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2023-12-28

まあ減5度から3度への解決とか、そこに7度も足したらもっとアガるやんみたいなのをどんどん突き詰めて音楽を発展させてきた13世紀19世紀作曲家には、

現代に生まれてたら「発達障害」になるような特性持ちが含まれていた可能性は高いよね

ジョスカンデプレ然り、ベートーヴェン然り、著名な作曲家変人エピソード、社不エピソード枚挙にいとまがないし

2023-12-27

昔の化学者エピソードを見ると「合成した物質を舐めた」みたいな話がたまに出てくる

アスパルテームはそのなかでも有名なエピソードかもしれない

アスパルテーム - Wikipedia

1965年アメリカ製薬会社G.D.サール社の化学者ジェームズ・M・シュラッターが、ガストリンの合成に取り組んでいたときに偶然発見した[113]。シュラッターは、抗潰瘍薬の研究をして、ホルモンであるガストリンテトラペプチドを生成する中間段階としてアスパルテームを合成した[113]。シュラッターは、薬包紙を持ち上げようとして、アスパルテームがついた指をなめて、その甘味発見した[8][114][115]。トルン・アテラスガリンは、アスパルテームの開発を監督した[116]。

いわゆる化学者によるセルフ人体実験、すなわち自己実験

うん年前は私も大学学生実験をやっていたわけだが、生成物を舐めるなんて発想はとてもじゃないが出てこなかった

まあ、私の場合重金属を扱ってたので舐めたらヤバいと知っていたわけだが

アスパルテーム場合製薬会社内の出来事、つまり薬学系なのでそこらへんの肌感覚が異なるのだろうか?そんなことないと思うがな……

スクラロースエピソードもなかなか凄い

Sucralose - Wikipedia

Sucralose was discovered in 1976 by scientists from Tate & Lyle, working with researchers Leslie Hough and Shashikant Phadnis at Queen Elizabeth College (now part of King's College London).[21] While researching novel uses of sucrose and its synthetic derivatives, Phadnis was told to "test" a chlorinated sugar compound. According to an anecdotal account, Phadnis thought Hough asked him to "taste" it, so he did and found the compound to be exceptionally sweet.[22]

スクラロース1976年、テート&ライルの科学者が、クィーンエリザベスカレッジ現在キングスカレッジロンドンの一部)の研究レスリー・ハフ(Leslie Hough)とシャシカント・ファドニス(Shashikant Phadnis)と共同で発見した[21]。スクロースとその合成誘導体新規用途研究していたときファドニス塩素化された糖化合物を「テスト」するように言われた。逸話によると、ファドニスはハフから「味見」するように言われたと思い、実際に味見をしてみたところ、その化合物は非常に甘かったという[22]。

testをtasteと聞き間違えたからといって舐めるか?そうか、舐めたのか……

スクロースのヒドロキシ基を塩素で置換したものなので、まあ舐めても危険ではないくらいの認識はあったってことなんだろうか

Tate and Lyleは食品系の会社でそこの研究室での出来事なのか、なら味を確かめろって言われたら舐めるか……

科学者倫理感の移り変わりが気になるので『世にも奇妙な人体実験歴史』という本を買って読んでいる

少なくとも20世紀初頭くらい最近になっても現代基準で見ると危険実験やりまくっていたようだ

自己実験とは違う話になるがデーモンコアの実験1945年くらいか

戦前学者倫理規定どうなっとんねんとしみじみ思う

前述の本を読んでいると「申請すると許可下りるわけないので自分の体で実験して事後報告した」みたいなエピソードが出てきて笑う(笑えない)

カール・ヴィルヘルム・シェーレ - Wikipedia

シェーレが若死にしたのは同時代化学者の例に漏れず、危険実験条件のもとで研究を進めたためだと考えられている。また彼には物質舐める癖があったため、毒性のある物質の毒にあたったのではともされる。

18世紀とかだと「まあ舐めて確認する人がいても不思議じゃないわな」と思うのだが

イギリスとある医師ニトログリセリン舐めて心臓まりそうになって死にかけたのが19世紀出来事

21世紀になっても舐める人はどこかにいるのだろうな

舐めて死んだとか、舐めて大発見に気付いたみたいになっていないから記録に残らないだけで

有機系をやってた大学の頃の同期に「実験生成物を舐めるって発想あった?」と聞いてみたが「ありえん」の一言が返ってきた

現代日本大学研究室で、教授学生に向けて「生成物を舐めて確認してみよう」なんて指導するところなんてありえるのだろうか?

流石にないだろう……あるのか?生成物がアミノ酸とかならありえるのか?有毒なものだってもちろんあるが生成物はだいたいこんな感じの物質って元素の内訳も構造もある程度予想ついてるなら舐めても多分大丈夫みたいな肌感覚が育つのだろうか?わからん世界

まあ味の素研究所なら舐めても不思議じゃないかもか……

畑が違うと全然感覚違う、ということか

でも薬学系とか食品会社研究所でも一度動物摂取させるとかやると思ってたんだがな、きっと普通はやるのかもしれないが一部の人がいきなり舐めたのかもな……

日記

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医学者による自己犠牲的とも勇敢ともいえる自分の体を使った研究ではなく

ある種の迂闊さでペロッと舐める科学者が今でも一定割合でいるんじゃないか?という疑問を書いた日記

ペトリ皿に鼻水垂らしたのがきっかけでペニシリン発見したという出来事幸運な結果に終わった迂闊な出来事だったわけで

そういった種類のおおらかさは現代だとあまり許されないはずなんだよな~

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耳寄りな心臓の話(第2話)『爆薬が心臓病を癒す』 |はあと文庫|心日本心臓財団刊行物|公益財団法人 日本心臓財団

なぜニトログリセリンを舐めようという発想が出てきたのか?を伺い知ることが出来そうなエピソードもぐぐったらでてきた

20世紀初頭にイギリス火薬工場で、週日の作業中は何も起こらないのに休みが終わって月曜日仕事が始まると決まって胸痛を訴える工員が何人もいることが話題になりました。最初工場で扱っている爆薬が原因で起こる病気を疑ったのですが、もともと持病に狭心症のあることがわかりました。

それというのも、原料であるニトログリセリン粉塵工場内に舞い、露出した皮膚や粘膜からある成分が吸収されて狭心症が抑えられていたものが、週末に休みをとることで粉塵にふれることもなく薬がきれて、月曜日に力仕事を始めることで狭心痛が起こったと推理されたのです。

