はてなキーワード: ハイティーンとは
そもそも通勤2時間と残業1.5時間が毎日固定化してる時点でアレ
小規模WEB系なら給料もタカシレだし労働搾取も猖獗を極める現場だろうから、もっと都心に引っ越すとか自分の裁量で残業を減らすとかも無理なんだろう。
君の会社が君に求めるのは「金の卵を生む働き蜂」だが、原理的にそれは無理だよ。金の卵を生むには子供の頃からローヤルゼリーの摂取を続ける必要があるし、一般の働き蜂はそもそも金の卵なんか一生かかっても生めない。
できることなら、そういう勉強はハイティーンのうちにやっておくべきだったね。どうせ大学受験にでもかまけていたのだろう?普通科高校の出身者にありがちなキャリアプラン(あるいはその不在)だよ。
高IQを自称する人の大半は教育大附属や国公立の小学校や幼児学習塾でのカリキュラムの一環として測定した結果を元にしているが、IQは成長に従い大きく変動する物なのであまり参考にならない。
他人の幼児期の成功体験なんて誰も興味がないが、それをわざわざ語りたがる人は自尊感情がどこか歪んでいて、故に認知バイアスもちょっとおかしいのではないか。
器用に生きてきたせいで「そんな虚栄心を誇示するのはやめなさい」と咎められることがなかったのか、アダルトチルドレン特有の自己否定感の裏返しなのか、はたまたその両方なのか。
ハイティーン以降の測定結果は信頼性が高いものの、大人になってからIQを測定する機会なんて心療内科の診察か少年院の鑑別くらいなもんだから、自らのIQを把握している時点でちょっと社会からあぶれた人である可能性が高い。
メンサ会員なんかは流石に堅気の人ばかりだろうが、メンサに憧れ入りたがる心理は常人には理解しがたい。がとてつもない自信家でそれを保証するだけの成功体験を積み重ねてきたことは確かだろう。
よって高IQ自称者は変人が多いし、アウトローか自分を天才と信じて疑わない社会的成功者のどちらかなので大衆に併合する意義を感じていない。高IQだと話が通じないのではなくて、相手と意を通じ合わせる努力を放棄しているのである。
同程度のIQ記録者間でも意見の照らし合わせを怠れば話は噛み合わない。とどのつまり高IQになればなるほどコミュ障が多いというだけではないだろうか。
と言っても俺の話ではなく
塾講師をしている友人から「飲みたい」と誘われて出て行ったら、元生徒と恋愛関係にある様な事を言って来て驚いた。友人は今年で38歳、元生徒の方は高卒浪人の18歳、年齢差以上に危うさやに心配をしてしまう。
お相手となってる元生徒は明らかに精神的な問題を抱えているであろう子で、なおかつ母子家庭であり生活は楽ではない様で、それが全てという訳でもないだろうけども、もっと幼い頃からオジサン相手にして小遣いをせびっては好きなものを買って来ていたようだ。別に体を許さずとも、画像なんかを送ってやるだけで貢いでくれるオッサンは幾らでもいたらしい。母親も我が子が分不相応なモノを買っている事は知っていて、それがどういう経緯で手に入った金なのかは知っているのだろうけども、揉める事もなく親子の間は冷めた関係の様だ。友人は、これまでは学費面の面倒を見ていたという、お亡くなりになった祖父に変わって、学費などの面倒を見てやるつもりでいるし、その後は結婚すらも視野に入れている熱の入れようだけど、元生徒の方は恐らくはATMとしか捉えていないだろうという事は想像できる。元生徒には同じ年代の彼氏もいるし、友人もそれを知っている。その上で半分は嫉妬に燃えながら恋愛感情を爆発させてしまっている様な感じで何も見えなくなっている。
今の彼と元生徒の関係は倫理的にはどうかと思われるが違法性はないのだろう。親は無関心である訳だから金さえ出せば結婚の障害なんて無いに等しいだろう。俺からは「絶対に不幸になるから止めろ」としか言えなかったし、彼も一般常識は理解している様ではあるんだけど、気持ちにブレーキをかける事ができないようだ。元生徒の方は明らかにまともな女ではないし、これからもまともになるとは思えない。友人も俺同様に非モテで生きてきて視野が狭くなっている。極端に年の差がある様なカップルってのは精神的に何かの問題を抱えてんだろうなとは思うが、マクロンみたいにBBAに惚れるならマザコン極まったなと笑ってやるだけでいいんだが、見えてる地雷を踏んでいるだけに友人が心配でならない。ハイティーンとか羨ましいなぁw結婚しなくていいならメンヘラでもなんでも最高やんかwとは思うが彼は本気なのが心配の種だ。
洋楽好きを「オタク」と表現するのは腑に落ちない。下の図式だと【サブカル】の側だろう。
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・[目覚める時期] 幼年期~少年期(ローティーン) 少年期(ミドルティーン)~青年期(ハイティーン)
・[価値観] 「生活保守」主義? 「従属」は恥、「反抗」は善の《不良文化》? ※古くは映画館、ジャズ喫茶
・[住環境] 実家暮らし? 独立志向(一人暮らし、共同生活、同棲)?
・[趣味と性体験] 童貞か処女かは「不問」 童貞・処女は「恥」
・[傾向性] 「ネットの交流」で平均(没個性)化? 個性化、(他者との)差異化・差別化を重視・優先する「厨二病」?
