育った香港の青年たちは当然、それを構成する自分たちの物だと思っている。
あぁもうバカ…。「なんで罵倒されるのか分からない」って?お前が議論する価値も無い無知のバカだからだよ。
思想及び良心の自由は、表現の自由などの各種精神的自由権の前提となるものとして把握される。その内容が内心の自由であることから、他者の人権との抵触による権利の制約や、政策的目的による制約が極めて限定的にのみ許容される権利であり、最大限保障される権利である。なお、近年では、思想・良心の自由は思想・良心を形成する自由や外部に表明する自由も保障しているとする説も有力に主張されている。
また、思想及び良心の自由は、民主主義・民主制が機能するための最低限の自由としての側面も有する。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%9B%BD%E6%86%B2%E6%B3%95%E7%AC%AC19%E6%9D%A1
先週, Twitterを中心に大学院生の授業料免除について大きく話題になった. 話題の根拠となったのは文部科学省がHP上に公開している高等教育段階の教育費負担新制度に係る質問と回答(Q&A):文部科学省であり,
A67 大学院生は対象になりません。(大学院への進学は18歳人口の5.5%に留まっており、短期大学や2年制の専門学校を卒業した者では20歳以上で就労し、一定の稼得能力がある者がいることを踏まえれば、こうした者とのバランスを考える必要があること等の理由から、このような取扱いをしているものです。)
との記述が大きな反感を買ったようだ. 大学院生の授業料免除がなくなると捉え, 反発した人も多くいたようだが, 実際には授業料免除がなくなるわけではなさそうである.[1]
この話題に関してTwitterで見かけた投稿に違和感を感じたので, それについて述べたいと思う. 私が見かけた多くの意見は, 文科省に対する強い憤りを示したものであった. とくに, 引用箇所の「こうした者とのバランスを考える必要」というところに強い反発があったように思う. 日本の科学力に貢献している我々がなぜこのような不遇な状況に置かれなければならないのかといったように.
しかし, 本当に彼らは劣悪な待遇を受けているのだろうか. 学歴別の年収統計を見てみよう. 厚生労働省の公開しているには学歴別の賃金カーブが掲載されている. 大学院生と大学生は区別されておらず, 一緒のカーブに統合されてはいるが, 一番賃金カーブが高いのが大学・大学院卒である. 大学院卒の初任給について https://www.mhlw.go.jp/toukei/itiran/roudou/chingin/kouzou/17/01.html に掲載されているが大卒に比べてやや高い. また, 経験的ではあるが大学院に進学する学生は難関大学ほど多いことを加味すると, 大学院卒のほうが大学卒よりも昇給の度合いが高いのではないだろうか.
何が言いたいかと言うと, 大学院卒は(少なくとも大卒以上は)日本社会における勝ち組であり[2], 高卒と比べて一年あたり数百万程度の賃金格差が存在するのである. 国立大学なら修士2年で100万程度の, 私立大学でもおよそ300万の学費に文句を垂れる資格はあるのだろうか. 大学院生である間の懐が寂しいのであれば, 奨学金を借りて勝ち組になった後に返せばいいだけだろう. 就職に失敗した時の不安なら, 奨学金返済に関して勝ち組になれなかった場合のセーフティネットの拡充を求めるべきだろう. 大学や大学院には, 国家から様々な形態で資金が渡っている. 高卒者と比べてすでに多くの支援を受けているにもかかわらず, 大学院生に対するさらなる厚遇があって当然と言わんばかりの発言には不快感を感じた.
大学院生らのもう一つの主張は, 大学院生を冷遇すると日本の科学力を大きく損なうことになるというものだ. これが事実だとしても, この手の意見には少しばかりの違和感を感じる. 先の意見を強めに言い換えれば「日本政府は大学院生という国家にとって非常に価値のある人材に投資するべきであり, 高卒などの投資価値の薄い人材との公平性など考えなくて良い」となる. 彼ら彼女らの持つ強いエリート意識にあまりにも無批判でいることに嫌悪感を抱いた.