痛む胸を押さえて、それこそ青息吐息月曜日になったこから、「ブルーマンディ」という言葉が生まれたようです。今日では休日明けで、仕事学校に行くのが億劫になる月曜日の憂鬱、月曜病の走りとなりました。

blue Monday語源ニトログリセリン説はかなーり怪しい気がする、勘だけど

これを調べるのも面白そうだ

……ん?時系列矛盾がある

『世にも奇妙な人体実験歴史』によると1858年フィールドという名のイギリス医師がニトロを舐めたとある

その後1878年ウィリアム・マレルという医師が再度ニトロを舐めて効果確認し、狭心症治療薬として自分患者に試した

火薬工場エピソード20世紀初頭……1901年頃ということになる

発見されたのか?だとすると最初に舐めたフィールドって医師は推測無しに舐めた好奇心旺盛な人ってことになる

火薬工場エピソードのしっかりとした出典を探すべきだな

原典だと20世紀初頭じゃなく19世紀末~20世紀初頭みたいな書き方になっているのかもしれない

2023-11-22

anond:20231122141102

写真発明されて、写実的絵画特に肖像画)の需要が劇的に減って食えなくなった19世紀画家に謝れ

こんなもの技術革新けが原因じゃねーだろ。

時代流行の移り変わりが目まぐるしく、すぐに食いっぱぐれるのが職業芸術家の定めだろ。

それで、食うために流行を無理に追いかければ、自分が何をしているのか分からなくなる。

もう芸術は食うために存在するわけじゃないって割り切ることだ。

ミュージシャンすら兼業ミュージシャンが主流になりつつあるこの頃よ。

anond:20231122133212

「生成AI叩いてる絵師」は、イラレフォトショタブレットも使わんのか

もっと言えば、油絵具もキャンバスも筆も使わんのか

写真発明されて、写実的絵画特に肖像画)の需要が劇的に減って食えなくなった19世紀画家に謝れ

2023-11-21

ナーロッパ世界魔法産業の土台として成立していないのには違和感を覚える。

魔法のような便利な技術が主に戦闘のためにしか機能していないのがおかしい。

いかなる世界であっても人間がいるのであれば魔法のような技術産業原動力として発展しないのは間違いである。

唐突だが皆さんは冷蔵庫というのが生まれたのはいつ頃だと思うか?

ちょっと漠然としているからもう少し詳しく書くと、冷蔵庫電気がない時代から存在たか、それとも電気が通るようになってから冷蔵庫発明されたか

これはもちろん今のように電気電線を取って供給されるようになる前から冷蔵庫存在した。

電気なしの冷蔵庫?どうやって物を冷やすんか?それはもちろん氷を入れるのだ。

18世紀から19世紀西欧では氷産業が成立した。

寒い地域から氷を輸送してニューヨークのような都市供給していたのだ。

最初は小規模なものだったが時代とともに産業として拡大していき都市で氷を手に入れるのが容易になる時代がやってきた。

その氷の安定供給の結果として氷を入れて冷やす冷蔵庫発明された。

まり何が言いたいかと言うと、氷があれば冷蔵庫を作りたくなるのが人間なのだ

それなのにせっかく魔法が使えるというのにそれを活かさな人間社会なんてあるわけがない。

まあよっぽど魔法使いが希少な存在であるとか言うのあれば、産業としてまで発展はしないのかもしれないが。

2023-10-24

ジャップって山狩りしてクマ絶滅させろって言い出しそうだよね

19世紀人間かよ

2023-10-23

anond:20231023102643

ちょっと村上春樹っぽいのでパスティーシュしてみたよ。



僕が古代ローマ人が一つ目の巨人を倒すときに用いた棍棒のように真っ直ぐに固く勃起したペニスコンドームを着け終え、背中を見せていた彼女何気なく「ねえ、今何を考えているの?」と尋ねると、彼女は振り返って僕の目をじっと見つめ、「植民地時代マレーシアプランテーションについて考えているのよ」と答えた。

だって

「昔、地理の授業で習ったの。イギリスマレー半島にもたらした天然ゴム19世紀から20世紀初頭にかけて急速に発展し、マレーシアインドネシアに次いで世界第2位の生産国であり、世界アブラヤシ生産量の約30%を占めるのよ。プランテーション農業は、欧米諸国が熱帯・亜熱帯地域の国々を植民地にし、豊富資金力を用いて広域的に開発し、国際的価値が高い農作物を大量に栽培する農業スタイルであって、マレーシアは、現代においてもパーム油、天然ゴム木材などの主要生産国なのよ?」

やれやれ

彼女が突然どうしてよりにもよってマレーシアプランテーション農業について出来損ないのAIのように語りだしたのか僕にはさっぱりわからなかったが、幼児がおまじないをする際に行う一見無意味動作と同じように彼女自身にとっては必要作業だったのだろう。

あっけに取られて押し黙っている僕に彼女は少し不機嫌になり「あなたっていつもそうね。セックスときセックスのことしか思考しないのはあまり原始的即物的じゃない?そう思わない?」と言った。

勇敢な古代ローマ人獰猛な一つ目の巨人のことは彼女には黙っていた。僕はだいたいにおいて余計なことを考えすぎるのだ。

僕は少し意識を集中して、古代ローマ人を甘く柔らかい泥濘の中に、一つ目の巨人を深く青い海原の中に、一流シェフ一世一代料理を盛りつけるときのような慎重さでゆっくりと消し去った。それでも薄い膜が張られたペニスペニスのまま冬眠前の熊のように厳然と現実存在していた。

あなたも一緒にプランテーション農家マレーシア人のことを考えて?」そう呟くと、彼女若い雌猫が生まれたての子猫を全身で包むような柔らかさで僕のペニスを薄い膜越しにそっと口に含んだ。

anond:20231021092359

私はパートナーゴンドームを嵌めている間に考えているのは植民地時代マレーシアプランテーションについてです。

そんなことを考えているうちに準備を終えたパートナーが私と繋がります

クマが人里に降りてくる→殺しまくれ!ってなってるジャップの発想やべえな

害獣」を絶滅させまくってた19世紀当たりから進歩してねえじゃん

2023-10-16

anond:20231015151001

僕には、あんまり科学の発達が社会の発展・生活改善につながったという実感がない

 ← これがわからんエジソン発明したものだけでも無かったら生活全然違ってたはずじゃん。ましてや家電製品がほぼ無かったとしたら19世紀というか江戸時代に後戻りだろ。

anond:20231015151001

昔って言うけど、スターウォーズウルトラマンシリーズ化してその後ずっと続いてたじゃん。

あと、サンダーバードの前にもタイムトンネルとか宇宙家族ロビンソンとかのテレビシリーズがあって大人気だったし、テレビの前にも手塚治虫らの漫画もいろいろあったし、その前にも映画禁断の惑星とかメトロポリスとか大昔からあったし、映画の前にもウェルズやヴェルヌの作品大人気だったから、SF人気ってのは19世紀ごろからずっとつづいてるんじゃないの?

