はてなキーワード: 一部の人とは
例えば
仁藤夢乃氏およびフェミニスト諸氏は、「温泉むすめ」に対して上記例と全く同じ非常識かつ差別的な要求を突きつけている。同意はできない。「非実在少女が性的搾取されて可哀想」という同情心があるなら「非実在少女には性的搾取から逃れた場所で活躍して欲しい」と応援するのが人として正しい姿ではないのか。実際に有馬温泉観光大使として起用された温泉むすめ2人に性的表現はほぼない(スカートが短い程度)。2人は性的搾取から逃れた場所で活躍しているのだから、フェミニスト諸氏も応援すべきだ。
そこまで有名ではないけど二次創作のおかげでフォロワーが数万に増えた、素朴な絵柄で温かい話(個人的にはそう思う)を描いていた絵師が、最近安直な一部の人には人気が高い系統のシチュエーションのオリジナルを描き始めた。
RTといいねを多くもらっているが、違う!あなたはそんな安直な話を描く人じゃない!と自分の理想を押し付けるマンになってしまった。
でも、もし自分が編集だったらそういう方向にさせないのに……。
その絵師はまだ商業デビューしてないけど、初期に描いていた頃の話を研ぎ澄ました方がずっと残れる漫画家になれそうなのに…。
とはいえ最終的に本人が楽しければそれでいいし、そのシチュエーションが好きだっていうのならそれまでの話。
…でも、もったいないよなぁ。
あからさまなR18表現でもない表現をゾーニングできると思ってる人の根拠ってなんなの? 恣意的でない基準にそって、あなた方にとってどう見える世界になれば理想なの?
「みんな」がお前やお前が作り出した作品を見ると不快でキモいと思うから、お前は日の目の見えない私的な領域に影のごとく隠れてろ、俺らがお前やその作品を見たくない自由を尊重させろ、といえば、それは「いじめ」だし人権侵害になるよな?
それ以上の強い理由だということで公共性や常識やTPOを利用すればそれはマジョリティによるマイノリティへの抑圧じゃないのか? 実のところ「社会通念」に訴えなきゃいけない法律ってめちゃくちゃあるけど、それって実践上の必要悪であって原則的には、一部の人しかアクセスできない、普遍的妥当でもなんでもない恣意的な基準の温床であることを引き受けるってことだろ?
女性への「女性は性的客体である」という意味付け云々の話にすれば、明らかに作者の意図でないメッセージを作者に帰属させてる点で過剰すぎるだろ。女性は男性と平等に主体性をもつ生き物ですって認めてることと、架空の二次元女性が萌え絵広告に使うことは両立可能で相互独立だろ? セクハラはだめ、同意のない性行為はだめと思うことと、萌え絵広告を書く態度は全く相反しないだろ。こっちのファンタジーなんだからほっといてくれよ。
見た人に影響があるってんなら、対応するデータくらいは出してくれよ。根拠のない懸念だけっていうにはあまりに語調が強すぎるだろ。理解できないオタクは狂ってるみたいな言い方よくできるよな。
おれはどんな基準でみなさんがゾーニングとか言ってるのか分からんわ。俺だって道端でいきなり裸になったりはしないけど、それってあからさまな公然わいせつだからだろ。いきなり性器を露出した露骨な性表現を含む雑誌を見せびらかしたりしないけど、法律で禁止されてるからだわ。
最終的な結論として出てくる「ゾーニングは法的な議論にはそぐわない。慎重な議論が必要だ」という言葉がよくあるけどさ、本当に慎重な議論しようってやつおる? その議論って印象操作とゴリ押しだったりしない? 燃やしたやつは、すぐ忘れちまって次の広告を燃やすように見えちゃうのよ。
以上で上げた論点を問題視してる人なんて俺以外にも山ほどおるけどさ、恣意的でない基準でゾーニングやったろうってぶち上がってくれた人が、全然俺には見えないわけよ。なぜ特定の表現が駄目なのか、本当にオタクや表現者にかけた攻撃的な言葉通りに問題なのか、ちゃんと時間をかけて検討してくれとる? 批判と批判を積み重ねて、案件ごとに議論を発展させておくれとる?
