はてなキーワード: バブルとは
自分はあと40年は働かないとって考えるだけで死にたくなっちゃうね。
まあ死ぬ勇気もないからなんとなくこのまま働いて生活してくんだろうけど。
そのくらいのおじさんたちに「大事なのは気合」とか「俺達が若い頃は~」みたいなこと言われるけど、単純にすごいなって思う。
気合でどうにかなると思ったこと、人生で一回もないんですけど。
多分世の中がなんとなくふわふわしてて、お金もたくさんあって、毎日楽しかったんだろうな。
そういうのを経験してるなら「気合」って口に出せるような人間になれてたかもな。
こちとら、生まれた時から停滞しか感じたことないよ。絶望ですよ。
何にも楽しいことがないな。
俺は創〇3世だ。
「学会さえやっていれば幸せになれる。学会をやらなきゃ地獄に落ちる。」と小さい頃から親に言われ続けていた。
両親の言うことに何の疑問も持たず、小・中学生の時は友達や恋人を会合に連れて行き、お経の唱え方を指導したりした。
それからは、自宅にピンク色のスーツを着たパンチパーマの男が父を訪ねてきたり、巻き舌の男から電話がかかるようになり、居留守をしてるだろうと怒鳴られたりもした。
父親は「バブルで破滅した人あるある」に漏れず、ヤバい先物取引業者にハマっており、あちこちから借金もしていた。
辛い記憶のせいか前後がイマイチ覚えていないが、その人に俺が呼び出されたから、父親が逃げた後のことだったんだろう。
支払った記憶もないし、どう切り抜けたかは全く覚えてないけど。
言葉通り、俺にとって天と地がひっくり返るようなショックだった。
だって生まれた頃から、両親はもちろん祖母や親族も全員「学会さえやっていれば幸せになれる。学会をやらなきゃ地獄に落ちる。」と言っていたからだ。
今思えばそれは、何の経験も持たない子供の俺にとって「親」というキーワードが「ご本尊様」に置き換わっていただけだったと思うけど。
それからの俺は、他人に自分に足りないものを見つけては落ち込む日々を過ごしている。
“学会さえやってりゃいい”という世界で生きてきた俺にとって、普通に生きていくための哲学がなさ過ぎたのだった。
30代までは世間知らずさや若さの勢いや体力で、何とかごまかして生きてこれた。
そうやってごまかしながら生きることで、俺は学会を失った事件にずっと向き合わなかった。
10代の頃に崩れた世界を作り直さず、ただただ不信感と怒りに溢れた感情の中で、友人や恋人からの愛情もすべて裏切ってしまった。
40代になりごまかしが利かなくなってくると、こうした歪みが浮き彫りになってきた。
常に役に立たないといけないという強迫観念に悩まされ、何者にもなれない自分が怖い。
結果、今は一人ぼっちで手元には何も残っていない。
そろそろ終わりが近づいているように感じている。
カルト元信者のオフ会やらグループの記事を見かけ、同じような悩みを抱える人達に聞いてほしいと思っていたが、ネットで探しても見つからなかったのでここに書き捨てる。
暗い話をして悪かったな。南~無~
俺は創〇3世だ。
「学会さえやっていれば幸せになれる。学会をやらなきゃ地獄に落ちる。」と小さい頃から親に言われ続けていた。
両親の言うことに何の疑問も持たず、小・中学生の時は友達や恋人を会合に連れて行き、お経の唱え方を指導したりした。
それからは、自宅にピンク色のスーツを着たパンチパーマの男が父を訪ねてきたり、巻き舌の男から電話がかかるようになり、居留守をしてるだろうと怒鳴られたりもした。
父親は「バブルで破滅した人あるある」に漏れず、ヤバい先物取引業者にハマっており、あちこちから借金もしていた。
辛い記憶のせいか前後がイマイチ覚えていないが、その人に俺が呼び出されたから、父親が逃げた後のことだったんだろう。
支払った記憶もないし、どう切り抜けたかは全く覚えてないけど。
言葉通り、俺にとって天と地がひっくり返るようなショックだった。
だって生まれた頃から、両親はもちろん祖母や親族も全員「学会さえやっていれば幸せになれる。学会をやらなきゃ地獄に落ちる。」と言っていたからだ。
今思えばそれは、何の経験も持たない子供の俺にとって「親」というキーワードが「ご本尊様」に置き換わっていただけだったと思うけど。
それからの俺は、他人に自分に足りないものを見つけては落ち込む日々を過ごしている。
“学会さえやってりゃいい”という世界で生きてきた俺にとって、普通に生きていくための哲学がなさ過ぎたのだった。