2023-10-12

みんな少しはイスラエル歴史を遡って考えてみてくれ、

この数十年だけの問題じゃないんだよ、某放送局の掻いつまんだ説明を少しは読んでみてほしい。

...

パレスチナ問題がわかる イスラエルパレスチナ 対立のわけ

どうしてイスラエルはこの土地建国されたのか。それを知るには、2000年前に歴史を遡る必要があります

イスラエル建国までの歴史
70年 ローマ軍がユダヤ人王国神殿崩壊
2世紀前半|「ディアスポラ」本格化

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1897年|第1回シオニスト会議
1914年第1次世界大戦始まる
1915年フセイン・マクホン協定(アラブ人独立国家約束)
1916年サイクス・ピコ協定(英仏が中東を分割支配する密約)
1917年バルフォア宣言(ユダヤ人国家建設を支持)
1933年ナチス政権につく ホロコーストユダヤ人迫害虐殺
1939年第2次世界大戦始まる
1947年国連パレスチナ分割決議採択
1948年イスラエル建国


パレスチナの地には、ユダヤ教を信じるユダヤ人王国がありました。しかし、この国は2000年ほど前にローマ帝国に滅ぼされてしまます。このときユダヤ人は、パレスチナを追い出されて世界に散り散りになります。これを「ディアスポラ」と言います


その後パレスチナ土地支配者は、歴史に応じて変わっていきますが、アラブ人、今で言うパレスチナ人が住み続けることになりました。散り散りになったユダヤ人ヨーロッパ中東アフリカで暮らすことになります。ただ、特にヨーロッパでは差別迫害に苦しむことになりました。ユダヤ教の国で新しい教えを広めたのがイエス・キリストです。彼はユダヤ教聖職者たちと対立し、十字架にかけられてしまいました。このため、のちにヨーロッパキリスト教が広がると、ユダヤ人キリスト処刑した人たちとみなされ、差別迫害対象になってしまますユダヤ人はそれぞれの土地で、普通の人がなかなか就かないような仕事に就かざるを得ませんでした。その代表例が金融業です。やがて金融業需要が増すにつれ、その土地土地で富を握るようになります。また、昔から自分たち宗教を守るのに熱心で、子ども教育にも力を入れてきました。識字率が高く、知識階級の中でも影響力を持つようになります。いろいろなことが重なって、疫病などの災難が起きるとユダヤ人迫害する、という歴史が繰り返されてきました。


迫害が続く中、19世紀ユダヤ人たちの中で、かつて王国があったパレスチナの地に戻ろう、国をつくろうという運動が起こります。これを「シオニズム運動」と言います。それが現実化してくるのが第1次世界大戦の時です。イギリスが「ユダヤ人国家建設を支持します」と約束して。ユダヤ系財閥ロスチャイルドから資金援助を引き出そうという狙いです。

...

https://www.nhk.or.jp/minplus/0121/topic015.html

2023-10-01

とある小説の表紙を見た。

わ!メチャクチャ上手い!

こんな上手い絵描くイラストレーターつのまにか出てきてたのか。

と思って検索してみたら表紙に使われていたのは19世紀に描かれた名画だった。

2023-09-26

(ほとんど)すべてについて間違っている――デヴィッド・グレーバー&デヴィッド・ウェングロー著『万物黎明書評

万物黎明』の中心的なアイデアは挑戦的だ。人間とは政治的冒険的で実験的なものであり、自由平等呪縛の後に、変化を起こすために抑圧を選ぶ傾向があると言われるほどである歴史は、ある極端なものと次の極端なものの間を揺れ動く、リズミカルな形をとっている。しかし近年、私たちは皆、ひとつ体制から抜け出せなくなっており、その理由理解しようと努めなければならない。

これらすべては新しく新鮮ではあるが、信用できるものではない。私は、私たち人間性を規定する政治的本能社会的感情は、平等主義という条件の下で形成されたという人類学的な標準的見解の方を好む。今日に至るまで、私たちは皆、対等な仲間の中で笑ったり、遊んだり、社交したりできるときに最もリラックスし、幸福を感じる。しかし、グレーバーとウェングロー(以下、G&W)は、このような私たちに馴染み深い経験を土台にする代わりに、狩猟採集民の祖先平等主義者であったという考え方全体に反対している。彼らの見解では、彼らは抑圧されることを選択した可能性が高い。

彼らの言葉を借りれば、「われわれの人間性の本質が、われわれが自意識的な政治的行為者であり、したがって幅広い社会的取り決めを受け入れることができるという事実から成り立っているとすれば、人類歴史の大部分にわたって、実際に幅広い社会的取り決めを探求してきたはずだということにならないだろうか」。これらの可能性の中には、著者たちが容易に認めているように(86-7頁)、チンパンジーのような虐待的な支配階層も含まれている。G&Wは、もし我々の祖先がそれほど冒険好きであったなら、きっと平等主義だけでなく、攻撃的でいじめっ子のオスによる嫌がらせ虐待支配実験しただろうと主張しているようだ。

G&Wは、私たち革命過程社会的道徳的人間になったという考えに対する一貫した攻撃の中で、これらの点を指摘している。私はずっと、人間言語意識親族関係道徳は漸進的な進化過程進化し、それが巨大な社会的政治的革命で頂点に達したという考えを探求してきた。私の動機は常に、人間本来利己的で競争的だから社会主義不可能であり、「革命でさえ人間の本性を変えることはできない」という一般的偏見に挑戦することであった。

