概ね合っているとは思うが、最後の一文だけ間違っている気がする。
元増田の「父」は最初の一階部分の壁に合わせ、二階に通路を増築するようなエレベーターを提案しているのだから
「このままでは~」に続く文には合っていない。
(二階部分の壁に合わせて一階部分の屋根をぶち抜くようなエレベーターはあくまで元増田の案、というよりは「じゃあこうしたらいいじゃん」とツッコまれないための予防線のようなものなのだと思う。)
つまり
「このままでは家が行き止まりの外みたいになってしまいそうで、不安ばかりが募る。」
という文の視点は二階の部屋からのものであり、廊下を通して見るエレベーターの扉のことを「行き止まりの外」と表現しているのではないかと思う。
元増田は開放感というのを重視しているようだし、家の中にこうした行き止まりのような空間があることに不安があるということを表現しているのだと思う。
○夕食:秋野菜カレー
○調子
はややー。
なんかトラブルが続くなあ。
とはいえ、今週中に終わらせれば良いので、気楽っちゃ気楽。
明日行けばお休みで、その上、金曜日は飲み会らしので、かるーい気持ちで頑張るぞいやで、はややー。
水曜日にアイテムもらえるが、明日は忙しくなりそうなので、日付変わった後もらう予定。
ノー課金。
○ポケとる
を捕獲。
悪ポケが大好きなので、今回のサファリでサメハダーは何としてでも捕獲したいところ。
おお、イーブイ、ブラッキーのラインに、サンダースとブースターって選択肢が……
あ、あれ、僕イーブイもってないな!
まじか! めんどい!
今日久々に行ったんだけど、セットだけが少しだけリーズナブルとは思ったけど、今時似たような値段で安くてうまいもしくは満足度の高い選択肢(お店とは言わないけど、弁当屋とかスーパー、パン屋さんとか)って豊富な気がした。ただポテトだけがどうしても食べたくて入ったんだけど、逆にそういう高級店になっているのか!と両隣の席が4人ほど、ポテトだけ大量に注文している人だったので合点がいった。
何かのルールや手順,知識を蓄える(暗記する)行為ってもはや知的活動じゃないよね
そんなもんは今時PCだろうがスマホだろうが便利なモノはいっぱいあるんだから覚えさせれば良い
例えば昔はいろんな漢字を知ってることが知的活動だったみたいだけど
鳳梨って書いてパイナップルって読める必要は全く無いわけでただのクイズ(娯楽)になってる
同じ事がルールや手順でも言える
仕事上で何かを申請するときのやり方を必死でメモ取ったり暗記したりしてる奴がいるけど
人間の記憶をあてにする方が間違いでシステム的にエラーは除外すればいいし入力内容はガイドすればいい
システム化するのに時間がかかるのであれば手順をまとめてWikiなりのナレッジベース系サービスに突っ込めば良いし
それが出来ないなら大好きなExcelにまとめて皆が読めるようにすればいい
知識を集めて共有して検索可能にすることで業務は迅速化するし間違いも減る
そういう知識や知恵の共有をしないで自分の中に溜め込んで他の人に教えることで知的活動を装ってる老害が一定数いるんだけど
本当にただの害でしかないしシステム化の阻害要因だし勘弁して欲しい
そんで少ない割合で若い人もそれに感化されて自分の中に知識を溜め込もうとしてる
企業とか社会にとっても損害だしそれで知的活動をしていると勘違いしてしまって
ネットに攻撃的なこと等、反感買うって当然のこと書いたら批判が来るのは当たり前だ。発言そのものの場合もあるし、批判されるべき行為をしたことをネットに書いたら同じだ。
それに対して文句行ってくるやつは心が狭いだの会話に向いてないだの逆ギレする人もいるが「自分の行動を批判する人は絶対許さぬ」という考えもまた非寛容ではないか?
反感買うこと書いたら批判が来るのは当たり前だ。自分は言いたい放題誰かに罵詈雑言飛ばすなどの攻撃をするけど、それを批判されたくないなんて我儘だ。相手の非寛容に責任転換するのは不適切だと思う。
斜面建築で1階2階の床に平面的なズレがあるのかな
っていうセリフの字幕がついてるおじいさんの画像が保存されていて
もう一つ、チャーハンをぶつけるぞというセリフの字幕がついてる画像については
その時には安堵とともに喜びがあった。
セリフでググればわかるかな?