・[ポリシー?] オナニー・スイーツ・集団アイドル?? Sex・Drugs・Rock'nRoll??
・[社会的認知] 非公認、未公認? 団塊世代が「数の力」で『若者文化』として「社会的な椅子(地位)」を獲得?
・[趣味対象と国] 自国モノに愛着(国内志向)? 外国モノを崇拝(海外志向≒出羽守タイプ)?
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二次元にも飽き、童貞を拗らせた勢いで、ふと今まで見る気もしなかったAVとやらを見始めてみた。
SFの世界では「SFを語るなら最低1000冊読め」というし、AVも取り敢えず100本程度見てみるかということで気付いたら200本ほど見ていたので、気付いたことを纏めてみたい。
DMMの発売日カレンダー http://www.dmm.co.jp/mono/dvd/-/calendar/ を見て欲しい。10月の一ヶ月ではなく、10日間分でこの数である。
エロゲのように月末金曜日に集中したりせず毎週まとまった数が出ている。これだけ出るということはそれだけ儲かるということなのだろう。
やはりエロゲ同様、AV業界もコピー対策で特典を付ける時代なのかと思ったのも束の間、特典付きがあるのはほんの極一部の作品に留まる。
しかもエロゲとは違い、特典付きであっても価格は特典無しと同額である。
特典として付くのは直履き(ということになっている)下着とその着用チェキ、生写真などが多く、いずれも外付けによる添付となる。下着はどう見ても3つセット1000円みたいなエロくもなければ高級感もないもので、やはり特典に金を掛けられない背景が伺える。
収録時間約120~140分程度で価格は2500~3000円程度。10本買っても3万円で足りてしまう。
エロゲでは登場キャラが増えるとそのコストが価格に反映されるわけだが、AVでは登場する女優が増えても価格は変わらない。つまり、女優一人あたりのギャラを下げている(=企画女優)という事実に何とも言えない闇を感じる。
広告の1枚でもあるのかと思ったが大半には何も無い。メーカーによって葉書か広告が入っているぐらいで、小物に拘るオタク向け商品との違いを感じさせる。
映像作品にも関わらず未だにリリースの中心はDVDで、BDはヒットが狙える大物女優向け、となるようだ。BDのプレス代はDVDの数倍以上と聞くので、AV業界といえどもそうそう手は出せないらしい(このためBD-Rを利用したBD版をリリースするメーカーも存在する)。
HD画質に慣れてしまうと、DVDの映像は非常に汚いとしかいいようが無いが、HD版を見たければネット配信版を見ろと言うことになるらしい。なるほど道理である。
発売日当日に売価の半額ならまだマシ、1/4以下に買取値が下がることもままあるエロゲ業界の常識と違い、発売から一ヶ月経過しても60~70%買取を謳う中古屋が幾つか存在する。
これを利用すれば1枚1000円程度で最新作を次々と流し見ていくことが可能なので、何かの課題や統計でAVを200本見たい時には便利だと思われる。
既に廃盤となった作品でも見られるのは良いが、DMMの配信は全てDRM付きで専用プレーヤかブラウザ再生になる。モバイル環境では専用アプリだが、やはり評判がよくない。
まともなプレーヤの開発力がない会社は下手なDRMを付けるのは止めて頂きたい。
タイトルに「4時間」とか入っているアレ。一見、お得そうに見えるが実態は旧作からの寄せ集め再編集であり、一定のポリシーで集めたといっても重要なのは量より質なのだ。
間違っても手を出してはいけない。
発売される全てのサンプルをチェックするのは不可能なため、どうしてもジャンル分けに頼らざるを得ない。が、各通販サイトのジャンル分けは恐らく人力であり、ジャンル分けが正しい保証は何処にもない。
パケ裏に掲載されるサンプル画像には二種類ある。動画からの切り出し画像と、カメラで撮影したサンプル用画像の二種だ。前者の場合なら同じシーンが本編に存在するはずだが、無い場合がある。またシーン自体は有っても、汁を後から書き足したというケースもあった。切り出し画像のままでは見えないので致し方ないとはいえ、世が世なら捏造と叩かれてもおかしくない。
いわゆる汁系作品の場合、どうやら「偽汁」を使っているのではないか?という疑念が持たれることが多いようだ。これに対する製作者側の回答は、スタジオに定点カメラを設置し早回しした映像を「本物証明」として本編末尾に追加というものだった。モザイクの生んだ弊害と言える。
さすがにエロゲのように半年単位で飛ぶことはなく、精々一ヶ月か二ヶ月程度である。逆に、一部メーカーは発売日一週間前に入荷してそのまま販売されることから発売日に関しては割とルーズな業界らしい。
業界の大御所みたいな適当なイメージで、どうせ万人向けの無難で面白味の無いものを出してるのだろうと勝手に思っていたが、むしろ他メーカーにはできない、金の掛かる企画ものを積極的に手がけているように見える。特にスタジオセットに関しては、雰囲気作りを含めて他社とは一線を画すものが有る。コストダウンを図るなら真っ先に削られる箇所であるだけに、ここに金を掛けられるのは大きい。
年の頃でいうと25、6あたりだろうか。コスプレ感はあるが、JK制服を着れば大概それらしく見える。対して男優はどういうわけか、オッサンが無理して学生服着てるとしか見えなくて見苦しい。若手の男優であっても、全く似合わない。これが三次元の限界らしい。
「熟女イコール30代だけど見た目は殆ど20代」という二次元感覚とのギャップが最も大きく、白髪が交じり始めた年代の女優も当然のようにいる。熟女ジャンルはまだ私には早かったようだ。
