京大の入試がおわってから、何度も何度も自己採点した。何度やっても、ギリギリで合格の点数が出た。
3月10日。これから春になろうというのに、冬のように寒く、冷たい雨が振っていた。そんななか、電車で2時間ほどかけ、大学まで合格発表を見に行った。現役のとき、浪人のとき、受験時に何回も往復したので、駅から大学への道はもう迷わない。予定通り大学につくも、自分の志望学部の合格発表の掲示板を見つけるのに少し迷い、目的の場所についたときにはもう発表2分前。思ったより人は少なかった。2分という時間はとても短く、あっけなく、これまでの思い出が蘇るということもなかった。しかし、心拍数は、腕時計の秒針が進むにつれ急上昇した。時間になると、建物の中から、番号を無機質に羅列した模造紙が運ばれてきた。ためらいなく、自分の番号を探す。探す。なかった。探す。僕の番号はなかった。不合格。その現実は、間をおかず、僕を飲み込んだ。落ちた。涙ではなく、うめき声が上がった。無意味に彷徨し、幾度番号を探しても、ないものはなかった。震える手で、携帯を手に取り、家族や、友人にメールをする。「落ちました。」「だめでした。」誤魔化しに絵文字を添えた。自宅には電話をした。姉が電話を取った。姉の声をきいたとき、初めて泣いた。おそらく、姉でなくとも、家族であれば、誰でも泣いていたと思う。「よく頑張った。」と言ってくれた。受験生活で、いっしょに励ましあった、ある友達は、合格していた。良かった、と思った。「おめでとう」とメールを送った。
僕は、逆転合格するすごい人でも、苦労をかけた家族に恩返しできるいい息子でもなんでもなく、ただ不合格者の一人だった。わき目も振らず、校門を目指し、大学を出た。周りの笑い声を振り払った。落ちた。途中、何度も立ち止まり、空を見上げた。涙は我慢しても、断続的に流れてきた。雨は来たときより強くなっていた。風もあり、折り畳み傘がすぐにめくれるので、差すのをやめた。顔に雨がかかって、涙と混じってくれたので、ありがたかった。
電車に乗った。方々に送ったメールが、次々かえってきた。みんな優しかった。そのやさしさが逆に心を締め付けた。申し訳なさと不甲斐なさで押しつぶされそうになった。現役、浪人、2年間はり続けた虚勢は、あっけなく、一瞬で瓦解した。車窓から見る空は鉛色に曇っていた。郊外の野原は春らしくなかった。雨が降っているかどうかは車内からは分からなかった。自己採点はまったく無意味だった。半ば無意識に、合格点がでるように操作していたのだから当然だ。
朦朧としたまま、家についた。自分の部屋で一人泣いた。ベッドの布団が濡れていった。ただ泣いた。しばらくして止んだが、母が勤め先から帰宅し、その顔を見ると、また、泣いた。目が赤くはれた。こんなに泣いたのは、いつ以来だろう。母は変わらず優しかった。僕はあやまった。何年かぶりに母の肩にすがって、あやまっても何の意味もないと分かっていながら、何度も何度もあやまった。母は、「あやまらなくていい。お前は自慢の息子だ。」といった。そんな優しい母に恩返しできなかった自分が情けなくなり、また泣いた。
今日が人生の分岐点であることは間違いない。一つ目の大きな試練は、負けた。滑り止めの私大はすでに決まっている。明後日国公立後期試験がある。今は、ただ、流れに身を任せるしかないようだ。悔いはいくらでもある。満員電車で見る社会の大人がなんであんな悲壮な顔をしているか少しだけ分かった。でも、前に進むしかない。とりあえず、進みます。家族にも、友達にも、話せないことを書きました。駄文失礼しました。
ざまぁ! ざまぁ!! ざまぁあぁぁぁぁぁ!!!!