はいつもこう答えていた。そう、私たち類人猿一種である。そう、私たち霊長類のいとこたちのように、競争的で利己的、攻撃的でしばしば暴力的本能を持っている。しかし、それが私たち成功の原因ではない。優秀な母親父親になる能力自分の子供だけでなく互いの子供を思いやる能力道徳的ルール確立する能力他人自分を見ているように自分も見ている能力音楽ダンス言語を使って夢を共有する能力など、私たちの本性にまつわる人間的な特徴すべてが、まさに歴史上最も偉大な革命産物であり、成功した革命なのだ

クリストファーボーム人間革命

この「人間革命」の複雑さを詳述した私自身の著書(Knight 1991)が出版されてからほぼ10年後、人類学者のクリストファーボーム(Christopher Boehm)は、その洞察にもかかわらず、最も重要な要素であるセックスジェンダー力学についての言及を一切省くことで、政治的観点から安全策を講じた理論バージョンを発表した(1999)。G&Wが人間革命理論の信用を失墜させるために明示的に言及するのに十分安全だと考えているのは、この抽象的でユニセックスバージョンなのである

ボームは、私たちの最も古い祖先は、一方的な協力者でも一方的競争者でもなかったと指摘する。それどころか、他者支配する一方で、支配されることに抵抗するために同盟を結ぶという心理的傾向があった。このような下から集団的抵抗は、最終的には、リーダーになろうとする者が集団支配するのを阻止するために、全員が一丸となることで頂点に達した。私たち祖先チンパンジー的な支配は、今や逆転し、「逆支配」、つまり平等主義的な倫理観コミットした道徳意識の高い共同体による支配へと結実したのである

G&Wは、人類は「......何をすべきか指示されることを自意識的に嫌うようになった」(p.133)という考えに賛同している。この文脈では、現存する狩猟採集民が「嘲笑羞恥、遠ざけ......他の霊長類類似するものはない」(p.86)、「自惚れ屋やいじめっ子を地上に引きずりおろすために集団採用される戦術の数々」を示していることに同意している。彼らがまったく関心を示さないのは、そうした戦術進化過程人間の本性を形成する上で重要役割を果たしたという考えである

ボーム説明に対する反論をまとめると、狩猟採集民が一貫して平等主義を好んでいたという示唆は、「何万年もの間、何も起こらなかった」という「奇妙な主張」であるという。狩猟採集民の祖先が一貫して平等主義的であったとすれば、彼らの政治的生活は何らかの形で凍結され、時間が止まってしまったに違いない。G&Wは次の言葉で締めくくっている:約12,000年前以前、人類基本的平等主義者であったとボームは主張する。ボームによれば、約20万年間、[これらの]政治的動物はみな、ただ一つの生き方を選んだのである」。(p. 87)

唯一の問題は、これはボームが書いたことではないということだ。彼の実際の言葉引用に値する:

ひとたびどこかのバンド平等主義的な秩序を発明すれば、この社会的なやり方の根本的な変化は近隣のバンドにも目につくようになる。特に、非常に攻撃的ないじめっ子を擁するバンドでは、部下が支配されることに対して両義的であれば、どこでもその利点は明らかだっただろう......。魅力的な平等主義の伝統が、地元では専制的な伝統に取って代わり、徐々に文化的拡散が起こると予想される。やがて、より長い距離を移動する移動パターンによって、この政治的発明がかなり急速に大陸から大陸へと広まっていったと考えられる。(Boehm 1999: 195)

これが成功した革命のやり方だ。ボームの主張は単純に、1万2千年前まで『人類基本的平等主義者だった』というものではない。そうではなく、初期の人類はさまざまな政治システムを発展させながら、平等主義というひとつ特に成功したモデルに徐々に収斂していったというのである

万物ティータイム

かなり不当なことに、『万物黎明』は現代進化論を社会進化論混同している。社会進化論とは、「未開」から「野蛮」を経て「文明」へと進歩する段階のはしごを描いた19世紀物語であるダーウィニズム科学である私たちは語り聞かされるが、実際は純粋神話である。G&Wはそのように空想的に、進化論を全く認めない人類起源に関する視点を、読者が真剣検討することを期待している。

この著者たちが認める唯一の科学は「考古学科学」であり、その考古学がさほど遡らない場合のみである。彼らは、政治社会生活については、古代人類の「頭蓋の遺骨と、時折出てくる火打石のかけら」(p.81)からは何も読み取れないという理由で、「万物黎明」をわずか3万年前とすることを正当化している。

このような言い訳は、私たちの種の最もユニークな特徴である芸術象徴文化が、以前考えられていたよりも3、4倍早くアフリカで生まれたという最近証拠に照らすと、もはや通用しない。この証拠は、骨や石に限らず、ビーズ幾何学的な彫刻、墓用品を伴う埋葬、砥石や絵の具壺などの工芸品で構成されている。G&Wは、これらの発見のうちの1つか2つに気づいてはいるが(83-4頁)、ほとんど関心を示していない。最先端ダーウィン理論を黄土の記録に適用すれば、社会力学儀式の実行パターン性別による同盟関係についての予測を生み出す可能性が非常に現実的になるにもかかわらず、である。(Power 2019; Power et al.

残念ながら、これらの著者たちは、どのような形であれ、ダーウィニズムには近づこうとしない。彼らは、彼らが「フェミニスト」と呼ぶ人物(実際には霊長類とヒトの社会生物学の創始者として高く評価されているサラ・ハーディ)が、人間本能心理形成における集団的育児重要役割について「物語」を考え出したことを認めている。「神話は悪いものではない」とコメントしながら、彼らはこの特別神話を「重要もの」と表現している。そして、「エデンの園存在せず、一人のイヴ存在しなかったのだから、このような洞察部分的ものしかなりえない」(p.82)と口にして、すぐさまこの神話疑念を投げかける。この種のトリック--この場合は、ハーディ画期的研究が、私たち共通ミトコンドリアDNA祖先年代測定より200万年ほど前のホモ属の出現に焦点を当てているという事実無視すること--は、明らかに人類起源研究が追求する価値があるという考えそのものを損なわせることを目的としている。

石器時代新石器時代考古学に興味のある読者なら、本書には興味をそそられる推測がたくさん書かれているだろう。しかし、私たちがどのようにして人間になったのか、つまり、異常に明瞭な目、並外れて大きな脳、独特の社会的感情、笑い、音楽言語に対する生得能力などがどのようにして発達したのかに興味がある人には、まったく何も見つからないだろう!

