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2012-01-27

村上春樹の猛々しい想像力 (1/3)

Sam Anderson

2011年10月21日

訳注:長文注意。誤訳あったらごめんなさい。教えてもらえたらあとで直します)

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この夏、私は初めての日本への旅行を企てた。

村上春樹の作品世界にほぼ浸りきってやろうというつもりだった。

ところがその目論見は外れることになる。

私は村上の作品の影響下にあるまま、東京に降り立った。

期待していたのは、バルセロナパリベルリンのような街だった。

そこでは、市民はみな英語が達者で、さらにはジャズ劇場文学シットコムフィルム・ノワールオペラロックといった、

西洋文化のあらゆる枝葉に通じている……そんなコスモポリタン世界都市を私は期待していた。

誰かに聞いておけば分かっていたはずなのだが、実際の日本はまったくそんな場所ではなかった。

実際に足を踏み入れることができる日本は、どこまでも頑固に、日本的だった。



そう思い知らされたのが地下だったというのは、我ながらよくできていたと思う。

東京での初めての朝、私は村上の事務所に向かっていた。

アイロン掛けたてのシャツに包まれ、なんの躊躇もなく地下鉄の駅へと降りて行くや否や、

私は迷子になり、助けを求めようにも英語話者を見つけることができなかった。

最終的には(電車を乗り間違え、馬鹿げた値段の切符を買ってしまい、必死のジェスチャーで通勤客を怖がらせたあと)、

どうにか地上に出てはみたものの、もはやインタビューの時刻はとうに過ぎている。

私は絶望して、目的もなくあちらこちらへとさまよい歩いた(東京にはほとんど標識がないのである)。

そして蜂の巣状のガラスピラミッドのような建物の前で途方に暮れていたとき

ついにユキという村上アシスタントに見つけてもらうことができた。



このようにして私は東京の地下の洗礼を受けたのである

まりにもうかつな、アメリカ人的な私は、村上のことを現代日本文化を忠実に代表する人物として考えていた。

実際には彼は私が思っていたような作家ではなく、日本は私が思っていたような場所ではなかった。

そして両者の関係の複雑さは、翻訳を介して遠くから眺めていたときには想像しえないものであることが明らかになっていった。



村上の新作『1Q84』の主人公の一人は、自らの人生最初記憶に苛まれており、誰に会ったときにも、あなた最初記憶はなにかと尋ねる。

やっと村上に会えたとき、私は彼の最初記憶について尋ねた。

それは3歳のとき、初めて家の門の外に歩き出したときのことだという。

彼は道をてくてくと渡り、溝に落ちた。

流されていく先にあるのは、暗く恐ろしいトンネル

そこに差し掛かろうかというとき、母が手を差し伸べ、彼は助かった。

「明確に覚えている」と彼は言う。

「水の冷たさ、トンネルの闇、その闇のかたち。怖かった。僕が闇に魅かれているのはそのせいだと思う」

村上がこの記憶を語るとき、私は既視感とともに心の中でくしゃみをするような気持ちを覚えた。

その記憶には聞いた覚えがある、いや、不思議なことにその記憶自分の中にある、と感じた。

ずっとあとになって分かったことだが、私は確かにその記憶を持っていた。

村上は『ねじまき鳥クロニクル』の冒頭の脇役に自分記憶を写し込んでいたのだ。



村上を初めて訪問したのは、日本にしてもありえない夏の厳しさの最中

週の真ん中、蒸し蒸しする午前中のことだった。

それは非現実的なまでの災害の余波を受けた夏だった。

4ヶ月前に北日本を襲った津波で2万人が命を落とし、

いくつもの街が破壊され、原子力発電所メルトダウンした。

その結果、電力、公衆衛生メディア政治にも危機が到来した(当時の首相の辞職によって、5年間に5人目の首相が生まれることになった)。

日本を代表する小説家である村上に会いに来たのは、

大作『1Q84』の英語訳(そしてフランス語訳、スペイン語訳、ヘブライ語訳、ラトビア語訳、トルコ語訳、ドイツ語訳、ポルトガル語訳、スウェーデン語訳、チェコ語訳、ロシア語訳、カタルーニャ語訳)について話すためだった。

この本はアジアで数百万部を売り上げ、

まだ翻訳が出ていない言語圏ですらノーベル文学賞の噂が囁かれていた。

62歳にして30年のキャリアを持つ村上は、日本文学最高峰としての地位を確かなものにしている。

疑いなく、彼は母国の表層とかたちを世界に伝える、想像世界大使となった。



そのことは、関係者には非常に大きな驚きだったと言われている。



村上は常に自分日本アウトサイダーだと考えている。

彼は不思議社会環境最中に生まれた。

アメリカによる戦後占領を受けた1949年京都日本の前首都である

「これ以上の文化混交の瞬間を見つけるのは難しい」と John W. Dower は1940年代後半の日本について書いている。

「これほど深く、予測不能で、曖昧で、混乱していて、刺激的なものは他にない」という。

「瞬間」を「フィクション」に置き換えてみれば、村上の作品を完璧に説明することができる。

彼の物語の基本構造は、互換性のない複数の世界に根を下ろした普通の人生であり、

それはそのまま彼の最初人生経験の基本構造でもある。



村上は成長するまでのほとんどを神戸郊外で過ごした。

そこは、さまざまな言語の喧騒に包まれた国際的な港湾都市である

彼はアメリカ文化、とくにハードボイルド探偵小説ジャズに没頭して十代を過ごした。

そうして反逆のクールさを自分ものにし、

二十代のはじめには大企業の序列に入り込む代わりに、髪を伸ばしヒゲを生やして、両親のすすめを押し切って結婚し、借金をして「ピーターキャット」というジャズクラブ東京で開いた。

掃除をして、音楽を聞いて、サンドイッチを作って、酒を注いで、

彼は約10年間をその仕事に費やした。



作家としての村上キャリアの始まり方は、彼のあの作品スタイルそのものだった。

どこまでも普通の設定で始まり、どこからともなく神秘的な真実が主人公に降りかかり、その人生根底から変えてしまう。

29歳の村上地元野球場の芝生でビールを飲みながら、デイヴヒルトンというアメリカ人助っ人バッター二塁打を打つのを見ていた。

平凡なヒットだったが、ボールが飛んでいくのを見て村上天啓に打たれた。

自分小説が書けると気づいたのである

そんな望みはそれまでなかったが、いまや圧倒的なまでだった。

そして彼は書いた。

試合が終わった後、書店に行きペンと紙を買って、

数ヶ月のちに『風の歌を聞け』を書き上げた。

それは名もなき21歳の話し手が語る小さく凝縮された作品だったが、冒頭から村上らしさが見えていた。

アンニュイとエキゾチシズムの奇妙な混合。

わずか130ページで、その本は西洋文化をぶつ切りにして引用してみせた。

名犬ラッシー』、『ミッキーマウスクラブ』、『熱いトタン屋根の猫』、『カリフォルニア・ガールズ』、ベートーベン第三ピアノ交響曲フランス映画監督ロジェ・ヴァディム、ボブ・ディランマーヴィン・ゲイエルヴィス・プレスリー、『ピーナッツ』のウッドストックサム・ペキンパーピーターポール&マリー。

以上はごく一部に過ぎない。

そしてその本には(少なくとも英語訳には)日本芸術引用がまったくない。

村上作品のこうした傾向は日本批評家をしばしば苛立たせている。



村上は『風の歌を聞け』を権威ある新人賞に応募し、受賞した。

そして一年後、ピンボール機を取り上げた次の小説を出したのち、執筆時間のすべてを費やすため、ジャズクラブを畳んだ。



時間のすべて」という言葉には、村上にとっては余人とは異なる意味がある。

30年を経て、彼は僧侶のように統制された生活を送っている。

すべてが作品を作り出すのを助けるように調整されている。

彼は毎日のように長距離を走り、泳ぎ、健康的な食生活を送り、夜9時には床につき、朝4時に起きる。

そして起床後5、6時間は机に向かい執筆に集中する(2時に起きることもあるという)。

彼は自分の事務所を監禁場所だとみなしている。

「ただし自発的な、幸せ監禁だけれど」



「集中は僕の人生もっと幸せものだ」という。

「集中できないとき、人はあまり幸せではない。僕は考えるのが速くないけれど、何かに興味を持てば、それを何年も続けられる。退屈することはない。僕はヤカンのようなものだ。沸かすのに時間はかかるけれど、いつまでも熱い」



そうした日々の湯沸かしが続いていって、世界でも類まれな作品群ができあがった。

30年の歳月を経て積み重ねられたそれには人を虜にする不思議さがあり、様々なジャンルSFファンタジーリアリズムハードボイルド)と様々な文化日本アメリカ)をつなぐ位置にある穴を埋めている。

