はてなキーワード: 合格発表とは
ふと講習中に思いついたことをまとめてみる。
最近告白をしてフラれて、あの全身が熱くなるようなだるくなるような感覚を味わった。
あれ、コレ何かに似ているぞ? と思ってあれこれ探してみたら、
正確に言えば不合格宣告をうけた時。
昨日詰め込んだ単語も思い出せないのに、半年も前のことを体は覚えていた。
●あの娘のことを考えると眠れない
●あの娘のことを考えると胸が苦しくなる
●なかなか好きな人を打ち明けられない
●女の子によって好みが違う
●好みを知らないと失敗する
●高嶺のあの娘の理想はやっぱり高い
●2人を同時に狙おうとすると失敗する
●ライバルは蹴落とそうとしてくる
●↑後からもぐちぐち言ってくる
●付き合ってからも大変
●つき合う前の方が楽しいという人もいる
●大半の人が通るが、通らなくてもいい
●何歳でも何回でもチャレンジ出来るが、数を重ねるほど大変
●振られると悲しい
●振られると見返したくなる
相手との好みが合わないと、合わせるのは大変であるし、
合っていたら随分楽。
1つ1つの分野はやっぱり好きになれないけど、相手のことが好きだから頑張るしかない。
受験生の皆さんは、好きになるような人を見つけて下さい。
以上模範解答を埋めるだけの作業に辟易してきたので、
先日、東大前期試験の外国語問題をフランス語差し替えを使って受験してきた。
おかしな部分があったらご指摘願いたい。
出典はル・クレジオの『海を見たことがなかった少年 モンドほか子供たちの物語』
語彙が平易なものに、単純過去が複合過去に置き換えられ、さらに文の一部が削られ、若干の改題が見られる。
Au pied de la montagne coulait un ruisseau. Jon n'en avait jamais vu de semblable. C'était un ruisseau limpide, couleur de ciel, qui glissait lentement à travers la mousse verte. Jon s'est approché doucement. Il s'est agenouillé au bord du ruisseau.
L'eau bleue coulait en murmurant, très lisse et pure comme du verre. Le fond du ruisseau était recouvert de petits cailloux, et Jon a plongé son bras pour en ramasser un. L'eau était glacée, et plus profonde qu'il pensait, et il a dû avancer son bras jusqu'à l'épaule. Ses doigts ont saisi un seul caillou blanc et un peu transparent, en forme de coeur.
山のふもとに小川が流れていた。ジョンはこの山でこのようなものを全く見たことがなかった。それは綺麗な小川で、空の色をして、緑の丘に向かってゆっくりと注いでいた。ジョンは甘美な気持ちで小川に近づいた。彼は小川の末端まで到達した。
青い水は呟くような音を立てながら流れていて、とても綺麗でガラスのように純粋だった。小川の底は小石で覆われていて、ジョンはそこから一粒掬い上げるために自分の腕を突っ込んだ。水は冷たくて、しかも彼が思っていたよりも深かったので、彼は肩が水に潰かるまで腕を突っ込まなければならなかった。彼の指は、白くてちょっとだけ透明で心臓のような形をした小石をたった一粒だけ掴んだ。
山のふもとに小川が流れていた。ジョンはこの山でこのようなものを全く見たことがなかった。それは澄み切った小川で、空の色をして、緑の苔を通ってゆっくりと注いでいた。ジョンは甘美な気持ちで小川に近づいた。彼は小川のほとりで膝をついた。
青い水は呟くような音を立てながら流れていて、とてもなめらかでガラスのように純粋だった。小川の底は小石で覆われていて、ジョンはそこから一粒掬い上げるために自分の腕を突っ込んだ。水は冷たくて、しかも彼が思っていたよりも深かったので、彼は肩が水に浸かるまで腕を突っ込まなければならなかった。彼の指は、白くてちょっとだけ透明で心臓のような形をした小石をたった一粒だけ掴んだ。
山のふもとには小川が流れていた。ジョンはこんな小川を見たことがなかった。それは澄みきった小川で、空の色をしており、緑の苔地帯をゆっくりと流れていた。ジョンはそうっと近づいた。小川の岸に彼はひざまづいた。
青い水がささやきながら流れており、まるでガラスのようにとてもすべすべと透き通っていた。小川の底は小石で埋めつくされていて、ジョンはそれを一つ拾おうと腕を突っ込んだ。水は凍るように冷たくて、思ったより深く、肩が浸かるまで腕を入れなければならなかった。彼の指は一つだけ、少し透明でハートの型をしたのをつかんだ。
seが直接補語でbonsoirが副詞みたいなものかと解釈したため、ditを性数照応させてしまった。
01年にこれに酷似した問題が出ている。
→Cette boîte ne se ouvre pas facilement.
焦ったあまり、エリズィヨンを忘れてしまった。正しくはs'ouvreである。その他の部分に関しては多分これでいいと思う。
去年にこれと同じような問題が出たような。
→Si j'avais de l'argent, je pourrais voyager pendant les vacances.
条件法に書き換えさせる問題。Si(半過去)〜、(条件法現在)〜という形。あと否定の冠詞deを部分冠詞de laに書き換えねばならない。
これは頻出の問題だった。
→Il y a dix ans que nous nous sommes vus.
Il y a A que B っていう形に書き換えさせるのを求めていたとかと勝手に解釈した。que以降は単純時称でさらに否定しなければならないとのご指摘を頂いた。
→Bien qu'il soit riche, il vit simplement.
ほぼ必ず毎年でるのが接続法。逆にBien que (接続法)をTout en (現在分詞)に書き換えさせる問題が過去にあった。
b. Cette boîte ne s'ouvre pas facilement.
c. 再現答案に同じ
d. Il y a dix ans que nous ne nous voyons pas.
e. 再現答案に同じ
仏文和訳がここ数年よりは若干難しかった。文意は掴みやすいけど語彙のレベルが高かったせいか。
しかし模範解答と照らしあわせれば及第点はとれそうにみえる。
近所のサークルで一緒の中3の女の子は受験の準備で忙しいらしく、夏ごろからあまり顔を会わすことがない。
今日は午前だけ来ていたそうで、午後から来た自分とはすれ違いとなり
「増田さんに会えなかった、って言って残念がってましたよ」と社交辞令混じりにその子のお母さんから聞いた。
他の中1のお子さんたちも学校の部活後にサークルにやって来て、この後に塾に行くのだと言って帰っていった。
都会の中学生は忙しい。
部活動が盛んだったこともあり、特に自分の所属していた部活では
この時期まで部活やってて「完全に何もしなくなった」のは年が明けてからだった。
それでも誰もそのことに対する不満も疑問もあせりも(人によっては受験勉強も?)なく
1月頃から私立高校の受験がはじまり、2月末に公立高校の受験があり、合格発表…と
みんな大して受験生らしいことをせず志望校に受かっていったような気がする。
そういう時代であったとか、ド田舎の公立中学だったせいもあるだろう。
どっちが良い悪いとかではなく、自分の性格にはこの環境が合っていて
同じ能力だったとしても今時の都会の中学では到底やっていけないだろうなと思う。
そんな自分が人生の先輩としてただ一つアドバイスできるとすれば
中3の子にも春には元気に再会できるといいな。
http://anond.hatelabo.jp/20110525100731の追記
株式会社マイスタンダード(代表取締役 武智建樹)のページのひとつ http://www.geocities.jp/mystandardcojp/link3.html が消えてるのでこちらに記す。「■自由に下記のリンクをご利用ください。」と書いてあったのでいいでしょう。