タイトルは深刻な誤解を招く。『万物黎明』? 『万物ティータイム』の方が正確だろう。物語は、氷河期フランススペインに描かれた壮大な洞窟壁画で知られるヨーロッパの後期旧石器時代から始まる。著者によれば、その段階でようやく考古学面白くなってくる。初めて、社会の複雑さ、階層、豪華な埋葬などの証拠が見え始めるのだ。

さな狩猟採集民のバンド

G&Wにとって、狩猟採集民の祖先アフリカもっと早くから平等主義的なライフスタイル確立していたという事実は、さしたる関心事ではない。彼らは、タンザニアのハザ族のような現存する狩猟採集民が資源を共有していることは認めるが、それを賞賛する代わりに、蓄積への抵抗が「社会的複雑性」の出現を妨げていると不満を述べている。著者たちは社会階級という概念を嫌っているようだ。

まり狩猟採集民は富の蓄積に抵抗することで、複雑性を妨害する、つまり階級社会の発生を阻止するのである。G&Wはここで狩猟採集民の専門家であるジェームズ・ウッドバーンの権威を持ち出している。彼らは彼の研究から、「真に平等主義的な社会を維持する唯一の方法は、あらゆる種類の余剰を蓄積する可能性をまったく排除することである」(p.128)と結論づけている。このことは、社会の複雑さを排除し、人間文化的知的生活の豊かさを排除することになると彼らは主張する。

ウッドバーン(1982、2005)は確かに、蓄積に対する意図的抵抗狩猟採集民の平等主義を支えており、意識的になされた政治的選択を表していると主張している。彼は、このような平等主義は非蓄積型狩猟採集民だけの特徴であると観察し、「即時回帰」こそが人類経済の原型である結論づけた。しかしウッドバーンは、そのような平等主義に複雑性が欠けているとは主張しなかった。実際、彼は「単純な」社会形態と「複雑な」社会形態との二項対立有害で誤解を招くものとみなしていた。ウッドバーンにとって、平等主義を維持することはこの上なく洗練された達成であり、単に不平等が生じるのを許容するよりもはるかに高いレベル政治的知性と複雑性が要求されたのである。ハザ族には、必要以上の富を蓄積させることがいか危険かを理解する知性があると彼は説明した。

富の不平等は許されない

しかしG&Wによれば、富の不平等問題ではない。彼らの立場を支持するために、彼らは17世紀ヨーロッパの「文明」を批判したファーストアメリカンカンディアロンクを引き合いに出している。やや説得力に欠けるが、彼らは、カンディアロンクと彼の最初アメリカ人共同思想家たちは、「富の差が権力の体系的不平等に変換されうることを想像することさえ困難であった」(p.130)と断言している。

G&Wは、即時回帰型の狩猟採集民が富の不平等が生じるのを拒んだことを認めている。しかし驚くべきことに、彼らはこの状況全体を期待外れとみなしている:

こう言うと、何か希望に満ちた楽観的な話に聞こえるかもしれない。実はそうではない。この言葉示唆するのは、やはり、最も単純な採集者以外には、その名に値する平等本質的に不可能だということだ。それでは、私たちにはどんな未来が待っているのだろうか?

どんな未来アフリカ狩猟採集からインスピレーションを得ている活動家たちは、現代都市生活者を、不運なハッザ族のように、小さな遊牧民集団の中で繰り返される単純な生活に「はまり込む」よう招いている、と彼らは示唆する。

はっきり言っておくが、私は原始主義者ではない。私は技術的、社会的政治的発展に賛成である。ハザ族は、必要に応じて富を共有し、笑い、歌い、遊びの中で「時間を浪費」し、誰かに支配されることに抵抗し、他のすべての心配事よりも互いの子供の世話を優先することが、充実した楽しいことであることを示している。開発に関して言えば、この政治的に洗練された弓矢ハンターたちは、私たちに多くのことを教えてくれるだろう。

(続く……)

万物黎明』は人類歴史を誤解している・続き

彼らの政治プロジェクト理論

私たち時代における2つの重要問題は、次のとおりである

現在世界社会正義革命を起こすにはどうすればいいのか?

そして、この行き詰まりを乗り越えるために、私たち私たちの種の歴史から何を学ぶことができるのか?

このような問いは、歴史を通じて真剣思想家活動家たちを駆り立ててきた。そして今、地球温暖化に直面している私たちは、緊急に説得力のある答えを必要としている。これらはグレーバーとウェングローも問いかけていることであり、本書が人々の注目を集めた理由であることは間違いない。しかし、私たちの多くが抱く3つ目の疑問がある:

なぜ人間社会はこれほどまでに不平等になったのか?

意外なことに、グレーバーとウェングローはこの問いに関心がない。第1章のタイトルは「人類の幼年期よ、さらば」である:あるいは、なぜこれは不平等起源についての本ではないのか」と。

この本の中心的な主張のひとつは、不平等ヒエラルキー暴力は、あらゆる人間社会組織する方法として常にあり得たということだ。不平等以前の時代などなかったのだ、と彼らは言う。そして、「平等」や「平等主義」という言葉を多用するが、平等空虚な関心事であり、おとぎ話であり、「平等主義社会」について語ることは何も語らないことだと主張する。

奇妙なスピン

これには奇妙な解釈がある。グレーバーとウェングローは、霊長類祖先や初期の人類平等であることによって見出し適応、つまり生態学ニッチについて説明する新しい注目すべき学問無視している。つまり、かつて人類平等であったのだから、再びそうなる可能性があるという古典的無政府主義者マルクス主義者の見解無視しているのだ。

保守派の主張は、農耕や都市生活経済の複雑化の結果として不平等が現れてしまえば、世界を変える希望はないというものだ。グレーバーとウェングローは、農業に関するこの議論抵抗し、明らかに変化が可能であることを望んでいる。そして明らかになるのは、彼らの敵は不平等ではなく、国家だということだ。

彼らが問うのは、権威主義的、官僚主義的、中央集権的な国家支配されるようになったのはなぜか、ということだ。そして、植民地主義奴隷制階級差別人種差別性差別といった不平等が本書の随所に出てくるが、これらは彼らの中心的な関心事ではない。

グレーバーとウェングローが主張する政治論点は、太古の昔から、人は常に支配自由のどちらかを選ぶことができたということだ。彼らにとって、人々は彼らが国家支配の「小規模な」行き詰まりから逃れ、「自由な人々」になることを選ぶことができる。

