はてなキーワード: ジェンダーバイアスとは
つまりこれがどういうことかっていうと、一輝も瞬も「男性だから」「女性だから」などといった些末なことで揺るがない「一輝だから」「瞬だから」で輝いているキャラだと、ファンがしっかりと受け止め愛しているという証左でもあるわけなのですよ。 pic.twitter.com/WqGiZW2KPc— SOW@11月新刊発売! (@sow_LIBRA11) November 5, 2019
違うだろ。
単に「男らしいキャラを女性化したらギャップがあって面白い」+「既にそういうギャップは大いに利用されていて男勝りなヒロインの類型が固まってるからしっくりくる」というだけだろ。
逆にいかにも「女らしい」ヒロインなんていまどき流行らんからアンドロメダ瞬を女性化しても面白みがないという話だよ。
ここには明確にジェンダーバイアスが存在していて、オタクはそれを無くそうとしているのではなく、こねくり回して形を変えることで誤魔化しているにすぎない。
目を逸らすな。自覚せよ。
男向けのコンテンツ→性を客体化するジェンダーバイアス促進型の性的消費の性的搾取する前時代的なグローバル基準にそぐわない環境型セクハラについてもっと男は勉強して!
そう言うなら人はだれしも何某か「洗脳」されてるもんだよね。教育によって。
ここではジェンダーバイアスの例でいくけど、これが「洗脳」で「すべてが絶対に悪いもの」だとは俺は思わない。「男はこういう感じ」「女性はこういう感じ」みたいなものが、じゃあ本当にナンセンスなものなのかはちゃんと個別に考察すべきだと思うんだよね。実際そうであることが自然なのであれば、そういう傾向は別に口にしたって問題ないと思うんよ。「そういう傾向なんだから君たち女性はこうあれ!」とか、おかしな偏見の基につくられた「こういう感じ」が間違いなわけで。それに男性主導の歴史ってのはあったにしても、互いに思いやりを持つ人々はいたわけじゃん。みんなが好き勝手やってたわけじゃないでしょ。
例えば俺の感覚だけど、「女性には政治は分からない」ってのはおかしいと思う。学びによって普通に分かると思うし、今は単純に比率が男性多いことで「男性の意見」はどうしても納得しやすくなったり、逆に「女性であることが価値」みたいな選挙活動がまかり通ったりする。政治家なんて男女比1:1のがいいでしょ、だって大体1:1なんだから、地球の男女比が。お互いの気持ちはおもんぱかれても「そのままの気持ち」にはなれないんだからさ。
対して「女性とは子供に優しい傾向がある」ってのは正しさがあると思う。というのは子供を産む・授乳するって機能は女性にしかなくて、長く子供といることになるから当然愛着が湧きやすくなる。子供がいない人でも親はいるんだから、その親が女の子には未来の出産のことを考えて意識づけられた経験がある可能性が高くなる。そうすると相対的に女性は子供に優しくなるのは自然じゃないかと。そういう意味で、例えば保育士を(誰もそんなことは言っていないだろうが)無理に男女比1:1にする必要はないと思う、政治とは違って。別に自然なことであって、そこをトントンにする理由は別にないはず。
ただ、個々の人格は多数決とは全然別なので、「女性なのに子供に優しくないね」みたいな下げ方はおかしいと思う。女性にはそういう傾向はあるが、そうなきゃダメってわけじゃないでしょ、という。
なんだか「ジェンダーバイアス」とか「差別」とか、そういうのをラベル化して「イコール悪!あいつはこのラベルだ!イコール悪!!」みたいなのってそろそろやめないかなぁと思うんだよね。最初に「これって良くないよね」っていう事例があって、それはその通りなんだけど、そのうちそんなでもない例にまで「これも同じだ!」なんて波及して縛り付けていくのって、俺的にはむしろ悪だと思うんだよな。でもひとたび「いんふるえんさぁ」にラベル付けされたものを「それって悪くなくね?」なんて言おうものなら、すべての悪を許容する悪の一味!みたいにされちゃうのが。
ちなみに今俺は「いんふるえんさぁ」というラベル付けを敢行した。
北村紗衣が自分にリプライを寄越してきたアカウントに対してこういう返事をしていた
https://twitter.com/Cristoforou/status/1184999914499006464
「下世話な言い方」をすると言っておきつつ、後者を「漫画とコラボしてファンに献血を呼びかける宣伝」と控えめに表現する時点で、ご自分の判断にかなりバイアスがあることは理解されてますか?