いわゆる巨乳を売りにした女優の場合、その重さを支える相応の身体もまた必要なのは自明の理と言える。現実は非情である。
若手もしくは新人に近い女優の台詞はほぼ棒読みなのに対し、年齢が上がるか出演数が多い女優はきちんと演技としての声が出ている。嬌声を上げる演技はみんな上手いのにね。
プロ中のプロなのだからてっきり、誰もが普通に飲めるものだと思っていたがAVにおける演出を鑑みるに普通は飲まないらしい。これは二次元の弊害だろう。
熟練クラスと思われる女優の場合、アクロバティックな体位を取りながらも腰の動きから声を上げるタイミング、カメラの回り込みを意識した視線まで男優と完全に息を合わせており、奈良は中谷堂の高速餅つきを思わせる。
目に付くというと語弊があるが、10本見て3~4本に一人はいる感覚だ。もちろん、桜吹雪のような刺青では無く、鎖だかシダ植物だかのような小さいものを足や腕に入れているだけだが、イメージの問題で余り良い印象は無い。できれば隠して貰えないものか。
男優の名前とかは全く知らないが「またこの人出てる…」になった男優が2人できた。そのうちの1人は何処かの尊師を思わせる容貌で、特定ジャンル作品には引っ張りだこのようだがあまりにインパクトが強すぎて日常生活で特定されないか他人事ながら気になる。
(設定上)言葉ではオラついてる男優でも、激しいプレイの場合は途中明らかに力を抜いたり休めたりしていて、当たり前だが女優を労っていることが伺える。
実写であっても映画のようにCGや特殊効果による激しい刺激に慣れすぎた目には物足りなさを覚えてしまうわけだが、これは実に恐ろしいことだ。
気付きたくも無かったが気付いてしまったので一応。いわゆる素人の汁男優と違い、本職は下の毛を短めか無いぐらいにまできちんと手入れしているようだ。
あのマッサージ器、世界で一番、本来の用途で使われない製品だと思われる。
先ほどの発売予定リストを見ても分かるようにラノベ並に長い作品が多い。状況や台詞、シチュエーションをそのまま入れている為だが、もう少し考えて欲しい。「胸糞注意 中学卒業後そのまま土建屋に就職して現在同棲中のギャル彼女をネットビジネスとやらで成功して超絶金持ちバブリーになった奥村君に圧倒的な経済力の差を見せつけられカネの力でクドかれてねとられてしまった時の話です 夏樹まりな」とか「彼女にフラれた僕を不憫に思った母ちゃんとコンドームをする約束でセックス!無反応だった母ちゃんがコンドームをこっそり外して生ハメしたら痙攣して何度も絶頂「すぐ良い娘が見つかるわよ」から「誰にも渡すもんですか」に態度が豹変し腰振り騎乗位が止まらない 推川ゆうり」とかはタイトルではなく完全に文章だ。
そんな長いタイトルも決して真に受けてはいけない。シチュエーションに関する内容なら未だしも、プレイ内容に関する文言は注意を要する。具体例を挙げると「エロ痴女ナースは口内射精がお好き」という作品シリーズ、ナースというシチュエーションは正しいが後者の口内射精自体は皆無(全て舌上射精)という有様だった(有名な地雷らしい)。その他、体位を示す語がタイトルに入っている場合も同様に注意を要する(全てがその体位であるわけは無く、酷い場合は途中5分だけだったりする)。
各ジャンルについて。AV業界も「右向け右」というやつなのか、売れたシリーズがある場合は各社同様なものを出す傾向らしくだいたいのジャンルで似たような作品が出ているようだ。
エロゲ業界でいうところの近親もの的なジャンルのようだが、エロゲでは滅多に見かけない姪っ子という辺りがAVらしい。やはり男優の年齢(「お兄ちゃん」とは言い難い)によるのか、DVD購入層の主流が50代と言われる正に姪がいそうな年代なせいなのかは定かでは無いが、興味深い。
上記の姪っ子ものともやや被るが、スレンダーな女優を起用してローティーンに見せかけたジャンル。ジャケ画像を見ると物凄く幼く見えてお巡りさんを呼びそうになるが心配ご無用、静止画特有のトリックです。髪型、衣装、メイクを駆使しても、やはり顔つきというものは特徴があり、表情や角度でやはり大人に見える。身長140cm台の女優を起用して体格差による演出も見られるが、やはり疑似としか言いようが無い。ちなみにこの手の作品に出る女優はだいたい目星が付くらしく、名義を変えていても熟練の変態紳士に聞けば成人女優であることが容易に確認できるようだ(尚、某団体が某報告書で低身長の成人女優による演出を批判していたようだが一体何が問題なのか全く謎である)。
ジャケ画像で用いられるトリック(?)として、オイルを塗りたくるのはなかなか上手いと感心した。肌の質感がオイルによって誤魔化されるので、何となく若々しく見えるようだ。
各社が毎月、いや毎週、AVデビューを冠するAVを出すって大丈夫かこの国はと思っても無いことを口にしそうになるシリーズ。さすがに一度デビューした女優が他社で名義を変えて再デビューということは無さそうだが、女優一人一人にあれこれ売り文句や設定を考えて売り出すのだからまあ大変そうである。
尚、枕詞に付く「元看護婦」「元声優」「元コスプレイヤー」「元地方局女子アナ」についてはいずれも設定で、事実確認できる例は殆ど無いらしい。「元芸能人」「元国民的アイドル」については(定義によるが)事実らしいが。
素人と新人AV女優の違いとは何か?と問われたなら、作品に対する姿勢であると私は答えるだろう。
素人に求められるのは女優に無い文字通りの素人感であり、新人AV女優に求められるのは擦れてない新鮮さなのだ(AV女優になる時点で擦り切れているのはさておく)。声の出し方一つとってもやはり女優は女優、素人は素人なのだと教えてくれるジャンル。