心当たりがある方は是非教えてください。
「SWITCH」できゃりーぱみゅぱみゅと山田孝之が対談するっていうから見てみたけどあまりの会話力のなさにガッカリした
ほぼ初対面なのがだめなのか
fuckin' cuteと口走ったあと一周回って戻ってきたことに気づいた
・ジャン負けで全員にジュースご馳走することになって
・突然後輩に夕飯食べないか誘われて
・タスク管理表記入しようと思ったけどuiが糞できっちりしなきゃいけないところなのにきっちりしていなくて
・やることいっぱいあって、やり方がまだ自分の中で決まってなくて溢れそうになって
・昨日超遅くまで残ってて、これからもっと忙しくなりそうだから今日は早めに帰ろうって上がった時の上司の目線が気になって
...みたいなことが積み重なって、外見は平然としているのに中身はそわそわ落ち着かない。
そんな感覚がなんだか居心地が悪くて、でもどうすればいいのか分からなくて。
なんなんだこれは。
とりあえず静まれ私の荒ぶる心よ。
怪盗キッドも書いてたり四番サードとか短編でもいろいろ書いてるんだけど
で、当時YAIBAはサンデー好きじゃなくてもかなり人気があって
YAIBAだけを読んでる人もそれなりにいたと思う
(うしとらも人気だったけど劇画チックが苦手という人は一定数いた)
そんなYAIBAが青年になって火星に行くっていう衝撃的な終わり方をして
と皆が期待してるところに「探偵モノ」っていう情報が入ってきた
「え?ファンタジー要素は?」
って皆が若干がっかりしつつも青山剛昌がリアル系に挑戦するってことを固唾を呑んで見守って
いざそのサンデーが発売になった日には一目散に買いに走った
巻頭カラーの新連載を読み進めていくと当時流行ってた金田一みたいにシリアス展開満載で
「ああ、もうこういう路線で行くのかな」
「そうこなくっちゃ!」
っていうのがコナンの出発点
アニメに限らないけど、すごい勢いでハマる人って、ある日プツンと冷めるよね。
「そんなペースでやってると続かないよ」って言うんだけどムダ。けれどもその勢いがある人ってのはけっこうそのハマった分野ですごい勢いで吸収できるからマルチプレイヤーになれると思う。一度身についた能力は多少衰えてもリカバリも早いし。細く長くがいいのか太く短くが良いのかはわからないけど切り替えの速さは羨ましいね。
ブクマカのキモイ馴れ合いで思い出したんだけど、今日キャベツ1玉450円白菜550円大根400円くらいだった。もちろん買えなかったので、いつもは安い道の駅の直売店まで見てきたんだけどだいたい同じ。仕方ないので今週の野菜は玉ねぎ、にんじん、かいわれだけになりそう。
たまにホッテントリに上がるので眺めている非エンジニアだが、隣接の業種、職種のものだ。なんかこのひとの過去のエントリを見ていて、あれ「ai」ってなんか関係あったっけ?
と正直思ってしまった。何の仕事をしているひとで何をしているのかさっぱり分からないのだが、エンジニアの中では割と知られたひとなのだろうか。
「パンツ食い込んでる(くいこんでる)」の略。
2007年、KYを筆頭に若者の間で重用されているアルファベット略語のひとつ(KY語・KY式日本語ともいう)。
スカート、ズボンのシワなどからパンツ(下着)が食い込んでいると予測出来る人、またはズボン(=パンツ)が
食い込んでいる人に対して使う。
イタリアで大地震がおこり、多くの建物が倒壊、なくなった方も多いようだ。
海外で地震があるたびにネットでよく見るのは、日本の耐震技術はすごいという書き込みである。
一方で日本における建築という職業のイメージはどうであろうか。
昨今テレビを付ければ豊洲市場のことばかりであるが、反対派の意見をざっとまとめれば、
莫大な税金を投入しておきながら、ゼネコンとか議員が大半を懐に入れてるんだろう、って程度のものだ。
違うという人もあるかもしれないが、私が見たところ99%は要はそういうことだ。
何が言いたいかというと、建築というと何か汚い業界というイメージをもってる人が大半でなかろうか。
まぁ、いろいろあろうが、あまりいいイメージをもってる人はないだろう。
一方でよく知りもせず褒め、一方でよく知りもせず貶す。
この人達の頭のなかで建築業界は一体どうなっているのか甚だ疑問である。
建築業界に身を置いている側からすれば、事実と違うことがまかり通っている。
だからこそはっきり言おう。
震度7が来ても日本の建物は潰れないと思っている人がいたら、その幻想は捨てなさい。
これは手抜き工事した建物がそうだとか、設計ミスした建物がそうだとかいうのではない。
日本の建物は設計からして震度7に耐えるようにはできていない。
大地震が来たときは、想定通りの壊れ方をするように決めた法律なのだ。
すなわち建物は壊れてもいいから、最低限中の人の命は守る。これが大原則である。
阪神・淡路大震災を経験した世代の人間ならば、中間層がまるごとぺっちゃんこになった映像は見たことがあるはずだ。
ああいう壊れ方がすれば、確実に中の人の人命は損なわれるだろう。
あれは柱が壊れているから上の層が支えられずああいう壊れ方をしたのである。
だからああいう壊れ方はしないよう、柱は健全であるよう設計している。
逆に言えば壁に穴が開こうが、梁にヒビが入ろうが、全然OKなのだ。
「(人命を損なうような壊れ方では)壊れません」と答えるのだ。
じゃあなんで建築基準法はそんな決め方をしたのか、大地震が来ても無損傷になるように設計すべきなのではと思う人もあるかもしれない。
はっきり言えば、建築基準法は貧乏人でも家が持つことができるように定めたものなのだ。
あまりにも安全性を追求すれば家は建てることができないが、弱すぎる建物を建てれば倒壊したときに周囲の建物にも被害を及ぼすだろうし、
商業施設などならそこに来ていた人の人命もそこなうことになる。