どんな作家にも、少なくともこれほど深くまでは、埋められなかった穴だ。

時とともに村上小説は長くシリアスになる傾向が強くなった。

シットコム引用もその傾向に調和している。

そして今、とりわげ激しく長い湯沸かしの結実として、もっとも長く、奇妙で、シリアスな本が上梓された。



低く深い声で村上たくみ英語を操る。

彼は翻訳者を通して会話するのが嫌いだという。

なまりは強く、落ち着くべき箇所で動詞の活用が劇的に現れたり消えたりする。

はいえ相互の理解に支障を来たすことはまずない。

特定の熟語("I guess" 「ではないか」、 "like that"「というような」)が、ときたまおかしな位置で使われることがある。

安全言葉いから逸脱するのを楽しんでいる節が彼にはあった。

英語即興の遊びをしているように感じられたのである

私たちは東京にある彼の事務所で席を持った。

その事務所は半ば冗談ながら村上製作所と名付けられている。

数人のスタッフが靴を履かず他の部屋で作業をしている。

村上は青いハーフパンツと半袖のボタン付きシャツで現れた。

彼のキャラクターと同じように、アイロン掛けしたばかりのように見えるシャツだった(彼はアイロンけが好きだという)。

靴は履いていない。

彼はペンギンのある本の表紙を模したマグカップブラックコーヒーを飲んだ。

その本とはレイモンド・チャンドラーの『ビッグスリープ』、彼の昔からお気に入り小説であり、今日本語訳をしている小説でもある。



話を始めながら、私はあらかじめ用意していた『1Q84』をテーブルの上に置いた。

村上純粋にびくっとしたようだった。

その本は932ページあり、ほぼ30センチのその厚みは本格的な法律書を思わせるほどだ。



「大きいな」と村上は言った。

電話帳みたいだ」

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2012-01-21

真説・ゲーセン出会った不思議な子の話

この度行定勲監督吹石一恵主演で映画化が決定した『ゲーセン出会った不思議な子の話』。だが、書籍化映画化が決定しても、このストーリーの書き手は決して名乗り出ることなく、ネット上ではこのストーリーに対し、様々な点から疑いが提出され、果ては低迷するアーケードゲーム業界によるステルスマーケティングではないかという説まで浮上している。

私は、ある裏情報から、このストーリーの書き手のIPアドレスを入手した。そして、エヌ県エフ市というある郊外の市から書きこまれた、という所まで書き手の所在を特定し、早速現地に向かった。

まず私はその街にゲームセンターがないかを探した。すると、今はもうないが、かつて「UTOPIA」というゲームセンターがその地にあったことが、分かり、そのゲームセンターに昔よく行っていた男性に話を聞くことが出来た。彼に、いつも帽子を被り、格闘ゲームをやっていた女性に心当たりはないか聞くと、彼はこう言った。

「あーあの女か!あいつはひどい女だったよ。なんだい、お前もあの女に騙された口なのかい?」



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その男性によれば、帽子かぶり、奇妙な振る舞いをする女性は確かにいたという。だが、そのような女性男性が放っておくはずもなく、彼女の周りは常に男性で囲まれていたという。

あなたも囲んでいた一人だったんですか?」

「ははは、まぁな。俺もあの頃は若かったからねー。」

その女性は機会があればあらゆる男性アプローチをかけていた。例えばふたりきりで居る時に急に泣き出して見せ、理由を聞くと、自分は家庭で居場所がなく、そのためこのゲーセンに入り浸っているのだと言ってみたり、あるいは「あなただけに打ち明ける秘密」として、自分は不治の病であり、もう長くはないのだと言ったり。そのようなアプローチ非モテ童貞が転ばないわけがなく、彼女ゲーセンで囲んでいた男性の一人を連れてラブホテルに行く姿も、度々目撃されていた。

当然、そんなことをしていれば人間関係はめちゃくちゃになる。その女性をめぐってのいざこざがそのゲームセンターでは日常茶飯事のこととなり、ゲームセンター治安は悪化、客足は遠のいた。そのゲームセンターが潰れた理由の一端は、あの女にあるんだよ!と、男性は語気を強めて言った。

だが、ゲームセンターが潰れたことにより、そのただれた人間関係自然に瓦解した。そして、時間の経過により、いつしか囲んでいた男同士の間で、「同じ女を追いかけた者同士」という仲間感が生まれ、今では良い飲み友達になっているという。

まぁこんな郊外の狭い人間関係の中じゃあ、いつまでもいがみ合っていても仕方ないからな!同じ穴を共有した者どうし、まぁ兄弟みたいな関係なのよ。がはははは!」

正直、このようなホモソーシャルは私にとってはとても気持ち悪かったが、それはともかく、私はその「兄弟」にも話を聞いた。しかし話を聞けば聞くほどに、その女性は、掲示板で語られたような可憐で無垢なキャラクターとは異なる存在に思えた。しかし一方で、その容姿や、外から見た雰囲気は、驚くほどあの掲示板で語られた内容と一致しており、そのことが私を困惑させた。

その女性は、今どこでどうしているのかを、なにか情報を持っていないか聞くと、彼らは口を揃えてこう言った。

「いや、全然知らねぇ。そういやあいつはどこ行ったんだろうなぁ……」

調査はここで行き詰まった。



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あの「不思議な子」は今どこで、何をしているのか。手がかりを知るために、私はその街で聞きこみを開始した。すると、ある女性教諭が、彼女行方を知っているかもしれないというので、私はその女性教諭に話を聞きに行った。

その女性教諭は、今は教師を辞めていた。彼女に、帽子をかぶった、「不思議な子」の行方を知りませんかと聞くと、彼女はこう言った。



あいつは、死んだよ」



その女性は、元々彼女の教え子であった。そして、卒業後も頻繁に会っていたそうだ。その関係が、教え子と教師の関係どころか、友情を超えた親密なものであったことは、その女性について語る言葉の端々から見て取れた。

女性はとても不安定な人間だった。とても自己中心的であるように見えて、実はとても繊細で、誰かから嫌われていることが分かると半狂乱になり、彼女に怒鳴り散らしたという。「あの子はね、誰にも同じように好かれたかったんだよ。とっても、弱い子だったからさ。」そう彼女は言った。

そして、ある日、女性はある男にこう言われた。「お前みたいなビッチ!死んでしまえ!」と。

「次の日、この街の外れの崖からあいつは飛び降りたんだよ。」

女性飛び降りる前に、彼女にだけ電話を掛けた。その内容は、自分を悪しざまに罵った男性罵詈雑言であった。いつものことだったので、彼女が受け流していると、彼女最後にこう言った。



『結局、セカイは、あたしのことが嫌いなんだよ』



「私は、あの子の『セカイ』にはなれなかったのさ、結局。」

彼女タバコを吹かし、遠い目をしながら、そう呟いた。



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私は、彼女から、その女性飛び降り場所を聞き出し、そこに出かけた。掲示板に書かれたストーリーの書き手がどんな奴なのか、それはもう、私の関心からは外れていた。どうせ、最初に話を聞いたような連中が、面白がって掲示板投稿した話なんだろうと、そんなふうに思っていた。

そして、市の外れの崖に行こうとした時、私は一人の青年が、私の前を歩いていることに気づいた。その青年の手には、あの、トルコキキョウがあった。



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「ええ、私があのお話を書いたんです。この下で眠るあの子に、何か物語を捧げようとね……」

その青年は、そう私に告白した。

青年もまた、あのゲームセンター常連の一人だった。ただ、青年は、女性を取り囲む男どもの輪の中には入れなかった。遠くから、その女性を見つめていたけれど、声をかける度胸はなかったのだ。

ただ、一回だけ青年女性は、会話をした。喫煙所で、その女性に話しかけられたのだ。にっこり笑いながら、「君は、格ゲーはやらないの?」と。

「今思えば、ずーっと見つめられていたことに、気づいてたんでしょうね(笑)

青年が「格ゲーはやらない」と答えると、彼女格闘ゲームのことを沢山語った。ストリートファイター4というゲームさくらというキャラクター可愛いとか、そんな話を。

「ただ自分は、正直憧れの子に話しかけられたことで頭がいっぱいで、彼女が話す内容は全然頭の中に入ってこなかったんですがね」

そして、一方的に色々なことを話しかけられて、最後彼女はこう言った。「一回で知りたいこと全部知れるほど、簡単じゃないよ~」と。

「でも結局、私が彼女と話せたのはその一回きり。そのあとすぐ、そのゲームセンターは潰れてしまって……」

そして青年は、その女性の思い出を抱えたまま暮らしていたある日、ある女性が、崖から飛び降りたということを耳にする。そして調べていくと、その女性は、あの憧れの子であったことを知った。

「それが分かると、居ても立っても居られなくなって、そして、気づいたらあの物語を書き上げ、掲示板投稿していたんです。」

そしてその物語によって、青年彼女をこの汚れたセカイから救い出し、自分との、「永遠の愛」の中に、匿ったのだ。



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気づけば、話すこともなくなり、私と青年は無言のまま海の向こうを見つめていた。

この話を発表すれば、この青年の「永遠の愛」は破壊され、セカイにあふれる汚らしいゴシップネタとして消費されるだろう。だが、私はそういうことをしなければならない職業だ。だからしょうがないんだ……と、私は一人自己憐憫に浸っていた。

そんな時だった。海の向こうから、「ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ」という音が聞こえてきたのは。