もしそうなら、君にしてみれば初歩的なところで迷える子羊になってる俺に教えてくれんかの。短い文章だと前提が飲み込めないから、自明と思われることも順々に積み重ねてくれると嬉しい。そうしてくれた人には、どんなに一見稚拙に見える論理を展開する人でさえ感謝するから。ネットで誰かにモノを教えるって怖いもんな。言葉にするのって大変だよな。でも、善意があるならしてくれんかね。延々とつづく脳内藁人形は、あまりに私個人にとって不快でつらすぎるんよ。
バルミューダフォンは高い、Snapdragon 765で10万円台とか中華スマホだったら3万円だぞ、とか、この値段だったらiPhone13mini買うわ!みたいな投稿がわんさか出て、なんでわかってないのかなと思った。
みんな、なんであの高価なiPhoneがあんなに売れるかわかってる?Aプロセッサの性能がいいから?いやいや、普通の人はプロセッサが何使ってるかなんて見ない。スペックなんぞ気にするのは一部の人だ。私が言いたいのは、はてなとかITmediaとかインプレスとか見てるような人が購入の条件にすることと、普通の人は違うってことだ。
普通の人は、iPhoneは使いやすくてデザインが良くてカメラがいいから高くても買う。じゃあ実際に使いやすいのか。そんなことはない。指紋認証がついてないのでマスクからいちいち鼻出さなきゃならないし、デジタルコンテンツはいちいちSafariに戻ってログインして買わなきゃならないし、カーソル移動ひとつとっても裏技みたいな機能を使わなきゃできない。未だに充電コネクタも独自のやつだ。iPhoneは全然ユーザー体験を大事にしてなんかない。デザインだってでっかいノッチに分厚いレンズが野暮ったいし、カメラはたしかにいいけど、別に飛び抜けていいわけでもない。ギラギラ光る夜景を派手に撮るにはいいけど、そんなもんすぐに飽きるだろう。
iPhoneは「使いやすくてデザインが良くてカメラがいい」のではなく、「使いやすくてデザインが良くてカメラがいい」という物語を作るのに(特に日本で)成功したってだけのこと。大半の人はそれで買ってる。ちなみに私自身はOSのサポートが長かったり、OSXとの連携が優れているので多少の欠点には目をつぶってiPhone使っている。でも大半の人は2年でスマホを交換して半額になるプログラムで買うからOSのサポートなんて関係ない。Mac持ってる人だって少ないだろう。たんに「これ使っときゃ間違いない」という物語を信じているだけなんだよ。
バルミューダも実はそれをしてきた。バルミューダが最近出したものにスピーカーが有る。Bluetoothでつなぐよくあるやつなんだけど、スピーカーが上を向いていて、アクリルのランタンみたいなのが下についてて、LEDランプが音楽に合わせてピカピカ光る。そんだけのもの。自分も聞いてみて、モノラルのフルレンジで音はそこそこいいけど別に飛び抜けていいわけじゃない。これが35,000円。どう考えても高い。中華メーカーが「令和最新版 ランタン風スピーカー」とamazonで売ってても違和感ない程度のもんだ。でもレビューは絶賛でしっかり売れている。
コスパ悪いよね。でも買った人はクリエィティブやANKERあたりが出している5000円くらいのスピーカーと比較して、「音質たいして変わらんやんけ!」と怒ったりするような人じゃない。バルミューダが精魂込めて作ったのだからいいもんだ、という物語を買ってる人なんだ。バルミューダフォンも同様である。