<a href="http://book.geocities.jp/tyuugaku_zyuken/" target="blank">馬渕教室</a> <a href="http://sky.geocities.jp/koukou_zyuken/" target="blank">馬渕教室</a> <a href="http://sites.google.com/site/kobetsushidoukyouiku/" target="blank">馬渕教室</a> <a href="http://s1.shard.jp/youjikyouiku/" target="blank">馬渕教室</a> <a href="http://free-paper.biz/eikaiwa/" target="blank">馬渕教室</a> <a href="http://job.sp.land.to/" target="blank">馬渕教室</a> <a href="http://mabuchi.soragoto.net/" target="blank">馬渕教室</a> <a href="http://sites.google.com/site/goukakutaikenki/" target="blank">馬渕教室</a> <a href="http://koukouzyuken.web.fc2.com" target="blank">馬渕教室</a> <a href="http://cramschool.jimdo.com/" target="blank">馬渕教室</a> <a href="http://ameblo.jp/shingakunet/" target="blank">馬渕教室</a> <a href="http://d.hatena.ne.jp/e-juken/" target="blank">馬渕教室</a> <a href="http://nyushitaisaku.blog135.fc2.com/" target="blank">馬渕教室</a> <a href="http://kobetu.exblog.jp/" target="blank">馬渕教室</a> <a href="http://blog.goo.ne.jp/manabijuku/" target="blank">馬渕教室</a> <a href="http://zemi.blog.so-net.ne.jp/" target="blank">馬渕教室</a> <a href="http://blog.livedoor.jp/gakuryoku/" target="blank">馬渕教室</a> <a href="http://shikentaisaku.cocolog-nifty.com/" target="blank">馬渕教室</a> <a href="http://nukiuti-test.jugem.jp" target="blank">馬渕教室</a> <a href="http://hensati-up.seesaa.net/" target="blank">馬渕教室</a> <a href="http://jukensei.blogspot.com/" target="blank">馬渕教室</a> <a href="http://yaplog.jp/obenkyou/" target="blank">馬渕教室</a> <a href="http://plaza.rakuten.co.jp/gakushu/" target="blank">馬渕教室</a> <a href="http://kids.ap.teacup.com/kouza/" target="blank">馬渕教室</a> <a href="http://study.paslog.jp/" target="blank">馬渕教室</a> <a href="http://kaikou.blogtribe.org/" target="blank">馬渕教室</a> <a href="http://kyoushitu.at.webry.info/" target="blank">馬渕教室</a> <a href="http://kyouiku.7narabe.net" target="blank">馬渕教室</a> <a href="http://fblg.jp/textbook/" target="blank">馬渕教室</a> <a href="http://pencil.meblog.biz/" target="blank">馬渕教室</a> <a href="http://www4.atword.jp/pta/" target="blank">馬渕教室</a> <a href="http://syuusai.dtiblog.com" target="blank">馬渕教室</a> <a href="http://goukaku.osakazine.net/" target="blank">馬渕教室</a> <a href="http://moegikai.kyo2.jp/" target="blank">馬渕教室</a> <a href="http://narajuku.narasaku.jp/" target="blank">馬渕教室</a> <a href="http://hyougojuku.ko-co.jp/" target="blank">馬渕教室</a> <a href="http://twitter.com/sitebookmark" target="blank">馬渕教室</a> <a href="http://book.geocities.yahoo.co.jp/gl/tyuugaku_zyuken" target="blank">馬渕教室</a> <a href="http://sky.geocities.yahoo.co.jp/gl/koukou_zyuken" target="blank">馬渕教室</a> <a href="http://blog.emachi.co.jp/highschool/" target="blank">馬渕教室</a> <a href="http://www.kanshin.com/keyword/2630065" target="blank">馬渕教室</a> <a href="http://vision.ameba.jp/watch.do?movie=3069928" target="blank">馬渕教室</a> <a href="http://video.fc2.com/content/%E9%A6%AC%E6%B8%95%E6%95%99%E5%AE%A4%E3%81%A7%E5%8B%89%E5%BC%B7%E3%81%8C%E6%A5%BD%E3%81%97%E3%81%8F%E3%81%AA%E3%82%8B!/201009305rJKYnUy/" target="blank">馬渕教室</a> <a href="http://www.youtube.com/watch?v=m_NZTokRyZM" target="blank">馬渕教室</a> <a href="http://peevee.tv/v?7dn3cd" target="blank">馬渕教室</a> <a href="http://vision.chobirich.com/viewvideo.jspx?Movie=48478297/48478297peevee344264.flv" target="blank">馬渕教室</a> <a href="http://movie.ozmall.co.jp/viewvideo.jspx?Movie=48478320/48478320peevee344261.flv" target="blank">馬渕教室</a> <a href="http://www.flipclip.net/clips/a07bf23b4e61d1dfcc7f01c04c314d43" target="blank">馬渕教室</a> <a href="http://www.edipa.com/edipa/remix/watch.action;jsessionid=3C3EBC53886809D7683D9997FC832719?remix=BpIzVLqLUta" target="blank">馬渕教室</a> <a href="http://b.hatena.ne.jp/sitebookmark/" target="blank">馬渕教室</a><br /> <a href="http://bookmarks.yahoo.co.jp/tyuugaku_zyuken " target="blank">馬渕教室</a> <a href="http://bookmarks.yahoo.co.jp/koukou_zyuken" target="blank">馬渕教室</a> <a href="http://bookmark.fc2.com/search/user/nyushitaisaku" target="blank">馬渕教室</a> <a href="http://clip.nifty.com/users/shikentaisaku" target="blank">馬渕教室</a> <a href="http://bookmark.goo.ne.jp/user/manabijuku" target="blank">馬渕教室</a> <a href="http://clip.livedoor.com/clips/gakuryoku" target="blank">馬渕教室</a>