先にも述べたように, 体感として大学院生の多くはある程度の難関大学に在籍する者たちである. 東大生の親の年収の多数派は950万以上というデータ[3]があるように, 彼らはアッパーミドル以上の家庭で育っていることが多いだろう. 日本には非常に劣悪な環境で勤務する労働者が存在するということを認識していないのではないか. 周囲にいるのはそれなりにお上品な人ばかりだから, 他者感覚のない意見を平気で発言できてしまうのではないだろうか.
彼らの考えでもう一つ気に入らないものがある. 彼らはこの手の話題[4]になるたびに文科省や財務省を批判している. 日本政府を満足気に批判して終わっているが, 大学院生でもありながら事の本質に迫らずに終わっているのは悲しいものだ.
文科省や財務省も所詮は与党政治家の手先に過ぎない. そして与党政治家も所詮は国民の多数派や圧力団体の代弁者に過ぎない. 彼らの真の巨悪は日本が採用する民主主義だ.
民主主義はすべての国民が平等であることを前提に構成された制度である. どのような人間でも有権者でさえあれば等しく一票を投じる権利を有する. つまり多数派が正義だ.
彼らの考えに基づけば, 政府が投資する価値のある大学院生・研究者と投資する価値の少ない「その他」に分けられる. しかし, 大学院生や研究者は日本において圧倒的少数派である. 投資する価値の少ない多数派に多くの国家予算が注ぎ込まれ, 投資する価値が高くても所詮は少数派にすぎない彼らにはあまり投資されない. これが民主制の必然ではないか. とくに大学院生は将来の勝ち組である. いくら投資するのが合理的とは言え, 勝ち組に投資することを許容できるほど今の日本の民主主義は成熟していない.
それでも昔の日本はうまくやっていたのだろう. バブル崩壊前までは日本は精神的にも豊かであり, 国民は日々の生活に満足していたはずだ. 日々の生活に不満がなければ政治に関心を抱かないし, 裏で国家の資源が勝ち組に回っていたとしても許容できるくらいの度量があっただろう.
しかし今の日本は先行きが見えない. 少子高齢化問題により国家の財政は逼迫し, さらに高齢者や妊婦などの様々な国民が政府からの支援を求めている. 現代の日本の最大の課題は限りある国家予算をどう分配するかであり, どこかに予算を割り当てるには, 他の誰かの予算を削る必要がある. そして日本は民主主義国家なのだから支援を求める多数派から順に予算を分配することになる.
日本において大学院生は非常に少ない存在である. 後期高齢者1700万人[5], 身体障害者436万人, 知的障害者108万人, 精神障害者392万人[6], 生活保護受給者210万人[7], 母子家庭123万世帯[8]に対して大学院生は25万人[9]にすぎない. 一般的に考えられる支援が必要な社会的弱者より一桁人数が少ないのだ. 国民の多数派に媚を売ることしか考えていない政治家にとって, 大学院生など考える価値もない存在だろう.
今の日本に民主主義を見る限り, 限られた国家予算は彼らの思う投資価値の高い少数派にではなく, 投資価値の低い多数派に注ぎ込まれるだけだ. 彼らがなすべきことはTwitterで文科省や財務省の文句を垂れることではない. 国民は平等であるという欺瞞に満ちた民主主義を崩壊させる工作活動や, 日本の支配層たる愚かな多数派の日本国民から主権を奪い取る活動をこそ行うべきなのだ.
1 ttps://twitter.com/noi_springfield/status/1154657222816747520?s=21
2 人文系の大学院生やアカデミアに残った研究者などは違う境遇だろうが, 大学院生という大枠でみれば平均的には勝ち組である.