「一体なんだ!?」と思い、私と青年が海の向こうを眺めると、そこには



クジラの上に、キャスケット帽をかぶった、ショートヘアーの、吹石一恵によく似た女性が、立っていた。



クジラは猛スピードでこっちに向かい、崖に突っ込んだ。あの子は空に向かって羽ばたき、そして、青年の胸に飛び込んだ。そして、彼女はこう言った。



彼女「ずっと待ってたんだよ、あなたが、私のことを呼んでくれるのを」

青年「え、それっとどういう……」

彼女「鈍感だなぁ君は。」



彼女「わたしは、ずっと君が、わたしを好きだって言ってくれるの、待ってたんだよ。」

彼女「でもひどいなぁ、私のこと、物語の中とは言え、殺しちゃうなんて。そんなに薄幸美少女萌えなのかい?この~」

青年は呆気に取られたようだったが、しばらくすると、何が起きているのかに気づき、そして、まるでこどものようにわんわんと泣き出した。そう、悔し涙ではなく、嬉し涙を。

彼女「君は、絵を描くのが好きとかいう風に書いてたけど、それは本当?」

青年「いや、絵は全然描けないwコピックマルチライナーっていうのを見かけて、その言葉の響きが良くて、つい使っちゃったw」

彼女「そっかー。わたしも絵は全然描けないよw格ゲーはどうだい!」

青年「それも全然wコンボとか正直覚えられるわけないし」

彼女「よーし、私が特訓してやろー。お姉さんに任せなさーい! 」

もう、私がここに居ることはお邪魔だろう。そう、物語の結末はいだってこうあるべきなんだ。



あ、そういえば一つ言い忘れたことがあったことがあったっけ。それを言っておかなきゃ。



俺「トルコキキョウ花言葉はね、永遠の愛なんかじゃないんだよ。



 希望 さ。」



http://www.youtube.com/watch?v=bnF51V-VkQc

2012-01-18

http://anond.hatelabo.jp/20120118225358

ちょい地方に行けば普通に日本人が働いている(全国チェーン店であっても)のでそれは無いかと。

(有名はてなーな某コンビニ店長の店も、都心郊外にあるらしいけど日本人普通に雇ってたなあ)

別に地方だって外国人は居るんだが、仕事が無いので日本人でもまともな人がコンビニバイトに応募して来る。

都心部は他にいくらでも仕事があるからまともな日本人コンビニになんて来ないんだろう。

http://anond.hatelabo.jp/20120118133033

多分、元増田さんとは違う人だと思うんだけれど。

郊外の(田舎の)人でも「まったりのほほん」してますよ。

ただ、そういう役割薬剤師には期待されている(できなければならない)って話で。

安くなるなら、そういう事を期待されない(同時服用で生じる危険や、強い薬の副作用などの知識も含め必要とされない)別の職種で呼べばいいだけの話。

「薬を売ることに対しての責任」が求められているわけだから、「田舎が」とかそういう話ではないですよ。

http://anond.hatelabo.jp/20120118124733

人によって接する世界は違うから子供から老人まで、見ている「現実」は違うでしょうね。

郊外なんかだと、医者の代わりになってるような薬剤師の方は、普通にいらっしゃいますよ。

それが高じると、漢方とかに行っちゃいますけどね。(そこまで行ったら医療行為だろ、と思わなくもない)

2011-12-28

眠れないので、誰にも話したことのない話をする。

眠れないので、誰にも話したことのない話をする。それは僕の人生についての話だ。

僕の一番古い記憶は、二歳のときものである。祖父に手を引かれた幼い自分が、夏の祭ばやしの中でぼうっと立っている。そんなはっきりとしない風景のような記憶

その夏祭りと同じ年、祖父はまだ50代という若さで死んだ。大の酒飲みでもあった祖父が居酒屋からの帰り道に道路のど真ん中で泥酔して寝ていたところ、通りかかった車にひき逃げされたのだそうだ。犯人は結局見つからず、警察役人的な処理の仕方に家族は憤りを感じたらしい。そういうこともあり、僕の一番古い記憶は、僕がもっている祖父に関する唯一の記憶でもある。

ただ、この祖父との夏祭り記憶はおそらく後から作られた記憶なんじゃないかと、僕自身は思っている。なぜなら、祖父に手をひかれている記憶のなかの「幼い僕」は、記憶の観察者である「僕」のほうを見ているかであるふつう自分自身の記憶であれば、自分の顔がその記憶風景の中にあるはずがない。僕が一番古い記憶だと思っているその祖父との思い出は、一人称記憶ではなく、三人称写真的な風景なのだ。多分、祖父が死んでずっと後、僕が物心ついた頃に祖父との夏祭り写真をみせられたか、もしくは親類が思い出を語ってくれたことで自分の中で作られた記憶なのではないかと思っている。

祖父に関するもう一つ記憶に残っている話がある。それは僕の父が語ってくれた父の記憶だ。祖父がひき逃げされた数ヵ月後、御巣鷹山日航機墜落事故がおきた。日本中の人々の関心を呼んだその事故報道を見ながら僕の父は一人の目撃者や証言者もなく数ヶ月で忘れさられてしまった祖父の事故を思い、命の価値は同じはずなのにどこか不公平だと感じたそうだ。その話を父から聞いたのは僕が中学生くらいのときだったと思う。多くの人の命が失われた大きな事件なのだからそんな田舎ひき逃げ事件より注目を集めるのは当たり前じゃないかと、思ったのを覚えている。

僕の話に戻ろう。祖父との夏祭り記憶の次に覚えているのは、幼稚園の庭のすみで幼なじみ男の子と二人、もくもくと遊んでいる僕の姿だ。これも記憶というより、印象といったほうがちかいかもしれない。幼稚園では他にも友だちがいたはずなのだが、僕はいつもその幼なじみとばかり遊んでいた。他のこどもたちは幼稚園の庭の真ん中でみんなで仲良く遊んでいる。ただ、僕とその幼なじみけが庭のすみっこで別のことをして過ごしている。そういう記憶だ。

僕は自分マイノリティであるという漠然とした自意識をもっている。そういう自意識はおそらくこの幼稚園時代からもっていたのではないかと、特に理由もないのだが、なんとなくそう思う。はっきりとは覚えていないのだが、そんな幼稚園時代を過ごしたという印象だけ残っている。

その後僕は幼なじみと同じ小学校にあがった。幼なじみをKと呼ぼう。小学生になった僕はKのほかに、新しくJという友達ができた。Jは別の幼稚園に通っていたのだが、帰り道がKと僕と同じなので自然と仲良くなったのだと思う。なにをして遊んでいたのかはあまり具体的に記憶にないが、学校の帰り道やお互いの家、近所の公園などで過ごしていた記憶がある。たぶん、他のこどもたちも同じように過ごしていたんじゃないだろうか。幼稚園のころよりかは幾分交友関係が広り、幾分マイノリティでもなくなった。

だが、マジョリティではなかった事だけは確かだ。小学生だったことがある人はわかるかと思うが、子供のなかでは子供なりのカースト的な階層があるものだ。上位階層に所属しているのはもちろんスポーツが得意な子供である野球サッカーではエースで、なおかつ顔がカッコイイというWという同級生がそのカーストの頂点で君臨していた。僕は早生まれということもあってか運動がまるきりダメで、そのためカーストの中では下位に位置している存在だったが、意識して階層の外にいるように、つまり上位のやつらやその友人たちとはあまり接触しないように過ごしていた。交友関係が広がったとはいえ、マジョリティだとは言えない存在だった。要するに僕の自意識マイノリティのままだったのである

スポーツがまるでダメと書いたが、そのおかげでマジョリティになれなかった僕はスポーツというものに対してどこかしら卑屈な感情をもっている。マジョリティへの嫉妬が、スポーツができないという事に転嫁され、それがスポーツそのものへの憎悪に近い感情になり、その結果スポーツは僕にとって禁忌になった。自分がどこからしら劣っているのはスポーツができないからであり、その元凶であるスポーツには近寄ってもいけないという発想である運動ができない子供はみな同じような感情を抱くものなのだろうか? スポーツが僕の中で禁忌であるというこは特に誰にも話したことはないので、他の似たような子供はどう感じているのか正直よくわかない。

これは成人した後、それも社会人になってからの話だが、会社の同僚と学生時代部活の話をしているとき、僕はおどけた調子で「運動したら負けだと思っている」と当時ネット上で流行していた言葉をもじってスポーツに対しての卑屈な感情冗談めかして言ってみたことがある。だが、その時話をしていた元サッカー部という同僚がそれを素直に受け取ってしまい、おそらく彼には僕と同じようなスポーツに対してのコンプレックスがないのであろう、結果、彼の気分を害してしまった。その人自身は運動会系というより文化系人間だったので、僕の原体験を共有できるもの勝手に思ってしまった自分が悪いのであるスポーツに対して当たり前のようにコンプレックスをもたない人間を目の前にし、自分はやはりマイノリティなのだと再認識をした。

子供時代の話に戻ろう。

僕達の育った町は自然あふれる田舎でもなく、かといってビルが屹立する都会でもなく、よそから引っ越してきた人達がつくったマイホーム国道鉄道沿いに立ち並ぶ、いわゆる郊外と呼ばれる場所だった。「だった」と過去形で書いたが、現在でもその風景は変わっていない。駅の前には商店街や、小さな個人書店や、同級生の親がやっている歯医者国道沿いにはファミリーレストランや大きめのおもちゃやさん、そして西洋の城を中途半端に模したラブホテル。この国のどこででも見られるような平凡な風景だが、誰にでもそうであるように子供の頃の僕にとってはそこは唯一の場所であった。

他の小学校のことはよくわからないが、僕の通っていた小学校には他の町に遊びに行ってはいけないという「きまりごと」があった。僕の家は隣町との堺がちかく、同じ町の友達の家に遊びに行くのにも隣の町を一部横切っていったほうが近いといったようなところに僕は住んでいた。「きまりごと」はまもらないといけないと素朴に信じていた小学生の僕は、友達の家に行く途中隣町をちょこっと横切るだけでも、ちょっとした罪悪感を感じていたものだ。まして電車にのって別の町まで買い物に行くなどどいうのは親同伴でなければ許されない事だと、そう固く信じこんでいた。

断章

2011-11-30

http://anond.hatelabo.jp/20111129201537

 大阪市域に限定されている各種サービス(例:大阪市地下鉄)を府下にも

あまねく拡げられるのでは、との思惑で、大阪都構想に「損得勘定」で賛成する

きみはホント大阪府民?