たとえば
http://sites.google.com/site/goukakutaikenki/koukou/taiken14
と
http://blog-kouju.mabuchi.co.jp/2008/09/200814.html
は馬渕教室の合格体験記が書かれたブログ。同じ趣旨のブログを複数設ける時点で方針がおかしいとは思いますが。
http://sites.google.com/site/goukakutaikenki/koukou/taiken14
『合格発表の日』
今木 ●介君
少し早く着きすぎた。天満橋駅で電車を降りた僕は、プラットホームにいる人々を見てそう思った。…
(中略)
僕にとっての馬渕教室は、屈強で頑丈な「背骨」である。振り返ればそこには馬渕教室での辛さの跡、努力の跡、そしてなにより思い出の跡がある。馬渕教室で得たものは決して実績や偏った知識だけでなく、人間として必要な「背骨」、心の支えだったのだ。
辛い時、苦しい時、自分のまわりを見るといい。そこには「背骨」となってくれる、共に戦う仲間と、最高の先生たちがいるのだから。
と
http://blog-kouju.mabuchi.co.jp/2008/09/200814.html
『合格発表の日』
今木 ●介君
少し早く着きすぎた。天満橋駅で電車を降りた僕は、プラットホームにいる人々を見てそう思った。…
(中略)
僕にとっての馬渕教室は、屈強で頑丈な「背骨」である。振り返ればそこには馬渕教室での辛さの跡、努力の跡、そしてなにより思い出の跡がある。馬渕教室で得たものは決して実績や偏った知識だけでなく、人間として必要な「背骨」、心の支えだったのだ。
辛い時、苦しい時、自分のまわりを見るといい。そこには「背骨」となってくれる、共に戦う仲間と、最高の先生たちがいるのだから。
は全く同じ文章のようです。
中学1年の7月のことだった。私が朝学校に行くと、仲良しだった子が近づいてきて唐突にこう言った。「もう、ごずっちと口きけないんだ」 意味が分からなかった。転校でもするのかと尋ねても違うと首を振る。「もう決まったことだから。じゃあ頑張って」 そう言って彼女は去っていった。
彼女の言葉は少なくて詳しい事情はまるで分からなかったが、悪い予感のようなものがあった。これはもしかしてあれじゃないか。どうしようどうしよう。背中を冷たい汗が伝うのを感じていた。教室へ向かう階段を登りながら、もうこのままずっと教室に着かないで欲しいと思った。知るのが怖かったのだ。
教室のドアの前に立った私は蒼白だったと思う。頭の中に色んな想像が駆け巡り、手のひらはじっとりと汗ばんでいた。ひざも少し震えていた。私は意を決して教室のドアを開ける。いつもと変わらない教室。でも私が入った瞬間、少しだけ空気が変わるのが分かった。スタートと悪魔がせせら笑った気がした。
私はいつも通り「おはよー」と声をかける。だが挨拶は返ってこない。私の存在を無視してみんなはおしゃべりを続ける。目さえ合わせようとしない。女子も男子も私がいないかのように振る舞っている。私は深く息を吐いた。泣いて騒ぎ出しそうな気持ちを必死で鎮めようとしたのだ。
昨日まで楽しかった学校が拷問のように感じられた。誰からも話しかけられない。こちらから話かけても無視されてしまう。なぜ私なのだろう。何遍も考えてみたけど思い当たる節はなかった。実際のところ大した理由もないのだろう。何となく選ばれ何となく無視されているのだ。
私はこの状況をできるだけ軽い感じで受け入れようとした。これは思春期の少年少女にありがちな他愛のないお遊びなんだ。こういうときは慌てず騒がず嵐が過ぎるのを待てばいい。恐らく長くても半年がせいぜいだろう。2年になればクラス替えもある。ちょろいちょろい。当時の私はそんな風に考えていた。
無視は1年生の間ずっと続いた。正直少し長いなと感じていたが、無視はあくまでクラス内だけの話で、他のクラスの子や部活内では普通に話をしていたので、思ったより辛くはなかった。学校は勉強をする場所だと割り切ればどうということもなく、そんな自分の強さに少し驚いてもいた。
2年生になる際にクラス替えがあった。掲示されたクラス割を見ると、1年の時同じクラスだった子は4人だった。それも大人しそうな子ばかり。私はほっと胸をなでおろした。慣れてきたとは言え、無視されるのはやはり心地良いものではない。私は解放感を胸に新しい教室へと向かった。
私は教室に入った瞬間、既視感を覚えた。空気の流れや重さが変わる感じ。暗黙の了解に支配された教室。それは9ヶ月前と同じだった。私は自分の席に着いて隣の子に話しかけた。「おはよー。私ごずって言います。よろしくね」 隣の子は目を逸らした。私は四方に話かけたが全員同じ反応だった。
血の気が一気に引くのが分かった。寒くもないのに体が震えていた。何なのこれ。怖い。怖いよ。早く教室から逃げ出したい。家に帰ってベッドに入って布団を頭からかぶって、世界からの情報を一切遮断したい。そんな気分だった。でも私は動けなかった。覚悟?諦め?違うよ。怖くて悲しかったんだ。
無視は一体いつまで続くのだろうか。2年生は修学旅行をはじめ色んな行事がある。中学生活を謳歌し思い出を作るにはうってつけの学年だ。それなのに初日から無視の洗礼だ。私は肩を落としながら部室へと向かった。部活だけが私のオアシスだ。もし部活が無ければ私は登校拒否を選んでいたかもしれない。
オアシスは見るも無残に踏み荒らされていた。3年生を除いた1-2年生部員が私を無視し始めたのだ。このときの絶望は筆舌に尽くしがたい。もう学校に私の居場所はなくなってしまった。その日を境に私は部活に行かなくなった。
家に帰ってから枕に顔をうずめオンオン泣いた。枕カバーが涙とよだれと鼻水でべちょべちょになっても泣き続けた。夕食のとき目を真っ赤に腫らしていたら、お母さんが心配して「目どうした?泣いたの?学校で何かあった?」と聞いてきた。実は1年生の頃から無視されているんだなんてとても言えない。
「泣く練習してたんだ。演劇部に転部しようと思って」と私は苦し紛れの嘘をついた。お母さんは「そう…何かあったら相談しなよ」と言ってそれ以上何も聞かなかった。これは私の問題だ。お母さんを巻き込むわけにはいかない。登校拒否だって絶対するもんか。私はそう固く決意した。
私は1日も休まず学校に通った。行事があるたびに孤立していたので、担任から「牛頭さん、クラスのみんなと仲良くやってる?」と探りを入れられたが、「大丈夫です」と突っぱねた。一方で私は毎日誰かしらに話しかけるようにしていた。どこかに突破口のきっかけがあるはずだと信じていたのだ。
突破口などなかった。私とクラスメイトの間にはマジックミラーがあるのではと思うほど無視は徹底していた。正直頭がおかしくなりそうだった。何度も登校拒否を考えた。転校も考えた。でも私は何も悪いことはしていない。逃げるような真似はしたくない。無視する連中に人生を左右されたくないと思った。
恐らく3年生になってクラス替えがあっても無視は続くのだろう。そう確信した私は中学を見限り、進学する高校を考えることにした。担任に頼んでうちの中学からの進学者が少ない高校をリストアップしてもらった。どこも私の学力では難しい学校ばかりだったが、毎日の目標ができて私は嬉しかった。
それからというもの、勉強を聞くために職員室に足を運ぶことが多くなった。どの教科の先生も私の質問に快く応じてくれた。時たま内緒だぞと言ってお菓子をくれる先生もいた。考えてみればそれはごく普通のことなのだけど、 1年半以上も普通の反応をもらえない私にはそれがとても新鮮に思えた。
3年生になってクラス替えがあった。半ば覚悟していたが予想どおり無視されたときは思わず笑ってしまった。ひとり笑う私をクラスメイトは不思議そうな目で眺めている。だから私は大声で叫んでやった。「無視生活3年目!落ち込んだりもしたけれど私は元気です!」 最高に気持ち良かった。
3年生になると周りが受験モードに移るので、以前ほど孤立は気にならなくなった。休み時間に勉強したり、図書室で勉強したりする人の姿も増えてきた。その頃、私は職員室の常連になっていて、放課後は先生達とコーヒーを飲むことさえあった。先生はみんな私に優しかった。
年が明け受験シーズンに入った。滑り止めの私立高校は受かっていたが、そこはうちの中学からの進学者がそこそこ多い。絶対に行きたくはなかった。本命の公立高校は共学でレベルがやや高い。先生からは「ボーダーだからランクを下げた方がいい」と言われていたが、私が受験校を変えることはなかった。
合格発表はお母さんと見に行った。高校は受験生と報道陣で混み合っていた。私は人波の隙間から自分の番号を探した。するとお母さんが先に見つけて「あった!あったよ!」と騒ぎ始めた。私は「もー!自分で見つけたかったのにー」と言いながらも、お母さんに抱きついて一緒に喜びを分かち合った。
私もお母さんも笑顔で車に乗り込んだ。でも運転席のお母さんが「お祝いに何か食べて帰ろうか」と言った瞬間、私は感情が抑えきれなくなり、声を上げて泣き出してしまった。助手席で嗚咽を漏らす私の背中をお母さんが優しくさすってくれた。そこで私の感情のダムは決壊した。