俺にはこのへんの感覚がわからない。あれはキャラクターであり、オタクは女の記号を性的にまなざして欲情しながら血を抜かれに行くわけではない。
北村によれば例のポスターは日本のパチンコ店で行われた、ナースコスプレをした女を餌に健康診断を呼びかけ研究倫理上問題があると批判された事例と同様のものらしい
https://twitter.com/Cristoforou/status/1184307481830289408
やっぱりこのへんの感覚が理解できない。ただのキャラクターなんだけど。こういうセンスにはかなりジェンダーバイアスが入っているんだろうか?
オレが私になるまで(1) 佐藤 はつき
じんわりと話題になってるみたいだけど、面白かった。わりとまじめなTS作品。
レビューなんか読むとだいたい下記のような評価だったけど、自分もおおむね同意。
「画が下手。でも魅力はある。」「作品世界を支えるレベルには達してる。」「アキラはかわいく描けてる。」
「アキラの心理が丁寧に描かれている。」(アキラが主人公。男→女。)
「出てくる男がどれもひどいポンコツ。」(子供を除けば男性登場人物は2名のみだけど。)
TSでまじめなテイストでしかもソロって結構ユニークな気がする。ギャグかカップル入れ替わりが多いイメージなので。
おれが知らないだけで実は似たような設定で先行する作品があるのかもしれないけど。
構成に無駄が無くイベントはアキラのメンタリティとかっちり噛み合っていて、すごくよく考えられてると思う。
登場する男子/女子それぞれのメンタリティに納得感がある。身体性やジェンダーバイアスからメンタリティが形成されている感じがある。
小学校の男子女子の関係性って今でもこんななの?とはちょっと思ったけど。でもマンガ表現としてはよくあるので、まあ。実際こんな感じの学校もあるのかもだし。
納得感のある世界観の中でアキラの心理の変化や葛藤が各種イベントに応じて適切に描かれていてすごいと思う。
あとは、女性のつくるコミュニティの良さみたいなものが感じられる。女性の初心者で、自罰的なアキラが女性コミュニティに受け入れられ救われていく感じがあって、最初のうちややイカツい演出もあるけどトータルではつらい気分にはならない。
まだ1巻なので今後次第で評価は変わると思うけど「完結したら何かテキスト書こう」とか思ってると、2巻が出ないとか不自然な終わり方で終わるとか、目も当てられない事にならないとも限らないのでぜひ今応援したい。
個人的には、このままいくと今年最も繰り返し読んだ1冊になりそう。
それなりの量のマンガを購入している人なら押させておいて間違いないと思う。そうじゃない人にも十分オススメできる。
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そこまでの百合オタじゃない人間が百合アンソロを買ってよく思うのは、「伝統的な百合展開/演出が多くてちょっと退屈かもなあ」ってことなんだけど、Avalon は非伝統的な百合がフォローされてて結構楽しめた。
2019 の bloom と karma を読んで結構面白かったので 2018 も買ったけど 2019 のほうが面白かった。
特に「明けない夜」お久しぶり(作家名)が面白かった。真夜に往復ビンタくらう朝日さん。めっちゃ見事な往復で草。
人の中に生まれた感情が行き場を失って異物になってそのまま埋め込まれていく様が描かれているように見えた。
未終端エンドはわりとよくあるけど、本作は構成が冴えてると思う。
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湯神くんには友達がいない(16)佐倉準
完結。面白かった。
湯神くんが己のポリシーにのみ従って行動することで軋轢を生む設定だったけど、実際には登場する人物の多くが(湯神くんと同じかそれ以上に)それぞれの思惑で行動して軋轢や混乱を招いてるんだよね。
登場人物それぞれがそれぞれの思惑で(あるいは何も考えずに)行動していて、歪をまき散らしながら面白おかしく関係性が展開してく様は落語のメソッドなのかなと思った。コメディって便利な言葉もあるけど。良質なコメディ作品は意外と少ない気がするので本作の完結は残念ではある。
「ラブコメ終わり」という批判もあるようだけど、よくあるラブコメと違って恋愛的盛り上がりはなく「たまたまはまったピース/偶然生まれた共生関係」感で描かれていて一貫性はあると思う。良い終わり方だったと思う。
とてもとても長いので、ごめんな。
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自分もその道に身を置いている手前、日々会話するのもソシャゲ仲間も飲みに行くのも旅行に行くのも、みんな漫画家だ。
同人時代からの友人や、漫画家が漫画家を呼ぶような繋がりでどんどん増えていった。
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最近、ある少女漫画家が「ジェンダーバイアスのかかったマンガは滅びればいい」、と作中とインタビューで語ったことが話題になった。