増田は激怒した。必ず、かの邪智暴虐の監督を除かなければならぬと決意した。増田には情事がわからぬ。増田は童貞である。マスを掻き、右手の友と遊んで暮して来た。けれどもコスプレに対しては、人一倍に敏感であった。
AVのコスプレものと言えば「コスプレなのに何で脱がすんだ」「は?今時脱がすコスプレものなんてねーよ」というやり取りが昨今の定番らしい。幾つかのシリーズ物を見る限り、最後まで脱がさないものと最後に脱がしてしまうもの、それぞれ確認したためどちらの主張も正しいと言える。
王道(?)のコスプレイヤーもの(序盤に適当な撮影会風シーンが入る系統)の他に、最近ではオタサー姫もの(テンプレみたいなオタク風男優がコスプレさせる系統)が台頭しているらしく、やはり各社似たようなものだ。
しかし、敢えて言いたい。
AV女優のコスプレであるならまあいい。が、コスプレイヤーという設定でコスプレされるのには妙な腹立たしさをつい覚えてしまう。ウィッグ被って服を着てカラコン入れたらコスプレだろ?という考えが透けて見える。否、断じて否。コスプレ特有の、キャラに似せようと盛ったメイク無しに何がコスプレか。どんなに似合って可愛く見えても、一般女性的なメイクのせいで台無しであるのが非常に勿体ない。是非とも制作陣には、コスプレメイクあってのコスプレであることを理解してほしい。
これはDMMでのジャンル名だが、要は二次元の同人誌や漫画のAV実写化ものを指す。たまにサークルが宣伝してたなあという記憶はあったが予想外に多く、原作不足というやつなのか二次元からの流入を期待しているのかいまいち狙いが読みづらい。試しに見た限り、やはり「メディアの違いを理解せよ」案件と思われる。
山林や海岸といった「まあ不可能では無いな」ものから、明らかなスタジオを利用したもの、さらにどう見ても本物の店舗を利用しているとしか思えないものまで多彩だが手間が掛かるためか少数派ジャンル。
どうやって撮影しているのか全く分からず以前、増田で聞いた(https://anond.hatelabo.jp/20170506185119)作品もこれに当たる。
もう書いてしまうと「爆乳J-CUPロリっ娘こにたんとイク ガチさすらい露出ゲリラ紀行 小西みか」 http://www.dmm.co.jp/digital/videoa/-/detail/=/cid=ktkp00025/ のことだった。
サンプル動画冒頭に出てくる場所は池袋のここ https://goo.gl/maps/yR1t8cB6cLM2 であることを特定し、ラーメン屋の実在も確認できるがどうやって撮影したのかがやはり疑問だ。
IVについて。当初IVはエロの無いAVみたいなものだと思ってしまっていた。200本は見ていないが、20本ほど見たことで大凡を理解できたと思う。
最も大きな違いは完全主観(男性の登場は皆無かあるとしても手ぐらい)、モザイクは徹底して無し、の二つだろう。特に前者は大きく、傍観者としての立場になるAVとは完全に異なる。AVにも主観ものは存在するが、その性質上、下半身等がカメラに写ってしまうため違和感がある。後者については、僅かでも透ける可能性があれば必ずモザイクをかけるAVとはやはり対照的で、ギリギリでも見えなければ良いんだろうと全力で主張している。
IVの良さはモデルの身体を文字通り舐め回すようなカメラワークで女性的な魅力を映す点で、逆にAVの良さはやはり情事を中心として成立している点だろう。
しかしIVもまた奥が深く、IVという呼び名は極めて大きな括りであることを痛感した。研究途上だが、IVは大きく3つに分類されるように思われる。
男性(の性器)が登場しないAV、が適切な表現と思われる。乳首は普通に見え、女優もグラビアモデル等の20代後半から30代?ぐらいだろうか。大人の玩具も当然のように登場するし、疑似性交的なシーンもある。
(数年の鯖読みを考慮しても)ハイティーンに見え得る女優だが乳首は徹底的に隠す。これでもかという程に隠す。ここまで隠されると何故かそれが物凄く価値のあるものに思えてくるから巧妙な心理戦と言える。着エロのような直接的な表現はなく、運動と称したシーンが中心。バランスボール、バナナ若しくはアイス等の棒状物体舐め、水着、謎の液体マッサージ、と何かの教科書にでも載っているのかという程に構成も表現も似通っており、女優自身の魅力を引き出せないと苦しい。
「笑顔なんて、笑うなんて、誰でも出来る」と言ったアイドルがいたが、特にこのジャンルでは笑顔が本当に重要だということを教えてくれる。撮影者との信頼関係が醸成されていないのか明らかに緊張して固まっていたり、笑えてはいてもあからさまな作り笑いで擦れた感が出ていたりすると途端に見るのが辛くなる。
それだけに、一定以上の可愛さと自然な笑顔の上手さがあると非常によいわけだが、やはりと言うべきか何故かというべきか、普通以上に可愛いと思われる子ほど早々に引退する傾向があるようだ。
恐らく一番誤解を受けているだろうジャンル。子役として売り出す中で作成されるようだがイメージを損なうようなシーンは全く無いようだ。
推測になるが、グラビアアイドルに年齢詐称を駆使することでジュニアアイドルと称し、本来重なるべきでは無い二つのジャンル境界を曖昧にして暴利を貪ろうとした一部業者が諸悪の根源のように思われる。
過去の作品を調べると、ある時期から年齢を入れたタイトルが途絶えていることが伺え、自滅というか正に策士策に溺れる状態だったのではないか。
いかがでしたか?
