はてなキーワード: 性教育とは
性教育って、自動車免許でもここまでしねえよってくらいにセックスが危険行為って態度で教えてくるじゃん。
「大切な人と愛を確かめる行為で後ろめたさを覚える必要はありません」とか一応言うけどそっちは明らかに建前で、本音はセックスは危険で細心の注意を払うべきだし極力慎めって思ってるのがビンビンに伝わってくる。
つーか「愛を確かめる」って方も思春期キッズにとっちゃ気持ち悪くてむずがゆくてキモいよな。
しかも、真面目に授業を受ける子、つまり学歴社会においては将来金を稼ぎやすくて子育てしやすいはずの人間ほどセックスに抵抗感を覚えるようになる。
少子化を防ぐためには、セックスはもっと気軽な娯楽であるとして、愛がどうのとかしゃらくさい説教もやめて快楽としての性行為を強調した方がいい。
相手を厳選し過ぎている、弱者男性を見下しすぎている、とでも言うべきか。
ぶっちゃけ、そのせいで少子化が起きているのではとさえ思える。
女性側の反論はだいたいこんな感じで、これは一見正しいと思う。
正直、疑わしいと思っている。
「自分より優れたオスでなければ、認められない」
「お金持ちの男が好き=他より強いオスがいい」
この図式。
女性の評価基準が「相対評価」であることに、とても引っかかっている。
そして都合がいい事に、女には全員必ず、若い時期がある。
コミュ障、ADHD、障害持ち、などなど不利な条件があっても「若い女」であれば選ばれる可能性が十分ある。
一方、女の本能である「稼ぎがいい=強いオスが好き」は相対評価である。
男性の成功度、収入などを尺度に、上から順に並べていけばピラミッド状になる。
そのピラミッドの真ん中より上が好ましいということだ。
ピラミッドの下層の奴らは皆消えろ。女性たちはそう思っている。
男の全員が「稼ぎがいい=強いオス」になれるわけではない。
終身雇用は崩壊しており、うだつの上がらない男は生涯低収入のままの可能性は高い。
だからだろう、まるでどの株が今後上がるのか見定める株主さながら、
外れくじを引かないよう女性たちは慎重すぎるほどに男性を見定める。
特定のオスばかりに人気が集中し、下位のオスは存在すら許されない。
また少子化というものは、実はまだ日本が元気だった時代、バブル期以前から始まっていたという。
ベビーブームなどあったものの、時代を通してみると基本的に合計特殊出生率は、戦後以降ずっと右肩下がりである。
http://jsasa.org/paper/42_6.pdf
つまり、今のように不景気だから、金がないから少子化が進むのではない。
自分の意思で相手を選べず、強制圧で結婚・出産する状況があった。
女性自身が稼げるようになったことで、弱者男性にすがってまで生きる必要性は消失した。
そして「収入ピラミッド下位の男など不要」「自分以下の男など不要」と弱者男性にNOを突き付けた。
結果として婚姻数は激減して少子化が進んだ、というのが真相だと思っている。
これが少子化の原因の全てだとは思わない。
ただ、女性の社会進出が進んでいる、先進国のほぼ全てで少子化は進んでいる。
手厚い社会の補助があり、妊娠出産の不安が少ない北欧やフランスですら、少子化は進行している。
やはり少子化の加速は、女の本能がかなり絡んでいるのでは、と思わざるを得ない。
女性の社会進出、発言力が強まった現在、少子化についてちょっとでもおかしな発言があれば政治家は即失脚する。
特に間違ったことを言っていなくても、女性心理を傷つける発言はできない世の中になった。
もう男側で打てる手はないのだと思う。
世界が少子化によって滅ぶかどうかは、女性の意思次第なのでは?と、最近思うようになってきた。
ちなみにこれは想像だが、強い男にもっと富を与えた上で重婚を許可すると、少子化は解消するのかもしれない。
1人の強者男が3人、4人の女をはらませ、3家庭4家庭を同時に支える。
無茶苦茶に聞こえるかもしれないが、女性の本能が最も満足できる真の形はコレかもしれない。
もしくは今の婚姻制度のままで行くなら、強者男の家庭では女が3人産むのは当たり前、4人5人産むのも珍しくない、という世界に導くか…。