3 ttps://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2018/09/6950.php
4 欧米諸国に比べて研究者の待遇が悪いことや学費が年々上がり続けていることなど批判できる話題はいくつもある
5 ttps://www8.cao.go.jp/kourei/whitepaper/w-2017/html/gaiyou/s1_1.html
6 ttps://www8.cao.go.jp/shougai/whitepaper/h30hakusho/zenbun/siryo_02.html
7 ttps://www.mhlw.go.jp/file/05-Shingikai-12601000-Seisakutoukatsukan-Sanjikanshitsu_Shakaihoshoutantou/0000164401.pdf
8 ttps://www.mhlw.go.jp/file/04-Houdouhappyou-11923000-Kodomokateikyoku-Kateifukishika/0000188136.pdf
9 ttp://www.mext.go.jp/component/b_menu/shingi/giji/__icsFiles/afieldfile/2017/07/24/1386653_05.pdf
普段インターネットでふざけた話をしていた人間が急に政治を語りだすのは、辞書の「焼きが回る」の項の例文に載せてもいいくらい典型的な病だと思っているので匿名で書くことにした。
選挙権を与えられて初めての選挙のときもそうだったし、その前もそうだった。おそらく外山恒一と中田考のせいだと思う。
特に外山恒一の2007年東京都知事選の政見放送は今見ると改めてパフォーマンスとしても完成されていることがわかる。時間があれば是非見てほしい。
イチオシは超絶頭の良いコンピュータによる全世界一元管理だが、残念ながら今の所そのようなものは影も形もないので、消極的にではあるが選挙に基づく間接民主制を支持している。
消極的に、というのがポイントで、別に選挙に行くのが正しいとか義務だとか思っているわけでは決してない。
私が祈ろうと祈るまいと世界は何も変わらない。一票差で結果が変わる選挙などまずないからだ。
しかし私は祈ることを冷笑はしない。それは祈るという行為が(私のように)愚かで怠惰な人間が唯一可能な意思表示であり、一種の反射であるからだ。
多くの人の祈りが届けば天は翻意し、我々に何か恵みのようなものを与えるかもしれない。しかし私達の祈りが正しいものであったか、また天からの贈り物が本当に恵みであるかどうかなど事前にわかりはしない。
投票とは所詮そんな、とてつもなく大雑把でどうしようもなく頼りないものだ。
それでも多分、投票率は上がったほうが良いのではないかとうっすらと思う。
投票率が上がれば民意が正しく反映されるとか、若者向けの政策が増えて世の中が良くなるだとかは正直眉唾ものだと思っている。そもそも人間は愚かなので民意が正しく反映されたところで合理的な判断を正しく下せるとは思えない。
しかしまあノイズが増えて右往左往するほうが崖に向かって全力疾走ダイブするよりは幾分かマシだろう。
さて、選挙が近づいてきた。本当に嫌な季節だ。
顔出しアイコンがインテリ仕草で、あるいは匿名アイコンがさも庶民の意志を代弁するかのように、いずれにせよ厚顔無恥な態度で若者よ選挙へ行けと叫びだす。
選挙へ行かない人間は非国民だ、人非人だと偉そうに喚いている。
こんなにも頼りない投票という行為を、どうしてそんなに正義面して他人に押し付けられるのか私にはさっぱり理解できない。
選挙に行かない、または白票を投じる理由はたくさんあるだろう。
単に面倒臭くて投票しないのかもしれないし、どうせ自分の一票では何も変わらないのだから(これはほぼ確実に正しい)と考えてもっと有意義に時間を過ごしたいのかもしれない。納得できる政党や個人が存在しないのかもしれないし、あるいは棄権することで自分より賢い人間に選択を委託するほうが自分にとってプラスだと考えているのかもしれない。
結果的にそれが自分に不利益をもたらす行為であったとあとからわかったとしても、自由主義は愚行権を正当化したのではなかったか。投票を棄権することそれ自体が社会的正義を損なうと、本当に言い切れるのか。
もしあなたが特定の団体からしつこく電話を受け、「X党に投票してよ」と言われれば、多少X党の人物やマニフェストに魅力を感じていたとしてもX党に投票したくなくなるのではないか。
少なくとも私はそういう人間である。選挙自体を否定するつもりはないが、選挙に行くことが絶対に正しいという思想の持ち主からしつこく勧誘されたら絶対に選挙に行きたくないと思う。
なぜ若者は選挙に行かないのか。それは多分、あなた方のことが嫌いだからだ。
この文章が嫌味ったらしすぎて、逆に選挙に行きたくなる人もいるかもしれない。それならそれで良いと思う。もし選挙に行くなら、それくらい感情的かつ雑に選挙に行ってほしい。