まず、現状でも大阪市域外に地下鉄が伸びてるから大阪市域に限定というのは

厳密には間違い。

そして、現状では大阪市域外の郊外私鉄が充実しているし、概ね広く分布している。

今後鉄道網を延長・整備するにしても、市営地下鉄ニュートラムを直接延長するよりも、

私鉄等の延伸するとか、三セクの延伸・相互乗り入れの方で対応できる。

例: 北大阪急行(阪急系だが府も20%株主)・大阪モノレール(大阪府が65%の他、沿線自治体鉄道事業者等も株主)



10歩譲って、上で引用した文の直前にある、

大阪市民でない大阪府民(大阪府下民)から見れば、

 法人税収が豊富大阪市の税収をあまねく府下全域に還元したり、

ということの例示として示したにしても、大阪府大阪市のことをあまり知らないように見える。

もしくは、泉北高速鉄道沿線民。

2011-11-07

2007/12/02 01:06

おめでとうございます!あ、ちなみに、この前東京で偶然出くわした者です。こんなID使う時点である程度ご想像つくかとは思いますが。

ところで、英語はどういった環境勉強されていたんでしょうか。最近英語必要性を痛感しているのですが、水準以上の講師を揃えているところは余り見つからないし、見つかっても費用がとんでもない額ですので……。こっそり教えていただけるとありがたいです

2007/12/03 20:00

丁寧なお返事ありがとうございます

YMCAとは気付きませんでした。なるほど。今行かれている英会話教室は、京都しかないものなのでしょうか?

職業柄、まいさんの研究内容にはかなり興味があります。ぜひとも当地で成果を上げられ、お裾分けに与りたいです。U先生みたいに一般人にもわかりやすくてためになる本や論文をぜひとも書いて下さいね、って今からリクエストときます(笑)

2008/06/03 01:03

どうもご無沙汰です(誰だか覚えていらっしゃいますか?)。

個人的にはノートパソコンHP (Hewlett-Packard) のものがご希望に添うのではないかと思います。元々法人向けの商売を主としている会社製品だけあって、実用性重視の製品構成になっています。壊れにくさについても、噂によるとそれなりに評判はよいようです

この 4 月に東京にやってきた音楽サークル出身の某君のパソコン選びに付き合ったときも、同様の話の展開から結局 HPものを選択することになりました。ご参考まで。

値段のことがなければ、私の立場から予想される某社のものを当然のごとく推薦するんですけどね……(いや、客観的にみて上位機種はなかなかいいんですよ、あれは)。

2008/06/17 20:01

うわあ!ニアミスでした。私も今日の夕方、新宿献血ルームにいました。

たまたま出張(講演会聴講)帰り(普段の職場郊外)に新宿に寄っただけだったのですが……。

ちなみに献血は、血が薄過ぎるといって却下されました。

2008/06/17 21:53

血液は順調に薄くなっているようです。有効数字3桁で約1年前はぎりぎり通過だったのですが、今回は落ちましたから。

まさに最近疲れがたまってます。昨日は座って物書きをしてるだけで動悸がしたりしたんですが、原因は睡眠不足と肩凝りでした。しかも、睡眠不足の原因は自宅パソコンの設定ミス(苦笑)仕事マイルドなんですがねえ……。

2008/06/18 00:38

心配どうもです。まさに昨晩ストレッチをしてゆっくり寝たら収まりましたのでご心配なく。

ちなみに動悸といっても問題にするに値しないものもあるみたいですよ。ストレスがかかるとたまに動悸が起こるのですが、一度心配になって医者に話をしに行ったことがありまして、そのとき医者は話を聞いただけで「それは一過性ものである限りは心配する必要はない」みたいなことをいわれましたし。

それに今回の体調不良も、運動をしたり酒を飲んだりすると収まるようなもので、明らかにストレス要因だったから大して心配する必要がないことはわかってたんです。ただ、それにしては放置して悪化させてしまったというだけで。

2009/02/07 02:34

例の件、おめでとうございます!(そちらではまだなんでしたっけ)

考えたら、はじめてお会いしたときはお互い 10 代だったんじゃないでしょうか。恐ろしい話です……。

2009/03/06 23:30

ご無沙汰です。ちょっと突っ込み入れさせていただきますね(笑)

個人的には、まいさんはかなり "polite" で "shy" で "indirect" だと思っているので、余り驚かないのですが、いかがでしょうか?(^^;)確かに、まいさんはツッコミも激しいですが、事情がわかるまでは非常に礼儀正しくて慎重、という印象があるのですが……。状況を把握して吸収するのが早いから、日本国内ではあまり目立たないかもしれませんけど、海外では適応にも時間がかかるからそういう面が目立ったのかな、と何となく想像してみました(笑)

発音については、本当にあれは不思議ですね。学会なんかで、その調子カタカナ英語で質問をして、講演者にまったく理解されないという人をよく見ます教育程度の高い人でも、'a' と 'o' と 'u' の短母音を区別しようとしない(そもそも区別があることがわかっていない?)、開音節や consonant cluster に余計な母音を付ける、という癖が抜けないのはなんなのでしょうか。この二つの欠点を取り除くだけで、圧倒的に聴き取りやすくなると思うんですけどねえ……。

ちなみに、最近 "English Pronunciation in Use" (Cambridge Univ. Press) という本を見つけて購入したのですが、「なんでこれを学校で教えてくれなかったんだ!」と目から鱗が落ちるような、痒いところに手が届く記述満載で非常に勉強になっています。総じて、欧米語学教材は言語学的な知見が駆使されていて非常に質が高いですね。それに比べて日本で売られている英語の教材って、言語学的にトンデモな本が余りに多いですけど、あれ、なんでなんでしょうね?新書本一冊読めばわかる程度の間違いが満載な本で金を取るなよ、といつも思うのですが……。

2009/06/04 20:16

>いつも思うのだが、独身から/出産したこと無いから/社会人になったことないから、オマエには経験がない/理解できないという言説だけはどうにかならんかなぁ。

独身なのに/出産したこと無いのに/社会人になったことあるのに、オマエには経験がない/理解できない」と言い返してやればいいんじゃないでしょうか(笑)

2009/06/05 00:33

>それも論理的には誤謬でして…誤謬誤謬で言い返すのもモヤモヤしますしねえ。

えーと、一応暗黙の反語のつもりですので……(汗)ギャップを埋めるなら、「よっしゃ、そんなに言い張るならお前の言うとることが正しいということにしといたるわ、せやけどそしたらこうも言えるわな」というつもりでした(^^;)

2009/07/13 21:16

> 私にとってみれば、問題はドイツ人がやったことだということ以上に、世界のどこででもこういうことが現在だって起こりかねない(というか起こってるだろう)というところにあるんだと思うんだけれども、そういう風にはやっぱりならないのかしらん…、などと思うのだ。

よく、広島原爆慰霊碑の「過ちは繰り返しませぬから」が理解できない外国人がいるという話を聞きますね。どうして「日本人」が犠牲者に謝罪するのだと。我々にとっては、考えるまでもなく暗黙の主語は「人類」なので、色々と文化の差というものを考えさせられる話です

2009/07/14 00:33

うーん、会津では未だに長州への遺恨があると聞きますし、民族性ではないのでは……。

一つ言えるのは、日本の受けた戦災というと、沖縄を除けば爆撃に限られるわけで、爆撃ってされる側にとってもする側にとっても「敵」の顔が見えないから、される側は感覚的には戦災のように感じてしまうし、した側は自分無差別虐殺をしたことに気づかないということがあって、しか日本場合占領軍が基本的に懐柔策を取っていたからあまりアメリカに遺恨が残らなかったということではないでしょうか?少なくとも、私が祖父母をはじめとする人たちから聞かされた空襲体験は、もっぱら天災のような語り口だったんですよね。

その点、ロシアに対しては、たった一週間戦っただけでもかなり根深い不信感と恐怖感があるような気もしますし。

あと、やはり沖縄では対米感情は本土よりもだいぶ複雑なんじゃないでしょうか。

でも、ベトナムのことはわからないですね……。あれも地上戦よりも北爆の方が主体だったんでしょうか?あるいは民間人にとっては米軍南北ベトナム軍もどっちもどっちだったか米軍だけに憎悪が向かないとか(とすると、中国人反日感情が意外に強くない理由も説明できるかも?)。

いずれにしても憶測ですね。

2009/11/24 00:31

政治文化大革命」は、単に「政治文化の大革命」の言い間違えだと思うんですけど、いかがでしょうか?^^;