つまり、女性の本能を納得させる形をとことん追求しようとすると、
従来の家庭制度ではやっていけないという事を言いたい。
困ったことに、女性の本能が「相対評価」なものだからそうなる。
「男性の成功者、上位●%のみOK」という条件を出されてしまうと、評価基準をクリアできない男が必ず出てきてしまう。
一夫一妻制である以上、女性が子づくりしても良いと思えるような、本当に望む強いオスは、さっさと誰かのモノになってしまう。
「強いオスの供給不足」に陥っている、それが女性側から見た現状なのではないかと思う。
またこれは、意図的に「白馬の王子様」を作り出す教育でもある。
これを実践するためには、女性自身が自分たちの本能を理解し、わずかながら本能にあらがってもらう努力が必要だ。
結論から言うと「もっと深い性教育を実施、若い奴同士で安全に盛りあえ」だ。
紳士的な態度、共感力、育児や家事への積極的な参加なども考慮される。
仮に収入に目をつぶったとしても、それでも「ロクな男がいない」と嘆いている女性は多いはずだ。
まだ思想が凝り固まる前から、若年層の段階でお互いの利害関係を確認しあう。
肉体的、精神的に互いが別の生き物であることを理解し、互いに理解しようと努力する。
男が女に望むこと、してほしい事、されたらいやな事。
女が男に望むこと、してほしい事、されたらいやな事。
正しい性知識を得た上で、性病リスクの少ない同年代だけで安全に盛り合うのがいいだろう。
男に場数を踏ませて、最終的に「とりあえず中身だけは、白馬の王子様」を作り出す。
しばしば、男は兵士、女は城に例えられる。
「攻め入ったことのない兵士は情けなく、攻め入られたことのない城は立派である。」
男の収入に格差が無い、まだチャンスがある若年者の段階なら、女も拒否感が少ないだろう。
女と付き合う事で、初めて分かる事が多すぎる。
若いというだけで選ばれる可能性がある女と違い、特に強みのない一般男性となると、恋愛市場ではかなり不利だ。
よって、こうした教育を通じて、一人でも多くの男を戦力として迎えたい意図がある。
少子化は「危機的な国難」なのだから、このくらいやったっていいだろう。
娯楽にあふれた現代、わざわざ嫌な思いをしてフラれる覚悟で女に飛び込みたい男は減少している。
積み上げられた条件を山を見て「じゃあ別にいいっすわ」と、戦意喪失しているのが男の現状ではないかと思う。
わき道を見れば、お手軽に性欲を解消するものはたっぷりと揃っている。
別にわざわざ、女が提示する面倒な条件を潜り抜ける必要はなくなっている。
教育の力によって女に深い理解を示す男が増えてくれば、収入以外の面でパートナーとして選ばれるケースも増えるだろう。
よって、年収以外の部分、紳士的な態度、共感力、家事や育児への積極的な参加について教育したい。
女性側でも、女性の本能の赴くまま、気に食わない弱者男性を徹底攻撃するのをやめて欲しい。
むしろ攻撃すればするほど、男側の気持ちは折れて、ますます女性に愛想を尽かすだろう。
もっと現実を見た上で、互いに妥協する道筋を検討してもいいのではないかと思う。
そうすれば、もっと互いに選ばれる可能性が高まるのではないだろうか。
ずっと悶々とした思いがあった。
自分の利益だけを主張しあい、いがみ合う様子はとても醜く、とても悲しかった。
あれこれ自分の思いをつづってみたが、
実際の所、お金を若者に集中させるだけであっさり少子化が解消するのかもしれない。
国を挙げて補助を手厚くすれば、すべて上手くいくのかもしれない。
もしくは、弱者の淘汰が今後も進み、世の中は美男美女だけになり、余り物がいなくなる。
そんな未来もあるのかもしれない。しかしそこに到達するのに何世代かかるのだろうか。
その間、見捨てられた者達の心はどうなる。
また、美形遺伝子しか存在しないという遺伝的な偏り、多様性の拒否は本格的な絶滅が見えてくる。
不要と思われた遺伝的性質が、後々思いもかけず必要になる事もあるのではないか。
私は、できるだけ多く者たちに、幸せをつかんでほしいと願っている。
お前はいらないと言われ、誰からも選ばれず一人寂しくこの世を去っていくのは、あまりいい事だとは思えない。