気づくと私は今までのことを洗いざらいお母さんに話し始めていた。話すにつれ、お母さんの顔は驚きから困惑に変わり、さらに悲哀を帯び、最後は私と同じ泣き顔になった。お母さんは何度も私にごめんねと侘び、私も同じようにお母さんにごめんねと言い続けた。お母さんは痛いくらい抱きしめてくれた。
その後、私は学校に行き担任に合格を伝えた。あと一番気になっていたことを聞いた。「私以外の合格者は何人ですか?」「男子が4人で女子が牛頭も含めて3人だな」 念のため名前も聞いたが、同じクラスになったことがない人ばかりだった。もう大丈夫だ。これでもうお母さんを泣かせなくてすむ。
卒業式は何の感慨もわかなかった。私の卒業式は合格発表の日、あの車内で終わっていたからだ。式が終わって教室に戻ると、クラスメイトはアルバムに寄せ書きをしたり写真を撮り始めた。その様子を尻目に私はさっさと教室を後にした。私に声をかける人はいなかった。
下駄箱で靴を履いていると「牛頭さん」と声をかけられた。1年生のとき私に「もう、ごずっちと口きけないんだ」 と言った子だった。この期に及んで私に一体何の用だろうかと思っていると、彼女は「あのね…ごめんね」と言った。なぜかその言葉で、私とお母さんが流した涙が汚されたような気がした。
「ごめんねってそれあんたの自己満足でしょ!自分が後腐れなく卒業したいからって今更ごめんねは無いでしょ!こっちはようやく解放されたのに最後の最後で味噌つけないでよ!」 私は思い切り啖呵を切って、走るようにその場を後にした。
帰り際、校庭脇の焼却炉に卒業アルバムを投げ込んで、私の中学校生活は幕を閉じた。…なお、高校に入学してから10ヶ月近く経つが、無視されることもなく、バカな友達に囲まれ毎日楽しく過ごしている。おしまい。
若者を見よ。
気が引き締まっているのだ。
友が亡くなったものもあろう。
友がなくなるというのは、皮肉なことに自省を促す。
友達の分まで生きるという意志は向上心を与える。
このような得も言われぬ高揚感は、ここ15年ほどの世代にはなかったものだ。
彼らは実感するだろう。
学ばねばならない。
役に立たねばならない。
強くならねばならない。
大人にならねばならない。
その気概は周りも察知するものであり、映像を介してさえ我々に希望をもたらす。
これを機に、というと天罰のそれと同じたぐいになってしまうが、巨大な出来事は人生をそれ以前と以後に分けるのだ。
彼らは間違いなく今後の日本を支えるだろう。
力強く、我々を脅かすだろう。
今日もデスクで仕事したくなさそうな糞っ垂れな面しやがって。甘ったれが。くたばれ。
「逃げたきゃ逃げてもいいんだぞ?」と言えば「いいです。クビになるかもしれないから。」
個人情報を明らかにしたくないという理由で自分のブログには書けないので、ここに書かせてもらう。
現役京大生だが、今回の入試不正問題で感じたことを書く場がほしかった。
自分が思ったことを書きつづるだけなので、論理とか矛盾とかあまり気にせずに書く。
だからもし読んでくれる人がいれば、あまり重く受け止めず読んでほしい。
2度ほど誤報もしたマスコミは馬鹿だと思ってるが、逮捕は正統だと思っている。
でもそれは、自分も京大入試を経験したってのが大きいのかもしれない。
4大学の中では同志社も受験したが、俺が書きたい話にはあまり関係ないので今回は触れない。
受験当時の俺は、とにかく京大に行きたい、京大以外の大学には行きたくないと思ってた。
今になって振り返ると、そこまで京大にこだわる必要なんてないだろって自分でも思うけど、当時は京大しか目に入ってなかった。
その理由は話すと長くなるから、要点だけ書くけど、
俺は高校生の頃、高校がすごく不自由な場所だと感じていて、とにかく息苦しいし生きにくいと日々思っていたので、
おそらく「自由の学風」で「放任主義」、おまけに「変人が多い」と噂の京大に入りさえすれば、自由が手に入ると信じきっていたんだと思う。
(これは今になって思うのであって、当時はまだそこまで自分を客観視できていなかったけども。)
現役で落ちたときは悔しい思いをしたし、受かってた滑り止めには行かず、浪人することに決めた。
浪人のときは、aicezukiもそうだったようだけど、センターで点がとれず、D判定だったときは、追い詰められた気持ちになった。
俺は模試でもD判定のことが多くて、二次試験で挽回できる見込みも低かったし、受かる自信はほとんどなかった。
それでも上述のように、京大へのこだわりは異常だった。
滑り止めも受かってたけど、京大に行けないなら死ぬと決めた。
センター試験後に決めたというと語弊があるかもしれない。
心の中で、可能性としてずっと考えていたものを、確信に変えたという方が正しいだろう。
(余談だが、だから俺は、aicezukiが自殺の方法を質問していた日時がセンター2日目終了後だと知って、ものすごく納得したし共感した。)
二次試験までは、勉強の間、ノートの余白に「死にたい」と書きまくっていた。
二次試験が終わった後、合格発表までは、後期試験の勉強の傍ら、遺書の下書きや自殺方法を真剣に考えていた。
そして迎えた合格発表の日。俺は受かっていた。
その瞬間のことは今でも鮮明に思い出せる。
自分の番号を見た瞬間、涙がグワッと溢れてきた。
そして、「あ、俺、生きてていいんだ」と思うと、涙が止まらなかった。
俺は信仰心とか全然ないんだけど、そのときだけは神様から「死ぬな、生きろ」って言われたような気がした。
それまで死ぬことしか考えてなかったのに、いきなり「生きる」という道が目の前にバーッと、それこそ白い強烈な光みたいに開けてきた。
なんだかこれ書いてる今も涙出てきた。あのときほど強く「生きよう」と思ったことはない。
今だからこんな風に言えるけど、俺は京大入試に文字通り命をかけていた。
俺の例は極端かもしれないけど、京大に限らずどこの大学でも、入試を受ける一人ひとりに、いろんな思いがあると思う。
そしてその思いは、極論かもしれないけども、実際に入試を体験しないとわからない部分もあるはずだ。
「追い詰められていた」っていうのは、カンニングの理由にはならない。
追い詰められてる人間なんていくらでもいるし、俺やaicezuki以上に追い詰められていた受験生もたくさんいるはず。
京大入試の特異な点は、試験を受けるほぼ全員が第一志望だという点だと思う。
在学生や受験生の人には申し訳ないし、今から書くことに悪意は全くないんだが、
早稲田や同志社ですら、東大・京大などの国立大志望者からすれば、滑り止めとしか見ていない場合も多い。
けれども京大は違う。ひやかしでもない限り、全員が並々ならぬ決意と共に受けに来る。
「京大じゃなかったらマスコミがここまで騒いでない」「京大は大騒ぎしすぎ」という意見もよく見るけども、この点を考えれば、京大だから大騒ぎになっているのは当然のことだと思う。
俺は、入試は人生に大きく影響し、人生を変えるものだと思っている。
けれどもそれは、「良い大学に入れば良い就職ができる云々」という意味ではない。
大学なんてものは、「どこに入るか」よりも、「入ってから何をするか」の方が重要だと思う。
特に、京大なんかだと、「京大に入ること」が目的になってしまい、
いざ入った後に何をしていいかわからなくなり、無気力になってしまったり、受験からの解放感が強すぎて、授業にも行かず毎日家でダラダラと過ごしてしまったり、という状況に入学早々陥る人も珍しくない。
就職活動でも、聞かれるのは「大学『で』何をしたか」ということだ。入るまでの努力の日々なんか聞かれやしない。
じゃあ俺が「入試は人生に大きく影響する」と思うのはなぜかといえば、
それは、「勉強の末、第一志望に合格した達成感」や「頑張ったのに第一志望には入学できなかった挫折感」を感じるという経験は、非常に大きなものだし、人間の生き方や考え方にも影響を与えるものだと思うから。
挫折感を味わった人は、その後奮起して、負けず嫌いな努力家になるかもしれない。また反対に、虚無的になり、努力を放棄する道を選ぶかもしれない。
入試での体験をどう受け止めるにせよ、その体験があることで、その人の人生は間違いなく深みを増すはずだ。
しかし、達成感も挫折感も、カンニングをし、他力に頼って入試を切り抜けた者には味わえないだろう。
もちろん合否という結果は出るのだから、ある程度の達成感や挫折感は得られるはずだ。
しかし、完全なる達成感、完全なる挫折感は、自力で入試にぶつかっていった者にしか感じることはできないと思う。
繰り返しになるが、俺は一個人としてはaicezukiの逮捕は妥当だと思ってる。感情論だと自分でもわかってはいるが。
このことについて、「カンニングを偽計業務妨害にするのはおかしい」という意見の人も多い。
実際に2chやTwitterでも、そのような議論が数多く見られる。
でも俺が気になることが、ひとつある。
それは、そのような議論をしてる人たちの中には、罪状について「業務妨害」「業務妨害」と、「偽計」の部分を略している人が非常に多いということだ。
俺は、このことに強い違和感を感じている。