以前から、「表現の自由」と「人権的配慮(性/暴力/犯罪/LGBTQ他)」に関して、たびたび紛糾してきた。
悪いものを悪として描かないなら描くべきでないという漫画家たち。
様々な意見があった。
いずれも、漫画で何をどう描くのか、漫画という作品をどう扱うのか、自由と権利に対する漫画家としての真摯な考えを見ることができて、自分も考えを新たにしなければ、と肝に命じた。
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しかし、あれ?と思うことも多かった。
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先に言ってしまえば、自分の周りの漫画家たちはみな、軽々しくヘイトスピーチする。
他者を、性別を、人種を、国を、嗜好を、年齢を、仕事を、病を、弱者を、あらゆる属性を。
それは日常会話でも、Twitterの呟きでも、LINEのグループでも、飲み会の席でも、ごくごく自然にヘイトスピーチをする。
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いくつかの、実話。
最初は同調することも多いが、おかしな方向へ白熱することが多い例。
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漫画家Aは、国産アニメやソシャゲ、2.5次元や舞台などが好きな成人向け漫画家。
表現規制についてよく勉強しており、国産コンテンツを守りたい意欲が伝わってくる。
フォロワーとこう話す。
「暴力だろうが性だろうが、多種多様なジャンル、作品、表現を産み出せる文化が好きだ」
「白人文化、白人が主導した主張がいつも最先端で正しいと思ってるコンプレックス恥ずかしい」
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漫画家Bは、洋画やアメコミ、海外俳優が好きなファンタジー系漫画家。
metooや反ルッキズムなどに賛同して、海外からの翻訳されたツイートをよくRTしている。
フォロワーとこう話す。
「着物も和柄も萌えもダサい、国産アニメも邦画もダサい、日本のものって遅れてて古くてダサい」
「日本終わってる、この国消えていいよ」
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漫画家Cは、犬猫大好き男性アイドルゲーム大好きなBL漫画家。
動物保護や里親探し、動物虐待注意喚起をRTし、女性人権の話題にも熱心。
フォロワーとこう話す。
「女性が今まで迫害されてきた、その被害の補填をこれからの男たちも負うべき」
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漫画家Dはかつて一般誌で連載を持ちながらも現在はネームが通らない日々、同人出身。
スポーツ観戦や映画や漫画やソシャゲを広く楽しむが病気勝ちであまり社会的なことに興味はない。
フォロワーとこう話す。
「自分の幸せをなにより優先できる世の中がいい、結婚も恋愛も子供もいらない」
「子供や子持ちや障害者や年寄や貧乏人や、そういう人に税金を使われるのが嫌だ」
「でも自分の病気の医療費は全部国で賄ってもらいたい、漫画で当てるまで出版社に養ってもらいたい、自分こそ本当の弱者だ」
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憤るような事件や現実が記事という形で流れてきた時に、自分も彼らも不快感を露にしてお互いの不快感の表明に「いいね」をすることがある。
だけど、そこから先の「だから□□は◯◯だ」、と属性や人種なんかをまとめて貶すようになると、自分は「いいね」を押さなくなる。
彼らは「いいね」を押したフォロワーと、どんどん過激に何かについての属性を、貶めて攻撃し始める。
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彼ら彼女らは、自分の好きなものに対してはそんなことはしない。
自分の好みから外れたもの、嫌いなものについての嫌な面だけRTして、
最初に正当な批判があるから、続くヘイトや差別さえ「正当だ」と自信を持って放つのだ。
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中にはそういったヘイトする仲間たちに、真正面から苦言を呈する人もいた。
ある打ち上げの席、アメコミ洋画ファンとアニメ邦画ファンが、興業収入とポスターデザインの話題からヒートアップし、お互いの好きなものを「知識として知りうる悪例を持ち出した正当な批判」で攻撃し始めた時だった。
「なんで大きな主語使ったの?攻撃材料に使ってない?それは差別だよ」
言った彼女は今はもう漫画家をやめてしまっているが、今でも彼女の発言はハッとするものがある。