30代までは世間知らずさや若さの勢いや体力で、何とかごまかして生きてこれた。
そうやってごまかしながら生きることで、俺は学会を失った事件にずっと向き合わなかった。
10代の頃に崩れた世界を作り直さず、ただただ不信感と怒りに溢れた感情の中で、友人や恋人からの愛情もすべて裏切ってしまった。
40代になりごまかしが利かなくなってくると、こうした歪みが浮き彫りになってきた。
常に役に立たないといけないという強迫観念に悩まされ、何者にもなれない自分が怖い。
結果、今は一人ぼっちで手元には何も残っていない。
そろそろ終わりが近づいているように感じている。
カルト元信者のオフ会やらグループの記事を見かけ、同じような悩みを抱える人達に聞いてほしいと思っていたが、ネットで探しても見つからなかったのでここに書き捨てる。
暗い話をして悪かったな。南~無~
https://kensuu.pageful.app/post/item/OzwWntUXLhlyxGT
僕は親友だと思っています。こうすればこうなるよね、というロジックがいつも精度高く、みんなが「それは違うんじゃない?」と思っているものでも、成功させてしまう実力がある。人気があるものだけじゃなく、売上や利益をすぐに出せる経営能力の高さがすごい。センスの人だと思われがちだけど、センスだけじゃなく、数字やロジック、人の機微まで見極めて事業を作れるので本当にすごい。
あと、多くの人が尊敬しており、優秀な人を集めてきて、くっつけて、うまくいかせる・・・みたいなウルトラCの施策もガンガンできる。
その彼が、同じく起業家のあやたんこと中川綾太郎さんを褒めちぎっているのを見かけた。
僕の認識では、中川綾太郎さんというのはキュレーションメディアのバブルで最高に上手くやった人で、後に一時公開停止となってしまうメディアを数十億円とも言われる高値で売り抜けた人物だ。
実際のところ、誰の主導であの事件が起きたのかは内部の人間ではないので定かではないが、
事実としてわかっていることは、パクリや読者の興味を煽ることに特化した不適切かつ不正確な記事を量産してアクセス数を稼いでいたということだ。
そこには誠実さの欠片もなく、ただ儲かればなんでも良いという精神しか感じ取れず、個人的には非常に胸糞の悪い事件として記憶に残っている。
僕は起業というのは一つの手段であって、それによって社会をより良くしたり誰かを手助けしたりすることが本質だと思っている。
だから、その目的が達せられるならば、立場は別に大企業のサラリーマンであっても一向に構わないし、
むしろその方が組織のリソースや看板を用いることでより優れた業績を残せる場合だって当然あると考えている。
しかし、世の著名な起業家の立ち振舞を見ていると、そういう価値観のもとで動いているとは思えないと感じてしまうことが少なくない。
そういえば、けんすうさんがKDDIに売却したnanapiというサービスも、結局は立ち行かなくなって事業停止に追い込まれてしまった。
nanapiはけんすうさんが心血を注いで頑張ったものの結果としては市場があまり存在しなかったというだけで、
Meryのように社会にとって悪質で有害なものを自己の利益のために生み出したことに比べれば、善良かつ単純な失敗と言えるだろうが、
いま一つなメディアを作って誰かに売りつけたことが起業家としての主な実績という意味では、二人は共通点があると言えるかもしれない。
そのあたりからシンパシーを感じているのかもしれないが、僕が不思議なのは中川綾太郎さんのように、
外部からは明らかに悪いことをやったようにしか見えない人が、特に断罪もされずに依然として起業家としてリスペクトされ続けているという点だ。
あのけんすうさん曰く、多くの人が尊敬していて優秀な人が集まってくるというのだから、その人望は折り紙付きなのだろう。
もちろん、「事業を作って数十億円で売却した」ということも一つの事実であるから、
それが起業家にとってのゴールであり目標であるならば、彼はまさしく後続の人にとってはヒーローなのだろう。
それどころか、無から実を生み出して大金を得たのだから、考えようによっては凄まじい荒業をやってのけた伝説的な人物という捉え方もできるのかもしれない。
しかし、それによっていったい僕たちの生活になんの好影響があったというのだろう。
彼が手にした大金は、いったい社会に何を与え、どんな貢献をしたことへの対価として支払われたのだろう。
そういうことを疑問に持つ人は、あの界隈にはまったく存在しないのだろうか?