「カンニングされたのは大学の監視体制が悪かったからだ、だから自業自得であり、業務妨害にはならない」という意見の人も多いのだけれども、
みんな「偽計」の部分の重大さを忘れているように感じる。
今回の件で真に重大なのは、「業務妨害」の部分よりも、「偽計」したという事実だと思うのだが。
「偽計」の省略され具合から見ても、みんなその点を忘れてるんじゃないだろうか。
でも、カンニングは罪に問われてもおかしくない行為だと信じているし、
もしカンニングを罪に問える適切な法律が現時点で存在しないのならば、早急に作るべきだと考えている。
現在、某国立大で修士課程の2年生でFPGAの研究をやってます。
就職は、東証一部のB to Bの産業計測機器メーカーに決まりました。
こんな私ですが、2年前までは理学部生物学科でピペット片手に植物を育てていました。
はじめは、学部3年の時、多くの生物学科の学生たちと同じように、生物学科で勉強をし怠惰な大学生活を送っていました。
生物系の就職がヤバイと気付いたのは、3年生の夏の合同説明会の時。
「去年には一人いた。化学の人に混じってとても優秀だったよ。」
「生物系は。。。。」
どうも回答が煮え切らない。
電機メーカーでは、あまり良い答えが聞けないし、食品メーカーでは「採用は毎年あるよ。」と言ってくれるのだが
倍率が高いことは話に聞いて良く知っていた。
そもそも、理系向け合同説明会となっていても、
少し広げて情報系と化学系ということが何度も説明会に行くうちに透けて見えてきていた。
文系就職という手もあったのだが、やはり技術職で仕事に就きたかったこともあり
ちょうど、2ちゃんで専攻ロンダ関連のスレッドが出てきていたこともあり、専攻ロンダという方法を知り
もちろん、まったく違う専攻に切り替えるということに対して不安は大きかったが
思い切ってみることにした。
3年の秋から専攻ロンダに比較的、入試科目が少ない独立研究科の大学院を中心に回った。
研究室のホームページからメールを送り、教授にアポを取り見学させてもらう。
JAISTやNAISTは他大生向けへの講義があり、専攻ロンダにやさしいらしい。
院試の問題は大学の購買でしか買うことができない場合が多く、自分の受けた大学もそうであった。
院試の勉強は3年の2月から始めて、6月の受験までに間に合わせた。
その結果、NAIST落ち、JAIST合格、旧帝大の独立研究科(情報系)合格という結果だった。
キャンパスゼミで基礎をおさらいしてマグロウヒル大学演習で応用問題を詰める。
マグロウヒル大学演習シリーズは良書で、勉強したことが無い科目でも読めばわかるようになっている。
専門科目についてであるが、離散数学はマグロウヒル大学演習で勉強する。
あともう一つの専門科目であるが、電気回路や電子回路は等価回路など一人では理解できない点が多く、パスし
そして、合格発表に番号を見つけた。
入学後は、FPGAの研究室に入り、朝から晩までコードと「VHDLによるハードウェア設計入門」の本に
向き合いコードを書く日々が続く。
最初は、学部生よりもプログラミングが分からず苦労するが3か月も必死になるうちに書けるようになってくる。
就職活動では、ハードウェア記述言語やっているというと、バイオの時とは反応が違う。
もちろん、面接では「どうして専門を変えたのか」
と聞かれるのだが、「生物について知るうちにそれを工学的に応用することに興味をもった」
で乗り切る。
不況であったが、エントリーシート20枚、面接7社ほどで内定が出た。
NAISTとか、JAISTとか、九工大の生命体工学とか、専門を最初から教えるシステムがあるらしいし
俺よりも苦労しなくて済むと思う。
もちろん、苦労はするのだが苦労が報われないピペドよりもぜんぜんマシ。
生物系の奴に限らず、数学科とか理論物理やってるやつとか数学センスはすぐれてるだろうし特にお勧めしておく。
不況なんだし、生き残りのために多くの手段を考え
あずまんが大王では、卒業式も終わったあとに、よみの合格発表を見に行って、合格を確認し、
それからともが「遊びにいくかー」と言い、それを受けてちよが「そっか、卒業してもみんな一緒だ」と言って終わる。
「毎日あえなくても、それでも友達でなくなるわけじゃない」ということだろう。
これはハッピーエンドととらえた人が多いだろう。
ここで、あまりジャンル的な関連はないが、秒速5センチメートルを思い起こしたい。
この物語は、距離に引き裂かれて結局別れ別れになる恋人同士を描いている。
「近くに居ないということで、関係が駄目になってしまうことがある」ということだろう。
これはバッドエンドである。
一見、あずまんが大王と秒速5センチメートルは別々のメッセージを発しているように見える。
だが、ゆかり先生のこのセリフで、そうではないことがはっきりとわかる。
ちよの「もう毎日みんなと会えなくなるんですね・・・」を受けての「まぁそんだけの事だ あんたらは大丈夫だろ」というセリフである。
つまり、大丈夫な関係と大丈夫でない関係がある、ということだろう。
何が違ったのだろうか。
もちろん、男女どうしであるとか、恋愛関係にあるとか、2人か複数人かとか、
卒業か転校かとか、別れが小学校か高校か、とかいろいろあるだろう。
しかし、それら個々の要因について分析するのはここではやめておく。
重要なのは、「ちよたちは大丈夫だった。遠野貴樹と篠原明里は駄目だった。では、放課後ティータイムはどうだろうか?」ということである。
2010年になって説明会やらエントリーシート書きをはじめた。
世の中ではエントリーシートで落ちる人も多いみたいだが、
自分の場合はほとんど通過して就職活動は意外に簡単かとも思った。
1月の下旬から面接もはじまり、4月までに20社くらいの面接に行った。
通過したりしなかったりしたが、最終面接まで行くことはなかった。
はじめての最終面接だった、
場所が遠くてこの会社にはそれまで交通費を4万以上かけてたが、気分は良かった。
しかし、落ちる。
気を取り直し、就職活動を再開した。
5月下旬に地元の県職員の採用試験の募集締め切りがあることを知った。
これまで公務員は考えたことがなかったが、かけてみようと思った。
6月になり、公務員一次試験が近づいたがまだ民間の就職活動も行っていた。
民間に受かることがなく、公務員試験の勉強も手に付かなくなってきた。
7月、民間も受からず、公務員試験の手ごたえも悪かったため鬱状態のピークを迎える。
ついに8月になる。
現時点での倍率は2倍。
気分がとても重い。
1週間後に鬱に突入するか、明るくなれるかが決まる。
「どうしても東京に出たい」
高校3年の時そう思い立ち、猛勉強とはいわないまでも、それなりに勉強して、それなりの大学に入った。
合格発表の日、どうしても掲示板で受験番号を確認したかったのに、おかんは上京する新幹線の中で電話で合否を調べてしまった。合格。
センター試験の結果から当然受かると思っていて、あまり感動しなかった。でも、おかんは泣いていた。それに少しウルッときた。
大学につくと、もうピークは過ぎたのか受験生の数はまだらですこしがっかりした。運動部の部員がもう少ししか居ない新入生を必死に勧誘していた。
受験の時以来に来た大学は、補修工事が終わっていてあの醜い足場やシートが取り外されていた。
その日にアパートを探した。おかんには大学の近くを勧められたけど、どうしても都心の近くに住みたかった俺は学校と新宿の間に部屋を借りた。
初めての一人暮らし、しかも東京で。ワクワクしていた、今まで経験できなかったこと、会えなかったような人、東京にはたくさんのものが詰まっているように思えた。
家に帰った後、テレビを付けると東大生が胴上げされていた。うちの大学でもやってたのかな。
大学に入ってからは、きっと多くの学生がそう思うように、勉強も遊びもがんばるぞ!なんて思っていた。
しかし、そんな志もむなしく、おもえば小学生のときラジオ体操にも行かず、中学生の時遅刻が多すぎて昇降口に立たされ、高校の頃朝の補習にろくに出れなかった自分には、一人暮らしの大学生活は厳しかった。
都心の近くに住みたくて、学校から少し遠い所に住んだせいで、朝起きれず、一限に出れない。
授業に出なくても誰からも咎められない環境に甘えてしまう。
友達ができれば、一緒にいる時間が楽しすぎて、毎日誰かの家で遊び、もちろん次の日の一限はもちろん出れない。
親も居ない、門限も無い、なにをしても良い。怒る人はどこにも居ない。
今は思う、本当に「自由」だったのか、「自由」なのか。
たまに授業に出席しても、寝ているだけ。
高校時代と変わらない、いや、それ以下の「学」生生活。
もちろん単位なんて全然取れず。でも、同じくらい遊んでるはずの友達は着実に単位を取っている。
「そんな焦って単位とたってしょうがないじゃん」
そうゆう考え方が甘いって気付いたときには、皆との差はどうしよもないくらい広がってた。
金がなくなれば、親に連絡。
どれだけ無駄遣いしても何とも思わない、親が働いて稼いだ金だ、分かっているけど、手元に有れば使ってしまう。
おかんが電話をしてきても、メールをしてきても、邪険な対応をしてしまう。
「今忙しいんだ」
でも、何に?