でも作家になりたい、でも投稿して賞がもらえるほどのものはまだ書けぬ、
という人の登竜門になる50000字くらいのパルプフィクション(三文小説)を200円くらいで売る電子書籍のレーベルを誰か作ってほしい。
表紙はエロ同人作家が小遣い欲しさに一寸描いた煽情的な女の子でいい。
ターゲットはハイティーンからサーティーまで、ジャンルは何でも。
増田で増田文学なんて言う無駄技巧を披露している人にはうってつけだと思う。(まぁプロの息抜きかもしれんけど)
なんでこんなことを思いついたかというと、パルプフィクションのwikiを見てて、ハイラインもディックも、ラブクラフトもチャンドラーもパルプで書いてた
というのを見つけて、今はラノベが人気だけどそういう層向けの物は少ない気がした。
誰かやって~~~
ファブリーズの件もそうだが、今の日本は「超潔癖主義」に蝕まれすぎではないかと思う。くさやが臭いのは誰がどう考えても事実なので、地元はこのCMに便乗するくらいでいいと思う。
何かにつけて「地域差別ガー」というバカにはあきれてしまうが、つまるところ地域の抱える不都合な事実を外部が指摘することを拒絶するけつの穴が小さい子供である。それこそ、彼らの好きな言葉を借りれば「言論弾圧愛好家」ではないか。文化や社会には二面性がある。
私が生まれて間もない頃の話だが、1980年代~1990年代の鉄道文化が洗練されていたという話題がSNSや掲示板で流行している。はっきり言って、不良が巣を作りそうな文化がそこにあったわけだが、それでも鉄道ファンは誇らしく思う。「鉄道王国」も日本文化だと自尊心を持っているはずだ。
本来文化・社会性とはそういうものではないか。2000年代の新自由主義旋風だって文化や科学技術などの高度化の裏に犯罪の高度化や富裕層人口のインフレの問題もあった。2010年代も1960年代の再来のようなのムードの裏に貧困問題があった。オートバイブームの裏にはシビアな封建もあった。
オタクが今日社会全般で受け入れられているという。あれといえば、昭和の負の遺産にもかかわらず迷惑者が誰も輩出しなかったことを「世界に誇る日陰者」と自画自賛する書き込みが拡散されたことが多くの人に衝撃を与えたものだった。案の定、オタク自身の努力で出世が実現するとスゴイ発言まみれになった。
冷静に考えてほしいのだが、同じ大衆の同胞であるべき人達がそれと村八分にされる時点で、そもそもすごくなんてないのである。そもそもオタクとは昭和時代の学歴社会化実験の失敗に伴いヤンキーと共に発生した負の遺産である。本来ここで必要な発想は、負の歴史として再発防止策を考えることであり、恥かしく思うべきことである。
仮にもしオタクがすごかったとしてもそれは個人個人がすごいのであってオタクはすごくないのである。社会が立派だったとしても、それは日本人の寛容性のことである。もしあなたが大衆の一員であれば、さほど無関係ではないか。
私は「オタクスゴイ」とそっくりな問題を抱えているのが「マイルドヤンキー」ではないかと思っている。地方のリア充の話題が出ると、なぜか不良とこじつけた話題が出てくる。不良とは縁のない人でもヤンキーのように扱われる、あの変な社会の空気である。
当たり前だが、リア充すべてが悪人なわけではない。大体ヤンキーの本来の意味は実は汚い。もともとはアメリカ人の白人を罵る言葉として生まれたものだ。ジャップと同じ意味合いでアメリカ人が「ヤ○○」の言葉を使うものとしてとらえてほしい。
マイルドヤンキーに代わる言葉はあるだろ。とんでもなくダサそうな文化を謳歌しているのは一握りの地方民のうちの一部とか、不良経験者だけではないかと思う。あのグダポンの撒き散らす固定概念への批判としてもいうが、私は地方を何度も見てきたが、北関東でもマイルドヤンキーなんて一握りの数しかいなかったよ。
そもそもマイルドヤンキーの言葉の根底に都会人による地方人への偏見がある。車好きを例に挙げるまでもなく、外国には日本人が思い浮かべる都市部の人間は殆どいない。むしろマイルドヤンキーの特徴として挙げられる、「買い物先でショッピングセンターに依存している」人は日本を出れば都市部ですら腐るほどいる。国土全体で鉄道依存社会が成り立つ国は、日本を除けば、オランダみたいな地形に恵まれる地域やシンガポールのような都市国家以外にない。
私はこの潔癖の究極が「子供」至上主義だと思う。日本人はみな車嫌いで鉄道好きというおかしな風潮も、子供のために嗜好を装う仕草だという。必死すぎる。大人な人は、それが普通ならしょうがないと受け入れるべきではないか。一番ひどいのは私鉄だ。
子供は日本人の美徳だと、道徳的な人を表す言葉として普及しているが、これはあの押しつけがましい「道徳」と同じうさん臭さを感じて、私は不気味に思っていることである。子供って要は非現実的理想の追求であり、病気だ。