ところで、なぜか関西に帰ってきていたにもかかわらず、NF のことを完全に忘れていました。顔を出せば良かったですね。と今更後悔。

2011-11-03

臨時告知

津波浸水したサクラ狂い咲き 青森県八戸市三島公園 2011/8/29

tp://www.47news.jp/photo/265458.php

岩手県宮古市で季節外れのサクラ開花. (読売新聞2011年10月05

tp://www.yomiuri.co.jp/national/news/20111005-OYT1T00105.htm

津波かぶった桜に季節外れの花(岩手県大船渡市岩手日報) (2011.9.1)

tp://www.iwate-np.co.jp/hisaichi/h201109/h1109014.html

いわきで桜咲く 秋なのに春到来?(福島民報) 2011年9月17日

tp://www.minpo.jp/pub/topics/jishin2011/2011/09/post_1948.html

季節外れの桜の花 宇都宮市郊外 2011/10/06

tp://www.digibook.net/d/d004857b909caed4a246c524056e7445/

埼玉県秩父 しだれ桜 2011.10.05

tp://suzakiokami.jugem.jp/?eid=4

桜返り咲き(狂い咲き) 千葉県ドイツ村で (2011/10)

tp://sakura.way-nifty.com/sakura/2011/10/post-3e98.html

静岡県河津町 河津桜狂い咲きで開花(2011/10)

tp://yakata.i-ra.jp/e400704.html

秋空の下、人知れず桜咲く 長野県伊那市・美和ダム管理支所 1110月 8日

tp://www8.shinmai.co.jp/flower/2011/10/08_014118.php

愛知県半田市 八重桜 2011/10/06

tp://blog.blochiita.jp/mimi/kiji/55187.html

岐阜県土岐川沿いで桜開花 (2011/9/9)

tp://hanako0119.cocolog-nifty.com/blog/2011/09/post-a1ec.html

三重 被災地で季節外れの桜 10月1日

tp://www3.nhk.or.jp/news/html/20111001/k10015971701000.html

奈良十津川村で季節はずれのサクラ咲く 2011.10.4

tp://sankei.jp.msn.com/life/news/111004/trd11100419200010-n1.htm

和歌山高野山近くで季節外れの桜 2011年10月9日

tp://news.tbs.co.jp/20111009/newseye/tbs_newseye4847106.html

和歌山県 那智勝浦温泉 2011/10/01

tp://www.jalan.net/yad324016/blog/entry0001487983.html

大阪府大東市 (2011/9)

tp://sakujo.webspace.ne.jp/bbs/

神戸市生田神社染井吉野咲く、移植の影響か (2011/9)

tp://mytown.asahi.com/hyogo/news.php?k_id=29000001109150005

兵庫県養父市季節外れのサクラ開花 2011/10/09

tp://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/0004535027.shtml

季節外れのサクラ開花/香川県三木町 2011/10/07

tp://www.shikoku-np.co.jp/kagawa_news/locality/20111007000129

秋に桜が狂い咲きするわけは?徳島県鳴門市 (2011/10)

tp://www.bes.or.jp/naruto/blog/detail.html?id=2716&category%5B4%5D=4

高知愛媛県境 2011.09.11

tp://plaza.rakuten.co.jp/miemom/diary/201109110000/

大分県日田市季節外れの桜 =2011/10/07

tp://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/267169

サクラが返り咲き 鹿児島県南さつま市笠沙 (2011 09/20)

tp://www.373news.com/modules/pickup/index.php?storyid=35139

沖縄県大宜味村 (2011/9)

tp://futao2.blog135.fc2.com/blog-entry-309.html

津波原因?季節外れの桜咲く 岩手県山田中央公民館近く (2011/10/20)

tp://www.iwate-np.co.jp/cgi-bin/topnews.cgi?20111020_7

秋晴れの下、季節外れの桜が開花 新潟市東区 2011/10/15

tp://www.niigata-nippo.co.jp/news/pref/28124.html

新潟県燕市吉田ふれあい広場で一本のソメイヨシノが季節外れの開花  (2011.10.18)

tp://www.kenoh.com/2011/10/18kuruizaki.html

「季節外れの桜」埼玉県深谷市豊里中学 2011/10/26

tp://www.fukaya-toyosato-j.ed.jp/index.php?key=jowwje6w1-45

季節外れのサクラ開花 千葉県成田ゆめ牧場 2011.10.12

tp://sankei.jp.msn.com/region/news/111012/chb11101222140006-n1.htm

日本橋サクラ 勘違い? 東京都中央区 2011年10月17日

tp://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2011101702000169.html

Future SEVENに桜が咲きました。 東京都港区南青山 2011年10月19日

tp://future7.jp/index.html

調布市味スタ通りは、もう春?-季節外れの桜開花 東京都 2011年10月19日

tp://chofu.keizai.biz/headline/815/

神奈川県秦野市 季節はずれの桜が開花 2011年10月27日

tp://www.townnews.co.jp/0610/2011/10/13/121243.html

山梨県甲府市昭和浄水場 2011年10月12日

tp://www.sannichi.co.jp/local/news/2011/10/12/7.html

桜、季節外れの開花・山梨県 2011年10月22日

tp://www.parupi.biz/blog/2011/10/post-712.html

季節外れのサクラ咲く 静岡市葵区駿府公園 2011.10.13

tp://sankei.jp.msn.com/region/news/111013/szk11101317540011-n1.htm

春と勘違い長野県松本市で季節外れの桜咲く 1110月20日

tp://www.shinmai.co.jp/news/20111020/KT111019GUI090005000.html

伊勢二見興玉神社 台風の荒波 海水浴びた桜に花 2011/10/13

tp://www.isenp.co.jp/news/20111013/news06.htm

冬眠」忘れた ソメイヨシノ 滋賀県大津市県立図書館 2011年10月13日

tp://www.acs.yomiuri.co.jp/e-japan/shiga/news/20111012-OYT8T01204.htm

桜:季節外れの桜咲く--草津市役所前/滋賀 10月14日

tp://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20111014-00000184-mailo-l25

あらっソメイヨシノ賀茂川沿い 京都府京都市 2011年10月14日

tp://www.yomiuri.co.jp/otona/naturallife/08/kyoto/20111014-OYT8T00558.htm

奈良市山陵町山上八幡神社 季節外れのサクラ咲く 2011年10月14日

tp://mytown.asahi.com/nara/news.php?k_id=30000001110140002

香川県仲多度郡 満濃池森林公園 2011年10月12日

tp://yakuri.blog.ocn.ne.jp/blog/2011/10/post_75b8.html

サクラ狂い咲き 徳島市眉山パークウェイ 台風ダメージ原因? 2011/10/13

tp://www.topics.or.jp/localNews/news/2011/10/2011_131846965467.html

十月の桜 鳥取県大山町 2011年10月19日

tp://mytown.asahi.com/tottori/news.php?k_id=32000001110190003

桜7輪咲く 広島市八木公園 '11/10/15

tp://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn201110150130.html

サクラさん、まだ秋だよ 宮崎市船塚 県総合文化公園 2011年10月18日

tp://mytown.asahi.com/miyazaki/news.php?k_id=46000001110180002

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「八のつく日に気つけて呉れよ、だんだん近づいたから、辛酉(かのととり)はよき日、よき年ぞ。

冬に桜咲いたら気つけて呉れよ。

八月二日、ひつくのかみ。」

  下つ巻 第三十帖

旧暦日本四季は大まかに分けて、1・2・3月=春、4・5・6月=夏、7・8・9月=秋、10・11・12月=冬となる

今年は10月27日が旧十月一日であり、今は冬に入っている

まり神示で言う「冬に桜咲いたら」の言葉は既に日本全国で実現している

次に来る「八のつく日」の「辛酉」は旧十二月八日、新暦の1月1日、元旦になる

「よき日、よき年」とはそういう意味

この日、311の警告にも未だ改心無く、金の世を維持し続けている日本にとどめの大地震が起こる

2011-10-15

外食チェーン最大手企業ギャグノーベル賞受賞へ

 ノーベル賞パロディー版、第22回「ギャグノーベル賞」授賞式が12日行われ、外食チェーン「てき家」の運営会社レンショー」が経済学賞を受賞した。

ギャグノーベル賞とは、「人々を笑わせ、それから考えさせる」企業に与えられる賞である。前回受賞者、「モバグリ」経営者安田氏がトロフィーを手渡し、「経済合理性を追求する経営社会にどのような影響を与えるのかを、人々に考えさせる機会を与えた」と今回の受賞理由を語った。


 レンショー東証1部上場。今年3月期連結決算売上高は3756億円で、日本マクドナルドホールディングスすかいらーくを抜き、国内外食チェーンの売上高トップとなった。レンショーは、深夜勤務従業員を一人にする、券売機は導入せず、設置するレジは1台、人通りの少ない郊外に出店など、徹底的にコストを削減。その結果、低価格サービス提供できる反面、深夜時間帯の強盗事件件数増加につながった。警察庁から再三にわたって防犯対策の指導を受けていたが、頑なに拒む経営者の姿が連日マスコミに映し出され、ひたすら経済合理性を追求する経営に対して、人々に考えさせるきっかけを与えた。


 レンショー最高経営責任者勝田氏は語る。「我々は貧困層の味方だ。低価格外食サービスにより貧困層の空腹を満たし、誰でもできる仕事提供し、仕事に就けない者はそれなりのリスクを背負ってレジATM代わりにすればよい。我々団塊の世代は、何もない焼け野原からスタートした。今の若者には我慢が足りない。日本が勝つためには、『欲しがりません、勝つまでは』の精神が必要だ。我々は勝って勝って勝ち続ける。」トロフィーを握る拳は力強く、レンショーの社章である『連勝』をイメージした拳形のメダルはドス黒く光っていた。

 

 

 

警察庁が指導、「すき家ゼンショー経営姿勢 : 社会 : YOMIURI ONLINE読売新聞

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20111013-OYT1T00613.htm

asahi.com朝日新聞社):牛丼店強盗、9割が「すき家」=レジ1台に現金集約など―警察庁が防犯体制強化要請 - 社会

http://www.asahi.com/national/jiji/JJT201110130026.html

経営度外視してまで”発言は「事実無根」 ゼンショーTwitter一部報道を否定 - 毎日jp(毎日新聞)

http://mainichi.jp/select/biz/it/hatena/archive/articles/201110/6210.html

 

 