そもそも、なんで「東京に行きたい」と思ったのか、なんで「大学生」になりたいと思ったのか。
東京にあるものは地元にもあった。大学生になってまで学びたいことなんて無かった。
皆が行く、行かなきゃ就職できない、だから行った。
行くからには、ある程度の大学に行かなきゃ恥ずかしいと思ったから勉強した。
きっと、みんなも同じはずなのに、どうして自分は上手いことできなくて、みんなはできるのか。
どうして、そんなに、要領よくできるのか。
わからない。
大学は4年で卒業するもの、出来なかったら落ちこぼれ、そう思っていたけど、いまはそんなこといえない。
親の金で勉強してるんだから精一杯やるべき、そう思っていたけど、がんばれない。
自分には「意志」が無い。何も無い。からっぽだ。
毎年、覚えきれないほど新しい顔を見ることになる。
困ったことにこちらに親近感以上の、
好意の感情を抱く異性の生徒が、毎年のように現れる。
そして、合格発表が終わったこの時期になると、
なんと恋の告白までしてくる生徒もいる。
そういう時はきっかりと断る。
どんなにその生徒が人間的に素晴らしくても、
見た目が可愛くても、了承することはない。
おそらく今後も変わらず一生。
僕は知っているからだ。
キミのその感情は、恋じゃない。
決して相手を慈しむ好意じゃない。
まだ人生経験のないキミは、
年上の異性に対する敬意の念を、
恋心だと勘違いしている。
大学に入って、本当の恋ができると、いいね。
僕は大学で本当の恋を知って、
今その人と毎日一緒に生活できて、
本当に、幸せです。
京大の入試がおわってから、何度も何度も自己採点した。何度やっても、ギリギリで合格の点数が出た。
3月10日。これから春になろうというのに、冬のように寒く、冷たい雨が振っていた。そんななか、電車で2時間ほどかけ、大学まで合格発表を見に行った。現役のとき、浪人のとき、受験時に何回も往復したので、駅から大学への道はもう迷わない。予定通り大学につくも、自分の志望学部の合格発表の掲示板を見つけるのに少し迷い、目的の場所についたときにはもう発表2分前。思ったより人は少なかった。2分という時間はとても短く、あっけなく、これまでの思い出が蘇るということもなかった。しかし、心拍数は、腕時計の秒針が進むにつれ急上昇した。時間になると、建物の中から、番号を無機質に羅列した模造紙が運ばれてきた。ためらいなく、自分の番号を探す。探す。なかった。探す。僕の番号はなかった。不合格。その現実は、間をおかず、僕を飲み込んだ。落ちた。涙ではなく、うめき声が上がった。無意味に彷徨し、幾度番号を探しても、ないものはなかった。震える手で、携帯を手に取り、家族や、友人にメールをする。「落ちました。」「だめでした。」誤魔化しに絵文字を添えた。自宅には電話をした。姉が電話を取った。姉の声をきいたとき、初めて泣いた。おそらく、姉でなくとも、家族であれば、誰でも泣いていたと思う。「よく頑張った。」と言ってくれた。受験生活で、いっしょに励ましあった、ある友達は、合格していた。良かった、と思った。「おめでとう」とメールを送った。
僕は、逆転合格するすごい人でも、苦労をかけた家族に恩返しできるいい息子でもなんでもなく、ただ不合格者の一人だった。わき目も振らず、校門を目指し、大学を出た。周りの笑い声を振り払った。落ちた。途中、何度も立ち止まり、空を見上げた。涙は我慢しても、断続的に流れてきた。雨は来たときより強くなっていた。風もあり、折り畳み傘がすぐにめくれるので、差すのをやめた。顔に雨がかかって、涙と混じってくれたので、ありがたかった。
電車に乗った。方々に送ったメールが、次々かえってきた。みんな優しかった。そのやさしさが逆に心を締め付けた。申し訳なさと不甲斐なさで押しつぶされそうになった。現役、浪人、2年間はり続けた虚勢は、あっけなく、一瞬で瓦解した。車窓から見る空は鉛色に曇っていた。郊外の野原は春らしくなかった。雨が降っているかどうかは車内からは分からなかった。自己採点はまったく無意味だった。半ば無意識に、合格点がでるように操作していたのだから当然だ。
朦朧としたまま、家についた。自分の部屋で一人泣いた。ベッドの布団が濡れていった。ただ泣いた。しばらくして止んだが、母が勤め先から帰宅し、その顔を見ると、また、泣いた。目が赤くはれた。こんなに泣いたのは、いつ以来だろう。母は変わらず優しかった。僕はあやまった。何年かぶりに母の肩にすがって、あやまっても何の意味もないと分かっていながら、何度も何度もあやまった。母は、「あやまらなくていい。お前は自慢の息子だ。」といった。そんな優しい母に恩返しできなかった自分が情けなくなり、また泣いた。
今日が人生の分岐点であることは間違いない。一つ目の大きな試練は、負けた。滑り止めの私大はすでに決まっている。明後日国公立後期試験がある。今は、ただ、流れに身を任せるしかないようだ。悔いはいくらでもある。満員電車で見る社会の大人がなんであんな悲壮な顔をしているか少しだけ分かった。でも、前に進むしかない。とりあえず、進みます。家族にも、友達にも、話せないことを書きました。駄文失礼しました。
http://anond.hatelabo.jp/20100217113611
これの広島大学版。前期試験の合格発表はまだだけど一応書いておく。
以下に書いてあるのは東広島キャンパスのこと。だいたいの学部はここにある。
市内にキャンパスがある医,歯,看,夜間のことはよく知らないんだ。
①住居
なるべく生協があっせんしている物件にすること。キャンパス向かいの某不動産はあまり評判がよくない。
安い。最近は高いのもあるけどやっぱり安い。3万5千~4万弱で6畳一間が平均的。
おすすめはやっぱり大学に近い下見地区。大学からやや離れている寺家(じげ)地区はひとくくりに判断できない。
良いのも悪いのもある。八本松地区は自転車では遠すぎるので上級者向け。
田口地区は知らん。
大学から近いとたまり場になる…なんてことはあまりない。みんな真面目。…たぶん。
②食事
1年生はミーラーが多い。先に1年分を一括購入しておけば、1日上限800円または1000円で
食堂メニューが好き放題食える。他大学に比べればメニュー数は少ないかもしれないがそれなりに食べられる。
おすすめは朝食の和食。320円でたらふく食える。朝飯を食堂で済ませば1コマにも遅れることはない。
自炊しようとはりきらなくていい。とりあえず毎日ご飯を炊いとけ。
③通学手段
④サークル
かなり重要。入らなくてもやっていけるがやっぱり楽しくない。4月5月のうちに決めてしまおう。
部活でなければ掛け持ちしたほうがいいかも。サークル棟にボックスがあるサークルに入るとなおいい。
理系の男どもへ。女の子はわりと文系サークルに多い。特に音楽系。
⑤バイト
やってないから知らん。前は大学のサイトで募集されてたけど今は別のところにうつったらしい。
先輩や友達に聞いてみて。
⑥勉強
英語は落とすな。1・2セメで絶対にとること。
TOEICのスコアが良いと英語が免除されるらしいので合格が決まって暇だったらとってみてもいい。
⑦ぼっち
あまりよろしくない。でも群れすぎるのもつまらない。
テスト前にノートを貸し借りできるくらいの関係は保っておく。あとはどうでもいい。
あれは広島焼きではない。広島風お好み焼きだ。大学の近くにも10くらいの店がある。
暇なら食べ比べるのも悪くない。もちチーズやそばタブルがおすすめ。新勧のときにいやというほど食わされるけど。
⑨カープ
好きな人は好き。俺はあまり詳しくない。去年広島市内に新球場ができたので行ってみるといい。
なにもないけど。
在学中に一度はいくことをおすすめする。
⑫おみやげ
もみじ饅頭はわりと有名だが、東広島キャンパスのある西条は有名な酒どころ。日本酒がおみやげというのもいいかも。
⑬彼女
がんばれ。
途中から文章書くのだるくなってしまった…。まーいいや。
まずは、合格した人は本当におめでとう。