バルミューダフォンの売上見込みは30億円という。Softbankにいくらで卸しているのか知らんけど、台数にして3万台くらい、国内シェアにして0.5%もない。国内でスマホを使っていて、小さくて他の人と違うスマホがいいけど、中華Androidとかを買うのはちょっとやだ、いいものがほしい、と思ってる人に届けばこのくらいだろう。そして端末は「お返しプログラム」で買えばそんなに負担にもならない。第一これらの人はコスパがどうだスペックがどうだなんてことはほとんど気にしない。スマホは普通に動けばいいと思ってる。
そして重要なのは、人間はこだわりのある高いものを買ったら、よっぽどその商品がダメダメな場合を除けば、かえって「これは高いからいいものに違いない」と思い込むことだ(認知的不協和という)。だから5万円くらいで出したらかえってダメなんだよ。バルミューダフォンを製造するのは京セラ。みんな知らないかもしれないけど、実は小ロットで個性的な端末をしっかり作り込むのに長けたメーカーである。国内メーカーとしっかり打ち合わせして、こだわりのあるスマホを相場より高めにだして、0.5%くらいの人に確実に届けて続けていく。さすがはバルミューダは手堅い連中だと思う。その後、おそらくワイヤレスイヤホンとかスマートディスプレイなんかの周辺機器も出してくるだろう。
こういう人をおまいらは「情弱」というのかもしれないけど、ウェブの記事を穴が空くほど読んだりベンチマークの数値を気にしてスマホ買うような層はメジャーじゃないんだ。おまいらが考えるようなことはバルミューダだって考えてる。彼らがやりたいのは最新最高のスマホを出すことでもなく、中華メーカーと手を握ってハイコスパマシンでシェアを分捕ることでもない。個性があって、ちゃんとしっかり使えるという保証があって、ブランドがあって、そういうのをほしいと思ってる人をうまく掘り起こす物語を作りたいのだ。おそらく彼らはこれからもスマホをデジタル製品の中核に据えて地道に新製品を出して、それは多くはないけど確実に一部の人には使われていくだろう。バルミューダフォンはその意味で成功する。おまいらは何もわかってない。
ただし、俺は買わないけど。
どうなんだろうな
色んな可能性があると思うんだが
陣営を決めて参加する議論ゲームとか、所属に縛られたポジショントークとか
各個人が払っている通信費、サーバー代といったもの以外に、SNSで延々とやり取りに費やされる時間なども膨大だ。
ホームページと言っていた時代だと、他人の家に土足で踏み込んでいくような感覚はあったが、それも過去の話。
一部のSNS企業サービスの上が公共圏に等しくなっているのに関わらず、表現の自由の名のもとに延々と炎上している。
現実空間だと街頭演説、ビラ配り、デモ行進、屋外広告など許可が必要なものが多く、
それなりの根拠と落とし所を用意していたはずだが、Webになるとなし崩し的に広まってしまった。
間接民主制で、誰も彼もが常に政治に時間を取られることがない効率を求めていたのに、
Webは直接民主主義になり、誰もそのことに疑問を持っていないし、一部の人や企業のみ利益を享受している。
破綻がすごいな。
この件に限らず、おかしなキャンペーン打って開き直って正当化するとかキャンペーンのターゲット以外に通じるわけないじゃん。客は離れるし一部の人しか来なくなるし雰囲気傾くし、まあ長い目で見て寂れるよね。オタクだっていつまでも金があって健康とは限らないんだから。
再生出来るところは地道に人のいる所でもっとおとなしいマーケティングをやったりする機会があるし
そういうのをキャッチーにやればいいんじゃないの?うまく行っている例だってあるんだしそのためのネットでしょ?