彼らが否定するのは、環境的・技術的な限界によって人々が選択できること、そして選択できることである。要するに、人々は自ら選択した状況で歴史を作るのである

この立場の見返りは、政治的な意志さえあれば、革命を起こし、コンセンサスを通じて働く民衆の集まりによって社会運営することができると主張できることだ。どれも素晴らしく、解放的に聞こえるが、その根拠には問題がある。

彼らの主張 - Step By Step

グレーバーとウェングローはこの本の冒頭で、善であれ悪であれ、「元来の」人間社会存在したという考えを否定することを目的としている。そのために彼らは、ルソーホッブズの間で長年続いてきた議論を復活させる。

さら重要なのは19世紀社会ダーウィニズムや、より最近スターリン主義的な「歴史の段階」理論に対する、彼らの完璧なまでの嫌悪が冒頭に示されていることだ。そしてここでもまた、ジャレド・ダイアモンドナポレオン・シャグノン、スティーブン・ピンカーのような進化心理学現代ホッブズ主義者に対する深い軽蔑を表明している。歴史の段階説も進化心理学も、深刻かつ重要対象であり、私たちはその両方を共有している。

社会ダーウィニズム歴史の段階説。ハーバート・スペンサールイスヘンリーモーガン19世紀社会ダーウィニズムと、それ以降のバージョンでは、最初人類は原始人であり、次に未開人、野蛮な園芸民と牧畜民が続き、その後に農耕の出現、古代文明の発展、中世を経て近代資本主義社会夜明けまで続く。それぞれの段階は、道徳的知的進歩シグナである理解されている。

しかし、社会ダーウィニズムはいたるところに潜んでおり、ほとんどの主流政治思想の醜い礎石であり続けている。そしてそれは、現代人種差別主義新植民地主義を支え続けている。

左派を含む多くの人々にとって、グレーバーとウェングローによる段階的な歴史理論解体は目新しいものであり、啓示と安堵の両方として体験されるだろう。そして、その理由は容易に理解できる。

そして、グレーバーとウェングローの攻撃には、さらなる特効薬がある。彼らはこの本の中で、マルクスエンゲルス仕事についてはほとんど何も語っていないが、歴史の段階説を否定することで、伝統的なマルクス主義者の進化論説明も暗黙のうちに否定しているのだ。

これはフリードリヒ・エンゲルスの著書『家族起源 私有財産国家』において最も顕著であるエンゲルスはそこで、人間平等の中で進化してきたが、農耕の発明によってあらゆる形態の不平等が生まれたと主張した。ここまではいい。

しかし、エンゲルスはその枠組みを、白人差別主義に彩られたスペンサーモルガンから直接学んだのである。例えば、エンゲルスがなぜ動物の群れを持つ牧畜民が他の未開の民族よりも人種的に優位に立つと考えたのか考えてみよう。

アーリア人セム民族の発達が優れているのは、牛乳と肉が豊富供給され、特にこれらの食物が子供の成長に有益な影響を与えるからであろう。ニューメキシコプエブロインディアンは、ほぼ完全な菜食主義者であるが、肉や魚を多く食べる野蛮の下層にあるインディアンよりも脳が小さいという事実がある」[1]。

エンゲルスの著書にはそのような箇所がたくさんあり、このように書いているのは決して彼だけではない。

フランツボアスグレバーとウェングローが、このような反感を買うような議論破壊したいと思うのはまったく正しい。しかし、彼らはあたか自分たちがそうする最初の一人であるかのように自らを装っているが、これは明らかに違う。フランツボアスは、太平洋西海岸クワキウトル族に関する初期の民族誌で、グレーバーとウェングローはこれを大いに参考にしている。

フランツボースは、ユダヤ人フェミニストで、1848年ヴェストファーレンのミンデンという町で起きたドイツ革命指導者の一人であったソフィーメイヤーの息子である1851年までに、彼女読書グループマルクスエンゲルスの『共産党宣言』を読んでいた。

ボース人類学者になった。カナダではバフィン島イヌイット族やバンクーバー島クワキウトル族を現地調査し、最終的にはニューヨークコロンビア大学教授となった[2]。

1913年、彼は段階説の人種差別主義を打ち破り、近代人類学の基礎を築いた。ボースは『原始人の心』の中で、「原始人」は誰よりも賢く、賢く、創造であると主張した。1913年当時、ボース母親政治否定していたわけではなく、ユダヤ人として、またアメリカ先住民党派として、人種差別を憎んでいた。

ボースは生涯社会主義者だった。母親の影響は、ルース・ベネディクトマーガレットミードゾラニールハーストンなど、多くの女性人類学者の世代を育てたことにも表れている。ボアスと彼の教え子たちは、人種差別的な段階という問題を、人類文化進化について話すのをやめるという単純な決定によって解決した。

しかし、私たちはもはや1913年時代ではない。1982年エリックウルフ皮肉タイトルの『ヨーロッパ歴史なき人々』は、反帝国主義、反人種主義、そして歴史真摯に受け止める人類学の波を起こした。

人類学者は長い間、単純と複雑、野蛮と文明、後進と先進先進と後退、先進と未開発、高位と低位、世俗宗教伝統現代といった二項対立から滴り落ちる人種差別に敏感に反応してきた。しか悲劇的なことに、こうした二項対立は、アメリカ先住民大量虐殺アフリカ奴隷貿易白人帝国による植民地支配、そして今日の対イスラム戦争正当化するために展開され続けている。

新しい進化論人間適応

人類学者や考古学者たちは、現在人類の不平等起源について、まったく妥当説明を構築している。ケント・フラナリージョイス・マーカスジェームズ・C・スコットがその中心人物である

残念なことに、グレーバーとウェングローは、人類進化に関する膨大な数の新しい学問に取り組んでいない。これらの新しい研究無視することで、グレーバーとウェングローは、霊長類比較進化とヒトの適応に関する、注意深く、そして現在では極めて十分に文書化された議論に逆らうことになる。彼らの問題は、この資料が「オリジナルの」人類社会存在しないという彼らの主張を覆し、選択についての彼らの議論をむしろかにしてしまうことである

グレーバーとウェングローは、かつて人類狩猟採集によって生活していたことを否定はしない。しかし、彼らは環境人間存在物質的基盤には深い関心がない。そして、これらの社会必然的平等であったことを否定している。

彼らの主張の第一歩は、人類進化はすべて過去のことであり、当時何が起こったかを知ることはできない、というものだ。すべては推測にすぎない。しかし、これは単純に真実ではない。