そして、ようこそ高専へ。
このエントリーでは、高専に入って意識しておいて欲しいことを書く。
高専に入ってまず感じることは、その自由度の高さだ。
授業を休もうが、授業中に漫画を読もうが勝手である。(低学年のうちは漫画やゲームを没収してくる先生はいる)(ただし授業中のおしゃべりは他人に迷惑をかけるので当然禁止)
ただしテストは欠点は普通高に比べ高く、60点である。(大学レベル)
逆に言えば、その点数が取れるなら、どれだけ適当に授業を受けようと自由だ。
高専は難しくて留年するなどと言っている人もいるが、基本的に留年しないだけなら簡単なのである。
さて、君はこれからこの比較的自由な環境で5年間過ごすことになる訳だ。
5年間だよ?5年間。しかも15~20歳という非常に大事な(性格や目標がある程度形成される)5年間を過ごすわけだ。
この5年間をどう使うかで、君の将来は変わってくる。
さっきは自由だと書いたが、5年間怠けていると、非常に大変なことになる。(怠けていても卒業できるのだ)
高専入学時にそこそこ頭がよいつもりでも、卒業時には頭の回転が確実に鈍くなっている。
頭は使わないと劣化するのだ。
高学年になってから後悔しても遅い。
高専生活は自由だし楽しいが、意識を高く持つことが非常に大切である。
将来いい大学に編入したい人、いい企業に就職したい人、研究者になりたい人、プログラムを極めたい人、ロボットを作りたい人・・・。
色々な目標を持つ人がいると思う。
だからといって、明確に目標もない、何をしたらいいの?って人もいると思う。
その全員に共通する、低学年のうちに意識しておくことは、理系・専門・英語の教科を完璧に理解すること。
毎回100点近い点数を目指すべきだ。
授業は適当に聞いても良いと最初に言ったが、結論としては結局真面目に聞きなさいということが言いたい。
低学年時の数学・物理・化学・専門・英語は全て高学年になっても大学に入っても大切なのである。
その上で、プログラムなり、部活なり自分の趣味にはげみなさい。(ここらへんも詳しく書きたいが、人によってやりたいことは異なるので・・・
さて、厳しめに書いたが、これは筆者が非常に後悔しているためである。
5年間。非常に長い。この5年間をどう使うかで人生が変わってくる。
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ちなみに俺は工学部です。
合格発表は見に行ったほうがいい。
色々にぎわっているし色々な勧誘を受けることが出来ます。
勧誘UZEEEってなるかもしれませんが、何でも経験です。
百舌鳥梅町(大学の西側)、土師町(大学の裏側)あたりが良いでしょうか。
大体4万~です。
最寄り駅は地下鉄なかもず、南海中百舌鳥、南海高野線白鷺がありますが、
天下の御堂筋線の前では他は歯が立ちません。地下鉄なかもず一択です。
深井周辺は勧めしません。
田舎から出てきた友達の話だが、自転車で15分というのはめちゃくちゃ近く感じるらしい。
実際には結構遠いです。
そして深井駅は南海の泉北高速鉄道線というほぼ使えない沿線なので実質最寄り駅はないのと同じだと考えましょう。
でふれ(学内での遊び)とかふれフェス(泊り込みの遊び)には参加したほうが良いでしょう。
同じ学科の新入生とも知り合えるので定員の少ない工学部は早めに知り合い作っときましょう。
入学オリエンテーションで、次の4つのいずれかに強制入会させられます。
まぁやめるのは簡単です。行かなければ勝手にやめることが出来ます。
出会い求めていきましょう。
ただめんどくさいと感じたら、活動が本格化する前にフェードアウトしましょう。
理系はほぼみんな出席しています。
テニスは3つくらいあります。
OPUとスマッシュは普通にやってる。ラムールは出会い系って聞いた。
今食堂の増設工事をしていますがそれで緩和されるかは微妙です。
2・3コマがあるなら300円のほっかるさん弁当を買うのもありです。
工学部はいつでも共通の話題で盛り上がることが出来ます。
前期は阪大受けたとか、京大受けたとか、センター90%だったとか。
浪人率がかなり高いです。
現役で来る奴は大体まぐれ合格です。
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http://anond.hatelabo.jp/20100217224011
ただでさえ学生が少ないのに、男の上智生(しかも文系)っていたらレアモノなので勢いで書く。
上智の最も素晴らしい点は、大橋アナとか海老様の嫁とかを輩出した女子の戦闘力の高さ、という意見もあるけどそんなの一部しか享受できないので無視。
全学生が喜びに震えるのが四谷駅から徒歩90秒で門に辿り着ける立地!これに尽きる。
すごいよね。駅でたら見えるもんね。門が。
これにより、大学近くに住む必要性も減り上智生は住居選択の幅が大分広くなる。
*そもそもオフィス街の為、学生向けの住居は少ないので最初から切ったほうがベター
中央特快も停止する懐の深さ!飲み屋もスーパーもラーメン屋も豊富で、皆が大好きサンプラザ中野ブロードウェイのお膝元だ!
高円寺~荻窪に住むと「しんみち通り」で飲んだ後、特快と気付かず乗車。
うっかり吉祥寺あたりまで連れ去られる。
気付けばいいんだけど、そこで寝てたりすると高尾山でハイキングして帰ってくる羽目になるから本当に注意だ!
不動産屋選びは匿名ダイアリー読むくらいの余力があるなら、いくらでもコツまとめ記事が見つけられるだろうからそれに従いなさい。
早稲田の人も書いてるけど、乗り遅れたら5月まで待ちな、ほんとに。
俺、夏に死ぬほどバイトして、半年で引越しを強行する羽目になったよ。
1位:中野 2位:代々木or阿佐ヶ谷 3位:幡ヶ谷or笹塚あたりからチャリ通
したがって「一人暮らし大変で・・・」みたいなトークで共感を得ようと思っても、ほとんど理解されない!ドンマイ!
学科ごとの授業選びのコツだとか、留年しないコツだとか、シラバスだなんだってのはあの「オリキャン」っていう謎の一泊二日で先輩からシコタマ聞きだすんだ。
ただ、もしコレを読んでる中に女子がいたら注意して欲しい。
間違いなくその先輩と付き合う羽目になる。というか、二年生以上は毎年、下級生と付き合うためにそれに志願する。
ウキウキの4月で先輩にツバつけられたら、GWや夏休みに待ち構える楽しいサークル活動で素敵な殿方とのラブメイクも遠のくぞ!
身軽でいろ!最初は!騙されんな!
男子!ゲンナリしてる場合じゃない。
いいか、お前らが入ったのが例え年中ツナギの工学部でも、お嬢様だらけの仏文でも、等しくチャンスが与えられるのがこの二つだ。
チャンスとは何か?他の学部学科の可愛い女子(法学部が圧倒的破壊力)と知り合うチャンスだ。這ってでもイケ!
生徒人数が少なく、どうやったって友達が出来る仕組み(理由は英語の授業の特殊性にあるんだけど)の上智にあってもこれは必須要素。
他の大学と違い、体育会系がそこまでイケイケではなく、非常にバランスが良い。
特に文化系な君達、輝けると思う!
個人の興味で選んでいいと思うけど、理系ならテニサーはいるべき。
俺と同じ文系の君は溢れんばかりの女子にまみれて勉強しなきゃならんので、サークルくらいは男臭くてもいいと思うよ。
インカレ系はいるより、上智らしくインターナショナル系のサークルにはいっておくと英語がびっくりするほど喋れるようになります。
繰り返すけど、ぼっちにはなりにくい大学だけども、結局は個人次第。
もう大学生なんだから、まずは笑顔で元気よく挨拶。これ、忘れんな!
マジで超裏技で実行したことがある人は俺の知り合いにはいませんが、上智学生同士で結婚してしまうという技があります。
これをすると学費がタダ?だっけかな。まだあるといいね、この制度。
プール券ってのが毎年10枚もらえる。
ほとんどの人は使わないので、これをもらって夏は毎日タダで泳げるね!