ビジョンもなく、ただ数字を追って有害無益な「事業」を作り大金を得た人が、成功した起業家の代表のような顔をしていることが、
あとに続く人たちにとってどれほどの悪影響を与えるかということを、そこにいるいい大人たちは微塵も考えないのだろうか?
程度の差はあれ、似たような人は大勢いる。
僕が見るに、スタートアップの人たちは、IPOやMAでEXITしたことのみをクローズアップして、
その会社やサービスがその後どうなったのかをあまりに軽視しすぎているように思う。
典型的な上場ゴールを決め、そこで調達した資金がなければとっくに潰れているような会社を経営している人が、未だにイベントなどにいくと大きな顔をしているということはザラにある。
不勉強な社会人や無知な大学生相手にはそれでもいいのかもしれないが、誤ったロールモデルを目指してしまうことの危険性をもっと考えた方がよいのではないだろうか。
起業家のそうした身内への甘さのようなものがなくならない限り、この国から本当に世の役に立つようなスタートアップは出てこないのではないかと思ってしまうのは、僕だけなのだろうか。
むしろ、小泉政権の時に「抵抗勢力」とされていた連中が正しかったってこと。
小泉時の抵抗勢力が言ってたのは、バブルの傷跡で需要が不足しているのだから、公共事業で支えないとならないということ。
いま、MMTを言ってる連中と同じ。
あえていうなら「バランスシート不況」という概念がリーマン・ショックというまた別の大規模バブル崩壊があって着目されたということだろうか。
そこでも当然底辺労働で一生を終えると思ってたのに、住処の近くで転売にもってこいのモノをいくつか見つけてそれを売りさばくことで、利益年間1000万超えるようになった
仮想通貨バブルやブログバブルにも乗れたことで今は一軒家で悠々自適な生活
宝くじに当たったようなもんだけど、東京には地方とは違う何かがあるという嗅覚は間違ってなかった
最高や
自分自身が底辺だったけど、助けてやろうなんて1ミリも思わない不思議
おそらくお前らは一生底辺這いつくばりながら、政治批判するんだろうな(笑)
あえてお前ら底辺にアドバイスするなら、行動あるのみ失敗したら別に方向で行動これだけでかなりまともな生活が送れるようになる
1番最悪なのは、今の底辺労働にしがみついて、酒のみながら政治批判で憂さ晴らしすること
昭和世代が底辺労働やって酒飲みながら贔屓の野球球団応援で憂さ晴らししてたら時代から脱却しろってこった
まあ、お前らの言うことはわかってるよ
俺は何度も何度も死んでんだよ
バブル崩壊と言われた後、実際には日本の景気は今ほど悪くはなかったのだ。
それでもなお、金持ちは居たし、その辺のおっちゃんは500万を超えて700万程度はあったのだ。650万だとちょっと低いかな? という程度。
野原ひろしの年収が650万というのは「平均よりちょっと下のうだつの上がらないリーマン」だった。
要するにイケてない中年。そんな中年でも子供二人にマイホーム持ってるってそういう時代。
それが今じゃ、バリバリ仕事をこなす、やり手リーマンになってしまった。
バブル崩壊後に、日本を支配したのは「このままじゃだめだ。欧米を真似ないと、もっと景気が悪くなって滅ぶ」という漠然とした根拠のない不安だった。
この当時の空気を知りたければ、サラリーマン金太郎を読めばわかる。
バブル崩壊からの、根拠のない危機感と、ことごとく裏目に出た改革案がすべて全巻を通じて載っている。