コンテンツのターゲットのみに媚びてなりふり構わず金を落とさせるって方法だからキモいんだよ。あの絵とか設定とかどうでも良くて。
とりあえず何であれ柔らかくしとけばいいんです。
それでいくとパスタって麺類の中で一番茹で時間に厳しいイメージがあったんですよね。誰が厳しいのかはいまいちわからないんですけど。
パスタが厳しいのか、イタリア人が厳しいのか、シェフが厳しいのか、食べる人間が厳しいのか。
私は今まで律儀に袋に書いてある茹で時間を守って、"正しい固さ"なんかわからないくせに1本啜ってみて「よし」とか言ってたんです。別によくねーのに。なんかちょっと固いよなぁと常々思いながらパスタを食べてきた女、私。
ある日ふと疑問に思ったのが、結局のところアルデンテってどこの誰の味覚でよしとされとんのかっていう。
で、調べて一発目に出てきた特集記事に書いてあった結論が「パスタはうどん」だったんですよ。びっくりした。
要約すると「アルデンテアルデンテ言うてんのは一部の人だけで世界じゃデロデロパスタもよくあるもの、日本で言ううどんぐらい様々や」ってことだったんですよ。真意は知らんけどね。知らんけどこの際それはどうでもよくて、目から鱗がこぼれ落ちてしばし放心状態でした。
パスタの固さが自由でいいなんて、四半世紀生きてきて私ゃその可能性すら考えたこともなかったわ。そうか。そういうもんか。でもそりゃそうだよな。
ラーメンだってうどんだってそうめんだって、私みたいにメーカーに指示された茹で時間まるっきり無視してデロンデロンにするやつがいるんだもん、パスタだって世界中それぞれの好みで茹でられてるに決まってる。アフリカ人が時間計ってパスタ茹でるとも思えないし。
後日、パスタを作りながら恋人にこの話をしたら「自分も柔らかいパスタの方がおいしいんじゃないかと思ってた」と言い出して、今まで私が作ったパスタを食べる度に「うん、しっかりアルデンテだねぇ」と言っていたアレは何だったのかと思った。「うん、合格」みたいな意味かと思ってたのにどうやら「うん、しっかりアルデンテだねぇ」という以外に何の意味も含んでいなかったらしい。へぇ。
最近また子供ハーネス擁護派が増えてきており、一体何回この議論を繰り返すのか・・・と疲れています。
ここで改めて、子供にハーネスを装着させることを是とする派閥に対し、全て意見を論破しようと思います。
よくある擁護派の意見ですが、これは「手つなぎで対応する」で終わりです。
古来から人はそうしてきました。先祖代々連綿とそのように生きてきたのに
今ハーネスに頼るというのは、育児に力を入れておらず、子供を軽視していることに他なりません。
古来から多動の子もたくさんいました。それでも、ほとんどは手つなぎという愛情をもって子育てをしてきました。
現代に生まれたからと言って多動の子を特別扱いする理由はありません。
はい、子供は危険性がわからず道路に突っ込んでいってしまうというのは、その通りです。
違います。高所作業者には保護者がいないので自身の命を守る必要がありますし、法律でも着用を義務付けられています。
子供は保護者がいるので、親が手つなぎして対応するのが愛情です。
ハーネスを付けて出かける親がいる以上、それを見てしまうことになります。
不快なものを見せつけられているので、擁護派の言う「外野」にも意見をする権利があります。
例えば少女に首輪をつけて連れて歩く男性がいたら、不快に思う人がたくさんいることでしょう。
それと同様の話です。
強制的に不快な行為を見せつけらていて、それを咎めたら「他人に干渉するな」とはおかしな理論です。
干渉されたくないなら人のいるところでハーネスを使わないでください。
人のいないところでハーネスを使う分にはこちらも不快な思いをしないので、
心情的には反対ですが、表立って反対はしません。
いいえ。子供を産むという選択をした一部の人の自分勝手で、他人に迷惑をかけて良いというわけではありません。
子供を産んだからといって他人に迷惑をかける権利を得るわけではないのです。
誰かに迷惑をかけるようなことをせず、互いに配慮し尊重し合う社会であるべきと考えます。
【追記】