女子と一緒にいくとキャッキャウフフできて楽しいですよ。マジで。
あとサークル棟にはタダで入れるシャワーがあるので、貧乏学生謳歌中の人はここでいつでもキレイになれます。春日もびっくり。
学食は「まずい・高い・少ない」の三拍子がそろっているので、近くのしんみち通りの居酒屋ランチか、お弁当を推奨します。
SJハイムとかクルトゥルとかイグナチオとかは、洗礼を受けていない人間はまず入る機会はないけども、イグナチオのクリスマスミサは一度くらいは行っておくと見識広まるかも。
最重要ワードを伝え忘れてたけども「8ピロ」とかっていうワードを聞いたら、それは8号館下のピロティのことだ。ピロティがわからないひとは「コルビジェ ピロティ」とかでググれ。
それぞれのピロティはサークルと学科が代々受け継ぐたまり場になっている。
メンストってのは大学のメインストリートのことで、北門から続く一本道ね。
スケボーに乗ると怒られるので注意。
入学したてのお前らに絶望的な宣告をする。
四年後、卒業して社会に出てみろ。世の中の女子のほとんどは上智の学生より可愛くない。
いいか、お前がこれから遭遇できるかわいい・キレイな女子のほとんどはそこにいる。
今おまえが手が届く範囲のそこにいるんだ。
だからこれからの四年間、どんなに授業がタルくても、寝坊しても学校にいけ。
そしたら、あっという間に就職も決まってるし、卒業も出来るし、何より素敵な生涯の伴侶を手に入れることが出来るよ。
合格おめでとう!
昔自分がまだ小学生だったか幼稚園だったかの頃、両親と一緒に見ていたテレビ番組に東大生が出ていた。
その頃は勉強なんてよくわかっていなかったから、両親の説明を受けて東大生って神みたいな存在なのではないかと思った。
毎年、日本から3000人ほどしか入れない日本の最高学府(まあ、医学部には難易度では負けることもあるが)である東大のイメージは、
当時の私に鮮烈な印象を与えたことも覚えている。
幸運なことに、私は幼い頃羨望の的でしかなかった東大に入ることができた。
合格発表のときは単純に嬉しかった。
もちろん、他人に自慢できるようなことをやったんだという気持ちもあった。
しかし、入学から半年余り経った今は全く考えが変わってしまった。
中には、努力できるかできないかが大きな問題とかいう人もいるが、
入学してしまったものの立場からすれば、東大生であることは就職で有利になることくらいには何のメリットもない。
私の母は近所のお母さん仲間からうらやましがられるそうだが、実際私自身はどうでもいいと思っている。
東大に入らなくても、私と同じ19歳の時から働いて一人で立派に生活している人もいるし、
そういう人の方がよっぽど自慢できることをしていると思う。
いきなりですけど、友人に恋愛の不満はここに書くとよろしいと教わったので、ちょっと昔にあったことを書こうと思います。
信じていただけないかもしれませんが、決してネタではありません。
話は去年の4月頃にさかのぼります。当時の彼女と私は進路の話をしていました。彼女は早稲田志望で当時の私は阪大志望でした。ちなみに、どうでもいいですけどその彼女は性格から雰囲気からなにからなにまで『らき☆すた』のつかさにそっくりでした。で、その日は彼女と一緒に夜まで勉強し、学校の近くの彼女の家まで彼女を送りに行ったのですが、帰り道の途中でもう少し一緒にいたくなり、結局近くの地下鉄の駅でもう1時間くらい話し込んだのでした。
彼女と志望校を教え合ったところ、まあそうなるだろうとは思っていましたが、『大学でもずっと一緒にいたいから近くの大学を受けてほしい』と言われました。私は当時阪大はA判定で東大はD判定だったのでけっこう迷いましたが、まだ時間はあるし、彼女のためなら頑張れると思って東大を受けることに決めました。
それから時間がたって体育祭の時期になりました。大勢で騒ぐのが好きな彼女は準備にもかなりの頻度で参加していたようですたが、勉強でそれどころではない私は全く参加できませんでした(夏休みの私は、本当に毎日16時間勉強していました)。正直これはまずいな...と思って彼女にそのことを話したら、私が勉強で忙しいのは分かっているから全然気にしてないと言ってくれたので少し安心しました。
その後、体育祭予定日に雨が降ったために体育祭は延期になりました。そして不幸なことに、その新予定日が塾の東大数学一日講座と重なってしまいました。私は数学がかなり苦手で、その講座はかなりためになるという噂を聞いていたので前から絶対に参加するつもりでいました。もちろん準備をしていた彼女のことを考え当日だけでも参加しようとは思っていましたが、それで東大に落ちたのでは元も子もないと思い、結局は講座の方を選びました。その旨を彼女に伝えたら『一緒に体育祭やりたかった、そばにいてほしかった』というメールが返ってきてしばらく連絡が取れなくなりました。
それから、なんとか会って話してもらう約束をして2時間くらい会って話しましが、やはり『寂しかった、私は自分が行事にも一生懸命参加するタイプだから、それが共有できないならこのままの関係ではいられない』と言われました。彼女の気持ちを分かってあげられなかった私がダメだったと思いましたが、すでに遅かったです。そうして私たちは別れました。
それから私は無気力状態になりかけましたが、これで東大まで落ちたら本当に話にならないと思い毎日彼女のことを思い出しながら勉強し続けました。勉強中もずっと彼女のことが頭から離れませんでしたが、合格したらもう一回会って、本当に反省していると伝えようと思って頑張りました。
そうして受験を終え、無事東大に合格した私は合格発表日に彼女に電話しましだが、その時彼女はちょうど部活の打ち上げ中だったので日を改めることにしました。それから一週間後ぐらいに会ったのですが、久しぶりで緊張しながらでも一緒にいられて楽しかったです。ただその顔を見ていて、私がここでもう一回告白しても彼女に迷惑をかけることになるんじゃないかという気持ちが生じてきました。それで、結局そのときは散歩をして公園で話をしてバイバイしました。
その日の夜に高校の友達にそのことを伝えたら『何が何でも好きって言え』と言われました。人の意見で動かされるのもどうかと思いましたが、今まで頑張ったことを無駄にするのもよくないと思いその日の夜に彼女に電話しました。電話では、まだ好きだということ、体育祭から毎日反省していたこと、これからは何よりも大事にすることなどを伝えました。彼女の返事は『すごく嬉しいが、またきっと前みたいになると思うから彼女にはなれない。一緒にいるとすごく楽しいのは今でも変わらないから、連絡もしてほしいし、私は全然男友達がいないから、そういう関係でこれからもいてほしい。』という感じでした。私も、これ以上だらだら話しても意味ないと思ったので『◯◯(彼女の名前)がいたからここまで頑張れたし、◯◯と付き合わなかったら東大には行ってなかったと思う。本当にありがとう。これからも頑張って。』と言って終わりにしました。
で、それから今までだらだらと東大生活を送っている状態です。高校時代の友達の女の子に相談しているうちに、その子のことが好きになったような気がして2回ほどデートに行ったりもしましたが、それでも最近は元彼女のことばかリ考えてしまいます。
こんな私はどうすればいいのでしょうかorz
司法修習生の増男です。
今日もいい飲み会日和でしたが、起案のせいで今日の酒はちょっとしょっぱかったです。涙の味で。
さて、今日は、あまり言及されてこなかった、司法修習生たちの恋愛事情についてお話ししましょう。
そのきっかけは、たいてい司法修習中に付き合って、てのが非常に多い。
まあ朝から晩まで一緒に過ごす修習の期間が2年もありゃ、くっつかないわけがないっていう話です。
最近増えてきた事例は、ロースクールで恋愛関係になって、そのまま修習に来るというパターンです。
かつても、勉強仲間同士で一緒に合格して、っていうのはあったんでしょうけど、合格率も合格者数も少なかったのでレアだったはずです。
今では、ロースクールでカップルで仲良く合格をもぎ取る羨ましい奴らが結構いてます。まあ片方だけが受かったという、^^;なカップルもいますが。
修習生同士のみならず、実務修習で裁判所や検察庁を回っているときに、職員さんと出来てしまうっていうのもよくある話です。
そう言われて見ると、修習生がお世話になる部署は若い職員が多かったような・・・。
こういった内部調達派も多いですが、外部に走る者も当然います。
若くして合格し、渉外事務所(初年度から年収1000万円以上が約束されている)に内定もらったやつは、女子アナ・スッチー・モデルと合コンしまくりw、みたいな話を聞いたことがあります。
そうでなくても、地方で普通のOLと合コンして、っていう人もいます。仲間にも何人かいます。
また、合格発表直後に、受験生活を陰で支えてくれた恋人と結婚、という泣ける話も少なくないです。
ともあれ、修習中に結婚すると、8万円のお祝い金と、新婚旅行に行ける権がもらえます。
なので、わざわざ修習中に入籍する人は多いです。