そもそも日本の私鉄社会の根源は鉄道の公有化の失敗だとか戦争の連続による財政難だとか、歴史上におけるネガティブなものの副産物である。今でも「幼稚」とかいう。それはつまり堂々とした対等な存在としてリスペクトするものではなく、結局これは子供なる年齢を使った言葉で「恵まれない現実にある人達」を見下している、前時代的な、差別を連想する表現である。
欧米圏を見ればわかるように、鉄道は弱者というか、つまりよそ者、あるいは貧乏人や弱者のためにある公共施設であって、所得関係なしに使うことをよしとする、ましてや商売の道具としてみなす日本はおかしいのである。
一昔前ですら日本ではここまで「子供」はうるさくなかった。子供は大人らしい事由で成熟した男女を目指した途上段階であり、気づけば加齢で大人になっていた、あるいは10代ですでに見た目も中身も大人同然という人もごろごろいて、それがわずか15年ほど昔までの常識だった。
あるいは「リア充な美しい大人は好きですか」というように、青年性を脱した兄や姉であるべきだった。正しさではなく「美しさ」が評価された。この美しさという言葉自体清潔を意味するもので今の異常な潔癖主義に通じたのも、もちろん事実ではあるけどね。
特定の環境を聖域化し、あるいは特定の人を「聖人」化してみなし、それを潔癖性を極めた発想とともに崇拝し、潔癖と反する不都合な事実を見て見ぬふりをしたり、あるいは無理してでも隠蔽させようとしたり、それを指摘する存在を許さない、あの感覚。グダポンの言葉を借りればこれは畳精神である。
昔の高校を題材にした作品から黒髪すっぴんさんの描写を削減し、わざとそうでない人を代わりに差し替える。これも聖域を作る発想に由来することではないかと思っている。
その点、例えば私が韓国の学生をみて感動をしたのは、日本において学生というと黒髪が少ないイメージなのかもしれないが、実際には黒髪のおりこうさんが多くいたこと、そういう風潮がそこかしこにあったため、他人に緊張することがなかったからである。
バスの停留所で会話したローカルの若い女性は、なんかお茶目で、自分の生活圏にやってきた外国人を楽しませようというホスピタリティがあって、ものすごく魅力的だったが、やっぱり大人でオタクで、至上主義のない国のほうがよほど大人も魅力的だなと感じたのだった。
これは地方にも言える。マイルドヤンキーの連中なんてありゃ「普通のリア充か重度なオタク」だ。オタク?ってくらい偏執的で、大衆らしさに欠けている。いわゆる元ヤンさえ良くも悪くもリア充らしさがない(事実、彼らが外国に行くとサブカルオタク扱いになる)広い意味での問題なのだ。
日本に出てくるテレビのタレントには個性らしさがない。オタクがいない(例外はあるが)。根っこからのおりこうさんであることを売りにした俳優・声優がいないし、変わった趣味を売りにする者もいない。誰もがそうなるありのままもないし個人差もない。
これは、日本人の一定割合。どちらかといえば韓流ファン経験のある人たちで、同じくマイルドヤンキーか学がありそれなりに品格のあるような人が、ものの感じ方の成熟が遅れたことにあるんじゃないか、と私は思っている。子ども時代や貧乏なときは誰もが感性が幼稚で極端な理想を抱くものだ。
しかし、大人になり、10代になり、豊かになれば、あらゆる体験を通して現実を知るというか、様々な存在を知って、自分自身の肉体と考えの成長もあって、そういう非現実な理想を一度捨てることになると思う。代表が大学生における運転免許取得ラッシュだ。「免許取得者は学のない人のほうが多い」とか「都会人は一生免許と無縁」の虚構に気づく。
私達ネット原住民的には中二病とか高二病とも揶揄される、つまり冷笑主義にも陥るのだが、その現実・実在、不都合性を含めた事実の中にある魅力に気づき、そこから新しい夢を見出だしたりするのが、普通の諸外国ならハイティーンか遅くても20代で経験する段階で、日本人もかつてはそうだったのではないか。
そういうわけで、高学歴だろうと、立派な社会的地位にいようが、年齢が中高年だろうと、マイルドヤンキーと変わらないような潔癖主義の理想を振りかざして現実を拒絶したり自由な創造表現のユーモアを叩くあの感じは非常に納得がいかない。幼稚な人が多すぎる日本の現実がほんとつらいです。
(韓国などの例外を除く)外国のコンテンツは、優れた表現ほど徹底的に不都合な現実・事実に向き合っている。だが、それをただそのまま描いたり、不穏に誇張するだけではなく、そこから楽しさや夢を見出だそうとする傾向があると思う。その際にはお堅い因習を破ることになる。
だがその独創性の第一段階にある「お堅い因習を破ること」を全力否定するのがグダポンのいう「畳精神」であり、右派や私の言う「コリアニズム(文化的右傾化)」である。つまりどんな理不尽でもそれがしきたりで、その空間では聖域性を守るために自分が屈しなきゃいけないし、適応しない他者は咎めなきゃいけないという枷を兼ねた同調圧力も発生する。韓流ブームにものすごく親しんだ人ほど危ない。