過去40年間、科学革命は目覚ましく、人類進化の分野では膨大な研究が花開いた。今では、人間以外の霊長類霊長類の行動に関する驚くべき新しい研究、初期人類に関する新しい考古学、近現代狩猟採集民に関する新しい民族誌が数多くある。

化学的微量分析DNAサンプリング、放射性炭素年代測定質素な家庭での忍耐強い考古学のおかげで、私たちは先階級社会、そして初期階級社会に住んでいた人々について多くのことを学んだ。私たちヒーローの中には、読み応えのあるクリストファーボームフランズ・デ・ワール、R・ブライアンファーガソン、サラ・フルディ、マーティンジョーンズ、ローラライヴァルの広範な出版物がある。

このような研究は、人類進化人類史の研究を一変させつつある。その出発点は意外なものだった。私たち平等になることで人間になったのだ。これは驚くべき貴重な洞察であるしかし、それはグレバーとウェングローの説明の根幹を突く洞察である

人間適応についての簡単なまとめ

現在、さまざまな類人猿サル対象とした何十回もの長期野外調査プロジェクトによって、それぞれの種について、特定の複雑な適応が、特定環境で生き残ることを可能にしていることが明らかになっている。その適応には、主食、悪い時の代替食、脳、手、足、胃、歯、生殖器、うなり声、歌、支配関係、共有関係子育て攻撃性、愛情、毛づくろい、群れの構造がどのように組み合わされているかが詳細に含まれている。[これが基本であり、人類進化理解するための私たち方法でもある。

時を経て、新しい適応のいくつかの部分が組み合わさって、現代人が誕生した。要するに、初期の人類はちっぽけな霊長類だったということだ。生き延びるためには、肉や野菜を共有し、育児を共有し、性的な喜びを共有することを学ばなければならなかった。そのためには、いじめっ子を懲らしめ、霊長類祖先が持っていた支配階層を超越しなければならなかった。そして少なくとも20万年もの間、彼らは男女も平等である平等主義的な社会で生きてきた。

続き→https://anond.hatelabo.jp/20230926143645

2023-09-14

anond:20230914181721

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%B1%B1%E6%8D%A8%E6%9D%BE

近世以後ヨーロッパ確立された外交プロトコルでは、夜会舞踏会が大きな役割果たしていたが、その風潮は19世紀後半になってもあまり変わってはいなかった。列強外交官は夫人同伴で食事舞踏を楽しみ、時にはそうした席で重要外交上の駆け引きも行う。幕末から明治初年にかけて欧米を視察した日本人にとって、それはひとつの大きな衝撃だった。日本人女性がまだ人前での立ち振る舞いにまったく慣れていなかった時代新政府の高官の多く[誰?]が即戦力となる芸者娼妓正妻として迎えた[34]理由ひとつもここにある。

どうも社会云々じゃなさそうなんだよなあ

2023-09-11

AIにはあれができないこれができない

って「現時点でAIに足りない部分」に難癖をつけて、人類による家内制手工業を守ろうとする発言

想像力ねえなー

って思う。

特にシステム開発分野。コードの断片は書けても設計はできないだろとか運用できないだろとか。

想像力ねえなー

って思う。

しかに現状のAIにはまだ未熟なところがたくさんあるし、「あれもできないこれもできない」という指摘も現時点では妥当ものだろう。でも10年後はどうかな。5年後は。明日は。

 

ほんのちょっと前まで、人間以外がプログラムコード書くなんてできない世界だったじゃん。

それがAIコード書くようになったらあわてて「いいやAIにはあれができないこれができない」って言い出す。

逆だよ、言ってることが。

できないことを指摘できるってことは、裏を返せば

「じゃああれとこれができるようになればいいんだね」

ってところまで来てるわけでしょ?

つうことは、そういう課題もそのうち克服しちゃうじゃん。

そしたらまたどうせ「まだそれとかこれができてない、まだまだAI仕事は任せられないね

ってなるんだろうけど、それだってそのうち克服しちゃうじゃん。

そのサイクルをぐるぐる回してるうちにAIってどんどん「使えるもの」になっていくわけじゃん。

すごいAI楽観論をもとに語ってるけど、でも、AIが目指してるとこってそこでしょ?

 

んで、AIが十分に論理的に育ったら、やがて自己強化サイクルを自力で回しだすよね。そうなったらもうシンギュラリティですよ。

なんなら、みずほ銀行PJのドキュメントソースコード全部呑ませて「これを最適化してください」で仕事が済んじゃう日が来るかもしれないよね。

「未定義要件が◯件、曖昧要件が◯件、矛盾する要件が◯件あります役員全員集合」とか言ってきて。

夢じゃん。

そういう夢を見ようよ。

 

俺たちは、18世紀19世紀産業革命がもたらした(ある種破壊的な)社会構造の変化を歴史で知っている。

AI未来過小評価したり矮小化したりしている人々は、「あれと同じことは起こらない、起こってほしくない」っていう現状維持バイアスに囚われていることに気づくべきだ。

もうすでに変わり始めてるし、これは序章に過ぎないんだよ。

2023-08-26

anond:20230825122846

肉体美の経緯は19世紀までの肉体観(=健康的な豊穣さがカッコいい)から

20世紀商業主義の肉体観(=拒食症不妊の肉体で毎シーズン買い替えられるのがカッコいい)へ、

その批判から21世紀の肉体観(=多様な体型をカッコいいということにしよう)が生まれている

 

しかしながら不健康な美を追求する流れは終わってないのが現状なんですよね

商業主義で作られたウエストくびれはいまだ支持されているし

ホワイトニング黒人、巨大目鋭角顎アジアン顔面まり婆も皆の願望の表れ

2023-08-12

anond:20230812020349

それだけじゃないぞ。 フランク王国とかシャルルマーニュとか覚えてないか?  あと、19世紀あたりまでの歴史もな。 外交世界でのフランス語地位を見てみろよ。

2023-08-02

クラシック市民階級音楽だとかいデマについて

ちげーだろ。

クラシックってのは著作権フリーから配信動画BGM音楽配信サービス楽曲数水増しに使うための、「配信音楽」だろうが。

19世紀市民階級の間でコンサート流行って昔の曲が発掘されたんです…って、ちげーだろ。19世紀たかが数万人が聞くようになった程度でそれらの音楽が「市民音楽」になるんなら、配信で数千万〜数億人が聞くようになったら「配信音楽」になるに決まってんだろ。