2011-10-13

http://anond.hatelabo.jp/20111013120128

郊外住宅とか安いけど、その分仕事の単価も安いし、仕事そのもの選択肢も少ない。

郊外に居て首都圏で働くなら、通勤時間が考えられないくらいの損失になるのだから、笑う意味分からん

2011-10-05

自分仙台に住んでいるんだけどさ、内陸だから3月の震災の被害は家が少し壊れるくらいで済んだ。避難所に行かなかったのだからかなりの幸運だ。

それでも震災直後からの1ヶ月間はだいぶ不便な生活が続いた。

ライフラインは全部止まるし、クルマガソリンだって残り少ない。食べ物が、いつどこで買えるかの情報戦も展開されていた。

ある日、朝7時から郊外にあるスーパーへ出かけて、その当時にしてみればかなり多くの食料が確保できた。

地元の人なら知っているだろう、震災のどさくさに紛れて、ぼったくりなんてしたあの店で。

これが人のやることか。この非常時なのに、考えているのは目先の金のことだけか。そう家族と話し、憤りを隠さずに帰った。

自宅に戻ると、電気が復旧していた。急いで充電器に携帯電話を繋げる。あの日、我が家にたどり着いてから間も無く、電池がなくなっていた。

数日ぶりに電源の入った電話に、次々とメールが舞い込んでくる。友人らが、安否確認のメールを送ってきてくれていた。

それらひとつひとつに目を通していると、一通だけ、毛並みの違う文面のメールが紛れていた。

大丈夫からね、みんな繋がっているから、日本は今、ひとつから

東京に行った友人のひとりからだった。

他の友人は、とにかく大丈夫?とか、あるいは自身は無事である、あの時は怖かった、などという内容のメールを送ってきていた。

文面としてはおかしくない。勇気付けようとしてこういうメールを送ったのだろう。

だけど無性に腹が立った。

ぼったくられたばかりだった。余裕がなかった。偽善言葉のように聞こえた。東京に住んでいて、何でもあるのに、何を抜かす、と本気で思った。

から、「メールをくれたのは嬉しいけれど、そんな綺麗事を抜かすな」と返信した。メールは戻ってこなかった。

 

それから数ヶ月が過ぎ、震災前とほとんど変わらない日常が戻ってきた。ニュースさえなければ、一日くらいは震災のことを全部忘れて過ごせるような気がする。

私の街は少し寂しくなった。空いていない店がまだある。建物がめちゃくちゃに壊れて、閉店した店も少なくない。

私自身も仕事が変わった。いつ切られるか分からないけれど、3月よりも前向きに過ごしている。

ついこの間、ちょっとしたことがきっかけで、例のメールをくれた友人のtwitterアカウントを見つけたので、覗いた。

ぞっとしてしまった。なんか気持ち悪い。

震災のことばかりをつぶやいている。ユニリーバ募金のことは毎日欠かさずツイートしているようだ。

毎日毎日震災のことばかりをつぶやいて、宮城が大変だとか放射能がどうとか、福島はかわいそうだとか、そんなことをつぶやいている。

愛とか平和とか、絆とか、積み重ねれば大きな力になる、差別反対、エトセトラ。半分くらいは誰かの言葉リツイート

こんなことは恐らく、普通のことだ。寒気を感じる自分おかしいとは分かっている。だけど腹が立つ。私は被災者様なのだろう。津波に遭ったわけじゃないから、被災者でもないのだけど。

友人に哀れまれているようで嫌だった。本人はすごく力になりたいのだと思っているのだろうけど、頑張る方向が違うような気がする。綺麗事だけじゃ生きていけない。

たぶん自分おかしいんだろうけど、とりあえず愚痴らせてもらった。少し冷静になりたい。

2011-10-03

http://anond.hatelabo.jp/20111003133116

オレは郊外に広めの戸建てをかって、

週末はバイククルマ、庭いじり、ギター趣味に興じてるよ。



通勤時間は増えたけど、すいている時間帯に乗って寝るか、読書時間にあてている。

読書量は格段に増えたので、通期時間増は勉強読書時間増と思うことにしている。



でも、首都圏なら難しいかもね。

2011-09-30

[]確かにねー活動過激( ゚д゚)?????

よくよく観察するとw

日本eリモデル 独占評価

直近の投稿?何?スゴすぎ?会社勉強大会しているのかなぁ~^^;


http://ameblo.jp/mystandardjp/entry-11033779464.html

文部科学省 | 今ホットな話題情報

2011年09月30日 テーマ日本eリモデル

注目度ナンバー1!ホットケナイ!ホットなキーワードをチョイス!

文部科学省の話題

正式名称 文部科学省

公用語名 もんぶかがくしょう

紋章 Go-shichi no kiri crest.svg

紋章サイズ

主席閣僚職名 文部科学大臣 大臣

主席閣僚氏名 川端達夫

次席閣僚職名 文部科学副大臣 副大臣

次席閣僚氏名 中川正春鈴木寛

佐官職名 文部科学大臣政務官 政務官

佐官氏名 後藤斎高井美穂

次官職名 文部科学事務次官 事務次官

次官氏名 坂田東一

上部組織

上部組織概要

下部組織1 内部部局

下部組織概要1 文部科学省大臣官房 大臣官房、生涯学習政策局、初等中等教育局、高等教育局、科学技術・学術政策局、研究振興局、研究開発局、スポーツ・青少年局

下部組織2 審議会

下部組織概要2 科学技術・学術審議会宇宙開発委員会国立大学法人評価委員会放射線審議会独立行政法人評価委員会中央教育審議会教科用図書検定調査審議会大学設置・学校法人審議会文化審議会文化庁)、宗教法人審議会文化庁


http://ameblo.jp/mystandardjp/entry-11030895849.html

ヘンリー8世 | 今ホットな話題情報

2011年09月27日 テーマ日本eリモデル

注目度ナンバー1!ホットケナイ!ホットなキーワードをチョイス!

ヘンリー8世の話題

ヘンリー8世 (イングランド王)』より : ヘンリー8世(Henry VIII, 1491年6月28日 - 1547年1月28日)はテューダー朝のイングランド王(在位:1509年4月22日(戴冠は6月24日) - 1547年1月28日)、アイルランド王国 アイルランド王(在位(自称):1541年 - 1547年)。イングランドヘンリー7世 (イングランド王) ヘンリー7世の次男。

ロンドン郊外グリニッジにあったプラセンティア宮殿で、ヘンリー7世とエリザベス・オブ・ヨーク エリザベス王妃の次男として誕生した。兄弟には兄アーサー王太子 (チューダー朝) アーサー(プリンス・オブ・ウェールズ)、姉マーガレット・テューダー マーガレットスコットランドジェームズ4世 (スコットランド王) ジェームズ4世に嫁ぐ)、妹メアリーフランス王ルイ12世 (フランス王) ルイ12世に嫁ぐ)がいる。1493年に未だ幼少期にあったヘンリーはドーヴァー城の城主、シニック港長官に任命された。翌年1494年にはヨーク公を授爵し、さらにイングランド紋章総裁およびアイルランド総督を拝命した。

http://w.livedoor.jp/nihonerimo/ https://twitter.com/n_erimodel/ http://ja-jp.facebook.com/pages/%E6%97%A5%E6%9C%ACe%E3%83%AA%E3%83%A2%E3%83%87%E3%83%AB%E6%A0%AA%E5%BC%8F%E4%BC%9A%E7%A4%BE/108169899279250


毎日観察するからw

怠けてますが ^^;

ガンガン過激な発言で壊してやりたいけど、また弁護士から書類が届くと厄介なので控えますm(__)m

http://anond.hatelabo.jp/20110930000009

地図引っ張り出してもらえば分かるかと思いますが、せいぜい郊外……。

スラムってのは名古屋だと中区千種区らへんに出来るものでしょ……。

2011-09-24

http://anond.hatelabo.jp/20110924220931

東京の持ち家率が低いのは土地がすくない、人口密度ゆえの現象で土地があまりまくって家も安いはずの北海道とは違う

札幌政令指定都市だが、昼夜人口殆ど差がなく、郊外から通勤という図式も弱く、殆ど札幌市から通勤している。東京のように札幌市内がぎゅうぎゅう詰めというわけではない。札幌以外はむしろ過疎で、家などいくらでも余ってる状態。)

北海道東京のような都市経済ではないのに一人暮らし率も非常に高い http://todo-ran.com/t/categ/10028

まり高齢になるまで所得が低く、ろくな貯金もなく、安アパートにすんでいるような一人暮らしが多い

結婚してもお金がないか共働き子供を作らない家庭が多い http://todo-ran.com/t/kiji/12058

持ち家率があがるわけがない

生活保護 http://todo-ran.com/t/kiji/11767

貯蓄額 http://todo-ran.com/t/kiji/13118

北海道に移住したくてくる人なんてとても少ないよ

観光気分でたまにそういうのがピックアップされるけど現実は厳しい

仕事いからね

旅行に行きたい。

この連休、ひとりで5日間のカンボジア旅行に行ってきた。アンコールワットはとてもすばらしくて、郊外にあるベンメリアは廃墟遺跡として冒険心がくすぐられた。次はモロッコに行きたいけど、アフリカなので10日は欲しい。しかしどう考えてもそんな長期休暇は取れそうに無い。

1年に一回、10日間くらいの休みが欲しい。

仕事リタイヤしてからスポーツ海外旅行山登りを始めるような、そんな人生はいやだと思う。第2の人生じゃなくて、今の人生で何とかしたい。たぶん、今しかできないことのほうがたくさんあるはず。