ティーンエージャーになる前の現実離れした理想主義(と、それを理想を向けられた側がそのまま受けとめなければいけないということ)に畳精神やコリアニズムはとても相性がいいのである。新しい幼稚な感覚と、古い老いた因習をコラボさせると、アニメや漫画か特撮ドラマかビデオゲームまがいな、子供だヤンキーだという狂うジャパンがあふれるのである。
私が現代の日本はともかくとして一昔の韓流・華流コンテンツを敬遠したのは、アメリカのコンテンツとは違い、理想主義を極めたあのディズニーでさえ、そのテーマパークや映画などに「不都合な現実を受け入れた上でのイマジネーション」がないからだ。理不尽なものを批判的に描くこともなく、拒絶せずにそれを受け止めることすらしない。現実逃避ありきなのだ。
私の記憶する限り韓国や中国のテレビドラマやアニメには、日本人がネガティブ過ぎるとして驚いた自転車乗りの姿が描写されていない。1990年代や2000年代(2010年代)に日本型の暴走族が話題になったが、それを風刺するような作品は出てこない。当たり前だが韓国人や中国人のオタクを風刺するような作品もない(日本ですらオタク風刺作品はあるが)
そういう子どもたちはこうしたコンテンツの変わりに漫画や小説(ライトノベルを含む)やゲームのいかれた様子を見ることで、それを教訓にすることができるわけである。日本の作品で言えば喧嘩番長や龍が如くに出てくる「不都合な現実を誇張した」不健全で卑猥な日本の風景も、実は意外にも理想や夢とどこか通じるものがあるし、その中にもやはり社会に対するメッセージもある。
そう考えると、欧米程でないにしても自由な創意工夫性は日本においてはなんとか健在であり、その自由表現の娯楽を通して成長につながることもできたりし、その上でまた新しい夢が見れるというのが、本当にすごいと思っていて、韓国や中国にもそういうクリエイティビティを獲得するには、まず日本同様に現実至上主義と畳精神の解体を加速させることが必要なのだ。
ネットってのは文章だけしか見えないがそれだけでもなんとなく分類できるなと。
文意が全く通じない
└知能が測定不能なほど低い
└精神障害のうち非常に重い症状の人
文意が通じそうで通じない
└「全く通じない」に挙げたうちの軽い人
└65歳以上
└ねとうよ・ねとさよ
└宗教
文意はわかるが重いので読むとすごく疲れる
└(元)メンヘラ(診断済み)
└鬱・双極性の陰性・糖質の陰性
└ウェーイ・リア充
└ADHD
で、そのどれでもないのがプロブロガーだ。
とやればきれいにオチるかとおもいきや、アスペルガー・ADHD(女性)とプロブロガーの相性ってものすごく良いんじゃないかと思う今日このごろ。
あの人もこの人も「実は発達障害と診断されたことがあって・・」って書いてるんだよなあ。
そろそろ日常的にネットに3000字以上の記事を投稿する人は全員アスペ素質となってもおかしくないのではとおもいました。
ちなみにアスペはADHDとちがって投薬治療はないので、診断を得ても得なくても生活は同じ(まわりがちょっと気をつけてサポートできるかどうかで残りの人生が違うだけ。でもそれ今までの普通の人と全く同じじゃん)なんだけど、カフェインと相性良さそう。
むしろアスペって胎児期に高学歴母親にもらってたカフェインが足りなくなってるやつのことじゃないかとも思った。
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ドーモ、ブクマカ=サン。元益田です。12ブクマ、慈悲はない。(←よろこんでいる)
胎内の影響を後天性というかどうか。定義はしらぬ。
アスペその他は自閉症「スペクトラム」とつくとおり、完全に兆候がない人とはっきりした自閉症の間にバラエティがあってたとえば1%刻みくらいであてはまる人が世間にいるんだという考え方が主流。ただしアメリカの問題児な男児からはじまった診断。
で、最近読んだ本。日本の女児の場合は脳梁が太いせいかホルモンのせいかしらんが、小学生の間全く兆候が出てなくて(乳児期の言葉も完全に普通に出る、授業中の立ち歩きもない、女児の感覚過敏は日本社会では目立たない、学習に余裕があるので頑固=学級委員長タイプなだけとみられる)。で、思春期からバタッと人格が変わった感じになって発達障害とかその二次障害でメンヘル系の診断名がつく。というストーリー(医者が書いてておだやかすぎるので増田誇張あり)。
バイオインゴットならぬカフェイン(唯一の合法覚せい剤です)ドーゾ、と無責任にだれにでもすすめるつもりではない。
個人的に、昭和初期生まれの女性(無診断ADS?)で、コーヒーで生活をこなしてる感じの人をよくみる。
アスペブロガーがんばれ。でも診断は重くみたほうがいいよ・・・たまにアスペならではの視野の狭さで、相手を選ばず場面をわきまえず喧嘩を売ってしまって炎上する人もいる。コーヒーでものんでゆっくりしてください。
ある急性症状で急いで近隣の救急指定病院にいった。