しかし、結婚適齢期の男女アンケートで8割以上の者が、いつかは自分も結婚を…と望んでいるデータがある。
https://www.mhlw.go.jp/stf/shingi/2r9852000001wmnj-att/2r9852000001wmt0.pdf
なんだかんだ言っても、やはり「誰かに愛されたい」のが人の本能なのではないか。
私は日本に生まれてよかったと思っているし、日本はいい国だと思っている。
しかし、このまま人が減れば今の日本の素晴らしい思想、伝統は徐々に消滅していくだろう。
日本を愛しているからこそ、このまま少子化で日本が消滅してしまうのが勿体ないと思ってしまう。
子どもを大学まで送れる確かな財力がある強者グループと、考えなしに子づくりをする少々難ありのグループだ。
ただし収入面を見つめると子供を大学まで送るには厳しい…という先見性を持っているがゆえに動けないグループだ。
日本のごく当たり前の人々が子孫を残せない状況、やはり間違っているとしか思えない。
そして人口不足に困って、海外から貧しく子づくりに積極的な貧困層を連れてくる…。こうなるとドイツと同じだ。
最初こそ低賃金で働いてくれるかもしれないが、その2世3世は「なぜ同じ日本育ちなのに、自分たちだけ不当に扱われる?」と怒り狂ってくるぞ。
しかも、そういう層は日本の難ありグループよりたちが悪いだろう。
災害が起きたとき、我先に物品を奪うようなことが起きるに違いない。災害時に行列なんて作ってくれないだろう。
実際、これ以外のセックスは間違っている要素が少なからず含まれていると思う。
でも現代の日本は自由恋愛をありがたがりすぎた結果、これですら「教科書通りの人口ピラミッド維持ロボットがする気持ちの悪いセックスの在り方」って考えになってるんだろ?
じゃあこの国にはもう「正しいセックス」なんて存在しね―だろ。
そんな状況で必死にそれぞれが「正しい性教育」「正しい性のあり方」とか言い合ってるの虚無感しかね―だろ。
「結婚状態にある男女の間で行われる中出し以外は性欲を満たすための相互暴力行為であり、双方がいつでも好きなタイミングで相手を訴えることが出来る非合法行為だ」ってことにでもならない限りはこの国にはもう「正しいセックス」は存在しねーよ。
ネットをやっていればこじらせた童貞による「妊婦って『セックスしました』ってアピールしてるのと同じだけど恥ずかしくないの?」って投稿を見たことある人もいるだろう。セックスで生まれてきた人間が何を言ってるんだって話であって、これはアホすぎる投稿だけど、かといって「セックスは恥ずかしくない。昨日セックスしたし」と公言できる人が多く存在しないほどには「人前で言わない=恥ずかしい」というのが現代社会の共通項である。
現代日本ではセックスはアダルトコンテンツのワードであり、快楽を満たす性行為を指す。学校の性教育は「子供を作るためにセックスしましょう」ではなく「子供を作らないためにコンドームをつけてセックスしましょう」と教える。今どき「セックス=神聖な愛ある子作り」というのは統一教会みたいなカルトの末端信者くらいしか信じていない(教祖や幹部はハーレム目的だから)。
子供ができた時に「あの夫婦、まだセックスしているんだ」というネットや週刊誌記事の下卑た目線。あるいは非モテのミソジニーによる攻撃的言動。これらは所詮は片隅の意見に過ぎないが、それでも下卑た偏見はジワジワと社会を侵食しており、夫婦なのにセックスが億劫になってしまう。結果、義務感で2人目を生んだ後は子作りセックスは放棄する。
どうすればいいのか。
ここはもう、セックスは完全にカップルの快楽を満たす行為に限定してしまおう。
国はもう女性にセックスで受精させることを完全に諦めるべきだ。
子作りは誰でも病院等で、取り出した精子を膣に注入してできる社会システムにしてしまおう。
現存の支援に加えて40歳以下の女性が指定病院で膣に精子を注入するたびに何度でも10万円支給。妊娠してもしなくても支給。精子バンクもあり。
[B! 増田] 少年誌が"正義感"に与える影響ってめちゃくちゃでかいんじゃない?