元気があるうちに、自分の足でどこへでも行きたいのにもどかしい。

2011-09-19

商店街生存戦略

今なお、商店街に店を構えていたり、住居として住んでいる人たちは、生存戦略の勝者なんよ。

商売していなくても生きていける。

地主として貸す資産がある。

ある意味勝ち組なわけで、そんな選ばれた人たちが、腰を低くして商売を続ける理由はあまりない。

生存戦略として、大手のフランチャズに加盟して、コンビニに転身した酒屋もいたし、郊外ロードサイドショッピングモールに出店した本屋や靴屋もいたし、何も手を打たずに倒産して、街を出ていった人もいたし、それぞれが生存戦略にしたがって、行動した結果が、今のシャッター街だったり、歯抜けの駐車場だったりするわけです

そこを活性化するとかいっても、どちらかというと勝ち組地主さんしか残っていないわけで、その人にとっては、今の状況が一番収益が高くて手間がかからないのだろうし、新しいことをはじめるだけの探究心が残っていればいいのだろうけど、一定の年齢以上では無理でしょう。

個々の家とか店から見たら、今の状況は必然的な成功だけれども、駅前とか街の中心地に公益性があるとしたら、失敗なんだろうなと思います

2011-09-16

かつて商店街中の人だった立場から見た商店街

ごめんよ。偶然そこに生まれてしまったんだ。農家長男が偶然そこに生まれてしまったように。偶然に。

その事実を受け止めて商人として、生きていく道を究めることができたのであれば、商店街もそれを使う人たちもハッピーだったんだろう。

30年で街は変わってしまった。

田んぼを埋め立てて商業地が増えてしまった。

渋滞していた中心地の道路バイパスができて、渋滞は解消された。

実は渋滞は賑わいだったのだ。それがなくなったもの痛手だった。

それまでは、商店街に空き店舗ができるまでは、新たな出店ができなかった。

田んぼを埋めれば、それも容易になる。

新規参入者が恐ろしい数で増えた。

跡継ぎと呼ばれた子供たちは、街の変化をみて、どうするか身の振り方を小学生のころから考えていた。考えていなかったかもしれないけど、自然選択肢は絞られていった。金がないからだ。

商店街の中でも意識の高い人は一定はいた。

アメリカの大規模ショッピングセンター見学に行った人、勉強会を開いて、ドラッグストアコンビニという新業態を学んで、実践していった人たちだ。

この人たちは、その手の商売の研究をして、郊外に出て新しい商売を始めていった。

すでに20年前にはジャスコのような巨大新規参入者と地元資本として真っ向勝負をしていた。もしかするとすでに合従連衡の渦に巻き込まれたかもしれない。

の子供たちは、その背中を見て、それぞれ別の道を歩んでいった。

で、問題は残った人たちだ。

うまく立ち回った人たちは、商売を縮小して、土地と家を残した状態で廃業した。その子供たちは月給取りになって、街を出ていった。

何も手を打たずにうまくいかなかった人たちは、土地を家を手放すことになった。

どちらにしてもシャッターは閉まったままだし、空き地駐車場になる。

あと、商店街というか旧市街地には、戦前の大地主の生き残りの人もいる。商業地農地解放の対象とならなかったからだ。この人たちは、本業地主なので、趣味のようにコミュニケーションの手段として店をやっているかもしれない。さらに土地持ちの人の相続が紛糾した場合、所有者が増えて、再開発は困難になる。

飲食や食品加工はそれなりに残りやすかったし、ただ仕入れた商品を売るだけの業態はなくなった。多少の技術がいる電気店みたいなのは、大手家電店の作業の下請けをやっていたりする。

育っていく過程で、衰退する状況にどう対処するかを考えたら、勉強して進学することも別の業態対応できるように技術を身につけて別の職業に就くことは、順当な判断だと思う。

新しい道で生きていくよ。

2011-08-29

郊外の普段行かないデパートに行った。

地下の食品コーナーの精米コーナーに行ったら

千葉県産と茨城県産の新米とブレンド米は山積みになってるのに

それ以外の※は高い新潟コシヒカリすら全部売り切れてた。

そりゃそうだよなー。

2011-08-19

http://anond.hatelabo.jp/20110816220206

こんにちは絶望格差を書いたマスダです

思いのほか、反響が大きくて驚きました。ご質問やご意見に、反応と言うか、意見を書きたいと思います


[上から目線ではないか]

観察したり批評するという行為自体が、基本的に上から目線です。絶対そういうことを言われるだろうなと思ったのが自分ブログではなくマスダで書いた理由です。「天皇機関説」「産む機械」「暴力装置」等々、社会科学の文脈で語られた言葉でさえ優越感ゲームで処理されてしまう世の中です。こうした負の連鎖について、学校で教えればいいという意見もありましたが、絶対に無理だと思います当事者たちから感情的な反発が来て、社会的リンチにあうのが目に見えているのに誰が火中の栗を拾うでしょうか。お金のこと、キャリアのこと、仕事のこと、本当は中学までに教えておいた方がいいことがたくさんありますが、それがなされていないのにはそれなりの理由があります


[地主のことが書かれていない]

H町は地方であり郊外ではあっても農村ではないということです。一時的な土地バブルがあったとしても、その恩恵を被ることが出来るのは資産家だけです。農民は、フローは少なくてもストックは持っているので、都市郊外の開発初期には、バブル資産家が続出しました。しか郊外に住んでいる人はそうした人ばかりではありません。H町は、一度、農村から工業化の過程を経ているために、住民の大半はプロレタリアート層(あるいは下層ブルーカラー)でした。地方=貧困とじゅっぱひとからげで見るのが間違いであるように、主に都市プロレタリアートの人が言いがちな、地方資産家の構図も全体に敷衍するのは間違いです


[戦後にはそういうところから成り上がった人たちがたくさんいる/別にブルーカラーでも不幸とは言えない]

現在高度経済成長を経て、安定成長の時代も経て、デフレの時代です。そうしたチャンスの時代を経てなおかつ成り上がれなかった人たちが取り残されている問題なのです。「生きがい労働」がどうしたと散々不平不満を言っている今の世代が、ブルーカラーでもそれなりに幸せというのは偽善じゃないでしょうか。選んだ結果ならばともかく、それしか選べなかった、実質的には選ばされている状況で、人それぞれというのは気休めとしか言いようがありません。


[新住民も"上層"下層プロレタリアートに過ぎない]

これはある意味そう思います。元記事は、勉強という切り口から見たのですが、根本知的好奇心が欠けているのは新住民も原住民も大して変わりません。これは精神論の話をしているのではなくて、根本の欲求がない限り、勉強能力として身につかないという側面があるので、これは重要な問題です恐竜博士といわれるような小学生は興味があることについては専門家レベルの知識を持っています。そういう人に、興味もない人が付け焼刃で暗記したところで太刀打ちできません。メリットシステム上層部は、恐竜博士みたいな人ばかりなので、いずれ新住民も挫折を強いられることになります。それでも、下士官まりであっても日常的に殴られる二等兵よりはマシです。新住民はその程度のことは理解しています。彼らは将軍になるためではなく二等兵にならないために走っているのです


[金持ちを引きずり落とす必要がある]

金持ち貧乏にしたからと言って貧乏人が金持ちになるわけではない」と某女性が言いましたがこれは間違いです経済自体はプラスサムですが、経済構造にはゼロサムの部分があるからです。一番わかりやすい例は農地解放です。富の偏在の是正を比較的可能にした戦後日本と、戦後すぐには日本より豊かであったフィリピン現在の姿を比べれば一目瞭然ですメリットシステムの結果発生した富と、アリストクラシーの結果保持された富はまったく性質が異なります。前者はメリットシステムを強化し、後者メリットシステムを弱体化させます。少なくとも新住民に「努力報酬」を与え、原住民努力の動機を与えるためにはメリットシステムの強化は不可欠であり、そのためには既得権益層を弱体化させる必要があります


[アボリジニの盗まれた世代を肯定してしまうのではないか]

そういう極端な例を言うなら、逆のことも言えます。そういうことを言う人たちは家庭内の虐待助長しているのではないでしょうか。

家庭には子供を抑圧し、スポイルしてしまう面もあると指摘することが、アボリジニの盗まれた世代に直結するというならば、家庭の不可侵性をことさら言い募る人たちは、親が子供を所有物のように扱い、虐待することを是としているとも言えるのではないでしょうか。物事を多角的に見ずに、だから進歩主義ダメなんだみたいに言いたがる人には、おぞましいという感情しか持てません。

じゃあ、どうすればいいという具体的な解決案が私にあるわけではありません。あるというなら、あると言う人が提示してくれればいいと思います。分かり易い具体的な解決があるならすでに実行されているでしょう。問題だけ示して解決も出さないのが無責任と言われるなら、そう批判されてもしかたがないと思いますしかし問題があるものをないということは出来ません。


[原住民別に不満に思っていない]

不満に思っていない、と言い聞かせている、と私は思います。仮に宝くじにあたって、以前と同じライフスタイル、以前と同じ消費財で満足できるでしょうか。できるというなら、それはそれぞれの好みだと言えるでしょうが、実際にはそうではないわけです。選択可能性があって、初めて選べるのであって、選択可能性がないところで手に入れた物はあてがわれたものに過ぎません。努力をする人、特に自分子供努力をするのを引きずり落とそうとするのは自己欺瞞を突き付けられるからではないでしょうか。戦後の、教育熱心なお母さん(北野サキさんみたいな人)とそうした原住民の親の違いは自己欺瞞の自覚の有無だと思います

原住民友達の中にはマンガでさえ本というものは読まない子はたくさんいました。そういう子たちも中学の頃には「少女コミック」を熱心に読んでいました。素敵な彼とセックスしてしあわせ、みたいな話です。今にして思えば、小学館貧困ビジネスをしていたんだなと思います


[原住民にも向学心はある]