Aちゃんのママはしっかり聞き取りをして医者にとりついでくれたあと、
待合いでちらっと「Aのママです、いつもおせわになってます」と
いって良い感じに微笑んだあと忙しそうにさっと立ち去った。
Aちゃんは、うちの子と中学・高校で一緒の子。(クラスは1度だけいっしょ)
中学のころから、Aちゃんのいるクラスだけ頻繁に盗難がおこる。
授業でそれをつかわなくなったころ、置き忘れとはいえないところからでてくる。
親は早急に買い直しに走らされている。
やはり実害はあるし盗難だ。
この4~6年は、毎年クラスがえがあった。
高校になると選択授業も増える。
Aちゃんがいるときにそれがおこるとの状況証拠はかなり蓄積されてしまっている。
(Aちゃんにだれかが意図的に罪をかぶせるとか、脅迫してやらせるとかまでいれると、
Aちゃんのママは、「常識ならそれは証拠になるということ」を面談でつきつけられても
やはり、「うちの子という証拠がないのであれば、うけつけられない」「私はうちの子を信じている」と言っていたとのこと。
立場としてそういわざるをえないだろうとも思うけれど。
余談だけどAちゃんの他にもなんかいろいろなこまった生徒(恫喝、暴行)と、それを全くフィードバックされておらず、
子供を信じることに徹しているママが中学から高校にかけているみたいです。
うちは進学校です。
しっかりした看護婦さんでも、いや夜勤して家をはなれて患者のためにつくすような人だからこそ、そうなんだなって。
憎むわけでも哀れむわけでも迷惑がるでもなくて、なんだか、本当に純粋に辛い。
一度でも盗まれた子、困らされた子は、同級生を疑って警戒しながらリラックスして学校生活するという
難易度EXのストレス生活をおしつけられてるのも目の当たりにしてる。
パスポートとられたら帰国できないから先生にあずけてないときは絶対に体からはなすなと言い聞かせたそうだ。
…風呂どうしたんだろね。
学校の指示にあわせて食べさせ寝させ
学校に送り出すことで手一杯なんだろうなと思う。
たぶんこのまま35歳児とかになったりすることもあるんだろう。
高校生の子供は、母親に対して、子を100%信じることを要求し、絶対的な保護を要求しておきながら、
それを内部から突き崩すようなことを平然と行う。
警察も、教師も、母親が「うちの子を信じる」と唱えれば退けてもらえると信じているのかもしれない。
母親が「自分は一人の女だ。脆いのだ、今立っているだけで精一杯だ。
孫がうまれたら、世間にこうやって子供をだすつらさを、うちの子にも味わわせるの、つらい。
3歳児だったらまだ嘘も見抜けるし叱れるけれど、
ハイティーンをもつ親にはもういちど子供と向かい合いなおすための育児休暇などない。
そこにもっていくまでにもどたばたあって
私が、すっかり駄目になってしまっている。
更年期障害だという人も多いらしい。
うちの子も、盗む側にも、盗まれる側にも、絶対に立たせたくない。
父親でもだれでもいいから、子供のうけいれる説教がいえる人はいないのか。
入院して治してくる間、うちの子は、夕御飯は家でたべて、起こさなくても自分で起きて、寝て、
薬くらい一人でのんでくれるのだろうか。
働いてたら辞めたくなってるとおもう。
「信用できない」は一番ひどい病気のもとだとおもう。
信用と安心がなければ生きていけないあまっちょろい親子は
進学校なんかいかせずに、公立+塾でもいかせておけばよかった。
日本死ねなんていえないけれど、なんかもうほんと、辛いよ。
GWの間検査結果ききにいけなくて、毎日痛み止め握りしめてる。
前にのんでから6時間たったとか、ききにくくなってるとか、自分で判定しないといけないんだってさ。
早く手術の日程きめてくれないかな。
臓器とっちゃったら楽になれるんだってさ。
それだけ。
http://anond.hatelabo.jp/20140326221126
そんなの「学校だけが世界なわけ無いだろバカ視野を広く持って多く試行しろバカ(カネは出してやるからバカ)」って言えばいいだけじゃん。
さて、うちはまだ就学前なのだが、将来こどもがぼっち、非モテ、ナード、サブカル、オタク、非行、クソブサイクその他もろもろになった時にかける言葉、アドバイスできる言葉は十分ストックされているので、我が子の将来は安心だ、一番の身近に味方がいるからな。と傲慢にもある程度自負していた。
我が子が、もし中高は野球部でエースとか、柔道一直線とか、それでローティーンから女子をとっかえひっかえで、ハイティーンになったらチアガール(比喩)を捕まえて安定しちゃってでもゴムはちゃんと常備して、ときどきは火遊びもするよ、みたいな脳筋ジョックスになったらどうしたらいいのか全くわからない、ということ。もしくは無遅刻当然、先生の覚えもめでたくて学校の成績はすごくいいんだけど模試の点数は悪くて、家に帰ってもゲームもマンガもやらないってか軽蔑してるみたいな残念クソ真面目ちゃんだったら。無理だ。