最後に小泉純一郎をもじった大泉なる総理が、派遣解禁を役人が必死に止めるのを「ユニオンだから合法」に乗っかるシーンで終わるのだが、まさに今から見ると「それをやったからお前、お前、結局雇用の底が抜けちまったじゃねえか馬鹿野郎。お前が悪いんだよお前が!!」と単行本を投げつけたくなる。
いわゆるバブル崩壊以降の改革案というのは、「一切の科学的に分析された知見によって行われたものではない」と断定してよい。
簡単に言えば「バブルが崩壊したのは心を失った日本への天罰だ」という謎のオカルティックな思想によって支えられていた。
だから、「経済に潜む何者かに清貧をささげて悔い改めれば、許してくれるだろう」という謎の思想が支えていた。
この思想でまず一番最初に挙がるのは、石原慎太郎だろう。彼は、東日本大震災の際に「我欲を捨てろ、天罰である」という趣旨の発言をした。彼には津波は我欲を洗い流すためのノアの洪水のように映っていたのだろう。あの空気感。
だから、バブル崩壊以降の改革案は「痛みを伴う改革」という路線で進められた。つまり、「罰を受けるのだから痛くなければだめだ」という短絡的な思考があったことは間違いない。
つまり、「国民に痛みを与えて罰することにより、経済に潜む何者かに許してもらおう」という思想があったのだ。正直そこには「効果的であるかどうか?」はあまり意味がない。「痛みを伴うこと」が重要だったのだ。効果があることよりもずっと重要だった。
マジで、今までが甘えていたんだ。これからもっとひどくなるぞ。だから我々は厳しくせねばならんって本宮ひろし顔で主張してる政治家がわんさかいたんだよ。Mr.ビーンなんかも、なんかもその流れで無茶苦茶人気が出た。リストラする俺、非情のリーダーで格好いいって時代だよね。
与党も野党も左も右も、意見で対立し続けてはいたが、「痛みを罰として引き受けること」には一致していた。あらゆる経済的な社会保障を切り詰め、消費税を増税し、国債発行高を抑制しようとしても、小泉純一郎の様々な国民をいたぶるかのような社会のセーフティーネットと規制を撤廃するかのような改革を続けて、経済に潜む何者かにいけにえを捧げ続けても、「余計に悪くなった」ということしか起きなかった。
このことにいまだに気づいていない人間が山ほどいるのだ。
「国債発行は悪」
「消費減税は悪」
「サービス残業は当たり前」
「我々が罰を受けなければ、子供が苦しむぞ」
これらを支えているのは、経済的を科学的に俯瞰した法則ではなく、「バブルを罪としてとらえ、罰を受けることによって禊をする」という非科学的な思想だ。
だからいつまで経っても成果が上がらない。
これは小泉純一郎の自民党で顕著だったか、民主党も「苦い薬を飲め」と国民に迫り、その内容は自民党以上に強硬だった。
どちらも「罰を受けねばならない」というという、謎の強迫観念から逃れられていない。
このあたりの謎の思想を見たければクニミツの政を読むことをお勧めする。
とりあえず「公共事業という寄生虫が国をダメにしている、あいつらは規制虫だ。我々がこんなことをしていれば子供が借金まみれになって苦しむぞ~」というわけのわからん空気感だ。
で、これら改革の行きつく先がもう見えてる。
ふう。言いたいことを言ったのですっきりした。
飯食って寝る。
自分がおろかだったというのはあるけど
どうしてこういうやり方をするんだろうって
ずっと見てた
あえていうなら、結婚できない男性も多いんですよという今の時代の言い方のほうがとはおもうが