逆上がりができるようになって嬉しいくらいの向学心はあります小学生の時の「勉強ができない」は本当に簡単なところで理解がつまずいているのですから、少し整理してあげるとパッと分かって、魔法みたい、嬉しいということはありました。ただ、それが続かないのです。それを続かせてサポートする環境がないのです原住民の子でただひとりだけ、有名大学に進学した子(男の子)がいました。彼は頑張ってそうしたのではなくて、もともとの知的好奇心がある子だったので、勉強しないことの方が苦痛、という子でした。彼とは何でも話せる友達になりましたが、彼は少年時代ずっと、家族からさえ変人扱いされました。彼を励ましてサポートしたのは私と私の家族くらいだったと思います。彼の場合は、たとえ変人扱いされたとしても向学心の衝動があったので、どうしてもそうせざるを得ない結果、勉強したのであって、そういう生まれながらの衝動がない子ならば、そうじゃないならとっくに「かわいがられる方向」にシフトチェンジしただろうと思います。ちなみに彼は私の今の夫です

2011-08-16

絶望格差

S市は大きな都市で、周辺から人口を収奪しながら今も大きくなっています。その中心部が私の生まれ故郷で、小学3年生の秋に、私の一家は郊外のH町に移りました。私の父は、そこそこ社会的成功した人で、広い庭が欲しかったらしく、彼の希望に合致する約600坪というまとまった土地たまたまH町で購入できたので、私もH町を第二の故郷にすることになりました。

H町は旧炭鉱地で、私たちが越した頃から急速にベッドタウンとしての開発が進みましたが、私がH町民になった頃はまだ開発が本格化する直前で、住民は貧しい人がたくさんいました。私が大学生になって、東京に出ていく頃には、町の人口は私が来た時の3倍になっていて、今ではH町の一部の地域は高級住宅地として知られています

引っ越した頃、私は「お高くとまっている」と言われて軽いいじめをうけました。でもそこで、正面からぶつかっていったのでかえって仲良くなって、みんなに溶け込むことが出来ました。私は他の人たちを見下していたわけではないのですが、H町の同級生の目に「お高くとまっている」ように見えたとしても無理はなかっただろうと思います男子女子ジャージを着ているような土地で、かわいらしいフリルのついた服で登校していればそれは異質感がきわだちます。私はS市では当たり前だったことをそのまま当たり前に続けていただけだったのですが、それらがすべてH町民への批判になってしまっていたのでした。

とは言っても、私もそうですし、うちの家族は基本的にだらしないというか、ずぼらな人たちなので、すぐにH町に染まってしまいました。「お屋敷みたいな家に住んでいて、どんな人たちかと思っていたら、気さくな人たちで良かったわ」とはよく言われたものです

私は学校勉強は出来たのですが、H町の子供たちの学力はS市に比べればずっとずっと劣っていました。そして意外かもしれませんが、子供たちはそれを自覚していました。なんとか頑張ろうとしている子もたくさんいて、でも、出来ない子が多すぎるので授業の進みは遅いし、家に帰っても勉強を教えてくれる人もいないし、塾とかもまだH町にはありませんでしたし、あったとしても、経済的には行けなかったりで、私が勉強を教えてあげると、「増田さんっていい人なのね」ということになって、私はすぐにクラスのまとめ役みたいになりました。

放課後には一緒に原っぱをジャージで走り回って、楽しい子供時代を過ごすことが出来ました。

でも、その頃から、町のあちこちで住宅開発が本格化して、それが本格化する直前にH町民になった私は、「原住民」の立場から町の歴史の移り変わりを眺めることになりました。ある日突然、遊び場だった山や原っぱが立ち入り禁止になって、重機が入って、造成していくのです。しばらくして瀟洒な家が立ち並ぶようになって、こぎれいな格好をした人たちが大量に「入植」してきました。

遊び場を奪われて、自分たちとかけ離れた生活をする新住民とその子供たちに、原住民子供たちが素直に好意を抱けるでしょうか?

中学の頃にはずっと新住民と原住民子供の冷たい対立がありました。大量に入ってきた新住民の子供たちは町に溶け込むこともなく、自分たちの色に塗り替えてしまいました。私はそれを原住民の立場から、でも、社会的な立場としてはむしろ新住民に近い人間として、対立や調停に巻き込まれることになりました。どちらから自分たちの側の人間だと思われて、なおかつどちらからも疎外されるような、そういう難しい立場に立たざるを得ませんでした。私の苦悩はむしろ先生たちと共有できていたと思います

新住民と原住民では利害が完全に異なるので、新住民は「出来ない子は切り捨ててどんどん授業を進めてください」と言うし、原住民教育学校に丸投げしてそのくせ自分たちの子にあわせろと主張します。先生は間に入ってかなり大変だったろうと思います

けれども年を経るごとに新住民は数的に圧倒的になって、原住民やその子供たちは自分たちのホームタウンにいながら、次第次第に切り捨てられるようになりました。高校生の頃にはもうこの種の問題は私の日常生活では見えなくなっていました。というのは、そもそも私が通っていた高校は地域ではわりあいレベルが高かったので、そもそも原住民子供ほとんどいなかったかです

小学校の頃から原住民であった同級生の多くは、今はおさだまりの底辺生活者になっていますフリーターだったり、肉体労働者だったり、18歳で子供を産んだりして、私が勉強を教えた子たちもほとんどは結局、貧困連鎖から抜け出すことは出来ませんでした。


ロンドン暴動を見ていて、なんとなく感じることがあります。あの生活費の高い都市で、高度に都市化された生活がかいまみられる状況で、決してそれには手が届かないことを知っている子供たちがどんな風に感じているのだろうと。

「頑張れば抜け出せる」

それは確かにそうなのでしょうし、そのためのアシストもあるのでしょうが日本の、一億総中流幻想があった頃でさえ、実体験から言えばやっぱり貧乏人の子の多くは貧乏人になったのでした。それがどれだけ難しいことなのか「新住民」の人たちは分かっていないと思います母親でさえ四大卒の家庭で育てられた人に、九九も満足に言えないような親に育てられることがどういうことなのか、わからないと思います

頑張らない、頑張らないことをむしろ奨励するのが貧困なのです。親や周囲を敵に回して、そういう中で子供ががんばるのは無理です

2011-07-19

http://anond.hatelabo.jp/20110719154444

制度的に近距離手当が出ない会社会社の近くに住まなくてもいい、ってことだろうから郊外引っ越したら?

2011-06-30

http://anond.hatelabo.jp/20110629131758

求めている話と違うかもしれないが

俺の彼女も似たような境遇だった

同じ歳の彼女就職先の少ない実家のある県からこちらへきて就職

職場恋人になった

3年くらい付き合って結婚についてなんとなく話してみたら

直ぐではないが、いずれは実家に戻らなければいけない事

両親は土地持ちで、結婚相手は婿養子でなければいけない事を告げられた

結婚する意志がある真剣な付き合いをしている」と言う気持ちを伝えたかったけど

じゃ、実際に婿養子になる覚悟があるかと問われたら

まだ20代の俺にはうんとうなづく事はできなかった

訳も分からずこだわりとプライドがあった

彼女も事前に覚悟してたらしく

別れようかと告げた、

その時はそれにもうなづけなかったけど、やはりなんとなく自然恋人から信頼できる友人に代わった

彼女とはそれから親友として付き合って

数年後、どうしてもやりたい仕事がある、と言って

彼女職場を去った

しばらくして決まった彼女就職先は、実家のある県内だった

就職先もないような土地では遊ぶ場所もなく

俺と彼女は月に一度程度会った

最初は俺の方に彼女が来ていたが

時間負担を減らしたくて段々中間地点で会うようになった

映画じゃなくて紅葉を見に行ったり

ショッピングじゃなくて郊外美術館に行ったり

街中とは違う過ごし方を続けていくうちに

やっぱり彼女しかダメなんだと気づいた


それから更に数年後、改めて結婚を申し込んだ

勿論、苗字を変えてもいい、と

40手前になるまで俺は踏ん切りがつかなかったが

彼女も結局俺以外に結婚したい相手は見つからなかった

彼女の両親はとても喜んで

結婚するつもりがないと思ってた俺の両親も喜んでくれた

20代の頃とはちょっと環境も変わっていて

婿養子に入る条件は変わらないけど

すぐに彼女実家住みにはしなくても良くなっていた


振り返ってみると、えらく遠回りしたようだったけど

単なる恋人という情熱の延長上にある結婚ではなく

親友として過ごした数年で、生涯一緒に居たい相手だと思い知らされた気がする


男は若ければ若いほど、馬鹿です

でも、馬鹿もそのうち歳を取るわけで

そんな昔話を少ししてみました

2011-06-24

http://anond.hatelabo.jp/20110624103954

適当にググっただけだけど

http://r.tabelog.com/tokyo/A1304/A130401/13000927/

http://r.tabelog.com/tokyo/A1304/A130401/13057559/

パスタ800円~ってこのくらいの店だと思うんだよね。

新宿でこれだからもう少し郊外地方ならクオリティ変わらずもっと安くなるでしょ。

このくらいの店で「飲み物は無しで」とか言っちゃうのはかなり恥ずかしいと思うんだけどなあ。



「特別な時間」とか言い出すレベルは、これも今ググっただけだけど

http://r.tabelog.com/tokyo/A1301/A130101/13004586/

最低でもこの辺じゃね?ここまでいかなくても、「飲み物頼まないのは恥ずかしい」レベルは十分あると思う。



増田の「パスタ800円~」の店の感覚がどの辺なのか知りたい。

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