19世紀富裕層市民が聞くようになったっていう変化やその影響に目を向けるのは全然構わないが、それをもって「市民階級音楽」とか言い出すのはデマしかねぇ。ここ10年くらい、この耳目を驚かせる為のデマ流行り過ぎてんねん。てめぇらジャコバン派かよ。

いかクラシックは「配信音楽」だ。ロマン派より前のクラシックは「市民階級音楽」ではない。まぁ「宮廷音楽」とか「教会音楽」だと主張するなら話聞いて靴舐めてやるよ。

2023-07-17

anond:20230717124220

詐欺撲滅系ユーチューバーについて聞きたい】

元増田とは違うけどさ、KENZO新宿109】ってユーチューバーについて聞きたいのよ。マルチというか出資金詐欺系の人物告発したいのだけど、彼に行ったら動いてくれるかな?その詐欺師の特徴なんだけど、



って感じの、香具師情報提供したいのだけど。ケンゾーさん、取り上げてくれないかなぁ?証拠はたくさんあるよ。

2023-06-29

体操着さまざま ウクライナ語ウィキペディアより

ウクライナ語体操着

ウクライナでは体操着のことをСпортивний купальникと呼ぶ。ウクライナ語のкупальникはロシア語のКупальникと同じく、水着意味する言葉だ。ロシア語スペルは同じ。Спортивнийとはスポーツ意味する。

以下、ウィキペディアグーグル翻訳から抜粋

バレエレオタード

体操レオタード

フィギュアスケートレオタード

ロシア語版の記事から抜粋

19世紀には、レオタードは、体操選手強者曲芸師などのサーカスでのみ使用されていました。原則として、その上にショートパンツまたはスカートが着用された(たとえば、パブロ・ピカソ絵画舞踏会少女」)

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/en/1/1c/Pablo_Picasso%2C_1905%2C_Acrobate_%C3%A0_la_Boule_%28Acrobat_on_a_Ball%29%2C_oil_on_canvas%2C_147_x_95_cm%2C_The_Pushkin_Museum%2C_Moscow.jpg


伸縮性のある生地がなかったソ連で、最初ニットレオタード練習リハーサルを始めたのはバレリーナマヤプリセツカヤ海外ツアー中に自分用に購入した。彼女は、 1973年フランス振付師ローラン・プティ衣装デザイナーイヴ・サンローラン)によって彼女のために上演されたバレエ薔薇の死」で、伸縮性のあるレオタードベースにした衣装を着てソビエトバレエ舞台に初めて登場したそうである

マヤプリセツカヤは先日の亜留間次郎さん(@aruma_zirou)に言及した記事で、レオタードを特注していた人のことだ。

ソ連のノーパンブルマー少女

その他

一応通販ブルマを見つけたが、訳語関係ブルマ水着かはわからない。

(купальник、burumaで検索

https://shafa.ua/women/nizhnee-bele-i-kupalniki/kupalniki/125510273-plavki-zhinochi-kupalni

https://shafa.ua/women/nizhnee-bele-i-kupalniki/kupalniki/125446756-trusiki-vid-kupalnika-batal

また、ソ連時代のもの画像検索しても、ロシアのもの資料が混ざっている。

所でグーグル検索って、言語設定を変えると検索結果が若干ぶれる。どういうアルゴリズムなのだろう?

今度はもう少しウクライナブルマについて調べるか、エアロビ衣装についてかな。

参考資料

https://uk.wikipedia.org/wiki/%D0%A1%D0%BF%D0%BE%D1%80%D1%82%D0%B8%D0%B2%D0%BD%D0%B8%D0%B9_%D0%BA%D1%83%D0%BF%D0%B0%D0%BB%D1%8C%D0%BD%D0%B8%D0%BA

https://ru.wikipedia.org/wiki/%D0%9A%D1%83%D0%BF%D0%B0%D0%BB%D1%8C%D0%BD%D0%B8%D0%BA_(%D1%81%D0%BF%D0%BE%D1%80%D1%82%D0%B8%D0%B2%D0%BD%D1%8B%D0%B9)

2023-06-24

リトルマーメイド2023の歴史修正

original story as written by Hans Christian Andersen から リトルマーメイドになった時点では欧州大西洋北部)の話だったみたいだが、2023版はカリブ海あたりに舞台が移されている

そこでは、ご当地風味の演出として民衆が出てくるミュージカルシーンで楽器スティールパン」によって曲が演奏されている 

BGMスティールパンの音がする」ではなく、明確に人間族がスチールパンを叩いている映像が見られる

スティールパン白人奴隷抑圧、からまれ楽器なのは譲るとして

トリニダード・トバゴイギリス領となりましたが、黒人奴隷たちの待遇は相変わらず最悪なもので、しばしば植民地政府警察相手暴動が発生。

その発生は「カーニバル」の時期に決まって起こっていました。

キリスト教の謝肉祭の文脈と、アフリカ楽器を用いた祝祭の伝統が融合してできたものなのですが、興奮して盛り上がりすぎて日ごろの鬱憤が全部出てしまい、暴動に発展するケースが多々あったのです。1880年イギリス植民地政府は「カーニバル暴動」を取り締まるため、金属の棒を用いるパーカッション音楽全面禁止にしてしまいました。

黒人たちは、竹の棒を使ってフライパンドラム缶を叩いて音楽を楽しみ始めました。それをタンブー・バンブーといいますが、しばらくしたらそれすら当局によって禁止されてしまます。」

で生まれたのがスティールパンってわけ。

1939年ウィンストン・スプリーという人物ボロボロになったドラム缶を叩いて直そうとしたところ、凹んだ箇所によって異なる音が出ることを発見スティールパンの元となる楽器を偶然生み出し、一躍黒人の間に広まります

これが有名になったのは1941年。」「このような発展から20世紀最後にして最大のアコースティック楽器発明」と呼ばれており(要出展)」

スティールパン存在するのは、本来ならば20世紀以後。現在職人の高度な技術によって製造されている。

馬車と帆船が移動手段なのにスティールパン存在するリトルマーメイド世界は、幕末シンセサイザー演奏する武士がいる江戸みたいな世界だということになる。(BGMシンセサイザーの音が聞こえる映画ではない)(自動車19世紀には実用化されている)

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