こちらのコメントでも「学校で倫理観を身につけるべき」が人気になってる。
しかし男子のための性の倫理観は、実際には全く教えられていないのが現状だ。
教育の責任が果たされてるからこそ、安心して子どもにフィクションを与えられる。
いま男子を育てるのは、本当に、本当に、心配。心から同情するよ、元増さんには。
私は、はてなブックマークのテクノロジーを追っているから解るんだけどさ。
普通の写真からヌードを合成するのはオタク男子なら誰でもできるようになってると思う。
夫は中学生の当時、謎技術を究めてネットからあらゆるエロ画像を蒐集していた。
現在仕事に使ってるコンピュータ技術は素地は、そのとき、そのために習得したらしい。すべての時間と情熱をエロに注いだそうだ。
男子の下心を軽視しちゃいけない。連中は欲望のためならなんでもする。
必要なときに都度自力で脱がせば違法にさえならない。未来ではそれだけのGPUパワーがあるでしょう。
だから内心にテコ入れするしかない。なのに、男子の性倫理観をアップデートするための性教育は、まっっっっっっっっったく発芽する様子がありません。
私が初めてアダルトコンテンツに触れたのは小学校4年生のころだったと思う。
父の部屋によく分からない漫画本が置いてありそれを何となく読んだのが初めてだ。
男女はSEXをするものだという知識を持ってはいたものの、その漫画を読んでも特に興奮することはなく、一通り読んだ感想は「つまらない」だった。
このあたりの感性は母の性教育に起因するものなんだろうけど、SEXは病気になるリスクがあることだとか、そういう負の側面を強めに受け取っていたからだったと思う。
親戚が家に集まって、私達(兄弟がいる)が寝静まったであろうころに猥談をしているのが聞こえたのだが、母はSEXなぞ微塵も気持ちよくないと話しているのが聞こえたことがあり、
そういう経緯で私達にはSEXの負の側面しか伝えられていなかったのだと思う。
(今思うと、その場にいた父はそうとうに屈辱を浴びていたのだろう、可哀想に…)
(もしかしたら、そういう負の側面しか伝えられていない私達を不憫に思った父なりの配慮で、父の部屋の分かりやすい場所にエロ本を置いてくれていたのかもしれない)
性的なコンテンツに関心を持てるようになったのは兄の部屋にあるエロ小説を読んでからだったと思う。
SEXはリスクが多い行為だと思っていたのだが人と人との(都合のいい)繋がりの先にある快楽であるというのを知ることが出来た。
どうでもいい話だが、自分はわりと女性にモテたらしいのだが恋愛が快感に繋がるものだと知らなかったので、女性側からアプローチのようなものを受けて、それを見聞きした友人に囃し立てられても何をそこまで騒いでいるのかさっぱり理解出来なかった。
あの時、兄の部屋でエロ小説に出会わずに恋愛とSEXと快感を紐付けられなかったら一体どのような人生を送っていたのかというのを考えると少し面白い…
話が逸れたが何が言いたいかというと、小学生が猿になるかどうかはそいつが性的なコンテンツをどのように傍受してきたかが関わるので全員が猿になるわけじゃないだろうということだ。