その時喧嘩をしていた二人は、それからも今でも、ことあるごとにアメリカ文化を、日本人を、大きな主語で罵りあっている。
しかし、変わった人もいた。
上に出てくる漫画化Cは、最近男性の人権にも少し余裕を見せ始めた。
きっかけは、女性人権仲間がトランス女性を女性から排除しようと差別した事だった。
その流れでLGBTQでも、生まれもった性別でだけ判断するべきという主張が暴走した。
彼女はBL作家で、LGBTQ友好者として、許せなかったようだ。(BL嗜好者からのLGBTQへの態度や捉え方はまだまだ問題があるとしても)
いまでさえ男性嫌悪的な部分はまだまだ強いが、つい最近、「誰であっても、たかが属性によって他人に決めつけられる事」への反対表明をしていてホッとした。
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ここで余談であるが、自分は純粋な日本人ではない。育ったのは日本と、アメリカ。
だからこそ、◯◯人は、あの国は、この国は、という言い方に抵抗を感じる。
自国の事だから言っていいものでも、ルーツがその国だから言っていいものでも、ましてや理由さえあれば他者の国について言っていいものでもない。
自分も、制度や政治や仕組みや慣習について、変えてほしい、これはおかしい、とよく言っている。
けれど、大きな主語で属性を指して貶めることはけしてしないように注意している。
それとこれとは別だからだ。
それを指して全てをダメだと終わらせるのは、変えたいという前向きな人達まで否定してしまう、それが、先の漫画家たちのように好き嫌いという個人の嗜好で行われているならなおさら。
じゃあ問題に対して声をそもそもあげなければいい、と言うかもしれないが、被害者の口を塞ぐものであってはならない。
正当な怒りや正当な批判という入り口自体は間違っていないと思っている。出口がヘイトにすり変わっているだけで。
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自分の周りは漫画家だらけなので嗜好が見えやすく、こういう内容になったが、あらゆるグループや集団のなかでも行われているであろうと想像する。
これを、ここまで読んでくれた人達の身近ではどうだろうか。
嫌いな人の人権に対する態度、でその人の人権意識が分かる、と自分は思う。
好きな人の人権を守りたいのは当然だか、嫌いな人に対してはどうだろう。
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最後に、
これを読んで「漫画家ってそうなんだ」って思った人がいたら、それは違う。
それこそが、都合のいい例を使って属性で決めつける差別に他ならないからだ。
この「自分の周りの漫画家の話」は事実であるか、それとも作り話であるか、読んでいる人にはきっと永遠にわからない。都合の良い実例としても、とても杜撰な例でしかない。
そう、思った漫画家がいたらぜひそれを表明してほしい。
属性で大きな主語で、自分の嗜好を理由に差別をしない、その表明はとてもとても大切なものだ。
どうかどうか大きな声で言ってほしい。
http://kutabirehateko.hateblo.jp/entry/2019/04/24/090000
こちらの記事の「どうせ美容院しか買わないし」ブクマを見て、そりゃそうかもねーと思い日本の美容院の数は?と検索したら23万件と言われてるらしい(ちゃんとは調べてない)。一方CLASSYの発行部数は公称20万部。CLASSYよりも美容院の方が数が多かったやないか。
客も美容師もおばあさん、みたいな田舎の美容院はCLASSY買わないだろうから、CLASSYは美容院の定期購入のみ!と言い切るぐらいでもいいのかもしれない。
あとは、雑誌読み放題とかが今は主戦場なのかもしれない。がそちらだと利益は薄いだろうからどっちにしろタコツボ市場みたいになってるんだろうなファッション誌。
近所の一番良く利用するヘアサロンは去年ぐらいから雑誌じゃなくてタブレット渡されるようになったので、Netflixとか見てるんだけどすごい捗る。サロンに行く面倒臭さが減った気がする。
私はアラフォーだというのに初めて行くヘアサロンでCLASSYを渡されることもある。人を見る目がないヘアサロンだな…と思いつつも、渡されたら下品雑誌キタ!とワクワクしながら読む。恐怖刺激だ。
着まわしストーリーでビッチが出てきたりするのは、「あんなふうになっちゃいけませんよ」的な消費のされ方なんだろうと思う。娯楽としては定番中の定番だが、ジェンダーバイアスやモテ資本主義の悪弊みたいなことで言えばそりゃ1000%evilだろう。ただ、それを言うと雑誌という存在自体が全体evilと言えてしまいそうな気もするし。
エロ本例えのブクマもあったけど、まぁあれらはお行儀の悪い雑誌だという認識はもう少し広まっていいんじゃないかとは思う。あれがハイブロウだと思ってる人は、このご時世にファッション誌なんぞを購入する人の中には皆無だとは思うのだがまぁ念のため。エロ本はもちろん大事だし必要だが上品なものではない的な。